ホケノ山 拾遺記

おやじ「ホケノ山」が、日々の生活から思ったこと感じたこと等を拾い集めました

倉橋の溜池〜多武峰を歩く

ありがとう・・・言葉で言えば 消えそうだから
言おうかな よそうかな 本当はいつも・・・

一杯目は 今日の日に
二杯目は 人生に
三杯目は 君だけに 男のありがとう

本格米焼酎「しろ」のCM。
前川清の「倖せの約束―男のありがとう」から。

女優ミムラさんが鍋に入った豆腐を持ちながら交差点でニッコリ。
アアー!たまりません!!

僕も最近は芋焼酎を毎晩1、2杯たしなむ。
さりとて、この歌詞のように、今日の日、人生、君に
「ありがとう!」とつぶやけるのはいつの日か・・・。

いや、こんな僕でも「今日の日」には素直にありがとうと言えなくもない。

先週土曜日に、東吉野の高見山に樹氷を見に行こうと友達と約束していたのだが、この寒さで登山口近くの駐車場まで行けるかどうかという感じだったので、日延べした。
その代わりに思いつきで倉橋の溜池〜多武峰を歩いた。

最近滅多にない寒さで、談山神社は白化粧かという期待もあって・・・。
氷瀑とまではいかないが、自然の氷でできた造形を堪能することができた。

このように歩いて自然を楽しめることに、「一杯目は 今日の日に」
ありがとう。

映画「オリエント急行殺人事件」鑑賞記

先日の職場の忘年会で、乾杯の挨拶をされた上役は、毎年読んだ中から印象に残った本の紹介をされる。そこで紹介されたのが『中動態の世界』。
僕の間違った解釈かもしれないが、人が何らかの行動を起こす時は、自らの意思で行動する能動態と、他から言われて行動に転ずる受動態とがあるが、かつてはそのどちらでもない中動態があったということであった。
全く浅はかな小生の考えでは、きっかけとしてはやはり能動態と受動態があって、受動態であるのにあたかも自らの意思のように能動的になったり、能動的であるのにどこで間違ったか無意識に転嫁して受動的になる瞬間があったのではないか。
例えば主のために命を賭してもよいという主従関係が強烈な時代には、他人のことでも自分のこととして行動することが出来たのではないか。

前振りが長くなったが、今日は休みをいただいて、映画「オリエント特急殺人事件」をイオンモールのTOHO CINEMAで鑑賞した。久しぶりの映画&洋画。鑑賞後は丸亀製麺のうどんを食べながら、その余韻に浸った。
テーマは前段の話と似通っていて、人(或いは社会)には善と悪の二つだけが存在すると、名探偵ポワロは映画の冒頭で声高らかに言うのだが、その両極を行ったり来たりするような事象があったり、善悪という価値観とはまた別の物差しがあったりすることに気づかせてくれた。

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時に身をおくということ

人生が殆ど押し迫ってくると、今やらないといつやる???という切迫感に苛まれてくる。
そういう焦りから、これまで打ち込んできたもの、例えばバドミントンの指導から遠ざかった。
毎日の練習や次々に予定される試合などに没頭するうちに、瞬く間に時間が去っていった。

僕は人一倍その意識が強いのかもしれないが、何とも言えない焦燥感が襲った。
焦燥感は自分の人生の短さを悟ることから由来するのかもしれないが、僕を取り巻く環境の急激な変化とも受け取れる。
子どもが結婚し子どもを産み、或は遠くの地で就職し自立し、或は語学留学をして自分の歩みたい道を探るようになった。

もう親としての使命は終えつつある。
生物学的に言えば、遺伝子のコピーを残すことに成功したいま、生物としての役割は終焉を迎えつつある。

山登りもそういう焦燥感から逃れたいために始めたのかもしれない。
自然に身をおき、自然とともに生きる。
時に身をおき、時とともに過ごす。

そんな中、友達と河内長野の岩湧山に登った。
早朝まで雨で、これは無理かなと思ったのだが、出発前には雨は止み、歩き始めた頃には青空も見えた。
山頂では木枯らしが舞って寒かったが、展望を楽しむことができた。
僕につられて友達も買ったバーナーでお湯を沸かし、温かいコーヒーを飲んだ。
美味しかった!!

次回は奈良二月堂から初冬の夕陽を見ようと計画している。
その「時」に身をおくために。

ドラマ『わたしを離さないで』鑑賞記

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏。
これま作品名は一つだけしていた。
「日の名残り」。
何となく良い題なので読んでみようかなと思ってはいたが、そのままだった。

今回の受賞を機に、数年前に日本でドラマ化されていたというので、『わたしを離さないで』を動画サイトで一挙に観た。
主人公の綾瀬はるかと原作者のインタビューでは、このドラマのテーマは、短い人生の中で死をどう迎えるかといったこと。なので、中身は暗くて沈鬱だった。
でも映像やセリフも文学的で、視聴を止める気にはならなかった。

テーマの本質を語っているような部分があったので抜粋しておこう。

ミワ:
ハナってさぁあ、ちょっとキョウコに似てるよね?似てるよねえ、雰囲気とか・・・。

キョウコ:
女だし、同い年だし・・・。そりゃあ似てるよ。
私時々さ、似てない人なんていないんじゃないかって思うことある。
というより、私たちほとんど何もかも同じなのよ
だから、ちょっと違うところを見つけた時、驚いたり戸惑ったり、憎んだり羨んだりする。
でも逆に違うからこそ欲しいと思ったり、憧れたり、目標になったり、好きになったりもする。
そう思わない?

ミワ:
あーあ、相変わらず賢いねえ、キョウコは。
でも、ま、それだけなのかもねえ、私たちの一生なんて。
そんなことにウロウロしているうちに、あっという間に終わりの日が来るのかもしれない。

今度は本を読んでみよう!

個人的忘備録(バンカーショット)

忘備のために書かざるを得ない。

この日は雨で、バンカーが濡れ固まっていた。
1回目はアゴが低くくてきれいに出た。

問題は2回目。
アゴが高くて、ピンに近いというシチュエーション。
バンカーの砂は相変わらず濡れて固い。
サンドウェッジを取り出して、ハンドレイトに構え、スタンスを広めにとり、ハンドレイトにテイクバックして、エイヤー!!!
でもでも、ボールがそんなに上がらず、脱出できず・・・。
残念無念!!
また同じようにフェースを開き、ハンドレイトに構え・・・、ダメダメ。
やっと8回目に脱出したのには自分ながら呆れた。

実は、固い砂の場合これやっちゃあダメらしい。

早く言ってよ、(-_-;)

サンドでもバウンスの小さいクラブを持つか、ピッチングや9番をもって、
ボールの近くを、普通のアプローチのように打つ。

今後、絶対に忘れちゃあいけないぞ!

JR山手線の車内ポスター

先日いつものように東京出張。
品川までは新幹線。
それから山手線で新橋、新橋から地下鉄で最寄り駅となる虎ノ門へと向かう。

山手線で電車に乗り、車内ポスターに目をやると、全部のポスターが「うましうるわし奈良」のポスターであった。
それも全て談山神社のもの。

東京まで来て、地元のポスターにふれるのは何か気恥ずかしい感じではある。
しかし、同時に誇らしくもあり。

写真と文章がすごくマッチしてよい感じだったので、ホームページを是非ご覧いただきたい。

自分、良いところに住んでるんや。

近況雑感

最近始まったNHKの連ドラ「ひよっこ」の時代設定は、僕の幼児期とかぶるものがあるので、欠かさずに見ようと思っている。
この時代、家族の絆が強かったこともうかがえ、主に幼児期を祖父母に育ててもらった自分としては、テレビを見ている間、感無量の時間が流れる。

そんな中、浅田真央が引退。
フィギュアを、国民規模で広めた立役者。
彼女の生き様に、国民全員が感動したものだ。
ソチのフリーは何度見ても泣ける。
あの時は自分も真央ちゃんと一緒にリンクを滑っていたと、巷を行き交う人がインタビューで答えていたが、そういう人は多かったに違いない。

「もういいんじゃないか・・・。」
「何がいいんじゃないか、なんでしょうか?」と記者会見で質問されていたが、それは自分に課した何かからの解放である。その何かは、彼女の心の中で大事に持っていれば良いことで、我々がどうこういうことではないだろう。

そう思うとじっとしていられなくなって、この日曜日、まだ桜の花が残るのだが、初夏を思わせる陽気の中を山に登った。
僕が大好きな山の一つ、大洞山。
桜の名所、三多気の桜を麓に持つ。
案の定、花見客でいっぱいだったが、早朝登山だったので往きは混雑を回避できた。

いつもと変わらぬ眺望は何度見ても愛しい。
鳥の声も木々の芽吹きも、何もかも受容できるこの自分の心というものがあることに、率直に安心する。
東吉野の高見山、室生・曽爾の変わった容姿の山々を眺めながら、熱いコーヒーを飲み、満足して下山すると、三多気村の日本の原風景と出会えるのも有難い。
田んぼに引かれた水に桜が映える。その水面に桜が散っていく様は、真央ちゃんと重なってしまって、余計に感傷的になってしまった。

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転じて、私事。
長女が小学4年というから14年前から、ジュニアのバドミントンに関わって来させてもらったが、「もういいんじゃないか」と思い、この度引かせてもらいたいと表明した。
全面的に次世代にバトンタッチ!
錦織圭が自ら課したテーマ、「この命、どう使う?」
このテーマを自身に照らし合わせた時、甚だ自信がない。
使い切っていない。
もっとこうできるんじゃないか、こんなことをしてあげればよかったんじゃないかと、エンドレスで思いは巡る。

特に、NHKの「ひよっこ」の時代のような人々の結びつきがない現代にあって、スポーツを通して、成績だけではないもっと大切なものを教えてみたかったが、非力を自覚した。

後進の人たちが少しずつでもそれを果たしてくれるだろう。

引退とは、そういう自分だけではない後進への期待も含んでの引退だとふと気付き、真央ちゃんの決意に再び感動した。比較するには段違いすぎるけれども・・・。

全国一の保護者パワーにはとても助けられました。
心より感謝いたします。
子ども達の頑張りにも。

霧氷の高見山登山記

映画「わたしに会うまでの1600キロ」に感化され、雪山にチャレンジした。

霧氷?樹氷?で有名は、高見山。
霧氷と樹氷とはどう違うのか?
調べると、霧氷は総称で、樹氷は霧氷の一様態を表すらしいが、詳しくは気象庁の職員でもないのでわからない。

約7合目付近から積雪が著しくなるが、アチコチで立ち止まっては写真を撮っていたので、そんなに苦痛もなく登頂できた。
当日は曇天で、空の青と霧氷や積雪の白とのコントラストを楽しむことは出来なかったのは残念だったが、モノトーンと白黒のグラデーションを楽しむことはできた。
楽しむというと何か表現が物足りない。
未だ経験したことのない別世界だった。

それにしても山頂はさすがに寒い。
汗も冷えて、凍えるようだった。
山頂の避難小屋でおにぎり2ケを食べ、すぐに下山した。

たかすみ温泉で疲れを取り、ヤマダ電気のマッサージチェアで前身をもみほぐした(訂正!もみほぐさせて頂いた)。
また来年も行きたいなあと思っていたら、中学時代の友人から電話。
「樹氷のチラシがあって、それ家のポストに入れといた。今月末に行かないか?」
だって・・・。
「ゴメン、今日行ってきた、でも行くなら付き合うで」
と言ってしまったので、今月再び行くかもしれない。

山の記録はこちらから

映画「私に出会うまでの1600キロ」鑑賞記

哲学者 中島義道の著書『不幸論』は愛読書の一つだ。

振り返って冷や汗が出るほどに幼く恥ずかしかった自分の愚かな言動。
そういう自分自身と真正面から向き合わなければ、真に不幸せなまま人生が終焉してしまう。
これほど不幸なことはない、確かこういうことを言いたかったのだと思う。

さて標記の映画を観た。
父親の暴力から逃れ、しかしそれでもお人好しの母親を受け入れられず、自分とは違う友達の意見にも耳を貸さない。ドラック、酒、SEXにおぼれ、完全に自分を見失い、挙句に最愛の彼氏とも別れることになる。

愛する母の死をきっかけに、見失った自分を取り戻すために、長い長いトレイルをすることに。
そこで気づいたのは、死別し反抗を繰り返していた母に対する愛と、裏切りに満ちた彼に対する私の、深い愛であった・・・。

人はなぜ山に登り、歩くのかという素朴な問いかけに答えてくれる秀作!!

初瀬〜白河〜巻向山〜穴師を歩く

先週の土曜日、夕方から穴師に行く用事があり、それならばと昼頃に初瀬〜白河〜巻向山〜穴師のルートを歩くことにした。

長谷寺駅で下車し、まずは与喜饂飩を食す。いつ食べても上品なダシである。僕のお腹では大は少々多いのであるが、いつも大を頼んでしまうのはよくどしい性分から。
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白河村は広い。
初瀬側から纏向川の境界までは時間的にかなり歩いた。
途中お年寄り二人が歩行訓練。
この寒さなのに黙々と坂を上り下り。
大したものである。

山の中に入ってからも白河村の名前が入った看板がそこいらにあった。

巻向山山頂からの眺望はすこぶる悪い。
かすかに光に照らされた平野部を見ることができるが、極めて部分的だ。
さすがに山頂付近は寒い。過日の降雪もまだ残っていて、じっとすればすぐに寒くなった。

下山し穴師に向かおうとするが、PCのフリーソフトである「カシミール」を頼りにルートを決めて迷ったことがもう3度くらいあり、今回も迷ってしまい、沢に下りてしまった。

一度山頂付近まで戻り、下山。小さな間違いをもう一度繰り返し、ようやく大きな道に。
基本的にはどのルートも荒れているようで、あまり歩かれていないと感じた。

それでも予想よりも早く人里に出たので、一度自宅に戻った。

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