ホケノ山 拾遺記

おやじ「ホケノ山」が、日々の生活から思ったこと感じたこと等を拾い集めました

2007年11月

京都と着物と生け花婦人は???

東京出張の行き帰りは京都で新幹線に乗り降りする。
で、帰りは京都から特急に乗る。
最近はとても便利で、ケータイ電話で新幹線に乗りながら特急の予約しておくことが出来る。
僕は、禁煙席で窓際が良いので、その指定をして八木まで帰る。
すると指定席の番号がメールで送られてくるという段取りだ。
チケットレスなのが良い。
この木曜日にも名古屋駅付近でケータイ予約をし、禁煙席と窓際をキープした。

しかし、いざ乗ってみると僕の座るはずの席に、着物を着たお年寄りのご婦人が座っている。そのご婦人の荷物には、生け花を新聞で巻いたものがあり、なかなか上品な風情だ。しかしそこは僕が乗るはずの席なのではないか、おかしいなと思い、自分のケータイ・メールを見直す。
日付、時間は違いない。列車番号も間違いない。そして席も合っている。
僕は正しいことを確認し、そのご婦人に声をかけた。
「あのう、そこの席、合ってますでしょうか?何なら僕が(貴方がお持ちのチケットを)確認しましょうか?」
僕としてはかなり丁寧に尋ねたつもりだ。なにせ京都の着物の生け花婦人であるからして・・・。
ところが、そのご婦人からは、
「いや、いいです」という一言だけが返ってきた・・・。
えっ、どういう意味???
一瞬の間があり、彼女の言葉にガツンときたものだ。
「私の席は隣(通路側)なんで」
こう言って、おもむろに移動したのだった。
「すみません」とか「ごめんなさい」とか一切なかった。

京都も、着物も、生け花も、大したことないやんけ!

老眼との闘い

眼が遠くなって困っている。
視力が良いという人は老眼になりやすいと言われるが、全くそのとおりだ。
つい最近まで左右1.5を誇ったものだ。最強のときは左右どっちの方だったか、2.0という時期があった。いまは1.2から1.0前後をウロウロしている。
これも偏に、若かりし頃ぜーんぜん勉強しなかったおかげデス!

とにかく今はどうにも字がダブってしかたない。眼を細めても、大きく見開いてもダブる。
一番良いのは、見ているものを遠ざけるか、自分が遠のくか・・・だ。情けない。

その僕が必死に本を呼んでいるのが、東野圭吾著『夜明けの街で』。
なかなか男にとっては面白くて怖いストーリーだ。

怖い・・・というのは・・・、いや止めよう。
まあいいだろう。そういうことを書きたいのではない。
読書の楽しさを書きたかったのだ。

これまでにも影響を受けた本は多い。
福永武彦『愛の試み、愛の終わり』
鈴木大拙『禅のこころ』
日高敏隆『動物にとって社会とは何か』
横溝正史『獄門島』
諸富祥彦『生きていることの意味』
中島 義道 『対話のない社会』
内田康夫、武者小路実篤、高見順、山本周五郎、司馬遼太郎・・・。

実はしかし、僕は長い間読書をしていなかった。
この眼が相当鬱陶しかったからだ。
ピントがずれるのがイヤだったし、本を遠く離して読むのもどうも解せなかった。
僕の場合、読書の多くの時間は電車の中だ。これはかなりハードなことで、読書をして下車すると、駅のホームのすべての物がボーっとしか見えなくなる。
あー、いやだいやだ!!!
そう思いながらも、何とか読了間際までくると、僕はすぐに読了しないようペースをダウンする。だってもったいないもーん(#^.^#)

とにかく、やっぱり読書は楽しい。自分ならどうするだろう、どう言うだろうなどと考えながら読むと、自分と対話をしていることになる。

これは老眼かけても続けなきゃあなあ・・・
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