2017年08月22日

タイ〜仏の国の輝き-2 身近な仏陀と聖なる森の扉

(東京国立博物館 〜8/27)
”タイ前夜” を扱った第1章が長くなってしまったが、本当のタイ文化は1238年にタイ族がひらいた ”第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国” から始まる。

2体の「仏陀坐像」(スコータイ時代・15世紀 ラームカムヘーン国立博物館)は、ちょっとすましたような穏やかな表情で静かに坐る、いかにもタイの仏像らしいお姿だ。
それは、上座仏教の国ならではのブッダ像というべきか、大乗仏教の我が国や中国のように人々を救ったり教え諭したりといった大きな役割を担うのではなく、向き合う人に静かに寄り添う親密なホトケの姿だなのだろう。
我々日本人にとっての仏教は、大陸から渡ってきた超越的で神秘的な体系であり、その受容が国家的な課題となったり ”鎮護国家” の願いを託されたりといったレベルで論じられ、経文なども抽象的かつ観念的な要素が強く、やや近寄り難い感は否めない。
だから、初めてパーリ語由来の上座仏教の言葉、たとえば 「犀の角のようにただ独り歩め」、「全ての生きとし生けるものに無量の慈しみの心を」 (スッタニパータ)や、「うらみを捨ててこそ鎮まる」、「心をつつしみ己を守れ」 (ダンマパダ)などにふれた時、これが同じ仏教なのか、ブッダの教えとは実はこのように平易で直截的なものだったのかと驚いたことを思い出す。
以前は ”小乗仏教” という呼び方で習った上座仏教の国々では、これらの言葉が個人レベルで自然に受け入れられ、生活の一部として根付いているとしたら、同じ仏教国とは言ってもその心のありようには随分と差異があることになり、それがこうした仏像彫刻の表現にも表れているともいえるのだろう。

仏陀遊行像」(スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来 スコータイ時代・14〜15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館)も、どちらかといえば聖性よりは親しみやすさの方が強い優美な像で、一瞬立ち止まったところのようにも見えるが、こちらが歩き出すとつられて動き出すような感じが新鮮だった。
それにしても、そもそも仏像は中性的に表現されるのが基本のはずで、しかしブッダは王子=男なのだからそのように見えてもいいと思うのだが、このすべらかな像の乳首や太腿には女性的な艶やかさがあって、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた。

第3章 アユタヤー 輝ける交易の都” は、14世紀の半ばから400年にわたり国際交易国家として繁栄したいわば絶頂期を扱うのだが、展示は 「金象」、「金舎利塔」、「玉座模型」といった工芸品が中心で、仏像すらも工芸品のように見えた。
脅威だった隣のアンコール朝は既に衰退し、南シナ海とベンガル湾の通商ルートを抑えて安定していた時期のタイの文化的側面は実はそういうことだったのか、そうではなくて今回はたまたま工芸的な作品しか来なかったのかは分からないが、「三界経」の展示部分で六欲天と八大地獄が紹介されていたところに、時代は違うが平安時代に浄土思想が急速に流布したことなどを重ねて思ったりした。

第4章 シャム 日本人の見た南方の夢” では少し視点を変えて、日本からも商人たちがアユタヤに向かい日本人町を舞台に取引した時代を、「アジア航海図」、「異国渡海朱印状」なので振り返ることができた。

最後の ”第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵” にあった巨大な 「ラーマ2世王作の大扉」(バンコク都ワット・スタット仏堂伝来 ラタナコーシン時代・19世紀 バンコク国立博物館)は、浮彫があまりに稠密で最初に向かい合ったときには何が表現されているのかわからなかったのだが、徐々に目が慣れてくると、植物が複雑に入り組んだところに夥しい動物たちがいる様子が次々に見えてきて、その豊饒な世界に唖然とすることになった。
これが何層かのパーツに分けて作られてから組み合わせたものならあまり驚く必要はないかも知れないが、一枚の大板を表面から彫っていってこのような重層構造にしたとなると、その技量や手数は信じ難いレベルのものだということになる。
ともあれ、第一級王室寺院 ワット・スタットの正面を飾っていたこの扉が表しているのは、ブッダが独り思索を深めた聖なる森の奥深さであり、そこに棲むすべての生きとし生けるものの多様性に違いない。

hokuto77 at 20:03|PermalinkComments(0)東洋古代美術 

2017年08月20日

レオナルド x ミケランジェロ展-4 未完のキリスト

(三菱一号館美術館 〜9/24)
レオナルドとミケランジェロの ”対決” を見てきた本展のフィナーレは ”終章: 肖像画”、ここでも ミケランジェロ・ブオナローティの 「老女の頭部」(1525-1530年頃)は、この大芸術家がどんな時にもどこまでも真面目に物事に取り組む、そんな真摯な人柄を伝えていた。
レオナルドの 「月桂樹の冠をかぶった男性の横顔」(1506-1508年頃)が、しっかりと陰影をつけて描き込まれているのにカリカチュアのように歪んでいるのを見ると、つまるところ レオナルドは、人の顔を見てもそれを形として把握し、恣意的に誇張することで自らの技量を示すことに熱心だったように思われる。
ルネサンスという一時代を画した文化運動の体現者のような レオナルドが、細かな技に走り表面的な面白さを追求していた一方で、マニエリスムへの道を開いたともいわれる ミケランジェロの方が、正面から人間を見つめそこに現れた人格を正攻法で描いていた・・・

”ロンバルディア地方のレオナルド派の画家(ジョヴァンニ・アンブロージョ・デ・プレディス?)”による 「貴婦人の肖像」(1490年頃 ミラノ、アンブロジアーナ美術館)は、けっして凡作だというわけではないが、 ”レオナルドxミケランジェロ展” の最終盤に登場するのにふさわしい作品なのか、そして、この絵における ”レオナルドの介入” とはどのようなものなのか、なんとも疑問の残るクロージングだった。
と思ったら、その先の1階展示室に、本展最大の問題作があった。

ミケランジェロ・ブオナローティ(未完作品、17世紀の彫刻家の手で完成)” というキャプションのついた 「十字架を持つキリスト」(ジュスティニアーニのキリスト、1514-1516年 バッサーノ・ロマーノ、サン・ヴィンチェンツォ修道院付属聖堂)は、ミケランジェロが着手し進めたものの顔の部分に黒い疵が現れたために制作途中で放棄、未完成のまま行方不明となってが2000年に現在の形で ”発見” されたという作品だ。
確かに左頬のあたりに黒い線が入り痛ましいが、それこそが本作の来歴を示す貴重な証拠であり、並みの出来ではない彫像であることも間違いないが、しかしどこまでが ”ミケランジェロ” なのかは悩ましい。

十字架を抱えた男がなんとも悲しげで弱々しく見えるのは、そういう作品なのだから当然のことなのであって、そこはテーマどおりによく出来ているというべきなのだろう。
「復活のキリスト」という見立てもあったらしいが、ギリシャ彫刻のような全裸像ではあっても、そのような明るさや力強さを示す像だとは思われない。
一方、イエス・キリストという人物のイメージよりはやや太めで、体型も姿勢も弛緩している感じは否めず、立ち姿として自然なものではあっても、高貴さや崇高さといったものはあまり感じられない。
また、顔はしっかり彫り込んであるが体躯に比べて小さ過ぎる感じがするし、背面に回ると大雑把な彫りのままで終わっている。

だから、後世の手が入っていることは間違いないのだが、それは ”完成品” として扱われるようにするための最小限度の手入れにとどまっているのだろうか。
そう思いたいところなのだが、大きな像からは微妙な不協和音も聞こえてくるようで、なんとなくすっきりしない感じが残り、基本的な骨格はミケランジェロで表面の仕上げは別人、という単純な話ですむものでもなさそうだ。
絵の具を上に塗り重ねていく絵画と違い、大理石を削っていく彫刻では、どこが後世の手による部分かを科学的に解明することも難しいのであろう。

それにしても、鼻の突起を残して頬のレベルまで彫り進んだところで致命的な疵が出てきてしまうとは、大理石で彫像を作るリスクは意外なところに隠れているものだと思うけれど、さすがの天才もそこまで読み切れるものではなかったということなのか・・・


>ミケランジェロ・ブオナローティの過去記事
システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展―天才の軌跡 (2013年、国立西洋美術館)
  レダの頭部 天地創造 最後の審判 階段の聖母 キリストの磔刑 クレオパトラ 建築とソネット
ミケランジェロ展―ルネサンス建築の至宝 (2016年、汐留ミュージアム)
  ブリュージュの聖母 クマエの巫女と天地創造 絵画と彫刻と建築 図書館、要塞、大聖堂

>レオナルド・ダ・ヴィンチの過去記事
レオナルド・ダ・ヴィンチ、天才の実像 (2007、東京国立博物館) 
ダ・ヴィンチ〜モナ・リザ25の秘密 (2011、日比谷公園) 
レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想 (2012、ザ・ミュージアム) 
レオナルド・ダ・ヴィンチ展〜天才の肖像 (2013、東京都美術館) 
ポルディ・ペッツォーリ美術館-5 盾をもつ戦士

hokuto77 at 19:37|PermalinkComments(0)西洋彫刻 

2017年08月17日

ボストン美術館の至宝-2 陳容の九龍図

(東京都美術館 〜10/9)
徽宗皇帝、馬遠、夏珪と続いた ”2 中国美術” の奥には、周季常の 「五百羅漢図」(南宋、淳熙5年(1178)頃)が出ていた。
これは一幅に5人の羅漢を描き百幅で ”五百羅漢” とするもので、以前見た 狩野一信の「五百羅漢図」全100点のシリーズの原型でもあるのだろう。
本作は 大徳寺に全て所蔵されていた1894年にボストン美術館で展覧会が開かれ、その後に売り立てられたうちの10幅をボストンが購入、これがその後の中国美術収集の端緒となったということなので、その意味でも重要なコレクションだと言える。
展示は2幅のみだったが、登場する羅漢の風貌はかなり個性的で、「観舍利光図」には蝙蝠のような悪鬼が飛び交い、「施財貧者図」には襤褸を着た貧者がうごめくなど、見たことのない空想的な世界が広がっていて、当時のアメリカ人が驚いたという話もよくわかるものだった。

陳容の 「九龍図巻」(南宋、淳祐4年(1244))は、10メートル近い巻物に9頭の龍が躍動する作品。
峡谷から姿を表し、風とともに飛翔し、断崖に体を寄せ、玉を掴み左方を睨む、といった場面が右から左に流れていて、特に左前脚でしっかと玉を掴み大きく口を開ける4番目の龍の姿は迫力のあるものだった。
ここまでは、もしかしたら1頭の龍の異なる姿を時系列で描いたものかとも思ったが、その次は年老いた白髪の龍が右にいる若い龍に教えを授ける場面ということなので、やはりそれぞれ別の9頭の龍の姿ということになろう。
その先では荒れ狂う大波に挑み、再び大空を飛び、そして最期は岩の上で休む姿で終わるが、その悠然たる佇まいは死期を悟っている境地のようにも思われた。

ここに見る9頭の龍の体躯は、固そうな鱗にみっしりと包まれ、特に背筋のギザギザした盛り上がりは刃のような鋭さで、今までイメージしていた龍ないし辰よりかなり硬質な手触り感があった。
荒れ狂う波濤と雲烟の表現も見事なもので、それはさまざまな技法が試されて実現しているようだが、そんな水や雲の湿潤な世界を通り抜けてなお乾いた感じを保っているところも、我々の知る仮名文字の龍ではない、本家本元の漢字の龍だという気がした。

先ほどの老龍と若い龍の対話の場面に戻ると、そもそも龍が年を取るということ自体がやや意外でもあり、一方に未熟な龍がいるというのも面白いが、そうした精神的ステージと角の形にはなにか関連があるのだろうか。
というのも、老いた龍はすでに退化したのか角は見えていない一方で、若い方の頭には鹿の角のように分岐した枝を持つ角が生えていたからだ。
しかしこんな立派な角は修行中と見えるこの若造だけであって、それ以外の龍たちは枝のない真っ直ぐな2本の角をつけているだけだ。
このシンプルな棒状の角が一人前の壮年で現役の龍のしるしなのか、最後の休息する龍の角は同じ形態ながら枯れ木のように傷んできていた・・・
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hokuto77 at 22:33|PermalinkComments(0)東洋絵画 

2017年08月16日

タイ〜仏の国の輝き-1 法輪とスーリヤの軸

(東京国立博物館 〜8/27)
日タイ修好130周年記念特別展 「タイ〜仏の国の輝き〜」は、タイの典型的な仏像群の紹介に留まらない、思っていた以上に変化に富んだ展覧会だった。
タイという国は、アユタヤ朝時代から日本人町を通した交易があり、帝国主義の時代にもアジアでは数少ない植民地にならなかった王国なので、古くから東南アジアの中心的なポジションにいたようなイメージがあるが、この展覧会がまず扱う7世紀頃のこの地域の情勢は、大国であるインドと中国を一応別格とすると、スリランカとクメール族のアンコール朝が繁栄し文化的にも先進的であった。
それらに準じる勢力だったと思われる シュリーヴィジャヤはタイの半島部、現在の地図で言えば象の鼻の部分を含んでいるが、支配範囲はマラッカを経てジャワ島まで及んでいて、インド洋と東の多島海を繋ぐ海洋大国としての性格が強い。

そんな中、現在のタイの中心であるチャオプラヤー・デルタの農村地帯は、豊かな地域ではあったのだろうが政治的には ドヴァーラヴァティーという ”幻の王国” の存在がコインの発掘でようやく確認されたという程度であって、外に対して影響力を発揮する余裕はなく、むしろ周辺からの脅威に晒されていた時期が長かったようだ。
そのあたりの混沌とした時代を扱った ”第1章 タイ前夜 古代の仏教世界” が意外にも面白かったのは、そこにさまざまな勢力が行き来することによって、多様な文化の坩堝となっていたからなのだろう。

法輪」(ウートーン遺跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7世紀 ウートーン国立博物館)は、想像以上に大きく重量感のある石造りの輪で、近くにあった柱や頂板と組み合わせれば周囲を睥睨する迫力だったに違いない。
輪の部分には華麗な彫刻も施され、仏法が広まっていくことを象徴的に表したものとの説明も一応は理解できるのだが、横へ回ると車輪の接地面がこのまま転がしたら地面にめり込んでしまいそうなほど鋭角的なので、むしろ悪を払う武器に近いのではないかとの印象を持った。

少し先の 「舎衛城神変図」(ドヴァーラヴァティー時代・7〜8世紀)という浮彫は、中央のブッダが超人的な能力を発揮しているところをイリュージョン的に表現したもので、異教徒の挑戦を退ける力を期待して制作されたものらしい。
当時のタイの人々にとって、釈迦や仏教がそのような存在だったとすれば、「法輪」に託した思いもまた同じようなものだったのではないか。

本章の後半は、そうしたタイをめぐる東西文化の交流や融合が見て取れる展示となっており、インド風の目鼻立ちのはっきりした 「観音菩薩立像」(スラートターニー県 シュリーヴィジャヤ様式・8〜9世紀)があるかと思えば、「仏陀坐像」(同 6〜7世紀)はボロブドゥールの回廊に並ぶ石像のようだし、少し先の 「観音菩薩立像」(カンチャナブリー県 アンコール時代・12世紀末〜13世紀初)はバイヨン寺院などを建立したジャヤヴァルマン7世の特徴をはっきり伝えるアンコール様式だ。
展覧会冒頭にあった 「ナーガ上の仏陀坐像」(ワット・ウィアン伝来 シュリーヴィジャヤ様式・12世紀末〜13世紀 バンコク国立博物館)も、端正な顔の優品ではあるものの写実的な風貌はタイの仏像らしくないと思ったのだが、カタログ番号ではこの前後となるシュリーヴィジャヤ様式のものだった。

このあたりで一番心に残ったのは 「スーリヤ立像」(ペッチャブーン県シーテープ遺跡ソーンピーノーン仏塔跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7〜8世紀 バンコク国立博物館)、太陽神といいながら随分と身近な感じの像で、立派な髭をたくわえているのに大きな目を見開いた顔は子供のようだし、裸の体躯も幼児のような柔らかさが感じられる。
この素朴でストレートな表現は、インドやアンコールなど周辺諸国の影響や仏教的世界観が浸透してくる以前の、タイ固有の土着的なものではないかと思った。


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hokuto77 at 19:42|PermalinkComments(0)東洋古代美術 

2017年08月14日

不染鉄、聖なる塔と富士と心象風景

(東京ステーションギャラリー 〜8/27)
”後40年 幻の画家 不染鉄 展” は、またひとりのユニークな画家と出会う機会となった。
不染 鉄(ふせん てつ、本名哲治、明治24(1891)〜昭和51(1976)年)は、先に見た 吉田博(1876〜1950)より15年、生き方に共通するところのありそうな 横井弘三(1889〜1965)より2年後輩ということになるが、23歳の時に写生旅行先の伊豆大島に住み着いて3年ほど漁師暮らしをしたり、その後京都市立絵画専門学校に学び高い評価を得ても、画壇を離れて奈良の高校長などをしながら独自の創作を続けたという人柄のせいか、彼らより古風に見える作風の中に土着的な魂が見え隠れしているような気がした。

奈良の風景を描いた作品が多い中で、「薬師寺東塔之図」(昭和45(1970)年頃、星野画廊)は、裳階付きの三重塔が画面中央にくっきりと立ち、春日曼荼羅などの礼拝図に近い趣きがあった。
そこには生涯の大部分を過ごし愛着もひとしおだった土地のシンボルとしての力強さが感じられたが、一方では穏やかな風景の中に溶け込んだ東塔の姿を描いた作品もあり、そういえばこれこそが私が奈良に頻繁に通っていた頃の薬師寺、西の京の風景だったことを思い出した。
その後に金堂や西塔などを次々に再建して往時の威容を甦らせたこと、そしてそれを写経による資金調達で実現したり修学旅行生への解説に力を入れたりといった薬師寺の活動には高く評価すべき面もあるが、東塔一基がその優美な姿を見せるこの風景が失われたことを惜しむ気持ちもまた否定しがたい。

代表作といわれる大作 「山海図絵(伊豆の追憶)」(大正14(1925)年 木下美術館蔵)も、初めに目に入った時は富士参詣曼荼羅図のように見えた。
しかし、画面中ほどの主要部分に近づいてみれば、茅葺き屋根の家の傍らには熟した実を付けた柿の木が立ち、集落が点々とする農村地帯を汽車が通っていくという、典型的な日本の秋の風景が細かく描かれている。
そうした人間の世界が昇華していくように中央に屹立するのは霊峰富士、だがその向うはもう日本海側の光景なのか、身を寄せ合うような家々には雪が降り積もり、一方で画面手前には漁村の様子が詳細に描かれ、その先の海では漁が行われ、そして透明度の高い海の中には群れ泳ぐ魚までが見える。
マクロとミクロの目を自在に使い分けて、ひとつの画面の中に山と海、秋と冬、農村と漁村、太平洋と日本海までを描き込んだこの作品は、ここにニッポンの全てがあるという感じがするが、制作動機はいったいどのようなものだったのだろう。

この2点を含む ”第3章 聖なる塔・富士” が、不染鉄の画業の中心になると思われるが、その前の ”第1章 郷愁の家” には朦朧体で描いた四季折々の風景があり、「生い立ちの記」という4点の小さな画面には丁寧な字で素直な文章が書き込まれていて、独特の作風や数奇な生涯にもかかわらず、人柄そのものは穏やかな常識人だったように思われた。
”第2章 憧憬の山水” は、主に伊豆大島と奈良、そして信州の山岳風景をとおして南画風の風景画がさまざまに試されていた。
”第4章 孤高の海” には波の表現の違いによって様相を異にする多彩な海が見られたが、蓬莱山らしい孤島を取り囲み波が打ち寄せる 「南海之図」昭和30(1955)年頃、愛知県美術館蔵)には特に凄味と迫力を感じた。

ここまでの 不染鉄による富士山や塔や海景の絵は、もちろん単なる風景画に留まるものではないが、最後の ”第5章 回想の風景” にはさらに象徴性を帯びたような作品があった。
廃船」(昭和44(1969)年頃 京都国立近代美術館蔵)は、役立たずとなって朽ちていくだけの巨大な船体が画面奥の方に横たわり、手前の集落では火災が発生しているのに誰かが気付く気配は感じられないという、終末の世界のように絶望的なもの哀しい風景だ。

一方、「落葉浄土」(昭和49(1974)年頃、奈良県立美術館蔵)には救いがある。
画面中央の山寺のお堂の中にはご本尊や守護神たち、山門辺りには仁王や六地蔵も見えるのだが、それは仏像彫刻がそこにあるというのではなく、本当にそうした仏たちがそれぞれの持ち場でお勤めに励まれているところのようだ。
左の庫裡では師と弟子が静かに向かい合い、そうしたお寺の営みを傍らの大きな銀杏の樹が見下ろし、その全体をおだやかな山々が懐に抱くように包んでいる。
落葉散る晩秋の薄暗い風景ではあるが、そこには思いがけないあたたかさがありやすらぎが感じられた。

hokuto77 at 21:12|PermalinkComments(0)日本絵画(近現代) 

2017年08月12日

アルチンボルド展-5 強烈なる諷刺の系譜

(西洋美術館 〜9/24)
VI. 職業絵とカリカチュアの誕生
本章では第1章に続いて レオナルド作品が再登場、カリカチュアはこの ”天才” に淵源があるということなのか、レオナルド・ダ・ヴィンチの真筆らしき 「グロテスクなふたつの動物の頭部」(ウィンザー城、イギリス王室コレクション)はまだ抑制が効いているものの、”レオナルド・ダ・ヴィンチにもとづく” というグロテスクな頭部を描いた一連の作品には悪意すら感じられる。
こうして顔のパーツや表情を誇張して醜く描くことと、その形を職業などの属性に合ったもので構成することの間には随分と距離があるのではないかと思うが、”顔” を素材に何をしてもいい、というレールを引き始めたのがレ オナルドだということなら、そこに アルチンボルドの登場を促した先駆者としての功績を認めるに吝かではない。

それにしても、アルチンボルドの 「法律家」 (1566年 ストックホルム国立美術館)は辛辣だ。
遠目には醜い肖像画のように見えるだけなのに、少し近づくと顔に蛙がへばりついているのかと思い、さらに近寄って見ると、その顔自体が羽根をむしられた鳥と魚たちで出来ていることに気づき、愕然とさせられる。
こんなふうに描かれた行政官はどれほどの悪人だったのか、彼に対するあからさまな敵対心がなければ描けない絵であり、、そしてそれがある程度まで共通のものになっていなければ発表できない絵であることは確かだろう。

司書」(スコークロステル城)は以前も来日した作品だが、眼のパーツが左右対称ではないところが面白く、「四季」や 「四大元素」などの横顔よりハードルを上げて見事に解決している。
これも、「法律家」ほどの悪意はないにしても決して好意的なものではないので、当時のハプスブルク宮廷には困った人たちが多かったということでもあるのだろう。
アルチンボルドがもし今も生きていたら、およそ真実や本心を語っているとは思えない厚顔な政治家や官僚たちを、いったいどんなふうに描くことになるだろうか。

ソムリエ(ウェイター)」(1574年 大阪新美術館建設準備室)は、三枚の ”職業絵” の中では一番毒がない。
だからその分インパクトが弱いのか、やはりカリカチュアは批判精神の強さが必要条件なのだということに違いない。

hokuto77 at 20:04|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年08月10日

ベルギー奇想の系譜-2 ボスの追随者とブリューゲル

(ザ・ミュージアム 〜9/24)
ヒエロニムス・ボス工房の 「トゥヌグダルスの幻視」を中心に三章構成で500年のベルギー絵画史を ”奇想” の切り口で見て行くこの展覧会は、”I 15―17世紀のフランドル美術” から始まる。
ボス派=ヒエロニムス・ボスの追随者たちによる初めの方の3枚は、ヘントの聖ヒエロニムス、リスボンの聖アントニウス、プラドの聖アントニウスからそれぞれにアイディアをもらい発展させたという印象で、ヒエロニムス・ボスの影響力の大きさをあらためて感じさせられた。
そこに豊満な裸女やクジラのような舟を登場させたりといった工夫もみられるのだが、それで絵がよくなっているわけではない。

そうした中で、ヤン・マンデインの 「聖クリストフォロス」(制作年不詳、ド・ヨンケール画廊蔵)は独創的な部分がよい効果を生んでいて、新たな世界に一歩踏み込んだものと言えそうだ。
右に見える老女の頭の形をした娼館、その中に広がる地獄、左で行われているいかさま賭博、そして夥しい怪物たちが跋扈するといった要素はもちろんボスのものであるが、そんな世界の中で、中央の聖人とイエスは取り残されたように孤独感を漂わせている。
そして、その全体を包むのは現実離れしたシュールな世界、遠景中央の島は想像上の要塞のようであり、空は嵐がやってくる前触れなのか、独特の色使いによる日常性を超えた風景は、現代のシュルレアリスト(たとえば古賀春江)に通じる斬新さで、ボスの真似だけでは描けない個性が感じられた。

その先には版画が何点かあったが、先に見た ”ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル 「バベルの塔」展” とほとんど重複した図柄を、ロッテルダムではなくブリュッセルやアントウェルペン、パリや鎌倉などから集めてきていた。
もちろんこの二つの展覧会は全く別の企画として準備が進められたはずで、宇都宮からの巡回が3月9日に始まっているこちらの方が日本上陸は若干早かったのかもしれないが、結果としてほぼ同時期にかち合うことになったについては主催者も驚いたのではないか。
ブリューゲルの版画も同様、本当は一年くらい間が空いて再会した方が有難味があったかとも思うが、ボスの 「愚者の石の切除」に似た作品でバベルの塔展では 「石の切除」(71559年)と紹介されていた作品が、本展では 「マレヘムの魔女」というタイトルになっていたなどという ”発見” もあった。

少し先の ダーフィット・テニールス(子) 「聖パウロを訪ねる聖アントニウス」は、90歳のアントニウスが113歳のパウロを訪ね当てた場面で、二人の老人は穏やかな光に包まれて座り親密に語り合っているようだ。
こんな出会いはあり得ないではないか、などと無粋に突っ込まず、二人分のパンをくわえて飛んで来るカラスにも特に注目しなければ、特に ”奇想” と呼ぶ必要性を感じないほどの、それは美しくあたたかみのある絵だった。


>ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル 「バベルの塔」 展 (2017、東京都美術館)
ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画
ブリューゲルの版画 バベルの塔という企て 二つの未完の塔 ”正義” が崩れゆくとき
16世紀の聖像と祈念図 多様化する絵画世界 ボス、新たなベスト18

hokuto77 at 19:37|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年08月09日

吉田博展-2 移りゆく画題と多彩な作風

(損保ジャパン 〜8/27、展示替えあり)
本展で思いがけず引き込まれることになった 吉田博だが、これまでに彼の作品を見たことがあったのか、本ブログ内を検索してみたところ、辛うじて神楽坂風景が心にとまったみたいだ。
その他では、東京国立博物館で見た 「精華」という、数頭のライオンが寝そべるすぐ前の岩に全裸の若い女が腰かけて手を差し出している絵が吉田博のものらしい。
”美女と野獣” の組み合わせで、まずあり得ない場面の緊張感に妙に胸騒ぎがしたことは覚えているし、ヌード画としては美しく達者な腕前だとは思ったが、絵画としては失礼ながらあまりいい印象をもつことが出来なかったような気がする。
油彩で157.6cm×270cmという大判のこの作品は、1909年というから 黒田清輝の 「智・感・情」」(1899=明治32年)より10年後なので、もう裸体画論争は決着していたのか、あるいは黒田への長年の対抗心が描かせたのか、そして今回の展覧会では見当たらなかったが他にこれに似た作品はあるのか、といったことが気になった。

ともかくも、吉田博はその生涯の中で、外的要因によって題材や作風を大きく変えている。
季節感あふれる日本の農村風景に始まり、アメリカで成功してヨーロッパに回る中で各地の風景を描き、第一次大戦で渡航が難しくなると国内の山岳風景に没頭する時期があり、そして昭和初期にはインドと東南アジアへの旅に出る。

第五章 新たな画題を求めて:1930-1937” には、このアジア旅行に取材した作品が並んでいて、ヒマラヤを望むダージリンやタージマハルなどが分かりやすいところだが、印象的だったのは光の効果を上手く捉えた2枚の作品だった。
ベナレスのガット」(昭和6年、木版)は、ヒンズー教徒の聖地ヴァラナシのガート(沐浴場)を舟の上から見た光景で、ガンジス河岸で沐浴する人々のゆるやかな動きと、そこから広がる水面の波紋の表現も好ましいが、対岸から昇ってくる朝日を正面に受けて赤茶色の建物が燃えるように輝いている様は神々しいほどだった。
一方、「フワテプールシクリ」(同)はアグラ近郊のファテープル・シークリーというイスラム建築の室内の様子だが、屋外の強烈な陽射しが幾何学模様の網目を通して入ってくることで徐々にやわらぎ、蔀戸の中のように光と闇の中間でほんのりと明るい空間となっている雰囲気がよく表現されていた。

第六章 戦中と戦後:1938-1950” に入ると、60歳を過ぎた従軍画家として戦地へ赴いた吉田博によって、これまでとは全く違う世界に導かれる。
基本的には軍部の意向に沿った記録的な作品を残したものと思われるが、驚くのは 「急降下爆撃」と 「空中戦闘」(昭和16年、油彩)という2枚の大作だ。
それはパイロットの目から見た空中戦の様子が描かれたもので、戦闘機に搭乗してみなければ絶対に描けない光景に違いなく、おそらく訓練などの場面で同乗させてもあったことはあったのだろう。
それでも素人の老人を乗せて急降下や旋回をしたはずもないから、わずかな疑似体験や聞いた話、写真やスケッチをもとに再構成したものと思われるけれど、ある程度の実体験とその時に網膜に焼き付けられた残像、そして何よりも新鮮な驚きがなければ出せない迫力だ。
これらも戦争画というジャンルに分類されるとは思うが、好戦的でも迎合的でもなく、高いところ好きの男の純粋な悦びと、それを描かずにはいられない画家の本能による作品と理解しておきたい。

そしておそらく最後の完成作品と考えられている 「初秋」(昭和22年、油彩)は、これまでの遍歴の全てを総括するような、純日本的な田園風景だった。
どこにもあるような、だからこそ日本の原風景のような農村と山々、ダイアナ妃やフロイトに愛され、マッカーサーも知っていたという 吉田博は、日本人よりも外国人を惹きつけるものを持っていたように思えるが、戦後の荒廃の中で人生の最終盤に取り組んだのが、こうした穏やかな日本風景だったところは興味深い。

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2017年08月07日

レオナルド x ミケランジェロ展-3 異種格闘技

(三菱一号館美術館 〜9/24)
前回はほとんど脱線で終わってしまったので本筋に戻ると、本展は レオナルドと ミケランジェロの 素描を、”序章:レオナルドとミケランジェロ─そして素描の力” に続き、”I. 顔貌表現”、”II. 絵画と彫刻:パラゴーネ”、”III. 人体表現”、”IV. 馬と建築”、”V. レダと白鳥”、”VI. 手稿と手紙”、”終章:肖像画” という各ジャンルで ”対決” させている。

”III. 人体表現” には、この二人が現実に ”対決” することとなったフィレンツェ政庁舎(ヴェッキオ宮殿)大会議室(五百人大広間)のために レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた 「〈アンギアーリの戦い〉のための裸体人物とその他の人物習作」(1506-1508年頃 トリノ、王立図書館)があった。
しかしこれを見る限りは、せっかくの勝負が成立しなかったのは後世の野次馬として残念なことだが、レオナルドにとっては幸運だったのかもしれず、そもそも23歳も年下の ”彫刻家” と壁画の競作をすることなど端から不本意だったのではないか。

ミケランジェロ・ブオナローティの 「〈イサクの犠牲〉のための習作」(1535年頃、カーサ・ブオナローティ)は、彫刻レリーフのための素描なのだそうだが、これを見ると天才ミケランジェロにも試行錯誤はあったことがよくわかる。
しかし、裏面の少しポーズの違う反転した像は、少し前に新発見され今回は貴重な展示ということなのだが、これは意味不明だ。自作を紙の裏からなぞるという行為は大芸術家にとってナンセンスなことに違いなく、輪郭線も弱々しく収まりが悪いので、これは別人の引いた線と見るべきではないか。

同じように両面展示されていた 「〈復活のキリスト〉のための習作」(1532-1533年頃)にも試行錯誤の跡は顕著で、あのミケランジェロもこんなに迷ったのかとの思いをあらためて強くするととともに、同じ ”習作” といいながら冒頭にあった 「〈レダと白鳥〉の頭部のための習作」との出来栄えの落差の方も気になってくる。
おそらく本章の方はモデルを前にしてのものではなく、まずモデルなしで頭の中のイメージを紙に落とすという、制作過程全体の中での最初期の段階のものなのであろう。
そのようにして構成要素を吟味し、ある程度まで構想を固めてからモデルを使っての制作に入ることによって、序章のような完成度に近づく ”習作” が生まれたに違いない。

”IV. 馬と建築” ではレオナルドの馬への傾倒ぶりが分かるが、こんなものにエネルギーを費やした真意は測りかねる。

”V. レダと白鳥” は、以前もコピー作品同士による比較展示があったが、今回出てきているのはそれぞれ別の作品のようだ。
メルツィの作品の可能性があるという、レオナルド・ダ・ヴィンチに基づくレダと白鳥」(1505-10年頃 ウフィツィ美術館)は、裸の女の立ち姿は眼を引くもののあまりに通俗的で、これでは親方のオリジナルがどの程度の品格を備えていたのか全く見当がつかない。
フランチェスコ・ブリーナ(帰属)の 「レダと白鳥(失われたミケランジェロ作品に基づく)」(1575年頃 カーサ・ブオナローティ)もやはり通俗的な印象で、解剖学的にも無理がありそうだし、そもそも女性的な官能の魅力を感じ難いのだが、それでも絵として堅固な感じがするのは、オリジナルの骨組みがしっかりしているからなのだろう。

”VI. 手稿と手紙” には例によってレオナルドの珍妙な設計図が多かったが、「大鎌を装備した戦車の二つの案」(1485年頃)などはどこまで真面目だったのか見当もつかず、余興のお笑いコーナーのようなものとみるべきであろう。
それよりも、ミケランジェロの 「十四行詩(ソネット ”私にはわかりません、…待ち焦がれた光なのか” )」(1533年8月)は、内容は残念ながらよく分からなかったものの、一枚の紙の上に構成された ”書” として美しく心地よいものだった。


>ミケランジェロ・ブオナローティの過去記事
システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展―天才の軌跡 (2013年、国立西洋美術館)
  レダの頭部 天地創造 最後の審判 階段の聖母 キリストの磔刑 クレオパトラ 建築とソネット
ミケランジェロ展―ルネサンス建築の至宝 (2016年、汐留ミュージアム)
  ブリュージュの聖母 クマエの巫女と天地創造 絵画と彫刻と建築 図書館、要塞、大聖堂

>レオナルド・ダ・ヴィンチの過去記事
レオナルド・ダ・ヴィンチ、天才の実像 (2007、東京国立博物館) 
ダ・ヴィンチ〜モナ・リザ25の秘密 (2011、日比谷公園) 
レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想 (2012、ザ・ミュージアム) 
レオナルド・ダ・ヴィンチ展〜天才の肖像 (2013、東京都美術館) 
ポルディ・ペッツォーリ美術館-5 盾をもつ戦士

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年08月05日

ボストン美術館の至宝-1 徽宗の五色鸚鵡図巻

(東京都美術館 〜10/9)
ゴッホを看板に古代エジプトから現代アートに及ぶ幅の広い ”ボストン美術館の至宝展-東西の名品、珠玉のコレクション” 展、その中で一番注目することになったのは ”2 中国美術” のコーナーだった。

徽宗筆 「五色鸚鵡図巻」(北宋、1110年代頃)は、大きな巻物の右側部分の ”” の立派なことにまず驚かされた。
北宋の皇帝の書らしく繊細で丁寧な文字ではあるが、伸びやかな墨の線には張りも勢いもあって、そこに弱さや線の細さを感じるということはない。
ひとつひとつの文字の形や筆さばきも、文字列となった全体のバランスやリズムにも、水準をはるかに超える美的センスと集中力の高さを感じさせられた。

左側の木の枝にとまる鸚鵡の絵も、穏やかな雰囲気の中に高貴な品格の漂うものだった。
横向きで枝をしっかりとつかむ 鸚鵡(ズグロゴシキインコ)は、揺るぎない凛とした姿勢で尾の先まで緊張感を感じさせ、羽毛のそれぞれの部分の色の付き方や肌触りが分かりそうなほど、細やかな筆で緻密に描き込まれている。
この鳥が協奏曲のソリストだとすると、オーケストラにあたるのが 杏樹ということになるが、その枝ぶりも花のつき方も絶妙だとしか言いようがない。
一見するとぼやけた感じがしないでもないのだが、近寄って覗き込んでみると、淡い色の花は匂い立つばかりにふくよかに咲き、そして開いた花の後に芽吹こうとしている若い葉の緑が、枝のあちこちを微かにふくらませながら顔を出している。
それは単に鳥をとまらせるという付随的な役割を担うだけでなく、生命力の息吹や季節の移ろいを感じさせるものであって、その豊かでニュアンスに富んだ響きに包まれて、一羽の鸚鵡の存在感がくっきりと浮かび上がってきていた。

この 「五色鸚鵡図巻」は、徽宗の代表作とされる 「桃鳩図」の華やかさや装飾性とはやや趣を異にするように思われるのだが、そもそも ”徽宗筆” とされる画家が一人かどうかも定かではないのかもしれす、ともかくも ”徽宗ブランド” の中核に位置付けられるべき名品であろう。
書と絵から成る本作は、開封の宮廷に南方から献上された鸚鵡を、徽宗皇帝以下の高官たち一同が愛でている中で書かれたものだということなので、その場の気分の盛り上がりはよくわかるし、優雅でまことに結構なことだとは思う。
しかし、一国を率いる立場としては時間も手間もかけ過ぎであり、こんなことをしているから国運が傾いて、異民族に征服されることになってしまったという面も否定できないだろう。
それでも、北宋王朝がこの後に何年か続いていくよりも、こうした作品を残したうえで南の江南の地に移り、また別の花を咲かせたことの方が結果としてよかったのかもしれず、それこそがまさに歴史の必然だったのだという気もする・・・


馬遠の 「柳岸遠山図」(南宋、12世紀末期)は、団扇型の小さな空間の右下の岸辺に柳が立ち、川には小さな橋がかかり、その向こうは山々が連なっているという風景だ。
その ”馬の一角” から立ちあがる柳の木の枝は、異次元空間から来たのではないかと思うように妖艶な曲線を見せていて、人知の及ばない悠久の世界に誘うかのようだった。

夏珪の 「風雨舟行図」(南宋、淳熙16 –紹熙5年(1189 – 94)頃)は、風雨に翻弄される手前の木々の固まりと、はるか遠くに霞む山の間に茫漠とした水面が広がり、そこに一艘の舟がはかなげに浮かんでいる。
その簡素な舟は、団扇の形の画面左端に辛うじて収まるほど端の方にあって、そこに風雨がどの程度及んでいるのか分からないが、寄る辺のない天涯孤独の境遇を思わせる寂寥感が漂っていた。


>”徽宗” 関連記事
桃鳩図」 (国宝、北宋時代・大観元年(1107)款)
渓山秋色図軸」 (台北國立故宮博物院)
祥龍石図巻」 (北京故宮博物院)
秋景山水・冬景山水図」 (金地院)
鴨図」 (五島美術館)

hokuto77 at 22:43|PermalinkComments(0)東洋絵画 

2017年08月03日

アルチンボルド展-4 驚異の世界の背景

(西洋美術館 〜9/24)
今回の アルチンボルド展の見どころとしては、もちろん2つの連作が四方に架けられた中央の部屋が突出しているけれど、レオナルド・ダ・ヴィンチとの関係が示唆されていたところも興味深かったので、そのあたりに留意しながら全体をふり返っておきたい。

I. アルチンボルドとミラノ
冒頭の単体作品 「四季」(1590年頃 ワシントン、ナショナル・ギャラリー)を見て、いつもとは違うルートで右の階段を下りていくと、2枚の自画像があった。
自画像」(プラハ国立美術館)は、意思の強そうな風貌が正面からしっかりと描けている正統的なものだが、その右の 「紙の自画像(紙の男)」(1587年 ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館ロッソ宮)の方は、遠目には同じようなデッサンに見えるのに、近付けば紙細工で出来ていることに気付かされるような、アルチンボルドらしい自画像だった。

その先には レオナルド・ダ・ヴィンチの 「植物の習作」(1505-10年頃 ウィンザー城、イギリス王室コレクション)と 「鼻のつぶれた禿頭の太った男の横顔」(1485-90年 同)があり、さらに ”レオナルド・ダ・ヴィンチにもとづく” という 「3つのカリカチュア」(ロンドン、大英博物館)で、いくぶんか誇張された顔に出会う。
このあたりは、まず対象物をしっかりと見つめ、それをありのままに紙の上に移す、というところから始めながらも、それを自身の世界観に従って再構築する、というレオナルドの厳格な方法論が感じられるところだが、さらにここでは、さまざまな要素から成る人間の顔というものが探求されており、微調整により思わぬ効果を生む ”形” としての顔の発見ともいうべきことが起こっているようだった。

II. ハプスブルク宮廷
本章ではアルチンボルドが36歳から61歳まで働き盛りの25年を過ごした ハプスブルク宮廷が紹介される。
彼は、カール5世によってスペインと2分割されたオーストリア・ハプスブルク宮廷の最初の三代の皇帝、すなわちフェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世に仕えたわけだが、その皇女たちを描いた ”ジュゼッペ・アルチンボルドに帰属” という3枚の肖像画は、その性質上画家の個性を発揮するようなものものではないためか、それほどの非凡さを感じさせる作品ではなかった。
これだけなら、その他大勢の宮廷画家のひとりとして終わってしまってもおかしくないところだが、それでも 「マクシミリアン2世の娘、皇女アンナ」(1563年頃 ウィーン美術史美術館)には、はにかむ少女の一瞬の表情が捉えられていた。

ここから階段を上ったところがメインとなる 「四季と 「四大元素の部屋となり、その先には宮廷画家としての仕事として 「ルドルフ2世に献じられた馬上試合の装飾デザイン集」(1585年 フィレンツェ、ウフィツィ美術館)があった。

III. 自然描写
ここの ”ジュゼッペ・アルチンボルドの追随者” による 「」(ブリュッセル王立美術館)は、以前来日した作品だと思うが、このレベルであれば ”モノ好きな画家の奇妙な絵” 以上のものではない。
オリジナルを写す手腕には一応感心しつつも、これではお遊びの一種であって芸術絵画と呼ぶわけにはいかず、しかしそこから逆に、アルチンボルド固有の ”高さ” を思い知らされるようだ。
ただひとつ釈然としないのは、ウィーンのものと比べて明らかな変更があることで、これは普通の複製画家には許されないことだと思うのだが、いったいどんな事情によるものなのか・・・

IV. 自然の奇跡
前章との間に ”クンストカンマー=芸術と驚異の部屋” を説明するパネルがあった。
世界中の珍品を集めたその部屋は、単に収集癖を満足させるオタク部屋というだけではなく、次々に発見され拡大していく世界の隅々から目新しいものを取り寄せることで、被造物のすそ野の広がりを実感し、それによって世界を把握したという確信を持つために威力を発揮したのであろう。
皇帝にとっては、世の中にはこんな珍しいものがある、それはもちろんオレんとこのコレクションの中にある、と言えることが何よりの悦びであり、それを紙やカンバスの上に定着させることのできた画家もまた重宝されたに違いない。

V. 寄せ絵
本章の 「男根による頭部」や 「擬人化された風景」などは、一見するとアルチンボルドと同工異曲の作品に見えるが、レベルが違い過ぎて同列には論じられない。
ただ、聖像破壊が行われている混沌とした風景が凝縮されて醜い僧の頭になっている ”マルクス・ヘーラート(父)に帰属” の 「聖像破壊の寓意」(1566-68年頃 ロンドン、大英博物館)は、大変な労力をかけて制作された激しい教会批判の図だった。

hokuto77 at 20:56|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年08月02日

能 「山姥」-2 仏教世界と民話とアニミズム

能 「山姥がようやく 〈クセ〉 に入ると、山姥の語りはそれまでの自然賛歌から一歩踏み出し、「法性峯聳えては、上求菩提を顕し、無明谷深きよそほいは、下化衆生を表して金輪際に及べり」と、仏教的な際限のない世界へと入っていく。
そうなると、「そもそも山姥は、生所も知らず宿もなし、ただ雲水を便りにて、至らぬ山の奥もなし」は、大自然と一体となった神秘的存在というだけでなく、修行して一層の高みに上るという感じが強まり、「然れば人問にあらずとて、隔つる雲の身を変へ、仮に自性を変化して、一念化性の鬼女となつて、目前に来れども、邪正一如と見る時は、色即是空そのままに、仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり、仏あれば衆生あり・・・」と、仏法に繋がる無限とか空といった絶対的世界を感じさせるようになる。
このあたりは漢文的でリズムのよい対句表現が連続する美しい部分だが、それは相反する二項の対立ということではなく、その全てを含み込んだ仏教的世界観の壮大さを示していると考えていいと思う。

ところが、これに続く 「衆生あれば山姥もあり、柳は緑、花は紅の色々・・・」からは一転して人間界との接点を語り、樵の荷に肩を貸したり機織りの娘の手伝いをしたりすることもあるのだなどと、意外に人懐っこい面を垣間見せる。
しかも、こうした話を都に帰って話して欲しいなどといい出すに至っては、もしかしたら自己顕示欲の強い寂しがり屋なのではないのかとも思ってしまう。
しかし、このあたりで再び立ち上がり、持ち替えていた扇子から登場した時の鹿背杖に戻り、太鼓も入って 「あしびきの山廻り」の 〈立廻り〉 となると、「一樹の蔭一河の流れ、皆これ他生の縁ぞかし」と格調の高さを取り戻し、山々が連なる雄大な世界を渡り歩いていく。

もちろん実際のところは三間四方の舞台をほとんど摺り足で回っているだけなのだが、そこに巨人の歩みのようなスケール感を感じさせるところが、”能” という舞台芸術の大きな特徴であり、また シテ=野村四郎の名人芸というものなのだろう。
そして、「春は梢に咲くかと待ちし、花を尋ねて、山廻り。秋はさやけき影を尋ねて、月見る方にと、山廻り。冬は冴え行く時雨の雲の、雪を誘ひて、山廻り」という美しい詞章を聞く間に、山姥の怪しさや不気味さはどこかに霧消してしまい、すっかり心を許し惚れ惚れとその姿を見つめながら、去って行くのを惜しむ心境になっている。

廻り廻りて輪廻を離れぬ、妄執の雲の、塵積もつて、山姥となれる、鬼女が有様、見るや見るやと、峯に翔り、谷に響きて今までここに、あるよと見えしが山また山に、山廻り、山また山に、山廻りして、行方も知らず、なりにけり
こうして一期一会の得難い時間が終わり、山姥が杖を突いて幕の中に入っていくのを見送っていると、やはり ”山姥” というのは、日本古来の自然信仰やアニミズムをベースに、仏教的世界観や民話的なエピソードなどを加えたもので、捉えどころがないほどにさまざまな要素を持ちつつも、つまるところは自然への畏怖を一つの形に昇華させた壮大な物語であるという感を強く持った。

hokuto77 at 19:05|PermalinkComments(0)音楽の部屋 

2017年07月31日

吉田博展-1 山と水の風景の紆余曲折

(損保ジャパン 〜8/27、展示替えあり)
”生誕140年 吉田博展 山と水の風景”は、こんな才能を持つ人がいたのかと率直に驚かされる展覧会だった。
吉田博(1876年(明治9年)〜1950年(昭和25年))は、一般的には版画家として知られているようだが、初期の水彩画から油彩を経て木版画という表現に至る創作の過程、黒田清輝ら画壇の主流派に対抗しまず海外で成功したといった人物像が、二つの世界大戦や関東大震災といった時代背景の中でくっきりと浮かび上がってくる展示でもあった。

序章のような ”第一章 不同舎の時代:1894-1899” では、爽やかな 「浅間山」(明治27-32年、水彩)、凛とした 「冬木立」(同、横浜美術館)などに漂う空気感が、瑞々しい感性で捉えられていた。

続く ”第二章 外遊の時代:1900-1906” には、まだ何者でもない画家がアメリカに渡り成功した時期の作品が並ぶ。
街道風景」(明治35年)や 「宮島」は、今見ればこの時代の貴重な記録という感じがするが、当時はこうしたものが外国人にとって珍しくエキゾティックなものに見えたのであろう。
しかし、「」(明治34-36年、水彩)や 「霧の農家」(同、福岡市美術館)などになると、外見的な日本趣味というだけでなく、日本独特の湿潤な空気感を時間とともに移ろう光と大気の中で見事に描き出している。

本章にあった油彩の 「ヴェニスの運河」(明治39年)は、夏目漱石の「三四郎」の中で言及されている作品らしい。
吉田博の画業の中ではそれほど傑出した絵という感じはしないが、当時の日本人の彼の地への憧れを掻き立てるには十分で、ベニスを知っていて語り合うことができるという ”特権” を、美穪子と三四郎にまとわせるのにふさわしい素材となった・・・

第三章 画壇の頂へ:1907-1920” には穂高や槍などの山岳風景やバラを扱った力作が多く並んでいたのだが、ここで最も好ましく思ったのは雪深い山里の水墨画を掛軸にした 「雪景」(大正期か、絹本墨画)だった。
白峯という名の雅号でこの路線を進んでもよかったのではないかと思うくらいだったのだが、この後に 吉田博は版画制作へと大きく舵を切る。

第四章 木版画という新世界:1921-1929” の冒頭の 「明治神宮の神苑(渡邊版)」(大正9年、木版)は、寄付者への記念品という頼まれ仕事だったらしく、前後の作風とは随分と違うがこれが重要な転換点となった。
余談だが、このあたりにあった 「アゼンスの古城」(大正14年、油彩)なる標題の絵は、どう見ても古城ではなくギリシャのパルテノン神殿なので、日本語タイトルが誰の責任なのかは分からないが、「The Ruins of Athens」は 「アテネの遺跡」とすべきであろう。

さて、しばらくは渡邊木版画舗で版画の仕事をしていた吉田は、関東大震災で版木が失われ、再び絵を売りに行ったアメリカで日本版画の人気を知ることになり、浮世絵の亜流ではない本格的、芸術的な版画を作ることを決意する。
その際、彫師や摺師に後を任せてしまうのではなく自ら監修し、時には自分で全工程に関わるという 私家版自刷によって高いクオリティのものを世に送り出したことが画期的だった。
小さな画面ながら充溢する光が印象的な 「瀬戸内海集〜光る海」(大正15年、木版)は、故ダイアナ英国皇太子妃の愛蔵作品でもあり、ケンジントン宮殿内の執務室にもう一点の 「猿澤池」と並んで架けられている写真も紹介されていた。

同じ「瀬戸内海集」の中の 「帆船」(同)は、一組の同じ版木を使いながら摺り色を変えていくことで、朝、午前、午後、霧、夕、夜という6つの作品(別刷)に仕立て上げたものだった。
同じ対象を光線や空気感の違いによって別の味わいを持つ風景画にしているという点で、モネの「ルーアン大聖堂」や「積み藁」シリーズと似た趣向ではあるが、構図や輪郭は全く同じものを使っている分、合理的かつ徹底的な試みといえるかもしれない。

こうした版画の到達点と思われるのが大判で大自然の表現に取り組んだ作品で、「雲海 鳳凰山」(昭和3年、木版)では雲海の向こうの曙光が刻一刻と変えていく空の色が、「渓流」(同、千葉市美術館)では流れ来る水の圧倒的な勢いと量感が、版画とは思えない迫力で迫ってくる。
はっきりした輪郭線がなく色の微妙な諧調が広い画面にわたって続いていくこれらの作品は、版木の数は5〜6枚にもかかわらず色の摺りは30回から多い時は100回近く重ねられているとのことなので、版画らしい特性を生かした作品というよりは、版画という手法でどこまでの表現が可能かという挑戦のようにも思われた。

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2017年07月29日

ベルギー奇想の系譜-1 トゥヌグダルスの幻視

(ザ・ミュージアム 〜9/24)
ヒエロニムス・ボス工房の 「トゥヌグダルスの幻視」(1490-1500年頃、ラサロ・ガルディアーノ財団)、放蕩の騎士が夢の中で見た地獄の様相を描いたというこの作品は、七つの大罪と解釈される要素を網羅的に扱いながら、一つの画面の中に上手く収まっている。
中央に大きな顔、その空洞の目にはネズミがいて、鼻の下の大きな盥には金貨が零れ落ち、その下で水に浸かっている人々はカネの亡者なのか、まさに ”貪欲を絵に描いた” ような様相だ。

この絵は現地で一度見ているのだが、それはプラドで 「快楽の園」など ヒエロニムス・ボスの三つの祭壇画を見た翌日のことであり、またすぐ近くには 「荒野の洗礼者聖ヨハネ」もあったので、相対的にかなり落ちる作品という印象だった。
しかし今回は、追随者たちの亜流作品の後に登場しただけに、それらとは段違いの面白さと充実度を持つ作品として新鮮に感じられ、あらためてボスとの距離の近さを印象付けられることにもなった。

解説によれば、本作品の材質や技法からはボス存命中の同時代作品と推定され、それも同一工房内で制作されたことがほぼ確実視されるようだ。
画面を見た印象からも、ボスのオリジナルをすぐ近くで見て描いたか、親方の指導や助言を受けたか、もしかしたら直接ボスが筆を入れた部分があったかもしれない、という ”正統性” を備えているように思われる。

特にそれを感じるのは、追随作とは一線を画す独創的で緊密な構図であり、絵の中核となる顔と盥の組み合わせや、嘴がそのまま笛になっている鳥が眠る騎士と幻視の世界の橋渡しをしているといった構想は、ボス本人のものと考えていいのではないか。
また、空洞の目が何ごとかを物語り、憂いを湛えたように見える表情、背景の火事の様子や卵の殻のあたりなどの筆致は、ボス作品にかなり接近する水準といっていいものだと思う。

しかし一方で、全体的にシャープさが足りない感じは否めず、細部が曖昧なところも見受けられる。
特に中央手前で邪淫の罰を受けている男、左端で騎士に寄り添う天使、そして頭上の梟などはもう少しなんとかならなかったかっと思う出来映えなので、やはりこの作品は ”工房” 作品にとどまり、ボスの真筆として認められることはないのかもしれない。
それでも、オリジナルをかなり忠実に写しているからこそのクオリティであり、大きく付け加えたり改変したりということのない信頼性の高い一次コピー作品であることは確かだと思うので、オリジナルが発見されるまでの間は、”ボス図像” のカタログに入れておいてもいいのではないかと思った。


<ヒエロニムス・ボス関連記事>
実見作品ランキング 2014 2017
真作に関する議論  2014 2016
ボス紀行(継続中)
1 最後の審判 (ブリュッへ)
2 愚者の舟 (ルーブル)
3 最後の審判 (ウィーン)
4 キリスト架刑、聖ヒエロニムス (ブリュッセル、ヘント)
5 十字架を負うキリスト (ヘント)
6 愚者の石の切除、七つの大罪 (プラド)
7 干草車の祭壇画 (プラド)
8 快楽の園(地上の楽園) (プラド)
9 東方三博士の礼拝 (プラド)
10 聖アントニウスの誘惑 (プラド)
11 荒野の洗礼者ヨハネ (ラザロ・ガルディアーノ)
12 荊冠のキリスト (ロンドン)
13 聖アントニウスの誘惑 (リスボン)

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2017年07月27日

鈴木雅明&BCJ(世俗C)-2 ヴィーダーアウ讃歌

BCJ第124回定期演奏会(2017年 7月17日(月・祝)15:00〜 東京オペラシティ コンサートホール)は、J・S・バッハ世俗カンタータ・シリーズ の終結となるものであった。
鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパンは、1995年から始めた 教会カンタータの全曲演奏を2013年2月の第100回定期演奏会で完結させているので、都合22年で全てのカンタータ演奏が達成されたことになる。

その記念すべき演奏会の最後に登場したのは 「たのしきヴィーダーアウよ」 BWV 30a、これは先の教会カンタータ・シリーズが完結となった第100回定期演奏会で採り上げられた ”カンタータ第30番 「喜べ、贖われた者たちの群よ」 BWV 30” に転用された原曲なので、ほとんど同じ曲が記念すべきプロジェクトそれぞれのフィナーレを飾ったことになるのだが、それはどのような深謀遠慮によるものなのだろう。
実は、教会カンタータとしてBWV 30を聴いた時は戸惑いが大きく、不遜にもこの曲にあまりいい印象を持たなかったのだが、世俗カンタータとして作られた当初の形で聞いてみて、やはりオリジナルの良さというものを強く感じることとなった。

この曲は、ライプツィヒの南西にある ヴィーダーアウという荘園の領主に就任したヘニッケ(ザクセン選帝侯国宰相ブリュールの家臣)を表敬するために作られた音楽劇で、4人のソリストが擬人化された「時」、「幸福」、「エルスター川」、「運命」を演ずるという、世俗カンタータならではの楽しい趣向の作品だ。
特色あるシンコペーションの出だしも、新領主を持ち上げる祝典の場の序曲としてふさわしく、続く舞曲的で歌謡的でもあるアリアも、舞台で一生懸命な役者の姿が見えるようで全く違和感がない。

まずはバスが領主を讃え、アルトの 「幸福」が自己陶酔のような歌を歌い、再びバスの 「運命」が揺るぎない支持を表明する。
ソプラノの 「」が聞かせる早いテンポで緊張感ある歌は、居合わせた人々に移ろう時の宿命を感じさせ、ドラマティックな展開の中で今あることの奇跡に思いを誘ったのではないか。
最後に登場するテノールの 「エルスター川」は、そこに生きる農民たちを含めたその土地を代表する立場なのであろう、ヴィーダーアウを讃え一層の繁栄を呼びかけ、全員がそれに呼応するように合唱して華やかに終わる。

以下は罰当たりな発言と承知してのことだが、この作品はそれほど深い内容を持つというわけではないものの、変わり映えのしない教会カンタータの歌詞より変化があって分かりやすく、露骨な領主賛美であるとしても配役や展開にそれなりの工夫が見え、曲もその要請に完璧に応えて場を盛り上げたのだろう。
この BWV 30a が教会カンタータ第30番 「喜べ、贖われた者たちの群よ」(または「喜べ、救われし群れよ」) BWV 30” に転用されたのも、一回でお蔵入りにするには惜しい出来映えだったからに違いないが、やはりこの曲の持ち味は ”世俗” の方でこそよく生きるものだと思う。
バッハの ”世俗カンタータ” といえば、「農民」、「狩り」、「コーヒー」、「結婚」といったところが有名だが、それはおそらくこの 「たのしきヴィーダーアウよ」が教会カンタータに転用されたことで正統性を失ってしまったように扱われたからで、もし単独で残されていたら ”世俗カンタータの名作” という栄誉に浴したのではないか。


<鈴木雅明&BCJの過去記事>
J. S. バッハの教会カンタータ (2013)  
J. S. バッハの世俗カンタータ (2017)  、2
青山学院レクチャーコンサート 20112016
鈴木雅明 & 若松夏美 in 深大寺本堂 2016
17世紀初期イタリアのオルガンとアンサンブル 2008
ジュネーブ詩篇歌を巡って 2006
支倉常長と音楽の旅 (2007) 
天正少年使節と音楽の旅 (2006) 

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2017年07月26日

Index Apr.-Jun., 2017

ムットーニ・パラダイス (世田谷文学館) 
ランス美術館展 (損保ジャパン) 
ソール・ライター (ザ・ミュージアム) 
源氏物語絵巻 (五島美術館) 
雪村 (藝大) 
滝平二郎 (三鷹市美術ギャラリー) 
バベルの塔展 (東京都美術館) 10
西大寺展 (三井記念美術館) 
茶の湯展 (東京国立博物館) 
大エルミタージュ美術館展 (六本木ヒルズ) 

能 「半蔀」 
ボブ・ディラン、受賞講演と文学賞的ベストテン 
中世音楽合唱団、つのだたかし 
ガブリエル・フォーレと弟子達 
鈴木雅明、BCJのレクチャーコンサート 
幸田浩子&加藤昌則、Cafe ウィーン 
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日) 
狂言の会 「二人袴」「咲嘩」「首引」  
アンヌ・ケフェレックのモーツァルト 
仲道郁代、3台ピアノの響きとともに 
「バベルの塔」展コンサート 
靖国神社 夜桜能 

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2017年07月24日

レオナルド x ミケランジェロ展-2 彫刻と絵画

(三菱一号館美術館 〜9/24)
今回の ”レオナルドxミケランジェロ展”は、単なる二人展ではなく、”〜とその時代” といったものでもなく、”宿命の対決!” という副題をつけてライバルとしての対立を煽っているようなところがある。
それは、壁面で紹介されている二人の言葉でも明らかだ。

その中で、絵画と彫刻の優劣を論じているところがあり、レオナルドは ”平面上に立体を表現できるから絵画の方が上” だという趣旨を述べたらしいのだが、これでは議論の次元が低すぎるし、そもそも説得力のある理屈になっていない。
それよりも、”絵画も彫刻も素描(ディゼーニョ)から生まれた娘” という23歳若い ミケランジェロの方が大人びていて、言葉として美しいのはもちろん、内容的にも正しいというべきだろう。

”II. 絵画と彫刻:パラゴーネ” にあった ミケランジェロの 「河神」(1525年頃)を見ると、このような小品の断片にも天才は宿るのだという思いを強くするが、しかしその材質が蝋(および獣脂、松脂)だというのは意外なことだった。
それは、彫刻の手順として、まず柔らかく成形が容易な で小さな原型をつくり、それをもとに 粘土で実物大模型を作ったであろうことがここから推測できるのだが、ブロンズならそこから型を取って完成作品を作るという直接的な流れがあるのに対し、大理石を鑿で削っていくにあたりこのステップを踏むことは、必ずしも必須条件ではないように思われるからだ。

もっとも、モデルにポーズをとらせたまま石を削るわけにはいかないだろうから、まずは柔らかい素材でイメージを作るのかもしれないが、それでも、天才ミケランジェロはそんな過程を経ずにいきなり石を削っていたのではないか、となんとなく思い込んでいた。
というのも、彼のソネットの中の ”至高の芸術家はいかなる思想もなし ただ大理石のみがそれを知る 知性にみちびかれたる手は 石の重き形よりいらざるものを取り除くのみという言葉から、「奴隷」などの未完成作品や晩年の 「ロンダニーニのピエタ」を思い浮かべて、いつの間にかそんな ”伝説” を信じ込んでいたからだ。
そういう手法の作品もあるいはあったかもしれないと思うのだが、いかに天才と言えども サン・ピエトロの 「ピエタ」や フィレンツェの 「ダビデ」が、行き当たりばったりでできるわけはないということなのであろう。

2点の彫刻の近くには 「ジョヴァン・フランチェスコ・ファトゥッチ宛の書簡(1526年6月17日)」も展示されていたが、遠目には活字のように見える几帳面な文字列もまた、ミケランジェロの手堅い人柄が窺えて興味深いものだった。
公的な性格を持つ文書だから丁寧に書いたというだけではない、ところどころに入れられた装飾の作り出すリズムも美しく、ローマ字ではあるがこれを楷書ないし篆書体の ”書” と呼びたいと思ったりもした。

hokuto77 at 21:32|PermalinkComments(0)西洋彫刻 

2017年07月23日

能 「山姥」-1 壮大なるものの顕現

能 「山姥」を観た。(観世流 野村 四郎ほか 2017年7月19日(土)18:30〜 国立能楽堂)
百万山姥という名で人気を博していた遊女の一行が、信濃国の 善光寺に参詣に向かう途中で本物の山姥に遭遇するというこの話は、前場から後場にかけて山姥をめぐり実にさまざまなイメージが交錯する。
しかし、人を取って喰う怖ろしい化け物という面はほとんどなく、人間的な悩みを抱えながらも大自然と一体化し、山から山へと巡りながら仏教的世界観を説く、そんな壮大で神秘的な ”人物像” が、格調高い名文と大らかな舞で実感される曲だった。

阿弥陀如来が踏み分けたという険しい道を通って善光寺に向かう一行に対し、山姥が急に日が暮れたように暗くして一夜の宿を貸そうと近づき、遊女に ”山姥の曲舞” を所望する、という意外な展開の中で緊迫したやりとりが重ねられ、「鬼女とは女の鬼とや、よし鬼なりとも人なりとも山に住む女ならば、わらはが身の上にてはさむらはずや」の辺りから、シテは徐々に本性を現し始める。
こうした前場の流れは、しかし筋そのものを味わうというよりは、すべては山姥という超自然的存在を登場させるためのお膳立てのようだ。

後場になって真の山姥が鹿背杖をついて現れると、「あら物凄の深谷やな、あら物凄の深谷やな・・・ いや、善悪不二、何をか恨み、何をか喜ばんや、万箇目前の境界、懸河渺々として、巌峨々たり。 山また山、いづれの工か、青巌の形を、削りなせる、水また水、誰が家にか碧譚の色を、染め出だせる」と、いきなりスケールの大きな世界を見せて、霊気漂う山姥の世界に引きずり込む。
ここでのシテはまだ橋懸りの途中にいるので、高い峰に立って深い谷を俯瞰しているような趣があり、能舞台ならではの構造が生かされている場面だ。
次いで、その風貌は 「髪には荊棘(おどろ)の雪を戴き、眼の光は星の如し、さて面の色は、さ丹塗りの、軒の瓦の鬼の形を・・・」と紹介されるが、長い白髪を垂らし白と緑の装束に身を包んだ姿は思いのほか美しく、専用面の表情も達観したような落ち着きが感じられるものだった。

さらに、「春の夜のひと時を千金に替へじとは、花に清香 月に陰」と、いま目の前に起こっている奇跡をよく見るように促し、これが一期一会の出会いであることを強調する。
それは、”能” がそもそも持っている基本的な構造でもあり、これまでも多彩な神や霊や狂女に出会ってきたわけだが、この ”山姥” との遭遇は、特に想像を超える意外性に満ちたものだった。

「よし足引きの山姥が、よし足引きの山姥が、山廻りするぞ苦しき」の辺りから一段とギアが上がり、「それ山と言つぱ、塵泥より起こつて、天雲懸かる千丈の峰、海は苔の露より滴りて、波濤を畳む、万水たり」というミクロからマクロに及ぶ壮大な語りで、地球の成り立ちや天地創造の物語を読むような気分に導かれる。
一洞空しき谷の声、梢に響く山彦の、無声音を聞く便りとなり、声に響かぬ谷もがなと、望みしもげにかくやらん」と、大自然の神秘を描き出す筆致は冴えわたり、「殊に我が住む山家の景色、山高うして海近く、谷深うして水遠し。前には海水滌々として、月真如の光を掲げ、後ろには嶺松巍々として、風常楽の夢を破る・・・」と、言葉だけで崇高な美を彷彿とさせる巧みさに感心させられた。

この、巨大なものが突如として眼前に立ち上がり聳え立つ感じは、バッハのオルガン曲か、あるいは ブルックナーの交響曲の大音響に包まれた時の印象に近い。
しかしここまでは 〈クリ〉 から 〈サシ〉 の部分であって、シテの山姥も蔓桶に腰かけたままだったのだが、この後の 〈クセ〉 で立ち上がり、太鼓も入ってくると、山姥の語りはさらに意外な拡がりをみせることになる。


<能・狂言の過去記事>
能 「善知鳥」 観世流 観世清和  
能 「半蔀」 金剛流 今井清隆  
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか)  
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

hokuto77 at 19:21|PermalinkComments(0)音楽の部屋 

2017年07月20日

アルチンボルド展-3 四季と四大元素の連作

(西洋美術館 〜9/24)
前2回で ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)の 「四季と 「四大元素の連作を見てきたが、これは 4点x2セット=8点 が揃って初めて見えてくる世界だと強く思った。
どこかの美術館や展覧会でその中の1〜2点を見ただけでは、奇抜な効果を狙った ”変な絵” にしか感じられず、他の正統的な名品の合い間に一瞥して通り過ぎてしまうことが多かったのだが、こうして全8点が揃うことによって、画家の工夫や構想といったことはもちろん、描かれた時代背景も含めて、作品が表現する世界観というものが大きく立ち顕れてきたのが感じられた。

前にも書いたように、その全てがオリジナルの第1バージョンというわけにはいかなかったが、それでも8点を一つの部屋の揃えたことの意義は大きく、2点ずつを出してそれを可能にしてくれたデンヴァー美術館とスイスの個人にも感謝しなければならない。
ともかくもこの8作品が四方の壁に架けられた部屋の磁力は尋常のものではなく、この3か月間ほどは、西洋美術館の企画展示室が世界中の アルチンボルド・ファンの聖地として注目され、会期後半にはそのための来日客も増えてくるのではないか。

その上で、しかし今回の展示が 4x2 すなわち 「四季」と 「四大元素」という連作ごとではなく、それぞれから1枚ずつを対に向かい合わせて 2x4 (大気/春、夏/火、大地/秋、冬/水) となっていたのは意外なことだった。
右向きと左向きの関係からそういう見方もあると紹介されることはあるかと思ったけれど、この歴史的な展覧会の展示をこの形にするにあたってはどのような議論がなされたのだろうか。
もちろん、1セット4点の展示ならこれまでも、またこれからもあると思われる一方で、今回のこの形は 8点が一堂に会したからこそ可能なものだから、というのが大きな理由ではあるだろう。

しかし、描いた アルチンボルド本人も 1563年に 「四季」、66年に 「四大元素」と各連作を完成させたときには、それぞれを構成する4点の関係を重視していたはずで、こんな 2x4 の関係は、「四大元素」を後から描いていく上では念頭に置いたにせよ、展示方法としては想定外だったのではないか。
1569年の新年にこの8点を マクシミリアン2世に献呈したとき、得意満面の画家はどのように配置してどんな説明を行ったのだろう。
ともあれ今回の展示は、向かい合わせの4組という関係を生かした面白い試みであった一方で、連作4点の横の関係は希薄になった感があるので、ノーマルな 4x2 の展示も見て見たかったという思いはぬぐえない。その意味では、次の部屋のパネル展示では同じ 2x4 ではなく、シリーズごとにまとめた 4x2 の配列にしてもよかったのではないか。

あらためて8点を振り返っておくと、色合いとしては地味なものながら、肖像画としての 「」と博物誌としての 「」の2点が傑出していた。
次いで華やかな 「」、アイテムの構成が面白い 「」と 「大地」、そして 「」が続くという感じだが、繰り返しになるものの 「大気」や 「」も加えた8点が並んだ意義は大きかった。
しかしそれでも、全てがオリジナルないし現存する最良バージョンで固められたらどんなことになっていたかという思いもまた残る・・・

ともかくも、今回かなり見直した アルチンボルドではあったけれど、会場の冒頭にあった 「四季」(1590年頃 ワシントン、ナショナル・ギャラリー)はかなり戸惑わされるものだった。
各パーツは質感の表現に優れており、だから本人の作品なのだろうと思う反面、「四季」というテーマの下でのそれぞれの響き合いは希薄で、構成における意外性も少なく、肖像としてもなんとも曖昧な表情だ。
”冬” が支配的な画面で不気味な魔女か悪霊を表現していると理解すればいいのか、あるいはこれが老いた画家の自画像ということなのかもしれないが、死の3年前になる64歳の時のこの作品が、晩年の アルチンボルドの深化を示すのか衰えの表れなのか、どうにも判断がつかなかった。


>関連過去記事
奇想の王国 (2009、ザ・ミュージアム) 
進化するだまし絵 (2014、ザ・ミュージアム) 

hokuto77 at 20:11|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年07月18日

鈴木雅明&BCJ(世俗C)-1 われは満ち足れり

鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパンの第124回定期演奏会、”バッハ:世俗カンタータ・シリーズ Vol.9 [シリーズ完結]” を聞いた。
(2017年 7月17日(月・祝)15:00〜 東京オペラシティ コンサートホール)

J. S. バッハ:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV 1068
J. S. バッハ:わたしは自分に満ち足りている BWV 204
J. S. バッハ:たのしきヴィーダーアウよ BWV 30a
 鈴木雅明(指揮)/バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)
 キャロリン・サンプソン(S)、ロビン・ブレイズ(A)、櫻田 亮(T)、ドミニク・ヴェルナー(B)

冒頭に 鈴木雅明氏が登場し、「管弦楽組曲 第3番」に特に意味はないが記念すべきコンサートで花火を打ち上げたかった、95年から続けてきたバッハのカンタータ全曲演奏が世俗カンタータも含めて今日完結する、世俗カンタータは礼拝目的以外の作品の総称で三分の一ほどしか残っていないが、これらを通して当時の日常生活や社会の様子などが分かり興味深い、シリーズは完結するがこれで終わりではない、といった説明があった。

「管弦楽組曲 第3番」に続いて演奏された BWV 204は、配布されたプログラムでは 「わたしは自分に満ち足りている満足についてのカンタータ」と紹介されていたが、BCJの公式ウェブサイトにもある 「われはおのがうちに満ち足れり」の方が以前から知られていたタイトルだろう。
ところが、祝典などのための機会音楽として作曲されることの多かった世俗カンタータの中で、本作は依頼者や演奏機会などが分からない、謎のカンタータといわれているそうだ。
資料がないだけではなく、歌詞そのものも何かを祝ったり、あるいは楽しめる劇になっているというのではなく、「私は自分に満足している、お金も名誉もないが、満ち足りた時が私に心の平安を与えてくれる。私は自分を誇らない、愚者は鐘を打ち鳴らすが 私は静かに自分を守る。私の魂よ、満足していなさい、自分の中にこそ、満足の真珠を見出すべきなのだ。」と言葉を重ねて、ひたすら 「私は満足だ」と歌う。

貪欲を戒め慎ましい暮らしの中に満足を見い出す、というこの精神は、京都・龍安寺のつくばいにある 「吾れ、唯だ、足るを知る」に通ずるところがあるように思われるが、カンタータの詩はおそらく遺教経とは関係がなく、また特定の聖書の言葉ではなく、哲学的な思弁というほどのものでもなく、一般の親が子に教えるような庶民の道徳観に根差すものなのであろう。
しかし、それが ソプラノ独唱のみという異例の編成の作品になったところに、この作品の成立過程の鍵があるように思われる。

ハープシコードの分散音にのったレチタティーヴォで始まるところは意表を突かれるものの、すぐに美しいアリアが続き、伴奏楽器をオーボエ、独奏ヴァイオリン、フラウト・トラヴェルソと替えながら計4回繰り返すという形式は、多くのカンタータに見られるものだ。
しかし、他の声部もコーラスもなく、一貫してソプラノの独唱で歌われることによって、全ての歌詞は、若い娘の独白ないし決意表明のように聞こえてくる。
そうなると、この曲は娘が最も注目されるべき場面、つまりは結婚式の時に歌われたはずであり、もうひとつの 「結婚カンタータ」ともいうべき制作動機だったのではないか。

もっとも、こんなに長く技巧的な曲を普通の花嫁が歌えるはずもないので、おそらくは専門の歌い手が、これから嫁いでいく娘に成り代わって、結婚生活の幸せを祈りつつ、ある意味での覚悟のようなものを歌い上げたのであろう。
そういえば、少し前の日本でも結婚式の時に 「埴生の宿」がよく合唱されたという話を聞いたことがあるが、「埴生の宿もわが宿、玉の装い羨まじ・・・、 瑠璃の床も羨まじ・・・ 」の思いに共通するものを、このカンタータは持っているように思う。

そんな慎ましい庶民の美徳を讃える歌であるなら、鈴木先生ももう二度と演奏しないだろうなどと仰らず、是非繰り返し取り上げて普及に努めていただければと思う。
もちろんこれはソリストの力量に負うところの大きい曲だが、この日の キャロリン・サンプソンさんはチャーミングでかつ安定感があり、若松さんのヴァイオリン、菅さんのトラヴェルソとからむ部分は特に美しく、最後は確信に満ちたように晴れやかに歌い上げられていた。


<鈴木雅明&BCJの過去記事>
J. S. バッハの教会カンタータ・シリーズ  
レクチャーコンサート 20112016

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2017年07月16日

能 「善知鳥」-3 救われない結末の真相・・・

全くの余談かもしれないが、能 「善知鳥」(うとう)を見た後に思ったことを幾つか・・・

まず、後場の舞台である 陸奥の国 外の浜 は、前場で立山のこの世ならぬ光景を想起させられ、また死者が甦ってくるという流れになっていたせいで、恐山に関係した土地なのだと思い込んでいた。
しかも ”外の浜” という名前なので、下北半島の外側で大平洋か津軽海峡に面した荒涼とした風景を思い描いてしまったのだが、実際には津軽半島の東側、青函連絡船が通っていたころはそのすぐ沖を頻繁に行き来していた、陸奥湾の西部に面した漁村だったようだ。
もっとも、都から見れば地の果てという印象は変わらないのかもしれないが、連絡船が津軽海峡を渡り切って陸奥湾に入り、それまでの揺れが収まった時の安堵感を思うとなんとも意外な気がした。

さて、本曲では最終盤で猟師の亡霊(シテ)が、「安き隙なき身の苦しみを、済けて賜べや (たすけてたべや) 御僧、済けて賜べや御僧」と僧(ワキ)に救いを求めるのだが、その願いは遂に届くことなく、成仏できないままに 「言ふかと思へば失せにけり」と終わる。
これは、僧の力も及ばず、ということだったのかと思えばそうでもなく、僧の方は祈るどころか地謡の前に座ったままで立ち上がりもしない。
もっとも、亡霊はよほど切羽詰まっていたのか、橋懸りを去って行く余裕もなくその場で ”失せにけり” と断ち切られたように終曲を迎えるので、僧としても手の施しようがなかったということなのだろうか。
むしろ、事情はどうあれ仏法が戒める殺生を行ったのだから、僧の立場としてはそもそも救済を求めてくる方が筋違いなのだということだったかもしれない。

さらにもうひとつ気になったのは、猟師の妻と子 (ツレと子方) の装束が立派過ぎるのではないか、という点だ。
それは ”能” の舞台演出上の ”お約束” でそうなっているのだろうと思っていたのだが、こんな貴族風のものではなくもっと地味な装束はないのだろうか。
そんなことを考えてしまったのは、夫である猟師が死んだのだから、妻子は寒村で貧しく慎ましく暮らしているはず、というのが、もしかしたら誤った思い込みによるものかもしれないという気がしてきたからだ。

考えてみれば、生前に鳥を捕ったことで死後に化鳥に苦しめられるというシテの境涯に共感したのは、それが彼ら親子三人が何とか生きるためにやむを得ない生業だったからだと理解したからにほかならない。
その前提は、殺生が必要最低限の範囲内で行われていたということでなければならないが、しかし、妻子がこんな服を着られるような贅沢をさせるために鳥を捕りまくり、もしかしたら自分も ”善知鳥御殿” など建てられるほど大儲けして豪勢にやっていたのだとしたら、話は違ってくる。
そんな貪欲な男の欲求のために失われた多くの鳥たちの命は浮かばれず、もしそういうことなら、地獄に堕ちて永遠に成仏できなくても当然だということになろう。
だったら前の2回で書いたことは全面的に撤回しなければならないのだが、「善知鳥」とは、果たしてそういう作品だったのだろうか・・・

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2017年07月14日

レオナルド x ミケランジェロ展-1 素描対決

(三菱一号館美術館 〜9/24)
二人の巨匠を ”対決型” で展示する ”レオナルド x ミケランジェロ展” は、それぞれの個性を一層際立たせる企画だったが、チラシにも大きく載っている肉筆の ディゼーニョ(素描)2枚が、いきなり最初の部屋の ”序章:レオナルドとミケランジェロ─そして素描の力” に登場し、2mも離れていない状態で見られるとは思っていなかった。

ミケランジェロ・ブオナローティの 「〈レダと白鳥〉 の頭部のための習作」(1530年頃 カーサ・ブオナローティ)は、2013年の ミケランジェロ展(西洋美術館)以来の来日だと思うが、静かに目を伏せ、ふっと息をつく人物の存在感は比類がない。
男性のモデルを使っているせいか、その横顔は女性のものになりきっているわけではなく、白鳥がもたらすはずの官能の気配もまだそこにはないけれど、同様に横顔を見せる天地創造の 「リビアの巫女」と比較するとかなり内省的な表情となっていて、沈思するひとりの人間の実在感が、絵画として描かれた作品という以上のものとして伝わってくる。

一方、レオナルド・ダ・ヴィンチの 「少女の頭部/〈岩窟の聖母〉の天使のための習作」(1483-85年頃 トリノ王立図書館)は、斜線の濃淡による陰影や白のハイライトでリアルな顔立ちの女が浮かび上がり、なるほど上手い絵だなとは思う。
その横の 「自画像」のようなファクシミリとは違うオリジナルならではの霊妙さもあるのだが、しかしその表情は微妙に歪み、悲しみをたたえているのか、そこには恨みや後悔といった感情も見え隠れしていて、「岩窟の聖母」の傍に控える天使のように形而上的な謎を秘めている感じはない。
右目にかかる髪やその左側に見えるほつれた髪は、女の情念を引き出しているようでもあり、この線を敢えて引いたところは天才的なのかもしれないが、ひとりの人間としての重みがより強く感じられるのは、やはり ミケランジェロの方だ。

ともあれ、この2点の素描は、どちらも ”習作” としては完成度が高過ぎるというべきか、本制作の過程で普通ここまでしっかりと描き込むものなのだろうか。
次の ”I. 顔貌表現” の章にある ミケランジェロの 「〈トンド・ドーニ〉の聖母のための頭部習作」(1504年頃)は、天井画 「天地創造」の中でも抜群の存在感を示す 「ヨナ」にも共通する、大きくのけぞるように上を向いた顔をあごの方から狙う特別な構図なので、これなら念入りな習作は必要だろう。
だがそれは、あくまでも立体を平面にしたときの見え方を確認するといった目的があってのことで、一般の ”習作” ならば、「システィーナ礼拝堂天井画のための男性頭部」(1508-1510年頃)に見える程度の描き込みで十分かと思われる。
もっとも、天井画の時は膨大な作業をこなすのに忙しく、”習作” は必要最低限のものにしたといった事情もあったに違いなく、その中でこの程度のざっくりしたものが遺されただけでも奇跡と言えるかもしれない。

それはともかく、これらの習作らしい習作と比べると、序章の2作品はここまで念を入れるのかと思うほどの充実ぶりだ。
それは、これらが単なる ”習作” として描かれたものではなく、とは言っても当時これがそのまま ”商品” になったとも思われないので、素描でどこまで可能かを追求する修業として取り組んだか、工房で弟子たちが学習する際の見本か、あるいは完成し納品される本作品の手控えやカタログとしての意味があったのか・・・


>ミケランジェロの過去記事
システィーナ礼拝堂500年 ミケランジェロ展―天才の軌跡 (2013年、国立西洋美術館)
   レダの頭部 天地創造 最後の審判
   階段の聖母 キリストの磔刑 クレオパトラ 建築とソネット
ミケランジェロ展―ルネサンス建築の至宝 (2016年、汐留ミュージアム)
   ブリュージュの聖母 クマエの巫女と天地創造
   絵画と彫刻と建築 図書館、要塞、大聖堂

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2017年07月12日

アルチンボルド展-2 大気、火、大地、水

(西洋美術館 〜9/24)
アルチンボルドの代表作 「四季」に続いて、同じ部屋に対を成すように展示されている 「四大元素」の連作を順に見て行きたい。

大気」(スイス、個人蔵)は、8点の中では作品として最も弱いことは否めない。
大気だから鳥が集まっているとはいうものの、個体ごとにあまり変化がみられず、さらにこの追随者はどうやら ”顔” としてまとめ上げるのに一生懸命なのか、一羽ずつの鳥が陳腐で存在感が薄い上に、顔としてもよくわからないものになってしまっている。
アルチンボルドのオリジナルならば、一羽ずつにもっと丁寧に生命力を与え、顔の方にも明確な表情がついてきたはずであり、本人のものからはだいぶ距離のある複製バージョンの1枚ということになるのであろう。

」(スイス、個人蔵)も残念ながらオリジナルではないようだ。
もとより ”火” というお題ではアイテムにも限度があって、寄せ絵にするのが難しかったと思うけれど、本作は髪の部分の炎にあまり勢いが感じられず、顔もちょっととぼけた感じの情けないものになっている。

大地」(1566年?、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)は、一転してさまざまな動物が登場する賑やかな画面だ。
これだけの動物が当時のハプスブルクの都に飼われていたのか、ともかくもその種類の豊富さとそれを描き分ける腕前には感心せざるを得ない。
目の部分を狼のような動物の大きく開けた口で表しているところなどは特に秀逸だと思うが、一方で個々の動物たちの存在感が強い分、その集積としての顔は押され気味となり、やや分かり難くなってしまっているようにも思われる。
もとより前の2点とは段違いの面白い作品ではあるけれど、肖像画としての表情の弱さと、そして動物たちがみな柔和で可愛らしいものになっているあたりに、もしかしたらアルチンボルト本人以外の画家の筆を感じるべきなのかどうか・・・

」(1566年 ウィーン美術史美術館)はそのような心配のない、第1バージョンのオリジナル作品とみて間違いないだろう。
水に棲む生き物たちを博物図鑑のように多彩に登場させ、その全てを学術資料としても通用するのではないかと思うほど正確に描き出しているところにまず驚かされる。
そして、それらをほとんど水平に積み重ねただけのような塊で、悩める孤独な男の肖像に仕立て上げている、その構想力と表現力にはただ敬服するのみだ。
水生動物たちの細部を徹底してリアルに描写することで、肖像画としての人物の風貌が生き生きと表れてくる、そんな、本来は二律背反ではないかと思うような奇跡が、ここでは確かに起こっている。

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2017年07月10日

能 「善知鳥」-2 罪深さの自覚を促す曲

能 「善知鳥」(うとう)は、庶民が生きていく上で避けがたい殺生が罪業となって、死後に報いを受け続けなければならないという重苦しいテーマを扱い、しかも地獄での陰惨な責め苦が執拗に描かれている作品だ。
それは、現代の我々にも訴えかけるものをもつ意欲作だと感心する一方で、神事から発し高貴、優美が基本的な価値観だと思われる ”能” の中では、かなりの異色作であり問題作だったのではないか。
とりわけ、能楽の主たる享受者であり重要なサポーターでもあった、都の支配階級にはいったいどのように見えていたのかが気にかかる。

本作は、作者不肖ながら 世阿弥の作と広く考えられているらしいが、確かに多くの名作を送り出した権威ある作者の One of them でなければ、こうした曲が普及・定着することは難しかっただろう。
上演にあたっては相当のリスクもあったと思うのだが、それでも敢えてこの曲を発表したのは、世の中はきれいごとだけではない、庶民の辛さも少しは分かってほしい、という世阿弥の強い思いがそこにあったからではないか。
権力者に引き上げられ、ちやほやされながらも、彼らとの間に横たわる埋めようもない立場の違いを思い知らされることも多かったのだろう。
だから、地位や財産に恵まれない普通の庶民には、生き抜くためとはいえ殺生をしなければならない現実がある、あなたがたも肉や魚を食べるときに庶民の苦労や殺生の厳しさをせめて想像してみてはどうか、そんな意識が書かせた曲であるように思われる。

シテである猟師の亡霊は、殺生をしなければ妻子を養えない自らの身の上を嘆きつつも、狩猟の場面になれば思わず没入していくのだが、しかしその報いとして化鳥の激しい攻撃に苦しめられ、僧に助けを求めても救われることはない。
これは現代に生きる人々にも共通する思いに違いなく、たとえ現実に殺生することはなくても、仕事を一生懸命やることが結果として周囲を苦しめているかもしれない、ということに思い当たる人は多いのではないか。
目の前の仕事にのめり込めば周りが見えなくなる、仕事が評価されるためには誰かと競い合わなければならない、その過程で他人の誤りを指摘したりやり込めたりするなどは当然であり、たとえ意図しなくても知らぬ間に人の足を引っ張ったり手柄を横取りしてしまったりということがないとも限らない。

そのどこまでが許されるのかは分からない、しかし、時には真実と違うことを言ったり、つい攻撃的になって他人を貶めてしまったり、そんな事例すらも今の巷には溢れかえっている。
上司やその上の意向を忖度して判断を違えたり、あるものを 「ない」とうそぶき、「いちいち調べる必要なない」と突っぱね、それでも 「全く問題ない」と言いつのって疑問や異論を切り捨てる、そんなことも時と場合によっては必要だという判断も、あるいは有り得るのかもしれない。
しかし、そのように不実なことを繰り返しても報いを受けることはない、口先だけで反省していると言いさえすればそれで済む、そう信じている人がいるとすれば、世の中は決してそんなものではないということを、この曲は警告していないだろうか。

ともあれ、春や秋の風情を楽しむこともなく、暑さ寒さも忘れてひたすら働かなければならず、それでも妻子に理解されない孤独な男の姿は、普通の出自に生まれた労働者の宿命でもあるだろう。
その一人である善知鳥狩りの猟師が地獄に堕ちて化鳥の復讐に遭い続けなければならないのなら、誰がその責め苦を他人事と決め込むことができようか・・・

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2017年07月09日

沖ノ島・宗像大社の世界遺産登録

『 神宿る島 』 宗像・沖ノ島と関連遺産群” が世界遺産に登録された。
沖ノ島と3つの岩礁(小屋島、御門柱、天狗岩)の登録自体は分かっていたことだったが、5月の段階で諮問機関イコモスが除外勧告を出していた 宗像大社沖津宮遥拝所中津宮辺津宮、さらに 新原・奴山古墳群も含めた8資産全体が一体として登録となったのは喜ばしいニュースだった。

もっとも、私自身はそのいずれも訪れたことがないので、それらがどれくらい密接不可分なのかについて実感はないが、遺産群の中核をなす 沖ノ島が、宗像大社の沖津宮として 田心姫神を祀り、中津宮の 湍津姫神、辺津宮の 市杵島姫神とともに天照大神の御子神 (宗像三女神) とされており、かかる信仰のもとに島全体が御神体として厳しく管理されて現在に至っていることを思えば、宗像大社から 沖ノ島を切り出すというのがいかに乱暴な話であるか推測できる。
沖ノ島そのものや各種の祭祀遺跡、岩上から岩陰、露天へという変遷などももちろん興味深いことだけれど、それらも 宗像大社とのかかわりの長い歴史を踏まえなければ、十分に理解することは難しいだろう。
万一、イコモスの勧告に沿った結論になっていれば、沖ノ島(と3つの岩礁)は歴史的な信仰から切り離されたまま、考古学的な遺跡の世界遺産として知られていくことになり、本来の姿とはかなり性格の異なるものになったのではないか。

振り返れば、平泉の時は幾つかの資産を除外して出直すことでようやく登録となり、富士山では美保の松原が除外勧告を受けたのに逆転で一括登録となったといったように、イコモスの勧告には随分と振り回されてきた。
これを機にイコモスも自らの価値観を押し付けることに謙虚になってほしいと思う一方で、世界遺産委員会がその誤りを正すことができたところには、最近のこうした組織/機関には珍しいほどの理性や良心が生きているという美点を見るべきかとも思う。
そして何より、今回のこの満足すべき結果がもたらされたのは、日本の代表団や関係者の地道な理論武装や説得工作が結実したからに違いなく、こうした真摯な取組み姿勢というのは、政権中枢や国会ではもはや望むべくもない状況になってきてしまっているだけに、今や貴重な ”日本遺産” ではないかと思ったりもした。

>沖ノ島・宗像大社関連
宗像大社国宝展 (2014、出光美術館):
  神の島・沖ノ島と大社の神宝 沖ノ島祭祀遺跡の変遷
  沖ノ島と伊勢神宮、寄物 宗像大社と仙僉⊇亳佐三

>世界遺産関連
西洋美術館 
平泉
長崎の教会群
慶長遣欧使節関係資料
山本作兵衛
世界遺産写真展

hokuto77 at 23:30|PermalinkComments(0)掘り出し物など 

2017年07月08日

バベルの塔展-10 ボス、新たなベスト18

(東京都美術館 7/2終了)
ヒエロニムス・ボスについては、実見した作品についてランキングしてみたことがあったが、新たにボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(ロッテルダム)の2作品を見ることができ、またこの間に真偽をめぐる議論もあったので、あらためて現時点での実見作品を整理しておきたい。

1 聖アントニウスの誘惑  (リスボン)
2 快楽の園 (プラド)
3 東方三博士の礼拝 (プラド)
4 十字架を負うキリスト (ヘント)
5 最後の審判 (ウィーン・アカデミー)

6 干草車 (プラド)
7 荒野の洗礼者ヨハネ (ラザロ・ガルディアーノ)
8 荊冠のキリスト (ロンドン)
9 聖アントニウスの誘惑 (プラド)
10 キリスト架刑 (ブリュッセル)

11 放浪者 (ロッテルダム)
12 愚者の舟 (パリ)
13 最後の審判 (ブリュッへ)
14 聖クリストフォロス (ロッテルダム)
15 聖ヒエロニムス (ヘント)

16 東方三博士の礼拝 (ニューヨーク)
17 愚者の石の切除 (プラド)
18 七つの大罪 (プラド)

このうち、4、9、17、18 は、2014年以降は真筆性が疑われているようだが、私としてはその見解に賛同し難く、近いうちに名誉回復される可能性も高いと思っているので敢えて外さない。
一方、13、16 は、昨年に真筆リストに加えるという説が出たものなので、記事を書いた時点では疑義があったことを踏まえた言い回しになっている部分もあるが、これも敢えてそのままにしておく。


<ヒエロニムス・ボス関連記事>
実見作品ランキング 2014 2017
真作に関する議論  2014 2016
ボス紀行(継続中)〜
1 最後の審判 (ブリュッへ)
2 愚者の舟 (ルーブル)
3 最後の審判 (ウィーン)
4 キリスト架刑、聖ヒエロニムス (ブリュッセル、ヘント)
5 十字架を負うキリスト (ヘント)
6 愚者の石の切除、七つの大罪 (プラド)
7 干草車の祭壇画 (プラド)
8 快楽の園(地上の楽園) (プラド)
9 東方三博士の礼拝 (プラド)
10 聖アントニウスの誘惑 (プラド)
11 荒野の洗礼者ヨハネ (ラザロ・ガルディアーノ)
12 荊冠のキリスト (ロンドン)
13 聖アントニウスの誘惑 (リスボン)

>バベルの塔展 (2017、東京都美術館)
ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画
ブリューゲルの版画 バベルの塔という企て 二つの未完の塔 ”正義” が崩れゆくとき
16世紀の聖像と祈念図 多様化する絵画世界 ボス、新たなベスト18

hokuto77 at 23:15|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年07月06日

能 「善知鳥」-1 生業が原罪となる悲劇

能 「善知鳥」(うとう)を観た。(観世流 観世 清和ほか 2017年7月5日(水)13:00〜 国立能楽堂)
本曲は、通常の夢幻能のフォーマットにほぼ沿ったものながら、激しい動きと暗い雰囲気を通して悲惨で救い難い世界が描かれ、重苦しささえ感じさせられる作品だ。
妻子を養うためには鳥の殺生を避けられず、しかし死んでもそのことに苛まされ続ける男の話であり、王朝の雅びや文学的感興などとは一線を画す、生きることの辛さや人間の業といった現代にも通じる問題に迫るような、ずしり重い余韻を残す舞台だった。

昨年亡くなったという猟師に立山で会った旅の僧が、陸奥の国 外の浜に住む妻子を訪ねていき供養をすると、件の亡霊が出てきて生前に猟師として鳥を殺したことを語り始める。
しかしその言葉は 「たとひ紅蓮大紅蓮なりとも、名号智火には消えぬべし、焦熱大焦熱なりとも、法水には勝たじ、さりながら此身は重き罪科の、心はいつかやすかたの、鳥獣を殺しし・・・」という壮絶なものになっていく。

それは、「うとう!」と呼びかければ 「やすかた」と答えてしまう幼鳥の習性を利用して猟をした、という本曲の重要なモチーフが、特に無邪気な雛鳥に過酷なものであったことの後ろめたさとつながっていることは疑いえないと思うけれど、本質的には、罠を仕掛たり餌で釣ったりする通常の狩猟手段と変わるところはないだろう。
そこには、殺生一般を厳しく戒める仏教的世界観があり、「哀れや げに古は、さしも契りし妻や子も、今は善知鳥の音に泣きて、やすかたの鳥の安からずや、何しに殺しけん」と、自らの所業を悔いつつも、妻子にも思いを及ばさざるを得ないところに、一層の救い難い辛さを感じさせられる。

しかし、もちろんこんな殺生は好きでやっていることではなく、「とても渡世を営まば、士農工商の家にも生れず、または琴碁書画を嗜む身ともならず」という境遇にあって、生きていくためにどうしても必要だったからやむなく続けてきたに過ぎない。
ただ明けても暮れても殺生を営み、九夏の天も暑を忘れ、玄冬の朝も寒からず、鹿を逐ふ猟師は、山を見ずといふ事あり」というほどに仕事に精を出さなければ成り立たない、それがごく一般的な庶民の暮らしというものでもあったのだ。
このあたりは、自分の生活のかなりの部分を犠牲にしながら満員電車に揺られ数々のプレッシャーの中で多忙な毎日を送っている現代の労働者と変わるところはないだろう。

それでもなんとか一家を支え妻子を養ってきたというのに、死んでは地獄に堕ちて報いを受けることとなり、その責め苦の場面こそが本曲の見どころとなる。
親は空にて血の涙を、親は空にて血の涙を、降らせば・・・」と、嘆き悲しむ鳥が出現すれば、「濡れじと菅簑や笠」で防ごうとするものの逃げ隠れのしようもなく、さらには「娑婆にては、善知鳥やすかたと見えしも、冥途にしては、化鳥となり罪人を追つ立て鉄の、嘴を鳴らし、羽をたたき銅の爪を、磨ぎ立てては・・・」と完全に攻守逆転して厳しく責め苛まされる。

この直前で 「うとう〜」と発するシテの声には背筋がぞっとするような凄味があり、甲高い大鼓の連打に合わせて舞の動きも急になると、杖を振りかざして鳥を討つ仕草をしてはその杖を投げ捨て、笠で降りかかる血の涙を防いではまた笠を投げ捨てる、といった激しい場面が続く。
投げられた杖や笠がどこへ飛んでいくのか、能には珍しい緊張感が走るところでもあり、動じてはならない舞台上の共演者も、回収しに行く後見も大変だ。

ともあれ、猟師の亡霊は 「安き隙なき身の苦しみを、済けて賜べや(たすけてたべや)御僧、済けて賜べや御僧」と救いを求めるのだが、その切実な言葉は届くことなく、「言ふかと思へば失せにけり」という残酷なままの結末となった。


<能・狂言の過去記事>
能 「半蔀」 金剛流 今井清隆  
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか)  
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

hokuto77 at 20:56|PermalinkComments(0)音楽の部屋 

2017年07月04日

アルチンボルド展-1 春、夏、秋、冬

(西洋美術館 〜9/24)
ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)の絵が、これほど見応えのあるものだとは思わなかった。
ただ面白い奇妙な絵を描 く奇想の画家だまし絵の画家というだけではない、卓越した構想力と描写力で見る者の様々な物思いを誘う、本物の絵を描く画家だという思いを強くした。
まずは代表作である 「四季」の連作から。

」(1563年、王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館)は、とにかく華やかで美しい。
単体で見ても遠くから見ても強く眼を引き見栄えのする作品だが、しかしアルチンボルドらしい驚きはそれほど大きいものではない。
髪や服だけでなく顔にも花びらを散りばめて、春の明るさと若さを表すという絵なら、”フローラ” などといった題で他にも類例が多そうであり、この画家ならではの独自の世界は、むしろその先にある。

」(1572年、デンヴァー美術館)になると、これは夏の野菜や果物を細部までリアルに描きながら、その組み合わせだけで横顔を構築した作品であり、独創性という面では格段に上を行っている。
それぞれの植物が絶妙なところに納まって思わぬ形で顔の部位となり、こうあらねばならないと納得させられるほどの完成度だ。
ただし、胴体部分を藁人形のような感じで終わらせているところにはやや物足りなさが残り、そのせいもあってか、以前見た 「ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)」(スウェーデン、スコークロステル城蔵)ほどのオーラは感じられない。

」(1572年、デンヴァー美術館)に目を移すと、これはあくまでも 「春」や 「夏」との比較だが、全体に平板な印象で肖像画としての表情にも迫力がない。
果物があまりにも上手く嵌り過ぎて意外性が少なく、秋がテーマなので穏やかに纏められているという面はあると思うけれど、それでも、冒頭の 「春」やこの先の 「冬」と比べると、絵としての迫力には差があるようだ。

この 「」とその前の 「」は、いずれもデンヴァー美術館からの出展だが、「四大元素」を含めた全8点の中でもこの2点だけサイズが大きい。
サイトの画像では逆に小さな作品のように見えるが、顔の大きさは他とほぼ同じなのにその周囲を広くとっているため、画面全体のサイズはかなり大きくなっていることから、別シリーズの作品と考えるのが妥当だろう。
さらにこの2点は、「春」や「冬」の1563年から9年も遅い1572年の制作であり、しかも 「四季」の連作はこの間の1569年に時の皇帝マクシミリアン2世に献呈されているということなので、そこで発表されたオリジナルとは別の作品であることは明らかだ。

そうなると、おそらく同じ来歴を辿ったと思われるデンヴァー蔵の2作品は、追随者によるコピー作品という可能性もありそうだが、「秋」はともかくも 「」のクオリティを見れば、アルチンボルド本人の手によるものと考えていいのだろう。
それでも 「春」や 「冬」よりやや淡泊な感じがするのは、オリジナルとしての自発性とか、未知のものを突き詰めていく執念のようなものが、そこにはもうなかったからなのではないか。
好評を博した絵画は、工房の弟子や第三者も含めてさまざまなバージョンが作られ各地で珍重されるというのが当時の普及形態であり、本人の手になる別バージョンはその中でも正統性の高いものであるに違いない。
しかし、たとえ同じ画家が描いたとしても、誰も見たことのない絵を描いて皇帝や周囲の人々を驚かせてみようと取り組んだ ”作品” と、その後に、あれはよかったからプレゼント用にまた頼むよと言われてこなした ”仕事” との違いは、どうしても現れてしまうものなのであろう。

」(1563年、ウィーン美術史美術館)は、これは文句なしのオリジナル、第1バージョンの作品だ。
もっとも、顔を構成するアイテムはそれほど多くはなく、ざっくり言えば枯れ木の切株を横顔に見立てた絵に過ぎないともいえる。
しかし、その ”樹木人間” の表情にはなんともいえない不気味さが漂い、底知れぬ意志の強さが潜み、近寄り難いような威厳すら感じられる。
これが皇帝マクシミリアン2世なのかどうか、もしそうだとして皇帝がどう思ったのかは分からないが、ひとりの老人の肖像画としても、実に見事なものだとしか言いようがない。


>関連過去記事
奇想の王国 (2009、ザ・ミュージアム) 
進化するだまし絵 (2014、ザ・ミュージアム) 

hokuto77 at 19:38|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年07月03日

能 「半蔀」-3 半蔀戸の向う側、狂言、舟渡聟

前もふれたように、能 「半蔀」はエピソードも登場人物も極限に近いところまで切り詰めた簡素な作りになっているが、作り物の 「半蔀」だけはなかなか念が入っている。
本来、半蔀は上半分だけを開けて人が出たり入ったりできるものではないと思うけれど、そこは花の精であり夕顔の上の霊なので問題はないだろう。
それよりも、実際に開閉される半蔀の戸によって、本来は隔てられている向こう側の世界がこちら側に開かれる、というところが象徴的に表されていると思うし、後シテの姿を観客から見えないように舞台に連れてくるという現実的な効用の面でも優れている。

ともあれ、幕が外されて半蔀の中にいるシテが見える瞬間は息をのむように美しく、シテの登場場面としてはどんな派手な動きよりも印象的なもののように思える。
しかも、しばらくはそこにただ座ってやりとりしているだけで存在感があり、その後に華奢な戸を押し上げて出てくるところで、もうひとつの見せ場を作ることができる。
そして、舞い終えると静かにそこに戻っていくところも、全ては一夜の夢であったという感慨を強く覚えさせるし、さらに河添先生の御説のように、何度でもまた出てきて舞うかもしれないという余韻を残すところもこの曲に相応しい。
朝が近付くところで夕顔の霊が昔を懐かしむ夢の時間はひとまず終わるわけだが、その全体が雲林院の僧の夢でありまた我々の夢の中でのことでもあるという、重層構造の夢幻的世界をじっくりと楽しませてもらえる舞台だった。

ところで、本曲はシテもワキもあまり込み入ったことは言わない代わりに、アイ狂言による語りは実に長く、源氏物語 「夕顔」の巻のエッセンスをかいつまんで要領よく説明していただいた。
こんなふうに経緯を聞くことができれば源氏も分かりやすいなどと思いながら、しかしそれでも原典を全く知らない初めての客には無理がありそうで、むしろ ”能” は、この語りを聞けば、あぁあの場面かと思い出すことのできる客層に支えられて命脈を保ってこられたということなのだろう。
その一方で、特に本曲は源氏物語のストーリーや人間関係を知らなくても、普通に別れた男を慕う女の話として楽しめないことはなく、そのあたりを繋ぐ説明者としてのアイ狂言の役割は意外に重いようにも思った。


狂言 「舟渡聟」は、船を揺らしたり流したりして酒をせびる船頭と、その客である聟(むこ)のやりとりがともかく面白く、唐突なドタバタ劇として笑ってしまいかねないのだが、たまたま関わった人に対し一回限りのことと思ってぞんざいな対応をすると後でとんでもないことになり得る、という教訓話として鋭いものを含んでいると思う。
この狂言では聟がうまく立ち回ってくれたことで目出度く終わることができたけれど、現実には取り返しのつかない痛恨事になることもあり得るのだと心しなければ・・・

hokuto77 at 19:17|PermalinkComments(0)音楽の部屋 

2017年07月01日

バベルの塔展-9 多様化する絵画世界

(東京都美術館 〜7/2)
前回に続き ”ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝−ボスを超えて−” 前半のネーデルランド美術を振り返っておく。
敬虔な聖像と祈念図が並ぶ第機↓蕎呂寮茲某覆爐函群像図や静物、風景へと絵の対象が一気に拡大していた。

掘ゥ曠薀鵐斑亙の美術
ルカス・ファン・レイデン (レイデン 1489/1494年–1533年) の 「ヨセフの衣服を見せるポテパルの妻」(1512年頃)は、悪しき動機から不実の告白をする妻と、それをそのまま信じてしまう夫や周囲の人物の間の微妙な空気感を描く、この時代には珍しい作品だった。

ヤーコプ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネン (オーストザーン 1460/1465年頃–アムステルダム 1533年) の 「聖母子と奏楽天使たち」(1510–1520年)は、聖母子を取り囲む幼児の姿の天使たちが ハーディガーディー、リコーダー、鈴、ハープ、ヴィオールなどを演奏しているのだが、それぞれの楽器を弾くポーズが実に的確に捉えられていることに驚かされた。
これは、腕達者な大人の奏者をモデルにしながら子供の体に置き換えなければ出せない味だと思うのだが、そこにまったく違和感はなく、実際の楽器の音が聞こえてきそうなリアルさだ。
幼いイエスも、その音楽につられて思わず体を動かしそうになっているところが微笑ましい。

検タ靴燭焚菎蠅
今回は板絵の祭壇画が多かったことも有り難かった。
作者不詳 (南ネーデルラントの画家、ブリュッセルで活動?) のものは表裏が見られるようになっていて、「風景の中の聖母子」の裏面の 「本と水差し、水盤のある静物画」(1480年頃)は、ファン・エイクの 「ヘントの祭壇画」や カンパンの 「メロード祭壇画」を思い出させる迫真的な細密描写が見事だった。

ハンス・メムリンク (ゼーリゲンシュタット 1433年頃–ブリュッヘ 1494年) の 「風景の中の二頭の馬」(1490年頃)は、祭壇画の一部とはいえメムリンクにしては珍しい図柄だと思ったが、背中に猿を乗せたまま身を屈めて水を飲む白馬と、その傍らで横を見遣る茶色い馬の佇まいは静かで、その向こうには穏やかな風景が慎ましく広がっていた。

ヨアヒム・パティニール (ブヴィーニュもしくはディナン? 1480年頃–アントウェルペン 1524年)による 「牧草を食べるロバのいる風景」と 「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」(1524年頃)は、どちらもA4版程度の小さな画面にもかかわらず、そこに描き出された風景の広がりは限りなく、あらためてこの画家の革新性に感心させられた。


ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝−ボスを超えて−
(章構成)
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供タ仰に仕えて (
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后ゴ饒曚硫莢肇劵┘蹈縫爛后Ε椒后 
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(記事一覧)
ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画
ブリューゲルの版画 バベルの塔という企て 二つの未完の塔 ”正義” が崩れゆくとき
16世紀の聖像と祈念図 多様化する絵画世界

hokuto77 at 00:05|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年06月28日

Index Jan.-Mar., 2017

これぞ暁斎! (ザ・ミュージアム) 
ミュシャ、スラヴ叙事詩 (国立新美術館) 10
スケーエン、デンマークの芸術家村 (西洋美術館) 
シャセリオー (西洋美術館) 
パロディ、二重の声 (東京ステーションギャラリー) 
坂田燦の 「おくのほそ道」 (松濤美術館) 
オルセーのナビ派 (三菱一号館美術館) 
ティツィアーノとヴェネツィア派 (東京都美術館) 
岩佐又兵衛と源氏絵 (出光美術館) 
春日大社 千年の至宝 (東京国立博物館) 
マティスとルオー (汐留ミュージアム) 
マリメッコ (ザ・ミュージアム) 
櫟野寺の大観音、初もうで (東京国立博物館) 

東日本大震災復興支援チャリティコンサート 2017 
能 「三井寺」 
能 「葵上」 
仲道郁代 
オペラシティ・ヴィジュアル・オルガンコンサート  
ニューイヤー・ミュージカル・コンサート 2017 
”FORM” 野村萬斎の「三番叟」、半能「高砂」 

hokuto77 at 22:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)Index 【記事一覧】 

2017年06月26日

滝平二郎の世界 展、戦争体験と色あせない風景

(三鷹市美術ギャラリー 〜7/2)
1970年代の朝日新聞日曜版の作風から、”郷愁のきりえ師” というイメージが強かった 滝平二郎(たきだいら じろう、1921〜2009)の回顧展に出かけ、この人にも苛烈な戦争体験があったことを知らされた。
徴兵により入隊し各地を転々とした後、沖縄の最前線に送られて俘虜になるまでの悲惨な状況が、「山中彷徨」と題された文章やいくつかのスケッチで紹介されていて、美術館に入る前の気分との落差にしばし言葉を失った。

その文章の最後には、”戦争体験は、それを語る人の思想によってさまざまに形を変え、命が吹き込まれて伝えられる” という言葉があって、図らずも、ここ数年の間に、先の戦争とそこに至ることになった道について、これを絶対に繰り返してはならないとか、敗戦から学んだことをしっかり守っていかなければならない、といった思いとは異なる考え方が急速に蔓延しつつあるような状況にも思いが及んだ。
8年前に亡くなった滝平にそのような危機感があったかどうかは分からないし、この理屈はそのまま、ここに引用している私にも当てはまってしまうので注意が必要だとは思うけれど、美術展に入るまでは想像もしていなかった、重い言葉として響いた。


作品を見ていくと、初期の 「夕焼け」や 「野良帰り」などは、1960年代前半=昭和30年代後半にはまだ実景だったのか、あるいは今でもどこかで見られるかもしれないと思わせるような懐かしい光景だった。
一方、「鉈鎌」や 「」などでは女性の鋭い眼が印象的で、たとえそれが農具であっても刃物を持つと人はこんな表情になるのか、などと思ったりした。
童話の挿画は、「花さき山」(1969)の一面に咲く花の美しさ、「モチモチの木」(1971)の闇の深さがやはり出色だ。
この 「モチモチの木」では、当初描いた三日月は日没後ほどなく沈んでしまい深夜の場面には相応しくないという読者からの指摘があって、後に二十日の月に変更したという話も興味深かった。

1969年から10年続いた朝日新聞の連載は、四季折々の自然や行事とともにある暮らしぶりを定期的に観察したものとして、世界記憶遺産に推薦したいくらい貴重な記録であると思う。
展覧会タイトルの ”色あせない風景” はまさにそのとおりで、その中でも特に、揺らめく水面と灯りが美しい 「灯ろう流し」、絶望的な状況が象徴主義絵画のような 「急がばまわれ」、入学式前夜の緊張感が甦るような 「一年生」などが印象に残った。

hokuto77 at 20:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画(近現代) 

2017年06月24日

バベルの塔展-8 16世紀の聖像と祈念図

(東京都美術館 〜7/2)
今回はボスとブリューゲルを堪能させてもらった展覧会だったけれど、ネーデルランド美術がこれほどまとまって展示される機会は少ないので、冒頭に戻って ”ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝−ボスを超えて−” の全体を振り返っておきたい。

機16世紀ネーデルランドの彫刻
本展が彫刻から始まるというのが意外だったが、思っていた以上に質のいいものが出ていた。
アルント・ファン・ズヴォレ? (1460年頃–1492年にズヴォレとカルカールで活動)の 「四大ラテン教父」(1480年頃 オーク材)では、特に左端の 「聖アウグスティヌス」 の自然体の佇まいがよかった。
作者不詳(南ネーデルラントもしくは北フランスの彫刻家、1520年頃に活動)の 「アリマタヤのヨセフ」( もしくはニコデモ、1520年頃 菩提樹材?)は、しっかりした表情と強い眼を持つ存在感の確かな像で、一部に残るオリジナルの彩色により当時の衣装の豪奢さも感じることができた。
アドリアーン・ファン・ウェーセル周辺の彫刻家の 「受胎告知の聖母」(1460年頃 オーク材)は、薄い部材を巧みに使って立体感を出し、書物を前にした聖母の戸惑う動きをよく表していた。

供タ仰に仕えて
絵画部門の冒頭にあったのは ディーリク・バウツ(ハールレム 1410/1420年–ルーヴァン 1475年)の 「キリストの頭部」(1470年頃)、西洋美術館にあるバウツ派のキリストよりはかなり穏やかな感じのするこちらの方が、バウツ本人の真筆なのだろうか。
プライベートな祈念図として、おそらくは 「ヘントの祭壇画」をお手本にしながらも、威厳や聖性よりは親しみやすさを前面に出した本作は、繁栄するフランドルの豊かな日常と、その中で小市民的な成功をおさめた発注者の性格などを伝えているものなのだろう。
ヘラルト・ダーフィット(アウデワーテル 1460年頃–ブリュッヘ 1523年)の 「風景の中の聖母子」(1520年頃)は、さらに親密な感じの聖母とイエス、そして傍らの百合と背後の風景が美しい作品だった。

枝葉の刺繍の画家(1490–1510年頃にブリュッセルとブリュッヘ、もしくはどちらかで活動)と呼ばれる人物による 「聖カタリナ」と 「聖バルバラ」(1500年頃)は、確かに樹の葉が刺繍のように見える独特の筆致のものだが、豪奢な服や装飾品の質感、そして人物の表情は今回の出品作の中ではかなり上位に推したい出来栄えだ。
特に左の 「聖カタリナ」は知的で思慮深い上に清楚さがあり、悲劇的な運命を予感しつつもすべてを受け入れようとする意志の強さが感じられた。
聖バルバラ」の方はそこまでの崇高さはない代わりに、繊細な指の表情が魅力的な女性だった。

マグダラのマリア伝の画家(1480–1537年にブリュッセルで活動?)の 「リンゴを持つ聖母子」(1500年頃)は、はっきりと目覚めた幼子イエスと、それをじっと見つめる母マリアの関係が緊密だ。
甘さに流れない宗教画としての堅固さを備えており、この絵が遠くから視界に入った時には ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが来ているのかと思ったくらい・・・
ヤン・プロフォースト周辺の画家の 「受胎告知」(1485–1500年)は、フランドル絵画らしい落ち着いた空間に控えめな天使がいて、こちらは ハンス・メムリンクに近い趣があった。


バベルの塔展 (2017、東京都美術館)
ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画
ブリューゲルの版画 バベルの塔という企て 二つの未完の塔 ”正義” が崩れゆくとき

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2017年06月22日

ランス美術館展、革命家の死と異色のマドンナ

(損保ジャパン日本興亜 〜6/25)
フランス絵画の宝庫 ランス美術館展 〜ダヴィッド、ドラクロワ、ピサロ、ゴーギャン、フジタ… ” は、聞いたこともなかったような画家の作品も含めて一定の水準を保ち、フランス絵画史の教科書をめくるように楽しめる展覧会だった。

その中で特に目を引いたのは ダヴィッド(および工房)の 「マラーの死」、これはブルボン朝の絶対王政から革命へと移っていく中で、フランスという国が世界史の表舞台で最も注目されていた時期を象徴する絵画であり、また画面の緊張感や凝縮度といった点でも傑出している。
革命指導者が皮膚病治療のために入浴していたところ刺客に襲われて絶命するというドラマティックな場面を、キリストのような傷や女暗殺者からの手紙などを含む考え抜かれた構図で纏め、事件の悲劇性を高めながらほとんど神話の域へと引き上げている。
ただしこの作品は、ベルギーにあるというオリジナルの派生作品らしく、画面そのものが発する ”熱” はそれほど高くない。2005年の 「ルーヴル美術館展」で横浜に来たのも確か ”ダヴィッド工房” のもの、それだけのヒット作となって需要が高まり、工房では複製の制作に追われたのであろう。

ジェリコー、ドラクロワと続いた先には シャセリオーの 「バンクォーの亡霊」、ここでは人々が集う中に突如現れた亡霊の異様さがよく出ていた。
また、 「とらわれの女」の裸の胸は、その皮膚の下を熱い血が通っているのが実感されるように生々しく、情けない表情の顔とは対照的な生命力が感じられた。
シャルル・ランデルの 「タンジールのユダヤ人の女」も、美女が纏う薄い服の下の胸の弾力が伝わってくるような表現が眼を引いた。

この展覧会ではほとんどの作品にガラスがなかったため、特に コローの 「川辺の木陰で読む女」では川辺の緑が瑞々しく見えて、大気感も親密に伝わり絵の世界にごく自然に入り込めそうな気がした。
ミレー、ドーミエ、クールベ、ブーダン、シスレー、ピサロ、アンリ・ファンタン=ラトゥールなどが続いた先には ゴーギャンの 「バラと彫像」、これは残念ながらガラス越しだったが、他の画家には出せないゴーギャンならではの色彩と、ぶっきら棒に見えるのにこれしかないという緊密な構図が光る作品だった。
この絵には強い既視感があったので少し前に来日していたのか、あるいはこれによく似た作品があるのだろうか・・・


展覧会の後ろ三分の一くらいは、ランスの教会で洗礼を受け、聖堂の壁画に取り組み、そこで妻とともに眠っているという縁がある レオナール・フジタ藤田嗣治)のコーナーで、あまり馴染みのなかった彼の宗教画が多く並んでいた。
と言ってもスタイルは一様ではなく、40歳頃の 「十字架降下」(ひろしま美術館蔵)は、ルーブルにある 「アヴィニョンのピエタ」を思い出させるピエタ像ながら、金屏風のような背景をもつ日本画風の落ち着いた雰囲気をもっていた。
一方、聖堂壁画に取り組んでいた70代の 「マドンナ」は、横を睨むような目をした黒人の女性が中央にいて、その周囲のケルビムたちも縮れた毛の少年たちという意外なものだった。
彼女は本当に聖母なのか、これがフランスで問題視されることはなかったのか、などど言って人種差別的だと思われたら困るけれど、例えば外国人が日本神話の女神や源氏物語の女たちを描く時に、その姿がブロンドの白人でもアフロヘアの黒人でも、我々としては違和感が禁じ得ないだろう。
だから、この絵がどのような経緯で描かれたのか、そして彼の地で物議を醸すことはなかったのかが気にかかる・・・

hokuto77 at 21:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) | 日本絵画(近現代)

2017年06月20日

ミュシャ展-10 パリからプラハへの歩み

(国立新美術館 6/5終了)
スラブ叙事詩」全20点がとにかく圧倒的だった今回の ”ミュシャ展”、その後の章構成に沿って関連作品を思い出しながら、アルフォンス・ミュシャムハ、1860-1939)の足跡をふりかえっておく。

”1: ミュシャとアール・ヌーヴォー” には、伝説のデビュー作となった 「ジスモンダ」(1895年、堺市)をはじめとするサラ・ベルナールのポスターがあり、「四芸術 (詩、ダンス、絵画、音楽)」(1898年、同)、「黄道十二宮」(1896年)といったパリ時代のヒット作品が並んでいた。
ハーモニー」(1808年、堺市)という油彩画は、英知が理性と愛を調和させるという寓意画で、写実性を重んじながら思想や世界観を描くという制作方針、そしてアメリカで取り組まれた仕事という点でも、「スラヴ叙事詩」へのつながりを強く感じさせる作品だった。

”2: 世紀末の祝祭” には、重要な転機となった1900年パリ万国博覧会 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館壁画の下絵(1899-1900年、137.3×312.2cm 堺市)が出ていた。
これは当時のオーストリア政府が、自国民でパリで活躍するアーティストに目を付けて依頼したものだが、その対象となったパビリオンがオーストリアでもハンガリーでもなく、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館だったことで、ミュシャの運命が変わったと言える。
この仕事のために現地に赴いてスラヴの血を意識し、民族の自覚を深めたことから 「スラヴ叙事詩」が生み出されたわけであり、まだこの時点では作品のスタイルはパリのポスターとそれほど変わらないものの、そこにいる女性の顔つき、特に目の力は明らかに違ったものになってきている。

その後の展開を追っておくと、もうひとつの契機と言われる スメタナの 「わが祖国」を聞いたのが1908年、米国人資産家 チャールズ・R・クレインから支援を得られることになったのが翌09年ということなので、この間に ”ミュシャの夢物語” は ”ムハの具体的なプロジェクト” になったと考えられる。
そして1910年にはプラハに戻って ズビロフ城をアトリエとして18年契約で借り、その2年後には最初の大作3点を完成させている。
このあたりは信じ難いほどの実行力だが、特に50歳の時点で68歳までの遠大な計画を立てたところに、なんとしてもこのライフワークを実現したいという強い意志を見ないわけにはいかない。
その熱い思いは、ちょうど同じ頃の作品で、ヤン・フスやジュシカ、イジー王やコメンスキーが登場する 「プラハ市民会館の装飾」(1910-11年、プラハ市立美術館)、パリ風のスタイルながらスラヴの女性の存在感が濃厚な 「ヒヤシンス姫」(1911年、堺市)からも強く感じられた。

”3: 独立のための闘い”には、「同胞のスラヴ」という劇に関する展示(1925-26年、プラハ市立美術館)があった。
これは、舟のパレードによるスラヴの歴史劇の企画にあたり制作されたもので、当日は悪天候で成功とはいかなかったようだが、「スラヴ叙事詩」がほぼ完成した時期に、同じように民族意識を高揚させる野外イベントを実施しようとしたムハの意気込みがわかる。

スラヴ叙事詩展ポスター」(1928年、堺市)は、チェコスロヴァキア独立10周年を記念してのお披露目展覧会に向けて制作されたもので、この時は前述したように19点による展示となったため、そこで除外された 「No.18 スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」の前景左側にいる、娘をモデルにしたというハープを弾く少女がフィーチャーされている。
このことからも、この No.18 が 「スラヴ叙事詩」に含まれることはないものと、ムハ自身が思い定めていたように思われるだけに、いま、全20点が プラハの ヴェレトゥルジュニー宮殿に安住の地を得て、さらに日本から始まる国外展示の旅に出ていると知ったらさぞかし感無量であろう。
その他、ここにはムハが故国のために図案で協力した紙幣や切手、そして ”4: 習作と出版物” の資料があった。


スラヴ叙事詩
原風景 (1, 2)  勢力伸長 (3, 4, 5, 6)  言葉の魔力 (7, 9, 10)  フス戦争 (8, 11, 12)
フスの残光 (13, 14, 16) スラヴ主義 (15, 17, 18) ロシアの民衆 (19) スラヴ賛歌 (20)

>ミュシャ(ムハ)の過去記事
ミュシャ展 (2013、六本木ヒルズ)
世紀末パリの夢の請負人祖国への回帰とモラヴィアの祈りパリとモラヴィア、二人の美女
ジスモンダ (ロートレック・コネクション)
P.L.M.鉄道 (旅と芸術)

hokuto77 at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2017年06月18日

ムットーニ・パラダイス、憧憬と幻想の箱

(世田谷文学館 〜6/25)
自動からくり人形の展覧会 ”ムットーニ・パラダイス” は、失礼ながら半信半疑の思いで誘われるままに出かけたのだったが、いつの間にか引き込まれて気がつけば2時間半を過ごしていた。
動いていない状態で置かれている作品は、一見すると小学生の工作のような素朴さなのに、時間が来て照明が灯り音楽が流れ始めると、箱の中の人物が動き風景が変わり、思ってもいないようなドラマが展開していく。

最も印象に残ったのは 「題のない歌」(2016年)、大正浪漫を思わせる店で男が独りウィスキーのグラスを傾けていると、奥の扉が開いて謎の女が現れ、そして外航船の大きな船影が近付いてくる。
やがてそれらは幻のように消え去っていくのだが、”私” はまだ夢の中にいるのか、汽笛の低い音だけがいつまでも耳の底に残る・・・
人形や背景の動きにはアナログの手触り感がある一方で、連動する光や音楽は演出としてよく考え抜かれているし、それを実現する技術力も半端なものではない。
そして、自動からくり装置の宿命として、さまざまに展開していっても最後は元の形に戻るというところは、変奏を繰り返して最初のテーマに帰ってくる変奏曲のようであり、その無限に開かれつつ閉じられた5分ほどの中で、過ぎ去りし日々への郷愁やまだ見ぬ土地への憧憬、さらには幻想や不条理の世界へと見る者を誘っていく。

その魅力の源泉は、光や音も含んだアートワークであることはもちろんなのだが、そこに ムットーニ、すなわち 武藤政彦自身の語りによって ”文学性” が付与されていることも大きいだろう。
というよりも、先にふれた作品が 萩原朔太郎の詩を基にしているように、演出の根底にあって作品を導いているのはむしろ ”文学” の方であって、この展覧会が ”世田谷文学館”で開かれている理由もそこにあったに違いない。
そう思ってみると、同じく萩原朔太郎原作で本館が所蔵する 「猫町」(1994)の、猫の気配が濃厚に漂う懐かしい街並みの光景は、いろいろな意味で原点的作品といえそうだ。

同じように、しばらくたっても印象が鮮明に残っているのは、派手な演出よりも語りの方に重点が置かれた作品、例えば船から堕ちて死んでいく男の独白が聞かれる 「漂流者」(2007年、夏目漱石原作)や、眠れない女の意識の中を覗き込むような 「眠り」(2007年、村上春樹原作)などであることからも、文学の力というものにあらためて気づかされる。
おそらくこの路線こそが、 ”ムットーニ・パラダイス” という作品群の総体を、おもちゃから芸術の域へと押し上げているコア・コンピタンスなのであろう。
もっとも、「眠り」は一見すると動きの少ない地味な作品のようでいて、鏡の中に驚くべき仕掛けが隠されていた。

その一方で、目と耳を楽しませてくれる見事なパフォーマンスの作品も多く、「アトラスの回想」(2015)の中で天に昇っていく天使、恋人たちが見上げる 「摩天楼」(1999)の夜景などは特に美しいものだったし、「カンターテ・ドミノ」(2003-5)の荘重な世界には思わず敬虔な気持ちにさせられたりした。
そして、最後の 「アローン・ランデブー」(2006)で壮大な音楽が終わってもなおひとり浮遊する姿は、それが意図的なものなのかどうかはよくわからないけれど、さまざまな物思いを誘う深々とした余韻を醸し出していた。

hokuto77 at 18:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)掘り出し物など 

2017年06月16日

能 「半蔀」-2 源氏の歌を謡い舞う夕顔

この日の 能 「半蔀」*上演の前(さらに狂言 「舟渡聟」の前)に、東京学芸大学教授 河添房江氏の ”「半蔀」のドラマトゥルギー〜夕顔巻からの反照” と題した解説があった。
それは思っていた以上に内容が濃く、物の怪に襲われた ”夕霧怪死事件” までを扱った 能 「夕顔」がまず成立した後に、六条御息所に関わる部分を取り除いて 「半蔀」が成立した、といったあたりから、本曲の作劇法について表裏のペーパーを使いながら語られた。
その中には朝顔と夕顔それぞれの花の持つイメージの話もあり、高貴な儚さを象徴する 朝顔に対し、夕顔はそこから瓢箪もとれる庶民の花であり、朝と夕、そして貴族の別邸のあった 六条と中流階級の 五条という土地柄にも対応しているというところなども興味深かった。

講演の中心は、本曲のクライマックスで謡われるのが、なぜ 夕顔の歌
心あてに それかとぞ見る 白雲の 光添へたる 夕顔の花
ではなく 源氏の歌
寄りてこそ それかとも見め 黄昏に ほのぼの見つる 花の夕顔
なのか、という点に関する考察だった。
確かに、夕顔がシテなのに彼女自身の歌ではなく、しかも源氏の歌をさらに改作した
折りてこそ それかとも見め たそがれに ほのほの見えし 花の夕顔 花の夕顔 花の夕顔
を、長い 序ノ舞を挟むかたちで全篇のテーマのように扱っているのはなぜなのか、というのは本曲の ”最大の謎” といっていいものであろう。

解説によれば、夕顔の歌は、たとえそれが源氏側からの接近に対し紙に書き付けて返したものでも、女の方から誘いかけている感じがどうしても漂ってしまい、扇を使っているところも 遊女を思わせがちなのに対し、それを見て心惹かれた源氏が贈った歌ならば、夕顔はあくまでも受け身であり、源氏の方から近付いてきてその愛を一身に受けることになった女、という印象の方が強くなる。
つまり、源氏に愛された私、という記憶を呼び戻しながら舞う夕顔の姿こそが、この 「半蔀」の作者が表現したかったことであり、そのために源氏の歌が一部改編されて謡われた、というのが先の問いに対する答えということになるようだった。

それにしても、物語の中での源氏は怯える夕顔を無理に連れ出し、気がつけば ”冷えに冷え入りて、息は疾く絶えはてにけり” とあっけなく死なせてしまったのだから、後ろめたさと心残りに苛まれ続けて然るべきところ、その当人にここまで慕われているのだから、源氏は何とも幸せな人だとしか言いようがない。

それはともかく、講演はさらに、この能の後シテである夕顔の霊は 成仏することを求めていない、僧の読経を期待するわけでもなくただ自分の舞を見ていてほしかった、そして半蔀から出てきて舞ったあとに再びその中に戻っていくという終わり方は、またいつでも、おそらく源氏への思いが高まった時に、再び現れて舞うことができることを仄めかしているのではないか、といった見方を提示して結ばれた。
そのとき、淡い色の和服で能舞台の中央に立つ河添先生が、夕顔の精が語りかけている姿のようにも見えた・・・

hokuto77 at 20:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年06月15日

ソール・ライター、私小説写真の中の街と女

(ザ・ミュージアム 〜6/25)
”ニューヨークが生んだ伝説の写真家” という ソール・ライター(1923-2013)のことは全く知らなかっただけに、新鮮な驚きのある展覧会だった。
ニューヨークの街の断片を切り取った写真は、若い頃の生業だったファッション写真や、本人が ”写真は発見、絵画は創造” と位置付けていた絵画よりも、ずっと曖昧で、行き当たりばったりで、未完成のように見えるのに、そこには、忘れてかけいた昔の出来事を不意に思い出したり、新たな物語の始まりを感じたりするような、なんとも名状しがたい魅力がある。
本人は、写真か絵画のどちらかに絞っていたらそこでもっと成功したかもしれないと言ったとか、それなら率直に写真に絞るべきだったと言いたいところだけれど、むしろ画家の目でカメラを抱えたからこそ、そしてコマーシャリズムから距離を置いた ”隠遁生活” の中だったからこそ、こうした写真が撮られて遺されたに違いない。

”都会の田園詩” と呼ばれたという ”ストリート” の作品群は、「高架鉄道から」に顕著なように風景の切り取り方が面白く、「少年」には人を喰ったような遊び心があり、「掃除夫」には雨に濡れた道の光景への鋭敏な目が感じられた。
”カラー” の章にあったのは、2005年に半世紀も前のフィルムが発掘されて再評価につながったという写真集 『Early Color』 からの作品で、ここでは俯瞰する雪道というほとんどモノクロームの世界に赤い傘が映える 「足跡」や、タイトルどおりの 「灰色を背景にした青信号、ニューヨーク」が特に印象に残った。
また、浮世絵やナビ派への傾倒を示すように画面の大半を覆う黒が強烈な 「天蓋」、曇りガラス越しの通りの人影が儚げな 「」などにも独特のセンスが感じられた。

同棲していた女性たちを被写体にして撮られた ”ヌード” には、飾らない生身の女の日常的な姿が捉えられていた。
だが、ここまでくると、ソール・ライターの写真とは果たして ”作品” として狙ったものなのか、それともプライベートな遊びだったのかがよくわからなくなる。
これは実は、”ファッション” 以外の章の写真すべてに当てはまりそうなことなのだが、しかし、おそらくその答えは、写真家の仕事とは ”日常で見慣れている美を時々提示すること” であり、”美しいものは身近な日常にある” という本人の言葉の中にあるということなのであろう。

hokuto77 at 19:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)掘り出し物など 

2017年06月14日

大エルミタージュ美術館展-4 クラーナハの聖母子

(六本木ヒルズ 〜6/18)
”第3章 フランドル:バロック的豊穣の時代”に続く ”第4章 スペイン:神と聖人の世紀” には、最初に取り上げた スルバランの 「聖母マリアの少女時代」(1660年頃)の他に、ムリーリョが3点あった。
しかし、スルバランと比べてしまえば 「受胎告知」、「羊飼いの礼拝」、「幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ」ともに饒舌で散漫、サービス精神は旺盛ということかもしれないが、視線が絵の核心へと収斂してくことがない。
もっとも、これらはムリーリョの最良の作品というよりは ”やっつけ仕事” か工房作品の類*であって、エルミタージュにも 「無原罪の聖母」(または 「聖母被昇天」)という名品があるわけだから、この3点で判断されたらムリーリョとしても不本意であろう。
リベーラの 「聖ヒエロニムスと天使」も芝居がかっていて演出過多なところがあり、今回はムリーリョとともにスルバランの引立て役という感じだった。

”第5章 フランス:古典主義的バロックからロココへ” では、2012年の展覧会にも出ていた シャルダンの 「食前の祈り」(1744年)が再登場、また、フラゴナールマルグリット・ジェラールの共作という 「盗まれた接吻」(1780年代末)は、一番に目を引くドレスの質感がフラゴナールではなく義理の妹で弟子の マルグリットによるものだというのが意外だった。
その先にはクロード・ロランとユベール・ロベールの大作が2点ずつ、似たような古代の風景を扱いながら、逆光の夕陽の効果を強調した クロード・ロランに対し、ユベール・ロベールは建物の量感で勝負といったところか、いずれにしても生で見るからこその迫力だった。

”第6章 イギリス・ドイツ:美術大国の狭間で” という最後の章で光っていたのは ルカス・クラーナハの 「林檎の木の下の聖母子」(1530年頃)、この画家らしい女性の特徴はよく出ているし、正面を向いたイエスは可愛らしく、リンゴの実が光背のように飾る画面には華やぎもある。
しかし、さすがの クラーナハ(クラナッハ)も聖母を悪女にするわけにはいかず、蠱惑的なマリアというわけにもいかなかったのだろう。
宗教改革が進行する時代のドイツにおける貴重な名品だとは思うけれど、クラナッハに期待する持ち味が弱いことは否めず、残念ながら私のベストテンには入らない・・・


>大エルミタージュ美術館展 (2017、六本木ヒルズ) 
>エルミタージュ美術館展 (2012、国立新美術館) 
>大エルミタージュ美術館展 (2006、東京都美術館) 

hokuto77 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2017年06月11日

能 「半蔀」-1 ”花の夕顔” の一途な思い

源氏物語 「夕顔」の帖による 能 「半蔀」(はしとみ)を観た。
(金剛流 今井 清隆ほか 2017年6月10日(土)13:00〜 国立能楽堂 )
2月に観た 「葵上」()は、葵の上を呪い殺した六条御息所をシテとしていたのに対して、この 「半蔀」では、ほぼ似たような運命を辿った女性である夕顔がそのままシテとなっていて、六条御息所の影はまことに薄い。

あらためて振り返ってみると、本曲は登場人物がシテ、ワキ、アイの3人のみ、詞章も短く、ストーリーも入り組んだところがないシンプルなものだ。
強いて言えば 「半蔀」という題がやや分かり難く、その作り物も比較的手の込んだものではあったけれど、音楽的にも大小の鼓のみ、笛のみといった場面が多く、太鼓が入らないこともあって、全体としてしっとりと落ち着いた作品という印象が強かった。
それは確かに、夕顔の花、夕顔という女性の魅力を最もよく引き出す枠組みとして考え抜かれたものなのであろう、ゆっくりと時間をかけて進んでいく囃子地謡は、華やぎの少ない花や薄幸の女性の運命に寄り添うようであり、シテの舞も、動きを抑えた佇まいそのものが精神の気高さを示しているようで、品格の感じられる美しい舞台だった。

夕顔という女性は、源氏物語の第四帖で詳しく描写されているものの、物語全体の中では脇役であり、本筋が流れ出す前のひとつのエピソードに過ぎない。
もっとも、後に頭の中将との関係が明かされ、娘の玉鬘は中盤で十帖にわたり脚光を浴びることになるので、物語の重要人物の一人には違いないが、この時点では、源氏とたまたま関係を持って儚く命を落とした女性という以上のものではない。

しかし、高貴な家柄ではなく、たまたま立ち寄った先で出会っただけにもかかわらず、お高く留まったところがなく、内気で控えめながら才気は感じられる、といったところが見る者の思いを誘い、こんな女性とつきあってみたいという心裡に強く訴えかけてくる存在だ。
なによりも、夕顔の花の咲く家に住む女、という状況だけで想像力を掻き立てられるところがあり、半蔀や簾のある質素な住まい、ひっそりとものを思う気配、焚き籠められた香の匂いなどが、この女性の魅力をいやが上にも高めている。
身分をわきまえて自分を強く押し出さず、あくまでも受け身だけれども打てば響くような女だからこそ、愛しい気持ちが募り自分が守ってあげなければならないという気にさせてしまう、ある意味では理想的な女性像でもある・・・

そんな夕顔が、前場では謎めいた花の精のように登場して五条へと誘い、後場では半蔀の中から立ち現われて、過ぎし日をふり返りながら舞を舞う。
物語の中では、夜の不気味な気配の中で六条御息所と思しき怨霊によってあっけなく命を落としてしまうのだから、その運命を嘆き恨む方が ”能” らしいとも思えるし ( 「夕顔」という曲はそのような構成のようだ)、「山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて かげや絶えなん」 と自らの運命を予感して怯える夕顔も、舞台上でフォーカスしてもらいたいと思うところだ。

しかしここでの夕顔は、そんな悲劇や恨みつらみの因縁は忘れて、ただ源氏との甘美な思い出だけを大切にしているようだ。
夕顔という女性にとって、六条御息所の存在など実はどうでもいい、玉鬘の行末もまだ知るところではない、ただ一人の女として源氏に愛されたという思い出が全てなのであろう。
だから、「折りてこそ それかとも見め たそがれに ほのほの見えし 花の夕顔 花の夕顔 花の夕顔」 という源氏の歌だけを胸に抱いて、自分だけのために一夜の舞を舞いたかった。
そんな思いを遂げさせてあげるための作品が、この 「半蔀」だった・・・


<能・狂言の過去記事>
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか)  
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

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2017年06月09日

バベルの塔展-7 ”正義” が崩れゆくとき

(東京都美術館 〜7/2)
ピーテル・ブリューゲルの連作版画 「七つの大罪」(貪欲、傲慢、激怒、怠惰、大食、嫉妬、邪淫)と 「七つの徳目」(剛毅、賢明、節制、正義、信仰、希望、愛徳)について以前ふれた時は、絵としては 「大罪」シリーズの方が面白い、というくらいの話で終わってしまっていた。
そこで、あらためて、何故こうした図柄が版画という商品になったのか思いを巡らせてみると、それはおそらく、文字の読めない庶民や子供たちにもこのような概念を理解しやすくする、という教科書的な役割が期待されていたということも大きかったと推測される。
同時にそこには、描かれている七つの 「罪」や 「徳」は、時代が移っても大きくは変わらない普遍的な価値観だという確信があったであろうし、それは洋の東西や宗教の違いを超えて共通のものなのではないか、と一応は思ってみることもできそうだ。
しかし、もう少し進めてみると、こうした価値観もまた相対的なものであり、いつか変わっていくこともあり得るのではないか、そしてブリューゲルの制作意図も、もしかしたらそのあたりの問題意識に発していたのではないか、という気がしてきた。

そんなことを思うのも、最近の政治家や官僚の発言を聞くにつけ、これまでは当然の道徳や正義だと考えられていたものが通用しなくなり、我々が拠って立つ共通基盤もやがては瓦解してしまいかねない、そんな危機感を覚えずにはいられないからだ。

誰がどう考えてもあるはずと思うものを 「ない」あるいは 「確認できない」と言い、調べるべきではないかと問われれば 「必要ない」と突っぱね、それでは納得できないという声には 「全く問題ない」と言い張っているのが、今この国で権力を持つ政治家や官僚たちだ。
彼らは、おそらくこうするしかないという切実な事情があって、無理を承知の上で、やむをえずこのような対応をしているのだろう。
しかし、彼らは自分たちがしていることの影響というものを考えてみたことがあるだろうか。

もし、普通の役所や学校、金融機関や公共交通機関、食品や家電メーカーなどにもこんな対応が蔓延していけば、我々は想像を絶するストレスに囲まれた世界に生きなければならなくなる。
公機関や私企業の提供するサービスや製品の質を信じ、対価を払ったり資産や個人情報を預けたりできるのも、彼らが誠実に仕事をする人たちであり、話の通じる人たちだという最低限の信頼があるからだ。
一般企業については、不祥事があれば速やかに調査し謝罪するといった文化が、長い時間をかけて、CSとかコンプライアンスなどといった言葉とともに徐々に根付いてきた。
いじめの有無や料金の取り過ぎ、食品偽装や製品の不具合などが疑われた時の真摯な取り組みや、厳しい監視の目に対する謙虚さがあればこそ、我々はそこに信頼を置くことができ、それによって社会生活が成り立っている。

しかし、森友学園や加計学園をめぐる政治家や官僚の発言は、これまで培われてきたこうした信頼の基礎を完全に覆すものではないのか。
特に子供たち、若い人たちがこんなやりとりの映像を見続けているうちに、自分に都合が悪いものは 「ない」と言えばいい、ボロが出そうなときは 「調べる必要はない」と突っぱね、追い詰められて説明に窮しても 「全く問題ない」と言い張れば済む、そうやってとにかく切り抜ければいいのだ、と考えるようになるに違いない。
そして、むしろこれこそが正しい対処方法なのだと信じたまま大人になり、社会のそれぞれの責任ある職場で働くようになったとき、我々の世界はどれほど危ういものになっていることだろうか・・・

それにしても、今、あるはずのものを 「ない」と言い、調査を拒否し、それでも 「全く問題ない」と強弁している人たちが、道徳を小学校の正式教科にしたいと主張しているのは悪い冗談のように思える。
正直に言いなさい、自分の胸に手を当ててよく考えてみなさい、そうした言葉が成り立ち得る必要条件としての 「正義」や 「良心」を、彼ら自身が他人に求める資格があると考える人はいるだろうか。

財務省や文部科学省で実際にこの件に携わることになった官僚たちはもちろん、彼らをしてそのように動かざるを得ないように方向づけた政治家たちに、もし 「正義」や 「良心」がわずかでも残っているならば、おそらく今、人間として実に辛い状況に追い込まれていることだろう。
それでも、自分はそのように突き進むしかないと腹をくくっているのかもしれないが、今それを見ている国民、とりわけ次世代を担っていく若い人たち、まだ価値観や考え方の形成過程にある子供たちへの影響をよく考えてみてほしい。

ブリューゲルの 「七つの大罪」 「七つの徳目」に戻れば、これらがネーデルランドで制作されたのは、強大化するスペイン・ハプスブルクの下で、異端審問や弾圧が厳しさを増していた時代だ。
当時は、まだ民主主義や国民主権や三権分立などという概念は、もちろん成立していない。
しかし、自分たちの住む世界の価値観が根底から揺らぎかけている、という危機感や無力感、閉塞感の中で、何が人間を人間たらしめている普遍の真理なのかをしっかりと確認しておきたい、そんな思いは確かにあったのではないか。

それは堅固なように見えて実は脆いものであり、社会を構成する全員の不断の努力があって初めて維持されるものなのだろう。
一人の政治家が目先の苦境を乗り切る方便として始めたとしても、そのことによって 「正義」や 「良心」といった価値観が揺らいでしまえば、それは政界の一部の見苦しい事態という枠にとどまらず、急速に社会全体を蝕んでいく。
残念ながら似たようなことは米国においても進行しているようであり、このままではいつか ”神” の怒りにふれて バベルの塔が崩壊するような、取り返しのつかないことになってしまうのではないか。


ブリューゲル 版画の世界 (2010、ザ・ミュージアム)
”風景”との邂逅 跋扈する怪物 罪と徳と忍耐 自筆素描と版画 船と人間の観察
”誰でも”の陥穽 民衆への視線

バベルの塔展 (2017、東京都美術館)
ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画
ブリューゲルの版画 バベルの塔という企て 二つの未完の塔

hokuto77 at 00:15|PermalinkComments(0)西洋絵画(古典) 

2017年06月08日

西大寺展-2 西の大寺を包む影と光

(三井記念美術館 〜6/11、展示替えあり)
今回の ”奈良 西大寺展〜叡尊と一門の名宝は、いろいろな意味で意外性があり初めて知ることも多かったので、駆け足で全体をふり返っておく。

展覧会は ”展示室1:密教と修法具” で始まり、煩悩を断ち切る独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵、仏性を覚醒させる五鈷鈴が金剛盤に載った 「金銅密教法具」や、降臨した諸尊を供養するという 「金銅一面器」(火舎・花瓶・六器)から密教の世界を見て行く。
次いで ”展示室2:戒律と舎利信仰” で 「金銅透彫舎利容器」(国宝 鎌倉時代)の細かな技に感心しつつ、ここはいったいどういう宗派の寺なのかと思うことになるわけだが、西大寺は真言宗と律宗の兼学から 真言律宗の総本山になった寺なのだそうだ。
唐招提寺を開いた鑑真により伝えられ、釈迦の教えを原点に舎利信仰を大切にする 律宗と、高野山を開いた空海によって伝えられ、大日如来や密教的儀式を重視する 真言宗では、釈迦との距離感や修業内容の肌合いがずいぶんと違うのではないかとも思うが、鎌倉・室町時代にあっては浄土思想とも禅宗とも一線を画すところに意義があったのだろうか。

”展示室3:西大寺の瓦と塼” で、創建期の瓦や大茶盛式の大茶碗を見て ”展示室4:(1)西大寺の創建から平安時代まで” に進むと、ようやく創建時のいきさつが分かる展示となる。
その意味では、国宝の 「金光明最勝王経」や 「月輪牡丹蒔絵経箱」よりも、「塔本四仏坐像」二体の方が西大寺の顔というべきものだと思うが、切れ長でつり上った目が個性的な 「釈迦如来坐像」、少年のように初々しい 「阿弥陀如来坐像」(いずれも奈良時代)は、愛すべき像ではありながら同時代の名品たちが持つ圧倒的な存在感はない。
それは、孝謙上皇(重祚して称徳天皇)が藤原仲麻呂の乱の鎮圧を祈願して建立したという西大寺が、その父聖武天皇による東大寺建立のような壮大な物語を持てなかったからであり、その名前の大きさにも拘らず権力闘争後の道鏡失脚で勢いを失ったのも無理からぬところであろう。
その 道鏡は法相宗を学んでいたはずだが、女帝の寵愛を受けるようになるからには、密教呪術的な方面にも長けていたに違いない。

しかしそんな西大寺にも、鎌倉時代に救世主が現れる。
”展示室4:(2)叡尊の信仰と鎌倉時代の復興”の 「興正菩薩坐像」(善春作 国宝 鎌倉時代年1280年)は、”興法利生” の理念を掲げ戒律振興や救貧施療などを行った 叡尊という人物の風格、人間としての器の大きさや安定感、穏やかさをよく伝える肖像彫刻だった。

”展示室5:戒律と舎利信仰” の舎利塔や密教法具類、”展示室6:西大寺の伽藍配置” を経た最後の ”展示室7:(1)真言律宗一山の名宝” と ”(2)忍性と東国の真言律宗” では、西大寺を総本山とする 真言律宗の寺の仏像たちが紹介されていた。
前回ふれた 白毫寺の他、奈良の北、当尾の里の 浄瑠璃寺と 岩船寺も真言律宗なのだそうだが、浄土庭園に向かって九体の阿弥陀仏が並び、浄土思想のテーマパークのような感のある 浄瑠璃寺(秘仏 「吉祥天像」を所蔵)が、真言と戒律の寺というのは意外なことだった。
岩船寺からお出ましの 「普賢菩薩騎象像」(重文 平安時代)は、こんなに小さくて華奢な感じのお姿だったかとも思ったが、しかし貴婦人を思わせるもの静かな佇まいが美しく、自宅に厨子を作りお迎えしたくなるような優美さだった。
また、「忍性菩薩坐像」を蔵する鎌倉の 極楽寺、西大寺ご本尊の代わりに登場した 「釈迦如来立像」の 称名寺(金沢文庫)が、真言律宗大本山西大寺の末寺にあたるとのことだった。

hokuto77 at 22:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本彫刻 

2017年06月07日

ボブ・ディラン、受賞講演と文学賞的ベストテン

昨年の ノーベル文学賞を受賞した ボブ・ディラン氏の ”受賞記念講演” が、6月5日にネット上で公開された。
締め切りの5日前にこんな形で、というのはディランらしくもあり、また、らしくもない微妙なところだが、落ち着いた肉声は吟遊詩人の語り口のようで、そのまま曲に乗せて歌われてもいいような雰囲気を持っていた。

内容的には、まず、「ノーベル文学賞を受賞した時、なぜ私の歌が文学に関係あるのかと考えてみた」 と率直に述べ、「文学と私の歌がどう繋がっているのかを探ってみたい」 として、『オデュッセイア』や 『ドン・キホーテ』などに言及した。
そして、「歌が人の心を動かしたならそのことが全てだ、何を意味しているかを知る必要はない」 とした上で、「歌は生きている、歌は歌われるためにあり、読まれるためではないという点で文学とは違う。シェイクスピアの戯曲は舞台上で演じられることを意図しているように、歌詞は読まれるのではなく、歌われるものだ。コンサートであれ、レコードであれ、その他の方法でも、とにかく歌を聴いてほしい」 と締めくくっている。

ディラン自身が、自分の歌と文学賞との関係について戸惑ったと吐露しているくらいであり、ノーベル財団側も授賞理由について多くを語っていないこともあって、この半年ほどは特に、”ディランの詩” についてさまざまな聴き方がされてきたのだと思う。
私自身も、前回の記事は受賞発表の数日後に書いたものなので、聴き慣れていた初期のヒット曲にしか言及できていなかったのだが、その後に、今回の文学賞は ”反戦フォークの旗手” に与えられたものではないのではないか、といった論調が出てきたこともあって、あらためて最近までの作品を、”詩” にも注意しながら聴き直してきた。
それでも、”新しい詩的表現の創造” が本当に意図するところはよくわからないままのだが、今回の ”受賞記念講演” が発表されたことによって、これ以上論議が深まる可能性も消えたようなので、私なりの 文学賞的ベストテン( The best 10 songs from a viewpoint of the Nobel Prize in Literature )をリストアップしておきたい。

1.風に吹かれて Blowin' in the Wind (『フリーホイーリン』 The Freewheelin' Bob Dylan、1963年)
まずはこの曲、というのはなんともありきたりだが、ディランの詩として本作を外すことはできない。それは伝記的に重要だというだけでなく、短い中に言いたいことが詰まった結晶のような硬質さがあり、いつ聞いても変わらない普遍性を備えていると思うからだ。

2.ノット・ダーク・イェット Not Dark Yet (『タイム・アウト・オブ・マインド』 Time Out of Mind、1997年)
3.ハイランズ Highlands (『タイム・アウト・オブ・マインド』 Time Out of Mind、1997年)
4.ミシシッピー Mississippi (『ラヴ・アンド・セフト』 Love and Theft、2001年)
5.テンペスト Tempest (『テンペスト』 Tempest、2012年)
一気に30年以上飛ぶが、現時点での到達点と言えるこのあたりの作品が、ノーベル文学賞として評価されたコアの部分ではないだろうか。どこにも辿りつけないような彷徨、孤独な内省、不条理に沈んでいく命、それらを淡々と聞かせる ”語り” の美学は、誰も追随することのできない新たな創造の域に確かに達していると思う。この4作品はランキングということではなく年代順に並べているが、もしベストの1曲を選べと言われたら「ハイランズ」になるだろう。

6.廃墟の街 Desolation Row (『追憶のハイウェイ61』 Highway 61 Revisited、1965年)
ストーリーテラーとしての最初期の重要作品として、上記の 1 と 2〜5 を繋ぐものと考えられるだろう。このあたりから10分を超える長尺曲で自己の世界を深めていくようになる。

7.ブルーにこんがらがって Tangled Up in Blue (『血の轍』 Blood on the Tracks、1975年)
この詩は、元々わけがわからない上に後のライブでは変えてしまっているので、本作単体での選出ということではないが、ここから始まるアルバムは、自身の内面を凝視しながら言葉を絞り出し、とにかく何かを語ろうとする内的な力のようなものが強く感じられる。若干すわりは悪いものの、「愚かな風」や 「嵐からの隠れ場所」なども含む 『血の轍』の代表として、ここに挙げさせてもらう。

8.シューティング・スター Shooting Star (『オー・マーシー』 Oh Mercy、1989年)
ディランとしてはナイーブでストレート過ぎる感じもするが、誰の心の中にもあるピュアな感情を上手く掬い出している。なお、同時期の 「アンダー・ザ・レッド・スカイ」(『アンダー・ザ・レッド・スカイ』 Under the Red Sky、1990年)にも独特の世界観がある。

9.ディグニティ Dignity (1989年?)
この作品は 『MTVアンプラグド』(MTV Unplugged、1995年)で聞いただけで、どのアルバムを本籍とすべきなのかよく分からないのだが、「行く先々で警官に、尊厳を見かけなかったか、と尋ねた」なんていうフレーズ、他の誰に書くことができようか。

以上、”詩” に注目しながら9曲を選んできたが、これでは ボブ・ディランが一世を風靡していた60年代が軽くなっているという印象はぬぐえないので、最後は ”時代の標語” となった感のある以下の4曲をひとかたまりで挙げておきたい。
10.はげしい雨が降る A Hard Rain's a-Gonna Fall (『フリーホイーリン』 、1963年)
 神が味方 With God On Our Side (『時代は変る』 The Times They Are a-Changin、1964年)
 時代は変る The Times They Are a-Changin' (『時代は変る』 、1964年)
 ライク・ア・ローリング・ストーン Like a Rolling Stone (『追憶のハイウェイ61』 、1965年)

hokuto77 at 20:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年06月06日

LFJ-4 舞曲としての無伴奏チェロ第6番

今年の ”ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」 音楽祭 2017” のテーマは、11年目に入った一昨年の ”PASSIONS パシオン - 恋と祈りといのちの音楽”、昨年の ”la nature ナチュール - 自然と音楽” に続いて ”La Danse 舞曲の祭典” だった。
3つの有料コンサート(153、高橋悠治、青柳いづみこ135、リチェルカール・コンソート127、アンヌ・ケフェレック)以外に会場で聞いた演奏を、”舞曲” ではなかったものも含めて振り返っておく。

地下2階のホールE、リベラル・アンサンブル・オーケストラと一音入魂合唱団(指揮:曽我大介)のステージでは、チャイコフスキーの 「スラヴ行進曲」に続いて、ボロディンの 「だったん人の踊り」(オペラ「イーゴリ公」から)が聞こえてきた。
この異国情緒あふれるスケールの大きな旋律はいろいろなところで耳にしてきたが、合唱付の生演奏で接するのは初めてで、民族色豊かな踊りの中から再び立ち昇る悲劇的な詠嘆の節は思っていた以上の説得力があった。
丸の内フェスティバルシンガーズ&丸の内交響楽団による J.シュトラウス2世のオペレッタ 「こうもり」は、オルロフスキーからアデーレ、ロザリンデとアリアが続いた華やかな舞踏会で鐘が鳴ったところから、”こうもりの復讐” の種明かしが始まった。
全体で40分ほどのハイライトのためだが、第3幕の刑務所場面を飛ばして一気に大団円に至るこの形も、かえって引き締まっていていいような気がした。

マスタークラスは2つ、オリヴィエ・シャルリエ(Vn、5/4)が題材にした ヴィエニャフスキの 「ファウストの幻想曲」は、失礼ながら超絶技巧を要求する割には面白味のない曲だと思ったけれど、聞かせたいところをはっきり意識して光の当て方を工夫しろ、と繰り返し指導したことで様相が変わり、この手の曲でも、というか、こういう曲だからこそ、要は料理次第なのかと思ったりした。

グザヴィエ・フィリップ(Vc、5/6)が バッハの 「無伴奏チェロ組曲第6番」からサラバンド、ガヴォットとジーグをとりあげた回は、ハイポジションの重音を多用する演奏を間近で見させてもらい、あらためてこれは難曲だと思ったが、講師は、これらは舞曲なのでポイントとなるリズムがあることを再三強調し、重たくならず流れを大切にするように、と不思議な歌詞(?)をつけてとにかく歌いまくる。
それは分かっているけれど弾き難い曲なのだから仕方がないだろう、と誰もが思うところだが、香月麗(かつき うらら)さんという若いチェリストはその無謀な要求にも柔軟に応えていて見事だった。
ただ、フィリップ氏が気にしていたように、もしかしたら彼女は先生から、ひとつひとつの音符を大切にして丁寧に弾きなさい、と修正されるかもしれず、そうだとしたら音楽とは本当に難しく悩ましい。
それにしても、もしバッハ大先生が4弦のチェロでこの曲を弾いている麗さんを見たら、想定外の事態に吃驚仰天されるのではないか。

ガラス棟を歩いていたら、ほの暗くねっとりとした節回しのヴァイオリンが聞こえてきた。ヤナーチェクのソナタだっただろうか、弾いていたのは 間脇佑華(まわき ゆか)さんというヴァイオリニストで、足の操作で画面上の楽譜をめくる電子楽譜 GVIDOをPRするコーナーでのデモ演奏だったようなのだが、こんなに人が行き交うざわついたところでヤナーチェクが聞けるというのも、LFJならではのことに違いない。
ボロディン、ヴィエニャフスキ、ヤナーチェクと意外な出会いが続いたなと思っていたら、夜の地上広場では突然に 阿波踊りが始まった。
女性の踊り手の動きの切れのよさに感心させられつつ、”La Danse 舞曲の祭典” の幅の広さをあらためて思った。


(追記)
LFJ会場に近い第一生命本社で、モーツァルトがザルツブルク時代に愛用していたコンサート・ヴァイオリンを使用したロビーコンサート、『今蘇る、モーツァルトの響き』を聞いた。(5月6日18:00〜)
 ヴァイオリン・ソナタイ長調K305、ハ長調K296
 クラヴィーア・ソナタハ長調K330
(ヴァイオリン:フランク・シュタートラー、フォルテピアノ:菅野潤)

このヴァイオリンは、モーツァルトがウィーンに本拠を移した時にザルツブルクに残して行ったものを姉のナンネルが保管し、現在はモーツァルテウム財団が保有しているとのこと、モーツァルテウム管弦楽団コンサートマスターの フランク・シュタートラー菅野潤氏(復元フォルテピアノ使用)による演奏は、楽器の音色にも曲にもよく合ったあたたかみのあるもので、石造りの空間に柔らかく響いていた。
同会場では、ナンネルを主人公に弟ウルフガングの生涯を辿りながら直筆譜や手紙を紹介する、国際モーツァルテウム財団コレクション展 『ナンネルとヴォルフガング』も開かれていた。


ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日)の過去記事
2005  ベートーヴェンと仲間たち 
2006  モーツァルトと仲間たち 
2007  民族のハーモニー x
2008  シューベルトとウィーン 
2009  バッハとヨーロッパ 
2010  ショパンの宇宙 
2011  タイタンたち(ブラームスから後期ロマン派) 
2012  サクル・リュス 
2013  パリ、至福の時 
2014  10回記念祝祭の日 
2015  Passions パシオン - 恋と祈りといのちの音楽 
2016  la nature ナチュール - 自然と音楽 
2017  La Danse ラ・ダンス - 舞曲の祭典 

hokuto77 at 19:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年06月03日

バベルの塔展-6 二つの未完の塔

(東京都美術館 〜7/2)
ブリューゲルの 「バベルの塔」は、このロッテルダム作品の他に ウィーンにもあり、こちらは1563年の作で114x155cmという大きさを持つ。
その5年後の1568年頃に、60x74.5 cmというほぼ四分の一のサイズで描かれた本作品は、ウィーン作品と区別するために ”小バベル” と呼ばれている。
しかし、確かに絵の画面としては小さいものの、描かれている建物の実際の規模ということでは、この ロッテルダムの方がかなり大きいのではないか。

素人の大雑把な目測ながら、ウィーン作品は1層が20メートル程度と思われるので、中央の突出した部分を除き完成部分を7層までとすればほぼ140メートル、クフ王のピラミッドや霞が関ビルに近い高さの建物ということになろう。
これに対し、ロッテルダムの方は重層構造で人物も比較的小さいことから1層は上下で約35メートル、外壁が8層の上まで及んでいるところでおよそ280メートルくらいになるものと思われる。
そうだとすると、ウィーンのほぼ倍の ”大バベル” であり、新宿の都庁を超えて東京タワーに近づくくらいの高さになりそうだ。(どこかで推定510mという数字を目にしたように思うが、そのサイズでは人間ひとりひとりがこの大きさには見えないのではないか。)

サイズはともかくとして、工事の進捗という観点からこの二つの塔を見比べてみると、ウィーンの塔はまだ着工から比較的日が浅く、高い塔を建てようという意欲が維持されているのか、そこには前向きな明るさがあり活気も感じられる。
もちろん建築途上の塔はあちこちで問題に直面しており、既に壊れ始めているところもあって前途多難な感じは否めず、この先の完成形を想像することは難しいが、崩壊の予兆というほどの不吉な影は感じられず、まだ未来に向かってアクティヴな状態といえる。

一方、ロッテルダムの塔はかなり工事が進み、出来上がっている部分では人々の生活も始まっているようなのだが、工事そのものは沈滞していて上と下での意思疎通もままならず、プロジェクトとして深刻な段階に立ち至っているように見える。
まだ放棄されたわけではないとしても、工事は完全に行き詰ってしまっていて、この先にいかなる希望を持つこともできず、そんな運命を象徴するように、上空には黒い暗雲が垂れ込めてきている。

誰かが方針転換を行うことも工事の継続を止めることもなく、ここまできたら壊すに壊せず、ただ今までの続きの作業を黙々とこなすほかはない。
ブリューゲルが描いたそんな人間の愚かさは、聖書の中のお話でも ”絵空事” でもなく、それを滑稽な悲劇と嗤うことは、今の我々にだって出来ようはずはない・・・


ブリューゲル ベスト10ベスト25

バベルの塔展 (2017、東京都美術館)
ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画
ブリューゲルの版画 バベルの塔という企て

hokuto77 at 22:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2017年06月01日

ミュシャ、スラヴ叙事詩-9 全20点のレビュー

(国立新美術館 〜6/5)
前回まで、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)の 「スラヴ叙事詩」全20点を、テーマの年代にほぼ沿う形で見てきたので、ここで20点を制作年代順に並べ直してみる。

1. 原故郷のスラヴ民族 (1912年、610×810cm)
2. ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭 (1912年、610×810cm)
3. スラヴ式典礼の導入 (1912年、610×810cm)
   14. ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛 (1914年、610×810cm)
   15. イヴァンチツェの兄弟団学校 (1914年、610×810cm)
   19. ロシアの農奴制廃止 (1914年、610×810cm)
       7. クロムニェジージュのヤン・ミリーチ (1916年、620×405cm)
       9. ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師 (1916年、610×810cm)
      10. クジーシュキでの集会 (1916年、620×405cm)
         12. ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー (1918年、405×610cm)
         16. ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々(1918年、405×620cm)
−−−第一次世界大戦終結、チェコスロバキア独立−−−
11. ヴィートコフ山の戦いの後 (1923年、405×480cm)
13. フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー (1923年、405×480cm)
4. ブルガリア皇帝シメオン1世 (1923年、405×480cm)
6. 東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン (1923年、405×480cm)
   5. ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世 (1924年、405×480cm)
   8. グルンヴァルトの戦いの後 (1924年、405×610cm)
      17. 聖アトス山 (1926年、405×480cm)
      20. スラヴ民族の賛歌 (1926年、480×405cm)
      18. スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い (1926年・未完、390×590cm)

ムハがこの壮大な歴史絵巻を、当初から正確なプランを立てて着実に進めていったのか、途中で柔軟に変更を加えたりしたのかどうかは分からない。
しかし、まず大きな傾向で言えば、「原故郷のスラヴ民族」に始まる冒頭の3点の大画面を1912年に完成させ、次の2年でも 「イヴァンチツェの兄弟団学校」を含む30畳サイズの大作に取り組んでいる。
その後は、「言葉の魔力」3部作からフス派関連の重苦しいシーンが続き、大戦後はその他のスラヴ諸国にも目配りをしつつ、最後の26年には光あふれるスラヴ賛歌的な作品で締めくくったということになる。

作風から見てみると、空想的な空間を入れ込んだイリュージョン的傾向の作品は、最初と最後の両端のグループに集中しているという特色がみられる。
一方、この両端グループを除けばテーマとしてはランダムに進めている感じながら、サイズは大から小へと向かっているのは、当初からの計画通りというよりは、なにか別の要因があったとみるべきかもしれない。
その他、戦いの後の情景を題材とし比較的傾向の似ている8、11、12の制作時期が離れていること、例外的にロシアを扱った19は早い段階で仕上げているといったことも興味深い。

最大の疑問は、この ”巨大紙芝居” のフィナーレを、ムハがどう想定していたのかということだ。
民族の「原風景」からフス戦争などを経てスラヴの長い旅に付き合ってきた我々は、最終盤になって、正直なところ立ち位置がよくわからなくなる。
最後の 「20. スラヴ民族の賛歌」は、前回書いたことに加え、ひとつ前や冒頭の3作品のサイズの五分の二ほどしかなく、もちろん芸術的価値は大きさと関係がないとはいえ、長大な物語の最終章に相応しい ”法量” とは言い難いのではないか。
また、トリ前の 「19. ロシアの農奴制廃止」はテーマとして他の19作品とは異質であり、そのまた前の 「18. オムラジナ会の誓い」は未完成で、生前の展覧会では除外されていたものだ。

さらに遡る 「17. 聖アトス山」も、ボヘミア民族やフス派をとりあげてきたメインストリームからは遠い感じが否めないといった具合で、ここまでチェコを中心にスラヴ民族の歴史を追ってきた流れは、海への出口で急に枝分かれをしているようにも思われる。
それもつまるところは、スラヴ民族のゴールや理想形がどのようなものかが定まっていなかったから、ということで理解するほかはないだろうか。

>スラヴ叙事詩
原風景 (1, 2)  勢力伸長 (3, 4, 5, 6)  言葉の魔力 (7, 9, 10)  フス戦争 (8, 11, 12)
フスの残光 (13, 14, 16) スラヴ主義 (15, 17, 18) ロシアの民衆 (19) スラヴ賛歌 (20)

hokuto77 at 19:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2017年05月30日

茶の湯展-4 茶が護り伝えた絵画

(東京国立博物館 〜6/4、展示替えあり)
チラシによれば ”37年ぶり、奇跡の大「茶の湯」展ということなので、一応ここで全体を、ただし既に展示替えで退場してしまった作品も多いと思うけれど、見ることのできた作品で振り返っておく。

”第1章 足利将軍家の茶湯 ─ 唐物荘厳と唐物数寄” には 「観音猿鶴図以外にも 牧谿が順次登場することになっていたほか、梁楷筆 「六祖截竹図」(南宋時代・13世紀 東京国立博物館)と伝 梁楷筆 「六祖破経図」(同、東京・三井記念美術館)が、三井での東山御物展から東博に場所を変えて揃い踏みしていた。
次いで伝 梁楷筆 「寒山拾得図」(南宋時代・13世紀 静岡・MOA美術館」と伝 馬麟筆、石橋可宣賛 「寒山拾得図」(南宋時代・13世紀)が並び、薄墨で描かれたまだ若く未熟そうな2人と、世離れして飄々とした感じの2人の対照的な姿が見られた。

梁楷筆 「鷺図」(南宋時代・13世紀 静岡・MOA美術館)は、その小ささと簡素さが今回の会場では逆に目立つことになったが、水面の上を飛ぶ鳥と水辺でうずくまる鳥の動と静、大きな岩と鋭く突き出す葦の対称の妙もあり、水中の魚を狙うというだけではないさまざまな想像が可能な作品だと思った。
玉㵎筆 「廬山図」(南宋時代・13世紀 岡山県立美術館)は、元の絵が分断されて今の形になっているものだが、やはり茶室の床掛けならばこのサイズがいいところだろう。牧谿の観音や猿が切り刻まれなくて本当によかった。

少し先は着色作品、伝 趙昌筆の 「茉莉花図」(南宋時代・12〜13世紀 東京・常盤山文庫)は鮮やかな色が残る作品で、写実的なアプローチと理想化への意思がほどよく調和していた。
竹虫図」(南宋時代・12〜13世紀 東京国立博物館)も、もし同じように色が残っていたら美しくも眩惑的な作品だっただろうと想像されるが、褪色してしまったこの状態では魅力を見い出しにくい。
毛松筆 「猿図」(南宋時代・12〜13世紀 東京国立博物館)は、牧谿の猿とは対照的に丁寧な筆によって人間らしい表情が与えられている。物思いにふけるその姿には近寄り難さがある一方で、もう少しのところで会話が成り立つのではないかと思うような親近感も感じられた。

その先になると、”第2章 侘茶の誕生 ─ 心にかなうもの” に 虚堂智愚蘭渓道隆無学祖元の墨跡、”第3章 侘茶の大成 ─ 千利休とその時代” に伝 長谷川等伯筆の 「千利休像がくるというのは分かるとしても、無準師範筆の禅院額字 「潮音堂」(南宋時代・13世紀 山形・致道博物館)と 梁楷筆 「李白吟行図」(南宋時代・13世紀 東京国立博物館)といった南宋時代の名品が ”第4章 古典復興 ─ 小堀遠州と松平不昧の茶” になって出てきていたのには戸惑わされた。
これは、小堀遠州松平不昧がそれぞれを所蔵していたからとのことで、あらためて今回の主役が ”茶の湯” とそれに貢献した人物の方であり、絵画や墨跡は付け足しだったのだということを思い知らされることになった。
と同時に、しかしこうした ”茶の湯” の伝統があって、そこに入れ込む権力者や数寄者がいたからこそ、これらの絵画や墨跡が今の日本にこうした形で残っているともいえるわけで、そうなると、 ”茶の湯” というものが担ってきた文化財の保存・伝達機能にも、あらためて思いを及ばせなければならないように思われた。

”第5章 新たな創造 ─ 近代数寄者の眼” は、さらに ”人” をテーマに4回の入れ替えとなるため、鑑賞者はもとより場内のスタッフにも混乱を強いるコーナーとなっていた。
訪れたのは 藤田傳三郎の週で、その中では 「交趾大亀香合」(中国・漳州窯 明時代・17世紀 大阪・藤田美術館)がやはり眼を引いたが、そういえば藤田の 曜変天目が今回登場しなかったのは何故なのだろう・・・


<禅、茶、東山御物の関連記事>
京都五山 禅の文化 (2007、東京国立博物館)
  兼密禅から純粋禅へ 夢窓派の台頭 周文、梵芳の詩画軸 五山の仏画・仏像
  禅僧列伝、江天暮雪図 書斎図、送別図の至宝 十牛図、白衣観音
正木美術館 「禅・茶・花」 (2008、東京美術倶楽部)
  隻履達磨図と大徳寺の法脈 六祖慧能図、拙宗の山水 千利休図、蓮図 百 ”花” 繚乱の図
  小野道風と藤原行成 五祖弘忍図、そして残り香
妙心寺 (2009、東京国立博物館)
  李確の達磨・豊干・布袋図 蔡山の十六羅漢図 白隠慧鶴と師の墨蹟 白隠、正宗寺の大達磨
  長谷川等伯、枯木猿猴図 元時代の普賢菩薩像 如拙筆、国宝「瓢鮎図」 瓢鮎図の世界に遊ぶ
  白隠慧鶴へと注ぐ流れ 狩野山雪の老梅図襖
栄西と建仁寺 (2014、東京国立博物館)
  栄西の人物像と足跡 友松の襖、山雪の座屏 等伯、蕭白、若冲、白隠
  宗達の風神雷神図屏風 俵屋宗達、私のベストテン 中国の詩画軸、六道珍皇寺の世界
東山御物の美 (2014、三井記念美術館) 
  李迪の雪中帰牧図と紅白芙蓉図 銭選の宮女図、馬麟、米友仁 梁楷の釈迦、豊干、布袋
  無準師範の達磨三幅対 牧谿、人間と自然への眼差し 徽宗皇帝の桃鳩図、鶉図
  夏・秋・冬景山水図、馬遠、夏珪 三様の六祖、達磨、唐物
禅・心をかたちに (2016、東京国立博物館)
  白隠の朱達磨、禅宗の成立 臨済禅の導入と展開 白隠の達磨、自画像、寿字
  伽藍神、羅漢たち 馬遠、牧谿、周文 達磨、慧能、異端の僧 白隠の「慧可断臂図」
  牧谿、李唐、如拙
茶の湯 (2017、東京国立博物館)
  牧谿筆 「観音猿鶴図」 「観音猿鶴図」は三幅対か 茶碗ベストテン、茶室という空間
  茶が護り伝えた絵画

hokuto77 at 19:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)東洋絵画 

2017年05月29日

皆川達夫&中世音楽合唱団、つのだたかし

中世音楽合唱団 創立65周年記念演奏会を聞いた。(2017年5月27日(土)17:00〜 トッパンホール)

〇 第1部: 皆川達夫(指揮、解説)、中世音楽合唱団
トマス・ルイス・デ・ビクトリア: アヴェ・マリア
フランシスコ・ゲレーロ: 救い主を育てた母
ジョスカン・デ・プレ: アヴェ・マリア
トマス・ルイス・デ・ビクトリア: 入祭唱
ジョスカン・デ・プレ: ミサ・パンジェ・リングァ

〇 第2部: つのだたかし(リュート、賛助出演)
ジョヴァンニ・ジローラモ・カプスペルガー: トッカータ
ルイス・ミラン: ファンタジア
シャンソンと舞曲
ジョン・ダウランド: ラクリメ(涙)

〇 第3部: 皆川達夫(指揮、解説)、中世音楽合唱団
ルーカ・マレンツィオ: 私の愛する方が  私は泣く、愛の神ゆえに  優雅な鳥のさえずり
クラウディオ・モンテヴェルディ: おお春よ  波はささやき
夏が来た

中世音楽合唱団は、知人がメンバーだった頃に何度か聴きに行ったことがあったが、それももう10年以上前のことでこのところ随分ご無沙汰しているうちに、今年で創立65周年になるのだそうだ。
皆川達夫先生の冒頭のお話によれば、当時はバッハ以前の音楽などまともに扱われていなかったとのこと、確かに65年前の1952年といえば、その前年に締結されたサンフランシスコ講和条約が発効しようやく独立を回復したばかりで、古楽の研究や一般的な受容などにはほど遠い時代だったかと思われる。
そうした中で生まれたと聞けば、”中世音楽合唱団” という普通名詞的な団体名にも、あらためて必然性や重みが感じられたりもした。

コンサートは、今年が卆寿という皆川先生のいつもながらの軽妙なお話に導かれながら、それぞれムリーリョとレオナルドに準えられたビクトリアやゲレーロとジョスカン・デ・プレで始まった。
第1部のメインである ジョスカン・デ・プレの 「ミサ・パンジェ・リングァ」は、65年前にこの曲をピアノで弾いてみてもどうにもならなかったことから、この合唱団を作るきっかけになったという記念すべき曲で、5年毎の節目にとりあげてきたのだそうだ。
はじめに元曲である聖歌の紹介があり、緩急をつけた指揮や途中の説明のおかげもあって、各楽章の個性がよく伝わってくる演奏だった。

第2部は つのだたかし氏のコーナー、”リュートによる16〜17世紀音楽の旅”、といった趣でイタリア、スペイン、フランス、イギリスの曲が弾き継がれていった。
楽器の性格もあってどれもしんみりした感じながら、その中にも思いの深さや国柄の違いがあって、リュートという楽器のさまざまな音色や表現力を堪能できる、思いがけないプレゼントとなった。(ただ、どういうわけか会場の人数や今の季節からは考えられないほど咳払いが多く耳障りだったのが残念だった。)

第3部は、皆川先生はじめ合唱団のメンバーが私服で登場し、イタリアのマドリガーレが賑やかに歌われ、最後は会場全体での 「夏がきた」の輪唱で締めくくられた。


>支倉常長と音楽の旅 (2007) 
>天正少年使節と音楽の旅 (2006) 

hokuto77 at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年05月28日

ミュシャ、スラヴ叙事詩-8 スラヴ賛歌

(国立新美術館 〜6/5)
「原故郷のスラヴ民族」から始まった アルフォンス・ムハ(ミュシャ)の連作 「スラヴ叙事詩」、その苦難が多かった曲折の道のりの最後に、まばゆい光に満たされた力強い作品があった。

20. スラヴ民族の賛歌 (1926年、480×405cm) は、スラヴ民族の勝利のヴィジョンを誰の目にもわかるようにした作品で、神話の時代を青、抑圧する異民族を黒、フスの時代を赤で象徴させつつ、スラヴ民族の自由と平和、独立と団結を金色で表現している。
中央に巨大な若者の姿を登場させる、いかにもという感じの集大成的な図柄は、やはり超大型連作の最後はこうあらねばならない、ということからのものだったに違いない。
しかし、感動的なはずのフィナーレの画面に若干の空回り感を覚えてしまうのは、前々回ふれた現実との乖離が明らかになってきているからに違いなく、ライフワークの掉尾を飾る作品にもかかわらず小さめのサイズの作品として仕上げたところに、もしかしたらムハ自身の迷いが表れているようにも思うがどうだろうか。

スラブ民族の国づくりは、第一次大戦後のハプスブルク帝国の崩壊でかなり進むことになるものの、第二次大戦後には ”鉄のカーテン” でソ連を盟主とする東側=共産主義陣営に囲い込まれてしまい、1989年11月のベルリンの壁崩壊に始まる一連の東欧革命を通じて、ようやく民主化がはかられることとなった。
しかしそれは同時に、チェコスロヴァキアとして独立し70年ほどを経過してきた国が、平和裡に進んだビロード革命を経て チェコと スロヴァキアに分裂するといった事態を招くこととなり、民族問題の難しさをあらためて内外に示すことにもなった。
また第二次大戦以降は南スラヴ諸民族の統一国家を実現し、自主管理社会主義や非同盟運動で存在感を示していたユーゴスラヴィアも、それはもしかしたらムハの理想としていたところとかなり共通点があったかもしれないのだが、あえなく崩壊していまなお一部で紛争が継続していることなどを考えると、スラヴ民族にとっての本当のゴールは何処にあるのか、という思いも禁じ得ない。

この「スラヴ民族の賛歌」という絵もまた、スラヴ民族の国家樹立がまだ ”夢” の段階だったら熱狂的に受け入れられたかもしれず、せっかくのライフワークを取り巻く状況が目の前で流動的なものになっていく ムハの複雑な胸の内は察するに余りある。
それは厳しい歴史の現実であり運命の皮肉でもあるけれど、それによってこの壮大な連作の美術的・文化史的価値が減ずることはないものと信じたい。


>スラヴ叙事詩
原風景 (1, 2)  勢力伸長 (3, 4, 5, 6)  言葉の魔力 (7, 9, 10)  フス戦争 (8, 11, 12)
フスの残光 (13, 14, 16) スラヴ主義 (15, 17, 18) ロシアの民衆 (19)

hokuto77 at 19:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2017年05月26日

バベルの塔展-5 バベルの塔という企て

(東京都美術館 〜7/2)
ボイマンス美術館所蔵、ピーテル・ブリューゲル(ブリューゲル 1526/1530年頃–ブリュッセル 1569年)の 「バベルの塔」(1568年頃)は、通常の絵画作品に期待される限度をはるかに超えたレベルで、細部まで徹底的に考え抜かれて描き込まれている。
建設工事のさまざまな技法や各現場の進捗状況、大小の船が集まる港の賑わい、眼下に広がる街とその向こうの田園風景、空を覆う暗雲、それらの全てが専門的な知識による考証によってリアリティーを与えられていることで、人びとの現実の生活がある世界の只中に、フェイクとは思えない塔が確かに建ち上がり、その中ではすでに人々の営みが始まっている。

しかし、その見た目の堅固さにもかかわらず、この塔は絶対に完成しない、この塔に希望はなく、そう遠くない未来には崩れ落ちる、そんな予感と不安が、時代を超えて今の我々の心を揺さぶる。
聖書の物語は、単なるきっかけというか口実だったのだろうか。
本当の制作動機は、神の怒りではなく人間の可能性の方だと思うけれど、それでも、天に届く塔を建てようとした人間の傲慢さに怒った神が、言葉を乱して互いに相手の言葉を理解できなくなるようにしたという話は、聖書の中でも特に興味深いエピソードであり、ブリューゲルがその視覚化に取り組んでくれたことには感謝の言葉もない。

それにしても、人類が考え出した技術や仕組みや約束事のほとんどは、民族や風土の違いを超えてユニバーサルなものになっていくのに、人間を人間たらしめている根本とも言うべき ”言語” は、現代においても最もグローバル化が進んでいない分野ということになるだろう。
なぜ言語の違いが厳然とあって、それが思考方法の違いに繋がりやすいということも含めて、今なお人類全体の意思疎通を困難にしているのか、という問いを立ててみれば、神の怒りにふれたから、という以外には説得力を持つ理由を見い出しにくい。
だが、そうした話よりもこの絵が直接的に訴えかけてくるのは、これほどまでに壮大にして無益なことに一生懸命取り組んでいる人間の営みとは何か、我々の仕事とは、文明とは、歴史とは、ということではないか。

あらためてこの建築物に目を凝らせば、もちろん聖書の中の話であるし、巨大過ぎて無理があるとはいえ、この工法ならある程度までは実現可能かと思わせるところがある。
そもそも聖書が想定した ”” とは、このように床面積が大きく人が居住するような建物ではなかっただろう。
しかし、煉瓦を積んでいく工法であればこの形態にこそ現実性があり、もし今までにほぼ出来上がっている5〜6層までで留めておけば、完成した空中都市として利用可能だったかもしれない。
だが、そこで終わっておけないのが人間なのであって、まだ上に伸ばすことができるはずと限度なく突っ込んでいってしまう傲慢さこそ、ブリューゲルが訴えたかったことなのではないか。
あるいは、個々の人間は優秀で目先の仕事はしっかりやるけれど、全体構想に無理があれば完成に至ることはなく、いつか崩壊していかざるをえない、という警鐘とみるべきか・・・


ブリューゲル ベスト10ベスト25

バベルの塔展 (2017、東京都美術館)
ボスの「放浪者」 ボスの「聖クリストフォロス」 ボス派の油彩と版画 ブリューゲルの版画

ザ・タワー展 (2012、江戸東京博物館)  

hokuto77 at 19:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典)