2018年04月24日

ヌード NUDE-1 ミレイとドレイパー

(横浜美術館 〜6/24)
ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより” は、まあ予想通りというべきか、ヌードを堪能させてくれる展覧会というよりは、ヌードの可能性や限界を考えさせる企画という感じがした。
冒頭の フレデリック・レイトンの 「プシュケの水浴」(1890年発表)は、何も考えずに楽しめる唯一の作品と言っていいと思うが、布を持ち上げたポーズや思わせぶりな表情、やわらかそうな肌のたるみ具合、見られているのが分かっていながら一人の世界にいるような構成なども、徐々に ”出来過ぎ感” が気になってくる。
ヌード画としてどんなものを見たいのか、そうした受け手の要望に応えるべく市場調査を尽くした成果のようで、その美点と弱点は確かに本展の出発点に相応しい。

ジョン・エヴァレット・ミレイの 「ナイト・エラント(遍歴の騎士)」(1870年)は、思っていたより画面が大きく、そして荒れた感じに見えた。
男の甲冑や女が縛られている木の表面などの質感描写はさすがミレイという出来栄えだが、肝心の裸の女の肌が美しくない。
それはこの絵が当初受け入れられなかったことと関係があるのか、もともとは男の方を向いていた女が顔をそむけるように描き直されるといった過程の中で、保存にも問題があって傷みが生じたということがあったのだろうか。
ただし、この改変によって曖昧さが増したことはむしろ正解だったと思う。
全裸で木に縛り付けられるという非常事態の女にとって、もちろん助けてもらえることが有り難くないわけはないとしても、恥辱のあまりまともに顔を合わせられないのは当然で、その男の真意もこの時点で測り難いとなれば、このようにして視線を避けるほかはない・・・

ハーバート・ドレイパーの 「イカロス哀悼」(1898年発表)は、巨大な羽根や光る海がリアルに描かれ、以前見た習作とは段違いの壮麗な画面となっていた。
墜落して力尽きたイカロスはなんとも気の毒な状況だし、そもそもこんな人物だったのかという戸惑いもないではないけれど、この絵の魅力は彼を心配そうにのぞき込む3人のニンフたちの方だ。
哀悼の意の籠った表情は思いのほか深く、しかし艶やかなその肢体は瑞々しい。
彼女たちは海のニンフなのだから普段から裸でいるはずで、むしろこれまで服を着たこともないのかもしれないのだが、それでもその姿は、いま生まれて初めて男の前で服を脱いだ少女のように初々しい・・・


英国の夢 ラファエル前派 (2016、ザ・ミュージアム)
  ミレイの女たち 聖アグネス前夜祭 甘美なる無為 ハントとラスキン
  継承者たち ウォーターハウス
ラファエル前派展 (2014、森アーツセンターギャラリー)
  アーサー・ヒューズの詩的世界 シダルの描く悲しい女たち ミレイ芸術の三相
  ロセッティの贖罪 ハント、モリス、バーン=ジョーンズ

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2018年04月23日

ケフェレックのモーツァルト、ピアノ協奏曲第24番

アンヌ・ケフェレックのピアノ、上岡敏之指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団による モーツァルトの ピアノ協奏曲第24番 を聞いた。(2018年4月22日(日) 14:00〜 横浜みなとみらいホール)

モーツァルト: ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491
(アンコール ヘンデル: メヌエット ト短調)
ブルックナー: 交響曲 第6番 イ長調
(アンコール モーツァルト: 交響曲 第29番 イ長調より)
 アンヌ・ケフェレック(P)、上岡敏之、新日本フィルハーモニー交響楽団

モーツァルトピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491 は、跳躍や半音を多用した重ためのテーマから始まることから、悲劇性の高い曲というイメージをずっと持っていたが、アンヌ・ケフェレックのソロで聞いたこの日は、この作品の持つ明るく優美な面が強く印象に残った。
オーケストラがドラマティックな音型を積み上げていくのに対し、弱音でそっと入り込むピアノはそれに応えながらも自由に羽ばたいていくようで、慟哭するだけでなく明るくキラキラと輝き出すようなところにこのピアニストの持ち味がよく表れていた。
第恭攵呂砲覆襪藩鬚収まった空に穏やかな光が差し込み、第20番のように荒れ狂う中間部もなく、オーケストラとスタインウェイの幸福な掛け合いが続いていく。
このあたりでの管楽器のソロも大健闘だったが、同じフレーズをピアノが繰り返すたびに一段と音楽が深まっていき、特に終盤での別れを告げるような音型は、この時間が永遠に続いてほしいと思う美しさだった。
短調に戻る第軍攵呂癲何度かの変奏を繰り返して長調に転じると、管との絡み合いが明るく平和な情感を漂わせていった。
この日は演奏中に何度か指揮者が大きく体を倒してピアニストと呼吸を合わせるようにする場面があり、演奏後には ケフェレックがオケに拍手を送っていたのも印象的だった。

アンコールは ヘンデルアリア、つぶやくような旋律がしみじみと響き、クールダウン効果という意味でも絶妙のアンコールピースだとは思うけれど、せっかくの機会なので正直なところもう少しいろいろな曲を聞いてみたいという気がしないでもない・・・

後半は ブルックナー交響曲 第6番 イ長調はなかなかコンサートで聞く機会がない作品だが、きびきびとした指揮がオケにエネルギーを吹き込んでいき、見通しの良い分かりやすい演奏になっていた。
第恭攵呂療喘罎任六愆棒についた水滴を振り払うような仕草に驚かされたりもしたが、その効果もあってのことか特に弦の厚みに聞き応えがあり、音響的な迫力も申し分のないものだった。

アンコールは モーツァルト交響曲 第29番のフィナーレ、踊るような指揮によるユーモラスな演奏の向うにモーツァルトの微笑が見えるようで、一度このテイストで全曲を通しで聞いてみたいと思った。

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2018年04月21日

ピレシュのベートーヴェン、ピアノ協奏曲第4番

マリア・ジョアン・ピレシュ (マリア・ジョアオ・ピリス)のピアノ、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 N響による ベートーヴェンの ピアノ協奏曲 第4番 を聞いた。(2018年4月20日(金)19:00 NHKホール)

ピレシュ、というよりは ピリスという呼び方の方が馴染みのあるポルトガルの女流ピアニストを初めて知ったのは、DENONが出した モーツァルトの ピアノ・ソナタ全集だった。
ジャケットには少年のような写真、その研ぎ澄まされた演奏は硬質で寒色系というべきか、音質の良さもあって実に透明度の高いモーツァルトを弾く人として記憶に刻まれた。
80年代に来日した時の シューマンの 「森の情景」と ベートーヴェン 「ピアノソナタ第31番 変イ長調」も隅々まで神経の行き届いた素晴らしい演奏だったけれど、あたたかな人間味が感じられたところがそれまでのイメージと異なりやや戸惑ったことを思い出す。
その後、シューベルトや ショパン、デュメイとのデュオによる ブラームスや グリークのソナタなどのCDはよく聞いていたものの生演奏にはあまり縁がなかったのだが、今年限りでコンサートからは引退するとのニュースを聞き、何とかこの日のチケットを確保した。

ベートーヴェンピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58 は、冒頭の和音の連打から微妙なニュアンスを湛え、そこへ入ってきた弦も澄み切った透明な響きが美しく、ちょうどこの時期の新緑の木々の間を吹き抜ける春風のように爽やか、粒立ちの美しいピアノと絡まりながら幸福な世界が広がっていった。
カデンツァは強靭で雄弁な音楽、それが再び入ってきたオーケストラとごく自然に溶け合っていくところは特にすばらしく、ソリストと指揮者とオケが理想的な形で一つになっているようだった。
第恭攵呂楼貪召靴堂斌曚焚山據弦による重たいレチタティーヴォに促されて独り語りを始めるピアノは、瞑想的なフレーズを囁くように密やかに語っていく。
この日の楽器は ヤマハ、ピリスの弾くため息のような弱音が、満員の聴衆が固唾をのんで聞き入る中、巨大なホールに吸い込まれていくように響いた。
ようやく緊張がほぐれてきたところで第軍攵呂貌ると、再び喜びが爆発して愉悦の掛け合いが続いていく。
それは大筋ではモーツァルト的世界に戻るようではあるものの、その中に大胆な転調や意外な展開があって、中期ベートーヴェン作品としての聞き応えも十分だった。

アンコールは晩年の バガテル(6つのバガテル 作品126 から 第5番 ト長調)、内省的で夢見るような旋律が優しく紡ぎ出されていき、惜別の思いを誘うようにそっと心に沁み込んでくる演奏だった。
これで生演奏を聴く機会は最後になるのかもしれないが、録音はまだ続いていくものと信じたい。

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2018年04月19日

ヒエロニムス・ボス、絵の中の音楽-2

前回は 「快楽の園」、「干草車」と 「愚者の船」の中の楽器について見てみたが、それ以外の作品の中にももう少し控えめながらさまざまな楽器が登場していた。

リスボンの祭壇画 「聖アントニウスの誘惑では、憂い顔の聖人そっちのけで邪悪な宴が開かれている中央のテーブルに、リュートとハーディガーディを携えた異形の男たちが歩み寄っている。
この後に奏でられる音楽は聖人の心を乱し惑わせるものに違いないが、それは悪魔的な音楽なのか一見耳触りの良い音楽なのか、もし推定による復元演奏があるならぜひ聞いてみたい。
それだけではない、少し手前の方にはハープを弾く化け物、右翼には妙に曲がった形の笛を吹く裸の人物も見えるのだが、この空間全体にどのような音が響いているのか、やはり想像してみることは難しい。

最後の審判」に行くと、ウィーンの大祭壇画には尻で笛を吹いたり頭の上でリュートを弾いたりする滑稽な姿が見え、また嘴がそのまま笛になっている鳥のような化け物が登場する。
いずれも地獄や煉獄らしからぬキャラクターのようにも思えるが、ここで命を与えられたことに精一杯感謝しているように、その姿はポジティブで賑やかだ。
同じ 「最後の審判」でも ブリュッへ(ブリュージュ)の小祭壇画では、人間たちに対しかなり大きめのリュートやバグパイプ、弦部分に人が捉えられているハープなどがあり、こちらの方が 「快楽の園」の ”音楽地獄” との共通するところが多い。
だからボスの真作なのかそうではないのか、そのあたりにも注目して制作の経緯や影響関係を推測してみるのも面白そうだ。
なお、どちらも天上で審判を下している周囲にラッパを吹く天使たちがいるが、これはボス固有のものではなく、この時代この画題のお約束ということなのであろう。
一方、ブリュッヘの左翼で船の上の天使たちがラッパを吹き鳴らしているのは、何か不吉なことの訪れを知らせる警笛なのだろうか、象徴的な含意が感じられる印象的な場面になっている。

七つの大罪」(プラド)の 「最後の審判」部分では同じように天使たちがラッパを吹いている一方、「天国」には二人の奏楽天使がいて、縦型のハープとチターのような横置きのハープを弾いているのが珍しい。
また、「邪淫」の場面にハープと笛が転がっているところには、やはり楽器や音楽に対しての良からぬイメージが反映されているということかと思われる。

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2018年04月17日

アンヌ・ケフェレックのバッハ、モーツァルト・・・

ベートーヴェンの最初と最後のソナタをとりあげた アンヌ・ケフェレックのピアノリサイタル (4月14日(土)14:00 海老名市文化会館)のプログラムは以下の通り。

J.S.バッハ (ブゾーニ編): コラール前奏曲 「来たれ、異教徒の救い主よ」
マルチェッロ (J.Sバッハ編): アダージョ )オーボエ協奏曲より)
ヴィヴァルディ (J.Sバッハ編): ラルゴ (オルガン協奏曲より)
ヘンデル (ケンプ編): メヌエット
J.S.バッハ (ヘス編): コラール 「主よ、人の望みの喜びよ」
モーツァルト: ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K.333
ー休憩ー
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111 
(アンコール)
スカルラッティ: アリア (ソナタニ短調 K32より)

バッハの 「来たれ、異教徒の救い主よ」は、自由な語り口によるゆったりとした歩みが曲の起伏とよく合い、ざわついていた客席を徐々に瞑想の時間へと誘っていった。
マルチェッロの 「アダージョ」も冒頭の音の重なりから思わぬ緊張感があり、バッハとケフェレックの共同作業で原曲が宗教的な情感の曲に生まれ変わったよう、ヴィヴァルディの 「ラルゴ」も、軽快で可憐な中にもの悲しさが漂っていた。
ヘンデルの 「メヌエット」はここ数年ケフェレックがアンコールも含めてよく弾いてきた曲だが、この日は前半の山場としてひときわ劇的に響かせていたようだ。
そして バッハの 「主よ、人の望みの喜びよ」は、しばしの瞑想から醒めてあたたかい光が差してきたよう、この曲が流れてくると何か尊いものを見るような目をしていた人のことを不意に思い出した。

モーツァルトの 「ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K.333」も ケフェレック女史お気に入りのレパートリーなのか、この日のプログラムは後半のベートーヴェンも含めて、会場の平均的な期待値よりはやや渋めの内容になっていたように思われたけれど、2つの主題ともあくまでもエレガントに自分の世界へと誘い、第恭攵呂榔深い瞑想の世界の深みを探っていくようだった。

後半は前述した ベートーヴェンの2つのソナタ、特に第32番が圧倒的な緊張感に満ちた重量級の演奏だったので、さすがにアンコールは無いのかとも思ったのだが、ちょっと困ったわねぇといった仕草で登場し ”very small” と言ってから スカルラッティのアリアを弾いたあと、ピアノの蓋を閉じてにこやかに退場した。


アンヌ・ケフェレックのコンサート (LFJ以外)
2009  モーツァルト: ピアノ協奏曲第27番
2010  フランク、フォーレドビュッシー、ラヴェル (ル・ジュルナル・ド・パリ)
2010  バッハ、モーツァルトショパン
2012  スカルラッティ、モーツァルト、ラヴェル、ドビュッシー
2017  日本モーツァルト協会例会

アンヌ・ケフェレック@ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日
2005  ベートーヴェンと仲間たち 
2006  モーツァルトと仲間たち 
2008  シューベルトとウィーン 
2009  バッハとヨーロッパ 
2010  ショパンの宇宙 
2012  サクル・リュス 
2013  パリ、至福の時 
2014  10回記念祝祭の日 
2015  Passions パシオン - 恋と祈りといのちの音楽 
2016  la nature ナチュール - 自然と音楽 
2017  La Danse ラ・ダンス - 舞曲の祭典 

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2018年04月14日

アンヌ・ケフェレックのベートーヴェン第1番&第32番

アンヌ・ケフェレック女史が ベートーヴェンの最初と最後のソナタを弾くリサイタルがあると聞き海老名まで足を運んだ。(2018年4月14日(土)14:00 海老名市文化会館)

ベートーヴェンの ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 Op.2-1 は、冒頭の駆け上がるスタッカートから溌剌とした若さが迸り出てくるようで、疾風怒濤の片鱗をあえて表現しようとしていたのかもしれないが、既にそこにはハイドンでもモーツァルトでもない個性がはっきりと感じられた。
第恭攵呂呂海鵑覆砲盞狹な曲だったかと思う瞬間がいくつもあり、おそらくはそれほど複雑ではない楽譜からいかに多くのものを取り出すかという、これは見本のような演奏かと思われた。
第軍攵呂亙冉鏤凖に進んだりトリオの後半で大嵐が吹いたりと、メヌエットという型にはとても納まりきれる音楽ではなく、やがてこの形式を一顧だにしなくなるのも無理はないと納得するほかなはい。
終楽章の盛りだくさんの内容は ”第1番” としての意欲のあらわれか、そしてこれは自分でピアノを弾いて喝采を浴びるための曲でもあったのだろう、ケフェレックの歯切れの良いドラマティックな演奏からは、若きベートーヴェンの自信や野心がストレートに伝わってくるようだった。

ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op.111 は第1番から約30年後の作品、冒頭の一筋縄ではいかない音型から、この間に見てきたこと感じたこと、それらを通して深まってきた人生の重さというものを思い知らされるようだ。
厳しい緊張感の持続する序奏に続いて低音が不穏に動き回り、くっきりとした粒立ちの音が寄せては返すようにもつれ合いながら高まっていくあたり、この世界はいかに多くの感情が鬩ぎ合い陰影に満ちているかを3D画像で見せられているような気がした。
第1番の若々しい疾走とも、”傑作の森” の時代の自信に満ちた歩みとも違う、屈折した思いをそのままに抱えた人物像がそこに確かに立ち上っていた。

第恭攵呂呂なり遅めに入り、頭を垂れてただひとり来し方を振り返るように進んでいく。
やがて音楽が流れ出すにしたがって徐々に感情が高まっていき、その先で落ち着きを取り戻していくあたりは彼岸への道行きかと思ってしまうのだが、直前の第31番が天上の高みを目指してひたすら昇り詰めていくようなのに対し、この最後のソナタはあくまでも地上に留まり、心を研ぎ澄ませていく中でいつの間にか清澄な光に包まれていくようだった。
終曲に向かってさまざまな思いが交錯するようにフレーズが現れては消え、テーマが登場すると全てがそこに収斂していく、そして辿り着いた境地はしばらくは身動きもできないほどの重い沈黙の世界だった。

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2018年04月13日

プラド美術館展-4 絵の中で生き続ける少年

(西洋美術館 〜5/27)
”IV 宮廷” の後半となる下のフロアには、宮廷に召し抱えられていた矮人たちの絵が並んでいた。

ベラスケスの 「バリェーカスの少年」(1635-45年)は、モデルとなっている少年の特徴をことさらに強調しているわけではないのに、彼の性格や境遇がリアリティをもって伝わってくる。
それでも決して卑下していないどころか、一個の尊厳ある人格として扱っており、坐る姿勢もこちらを見る表情も自然体のこの少年に屈託はみられない。
彼にとって、ベラスケスに肖像画を描いてもらえたのは僥倖に違いないけれど、宮廷で暮らすようになって果たして本当に幸せだったのか、ひとりの人間が生を受け、それぞれの運命の中で生きていくことの意味までを考えさせる作品でもある。

「ラス・メニーナス」の画面右にいる人物と同様、こうした宮廷の構成員は ”道化師” と呼ばれることが多かったが、自分では道化を演じているという意識など持っていたとは思われない彼らを、安易にそのように呼ぶことは躊躇われる。
その一方で、ベラスケスは確かに宮廷で重用され満足すべき待遇も得られていたとはいえ、表現者としては仕事の幅の狭さや忖度すべきことの多さに、フラストレーションを感じることも多かっただろう。
そんな中で、比較的自由に腕を揮える相手として、むしろ彼らの方がベラスケスを助けていたという面もあったとすれば、後世の我々も大いに感謝しなければならない。

スルバランの 「ヘラクレスとクレタの牡牛」と 「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」(1634年)は、ブエン・レティーロ宮の装飾壁画12枚の中の2枚。
ヒュドラの頭の不気味さは詳細に描かれているけれど、牡牛やヒュドラに挑みかかる男は神話の中の人物というよりはどこにでもいそうな素朴さで、それらしいポージングもないありのままの姿だ。
光と影の対照の強烈さは反対側の壁面辺りで見た時に一段と際立つようで、確かにこれはいろいろな意味で遠くから見られるべき作品かと思われた。

ベラスケスの 「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」(1635年頃)からは ”V 風景” の章に入る。
思えば本展は各章の頭に ベラスケスを持ってくるように構成したかったということなのか、確かに雪を戴いた山並みや雄大な斜面の表現は見事だと思うけれど、やはり本作は風景画である以上に人物画、というよりもむしろ動物画というべきだろう。
前足を上げた馬の躍動感はさすがの腕前であり、その上で幼い王太子がこんなポーズを決めていられるのも、優秀な宮廷画家の仕事なればこそだ。

”VI 静物” にベラスケスがないのは仕方がないが、スルバランの静物画もなかったのは残念だった。
概ね冷たい感じの絵が続く中で、ヤン・ブリューゲル2世の 「花卉」(1615年)には明るい華やぎが感じられたが、それはこの画家には珍しく無理な構成をせずに、籠に飾った花をそのまま写生したような自然さを残したからであろう。

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2018年04月11日

エリーザベト・レオンスカヤのシューベルト-2

エリーザベト・レオンスカヤシューベルト・チクルス第2日目(4月6日(金) 19:00〜 東京文化会館 小ホール)、休憩をはさんだ後半の ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 D894 《幻想》 は、前の15番よりソフトな入りで旋律を慈しむように始まったが、構えの大きな演奏は徐々に迫力を増していった。
本作は最晩年の三大遺作ソナタに匹敵する充実した曲で、特にここから長い旅路が始まるという予感のする第騎攵呂蓮∈埜紊離愁淵紳21番の世界観に近いものを感じる。
この日の演奏では第2主題で低音の動きが強調されていて意外な面白さがあったが、一方で高音が光の粒のように聞こえてくるところがやや裏に回ってしまうようで悩ましい思いがした。
中間部になって連発される大音響は大嵐といっても足りないくらい、それを火山の噴火のようと言っては不謹慎かもしれないが、それほどの圧倒的な烈しさだった。

それにしてもこの響きはピアノが ヤマハだからなのか、あるいは、もし ベーゼンドルファーなら音がもっと響き過ぎて大きな固まりになってしまったり、ベヒシュタインならばガンガンと大砲を撃っているようになってしまう、といったことがあっての選択なのか、そもそも レオンスカヤ女史は普段からヤマハがお気に入りなのかどうか・・・

第恭攵呂浪困笋に始まるがやがて感情が高ぶっていき、この心の叫びを聞け! という感じ、第軍攵呂任狼佞剖奏に挟まれたトリオの明るさが魅力的だった。
第験攵呂録討靴澆笋垢だ律がチャーミングに展開していく愉悦の音楽で、いつまでも聞き続けていたいと思う極上の時間だった。
それは確かに シューベルト的な魅力にあふれた音楽だと思うけれど、しかし作曲者自身には自分の到達点はもっともっと先にあるという思いがあったのか、だから最後の遺作ソナタ3曲を身を削って書き遺すことになった・・・

アンコールは 3つのピアノ曲 D.946 より第1曲、実は今回のチクルスの中に何故この曲集が入っていないのかと思っていたのに、流れるようなスピードでこの曲が弾き出された時はしばらく分からず、別のソナタの第軍攵呂終楽章かと思ってしまったくらいだった。
それほど音楽は滑らかに流れるノリのよい演奏、一方で動き回る低音には地の底から聞こえてくるようなデモーニッシュな迫力があり、中間部は夢見るような法悦の境地、終わってもしばし現実に戻れないような名演だった。
できれば レオンスカヤ女史の演奏でこの第2曲も聞きたかった・・・


エリーザベト・レオンスカヤのシューベルト・チクルス(全6回)
4/ 4(水) 第1番 ホ長調 D157、第4番 イ短調 D537、第17番 ニ長調 D850
4/ 6(金) 第9番 ロ長調 D575、第15番 ハ長調 D840、第18番 ト長調 D894
4/ 8(日) 第2番 ハ長調 D279、第13番 イ長調 D664、第16番 イ短調 D845
4/10(火) 第5番 変イ長調 D557、第3番 ホ長調 D459、第6番 ホ短調 D566、第19番 ハ短調 D958
4/12(木) 第7番 変ホ長調 D568、第14番 イ短調 D784、第20番 イ長調 D959
4/14(土) 第11番 へ短調 D625、さすらい人幻想曲 ハ長調 D760、第21番 変ロ長調 D960

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2018年04月10日

ヒエロニムス・ボス、絵の中の音楽-1

”「ブリューゲル展」記念コンサート vol.3” (江崎浩司ほか、3月30日(金) 東京都美術館) を聞いた後、ピーテル・ブリューゲル1世 の絵画と音楽の関わりを振り返ってみたのだが、思っていたほどは楽器の登場がなく、音楽が感じられる場面も限定的だった。
むしろ ヒエロニムス・ボス の方が絵の中に音楽が感じられるシーンが多いような気がしてきたので、久しぶりに画集を繰ってみた。

ボスの音楽といえばまず思い浮かぶのは、プラド美術館にある 「快楽の園」(地上の楽園)の右翼、”音楽地獄” に登場する巨大な楽器たちだ。
そこにはリュート、ハープ、ハーディガーディ、笛などが詳細にしっかりと描かれているのだが、サイズはその周囲の人間たちをはるかに超えており、楽器として演奏されているわけではなく地獄の責め具となっている。
だから音楽が地獄というわけではないけれど、もともとは形の面白さで絵に取り入れられたと思われる美しい楽器たちが、人を苦しめる道具として地獄のシンボリックな構成要素となっている光景は何ともアイロニカルだ。
その一方で、この祭壇画の左翼のエデンの園にも、そして夥しい裸の若者たちが賑やかに戯れる中央パネルの楽園にも、音楽を直截的に示している場面は見当たらない。
地上の楽園はお祭り騒ぎのようで輪になって踊る人たちもいるのに、楽器が演奏されている様子はうかがえず、そこにどんな音楽が流れているのかを想像してみることは難しい。

同じプラドの祭壇画 「干草車では、中央の大きな干草の塊の上で男がリュートを弾き、向かい合うように楽譜を持って歌う女、その傍らには長い縦笛を吹く怪しげな天使もみえる。
これとよく似た場面が 「愚者の舟(ルーブル)にあり、こちらは尼僧がリュートを奏で修道士たちが歌っている。
この二つの場面では、上述の ”音楽地獄” とは異なり確かにそこで音楽が奏でられているのだが、彼らは本来なすべきことから目を背けて現実逃避しているようであり、まわりが見えないままに快楽に耽るあさましい姿として描かれていることは明らかだ。
そこから聞こえてくるのは必ずしも不快な響きというわけではなさそうだけれど、それは邪悪な退廃の音楽に違いなく、ボスはここで音楽そのものを断罪しているのかもしれない・・・


<ヒエロニムス・ボス関連記事>
実見作品ランキング 2014 2017
真作に関する議論  2014 2016
<ヒエロニムス・ボス紀行>
1 最後の審判 (ブリュッへ)
2 愚者の舟 (ルーブル)
3 最後の審判 (ウィーン)
4 キリスト架刑、聖ヒエロニムス (ブリュッセル、ヘント)
5 十字架を負うキリスト (ヘント)
6 愚者の石の切除、七つの大罪 (プラド) +@東京
7 干草車の祭壇画 (プラド)
8 快楽の園(地上の楽園) (プラド)
9 東方三博士の礼拝 (プラド)
10 聖アントニウスの誘惑 (プラド)
11 荒野の洗礼者ヨハネ (ラザロ・ガルディアーノ)
12 荊冠のキリスト (ロンドン)
13 聖アントニウスの誘惑 (リスボン)

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2018年04月08日

猪熊弦一郎展、”猫たち” の彷徨と帰還

(ザ・ミュージアム 〜4/18)
いちどに1ダースの猫を飼っていたという 猪熊弦一郎(いのくま・げんいちろう,、1902-1993)が身近な猫たちを描いた作品が圧倒的に多い展覧会だが、最も印象深かったのは初期作品 「マドモアゼルM」(1940)だった。
これはパリ留学時代にハンガリー人の同級生をモデルに描いたものとのことだが、ドイツ軍の侵攻が迫り本作の完成後1カ月もたたずにパリ陥落という時代の空気を反映しているのか、画面の雰囲気は重く暗い。
鋭い眼差しと暗い色調には ピカソの ”青の時代” を思わせるところがあり、その後の猪熊の作風とはだいぶ異なるものながら、不安や憂愁には借り物ではない真実味があった。

猫を描いた夥しいスケッチはほとんどが題を持たないこともあって個別のコメントは難しいが、流れとしては観察・写生の対象から徐々に独創的な作品の素材へと変容していっており、”モニュメンタルな猫” という表題をつけられた章に並ぶ油彩がその到達点になるようだ。
記号となった何匹もの猫が 「バレリーナの夢想」(1950)ではゆったりと眠る女、「猫と子供」では月の光の下で横笛を吹く子の周りを取り囲み、童話的なファンタジーの世界を広げている。
一方 「猫と住む人」や 「猫によせる歌」(1952)になると、画面はより緻密に構成され堅牢な世界が組み上げられている。
このあたりの平面的な感じは、猪熊の作品といえばまず思い出す(というよりも実は画家の名を知らないまま長いこと見ていた)上野駅中央改札上の壁画(1950)に近いように思うが、「猫によせる歌」では人も猫も木彫かロボットのように見えるほどに写実を離れ、大画面を構成するアイテムと化していた。

1955年にニューヨークに渡ってからの作品が並ぶ ”猪熊弦一郎の世界” という章では雰囲気が一変し、猫のいない抽象の世界へと歩を踏み出している。
当時の日本とは比べ物ようがない圧倒的な大都市のエネルギーに唖然としながら、摩天楼のビル群をインスピレーションの源としてさまざまな抽象表現に挑戦していく、そんな画家の気持ちの高ぶりがそこからは確かに伝わってくるのだが、しかし作品として成功したと言えるのかどうかは微妙なところではないか。
最後の部屋にあった 「二人の裸婦と一つの顔」(1989)は、タイトル通りの画面が何を表しているのかはよくわからないけれど、淡いブルーを背景に白く抜かれたような裸婦とその周りの馬や鳥、そして女の肩の上に乗った猫が形作っている画面は軽やかで心地よい。
やはり具象でも抽象でもないその狭間の領域に、猪熊と猫の安住の地があった・・・

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2018年04月07日

エリーザベト・レオンスカヤのシューベルト-1

”東京・春・音楽祭−東京のオペラの森 2018−” から、エリーザベト・レオンスカヤシューベルトの ピアノ・ソナタ18曲と「さすらい人幻想曲」を弾くチクルスの第2日目を聞いた。
(2018年4月6日(金) 19:00〜 東京文化会館 小ホール)

シューベルト:
  ピアノ・ソナタ 第 9番 ロ長調 D575
  ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 D840 《レリーク》
  ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 D894 《幻想》
 (アンコール)
  3つのピアノ曲 D.946 より 第1曲

3年前には遺作の三大ソナタ(第19、20、21番)を一夜で弾くという大変なコンサートがあったが、6日に分けてシューベルトばかりを19曲弾き継いでいくというのも、このような音楽祭ならではの企画であろう。
しかしさすがに1日おきに上野に通い詰めるのも難しいので、今回は第18番をメインに据えたこの日を選んだ。

黒づくめの衣裳で悠然と登場した エリーザベト・レオンスカヤは、椅子に坐るなりきっぱりとした音で 第9番 ロ長調 D575 を弾き始めた。
初期作品らしい美しく親しみやすい旋律の中に、翳りや高まりが強く感じられるのは、後期の作風も見据えた上での演奏によるところも大きいのだろう。思いがけない劇的な展開や歌心溢れる後半部分には、自由な音楽人になった若きシューベルトの意気込みが反映されているに違いないが、それがこれほどまでに激しいものだとは思っていなかった。
この日のピアノは ヤマハ、もちろんそこにピアニストの強靭なタッチがあり、東京文化会館小ホールのサイズや構造による音響もあってのことだろうが、迫力あるピアノの音が胸や腹にずしりと響いてくる演奏だった。

続く 第15番 ハ長調 D840 《レリーク》 ではその傾向がさらに押し進められ、こんなにスケールの大きな曲だったかと再認識させらるような巨大な伽藍が立ちあがった。
もともと大らかで宇宙の偉大さを感じさせるようなメロディーラインが、転調を繰り返しながら展開していくとともに、前曲を凌駕する大音量で響き渡り、広大な世界が目の前に広がっていく。重い足取りで進む演奏は骨太で彫りが深く、ハ長調とは思えない変化に富んだ陰翳をまといながら、同じ調性の大交響曲のように圧倒的な高みを目指すようだった。
この作品は2楽章のみなので未完成とも言われ、実際にかなり書き進んだ跡もあるらしいけれど、殊にこのような演奏で聞くとこの後に何かが続くとは到底思えず、”未完成交響曲” と同じようにこれで完結と納得するほかはなかった。

hokuto77 at 19:10|PermalinkComments(0)│ │音楽の部屋 

2018年04月05日

プラド美術館展-3 宮廷画家ベラスケス

(西洋美術館 〜5/27)
”IV 宮廷” は ベラスケスの 「狩猟服姿のフェリペ4世」(1632-34年)で始まる。
この王の表情やたたずまいに人間としての卓越性は感じられないけれど、受け継いだ大帝国を何とかコントロールしようとして器を超えた責任を負い、猜疑心に苛まれながらも威厳を保とうとする精一杯さというものが伝わってくる。
その意味でこれは ベラスケスの天才を示す肖像画だと思うし、この王の最大の功績がベラスケスを召し抱えたことであるとしても、果たして本人は本当にこの肖像を気に入っていたのだろうか。

本作には ベラスケスならではの筆触も冴えており、レースの襟や銃の金具の粗いタッチが少し距離を置くと絶妙の質感になっているところにはあらためて驚嘆させられる。
と同時に、我々の目は一体何を見ているのか、いかに騙されやすいかを思い知らされるような気がするのも事実で、印象派以降の色彩分割などと違って科学的に説明がつきにくいところがさらに悩ましくもある。

少し先には フアン・カレーニョ・デ・ミランダによる 「甲冑姿のカルロス2世」(1681年)、その見るからに不健康そうで痛々しい姿は斜陽の帝国と近親結婚の弊害をまざまざと見せつける。
ベラスケスではないこのレベルの画家だからまだよかったというべきか、これでもかなり美化されているということなのか、もしヴァン・ダイクが依頼を受けたとしたらどう描いたのだろう。


>これまでのプラド美術館展
プラド美術館展 (2016、三菱一号館美術館)
  メムリンクの聖母子と天使 ボスの「愚者の石の除去」 マニエリスムからバロック
  ブリューゲルの継承者 ベラスケスの風景、ゴヤの女
プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影 (2011、国立西洋美術館)  
プラド美術館展 (2006、東京都美術館)
  エル・グレコ リベーラ スルバラン 1 ベラスケス ムリーリョ
  イタリア フランドル ロココ ゴヤ

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2018年04月03日

与 勇輝、無言で語りかける子どもたち

(松屋銀座 〜4/10)
人形作家 与 勇輝(あたえ ゆうき)の展覧会、”パリ凱旋・傘寿記念 与 勇輝展 創作人形の軌跡” に誘われて出掛けた。
”布の彫刻” といわれパリで好評だったとはいえ正直なところ見るまでは半信半疑だったのだが、最初の 「たま」で少女が纏っている独特の空気感にたちまち引き込まれた。
猫を抱く少女ならではの幽かな緊張感と陶酔感がそこにはあり、もの言いたげな表情は思いのほか深い。
そう思って見ると、どの作品にも子供がふとしたときにみせる翳りが感じられ、どの子にもそれぞれの物語があって、我々が耳を澄ますのを待ってそっと語りかけてくるようだ。

それにしてもこの人形はどのような構造になっているのか、顔だけでなく指の先にまでよく神経が行き届いており、「お庭のすずめ」は縁側に座る少女たちが庭先の小鳥をみつけたところらしく、じっと見詰めている息づかいや2人を包む空気感までが伝わってくる。
夕餉のしたく」は母親に水を汲んでくることを言いつけられた少女なのだろう、水の入った桶の重さがその表情や姿勢からよくわかる。
周りの人たちの話によればこれらの人形は何かで支えたり固定したりせずに単体で自立しているらしい。それは人形としてバランスよく作られているということであり、だから水桶を持つ体の傾きやねじれもごく自然なところに落ち着いているのだろう。
少女にとってこの仕事が楽しいはずはないけれど、それも毎日の当たり前の日課になっているから黙々とやるだけ、彼女の目はそんなことを語っている。

作品は西洋の童話に始まり日本の子どもたち、ビートたけしや所ジョージなどまであったが、特に印象深かったのは戦中戦後の子どもたちの姿だ。
昭和が本当に遠くなりつつある中で、戦争の前後にはこのような生活が現実としてあったということを実感を持って伝えることのできる資料としても(ご本人の意図はよく分からないが)大変に貴重なものだと思う。
希望」という作品は中東で難民となった兄弟なのか、その強い眼差しの中にも反戦平和を願う切実な思いが感じられた。
そんな中、「埴生の宿」をハーモニカで吹く男の子とそれに聞き入る女の子の姿には、誰の心の中にもある初恋の疼きを呼び起こす力があり、タイムカプセルの中に凍結保存していたものが不意に現れ出てくるようだった。

hokuto77 at 21:36|PermalinkComments(0)│ │掘り出し物など 

2018年03月31日

ブリューゲル展記念 後期フランドルの音楽会

”東京・春・音楽祭−東京のオペラの森2018−” の ”「ブリューゲル展」記念コンサート vol.3” を聞いた。(2018年3月30日(金)14:00〜 東京都美術館 講堂)

■出演
リコーダー&ショーム: 江崎浩司
ソプラノ: 阿部雅子
リュート: 金子 浩
ヴィオラ・ダ・ガンバ: 折口未桜

■曲目
O.ラッスス:  やまびこ、私のいとしい人マトナよ、キリストの復活
J.ルニャール: 素敵な絵
A.ヴィラールト: 奥様、私によいお恵みを
G.de.ヴェルト: 花の香り、美しいニンフ
J.P.スウェーリンク: 私達に幼子が生まれ
T.スザート: 曲集《ダンスリー》より 千々の悲しみ、オーボエの踊り
J.ファン・エイク: 《笛の楽園》 より イギリスのナイチンゲール
G.A.チーマ: 2声のカプリッチョ イ調
A.ファルコリーニ: ラ・モタのクーラント、美しい唇、恋しい眼差し
(アンコール) A.ヴィラールト: 奥様、私によいお恵みを

本企画のおかげで ヤン・ブリューゲル2世の 「聴覚の寓意」(1645-50頃)に描かれた リコーダーやショーム、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバの音色を実際に聞くことができたわけだが、考えてみればここから100年ほどの間に楽器の主役はピアノやヴァイオリン等へと大きく転換して現代に至っていることを思うと、17〜18世紀における楽器界の変革の大きさはまさに歴史的なものといえる。

演奏は 大ブリューゲル(1世)とほぼ同世代の ラッスス(ラッソ―)から、従ってフランドル音楽としては最も実り豊かな時代を過ぎたあたりが中心となるが、それだけに普段はなかなか耳にすることのない作品を楽しめる貴重な機会だった。
曲間に歌詞の大意や時代背景などの説明があり、ラッススの 「私のいとしい人マトナよ」などは卑猥な内容の作品らしいのだが、聞いている限りでは洒落たメロディーのなかなか美しい曲だった。
ルニャールの 「素敵な絵」、ヴェルトの 「美しいニンフ」なども都会的な洗練があり、豊かになっていく市民生活の中での愛の語らいの場面が彷彿とするようで、ヤン2世の 「愛の寓意」やその近辺にあった作品のイメージに近い感じがした。
一方、ピーテル2世の絵に出てくる農民の祭りの音楽というのはなかったように思うが、ヴィラールトの 「奥様、私によいお恵みを」が、その中では比較的素朴で土臭い趣を持っていた。

器楽の スウェーリンクの 「私達に幼子が生まれ」はさすがに天才的な作品で、段違いの格調の高さは大ブリューゲルの絵のよう、また ジョスカン・デ・プレの原曲を スザートが編曲した 「千々の悲しみ」も感銘深く聞くことができた。(本作品は天正遣欧使節が帰国後に秀吉の前で演奏した曲と推定されるとの解説があったが、これは皆川達夫先生の説に倣ったのか、あるいは他にも根拠があるのかどうか・・・)
ラッススの 「キリストの復活」もこれらの曲と同様に宗教感情溢れる曲で、さらに時代を遡って展覧会冒頭にあった ダーフィットの 「エジプト逃避途上の休息」で独り祈りの中にいるマリアの静謐な姿を思い出した。
チーマの 「2声のカプリッチョ イ調」も充実した作品で、穏やかな広がりのある曲想は大ブリューゲルの下絵による版画 「エマオへの巡礼」(1555年頃)の平和な情感が漂う田園風景に似つかわしい感じがした。

コンサートからは離れるが、あらためて展覧会場を巡ってみて ヤン・ファン・ドールニク(通称「1518年の画家」)の三連祭壇画 「東方三博士の礼拝、キリストの降誕、キリストの割礼」が印象に残った。
祭壇画としては賑やかに過ぎるような気がして前回記事ではふれなかったのだが、くっきりと描かれた登場人物たちが画面の空間から飛び出してくるような3D効果は見事なものだ。

楽器からみの余談ながら、ピーテル2世の 「聖霊降臨祭の花嫁」の中には、花嫁を先導するようにフィドルと太鼓を演奏する2人の子どもがいた。
一方、”ブリューゲル展” の音楽といえば 「野外での婚礼の踊り」で鳴っていそうな曲がまず聞こえてくるのではないかと思っていたが、よく見れば絵の中で演奏しているのは バグパイプだった。
これは大ブリューゲルのオリジナルでも同じことで、似たような場面であるウィーンの 「農民の踊り」と 「婚礼の宴会」でも、はっきり描かれている楽器はバグパイプのみだ。
「絞首台の上のかささぎ」でつつましい踊りの伴奏をしているのも、小さな複製画なのではっきりは分からないがおそらくバグパイプだろう。

では大ブリューゲルの絵にバグパイプ以外の楽器は登場しないのか。
画集で主だった油彩画を眺めてみると、「謝肉祭と四旬節の戦い」の左の方にビウエラを弾く男が2人見えるほか、「反逆天使の墜落」ではとりまきの天使たちが細長い管楽器をけたたましく吹き鳴らしている。
「死の勝利」の右下隅には情けない顔でリュートを弾く男、その後ろの骸骨の楽器はよく分からないが、もしこれがヴィオラ・ダ・ガンバの仲間であれば、本日登場した楽器に近いところが一応揃ったことになる。
もっとも、絵を見る限りはいずれもあまり楽しい音楽が響いてきそうな感じはしないけれど・・・


>ブリューゲル 画家一族150年の系譜 (2018、東京都美術館) 
  キリストの復活 種をまく人の風景 鳥罠のある風景
  ヤン・ブリューゲルの系譜 ピーテル2世の農民画

>”企画もの” 古楽コンサートの過去記事
鈴木優人と旅するクラシック 《オランダ編》 (2018) 
西山まりえの歴女楽、アルバ公爵夫人〜情熱の恋物語 (2017)
ルネサンス・フルートによる 「バベルの塔」展コンサート (2017)
西山まりえの歴女楽、桃山の美女〜細川ガラシャ (2016)
アントネッロによるカラヴァッジョの時代の音楽 (2016)
西山まりえが歌う ”中世貴婦人たちの恋模様” (2013)
没後400年、スペインの光の中のビクトリア (2011)
ブリューゲル・コンサート、絵の中の楽器たち (2010)
アンサンブル・エクレジアの ”サンティアゴ巡礼の歌” (2009)
アントネッロ レオナルド・ダヴィンチ 音楽の謎解き (2009)
ラウダ・スピリチュアーレ、中世イタリアの賛美歌 (2007)
支倉常長と音楽の旅 (2007) 
天正少年使節と音楽の旅 (2006) 

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2018年03月29日

ブリューゲル一族-5 ピーテル2世の農民画

(東京都美術館 〜4/1)
弟 ヤン一族の作品が続いた後、”第7章 農民たちの踊り” という最後のコーナーに至って、ようやく大ブリューゲルの長男、ピーテル・ブリューゲル2世に光が当たった。

聖霊降臨祭の花嫁」(1616年以降、デッサウ、アンハルト絵画館)は、キリスト教の祝日というよりは春の収穫祭を祝う農民たちの姿が、父の持ち味に近い筆致で描かれている。
ピーテル2世の絵を見るときは、似たような主題を持つ父の作品が気になってしまい、どの部分からの派生作品なのか、もしかしたら手本となっている失われたオリジナルがあるのか、といったことを意識しながら見ることになることが多くなるのだが、この作品に関しては、もちろん細かな部分の引用はあるにしても、全体構想としては2世のオリジナルと言える部分が大きいのではないか。
農民たちの生産に直結した喜びの日に、子供たちが着飾って婚礼の真似事をしている。
やや動きに乏しいながらもその一生懸命な様子は微笑ましく、周囲で見守る大人たち、駆けまわる犬といった構成も新鮮だ。
背景には比較的裕福なフランドルの家並みが見え、奥行き感も自然でその空間を視線で行き来する楽しみがある。

七つの慈悲の行い」(1616年)は、街角の広場で人々に食事や飲み物などの施しをしている場面が描かれている。
これも父の原作が思い浮かばないが、人物が密集し過ぎて状況がやや分かり難く、また彼らに対して背景の建物が相対的に大きくて圧迫感があるので、そうした構図の難点を思えば父の手本はない2世独自の作品と考えていいように思われる。

最後に登場していた ピーテル・ブリューゲル2世の 「野外での婚礼の踊り」(1610年頃)は、デトロイトにある父1世の作品がベースになっている大作だ。
ただし全くのコピーではなく、同じ場面、同じ登場人物を扱いながらも、あたかもあちこち移動しながらカメラで撮った連続する写真のように、少しだけタイミングやアングルを変えたというあたりが面白い。
原作に忠実なコピーとこうしたヴァリエーションのどちらが高く売れたのかはよくわからないが、ちょっと珍しモノ好きの発注者の期待に応えたというだけでなく、父が発見した世界観の表現は決してひととおりではない、少しずつ視点を変えていくことで幅を広げ深掘りもできる、そんなふうに考えて取り組んだものではないかと思ってみたいのだが、それは ピーテル2世寄りの見方に過ぎるだろうか・・・


>ブリューゲルと息子たちに関する過去記事
ブリューゲル(1世) ベスト10 ベスト25

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル 「バベルの塔」 展 (2017、東京都美術館)
  ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画
  ブリューゲルの版画 バベルの塔という企て 二つの未完の塔 ”正義” が崩れゆくとき
  16世紀の聖像と祈念図 多様化する絵画世界 ボス、新たなベスト18
ブリューゲル 版画の世界 (2010、ザ・ミュージアム)
  ”風景”との邂逅 跋扈する怪物 罪と徳と忍耐 自筆素描と版画 船と人間の観察
  ”誰でも”の陥穽 民衆への視線

ブリューゲル 画家一族150年の系譜 (2018、東京都美術館) 
  キリストの復活 種をまく人の風景 鳥罠のある風景
  ヤン・ブリューゲルの系譜 ピーテル2世の農民画
ルドルフ2世の驚異の世界 (2017、ザ・ミュージアム)
大エルミタージュ美術館展 (2017、六本木ヒルズ)
プラド美術館展 (2015、三菱一号館美術館)
ウィーン美術史美術館 風景画の誕生 (2015、ザ・ミュージアム)
リヒテンシュタイン展 (2012、国立新美術館)
メトロポリタン美術館展 (2012、東京都美術館)
ルーヴル美術館展 (2009、西洋美術館)
プラハ国立美術館展 (2007、ザ・ミュージアム)

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2018年03月28日

リフシッツのバッハ、パルティータ全曲演奏-2

コンスタンチン・リフシッツバッハは踊る』 シリーズから、 J.S.バッハパルティータ BWV825-830 全曲演奏コンサート (2018年 3月25日(日) 15:00〜 所沢市民文化センターミューズ(航空公園))の続き。

第5番 ト長調 BWV 829 はトッカータ風のプレアンブルムから軽快な印象、クーラントではないイタリア風のコッレンテにも華やぎが感じられた。
そんな中、テンポ・ディ・ミヌエッタでは自分が今どんなリズムの中にいるのか分からなくなり眩暈に似た感じに襲われたのだが、これは、バッハの譜面の中にある ”種” をリフシッツが大きく育てたということだっただろうか。

第6番 ホ短調 BWV 830 は第4番と並ぶ大曲、自由度の高いトッカータによって広がりのある世界が示されたあと、長めのテーマによるフーガが密接に絡み合いながら展開していき、なにか巨大なものが立ちあがっていくのを目の当たりにしているような思いにとらわれた。
アルマンドに続くコッレンテも始まった時の感じからは予想もつかない劇的な展開を見せると、このままサラバンドに入るわけにはいかないということか、4番のアリアと同様に間奏曲のように挟まれたエアは、そこで一旦気分を立て直す効果があるようだ。クーラントからサラバンドという舞曲の定型を崩す変則的な構成は以前から疑問だったのだが、こうして生演奏を聞いて初めてその意図が分かったような気もした。
つぶやくような音符の連なりが神との対話のように聞こえるサラバンドは荘重にして深遠、このような神韻たる情感はピアノの強弱や音色があればこそと言ってもいいのかどうか、バッハの鍵盤音楽作品を何で弾くべきかというのは永遠に答えの出ない問いなのかもしれない。
フーガ形式によるジグは跳躍するようなテーマが何度もくっきりと浮かび上がり、後半は反転して勢いを増し圧倒的な終曲に向かった。
長い旅が終わり安堵の空気が会場に流れる中、さらにアンコールで バルトークのミクロコスモス第6番から第1曲、第6曲の2曲が弾かれた。

あらためて、通しで聞いた バッハパルティータ全6曲をふり返ってみると、第4番、第6番の作品としての傑出ぶりが際立つなど、各曲の個性がよくわかり有意義な体験だったと思うけれど、全て繰り返しを行い3時間半を超える全曲コンサートというのは、大バッハ先生も想定していなかったのではないか。
6曲1セットのバッハ作品を演奏する場合、無伴奏ヴァイオリンやチェロなら3曲ずつ2回のコンサートというのが普通だろう。これに対しパルティータは、3曲ずつではやや物足りない感じがするかもしれないが、休憩を2回挟んで1時間弱のセットが3コマというのは、客席で聞いている方でさえ限界に近いので、弾く方の体力と集中力には本当に驚嘆させられる。
しかも今回のシリーズでは イギリス組曲 (3/21 紀尾井ホール)と フランス組曲 (3/24 青葉台)、そして パルティータ (3/25 所沢)と5日間で全18曲を弾き通したのだから、働き盛りの42歳とはいえ大変なタフネスぶりだ。

暗譜による演奏というのも驚きで、曲のタイプとしては暗譜し難いものではなさそうな気がするものの、イギリス・フランス組曲も加えれば総数100を超え調も共通することのある似たような舞曲を、それぞれに区別して覚えることには別の難しさもあるのではないか。
それにしても今回のシリーズ3回は全て別の会場、それもかなり離れた場所での開催になり、行く方もやや躊躇する部分があっただけでなく、ピアニストやピアノのコンディションを考えても理想的とは言い難いと思うのだが、こうした形になったのは何か特別の事情があったのだろうか。(余談ながら料金も 6500円、4500円、2500円とずいぶん開きがあったようだ。)

使われたピアノは ベヒシュタイン、会場に置かれていたパンフレットでは、_擦領ち上がりが早い、透明感のある音、2擦慮鎖蠅比較的速い、などが特色だと説明されていたが、実際に聞いた印象もそのようなものだった。
この楽器の主ターゲットはどこなのか、リフシッツは常にこの楽器を使っているのか、といったあたりはよく分からないながらも、この響きが ”リフシッツのバッハ” 向きであることは確かなように思われた。
(関連記事: 仲道郁代、3台ピアノの響きとともに

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2018年03月26日

リフシッツのバッハ、パルティータ全曲演奏-1

コンスタンチン・リフシッツバッハは踊る』 シリーズから、 J.S.バッハの パルティータ BWV825-830 全曲演奏を聞いた。
(2018年 3月25日(日) 15:00〜 所沢市民文化センターミューズ(航空公園))
J.S.バッハパルティータ全6曲ということからある程度の長さは覚悟していたが、繰り返しを全て行う正味2時間半ほどの演奏、途中に2回の休憩が入り、アンコールも2曲あって、終演まで3時間半余りに及ぶ大変なコンサートだった。

第1番 変ロ長調 BWV 825 はプレルーディウムの冒頭からニュアンス豊か、遅めのテンポで自在に揺れ動く演奏は、ゴルトベルク変奏曲のCDから受けていた印象とはずいぶん異なるものだったが、グールド以来の衝撃と言われた18歳のときのものと、5日間で3つの組曲を弾き通そうとする42歳とで変わってくるのはまあ当然か。
アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグという基本の枠組みが今回のテーマである ”踊り” をよく体現していた中で、メヌエット兇楼娚阿覆箸海蹐縫▲セントがある個性的なものだった。
この曲はリパッティの名盤があるのでそれ以外の演奏を聞くことはあまりなかったのだが、久しぶりに新しい風が吹いてきたような心地よさで引き込まれた。

第2番 ハ短調 BWV 826 のシンフォニアは、ベートーヴェンを思わせる強打で入り重々しく進んでいったのは想定内としても、チャーミングな中間部と跳ねるようなフーガを挟んだ最後の部分では一体何が起こったのか、そのバッハらしからぬ響きには驚かされた。
一方、旋律が美しく浮かび出て歌うように進んだサラバンドは、後半ではこのまま止まってしまうのではないかと思ったくらいテンポが落ち、余白の美というか不意に虚無の世界を覗き込むようだった。
パルティータという曲集は、無伴奏チェロやイギリス組曲などと違って曲ごとの構成に変化がみられるのが特色だが、本曲の最後がジグではなくカプリッチョというのはその中でも特に異例だろう。
この名前自体がイタリア色濃厚なので当然かもしれないけれど、これは本当に大バッハの作品なのか、ここはこんな曲だったかなどと思う瞬間がいくつかあった。

第3番 イ短調 BWV 827 は比較的簡素な曲、冒頭のファンタジアもそれほど幻想的なものではなく淡々と進んでいく中で、サラバンド後の挿入小舞曲はブルレスカとスケルツォ、いずれもこの部分だけを取り出せば偽作説が出てもおかしくないのではないかと思うような旋律と和声だった。
このあたりには曲集に変化を持たせようとする作曲者、そして聴衆を飽きさせまいとするピアニストの意図もあったのか、自由に肩の力を抜いたような音楽には時代を先取りするような響きも感じられた。
最後のジグは、曲の作りはシンプルなのに寄せては返すような大きな波を感じさせる素晴らしい演奏、強い説得力を感じさせながら最後は特大の波が来て断ち切るように終わった。

第4番 ニ長調 BWV 828 は、今までCDで聞いていただけでは気付かなかった充実の作品、スケールの大きな序奏に始まって厳格なフーガが展開していくウヴェルトゥール(序曲)、滑らかな曲想を徐々に憂鬱が支配していくアルマンド、喜びが爆発するように輝かしいクーラントと規模の大きな曲が続く。
息抜きのように楽しげなアリアを挟んでサラバンドに入ると、息の長いフレーズによって内省的な世界の奥へ奥へと導かれ、こんなふうに人生の時間が過ぎ別れの時が訪れるのかといった物思いに誘われてしまう。
しかしそれも束の間、ジグは輝かしいテーマが意外な和声の進行で変容を重ね、スリリングに疾走してブラボーの声も飛ぶフィナーレとなった。
ここまででもう2時間余り、これで終わってもよかったくらいなのだが、さらに20分の休憩を挟んだ後に第5、6番が待っていた・・・

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2018年03月24日

駿河の白隠さん-5 涅槃経、燭の輝き

(静岡市美術館 〜3/25、展示替えあり)
最後の ”第五章 円熟と超越〜八〇代の筆墨” では 白隠慧鶴禅師(1685-1768)最晩年の充実した作品が見られた。
墨蹟 「百寿字」(1767、方広寺)は、82歳の集中力や持続力にあらためて感服させられるが、やや不謹慎ながらこの一枚のための時間で何枚の大達磨を描くことができたかを思えば、こうした地道な作業に没頭した動機の方がますます気になってくる。

涅槃経果鉢喩図」(ねはんぎょうゆばちをささぐをたとえるのず、1767、禅叢寺)は、油を鉢に入れて一滴もこぼさずに25里の道を運ぶよう命じられた男と、それが失敗した時には直ちにその命を奪えとの役目を帯びて剣を携えた男が描かれている。
作品としては迫力ある渾身の作という類いのものではないが、涅槃経を題材にしたこの図像は過去に描いたことがあったのかどうか、いずれにしても最晩年に十八番とは言えないテーマにも果敢に取り組んでいく精神力には頭が下がる。

そして今回の展覧会のチラシにもなっていた 清見寺の 「達磨図」(1767)と、桂林寺の 「隻履達磨図」(1761-65)がこの部屋の雰囲気を決定づけていた。
どちらも人間味あふれる達磨だが、特に下伊那・龍獄寺の作品の印象に近い後者は、下書き線を大きく超えて画面からはみ出しそうな顔が、故郷へ向かう達磨の動きの速さをよく表していた。

布袋が袋の上で背筋を伸ばし穏やかな顔で坐禅する 「布袋坐禅図」(1762-63、高林寺)の賛にある ”燭常随剪増輝、心常随向添明” (燭は常に剪るに随って輝きを増す、心は常に向こうに随って明を添う)は、 正受老人の言葉なのだそうだ。
24歳の時に教えを受けたまま会うことのなかった師の言葉を、80歳になって布袋図の賛に持ってきた心境はいったいどのようなものだったのか。
ともあれ、心も蝋燭の芯を切った時のように明るくという師のメッセージは、坐禅指導に用いる警策のように強調された ”常” の字の縦棒の形を得て、その向かい側にあった 「灯燭図(無尽灯)」のように後世へと伝えられていく・・・

最後のコーナーには遷化の齢84歳の作とされる 松蔭寺の 「南無地獄大菩薩」(1768)、龍澤寺の 「動中工夫勝静中百千億倍」(1768)の墨蹟が登場し、白隠とともに歩んできた実り多い時間を締め括っていた。


<白隠禅画墨跡関連過去記事>
駿河の白隠さん (静岡市美術館) 白隠像、臨済・徳山 蛤蜊観音、蓮池観音
  龍頭観音、楊柳観音 観音、曲馬、自画像 涅槃経、燭の輝き
禅書画のたのしみ (早稲田) のゝ袋図
正受老人と白隠禅師 (飯山市美術館) 白隠の師の面影 正受の師と弟子たち
  長野の白隠作品 白隠の信濃巡錫 正受庵と老師の実像
地獄絵ワンダーランド (三井記念美術館) 地獄極楽変相図
白隠さんと出会う (龍雲寺) 布袋、楊柳観音、猿猴 西行、鍾馗、このつらを 芦葉達磨
禅・心をかたちに (東京国立博物館) 朱達磨 達磨、自画像、寿字 慧可断臂図
白隠とその会下 (早稲田) 宝槌図
書の流儀 (出光美術館) 寿字円頓止観
白隠・遂翁・東嶺 (早稲田)
ドラッカー・コレクション展 (千葉市美術館) 達磨、観音、拂子
白隠展 (ザ・ミュージアム) 隻履達磨、観音十六羅漢 どふ見ても、朱達磨
  布袋吹於福、鍾馗鬼味噌 富士大名行列、吉田猿猴 このつらを、毛槍奴 ベストテン
博物館に初もうで (東京国立博物館) 福神家訓
一行書禅機画 (早稲田)
松蔭寺虫干し 無尽灯、船手和尚、富貴草 十六羅漢、白隠像 龍頭観音、常念観世音菩薩
  白隠禅師坐像、白隠の里
ギッター・コレクション展 (千葉市美術館) 達磨、観音
龍澤寺観楓祭  常念 自画像、初祖大師 蓮池観音、正受老人 明於理、東嶺と遂翁
  至道無難、開山堂
諸国畸人伝 (板橋区立美術館) すたすた坊主図
細川家の至宝 (東京国立博物館) 十界図 一鏃破三関
山水に遊ぶ (府中市美術館) 富士山図
妙心寺展 (東京国立博物館) 寿字円頓章 正宗寺大達磨 白隠慧鶴へと注ぐ流れ
素朴美の系譜 (松涛美術館) 亀大黒、猿と蟹
白隠とその弟子達 (永青文庫) 自画像、蓮弁観音 山水図 円相内自画像、郭公孤猿
  弁財天、大燈国師 どふ見ても
白隠禅画墨蹟展 (松島瑞巌寺) 朱達磨 達磨、布袋 鍾馗 鼠大黒、渡唐天神
  真間の継橋 親大字 蓮池観音 蟻と蝸牛 南無地獄大菩薩 面壁達磨、壽老
永青文庫所蔵 白隠画の逸品 (早稲田) 十界図、観音 蛤蜊観音、達磨
白隠和尚・禅僧の書画 (永青文庫) 自画像、出山釈迦 達磨、文殊、六祖衣鉢図
  鍾馗、大黒 座頭渡橋図 死字法語 布袋、達磨 黒牛図、暫時不在
日本美術が笑う (六本木ヒルズ) 蓮池観音、七福神 布袋すたすた坊主
東京国立博物館平常展 白隠の箒

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2018年03月23日

プラド美術館展-2 軍神マルスの憂鬱

(西洋美術館 〜5/27)
”I 芸術”に続いては ”II 知識” で哲学者や神学者が登場する。
ベラスケスの 「メニッポス」(1638年頃)もそうした知識人の一人なのであろうが、歪んだ笑い顔や中途半端な姿勢や服装には戸惑わされる。
この人物に敢えてこういうイメージを被せたかったのか、あるいは壁面を埋めていく中で変化が必要だったのか、そうでなければどうにも意味不明で真面目に描いたのかと問いたくなる肖像だ。

”III 神話” でも ベラスケスの描いた 「マルス」(1638年頃)の姿は悩ましい。
半裸でだらしなく座る男に ”軍神マルス”(マース)としてのオーラや輝かしさは微塵もない。
戦いに疲れ切ったように、目は虚ろで体全体の力が脱けてしまっているこの男は、手痛い敗戦を喫したところのだろうか。
どうみても彼にはもう戦う気力はなさそうだ、そこからこれは平和を象徴する絵なのだとする見立てもあるようだけれど、そこまでポジティブな意味を込めた絵には見えない。
それでも、もう戦うのはこりごりだ、二度と危険な目には遭いたくない、という厭戦気分は確かに伝わってくる。
だから反戦平和の絵だと思ってみたい気持ちも分からなくはないが、しかし ベラスケスはそのような ”観念” を描く画家だっただろうか。
むしろ身近にいる男の半裸像をありのままに描いた、でもそれだけでは作品にならないので兜を被せ足元に盾を置いて ”マルス” ということにした、といったあたりがおそらく実態に近いのではないか。
”脱いだら凄いんです” という言葉が流行ったことがあったけれど、戦の先頭に立って活躍するはずの軍神も、立派な甲冑を脱いでしまえば中身はこんなものだということなのか。
マルスこそいい迷惑だ・・・

「マルス」の隣は ティツィアーノの 「音楽にくつろぐヴィーナス」(1550年頃)、そもそもこの第III章は、反抗宗教改革で裸体画が厳しく禁じられた中で、神話にかこつけたヌードを秘密の部屋に並べてごく限られたメンツで楽しんだことの紹介が本筋のようなので、その意味ではよくその目的に沿った作品だ。
これは2006年に来日した 「アモールと音楽にくつろぐヴィーナス」とは(アモールの姿が見当たらないので)別作品なのだろうが、横たわる全裸の女のみならず、彼女に向けられたオルガン奏者の露骨な視線も共通するヴァリエーションがあるとは、それだけ受容層に好まれたということだったに違いない。
ルーベンスの 「アンドロメダを救うペルセウス」(1639-41年)にもなんとも艶めかしい囚われの女が登場していたが、その先に目を疑うようなとんでもない作品があった。

ビセンテ・カルドゥーチョに帰属とされる 「巨大な男性頭部」(1634年頃)は、縦2メートルほどになるかと思われる巨大な顔が画面いっぱいに描かれ、不敵な視線を前方に飛ばしている。
常軌を逸したサイズで見る者を驚かせるインパクトは現代アートのようにも思われたが、室内の一画を不法な侵入者から守る、魔除けの鬼瓦のような用途の作品のようだ。
しかしさらに驚かされたのは、本作について上記の帰属説を否定し スルバランによるものだとする議論があるらしいことだ。
どう考えてもこれはスルバランのスタイルでもなければ得意分野でもないと思うけれど、もしその類稀な写実の腕を見込まれてこんな巨大な顔の依頼がきたならば、おそらくは一つの ”仕事” として淡々と、しかしもしかしたら途中から面白くなり嬉々として取り組んだということもあっただろうか・・・


>ベラスケスの過去記事
ローマ、ヴィラ・メディチの庭園フランシスコ・パチェーコ (2016、プラド美術館展)
三人の音楽家 (2012、ベルリン国立美術館展)
ルイス・デ・ゴンゴラ・イ・アルゴテ (2010、ボストン美術館展)
白衣の王女マルガリータ・テレサ、皇太子フェリペ・プロスペロ (2009、THE ハプスブルク)
道化師ディエゴ・デ・アセド、フェリペ4世 (2006、プラド美術館展)

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2018年03月21日

能 「熊野」-3 宗盛の熊野への思い

故郷に住む母からの手紙を見て病状を案じ暇を願い出た 熊野は、最終的には許されて東へ下るのだが、ここに至るまでになかなか 平宗盛の理解が得られず苦しむことになる。
彼は 「老母の労りはさる事なれども、さればとてこの春ばかりの花盛り、いかでか見捨て給ふべき」と主張して熊野の願いを聞かず、「いやいや余りに心弱き、身に任せては叶うまじ、いかにも心を慰みの、花見の車同車にて、共に心を慰まんと」と無理やり車を用意して花見に繰り出す。
このあたりの噛み合わない押し問答を見ていると、宗盛とはなんと人の心の機微が分からない我が儘な貴公子か、底意地の悪いパワハラ上司かと思ってしまう。
そもそも冒頭から、「この春ばかりの花見の友と思ひ、未だ暇を出ださず候」と言っているのだから、ただ気に入った女を傍に置きたかったことは明らかであって、その身勝手さに同情の余地はないのかもしれない。

しかし少し見方を変えてみれば、清水の花見は招待者も絡むような公的色彩を帯びていた可能性があり、この時点の平家一門にとっては最後の栄華の春、都で催すことのできる二度とない機会であったとすれば、もし熊野の母の方にもう少し時間的余裕があるなら帰省はその後でいいのではないかと思った心中も理解できないではない。
また、自分が引き立ててきた女にとっても晴れ舞台なのだから立派に勤めさせてやりたい、そのことが塞ぎがちな熊野の気晴らしになればとの配慮もあったとみる余地がある。
こんな推測では歴史上ないし伝説上の宗盛のイメージから離れていってしまいそうだが、あくまでも ”熊野” というフィクションの中でもう少し想像を広げてみれば、前回の末尾でふれたように、熊野も本当は都で活躍し続けることを願っている、それは自分も同じ思いでこれまで取り立ててきた、長い目で見ればその方が彼女のためなのだ、と考えていたのだと思えないこともない。
そうなれば宗盛の人間像は随分と変わってくることになり、そんな彼の真意も知らずに、暇をよこせ、母が今にも危ない、と言い募って花見の宴の最中に和歌を突きつけた熊野の方が、よほど思慮が足りないということにもなりかねない・・・

こんなことを思うのも、熊野と宗盛がデュエットで母からの文を読み上げる ”文ノ段” で、抑揚をつけた美しい節が寄り添って紡ぎ出されるように謡われていたところが、実に親密な感じが漂っているように聞こえたからだ。
それはもちろん シテ=金剛永謹、ワキ=殿田謙吉 ご両名の名人芸によるものに違いないけれど、特にワキに冷酷さや傲慢さ、あるいは愚かさや頑迷さといったものが感じられなかったことが大きいように思われる。
この先は全くの余談であり一般論になるが、この曲はワキ=宗盛の真意の捉え方によって、良かれと思ってやっていたことが間違いだと気づいたのか、あるいは意地悪なパワハラ上司が遂にやりこめられたのか、と分かれる可能性があり、それは見た目の印象で変わってくることもあるのではないか。
ワキの人相が優しそうなら熊野思いの人情家になりやすいし、その逆なら自分勝手な暴君・・・

能における ワキの立場や役割をふり返ってみると、その典型は ”通りがかりの旅の僧” であり、シテが登場し心情を吐露するきっかけを作った後はワキ座で見守っていることが多いので、そのキャラクターによって筋の見方が異なってくるということはあまり起こらないだろう。
しかし本曲のように、と言い切っていいかどうかはよくわからないが、ワキが善人か悪人かで話の趣旨が異なってくることがあるのだとすれば、そこをニュートラルにするためにはワキ方も面をつけるというのがひとつの解決策ではないか(暴言です)。

さらに余談ながら、本曲は一場のみで太鼓が入らずアイ狂言もないという意味ではコンパクトな舞台だった一方で、ツレ=朝顔の存在感が思いのほか大きかった。
冒頭から 「夢の間惜しき春なれや、夢の間惜しき春なれや、咲く頃花を尋ねん」 という美しい言葉がツレに与えられているし、「旅の衣の日も添ひて、幾夕暮の宿ならん、夢も数添ふ仮枕。明かし暮らして程もなく、都に早く着きにけり、都に早く着きにけり」の辺りでは ”彼女” が主役かと思うようだった。


<能・狂言の過去記事>
能 「熊野」 金剛流 金剛永謹 
古典芸能鑑賞会 (舞囃子 「融」ほか) 
能 「山姥」 観世流 野村四郎  
能 「善知鳥」 観世流 観世清和  
能 「半蔀」 金剛流 今井清隆  
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか) 
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

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2018年03月20日

駿河の白隠さん-4 在家支援者への視点

(静岡市美術館 〜3/25、展示替えあり)
白隠ワールドに続く ”第四章 白隠を支えた人々” では、東海道 原宿で松蔭寺の 白隠慧鶴禅師(1685-1768)を支援した在家居士に光をあてていた。
廃寺同然だった 松蔭寺を再興して多くの修行僧を集めるようになったのも、確かに地元での世俗的なサポートがなければ為し得ないということもあるが、白隠禅画が必ずしも指導する弟子たちの教化のために留まらず、むしろ在家の篤志家への謝意のしるしという面もあったという視点は示唆的だった。

その典型が 徳源寺蔵の 「蓮池観音図」(1757)ということになろうか、これは原宿の 植松家の要請に応えて描かれたもので、”100枚描き” のように大胆な早い線とは違う、丁寧にしっかりと運ばれた筆による作品だ。
解説によれば、白隠は書簡で ”香を焚きながら念を入れて制作しているので毎朝読経してほしい” と伝え、これを受けた植松家では本図を法要の際に掛けてきたらしい。
こうした経緯は、白隠が地元の有力者との関係にそれなりの気を使い、注文主やその用途、さらにはもしかしたら謝礼なども踏まえて描きぶりを変えていたらしいことを窺わせて興味深い。
この観音像には珍しく賛がないが(そういえば前回ふれた大乗寺の「楊柳観音図」にもなかった)、尊像として礼拝の対象にするような場合には着賛しないというようなことがあったのだろうか。

少し前に出ていた 「布袋瓢簞駒図(曲馬図)」(1744-53、東京国立博物館)は、東博がこんな作品を持っていたとは知らなかったが、カラフルで微笑ましくなってくる作品だ。
布袋の持つ七色の瓢箪から漂い出した ”気” の曲線の上を6頭の小さな馬が走り、その上では逆立ちしたり立ち上がったりといった曲芸が行われている。
それは東海道を江戸に向かう 朝鮮通信使の異国的な華やぎを活写したものか、禅画という範疇には納まりそうもない楽しさは、おそらく在家支援者の子どもを(ひいてはその親を)喜ばせるために描かれたのであろう。

永青文庫所蔵の 「円相内自画像」(1764)は、これまでにも何度か見てきた晩年の滋味あふれる自画像だが、解説ではこの作品も在家居士のために描かれたのではないかとしていた。
思えば白隠も自画像を多く描いた ”画家” ではあるが、その動機はレンブラントやゴッホなどの場合と違い、墨跡と同様に自らの ”気” を分け与えるという意味合いが強かったであろう。
その相手が弟子や修行に来た僧の場合は、厳しく指導したり叱ったりする像とすることに意義があるが、在家の支援者の場合にはむしろ穏やかな表情のものが好まれたということもありそうなことだ。
達観したような本作の制作動機は何なのかと思ったこともあったけれど、硬軟両様の自画像は相手方と目的から説明する方が確かに合理的なように思われた。

この章の作品ではないが、「神農図」(1751-56、個人蔵)は医薬関係の仕事をする在家居士に贈られたものらしく、その線でいけば白隠画には珍しい 「弁財天図」(1751-56、個人蔵)なども、特にそうした図像に縁のある人向けに制作されたのかもしれない。

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2018年03月18日

プラド美術館展-1 スルバランのキリストと画家

(西洋美術館 〜5/27)
”日本スペイン外交関係樹立150周年記念 プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光” を見た。

フランシスコ・デ・スルバランの 「磔刑のキリストと画家」(1650年頃)は、左上に十字架上のキリスト、右下にはパレットを持って見上げる画家が描かれているが、より強い光が当たっている画家がここでの主役のようだ。
もちろん実景とは思われないから、磔刑のキリスト像は画家が見ている幻なのだろう。
しかしどこからが幻視なのかは示されていないし、キリストの姿はスルバランが得意とした単体の磔刑像の壮烈さには及ばないものの、命の失われていく肉体の重さや冷たさが感じられる筆致で、両手足に打たれた釘の痛みまでがはっきりと伝わってくる。
そのような主の姿を目の当たりにし、右手を胸にあてて恍惚の表情を浮かべている画家については、守護聖人である聖ルカかスルバランの自画像なのか議論があるようだけれど、おそらくその両方なのではないか。
つまり、ルカの姿を借りて自らの宗教画家としての神秘体験を可視化した作品であり、それは同時に、信仰を伝える上で画家は何を成しうるのか、自分はその任に相応しいかを問いかける作品であるようにも思われる。

本作を含む冒頭の ”I 芸術” の章では、芸術とは想像力をもって新しいものを生み出す知的行為という面が強調されているが、この時代のスペインはまさにこのような宗教的体験を目に見える形にしていくことが大きな意味を持った。
ホセ・ガルシア・イダルゴの 「無原罪の聖母を描く父なる神」(1690年頃)は、父なる神が自ら筆を執って画中画の聖母を描くというあり得ない設定を行ってまで、宗教画の伝統に新しい図像を加えることの意義や意気込みを示している。
アロンソ・カーノの 「聖ベルナルドゥスと聖母」(1657-60年)は、聖母像に向かい ”あなたの母たることをお示しください” と祈りを捧げると彫像が動いて乳が聖人の唇に滴ったという奇跡を描いており、その突飛さもこのような文脈の中でこそ効いてくるものだが、いずれもスルバランほどの説得力は持ち得ていない。

ディエゴ・ベラスケスの 「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」(1635年頃)は、フェリペ4世の胸像を作る彫刻家を描いているが、ちょっと手を止めてこちらを見たところを狙った記念写真的ショットで、良くも悪くもベラスケスらしい作品といえる。
モデルの男が立派な服を着てしっかりと ”仕事” をする人物だということは分かるが、そこに宗教的な感情が入っていないのはもちろん、芸術的活動を行っているという感じもあまりしない。
一方その横にあった ジュゼペ・デ・リベーラの 「触覚」(1632年)と題された作品は、盲目の彫刻家の近寄り難いほどの孤高の精神が、確かな重みや手触りがとともに感じられた。


>スルバランの過去記事
聖母マリアの少女時代 (2017、大エルミタージュ美術館展)
コンスタンティノープルの聖キュリロス、聖ペトルス・トマス (2010、ボストン美術館展)
聖家族 (2009、THE ハプスブルク展)
聖顔布 (2009、奇想の王国展)
幼い聖母 エル・ソティーリョにおけるキリスト教徒とムーア人の戦い (メトロポリタン美術館) 
祝福する救世主、神の愛の寓意 ボデゴン (2006、プラド美術館展)

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2018年03月16日

熊谷守一、生きるよろこび-4 法悦の絵

(東京国立近代美術館 〜3/21)
”3章:守一になった守一 the 1950s-1970s” には、くっきりした輪郭線と鮮やかな色彩を獲得した70歳以降の 熊谷守一(1880‐1977)の作品が並ぶ。
新たな部屋に入るたびに、まだこんなにあるのかと思うほどの点数だったが、それだけの量に囲まれて生じる幸福感というのも確かにあるし、隣り合う作品同士の色の響き合いには、あえて年代順を崩して作品を配置したことの効果が表れているようにも思われた。

この章の作品から、”1−開拓者”や ”2-死生観”ですでにふれた斬新な取り組みや肉声が感じられる部分を除けば、あとはほとんどが可愛らしい生きものと美しい花による楽園の世界だった。
」(1970年)は薄緑の葉と赤い輪郭線の周囲を黒い蟻たちが楽しそうに行き交っている。
色と形のリズムという抽象画のツボを抑えながらも、そこは童話の世界のような幸福感に満ちていた。

少し先の部屋には水墨画や墨跡のコーナーがあり、「蒲公英に蝦蟇」(1938年、木村定三コレクション)という墨画淡彩について、コレクターの 木村定三が ”法悦の絵” と評したことが紹介されていた。
タンポポの花を前にしたカエルの満足そうな顔を描く方も凄いが、それを感じ取って ”法悦” という言葉にする方も凄い、双方にとって本当に良い出会いだったと思わずにはいられない。
壁一面にずらりと並ぶネコの中では、「白猫」(1962年、木村定三コレクション)がよかった。
有名な三毛猫の絵もいいけれど、真っ白なシロネコには清々しさがあり、安心し脱力しきっている姿を見ていると、画家がいかに猫を愛していたかがわかる。
その一方で野良猫は緊張が解けない姿で描かれており、そのあたりにも生きものにあたたかく寄り添う視線が感じられた。

花は個別に挙げきれないほど多様でそれぞれの持ち味があるけれど、「松虫草」(1961年、熊谷守一つけち記念館)は蝶が優美に舞うような2色の花弁が愛らしい。
向日葵」(1957年、静岡近代美術館)には夏の花の逞しい生命力があり、「山茶花」(1958年、熊谷守一つけち記念館)には冬の花独特の華やぎが感じられるなど、このあたりは特に心をほぐしてくれる癒しの花園だった。

」(1965年、木村定三コレクション)は色面の組み合わせで成立している画面、辛うじて瓜の形を借りてはいるもののほとんど抽象画といってよく、色はますます魅力的に選び抜かれている。
それでも 「石亀」(1957年、木村定三コレクション)は動きの本質をとらえたユーモラスな作品だし、「」(1968年)は桜色を背景に凛とした鳥の姿がはっきりと描き出されている。
それはもちろん写生ではなく、こう描けばより本物らしく見えるという ”構成” の意図が入っているに違いないが、熊谷守一はあくまでも現実世界の対象物から離れられない画家だった。

雨来」(1968年、熊谷守一つけち記念館)は、待ちに待っていた雨が降ってくるという気配を感じ取ったのか、4匹のアマガエルが喜んで跳びはねる歓喜の声が聞こえてくるようだ。
これも ”法悦” の境地の絵に違いない。

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2018年03月14日

駿河の白隠さん-3 龍頭観音、楊柳観音

(静岡市美術館 〜3/25、展示替えあり)
”第三章 禅を描く” は、白隠慧鶴禅師(1685-1768)の足跡をたどってきた前章までとはやや視点が変わり、白隠ワールドの主役たちが全開となる。
前もふれたように長い期間で多くの作品を残した 「達磨図」は画風の変遷をよく伝えており、陰の気が籠る50歳代の 光増寺作品から、眼光鋭い60歳代後半の 松蔭寺、枯れて脱力した感のある70歳台の 玉井寺がそれぞれの表情を見せていた。
次の 「出山釈迦図」も多く取り組まれた図像だが、こんな釈迦像を ”発見” したのも白隠和尚の功績といえるだろう。

この部屋の最奥部は、美しい観音たちが集う眼福のコーナーになっていた。
松蔭寺の 「蛤蜊観音図」(1751-56)、「龍頭観音図」(1751-56)に続いて登場していたのは個人蔵の 「龍頭観音図」(1751-56)、右下の墨の渦が龍の出所を示し、仕事をきっちりとこなしそうな真面目な表情をした顔の龍の角に乗った観音様は、泰然自若として満足そうな笑みを浮かべておられた。
さらに 龍澤寺の 「蓮池観音図」、松蔭寺や 大阪新美術館建設準備室の 「楊柳観音図」が並ぶ中で、その中央に掛けられていた 大乗寺の 「楊柳観音図」(1751-56)は、老舗筋のスターたちに全く引けを取らないオーラを発していた。
黒を背景として岩や波も丁寧に描かれているこの作品、黒地の中に楊柳や梅の枝を浮かび上がらせるのは簡単なことではないはずだし、岩が瑠璃か大理石のような透明感を感じさせているところは驚くほかない。
そして、その中心にいる観音様は背筋を伸ばして悠然と坐っておられ、うっとりとまどろむような表情の愛らしさは、白隠の数ある観音の中でも屈指のものといえる。

観音コーナーに続いてはやや珍しい図、「巌頭渡子図」(1751-56、大阪新美術館建設準備室)で小舟の上に立つ男は、やり場のない怒りを抱えたように厳しい顔つきをして蕭然としている。
既に世の中の全てを見てしまったような目は、背筋が冷たくなるほどの凄味を持っていた。
拘留尊仏図」(1748-54、佐野美術館)は、寒山が相方である拾得の箒で栗のイガを叩き実を出している、という一見すると荒っぽい図柄だけれど、実はこのようにして佛を出しているのだというところに禅画の面白さがある。

しかし白隠ワールドの中での一番の役者は何と言っても 布袋だろう。
大きく袋を広げる 「布袋図」(1751-56、方広寺)、袋の中から水に映る月を見る 「月見布袋図」(1751-56、個人蔵)、にこやかに片手を示す 「隻手布袋図」(1761-65、松蔭寺)、手桶と笹を持って走り回る 「すたすた坊主図」(1751-56、松蔭寺)、皿回しに興じる 「豆蔵布袋図」(1751-56、徳源寺)と、まさに大活躍のキャラクターだった。

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2018年03月13日

ブリューゲル一族-4 ヤン・ブリューゲルの系譜

(東京都美術館 〜4/1)
”第5章 寓意と神話” にある ヤン・ブリューゲル1世の 「ノアの箱舟への乗船」(1615年頃、デッサウ、アンハルト絵画館)は、このあたりまでで食傷気味になりかけていた ヤン1世の良さがよく出た作品だった。
超自然的な光が感じられる神話的な風景の中に、夥しい数の動物たちが色鮮やかに描かれているこの場面は、洪水前の世界の美しさと儚さが伝わりさえすれば、現実感はむしろ必要ない。

その息子、ヤン・ブリューゲル2世の 「平和の寓意」と 「戦争の寓意」(1640年代)は、父 ヤン1世の路線を継承したもので、絵にそれほどの深みは感じられないけれど、イタリア的な明るい色彩が眼を引く美しい画面だ。
戦争の悲惨な部分は動物に任せてあまり重さを感じさせていないところも、時代の好みに合っていたのだろう。
このあたりには 嗅覚、聴覚の寓意、愛の寓意などがあり、似たようなシリーズものでも 徳目や大罪、月暦図が主だった祖父の時代とはずいぶんと様変わりしてきているようだ。

ヤン2世の異母弟である アンブロシウス・ブリューゲルの 「四大元素─大地、水、大気、火」(1645年頃)という4枚セットの作品はセルフ・プロデュースか、あるいはアルチンボルトの影響があったのだろうか。
孫世代の寓意表現は当たり前過ぎて面白味を感じにくいだけに、”奇想の画家” とほぼ同じ頃に生まれた祖父(ブリューゲル1世)がこの画題の作品を残していないのが惜しまれる。
いま ウィーン美術史美術館の至宝となっている ブリューゲル作品は、プラハ城に引きこもっていた ルドルフ2世が主に収集したことが知られているが、プラハで重用された アルチンボルトとは違い、遷都前にネーデルランドで亡くなった 大ブリューゲルとの人的な繋がりがなかったのは、当然とはいえ残念なことだ。

ヤン2世の子、すなわち曾孫の世代にあたる アブラハム・ブリューゲルと ルイージ・ガルツィによる 「正義と平和の寓意」(1660年頃)は完全にイタリア絵画になっており、そこに曾祖父の影響を見ることは難しい。
それは既に ”ブリューゲル” ブランドの力が弱まっていたことを示すようでもあるが、むしろ当時はブランドが意識されることもなかったのではないかという気もした。

”第6章 静物画の隆盛” は壁面が ”花のブリューゲル” に埋め尽くされており、一見似たような絵ばかりだが、その中では ヤン・ブリューゲル1世と2世による 「机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇」(1615–1620年頃)がやはり優れている。
そこには瑞々しい生命感が滲み出ていると思うけれど、この路線が売れすぎたということも痛し痒しであって、徐々に注文を受けてこなすだけの仕事、安易な売り絵になっていったようだ。

そんな中で異彩を放っていたのは ヤン2世の甥で曾孫世代にあたる ヤン・ファン・ケッセル1世の 「蝶、カブトムシ、コウモリの習作」(1659年)、大理石の模様を背景にして標本のように並べられ、静止状態で細密に描かれた昆虫たちは、意外にも命の儚さを訴えてくるような力を備えていた。

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2018年03月11日

ジョージ・ハリスン、アイ・ミー・マイン展

(渋谷ヒカリエ 〜3/11)
ジョージ・ハリスン(George Harrison、1943-2001)の生誕75周年を記念して日本に初上陸、という ”アイ・ミー・マイン展” を見た。
未公開の家族写真やルーフトップ・コンサートで着用した黒い上着、直筆の手紙などもあったが、中心となるのは 手書きの作詞原稿(ただし ”忠実に復刻された” 原寸大の複製)だ。
メモ帳の切れ端やホテルの便せん、レコードの内袋などに書き付けられた文字自体はそれほど乱雑ではないけれど、自室の机に座ってというようなものではもちろんない。
手当たり次第の紙に残された言葉の連なりは、忙しい日々の中で突然にアイディアが ”降りてきた” 、その瞬間の貴重な記録だろう。
思いがけなく早く逝ってしまったジョージの生前の姿に、ほんの少し近づけた気がした。

主な作品には本人の解説もあり、「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー - Within You Without You」では、ペダル・ハーモニウムをいじりながら ”We were talking” という冒頭の言葉を思いつき、そこからふくらませていったということだった。
おそらくその時点で、この部分のメロディーもインド色の濃厚なサウンドもイメージできていたのだろう、確かに当時のビートルズにあって、インド的なるものがジョージの存在感を際立たせていたことは間違いない。
しかし 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス - While My Guitar Gently Weeps」では中国の易経がひとつの契機になったらしく、「ヒア・カムズ・ザ・サン - Here Comes the Sun」ではアップル・レコードでのビジネスに関わるストレスからの息抜きが良い成果を生んだようで、つまるところジョージはインドから少し距離を置いたところで本当の傑作をものにしたとも言える。

ジョージの自伝および本展のタイトルともなっている 「アイ・ミー・マイン - I Me Mine」は、人間の ”ego” や自分自身を表す大きな ”I” と小さな ”i” を扱ったというのだが、当時のアルバム 「レット・イット・ビー - Let It Be」の中で、どのくらいそのメッセージは届いていたのだろう。
だからこそソロ活動では遠慮なく全力を傾注した結果、いきなり 「オール・シングス・マスト・パス - All Things Must Pass」という大作を発表することができたわけで、1971年の本アルバムのリリースからチャリティー・コンサートの先駆けとも言える 「バングラデシュ支援コンサート」を成功させたあたりが、ビートルズ内では ”三番目の風” だったジョージが一躍トップに躍り出て華々しく走っていた時期になる。

ビートルズの解散前後、ジョン・レノンや ポール・マッカートニーは原点回帰とも言えるシンプルで私小説風のソロアルバムを出していただけに、一歩も後戻りせずに自分の世界を突き進んでいるようなこの時期のジョージは本当に輝いて見えていた。
ただ、神秘主義や宗教性が強まりすぎたのか、1973年の 「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド - Living in the Material World」では、ロックらしからぬ歌詞の内容に大いに戸惑わされたことなども、あらためて懐かしく思い出した。


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2018年03月09日

駿河の白隠さん-2 蛤蜊観音、蓮池観音

(静岡市美術館 〜3/25、展示替えあり)
白隠禅師250年遠諱記念展 駿河の白隠さんの ”第二章 六〇代から七〇代の行状と画業” ではまず 「楊柳観音図」(1750、貞永寺)、悪病を払うという楊柳を右手に持ち左手の上の鉢を撫でるような仕草をする観音の姿が、力強い線で画面いっぱいに描かれている。
まだ 白隠慧鶴禅師(1685-1768)としてのスタイルが十分に確立する前、66歳頃の丁寧な描きぶりの作品であるが、健康そうな姿には強い実在感があり、いわば楷書の味わいの観音像だ。

蛤蜊観音図」(こうりかんのん、1744-53、禅叢寺)もほぼ同じ時期の作と推定されている作品だが、こちらは白隠ワールドを体現する個性と風格を備えており、私にとっては今回最大の収穫だった。
ハマグリの ”気” から生まれ出た観音、その出現の瞬間を 129.7×161.2 という大画面にカラーで再現した力量は圧倒的と言うほかはない。
二枚貝から生じる ”気” は龍の姿のようにも見える張りと粘りを持ち、それが一旦勢いよく上がってから曲線を描いて降下してきた先の、大きな泡の塊のような上に観音が鎮座している。
白隠の 蛤蜊観音といえば、衆生たちに賑々しく迎えられてご満悦の図が思い浮かぶが、本作品で楊柳と鉢を捧げ持つ姿は異界から登場してきたような神秘性を纏い、一人厳かに有難い呪い(まじない)の修法を執り行なおうとしているようだ。
背景の色の深みや衣の模様の白抜きをそのまま楽しめる保存状態の良さもあって、迫力に満ち満ちた壮大なイリュージョン、以前選んだベストテンのリストに加えたくなるほどだった。

反対側の壁で墨蹟 「南無阿弥陀仏」と対幅になっていた 「蓮池観音図」(1751、個人蔵)には一転して静謐な霊気が漂い、色鮮やかなハスの花が咲く池を見下ろすくつろいだ観音の姿が、繊細かつ優美に描き出されている。
顔の表情などはこれしかないという細い決定的な線で表現され、光輝く大きな頭光も眩く、色彩感覚にも優れた美しい作品だ。
丹精込めて描かれたに違いない 82.9×32.0 という小さめの世界で静かに瞑想する白衣の観音様は、大切な人の念持仏として癒しを与え続けていたのだろう。

この章には今まであまり見たことのなかったテーマの作品もあった。
三教老人図」(1744-53、個人蔵)は、釈迦と老子と孔子でひとつの人物を構成したものだが、含意はそれぞれの教えをよく学んだ上で乗り越えよ、ということらしい。
物見山観音図(1751-56、永青文庫)は、札所として親しまれていた物見山慈眼院のご本尊のお姿を写したものとのこと、そう聞けば他の観音像とは異なり堅固な感じを与える描きぶりにも納得するのだが、白隠にそのように ”写実的” なアプローチの作品もあるということが興味深かった。
このあたりでは農民たちの苦境に寄り添って支援したことなど紹介されており、白隠慧鶴所用という 「講台、見台」(龍津寺)も展示されていたが、老師が説教を行ったという座面の ”高さ” は想像以上のものだった。

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2018年03月08日

仁和寺と御室派のみほとけ-4 道明寺、中山寺

(東京国立博物館 〜3/11)
怒れる巨像の後は、育ちの良いお嬢様という感じで微笑む 「十一面観音菩薩立像」(重文、平安時代・10世紀、京都・遍照寺)をはじめとして端正な像が続いたが、その最後となる ”秘仏の世界” には実に個性的な像がお出ましになっていた。
どこまでを 仁和寺を総本山とする 御室派の特徴と理解すればいいのかはよくわからないが、様々な理由で秘仏として祀られてきたのであろうお姿には思いがけない新鮮さがあった。

大阪・道明寺の 「十一面観音菩薩立像」(国宝、平安時代・8〜9世紀)は、榧(かや)材の一木造という艶やかな体が黒光りし、少し反って捻った体躯の上のお顔は理知的で気品がある。
その優れた作風も、このようなお像があるということすら知らなかったという意味でも、宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像を見た時の衝撃に近いが、こちらの方がもう少しソフトで我々に近いところにおられるという感じだろうか。
それにしても、あまりの美しさでもったいないが故の秘仏なのか、信仰のことは別としてできれば常時お目にかかりたい魅力的な観音像だった。

葛井寺の千手観音の後に登場するのは、徳島・雲辺寺の 「千手観音菩薩坐像」(重文、経尋作、平安時代・12世紀)、「毘沙門天立像」(重文、慶尊作、平安時代・1184)、「不動明王立像」(慶尊作、平安時代・12世紀)の三尊像。
この3体の組み合わせも珍しいが、微妙に異なる作風がそれぞれの持ち味を出しながら並ぶ様は微笑ましく、眼病恢復祈願の像と言いながら少し目が腫れぼったくみえる不動のやさしそうな立ち姿が特に印象に残った。

兵庫・神呪寺の 「如意輪観音菩薩坐像」(平安時代・10世紀)は、一人静かにまどろんでいるところを突然起こしてしまったようで申し訳ないようなお姿、人に見られることには慣れていないご様子なので、早く無事にお厨子の中へお帰りいただくことを願うばかりだ。

最後の 福井・中山寺の 「馬頭観音菩薩坐像」(重文、鎌倉時代・13世紀)は、ここまでとは全く別次元の迫力ある忿怒像、根本馬口印を結び少し崩した形で足を組んで坐る姿は、ホトケが怒っているのではなく、怒っている実在の人間をそのまま仏像にしてしまったようで、これだけの激しい怒りは秘仏として普段は封印しておきたくなるのもうなずける。
その生々しさから慶派の作と推定されているようだが、明通寺の降三世明王と深沙大将に留まらない、若狭の地の怒れるエネルギーは想像を超えている・・・

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2018年03月06日

ブリューゲル一族-3 鳥罠のある風景

(東京都美術館 〜4/1)
「キリストの復活」と 「種をまく人のたとえがある風景」を見て2階に上がると、”第3章 冬の風景と城砦” には ピーテル・ブリューゲル2世の 「鳥罠」(1601年)があった。
これは父 ピーテル・ブリューゲル1世の 「鳥罠のある風景」の忠実な模写で、2世は少なくとも40枚程度模写したことが知られており、他の人物のものも含めれば100枚以上出回っているはず、この図柄がない美術館やコレクションはないと言ってもいいくらいの大ヒット作品だ。
彼は輪郭線に沿って穴をあけたカルトンと木炭の粉を使って構図を複写したとのこと、そこだけを取り出せば安易で非芸術的な作業のようにも思えるが、息子とはいえ父の作品を独占的に複製する権利はなかったと思われ、その中で発注者に満足してもらえるものを納品しなければならなかった立場を思えば責めることはできない。
幸いピーテル2世には油彩で冬の冷気や遠くに霞む街を表現する手腕があり、そのおかげで多くの人が大ブリューゲルの描いた世界を知ることができたわけで、それも息子としての大切な仕事だった。

この 「鳥罠のある風景」が特に好まれて複製されたのは、コンパクトなサイズと美しい冬景色ということももちろんあるけれど、そこに誰にもわかる寓意が表現されていたからでもあるに違いない。
確かに我々の生活はリスクと隣り合せで、ちょっと油断すればいつ氷の穴に落ちないとも限らないし、悪意の罠もあちこちにあって知らずにその中に入っていってしまうこともある。
だから細心の注意は必要だけれども、委縮して何もしないわけにはいかない、川が凍るほどの冬でも風景は美しく、氷の上にだって楽しいことはある。
リスクがあることは分かっていても、それでも人は生きていかなければならない・・・

”第4章 旅の風景と物語” にも、ヤン父子の狭間に ピーテル・ブリューゲル2世の 「農民がいる丘の風景」(1616年頃)という、人の動き、奥行き感がしっかりとらえられた素描があった。
本展では(最終章に至って大逆転があるが、このあたりまでだと) 兄であるピーテル2世がずいぶんと軽んじて扱われているような印象を受けてしまうけれど、このデッサンを見れば彼が確かな腕を持っていたことは疑いない。
しかし、自分なりの新しい世界を開拓するよりは父の作品の模写の方に熱心だったことから、工房主やコピー職人としてはともかく表現者=画家としての評価は必ずしも高くないようだ。
それでも私が ピーテル2世に肩入れしたいと思うのは、以前見た 「死の勝利」の印象が強烈だったからだ。
これもプラドにある父の作品をベースにしたもので、帰属の議論もあるようだけれど、単なる複製ではなくオリジナルよりも苛烈さを増した新たな地獄絵図がそこには繰り広げられていた。
おそらく ピーテル2世は、長男として工房の主として父のコピーの注文に応えるのに忙しく、自分自身が描きたいと思う作品にじっくりと取り組む時間も経済的余裕もなかったのだろう。
本展で ピーテル2世と ヤン1世という兄弟の作品を見て、方向性の違いや表現の幅、世渡りの上手さといったあたりに優劣を感じとる人も多いと思うけれど、「死の勝利」を抜きにしたまま ピーテル2世が過小評価されることがあったら本当に気の毒だと思う。

一方、すぐ隣の ヤン・ブリューゲル1世の 「田舎道をいく馬車と旅人」(1610年頃)を見れば、弟は父の影響から徐々に脱して独自の新しい世界を切り拓いたことが分かる。
そこには確かに父や兄とは違うものを目指している一人の画家の姿があり、それはもちろん評価されるべきことだ。


>ブリューゲルの息子たちに関する過去記事
ルドルフ2世の驚異の世界 (2017、ザ・ミュージアム)
大エルミタージュ美術館展 (2017、六本木ヒルズ)
プラド美術館展 (2015、三菱一号館美術館)
ウィーン美術史美術館 風景画の誕生 (2015、ザ・ミュージアム)
リヒテンシュタイン展 (2012、国立新美術館)
メトロポリタン美術館展 (2012、東京都美術館)
ルーヴル美術館展 (2009、西洋美術館)
プラハ国立美術館展 (2007、ザ・ミュージアム)

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2018年03月04日

駿河の白隠さん-1 白隠の ”実像” への道

(静岡市美術館 〜3/25、展示替えあり)
白隠禅師250年遠諱記念展 駿河の白隠さん” は、静岡県内に残る 白隠慧鶴禅師(1685-1768)の禅画墨跡を中心に初めて見る作品も多く、予想していた以上に充実した展覧会だった。

まず迎えてくれたのは 松蔭寺の木造 「白隠慧鶴像」(1769)、鋭い眼光と固く引き締まった口の印象は以前見たとおりだが、横に回るとかなりの前傾姿勢となっていることにあらためて気づかされた。この角度があるから正面で拝む者を厳しく教え導くという感じが強くなっているように思われるが、背筋を伸ばし威儀を正していることの多い頂相彫刻としては異例のお姿だ。
本像は ”自刻像” として伝わるが、実際は亡くなった10ヶ月後に京から到着したという記録があるそうだ。だから自ら鑿を執って刻んだものではないとしても、生前に予め発注してあった可能性が高く、そうであれば白隠本人がどのような像にしたいかのイメージを伝えていたと考えてもいいのだろう。
死してなお常に目を光らせ、お前たちのことをずっと見ておるぞ、そんな本人の意思が籠められてこその前傾姿勢であり ”自刻像” の扱いではないかと思った。

”第一章 白隠の誕生〜伝記をふまえて” は、師と自らの肖像すなわち 「道鏡慧端(正受老人)像」(1753年頃、龍澤寺)「白隠自画像」(東嶺圓慈賛、1755-56年頃、松蔭寺)から始まる。
いずれも縁の深い寺からの出品で白隠を語る上で欠かせない重要作品であり、また本展は松蔭寺と龍澤寺のほかに永青文庫や山發コレクションの名品も多いけれど、以下は重複を避けて初見作品を中心にしたい。

本展のもうひとつの特色は、2013年に渋谷のBunkamuraで開かれた大規模な 「白隠展」がテーマ別の展示を行い、メッセージに気を配りつつ白隠画をアートとして捉えていたのと対照的に、ほぼ年代順に白隠の足跡と関係づけていくという伝記的・美術史的なアプローチだったことだ。
キャプションでは作品の推定年代を年齢に置き換えて示していたので、例えば上述の正受像は69歳、自画像は71歳頃の作品だったことがすぐに分かったのも有り難かった。
白隠の作風の変化は特に達磨図において顕著で、最初期である35歳頃の 「達磨図」(個人蔵)や少し後の 「隻履達磨図」(大中寺)が厳しい顔ながらまだ白隠らしさが希薄なのに対し、50歳前後とみられる 「岩上達磨図」(1736-43、修禅寺)になると、睨みが効いて独特の精神性が感じらるようになってくる。

臨済義玄像」(1744-53、個人蔵)と 「徳山宣鑑像」(同、宝泰寺)は、現在の所蔵は別になっているが見事な二幅対の祖師像だ。
目を剝き口を開け ”喝” を入れる 臨済は右手を固く握り左手を添え、徳山は厳しい表情で棒を握るという動と静の対比は鮮やか、やや戯画的な誇張はあるけれど、しなやかな描線や微妙な濃淡による姿は生半可な職業絵師のレベルをはるかに超えている。
それぞれの老師の個性を生き生きと描き出した肖像画の優品だと思った。


<主な関連記事>
松蔭寺虫干し 無尽灯、船手和尚、富貴草 十六羅漢、白隠像 龍頭観音、常念観世音菩薩
  白隠禅師坐像、白隠の里
龍澤寺観楓祭 常念 自画像、初祖大師 蓮池観音、正受老人 明於理、東嶺と遂翁
  至道無難、開山堂
正受老人と白隠禅師 (2017、飯山市美術館) 白隠の師の面影 正受の師と弟子たち
  長野の白隠作品 白隠の信濃巡錫 正受庵と老師の実像
白隠展 (2013、ザ・ミュージアム) 隻履達磨、観音十六羅漢 どふ見ても、朱達磨
  布袋吹於福、鍾馗鬼味噌 富士大名行列、吉田猿猴 このつらを、毛槍奴 ベストテン

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2018年03月02日

能 「熊野」-2 去りゆく都への思い

能 「熊野は、春三月の京の都を舞台にした一場からなる現在能ではあるが、場面は前半だけでも 宗盛の館 => 都への道中 => 熊野の居室 => 平宗盛の屋敷 と目まぐるしく変わり、熊野の帰省願いを却下した宗盛が手配した車によって、桜の花盛りの清水寺へと向かう。
それは熊野にとっては不本意極まりない道行きなのだが、「名も清き水のまにまにとめ来れば、山は音羽の、花盛り」に始まる清水寺までの道中では、春爛漫の京都が見事に情景描写され、その華やかさと悲しみに心塞がれる女の胸の内の対照が、この曲ならではの感興を呼び起こす。

四条五条の橋の上、四条五条の橋の上、老若男女貴賎都鄙、色めく花衣袖を連ねて行く末の、雲かと見えて八重一重、咲く九重の花盛り、名に負ふ春の気色かな、名に負ふ春の気色かな」のくだりは、固有名詞をたたみ掛けて風景を想起させる見事な詞章、しばらくは本筋から離れて春の都の風情を楽しみたくなる。
しかし、「車大路や六波羅の地蔵堂よと伏し拝む、観音も同座あり、闡提救世の、方便新たにたらちねを守り給へや」のあたりで母のことが思い出され、「げにや守の末すぐに、頼む命は白玉の愛宕の寺も打ち過ぎぬ、六道の辻とかや、げに恐ろしやこの道は、冥途に通ふなるものを、心ぼそ鳥辺山・・・」と不吉な影が差してくる。
このあたり、清水寺への道は六道珍皇寺や鳥辺山への道でもあることを思い出させながら、春の都の行楽の場面から悩める女の内面へと注意を引いていく見事な詞章だ。
ここに登場する 作り物の車は、実際には中に立っているだけなのに、清水への移動中で周囲の景色が刻々と移り変わっていく様を想像させ、同時に気の進まない展開が本人の意思とは関係なく勝手に進んでいく非情さ、一旦廻り始めた運命への抗いがたさをも暗示しているようだった。

清水寺に着くと、熊野が仏前で合掌し母のために祈るのも束の間、宗盛に花見の宴席に呼ばれ、悲しみを抑えながら酌をしたり舞を舞ったりする。
ここで、「げにや思ひ内にあれば、色外に顕る」となってしまってはプロの仕事としてどうかと思うところだけれど、プライベートはとりあえず抑えて場の雰囲気に沿った役割を健気に果たす熊野の健気さが際立ってくる。
心はそれどころではない、それでも悲しみをこらえて 「清水寺の鐘の声、祇園精舎を表し、諸行無常の声やらん、地主権現の花の色、娑羅双樹の理なり、生者必滅の世のならひ」と舞ううちに、にわかに雨が降り出し花を散らす。

この日の小書き ”花ノ留” は、舞の途中で雨が降ってくる様子を、小鼓の早い連打と笛の甲高い音で表して、舞を途中で止めて話をその先に進めるという演出だ。
もっとも、その笛の音が 盤渉調に上がるのだといわれても、そこを聞き分ける耳を持ってはいないのだが、確かに場面の雰囲気はがらりと変わり、「あら心なの村雨やな」をきっかけとして終盤に向かうという局面の変化は実感できた。

そして、古今集の古歌をふまえた
春雨の、降るは涙か、降るは涙か桜花、散るを惜しまぬ、人やある」に続いて、熊野は落花の中で短冊に和歌を書き付ける。
いかにせん 都の春も 惜しけれど 馴れし東の 花や散るらん
こうしている間にも母の命は消えてしまうかもしれない、そんな一首を見てさすがの宗盛も心を改め、「げに哀れなり道理なり、この上ははやはや暇取らするなり、疾く疾く東に下るべし」と帰郷を勧める。
この一言をようやく得ることができて、熊野は 「あら有難や嬉しやなこれ、観音のご利生なり」と喜び感謝して、宗盛の気が変わらない内にとその場からすぐに東国に向け旅立つ。
それは、やっと自分の気持ちを理解してもらえた、これで母に会える、という喜びの場面でありハッピーエンドのはずなのだが、最後の部分では意外な余韻に囚われることになった。

詞章では、「木綿付けの鳥が啼く、東路さして行く道の、東路さして行く道の、やがて休らふ逢坂の、関の戸ざしも心して、明け行く跡の山見えて、花を見捨つる雁がねの、それは越路我はまた、東に帰る名残かな、東に帰る名残かな」と謡われるところで、シテは一気に橋懸りを進んで揚幕近くまで行くのだが、それから舞台近くまで戻った後に、再びゆっくりと橋懸りを進み、幕の手前で立ち尽くしたような形で終曲となった。
それは、念願かなって故郷へ急ぐというだけではない、振り返る都への ”名残り” の気持ちが伝わるフィナーレであり、山影や雁がねの情景とも呼応するものだろう。

故郷の母に会いたい気持ちに変わりはない、しかし熊野にはおそらく都への未練もあった。
花の名所というだけではない、熊野が仕事を続けるためには、そして自分の能力が十分に評価されるためには、本当は都に居続けなければならない。
京の都にいてこそ輝いていられる私、そのための現実的な手段としては宗盛の傍にいるのがベストの選択かもしれない、そんな葛藤もあっての ”名残り” であったとしたら、最後の場面の感慨も別のものになってくる。
こうした思いが頭をもたげてきたのは、親の面倒を見なければならないという義務感から条件の悪い転職をしたり、親孝行の気持ちが昂じて介護離職しその先の生活が破綻してしまう、そんな事例を聞くことが珍しくない世の中になってきているからだ。
都を去って東に急ぐはずの熊野が見せた ”名残り” の風情には、親孝行と引き換えに犠牲にしたものの大きさも暗示されていた・・・

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2018年02月28日

熊谷守一、生きるよろこび-3 闇と赤枠

(東京国立近代美術館 〜3/21)
前回ふれたように、本展の章立ては 熊谷守一 (1880‐1977) の画業全体をふり返り、作風の変遷やスタイルが確立していく足跡を追う枠組みになっている。
しかし実際の作品の並びはテーマや画題でまとめられているところも多く、結果として年代順は崩れてかなり入り繰りがあり、どの章に属するのかも分かり難くなっているのだが、それでもせっかくの機会なので展示順に従って流れをふり返っておく。

1章:闇の守一 the 1900s-1910s
蝋燭」(1909年、岐阜県美術館)は、暗闇の中でローソクの灯りに浮かび上がる自画像であり、その深い陰影はこの時期を象徴するもののように見える。
しかし、もとは着物の柄も見えていた作品が劣化して現在の状態になっているとのことだし、「轢死」も今は判別不能の画面だが制作当初はもう少し見えていたに違いない。
そう思って見ると、蝋燭の裸火がこんな近い位置にあれば、顔はもっと明るく照らされて見えてもよさそうだ。
自画像」なども含めてこのあたりの作品の暗さは劣化による影響が大きいとするならば、若き守一の特徴として ”闇” を強調することにはもう少し慎重であるべきではないかとも思った。

2章:守一を探す守一 the 1920s-1950s
本章が扱うのは過渡期ともいうべき時期だが、それは40歳から70歳という通常なら最も働き盛りの30年だ。
しかし現にそれだけの時間をかけて、くっきりした輪郭線と色の面による作風が獲得されていくわけだが、それは藝大の主席卒業生が ”子供のような絵” に到達する軌跡でもある。
”開眼前” の作品を一点挙げるなら 「風景」(1935年、熊谷守一つけち記念館)、色彩も形の捉え方もナビ派風のテイストが追究されており、もしかしたらこのままこの路線で進んでもおかしくはなかった。

夜の裸」(1936年、岐阜県美術館)は、これまでも多く描いてきたヌードを逆光の中に置き、光がその周囲に漏れる感じを赤で表現している。
この赤い輪郭線が大きな発見だったようで、「谷ケ岳」、「麥畑」、「桑畑」といった風景画においても、山の稜線はもちろんそれ以外の部分も赤で縁取られている。
これがやがて独自の存在感を発するようになっていくのだが、熊谷守一のスタイルの重要部分である赤い線が、逆光の中の対象物の輪郭線から始まったというのは興味深いことだった。

海の風景画を見れば、「熱海」(1948年、天童市美術館)では風景が自然に捉えられ色合いも現実の風景を反映したものになっているが、「太海(ふとみ)」(1950年、岐阜県美術館)ではきっぱりした構図と独特な色彩の平塗りで表現主義的な方向に歩み出している。
木曽御嶽」(1953年、岐阜県美術館)では雲にもはっきりした輪郭線が現れており、フラットな画面に色彩が響き合う熊谷的風景画の完成形のように思われた。

金峯山」(1956年)はその輪郭線もない色面の集合体の画面、このまま抽象に向かってもよさそうな吹っ切れた作品かと思われたが、熊谷守一はこの路線を突き進まずに、その少し手前に豊饒な世界を見つけた。
それが ”3章:守一になった守一 the 1950s-1970sの作品群だった。

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2018年02月26日

仁和寺展-3 観音堂と旧本尊、明通寺の巨像

(東京国立博物館 〜3/11)
”第3章 御室の宝蔵”に続く ”第4章 仁和寺の江戸復興と観音堂” には、修行の場で通常は非公開という 仁和寺観音堂の須弥壇全体が出開帳されていた。
千手観音菩薩立像」を中心に脇侍として左に 「不動明王立像」、右に 「降三世明王立像」、その左右に 「二十八部衆立像」が並び、両端を 「風神・雷神立像」が固める(全て江戸時代・17世紀、仁和寺)という計33体はさすがに壮観だ。
二十八部衆のうち、観音に近い中央付近には 四天王と 梵天・帝釈天、外側には 仁王がいて、中ほどには興福寺八部衆で馴染みの 阿修羅や 迦楼羅などもいる。
これらは個々の出来栄えというよりは群像としてここに一括展示されたことが意義深く、さらに背景や須弥壇の周囲の壁画も複製で再現されていて、仏画の回廊を疑似体験できたのもよかった。

”第5章 御室派のみほとけ” はまず 仁和寺の旧本尊である 「阿弥陀如来坐像および両脇侍立像」(国宝、平安時代・888)、中尊は童顔で微笑み口もとは何かを語り出しそうな親密さ、定朝様式が確立する前の自由な作風には、阿弥陀如来とは思えない人間味が感じられた。
利発そうな少年の坐像である 「悉達太子坐像」(重文、院智作、鎌倉時代・1252、仁和寺)は、出家する前のシャカの姿を中国風に表現した珍しい像だった。
菩薩坐像」(奈良時代・8世紀、神奈川・龍華寺)は比較的最近発見され未指定の優美な像、片足を踏み下ろす半跏像をみれば、慶派の源流となった長岳寺阿弥陀三尊の脇侍像を思い出すが、もちろん玉眼ではなく材質も工法も違う。8世紀の作とされる乾漆像がなぜ関東で見つかったのか、どこでどんな本尊の傍らに仕えていたのか、その来歴や全体像の解明の手掛かりはないのだろうか。

福井・明通寺の 「降三世明王立像」(重文、平安時代・11世紀)は会場全体を威圧するような巨大な姿で、一木造のためか動きは抑えられているが、血が通っているような生命感、実在感があった。
大きく口を開けた表情はやや過剰かとも思うが、暗いお堂の中で遭遇すればかなりの迫力だろう。
背後に回ってみたら第四の顔もはっきり見ることができた。
深沙大将立像」(同)は対照的に悠然と構え厳しい目で遠くを見つめており、奇抜な姿で表されることも多い ”沙悟浄” とは思えぬ堂々たる姿だ。
いずれも写真で見るより間近から見上げた方がしっくりくるバランスになっているし、阿形と吽形という対の形にもなっているのだが、降三世明王と深沙大将という組み合わせだけでも意外なものなので、この両像が薬師如来の脇侍になっているというのはおそらく他に例がないだろう。
いったいどのような三尊になっているのか、興味が尽きない。

hokuto77 at 19:55|PermalinkComments(0)│ │日本彫刻 

2018年02月25日

アラビアの道−サウジアラビア王国の至宝-1

(東京国立博物館 〜3/18)
表慶館を使った ”アラビアの道−サウジアラビア王国の至宝” は、予想していた以上に楽しめる充実した展示だった。
その雰囲気を決定づけたのは入口中央で迎えてくれた 「人形石柱」(カルヤト・アルカァファ出土 前3500〜前2500年頃 サウジアラビア国立博物館)、素朴な彫りによる柔和だが神秘的な表情は、この地が歴史の激動に呑み込まれていく前の世界について多くのことを語りたそうだった。

本展の舞台であるアラビア半島は、アフリカから進出してきた我々の祖先が農耕や遊牧を覚えた場所であるが、当時は今と違って豊かな緑に覆われていたらしい。
”第1章 人類、アジアへの道” では、そうした先史時代の矢尻や尖頭器といった 狩猟具や、馬や羊などの 動物たちの像が見られ、”第2章 文明に出会う道” になるとメソポタミア文明とインダス文明をつなぐ海上交易で繁栄した時代の 土器類や、「祈る男」(タールート島出土 前2900〜前2600年頃)などの 人物像が見られるようになる。
当然のことながら人類は、必要に迫られて狩りをする道具を作り水をためる壺を作ったわけで、それはアラビアでも同じことではあるけれど、場所柄か旧約聖書のカインとアベルの話などを思いだしたりした。

”第3章 香料の道” は紀元前1000年以降に香料交易で賑わったオアシス都市が主役となり、出土品も印章、装身具、墓碑、金貨と多彩になっていく。
それは文明の発達により社会がそれだけ複雑化した証拠であり、「葬送用マスク」(テル・アッザーイル出土 1世紀頃)からは当時の埋葬文化や工芸技術の水準なども垣間見られるが、この辺りにはヘレニズム・ローマ時代の影響も大きく、極東の島国とは違って周囲の大文明の盛衰によってかなり振幅が大きかったことも伺われた。
それにしても、この時期のアラビアの繁栄を支え新約聖書にも出てくる 乳香没薬の魅力を、今の我々が簡単に実感できる方法はないものだろうか・・・

hokuto77 at 20:00|PermalinkComments(0)│ │西洋古代中世美術 

2018年02月23日

野々下由香里、鈴木美登里の ルソン・ド・テネブル

F.クープラン生誕350年記念 ルソン・ド・テネブル 〜暗闇の朝課の読誦〜“ を聞いた。
(2018年 2月22日(木) 19時〜 近江楽堂)

<プログラム>
聖バルトロマイのモテット 『天は喜べ』
荘重なアルマンド、アルマンド (アンリ・デュ・モン)
聖水曜日のための暗闇の朝課の3つの読誦
 1声による第1読誦
 1声による第2読誦
―休憩―
 2声による第3読誦
コンセール第7番〜プレリュード、アルマンド、サラバンド、ガヴォット、シチリアーノ
復活祭のためのモテット 『勝利だ。復活しておられるキリストに』
(+アンコール2曲)

ソプラノ: 野々下由香里、鈴木美登里
ヴィオラ・ダ・ガンバ: 福沢宏
オルガン: 今井奈緒子

ジェラール・レーヌのCDを愛聴していた フランソワ・クープラン(1668-1733)の 「ルソン・ド・テネブル聖水曜日のための暗闇の朝課の3つの読誦)」を生演奏で聞いたのは初めてだった。
小さなお御堂のような近江楽堂で、おそらく今の日本では最高の組み合わせと思われる4人の奏でる音楽に浸りながら、しかし実はこの曲のことを全く分かっていなかったことにも気づかされた。
テキストである旧約聖書の ”哀歌“ を対訳とともに見ながら聞いていくと、“この都は夜通し大いに嘆き涙を流していた、その涙は両頬を流れた。ユダの民は安らぎを見いだすことはなかった。イェルサレムよ、お前の神である主の元へ戻れ” と言葉を重ねていくこの作品の重さを思わざるを得ない。
しかし、特に深い嘆きのように聞こえる部分、とりわけ二重唱になって2人のソプラノが美しく絡み心情を吐露するような部分の歌詞が、単にヘブライ語のアルファベットだったとは・・・

もともとこの曲は、復活祭前の聖木曜日未明に修道院で15本(13本?)の蝋燭を灯し、読誦しながら 1本ずつ消していって最後に暗闇が訪れるという朝課のために書かれたものなので、“生誕350年記念 ルソン・ド・テネブル 〜暗闇の朝課の読誦〜“ という ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵を使ったチラシを見た時は、もしかしたらそんなイメージを再現したコンサートになるのではないかと思った。
火のついた蝋燭を立てるのは無理としても、照明を落とした暗い空間の中で、朗読やグレゴリオ聖歌なども加えてという形はあり得ないこともないような気もしたが、しかしこんな難曲を譜面に頼らず4人かそれ以上で合わせるのはおよそ不可能なことだろう。
声楽だけでみてもかなり技巧を要しそうで、修道院内でのお務めとして歌うようなレベルをかなり超えた作品であるに違いなく、むしろ四旬節期間中の疑似オペラコンサートとして楽しまれたという説明の方に強い説得力を感じた。

コンサートの構成は 「ルソン・ド・テネブル」を中心にして前後に器楽曲、さらに2曲のモテットを冒頭とフィナーレに置いて全体を挟む形となっていた。
この モテットはクープランにこんな曲があったのかと思うほど明るく晴れやか、ここでは ”天は喜び、地は跳ねよ“ とか、”勝利だ、復活しておられるキリストに天は喝采を送っている。アレルヤ“ といった趣旨に沿った仕事をきっちりとしたということなのだろう。
アンコールの1曲目はクープランの従姉妹ともう一人の歌手のために作られたという無伴奏二重唱、 2曲目は 「復活祭のためのモテット」の終結部分か。(未確認)

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2018年02月21日

仁和寺展-2 極小の薬師と極大の曼荼羅

(東京国立博物館 〜3/11)
”仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―” 展は、葛井寺の 「千手観音菩薩坐像」(国宝、奈良時代・8世紀、大阪・葛井寺)を中心とする最終章の仏像コーナーが一番の見どころとなるが、”第1章 御室仁和寺の歴史” にも名品があった。

像高わずか12センチ弱で豆粒のような薬壺を持つ 「薬師如来坐像」(国宝、円勢・長円作、平安時代・1103、仁和寺)は、精緻を極めた白檀の彫りと截金の業により、そのサイズを感じさせない本尊としての威厳を備えている。
しかも光背に 七薬師、左右に 日光月光菩薩、さらに台座の四周に 十二神将を彫り出して、薬師経の瑠璃光世界をこれ以上ないほどコンパクトに表現していた。

空海ほか筆という 「三十帖冊子」(国宝、平安時代・9世紀、仁和寺)は、空海が留学先の地で学習し書き取ったノートのようなものか、誰かに宛てたものではない自然体の文字ではあるけれど、貴重なものを前にして興奮を抑え精神を研ぎ澄ませているという心情も伝わってくるようだった。

”第2章 修法の世界” では、「十二天像」のうちの 「毘沙門天」、「伊舎那天」(国宝、平安時代・1127、京都国立博物館)が出ていたが、なかなかその全貌を拝観することができないこの国宝仏画のオリジナルが 東寺ではなく 仁和寺だったとは・・・
毘沙門天」は強い線で威厳ある御顔が描き出された分かりやすい図像だった一方で、「伊舎那天」はもしかしたら性格付けが難しかったことが幸いしているのか、神秘的で謎めいた雰囲気を湛えていた。

両界曼荼羅(子島曼荼羅)」(国宝、平安時代・10〜11世紀、子島寺)は、後期展示の 「金剛界」のみだったが、紺綾地金銀泥絵の荘厳な画面は格調が高く、宇宙の神秘を体感させるに相応しい威厳が感じられた。
あらためてその前に立てばまずは大きさに圧倒され、そして細部まで丁寧に描き込まれていることにも驚かされる。
一般的な曼荼羅より情報量が多くなっているのであろう、画面は何重にも及ぶ入れ子構造のようで、小さな紋様の中を覗き込めばそこからさらに別の世界が広がっていき際限がない。
中央の成身会の周囲の縁の部分に描かれた夥しい数の顔には唖然とさせられるばかりだった。

hokuto77 at 19:47|PermalinkComments(0)│ │日本彫刻 | 日本絵画

2018年02月19日

ルドルフ2世の驚異の世界-4 秘密の部屋

(ザ・ミュージアム 〜3/11)
”第3章: 変容する世界”の後半は、プラハ城北翼に設けられたという ルドルフ2世の絵画館の見立てのような展示、ハンス・フォン・アーヘンの 「ルクレティアの自殺」(1601年、プラハ国立美術館)は、クラーナハとはずいぶん違う肉感的な裸女の図だったが、そこには生涯独身だったという皇帝の趣味が強く反映しているように思われた。
もっとも ルドルフ2世は何人かの婚外子をもうけたらしいのだが、それでは皇帝としての責務を全うしたと言えないだろう。
政治や軍事をこなすには才能や適性の問題もあるし、結婚しても子どもができないならそれは仕方がない。しかし結婚もしないのでは王の資格がないとの批判に晒されていたに違いなく、それでも独身を貫いた皇帝の内面は、蒐集した絵画などから推し測るほかはない。
バルトロメウス・スプランガー(スプランゲル)の 「ヘラクレスとオムパレ」(1595年頃、プラハ城美術コレクション)は、女装させられた英雄とライオンの被り物をつけた女が、放心したような表情で接近する倒錯した妖しい世界だった。

ペーテル・ステーフェンス2世の 「聖アントニウスの誘惑」(1595-1605年、グレナ財団、グルノーブル)の霊感のもとになったに違いない ヒエロニムス・ボスに関しては、ルドルフもスペインの宮廷で伯父フェリペ2世が蒐集した祭壇画を見て魅了されたはずだ。
しかし、ここに跋扈しているのはボスの同じタイトルの名作とはずいぶん異なる新種の怪物たちで、デジタル的な風貌はSFの宇宙人のようにも見える。
舞台にも照明にも派手な技巧が凝らされているけれど、残念ながらそれで悪魔的世界の闇が深まるわけではない。

ディルク・ド・クワード・ファン・ラーフェステインの 「ルドルフ2世の治世の寓意」(1603年、プレモントレ修道会ストラホフ修道院、プラハ)という大画面の中央で艶っぽい姿を見せているのは、豊饒、正義、平和という3人の女神たち、しかし右奥にいるルドルフ2世は彼女たちに近づくのを押しとどめられているようだ。
拒まれている皇帝とはいったいどんな寓意なのか、これはルドルフ2世から直接発注されて治世を讃えるために描かれた作品とのことなのだが、もし彼がこれでよしとしたのであれば、自分の治世がどのようなものであるかを冷めた目で客観的に見ていたということだろうか。
そう思いながら振り返ってみると、アルチンボルドが 「ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像」において、目の下のクマを左右2個ずつの梨で、下唇を2個のサクランボで表したのは卓見というべきか。

”エピローグ: 驚異の部屋” では、貝の杯、仕掛け時計、天体観測機器などを展示して、プラハ城内の居住区だった南翼から北翼に続く回廊に設けられたルドルフ2世の ”驚異の部屋” を想像させるとともに、皇帝自身が占星術や錬金術に入れあげていたことを紹介していた。
卑金属から黄金を精錬するという 錬金術は、今でこそその滑稽さを笑うことができるけれど、当時は誰もがその可能性を疑わず、それに取り組むことが最先端の科学技術の研究なのだと考えられていたことだろう。
しかし、核燃料サイクルの再処理技術や 東海地震の予知などを思えばそれはけっして他人事ではないし、もしかしたら 弾道ミサイル迎撃システムや 完全自動運転車なんていうのも、その類のものなのかもしれない・・・


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hokuto77 at 19:22|PermalinkComments(0)│ │西洋絵画(古典) 

2018年02月18日

能 「熊野」-1 故郷にいる母への思い

能 「熊野」(ゆや)を観た。(金剛流 金剛永謹ほか、2018年2月16日(金) 18:30〜 国立能楽堂)
前半の流れとしては、朝顔(シテツレ)によって都にいる 熊野(シテ)のところへ東国の母からの手紙が届けられ、母の病が重いことを知った熊野は 宗盛(ワキ)に暇を請いに行くのだが、桜の花見を優先させたい宗盛は聞き入れない。
この、娘が親を思う切実な気持ちがなかなか理解されず、立場上もどかしい思いをするところが、後半へかけて一曲全体を支配するポイントとなるだけに、じっくりと時間をかけて丁寧に描かれていた。

アシライ出シから 「草木は雨露の恵み、養ひ得ては花の父母たり、まして人間においてをや、あら御心許なや候」と格調高く始まり、手紙を持って宗盛を訪ねたところで ”文ノ段” となる。
甘泉殿の春の夜の夢、心を砕く端となり」と読み出すシテに続いて、「驪山宮の秋の夜の月、終わりなきにしもあらず、末世一代教主の如来も、生死の掟をば免れ給はず」と2人で優雅な節をつけて読んでいくところは、美しい時は永遠ではなく儚く消えていく、釈迦ですら生死の定めから遁れることはできないとこの世の無常を嘆く内容ながらも、二重唱アリアのように美しい聞きどころだ。

しかし、「何とやらんこの春は、年古り増さる朽木桜、今年ばかりの花をだに、待ちもやせじと心弱き」と、娘に会えないまま衰えていく母の不安な心情が吐露され、「さなきだに親子は一世の中なるに、同じ世にだに添ひ給はずは、孝行にも外れ給ふべし、ただ返す返すも命のうちに今一度、見参らせたく候へとよ」とまで言われれば、誰もが自分の母のことを思わざるを得なくなってくる。
ただでさえ親子の縁はこの世限り、同じ世にいるうちに共に暮らせないならば孝行の道に外れることにもなる、という訴えは、故郷に介護を必要とする状態の親を置いて都会で暮らさざるを得ない多くの人にとって見につまされることだし、ただひたすら命あるうちに今一度会いたい、と言われて心動かぬ子はいないだろう。

この後に、『伊勢物語』から 在原業平の母の歌、
老いぬれば さらぬ別れの ありと言えば いよいよ見まく ほしき君かな
が出てくるが、これは業平が朝廷の仕事に忙しく母を尋ねる暇がないことを、長岡に住む老母が嘆いて詠んだものとされる。これに対して 在原業平
世の中に 去らぬ別れの なくもがな 千代もと祈る 人の子のため
と返すが、その気持ちは分かるものの母にしてみればおそらく何の答えにもなっていないということになろう。

実際のところ、都会で仕事を得て一生懸命に働く子と、故郷で老い寂しく暮らす母は、双方で会いたい気持ちを抱えながらも、このようなすれ違いを避けて通るわけにはいかない。
老境に入り心細くなっている母と離れて暮らしているからといって、もちろんそこに親子の情がないわけではないけれど、そうした気持ちに応えてばかりはいられないのが現実でもあり、だからこそこうしたやりとりが時として身にしみる・・・

熊野の場合はどうか、彼女は 「今はかやうに候へば、御暇を賜り候へ、東に下り参らせさむらはん」と宗盛に訴えるのだが、「老母の労りはさる事なれども・・・この春ばかりの花盛り、いかでか見捨て給ふべき」と取り合ってもらえない。
さらに 「御言葉を返す恐れなれども・・・花は春あらば今に限るべからず、これはあだなる玉の緒の、長き別れはいかならん」と一歩踏み込んでみても、「いやいや余りに心弱き、身に任せては叶うまじ」と一蹴され、花見の車まで用意されて強引に花見へと連れ出されてしまう。
花は、毎年春になれば咲くけれど母とは今生の別れとなるかもしれない、という熊野の訴えには理があるし共感したいところだけれど、そういった話が必ずしも公の場で通るとは限らない、それは業平の嘆きでもあり、いまもまた多くの ”子どもたち” を苦しめている現実でもある。
それにしても、宗盛は単なるわがままな貴公子、分からず屋の上司に過ぎなかったのだろうか・・・


<能・狂言の過去記事>
古典芸能鑑賞会 (舞囃子 「融」ほか) 
能 「山姥」 観世流 野村四郎  
能 「善知鳥」 観世流 観世清和  
能 「半蔀」 金剛流 今井清隆  
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか) 
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

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2018年02月17日

仁和寺と御室派のみほとけ-1 葛井寺 千手観音

(東京国立博物館 〜3/11)
仁和寺といえば徒然草に出てくる法師か桜の名所という程度の予備知識しか持ち合わせず、特別展 「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」といっても何が見られるのか見当もつかない、でも西国五番 葛井寺(ふじいでら)の 千手観音様が東京においでになるなら・・・
というのはまことに浅はかなことで、行ってみれば見どころの多い充実した内容だったのだが、それでもまずは 「千手観音菩薩坐像」(国宝、奈良時代・8世紀、大阪・葛井寺)から。

夥しい数の腕は滑らかに整えられて規則正しく並び、羽根を丸く広げたような、そこから光が発しているような有り難いお姿だ。。
その数は全部で1041本、唐招提寺の千手観音も同じように1000本近い手を持つが、こちらは背後に扇のように整然と並べられているためか、見た目の印象は随分と違う。
その中には ”大手”(だいしゅ)と呼ばれる大きめの腕が38本あり、さまざまな法具類を持っているのだが、むしろ何も持たずに掌に目が描かれた小さな手が、何かを求めるように5000の指を一斉に伸ばしているところに強いインパクトを感じた。

一方、観音様の肩から出てきている腕は2本のみ、それは胸の前で静かに合わされ、中指だけを微かに触れ合わせるようにそっと合掌している。
その表情豊かで人間味あふれる2本の手に対して、背後の手はあまりに観念的というか装飾的というか、現代芸術も及ばない優れた表現だとは思いながらも、観音自身とつながっている体の一部という感じはしない。
この背後の無数の手は、実際には左右・前後計4枚のパネルに取り付けられており、像の後ろへ回ればその ”とってつけた” 感じが明かされるとともに、正面からは見えない手がその倍くらいあることが分かり、何がなんでも1000本の手を付けようという執念もうかがえる。

千手観音といえば、少し前にあった 屋島寺の 「千手観音菩薩坐像」(重文、平安時代・10世紀)のように、42本の手がその体から生え出しているように作られるのが普通であり、多少の無理はあっても、合掌する手のほかに少なくともへその下辺りで組む手と、さらにもう何対かは肩から出ているように見えるものだ。
もちろん1000本をそのようにするのは不可能な話ではあるけれど、唐招提寺の千手観音もこうした基本形にをもとに、その隙間を埋めるように細い手を加えているといっていいと思う。

あらためて正面に回ってみると、やはり胸の前で合掌する2本とそれ以外の背後の手は完全に分離されていて、この像の体躯としては前の2本のみを持つ姿で完結している。
つまり、この像のもともとの手は合掌している2本だけであって、当初は ”千手” ではなく多臂でもない、2臂の十一面観音という通常の姿で構想され造像されたのではないか。
その後に、これではインパクトが足りないと思った誰か、または立派な光背をつけてさしあげようと思った誰か、あるいは霊験あらたかな千手観音が必要だと考えた誰かが、もしかしたら寄り集まってあれこれ考えた末に、本像に1000本の腕を光背のように取り付けて、誰も見たことのない十一面観音にしようということになった・・・

”千手” にばかり注目したけれど、端正なお顔は確かに 法華堂の 日光月光菩薩に似た作りになっている。
しかし表情にはかなりの違いがあり、慈悲深く瞑想する東大寺の塑像に対して、こちらの脱乾漆像は固く引き締まり、照明の影響があるのかもしれないが、やや憂鬱そうな翳りも感じられた。

もうひとつ気になったのは、背後の 大手(だいしゅ)の中で最上部に広げられた左右の手だ。
何も持たずに天に向けられている2本の手は、空を押し上げているようにも、宇宙と交信しているようにも見えたのだが、解説パネルでは ”持物亡失” となっていた。
その失われた持物の候補は 宝鏡と 宝経になるようなのだが、如来像や 日輪・月輪より上にそうしたものが掲げられている姿というのはちょっと想像し難いように思われた。

hokuto77 at 21:45|PermalinkComments(0)│ │日本彫刻 

2018年02月15日

Index Oct.-Dec., 2017

北斎とジャポニスム (西洋美術館) 
パリ♥グラフィック (三菱一号館美術館) 
デンマーク・デザイン (損保ジャパン) 
シャガール 三次元の世界 (東京ステーションギャラリー) 
東郷青児 (損保ジャパン) 
オットー・ネーベル (ザ・ミュージアム) 
禅書画のたのしみ (早稲田大学) 
運慶 (東京国立博物館) 
怖い絵 (上野の森美術館) 
アニマルハウス:謎の館 (松濤美術館) 
狩野元信 (サントリー美術館) 

ギターへの誘い クラシックからフラメンコまで 
小倉貴久子 3台のフォルテピアノ 
ブロムシュテット、ゲヴァントハウスのドイツ・レクイエム 
フレスコバルディへのオマージュ 
鈴木雅明&BCJ〜ルター500プロジェクト 
NHK古典芸能鑑賞会 
宮内庁楽部 秋季雅楽演奏会 
西山まりえの歴女楽〜アルバ公爵夫人 

2017年のベストスリー 

2018年02月13日

ブリューゲル一族-2 種をまく人の風景

(東京都美術館 〜4/1)
”第1章 宗教と道徳”に続く ”第2章 自然へのまなざし” の中ほどに、”ピーテル・ブリューゲル1世、 ヤーコプ・グリンメル” という 「種をまく人のたとえがある風景」(1557年)が出ていた。
この図柄の絵を 大ブリューゲルの真筆作品ないしそれに準じたものとして扱っている画集は確かに見たことがあるが、本作は サン・ディエゴにあるオリジナルをもとに ヤーコプ・グリンメルが制作したということなのだろうか。
広大な ”世界風景” の中に素朴な農民がいて、聖書のエピソードも小さく表現されている、その原案は大ブリューゲルのものである可能性は高いと思うし、せっかく種をまいても道端や石の上や茨の中では育たない、神の言葉も受け手によっては届かない、そんなメッセージをこうした構図に描こうとした人物も他には考えにくい。
風景画としても本展の中では群を抜く風格や真実味を備えている、しかし空間に感じられる歪みとか、多彩で変化に富み過ぎる色彩を見れば、残念ながら巨匠自身の筆になるものではないように思われる。

本章には次男 ヤン1世とその子 ヤン2世の作品が多く、風景は確かに上手いと思うけれど、「荒野の聖ヒエロニムス」(1597–1600年頃)などに明らかなように人物はあまり得意ではなかったようで、動きに精彩がなく風景にしっくりはまらない。
だから彼らをデッサンより色彩表現において強みを発揮した画家だと評しても大きく外れてなさそうだけれど、そんな中で ヤン・ブリューゲル2世の 「アントウェルペンを臨む川の風景」(1620年頃)は、思いがけず達者な素描だった。
手前の農村風景からはるか向こうの方に見えるアントワープの街までの奥行き感、その上の空の広さと北の低地ならではの空気感が、そこからはよく伝わってきた。

ブリューゲル一族からは離れるが、ヤーコプ・グリンメル、マールテン・ファン・クレーフェの 「野外で働く農民のいるフランドルの農村」(1565–1570年頃)は、ひと時代かそれ以上前の時祷書の絵のよう、あえて遠近感や動作を稚拙に表現したのかどうかはわからないが、素朴で現実味が希薄なところに聖なる風景が感じられる不思議な作品だった。
この章の冒頭にあった セバスティアン・フランクスの 「野に向かう農民のいる風景」(1620–1625年頃)も似た趣きの作品、並木が画面の奥の方に伸びていくストレートな奥行き表現の中に家畜を伴った農民がいて、”中世の秋” と変わるところのない農村の暮らしぶりが歳時記の中の世界のように感じられた。

hokuto77 at 20:06|PermalinkComments(0)│ │西洋絵画(古典) 

2018年02月11日

南方熊楠−100年早かった智の人−

(国立科学博物館 〜3/4)
古代アンデス展を見に訪れた 国立科学博物館の本館では、2017年が生誕150周年だったという 南方熊楠の回顧展が開かれていた。
南方熊楠といえば、大英博物館に日参してノートに写しまくった、とか、夥しい数の菌類を観察して図譜を作った、といったことを断片的に知っていただけで、ざっくり言えば博覧強記の変人と勝手に思い込んでいた。
つまり彼の真骨頂は収集した質と量にあるのだと思っていたが、それを独特の方法で再構成し著作につなげていたことも紹介されていて、クリエイティブな情報処理技術に長けていた人でもあったようだ。

そんな中で興味深かったのは ”文系” の部分、雑誌への寄稿の形で幾つかの文章が残っているらしいのだが、そのタイトルを見れば、月刊誌 「變態心理」には 「人柱の話」、「性之研究」には 「東洋の古書に見えたキッス」、「人類學雑誌」には 「睡眠中に霊魂抜出づとの迷信」と、目を疑いたくなるものが並んでいる。
活字にして発表するからにはそれなりの情報を纏めて考察を加えていると思うのだが、いったいどのような中身で何が論じられているのだろう・・・

もうひとつは 神社合祀反対運動、これは明治政府が地域の神社の統合に動いたことに抗議したもので、普通に考えれば氏神様を信仰してきた個人の心情とか、神社と地域との密接不可分な関係などを主張していくことになると思うのだが、南方熊楠が議論の中心においたのは自然保護だったようだ。
確かに今は、神社のある空間に貴重な自然が残り生物多様性の宝庫となっている面があり、東京でも明治神宮や赤坂氷川神社、府中大國魂神社などの神域は奇跡のように思えるけれど、明治期に生きた 南方熊楠にとっても、それらはすでに何としても守らなければならないほど危うい状況に見えていたということなのだろうか。

hokuto77 at 20:41|PermalinkComments(0)│ │掘り出し物など 

2018年02月09日

熊谷守一、生きるよろこび-2 死生観

(東京国立近代美術館 〜3/21)
97歳まで長生きした 熊谷守一(1880‐1977)は、前回ふれた3点の作品が78歳から81歳の間のものであるように、70歳代後半でようやく独自のスタイルを確立したといえる。
今回の展覧会は若い頃からの作品から始めてどのように作風を変えていったかが分かるような構成になっていたが、その中に ”死” のテーマが時折浮かび上がってきて、”生きるよろこび” の世界の中に濃い影を落としていた。

28歳頃に描かれた初期の 「轢死」(1908年、岐阜県美術館)は、そもそもこうした画題自体が異例だと思うが、よほどショッキングで記憶の奥底に残る光景だったのであろう、23年後の 「」(1931年、茨城県近代美術館)でも、闇に横たわる女性の遺体を描いている。
これは単に轢死体という ”骸”(むくろ)への関心にとどまらず、一瞬で人間が人間でなくなってしまうことの理不尽さ、”生きるよろこび” が永遠に奪われてしまう不条理について特に強い思いがあったに違いない。

陽の死んだ日」(1928年、大原美術館)は息子を亡くした時の作品、フォーヴの激しい筆触は48歳の画家の悲しみ、衝撃や怒りやのない交ぜになった内面の現れであろうが、このような場面でも絵筆をとる画家の業というものも感じさせる。

ヤキバノカエリ」(1956年、岐阜県美術館)も娘を亡くした時の作品、21歳でこの世を去った長女の葬儀の帰り道の自分と2人の子供を描いているが、76歳になった画家の筆致には暗さも激しさもない。
彼の画風そのものが変わってきていたということもあるが、死を受け入れる気持ちの変化という要因もそこでは大きかったのではないか。
地味で素朴な色調の画面は淡々としているにもかかわらず、骨壺を抱いてゆっくりと帰ってくる3人の歩みはどこかギクシャクしている。
それは、娘の死を受け入れて荼毘に付すという重い仕事が終わったあとのなんとなく足が地につかない感じ、ここからまた従前どおりの日々を続けていかなければならないのにまだ気持ちはそこまで戻っていない、そんな日常と非日常の狭間にある心理状態のこの上ない表現であるようだ。
ひとつの命が消えてしまったという事実はとてつもなく重い、でもそれに区切りをつけて日々の暮らしに戻っていかなければならない、わかるかい、それが人生なのだよ、画家はそう語りかけている・・・

その6年後の 「開田村」(1962年、熊谷守一つけち記念館)という小品は、直接 ”死” を扱った作品ではないだろうし、実のところは制作の狙いもよく分からない。
しかし斜面の広い土地を一人で黙々と耕す姿をみていたら、人間が生きていくとはどういうことなのか、こうした日々の繰り返しが人生というものなのか、といったような思いに不意に誘われた。
最後の部屋にあった 「月夜」(1967年、熊谷守一つけち記念館)は満月の照る海辺だろうか。
場所も状況も分からない簡潔に描かれた作品だが、深い青に支配された空間の真ん中で膝を抱えた人物は、長い間そこでじっと沈思しているようだ。
孤独が凝り固まったようなその姿は、”死” を思っているようにしか見えなかった。

このあたりはややこじつけ気味ではあるが、このような視点で 「稚魚」の中央の魚を見なおしてみれば、また違ったとらえ方ができそうにも思った。
朝の日輪」(1955年、木村定三コレクション)をはじめとする太陽の絵も、この延長で見ていいのかどうか確信は持てない。しかし、小動物や花々が奏でる ”生きるよろこび” の旋律とは別次元の何かを、この神秘的な画面に託していたように思われてならない。

hokuto77 at 21:42|PermalinkComments(0)│ │日本絵画(近現代) 

2018年02月07日

ブリューゲル一族-1 キリストの復活

(東京都美術館 〜4/1)
ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜” は、ピーテル・ブリューゲル(1世、大ブリューゲル)とその2人の息子、すなわち兄の ピーテル2世(地獄のブリューゲル)と弟の ヤン(1世、花のブリューゲル)を中心に、その孫や曾孫の代を含めた一族の作品をかつてない規模で集めていた。
大部分がプライベート・コレクションからの出展なので、ブリューゲルの作品自体はやや手薄だったけれど、父によって確立された画題や画風が子孫を通してひとつのブランドとして受容され、一方で時代の空気も反映しながら変容していった跡を辿るという意味で興味深いものだった。
その展示が時代順ではなかったことが意外だったのだが、テーマごとに各世代の作品を見て行く中で、大ブリューゲルは別格としても、あらためて2人の息子の非凡な才能と、それぞれの方向性の違いが浮かび上がってきていた。

”第1章 宗教と道徳” で最初に登場していたのは ”ピーテル・ブリューゲル1世と工房” によるという 「キリストの復活」(1563年頃)。
前景の埋葬跡あたりにいる兵士たちは似たようなポーズや色使いに心当たりがあるものの、主役であるはずの復活したキリストの表現が弱く、率直なところ ”1世と工房” のレベルの作品とは思えない。
もっとも1世自身がキリストを描いたのは、版画はともかくとして油彩では幼児か群衆の中での姿に留まっているので比較のしようもないわけだが、本作は反転した構図の素描があるとのことなので、それをもとにした版画を見た誰かが拡大し着色して油彩にしたと考えられる。
そのような作品を ”1世と工房” 作と呼び得る根拠はよくわからないが、おそらくは所蔵家=出品者がそう言っているから、ということなのだろう。

ヘラルト・ダーフィットの 「エジプト逃避途上の休息」は、本展の本筋からは外れるものの静謐な空気が漂う見ていて心地よい佳品だった。
清楚な聖母マリアが着る襞の多い衣の質感はフランドル絵画の美点をよく表しているし、ヨセフとロバが見える背景にはやわらかな光と穏やかな空気が満ちていた。

ピーテル・クック・ファン・アールストと工房の三連祭壇画 「東方三博士の礼拝、受胎告知、キリストの降誕」(1540–1550年頃)は、大ブリューゲルが弟子入りした親方とその工房による作品。
祭壇画にしては我々の俗世に近い感じがするのは、ひとりひとりの人物が何を考えているか、彼らはどんな役割でそこにいるのかをよく考えて描け、という親方の教えが徹底されているからなのであろう。
人物それぞれにキャラクターが立っていて、聖母子の近くにいて遠くを見ている第2の王の表情などは通常の祭壇画ではちょっと考えられない。
マリアの表情も現代的というべきか、超然としたところはなく神よりは人間の側に近い存在という印象を受けた。

ヤン・マンデインの 「キリストの冥府への降下」は、ヒエロニムス・ボスの影響が明らかな作品だ。
個々のパーツにはボス作品からの引用が多いが、全くそれだけというわけではなく、地獄の責め苦や燃え上がる業火、大口を開けた化け物などの表現は一歩進めているようでもあり、大ブリューゲルの 「狂女フリート」に近い感じもあった。
マールテン・ファン・ファルケンボルフ、ヘンドリク・ファン・クレーフェの 「バベルの塔」(1580年頃)は、昨年見た ブリューゲルの 「バベルの塔」をベースにしているが、塔への登り口の様子がよくわかるところが面白かった。

ヒエロニムス・ボス[下絵]、コルネリス・ファン・ティーネン[彫版]という 「告解の火曜日〜ワッフルを焼く人のいるオランダの厨房」(1650年頃)は、広めの農家の台所に10人ほどの農民たちが集まってきている。
その中には楽器を弾たり酒を飲んだりしている者もいるのだが、謝肉祭の最終日で断食が始まる前にワッフルが焼き上がるのを待つという微妙な雰囲気は確かに感じられるし、手前には小さな怪物たちの姿も確かに見える。
しかしそれが、本当にボスのものかどうかは判断がつきかねる・・・


hokuto77 at 20:56|PermalinkComments(0)│ │西洋絵画(古典) 

2018年02月06日

クインテットIV 、具象と抽象の ”みぎわ”

(損保ジャパン 〜2/18)
”将来有望な5人の中堅作家たちを紹介する”、という 「クインテット」シリーズの第4弾となる今年のテーマは 「具象と抽象の狭間」。
5人それぞれの世界が紹介される中で印象に残ったのは、最初はやや地味に見えた 田中みぎわ の作品だった。
墨・胡粉・雲肌麻紙を使ったモノクロの画面はしっとりとした水墨画風で、”具象と抽象の狭間” といってもかなり具象の方に寄っているように見えるのだが、もちろんそれは自然の写生ではなく、郷愁や幻想、大自然の ”気” を伝える心象風景というべきものなのだろう。
やさしい雨」(2007)という壁画のような大作に降る雨は、”やさしい” というよりはもっと壮大な形容詞が似合いそうな迫力で、自然への畏怖を感じさせられる作品、長谷川等伯の 「松林図屏風」を思い出した。
水の音」(2012)や 「晩鐘」(2013)といった作品は実景に近そうな感じがするが、淡く発光するような空気感は夢の中で見る光景のようだ。
故郷への道」(2011)は霧の中に広がる田んぼの風景、今はなかなか見ることのない、しかし日本人の記憶の底にある郷愁の世界へと誘い込む。
これらに対し、「夜長の雨」(2009)や 「雨に包まれ雨に彷徨う」(2013)は具象から抽象の世界へと一歩踏み出しているよう、目に見える形そのものではなく、そのなかのリズムや力が伝わってくる神秘的な画面だった。

もう一人挙げるなら 竹中美幸、水彩・パステル・墨によって描かれた 「夏の器」(2011)や 「緑の隙間」(2017)は透明で軽やか、爽快な気分になれる作品だった。

hokuto77 at 22:20|PermalinkComments(0)│ │日本絵画(近現代) 

2018年02月04日

熊谷守一、生きるよろこび-1 開拓者

(東京国立近代美術館 〜3/21)
没後40年 熊谷守一 生きるよろこび” の会場は、次から次へと目に飛び込んでくる熊谷作品による見事な ”守一ワールド” になっていて、一足早く来た春のぬくもりにあたたかく癒されるようだった。
そこでは個々の作品を見るというよりは、画家 熊谷守一(くまがい・もりかず 1880‐1977)の生き方や人間性にまるごと触れる場として身を委ねるべきかとも思われたが、それでも特にそれまでは見たことのなかったような絵画、新たな発見ともいえる取り組みを感じさせてくれた作品の前には、少し長めの時間立ち止まってみたくなる。

まずは 「たまご」(1959年、木村定三コレクション)、黒い円形のお盆の上に卵が4個のっているというシンプルな絵だが、奥の方に固まってしまっているこんな並び方は、普通の発想ではまず考えつかないだろう。
淵に沿って並ぶ3個と少し手前で気ままな感じの1個、それらは微かな緊張感を湛えながらも不思議な均衡を保っている。
強い磁場が生じているような、しかしそこには歪みも生じているような、それは静物画を超えた何かでもあって、セザンヌもこの絵を見たらもびっくりするに違いない。

稚魚」(1958年、天童市美術館)は、上から覗き込んだ水の中に5匹の小さな魚がいる絵。
鮮やかなピンク色は現実の魚とは思われず、魚の形を見る限りは上手い絵とも言えないけれど、屈託なく泳ぐ小さな命の躍動というものが、そこには確かに捉えられている。
ただし、確実に生きていて楽しい時を過ごしていると言えるのは周囲の4匹だけで、濃い色をした中央の1匹は他の4匹の語らいとは別のところにいる。
解説によればこの1匹だけが深いところを潜っているということだが、水の深さが表現されているにしては色の違いと大きさや形の関係が釈然としない。
実はこの1匹だけが死んで浮いているのかと思ったりもしたが、その横にあったスケッチを見る限りはそのような気配が窺えないので決め手に欠ける。
おそらく守一は、まず5匹を全て同じピンクで描いたのだろう。
でもそれでは平板すぎて絵にならないことに気づいた、だから消すことも選択肢に入れながらあれこれいじくっているうちにこうなり、そして、これでいいじゃないか、ということに落ち着いたということだったのではないか・・・
解説では マティスの 「ダンス」*との関連性にも言及していた。
大きさも迫力も全く異なるけれど、確かに大胆な色合いや意味不明な生命力というところには共通するものがある。
マティスにはガラスの鉢の中を泳ぐ金魚を描いた絵もあるので、霊感の源泉になっていた可能性は高そうだ。
ただ、「笛吹く子」(1950年、メナード美術館)と 「生きる喜び」を結びつけていたところは疑問、守一は複製写真であってもこの大作を見たことがあったのだろうか。

雨滴」(1961年、木村定三コレクション)は、水面に落ちて跳ねる幾つかの水滴とそこから生じる波紋のみを描いている。
拡大しスローモーションで捉えた水の姿はこういうものなのか、幼い頃に見た ”四つの目” という番組を不意に思い出したながら、もしかしたらこれは科学的な正確さとは別のものなのかもしれないとも思った。
それでも、チャポチャポと音を立てながら水面で跳ね回り、丸い輪を描いていく水滴たちの ”いのち” の躍動は見事に表現されていると思うし、それを茶色の濃淡だけを背景に白で描くという発想は常人の及ぶ域ではないだろう。
いったいどれほどの試行錯誤を経て、この色の画面に辿り着いたのか・・・

hokuto77 at 19:07|PermalinkComments(0)│ │日本絵画(近現代) 

2018年02月02日

ルドルフ2世の驚異の世界-3 皇帝讃歌

(ザ・ミュージアム 〜3/11)
”第3章: 変容する世界” は、集めて描写しただけにとどまらず、その先の表現を追求するコーナー、ここに、ジュゼッペ・アルチンボルドの 「ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像」(1591年、スコークロステル城、スウェーデン)が登場していた。
果実と季節の移ろいを司る ローマ神 ウェルトゥムヌスとして皇帝を描いたというこの作品は、ルドルフ2世像の定番とされる ハンス・フォン・アーヘンの 「ハプスブルク家、神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の肖像」(1600年頃、展示はコピー)以上に、”変人皇帝” の人格や業績を説得的に伝える肖像画といえる。

アルチンボルドは、個々の果実や花を自然の状態のままに使って一部のスキもない顔を構成しており、それは強い磁力に引き寄せられてその場に止まっているかのように緊密に一体化している。さらに、そこに四季や自然界を掌握する神としての超越的な力を感じさせているところは、天才的な仕事というほかはない。
単なる ”寄せ絵” として見ても、近くにあった追随者の 「秋」とは格が違うし、作者不詳の 「春、夏、秋」(エスターハージー財団)のオモチャのような絵とは比べ物にならない充実度だ。

ルドルフ2世は本作を気に入ったというが、画家の方には怒りを買うのではないかという不安はなかったのだろうか。もしかしたら冗談が通じずに不敬だということにならないかという心配もあって、プラハの宮廷を引退した後にミラノから贈ったのか・・・
ともあれ、この傑作がスウェーデンにあること自体が三十年戦争の熾烈さを語ってもいるわけで、その意味でもハプスブルク家の栄光と苦難を象徴する作品だ。
先のアルチンボルド展では父 マクシミリアン2世との関係が主で、ルドルフの影が薄かったけれど、ここでようやく ”変人皇帝” と ”奇想の画家” がしっかりと結びついた。

ヤン・ブリューゲル(子) の 「大地と水の寓意」(1630)も、ここでは高価な果物や魚たちが多数登場する博物誌的作品として見るべきかもしれないが、美しいヌードや広がりのある風景による神話的世界としても楽しめるものだった。
レアンドロ・ダ・ポンテパッサーノ)の 「9月」は、2年ほど前にこの会場の壁面を埋めていた月暦画の一部だろうか。
これは一年を12カ月という時間に区切り、その全てを通して描くことで、時を支配する力を讃美するとともに、季節ごとに行われる農民たちのさまざまな営みを視覚化しているわけで、その意味でこれもまたコレクション的作品といえるだろう。


>アルチンボルド展 (2017、西洋美術館) 

hokuto77 at 19:42|PermalinkComments(0)│ │西洋絵画(古典) 

2018年01月30日

古代アンデス文明展-3 固有の風土と作物

(国立科学博物館 〜2/18)
興亡した9つの文化を辿った ”古代アンデス文明展を振り返ると、アフリカからアジア、北米を経てはるばると南米大陸にやってきた先人たちが、急峻な山脈が連なり農地も十分に確保しにくい土地に住み着くことができたことがまず驚きだ。
それが可能だったのは リャマの健気な献身もあるが、アンデス原産と言われるジャガイモやトウモロコシといった作物に恵まれたことも大きかっただろう。
コロンブスの新大陸 ”発見” 以降、こうした作物が全世界に広まった今となっては、それ以前のヨーロッパやアジアの食生活がどうであったかはとても想像の及ぶところではない。
ジャガイモのないドイツなど北ヨーロッパの食事、トマトのないイタリア料理、トウガラシのないインドや東南アジア、韓国の食文化などありえないと思うし、トウモロコシのない日本の夏休みや祭りの縁日というのもちょっと考えられない。

その意味で我々はアンデスの恩恵を大きく受けているわけだが、中には タバコという困った到来物もあった。
もちろん煙草に癒された人も多いし、喫煙という行為が洗練された文化を育てたという面もあるが、総体としては多大な健康被害をもたらし、今も負の遺産として尾を引いている。
また、タバコの中毒的な嗜好性が税や専売制度となって国の経済を支えたという歴史に目を向けてみても、それがインフラ整備などで近代化を促したという光もあるが、戦費調達の手段となって戦争に突き進んだという影の部分もどうしてもついてまわる。

ともあれ、海岸から高地まで4500メートルという標高差のある狭い範囲で、山岳地帯では岩の建物を築き、リャマを使いながらジャガイモ中心の食生活を営む一方、海岸地帯では泥を主に用い、海産物やトウモロコシを食すなど、それぞれの風土を生かし比較的自己完結的な生活パターンを選択してきたようだ。
だからなのか、高度な遺跡や工芸品を残した割には、アンデスは文字も通貨も持たない社会でもあった。
それでも、前述した紐による「キープ」などの記録・伝達手段があり、物々交換により牧歌的な生活を平和裏に営むことは十分可能だったのだが、残念ながら大掛かりな戦争の仕方を知らず、免疫力も低かったことから、スペイン人が入って来たことであっけなく亡んでしまった。

あらためてアンデスを地図を見てみれば、急峻な地形に押し込められたような地域で、決して生きやすくはない過酷な環境だったと思われるのだが、それでも東のアマゾンの密林や西の海岸沿いの砂漠よりは生存に適した地であり、上下移動すればさまざまな多様性に出会えるという豊かさもあったのだろう。
本展が 国立科学博物館で開催されるというので、こうした地形や気候、植生や原産作物などの部分がかなり詳しい展示なのかと思っていたのだが、生活や宗教観を中心に文字やお金がないといったことなどにもふれ、全体としては東京国立博物館で開かれてもおかしくない文化史的な企画という印象だった。
もっとも、映像展示の後の第2部には ウユニ湖のVRコーナーや発掘の解説があって、このあたりに科学博物館らしい匂いが感じられなくもなかったけれど、この後の巡回先が新潟県立美術館、山梨県立考古博物館、仙台市博物館というところに、本展ならではの特徴がよく表れているように思われた。

2018年01月28日

”本という樹、図書館という森” の踏み跡

(日比谷図書文化館 〜2/18)
日比谷図書文化館の特別展、”DOMANI・明日展 PLUS × 日比谷図書文化館” を見た。
Artists meet Books 本という樹、図書館という森” という副題に誘われたのだが、このコピーはなかなかよく出来ていると思うし、日比谷公園内の図書館の企画として面白い取り組みだったと思う。
とは言っても、展示室内の写真や映像やパラパラマンガも、上階の図書閲覧室に仕掛けられたアートも、私にとってはあまり共感できるものではなかったのだが、出展作家たちが選んだ本が作品リストに掲載され、現物が閲覧できるようになっていたので、思いがけなず懐かしい本たちに出会うことになった。

まず目に飛び込んできたのは バージニア・リー・バートンの 「せいめいのふしぎ」、幼い頃に持っていたのと同じ黄色っぽい正方形の表紙を開けば、地球の生成から生命の誕生、恐竜やマンモスの時代を経て人間の暮らしに至る長い物語が次々に甦って来た。
古代アンデス文明展の後に立ち寄った国立科学博物館の常設展示に既視感があったのもこの本のおかげに違いないし、今あらためて見れば最後の方で紹介される四季それぞれの穏やかな暮らしぶりは、グランマ・モーゼスの描いた世界に近い。

萩原朔太郎の 「のすたるじや」は、詩人自身が二つのレンズを持つカメラで撮った写真を集めたもので、そこに見える波止場や駅やごく普通の通りは、特にどこということもない曖昧なものながら、記憶の底にじっと潜んでいたような懐かしい風景だ。
その他、ピエール・ブーレーズの 「クレーの絵と音楽」は長い間私の書棚の中央あたりに鎮座していたはず、そして 藤原新也の 「全東洋街道」は、社会人になったばかりの多忙な頃に枕元に置き、眠りに落ちるまでの束の間の現実逃避のためにページを繰っていた・・・

hokuto77 at 19:32|PermalinkComments(0)│ │掘り出し物など 

2018年01月27日

鈴木優人と旅するクラシック 《オランダ編》-3

鈴木優人と旅するクラシック 《オランダ編》〜音楽と美術と法学〜(2018年1月9日(火) よみうり大手町ホール)に関し、前回は ハーグ国際刑事裁判所の 尾崎久仁子判事による法学の話で終わってしまったが、美術史家の 尾崎彰宏教授による フェルメールを中心とした話も、楽器の寓意や音楽演奏の場面、画中画の読み解きなどが特に詳しかった。
レンブラントの版画には東インド会社を通じてもたらされた和紙を使ったものがある、モンドリアンの絵のベースにフェルメールがあるのではないかといった話のほか、都市景観図は移民の増加で街のアイデンティティが揺らいでいく中での産物、教会内部の壁面が白々しく描かれているのは宗教改革の影響、曇った白い空の広がりこそがオランダの景観、といった指摘も興味深いものだった。

密度の濃かったトークの締めくくりとして、尾崎久仁子判事は、オランダ独立が承認された1648年のウェストファリア条約により主権国家が外交関係で結ばれるという国際社会の原型が作られ(そこに グロティウスの国際法の貢献もあった)、オランダはこの体制に基づいて海外進出し商業を発展させて平等・自由な社会を作ったとし、尾崎彰宏教授は、人間が新しい真実を作り過去の古典より現在から未来に向けた人間の活動に価値を見い出したのが17世紀のオランダであったと総括した。
つまりは、経済の発展に伴っていち早く新しい市民社会を成熟させた17世紀のオランダが、神や王から市民へという世界史の大きなパラダイムシフトに先駆的役割を果たしたと纏めてしまっていいのかどうか、ついでに思い出しておくと、17世紀オランダは株式会社という経営形態が本格化し、年次決算による損益計算が標準となっていくなど、経営・会計学の分野でも現代に続くシステムが飛躍的に発達した時代であった。

あらためて振り返ればなかなか熱の籠った企画で、鈴木優人氏はゲストのコメントが長引きそうなところを適宜切り上げながら スウェーリンクなどの演奏を挟み込み、後半最初の予定の 「涙のパバーヌ」を飛ばしても最後にアンコールのような形で弾いて切り抜けるなど、さまざまな才能を感じさせる見事な進行ぶりだった。
やる方はかなり大変だったのではないかと思うけれど、次回も大いに期待したいと思う。

hokuto77 at 20:58|PermalinkComments(0)│ │音楽の部屋