2018年11月21日

ムンク展-1 47歳の叫び、絶望と不安

(東京都美術館 〜1/20)
”ムンク展 ― 共鳴する魂の叫び” は、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)の代表作 「叫び」の来日で、会場は大混雑となっていた。
確かにこれは全絵画史を通じてもユニークな絵で、教科書の小さな図版でも中学生の心を一瞬にして捉え、一度見たら忘れられないものにするだけのインパクトを持っている。

今回は オスロ国立美術館に所蔵されている1893年の作品ではなく、1910年作で2004年に盗難に遭った オスロ市立ムンク美術館所蔵作品の初来日だったわけだが、そこに広がる血の色に染まった空にムンクが聴いたという ”自然を貫く果てしない叫び” に耳を澄まそうしても、立ち止まらずに歩け、ゆっくり見たければ後ろにまわれ、と繰り返す係員の声が左右からやかましく、とてもムンクの世界に入っていくことができない。
もっとも、1893年版が少しずつ色を足しながらようやくたどり着いたように見えるのに対し、本作品の方は既存のイメージに従って一気に塗ったという印象で、その分だけ深みが足りないのだから主催者も係員も絵に敬意を表する必要がないと考えているのかもしれない。

この1910年作品は、1893年のオリジナル作品の売却が決まったことから手元に置くために制作されたとされている。
その間には17年の年月があり、傷つきやすい心で自分の求める絵を暗中模索していた30歳の青年は、個展の成功や国への買い上げが決まり故国に帰ってきた47歳の成功者になっているのだから、一見似ていても同じ絵が描けるわけがない。
太陽が沈みかけ空が血の赤色に変わった、という渦の巻く空も、無から生成し徐々に形をとりながら到達したものではなく、”紋様” としてすでに彼の頭の中にあったものだし、耳を抑えて口を開けている男からも、17年前の怯えたような切実さは失われ、ムンクを表象するひとつの記号になっている。
グラフィック的にはよく出来た作品であっても、中に詰まっているものの密度はかなり低くなっていると思うのだが、それでも、これが工房作とかムンク帰属作品というのではなく、ムンク真筆の 「叫び」には違いないところが逆に悩ましい。

この特色ある赤い空の着想は、前年(92年)の 「絶望」からとされているが、会場のパネルで紹介されていた複製でみると、空の夕焼けや雲も手前の男もまだかなり写実的だ。
これを萌芽として、「叫び」と同様にデフォルメし象徴性を高めて完成されたのが、その右側にあった 「絶望」(1894年)ということになる。
本作は、ムンク美術館所蔵でありながらも複数バージョンの中での ”決定版” と思われるが、92年の 「絶望」と93年の 「叫び」のハイブリッド作品のようであり、オリジナリティという意味では純度が高いとは言い難いように思われる。

似たような背景を持つ94年の 「不安も ”決定版“ はムンク美術館が持っているが、今回展示されているのは96年の木版なので見劣りしてしまうのはやむを得ない。
血のような赤が渦巻く空を背景にしたこの3点、ムンクに ”三部作” という意識があったのかどうかとは別に、ムンクのこだわりや試行錯誤が見えるという意味で、興味深いコーナーになっていた。


>ムンク関連記事
ムンク・ベストテン 
ムンク展 (2007、西洋美術館)
  生命のフリーズ〜吸血鬼、不安 生命のダンス、赤い蔦 星月夜、屍臭〜”装飾への道”
  アクセル・ハイベルク邸の人魚 リンデ・フリーズ、ラインハルト・フリーズ
  オスロ大学講堂の壁画 労働者への眼差し、そしてムンクの言葉

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2018年11月19日

アナ・チュマチェンコ先生のシューベルト

東京藝術大学弦楽シリーズ 2018 ”シューベルティアーデ アナ・チュマチェンコを迎えて” を聞いた。
(2018年11月18日(日) 15:00〜 東京藝術大学奏楽堂)

シューベルト(1797-1828):
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ト短調 D 408
  Vn:アナ・チュマチェンコ、Pf:占部 由美子
ヴァイオリンと弦楽のためのロンド イ長調 D 438
  Solo Vn:玉井 菜採、Vn:漆原 朝子、山 貴子
  Va:川 和憲、Vc:河野 文昭、Cb:中村 元優
弦楽五重奏曲 ハ長調 D 956
  Vn:アナ・チュマチェンコ、玉井 菜採
  Va:川 和憲、Vc:河野 文昭、中木 健二

アナ・チュマチェンコ(Ana Chumachenco)というヴァイオリニストは、何年か前にTVでシューマンの協奏曲の演奏を聞いて印象に残っていたのだが、経歴を見ると指導者として高い評価を受けている人らしく、今回もミュンヘン音楽演劇大学教授、東京藝術大学音楽学部特別招聘教授としての登場だった。
だからということなのか、あたかも室内楽のお手本、シューベルト演奏の模範をみせていただくような、いろいろな意味で納得感の高い演奏会だった。

前半の ソナタ(ソナチネ第3番)は、仲間うちで楽しむ シューベルティアーデの雰囲気が伝わってくる愛らしい小品だが、チュマチェンコ先生はピアノと息を合わせながら歌いたいところではシューベルトの心を自然に解き放つよう、あたたかみを感じさせながら自然に流れていく室内楽の理想形を聞かせてもらった。
次の ロンドは同じ19歳の時の作品ながら作曲技法はかなり進化しており、聴衆を楽しませる華やかなパッセージも多く、ソロの 玉井菜採さんも熱演だった。

後半の 弦楽五重奏曲は切込みの鋭い壮絶な演奏、チュマチェンコ女史が4人の共演者をぐいぐいと引っ張り、シューベルトが最晩年に到達した深遠のそのまた先を極めていく。
彼女は実はかなり指導が厳しい先生なのか、そういえば前後半とも会場が落ち着き客席が暗くなってもなかなか舞台に現れなかったのは、チューニングなどをしながら集中を高め、周囲にも霊感を与えるためにすべきことが多かったのかもしれない。
ともかくも強い緊張感を保ったまま曲は進んでいったが、白眉は第恭攵蓮悲しみなどという言葉ではとても表現できない奥深い感情を、弦5本の曲として書き遺した31歳の作曲家、そしてその世界を余すところなく再現した演奏家には、ただただ感服するほかはない。
第軍攵呂砲漏擽修了の愉しさが顔を出す瞬間があるが、第験攵呂呂匹海泙任盡靴靴、優美に聞こえてもよさそうな個所でも緩むことなく、劇的なフィナーレに向かって突き進んでいった。
これも藝大らしい企画というべきか、シューベルトの世界、室内楽の醍醐味を味わわせていただいた、まことに ”有り難い” コンサートだった。

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2018年11月17日

能 「絃上」-3 所縁の能=須磨の浦で起きたこと

能 「絃上」について、前2回の記事では琵琶の音や楽器の来歴等に注目したが、今回の舞台は ”国立能楽堂10月普及公演 月間特集・所縁の能・狂言” で行われたので、”所縁の能” に関わる部分を中心に振り返ってみる。

まずは 「八重の汐路を行く船の、八重の汐路を行く船の、唐土(もろこし) はいづくなるらん」と、勇躍中国へと旅立とうとする藤原師長の一行が須磨の浦にやってくる。
そこには村上天皇が姿を変えた老人がいて、「波ここもとや須磨の浦、月さえ濡るる袂かな、面白や浦に入日は海上に浮かみ明石の汀、塩焼く海士の類ひまでも、面白う候ふぞや・・・」などと妻の姥と語り合い、「問ふ人あらば佗ぶと答へてこの須磨の浦の汐汲まん、須磨の浦の汐汲まん」と、自らの境涯や心中を披歴する。

このような舞台設定や情景描写はもちろん源氏物語を踏まえてのことに違いなく、そこからのイメージ喚起力を援用しながら、これから重大なことが起きる場面を観る者の脳裏に作り上げていく。
この場所が特別なものであることは、一旦は見苦しいところだからと宿を提供することを断った老人に対し、師長の従者(ワキ)が 「異浦(ことうら)なんどと申すべけれ、これは須磨の浦にてはなきか」と食い下がり、老人(シテ)が 「仰せ尤もにて候」と受けるところからも実感される。

こうした須磨の浦の風情を描きつつ、師長の一行が一夜の宿を借りるようになるまでが前場の前半、そして後半は琵琶を弾くところに雨が降りかかったことから苫で調子を直す場面となり、そこでの主なやり取りは以下のようなものだ。
シテ 「何とて御琵琶を弾きさされて候ふぞ」 
ワキ 「さん候、村雨の降り候ふ程に、さて遊ばし止められて候
シテ 「さらば苫を取り出だし、板屋の上を葺き、御琵琶を弾かせ申さうずるにて候

このやりとりの後に姥と二人で苫をかける作業をすると、
ワキ 「いかに主、か程洩らざる板屋の上を、何しに苫にて葺きてあるぞ」と問われる。そこで
シテ 「さん候、ただ今雨の板屋を敲く音は盤渉なり、御調子は黄鐘にて候ふほどに、苫にて板屋を葺き隠し、今こそ一調子になりて候へ
と決定的な言葉を発する。
この後、唐土行きを思いとどまった師長から名を問われた老人は「今は何をか包むべき、我 絃上の主たりし村上の天皇」と身分を明かし、「かき消すやうに失せにけり」で中入りとなる。

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2018年11月15日

ロシア絵画の至宝展-2 大洪水、海辺の朝

(東京富士美術館 〜12/24)
イワン・アイヴァゾフスキーの作品は、「第九の怒濤」のほかに2点が来ていた。

大洪水」(1864)は、希望の光が眩しく輝いていた 「第九の怒濤」とは対照的に、重く絶望的な気分にさせられる陰惨な絵だ。
暗い海面から切り立った崖を夥しい数の人間が這い上がっていくのだが、圧倒的な水が容赦なく彼らに襲い掛かり、そこに留まることができずに家族とも引き離されて海の方へと流されていく。
そして次々と人が落ちていく右下のどす黒い海面は、海の藻屑となった人々が点々とする ”地獄絵” となっている。
昨今の自然災害のことを思えばけっして他人事ではなく、これが全ての生きとし生けるものの運命なのかもしれず、我々が生きている基盤というものの脆さを思い知らされた。

ところで、本作はそのタイトルから旧約聖書の物語が発想源かと思われるのだが、方舟(箱舟)の姿は見当たらないし、つがいでいるはずの動物も少ない。
親子らしい熊や猿は見えるが、象や蛇は単独行動をしているようだし、それらとは比べものにならないくらいの数の人間たちの無防備で情けない姿がとにかく圧倒的だ。
それに、そもそもこの ”大洪水” を起こしている水はどこからきているのか、津波や高潮のように海から陸を襲う水ではないし、大嵐で川が氾濫したというような水でもない。
人々を海へと陥れるように上から滝のように流れ下る水は、想像を絶する規模の集中豪雨か、山の上のダム湖が決壊したというようなことしか考えられないので、これも ”海洋画家” アイヴァゾフスキーの想像力が産み出した光景なのであろう。

海辺の朝、スダック」(1856)は明るく美しい絵、時期的にも上記2枚の大作の間に描かれた本作には平和で穏やかな情感が漂っている。
波のない静かな海に面したクリミア半島の村スダック、霧の中に遺跡のシルエットが浮かび上がり、浜から小舟に乗ろうとしているのはトルコ人の行商人だろうか。
沖には大きな帆船が待つ、このあたりも海軍従軍画家ならではの海や船を知り尽くした人の絵という感じがするが、もちろんそれだけではない詩情が漂っている。

1817年生まれの アイヴァゾフスキーは、生年では ミレーや クールベ、ショパンや ワーグナーとほぼ同時代人だが、彼がこれらの作品を描いたのは 1825年のデカブリスト反乱、1853年クリミア戦争勃発、1861年農奴制廃止と動いていく歴史の只中だった。
そんな激動の時代に何を考えていたのか、もう少し後に訪れるロシア文学や音楽の分野の爛熟期にはどんな影響を与えたのか、想像はいろいろとできるとしても、実は彼の頭の中は海軍やオスマン帝国との関係が大きく占めていたのかもしれない。


>国立ロシア美術館展 (2007、東京都美術館) 
>忘れえぬロシア (2009、ザ・ミュージアム) 

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2018年11月13日

仏像の姿-3 生き続ける仏、甦る仏

(三井記念美術館 〜11/25)
”仏師がアーティストになる瞬間” という副題で、特に仏像の「顔」「装飾」「動き」を切り口にしたという ”「仏像の姿(かたち)」〜微笑む・飾る・踊る〜” 展について、構成を度外視したつまみ食い的な記事ばかりで気が引けるが、前2回(踊る菩薩動く不動)以外で目にとまった像を思いつくまままに・・・

1-5 重文 薬師如来立像(奈良時代・8世紀 滋賀・聖衆来迎寺)は、すっきりと美しい体の線や上品な微笑が白鳳仏の名品を思い出させる優美な像なのだが、なぜかその体は台座から微妙に右に傾いている。これが意図的なものとは思われないのに、この傾きによって夢見るような雰囲気が加わり、像の魅力を高めているよう見えるのは、いったい誰を褒め何に感謝すればいいのだろう。

5-5 十二神将立像(子神〜巳神 6軀 鎌倉時代・13世紀 奈良国立博物館)は、鎌倉・覚園寺の前身である 大倉薬師堂のために 運慶が制作した十二神将を踏襲したものとのこと、小品ながらも力感が籠るもので、その中でも檄を持って前傾した 寅神、手をかざし遠くを見る 卯神は特に優れた造形だった。

5-6 伽藍神立像(鎌倉時代・13 世紀 奈良国立博物館)の疾走する姿は伽藍神のアイコンともいうべきもの、ただ走ることにのみが己の役割と弁えて、何の迷いもなくひたすらに走り続けている。

5-8 重文 聖観音坐像(平安時代・11世紀 滋賀・荘厳寺)は上半身のみの大きな像だが、表情は穏やかで気品があり、人々に慕われた観音様らしい優しそうで親しみやすいお姿だった。


最後の部屋は 東京藝術大学文化財保存学(彫刻)の模刻作品・修復作品。
7-1 模刻(復元) 唐招提寺 伝薬師如来立像に関する ”木取り” の研究のパネル解説からは、ほぼ直立の樹の形を生かし効率を重視して作られたことなどが分かり、また干割れが模刻にもほぼ同じように生じているところも興味深かった。
7-9 模刻(現状) 室生寺 十二神将立像のうちの 未神立像 は一度見たら忘れないポーズの像だが、それは両腕の角度を微調整できる構造によって実現しているらしい。

7-13 模刻(復元) 興福寺 天燈鬼・龍燈鬼立像、7-11 模刻(復元) 金剛峯寺 八大童子像のうち 矜羯羅童子立像 といった復元作品は、その色にいつも戸惑わされる。興福寺の鬼は橙と緑がどぎついほどに鮮やかだし、童子の唇の紅は乙女のようだ。6-1 模刻(復元) 宝菩提院 菩薩半跏像 のような渋めの色彩ならあまり違和感を感じなくて済むのだが、残存する顔料成分などから導かれた結果としてこの決定的な違いが生じるものなのだろうか・・・

hokuto77 at 21:21|PermalinkComments(0)│ │日本彫刻 

2018年11月12日

波多野睦美、ドビュッシーと時空をめぐる午後

北とぴあ国際音楽祭2018から ”ドビュッシーの午後〜声とピアノによるフランスの音楽〜” を聞いた。
(2018年11月11日(日) 15:00〜 北とぴあ つつじホール)

<第1部 ドビュッシーの午後>
ドビュッシー: (Piano Solo) 亜麻色の髪の乙女
ドビュッシー/詩 ヴェルレーヌ: グリーン、月の光、マンドリン
   ドビュッシー/詩 ヴィヨン: 聖母に祈るため母の願いによりヴィヨンが作ったバラード
   ドビュッシー/ポワトゥー民謡: 子守歌
   ドビュッシー/詩 ドルレアン: 時は脱ぎけりそのマントを
ドビュッシー: (Piano Solo) デルフィの舞姫
ドビュッシー/詩 ルイス: ビリティスの3つの歌 〜パンの笛、髪、ナイアードの墓
ドビュッシー: (Piano Solo) 西風の見たもの

<第2部 ドビュッシーをめぐる音楽>
   ラモー: 恋のうぐいす
   ドビュッシー: (Piano Solo) ラモーを讃えて
   ショパン/ヴィアルド編: 愛の嘆き(マズルカOp6-1)
   ドビュッシー: (Piano Solo) マズルカ
ブーランジェ: 帰還
タイユフェール: (Piano Solo) ドビュッシーを讃えて
タイユフェール: ラ・リュ・シャグラン〜悲しみという名の通り
プーランク: 愛の小径

 メゾソプラノ: 波多野睦美、ピアノ: ジュリア・スー

没後100年となる ドビュッシーの作品を集めた前半は3つの部分に分かれ、「亜麻色の髪の乙女」から ヴェルレーヌの詩による3曲へと、まずは穏当に始まった。
しかし次の 中世に行くと、母の聖母マリアへの信仰を率直に吐露する ヴィヨンの詩で、演奏が始まる前には思ってもみなかった宗教的情感に包まれることとなり、無伴奏の独唱による ポワトゥー民謡、季節の移ろいをマントを脱ぐことに譬えた オルレアンの詩による曲でも、いつものドビュッシーとはひと味違う古雅の趣の濃い世界へと誘われた。

そして第3グループの ギリシャ、といっても古代そのものではなく神話的世界への憧憬というべきか、「ビリティスの歌」は ルイスがギリシャの女流詩人に仮託して発表したのはとんでもないことだったが、19世紀末のパリから思いを馳せるギリシャのイメージとしてはまがい物ではない真実味があるらしく、だからこそドビュッシーも充実した歌曲に仕立て上げることができたのだろう。
前後に弾かれたピアノ曲も時間と空間の遠さを暗示するようで、古楽に造詣の深い 波多野睦美さんの知的な持ち味が、特にこのあたりの構成にも演奏にもよく生きているように思った。
台湾出身のピアニスト ジュリア・スーさんも、変化に富んだ曲の連なりを色彩豊かに表現していた。(ピアノはヤマハ)

後半は ラモーや ショパンの歌曲とそれらに触発された ドビュッシーのピアノ曲が並べて演奏された。
そして ブーランジェの 「帰還」、これは今年の 北とぴあ国際音楽祭のオペラ 「ウリッセの帰還」に関連しての選曲のようだが、ユリシーズやオデュッセウスなら誰でも知っている物語なのに、ウリッセでは知名度が劣りもしかしたら苦戦しているのだろうか・・・
モンテヴェルディはこの英雄の帰還譚を重厚長大なオペラにしたのだろうけれど、リリ・ブーランジェはわずか数分の歌曲で、長い旅を終えて故郷に帰っていく感慨と揺るぎない人物像を表現している。
特にピアノ伴奏が大洋を思わせるスケールの大きな曲として書かれていて、眼前に際限のない世界が広がっていくようだった。

プログラムの最後は タイユフェール、「ドビュッシーを讃えて」はこれでいいのかと思うほどの軽妙洒脱な小品だった一方で、「ラ・リュ・シャグラン悲しみという名の通り)」に漂う哀愁には不意を突かれた。
かつては恋人と楽しく暮らした通りなのに、別れたことでいまは思い出の中の ”悲しみの通り” になってしまった・・・
出会いの後には別れがくるのが人生ではあるけれど、そのためにさまざまなものが悲しみという衣をまとって記憶の底に刻まれる・・・
何気ないシャンソンにしんみりとさせられたあと、アンコールで プーランクの 「愛の小径」が実質的なフィナーレとして演奏され、明るく甘やかに秋の日の午後のひと時が終わった。


(関連記事)
北とぴあ国際音楽祭2017 3台のフォルテピアノ
北とぴあ国際音楽祭2013 中世貴婦人たちの恋模様
北とぴあ国際音楽祭2005 モーツァルトのレクィエム

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2018年11月10日

ロシア絵画の至宝展-1 第九の怒濤

(東京富士美術館 〜12/24)
国立ロシア美術館の収蔵品約40点による ”ロシア絵画の至宝展 夢、希望、愛〜アイヴァゾフスキーからレーピンまで” を見に八王子に足を運んだ。
主目的は イワン・アイヴァゾフスキー(1817-1900、アイワゾフスキー)の 「第九の怒濤」(1850年、「第九の波」、「第九の波濤」とも)、これは学生時代に見て衝撃に近い感動を覚えた作品だった。
だから是非再会したいという思いがあった一方、その後に多くの絵を見てきて趣向も変わった今の眼に果たしてどう見えるのかという若干の不安もあったのだが、そのような心配は無用だった。
巨大な画面を満たす荘厳な光、大きく盛り上がり砕ける波の勢い、光を通す水の透明感や水面に映える陽光は迫真の出来栄えで、驚くべき描写力というほかはない。

嵐の中で最も恐ろしいという ”第九の波” を前にした遭難者たちは、小舟に揺られて波間を漂っているのではなく、沈没した船のマストの残骸に辛うじてつかまっている。
既に浮力は失われ海底に沈んでいくのは時間の問題のようであるし、その向こうでただひとり大きな波に呑み込まれようとしている人物はとても助かりそうになく、実に絶望的な状況だ。
しかし、彼らには明るい光がさしてきている。
それは単なる予兆ではなく、眼前の第九の波を乗り越えたところに平安が訪れることを確信させる光であって、希望がある限りは必ず救われるという信念が、ここには描かれているといえる。
そんな人間の不屈の精神と永遠の希望の象徴が、画面中央で高く掲げられている赤い布なのだろう。

人間の極限状態を描きながらも、そこに確かな希望を感じさせているのは アイヴァゾフスキーという画家の力にほかならないが、彼は何をテーマにこの絵を描き何を訴えようとしたのだろうか。
リアリズム的な手法によりながらも現実にはありえないような光景が描き出された大画面に向き合っていると、これは聖書の奇跡譚などをもとにして宗教的な感情を喚起しようとする作品なのではないかと思えてくる。
だが ”第九の波” という話には聞き覚えがないし、遭難者たちはターバンを巻いたトルコ系の異教徒のようなので、聖書的な世界とは関係なさそうだ。

アイヴァゾフスキーはロシア海軍司令部の従軍画家として活動する中でさまざまな海を体験し、その厳しさや美しさをつぶさに見てきたはずだから、まずは海そのものの魅力を描いて伝えたいというのが第一の制作動機であっても不思議はない。
また、トルコのスルタンに招聘されてイスタンブールに赴き、後にオスマン帝国の宮廷画家に任命されたということでもあるので、そうした経歴がこのような出で立ちの人物を画中に登場させたのかもしれない。
そうだとすると、実はかなり世俗的、即物的な作品として描かれたようにも思われてくるのだが、それでも、この大画面には観る者に強く訴えかけ超越的な何かを感じさせる力が漲っている。
やはりこの 「第九の怒濤」は特定の信仰に根ざしたものものではなく、苦難を乗り越えて歓喜に至るというベートーヴェン的世界と同様に、全ての人に逆境を乗り越える勇気を与えようとする精神の産物ということになるのであろう。


>国立ロシア美術館展 (2007、東京都美術館) 

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2018年11月09日

小林一三と五島慶太、東西数寄者の審美眼

(五島美術館 〜12/9、展示替えあり)
”特別展 東西数寄者の審美眼”は、阪急電鉄の創始者 小林一三(いちぞう)と 東急グループの基礎を築いた 五島慶太それぞれの収集品を競演の形で展示していた。
慶應→三井銀行→阪急と歩んだ小林と、東京帝大→鉄道院→東急の五島の経歴には対照的なところもあるが、鉄道事業から流通やレジャーへと業容を拡大し、田園都市構想を掲げながら東西の両雄として総合的文化圏とも言うべきものを作った。
彼らによる沿線開発や新たに始めた事業が、今の我々の生活を豊かなものにしていることは間違いなく、沿線住民だけではない新しい日本人のライフスタイルを作ったと言ってもいい功績だとあらためて思う。

そんな二人は自分の茶室を持ち茶道具や茶掛けなどにも凝った数寄者だった上に、お互いを招待した茶会を開いたこともあったらしい。
本展ではそこで使われた品々を並べて再現した展示があり、このあたりの目利きならば両者の趣向の違いやそこから窺われる人柄などに思いが及んで行ったりするのだろうけれど、私は残念ながらそうもいかないので、逸翁美術館からの絵画作品で心に残ったものを書き留めておく。

与謝蕪村筆の句自画賛 「又平には、蕪村らしいのびのびとした洒脱さが楽しい。
又平に逢ふや御室の花さかり” は、散り掛かる桜の花の下をいい気分で飄々と歩いているところなのだろう、何ものにもとらわれない自由気ままな境地が羨ましくなるほどだ。
柳ちり」 は、西行が詠み芭蕉も吟じた ”遊行柳” の故地を訪ねたのに期待していた昔の面影はなかったので、”柳ちり清水かれ石ところゞ” の句に石ころの絵を添えたもの、失望を笑いに変えるユーモアのセンスもまた蕪村らしい。
奥の細道画巻は挿絵のほのぼの感だけではなく、芭蕉の本文を地道に写していく集中力に感服する。
逸翁美術館にはこのほかに 「闇夜漁舟図」もあったと思うが、この希代の敏腕実業家は蕪村のどのあたりに惚れ込んだのだろう。

円山応挙筆の 「嵐山春暁図」に描かれているのは春爛漫の嵐山、急峻な斜面にヤマザクラと松が綾なすように重なり、その下を流れる川面はどこまでも穏やか、名所の地形や構成要素を正確に捉えた写生画にして、春の華やいだ空気感をもよく伝える優品だった。
その他に 長沢芦雪筆 「降雪狗児図」、呉春筆 「松下游鯉図、岩上孔雀図」などが出ていた。

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2018年11月08日

カール・ラーション展-2 ストックホルムの記憶

(損保ジャパン美術館 〜12/24)
今回の ”カール・ラーション” 展は、スウェーデンの自然に囲まれた豊かな田園生活や、家族を大切にし生活を美しく彩るといったライフスタイルが強く印象に残る企画だった。
そこには スウェーデン人の宗教観や季節感を伝えるものも多く、前回ふれた花模様や 「家族の樹」と題されたテーブルクロスなどのデザインの核になっているのは、夏至祭を祝って広場に高々と立てる メイポールのようだった。
それは一年で最も太陽が力を持つ日をみんなで祝うシンボルであり、北欧の人々の太陽への憧れがそのまま形になったもののように思われる。
一方、円環に蝋燭を立てた形の 「シャンデリア」は、聖ルチア祭の夜に少女が被る冠のよう、こちらは冬至に近い待降節の時期のものだが、いずれもキリスト教の行事とそれ以前から北欧に伝わる季節の祝祭が結びついた大切なイベントとして、今も人々の間に強く根付いている形につながっている。

こうした展示を見ながら、ストックホルムにある スカンセンという屋外民族博物館を訪ねた時のことを思い出した。
ここは工業化以前の古き良きスウェーデンの暮らしを観ることができるテーマパークのような施設で、広大な田園風景の中に点在する農家や牧場、パン屋やガラス屋などが並ぶ小ぢんまりした商店街などを見て廻ることができる。
それも、ただ移設・復元した建物等を見せているというだけではなく、農婦の恰好をした女性が家畜に餌をやったり糸を紡いでいたり、ガラス屋の職人がふいごを吹いていたりといった具合に ”動態展示” を行っているので、ひと時代前の生活ぶりを生き生きと実感することができる。
私が訪れたのは夏至の少し前だったので、小高い丘のあたりに人々が集まり、ちょうど メイポールを立てるための作業が行われていた。
ラーション展のインテリア展示や田園風景の写真に既視感があったのも、この スカンセンの印象が強かったからであろう。

ついでに思い出しておくと、スカンセンのある島から旧市街の街並みが残る ガムラスタンに行く船便は、首都の中心部とは思えない爽快で心地よいものだった。
ガムラスタンも古い建物群を細い路地が縫うようなテーマパーク的光景の地区だが、こちらは現役の市街として機能していて、この中に行きつけの店を持ち毎日の仕事帰りに寄れたら、どんなに豊かな気分になれることかと思った。
一方、この島を出て北に向かえば近代的なビルが整然と立ち並ぶ未来都市のような一画もあり、首都の狭いエリアに中に新と旧、都会と田園、海と陸が見事に共存していた。

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2018年11月06日

東山魁夷展-2 唐招提寺障壁画展示の不完全部分

(国立新美術館 〜12/3)
唐招提寺御影堂障壁画完全再現!” といいながら、御影堂の襖絵としては ”完全再現” であっても ”東山魁夷作品” としては完全な再現ではなかった、と前回書いた。
それは 「山雲」の画家署名を探していて気が付いたのだが、この作品では一連の画面の右端、即ち霧の立ちこめた谷の部分で、寝殿の間に面し渚の裏側にあたる場所に画伯の署名がある。
しかし、他の作品の例によれば縦に 「昭和五十年五月」と日付を記し、その横に 「魁夷」という署名と捺印があるはずなのだが、本作に限っては 「昭和五十年・・・」の辺りまでしか見えていない。

まさか 東山魁夷画伯がこんな大仕事で寸法を誤るはずもないのにどうしたことかと思い 「山雲」と裏側の 「濤声」の間を行き来していたら、この二つの部屋には段差があって、「山雲」の描かれている ”上段の間” はその名の通り15cmほど高くなっているため、画面の下辺部分が畳に隠れて見えていないということがわかった。
そのくらいこの再現展示は現状に忠実に作られているわけで、だからカタログで見れば高さの違う面が混じっているのに、再現展示ではその不自然さが気にならないほどに徹底している。
しかしその結果、画伯がせっかく描いた絵の一部が隠れてしまっていることになり、もちろんそれも織り込み済みで制作されたのだとは思うけれど、肝心の署名が隠れて見えていないところからは、何らかの行き違いがあったのではないかという気がしないでもない。

もっとも、この 「山雲」の右面4枚の下部はほとんど霧に覆われた部分なので、絵を鑑賞する上で問題はほとんどなさそうだが、この影響はむしろ北側の 「黄山暁雲」の方に大きく出ているように思う。
実は以前からこの作品は他の部分と比べるとやや迫力に欠けるような気がしていたのだが、その原因は左面の険しい山の下の部分が隠されて、いわば寸詰まりになっているからだと知れば納得がいく。
カタログの写真では、この絵の左4面は前述した 「山雲」のある上段の間の高低差と同じだけ縦に長くなっており、全体図では逞しく立ち上がる堂々たる山容が見えるのだが、実際には下辺15cmほどが隠れてしまっていることによって、黄山の迫力が減殺されてしまっている感は否めない。

これに対し 「桂林月宵」は、同趣向の作品であっても完成度の高い空間になっていると思っていたのだが、これは画伯が構想し描いた全てをそのままの状態で見ることができるからに違いない。
おそらく画伯はこの部屋の畳に座った状態で見られることを想定して描かれた、だから近づいてその高さから見てみると、月光に包まれてゆるやかに流れる水の上にいるような感覚に捉われる・・・

hokuto77 at 19:30|PermalinkComments(0)│ │日本絵画(近現代) 

2018年11月04日

ルオー展-2 パックス(平和)と2人の美女

(汐留ミュージアム 〜12/9)
『ミセレーレ』関連作品に続く ”第2章 聖顔と聖なる人物 −物言わぬサバルタン” の主力は、キリストの顔のみを正面から描いた 「聖顔になるが、後半の方にあった横向きの顔にも訴えかけてくるものの強さがあった。
当館所蔵の 「キリスト」(1937‒1938年)は深くうつむく孤独な姿で、キリスト自身の苦悩や受難の運命というものがストレートに伝わってくる。
一方、「パックス(平和)」(1948年頃、ヴァチカン美術館)という来日作品は、もう少し浅い傾きで静かに目を閉じており、何かを深く憂い思索を巡らせているようだ。
”平和(Pax)” という題を誰が付けたのか分からないが、キリストは確かに争いの絶えない世界を嘆きながら、今の世の中の平和を祈ってるようであり、しかし同時にその難しさも苦く噛みしめてもいるように見える。
ローマ教皇への献呈品ということでこのような作品が制作されたのか、ともかくも10年の間にその横顔には厳粛さと普遍性が加わることになった。

ヴェロニカ」(1945年頃、ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館)は、ルオーには珍しいほどの優しく美しい聖女、大きく見開いた眼に、純真無垢な乙女の一途さが感じられた。
一方、晩年の 「サラ」(1956年、ジョルジュ・ルオー財団、パリ)は、絵の具の塗りの厚さがルオーの平均的な水準を遥かに超えており、凹凸の深さは浮彫彫刻のようだ。
その効果なのか、彼女は微妙に表情を変えながら慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、周囲は彼女を荘厳するために発光しているように輝いている。
死の間際まで手元にあったという本作について、ルオーはいったいどのあたりを到達点と考えて絵の具を塗り重ねていったのか・・・

”第3章 パッション[受難] −受肉するマチエール)” に続く ”聖なる空間の装飾” というセクションには、ルオーにより着彩された木彫の 「キリスト十字架像」(17世紀、清春白樺美術館)があった。
これはルオーがずっと手元に置いて祈りを捧げていたという像で、小さいながらも重みが伝わってくる写実的な磔刑像だ。
それが今は 清春芸術村の ルオー礼拝堂にあるというところに、武者小路実篤や志賀直哉などの白樺派同人のルオーへの傾倒ぶりや、美術館構想が曲折を経て実現するまでの道、そしてルオーの遺族との交流といった長い物語のことを思った。

hokuto77 at 19:54|PermalinkComments(0)│ │西洋絵画(現代) 

2018年11月03日

NDRエルプフィル&ギルバートとブッフビンダー

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団、指揮 アラン・ギルバートのコンサートを聞いた。
(2018年11月2日 (金) 19:00〜、サントリーホール)
エルプフィルは本当にかつての 北ドイツ放送響(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)なのか、そうだとしても イッセルシュテットや ヴァントの頃の響きを期待してもいいのか、ソリストは残念ながら直前に エレーヌ・グリモーがキャンセルとなり ルドルフ・ブッフビンダー(ブフビンダー)に変わったけれど北ドイツらしさとの相性はむしろいいかもしれない、そんなことを思いながら閑散とした客席に足を運んだ。

(曲目)
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 (ピアノ: ルドルフ・ブッフビンダー)
 (アンコール〜ベートーヴェン:「テンペスト」 第3楽章、J.S.バッハ: パルティータ第1番「 ジーグ」)
ブルックナー: 交響曲第7番

ベートーヴェンピアノ協奏曲第4番は柔らかく軽やかに始まり、これはこれで十分に美しい。
しかし第恭攵呂貌ると、きびきびとした速いテンポと ff による弦のレチタティーヴォが確かな重量感をもって聞こえ、このあたりに北ドイツのDNAが生きているように思った。
第軍攵呂任倭干擺錣粘遒咾鯒発させるところ、そして終盤でヴィオラが出てくるところが特に良かった。
代役の ブッフビンダーは模範のような演奏の後にアンコールを2曲、テンペストの終楽章は流れるような音楽がスリリングな盛り上がりをみせ、バッハは肩の力が抜けた楽しいひと時となった。

後半の ブルックナーでは エルプフィルのパワーが全開、高性能のオケがほどよいサイズのホールで鳴らされる響きには抗いがたい魅力があり、特に第恭攵呂慮みのある弦の艶やかさはドイツの音楽を聴いていることを実感させてくれるものだった。
ところで、前から思っていたことだが、この 交響曲第7番はどう考えてもこの楽章が頂点であって、第験攵呂錬牽以近い大曲のフィナーレとしては多くの要素がまとまりなく混在し過ぎ、誰もが納得するカタルシスに持っていくのは至難の技なのではないか。
それは、材木と炭を積んだ12頭の牛を追って雪深い峠道を越えていくようなもので、労苦の割には報われない仕事のように思われるのだが、アラン・ギルバートという指揮者は大きな動きで分かりやすい指示を出しオケをまとめる手腕に優れているようで、この難業に臆せず果敢に挑んでいた。
若く見えるが51歳になるらしいこの指揮者は、遠慮のないところ第機↓恭攵呂某爾だ鎖誓を感じさせるにはベストの人選と言い難く、本人にもまだまだ伸びしろがあると思うのだが、もたつく牛を曳いて峠を越えるこの第験攵呂寮萋骸圓箸靴討蓮△いせ纏をしてくれたと思う。

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hokuto77 at 19:15|PermalinkComments(0)│ │音楽の部屋 

2018年11月01日

能 「絃上」-2 三つの琵琶が奏でる物語

能 「絃上」(けんじょう)には三つの琵琶が登場する。
といっても実際に舞台に出てくるのは二つなのだが、その前に整理しておくと、平家物語は遣唐使の藤原貞敏が唐から持ち帰ろうとした琵琶の名器三面として 「絃上、青山、獅子丸」を挙げており、このうち 「獅子丸」は帰国途中で海底に没したため行方不明、「青山」は仁和寺に伝わり、「絃上」(玄象、玄上)は宮中で醍醐・村上天皇に愛用されたと伝えている。
では本曲にその 「絃上」が登場するのかと思うと、話はそう単純ではない。

能 「絃上」に登場する第一の琵琶は藤原師長の所持品で、前場の中ほどでシテの老人(実は村上天皇)から 「今宵は月も面白う候へば、夜もすがら御琵琶を遊ばされ、御心を慰まれうずるにて候」 と促されて弾き始められることとなる。
そこへ前回書いた通り雨が降ってきて、演奏を中断すると老夫婦が苫で調子を整えるというシーンがあり、老人の実力を悟った師長が 「さればこそ始めより、凡人(ただびと)ならず思ひしに、心憎しや琵琶琴をいかでか弾かであるべき」と言って自分で弾いていた琵琶を老人に渡し、今度は老人が妻の琴と合わせて越天楽を演奏する。
この場面、能の演出上は作り物の琵琶を使う、あるいは扇で代用する、ということもあるようなのだが、この日は本物の琵琶が使われ、特に老人が弾く場面では撥(ばち)もしっかり持っていたので、実際にパラパラっという弦の音が聞こえてくるのではないかと思うほどだった。
かように舞台上では重要な役回りを演じる立派な琵琶だったが、これは師長が唐土に向かうにあたり持参してきている楽器なので、上述した三大名器に匹敵するようなものではなく、おそらくは国産品でそこそこのレベルのものということになろう。

第二の琵琶は 「獅子丸」、これは上述のとおり海中に没して行方知れずの状態だったはずなのだが、後場(出端)で村上天皇が 「いかに下界の龍神たしかに聞け、獅子丸持参、仕(つかまつ)」と命じると、龍神が持って現れ唐土への渡航を断念した師長へと与えられる。
龍神ならば海の底からでも探し出すことが出来ようが、持ってきた琵琶は明らかに作り物、その鮮やかな色で ”名器” ぶりを示そうとしたと思われるが、そこから音が聞こえてきそうな気配はない。
ここは龍神や村上天皇の舞いに合わせて 「師長賜り弾き鳴らす」という場面にもかかわらず、抱えたままかしこまっているだけで弾いているようには見えなかったのだが、ワキ座で琵琶をかき鳴らすようなアクションをしないのは能という芸能のお約束事としてやむを得ないのだろう。
ともあれ、「獅子丸」を授けられた師長は最後に飛馬(ひば)に乗って退場していくので、めでたくその持ち主になれたということになる。

そして第三の 「絃上玄象)」、これは上述の通り三大名器のひとつで村上天皇の持物とされる琵琶だが、実際の舞台に登場してくることはない。
詞章の中で言及されるのも、苫により雨音の調子を整えた後に師長から 「重ねて尋ね申すべし御名を名乗り給へや」と問い詰められた老人が、「今は何をか包むべき、我 絃上の主たりし村上の天皇 梨壷の女御夫婦なり」と自らの身分を明かす場面、そして終曲間近で 「唐土より三面の琵琶を渡さるる、青山絃上獅子丸これなり」と並列的に説明される部分だけだ。

ではなぜこれが曲名になっているのか、それは 「絃上」という琵琶の名器が 村上天皇その人を象徴しているからだ、というのが、この日の冒頭に 「琵琶のロマン―楽器と秘曲を巡って―」という題で解説された 三浦裕子武蔵野大学教授の御説だった。
確かに名器は人を選ぶ、保有するにふさわしい人格と秘曲を伝授される実力の持ち主であることを、「我 絃上の主たりし村上の天皇」の一文がはっきりと宣言しているので、「絃上」こそが本曲の中で最も重要な琵琶なのだと言うことができよう。

そこに異論はないとしても、この曲の作者はなぜ、村上天皇が 「絃上」を弾く、という一番の見せ場となるはずの場面を用意しなかったのだろうか。
詞章だけを見れば、早笛から早舞のあたりは天皇自身が弾いていてもよさそうなのに、実際には舞い踊っているのでそうもいかない。
理屈を言えば、現物は宮中にあって門外不出の扱いのはずであり、いくら師長の渡航を止めるためとはいえ須磨の塩屋まで持ってくるわけにはいかなかったと考えられる。
しかしそれだけならば、海中に没した 「獅子丸」でさえ龍神が持ってこられたのだから、後場に 「絃上」を間に合わせることなどわけもなかったであろう。

もうひとつの可能性として、村上天皇の 「我 絃上の主たりし」という言い回しは、かつては持っていた、というだけでいま現在の持ち主ではないということを示しているのであろうか。
先生の配布資料によれば、今昔物語集には 「今は昔、村上天皇の御代に、玄象という琵琶にわかに失せにけり」と記されているとのことなので、この曲そのものが、在りし日の 「絃上(玄象)」を偲ぶために作られたものであるのかもしれない。

hokuto77 at 20:00|PermalinkComments(0)│ │邦楽事始 

2018年10月30日

フェルメール展-4 窓からの光に向かう女

(上野の森美術館 〜2/3、展示替えあり)
リュートを調弦する女」(1662-1663年頃、メトロポリタン美術館) は、画面の劣化が進んでいることが残念ではあるものの、柔らかな光に包まれた女の顔に喜びがあることで、以前から私の中でのポイントはかなり高い。
リュートを弾くためのチューニングに耳を傾けながら、彼女の視線と心は窓の外から射してくる光の方へと向いている。
とは言っても、これから一緒に合奏する男がやって来るのを待っているのか、あるいは背後の地図が暗示するように遠くにいる誰かのことを思いながら爪弾こうとしているのかはよく分からない。
それでも、これからリュートを弾くことによって始まる特別な時間を前にしての華やいだ表情が、観る者の心をも明るく豊かなものにしてくれる作品だ。

真珠の首飾りの女」(1662-1665年頃、ベルリン国立美術館) に描かれているのは、装飾品を身に着けて気分が高揚している女なので、もう少し即物的な状況かもしれない。
こちらも、お洒落をしてこれから誰かと逢おうとしているのか、あるいはプレゼントされたものをあててみて恍惚感に浸っているのかは判然としないのだが、明るい光の方に顔を向けて満ち足りた表情を見せている。
何か楽しいことを待つ女は、今は独りの空間の中にいるけれど、心の中はすでにもう一人の誰かとの時間を生きている。

以前も書いたように(また多くの人が指摘しているように)、フェルメールの作品の核となっているのは、左の窓から射してくる光に包まれて一人の女性が何かに集中しているというものであり、その魅力の強さは、光の陰影の豊かさや響き合い、そして主人公の息づかいや心の動きにどのくらい共感できるかで決まってくる。
ここに挙げた2点とも、光の豊かさや柔らかさ、女の表情や仕草に問題はなく、だから私のベストテンの中に入っている。
しかし、牛乳を注いだり手紙を読んだり、といった女たちの集中の重さ、思いの深さにはやや及ばないような気がするので、その次あたりのグループということになるが、それでもここには フェルメールしか表現しえなかった光と、それに包まれた内面がある。


>フェルメール展 (2018、上野の森美術館)
    ワイングラス
    赤い帽子の娘
    マルタとマリアの家のキリスト、牛乳を注ぐ女

hokuto77 at 19:33|PermalinkComments(0)│ │西洋絵画(古典) 

2018年10月28日

東山魁夷展-1 唐招提寺障壁画の完全再現

(国立新美術館 〜12/3)
10年ぶりという 東山魁夷画伯の回顧展で特筆すべきは、唐招提寺障壁画のすべての面が御影堂の構造を生かす形で再現展示されていたことだ。

寝殿の間の 「濤声 (とうせい)」は、右から寄せる波が松や岩と呼応しながら渚に至り泡と消えるまでが、49畳に相当する空間をいっぱいに使って描かれており、雄大な動きの全体像が実感できる展示となっていた。
一方、上段の間の 「山雲 (さんうん)」は、霧にすっぽりと包まれたような14畳の部屋の静けさを味わいつつ、床の間の隅や棚の時鳥までを間近に見ることができるようになっており、第一期作品の動と静の対象も鮮やかだ。

第二期となる水墨画の 「黄山暁雲 (こうざんぎょううん)」、「桂林月宵 (けいりんげっしょう)」も、建具や畳のある空間に90度の角度を生かして展示されていることで、その魅力が最大限に引き出されていた。
どの作品も一部だけを見た場合はもちろん、平面的に並べて展示されただけでは絶対に分からない 東山魁夷画伯の入念な構想、そしてそれを現実のものにする画力が、現地を訪れた時と同じ迫力をもって伝わって来るという意味で、理想的な展示だと言えるだろう。

そうした中でも一番の収穫は、26面から成る 「揚州薫風 (ようしゅうくんぷう)」だった、
この作品は 鑑真和上像を安置する部屋のための襖絵で、厨子を四方から360度取り囲むようにして、和上の故郷の穏やかな風景が描かれている。
しかしその全てを見るためには、像のある部屋の中に入って襖を締め切らなければならず、現地を訪れても廊下に面した襖の裏側となる何面かは外されているのだが、今回は全面を展示した上でその中を通過できるようになっていたので、2つに切り分けた形ながらも 鑑真和上を包む空間の全体を見ることができた。
和上の背後にも柳が揺れ水面を渡る風が感じられるようにしたのは、苦難の末に日本にやってこられた和上への東山魁夷画伯からの何よりの贈りものだと思うので、このような形でその全貌が紹介されたことにさぞご満足されているのではないだろうか。

なお坐像を収めた厨子の扉絵 「瑞光(ずいこう)」のみは試作だったのだが、おそらく完成作品は厨子と一体になってしまっていると思われるのでこれはやむを得ないだろう。

確かに ”唐招提寺御影堂障壁画を完全再現!” というチラシの文句に偽りはなく、充分に満足すべきものだった。
しかし、”御影堂” での見え方は確かに ”完全再現” されていたと言っていいと思うが、”東山魁夷作品” としては完全とは言い難いということが、思わぬところから見えてきてしまった。(つづく)

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2018年10月27日

カール・ラーション、美しき田園生活の記憶

(損保ジャパン美術館 〜12/24)
日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念 カール・ラーション展は、スウェーデンの国民的人気画家 カール・ラーション(1853〜1919)の画業を振り返り隠れた名作を堪能する展覧会、なのだろうと思っていた。
しかし見終わっての印象は、ダーラナ地方の 「リッラ・ヒュットネース」と呼ばれる家を入手して妻とともに飾った、その内装や調度品のデザインの清々しさの方が強く、そこでの主役は カールというよりは、むしろ妻 カーリン・ラーション(1859〜?)の方だった。

というのはやや言い過ぎとしても、彼女がデザインしたテキスタイルや家具類、それも単体ではなくさまざまなアイテムで構成された空間を再現した展示が心地よく、そのナチュラルさを大切にしたライフスタイルは、今の我々の郷愁にも訴えかけてくるものがあるようだ。
後年になって、”家庭に芸術をもたらしただけでなく、家庭を芸術に引き上げた” と称賛された カーリンのデザインした 「花模様のテーブルクロス」などは、左右の対称性などが正確ではないので一見稚拙に見えるけれど、その微妙な揺れや歪みに手作り感がありあたたかみを生んでいるともいえる。

工業化していく中での田園生活への憧れという意味では、英国のアーツ&クラフツ運動と共通するところもありそうだが、こちらはあくまでも家族で使うためのプライベートでローカルな一点ものというのが出発点なのであろう。
再現されている作品にはリズミカルな花台やゆったりした服、椅子やクッションなどもあり、それらがトータル・コーディネートされ互いに響き合うことによって、一層魅力が増しているようだった。

こうしたことが可能だったのも カーリンに画才があったからに違いなく、それは彼女のパリ時代の作品(カーリン・ベーリェー名義)からも窺える。
女性であるがゆえに画家の道は断念したということだが、例えば 「マルムストローム先生のアトリエ」(1882頃)にみる堅固な空間とそこにいる人物の微妙な距離感を描き出した手腕は、夫の カール以上のものかもしれない。
第一次世界大戦のメモリアル・クッション」(1918、展示は古い複製)は、遠くから見たときは猫の顔のクッションかと思ったのだが、近付いてみるとそこには戦火と涙が表されており、ずしりと重みを感じさせられる作品だった。

以上は ”第局 ラーション家の暮らしとリッラ・ヒュットネース” についての感想だが、その前の”第吃 カール・ラーション(1853-1919)の画業” についてもふれておくと、ゴッホと同年生まれのこの画家には、家族を描いた作品が多くなる前の前期作品に比較的いいものがあり、「ダーラナ地方のランプのある室内」は、後ろ向きで座る女性(カーリンか?)の黒いシルエットの周囲に広がるテーブルの上の灯りが美しかった。
あしたはクリスマス・イヴ」(1892)では、特別な日を前にした子供たちの心ときめく様子が生き生きと描かれ、「白樺の樹の下で」(1902)は陽光の中に若葉がきらめく北欧の初夏の爽やかさをよく伝えていた。

”第4章 ラーションとジャポニスム” にあった 「アザレアの花」(1906)は、明るい室内を舞台に手前の花を浮世絵風に大きく描き、その向うに妻 カーリンと彼女の仕事を象徴する機織り機を配している。
それは、生活と芸術が融合した明るい田園生活、という ラーション夫妻の生き方を象徴する作品のように思えた。

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2018年10月26日

醍醐寺展-2 至宝の出開帳、柳草花図

(サントリー美術館 〜11/11、展示替えあり)
前回記事では 「五大尊像」と 「五大明王像」に注目した本展の冒頭は 「如意輪観音坐像」(平安時代 10世紀)、これほどくつろいで自分の世界にいる仏像も珍しいと思うが、醍醐寺は 准胝、如意輪(本像ではない)の両観音像を安置したことに始まるとのことからのトップバッター起用なのであろう。
清瀧本地両尊像」(室町時代 15世紀)は、その 准胝観音如意輪観音が並ぶ珍しい図で、上方を 清瀧権現の龍が舞い飛ぶことによりこの寺の源流が表現されている。

醍醐寺縁起」(乗淳筆、江戸時代 17世紀)はその草創の経緯を記すものだが、山中の泉水の味を ”醍醐味” とよんだことから醍醐寺になったという話はどうなのだろう。
醍醐とは最上の味の意で、チーズかバターかヨーグルトに近いものながら特定は難しいものを指すということだったと思うのだが、いずれにしても発酵乳製品の一種であったとすればどこかの段階で行き違いがあったのだろうか。

第2章の中ほどにあった 「虚空蔵菩薩立像」(平安時代 9世紀)は、壇像の ”聖観音菩薩” として何度か見てきた像だが、寺内資料が見つかったことから2015年の国宝指定を機に ”虚空蔵菩薩” とされたとのことだ。
この像が虚空蔵菩薩の典型的な姿なのかどうかはよく分からないが、特定の人物を思わせる人間的な表情は ”聖観音” の看板を下ろしてやや安堵されているようにも見えた。

訶梨帝母像」(平安時代 12世紀)は鬼子母神が典雅な女性に変わった像、「閻魔天像」(平安時代 12世紀)は目に厳しさを宿しながらも全体としては穏やかな像で、いずれも当時の貴族に好まれ受け容れられたものかと思われた。

薬師如来および両脇侍像」(平安時代 10世紀)は、階段を下りていく途中で見えてきた時はこんなところにと思ったのだが、下まで降りてみるとだいぶ高い位置に安置されていることが分かり、仰角で見上げることで像の大きさと重量感がこれまでにない迫力を持って伝わってきた。

三宝院障壁画柳草花図」(表書院上段之間 北側四面、安土桃山〜江戸時代 16 〜17世紀)は、風にそよぐ柳の葉が画面いっぱいにちらちらと揺れ動いている。
近くで見ればどうということもなさそうなのに、ある程度離れてみると画面全体に風が吹き渡り、葉の一枚一枚が光を反射しながら動き始める。
さらにそこに、さらさらという葉擦れの音も聞こえてくれば秋の香りも漂ってきそうな、五感に訴えかけてくる作品だった。
ベラスケスの「ラス・メニーナス」ほどではないし路線も違うけれど、絵の魔術という意味では共通するものがあるように思った。

俵屋宗達の作品は 「扇面散図屛風」(二曲一双、江戸時代 17世紀)と 「芦鴨図衝立」(二面衝立一基、江戸時代 17世紀)が出ていた。
芦鴨図」は以前見た印象よりずいぶんと劣化しているし鴨の姿が違うように思ったのだが、どうやら今回見たのは衝立の反対側のもので、水面から飛び立ったばかりで腹を見せる鴨と、背側を見せてほぼ水平に飛んでいく鴨を、表と裏で表しているらしいということを初めて知った。

それにしても、西国第十一番札所観音で秘仏の 「准胝観音」以外の主力メンバーはほぼ全員参加という大規模な出開帳、現地の醍醐寺はこの間どんなことになっているのかとHPを見てみたら、台風21号、24号の相次ぐ来襲で拝観停止の時期があった(上醍醐は今も停止中)ようなので、はからずも良い避難になったのかもしれない・・・

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2018年10月24日

ルオー展-1 『ミセレーレ』への遥かな道

(汐留ミュージアム 〜12/9)
この美術館ができてからずいぶんと ルオー(1871〜1958)関連の展覧会を見てきたが、今回は館蔵品にヴァチカンやパリからの来日作品を加え、”開館15周年 特別展 ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ” というタイトルで、ルオーの宗教画に絞り現代性に着目しようとする企画だった。

”第1章 ミセレーレ −甦ったイコン” はルオー芸術の神髄とも言うべき 『ミセレーレ』の連作から12点ほどと、そこからの派生作品を展示していた。
「12. 生きるとはつらい業・・・」(1922)と 「13. でも愛することができたなら、なんと楽しいことだろう」(1923)は対になる作品で、後者はシリーズの中でも特に微妙な陰影によって、母と子の血が通う肉体が表現され、生き難い世の中の人々に身近な幸福に気づかせようとしているようだ。
本展の副題である ”愛のすべて。” や ”画家が目指した美しい愛のかたち” はこの先にも通底するものだが、まずはここにルオーの ”愛による救済” の分かりやすい例がある。

少し先の 「『ミセレーレ』の本扉のための構想画(両面)」(1920年頃、個人蔵(ルオー財団協力))は、上段に骸骨のような顔、下段には十字架の立ち並ぶ墓場が描かれていて、当初の扉絵案は死すべき運命を強く意識させる暗い印象のものになっていたことが分かる。
決定版には希望と崇高さがあり救いの感じられるものになっているのに対し、この構想図で進められていたとしたら、シリーズ全体がさらに陰鬱なものになっていたであろう。

一方、『ミセレーレ』で未採用となった主題という 「イル・ド・フランス」(1923年、個人蔵(ルオー財団協力))は穏やかな田園風景の中に生きる農民たちが描かれていて、これが採用になっていれば明るく肯定的なトーンが強まったと思われる。
58点から成る銅版画集 『ミセレーレ』は、ルオーが41歳だった1912年から取り組まれ、出版までに36年を要したというが、その時間は個々の作品の制作や彫琢に費やされただけではなく、どんな絵柄でシリーズ世界を構成するかを決定するまでの、こうした試行錯誤にも大きなエネルギーが注がれていた・・・

青い鳥は目を潰せばもっとよく歌うだろう」(通称「青い鳥」、1934年、個人蔵(ルオー財団協力))も未採用作品、その理由はよく分からないがこの残酷な言葉はいったい誰のものなのか、それでも盲目の少女の穏やかで憂いのない表情には救われる思いがした。
渇きと恐れの国では または 秋」(1948年頃、個人蔵(ルオー財団協力))は、日蝕ではないかと思うように神秘的な光に満たされた作品、『ミセレーレ』26番目の銅版画の類作ということだが、単体ではこちらの方が広がりがあって見応えがあった。
見事な色彩の効果は割引いても、”渇きと恐れの国” という世界観がよく表されていると思うのだが、しかし 『ミセレーレ』の流れの中ではどちらがしっくりするかということについても、ルオーは考え尽したに違いない。


<ルオー関連記事>
マティスとルオー (2017、汐留ミュージアム) 
モローとルオー (2013、汐留ミュージアム) 
ルオー、「アイ・ラブ・サーカス」 (2012、汐留ミュージアム) 
ユビュ、ルオーの素顔 (2010、汐留ミュージアム) 
ルオーとマティス (2008、汐留ミュージアム) 
ルオーと音楽 (2006、汐留ミュージアム) 
ルオーと白樺派 (2005、汐留ミュージアム) 

ルオー大回顧展 (2008、出光美術館) 
ルオー (2005、東京都現代美術館) 

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2018年10月23日

仏像の姿-2 動く不動、憂える不動

(三井記念美術館 〜11/25)
本展*では実に多彩な ”お不動様” にお目にかかることになった。
不動明王と言えば通常は右手に三鈷剣、左手に羂索を持って直立するか、岩座ないし瑟瑟座に座るという姿で表され、怒りの形相は凄まじくても体躯の動きは比較的少ないというのが一般的だろう。

ところが、本美術館で特別な位置にある第2室の2-1 不動明王立像(鎌倉時代・13世紀 個人蔵)は、見慣れないポーズというほどではないが不動としてはかなり珍しい部類に入りそうだ。
右脚は高い岩に体重をかける感じで大きく曲がり、左手も右の腰あたりまで大きく回り込んできていて、他の明王たちや蔵王権現などを思わせるダイナミックなポーズとなっている。
顔も頬骨が張った成人男性の怒れる表情そのもので、”不動十九観” の特徴が特に強調されているわけでもない。
そんな個性的な不動明王像ではあるが、単なる気まぐれに作ったようなものではないことは、繊細な截金の見事さを見れば分かる。

4-15 不動明王半跏像(平安時代・12世紀 個人蔵)は片足を踏み下ろした半跏像だが、体を少しひねって後ろに倒しているし、顔も視線も若干ながら向かって右の方に向いている。
そのことによってやや脱力して悠然と坐る感じになっており、緊張を解いた人間的な不動が何を思うのか尋ねてみたいような気がしてきた。

4-16 不動明王立像(鎌倉時代・13世紀 埼玉・地蔵院)は、剣を持つ右手を頭の後ろに回すようにして振り上げ、その動きと呼応するように羂索を持つ左手は体の中央に出てきているという、これもなかなか見られないユニークな姿だ。
一方、精悍そうな顔つきや張りのある体躯には、願成就院の運慶作品から何らかの影響を受けたと思わせるところがあった。

4-17 不動明王及び二童子像(3軀、鎌倉時代・13世紀 神奈川・称名寺)は、本展の中では比較的オーソドックスな像ではあるが、豊かな前髪が額にかかっていることによって妙に若々しく見える不動だった。

4-18 不動明王立像(平安時代・11世紀 京都国立博物館)は、残念ながら両腕が失われてしまっていることもあって、こちらの視線は自ずと顔の表情に向かっていく。
左目を半眼に閉じた天地眼や、牙を左右別に見せる牙上下出といった ”不動十九観” に忠実な像であるにもかかわらず、そこにはあまり異様さが感じられず、世の中を憂えるような深い表情が哲学者のように見えた。

少し先の5-4 五大明王像(5軀、平安時代・10〜11世紀 奈良国立博物館)は、小さな作品ではあるが不動を中心にした五大明王の特徴がそれぞれに分かりやすく表現された群像、不動は安定した坐像だった一方で、斜めに伸ばした一本足で立つ軍荼利明王は、彫刻の限界に挑戦するようにダイナミックな姿だった。

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2018年10月22日

クープラン賛、3世紀前のフランス音楽の聖と俗

上野の森オルガンシリーズ2018 クープラン賛 「フランソワ・クープラン生誕350周年記念演奏会」” を聞いた。(2018年10月21日(日)16:00〜 東京藝術大学奏楽堂)
生誕350年を迎えた フランソワ・クープラン(1668-1733)の作品を4つのジャンルから取り上げるというコンサートで、楽器編成も演奏場面も異なる曲を一度に聞かせてもらえるという 藝大ならではの企画だった。

《王宮のコンセール》より 第2番
   フラウト・トラヴェルソ: 前田 りり子、クラヴサン: 大塚 直哉
《ルソン・ド・テネブル》より 第2ルソン
   ソプラノ: 野々下 由香里、ポジティフ・オルガン: 大塚 直哉
《クラヴサン奏法》より プレリュード第1〜5番、《第5オルドル》より ラ・ロジヴィエール 
   クラヴサン: 大塚 直哉
《教区のためのミサ曲》より キリエ、グローリア、奉献唱
   オルガン: 廣江 理枝、聖歌隊: 春日 保人ほか

最初の 《王宮のコンセール》 は、ルイ14世とヴェルサイユ宮殿の絶頂期を象徴するような音楽だが、この曲集にはもともと楽器指定がないとのこと、その方が汎用性があってその日そこにいるメンバーで自在に奏でることができたのだろう。
この日はフラウト・トラヴェルソとクラヴサンの二重奏だったので、太陽王の宮廷の雅宴の時というよりはガラス細工かレース編みのような繊細さと儚さが感じられた。

次の 《ルソン・ド・テネブル》 は修道院の音楽、本来は真夜中に蝋燭を1本ずつ消していく典礼の中で演奏される曲で、テキストも追われた祖国の惨状を嘆くという重いものだが、オペラ上演が禁止される聖週間の音楽的楽しみのためという側面も持っていたようだ。
野々下由香里さんの艶やかな歌唱と目の覚めるような(フェルメール・ブルーのような〉衣裳のせいか、この日はどちらかといえば後者の魅力の方が優っていたように思われた。

クラヴサンの独奏では 《クラヴサン奏法》 より 〈プレリュード第1〜5番〉が続けて弾かれたが、これは淡い光が絶えず揺れ動くような霊妙さを感じさせる音楽だった。
以前からクープランの音楽はどこがどういいのか説明のしようがないものだと思っていたが、特にこの ”プレリュード” というだけで個性的な標題を与えられていない小さなクラヴサン曲には、旋律とか和声とかといった概念では説明しきれない ”味わい” がひっそりと織り込まれているらしい・・・

最後の 《教区のためのミサ》 では、昨年の フレスコバルディの時と同様に聖歌隊の声も交えながらオルガンの多彩な響きが楽しめたが、作品としては若い頃のものだけに円熟期の曲の魅力とは異なった趣のものだ。
プレ・トークでも紹介された通りオルガンの音色が次々と変わっていき、曲想もミサの音楽というよりは明るい軽妙なものが多く、中にはサティやプーランクを先取りしているのではないかと思うような洒脱さが感じられる部分もあった。
どうもこれは純粋な典礼音楽というよりは、教会にやってきた一般信徒たちを楽しませたい、さまざまなオルガンの響きで非日常の体験をさせてあげたい、そんな動機で作られた曲なのではないかと思ったりした。
それは特にグローリアの後半あたりで感じたことだが、この日の締めくくりとなった グラン・ジュによる奉献唱は、17年遅れで追いかけてくるバッハに通じる構築性で圧倒するような音楽だった。


>藝大奏楽堂でのコンサートから
フランス室内楽の午後
ビバ! エスパーニャ
フレスコバルディへのオマージュ
今日は一日、サティの日
神秘の J.S.バッハ
元禄〜その時、世界は? トルコ行進曲の秘密 

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2018年10月20日

中国書画精華〜因陀羅、2つの寒山拾得図軸

(東京国立博物館 〜10/21、展示替えあり)
”中国書画精華−名品の魅力−”の展示替え後は 梁楷筆の 「李白吟行図軸」と 「六祖截竹図軸から始まっていた。

胡直夫筆、浙翁如琰賛 「馬郎婦図軸」(南宋時代・12〜13世紀 個人蔵)には久しぶりの再会、さらさらとした筆はあまりに自然過ぎて頼りないくらいだが、そこから観音の化身という女の現実離れした高貴さと、届きそうで届かない距離感が伝わってくるようだ。

維摩図軸」(元時代・14世紀 京都・東福寺蔵)は対照的に細部まで徹底的に描き込んだ肖像画で、水墨画でどこまで可能かに挑んだような作品だ。

因陀羅筆、国宝 禅機図断巻の 「寒山拾得図軸」(元時代・14世紀)には相変わらずの謎めいた笑いがある。
向かい合って座る彼らにはすべてが見えていて、いつまでも続く人間の愚行、一向に進歩しないこの世の中を哂い飛ばしているのだとしたら、我々はただ黙するほかはない・・・

因陀羅筆、慈覚賛で二幅対の重要美術品である 「寒山拾得図軸」(元時代・14世紀)を見たのは初めてだろうか。
国宝の断簡図ほどの突き抜けた個性はないとしても、芭蕉葉に筆で書き付けをする寒山、大きな巻物を縦に広げる拾得が、大胆かつ奔放な筆使いで描かれている。
いずれも寒山拾得図としてはあまり見かけない姿だが、その飄々とした風情は彼らのものに違いなく、目によって交わされる二人の対話は我々には分かりようのない境地のもののようだ。
寒山の背中の線などはどう見ても本来あるべき場所からずれていると思うけれど、もし普通のところに引かれていたとしたら、この味は出なかったに違いない。
それにしても情報が極めて限られている 因陀羅だが、”伝” も含めてどれだけの作品が日本にあるのかその全貌を知りたい。

放犢図軸」(平山処林賛、重文、元時代・14世紀)は、渓流で釣りをする男と少し離れた草地で寝そべる牛が、平凡な風景の中でのびのびとした時間を過ごしている。
それは「十牛図」のどこかに関連するものなのか、とらわれのない絶対的な自由というものが感じられて心地よい作品だった。

陳容筆 「五龍図巻」(重文、南宋時代・13世紀)は横に広げられた巻物の渦巻く雲の中に5頭の龍がいる。
以前見たボストンの 「九龍図」の迫力とはだいぶ差があるようにも思うが、こんがらかった状態の龍の眼、そして画面左の滝の表現は見事なものだった。

hokuto77 at 20:21|PermalinkComments(0)│ │東洋絵画 

2018年10月19日

能 「絃上」-1 黄鐘の琵琶の音と盤渉の雨音

能 「絃上」(けんじょう)(金剛流 豊嶋三千春ほか、2018年10月13日(土)13:00開演、国立能楽堂)を見た。

この曲は、重要な小道具として 琵琶が登場するだけではなく、音楽がそのものがテーマとなっている。
大きな流れとしては、自分こそが琵琶の名手だとして唐土に向かおうとする 藤原師長が、須磨の浦で宿を借りた老夫婦(実は師長の渡航を止めるためにやってきた 村上天皇の仮の姿)の真の実力を悟り唐土行きを断念するというものだ。

その話の転換点となるのが、琵琶を弾いていた師長が雨が降ってきたために演奏を止めたのに対し、老夫婦が(とま)で庇(ひさし)を覆い、理由を尋ねられると、「ただ今雨の板屋を敲く音は盤渉なり、御調子は黄鐘にて候ふほどに、苫にて板屋を葺き隠し、今こそ一調子になりて候へ」と答える場面だ。
つまり、師長の 琵琶の演奏が 黄鐘調(おうしきちょう、西洋音階ではイ短調)だったのに対し、降ってきた 雨音盤渉調(ばんしきちょう、ロ短調)だったことから、苫で雨の音を一音下げて調子を整えたということになる。

雨音を単なる雑音としかとらえていなかった師長が、老人が実は鋭敏な絶対音感の持ち主であることに気づかされる、特に調の違う音が混じってから修正されるといったこのあたりの流れが、能の舞台ではどう表現されるのかと思っていたのだが、演奏上は特別なことが起きたようには思えなかった。
もしかしたら小鼓の加減で音を変えたり、笛が調を変えるということがあったのかもしれないが、筆者の鈍い耳では分からなかったし確認のしようもない。

そもそもこの曲は、まず師長が老夫婦に演奏を所望されて 琵琶を弾き始め、そこへ が降ってきて調子の違う音が混じり、による調整で一調子になる、さらに老夫婦が琵琶と 越天楽を奏する、といった具合に、様々な音が響く場面が続くのだが、能の舞台にそれぞれの楽器が持ち込まれたり、効果音が使われたりするはずもなく、いつもの囃子と地謡だけでその全てが表現されていた。
また、曲中では前後場あわせて3種類の琵琶が関わってくることになるのだが、舞台への登場の仕方はそれぞれに異なっている。
このあたりにも、象徴的な表現をすることで多くの部分を観客の想像力に委ねるという の特質が、よく表れているように思われた。

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2018年10月18日

ブロムシュテット、N響のブルックナー第9番

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団の定期公演(10月14日(日) 15:00〜 NHKホール)の後半、ブルックナー交響曲 第9番 ニ短調 (コールス校訂版)は圧倒的な演奏だった。

厳かに始まるといきなり高山の頂上に導かれる第1主題、滑らかな弦が美しく宗教的に響く第2主題、悠久の大河の流れに身を任せる第3主題と、第騎攵呂呂修譴召譴寮こΥ僂鮖った主題がくっきりと浮かび上がり、長いクレッシェンドの先には天地開闢の瞬間に立ち会ったかのように豊饒な音楽が鳴り響く。
主題やクライマックスだけではない、その間の経過的な部分も丁寧で美しく、弛緩することのない充実した時間は次への展開の予感に満ちていた。
むしろ、全ての音が意味を持ち着実に音楽が進んでいくからこそ、坂を上り詰めていって視界が開けたところでひと際よく響くということなのかもしれない。

第恭攵呂任蓮∋切れのいいピチカートに始まって激しいボウイングで繰り出されるリズムは悪魔の踊りを見るよう、そこに軽やかな管楽器が絡んで陶酔的な世界に引き込まれていく。
生涯にわたりほぼ似たような形式でいくつもの交響曲を書き続けていったブルックナーでも、さすがにスケルツォは第7番あたりで一旦タネ切れになったのではないかという気になることもあるけれど、これほど変化に富みかつ巨大なものを感じさせる音楽を、よく第9番で新たに探し出してくれたものだと思う。

そして第軍攵蓮ライナー・キュッヒル率いる弦パートの説得力ある音が敬虔で神秘的な世界の扉を開けると、木管がそこに美しく絡み、金管の咆哮は最後の審判の場面に鳴り響く音楽を聞くようだ。
さらに終盤に向かって思いがけないほど多くの山や谷があり、予想をはるかに超える豊かな音楽世界が拡がっていく。

以前、この交響曲の終楽章や「テ・デウム」に関する ブルックナーの ”遺言” について考えてみたことがあったが、この楽章は未完の第験攵呂悗里弔覆の音楽などでは有り得ず、ひとつの交響曲のフィナーレとしての充実感があり、全ての交響曲を締めくくるべきものとして実に多くの思いが詰まっている。
それは人生の最期に向けての別れの音楽であり、来し方を振り返れば悔恨も無念も沢山あるけれど、全てを振り切って前に進んでいった先に清澄な天国があり、救いが待っていることを確信させてくれるメッセージだ。
最後に天上へと昇っていくような弦は全てを浄化してくれるような美しさ、この曲ほど、死すべき運命、限りある命、そして最後に信ずるべきもの、について思いを誘う音楽はないのではないかとあらためて思った。


<ブルックナー関連記事>
スクロヴァチェフスキ、第1番
ブロムシュテット、第4番
デプリースト、第7番
スクロヴァチェフスキ、第8番
飯守泰次郎、第9番

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2018年10月16日

フェルメール展-3 働く女性の肖像

(上野の森美術館 〜2/3、展示替えあり) 
今回の フェルメール展は、私にとっては初見となる2点(ワイングラス赤い帽子の娘)が来日してくれたことがまず有り難かったが、過去に見た作品についても8点が並んだことであらためて気づかされることがあった。
これらは過去記事との重複をできるだけ避けながら、2点一組で見ていくことにする。

マルタとマリアの家のキリスト」(1654-1656年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー)は、現存する フェルメール作品中唯一の宗教画で、サイズも最大とされているが、それは確かにこの部屋の中でも際立った特徴だ。
さらに、塗りが薄く大雑把であることも発展途上の作品であることを感じさせるが、視線の絡み合いを中心にした人間関係の表現は並みのレベルではない。

本作の主題は宗教的・瞑想的な マリアと世俗的・実務的な マルタの対比であり、フェルメールは大枠で聖書の物語をふまえつつも、イエスはかいがいしく働くマルタと強く心を通わせているように見える。
ここでのイエスは、一方的にマリアの態度を褒めマルタを責めるのではなく、マルタの立場にも理解を示し尊重している。
少なくとも聖書どおりには否定していないところに、交易や商業で栄え市民社会を成熟させていた当時のオランダの空気が感じられるように思う。

牛乳を注ぐ女」(1658-1660年頃、アムステルダム国立美術館)は、今回の8点の中では年代的に 「マルタとマリアの家のキリスト」(1654-1656年頃)の次に来る作品だが、おそらく認知度や画面の充実ぶりから展覧会の最後を飾る位置に展示されたのだろう。
私としてもベストテンのトップにランクしたように、これこそが フェルメールを代表する作品のように思っていたのだが、ここに描かれている女性は、フェルメールの絵の中では最も質素な身なりをしており、生活臭や土の匂いが感じられるという意味ではかなり例外的な存在だ。

以前この作品は 「台所の女中(さん)」と呼ばれていたこともあったように、彼女は主婦ではなく召使い(メイド)なのだから服装も地味でいいともいえるが、それでもその他の絵に登場する召使たち(例えば同じ部屋の中の 「手紙を書く婦人と召使い」)は、もう少し小ざっぱりとした恰好をしている。
当時のオランダは比較的貧富の差の小さい市民社会で、召使いたちも家族に準じた存在として家事を補助していたことを思えば、少なくともフェルメールはこの絵の中で、平均的な市民という大きな枠からはみ出すものとは考えていなかっただろう。

もうひとつ、フェルメール作品におけるこの絵の顕著な特徴は、仕事をする女性を真正面から捉えた、ほとんど唯一の作品ということだ。
黙々と仕事に励む女性を、フェルメールは一見ありのままに、しかし最大限の共感と愛情を持って描き、その姿を不朽のものにした。
そこには、当時のオランダにおける労働の価値や堅実な生き方を讃美する意図が、意識的か無意識的かは別として確かにあるように思われる。

宗教的瞑想に耽ることなく世俗の仕事に勤しんでいる彼女は、現実世界の中で生きる マルタの姿に他ならず、大きな籠やパンがそのことを示しているし、彼女の質素な佇まいも、そうした日々の仕事にリアリティを与えるうえで絶大の効果を発揮している。
信仰の心は胸の内に持ちながらも、邪念なく勤勉に働く生活態度に崇高さと美しさを見たからこそ、フェルメールはその姿を永遠のものにした。

余談ながら、これも以前書いたことだが、この 「牛乳を注ぐ女」の中で一筋に滴り落ちる牛乳とそれを見つめる厳粛な視線は、「聖プラクセデス (聖プラクセディス)」の血液と聖女の視線に、やはりよく似ている。
制作の先後を考えれば、帰属が保留されている聖女像が本作の霊感源である可能性が強いのではないかとあらためて思った。

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2018年10月15日

醍醐寺展-1 五大尊像と五大明王像

(サントリー美術館 〜11/11、展示替えあり)
京都・醍醐寺−真言密教の宇宙−” 展は、これほどの寺宝を持ってきてしまって大丈夫かと心配になるほどの規模、現地を訪れてもなかなか見られない充実ぶりだった。
国宝の 「五大尊像」(五幅、鎌倉時代 12 〜13世紀)と、重文の 「五大明王像」(五軀、平安時代 10世紀)が勢揃いしているところを見たのはたぶん初めて、いずれも不動明王を中心に以下のように並んでいた。
      大威徳明王  軍荼利明王  不動明王  降三世明王  金剛夜叉明王

五大尊像」は、五幅全てが極めて良好な状態で、それぞれの明王の特徴ある像容がよく分かり、背後で燃え上がる火焔とそこから広がっていく黒煙の迫力もよく伝わってくる。
もともとこうした仏画は劣化しやすく、特に護摩焚きの修法に使われる明王像はその傾向が強いのだが、本作は5枚揃って鮮やかな色が残っており、法具や装飾も細部まで克明に見ることができた。
蛇や髑髏の飾りなどを見るとインド的なるものが色濃く表れているようで、根本の白描図などを踏まえ当初の形に忠実に描かれたものなのであろう。
架空の存在の激しく怒れる姿を伝えるために、おそらくはあえて古拙を残しながらも、顔や体に尋常ではない力が籠る形で表現されているように思われた。

五大明王像」の五軀は前衛的ともいえるシャープな姿が特徴だと思っていたが、「五大尊像」と比べると体躯のバランスと躍動する姿の自然さの方が強く感じられた。
戦闘態勢の 降三世明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王の暴れぶりは見事に決まっている一方、坐像の不動明王と大威徳明王は内に籠る気迫がよく表されている。
こうした異形の像、特に多面多臂像を破綻なく絵画や彫刻で表現するのは難しく、おそらく彫刻の場合により一層の困難が伴うのではないかと思うのだが、この 「五大明王像」は六臂や八臂の像も不自然さが感じられず、どの腕にも血が通い力が漲っているようだった。

今回は、ほぼ隣接した形で 「五大明王像」=平安時代の彫刻と 「五大尊像」=鎌倉時代の仏画が見られたわけだが、印象としては平安の仏画と現代の彫刻といってもいいくらい、両者の方向性はクロスしている。
「五大明王像」の流麗な機能美は奇跡的ともいえる出来栄えだと思う一方で、「五大尊像」の、例えば 軍荼利明王の胸の前の腕、金剛夜叉明王の足などに、常識を超えた存在としての明王の力感が窺われた。


>関連過去記事
醍醐寺 (2009.11) 
空海と密教美術 (2011、東京国立博物館)  
御法に守られし醍醐寺 (2014、松涛美術館) 

hokuto77 at 19:58|PermalinkComments(0)│ │日本絵画 | 日本彫刻

2018年10月14日

ブロムシュテット、N響とキュッヒルのモーツァルト

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団の定期を聞いた。
(2018年10月14日(日) 15:00〜 NHKホール)

モーツァルト: 交響曲 第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」
ブルックナー: 交響曲 第9番 ニ短調 (コールス校訂版)

前半の、モーツァルト交響曲 第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」は、いつもの ブロムシュテットらしく、モーツァルトの頭の中で鳴っていたのもまさにこのような音楽だったのだろうと思うように自然に流れ、愉悦に満ちた時間が展開していった。

しかし今回、そこに一層の輝かしさが加わっていたように思えたのは、コンサートマスターの ライナー・キュッヒル氏の貢献があったからだろう。
彼の弾くヴァイオリンはNHKホールの中でもくっきりと浮かび上がり、やや誇張を許してもらえればヴァイオリン協奏曲のように聞こえる瞬間が何度かあった。
もちろん一人だけ大きな音を出しているわけではないのだろうが、音のツヤや芯の強さがまったく違うという印象だ。そこには楽器の違いということももしかしたらあるのかもしれないが、弾いている姿勢や動きを見れば段違いの音が出てきても不思議はないという感じがした。
こんなことを言えばN響のメンバーにははなはだ失礼なことながら、相手はウィーン・フィルで1971年から2016年まで45年間もコンマスを勤めた人物なのだから勘弁していただきたい。
ウィーンの音楽をまるごと身に着け伝統を体現する人間国宝のような人がそこにいるだけでも有難いことだし、この間にN響にも何かを残していただけることを期待したい。

プラハ” の第騎攵呂蓮⊇奏からアレグロに入った時のシンコペーションの躍動感が特に印象深く、第恭攵呂歪禪好僉璽箸侶鯑もあって彫りの深い劇的な音楽になっていった。
第軍攵呂楼貪召靴謄ペラのよう、あちこちで軽妙な対話や優美な踊りが繰り広げられ、やがてひとつにまとまっていって華やかなフィナーレとなった。


*ブロムシュテットの過去記事
モーツァルト: プラハ 第40番 ジュピター
ベートーヴェン: 皇帝 英雄 英雄(15) Vn協奏曲 Pf協奏曲4番 交響曲第4番
ブラームス: Vn協奏曲、交響曲第1番 第2、3番 第4番 Vn協奏曲
ブルックナー: 交響曲第4番
マーラー: 交響曲第9番
チャイコフスキー: 交響曲第5番 悲愴
ラフマニノフ: Pf協奏曲第3番
シベリウス: タピオラ 交響曲第2番
チェコフィルとの田園、ブラ1
ゲヴァントハウスとのドイツ・レクイエム

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2018年10月13日

能 「乱」-2 猩々という精霊に託されたもの

」ないし 「猩々」、「猩々乱」という曲は、特にこの日のようにおめでたい日の最後の演目として取り上げられた場合には、余計なことは考えずに 猩々の姿や動きを愛で、おめでたい雰囲気に浸っていればいいのであろう。
それでも、少し前に 綾子舞で 「猩々舞」というものを見たところでもあるので、”猩々” について少し考えておきたい。

猩々(しょうじょう)は、もともと正体不明の生き物で、鳥の一種であったり猿(オランウータン)に擬せられたりといったこともあるようだが、中国の書物の中で複数のイメージが重なっている(人面豚身ないし猿身)ところは、鵺(ぬえ)と共通するところがあるようだ。
しかし不気味さや害悪をもたらすといった属性はなく、 ”瑞獣” の一種と考えられているようではあるけれど、獅子や龍のようにはっきりした特徴を待たず、強さや神々しさを備えているわけというわけでもない。
海中に住む、酒好きで酔っぱらう、可憐な童子、といったところからはもう少し人間の暮らしに近いところにいるらしく、その親しみやすい距離感からは 座敷童とか北欧の トロールといった民俗伝承の精霊たちを思い出す。

本曲の中でもその詳細が語られることはないので、海の中から現れる、酔って舞い踊る、という断片的な情報を手掛かりに、そうした超自然的な存在との心の交流を楽しめばいいのだろう。
ただし、中国が舞台の話として神仙思想やエキゾティズムへの関心を引くことで、日本の日常から飛躍して神秘さを感じさせ、より一層の祝言性やめでたさを実現しているということは言えるのではないか。

さて、高風の用意した酒を心行くまで楽しんだ 猩々は、精一杯の御礼のつもりなのであろう、「有難や御身心すなほなるにより、この壷に泉をたたへ、ただ今返し与ふるなり」と、おとぎ話のような褒美を与える。
そして、「よも尽きじ、よも尽きじ、万代までの竹の葉の酒、酌めども尽きず、飲めども変はらぬ秋の夜の盃、影も傾く入り江に枯れ立つ、足もとはよろよろと、酔ひに臥したる枕の夢の、覚むると思へば泉はそのまま、尽きせぬ宿こそ、めでたけれ」と語り、そのまま酔い潰れるようにして終わる。

この日の 「」の筋立ては、高風の親孝行や素直な心を評価した猩々が、汲めども尽きぬ不老長寿の酒に満たされた壺を与えるという、言ってしまえばよくある昔話の筋書きと変わらない。
本当は、親孝行などは周りの人々とりわけ当の親に理解されればそれでいいのだけれど、なかなかそうもいかない世の中だから、せめて猩々にでもわかってもらいたいという気持ちは誰の中にもある自然なものだろう。
善行は必ず報われる、見ている人は必ずどこかにいるのだという思いは、猩々の登場によって確信に代わり、酌めども尽きない秋の夜の酒の宴という願ってもない時間に結実する。
そして、それは夢が醒めても変わることはないのだ最後に言明されることによって、まことにおめでたい余韻で観る者を包んでくれるようだった。


<能・狂言の過去記事>
「翁、松竹風流」 金剛流 金剛永謹 
能 「井筒」 観世流 観世清和 
能 「乱」 観世流 片山九郎右衛門 
能 「柏崎」 宝生流 佐野由於 
能 「熊野」 金剛流 金剛永謹 
古典芸能鑑賞会 (舞囃子 「融」ほか) 
能 「山姥」 観世流 野村四郎  
能 「善知鳥」 観世流 観世清和  
能 「半蔀」 金剛流 今井清隆  
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか) 
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

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2018年10月12日

工業デザイナー 黒岩保美と国鉄のマーク

(旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 〜10/14)
旧 国鉄に在籍し、特急列車のヘッドマークなどのデザイナーとして活躍した 黒岩保美(くろいわ やすよし、1921〜1998)にスポットをあてた、 ”没後20年 工業デザイナー 黒岩保美” 展を見た。
黒岩保美という名前は知らなくても、グリーン車のシンボルマークや湘南電車の車体塗色の生みの親だと聞けば、人々の記憶に残る国鉄のイメージへの貢献が大きかったことがわかる。
黒岩が 国鉄で働くことになったきっかけは 進駐軍用改造客車のデザインだったとのこと、残っている見取り図を見ると司令官用車両のスペースの使い方などは今は昔という感じがするが、実は某国の特別列車に近いのかもしれない。

展示の中心は特急列車の愛称と簡潔な図柄から成るマーク、当初は蒸気機関車の時代だったため、客車の最後尾につけるテールマークとして公募した ”富士、さくら、つばめ” から始まったようだ。
大戦中の中断時期を経て戦後にはすべての特急にヘッドマークがつくようになり、黒岩保美の作品としては ”ゆうづる、つばめ、へいわ” などが紹介されていた。
これらは丸い板で機関車の前面に取り付けられる形態だが、確かに車両は同じでも行き先ごとにこうしたシンボルマークが付くことで、乗車する路線や目的地のイメージが確かなものになり、営業的にもかなり成功したかと思われる。
なお、このヘッドマークはその後、横長角丸の窓にスクリーン表示されるようになるが、新幹線や電光表示の時代となって曲がり角に来ているようでもある。

黒岩保美の仕事に戻れば、上述したグリーン車のシンボルマークが最も周知度が高いように思われるが、近くに展示されていた 「JNR」のロゴもそうだったのだろうか。
1987年の分割民営化によって、国鉄の略称だった 「JNR」すなわち Japanese National Railways は、 National の N が外れて今の 「JR」になった。
民営化自体には影の部分もありながらメリットも大きかったわけだが、ロゴに関する限りは、斜めの書体でスピード感のある 「JNR」の方が断然優れていたように思う。

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2018年10月11日

フェルメール展-2 赤い帽子の娘の素性

(上野の森美術館 〜2/3、展示替えあり)
赤い帽子の娘」(1665-1666年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)も今回*初めて見ることができたが、これは フェルメールの真筆かどうかを巡って以前から議論があった作品だ。
疑念の主な根拠は、キャンパスではなく板に描かれていること、そして女に慎み深さがなく生々しさの方が強いなど、フェルメールの他の作品と共通するところが少ないといったところのようだ。

確かに、まず目に入ってくる大きな赤い帽子も、官能的な表情も、奥行きのない模様のような背景も、何かに集中する女の静謐さや光の微妙な効果を追究したフェルメールの作品らしくない。
光はいったいどこからきているのか、女は何をしているのか、視線はどこに向かっているのか、などと思ってみていくと、フェルメール絵画の中核をなす作品に顕著な美点は見い出しにくい・・・・

一方、白い点による光の表現、着物のようにゆったりとした服、そして椅子の背もたれ部分のライオンの頭は見覚えのあるものだ。
それぞれ単体ではフェルメールの筆を裏付ける証拠として弱いかもしれないけれど、全体として見れば借り物とは思われないほどしっくりはまった形で絵を構成していると言っていいと思う。
ライオンはこの展示室の中だけでもあと3点の中で見られるもので、彼女が坐っている椅子の一部だとすれば向きや位置が不自然だとはいえ、他の絵でも必ずしも主人公がその椅子に座っているわけではない。

何よりも実見しての第一印象は思っていた以上に力のある絵だということ、画面の小ささも主題の曖昧さもものともしない画面そのものの充実がある。
そして、近すぎて焦点の合わない写真のようにぼかしながら、白い粒をそのまま描いて光を表現する、そんなフェルメールならではの効果がここでは十分に発揮されている。
対象を細かく精緻に描ける画家はいくらでもいる、しかし、どこにもピントを合わせず絵の全体をソフトフォーカスで押し切るというのは、誰にもできることではないだろう。
さらに多少踏み込んで言えば、女の潤んだ瞳、わずかに開いたもの言いたげな唇は、ハーグの名作 「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」に通じるところがあるように見えなくもない。

それでも、この作品を フェルメールの真作だと証明することは難しいだろう。
しかし私としては、大判の宗教画や風俗画から出発して独自の世界を築いた フェルメールが、その先の表現を目指して新たな一歩を踏み出した作品として鑑賞したいと思う。
そこには、黄金時代といわれるほど繁栄した17世紀のオランダが、英仏の圧迫の中で爛熟から退廃へと向かっていく時代の空気というものが反映しているのかもしれず、抜群のインパクトの赤い帽子も、そうした当時のオランダという文脈の中に生きている・・・


>今回来日作品の過去記事
マルタとマリアの家のキリスト (エジンバラ)
牛乳を注ぐ女  (アムステルダム)
リュートを調弦する女  (ニューヨーク・メトロポリタン)
真珠の首飾りの少女  (ベルリン)
手紙を書く女 (ワシントン)
手紙を書く婦人と召使い  (ダブリン)

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2018年10月10日

禅宗の美術と学芸-2 白隠の猿、百丈、達磨、大黒

(五島美術館 〜10/14)
五島美術館 秋の優品展 ”禅宗の美術と学芸”に、白隠慧鶴禅師の禅画が4点出ていた。

猿図」は縦長の画面いっぱいに、木の枝からぶら下がる子猿が描かれている。
その大部分は薄墨の簡素な筆だが、目や口もとは絶妙の線でくっきりと表され、手足の先の濃い墨も効いていて、ひとつの生命体がそこに生きているという感じがする。
水面に映る月は大きく、少し腕を伸ばせば難なく届きそうにも見え、もちろんそれは ”猿猴捉月の教訓が元にあってのものには違いないが、ただただ無邪気で前向きで明るい絵だった。

百丈禅師像」は、”風貌には鬼も恐れ、威厳の前には花も色を失う”、と言われた中国僧 百丈懐海の頂相、馬祖道一の弟子であり 黄檗、臨済がその法系に連なるという 百丈の容貌を、白隠は明快な筆で見てきたようにリアルに再現している。
顔の表情には厳しいだけではなく優しく物わかりがよさそうな雰囲気が感じられる一方で、払子を握る右手の節立った硬さが、厳格な性格を垣間見させているようだった。

達磨大師図」は、”草坐” という四方に糸を出して草のように見せる坐具の上の 達磨が、不機嫌そうに上方を睨み上げているところを真横から捉えている。
その横顔の厳しさは永青文庫蔵でよく知られている 「どふみても」に近そうだが、そこまでの描線の強さや迫力はない代わりに、こちらの方が達磨の胸の中に鬱屈する思いが、より厄介にとぐろを巻いているようにも見える。
この怒れる横顔は 「芦葉達磨」から来ているものと思っていたが、「草坐達磨」の系統もあるということなのか、そもそもそんな分類も無意味なのかは今のところよく分からない。
ともかくも達磨らしく白隠らしい顔とは対照的に、体躯の線は流れるような簡潔さ、あっという間に仕上げたような作品のように見えながら、筆の運びには一切の迷いがない。

白隠慧鶴大黒留守模様図自賛和歌」(江戸時代・18世紀)という平置きされた作品は、明治初期に編纂された「集古筆翰」という大判の冊子に綴じ込まれた一頁なので、この時点で 白隠禅画も古典的な書画として評価・収集されていたことの証拠とみていいのだろう。
画面右側には 大黒の持物である蓑笠や打ち出の小槌のみが描かれ、左には 「君に忠 親に孝ある 人しあらば この笠もやろ 槌も袋も」という賛が着いている。
それは忠や孝に励めという不在の大黒からのメッセージであり、その教訓的な賛の方がここに選ばれている理由なのかとも思うが、もしかしたら、実はこれに該当して笠などをやれるような人物は滅多にいないぞ、という白隠独特のアイロニーかもしれない・・・


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2018年10月08日

藝大・桐朋教授陣によるフランス室内楽の午後

東京藝大の ”ピアノ・シリーズ2018 音楽の至宝 Vol. 6 GEIDAI meets TOHO 〜藝大ピアノ科と桐朋弦楽科教授陣によるフランス室内楽の午後〜”を聞いた。
(2018年10月8日(月・祝) 14:00開演〜 東京藝術大学奏楽堂)
縁あって藝大ピアノ科と桐朋弦楽科の教授陣が室内楽を合わせるという話が進み、桐朋側のほとんどが ”奏楽堂デビュー” とのこと、という当事者の感慨はともかくとしても、外部の人間としてはこれだけの錚々たるメンバーが入れ代わり立ち代わりフランス音楽を、それも普段のコンサートでは出会う機会の少ない曲を含めて聞かせてもらえたのが有り難かった。

<曲目>
ドビュッシー: ヴァイオリンとピアノのための《ソナタ》
  ヴァイオリン:加藤 知子 ピアノ:迫 昭嘉
ミヨー: 《4つの顔》作品238
  ヴィオラ:佐々木 亮 ピアノ:津田 裕也
ミヨー: 2台のピアノのための《スカラムーシュ》作品165b
  ピアノ:有森 博、東 誠三
ラヴェル: ヴァイオリンとピアノのための《ツィガーヌ》
  ヴァイオリン: 久保田 巧 ピアノ:江口 玲
 (休憩)
ラヴェル: 2台のピアノのための《序奏とアレグロ》
  ピアノ:坂井 千春、青柳 晋
ドビュッシー: チェロとピアノのための《ソナタ》
  チェロ:長谷川 陽子 ピアノ:青柳 晋
フォーレ: 《ピアノ五重奏曲第2番》 ハ短調 作品115
  ピアノ:伊藤 恵、ヴァイオリン:加藤 知子、久保田 巧
  ヴィオラ:佐々木 亮 チェロ:長谷川 陽子

まず特筆しておきたいのは ドビュッシーの 「チェロとピアノのためのソナタ」、朗々と歌っていたチェロが途中から一転して激しいピチカートで怪奇的な世界に入っていくなど、千変万化の曲想が目まぐるしく交替するスリリングな演奏だった。

ミヨーの 「4つの顔」は初めて聞いた曲、カリフォルニア娘、ウィスコンシン娘、ブリュッセル娘、パリ娘というタイトルをもつ4つの楽章からなる曲で、大らかで夢想的なCA、せわしないおしゃべりのようなWI、能天気な華やかさのパリに対し、3曲目のブリュッセルは瞑想的で憂鬱の影も濃く、儚さを感じさせられるような曲だった。
そもそもなぜこの4か所(都市に限るわけではない)が選ばれたいのか(特にウィスコンシン)は見当もつかないけれど、この曲想はブリュッセルというよりはブリュージュ(ブリュッヘ)に近いように思った。
スカラムーシュ」をピアノ連弾で聞いたのもたぶん初めて、南国の熱狂を感じさせる両端楽章に狭まれた第恭攵呂任蓮意外にも夢見るように心地よい時間が紡ぎ出されていた。

そんな中でも圧巻は フォーレの 「ピアノ五重奏曲第2番 ハ短調」、こうした室内楽は合わせている時間を大切にしながら親密な対話を交わすように弾かれたときに魅力が最大化されるのだと思うが、今回のこの一期一会といった特別な企画はまさにそれに相応しい舞台となったのだろう、全曲を通して フォーレを聞く喜びがふつふつとわいてくるような演奏だった。

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2018年10月06日

フェルメール展-1 ワイングラスの中身

(上野の森美術館 〜2/3、展示替えあり)
ヨハネス・フェルメール (1632‐1675) の作品8点が並ぶ部屋、確かにそれは本人も目にしたことがなかったであろう奇跡の光景であり、原発事故後の日本でこれほどの ”フェルメール展” が開かれるとは思わなかった・・・
見たことのある絵も、こうして並べられることによって新たに気づかされることがある。
しかし、まずは初見の作品から。

ワイングラス」(1661‐1662年頃、ベルリン国立美術館、「紳士とワインを飲む女」とも呼ばれていた)は、フェルメールの全作品の中でも屈指と思われる、堅固で緻密な空間が再現されている。
外からの光を受けて輝くステンドグラス、その光を跳ね返す楽器や椅子、テーブルに掛けられた豪奢な布、そして座る女性のドレスの襞や施された刺繍に至るまで、丁寧な仕事による質感の技にまず驚かされた。
そうして辿っていった視線の先には儚げなワイングラスがあり、彼女はちょうどその中身を飲み干したところのようだ。

そのグラスの傾きのせいで女の表情はよく見えないのだが、姿勢にやや硬さがあり、いく分か緊張しているように感じられるのは、そばに謎めいた男がいるからに違いない。
彼はワインが入っているらしい陶器の壺を持ち、醒めた表情で女の傍らに立っている。
だが、彼自身はグラスを持っていないので自分で飲むことはなく、一方的に女に飲ませているらしい。
といっても、けっして無理強いをしているわけではないのかもしれないが、二人だけの室内で女が飲み終えたらすぐに注ぎ足そうとしているというのは、かなり違和感を覚えさせられる状況だ。

椅子には楽器が置いてあり、テーブルには楽譜もあるので、音楽教師の男がレッスンの合間にのどを潤してやっているということなら心配することもないのだが、二人の今の状況から見ればそんな見立てには無理があるだろう。
女にだけ飲ませているからといって、まさか毒薬というわけではなかろうが、睡眠薬のようなものが入った媚薬かもしれない、そんな危うさがこの絵の中にはある。
この二人はどういう関係で、いったい何をしているのか・・・

もっとも、少し引いて見れば整然とした室内にきちんとした身なりの男女がいるだけで、そこに猥雑な雰囲気や乱れた様子は覗えない。
透視遠近法に忠実な空間にも隙はなさそうだが、二人がいる位置からは離れているはずの奥の壁に掛けられている絵に着目すると、その額縁は男のすぐ近くにあるようにも見えるのに、そこに何が描かれれているのかは分からない。
全てが明晰で完璧と思われた空間の中で、男の表情と背後の絵だけが曖昧なままに残されている。

もちろん、全てが解き明かされる必要はない。
謎がある絵はこれだけではないし、説明し尽くされない方がいいこともある。
フェルメールの作品の中にも読み解きの難しい作品は多いが、その中でも本作は、空間表現や個々のアイテムの質感の出来栄えはかなりいい方だと思うし、同時代の画家たちの風俗画の中ではまさに段違いの完成度と品格を備えている。
しかし、ここにはまだ、フェルメールの魔法はかかっていない・・・


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フェルメール作品 私的ベストテン in 29
フェルメール作品との出会いの軌跡

hokuto77 at 22:25|PermalinkComments(0)│ │西洋絵画(古典) 

2018年10月03日

能 「乱」-1 猩々(しょうじょう)の出現と乱レ足

国立能楽堂開場35周年記念公演 (9月5日(水)13:00〜)、4時間半ほどに及んだこの日の最後の演目は 「乱 置壺」(みだれ おきつぼ)だった。

(おきな) 金剛 永謹 (金剛流) 
 松竹風流 (まつたけのふりゅう) 大藏 彌太郎 (大蔵流) 
能 井筒 (いづつ) 物著 (ものぎ) 観世 清和 (観世流) 
能  (みだれ) 置壺 (おきつぼ) 片山 九郎右衛門 (観世流)

この 「乱」という演題にはなじみがなかったが、「猩々」(しょうじょう)の曲中でシテが舞う中之舞を ”乱” という特殊な舞に変えて演じるものを、「乱 (みだれ)」または 「猩々乱 (しょうじょうみだれ)」と呼ぶとのことだ。
また、特に作り物の大きな酒壺を出す演出の場合に、小書 「置壺」となる。

中国のかね金山(きんざん)麓に住む 高風(こうふう)という男(ワキ、宝生欣哉)がまず登場、親孝行で富貴になったと自分からぬけぬけと(?)語り出したり、猩々についての説明も(テキスト自体が)いまひとつ分かりにくかったりという感じなのだが、ここは要するに猩々が早く出て来てくれればいいので、そんなワキの役まわりも若干お気の毒ではある。
その独り語りが終わり、柄杓を壺の上に置いてワキ座へ着くと、いきなり太鼓も加わった囃子に誘われて 猩々(シテ、片山九郎右衛門)が登場する。
その姿に不気味なところは一切なく、赤いふさふさの髪を長く伸ばし、顔はよく整った利発な少年といった趣で、「老いせぬや、老いせぬや、薬の名をも菊の水、盃も浮かみ出でて友に逢ふぞ嬉しき、この友に逢ふぞ嬉しき」と、不老長寿の酒や気のおけない友との時間といった ”あらまほしきもの”を 体現するかのように語り舞い踊る。

そして、「酒をいざや酌まうよ、客人もご覧ずらん ・・・ 猩々舞を舞はうよ」と誘いかけて ”” に入ると、さらにテンポアップして 猩々は一拍ずつ大きなステップを踏むような動きとなるのだが、足拍子を立てない抜き足差し足が暗示するのはそれが海の中なのか、それとも夢の中だからなのか。
バレエのような爪先立ちで滑るように弧を描いて移動するといった動きも何度かあり、水の上で遊んでいるところあるいは大波に翻弄される感じを出しているかと思われたが、能の舞の動きとしてはかなりユニークなものであろう。

舞の中で作り物の壺に近づいては柄杓で酒を汲み酒を飲むという所作も入るので、徐々に酒の酔いが回っていっているのであろうか、もともと赤い顔なので高風がいうとおり顔色が変わることはないが、気分が高揚してきている感じは確かに伝わってきた。
そして、「有難や御身心すなほなるにより、この壷に泉をたたへ、ただ今返し与ふるなり、よも尽きじ、よも尽きじ、万代までの竹の葉の酒、酌めども尽きず、飲めども変はらぬ秋の夜の盃、影も傾く入り江に枯れ立つ、足もとはよろよろと、酔ひに臥したる枕の夢の、覚むると思へば泉はそのまま、尽きせぬ宿こそ、めでたけれ」と、まことにおめでたい言葉を発して一夜の夢がは終わった。

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2018年10月01日

仏像の姿(かたち)-1 踊る菩薩たち

(三井記念美術館 〜11/25)
仏師がアーティストになる瞬間” という副題をもつ ”「仏像の姿(かたち)」〜微笑む・飾る・踊る〜” 展について主催者は、”仏師の豊かな独創性と高度な技術に光を当て、特に仏像の 「顔」 「装飾」 「動き」を切り口に、多様な表現による魅力的な仏像を一堂に展示して、日本人の心と創造力を様々な角度からご覧いただきます” という。
そのようなテーマや問題意識が先にあって今回出展の仏像たちが選ばれ集められたのか、あるいは国宝が1点もなく重文も半分以下というところから考え出された見せ方なのか、いずれにしても普通の仏像展とは大いに異なる、”知られざる仏像たち” による ”彫刻展” だった。

そんな中で、4-6 重文 阿弥陀如来及び両脇侍像 3軀(平安時代・9世紀 大阪・四天王寺)は、トーハク勢を除けば以前から知っていた数少ない像のひとつだった。
片足をひょいとあげる左右対称の菩薩は、全身を見れば踊っているというほど大きな動きではないけれど、この足の動きは踊りという以外には確かに説明がつきにくいだろう。
素朴な表情も可愛らしく、蓮台を持ちあるいは合掌をしていたらしいポーズにも自然な動きがあり、体も無理なく僅かにひねられていて、楽しそうな感じが伝わってくる。
対照的にいかにも真面目そうな中尊はやや困惑のご様子、おいおいお前たちお客様の前ではちょっと行儀よくしないか、と言いたいけれどパワハラになってはいかんと見て見ぬふりをしている風情で、もともとの一具ではなさそうなだけにその間に漂う微妙な緊張感が微笑を誘う。

1-6 観音・勢至菩薩立像 2軀(鎌倉時代・13 世紀 神奈川・称名寺)も同様に、蓮台を持つ観音と合掌する勢至の2菩薩が三千院の来迎阿弥陀三尊像を思わせるが、こちらはかなり前傾がきつい立ち姿で、目の前で臨終を迎えた者に阿弥陀の到着を一刻も早く知らせようとしているようだ。
それにしてもこれほど腰を深く折った菩薩はあまり記憶がないが、それも阿弥陀如来のご一行が駆けつけるという信仰をいかにリアルに感じさせるかというところから出てきたものであろう。

1-7 重文 菩薩坐像 2軀(平安時代・9世紀 岐阜・臨川寺)と 1-9 菩薩坐像 2軀 (平安時代・12 世紀 個人蔵)はいずれも体に僅かなひねりが見られ、腕は後補としても楽器を奏する姿と考えられているらしい。
それは仏像には珍しい ”動き” の表現ではあるけれど、制作に当たりそうした立場や役割を求められたというだけで、豊かな独創性とかアートといったものとは違うのではないか。

一方で悩ましいのは 4-8 毘沙門天立像(平安時代・12 世紀 滋賀・西遊寺)や 4-10 天部立像(平安時代・9 〜10世紀 個人蔵)、彼らはけっして踊っているわけではなく、腕を大きく上げたポーズは敵を威嚇するためのものであるに違いない。
しかし、遠くから見れば踊っているようでもあり、近寄れば子供が怒っているようにも地団太を踏んでいるようにも見える姿には、天部らしからぬ可愛らしさや微笑ましさがある。
これはおそらく注文者の想定の範囲を超えたものになっていると思うけれど、それを ”仏師の豊かな独創性と高度な技術” によるものだと説明してよいのかどうかは疑問が残る・・・

hokuto77 at 20:32|PermalinkComments(0)│ │日本彫刻 

2018年09月29日

海の道 ジャランジャラン〜ワヤンの人形たち

(東京国立博物館 〜9/30)
日本・インドネシア国交樹立60周年記念企画の ”博物館でアジアの旅 海の道 ジャランジャラン” を見た。
といっても展示は館内各所に分かれていて、中にはあまり特別感のないものや関連が分かり難いものもあったような気がするが、それも夥しい島々から成り文明の十字路とも言うべき インドネシア文化の多様性ということかもしれない。

そんな中で最も興味を引かれたのは、インドネシアの人形芝居 「ワヤン」の特集展示(東洋館12室 〜12/25)だった。
約千年前に始まったという影絵芝居の人形は、水牛の革に細かな透かし彫りと鮮やかな彩色が施されていて、角によって手が動く仕組みになっている。
影絵に使う人形になぜこれだけの凝った彩色をするのかと思うが、上演場面の映像では、大きな白い布に映った黒い影の周囲や透かし彫り部分に、微かに彩色が滲んでいるように見える。
これによって夜のネオンのような華やかさが生まれ、観客の想像力に訴えながら幻想性が醸し出されていくということなのであろう。

「ワヤン・クリ」の人形の主力はインドの大叙事詩 マハーバーラタの登場人物たちだ。
その中でも ブトロ・グル(ヒンドゥー教のシヴァ神)と クレスノ(ヴィシュヌ神の化身 クリシュナ)が作品として優れ、精緻な彫りとくっきりとした色彩が際立っていたのはまあ当然かもしれない。
しかし、物語の主人公で国民的スターである アルジェノ(アルジュナ)は意外に地味な作りとなっており、兄の ユディシュティロ(ユディシュティラ)とも区別がつきにくい。

この物語を読んだのはずいぶん昔のことなのに(だからこそ?)、聡明で倫理的な ユディシュティラ、力持ちで粗暴だが根はやさしい ビーマ、勇敢で武術にすぐれ頭の回転も早い アルジュナ、といった ”三兄弟” のキャラが私の中で出来上がっていたのだが、人形としては(さすがにビーマは大きかったが)それほど個性が感じられるものではなかったように思う。
もっとも、そうした性格付けを行うのは人形制作者ではなく、劇場で演じる人形使いの仕事だと考えた方がいいのかもしれない。
人形としては王子たちの敵方の面々の不気味さや、異形の怪物たちを創り上げた想像力の方に感服すべきであろう、ラーマーヤナの ハヌマーンも猿という概念をはるかに超えた姿だった。

(インドネシアの地震と日本の台風の被害が少しでも軽微であることを祈りつつ・・・)

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2018年09月26日

能 「井筒」-4 ”井筒” の先に見えるもの

序ノ舞」を終え、「月ぞさやけき」で井戸に近づいたシテの女は、「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生ひにけらしな ・・・ 」と、先の歌をもう一度万感の思いを籠めて繰り返すのかと思いきや、末尾の 「妹見ざる間に」を 「老いにけるぞや」に変えて長い時の流れを慨嘆した。
ただしここは 「生いにけるぞや」で終わるテキストもあるようなので、その場合は同じ 「おい」の音でももう少し穏便な印象になるだろう。
念のために当該箇所の解説を見てみると、底本では 「老いにけらしな 老いにけるぞや」となっているが、現在では流派によって 「生いにけらしな 生いにけるぞや」と 「生いにけらしな 老いにけるぞや」に分かれるらしい。
流派による詞章の違いは他にもよくあることのようだけれど、こんな本質的なところで当てる字の違いにより意味合いが大きく変わることもあるというのは意外なことだった。

ともあれ、続けて 「さながら見みえし、昔男の、冠直衣は、女とも見えず、男なりけり、業平の面影」 までいったところで、ずっと躊躇っていたように見えたシテもついに井戸を覗き込む。
その瞬間、その様子を見守ってきた我々も、井戸の深い闇の奥に 在原業平の面影を見ることになる。
実際のところ作り物の井戸は実に簡素で、後見のひとりが両手で運んで来られるくらい軽いようなのだが、それがひとたび舞台に置かれれば、幼い頃からの思い出のよすがであり、廃寺の荒れ果てた庭になお残る在りし日の形見であり、さらには舞台の下に深い穴が空き冥界へ繋がる出入り口の様相を呈していくところも、能の不思議さであり大きな魅力のひとつであろう。

しかし夢は醒めなければならない。
亡婦魄霊の姿は凋める花の、色なうて匂ひ、残りて在原の寺の鐘もほのぼのと、明くれば古寺の松風や芭蕉葉の夢も、破れて覚めにけり、夢は破れ明けにけり」で、一夜の夢が終わり朝が訪れるわけだが、文字にすれば短く簡潔な詞章の中に、語り尽くせないほどの詩情が漂う曲でありこの日の上演であった。
余談ながら、曲が終わってもしばらくは余韻に浸ったまま夢から醒め切らない思いをしていたのだが、ワキが退場した後に前に出てきた後見が ”井筒” を軽々と持ち上げた時に、それが作り物であったことを思い知らされて夢から醒めた気がした。


「翁、松竹風流」 金剛流 金剛永謹 
能 「井筒」 観世流 観世清和   
能 「柏崎」 宝生流 佐野由於 
能 「熊野」 金剛流 金剛永謹 
古典芸能鑑賞会 (舞囃子 「融」ほか) 
能 「山姥」 観世流 野村四郎  
能 「善知鳥」 観世流 観世清和  
能 「半蔀」 金剛流 今井清隆  
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか) 
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

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2018年09月24日

禅宗の美術と学芸-1 伝 牧谿の 水月観音図

(五島美術館 〜10/14)
五島美術館 秋の優品展 ”禅宗の美術と学芸” に出かけた。
当館自慢の重要文化財 伝 馬麟筆 「梅花小禽図」(南宋時代・13世紀)、伝 徽宗皇帝筆 「鴨図」(南宋時代・13世紀)に続いて出ていたのは 伝 牧谿筆 月江正印賛 「水月観音図」(南宋時代・13世紀)、この作品を見たのは多分初めてのことだろう。
五島美術館ではなく 大東急記念文庫の所蔵だったことも、これまで露出が少ない原因だったのか、ともあれ薄明りの中で静かに佇む観音の姿には気品があり、人知を超え超然とした気配も確かに漂っている。
特に 牧谿らしい個性がはっきり出ているというものではないけれど、「観音猿鶴図」の中心にいる観音の持ち味を引き継ぎつつ、自然な立ち姿やゆるやかな動きには我々の側に近い親しみやすさが感じられる。
伝 牧谿” という扱いについては何とも言いようがないが、水に映る月、風になびく衣などに見る流麗な筆と自然な濃淡、そこから立ち現われる空気感は、全く別人の筆と切り捨ててしまうことのできない品格を備えているように思われた。

その先の2点は簡素な筆による小品、伝 柯山筆 断橋妙倫賛の 「対月図」(南宋時代・13世紀)は、岩に腰掛けて詩作にふける僧が、自分一人の世界に没入している。
清拙正澄賛 「政黄牛図」(元時代)は、小さめの黄牛の背に乗ってゆらゆらと市中を徘徊する姿で、いずれも何ものにもとらわれない自由な境地というものを形にしたような作品だ。
禅僧たちの理想としたところをどのように紙の上に表現するか、そんな試みが日々繰り返されていた禅林の中で一定の評価を得た絵が、時を超えてその空気を今に伝えている・・・

一休宗純筆 「梅画賛」(室町時代・康正二年(1456))はこれまでも何度かふれてきた作品だが、上に向かって伸びる梅の生命力や勢いは何時見ても心地よい。
三千界の氷が解けて花が咲き出すという賛は、春の訪れというにとどまらない大いなる宇宙の巡りを感じさせ、再生・復活の希望を託してみたくなる。

白隠作品は次回にまわすことにして墨跡に行くと、 蘭渓道隆、無学祖元以下馴染みの名前が並ぶ中、一山一寧の 「園林消暑」(鎌倉時代・14世紀)が特に目を引いた。
中国僧の一山一寧は、外交使節として来日したがスパイ容疑で伊豆に囚われ、その後建長寺を経て南禅寺第三世となった人物、「園林消暑」の題に始まり 「求心自涼」と締められる偈は、一切の屈託を捨て去ったかのように大らかでのびのびとしていた。

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2018年09月23日

能 「井筒」-3 人待つ女の独り夢舞台

徒なりと 名にこそ立てれ 桜花 年に稀なる 人も待ちけり、かやうに詠みしも我なれば、人待つ女とも言はれしなり、我筒井筒の昔より、真弓槻弓年を経て、今は亡き世に業平の、形見の直衣、身にふれて、恥かしや、昔男に移り舞、雪を廻らす、花の袖・・・」
物着を済ませたシテによる冒頭の和歌も 伊勢物語からのものだが、久しく音信のなかったことを皮肉ったという元歌にある当てこすりの心裡は、おそらくこの時の女には微塵もなかったであろう。
むしろここでは、ただ自分が ”人待つ女” であることを強調したかったようにも思えるのだが、そのあたりの言葉の控えめさとは対照的に、女は業平の衣を着るという大胆な行動に出て 「序ノ舞」を舞う。

それは実にゆっくりとした、これまでの時間と思い出を噛みしめるような舞であり、動きは少ないながらも格調高く、甘美な時間が永遠に続くかのように流れていった。
ここでは女が男の衣を着ることによって、女の霊に男の霊が取り憑いている状況が生まれ、どちらが舞っているのかではなく、渾然一体となったひとつの霊が忘我の境地に入って舞っている。
その、いつまでも続いてほしいと思う濃密な時間と、そこに持続する緊密な空間の中心にあって、シテ(観世清和)がその全てを司ってるのを見ているうちに、ジャンルや曲想などは全く異なるものながら、シルヴィ・ギエムの「ボレロ」を見た時の緊張感を思い出した。

それにしても、舞台前方に置かれた 井筒の ”作り物” にはなかなか近づかない。
「序ノ舞」の途中で近くをかすめる瞬間はあったが、まだいく分かの距離を置いていたのに対し、ようやく 「序ノ舞」が終わり、「ここに來て、昔ぞ返す、在原の、寺井に澄める、月ぞさやけき、月ぞさやけき、月やあらぬ、春や昔と詠(なが)めしも、いつの頃ぞや」で、水面に映る月のさやけさを確かめるように井戸に近寄っていった。
これは、“月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身一つ はもとの身にして” の歌を踏まえており、時は過ぎていくだけでけっして元には戻らないことを嘆いているわけだが、そこを戻って見せるのが ”能” であり、夢幻能という仕組みこそが可能にしているともいえる。

しかし考えてみれば、夢幻能とは、前シテに会い不思議に思ったワキがアイの話を聞いて眠りその夢の中に後シテが現れる、というのが基本構造だったと思うのだが、本曲に限らず前シテの実在性自体がそもそも疑わしく、実はそのあたりからすでに夢が始まっているともいえるのではないか。
男の霊と一体化して舞うシテの女も、実はワキの僧の想像力が生み出した虚構に過ぎないのかもしれず、男 < 女 < ワキ という入れ子構造の夢の中を、我々もまた見ているということであるように思われた。
あまり一般化してはいけないかもしれないけれど、特に本曲のように中入りを挟んで前シテと後シテがはっきり分かれるわけではない場合は、シテが出てきた時から既に亡霊であって、物着で初めて亡霊になったわけではないだろう。
男が取り憑く前と後のどこかで決定的な変化があったのか、ともかくも全ては夢の中の出来事に違いなく、しかしその舞台を見たという事実だけは決して失せはしない・・・

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2018年09月21日

ミケランジェロと理想の身体-4 ラオコーン

(国立西洋美術館 〜9/24)
”I 人間の時代−美の規範、古代からルネサンスへ”に続いて ”II ミケランジェロと男性美の理想” に入っても、アポロンや ダヴィデなど関連作品が前座を務めていて、ミケランジェロ作品までの道のりは遠い。
しかし、だからこそ、ようやくたどり着いた最深部の展示室に ミケランジェロの 「ダヴィデ=アポロ」と 「若き洗礼者ヨハネ」の2体だけというのは、確かに最大の演出効果というべきだろう。
未完だったり破壊後の復元だったりで、ミケランジェロ関連の書籍などでもあまり写真を見かけない像ではあるが、それでも天才の技は確かに感じられた。

ミケランジェロを堪能して元の階に上がると、ヴィンチェンツォ・デ・ロッシによる 「ラオコーン」(1584年頃、ローマ、個人蔵、ガッレリア・デル・ラオコーンテ寄託)があった。
2人の息子とともに大蛇に襲われる神官の悲劇を題材にしたこの像は、30歳を過ぎたミケランジェロも発掘に関わったことからの出品ということだが、来日しているのはバチカンのオリジナルではなくロッシによる模刻だ。
これは、大きく口を開けて頭に噛みつく大蛇と、それを必死に防ごうとするラオコーンの右腕を復元しているので、劇画的な臨場感はある一方で、派手な効果を狙ったものという印象を免れない。
オリジナルをしっかり見た記憶はないながらも、写真などからはもう少し気高さや重みのある作品だったような、そして圧倒的な不条理の前でただ嘆くことしかできない人間の限界を感じさせるものだったような気がしていたのだが、1506年の発掘から78年後、ミケランジェロの没後から20年後に制作された本作は、どの程度の研究成果などを踏まえて欠損部分を復元したのだろう。

最後の ”III 伝説上のミケランジェロ” は、肖像画や関連資料などでミケランジェロという人物像を思い出すコーナー、作っている最中のモーゼ像が小さすぎたのはご愛嬌だが、もちろんこのようにささやかな展示で ミケランジェロの偉大さが伝わってくるわけではない。
”理想の身体” がテーマなら、関連する彫刻の実物大パネルくらい並べてもよかったのではないか・・・


<ミケランジェロ、過去記事>
システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展―天才の軌跡 (2013年、国立西洋美術館)
  レダの頭部  天地創造  最後の審判  階段の聖母
  キリストの磔刑  クレオパトラ  建築とソネット
ミケランジェロ展―ルネサンス建築の至宝 (2016年、汐留ミュージアム)
  ブリュージュの聖母  クマエの巫女と天地創造
  絵画と彫刻と建築  図書館、要塞、大聖堂
レオナルドxミケランジェロ (2017年、三菱一号館美術館)
  素描対決  彫刻と絵画  異種格闘技  未完のキリスト
ミケランジェロと理想の身体 (2018年、国立西洋美術館)
  ダヴィデ=アポロ  若き洗礼者ヨハネ  古代ギリシャ  ラオコーン

hokuto77 at 19:55|PermalinkComments(0)│ │西洋古代中世美術 

2018年09月20日

能 「井筒」-2 幼い恋の成就、物着での変身

龍田山にかかる話が終わってクセに入ると、伊勢物語のもうひとつのエピソードであり本曲の核心である ”井筒” の歌が紹介される。
「友達語らひて互ひに影を水鏡、面をならべ袖をかけ、心の水も底ひなく、うつる月日も重なりて、おとなしく恥ぢがはしく、互ひに今はなりにけり」と、幼馴染み同士のほほえましい関係が語られてから、「その後かのまめ男、言葉の露の玉章(たまずさ)の、心の花も色添ひて」と続けて 在原業平の歌が謡われた。

筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生ひにけらしな 妹見ざる間に
これに対し女の方は、
比べ来し 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき
と返し、二人の恋が成就することになる。
それは打てば響くように気持ちが通い合った幸福な場面のように思えるけれど、男の方は、時が流れた、お互い成長した、という単なる感慨を述べたようでもあるのに対し、女の方は、結婚相手はあなたしかいない、とかなり踏み込んで返している。
つまり、大きな流れとしては男が思いを打ち明け女がそれを受け入れた、ということかもしれないが、男は逃げ場を残したままで探りを入れたとも見えるのに対し、真に受けて一途に飛び込み局面を決定的にしたのは女の方だ。
だからこそ本曲の女に寄り添いたい気持ちにもなるわけで、龍田山のエピソードと並んで実に周到に出来ているという感じがする。

さて、そんなこちら側の思いを知ってか知らずか、女は 「真は我は恋衣、紀の有常が娘とも、いさ白波の龍田山夜半に紛れて来たりたり」と自らについて語りだし、「紀の有常が娘とも、または井筒の女とも、恥かしながら我なり」と身分を明かすと井筒の陰に隠れ、衣を直す 「物着」となる。
前述したように中入りなしで舞台上で衣裳を変える 「物着」は、ここでは業平の直衣を被り冠をつけることによって女の姿から男の姿に変わるのだが、もちろん面は女のままなので、女に男の亡霊が憑依したということになる。
そこで、それまではしとやかで神秘的であった女が ”恋慕の狂気” に変貌するのかどうかが気になっていたが、長い 「序ノ舞」を通しての印象は、狂気というよりは純粋で一途な思いをどこまでもつきつめていくというものだった。

先に見た 「柏崎」でも物着の演出があり、そこでは夫と子を一度に失って ”物狂い” となった女が、亡き夫の形見の烏帽子直垂を身に着けることによって、確信を持って善光寺阿弥陀如来に向き合うという存在に変わったように見えた。
今回はそこまでの劇的な性格変化というわけではなさそうだけれど、男の思い出やぬくもりに包まれた恍惚境の中で、男とも女ともつかない舞を舞っていると見るだけで十分であろう。
月の光、古寺、薄と井戸というもの寂びた気配の中を漂うように進む、切りつめられた純度の高い曲、劇的な展開も高尚な議論もなく、派手な動きや太鼓もないけれど、淡々とした中に静かな詩情が漂う舞台だった。

hokuto77 at 19:54|PermalinkComments(0)│ │邦楽事始 

2018年09月18日

中国書画精華〜梁楷の三幅、清凉寺の羅漢

(東京国立博物館 〜10/21、展示替えあり)
”縄文-1万年の美の鼓動”の熱気とは対照的に静まり返った ”中国書画精華−名品の魅力−” で、最初に目に入ってきたのは 梁楷の 「出山釈迦図軸」を中心とする三幅だった。
と、まずは言っておきながら、それぞれに何度か見たことのあるこの3点を、これまで三幅対として意識したことがあったのかどうか、本当に三幅対として描かれたものなのかが気になってきた。
キャプションでは、中央の 「出山釈迦図軸と左の 「雪景山水図軸」は ”梁楷筆 南宋時代・13世紀” なのに対して、右の 「雪景山水図軸」は ”伝 梁楷筆 南宋時代〜元時代・13〜14世紀” と違いがあるのだが、いずれも国宝指定(一括指定か?)で、左右の 「雪景山水図」には全く同じ解説文が付されている。
ひとつの推論としては、梁楷の失われた右幅が後世に補われたということがあり得るのかもしれないが、率直な印象としては左福も含めた3点に緊密な関係性を感じにくく、単独作ないし別のシリーズのものを後に組み合わせた可能性の方が高いように思われる。
それでも、華麗な表装がこの3点をしっかりと結び付けていることからもわかるように、我が国における受容の過程で三幅対として珍重されてきたという実績も尊重されなければならないのだろう。

コーナーの最初にあった 伝 胡直夫筆の国宝 「夏景山水図軸」(南宋時代・12〜13世紀 山梨・久遠寺蔵)は、徽宗筆と伝えられる四季山水図の中の1点と意識されることが多い作品だ。
しかし、あらためてこうして単体作品として向き合ってみると、”夏” という特定の季節感は背後に退き、霊気を含んだ山の風そのものが主役に踊り出てきたように感じられた。

この重厚な2組4点に挟まれると、伝 馬遠筆 「洞山渡水図軸」(南宋時代・13世紀)はやや軽い感じがしてしまうのだが、そこには何のこだわりもない清らかな水が流れ、心地よい風が吹いていた。

その先は 伝 趙昌筆 「竹虫図軸」をはじめとした草虫図、そして 十六羅漢図となっていたが、その中で注目したのは 京都・清凉寺蔵の国宝 「十六羅漢図軸」の 第四尊者(北宋時代・10〜12世紀)だった。
目を大きく見開いて前の方をしっかりと見据えている姿は悟りの瞬間かとも思うが、手前の従者の鋭い視線を見れば何か邪悪なものを見つけたのかところなのか、ともかくも激しい感情を内に秘めた堂々たる人物像で、従者ともども強い存在感を発していた。
両脇の第二尊者、第七尊者もそれぞれに味わい深く、できれば小出しにしないで一度全貌を見せていただきたいと思う。

ここまでの壁面展示を眺めて、今年はやや少ないなと思いながら中央の展示ケースを覗きこんだら、そこには 李迪筆の国宝 「紅白芙蓉図軸」2幅をはじめ、伝 趙昌筆 「茉莉花図軸」(常盤山文庫蔵)、伝 毛松筆 「猿図軸」、伝 馬遠筆 「寒江独釣図軸」などの名品が並んでいた。
これらは軸を完全に広げて壁に掛けるのではなく、図画の面だけが見えるように広げて展示ケースに平置きされた状態(若干の角度はついているが)の展示だったので、所蔵家に招かれて目の前で広げられような、いつもとは違う距離感と角度を楽しむことができた。

hokuto77 at 19:37|PermalinkComments(0)│ │東洋絵画 

2018年09月17日

能 「井筒」-1 在原寺の風、龍田山の波

国立能楽堂開場35周年記念公演(9月5日(水)13:00〜)は、80分ほどの 「翁」と 「松竹風流」に続き、能 「井筒」(観世流 観世清和ほか)が約90分かけて演じられた。
重厚な 「翁」や動きの激しい 「三番叟」から打って変って静かでゆるやかに進む舞台、枯淡の味わいの笛(杉市和)に始まり、小鼓(大倉源次郎)と 大鼓(亀井忠雄)の響きも繊細で表情豊か、全体としてはピアニシモのアダージョを聞くようだった。

ワキ(福王茂十郎)が滋味あふれる語りを終えてワキ座に着くと、橋懸りからシテ(観世清和)がかなりの時間をかけて登場、「暁ごとの閼伽の水、暁ごとの閼伽の水、月も心や澄ますらん」でさらにしんとした世界へと誘う。
そして、ワキに素性を問われると、「この寺の本願在原の業平は、世に名を留めし人なり、さればその跡のしるしもこれなる塚の陰やらん」とその場への注意を引きつつ、「わらはも委しくは知らず候へども、花水を手向け御跡を弔ひ参らせ候」と、この段階では少し距離をとった言い方に留める。
やがて、地謡により 「在原寺の跡古りて、松も老いたる塚の草、これこそそれよ亡き跡の、一叢ずすきの穂に出づるはいつの名残なるらん、草茫々として露深々と古塚の、真なるかな古の、跡懐かしき気色かな、跡懐かしき気色かな」と、廃寺のもの寂びた情景が目に浮かぶように語られる。
そして、「昔在原の中将、年経てここに石の上、古りにし里も花の春、月の秋とて、住み給ひしに」と、自然を愛でながらの簡素な生き方が示されることで、在原業平という人物の気配が感じられるようになっていく。

シテによる 「風吹けば 沖つ白波 龍田山 夜半にや君が ひとり行くらん とおぼつかなみの夜の道」で、伊勢物語からのひとつ目の重要なエピソードに入っていくのだが、ここでは足元のおぼつかない夜の暗い道を行く業平のことを思いやった歌で心が通じ、業平と愛人の関係がそれ以来絶えたということが知らされただけで、浮気相手のところへ行く男の身を案じる健気な妻という立場が紹介されたに過ぎない。
男の方が、快く送り出す女に別の男がいるのではないかと疑って物陰から様子を見るという部分は、本来はアイ狂言で詳しく語られるらしいのだが、この日のように 「物着」の小書で中入りがなくアイ狂言も登場しない場合には、この男によるあまりほめられない行動にはふれられないことになる。
それは、当時(も今も)の能の受容者は当然に伊勢物語の話を知っているということが前提なのかとも思うが、女の立場から考えてみれば、男の猜疑心やそれに基づく隠密行動については知る由もなく、ただ 「行方を思ふ心とげて外の契りはかれがれなり」ということになる。
つまりは、送り出した後に身の上を案じていただけで浮気は沙汰やみになった、というのが女にとっての全体像であり真実だったわけなので、ここはそういうものとして理解すればいいのかもしれない。

それでも、浮気で外出する男を恨みもせず道中の無事を祈る妻の健気さ、待つ女、耐える女としての純粋さを考えれば、むしろ男の霊が現れて女に詫びを入れ許しを請うべきところかもしれないのだが、女の霊はただ静かに舞いながら昔を懐かしむのみというところが泣かせる。
信じるだけ、与えるだけの一途な愛もあるのか、こんな女に慕われたら男冥利に尽きる、と思わせるところにもこの曲の人気の一因があるのだろう。
ともかくも観客にとってはシテの短い言葉に導かれて朗々と歌われる地謡からの情報がすべてという中で、梅若実率いる地謡はいつにもましてきめ細かく聴こえ、張りのある朗唱は素人にも言葉が入りやすく、かつ音楽としても草書の筆のように美しく流れていくようだった。

hokuto77 at 19:35|PermalinkComments(0)│ │邦楽事始 

2018年09月15日

翁、松竹風流-4 三番叟が締める祝言の舞台

「翁」に続いた 「松竹風流」のやりとりと舞いは、確かに特別なめでたさを演出するものではあるけれど、出し物としての充実度が特に高いものだとは率直なところ思われなかった。
しかし、それに続いた 「三番叟三番三)」は、さすがに舞台パフォーマンスとしてよく練れている。
三丁の小鼓に大鼓の甲高い音が加わって演奏にドライブがかかると、思わず体内の血が騒ぎ出すようだし、「おおさいおおさい、喜びありや」では、眠っていた根源的な部分が目を醒まされるような感じがした。
茂山千五郎の舞は若さを生かした切れの良いもので、舞台を縦横に駆けたり跳躍したりといった動きにも重みと勢いがあった。

まず演じられる 「揉ノ段」は大地を踏みしめる所作とのことだが、そのダイナミックな動きは五穀豊穣に向けての悪霊退治とか ”気” の注入といった意味合いも込められているのであろう。
そこにさらに子孫繁栄の祈りまでが籠められているのかどうか、ともかくも逞しい生命力を目に見える形で表していることは間違いなさそうだ。

直面で演じられた 「揉ノ段」が終わって一旦後方に退き、黒式尉(こくしきじょう)の面をつけて舞台に戻ってくると、面箱持(千歳)と奇妙な問答を始める。
それはつきつめれば 面箱持が席に戻るのと 黒い尉の舞を始めるのとどちらを先にするかというような押し問答で、その内容からはこっけいな戯れ合いのようなものかと思っていたのだが、実際に聞いてみると両者ともかなりの本気で声を張り上げ、このままでは喧嘩になるのではないかと思うほどの激しいやりとりになっていった。
ところが 面箱持から鈴を渡されると雰囲気が一転して大人しくなり、黒い尉殿もすっかり機嫌が直ったように 「鈴ノ段」へと入っていく、この落差が何を意味しているのかはよくわからないながらも、なかなか面白い展開だった。

鈴ノ段」の入りは 「揉ノ段」の後だけに地味な感じが否めず、それは大地を固めるよりも種を蒔く方が地道な作業だということを反映しているだろうか。
それでも後半に進むに従って徐々に盛り上がりを見せ、最後は鈴と面を外し、大きく ”御祓い のような所作をして退場していった。

」の舞が天下泰平を祈るのに対し、「三番叟」の舞は五穀豊穣を寿ぐといわれるが、それは天からもたらされる水の霊力と、人が大地に働きかける農耕の営みを、それぞれに象徴しているように思われた。

hokuto77 at 21:56|PermalinkComments(0)│ │邦楽事始 

2018年09月13日

「世界を変えた書物」展〜現出した ”知の館”

(上野の森美術館 〜9/24)
実に驚かされることの多い、刺激的な展覧会だった。
世界を変えた書物」 という展覧会があること、それが 金沢工業大学の ”工学の曙文庫” が所蔵する稀覯本で成り立っていること、見上げるばかりの書庫が再現されていたこと、グッズ類がとても洗練されていたこと、そして無料だったこと・・・

まず招き入れられる 「知の壁」 は、中世の大学か修道院の図書館を思わせる壮観で、書物というものが知の源泉であり知的営みを進めるうえでの根本的な資産であったことを思い出させられた。
今はさまざまな媒体や流通経路が普及してきた結果として、蔵書というものがほとんど意味をなさなくなり、図書館や書店にも軽薄で短命の本ばかりが並ぶようになっている中で、これこそが書物本来の姿であり、その蓄積が ”知の館” だったのだと改めて思った。

同時に、こうした書棚を見ると ”知の迷宮” というような言葉がつい出てきたりもするのだが、ここでは理科系の書物が中心となっているだけに、そこに分かりやすい道筋をつけようという努力の跡が見え、そこからこの展覧会を貫いている ”熱” のようなものが感じらてきれた。
それが本展の核となるいる 「知の森」 で、展示レイアウトやカラー・イメージなどによって出来る限りの体系化が試みられ、アリストテレスから ニュートンを経て アインシュタインに至る大まかな道筋が実感できるようになっている。

おかげで、展示されている書物の一冊一冊が世界を一変させたというだけでなく、それぞれが積み重なり刺激し合ってより高みに達していくという人類の英知の歴史の見取り図が、おぼろげながら見えてきたような気がした。
理系オンチの筆者がまず食いついたのは デューラーや ピラネージだったが、それでも コペルニクス、ケプラー、ガリレイと続けば遠い記憶が甦ってくるし、聞き覚えのある名前が流れの中に位置づけられることによって、旧知の人物に出会ったような気にもなってくる。

そんな中で特に驚いたのは、デカルトと ゲーテが思いがけない流れの中で紹介されていたことだった。
デカルトは 「03. 解析幾何」 のコーナーで ライプニッツの近くに登場、そこにあった本は 「方法序説」だが、「我思う、故に我あり」に始まる哲学の部分は最初の章のみで、その後ろには 「光学」「幾何学」「気象学」が続き、その中で解析幾何学の基礎となる空間座標の概念が示されているということを初めて知った。
さらに 「10. 電磁場」のコーナーでも 、「哲学の原理」 に宇宙は細かい粒子で満ちているとの記述があるということだ。

ゲーテは 「05. 光」 のコーナーで ケプラーや ニュートンの先に登場、そこで ゲーテは ニュートンの光学理論に反駁し、光とりわけ色彩は純粋な物理現象ではなく人間の視覚の(心理的とまでは言わないにせよ)生理学的な機制に依存するものだという主張を展開したらしい。
いかにも文豪らしい切り口だし、そこにはクレーの抽象画を思わせる色見本や風景画も添えられているのだが、こんな異議申し立てにニュートンはどう思ったのだろうか。

ともかくも、このあたりは自然科学と哲学や文学が ”知” の領域として未分化で重なっているようでもあり、それは ”知の巨人” だからこそ可能であった越境行動なのかもしれないが、徐々に専門化・細分化されていくにつれて一人の守備範囲も限られるようになり、やがて全貌が見えにくくなっていくというのも避けられぬ流れであろう。
2階に上がるとその傾向が強まり、電気関係の オームや ヘルツなどの名前に懐かしみを覚えつつ、「11. 原子・核」 に行くと レントゲン、ベックレル、キュリー夫妻と続いた先に 湯川秀樹の業績があり、そして 合衆国戦略爆撃調査団の広島・長崎原爆投下という不幸な現代史に至る。

知の連鎖」 ではこうした流れがチャートで示され、最後の 「知の繋がり」 にはこれらのカテゴリーのビッグネームや影響・発展の過程が分かるような三次元の模型が展示されていた。
その他、触ってみられるレプリカ展示や監修者である 竺覚暁教授による解説の映像(これはさすがに長い・・・)、そしてさまざまなグッズ類に至るまで、実によく考えられた見せ方だったと思うし、こうした ”人類の宝” をより多くの人に知ってもらいたいという熱意が強く感じられた展覧会だった。

よくよく考えてみれば、いかに稀覯本が多く並んでいるといっても、実際に見ることができるのは見開き2ページに過ぎないし、当然のことながらギリシャ語やラテン語の本文が読めたわけでもない。
しかし、展示ケースの底面に少し離れて置かれた鏡で表紙の文字や装丁も見ることができたことで、「世界を変えた書物」が身近なものに感じられ、中身が分かったわけでもないのに、人類の壮大な知の体系に少しでも近づけたような気分になれたところが最大の収穫だ、錯覚かもしれないけれど・・・

hokuto77 at 20:25|PermalinkComments(0)│ │掘り出し物など 

2018年09月12日

翁、松竹風流-3 松・竹の精による風流の舞

「翁」 のあとには 「三番叟(三番三)」という通常の流れに対し、今回の 国立能楽堂開場35周年記念公演では 「松竹風流」(まつたけのふりゅう)が上演された。
「風流」とは狂言方が大勢登場して寿を述べるもので、祝言性が濃いため近年では稀にしか演じられず、その中の 「松竹風流」は、国立能楽堂では35年前の開場初日に演じられて以来の上演となる、という程度の前提知識しかなかったのだが、実際には 「翁」の後段としてお目出度い雰囲気を高めて 「三番叟」へ繋ぐという役目の出し物だったようだ。

翁の退場からひと呼吸おいて再び囃子が始まると、黒い衣に黄色の袴の 「竹の精」、金色の衣に緑の袴の 「松の精」の順に橋懸りから登場、翁と面箱の間に控えていた 「風流千歳」が立ち上って2人を舞台へと招き入れる。
そして、風流千歳(善竹富太郎)が両者に 「めでたき子細」を語るよう促すと、松の精(大蔵彌太郎)は千年万年の齢を持つからめでたいと言い、竹の精(山本奏太郎)は親より太く延び寿命めでたいのだと語る。
その後に舞となるが、それぞれに面と豪華な衣をつけた 松と竹の精が、その場を仕切る 風流千歳とともに舞台を巡る様には華やぎがあり、さらに橋懸りにずらりと並んだ 山本東次郎則俊以下10人の風流地謡による謡にも迫力があって、それでなくても通常より賑やかな舞台が一層祝祭的なものになった。

解説によれば 「風流」(ふりゅう)とは 「華美な装飾」を意味する古語で、中世には精霊などが登場する寺院芸能の呼称ともなったとのことだが、今の ”風流” の語感とはずいぶんと違っているように思われるし、精霊が登場する寺院芸能というのも初めて聞いた気がする。
今回の ”松と竹の精” というのは納得感がある一方で、定型的すぎて意外性に乏しい感じも否めないので、それ以外にはどんな ”精霊” たちが登場してどのようなプレゼンをするのか、できればそのヴァリエーションを見てみたい。

それにしても、この舞台は 「翁」がメインであることは疑いえない一方で、見終わってみれば狂言方の存在感が大きかったことに気づく。
特に 金剛流では面箱が千歳の役を兼ねるため、能方で舞台で演じる役者は翁1人のみであり、あとは 千歳兼面箱、風流千歳に 松の精・竹の精そして 三番叟と、5人の狂言方が入れ代わり立ち代わり舞台で躍動する。
地謡も能方の8人に対し狂言方は10人、囃子方は両方の演奏をするので一応中立のようではあるが、大鼓と太鼓は狂言方の出番での活躍なので、全体的な印象としては狂言方の顔見世興行という色彩が濃いようにも思った。

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2018年09月11日

ミケランジェロと理想の身体-3 古代ギリシャ

(国立西洋美術館 〜9/24)
本展は、 「ダヴィデ=アポロ」と 「若き洗礼者ヨハネ」という ミケランジェロの2作品に到達する以前の ” I 人間の時代−美の規範、古代からルネサンスへ” の章にも、古代ギリシャ作品でいくつか興味深い作品があった。

I-1 子どもと青年の美
プットーとガチョウ」(1世紀半ば、ヴァチカン美術館)は大理石という素材で柔らかな幼児の肌や動きを、「弓を引くクピド」(2世紀末、フィレンツェ国立考古学博物館)は左腕を大きく上に挙げてのけぞるような姿勢を的確に表現していた。

アキレウスとケイロン」(65-79年、ナポリ国立考古学博物館)は、ポンペイの近くで同じヴェスヴィオス火山の噴火により長い間埋もれていた エルコラーノの壁画で、思慮深く威厳も感じさせる半人半獣の ケイロンと、彼の話に真摯に耳を傾ける賢そうな アキレウスが優れた筆致で描かれている。年長者と若者の話がしっかりとかみ合い心も通い合っている、そんな今どきあまり見かけることのない光景が何やら感動的だった。

ガニュメデスの誘拐」(1世紀末、フィレンツェ国立考古学博物館)は、大きな鷲にさらわれる少年の緊迫感がよく伝わってくるものだったが、ガニュメードというのはもっと幼い子どもを想像していた・・・

I-2 顔の完成
ここでは、ギリシャ古典期は肖像に関心がなく顔も理想形を追求し抽象的・普遍的な顔が好まれた、といった趣旨の解説が興味深かったが、「男性頭部」(2世紀、フィレンツェ国立考古学博物館)もまさにそのようなものであろう。

I-3 アスリートと戦士
香炉を支えるディスコボロス」(紀元前4世紀後半、ローマ、ヴィラ・ジュリア国立博物館、キルヒャー・コレクション)は、三脚の上に立つ人物の頭上に鳥がとまった大きな香炉が乗るという奇妙な造形ではあるが、円盤投げ選手の人体の表現は優れたものだった。

I-4 神々と英雄
荘厳のユピテル」(紀元前1世紀―紀元後1世紀、フィレンツェ国立考古学博物館)は小像ながらゼウスらしい威厳を備えたもの、「ヘラクレス」(紀元前4世紀後半、フィレンツェ国立考古学博物館)も胸部・腹部から背面まで理想的な筋肉質の肉体の像だったが、顔や腕には後の手が入っていただろうか。


<古代ギリシャ展>
2011、国立西洋美術館: 神々、英雄、別世界の者たち クーロスからアフロディテへ
                 キュクラデスの女神 人々の暮らしの光と影
2016、東京国立博物館: キュクラデス、クレタ島の曙光 アテネに充溢する光
                 墓碑、陶片追放、オリンピック マケドニア、ヘレニズムの残照

hokuto77 at 19:36|PermalinkComments(0)│ │西洋古代中世美術 

2018年09月09日

翁、松竹風流-2 翁から発せられる言葉

国立能楽堂開場35周年記念公演 (9月5日(水)13:00〜)でまず演じられた 「」の大まかな流れは前回記事のとおりだが、もう少しこの 「翁」という特別な演目の中身を振り返っておきたい。

まだ翁の面をつける前、三丁の小鼓が賑々しいリズムを刻む中、坐ったままの姿勢で最初に発せられる言葉は、 「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりどう」。
これに地謡が 「ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりどう」と呼応するのだが、これだけでは呪文のようでわけが分からない。
続きは 「所千代までおはしませ、我らも千秋さむらはう、鶴と亀との齢にて、幸ひ心にまかせたり」と徐々に意味を持つ言葉になってくるが、このあたりは天地創造前の混沌の中から徐々に塊が生じ形が表れてくるようでもある。
さらに、その後に登場する 千歳の 「鳴るは瀧の水、日は照るとも、絶えずとうたりありうどうどうどう」への流れを見れば、「とうとうたらり・・・」は ”水” の象徴的表現として、生命の源泉であり農耕の命綱である水が、豊かに滴り流れ下る様を表しているように思われた。

千歳の舞の後、面をつけた から始まる 「総角(あげまき)やとんどや(ひろ)ばかりやとんどや」もよくわからないやりとりだが、ここが催馬楽の詞を踏まえたものだとすれば、この後には 「離(さか)りて寝たれども、転(まろ)びあひけり、とうとう、か寄りあひけり」というストレートな表現が続く。
子孫繁栄のための男女の営みが、豊饒の象徴として豊作を祈る農村の祭りで扱われることは少なくなく、男神と女神が田などで暗示的な所作をする祭りなどもあるので、「三番叟」にはそうした趣きが反映しているような気がしていたのだが、格調高く崇高なものだと思っていた 「翁」にもそうした要素があるらしいというのは意外なことだった。

ともあれ、漸く立ち上がり囃子の音の止んだ静寂の中で厳かに朗誦される、「ちはやふる、神のひこさの昔より、我がこの所久しかれとぞ祝ひ」から 「千年の鶴は、万歳楽と唄うたり、また万代の池の亀は、甲に三極を備へたり、天下泰平 国土安穏の、今日のご祈祷なり」のくだりが、本曲中で最も意味が明快な部分ということになろう。
あえて少し引いて考えてみればやや尊大な感じがしないでもないけれど、誰もがそれを願わしいものとして受け容れ、そのような言葉が 翁から発せられることを求めているからこそ成立し、別格の一曲として大切に伝承されてきたということかと思われた。

hokuto77 at 19:58|PermalinkComments(0)│ │邦楽事始 

2018年09月07日

翁、松竹風流-1 翁への変身、翁の祈り

国立能楽堂開場35周年記念公演に出かけた。(2018年9月5日(水)13:00〜)
全体で4時間半ほどに及んだ当日の演目は以下の通り。

(おきな) 金剛 永謹 (金剛流)
 松竹風流 (まつたけのふりゅう) 大藏 彌太郎 (大蔵流)
能 井筒 (いづつ) 物著 (ものぎ) 観世 清和 (観世流)
能  (みだれ) 置壺 (おきつぼ) 片山 九郎右衛門 (観世流)

まずは 「」、”能にして能にあらず” という能書きや別火、精進潔斎に始まり面を着けずに登場するといった特殊性などはある程度事前に知っていたが、実見してみれば通常の演目との違いはさらに大きく、総じて芸能というよりは共同体の祈りのイベントという思いを強くした。
面箱を先頭に烏帽子をつけた大人数が登場して祝祭的な気分が高まる中、翁役の演者が客席の方に向かって深く礼をするという、通常の能の上演ではまず見られない所作は、「翁」が何のために演じられるかということをよく示しているのだろう。

天地開闢を示すという 笛の音に続いて、ヤーッという甲高い掛け声とともに三丁の 小鼓が賑やかに早いリズムを刻みだす。
そして聞こえてきた 「とうとうたらり」という不思議な呪文は、この景気のよい小鼓隊のリズムと合っているのかどうかが初めは分かり難かったが、それぞれにわが道を行くといった若干の違和感は、地謡との掛け合いの中で徐々に解消され、千歳の 「鳴るは瀧の水」で新たな局面に入っていった。
「翁」の最大の特徴は素面で登場し舞台上で面を着けることだと聞いていたので、その場面がひとつのハイライトになるのかと思っていたのだが、実際には千歳の舞が佳境に入ったあたりであまり目立たない形で行われた。

そしていよいよ の登場、金剛永謹氏の翁は風格充分で場を支配し、「天下泰平 国土安穏の、今日の御祈祷なり」の朗々たる謡にも、ずしりと腹に響くような重みが感じられた。
広い音域で上下するヴィブラートの大きさも、翁が超人的な存在であることを示すようで、「翁」の上演そのものが同じ思いを持つ人々の支持のもとに伝えられてきたことが実感された。
全くの偶然ではあるけれど、近畿地方を襲った台風21号と北海道で発生した震度7地震に挟まれた日の上演だっただけに、まさに ”天下泰平 国土安穏” をあらためて願わずにはいられない。

翁の舞は、これは予想していたことではあるけれど、ゆったりとした所作が続いてなかなか舞らしい動きとならず、先行する囃子の賑々しい音楽に促されるようにして、ようやく厳かに舞い始めるという感じだった。
舞が終わると 「万歳楽」を寿ぎ、面を外してもう一度深々と礼をして橋懸りを退場していった。


<能・狂言の過去記事>
能 「柏崎」 宝生流 佐野由於 
能 「熊野」 金剛流 金剛永謹 
古典芸能鑑賞会 (舞囃子 「融」ほか) 
能 「山姥」 観世流 野村四郎  
能 「善知鳥」 観世流 観世清和  
能 「半蔀」 金剛流 今井清隆  
狂言 「二人袴」、「咲嘩」、「首引」  
能 「西行桜」 観世流 梅若玄祥  
能 「三井寺」 観世流 観世清和  
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (半能 「絵馬」ほか) 
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

hokuto77 at 20:55|PermalinkComments(0)│ │邦楽事始 

2018年09月02日

鈴木雅明&BCJ、バッハのドイツ・オルガン ミサ-4

鈴木雅明氏による J・S・バッハ生誕333周年記念特別演奏会 ≪クラフィーア練習曲集 第3巻≫ (8月2日(木)19:00〜 東京オペラシティコンサートホール)に関し、なお思いつくことを幾つか・・・

まず、本作品集はひとつのコンサートとしては想定されていないとしても、通しで聞いてみた流れの中て ”5つの頂点” というものが感じられた。
それは両端のプレリュードとフーガ(BWV 552/1 と2)、キリエの3曲目(BWV 671)、教理問答コラール2つ目の 「われらみな唯一なる神を信ず」(BWV 680)と5つ目の 「深き淵より われ汝に呼ばわる」(BWV 686)だ。
いずれも pedaliter (ペダルを使った比較的大規模な曲、大コラール)となったのは、”頂点” という中に音の厚さや構築性、音量によるカタルシスも含まれるのでまあ仕方がない。

しかしその一方で、今回あらためてじっくり聞いて思ったのは 光に対する影ともいうべき manualiter (手鍵盤のみによる比較的小規模な曲、小コラール)が思っていた以上に凝った音楽で情報量も多く、繊細な情緒にも優れているということだった。
その中でのベスト3を選べば、G音の連打で始まる 「これぞ聖なる十戒」(BWV 679)、直前の pedaliter とは全く違う世界を見せた 「深き淵より われ汝に呼ばわる」(BWV 687)、緻密な構成で教理問答コラールを締め括った 「われらの救い主なるイエス・キリストは」(BWV 689)になる。

もう一点、この公演に出かける前の段階で、前述した使用楽器や演奏曲順と同じように気になっていたのは、鈴木雅明氏による解説があるのかということだった。
あれば是非聞いてみたいと思う一方で、いろいろな意味で語り出したらきりがない作品でもあるので、その場合の終演は10時過ぎになるだろうかなどと思っていた。
実際には1週間ほど前から Twitter で曲目解説をされていたようで、当日のプログラムに全27回(!)をまとめた印刷版が挿入されていたのだが、これは有り難かった。
ややくだけた肉声があったり楽譜もついていたりと、通常のプログラムでは考えられない内容で楽しく読ませてもらいながら、聞きどころや難所なども事前によく分かり、とてもいい試みだと思った。

その Twitterによれば ”バッハはこれを全部一気に弾いたことなど決してないと思う” とのこと、バッハ以外のオルガニストでも果たしてどのくらいの前例があるのか知らないが、貴重な音楽体験をさせてくださった 鈴木雅明氏にあらためて感謝したい(国民栄誉賞に推薦したいくらいだ・・・)。
さらに、コラールをアカペラで歌い継いだ バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバー、その進行を立ったまま仕切ってサポートした 鈴木優人氏、そしてプレッシャーのかかる中で譜めくり及びストップ操作に貢献した女性にも大きな拍手を贈りたい。



<鈴木雅明 & BCJ の過去記事>
クラフィーア練習曲集 第3巻 (2018)  
ルター500プロジェクト (2017) 
J. S. バッハの世俗カンタータ (2017)  
J. S. バッハの教会カンタータ (2013)  
青山学院レクチャーコンサート 201120162017
鈴木雅明 & 若松夏美 in 深大寺本堂 2016
17世紀初期イタリアのオルガンとアンサンブル 2008
ジュネーブ詩篇歌を巡って 2006
支倉常長と音楽の旅 (2007) 
天正少年使節と音楽の旅 (2006) 

hokuto77 at 19:33|PermalinkComments(0)│ │音楽の部屋 

2018年08月29日

縄文-1万年の美の鼓動-4 多彩な造形、岡本太郎

(東京国立博物館  〜9/2)
5点の国宝土偶(と火焔型土器)の ”第4章 縄文美の最たるもの”から ”第5章 祈りの美、祈りの形” に進むと、その中央でひときわ強い存在感を示していたのが 「115 重文 遮器光土偶 青森県つがる市 木造亀ヶ岡 1個 縄文時代(晩期)・前1000〜前400年 東京国立博物館」だった。
土偶といえば多くの人が真っ先に思い浮かべるこの像が、国宝レースで後れを取っているのは意外なことだが、それは単に順番や時間の問題なのか、あるいは正統性などの困難な問題があるのだろうか。
もっとも、目の部分について ”遮光器” という見立てにはやや違和感があり、私には微笑む幼児の顔に見えるので、無事成長してくれることの祈願か、あるいは早世した子の供養かとも思うが、まさかそのあたりが国宝指定の障害になるわけではなかろう。

「105 重文 ハート形土偶 群馬県東吾妻町 郷原 1個 縄文時代(後期)・前2000〜前1000年 個人蔵」も将来の国宝候補だろうか、これは像全体を支配している曲線が大胆かつ洗練されていて、美的観点からは 「縄文のビーナス」 「縄文の女神」に続く完成度だと思う。

上記以外では、最初期のものといわれる 「85 土偶 滋賀県東近江市 相谷熊原遺跡 1個 縄文時代(草創期)・前11000〜前7000年 滋賀県教育委員会」は女性の胸部分だけが残っているが、どの土偶よりもふくよかさが自然に表現された上出来のトルソーだ。
「103 筒形土偶 神奈川県横浜市 稲荷山貝塚 1個 縄文時代(後期)・前2000〜前1000年 個人蔵」は 岡本太郎の「太陽の塔」の原型と言われているものか、確かに胴の形や紋様、皿形の顔には相通じるものがあった。
その他、「ポーズ土偶」や 「みみずく土偶」などが幅広く集められており、あらためてその多彩さに驚くとともに、”土偶” という一つの概念でこれらすべての制作目的や使用方法を理解することの困難さをも感じさせられた。 

土偶の後は、男性を表す 「石棒」、石を和った 「岩偶」、円形で小さめの 「土面」などがあり、1万年にわたり日本列島各地で営まれた生活の中で創り出されたものの幅の広さが感じられた。
その多くが東北地方や中部地方の出土品であるのは、その後の歴史が西日本中心に展開したことを思えば意外な感じがするが、狩猟・採集で生活の糧を得ていた縄文人には豊かで住みやすい環境だったということなのだろう。
一方で動物そのものの表現がいまひとつのように思われるのは、彼らの躍動する姿には比較的関心が低かったということだろうか。

「172 顔面把手付深鉢形土器 山梨県北杜市 津金御所前遺跡 1個 縄文時代(中期)・前3000〜前2000年 山梨・北杜市教育委員会」という大きめの壺には二つの顔があり、縁から突出しているのは母、側面真ん中辺りから出ているの子供で、出産の場面を表していると考えられているそうだ。
「縄文のビーナス」のように吊り上った目と驚いたように丸く開かれた口には緊張感があるし、壺を使っての象徴的な表現には品位も感じられる。
こうした造形が世界各地にどのくらいあるのかよく分からないが、出産を表す美術作品としてはベストといっていいのではないか。

最後の ”第6章 新たにつむがれる美” では、いち早く縄文文化に関心を寄せた人物をとりあげており、柳宗悦、川端康成のコレクションなども紹介されていた。
しかし、なんといってもこの分野での最大の功労者は、1952年に 「四次元との対話―縄文土器論」を発表した 岡本太郎であろう。
本展のタイトル ”縄文-1万年の美の鼓動” にも表れているように、縄文の造形を考古学の世界から美の世界に引っ張り出して光を当てることができたのは、この希代のアーティストに並はずれた直観力と発信力があったからだ。
その契機となった 「深鉢形土器」3点(いずれも 縄文時代中期・前3000〜前2000年 東京国立博物館)が、見どころの多かった長い旅を締め括っていた。


>縄文-1万年の美の鼓動 (2018、東京国立博物館) 

>文化庁海外展 大英博物館帰国記念 「国宝 土偶展」(2010、東京国立博物館) 

>岡本太郎展 (2011、東京国立近代美術館) 

hokuto77 at 21:35|PermalinkComments(0)│ │日本彫刻