どなたかがwikipediaに私のことを書いてくれています。
 感謝すべきところでしょうが、残念ながら、短い記述の中に複数の間違いがあります。記述の角度も偏っているようですが、それは仕方のないこととして、せめてデータだけは正確であってほしいwikipediaなのに、困ったことです。書きたい者の書くに任せるwikipediaの欠陥でしょう。(記事の書き手については、記述内容から心当たりはあります。面識のない方です。) 
 ともかく間違いだけは訂正しておきます。私に関するデータの詳細はこのブログの「略歴」「著書紹介」「仕事の記録」をご参照ください。

☓誤 「新潟県立六日町高等学校」卒業
〇正 国立長岡工業高等専門学校三年修了退学
(*私は一度も「六日町高等学校卒業」などと言ったことも書いたこともないのですが。)

☓誤 椎名麟三論『悪文の初志』
〇正 評論集『悪文の初志』
(*『悪文の初志』は椎名麟三論「貧しさの臨界」(雑誌初出タイトル「悪文の初志」)を含む複数の論文を収録した評論集です。)

〇「著書」欄に『文学を科学する』と『少年殺人者考』が抜けています。 

〇 さらに、「教え子には文芸評論家の池田雄一がいる」とあるのは、間違いとはいえないかもしれませんが、誤解を生む記述です。
 大学で「教え子」というと「師弟関係」を推測されるでしょうが、私と池田氏との間には「師弟関係」はまったくありません。
 たしかに池田氏は東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻の私の研究室に博士課程学生として在籍しました。
 しかし私は、 「師弟関係」というものが嫌いで、自分自身がかつて一度も「師弟関係」の中に入ったことのない男です。 受験生向けパンフレットにも「文学は誰も助けてくれない」と書いていました。責任逃れではなく、その覚悟なしに文学も文学研究もできません。
 もちろん講義やゼミや必要な助言はしましたが、私がもっぱら心掛けたのは、修士課程であれ博士課程であれ、彼らの自主学習・自主研究の環境維持です。修士号だけでなく、博士号取得者も何人か出しましたが、私が「教えた」人は一人もいません。
 まして、池田氏はすでに文芸評論家として活動していました。入学当初から、僕が教えることは何もない、ただ居場所を提供するだけだ、という合意で受け入れました。実際、何一つ、彼に「教え」てはいません。
 その彼が、「お前なんかやめちまえ」「やめます」という売り言葉に買い言葉がきっかけで(これも酒席でした)、二年間ほど(たぶん)で退学することになったのは、ひとえに私の至らなさです。(しかし、こう書きつつも、心理的にもたれるものはなくて、けっこうさばさばしています。私がさばさばしていられるのも、池田氏の人徳のおかげというものでしょう。)
 というわけなので、「教え子」という記述から通常の大学における「師弟関係」を想像されることだけは、私の最もしてほしくない誤解、なにより池田氏に対して失礼になる誤解なので、ここにこうして釈明しておきます。

 *後日記
 池田氏のことだけ記すのは不公平だと気付いたので、
 文芸評論家として活躍している下記三氏も私の研究室で博士号を取得したことを追記しておきます。
  高原英理
  浜崎洋介
  藤田直哉 
 (高原氏は文芸評論家として活動しながら博士課程に入学し、浜崎氏は修士課程から入学し、藤田氏は博士課程から入学し私の突然の退職後リース・モートン教授の研究室に移動して博士号を取得しました。)