2022年08月06日

仲道郁代-3 ベートーヴェンのソナタ第31番

仲道郁代 ベートーヴェン鍵盤の宇宙 第5回「ベートーヴェンとシェイクスピア」”(7月9日(土)15:00〜 ハクジュホール)で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2、ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」に続き最後に取り上げられたのは 「ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110」だったが、この作品がシェイクスピアに関係するとは思っていなかった。
仲道郁代さんの解説によれば、本曲は誰にも献呈されていない、しかし一度は “不滅の恋人” の最有力候補と言われる アントニー・ブレンターノ夫人に献呈すると書いて消された形跡があるので、一度は彼女に捧げようと考えたが思いとどまった、というよりも、献呈できる状況ではなくなったことを暗示しているということのようだった。

そうした事情を踏まえると、第騎攵亘粗のテーマに “愛をもって” 弾くようにとの異例の指示があり、第恭攵呂砲 “俺は愚か者” というドイツ民謡が自虐的とも思える響きで引用されていることも、確かに説明がつきやすい。
さらに第軍攵呂 “嘆きの歌” がバッハの「ヨハネ受難曲」の重さを纏い、そこから第験攵呂離奸璽が祈りの音楽として立ち現れ、しかもそれはやがて反行フーガとなって、祈りに対する神の応えのように降ってくるに至ると、曲全体として ”叶わぬ恋” に気持ちの整理をつけて立ち直り、新たに生まれ変わることを希求した作品なのだという見立ても腑に落ちるような気がした。
ソナタ 第31番をこのようなストーリーを持った音楽として、揺れ動く心のドラマとして聞いたのは初めてで、それだけに最後に高みに駆け上がっていったフィナーレには圧倒的な高揚感があった。

振り返ってみると、この日は「ベートーヴェンとシェイクスピア」というテーマの下に、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第10番、17番、31番が演奏されたわけだが、第10番と第31番については特にシェイクスピアと直接的な関係があったというわけではなかったようだ。
一方、唯一の接点らしい第17番「テンペスト」については、シェイクスピアの「テンペスト」を読めと言ったというエピソードを踏まえ、ベートーヴェンがシェイクスピアを愛読してその世界観を霊感源としていた可能性を探るなど、その関係を強く感じさせていた。

この第17番を中心に置いてみると、第10番はピアノ・ソナタに “対話” の形を取り入れ、器楽で “演劇化” を試みた萌芽的な作品であり、第31番はこの実験および第17番でシェイクスピア的世界に挑んだことを発展させた形として、ベートーヴェン自身の葛藤とその克服を音楽作品に結実させたということになるのだろうか。
そのように第31番を聴いた体験は確かに有意義だったと思うけれど、その上で、本作品はそうした事情や背景をすべて捨象したうえで聴かれるべき普遍的な作品でもあるはずで、その意味ではこの日のようなアプローチが唯一の聴き方ではなく、純粋に抽象的な音楽として聴く耳もまた残しておきたいと思ったりした。


>仲道郁代さんの過去記事
ベートーヴェンとシェイクスピア 、3 (2022)
The Road to 2027 ”知の泉”  (2022)
シューマン 300日の物語  (2021)
ギャラクシティ・リサイタル (2021)
シューマンの室内楽  (2020)
コバケン・ワールド Vol.25 with 仲道郁代 (2020)
3台ピアノの響きとともに  (2017)
国立新美術館 開館10周年記念ウィーク (2017)
ラ・フォル・ジュルネ ”パリ、至福の時” (2013)

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)音楽の部屋 

2022年08月03日

ルートヴィヒ美術館展-3 バルラハ

(国立新美術館 〜9/26)
エルンスト・バルラハの木彫 「うずくまる老女」(1933年)は、ドイツ表現主義の絵画が並ぶ部屋の中央で、中世の教会の聖像かと思うような雰囲気を醸し出していた。
達磨のように頭から全身を覆う衣を身に纏って坐る老婆の皴の刻まれた顔は、諦念が浮かんでいるようでありながら僅かに微笑んでいるようにも見え、微動だにしない姿勢と相俟って達観した心境にあるように思われた。
老いは両手両足にもはっきりと現れており、特に立てた膝の上から力なく垂れた左手は、人智の及ばないものに対する無力感と、それにもかかわらず決して失われることのない人間の尊厳を示しているようだった。

1870年生まれの バルラハ(バルラッハ)は、若干回り道をしたカンディンスキーよりは4歳年下だが、クレーやキルヒナーより10歳ほど年長なので、ドイツ表現主義の同時代人と言えるかは微妙なところかもしれない。
むしろ彼の彫刻の持つ厳しさや堅固さは、リーメンシュナイダーに遡るドイツ精神を体現しているように思われた。

ケーテ・コルヴィッツの 「哀悼」(1938年)は、浮彫のように浅い凹凸の中にふたつの手で半分以上を隠された顔があり、そこに深い悲しみが凝縮している。
激動の時代を生きた女性芸術家にとって、“哀悼” すべき対象は山ほどあったと思われるが、1938年の作であれば、これは不遇のうちに亡くなったバルラハへの哀悼ということだろうか・・・

バルラハとコルヴィッツの接点を中心に生涯を大急ぎで振り返ると、ロシアやイタリアへの旅を経て自己のスタイルを確立した バルラハは、44歳で迎えた第一次世界大戦への兵役志願が転機となり、帰還後には戦場での恐怖を踏まえた反戦的・厭戦的傾向の強い作品を発表するようになる。
このことが彼の名声を高めた一方、ナチズムの台頭により批判の対象となって退廃芸術の烙印を押され、多くの作品が没収・撤去されていった。

そんな中、1936年に コルヴィッツおよびヴィルヘルム・レームブルックと展覧会を開いたのだが、これが決定的ということだったのか、以後制作を禁じられアカデミー会員資格も剥奪されるなど、芸術的にも社会的にも抹殺されることとなった。
このときバルラハは66歳、コルヴィッツは69歳で彼女も退廃芸術家として活動が困難になっていたが、その2年後にバルラハが失意のうちに旅立った時には、“同志” としてできる限り哀悼の意を示そうとしたのではないか。


>エルンスト・バルラハ展 (2006、藝大) 

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)西洋彫刻 

2022年08月01日

Index Apr.-Jun., 2022

鉄道博物館100年 (旧新橋停車場) 
ピカソ (汐留美術館) 
スコットランド美術館展 (東京都美術館) 
吉祥の美 (五島美術館) 
ボテロ (ザ・ミュージアム) 
SHIBUYAで仏教美術 (松濤美術館) 
ボーシャン+藤田龍児 (東京ステーションギャラリー) 
シダネルとマルタン (SOMPO美術館) 
空也上人と六波羅蜜寺 (東京国立博物館) 
国立西洋美術館ベストテン 
鎌倉の仏 16
エジプトの旅 

田部京子 
前橋汀子 
小倉貴久子 
アンヌ・ケフェレック 
仲道郁代 
前橋汀子、小林研一郎 
西山まりえ 

2022年07月30日

国立西洋美術館-3 前庭の改修

2020年10月から2022年4月まで1年半ほど全館休館となっていた国立西洋美術館を訪れてまず驚いたのは、前庭の風景がずいぶんと殺風景なものになっていたことだ。
美術館本体にはほとんど変化が見られなかったので、この前庭の改修のために1年半もかけたのかと思ったけれど、主目的は地下の企画展示室の空調と防水工事で、その過程で前庭も大きく掘り返されることになったということのようだ。
しかしそこには、世界遺産への登録審査にあたりル・コルビュジエの当初プランが損なわれているという指摘が出されたため、可能な限り原型に戻すという意向も働いたとのことなので、世界遺産に関わってしまった以上やむを得ないこととは思いつつも、やや複雑な思いが湧いてこないでもない。

変更点は大きく3つ、第1はロダンの「カレーの市民」と「考える人」の設置場所が変わり、これに伴い豊かだった植栽の大部分が除去されたこと、第2は当初あった南西部の入口から「地獄の門」に向かって進み左に折れて入館するという動線を復活させたこと、第3は周囲のを透過性の高いものにして外からもよく見えるようにしたことだった。

第3のは、防犯や管理上の問題がないなら確かに上野公園と一体化したと言えるし、第2の入口に関しては、個人的には新しい動線にそれほどの魅力は感じなかったけれど、JRの改札に近い従来の入り口を閉鎖したりしないなら特に異論はない。
しかし第1の点に関しては、豊かだった植栽ベンチが取り払われたことで、憩いの場であった “公園” が単なる空き地か駐車場のようになってしまい、「カレーの市民」と「考える人」の魅力までが減じたように思えてならない。

この前庭プランが ル・コルビュジエ作品全体の中でどれほど本質的なものなのか、直近の状態のメリットは度外視してもとにかく元に戻さなくてはならないのか、今回の企画展示室からみの工事ということがなくても敢えてやらなければならなかったことなのか、等々議論の余地のあるポイントは多いように思われる。
むしろ、当初の設計意図の尊重ということであれば、前庭の改修より中三階や螺旋階段の活用の方が重要なのではないかとも思うが、そのような予定はないのだろうか。


>国立西洋美術館に関する過去記事
松方コレクション展 (2019) 
”器” としての国立西洋美術館本館 (2016)
西洋美術館の世界遺産登録に向けて (2016)
ル・コルビュジエと西洋美術館常設展 (2013)
西洋美術館のオールド・マスターズ (2011)
ル・コルビュジエと国立西洋美術館 (2009)
国立西洋美術館の常設展 (2007)
国立西洋美術館ベストテン  古典編1  近代編1

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)掘り出し物など 

2022年07月28日

田部京子-3 ブラームスの “間奏曲”

田部京子シューベルト・プラス 第9回”( 6月26日(日) 14:00〜 浜離宮朝日ホール)に出かけ、ブラームスの「3つの間奏曲 Op.117」の最初の音が鳴った瞬間に、あぁ、やっぱり生の演奏会を聞きに来てよかった、と思った。
6月とは思えないほど暑い日だったが、まろやかで美しい音に包まれるうちに、季節を超えた “もののあはれ” の世界に引き込まれていった。

第1曲は緩やかな音楽が、小さな翳りを含んだ長調の響きの中をたゆたうように流れていく。解説によればスコットランドの詩「不幸な母親の子守歌」から引用されているというけれど、そのような不吉さは感じられず、たとえ霊感源はそこだとしても、むしろ救いと慰撫の音楽という感じがした。
第2曲はいかにもブラームスらしい哀愁の音楽、けっして感情を高ぶらせることなく節度を保った中で、さまざまな思いが次から次へと浮かんでは消えていく。
第3曲はもう少し動きが見えるものの、全体としての気分はそう大きくは変わらないままに、回想の甘さとほろ苦さを噛み締める時間が終わった。

田部京子さんのこの日の演奏は、この作品の再現としての理想形に限りなく近く、コンサートの冒頭から深々とした瞑想の時間へと引き込まれた。
その上でだが、ブラームス最晩年の境地と言われるこのあたりのピアノ曲集について以前から思っていたことが頭をもたげてきたので、蛇足として書き留めておきたい。

作品番号117を与えられたこの3曲を全体としてみて見れば、統一感があると言えばその通りに違いないけれど、一つの曲集としてはやや変化に乏しい感じがしないでもない。
それに、“間奏曲” ばかりを3曲集めたところに(“前奏曲集”という例もあるが)違和感がないでもない。
似たようなことは作品116から119までの4つの曲集に属する20曲を聞くたびに感じることでもあったので、中期の作品76も含めて、間奏曲(インテルメッツォ、“In” で表示)の出現状況を整理してみたら以下のようになった。

Op.076 : Ca - Ca - In - In - Ca - In - In - Ca (Ca=Capriccio)
Op.116 : Ca - In - Ca - In - In - In - Ca (Ca=Capriccio)
Op.117 : In - In - In
Op.118 : In - In - Ba - In - Ro - In (Ba=Ballad, Ro=Romanza)
Op.119 : In - In - In - Rh (Rh=Rhapsody)

このうち、作品768つの小品)と作品116幻想曲集)は、カプリッチョで始まって終わる中に間奏曲が挟まれているので、曲集としての構成や一体感が比較的自然な形で意識されているものと考えられる。
これに対し、この日弾かれた作品1173つの間奏曲)は上述したとおりだが、作品1186つの小品)は間奏曲が4曲並ぶ間にバラードとロマンスが挟まれ、作品1194つの小品)は間奏曲が頭から3曲続いた後に奇想曲で締めくくられる。

こうして見てみると、もちろん個々の出来栄えは一応論外として、“曲集” の体裁に関する限りは、間奏曲が増え主力となっていくにつれて、構成への意志や相互の関連性が弱まり、徐々に “緩い” つながりになっているように思われる。
とりわけ最後の作品119は、しっとりした3曲の間奏曲だけで(作品117のように)終わることもできただろうに、なぜそれまでの雰囲気を一変させるラプソディがついているのか疑問に思っていた。

これらの一連のピアノ曲は、中期の作品76は別として、作品116以降は1892年前後にイシュルで書かれたと考えられており、そこでは楽想が浮かぶに任せて1曲ごとに単体として仕上げていったというのが実態なのだろう。
そして、おそらくその時の気分に最も近かったのが、”間奏曲”と名付けるにふさわしい雰囲気を持った作品だった。

ただ、書き溜めた作品を出版するにあたっては便宜的にグルーピングが必要となり、その際には曲想や調性などのバランスなどに一定の配慮を行ったとしても、ひとつながりの多楽章作品として世に出そうという意図は初めからなかったのではないか。
つまるところ1曲ずつが独立した作品だとすれば、必ずしも作品番号ごとに順番に演奏される必要はなく、(グールドがそうしたように)その中から好きなように選んで弾いたり聴いたりすればよい、その方がブラームスの創作意図に近いのかもしれないなどと思ったりした。

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2022年07月25日

スイス プチ・パレ美術館展-1 点描の試み

(SOMPO美術館 〜10/10)
1998年から休館中という異例の スイス プチ・パレ(プティ・パレ)美術館展は、“印象派からエコール・ド・パリへ” というよくある守備範囲にもかかわらず、初見も含めてあまり馴染みのない画家の作品に多く接する機会となった。

第1章 印象派” の冒頭にあった アンリ・ファンタン=ラトゥールの 「ヴェーヌスの身繕い」(1880)は、この画家らしい明快な静物や花ではなく、ぼんやりとした靄に包まれた群像劇となっており、ワーグナーの「タンホイザー」以上に現実感のない世界だった。

第2章 新印象派” には、スーラやシニャックといった主役級ではない点描の画家たちが多く登場、アルベール・デュボワ=ピエの 「冬の風景」(1888-89)は雪の降った翌朝の光景だろうか、明るい張りつめた空気の中、光の粒が積もった雪の上を跳ねているようで、これは点描の手法だからこそ可能になった作品かと思われた。
マクシミリアン・リュスの 「フェイノールのムーズ川」(1909)は、得意としている工場や産業用の船舶が見える河口の風景を、煙と雲と光で包み詩情豊かに描き出していた。

アンリ=エドモン・クロスの 「糸杉のノクチューン」(1896)は、時刻も光源も定かではない薄明りの中、舟が浮かぶ静かな湾を見下ろす道に糸杉が立ち並び、宝石のような光の粒を纏っている。
傍らに集うギリシャ風の装いの女たちは無言の会話劇に興じているのか、ここにも点描の手法ならではの夢幻的な時間が流れていた。

テオ・ファン・レイセルベルヘの 「ファン・デ・フェルデ夫人と子どもたち」(1903)は、点描で描いた人物画としてはかなりの成功例というべきだろう。
裕福な家庭の一コマではあるが、背景やテーブルクロスなども効果的に表現されている上に、幼い女の子の表情がその声が聞こえてきそうなほど生き生きとしていた。

2022年07月23日

小倉貴久子、モーツァルト愛奏のクラヴィーア-3

小倉貴久子さんが “モーツァルトが愛奏したクラヴィーアたち” 5台を弾く《フォルテピアノの世界》第6回(6月13日(月)18:45〜 東京文化会館 小ホール)のアンコール1曲目は、6歳の頃にこのホールで弾いた思い出の曲という 「ロンド ニ長調K.485」、そしてさらに続く拍手に応えて弾かれたのは 「トルコ行進曲 K.331」だった。
それをまず クラヴィコードの小さな音で始め、少し進んだところで チェンバロへ移動、その後 タンゲンテンフリューゲル、シュタインのフォルテピアノと少しずつ弾き繋ぎ、コーダは ヴァルターのフォルテピアノで華やかに締め括った。
〜幼少期から晩年までの さまざまな鍵盤楽器が勢ぞろい!〜” したステージで5台のフォルテピアノの音色を次々に思い出させてくれ、しかも半世紀にも満たない中で格段の進歩を遂げた鍵盤楽器の歴史を早送りで実感することができた、大変 “有難い“ アンコール演奏だった。

それにしても歴史的楽器を一度に5台準備するというのは大変なことだったのではないか。
もうかなり前のこと、チェンバロに凝っていた友人が自宅の楽器を都内のスタジオに運ぼうとしただけでも、専用の車が要るとかでびっくりするような金額がかかるとぼやいていたことがあった。
それが5台となれば移動だけでもそんな車が何回も(何台も?)走り回ることになったのかもしれず、それらをセッティングして調律し弾ける状態にするのにも大変な労力がかかったことと思われる。

これもずいぶん前のことだが、同じこの小ホールで ジョス・ファン・インマゼールがフォルテピアノでモーツァルトを演奏するというコンサートがあった。
しかし行ってみたら、“楽器のコンディションがよくないのでスタインウェイで演奏します” というアナウンスがあり、怒号が飛んだというほどではないがなんとも重たい空気が流れていたような記憶がある。
まだ1台のフォルテピアノのコンサートも珍しい頃で、インマゼールが特に気難しい人だったのかもしれないが、それにしてもデリケートな楽器を5台もスタンバイさせる苦労は察するに余りあるので、あらためて今回の関係者御一同に拍手を贈りたい。

なお余談ながら、これもかなり昔に ザルツブルクモーツァルトの生家を訪れた時に、“展示している楽器を演奏したCD“ というものがあったので土産に購入してきたことがあった。
そういえばどんな楽器を使っていたのかと思って久しぶりに取り出してみたら ”Anton Walter, Vienna c.1780“ と記載されており、この日に登場した5台の中では最後の ヴァルターだということが分かった。(ちなみに、ベートーヴェンの初期・中期・後期を扱った《フォルテピアノの世界》第1回は、ヴァルターから始まりブロードウッド、シュトライヒャーと続いた。)

制作年と推定されている1780年はザルツブルクの大司教と決別しウィーンに移る前年なので、年代が全く矛盾すると言い切れるわけではないが、今回のコンサートの流れを踏まえて考えてみると、この生家でモーツァルト自身がヴァルターを弾いた可能性はかなり低いと言わねばならないだろう。
好意的に考えれば、ザルツブルクの生家を博物館として公開するにあたりモーツァルトゆかりの楽器をウィーンで探して持ってきた、ということはあり得るので、今はそう信じておきたいと思うがどうだろうか・・・


>小倉貴久子さんの過去記事
モーツァルトが愛奏したクラヴィーアたち(2022) 
エラール ・ピアノで聴くドビュッシー(2022) 
フォルテピアノの変遷とベートーヴェンの軌跡(2021) 、2
3台のフォルテピアノによるベートーヴェンのソナタ(2020) 
モーツァルトのクラヴィーアのある部屋(2019) 
ベートーヴェン、シューマン、ショパンが愛したピアノたち(2017) 

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2022年07月20日

ルートヴィヒ美術館展-2 青騎士

(国立新美術館 〜9/26)
ドイツ表現主義を扱った “1.ドイツ・モダニズム――新たな芸術表現を求めて” の章の後半は ”青騎士のメンバーたち。
ブリュッケから6年後の1911年にミュンヘンでスタートしたこのグループは、緩やかな連帯で方向性の幅も広く、ヤウレンスキーの「扇を持つお伽噺の王女」(1912年)のネオンサインを思わせるような明るい色彩は相変わらずのインパクトだ。

しかし今回一番注目したのは フランツ・マルクの 「」(1913年)、そこには2頭の牛の姿が確かに見えるのだが、その具象はいつのまにか抽象の中に溶解していってしまいそうな画面だ。
色の響き合いも形の融合の仕方も計算され尽くされているようで、習作かもしれないと思う小品ながらも完成度は高い。
マルクはカンディンスキーと並ぶ “理論派” として草創期の青騎士をリードした人物だが、結成から3年後の1914年に勃発した第一次世界大戦で戦地に赴きそのまま戦死してしまう。
もし彼がこの路線で制作を続けていくことが出来たら、分裂気味の青騎士の核になって活躍したのではないかと惜しまれる。

アウグスト・マッケも、マルクとほぼ同じように青騎士に関わって死んでいった人物だが、「公園で読む男」(1914年)は題名通りの光景が印象派的な色彩で描かれている、明るく穏和な感じの画面だった。
けっして悪くはないが、本作だけ見ると果たして青騎士の中で ”戦力” たり得たのかと心配になってしまう。

実は今回の “ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡” は、実質的に “ドイツ表現主義展” に近いものになっているのではないかと期待していたので、ブリュッケも青騎士も1人1点ではやや物足りない。
カンディンスキーも1点、「白いストローク」(1920年)は緻密さと即興性が鬩ぎあっているような、カンディンスキーとしては中くらいの作品だと思うが、重層的な画面には思いがけない奥行き感があった。

クレーの 「陶酔の道化師」(1929年)は、一筆書きのような手法で見たことのない生命体が現出している。
それはクレーが生み出したものには違いないが、パワーを与えられた一本の線が自律的に動いていってひとつの形に帰着したといった印象で、画家は何もしていないのに色彩も自ずと紙の裏側から浮かび出てきたようだ。
この絵が描き上げられる現場に居合わせたクレーの方こそ、Fool in Trance だったのではないか。


>カンディンスキーと青騎士 (2010、三菱一号館美術館) 
>青騎士の画家たち (2006、ニューオータニ美術館) 

2022年07月18日

仲道郁代-2 ふたつの 「テンペスト」

仲道郁代 ベートーヴェン鍵盤の宇宙 第5回「ベートーヴェンとシェイクスピア」”(7月9日(土)15:00〜 ハクジュホール)の前半はベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2」に続いて、浦久俊彦氏からシェークスピアに関する話があり、その後に 仲道郁代さんが加わって「テンペスト」の話になった。

ベートーヴェンの第17番のソナタが「テンペスト」と呼ばれるようになった経緯については、この曲をどう理解したらいいのかと尋ねた弟子に、シェイクスピアの「テンペスト」を読め、と答えたというエピソード自体に疑問を差し挟む説、深い意味はなく純朴な(?)弟子を煙に巻いただけだとする説などもある。
それに対し諸井誠氏の分析によれば、第騎攵呂砲榔震燭頬殤される中で戦ったりモノローグを呟いたりする場面があり、第恭攵呂任和佻辰鮟鼎佑峠々に恋に落ちていく様子を表現、第軍攵呂任呂佞錣佞錣犯瑤啣鵑蠅覆らクライマックスへ向かい、しかし最後はさらりと終わるといったあたりも、戯曲の情景や心象をかなり忠実に反映している可能性があるということだった。

また、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」は弟に騙されて苦境に陥れられた王が挽回を企てる話だが、最後には復讐を遂げるのではなく弟を許すという形で終わるという流れとなっている。
これはソナタ「テンペスト」と同じ1802年に書かれた ハイリゲンシュタットの遺書の中で、耳の病に悩み絶望したベートーヴェンが作曲家として生きる決意を新たにするとともに、問題を起こしていた弟を許し前進しようとする意志も窺える内容になっているという点で共通点がある、という指摘が興味深かった。

こうした話を踏まえての 「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 “テンペスト”」は、こちらがそう思って聞くせいか、あるいは仲道さんも特にそのように聞かせようとされていたのか、起伏のある音楽というだけではなく、様々な思いが交錯する心理劇として聞こえてきたように思われた。
この曲は5月に同じ仲道さんの演奏で聞いているのに印象がずいぶんと違い、特に第騎攵呂涼羇屬巴渦擦繋がりモノローグのようになる場面では、ペダルを踏みっぱなしにする指示があるとのことから、徐々に音が濁っていくあたりの響きが新鮮なものに感じられた。

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2022年07月16日

国立西洋美術館-2 ペルセウスとゴルゴーン

(国立西洋美術館)
常設展終盤の彫刻コーナーに、2021年度購入の新収蔵作品として カミーユ・クローデルの 「ペルセウスとゴルゴーン」が出ていた。
さらに “Collection in FOCUS”というパネルでロダン作品と併せた解説があり、それによれば制作年は1898〜1905年と幅があるが、いずれにせよ弟子で愛人だったと言われるカミーユが、二人の関係に終止符を打ち師ロダンのもとを去った後の作品ということになる。

カミーユ・クローデル(1864〜1943)の経歴を簡単に振り返っておくと、1983年に19歳で当時42歳の ロダンのアトリエに入るが、98年には15年間の関係を断ってロダンのもとを去り、その後は精神を病みながら孤独な制作を続けるも1913年48歳の時に精神病院へ送られ、43年まで生きて78歳で世を去る、という人生だった。
したがって彫刻家としての時期は長く見積もっても30年弱で、代表作はロダンとともにあった15年間に集中しているが、独りになってからも孤独な心境の滲む私小説的な作品を残している。

ペルセウスとゴルゴーン」もそうした時期のもので、解説には “最後の野心的な試み” とあったけれど、もちろん並のレベルの作品ではないとしても、ロダンと刺激し合っていた頃の生命力や勢いは感じられない。
恐ろしい怪物をようやく倒したというのに、英雄ペルセウスは何とも線が細く痛々しい感じを纏っており、眼が座ったような表情で狂気を漂わせるメドゥーサの生首の迫力に気圧されているようだ。
もっとも、こちらがカミーユの自画像だということであれば、当時のカミーユの肉体や境遇をペルセウスが、内面や精神状態をメドゥーサが暗示しているということかもしれない。

このコーナーでは ロダンの 「うずくまる女」も “FOCUS” されており、カミーユがロダンの下で学び始めたころに取り組んだこの主題が、訣別してからの 「ペルセウスとゴルゴーン」像の足元にも見えているということだった。
それは首を切られて悶える姿だったが、その隣の ロダン作 「オルフェウスとマイナスたち」(1889以前)の足元にも端正な顔立ちの、それでいてどこか達観したような首が転がっており、オルフェウスに擬せられているはずのそのマスクは、若き カミーユ・クローデル その人なのではないかと思われた。


>カミーユ・クローデル展 (2006、府中市美術館)
  眼を閉じた若い女 心からの信頼 嘆願する女 物思い、炉辺の夢 カミーユを求めて
>ヌード NUDE展 (2014、横浜美術館)
  ロダンの「接吻」 カミーユとロダン

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2022年07月14日

アンヌ・ケフェレック-3 The Last 2 Sonatas

アンヌ・ケフェレックさんが シューベルトベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタを弾いたコンサート、 “THE LAST TWO SONATAS”(2022年6月1日(水)19:00〜 銀座 王子ホール)についての雑感をもう少し。
チラシには “風格と気品を湛えるフランスの名ピアニスト、アンヌ・ケフェレックが3年ぶりに登場。王子ホールで演奏するために温めてきたというシューベルトとベートーヴェンの最後のソナタ。入魂のリサイタルを休憩なしでお届けします。” とあり、確かにこのような構成のコンサートは今まで聞いたことがなかった。

そもそも “THE LAST TWO SONATAS” として取り上げられるべき曲は、この2作品を置いてほかには考えつかない。
もちろんモーツァルトにもシューマンにもブラームスにも、ショパンやその他のすべての作曲家に “最後のソナタ” はあるわけだが、晩年になってようやく到達した至高の境地として、この2曲に並び得るものはない。
しかもこの2人の場合、単に最後の1曲が凄いというだけでなく、最後の3曲が三部作となって異次元の境地に達し、その中でも最後のソナタでまた一段と高いというか深いところを極めたという点で別格だ。

この2曲を ベートーヴェン → シューベルト の順で聞いたことはある。
近いところでは、イェルク・デムスの傘寿を記念するリサイタルで、この時は2作品に加えバッハ、モーツァルト、シューマンもプログラムに入った大変な演奏会だった。
もうひとつ記憶に残っているのは 田崎悦子さんが ブラームス(Op.117、118、119の小品集)、ベートーヴェン(ソナタ第30、31、32番)、シューベルト(ソナタ第19、20、21番)という最晩年の3曲を順次組み合わせたシリーズで、その最後が ブラームスのOp. 119に続き ベートーヴェンの第32番、休憩を挟んで シューベルトの第21番だった。
この3回シリーズはまさに記憶に残るものだったが、これに近い形は今後もあり得るだろうし、12月に予定されている田部京子さんの ”シューベルト・プラス” シリーズの最終回も同じプログラムになるようだ。

しかし、今回のような シューベルト → ベートーヴェン という構成は初めてだし、しかも休憩なしでこの2曲のみというのはこの先もちょっと考えにくいのではないか。
そこにケフェレックさんの並々ならぬ思い入れがあったことは、「この二つの最後のソナタは(中略)人間の魂の最も美しく深遠な面を表現しており、誰もが持つ人間の最善の部分に普遍的に呼びかけてきます。両作品とも内的な旅路を霊的な次元から表現しているのです。このプログラムの最後に演奏するベートーヴェンのソナタOp111のアリエッタ主題の最後の音にたどり着いた時、この美の中に何らかの心理が現れているように感じられます。」というインタビュー記事からも明らかだ。

そこは全く異論がないし貴重な体験だったけれど、なぜ ”休憩なし” だったのか。
このプログラムを知った時、全体で70分ほど集中力を要する曲を続けて弾くというのはかなり大変なことと思った一方、これまでもソナタの楽章間では体を固くしたまま緊張をほどかず、小品のリサイタルでは曲間の拍手はしないよう求めてきたケフェレックさんなので、もしかしたらこの2曲もピアノの前に座ったまま弾き続けるのかと思ったりしたのだが、さすがにそれは無理というか無謀というものだろう。

実際はシューベルトが終わったところで普通に拍手を受けていったんステージから去り、5分くらい間があってから再登場してベートーヴェンとなった。
もとよりこのくらいのインターバルは珍しいことではないが、であればなぜ敢えて “休憩なし” で聞く方には着席の継続を求めたのだろうか。
芸術上の理由があるならばもちろん尊重したいと思うけれど、聞く方にとっても長尺になると若干とはいえ心身ともに負担が増すということはあるので、こうした形が一般的になっていくのは杞憂だといいのだが・・・


>アンヌ・ケフェレックさんの過去記事
ラ・フォル・ジュルネ関連
2009  モーツァルト: ピアノ協奏曲第27番
2010  フランク、フォーレドビュッシー、ラヴェル (ル・ジュルナル・ド・パリ)
2010  バッハ、モーツァルトショパン
2012  スカルラッティ、モーツァルト、ラヴェル、ドビュッシー
2017  日本モーツァルト協会例会
2018  バッハ、モーツァルトベートーヴェン
2018  モーツァルト: ピアノ協奏曲第24番
2022  ショパン、リストサティと仲間たち

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2022年07月12日

ルートヴィヒ美術館展-1 ブリュッケ

(国立新美術館 〜9/26)
ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション” は、久しぶりにドイツ美術や現代美術にふれる機会となった。
序章 ルートヴィヒ美術館とその支援者たち” にあった アンディ・ウォーホルの 「ペーター・ルートヴィヒの肖像」(1980年)は、美術館を立ち上げた功労者へのオマージュで、美術史を学び博士号をとった後に実業界で成功しコレクションを始めた人物の思慮深い表情を、軽やかな色彩で浮き上がらせていた。

1.ドイツ・モダニズム――新たな芸術表現を求めて” は、ドレスデンで1905年に結成され、ドイツ表現主義をリードした ブリュッケのメンバーの作品から。
キルヒナーの 「ロシア人の女」(1912年)は、強い輪郭線と大胆な色彩がこちらに迫ってくるようで、原色ではなく抑えめの中間色にもかかわらず強い訴求力があった。
ロマン派とも印象派とも一線を画すきっぱりとした画面は、膨張するマグマのような熱量を帯びつつも、そこに立つ女は無表情で冷徹そうであり、そのことが絵の魅力を一層高めているようだ。
ただし、そこによそよそしさや陰険さを見てしまうのは、ここ数カ月の間に刷り込まれてしまったロシアのイメージのせいだろうか。
今回のウクライナ侵攻はロシア人やロシア文化にとっても取り返しのつかない犯罪だといった論考も出ていて、それはキルヒナーにもモデルの女にも関係ないことではあるけれど、残念ながらしばらくはそんな色眼鏡を外すことも難しいように思われた。

ヘッケルの 「森の中の情景」(1913年)は、緑とオレンジ色の支配する森の中に男と女がいて、生命の根源がここにあるといった神話的風景になっている。
そこでは確かに原初的な野性の力が優勢なのだが、同時にいくぶんか頽廃の空気も孕んでいるようだった。

ロットルフの 「黒人の彫刻がある静物」(1913年)も、大胆な色と形によって無機物に強い生命力を与えている。プリミティヴな造形もくっきりした色も、当時のドイツになかったものを求めた結果生み出されたものだろう。
ペヒシュタインの 「緑の家」(1909年)も、こうした流れで生命力をキーワードに見直してみたら、鮮やかな色が輝き始めたようだった。

2022年07月10日

仲道郁代、ベートーヴェンとシェイクスピア-1

仲道郁代さんの ”ベートーヴェンへの道、鍵盤の宇宙” シリーズの第5回、「ベートーヴェンとシェイクスピア」を聞いた。(2022年07月09日(土)15:00〜 ハクジュホール)

ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2
ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」
ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
 仲道郁代(ピアノ)、浦久俊彦(ナビゲート)

“ベートーヴェンと偉大な魂との対話をテーマに、哲学、美術、宗教、文学など、洋の東西を超えた偉人たちとの対比を通して、ベートーヴェンの生涯・音楽を読み解き、その真実に迫る“ というプロジェクトの第5回目となるこの日、取り上げられたのは シェイクスピアだった。
冒頭に、ホールのある富ヶ谷近辺が物々しい雰囲気になっている、昨日の事件はショッキングだった、というコメントがあり、今回のテーマは ”演劇性と対話” であると説明されてから、1曲目の 「ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2」が演奏された。

何回も聞いたことがあるわけではないのに妙に耳に残っている第騎攵は、確かに夫婦か恋人同士の対話のような掛け合いで始まり、「悲愴」ソナタより後の作品とは思えない平明な音楽が軽快に進んでいった。
第恭攵は短いテーマが繰り返されるたびに音符が増えていく変奏曲形式で、ピアノ・ソナタではここから始まったとのこと、この後に「熱情」ソナタや晩年の 第30、32番(さらに第九交響曲、弦楽四重奏曲の 第12、14番)でも重要な役割を担う変奏曲のスタートがこのような形だったというのは意外な感じがした。
第軍攵は3/8拍子ということだが、そうは聞こえない変拍子ぶりが中期以降の作風を感じさせていた。
”夫婦喧嘩“ という愛称でも呼ばれることがあるという本作は、全体で特別なストーリーを表現したというわけではなさそうだが、音楽でも演劇的な情景を想起させることが可能かどうかを試してみたといったところだろうか。

次いでナビゲート役の 浦久俊彦氏が登場、シェイクスピアはなぜかくも偉大なのか、について話し始め、書いた戯曲37のうちの30がオペラ化された、その中でも「テンペスト」は50人の作曲家に取り上げられた(聞き間違いか?)、といった音楽との相性の良さが紹介された。
次いでドイツでの受容という話になり、当時のドイツにとっては英文学が先進的なものと考えられており、自然からインスピレーションを受ける田園ブームも広がる中で、シェークスピアの戯曲も多く読まれたようだった。
また、ベートーヴェンも教養人で読書家であり、冬の夜は読書の時間をとることに特に熱心で、戯曲のセリフを手帳に書き込んで人生訓とすることもあったということだった。(TBC)

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2022年07月08日

国立西洋美術館-1 Collection in FOCUS

(国立西洋美術館)
この4月に1年半ぶりにリニューアル・オープンした 国立西洋美術館、主力作品の多くが企画展の方に行っているようなので、常設展にはあまり見たことのない作品が出てきているのではないかと思い、まずそちらの方に行ってみた。
やはりいくつか初見作品があったほか、既存作品もこれまでと違う壁面に展示されていたり、 “Collection in FOCUS” というパネルでテーマに沿った解説を付していたこともあって、久しぶりの “西洋美術館” を新鮮な気持ちで楽しむことができた。

最初の小部屋では、松方コレクションを公開するための施設としてスタートした当館の第2代目館長 山田智三郎が、オールドマスターにも収集の対象を広げたことが紹介されており、我がベストテンの冒頭に掲げた 「聖ミカエルと龍」もその最初の成果であったとのことだった。
印象派以降を主な守備範囲とする美術館や展覧会が多くなってきているだけに、それ以前の作品を多く所蔵する当館の意義も大きくなっていると思うし、まだ地下展示室がなかった頃は、企画展の空白期間でなければ北方ルネサンス絵画の名品に会えなかったことを思い出した。

次のFOCUSは “黙せる音楽”、うっすらと埃を被るほど長く弾かれていないリュートが主役の バスケニス楽器のある静物」と、妻が隣の部屋でピアノを弾いているのに静謐な気配が漂う ハンマースホイの 「ピアノを弾く妻イーダのいる室内を取り上げていた。
いずれも比較的最近コレクションに加わった作品で、音楽を題材にしながら実は “沈黙の時間” が描かれていること、そしてどちらもフェルメールの作風や境遇に重なるところがあるという指摘が興味深かった。

ドルチの 「悲しみの聖母」については、青い衣に天然ウルトラマリンブルー、光輪に黄金、と高価な画材が使用されていることが最近判明したということだった。
その流れでヴェロネーゼ作品への言及もあったが、聖女カタリナに因む作品が4点も出ていたのには何か特別な理由でもあったのだろうか。
その他にも入れ替えや配置換えがあったが、本館の古典絵画部門でベストテンに挙げた10作品は有難いことに全て登場していた。

新館の近現代部門は、企画展の影響で様変わりしている部屋が多く、いつもはモネ作品のための部屋でFOCUSされていたのは “モリゾと黒いドレス女性” だった。
このテーマではマネがモリゾを描いた作品の印象が強いが、もともとはモリゾが女性画家としての立ち位置を示すべく他の女性をモデルに描いたのが始まりだったらしい。
とは言え、参考写真ではない実際の作品は弱いのになぜこのテーマが選ばれていたのか、もしかしたら当館でマネ展ないしモリゾ展を計画中ということなのだろうか。

下の階には初めて見る作品が多く、アラブ風の男たちが集う フランク・ブラングィンの 「木陰」、頼りなさげな後ろ姿が異界へと誘うナビ派の画家 ケル゠グザヴィエ・ルーセルの 「小道の聖母マリア」がよかった。


>国立西洋美術館ベストテン  古典編1  近代編1

2022年07月06日

田部京子-2 シューマンのソナタ第1番

田部京子 シューベルト・プラス 第9回”( 6月26日(日) 14:00〜 浜離宮朝日ホール)の後半は シューマンの 「ピアノ・ソナタ 第1番 Op.11」、第騎攵は文学青年の悲劇性をそのまま音にしたような印象的な序奏で始まった。
本作は25歳のシューマンが(それまでは子供だと思っていた)9歳年下のクララを強く意識するようになり、“ピアノソナタ、フロレスタンとオイゼビウスからクララに捧げられる” と譜面に書いたり、彼女宛の手紙では “君に対するただひとつの心の叫び” と伝えたりしたとのこと、序奏にはそんな気持ちが全開で現れていた。
主部の主題は、迷える青年の煩悶と愛への憧れがフロレスタンとオイゼビウスのように交錯、このあたりはシューマンの作風がソナタ形式に向いているようにみえたが、対立するそれぞれの個性は明らかになっても、ひとつに融合して高まっていくというわけではなさそうだ。

第恭攵は甘美な愛の歌となるが、これから展開し深まっていくのかと思うところであっさりと終ってしまう。
むしろ第軍攵のスケルツォの方が充実した書きぶりのようで、特に第2トリオはショパンの「英雄ポロネーズ」を思わせる輝かしい響きとなり、このままフィナーレになだれ込んでもいいような晴れやかさだった。

第験攵は激しい音楽を次々に繰り出しながら、見通しのきかない道をひたすら進んでいく。
先が見えず行き場を求めてもがいているといった印象が強かったのだが、山あり谷ありの悪路を駆け続けてようやく頂点へと向かうという、思っていた以上にスリリングな音楽に没入させていただくことができた。
しかしあらためてCDでこの作品を復習してみると、おそらく普通に弾いてもそれなりに盛り上がるという作りではなさそうで、強い思い入れと共感があってやっと音楽になり “心の叫び” らしくなるという難物なのだろう。

コンサートで聞く機会があまりないのもそのためか、形より心が先に行ってしまうシューマンが、初めてのソナタに力が入り何もかも詰め込み過ぎてしまったような、ソナタ形式と4楽章形式の中で悪戦苦闘しているような印象で、贈られたクララももしかしたら戸惑ったのではないか・・・
といってシューマンを貶めたいわけではない、本作品は “ピアノ・ソナタ第1番” としては音楽史上の最高傑作に違いないし、シューマンの美点はアンコールで演奏された 「交響的練習曲」の一部(おそらく遺作の第4番)と 「献呈」(リスト編曲版か?)で堪能することができた。

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2022年07月04日

牧歌礼讃/楽園憧憬-3 ボーシャンと藤田龍児

(東京ステーションギャラリー 〜7/10)
アンドレ・ボーシャン(1873-1958)藤田龍児(1928-2002)は、解説にもあるとおりヨーロッパと日本、20世紀の前半と後半、というように活躍した地域も時代も異なっており、もちろん共通する理念や個人的なつながりなどがあったわけではない。
こうした “2人展” が企画されるのは異例のことかと思えるが、解説パネルによればコロナ禍により海外からの作品の借り出しができなくなり、進行中の企画が頓挫する中で浮上してきたということだった。

確かにこの2年余の間にそれまで当たり前だったことがそうではなくなり、様々な業界が新たな対応を余儀なくされ試行錯誤の途上にある中で、美術展の世界は国内にある作品をいかに見せるかが活路のひとつとなり、力づくの大規模展ではない細かな技が腕の見せ所となってきているようだ。
今回、藤田龍児は 星野画廊、ボーシャンは ギャルリーためながの協力で個人蔵作品が多く集められており、実はボーシャンの作品がこれほど国内にあるというのも驚きだったのだが、 “牧歌礼讃/楽園憧憬” というタイトルに “じわじわ効きます、しみじみ沁みます” というコピーを重ね、それぞれの画風に至った経緯を丁寧に説明していたことで、一つの展覧会として実のあるものになったと思う。

最後のコーナーでは2人の作品を並べて展示しており、2人のアプローチの違いにあらためて気づかされた。
藤田龍児の 「神学部も冬休み」(1993)は母校である同志社のキャンパスを描いたもので、全体的な構成はかなり我流にアレンジしているようなのに、個性的な建物が微細に再現されたことにより、御所に近いキャンパスの日本離れした空間の雰囲気がよく伝わってきた。
一方、ボーシャンの 「トゥールの大道薬売り」(1944)は、全く知らない場所なのにそこがどのような空間で、いま何が行われているかがよくわかる画面となっている。
この2作品、全体と部分に対する方向性や優先順位付けは真逆のようなのに、結果的にはどちらも “牧歌的な楽園” というところに到達しているところにおもしろさがあった。

2人とも苦難の末の後半生でこうした世界にたどり着いたわけだが、ボーシャンは苗木職人と測地兵というバックグラウンドが生きているようで、前回ふれなかった点で言えば、ごつごつとした山肌を見せながらそそり立つ岩山に妙にリアリティがあるのは、測地術を通して鍛えられた空間再現力によるものかと思われた。
藤田龍児は脳血栓による右半身不随から復活するにあたり、それまでに見て心の襞に織り込まれていた風景を、病後の不自由な生活の中で慈しむように再生産した。
フィールドは違っても、それまでの蓄積は生きる、あきらめるな、道は必ず開ける、つまるところはそういうことだろうか。

冒頭のパネルに、2人の心境はこのようなものだったのではないかということで、百人一首の中の歌が紹介されていた。
長らへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき”(藤原清輔朝臣)
なかなか出口の見えない疫病の流行に加え、理不尽な暴力や見え透いた嘘がまかり通り、やりたいこともままならない我慢の毎日なのに物価だけが上がっていく、そんな日々をこのような心境で振り返ることのできる日が、いつか来るだろうか・・・

2022年07月02日

前橋汀子-2 郷愁と追憶の名曲集

前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.18”( 6月19日(日)14:00〜 サントリーホール)の後半は ドヴォルザークの 「わが母の教え給いし歌」から、ここでもマルディロシアン氏のピアノが創り出す音楽のスケールが大きく、誘い出された前橋さんのヴァイオリンは泣き節を情感豊かに歌っていた。
続く「スラヴ舞曲 Op. 72-2」ではヴァイオリン主導となり、名旋律の宝庫のような曲を絶妙の語り口で聞かせた。

パガニーニの 「ラ・カンパネラ」はフジコ・ヘミングさんの演奏ですっかり有名になった曲だが、たぶん初めて聞くヴァイオリン版ではフラジオレットを駆使して鐘らしさを出していた。
ファリャの 「スペイン舞曲第1番」と技巧的な曲が続いたあと、ドビュッシーの 「亜麻色の髪の乙女」で雰囲気を変えて霊妙な世界へ入っていく。
マスネの 「タイスの瞑想曲」も “アフタヌーン・コンサート” の定番となっている曲、とびきりの美音がおおらかな旋律を歌い上げていくと、やっぱりこの音が聞きたかったのだと今更ながらに思ったりした。
プログラムの最後は ブラームスの 「ハンガリー舞曲第1番・第5番」、メリハリの効いた緩急自在な演奏でいったん締めくくられた後は、もうお約束のようにアンコールへとつながっていった。

まず バッハの 「G線上のアリア」、思えばこの曲を本当に “G線上” で聞く機会はあまりなくなってきているような気がするし、次の ショパンの 「ノクターン」のような編曲ものもそうだが、前橋さんのコンサートはこうした作品を通して古き良き時代を思い出させてくれるところも大きな効用のひとつといえる。
後半部分はだいぶ曲が固定されてきているように思うけれど、できれば ドルドラの「想い出」や ラフの「カヴァティーナ」なんかも聞いてみたい。

そして最後は サラサーテの 「ツィゴイネルワイゼン」、この日一番の切れ味のように聞こえたのは、弾きなれた曲を十分に温まった指と腕でということだったのだろう。
中間部の泣き節は哀愁に満ちた音色でじっくりと聞かせ、最後は熱狂的な踊りが果てるようにして終った。


>前橋汀子さんの過去記事
メンデルスゾーンの協奏曲(2022)  
アフタヌーン・コンサート(2021) 
前橋汀子カルテット(2020) 
アフタヌーン・コンサート(2019) 
前橋汀子カルテット(2019) 

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2022年06月30日

エジプトの旅-5 ルクソール、王家の谷

テーベの都として繁栄した ルクソールは、前回ふれたカルナック、ルクソールの2大神殿があるナイルの東岸が人々の生活の場となっている一方、すぐ近くまで褐色の岩山が迫っている西岸は、あの世につながる死の領域=ネクロポリスとされ墳墓が多く建設された。
新王国時代の歴代の王は、古王国時代のピラミッドのように目立つものを建てる代わりに、この岩山の陰に隠れるように小さな 岩窟墓を掘り、その中を副葬品や壁画で荘厳に飾り立てた。
これが 王家の谷と呼ばれるエリアで、現存する石窟墓は60を超えるようだが公開されているのはごく一部、この時に見学できたのは3か所だった。

まずは ツタンカーメン王の墓、黄金のマスクをはじめとする全貌が明らかになったことで有名になり、エジプト美術を代表するような地位を得ているが、それは規模が小さく目立たなかったために、盗掘に遭って荒らされなかった唯一の墓として考古学者が “発見” することができたからにほかならない。
ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)は確かに、アクエンアテンによる一神教への改宗・アマルナ遷都という急進的な改革を元に戻し、アメン神とテーベを取り戻した王ではあったが、そのどこまでが王自身の力によるものか定かではなく、実態としては9歳で即位し18歳で早世した(毒殺説もある)短命の王だった。

それでもこれだけのものが残されたのだから、歴史に名を遺す他の偉大なファラオの墓がもし盗掘されていなかったらと思わざるを得ない。
実際にツタンカーメンの石窟を見た時の率直な感想は、こんな狭いところに詰め込まれていたのかというもので、それほどその他の窟は大規模で複雑な構造をしていた。

壁画で最も印象に残っているのは、群青色の天井に天空の女神ヌウト(ヌト、ヌート)が大きく描かれている ラムセス6世の窟だ。
この女神が太陽を毎朝産み落として日没に飲み込み、夜は太陽が舟に乗って西から東に移動するという古代エジプト神話の核心部分が、最も説得的に視覚化された図と言っていいと思う。

この2つ以外は、残念ながらどこを見たのか思い出す手立てがない。
というのも王家の谷では写真撮影が一切許されず、狭い通路を行ったり来たりでメモを取る余裕もなかったからなのだが、中に落とし穴付きの窟というものがあって、これで盗賊を撃退するつもりだったというような説明を聞いた記憶が朧げながらある。

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2022年06月28日

田部京子-1 シューベルトの ”3つの小品”

田部京子さんのピアノ・リサイタル、”田部京子 シューベルト・プラス 第9回” を聞いた。
(2022年6月26日(日) 14:00〜 浜離宮朝日ホール)

ブラームス: 3つの間奏曲 Op.117
シューベルト:3つの小品 D.946
ー休憩ー
シューマン: ピアノ・ソナタ 第1番 Op.11 
(アンコール)
シューマン: 交響的練習曲の一部(遺作第4変奏?)
シューマン(リスト編?): 献呈

プログラムに選ばれていたのはいずれもなかなか生演奏で接する機会が少ない曲、その中でも特にレアな感じのする シューベルトの 「3つの小品 D.946」は、少なくとも2回聞いているのに第2曲が印象に残ったことくらいしか書き留めていない。
そこで今回は、”シューベルト・プラス“という企画のコア部分でもあるので、田部さんの演奏であらためてじっくり聞いてみようと思った。

本作はシューベルトが奇跡的な高みに達した最晩年の作ではあるけれど、3曲の遺作ソナタと比較すると超越性やまとまりの良さといった点で水が開いていると言わざるを得ず、全体的な印象としても散漫な感じが否めない。
それでももちろん聞き所はあり、”作品“ に昇華する以前のシューベルトの生の感情が、むしろストレートに表れているのではないかと思われた。

第1番はいきなり速いテンポで始まり、シューベルトにしてはやや直截的過ぎるような音型とその進行が落ち着かない感じを与えつつ、何かに追い立てられるように駆けていく。
だが次のテーマに入ると一転して静かな瞑想に入り、死を前にしたシューベルトの心情が立ち現れてくるようだったが、悲劇性が増していったところでソナタ形式に展開するのかと思えば、冒頭のテーマが戻ってきて(単純な繰り返しだろうか)終わりとなった。

第2番は文句なく美しい。
後期作品の緩徐楽章の中ではおそらく最も平穏で明るい雰囲気を持った旋律に、はじめはさりげない感じで入り、何度か繰り返される中で徐々に感情を高めていった。
中間部で2度の嵐が吹き荒れようとも死の影や深淵を覗き込むような怖ろしさはなく、やがて本来のテーマが蘇り夢見る時間が還ってきた。

第3番はぎくしゃくした感じのリズムがスケルツォ楽章のようで、無骨と言ってもいいほどのシンプルな旋律線も、ふと立ち止まるような中間部も、この時期のシューベルトに期待したいところとはかなりの距離感がある。
どこへ連れていかれるのかわからないままに進んでいく流れに不安を掻き立てられ、力づくで終わるフィナーレでは一瞬だがベートーヴェンの「フィデリオ」を思い出したりした。

本作は ブラームスが匿名で編集し、シューベルトの死後に出版されたということなので、特に第2番が埋もれてしまわなくてよかったとは思う一方、シューベルト自身は少なくとも一つのまとまった完成作と認識していた可能性が低いところが気にかかる。
率直なところ3つの曲の集合体としてどう理解すればいいのかと思っていたのだが、この日の田部さんの演奏と、“目前に迫る命の終わりを予感するかのように、怖れと救いが交錯する” というご自身が書かれたプログラムノートは、確かにそれへの解答になっていた。

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2022年06月26日

スコットランド美術館展-4 南と北

(東京都美術館 〜7/3)
“スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち” 展の最終盤に登場していた ゴーガン(ゴーギャン)の 「三人のタヒチ人」(1899)は、果物を持つ左の女性がイヴで、右の指輪の女性は義務と責任を表しているのだという。
そのように限定された世界観なのかどうかはともかく、即物的なタイトルにもかかわらず彼女たちの表情は深く、哲学的ともいえる陰翳の濃い目をしていた。
書物や情報手段も十分にない未開の地だから思索も深まらないのではないか、などと思うのはおそらく大間違いで、自然と共存し生と死に向き合う中で豊饒な精神世界が育まれてきた、そのことを一番よく知っていて我々にも教えてくれたのがゴーガンだった。
彼を魅了し惹きつけたのは色彩豊かな自然だけではなかったことが、本作を含むタヒチ時代に量産された油彩や版画に表れている。

本展の最後は フレデリック・エドウィン・チャーチの「アメリカ側から見たナイアガラの滝」(1867)、エピローグにこんな大作をわざわざ持ってきたのだからスコットランド人の作品なのかと思ったが、彼の地で財を成したスコットランド人の実業家が故郷に寄贈したアメリカ人画家の作品ということだった。
それでも画面は北国の空気を感じさせているようであり、おそらく寄贈者を動かしたのもそのあたりだったなのではないか。

そういえば今回の展覧会は、コローの「廃墟」やシスレーの風景、水面にゆらゆらと映る河畔の並木が美しい モネの「エプト川沿いのポプラ並木」(1891)などにもどこかイギリス的な香りが感じられ、そこにスコットランド人コレクターたちの美意識が反映しているように思われた。
また、個別の作品には言及しなかったが ゲインズバラ、レノルズ、ブレイク、コンスタブル、ターナーといったイギリス人画家の作品も多く、全般に少しひんやりとした空気の漂う絵画展だった。

そんな中で最もスコットランドを感じさせた作品を選ぶとしたら、”プロローグ” にあった ジェームズ・バレル・スミスの 「エディンバラ、プリンシズ・ストリート・ガーデンズとスコットランド国立美術館の眺め」(1885)になるだろうか。
岩山の上に高く聳える古城や北国らしい厚い雲が見える抒情的な水彩画で、エディンバラならではの景観の作品だったけれど、それでも清冽な空気感というよりは牧歌的な穏やかさの方が勝っていたように見えたのは、やはりイングランド人が描いたスコットランドだからなのであろう。

2022年06月24日

小倉貴久子、モーツァルト愛奏のクラヴィーア-2

“〜幼少期から晩年までの さまざまな鍵盤楽器が勢ぞろい!〜” というステージで 小倉貴久子さんが “モーツァルトが愛奏したクラヴィーアたち” を弾く《フォルテピアノの世界》第6回(6月13日(月)18:45〜 東京文化会館 小ホール)、20分の休憩の間に前半で使用した3台が後ろに下げられ、後半は前列左端に据えられた クラヴィコード( 1770年代)による 「ロンド イ短調 K.511」から始まった。

クラヴィコードはコンパクトなサイズで普通の室内にも置きやすいためか、絵画などでもよく見ることがあるし、長方形の箱なので旅先にも比較的容易に持ち出せたことから、演奏旅行を続けたモーツァルトにも特に身近な楽器だったというのだが、これまで実際にその音を聞いたことはなかったと思う。
しかし、弾き出された音はまことに小さく線も細く、この小ホールでも全員が固唾をのむように集中して聞かなければ、さらに言えば曲そのものがある程度頭に入っていなければちょっと厳しいかな、というくらいの響きだった。

むしろ晩年に近いこの 「ロンド イ短調 K.511」は、現代のピアノによる豊かな音響と変化に富んだダイナミクスをおそらくもっとも受け入れやすい曲であり、またそれを必要とする曲のように思っていたので、今回の取り合わせは意外だったのだが、解説によればヴィブラートをかけることができる、弦との距離が近く親密な感じがする、ということでの選択ということだった。
冒頭に短い序奏が加わっていたように思うが、これもそのあたりを念頭に置いての小倉さんのオリジナルということだっただろうか。

最後は ヴァルターフォルテピアノ(1795年)、「ファンタジー ニ短調 K.397」は一つ一つの音の響きを確かめるようなゆっくりと入り、そこから徐々に堂々たる音楽が立ち現れてきた。
本作は未完成といわれ、前半のゆっくりとしたニ短調の “幻想曲” らしい部分からアレグレットに入るとすぐに集結してしまうという形でこれまでずっと聞いていた。
しかし今回は小倉さんの補筆版による演奏ということで、しばらく経過句風の音の流れが続いた後に冒頭のアルペジオが戻ってきて長調に変わり、さらにレチタティーヴォのような音型を経て 「ソナタ第13番 変ロ長調 K.333」へと続いていった。
つまりニ短調の “ファンタジー” が変ロ長調ソナタの “プレリュード” になったわけだが、それは後から思い返して気づいたこと、その時は全く違和感を感じることなくギャラントなソナタの世界に誘われていった。

5台の最後を飾ったヴァルターは、ウィーンに拠点を移したモーツァルトが、フリーの音楽家としてピアノ協奏曲を中心とした予約演奏会を開いていた頃に使っていた楽器ということなので、モーツァルトの最盛期を伴走した楽器と考えていいのだろう。
普段なら歴史的楽器としての ”古さ“ を感じさせるヴァルターも、チェンバロから歴史を追ってきたこの日の耳には、新しい世界の扉を開けた豊かな響きの楽器として聞こえた。

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2022年06月22日

ボテロ展-2 とけそうもない魔法

(ザ・ミュージアム 〜7/3)
フェルナンド・ボテロ(1932〜)展の後半に進むと “第4章 ラテンアメリカの世界”、この大雑把な括りはただ楽しんで見ていればいいということなのだろう、レッスン中のバレリーナもカーニバルで盛り上がる人々も、楽師も大統領も寡婦も、みんなふくよかでぽっちゃりしているから一生懸命さが伝わってきたり、思わず笑いがこみあげてきたりする。

中でもインパクトが強かったのは 「結婚したて」(2010)、緊張した面持ちの男女が正面向きに並んで立っているのだが、大統領にも似た左側の男はいかにも硬くぎこちなく、一方右側の女は頭にヴェールを被り小さな花束を持っているだけの全裸なのに全く怯む様子はない。
ここでも乳房や陰毛の小ささが体のボリューム感を表しているわけだが、そのあっけらかんとした姿にはジャストミートした打球が一直線に飛んでいくような爽快感があった。

それにしても見た目のふくよかさは百難を隠すのか、「」(2000)には漆黒の空に悪魔が群れを成して現れたところだが、ぽっちゃり系の彼らはさほど悪そうには見えず、さりとて善人になったというわけではないにせよ、毒を抜かれて無害の存在になっているようだった。

“第5章 サーカス” もボテロにいい素材をたくさん提供したらしく、ピエロや軽業師や動物たちにも、ユーモアとペーソスがほどよく混じり合っている。
中で 「赤ちゃんライオンと調教師」(2007)が一番笑えたけれど、そもそもボテロという画家は上手いのか下手なのか。

この作品ばかりではないが、でっぷりした肉づきやはち切れんばかりの衣服の表現、画面全体の色の配置などは達者なものだと思う一方、顔の表情は個性が希薄で類型的だし、アイテムの大きさのバランスや奥行きの表現はなんともプリミティヴだ。
そのあたりにアンリ・ルソーとの親近性を感じたりもしたが、ボテロの場合はそうした効果を狙った意図的なものだったのだろうか・・・

最後の “第6章 変容する名画” は古典的名画のパロディを集めたコーナー、夫妻の顔が向かい合う 「ピエロ・デラ・フランチェスカにならって」の2点組は過去に別のところで(もちろん原画ではなくボテロ版を)見たことがあったと思うのだが、ともかくもその大きさと膨張感を目の当たりにすれば、もはやパロディの域を超えて新たな創造というべきレベルに達していると感服せざるを得ない。

その他にも換骨奪胎ぶりの激しい作品が多かったが、「クラーナハにならって」(2016)は首を切り落としたはずの女が “わたし、なにしてるのかしら”、とでもいうような表情を浮かべていて、今回の展覧会場内随一のしっくり感を見せていた。
アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)」(2006)は原画の情報量を生かした秀逸なパロディ、上向きの男を能天気な感じに描き過ぎてしまったからなのか、中央奥の鏡に画家の姿はなくドアは開いたままで、どうやら “ボテロ逃走中” ということのようだった。

2022年06月20日

前橋汀子-1 「春」とフランクのソナタ

演奏活動60周年記念公演という “前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.18” を聞いた。
(2022年6月19日(日)14:00〜 サントリーホール)

ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調Op. 24 「春」
フランク: ヴァイオリン・ソナタ イ長調
ー休憩ー
ドヴォルザーク/クライスラー編: わが母の教え給いし歌
ドヴォルザーク/クライスラー編: スラヴ舞曲 Op. 72-2
パガニーニ/クライスラー編: ラ・カンパネラ
ファリャ/クライスラー編: オペラ『はかなき人生』よりスペイン舞曲第1番
ドビュッシー/ハルトマン編: 亜麻色の髪の乙女
マスネ: タイスの瞑想曲
ブラームス/ヨアヒム編: ハンガリー舞曲第1番、第5番
(アンコール)
J.S.バッハ: G線上のアリア 
ショパン: ノクターン 変ホ長調 Op. 9-2 
サラサーテ: ツィゴイネルワイゼン Op. 20
 ヴァイオリン:前橋汀子、ピアノ:ヴァハン・マルディロシアン

前橋汀子さんがワインカラーのドレスで登場し、ベートーヴェンの 「スプリング・ソナタ」が、春の花がほっこりと開くように始まった。
“アフタヌーン・コンサート” がこのように定例化されることで、聞く方にとってもおのずと1年の節目のような感じが生まれてきており、心地よいヴァイオリンの音色に身を委ねながら、世界を一変させた疫病も完全には収まらず海の向こうでは戦争が続いていても、とにかく今年もまたこの時期を迎えることができた、そんなことをあらためて思う場にもなったようだ。
そのせいなのかどうか、第恭攵呂搬茘験攵呂妊謄鵐櫃皺士未睛泙┐蕕譴襪箸海蹐如△靴澆犬澆箸靴疹雋兇叛眛昔呂感じられた。

フランクの 「ヴァイオリン・ソナタ」は、アルメニア出身の ヴァハン・マルディロシアンが弾くゆっくりとしたピアノで始まり、彼が創り出す大きな音楽に前橋さんのヴァイオリンが応えて幻想の扉を開けていく。
これでは弓が足りなくなってしまうのではないかという心配をよそに、大きな弧を描いていくような旋律でも心ゆくまでたっぷりと歌う演奏だった。
第恭攵呂貌ると情熱的に加速、さまざまな起伏を経て2人のやり取りは力を増していき、第軍攵呂撚山擇止まったかと思うように静かな対話が交わされるあたりが一番の聴き所となった。
この “アフタヌーン・コンサート” は気軽に聞けるという持ち味もあってか、実は会話や咳払いなどによるざわつきが止まずにいたのだが、ここの緊張感で大きなホールが水を打ったように静かになった。
終楽章は徐々にテンポを上げていって最後はスリリングに終結、スケールが大きく彫りの深いフランクのソナタだった。

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2022年06月18日

仲道郁代-3 ”知の泉” と再生への祈り

今回の “The Road to 2027 仲道郁代 ピアノ・リサイタル 知の泉”(5月29日(日) 14:00〜 サントリーホール)の全体は、以下の4曲で構成されていた。

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第17番 「テンペスト」 Op. 31-2
ショパン: バラード 第1番 Op. 23
リスト: ダンテを読んで S. 161-7
ムソルグスキー : 組曲 「展覧会の絵」

知の泉” という表題から、文学や絵画など音楽以外の “知” を霊感源とした作品を並べた企画と思っていたが、配布されたプログラムや仲道郁代さん自身がマイクで語られたところによると、掲げられたテーマは一歩先に進んで “人間の業と再生への祈り” というものだった。
ベートーヴェン没後200周年とご本人の演奏活動40周年が重なる2027年に向けて企画した10年にわたるコンサートシリーズだという “The Road to 2027 リサイタル・シリーズ” を聞いたのは初めてなので、いつもこのように重たいテーマが設定されているのかはよくわからない。
だが[春のシリーズ]はその ベートーヴェンを核に据えたものなので、まずは「テンペスト」をしっかり反芻すべきところなのだが、「展覧会の絵」の印象が強烈過ぎてその向こう側にあったものを甦らせるのは容易ではない。
それは例えば、応挙や蕪村、若冲らを見た後に蕭白の屏風絵にぶち当たってしまったようなもので、ムソルグスキーも確かに常識的な物差しでは図ることのできない異形の才能だった。

ともあれ、31歳の ベートーヴェンが 「ハイリゲンシュタットの遺書」と同じ時期に書いた 「テンペスト」は 、遺書らしく始まった文章が書き進むうちに “生きていく” 宣言に変わっていったように、運命の激しい嵐に見舞われながらも静かな対話を繰り返すことで吹っ切れたように前進していく、というファウスト的人間像の最も若い姿が表れていた。

ショパンの 「バラード第1番は、若き作曲家が動乱の故郷ポーランドを離れて二度と帰れなかった、という境遇を今のウクライナの現状に重ね、深い悲しみや実存的不安と、そこからの再生への願いが反映した曲ととらえられていた。
残念ながら演奏中に客席から電子音がかなり執拗に鳴り続けたということがあったが、後半の 「展覧会の絵」の前にあらためて演奏されたことで、悲しみに彩られた内省的な音楽が激しく高揚していきながら最後は “死” を覗き見るようにして終るという流れをしっかりと受け止めることができた。

リストの 「ダンテを読んで」は、鍵盤上の手の動きがとにかく忙しいことに唖然とさせられたが、広い音域で強打されることによって生み出される音の塊は、地獄の恐怖を見せつけて不安を煽るためのものと思っていたし、闇と光が激しくせめぎ合っても闇の優勢は変わらないのだという印象を持っていた。
しかし、中盤以降は眩しい光が射してきて空間を満たし浄めていくようで、これもまたいつか訪れるであろう再生を希求せざるを得ない人間のために提示された音楽なのだと思った。


(プログラム・ノートより)
“知の泉” 公演によせて;
シェイクスピアの「テンペスト」とベートーヴェンが見出した生への問いと許し。
ポーランドに伝わる壮大な叙事詩とショパンの人生の重なり。
ダンテの「神曲」から描かれるリストの世界の理。
そして、死せる友人の絵の世界に見出したムソルグスキーの死者への呼びかけ。
作曲家がその音楽でもって立ち昇らせる概念。その音が満ちていく様は、「知の泉」ともいえるものだ。
音の渦の中に、生への定義が聴こえてくる。

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2022年06月16日

ピカソ、ひらめきの原点-2 戦いと安らぎ

(汐留美術館 〜6/19)
イスラエル博物館所蔵 ピカソ ― ひらめきの原点 ―” 展の後半は、1936年から39年まで続いたスペイン内戦が パブロ・ピカソ(1881-1973)を政治的な人物に変えたあたりから。

検1937-1953年 戦時期 ―ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー
「ゲルニカ」の原型といえる銅版画 「フランコの夢と嘘 I、II」(1937)で自己主張を始めた時期のミューズは、1936年に54歳で出会った28歳の写真家 ドラ・マール、 “泣く女” としても有名な彼女の個性は 「女の頭部」(1940、エッチング)にそれほど強く表れているとは言えないが、他の女たちとアプローチが違っているのは確かなようだ。
シュルレアリストでもあったドラ・マールとの生活は刺激に満ちていたと思われるが、仕事ができ自己主張が強かったかもしれない女性との間には、相応の緊張感もあったのだろう。

対照的なのが1943年61歳の時に出会った21歳の画家 フランソワーズ・ジロー、彼女はピカソが最も美しく描いた女性といってよさそうだが、「肘掛椅子に座る女 」(1949、リトグラフ)には、花や太陽になる前の原型が見えているように思われた。

后1952-1970年 晩年― ジャクリーヌ・ロック、闘牛、バッカナリア、画家とモデル、〈347シリーズ〉
ピカソはさらに72歳になった1954年に27歳の ジャクリーヌ・ロックと出会い、結果的に彼女が2度目の妻で最後の女性ということになった。
ようやく安定した暮らしに落ち着いたということなのか、「ジャクリーヌ」(1959,リノカット)には南フランスの風を感じさせる伸びやかさがあった。

同じリノカットの手法による 「牧神と山羊」(1959)は、濃い青空の下の水辺に集って笛を吹き踊るファウヌスと山羊のおおらかな姿に、バッカナリア=バッカスの祭りの気分が充溢していた。
展覧会の最後は86歳で取り組んだ版画連作 「347シリーズ」(1968)、7カ月で347枚の版画を制作したという作品はテーマも技法も多岐に及んでおり、気力体力ともに充実していたことが実感された。

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2022年06月14日

小倉貴久子、モーツァルトが愛奏したクラヴィーアたち-1

小倉貴久子さんの 《フォルテピアノの世界》第6回、“モーツァルトが愛奏したクラヴィーアたち” を聞いた。(2022年6月13日(月)18:45〜 東京文化会館 小ホール)
“〜幼少期から晩年までの さまざまな鍵盤楽器が勢ぞろい!〜” というこの夜のコンサートは、ステージ上に並べられた5台の歴史的な楽器の音を聞き比べられるという貴重な機会だったが、モーツァルト(1756-1791)が生きた35年の間にこれだけの楽器の進化があったというのも驚きだった。

【チェンバロ:18世紀半ば作者不詳、アルザス地方(J.クリンクハマー製作)】
   2つのメヌエット ト長調 K.1e/ハ長調 K.1f
   ヴィレム・ファン・ナッサウの主題による7つの変奏曲 ニ長調 K.25
【タンゲンテンフリューゲル:シュレーター考案(久保田彰製作)】
   ソナタ ト長調 K.283
【フォルテピアノ:J.A.シュタイン 1780年代、アウグスブルク(R.ハッセラー製作)】
   ソナタ ハ長調 K.330
 ー休憩ー
【クラヴィコード:フーベルト 1770年代(深町研太製作)】
   ロンド イ短調 K.511
【フォルテピアノ:A.ヴァルター 1795年、ウィーン(C.マーネ製作)】
   ファンタジー ニ短調 K.397
   ソナタ 変ロ長調 K.333
(アンコール)
   ロンド ニ長調 K.485
   トルコ行進曲 K.331

コンサートは前列左の チェンバロ(18世紀半ば)による 「2つのメヌエット ト長調 K.1e/ハ長調 K.1f」で軽やかに始まった。
この時代も鍵盤の上段・下段の使い分けで強弱の表現は可能だったわけで、考えてみればこの方が大掛かりでメカニックな仕組みのようにも思えるが、音楽的なニュアンスの表現という面では、やはりこの後に続く楽器たちが出て来る必然性があった。
“ナンネルの音楽帳” に父レオポルドの筆跡で書かれていたというこの曲も、旅先の聴衆を大いにi喜ばせたであろう 「ヴィレム・ファン・ナッサウの主題による7つの変奏曲 ニ長調 K.25」も、幼いモーツァルトの得意満面の笑みが髣髴とするようだった。

続いて弾かれた中央の タンゲンテンフリューゲルは初めて聞いたが、チェンバロより柔らかく雅な感じのする音色に微妙なニュアンスの変化が加わる魅力的な楽器だった。
ミュンヘンで書かれたという 「ソナタ第5番 ト長調 K.283」はこの時期らしい平明な感じで進んでいったが、第恭攵呂涼羇嵒瑤妨られる翳りや第軍攵呂里佞販ち止まるようなところには、特にこの楽器ならではの味わいが感じられた。
この頃のモーツァルトにとっては、行く先々で目の前に出て来る楽器の構造や表現の幅が違うということは当たり前のようにあったと思われるが、そこに直ちに反応して楽器の特性を生かした即興演奏をまず行い、それを記録する形で多くの作品を残していったということなのだとあらためて思った。

前半最後は シュタインフォルテピアノ(1780年代)で 「ソナタ第10番 ハ長調 K.330」、このあたりになると曲も音色も馴染みのある世界に戻ってきたという感じがしたけれど、この夜の流れの中では、楽器の機能性が格段に上がってきていること、そしておそらくそれゆえに音楽の幅や深さもまた一段と進歩していることが実感できた。
この楽器はモーツァルトが旅先で知って父親あての手紙で絶賛したということなので、当時の感覚では圧倒的な表現力を持つ最新鋭のメカということだったのだろう。
ウィーンの宮廷で行われたクレメンティとの “対決” でも使用されたというから、当代一流の楽器としてのステイタスも申し分なかったはず、モーツァルト自身は残念ながら入手することができなかったというだけに、新しい楽器の響きを確かめながら楽想を膨らませて楽譜に書きつけていった若き音楽家の複雑な心境を思った。


>小倉貴久子、モーツァルトのクラヴィーアのある部屋(2019) 

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2022年06月12日

鉄道博物館100年のあゆみ 1921-2021

(旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 〜7/3)
現在は大宮にある 鉄道博物館のあゆみをたどる展覧会、他所の施設の歴史を写真や資料だけで紹介するという企画も珍しいと思うが、それも100周年という節目だからこそであろう。

初代の 「鉄道博物館」は、1921(大正10)年に鉄道開業50周年事業として 東京駅北側高架下に開館、当初の一般公開は10日間限定だったらしいが、ここに58万人が詰めかけたという。
その後は常設化するも関東大震災の被害を受け、1936年(昭和11年)に15年の歴史を閉じて 万世橋に移転する。

これが70年続いた二代目で、当初は先代の名を継ぎ 「鉄道博物館」として開館するが、戦後の1946年に 「交通文化博物館」として船舶や航空機、自動車等も加えて再スタート、48年に 「交通博物館」に改称するという経過をたどったという。
このあたりには運営主体が鉄道省(後に運輸通信省)から(財)日本交通公社、(財)交通文化振興財団、さらに国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と変わっていったことも関係しているに違いなく、“官” からみの博物館に共通する宿命であるかもしれない。

ともあれ開館時の写真を見ると当時としてはかなり先進的な建物だったようで、場所柄もあり鉄道ファンや子供たちが多く集まる場所となったが、その観客数の推移にはやや意外なところもあった。
初年度は70万人ほどでスタートするも、一旦ほぼ20万人程度に落ち着いてから徐々に上昇し、1959年に70万人に達してここがひとつ目のピークとなる。
その後は50万人レベルで推移してから再び上昇し、76年に82万人という館の記録を作るが、そこから緩やかに減少して半分の40万人程度となり閉館を迎えた。
このうち、59年をピークとする最初の山は、東海道新幹線開業より少し早いもののそのあたりの影響かと思われるが、76年の第2の山の方は全く見当がつかない。
87年の国鉄分割民営化につながる先行き不安のようなものがあったのか、あるいは何か目玉の展示が加わったというようなことだったのか・・・

ともあれ 万世橋の 「交通博物館」は2006年に閉館し、引き継いだ 大宮の三代目 は先祖返りして「鉄道博物館」となった。
この移転は施設が手狭になり老朽化も進んだためということだったが、往時の写真を見ると目を輝かせた子どもたちが押すな押すなといった様子で集まっているところに熱気が感じられ、それはおもちゃ箱のように凝縮された空間が創り出しているもののようにも思われた。


>交通博物館(二代目・万世橋) 
>鉄道博物館(三代目・大宮) 

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)掘り出し物など 

2022年06月10日

アンヌ・ケフェレック-2 ベートーヴェン第32番

アンヌ・ケフェレックさんがシューベルトとベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタを弾く、 “THE LAST TWO SONATAS” というリサイタル(6月1日(水)19:00 銀座 王子ホール)の後半は ベートーヴェンの 「ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op.111」、思い切りのいい強烈な打鍵で序奏が始まった瞬間、小さめのホールが揺れたのではないかと思うような硬質の音が響き渡った。
華奢な体と細い指からなぜこのように迫力のある音が可能なのか、と思う間もなく繰り出される疾風怒濤の音楽は、楽聖が追い求めてきた精神の塊の最後の形のようだった。

これほどのストレートな表現は、ベートーヴェンとしても何年ぶりくらいのことになるのか、おそらく熱情ソナタと運命交響曲で窮めて以降では、最も直截的で飾り気なく魂が剝き出しになった音楽ではないだろうか。
もう第2主題や展開部をやってるのもまだるっこしいということか、そのあたりは早めに切り上げてでも元のテーマに戻って思いのたけをぶちまけたい、という心境が表れてるように思われた。

だが、極限まで高まった感情は 第恭攵に入ったとたんに浄化される。
祈りと癒しの音楽が静かに緩やかに紡ぎ出され、変奏で音符が加わるにしたがって再び感情が盛り上がっていくと、第3変奏は一線を越えて踊り湧きたつように音が飛び交う。
これも、ベートーヴェンの他の作品ではちょっと思い当たるものがないほどのディオニソス的な高揚感だ。

しかし本当の到達点はこの後、気がつけば嵐が去り時が止まり、いつのまにか純白に包まれた沈黙の世界の中にいる。
トリルが緊張感を持続し、微妙に形を変えて続くアルペジオがハ長調に整った時に射してくる光は、これより清澄なものはあり得ないと思えるほどだった。

拍手の前に十分な沈黙が欲しい、という事前の断り書きに従ってピアノの前から立ち上がろうとしたところから始まった大きな拍手に応え3度目に出てきた時、ケフェレックさんの手には眼鏡と白い紙があった。
もしかしたらアンコールに珍しい曲を譜面を見ながら弾くのかと思ったりもしたが、それは彼女が読める文字で書かれた日本語のメモで、“シューベルトとベートーヴェンの最後のソナタの旅をしてきた、これ以上の音楽はいらない、沈黙を持ち帰ってほしい” とハムレットの言葉を引きながら語り、そっとピアノの蓋が閉じられた。


>ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番の過去記事
イェルク・デムス(2018)
アンヌ・ケフェレック(2018)
イェルク・デムス(2008)

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2022年06月08日

スコットランド美術館展-3 ミレイの少女

(東京都美術館 〜7/3)
“スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち” 展の後半、ヴァトーに始まり ゲインズバラやレノルズへと続く “3.グランドツアーの時代” で目を引いたのは、ブーシェの 「田園の情景」(1761-62)という3枚の大作だった。
ロココの時代の空気を濃厚に感じさせるものだったが、これらが組み物ではなく独立した作品として描かれたものと聞くと、その同質性を実現している職人的な仕事には良くも悪くも感心せざるを得ない。

“4.19世紀の開拓者たち” の前半も引き続いてイギリスの画家たち、ジョン・マーティンの 「マクベス」(1820頃)は文学作品をもとにしたものでいかにもイギリス的な絵画だが、岩山や雲や光が効果的に描かれているだけに、ここに魔女は要らなかったのではないか。
フランシス・グラントの 「アン・エミリー・ソフィア・グラント(“デイジー”・グラント)、ウィリアム・マーカム夫人」(1857)は嫁いでいく娘を父親が描いた作品で、若さと美しさを永遠に手元に残したいという思いがひしひしと伝わるものだった。
ヘンリー・レイバーンの 「アン・アースキン、エドモンストンのジョン・ウォーコップ夫人」(1800-05)は人物の品位や人柄が滲み出る肖像画、というよりもここでは描かれている女性に対する画家の敬意が反映されているように思われた。

ジョン・エヴァレット・ミレイの 「古来比類なき甘美な瞳」(1881)は、すみれの花びらの入った籠を両手で前にぶら下げた少女が、少し上の方を見ているという作品。
しかし、その視線の先にあるのは普通に目に見えるものではなく、彼女は何か想像の及ばない遥かなものを凝視しているようだ。

本作は、もともとは子役の少女を描いて 「スミレの花を持つ少女」というシンプルなタイトルを付けたのに、後にブラウニングの詩 “カタリーナからカモンイスへ” の中の言葉をとって変更したということだ。
それで 「古来比類なき甘美な瞳」になったわけだが、この作品が前回来日した時の邦題は 「優しき目はいつもかわらずだった。
英文を見ると ”Sweetest eyes were ever seen” なので、前回の訳文は確かに正確ではなさそうだけれど、今回の 「古来比類なき甘美な瞳」もどうなのだろう。

描かれているのは成長過程にある女の子が不意に見せる大人びた目、侵すべからざるピュアな内面世界から外に向かって開かれた目であって、彼女が見たいと求めているものを敢えて言葉にするとすれば、正しいもの、美しいもの、永遠なるもの、といったあたりになるのではないか。
そうであればいずれの邦題もしっくりこないのは翻訳のせいではなく、ミレイに異議申し立てをするのも憚られるが、Sweet にそもそもの問題があるようであり、もし私が直してよければ Brightest eyes、“聡明な目” としたい・・・

2022年06月06日

仲道郁代-2 「展覧会の絵」の中の “死”

The Road to 2027 仲道郁代 ピアノ・リサイタル 知の泉”(5月29日(日)14:00〜 サントリーホール)についての前回記事は、印象が強烈だった 「キエフの大きな門」からアンコールにまずふれることになったが、ムソルグスキーのオリジナル・ピアノ版 「展覧会の絵」そのものが新鮮な体験だった。
仲道郁代さんによる解説でも、ラヴェルによる管弦楽版のイメージを一度振り払ってみると、内実は恐ろしい曲でテーマは “死” だと思うようになったとのこと、確かにこれは死んだ友人へのオマージュというにとどまらず、自分の死、民族の死、人類の死というようなところまでが射程に入ってしまっているという思いを強くした。

プロムナード」はやや戸惑いながらも別の世界へ歩み出ていくよう、この音型がキーや和声を変えて何度も現れる構成は秀逸なアイディアで、全曲の顔になっただけというだけでなく、多彩なイメージの作品を有機的につなぎ合わせる核として機能していた。
小人」でおどろおどろしい世界に突入すると、前衛的な響きがコラージュのように展開していく中で、虐げられたものの嘆きや苦しみ、怨みのようなものが聞こえてきた。

プロムナードを挟んで 「古城」では廃墟に一人立たされたような寂寥感、冷たい風や厚い雲には死の気配が漂い始める。
「テュイルリー–遊んだあとの子供のけんか」で賑やかな民衆劇の世界を垣間見た後は、前半の白眉というべき 「ブイドロ」(ビドロ、牛車)、ここには重い牛車を引く農民の苦痛が描かれているというが、それはレーピンが描いた 「ヴォルガの船曳」の男たちの境遇にもつながるものだろう。
重たい足取りと喘ぐような嘆きの歌から浮かび上がってきたのは、逃れようのない運命を受け入れながら、それでも寡黙に生きていく大地の民の姿だ。

「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」はよく耳にする曲で、可愛らしいユーモラスな小品だと思っていたが、仲道さんはそこに敢えてぎこちなさを取り入れることで、完全ではない状態で踊る雛の不気味さを表しているようだった。
「サムエル・ゴルデンベルクとシュムイレ」も素朴な民衆劇、金持ちの傲慢さと貧乏人の哀愁が対比的に描かれていて、こんなところもオーケストレーションの名手の職人魂を刺激したのかと思うけれど、ピアノの方がむしろテーマがより直截的に伝わってくるように思われた。

厚い響きのプロムナードでもう一度気持ちを入れ直して後半へ、「リモージュの市場」は全曲の中でおそらく最もピアニスティックな書法で、些事が積み重なる現実をひたすら生きる人間模様を描き出すが、これはその後の死の世界に対する現在位置といったところだろう。
そして 「カタコンベ – ローマ時代の墓」でついに死の世界へと入っていく。
死は避けられない、全てはそこに帰着する、闇の中で光る髑髏はそう語りかけているに違いなく、プロムナードの音型が短調で現れる 「死せる言葉をもって死者と共に」では、消え入りそうな旋律を低音が支えながら、陰が陽を飲み尽くしそうな気配となっていった。

そこから徐々に持ち直し浄化に向かっていこうとする間もなく、その雰囲気をぶち壊すように飛び込んできたのが 「鶏の足の上に建つ小屋 – バーバ・ヤガー」、人を捕らえて喰うおとぎ話の魔女が、恐ろしさと空想的な滑稽さとをないまぜにして奔放に暴れまわる。
その混沌と邪悪が頂点に達したところで、全てを打ち払うように 「キエフの大きな門」の澄み切った和音が鳴り渡り、目の前が大きく開けた気がした。
途中に聖歌隊の合唱のような音型を挟み、プロムナードの旋律が数多の鐘となって降り注いでくると、そこに立ちあがったのは紛れもない勝利のモニュメントだった。

ところで全くの余談だが、この日配布されたプログラムでもこの曲は 「キエフの大きな門」であって、「キーウの大きな門」ではなかった。
おそらくロシア文学の中に出て来る 「キエフ」も、今後 「キーウ」に書き換えられることはなく、歴史上の 「キエフ大公国」や 「キエフ・ルーシ」の表記にも変更はないのだろう。
それでもいつか 「キーウ」の方が一般的になっていくことはないのか、ともあれしばらくは 「キエフ」という言葉を目や耳にするたびに、なにやらざわざわした感情が起こってきてしまうのは避けられない。

それはともかく、ムソルグスキーのオリジナル・ピアノ版 「展覧会の絵」には、ロシアの魂、西欧化される以前の伝統的な土着のロシアが残っていた。
管弦楽版が聞き映えのする曲になる際に抜け落ちたのは、影や毒や生活臭だけでなく、絶対的に不可避である “死” のもつ重さと暗さだった・・・

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2022年06月04日

ピカソ、ひらめきの原点-1 大いなる登攀

(汐留美術館 〜6/19)
イスラエル博物館所蔵 ピカソ ― ひらめきの原点 ―” 展は、版画が中心ではあるが ピカソ(1881-1973)の生涯のほぼ全体をカバーしていたため、作風の変遷と女性遍歴、様々な版画技法という3本の軸で多彩な制作の過程をたどることができた。

機1900-1906年 初期 ― 青の時代とバラ色の時代
まず目に入ってきたのは 「お針子」(1906、グワッシュ)、20歳代半ばの青年が最初の恋人 フェルナンド・オリヴィエを描いたもので、夢見るような優しい表情があたたかみのあるピンク色に包まれ、傍らの花にまで愛情があふれているようで、まさに ”バラ色の時代” と言える作品だ。
その先にあった ”青の時代” を代表する 「貧しい食事」(1904、エッチング)の暗く悲痛な画面とは全く違う世界観となっており、青からバラ色の時代への転換にあたってのオリヴィエの貢献の大きさが感じられた。

供1910-1920年 分析的キュビスム、総合的キュビスム
ブラックとの新たな試みに始まるこの時期は、その美術史的意義には敬意を表するとしても、個人的には作品としての魅力があまり感じられない。
それはおそらく、これらが理詰めの実験であるということ以上に、そこに女性の影が感じられないからだろう。

掘1920-1936年 新古典主義、シュルレアリスム、〈ヴォラール連作〉
”キュビズム” から ”新古典主義” へと転換するきっかけはイタリア訪問、しかし最初の妻となる オルガ・コクローヴァとの1917年の出会いも大きかったはずだ。
それを直接示す作品は見当たらなかったが、「三人の女たち」(1922,エッチング)には彼女の面影があるように思われた。

しかし、この結婚は少なくともピカソにとって幸福なものだったとは言えず、1927年に45歳で出会った17歳の マリー=テレーズ・ヴァルテルが新たなミューズとなっていく。
(マリー=テレーズ)」(1928、 リトグラフ)はそんな彼女を繊細な筆致で写し取った作品で、シュルレアリスムの香りのない真っ当な描きぶりとなっており、ただ可愛くて仕方がないといった感じだ。

とはいえ妻と愛人の狭間で思い通りにならないことも多かったのだろう、〈ヴォラール連作〉に登場する ミノタウルスは、そんなピカソの欲望や衝動が仮託されて、奔放に生と性を謳歌しているようだ。
だが「夜、少女に導かれる盲目のミノタウルス」(1934)やその周辺の作品になると、すっかり無力になって弱さを隠そうとしない怪物が、アクアチントによる豊かな陰翳の中、マリー=テレーズに似た少女に手を引かれてどこかに彷徨い出ようとしていた。

2022年06月02日

アンヌ・ケフェレック-1 シューベルト第21番

アンヌ・ケフェレックさんが シューベルトベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタを続けて弾く、 “THE LAST TWO SONATAS” というリサイタルを聞いた。
(2022年6月1日(水)19:00〜 銀座 王子ホール)

シューベルト: ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op.111

コンサートの始まりが シューベルトの 「ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960」というのはたぶん初めてのことだろう。
これから休憩なしの長い緊張の時間が始まると身構えたが、第騎攵亘粗で聞こえてきたのは思いのほか温かみのある優しい音だった。
しかしすぐに出て来る低音のトリルでシューベルト晩年の世界に誘われていき、しばらくは次々に現れる懐かしい歌に癒され、時には激しい嵐に魂を揺さぶられながら、来し方を振り返る旅をすることになった。

ゆっくりと噛み締めるような第恭攵呂紡海 第軍攵呂鰐世襪軽やかな舞いとなり、中間部はアクセントの加減で変拍子のような踊りを見るようだった。
そしてアタッカで突入した 第験攵呂癲大筋では明るくポジティヴな気分を維持したままに、プレストでギアを上げて終曲を迎えた。

こうして第機↓掘↓験攵呂比較的翳りが薄く現世的に聞こえただけに、第恭攵の闇の深さが際立つことになった。
荘重な歩みの中で、左手が右手を飛び越えて鳴らす高音が効果的に響き、そのたびに波紋が広がるようにして世界が深まっていく。
それはいつしか死者の領域へと入っていく音楽であり、逝った人たちとの対話を繰り返す中で、大丈夫、今はこうして生きている、と思いながらも、やがて彼らとの境界線が消えてひとつのものになっていくのだ、という思いに包まれていった。

それでも第掘↓験攵呂鯆未犬討海舛藺Δ北瓩辰討ることができ、さらに背中を押されたような気分になれたのは、ケフェレックさんからのメッセージと受け取っていいのだろうか。
もともとそのように解釈されていたのか、あるいは今回コンサートの1曲目に据えられたからのことだったのか、むしろそのように演奏しようと思ったから1曲目に持ってきたのか、ともあれ影よりも光の方を若干強めに感じた “シューベルトの最後のソナタ” だった。


>シューベルトのピアノ・ソナタ第21番の過去記事
田部京子(2021)
イェルク・デムス(2016) 
エリーザベト・レオンスカヤ(2015)
パウル・バドゥラ=スコダ(2010)
イェルク・デムス(2008)


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2022年05月31日

仲道郁代-1 キエフの大門に響く鐘

The Road to 2027 仲道郁代 ピアノ・リサイタル 知の泉” を聞いた。(2022年5月29日(日) 14:00〜 サントリーホール)

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op. 31-2 「テンペスト」
ショパン: バラード第1番 ト短調 Op. 23
リスト: ダンテを読んで S. 161-7
ムソルグスキー: 組曲 『展覧会の絵』
(アンコール)
ラフマニノフ: 前奏曲 Op. 3-2 「鐘」
ショパン:ノクターン第20番 「遺作」 レント・コン・グランエスプレッシオーネ
ドビュッシー: 『前奏曲集第2巻』から第5曲 「ヒースの荒野」

2日たった今もまだ、耳の奥に 「キエフの大きな門」の荘重な響きが残っている。
ムソルグスキーの 組曲 『展覧会の絵』の最後を飾るこの曲を、今回初めてピアノの生演奏で聞いてみて、これ自体が鳴り響く鐘の音だということに気がついた。
ラヴェルの編曲による管弦楽版はアマチュア・オケの発表会で一度聞き、確かに面白いけれど芸術作品として真面に聞くようなものではないと思ったことがある。
それ以前に エマーソン・レイク&パーマーのレコードは聞いたことがあり(TVでも見た)、その原曲がこれかと思ったところで止まってしまっていた。

しかし最近になって、元のピアノ版は全く別物でロシアの魂が詰まっている、民衆の暮らしや苦難の歴史、その中で培われてきた精神世界が生々しい形で表現されている、というような話を聞いた。
その時点でのロシア・ファンとしては、一度しっかりと聞いてみたいと思ったところちょうど 仲道郁代さんのコンサートがあることを知り、去年の11月に今回のコンサートのチケットを買った。
仲道さんがこの日この曲を弾くことを決めたのは5年前とのこと、それは “The Road to 2027” という遠大な計画の中のひとつのピースとして選ばれたものであって、2月以降ウクライナに惨禍をもたらしたロシアのふるまいなど知る由もなかったはずだが、私がチケットを購入した半年前もそうだった。
その頃から国境地帯に戦車が集結しているといった情報はあったとしても、まさかこれほどの事態になるとは(たった一人の人物を除き)誰も予想していなかっただろう。

この間に命を落とした人はもちろん、築き上げた暮らしを破壊された人や祖国を離れざるを得なくなった人の苦痛は察するに余りあるし、それと比べれば誠に些末なことではあるけれど、坊主憎けりゃではないがすっかりロシア嫌いになってしまい、ロシア音楽もチャイコフスキーの交響曲第2番「ウクライナ」を唯一の例外として聞くことはなくなった。
言うまでもなくロシア人全員が悪いわけではない、チャイコフスキーにもムソルグスキーにも何の罪もないのだが、先ごろ辞職した外交官も言っていたとおり、今回の侵攻はロシア人たちにとっても最悪の結果をもたらしかねないように見える。

そんな中での ムソルグスキーの 「展覧会の絵」だったが、管弦楽版のカラフルなイメージとは全く違う陰翳の濃い音楽だったということについては別に触れるとして、最後に 「キエフの大きな門」が思っていた以上に巨大なものとして立ち上がり、勝利の鐘が神々しく鳴り響くのを唖然として聞くという得難い体験をさせていただいた。
いつかキーウの街にも、こんな晴れやかな鐘の音が鳴ることを願いたい。

大きな拍手に続きアンコールの1曲目として弾かれたのは ラフマニノフの前奏曲の 「」、 奇しくもこの曲も秋のリサイタルのメインに据えていたということで、「キエフの大きな門」から繋がっていくこととなったが、こちらは重たく陰鬱に響く鐘の音だった。
次の ショパンの 「ノクターン第20番(遺作)」は、異郷にいるショパンから故国ポーランドにいる姉に贈ったという作品、悲痛な心情を吐露するような音楽はやはりウクライナの状況へと思いを誘っていく。

しかし最後に、“このままでは皆さんがうなだれたまま帰ることになりそうだから、地球はこんなに美しい、そこに生きているということを感じてほしい” という語りがあって ドビュッシーの 「ヒースの荒野」(『前奏曲集第2巻』第5曲)が演奏された。
聞こえてきたのは一瞬にして雰囲気を変える霊妙な音楽、こんなふうに自然の恵みに思いを寄せ、何の憂いもなく愛でることのできる日々が戻ってきてほしいと思った。

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2022年05月27日

スコットランド美術館展-2 巨匠たち

(東京都美術館 〜7/3)
“スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち” 展は、“1.ルネサンス“に続く “2.バロック” の章の2点が白眉だった。

今回初来日という ベラスケスの 「卵を料理する老婆」(1618)は、将来の巨匠がまだ19歳の時の作品というのに、実に地味で手堅い作品だ。
平たい鍋で焼かれている2つの卵を中心に、陶器や金属の台所用具、少年の持つガラスの瓶や後方に掛かる篭などが、それぞれの手触りをも感じさせる驚異的な質感表現で描かれている。
円熟期のような素早い大胆な筆触とは違い、細かく緻密に描き込まれている部分が多いのだが、例えばガラス瓶の中央を縦に走る白い線がどれほどの効果を上げているかを思うと、既に天才の領域にいることを実感せざるを得ない。

その手腕に感心した上での話だが、はたしてこの絵のテーマはいったい何なのか、というか、どのような動機で描かれた作品なのだろうか。
卵を焼くという行為にそれほどの意味は見出せそうにないし、聖書か何かの物語の一場面というわけでもないだろう。
それよりも、少年の持物や背後に吊られたものも含めて、やや煩雑とも思えるほどに様々なものが特段の脈絡もなく登場しているところからは、質感表現そのものを開陳して画家としての力量を示すことが目的の絵かと思えるが、かといって静物が主役で人物が脇役と言い切れるわけでもなさそうだ。
老婆の表情は厳粛で卵を焼く仕草も何かの儀式を執り行っているかのように重々しく、神妙な顔の少年もただ卵を食べるのを待っているようには見えない。
とすればこれは、卵占い師とその助手の絵、ということにでもなるのだろうか・・・

レンブラントの 「ベッドの中の女性」(1647)は41歳の円熟期の作品、不安そうな表情でベットから身を起こした女性が、カーテンを片手で抑えながら暗い目で向こうを見つめているので、どうやら何かよくないことが起こっているらしい。
そこまでは絵を見れば推測できるが、彼女がサラで、見ているのは8人目の夫トビアが悪魔を追い払っているところだ、というのはさすがにそう教えられなければわからない。
しかし、そう知ってしまえばまさにそのような場面だと納得するほかはないし、7人の夫が次々と初夜に死んでしまうとなれば8人目と結婚すること自体どうなのかとも思うけれど、そんな疑問もこの先に好転していくらしい展開もしばし忘れて、今はただ怯えているだけの彼女の不安を我が事として、運命の前におけるひとりの人間の無力さを噛み締めるほかはない。


ベラスケスの過去記事
マルタとマリアの家のキリスト (2020、ロンドンNG展)
宿屋のふたりの男と少女、スペイン国王フェリペ4世の肖像、スペイン王妃イサベルの肖像、青いドレスの王女マルガリータ・テレサ (2019、ハプスブルク展)
メニッポス、マルス 狩猟服姿のフェリペ4世 バリェーカスの少年、王太子バルタサール・カルロス騎馬像 東方三博士の礼拝 (2018,プラド美術館展)
ローマ、ヴィラ・メディチの庭園フランシスコ・パチェーコ (2016、プラド美術館展)
三人の音楽家 (2012、ベルリン国立美術館展)
ルイス・デ・ゴンゴラ・イ・アルゴテ (2010、ボストン美術館展)
白衣の王女マルガリータ・テレサ、皇太子フェリペ・プロスペロ (2009、ハプスブルク展)
道化師ディエゴ・デ・アセド、フェリペ4世 (2006、プラド美術館展)

2022年05月25日

シダネルとマルタン-3 壁画、南仏の光

(SOMPO美術館 〜6/26)
本展のもう一人の主役、南仏を拠点にした アンリ・マルタン(1860-1943)は、アンリ・ル・シダネル(1862-1939)と比べて画面の光が強く明るいだけではなく、性格的にも外向きの人物だったように見える。

2.象徴主義 には明らかにこの方向性を狙った実験的な作品が何点かあったが、それらより一歩引いたかに見える 「腰掛ける少女」(1904年以前、ランス美術館)は、ごく自然に俯いた横顔が影になったところから “詩” が生まれたようだった。

4.アンリ・マルタンの大装飾画のための習作 の章では、パレ・ロワイヤル内にある国務院総会室の壁画を習作や写真で紹介していた。
これは4つの壁面を 「農業」「コンコルド広場での仕事」「マルセイユの港」「知的労働」という絵画で飾るもので、総延長は50mに及ぶという大作だ。
全体のテーマである 「勤労のフランス」は社会主義国を思わせるようだが、農村、都市、港湾それぞれの労働の場面を描いた3作に、森の中を考え事をしながら歩く男の姿を「知的労働」として加え、これを出席者からよく見える議長席の後ろに割り当てたところは、フランス的と言えるかもしれない。
モネの20年後に生まれ印象派としては遅れてきた世代のマルタンだが、サロンやアカデミーで地位を築きこうした施設に壁画を残すことができたことから、印象派絵画を “公” のものにした功績はあるわけで、モネなどの創業世代がどう思ったかはわからないが、それも時代のめぐりあわせということであろう。

6.ラバスティド・デュ・ヴェールのアンリ・マルタン には南フランスの別荘の庭で描いた 「マルケロルの池」(1910-1920)があり、この半円形の池と眩しい光こそ上野の西洋美術館で長年マルタンの絵として馴染んでいたものだったことを思い出した。

8.コリウールとサン・シル・ラポピーのアンリ・マルタン はさらに南のコリウールへ、ささやかな港の光景を描いた 「コリウール」(1923)では、城砦や山や空を映す水面の表現が見事だった。
窓際のテラス」(1925)は海に向かって開け放たれたテラスにテーブルがあり、シダネルが繰り返し描いた無人の食卓を思い出させるものだが、こちらは薄明のしっとりとした情感とは対蹠的に、その向こうに真っ青な地中海の海と空が爽やかに広がっていた。 

観る機会の少ない2人の画家の足取りを追ってきた “シダネルとマルタン” 展、その中に2人の交流を示す作品はなかなか見当たらなかったけれど、版画や素描を集めた最後の 9.家族と友人の肖像 に、マルタンがシダネル夫妻を描いた肖像があった。
これは 「カオールの戦争記念碑」のための習作とのこと、そのような記念碑の群像の中に沈思する夫妻の姿を残したことは、何よりの友情の証しと考えていいのだろう。

2022年05月23日

鎌倉の仏-16 極楽寺、十大弟子と地蔵の地

江ノ電 極楽寺駅に近い 極楽寺は、茅葺きの山門からまっすぐ伸びる参道や四季折々に咲く花に誘われて何度か訪れたことがあるが、春と秋に曜日限定で公開される 宝物館(転法輪殿)を拝観したのは初めてだった。
開基は 北条義時の三男 重時、開山は 忍性で今は 真言律宗という 極楽寺の本堂(非公開)の中央に微かに姿が見えたのは 不動明王像だったが、本尊は ”清凉寺式”の釈迦如来立像で、秘仏として通常は厨子の中に納まっておられる(4月7日〜9日のみ開扉)。

したがって宝物館の主役はその両側に並ぶ木造の 「十大弟子立像」全10躯ということになるが、皆なかなかに味わい深いお姿だった。
文永5年(1268年)の銘があるというので運慶の孫くらいの世代の作ということになろうか、十大弟子と言えば思い出す 興福寺の乾漆立像のような静けさや精神性の高さとは対照的に、キャラが強くクセのありそうな修行者として写実的に表現されている。
特に玉眼の目がぎろりと睨みつけるような効果を発揮し、厳しい表情や中には威嚇するような武闘派もいるが、しかし総じて誇張されたり戯画的になるわけではなく、いかにも初期教団の中で使命感や正義感を前面に押し出しているような人間臭さが感じられた。

壇上右端には 「釈迦如来坐像」、若々しい顔と健康そうな体の像で、印は左手を大きく捻った転法輪印(説法印)となっていることから、サールナートで布教に励む意気盛んな時分のお姿をイメージしたものかと思われた。
左端の 「不動明王坐像」は、極楽寺創建より古い平安時代末期の作で、島根県益田市の寺から移されたという異例の客仏だった。

御朱印の墨書はご本尊の 「釈迦如来」、この他にいくつかの札所巡りに合わせたものもあるようで、そのひとつである 鎌倉二十四地蔵尊霊場の二箇所を回ってみた。
第二十番の 「導地蔵尊」は江ノ電のトンネル ”極楽洞” を見下ろす橋を渡ってすぐのところにあり、有難いお名前は子育てに霊験があるからとのこと、厳粛な面持ちと黒光りのするお姿が格子の隙間から垣間見られた。
第二十一番の 「月影地蔵」は谷の奥の方へ入っていったところにあり、石仏に守られるようにして立つ簡素なお堂の中、赤い衣を着た色白の優しそうなお地蔵様だった。
いずれもかつて極楽寺が最盛期だった頃の境内にあたる場所かと思われるが、むしろそれ以前から墓地や刑場があり地獄谷と呼ばれていたことに因む地蔵たちなのかもしれない。

ここから 極楽寺坂切通を通り、三代執権 北条泰時が建立した 成就院へ、本堂の本尊 不動明王はよく見えず、御分身という不動明王像が境内に立っていた。
門を出て右に進んだところからの 由比ヶ浜の眺めは素晴らしく、その標高差から鎌倉という町の地理的な堅固さが実感された。

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2022年05月21日

牧歌礼讃/楽園憧憬-2 ボーシャンの夢

(東京ステーションギャラリー 〜7/10)
牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児” 展の後半は アンドレ・ボーシャン(1873-1958)、世田谷美術館の “芸術と素朴” 展で知って以来何度か見てきた画家だが、あらためてその経歴を見れば波乱万丈のサクセスストーリーだ。
もともとは 苗木職人で農園を経営していたが、1914年の第一次世界大戦勃発でに伴い41歳で従軍、5年後に戻ってみたら農園は破産し妻は精神に異常を来していたことから、自給自足の生活を送りながら戦時中に習得した 測地術をきっかけに絵を描き始めたという。
バビロンの空中庭園」(1920)の整然とした空間の表現はそんな技術が生かされて描けた絵という感じがするが、一方で 「ブルターニュ人と鳩」(1925)などのしっとりとした表現を見れば、それだけではない資質があったことがわかる。

絵を描き始めて2年ほど後の1921年にサロン・ドートンヌに入選して画家としての道が開けると、1928年には バレエ・リュスから 「ミューズを率いるアポロ」の舞台芸術を任されるまでになる。
ピカソやマティスにも比肩するほどの評価を得たことになるわけだが、きっかけとなったのは 「羊飼いたちの前に現れるアポロン」(1925)だったのか、確かに壮大な光景であるだけではなく人物や岩山の表現に斬新さがあり、かつて誰も描いたことがなかったような “突き抜け感” は確かにある。
一方で、「家族に別れを告げるジャンヌ・ダルク」(1923)や 「アメリカ独立宣言」(1926)もそうだが、常識的にはけっして上手い絵ではなさそうに思えるだけに、そこに可能性を感じて自分たちの興行の運命を託した ディアギレフの慧眼の方を誉めるべきか・・・

ボーシャンの世界を決定づけるもう一つの要素は花、「川辺の花瓶の花」(1946)は流れる川の見える風景の手前に花瓶に生けられた花があるという一般的には考えられない構図だが、色とりどりの花がリズミカルに並んで人の目を強く惹きつけるところは、苗木職人としての経験やセンスが生きているのだろう。
余談ではあるが、花の周りにいる 「三美神」(1953)は神話の女神ではなく、出荷の時期を打ち合わせる苗木屋の三姉妹のようだという解説には笑ってしまった。

40歳までの生活からは考えられない激動の後に画家としての地位を築いたボーシャンの作品には、穏やかな生活への強い憧憬も感じられる。
ラトゥイル親爺の店」(1926)や 「収穫する村人たち」(1948)などには農村での暮らしの喜びが生き生きと描かれ、中世から変わらない農民たちの地に足の着いた生活と、その中でのささやかな祝祭の楽しみは、ブリューゲルが描いた世界に通じるところがあるようにも思った。
このあたりまでは “地上の楽園” の絵という印象だが、カラフルな布のみを持つ全裸の女性5人が踊る 「ニンフたちのダンス」(1931)になると “夢の楽園” だ。
ゼウスの誕生」(1939)の神話的世界も、完全に現実世界を離れた明るさと軽みがあって、見ていると思わず笑みがこぼれてくるような作品だった。


>ボーシャンの過去記事
森と芸術 (2011、庭園美術館) 
アンドレ・ボーシャンとグランマ・モーゼス (2008、SOMPO美術館) 
ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 (2006、世田谷美術館) 

2022年05月19日

スコットランド国立美術館 THE GREATS-1

(東京都美術館 〜7/3)
スコットランド国立美術館展のタイトルになぜ “THE GREATS 美の巨匠たち” とついているのか、訪れるまではその意図がよくわからなかったが、最初の章 “1.ルネサンス“ からそう呼んでいい名前が続いているものの、展示されているのは素描や未完ないしは”帰属”とされているものが多く、確かに本展は作品より作者の方を前面に押し出さざるを得なかったかと納得した。
それでも上質な素描には平凡な油彩をはるかに超える魅力があるのも事実で、ラファエロの 「“魚の聖母” のための習作」(1512-14)は、安定感ある構図の中に人物が確かな造形で再現されていて、意外にもミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を思い出させる堅固さが感じられた。

ヴェロッキオ(帰属)「ラスキンの聖母(幼児キリストを礼拝する聖母)」(1470)は比較的大きめのテンペラ画、”帰属” の関係性も薄いものではなさそうに見える貴重な聖母子像だが、未完とは言わないまでももう少し手を入れる余地があるようにも思えた。
というのも、母マリアの着衣は丁寧に描き込まれているのに対し、肝心の聖母と幼子、そして背景の廃墟がかなり儚げに見えたからなのだが、背景はイエスの誕生で建物が崩壊したという奇跡を翳の薄さで表現したと理解すべきだろうか。
本作は ジョン・ラスキンが所蔵していたことから “ラスキンの聖母” と呼ばれているとのこと、そうした来歴を重視するところは東山御物などを珍重した我が日本に通じるようでもあり、もしかしたら周縁部の島国に特徴的なことかもしれないなどと思ったりした。

パルミジャニーノ、ティツィアーノ、ロレンツォ・ロットの名のもとに並んでいたのはいずれも素描、しかし エル・グレコの 「祝福するキリスト(世界の救い主)」(1600年頃)は “純度” が高そうな油彩の礼拝画だった。
若く見えるキリストの表情に生気と聖性を感じさせていたのは、確かにこの画家が得意としたハイライトの効果だけではないだろう。

2022年05月17日

SHIBUYAで仏教美術-2 奈良博と出会う

(松濤美術館 〜5/29、一部展示替えあり)
【第1部】日本の仏教美術の流れに対して 【第2部】珠玉の名品たちーまほろばの国からはカテゴリー別の展示、<第1章> 御仏と出会う−仏像 の 「薬師如来坐像」(奈良時代・8世紀)は、小ぶりの金銅像ながら堂々とした安定感があり、最盛期の唐の像を思わせる明るさや逞しさが感じられた。
如意輪観音菩薩坐像」(平安時代・9〜10世紀)はどっしりとした量感のある寄木造の像、謎めいた表情に対し手や足には古拙な硬さやが見られたが、むしろそれによって神秘的な力を醸し出しているようでもあった。
薬師像からわずか1〜2世紀の間に、仏教美術も仏教の精神世界も大きく変容したわけだが、さらに3世紀後となる 「毘沙門天立像」(鎌倉時代・13世紀)には、願成就院にある運慶作の像を思わせる厳しさと内的な力が感じられた。

<第2章> うるわしの書 は様々な時代やジャンルからバランスよく選ばれており、夢窓疎石墨跡 「円覚経偈」(南北朝時代・14世紀)は流麗な筆の運びが美しく、清拙正澄墨跡 「法語」(鎌倉時代・1327年)は真面目一徹といった人柄を表すようだった。
最も興味深かったのは 藤原定家の 「明月記断簡」(鎌倉時代・13世紀)、舟を浮かべた遊びの様子をメモ書きにした部分ということだが、細かい字が並ぶ様子からは移ろっていく時間を書き留めることへの執念のようなものが感じられた。
詳細に記録し伝えることが公人・文化人としての存在価値であり、自己実現のための何よりの手段であったということなのであろう。

<第3章> 仏教工芸の粋 にはもう一つの国宝 「牛皮華鬘」(ごひけまん、平安時代・11世紀)2面が出ていた。
牛皮を透かし彫りして彩色・截金で荘厳したもので、材質上それほど精緻なものというわけではないが、迦陵頻伽はおおらかに美しく浮き出るようで、高いところに飾られて揺れ動くことが重要だったかと思われた。


今回の “SHIBUYAで仏教美術―奈良国立博物館コレクションより” は、所蔵品を名品展として東京で公開したことのなかった 奈良国立博物館が、“国内の移動にも不自由が生じている昨今の状況を鑑み、奈良にある名品を東京で鑑賞することで、本展覧会が皆様の心の癒しとなり、さらにわが国の仏教文化に対する関心を高める機会となれば” という趣旨から、仏教に関する美術工芸品83件を出展する企画だった。

確かにそのような機会はこれまでなかったし、奈良に行けばお寺巡りに忙しく博物館のための時間を取りにくいのが実情でもあり、行っても「辟邪絵」などの仏画や「牛皮華鬘」などが見られるわけではない。
そうしたいろいろな意味で有り難い試みだったので、今後の続編を期待したいと思う。


>奈良国立博物館(2010) なら仏像館仏像修理100年展
>奈良国立博物館(2008) 正倉院展


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2022年05月15日

Index Jan.-Mar., 2022

フェルメールと17世紀オランダ絵画 (東京都美術館) 
ミロ (ザ・ミュージアム) 
メトロポリタン美術館展 (国立新美術館) 
ポンペイ (東京国立博物館) 
イスラーム王朝とムスリムの世界 (東京国立博物館) 
趙孟頫とその時代 (東京国立博物館) 
ザ・フィンランドデザイン (ザ・ミュージアム) 
エジプトの旅 
鎌倉の仏〜覚園寺、国宝館 131415

アンヌ・ケフェレック 
能 「当麻」 
フランク生誕200年 
小倉貴久子 
イルカ 

2022年05月13日

メトロポリタン美術館展-8 近代の饗宴

(国立新美術館 〜5/30)
“メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年”は、最後の章 “III.革命と人々のための芸術” に入っても名品ぞろい、ターナー、コローの先に ジェロームの 「ピュグマリオンとガラテア」(1890年頃)というのは意外な感じがしたが、持ち前の手腕で大理石の彫像が生身の女の体に変わっていく瞬間をよく表現していた。
すぐ横の クールベの 「水浴する若い女性」(1866年)は対照的に、全く美化しない即物的なヌード、24年も前の作であるけれど既に時代は確実に動いている。
ドーミエの 「三等客車」(1862–64年頃)は貧しい客車内で身を寄せ合う三世代の家族、今回の65点の中では最も生活臭を感じさせる絵だった。

その先では ゴヤと マネの男の子の絵が隣り合うという演出が見られた。
ゴヤの 「ホセ・コスタ・イ・ボネルス、通称ペピート(1870年没)」(1810年頃)は筆触の魔術が実感できる作品だが、あどけない少年の姿ながらちょっとした陰りも感じられたのは、お仕着せの軍服ばかりでなく馬や太鼓のおもちゃにも、スペイン独立戦争の影がちらつくからだろうか。
マネの 「剣を持つ少年」(1861年)にはそうした背景はないと思うのだが、大きな剣を持て余しているような感じが微笑ましい。

ルノワール、ドガと続いた先の シスレーヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋」(1872年)はこの画からしい爽やかな風景画、しかし セザンヌの 「ガルダンヌ」(1885–86年)になると、風景の感興ではなく積み上がる形と醸し出されるリズムの画面に変容する。
ゴッホの 「花咲く果樹園」(1888年)は、明るい陽光を求めてアルルに行きゴーギャンとの不幸な出来事があった年の作品としては色彩は抑えめで、線が画面を支配する異例の作品だ。
浮世絵に触発されて実験してみたということか、あるいはアルルに着いて本当の爆発が起こるまでにも曲折があり少し時間がかかったということだっただろうか。
ゴーギャン(ゴーガン)の 「タヒチの風景」(1892年)は第1回目の滞在中のもので、日常の何気ない風景をありのままに描いた比較的おとなしい作品だ。
しかし、日が沈み夜が来てまた日が昇る、そのようにして日が巡り季節も移ろい人は老いていく、それは至極当たり前のようでいて実は奇跡的なことなのではないか、そんなふうに物思いを誘っていく雰囲気を持っていた。

展覧会の最後は モネの 「睡蓮」(1916–19年)、ゴーギャンやゴッホの後になぜモネなのかと思ったが、これは最晩年の作で制作年としては今回の全出品作品の中で最も新しく、唯一の20世紀作品となるようだ。
睡蓮の花と水面だけではない、水中の世界も水面に反映する外の世界もすべてが混然一体となった画面は、色彩も事物を離れてほとんど抽象の世界へと足を踏み入れている。
それはドビュッシー晩年の室内楽ソナタのようなものか、もっともこの頃には老化や白内障が進んでいたという事情もあるので、意図的に構想したわけじゃない、実際このように見えていたんだ、あるいはこうしか描けなかった、ということかもしれないのだが、それでもモネはもう一つのドア、印象派のドアの先にある新しいドアを開けた。


>メトロポリタン美術館展 (2022、国立新美術館)
   クリヴェッリ 北方ルネサンス 事物の本性... ラ・トゥール
   フェルメール レンブラント ロココの先 近代の饗宴

2022年05月11日

能 「当麻」-3 中将姫伝説と当麻寺

能 「当麻」(観世流 観世清和ほか、3月18日(金)17:30〜 観世能楽堂)について、まず登場人物だが、前シテは 阿弥陀仏の化身(=化尼、ツレは観世音菩薩の化身である化女)で、後シテで登場する 中将姫とは別人格だ。
中将姫伝説を夢幻能の枠組みに当てはめるならば、前場で老尼(前シテ)が中将姫(ワキ)に会って正体を仄めかし、後場で阿弥陀仏(後シテ)となって再びその前に現れるといった形もありそうだが、阿弥陀如来が後シテで出てくるわけにも、ワキが女性というわけにもいかないためこのような形となったかと思われる。

実際に見ていてここにはそれほど違和感があったわけではないが、当麻寺本尊の 当麻曼荼羅は中将姫が一夜で織り上げた、という話だけを知っていた者としては、姫と化尼の関係役割の方がよくわからなかった。
縁起を細かく読んでいくと、経を読み阿弥陀如来を念じていた中将姫に対し曼荼羅を織るよう勧めたのが化尼(阿弥陀如来)、中将姫が染めた蓮糸を織って曼荼羅にしたのが化女(観世音菩薩)ということのようなので、曼荼羅制作にあたっての中将姫の貢献度は思っていたよりも小さかったことになる。(もとよりあの巨大な曼荼羅を一夜で織り上げるという話自体に無理があるともいえるが・・・)

どこで間違ったのかと思い確認しようとしたが当麻寺のHPというものは見当たらず、葛城市のサイトを見ると「當麻曼荼羅は中将姫が一夜で織りなした伝説とともに全国的に広まり」とある。
奥の院のサイトでも、前後の記述はかなり詳しいのに対し肝心の部分は「中将法如(姫)が千手堂(曼陀羅堂の前身)にて一夜にして織りあげたのが當麻曼陀羅です」としているので、これも話のわかりやすさと当麻曼荼羅の霊験を考慮しての単純化といったところだろうか。

さらに気になったのは、中将姫の願いがどの時点で成就して阿弥陀如来の来迎を感得できたのか、いまひとつはっきりしないということだ。
上述の縁起を踏まえると、中将姫の前に阿弥陀如来が現れたのは、化尼として蓮の糸を集め染めるようにと告げた時と、曼荼羅の完成後に阿弥陀如来として顕現した時、という別個の二つの場面(あるいは両者の中間で、中将姫が糸を集めた段階でそれを曼荼羅にせよといった時、を加えて三つの場面)が考えられるだろう。

一方本曲の詞章は、中将姫が「この草庵を出でじと誓って、一向に念仏三昧の定に入り給ふ」ところへ化尼が「一人の老尼の、忽然と来たり佇めり。これはいかなる人やらんと、尋ねさせ給ひしに、老尼答へて宣はく、誰とはなどや愚かなり、呼べばこそ来りたれ」と言って現れたので、これから曼荼羅を織ることになるのかと思えば、すぐに「生身の弥陀如来、げに来迎の時節よと、感涙肝に銘じつつ、綺羅衣の御袖も、しほるばかりに見え給ふ」と続くところからは、既に完成した後のことのようにも思われる。
もちろんここは、深い信心により阿弥陀如来が眼前に現れ「感涙肝に銘じ」たということなのだから、時空を超えた奇跡として共感することで、まばゆい光と妙なる音楽に包まれた世界の中に曼荼羅を実感すればいいわけで、125分に及ぶ舞台はまさにそのようなものであった。


さて、この 能 「当麻」が上演されたのは3月18日だったが、釈迦入滅の日である旧暦2月15日に勤修される涅槃会が今年の新暦では3月17日にあたり、また二上山の二つの峰の窪みに日が沈む彼岸の中日(21日)にも近いと解説にあった。
思えばこの公演は2年前の2020年3月19日に予定されていたのだが、3週間前の2月26日に新型コロナウィルス対応の一環として文化イベント等についても ”自粛“ が要請され急遽中止となっていた。
前年11月の 「三輪」、12月の 「葛城」から続く大和路シリーズとして楽しみにしていたこともあって残念に思っていたのだが、当初予定されていた出演者で2年後に “復活” 上演となり、涅槃会と彼岸に近い仏縁の日にこの大曲を通して阿弥陀如来と極楽浄土を感じることができたのは有り難いことだった。


当麻寺(當麻寺) 曼荼羅堂と金堂諸仏 奥院の浄土世界 東西両塔と伽藍の軸線
能 「葛城」 観世流 浅見真州  
能 「三輪」 宝生流 大坪喜美雄  

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)邦楽事始 

2022年05月09日

ボテロ展-1 ”ふくよかさ” の発見

(ザ・ミュージアム 〜7/3)
ボテロ展 ふくよかな魔法” は、そのタイトルどおり会場全体が “ふくよかさ” に満ち満ちていて、“第1章 初期作品” はもちろん、ふくよかさとは無縁なはずの “第2章 静物” でもその個性が全開だ。
というのも、コロンビア出身の画家 フェルナンド・ボテロ(1932〜)がこの鉱脈を掘り当てたのは、マンドリンのサウンドホールを小さく描いたところ、輪郭とのバランスが変わり楽器がふくらんで見えたのがきっかけだったということなので、意外にも彼の “ぽっちゃり路線” は人間ではなくモノから始まったということになる。

もしこれが “そういう体型の人の写生“ から始まったとすれば、これほど幸福感のある作品が再生産されていったかどうか。
それだけにこの時の出来事を “自分の仕事にとって重要で決定的なことが起こったと感じた” という画家は、何ひとつ後ろめたい思いをすることなく、この路線を生涯にわたって走り続けることができたのだろう。

なるほど、「楽器」(1998)の絵に登場するギターやトランペット、太鼓などは、どれもが皆はちきれんばかりに膨らんで愉快に転がっている。
これらは穴を小さくすることで、また他の静物画に出て来るナイフやフォークは太めにすることで “ボテリズム” の一員としての地位を獲得している。

一方、「オレンジ」(2008)などの果物では、へたの部分を小さくしてその周囲を盛り上げるという微妙な技でふくらみを表していた。
自律的な世界で果物自身に何かを語らせているところはセザンヌの静物画に通じるような気がするものの、もちろん目に飛び込んでくる画面の印象はずいぶんと違うのだが、その要因はの美しさと画面のサイズだろう。
明るく濁りのない色面はそれだけで人を幸せにする力があるようだし、画面の大きさはチラシなどで想像していたレベルをはるかに超える。
赤、黄、青の3点組の花の絵なども、この色彩とサイズがなければ面白さは伝わらないであろうし、それは展覧会で現物に向き合わなければわかりようがない。

こうしてボテロは、抽象・前衛が主流の現代絵画の中で批判や嘲笑を浴びながらも、“あらゆるかたちがふくらんでいる” という特徴を持つ絵をもっぱら描き続けていくわけだが、ジャンルによってはその意味合いも自ずと変わっていくようだ。
やや戸惑ったのが “第3章 信仰の世界” で、太目の聖女たちは楽しいパロディに見える一方、枢機卿や修道士には特権的な人たちへの批判的な目を感じたりもしたのだが、「キリスト」(2000)の磔刑像すらもぽっちゃりさせてしまっては、果たしてカトリックの国で問題なく受け容れられたのかどうか・・・

そんな中、本章の中では最も初期の 「コロンビアの聖母」(1992)は、ひと味違う真面目なアプローチと受け取ってよさそうだ。
恰幅の良い聖母の腕に抱かれた少年イエス(?)は、なぜか現代の服を着てコロンビアの国旗を持ち、やや緊張気味に固まって坐っている。
小さな青い果物を指でつまんだ聖母は、子どもの重さは全く感じていないらしいのに、両頬に玉のような汗を流しているように見えるが、遠くを見る目はコロンビアの行く末を憂いているようなので、これは止めどなく溢れる涙なのだろう。
そうするとこれは社会派の絵ということになろうか・・・

2022年05月07日

吉祥の美〜五島美術館 春の優品展

(五島美術館 〜5/8)
連休なのでどこかに出かけたいが混雑は避けたい、と思い久しぶりに訪れた 五島美術館では、「吉祥」にかかわる作品を選んだという “春の優品展 吉祥の美” を開催していた。
国宝の 「源氏物語絵巻」も特別展示中だったが、やはり絵として見応えがあるのは 第40帖 「御法」(みのり)、最後の時が近い紫の上と見舞いに来ている二人が歌を読み交わす心情が、向かい合う微妙な角度や距離感から切々と伝わってきた。

 おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風に乱るる 萩のうは露 (紫の上)
 ややもせば 消えをあらそふ 露の世に 後れ先だつ ほど経ずもがな (源氏)
 秋風に しばしとまらぬ 露の世を たれか草葉の うへとのみ見ん (明石の中宮)

源氏と紫の上だけでなくそこに明石の中宮がいることで、夫妻の人生にまた一段と濃い陰翳を加えているようだ。
ただ、それぞれの心中を象徴する庭の萩の花は、複製画を見なければその様子がわからないのだが、果たしてこれほど華やかなものだったのか・・・

斜めの線が強調された構図の 「鈴虫 二」は、臣下だが実の親でもある源氏が冷泉院と向かい合い、おそらくはお互いの言葉も切れ切れに沈黙が支配する奥の部分と、夕霧が笛を吹き笙も演奏されている手前の部分の対照的な風情が、ひとつの画面の中に効果的に描かれていた。

“吉祥” の会場で目立っていたのは 牧谿の 「叭々鳥図、飛ぶ鳥が急に方向を変える姿は、三幅対の一幅として ”スケルツォ” のような位置づけかと思われるが、会場のどこにいても目に入ってくるような存在感があった。
もう一点は 一休宗純の 「梅画賛、下の太く曲がった部分から一気に上を目指して伸びていく細い枝の線が心地よかった。

前室に鎮座する 「愛染明王坐像」(重文、鎌倉時代・13世紀)は、少し前に 運慶との関係を示唆する本を読んだことから、あらためてゆっくり向き合ってみた。
この像は 鶴岡八幡宮の愛染堂本尊として作られ、そこに運慶工房が関わったことは確かなようだが、明治期の神仏分離で寿福寺に移されることとなり、さらにいくつかの手を経て五島慶太のもとにもたらされたという。
憤怒像としては確かに力が籠っており、薄暗いお堂の中に安置されていればかなりの威圧感があるかとは思うが、運慶らしさという点ではどうだろか。

そもそも現存の 運慶作品に多臂像・憤怒像は少なく、この2つに該当するのは最晩年の作とされる大威徳明王像くらいだが、法量もそしておそらく造像の目的もずいぶんと違い、両者の間に共通点はあまり感じられない。
怒りの表情や逆立つ髪などの表現は、高野山の 八大童子の中の 烏倶婆誐(うぐばが)童子像に近そうではあるけれど、この像自体が運慶本人によるものか定かではないし、それと比べてもやや平板な印象で、運慶作品に期待したい迫真性や精神性の高さには及んでいないような気がした。

庭園は新緑が盛りで菖蒲が咲き始め、鶯も気持ちよさそうに啼いていた。
ここには特に順路というものが設定されていないため、今まではすぐ目の前に見える地図に誘われるように入っていき、右側の石段から石仏の多く並ぶ洞を下りて左回りに歩くことが多かったのだが、今回初めて左の見晴らし台の方から回ってみて、こちらが正解だと思った。
富士山が見えるという高台から下りていくと崖線の下で湧水の池に出会い、文人像に導かれて赤門をくぐると徐々に地蔵像などが増えて宗教的な雰囲気が高まっていく。
そして、夥しい石仏に囲まれた石段の先に柔和なお顔の 大日如来を見上げた時、この庭の設計思想が漸くわかったような気がした。

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2022年05月05日

シダネルとマルタン-2 親密な風景

(SOMPO美術館 〜6/26)
今回の “シダネルとマルタン” 展は、2015年の ”もうひとつの輝き、最後の印象派” 展 と同様に、アンリ・ル・シダネルの曾孫ヤン・ファリノー・ル・シダネルが監修した企画で、2人の画家を以下の章立てでほぼ交互に紹介していた。

 1.エタプルのアンリ・ル・シダネル
   2.象徴主義
   3.習作の旅
     4.アンリ・マルタンの大装飾画のための習作
 5.ジュルブロワのアンリ・ル・シダネル
     6.ラパスティド・デュ・ヴェールのアンリ・マルタン
 7.ヴェルサイユのアンリ・ル・シダネル
     8.コリウールとサン・シル・ラポピーのアンリ・マルタン
   9.家族と友人の肖像

5.ジェルブロワのアンリ・ル・シダネル
1901年、39歳の アンリ・ル・シダネル(1862-1939)はパリとエタブルの中間あたりに位置するジェルブロワに惹かれ、1904年から本格的に活動拠点とする。
ジェルブロワ、花咲く木々」(1902)は、中庭の木の下で読書する2人の女性が、穏やかで満ちたりた生活と、そこに流れる豊かな時間を体現しているようだ。
やがてシダネルの絵から人影は徐々に消え、ワインボトルや食器類が整えられた食卓が主役になっていく。
ジェルブロワ、テラスの食卓」(1930)は、グラスが準備されて人を待つテラスのあたりが影になっている一方、その向こうに見渡せる家並や遠くの畑には明るい光が射していた。

思えばこうした世界を構成しているものたち、年古りた建物や丹精込められた植え込みの花はもちろん、その周りを包む街並みや農村の佇まいも、そこに住む人々が長い時間をかけ愛着を持って育て上げた財産というべきものだ。
シダネルが薔薇を育てたことが契機となってフランスで最も美しい村と呼ばれるようになったジェルブロワはやや特殊だとしても、誰もがそれぞれに愛する風景というものを持ち、そこでかけがえのない時間を積み重ねていく権利があるはずだ。
それは残念ながら脆いものでもあり、天災などで損なわれてしまうこともあるけれど、意図的な武力攻撃で他人の大切なものを根こそぎ破壊していく行為というのは本当に罪深いと思う。

7.ヴェルサイユのアンリ・ル・シダネル
シダネルに戻ると、1909年には息子たちの教育のためヴェルサイユに居を構え、季節ごとにジェルブロワと行ったり来たりの生活になる。
そうした中で生まれた 「ヴェルサイユ、月夜」(1929)は、空に柔らかく浮かぶ雲が月の光を受けて暈になり、音も人気もない庭園内の噴水のある池を淡い光で包んでいる。
それは絵としては空想である可能性が高いのかもしれず、むしろフランスの詩や音楽が契機となって生み出された作品のように思われた。


>最後の印象派 (2015、SOMPO美術館) 

2022年05月03日

SHIBUYAで仏教美術-1 辟邪絵

(松濤美術館 〜5/29、展示替えあり)
SHIBUYAで仏教美術―奈良国立博物館コレクションより” は、国宝 「辟邪絵」(へきじゃえ 全5幅、紙本著色、平安〜鎌倉時代・12世紀)の3点が群を抜いていた。
悪鬼を退治する善神を描いた絵巻物の断簡を軸装したもので、病を起こす悪い気を払う神々の登場というのはこの時期ならではの選択と思われるが、小さな画面の中でそれぞれが圧倒的な力で躍動していた。

天刑星」(てんけいせい)は蔵王権現を思わせる迫力ある姿、どっかりと坐って小さな邪鬼を踏みつけ、4本の腕で手当たり次第に掴んでは貪り喰っている。
あたり構わずのやりたい放題は善神というイメージより暴力的に見えるけれど、こうして病魔を殲滅してくれるのなら心強いことであるに違いない。

栴檀乾闥婆」(せんだんけんだつば)は獅子冠の兜と鎧で全身を固めた武人の姿で、大きな三叉戟(さんさげき)を両手で前に突き出すように持っている。
その先端部分には人間や獣の姿をした悪鬼の頭が15も串刺しにされていて、足元には首のない15の骸が散らばっているのだが、害をもたらす奴らだと決めつけて見るせいか、画面は明るくからりとした雰囲気でそれほど凄惨な感じはしなかった。

毘沙門天」(びしゃもんてん)は、修行する受持者を邪魔しに来た悪鬼を追い払い、一匹を弓矢で撃墜したところだ。
雲に乗る毘沙門天の姿は凛々しく美しく、逃げていく二匹の悪鬼たちの重たそうな羽根を持つ姿も想像力豊かなもので、作者の並々ならぬ画力を感じさせられた。
残る「神虫」(しんちゅう)と「鍾馗」(しょうき)は後期(5/10〜)に登場とのことだが、絵巻物全体の構成はどのようになっていたのだろうか。

さて、地下1階の 【第1部】日本の仏教美術の流れ は、 第1章 釈迦の美術 、第2章 密教 、第3章 浄土信仰 、第4章 神仏習合、第5章 絵巻 という構成で日本の仏教美術を概観する形となっている。
“第2章 密教“ にあった 「俱利迦羅龍剣二童子像」(鎌倉時代・13世紀)は、剣に絡みつく龍を激しい炎が包み不動明王の化身を感じさせる迫力の作品、今回はこの両側に配されたと考えられている 「両界曼荼羅」 2幅 も出ていた。

“第3章 浄土信仰” の 「阿弥陀聖衆来迎図」(鎌倉時代・13〜14世紀)は、阿弥陀如来が二十五菩薩を従えて死者を迎えに来た場面が描かれている。
有名な “早来迎”ほどのスピード感はないけれど、細部まで丁寧に描かれていて保存もよく、蓮台を捧げ持つ観音をはじめとして香炉や供物を持った菩薩、琵琶や筝、笛や太鼓などを演奏する雅楽班の様子も詳細に見ることができた。

「辟邪絵」と同じ “第5章 絵巻” にあった 「泣不動縁起」(室町時代・15世紀)は、老師に代わり病を受けた僧を憐れんだ不動が涙を流してその身代わりとなるが、冥土に行ったところで恐縮した閻魔たちに助けられ “泣不動” として祀られたという話だという。
巻替え展示のため不動の場面は見られなかったが、安倍晴明が祈祷をしている場面に登場する妖怪たちがユーモラス、行儀よく半円形に並んでるところは既に祈祷が効いてきているということなのか、ともあれ6体それぞれに与えられている姿は実に愛すべきものだった。

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)日本絵画 

2022年05月01日

空也上人と六波羅蜜寺-3 六波羅の人々

(東京国立博物館 〜5/8)
「空也上人立像」を擁する 六波羅蜜寺は、何度か京都を訪れたのにいまだに拝観できていないが、“六波羅” という響きは平氏の 六波羅館、鎌倉幕府の 六波羅探題として馴染みがあった。
その元をたどれば 空也が建立した 西光寺を 中信が 六波羅蜜寺に改名したからであり、それは大乗仏教で悟りに至る6つの徳目(パーラミター)を意味する “六波羅蜜” から来ているというので、極めて由緒正しい神聖な地名と言える。
一方このあたりは葬送の地であった 鳥辺野へと続く道で、“あの世” との境界とされていた 六道の辻があり、冥界に通じる井戸があるとされる 六道珍皇寺も近いことから、信仰の地ではあるものの不吉なイメージもまたついてまわっていたのではないか。

そのような場所をなぜ 平清盛が根拠地としたのかとも思うが、積極的に選択する戦略上のメリットが何かあったのか、あるいは朝廷や貴族などの既存勢力からみれば成り上がりの武士集団である平氏は、そのような訳あり物件しか確保できなかったということだったのだろうか。
六波羅蜜寺によって “鎮められている” ということもあったかとは思うけれど、1183年に火を放って西へ遁れなければならなかったあたりに、なにやら祟りの気配がしないでもない。
その後に 源頼朝に与えられて後の六波羅探題になるのは、平氏が放棄した跡地の再利用という現実的な事情によるものと思われるが、こちらは東国を根拠地とする勢力の出先として、まずまずの所在地ということになろうか。

さて、“空也上人と六波羅蜜寺” 展を構成する “第1章 空也上人と六波羅蜜寺の創建” と “第2章 六波羅とゆかりの人々” の展示上の境界はよくわからなかったが、正面右にあった 運慶の 「地蔵菩薩坐像」(鎌倉時代・12世紀)はさすがの風格だ。
格調高い静けさの中に生命感があり、周囲にまとう空気まで含めて隙が無い。
隣に並ぶ 「伝運慶坐像」「伝湛慶坐像」(鎌倉時代・13世紀)がそこに及ばないのはやむを得ないが、運慶像には棟梁の風格があり、湛慶像には若い生真面目さが感じられた。

伝平清盛坐像」(鎌倉時代・13世紀)は様々な本などで馴染みの像で、清盛その人の肖像として刷り込まれている感があるが、あらためて向き合ってみると本当にこのような人物だったのかとの疑問もまた湧いてくる。
薄笑いを浮かべたその表情はよからぬことを考えているのか、残忍さや陰険さが滲むようでもあるし、熱に浮かされている感じも伺える。
このあたりは、権力を恣にして源氏に滅ぼされる平家の象徴として、肝心な時に熱病に襲われたイメージにも合致するものだが、一度は頂点に上り詰め新たな時代を拓いた人物に備わっていたはずの卓越性は感じられない。
僧侶の姿にも関わらず巻物を持つ姿勢に違和感も残る “彼” は本当に平清盛なのか、そうであればいったい誰がどんな立場で作った像なのか・・・

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hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)日本彫刻 

2022年04月29日

牧歌礼讃/楽園憧憬-1 藤田龍児

(東京ステーションギャラリー 〜7/10)
牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児”という展覧会、ボーシャンはともかく藤田龍児は初めて聞く名前だったが、街が破壊され人々が苦しむ映像を連日見続けて荒んだ心を癒してくれるひとときになった。

藤田龍児(1928-2002)は画家として活動していた48歳の時に脳血栓を発症し、右半身不随となって左手で描くようになったことから画風が一変したということだ。
今回はその後半生の作品が中心だが、それ以前からエノコログサを主要モチーフとして、虫のようにも精子のようにも見える流線形が生命力豊かに画面を這いまわるシュールな画風を持ち味にしていたらしい。
それが病後に左手の画家として再出発する際にいい意味で脱力したのか、画面は穏やかで牧歌的な風景となっていくが、しかし単に見て心地よいというだけでなく、失われていくものへの強い郷愁が感じられる陰翳の濃さもあった。

オーイ、野良犬ヤーイ」(1984)は曽野綾子の本の装丁にも使われたという作品。近景にはエノコログサとドクダミ、遠くにはセイタカアワダチソウが生える野原の中の曲がりくねった道を、白い犬がこちらに向かってくる。
手前の少女が呼んでいるのが犬には聞こえているのか、ともあれ野良犬という言葉もずいぶん前から死語だし、こんな光景はもうどこにも残っていそうにない。
描かれたのは1984年なのでバブルの手前といったところだが、遠くの家並や電柱などを見れば高度成長期より前の景色のようであり、元気だった頃の回想の中の光景を蘇らせて描いていたということかと思われた。

定年退職後」(1986)は、小さな池で釣りをする男の背後にレンガ造りの工場があり、現実感のないゆったりとした時間と微妙に捻じれた空間を、蛇行した道と白い犬が繋いでひとつの世界としているようだ。
宅地開発に取り残された空き地に立つ1本の木を主役として描いた 「老木は残った」(1987)は、失われていく風景への追慕にとどまらず、暴力的な現状変更への怒りがそこにあるのか、辛うじてこの絵の中では時間が止まり新旧の力が拮抗していた。
雑草ばかりではない、藤田の作品には普通なら絵にならないような素材を扱った作品も多く、ラブホテル裏手のさびれた公園のトイレを描いた 「公衆便所」(1989)もそうだが、そこに素朴な女の子と白い犬を配し、マチエールの味わいを加えることで詩的な世界に変容させていた。

白眉は 「静かなる町」(1997)、丘のゆるやかな斜面に続く街並み、尖塔やアーチ形の窓、十字架のように見える電柱やひょろひょろとした木が、古いヨーロッパの街のような雰囲気を漂わせている。
しかしそこにエノコログサが生え、白い犬がぽつねんといることで、ここが藤田の領域であることを確かに示していた。

亡くなる前年の 「山なみ(13)」(2001)は山々の連なりが遠くまで見渡せる壮大な画面、それは生涯をかけて追求したエノコログサと淤能碁呂島(おのごろじま)がひとつに融合した世界なのだろう。
その一番手前の山頂に杖を手にした男が独りで立ち、そこに続く蛇行した道を白い犬が追いかけるように駆け上がっていく。
それは画家本人の姿であり、不自由な体にもかかわらず見続けていた夢の光景であったに違いない。

2022年04月27日

小林研一郎、ドヴォルザークの “新世界より”

小林研一郎指揮による 東京交響楽団の演奏会(4月16日(土)14:00 〜 ミューザ川崎)は、前橋汀子さんをソリストに迎えた メンデルスゾーンの ヴァイオリン協奏曲に続いて、ドヴォルザークの 「交響曲 第9番 ホ短調 op.95 “新世界より”」が演奏された。
これも久しぶりに聞く曲で、率直なところを言えば20歳代後半くらいからは敢えてコンサートで聞きたいとも思わなかったし、この曲が部屋のステレオで鳴っているのを誰かに聞かれたらちょっと恥ずかしい気がするような “偏見” を持っていた。

それはつまるところ、分かりやす過ぎる旋律とお約束のような盛り上がり方に食傷していたということだと思うのだが、一度その空間に身を委ねてしまえば、次々に登場する豊かな音色や大音響のクライマックスにはやはり抗えない魅力があることも確かだ。
おそらくこの作品は、当時ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長だったドヴォルザークが、まだあまりクラシック音楽に馴染んでいない人たちも含めたアメリカの一般聴衆向けに、絶対に退屈させずに引き付け最後は間違いなく大喝采を浴びることができる曲を、ということで作られたのであろう。

そんなわけで何十年かぶりにこの曲を聞きに行くことにしたとき、細かいことに詳しい友人がかつて、オーケストレーションの特異さを力説していたことを思い出した。
それは楽器や音色の重ね方ということではなく、どの奏者にどの部分を割り振るかが変わっているということで、当時は何を言っているか全く理解できなかったのだが、今回はステージをほぼ真上から見下ろす席だったことから、今は誰が演奏しているのか、その準備のタイミングや楽器の持ち替えの様子まで見ることができた。
そのおかげで、ここのフルートのソロは第2なのか、ホルンもやや変則的ではないか、などと意外に思われたところがいくつかあった。

第験攵呂韮渦鵑世噂个討るシンバルも、奏者の動きがよく見えたので聞き逃さずに済んだ。
というよりも、楽器を構えるあたりからなんだか一緒に出番を待つような気分になってしまい、唯一の音を出した時よりも第2主題の静かな音楽が続く中で楽器を無事に元の場所に戻す方が緊張を要するのではないかと思ったりした。

小林研一郎氏の指揮による東響の演奏はさすがにニュアンス豊か、特に第恭攵呂僚盤近くで弦のトップ奏者のみが切れ切れに演奏するところは息をのむようだった。
第験攵聾緘召離謄鵐櫃落ちる部分も哀愁に満ちた充実した時間が流れ、そこから終曲に向けて壮大な音楽が立ち上がるところも見事だった。

演奏後は拍手が続く中、後ろの管楽器の方まで行って肘タッチをしながら全パートを丁寧に労った後、マイクをとって「久しぶりの “新世界” だった、全員が火の玉のようになって人生を語るような演奏ができ、聴衆と一体となって特殊な世界を作れた」 といったことを(明瞭に聞き取れなかったので勘違いがあるかもしれないが)語られた。
さらに、「アンコールは用意していない、それより “新世界” の印象をそのまま持ち帰ってもらいたいので、2分いただいて第験攵の最後の部分をもう一度演奏したい、コバケン風になるところはドヴォルザークの許可を取ってある」と言って、異例のフィナーレ部分再演となった。
仰るようにティンパニの連打に続いたのは第恭攵呂龍盍匹離灰蕁璽襦△修靴討發Π貪拜埖腓淵ライマックスを築くと、最後は弦が弾き終えたのちも管の響きが長く引き伸ばされて豊かな余韻へと変わっていった。


>小林研一郎氏の過去記事
コバケン・ワールド Vol.27 with 田部京子 (2021)  
コバケン・ワールド Vol.25 with 仲道郁代 (2020)  
読響のブラームス第4番 (2016)
東日本大震災復興支援チャリティコンサート  (2015)
日本フィルのマーラー第9番 (2007)

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)音楽の部屋 

2022年04月25日

メトロポリタン美術館展-7 ロココの先

(国立新美術館 〜5/30)
フェルメールとレンブラントのいた17世紀のオランダから18世紀フランスの部屋に進むと、“メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年” のまだ “II.絶対主義と啓蒙主義の時代” の中にいるのに、絵の目指すところは大きく変わる。

ヴァトーの 「メズタン」(1718–20年頃)は、コメディの中で愛を伝えようとギターを弾く男を正面から描いた絵で、絵のテーマが身近になってきた、というより通俗的になったと言ってしまっていいように思うのだが、ただ通り過ぎるには惜しいものがある。
彼の表情は切実さに満ちているのに、背後に立つ後ろ向きの彫像はその恋が成就しそうもないことを暗示する、そんなところに多くの人々の共感を呼ぶ “詩” があるからなのだろう。
ブーシェの 「ヴィーナスの化粧」(1751年)も浅薄な絵ではあるけれど、一つの時代の空気を体現している作品には違いなく、ポンパドゥール夫人が今そこにいるような気さえしてくる香りが漂っていた。

そんな中、この時代の絵とは思えない新しさが感じられたのは マリー・ドニーズ・ヴィレールの 「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)」(1801年)だった。
椅子に座りスケッチブックを持ってこちらを向く女性の髪は逆光で金色に輝き、体の線や服の襞が鮮やかに浮かび上がっている。
一方で彼女の背景は黒が基調となっているが、それは何の装飾もない部屋の壁面そのもので、他にも豪奢な家具や調度品があるわけではなく、この時代の絵の中では見たことのない殺風景なほどシンプルな空間だ。
ただ縦横の直線が支配する構図の中で、なぜか窓ガラスは割れているらしく、その外には思わせぶりな2人の人物がいるといった具合で、20世紀あるいは現代の作品と言われてもそうかと思ってしまいそうなほど時代を超越した作品だった。
ヴィレールという女流画家についても、モデルになっている女性のこともよくわからないが、ベートーヴェンが遺書を書くほどに悩み、ナポレオンが快進撃を続けていた時代に、ここにも新しい風が確かに吹いていたようだ。