まだ遠いところにある巨大台風のはるかな影響で長野県の南木曽町(なぎそまち)で大規模な土石流が発生し、一家四人が流され、中学生の長男が死亡したと報じられた。
 南木曽町の読書(よみかき)という地区だという。「読書=よみかき」という珍しい地名に覚えがあった。「てんでんこ」一号を引っ張り出して確認した。
 「てんでんこ」に小説を書いている綱島啓介氏の住んでいるところだ。
 綱島氏には先日の講演会で初めて会った。
 木樵(森林組合勤務)を続けているというだけあって、日に焼けて引き締まった体躯の、とても率直で気持ちの良い若者だ。帰路が同じだったので、電車の中で山仕事のめずらしい話もいっぱい聞いた。
 綱島氏が「てんでんこ」に連載しているのは「ムーサン・カサイエの歌」という小説。「*この作品の全文は綱島啓介著「ムーサン・カサイエの歌」からの引用である。」と始まる。いまだ不在の(未出現の)書物からの引用、というわけだ。しかも「引用」はなぜだか断片化されていて、順序もばらばらだ。ホフマンの『牡猫ムルの人生観』よりもっと細かく引きちぎられて乱雑なのだ。読者は困る(笑)。
 しかし、初の連載小説でのこの「実験=前衛」への挑戦はいかにも室井光広の「教え子」にふさわしい。(彼は大学で室井氏の「教え子」だったそうだ。)また、木曾の山奥で木樵をしながら世界文学を「読み書く」という行為自体が、カフカの『オドラデク』を故郷・奥会津に移して土俗的に変容させた『おどるでく』(芥川賞受賞)の作者・室井光広の「教え子」にふさわしい。
 木曾の山奥で木樵をしながら世界文学を「読み書く」。どこか滑稽だ。だが、大江健三郎だって愛媛県の山奥の村で世界文学に目覚めたのである。中上健次だって和歌山県の被差別地域の傍らで世界文学に目覚め、その「文化」なき被差別地域を世界の最先端に直結させようとしたのである。
 思えば、紫式部だって清少納言だって菅原孝標女だって、都しか知らないただの宮廷女官だったのではない。彼女らはみな受領階層と呼ばれる地方官クラスの娘だった。つまり彼女らは、都と地方と、世界の落差を知っていた。文学にはこの落差(途方もない差異)の認識と自覚が不可欠なのだ。薄っぺらな都会ぐらしと薄っぺらな「現在」からは文学は生れないのである。
 木曾の山奥で木樵をしながら世界文学を「読み書く」。その意気やよし。ぜひ「初志」を貫かれんことを。
 もちろんその前に、南木曽町読書地区の災害がこれ以上広がらぬよう、また速やかに復旧されんことを、願う。
 (こう書いている最中に室井氏から連絡があった。綱島氏は引っ越していまは別な地域に住んでいる、とのこと。)