2017年02月26日

ティツィアーノとヴェネツィア派展-2 フローラ

(東京都美術館 〜4/2)
初期ヴェネツィア派の作品が並んでいた ”第1章 ヴェネツィア、もう一つのルネサンス” の最後に、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの 「復活のキリスト」(1510-12年頃、ウフィツィ美術館)が出ていた。
しかし、近寄ってキャプションを見るまでは、これがティツィアーノのものとは思わなかったし、キリスト復活の絵だとも分からなかった。
赤い十字の復活の旗を持っているのだが、22歳頃のこの作品は特にデッサンが甘い感じは否めないし、のけぞるような顔は一体どういうことになっているのか、そこにキリストの神々しさは感じられず、しかし色彩と迫力で見せるという意味でのティツィアーノらしさは確かに表れている。

そんなことを思いながら2階に上がり ”第2章 ティツィアーノの時代” に入ると正面には 「フローラ」(1515年頃、ウフィツィ美術館)、これはさすがに名品としてのオーラがあった。
早い筆触が特徴の画家にしてはかなりしっかりと時間をかけて丹念に塗り重ね、輝くばかりの顔や肌、髪や衣の質感が緻密に追究されている。
出世作になるとの予感があったのか、注文主の思いがかなりのものだったのか、いずれにしてもこれは聖書や神話の中の架空の女ではなく、由緒正しい貴婦人の肖像でもないだろう。
この自然体で自由な表情、大きくはだけた胸を見れば、それは娼婦のものである可能性が高そうだが、しかしただモデルとして使っただけではなく、おそらく彼女の面影を永遠のものとしてとどめ自室に飾りたい、そんな貴族の発注があって生まれた作品ということなのではないか。

フランチェスコ・ヴェチェッリオの 「聖家族とマグダラのマリア」(1530年代、キエリカーティ宮絵画館)はティツィアーノの兄の作品とのこと、解説にあるように衣服や布地の質感は傑出しているが、人物は相対的に弱い感じは否めない。
しっかりした腕を持つのに歴史に名を残す画家ないし芸術家にはなれない、そんな世の中の現実を感じながら、”強ければ大関になれる、しかし横綱は宿命だ” という白鳳の言葉を不意に思い出した。

ロレンツォ・ロットの工房による 「聖母子」(1546年頃、キエリカーティ宮絵画館)は、正面向きの聖母マリアが、向かい合う我々には微妙に視線を外して祈りを捧げており、その眼の前には横になって何も知らずに眠りこける幼児イエスがいる。
絵そのものは工房作らしい力の弱いものだけれど、憂愁のマリアに対しこれほど自然体のイエスを組み合わせた聖母子像は珍しいのではないか。
ロットの真筆があるならぜひ見てみたい・・・

hokuto77 at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2017年02月25日

能 「三井寺」-1 詞章が紡ぎだす月の光

能にもいろいろある、と言えば当然すぎる話かもしれないが、劇的に展開するストーリーに引き込んでいく曲、賑やかな囃子で華麗な舞を見せる曲を、それぞれ演劇的、音楽的と呼べるだろうか。
そんな中で 「三井寺」は、清水寺から園城寺に至る道行きと琵琶湖を望む月の夜の情景を想像させる謡の力が強く、また故事等への言及も多いことから文学的であるし、ヴァーチャルなイメージを眼前に提示するという意味では絵画的な能と言ってもよさそうだ、というのが第一印象だった。
(2017年2月14日、国立能楽堂 観世流 観世 清和ほか)

ワキが登場して 「名を望月の今宵とて… 月の名頼む日影かな」と舞台を設定すれば、橋懸りのシテは 「雪ならば幾度袖を払はまし、花の吹雪と詠じけん志賀の山越うち過ぎて、眺の末は湖の、鳰照る比叡の山高み…」と運命の場所へ急ぐ。
そして、「げにげに今宵は三五夜中の新月の色、二千里の外の故人の心、水の面に照る月なみを数ふれば、秋も最中夜も半ば、所からさへ面白や」と謡うことで、舞台を冴え冴えとした月の光で満たしていく。

やがて物語が進み鐘を撞く段になると、「煩悩の夢を覚ますや、法の声も静かに、まづ初夜の鐘を撞く時は、諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は、是生滅法と響くなり、晨朝の響は、生滅滅已、入相は、寂滅」とたたみかけることによって、厳かな鐘の音が堂宇や背後の山に響き、遮るもののない穏やかな湖面の上をどこまでも広がっていく。
そうした月の光と鐘の音は、「我も五障の雲晴れて、真如の月の影を、眺め居りて明かさん」と厳粛な気持ちを起こさせただけでなく、古来から月や鐘を愛でてきた先人たちの境地へも思いを誘う。

「月落ち鳥鳴いて、霜天に満ちてすさましく、江村の漁火もほのかに、半夜の鐘の響きは、客の船にや通ふらん、蓬窓雨滴りて、馴れし汐路の楫枕、浮き寝ぞ変はるこの海は、波風も静かにて、秋の夜すがら月澄む、三井寺の鐘ぞさやけき」、このあたりの幽玄な感じは、テーマは異なるとはいえ同じ琵琶湖に取材した 「竹生島」での情景描写、「波もうらゝに海の面、霞み渡れる朝ぼらけ、長閑に通ふ舟の道、憂き業となき、心かな」、「魚木に登る氣色あり、月海上に浮かんでは、兎も波を奔るか面白の島の景色や」などの趣きに近い。

ところで、三井寺と言えば琵琶湖を中心とする近江八景の中の 三井晩鐘が当然思い浮かべられるところではあるが、近江八景が選定されたのは本曲の成立より後のことらしい。
それでも今の鑑賞者は、三井寺の鐘から近江八景を思い、さらにその原型である瀟湘八景へと連想は及んで、いつのまにか 煙寺晩鐘や 洞庭秋月の光景を思い浮かべてしまったりもすると思うのだが、それは誤りということになるだろうか。

しかし、そもそも能を観るということは、限られた詞章の言葉を各自の想像力で補いつつ無限の空間に再構築することでもあり、その出来栄えは観る側の資質や準備状況にかなり依存していると言える。
本曲でも、シテが鐘を撞こうとするあたりで繰り出される台詞は、古典に関するかなりの知識が無ければ引用の妙が分からず、面白味が半減せざるを得ないほどに難解だ。
それでも、能は全てを知り尽くした人にのみ開かれていると考えなくてもよいとすれば、それぞれが理解可能な範囲で楽しむほかはなく、その中では先ほどの例のような多少の齟齬があってもおそらくは許されるということになろう。

その上でのことだが、本曲のシテは、本当に ”物狂い” だったのだろうか・・・


余談ながら、今日は太鼓の入らない3人の囃子だったなと思いながら千駄ヶ谷駅に戻ったら、構内に雛人形が飾られていた。
そこで、3段目は ”五人囃子” だったことを思い出し、五人の楽器編成はどうなっているのかと近寄って見てみたところ、左端の太鼓から笛までの4人は能の囃子方と同じような並びとなっており、そして右端の一人は扇子を持っているだけなので、謡の担当ということかと思われる。
和楽器にもいろいろな種類があり編成がある中で、そして上2段とのバランスからは雅楽の楽器の方が収まりがよさそうにも思われるところ、雛祭りの五人囃子が能と同じというのは、いったいどのような影響関係によるものなのだろう。

hokuto77 at 20:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年02月23日

能 「葵上」-3 加持祈祷の作法と結末

能 「葵上」は、通常は最初に登場して曲の全体に関与することが多いワキの出番が少なく、舞台回しは朱雀帝の臣下であるワキツレとその部下を演ずるアイにより行われる。
また、横川の僧都であるワキをアイが呼びに行って対面する横川での場面は橋掛かりで行われ、ワキは全登場人物の最後に本舞台に入ってきた。

そうした流れの中で特に意外に思えたのは、ワキ = 横川の僧都修験行者のように見えたたことだ。
といっても、結袈裟というのか、丸い大きな房の付いた袈裟を着ているだけでそう判断してはいけないのかもしれないが、イメージとしては吉野山や大峯山の 山伏といった出で立ちであり、また自分から 「役の行者の跡を継ぎ」と言っているので、ここではそのような修験者として位置づけられているのだろう。

源氏物語における 横川の僧都は、浮舟の救済者として最後の方に登場する人物だが、彼の信仰や服装がどのようなものであったかは今はよくわからない。
源信がモデルになっているという説に従えば、「往生要集」を著して浄土思想の基礎を築いた人物で、一般に伝えられる姿は普通の僧形だ。

一方、横川といえば比叡山の奥なので 天台宗の領域であるはずなのだが、祈祷の場面で五大明王を呼び出すところはむしろ 真言密教のイメージが強い。
祈祷の文句で北方を金剛夜叉明王としているところからも、これは東密系の修法と見るべきであろう。
そうなると、ここでは加持祈祷を行った宗派・流儀はあえて特定せずに、いわば祈祷の行のトータルイメージを見せているということになるだろうか。

この 「葵上」では、囃子の方にも通常とは異なる部分があった。
冒頭からワキツレ、ツレ、シテの語りだけで進み、「梓之出」の部分になって初めて聞こえてきた囃子は、笛を含まずに大小の鼓のみで奏され、軽快でリズミカルなものに聞こえた。
それは、霊を呼び出すことを命じられた 照日の巫女(ツレ)が梓の弓を鳴らしている様子を表しているのであろう、特にここではニュアンスの豊かな小鼓と切れ味の鋭い大鼓のアンサンブルが効いていた。

後場では、加持祈祷を表すという 「ノット」が、やはり通常の囃子とは違う独特の雰囲気のものだった。
頭を隠したシテが橋掛かりを滑るように登場し正体を現すこの場面、おそらくは実際の加持祈祷で使われる鉦や太鼓などの音を模倣し、さらには護摩木がパチパチと燃えるイメージなどをも取り込んでいるのかどうか、テンポの速いリズムによって祈りが次第に最高潮に達していく様子が実感されるものだった。

そして、生霊と僧都が対決する場面は太鼓の連打で盛り上がり、息詰まるような決闘シーンが効果的に演出されていた。
般若面となった生霊が小袖=葵上を掴んでどこかへ連れて行こうとする、それを僧都が取り返す、一旦は生霊が力を失って去っていく、しかし一ノ松のあたりで息を吹き返し反撃に転じ再び大立ち回りを演じる・・・
そんな激しい攻防を繰り返したのち、最後には生霊が打ち杖を投げ捨てておとなしくなるのだが、それは、敗れ去ったというよりは自滅した感じであり、むしろ憑き物が落ちて我に返ったような様子を表しているようだった。

この結末は、以前見た 「鉄輪が 「時節を待つべしや、まづこの度は帰るべし」という捨て台詞で終わり、一旦は引き上げるものの怨みは晴らされていないので必ず復讐にやってくると言っていたのとは実に対照的だ。
「鉄輪」では、決定的な別れに至った妻は貴船神社の神託に従い、夫は安倍清明の力を頼ったことから、両者の勝負はつかずに(つけるわけにはいかずに?)終わり、怨恨は残ったままとなった。

しかし、「葵上」における六条御息所の怨恨は、突き詰めれば根拠薄弱で筋違いなものかもしれず、むしろ恥を知る女としては呪い殺したりするより自分自身が納得したかった、自分としても早くそこから脱したいという思いが強かったのであろう
だからこそ、「怨霊この後またも来たるまじ」という形で決着することができ、さらに救いが得られたことに対し 「成仏得脱の、身となり行くぞ有難き」と感謝するに至る、そのように加持祈祷の霊験が最大限に効果を挙げるというストーリーが可能となったのではないか・・・


<能・狂言、過去記事>
能 「葵上」 金剛流 今井清隆  
「三番叟」と 半能 「高砂」 野村萬斎  
能狂言の名人 幽玄の花 (芸の真髄シリーズ)  
能 「竹生島」 金剛流 種田道一  
能 「鉄輪」 宝生流 宝生和英  
能 「鵺」 宝生流 佐野登  
能 「桜川」 観世流 観世銕之丞  

hokuto77 at 19:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年02月21日

春日大社 千年の至宝-3 雅楽と能の継承

(東京国立博物館 〜3/12)
”第4章 奉納された武具” には、刀剣鎧兜が並んでいた。
第2章にあった古神宝の刀や鉾、弓矢は象徴的なものとしての理解が可能だとしても、こちらの方は直接的に実用を目的とした武器類としか言いようがない。
なぜ神社にこうした物騒なものがあるのか、という疑問については以前書いたから繰り返さないが、同じ刃物でも包丁とか斧や鎌の類ならまだしも、刀は人を殺傷する以外の用途が考えられないので、どうしても違和感が残る。

そこへいくと ”第5章 神々に捧げる芸能” の方には平和な営みが感じられて好ましい。
春日大社では特に神事と芸能とが密接不可分なものとして発展・継承され、若宮おん祭は国の重要無形民俗文化財にもなっている。
また、かつては自前の能楽師を多く抱え、参道の影向の松が能舞台の鏡板の老松になったり、薪能という上演形態が今も神事能の性格をよく示すなど、春日大社と猿楽・能楽の関係も深いものがあるようだ。
このあたりが、興福寺に伝わった 南都楽所の 舞楽面伎楽面、金春座に伝来した 能面・装束、日と龍で装飾された巨大な 鼉太鼓(もうひとつは月と鳳凰)の複製などで紹介されており、このところ雅楽や能に触れる機会が増えていただけに興味深く見ることができた。

雅楽装束は 太平楽、崑崙八仙、陵王、納曽利 が出ていて、基調となる色や面の表情で 左方右方の差が大きいことをあらためて感じた。
音が入ればさらに明瞭になるはずなのだが、笙の雅な音が持続し赤や金でゆったりと舞われる左方は、華麗で祝典的な印象が強いのに対し、緑が貴重となり舞の動きも比較的大きくまた早い右方には、デモーニッシュな生命力や翳りが感じられることが多い。
それは、アポロンとディオニューソスになぞらえてみたい気がするほど対称的に思われるのだが、これは単に左方が中国で右方が朝鮮半島をルーツにするというだけでなく、ひとつの舞台で連続して演じられるという形態を前提として、後にそれぞれを性格付けしながら発展させてきたということもあるのではないかと思ったりもした。

”第6章 春日大社の式年造替” には、4つの本殿を護っていた 獅子・狛犬(鎌倉時代13世紀、一部は室町時代16世紀)4対8躯が並んでいた。
そこには、威儀を正し落着きの感じられる第一殿(会場では ”長男” になぞらえていた)から、第四殿にかけて徐々に、上を向く、立ち上がる、駆け出す、といった動きが見えて、長屋のように隣り合った4つの社殿の厳かな均衡を破るような微笑ましさが感じられた。


<関連過去記事>
春日大社 千年の至宝 (2017、東京国立博物館)
  神鹿の集う杜 春日の曼荼羅と神々の姿 雅楽と能の継承
春日の風景 (2011、根津美術館)
  春日宮曼荼羅 春日権現験記絵、興福寺と神鹿
大神社展 (2013、東京国立博物館)
  幽けき謎の女神たち 古神宝と祀り、神社の風景 神社に刀があるということ
  男神・女神像の誕生と発展 神像表現の多様化と大衆化 狩野元信の絵馬を巡って

増上寺の聲明と雅楽
乃木神社管絃祭

hokuto77 at 19:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本彫刻 

2017年02月19日

坂田燦の版画でめぐる 「おくのほそ道」展

(松濤美術館 〜3/19、展示替えあり)
”坂田燦(あきら)の版画でめぐる「おくのほそ道」 芭蕉の句の心象世界を表した48点を2期で” という展覧会を見た。
松濤美術館の2階展示室のみを使う(地下1階は公募展)無料の小規模展だが、松尾芭蕉の代表作 「おくのほそ道」を、
 1.禊の旅 (江戸〜白河)
 2.みちのくの歌枕の旅 (〜尿前)
 3.宇宙の旅 (〜市振)
 4.人間界の旅 (〜大垣)
の4つの部分に分けて紙芝居のように説明してくれていたおかげで、久しぶりにその足跡を思いながら全行程を辿り直すことができた。

今年80歳という 坂田燦氏は、山寺での句、閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 をきっかけに1990年から 「おくのほそ道」に因む版画の制作を始め、昨年に全48点を纏めて版画集を出版されたとのことだ。
作品そのものの展示は前後期に分かれるが、会場には全貌が分かる周到な印刷物が用意されており、また 五月雨の 降りのこしてや 光堂 で有名な平泉の中尊寺金色堂を題材にした作品の製作過程が分かる展示もあった。

一番驚かされたのは 松島の作品、それは五大堂の辺りや船上から見慣れた海に浮かぶ松島の光景ではなく、かなり上空から俯瞰した風景の手前に大きな鳥が飛んでいるというものだった。
それは、曽良の 松島や 鶴に身をかれ ほととぎす を踏まえてのことらしいのだが、アップになっている鳥はツルでもホトトギスでもなく、遊覧船に乗ると群れてついてくるカモメというところにも意表を突かれた。

その他の作品では、名所旧跡に関する説明的な図柄のものよりも心象風景的な作品が面白く、尾花沢の 涼しさを 我宿にして ねまる也 は、宿に着いて涼風に吹かれひと心地ついている感じがよくわかり、月山の 雲の峯 幾つ崩て 月の山 には、次々と雲の湧く霊山の ”気” が感じられた。
一家に 遊女もねたり 萩と月 と詠まれた市振宿での一晩は、紀行全体の中でも特に芭蕉の人間味あふれる筆致が印象的な部分だが、ここでの遊女の後ろ姿にも翌朝の苦い思いがよく出ていた。

金沢の 塚も動け 我泣声は 秋の風 からは、親しい人を失った慟哭の声が聞こえてくるようで、確かに旅も終盤になっていくと、人との別れや自らの老いへと意識が向いていっていることに、今回あらためて気づかされた。
連作の最後は、「おくのほそ道」の中のものではないが芭蕉最後の句とされる 旅に病で 夢は枯野を かけ廻る、その秋風が吹き過ぎていくような寂しい風景は、同じく最晩年に大阪で詠まれた この道や 行く人なしに 秋の暮 をも思い出させる蕭条としたものだった。

hokuto77 at 21:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画(近現代) 

2017年02月17日

オルセーのナビ派展-2 ドニとマイヨールの女たち

(三菱一号館美術館 〜5/21)
ゴーガンとセリュジエが開拓した ”ナビ派を大衆的・商業的に成功させたのが モーリス・ドニだったと言っていいだろうか。
”2.庭の女性たち” にあった大作 「ミューズたち」(1893年)は、今風の服を着た寡黙な女たちが木立の間に集っている。
それは、普通に考えればパリの公園か邸宅の庭の情景であって、ドニが得意としたギリシャ風の舞台ではないのだが、しかしその実在性の希薄な音のない空間にいるのは、確かに芸術や学術を司るミューズ=ムーサたちといった趣だ。

その他のドニ作品では、12枚組と思われる 「若い娘の寝室装飾のためのパネル」(1891年)の中の2枚(9、10月)は、結婚祝いに相応しいメルヘンチックな世界が広がり、淡い色がいい味を出していた。
また、”愛と純潔の賛美” のために描かれたという 「鳩のいる屏風」(1896年頃)は、4曲の屏風に仕立てられて立体的になった面が、ドニが理想としたであろう夢見るような空間になっていた。

アリスティード・マイヨールの 「女性の横顔」(1896年頃)は、以前から彫刻家として知っていた名前とこの絵の雰囲気が結びつきにくかったのだが、これは確かに ”ナビ派の画家” の作品だ。
ミケランジェロの絵が彫刻的であるのとは対照的に、淡い色彩が支配する平面的・装飾的な画面には奥行きが感じられず、横向きの女性には立体感も量感もない。
しかしそれは、マイヨールがもともとは画家として出発し、目を病んで彫刻に転向したということであれば充分納得できることであり、むしろ彼の彫刻の方が絵画的というべきなのかもしれない。
そんなマイヨールの絵画は、ゴーガン(ゴーギャン)やセリュジエに始まるナビ派の本流ではないかもしれないが、美しさや優しさという点では独特の魅力を持っているので、もう少しこの路線の絵を続けてくれていたらなどと思った。

ここには他に ルーセル、ヴュイヤール、そして ボナールの絵が多く登場していたが、ナビ派=預言者という観点から見るとやや弱い感じは否めない。
それはけっして絵そのものの良し悪しを言っているつもりではないのだが、セリュジエの 「タリスマン」を原点とした前衛的なグループの活動としては、そして ”絵画とは、本質的に、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面である”という理念への貢献度という点で、甘さが残るように思われる・・・

そういえば、本展のチラシには ”はじめまして、ナビ派です。” というキャッチコピーがあり、ナビ派に関する日本で初めての本格的な展覧会と説明されているが、記憶が正しければ1980年代に伊勢丹美術館で ”ポン=タヴェン派とナビ派” という展覧会があった。
ここでも ポン=タヴェンか ポン=タヴァンかが悩ましいが、セリュジエや ドニという名もそこで知ったように思う。
当時の ”ポン=タヴェン派とナビ派” 展がどのくらい ”ナビ派” ならざるものを含んでいたのかは分からないけれど、まあ四半世紀以上も前のことなので、全てが記憶違いかもしれない。


>モーリス・ドニ (2011、損保ジャパン)
   神話的世界と現実世界 家族の肖像から象徴的世界へ
>ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち (2015、汐留ミュージアム)
   ゴーギャン セリュジエ ラコンブ ドニ

hokuto77 at 22:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0)西洋絵画(近代) 

2017年02月16日

能 「葵上」-2 生霊自らが求めた救済

能 「葵上」で生霊として登場する 六条御息所は、もともとは身分も教養も高い女性なので、曲の前半では品位を保ち抑制的な人物として描かれている。
しかし、徐々に病に伏せる 葵の上=舞台上の小袖を掴んだり打ち据えようとしたりと激しい気性を見せるようになり、前場の最後には 「なほも思ひは真澄鏡、その面影も恥かしや、枕に立てる破車、うち乗せ隠れ行かうよ」と言って去っていく。

ここは、解説によれば、御息所が葵上の魂を車に乗せて連れて行こうとしているということなのだが、しかし、この時点ではシテ=御息所の生霊は橋掛かりの途中にいて、既に舞台中央の葵上とはかなり離れてしまっていた。
つまり、葵上への攻撃はもっと前に終わっていて、周囲の制止も功を奏したのか多少落ち着きを見せていたところからも、実際に葵上(の魂)を強引に連れていこうとしている場面のようには見えなかった。
そうなると、破れ車に 「うち乗せ隠れ行かう」としている対象は葵上ではなく、また詞章でもこのあたりは自分のことを主に語っているように読めるので、乗せていくのは自分自身の悩める心であって、御息所の生霊が自らの思いとともに去って行こうとしている場面なのではないかと思われた。

後場に入ると、ワキ=横川の僧都による 加持祈祷が中心となる。
この 加持祈祷なるものが実際にはどのように行われるのかが、高校の古文の時間からずっと疑問だったのだが、ここでそれが 五大明王(降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉、不動明王)の各尊名と、不動明王の真言(ノウマク サンマンダ・・・)を唱えるものだということが分かった。
といってもおそらくこれはエッセンス部分を取り出したものであって、本来の祈祷はもっと複雑かつ長大かと思われるけれど、最後のクライマックスというか決め所はこのようなものなのだろう。

ともあれ、それは導師が依頼人の前で目に見えぬ怨霊に向かって発する言葉であるはずで、その流れでいけば舞台で唱えるのはワキ=横川の僧都かと思いきや、実際にここで主導権をとっていたのはシテ=生霊の方だった。
もっとも最初のきっかけを作っているのは呼ばれてやって来たワキなのだが、その後は数珠を鳴らしてひたすら祈るのみの役回りとなり、五大明王を呼び出す肝心の場面で尊名を唱えていたのは、シテと地謡の掛け合いだ。
こういう場合は、地謡はシテに呼応する心の声のように聞こえるので、シテこそが祈祷場面の主体であり、つまりはワキが生霊と対決しているのではなく、生霊となった御息所自身が自ら救いを求めているようだった。

この部分の詞章を見ると、シテの 「やらやら恐ろしの般若声や」に続き、地謡の 「これまでぞ怨霊この後またも来たるまじ、読誦の声を聞くときは、読誦の声を聞くときは、悪鬼心を和らげ、忍辱慈悲の姿にて、菩薩もここに来迎す、成仏得脱の、身となり行くぞ有難き、身となり行くぞ有難き」で閉じられている。
こうした、最終的には御息所の心が和らぎ成仏するという結末は、生霊の恨みは正当なものか、という前回ふれた思いに対応するものとして、迷える御息所の魂自体が救済を求めた結果辿りついたものとみていいのではないか。

実際に最後の場面の舞は、それまでの戦闘モードから一転して明るくのびやかなものになっていて、吹っ切れたように晴れ晴れとした心の表れと見えた。
六条御息所自身が悩んでいた、それが、いきさつはどうあれ祈祷の力で解決され、迷いの域から脱することができた、本曲はそんな自己浄化の悦びを体現したものであるように思われた。

hokuto77 at 20:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年02月15日

Index Oct.-Dec., 2016

風景との対話 (損保ジャパン日本興亜美術館) 
小田野直武と秋田蘭画 (サントリー美術館) 
円山応挙 (根津美術館) 
篠山紀信 「快楽の館」 (原美術館) 
ゴッホとゴーギャン (東京都美術館) 
アレシンスキー (ザ・ミュージアム) 
デトロイト美術館展 (上野の森美術館)) 
クラーナハ (国立西洋美術館) 
カリエール (損保ジャパン) 
白隠さんと出会う (龍雲寺) 
禅―心をかたちに― (東京国立博物館) 
大仙囘検 塀亳美術館) 
白隠とその会下 (早稲田大学會津八一記念博物館) 
ペール北山の夢 (2016、東京ステーションギャラリー) 
ボルタンスキー さざめく亡霊たち (庭園美術館) 
櫟野寺の大観音とみほとけたち (東京国立博物館) 
願成就院 
ヒエロニムス・ボス紀行 番外

増上寺の聲明と雅楽 
イェルク・デムスと小林研一郎、読響 
イェルク・デムス ピアノ・リサイタル 
ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞 
乃木神社管絃祭 
音楽の花束 芝崎久美子メモリアル 
メータ、ウィーン・フィルの「第九」リハーサル 
西山まりえの歴女楽〜細川ガラシャ 

2016年のベストスリー 

hokuto77 at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)Index 【記事一覧】 

2017年02月14日

マティスとルオー展-3 抵抗と祖国愛の女神

(汐留ミュージアム 〜3/26)
”第3章 出版人テリアードと占領期” では、ナチスによるパリ占領の時期に芸術誌 『ヴェルヴ』を発行し、困難な時代にも関わらず芸術家たちに発表の場を与えた気骨の出版人 テリアードに光があてられる。
ここには ルオーの 「気晴らし」のための原画全15点が展示されていたが、こちらは、同じ連作ながら先の 「悪の華」と比べると、肩に力が入らない自由さが感じられた。
「気晴らし」らしい自発性が強いように見えるのは、ボードレールという名前や文学との関連というプレッシャーがなかったということもあると思うが、アイロニーも程よく含まれた自然体の連作が生まれたのには、テリアードのプロデューサーとしての力も大きかったのだろう。

ここにはルオーとマティスの二人が表紙を描いた 『ヴェルヴ』誌の現物が7冊展示されていて、戦時下のパリにおける芸術の力というようなものを感じさせられた。

マティスの 「ラ・フランス」(1939、ひろしま美術館)、この赤い服を着て肘掛椅子に座る女性を真正面から捉えた絵は馴染みのあるものだが、これがナチスの侵攻に対する抵抗の絵として 『ヴェルヴ』誌に掲載されたものだというのは初めて知った。
率直なところ、この作品がフランスを象徴しているということは万人にすぐ分かるほど明白ではないように思うけれど、この女性が、というよりはこの豊かな色彩が、自由や美、明るさといった価値を体現し、シンメトリーの画面の安定感が、動じない心、不屈の精神といったものを感じさせたのだろうと推測することはできる。
そしてまた率直に、マティスは政治的・社会的なことに関心を向けるタイプの人物ではないような印象があったのだが、しかしナチスの脅威を目の当たりにすればフランスの滅亡すらも覚悟せねばならない、そんな危機的状況の下では芸術一筋ではいられず、祖国への愛を形にしてフランスの理念や歴史に対する誇りを取り戻そうとしたということだったに違いない。

ルオーも、同じ『ヴェルヴ』第8号にジャンヌ・ダルクを題材にした作品を掲載して戦線に加わった。
展示されていた 「聖ジャンヌ・ダルク(古い町外れ)」(1951年 個人蔵(ジョルジュ・ルオー財団協力)はその掲載作品とは違うもののようだが、歴史上の救国の聖女を扱った分だけ、より直截的・具体的に愛国心と抵抗姿勢を示したものと言えるのではないか。
しかし、それならば是非その 『ヴェルヴ』誌に掲載された作品を見てみたいと思うし、第8号の現物がそこにあるのだから、せめて該当ページの写真くらい展示してもよかったのではないか。


ところで、”マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密―” の 手紙の部分だが、展示されているものを見る限り、互いに尊重し合った良い関係が続いていたことは伺えるものの、親密で率直な心の通い合いというよりは、当たり障りのないやりとりを続けていたという印象が強い。
もちろん、そうした節度ある大人の関係だったからこそ、芸術家同士で半世紀も続いたということもあろうが、期待していたほどのドラマティックな展開とか、赤裸々な心情の吐露といったものは見当たらなかった。
そんな中で、ルオーがマティスに ”君の 「黒は色である」 の言葉を出発点にしようと思う” と書き送り、マティスが ”あれほど 「黒」 に巧みな君こそこの展覧会に参加すべきだ” と返すあたりには、この二人ならではの肉声が聞こえるようだった。

hokuto77 at 20:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2017年02月12日

能 「葵上」-1 源氏物語の因縁と怨みの行く末

光源氏の正妻である女性の名を標題に持ち、彼女を呪う六条御息所の生霊がシテとなる 能 「葵上」(あおいのうえ)を見た。(2017年2月11日、国立能楽堂 金剛流 今井 清隆ほか)
源氏物語「葵」の帖の該当場面を普通に考えれば、物の怪となって表れる 六条御息所と、それによって苦しむ 葵上との攻防が見どころとなりそうなところだが、ここでの葵上は病に伏せる姿が舞台に置かれた小袖で表現されるのみなので、それだけでもいかにも能らしい象徴性の高い演出と言える。

舞台に囃子方や地謡が揃ったところで、後見がその小袖を正先に広げて置き、次いで 照日の巫女(ツレ)が無言で入ってきて舞台を横切りワキの位置に坐る。
そのあたりについてももちろん何の説明もなく、そもそも、源氏物語の中における人間関係や、本場面の重要な伏線となっている 「車争い」についても、その経緯が語られるわけでもない。
それでも、「三つの車に法の道」とか、「破れ車に召されたる」といった台詞で車をめぐる因縁を想起させ、朝顔や早蕨といった言葉を散りばめて過去の栄光を語ることによって、源氏の物語世界に徐々に導いていくようになっているわけだが、そのような手法によって見る者にスクリーニングをかけているような感じがしないでもなかった。

ともあれ、話は六条御息所の 生霊の悩める姿を軸に進んでいく。
しかし、源氏の寵愛を奪われ、車の場所取り争いで敗れ、お忍びがばれて恥もかかされ、それに加えて葵上が子を授かって幸せになろうなどとは許せない、という御息所の怨みは、心情としては理解できるとしても、それを葵上個人に向けるというのは正当なものだろうか。
葵上の方に悪意がないのはもちろん、自分でコントロールできる範囲は明らかに超えているし、さらに言えば葵上自身も源氏に本当に愛されていたわけではない。
もっとも結果としては、この後に体調を崩した葵上に対し源氏が初めて心のこもった言葉をかける場面が来るので、御息所の恨みが裏目に出て成就したと言えなくもないのだが、この襲来の時点では、葵上への嫉妬を抑えきれない御息所も、物の怪に苦しむ葵上も、その双方ともにお気の毒だとしか言いようがない。

源氏物語に登場する夥しい女たちは、みなそれぞれに悩み多き人生を歩んでいると言ってもいいと思うけれど、その中でも、物の怪になって害悪をまき散らすのは 六条御息所ただ一人だ。
そして、その人が物語中でも屈指の身分や教養を備えた人物だったところに、時代を超えた作者の人間観察の慧眼を感じないわけにはいかない。
源氏は来てくれない、正妻の出産は近いらしい、それでも賀茂祭でその姿を垣間見ることができれば心を決めて静かに伊勢に下ったものを、不幸な偶然が重なったせいで屈辱を抱え、どうにも気持ちの整理がつかないことになってしまった・・・
それが真っ当な怨みとは言えないとしても、逆恨みというほど不当なわけでもない、そんな鬱屈にどう整理をつけたらいいのか、だから物の怪として呪うことになったけれど、それもけっして本意ではない、そのあたりが、本曲の最後で御息所の生霊が無事成仏できるという意外な結末への伏線ということになるだろうか。

hokuto77 at 21:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年02月10日

オルセーのナビ派展-1 ゴーガンとセリュジエの革命

(三菱一号館美術館 〜5/21)
オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき” は、まずその方向性を決めたとされる ”1.ゴーガンの革命” の章から始まる。
ここには先ごろ ゴーガン(ゴーギャン)のベストテンにも選んだ 「《黄色いキリスト》 のある自画像」(1890-91年)が来ていた。
黄色いキリスト像と茶色い顔に挟まれた画家の険しい表情は、信仰と野生の狭間で悩める人間の、のっぴきならない状況をよく表している。眠るような ”信仰” がナイーヴに見えるのに対し、ふてぶてしいほどの ”野生” の方には迷いがない。そんな二つの価値観の中で引き裂かれる人間の、これは普遍的な心象風景なのだろう。
ところで(正確なところは分からないが)この画家は、昔は ゴーガンと呼ばれることが多かったのに最近は ゴーギャンの表記が優勢になってきていたように思うのだが、ここでまた ゴーガンに戻るほど元の発音は微妙なのだろうか・・・

次の部屋には ポール・セリュジエの 「タリスマン (護符)、愛の森を流れるアヴェン川」(1888年)、ナビ派を語るにあたりこの2枚が揃うことの意義はやはり絶大だ。
これまでに何度かふれた作品だが、あらためて少し遠くから見れば、これは紛うかたなき川辺の風景にほかならない。しかしそれはけっして写生画ではなく、近付くにつれて形は溶解し幾つかの色面で構成された絵画になっていく。
ゴーガンの指導のもとに感じるままの色を大胆に置いていったとされるこの作品は、小さいけれどナビ派にとって記念碑的な成果としての地位は揺るがない。しかし、ゴーガン自身はここまで抽象に接近した作品は残さず、この前も後もモノの形に捉われていた、というか、少なくともここまできっぱりと対象から離れることはなかった。

この 「護符」が描かれた1888年といえば、ゴッホの耳切り事件があった年だ。
この年の秋、ゴーガンは セリュジエに啓示を与えた後にゴッホのいるアルルを訪ね、2年後に上記の自画像を描き、そしてタヒチへと旅立っていった。
そうした経緯を考えると、88年の段階でゴーガンの中に ”ナビ派” 的な方向性が確立していたとは言えず、ゴーガンの指導がきっかけだったとはいえ、セリュジエこそが本当の創始者ということになるのではないか。

「護符」の5年後の作品となる セリュジエの 「にわか雨」(1893年)には、街角で雨に降られ傘をさして急ぐ女が描かれている。糸を引くようなその斜線で表現された雨、長い服の裾を翻していく女といったあたりには浮世絵の影響が感じられるが、そこに降っているのはパリの雨ではなく(もちろん江戸の雨でもなく)、ブルターニュの重く冷たい雨だ。
ともあれ、実景を描きながら二次元の平面性が強調されているところはナビ派のエースならではであり、ほぼ同時期にブルターニュの女たちを描いたベルナールが三次元性にこだわりを見せているのとは対照的に、セリュジエにはもう迷いはなかったということなのだろう。


>ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち (2015、汐留ミュージアム)
   ゴーギャン セリュジエ ラコンブ ドニ

hokuto77 at 20:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(近代) 

2017年02月08日

ゴッホとゴーギャン-6 ゴッホ、私のベストテン

(東京都美術館 12/18終了、名古屋へ巡回)
ゴーギャンはほぼ年代順に選んでみたけれど、ヴィンセント・ファン・ゴッホの場合は極めて恣意的なアプローチで行きたい。

私にとってのゴッホは、まずは夜景だ。 
1.夜のカフェテラス (1888年、クレラー=ミュラー美術館)
青と黄の対比が実に鮮やか。眩しい照明が石畳の道にこぼれるカフェテラスは、1日の終わりである夜の時間を楽しく生きることの根源的な意味を教えてくれる。
2.ローヌ川の星月夜(星降る夜) (1888年、オルセー美術館)
こちらはもう少し広々とした場所で川辺から橋を眺めている。月と星と街灯が川面に映り幻想的な光のまたたきとなっている光景はこの世のものとも思えない。
3.星月夜 (1889年、MoMA)
ここに描かれているのは夜空だけではない。地球の、いや宇宙の鼓動と回転が確かな実在感をもって伝わってくる稀有な絵だ。

次はアルルらしい光の充溢する3点。
4.アルルのゴッホの寝室 (1888年、ゴッホ美術館)
パリからアルルに移りゴーギャンを待つ、それはゴッホにとっての人生のピークに向かう時期であり高揚感もあったのだろう。理想を実現しようとする日々、しかし画面は歪んでいる。
5.ラ・クロの収穫 (1888年、ゴッホ美術館)
一見平凡ながら、ここには南仏の眩しい光とともに生きる喜び、充実感がストレートに表現されている。
6.ひまわり (1888年、?)
ゴッホを代表するテーマでありこのリストから外せないが、何点もあるうちのどれがいいのか分からない。見た回数にもよるのかどうか、いつの間にか新宿の高層ビルにある作品が基準になりつつある。

耳切り事件以降、精神を病んで行く時期の作品には一層の深まりが感じられる。
7.刑務所の中庭 (1890年、プーシキン美術館)
狭い空間をひたすら歩く囚人たち、彼らは結局あなたであり私であり、人類の姿でもある。人間の業というものを思わずにはいられない。
8.オーヴェールの教会 (1890年、オルセー美術館)
精神のバランスが崩れていく、その過程がそのまま形になったような作品だ。この時期の作品として、サン=レミの療養院の庭(クレラー=ミュラー)、オーヴェールの家々(ボストン)、オーヴェールの家(フィリップス・コレクション)も甲乙付け難い。
9.鴉の群れ飛ぶ麦畑(烏のいる麦畑) (1890年、ゴッホ美術館)
なんとも壮絶な、ゴッホという魂が辿り着いた究極の世界。

ここまで、伝記もバランスも顧みず ”魂に迫ってくる絵” という視点で9点を選んだ結果、”夜” と ”狂気”、そして1988年に偏ってしまった。
それは承知の上で、最後の1枚はどうしよう。
オランダ時代の「馬鈴薯を食べる人たち」(1885、ゴッホ美術館)、ミレーや浮世絵に取材した作品、パリ時代の明るい風景などもゴッホという画家を語る上で重要なマイルストーンに違いないが、作品としての魅力はやや見劣りがする。
「薔薇」(ワシントンNG)もいいがベストテンには及ばない。
やはり最後は「自画像」だろうか、1点に絞るなら希望に満ち生気あふれる「暗色のフェルト帽を被った自画像」(1887、ゴッホ美術館)になるが、それよりはやはり明るい風景がいい。

10.アルルのはね橋(ラングロワの橋) (1888年、クレラー・ミュラー)
小学生だった私がゴッホといわず西洋美術の中で最初に好きになった絵だということもあるが、何よりもここには希望があり悦びがある。


>ゴッホとゴーギャン (2016、東京都美術館) 
>ゴッホ展 (2010、国立新美術館) 


<ベストテン・シリーズ>
ボスブリューゲルクラーナハレンブラントフェルメールゴーギャンムンク
牧谿宗達白隠蕪村若冲応挙

hokuto77 at 21:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(近代) 

2017年02月06日

願成就院-3 毘沙門天立像、宝物館と古跡

願成就院のご本尊 阿弥陀如来坐像の向って右に立つ 「毘沙門天立像」(国宝、1186年)は、対となる左の 不動明王以上に人間らしい、自然な立ち姿だった。
その姿勢にはまったく無理がなく、意志の強そうな顔つきを見ると、誰かはっきりしたモデルがいる彫刻という感を強くする。
戦闘モードに入っているわけではないが、力を内に秘めた姿勢をとり、口をきりりと結び、眼光は鋭く、どこにもスキがみられない姿でその任に当たっている。
それは鎌倉武士そのものを表現したものか、彼らに受け容れられやすい造形を追究してみたということなのか、いずれにせよ超越した存在ではない極めて人間らしい彫刻として、不動明王とともに 運慶という仏師の特性をよく示すものだろう。

ほぼ同時期ながら若干遅れて制作されたと考えられる 浄楽寺の像を思い出しながら比較してみると、浄楽寺の 不動明王は天地眼や牙上下出を取り入れて伝統的なスタイルに戻り、毘沙門天では右腕右足に決めポーズをとっているような動きがみられるので、やはり ”自然体” こそが願成就院の二像の特色ということになる。
と同時に、肌合いは光沢が感じられるほど実に滑らかで、鎧や甲冑も丁寧に造り込まれており、若い頃の取り組み姿勢がよく分かる作品でもある。

本堂裏手には宝物館があって、毘沙門天と不動明王及び二童子の4体から出てきたという 胎内銘札が展示されていた。
五輪塔型の木片には 運慶と発注者 時政の名があり、文治2年(1186年)という年号も見える。
通常は誰の目に触れることもなく終わってしまいそうなところに、それでも名前とともに制作にかかる記録を残しておいたのも運慶の深謀遠慮だっただろうか。
もしこの銘札がなければ、これらの像が運慶作品と断定されることも、そして国宝指定を受けることも、多分なかった・・・

正面右側には 「北条政子地蔵尊」という像があり、七回忌の供養に三代執権泰時が奉納したといった経緯が説明されていたので、その剃髪された僧形の端正なお顔は、”尼将軍” と呼ばれた政子の風貌を伝えているのだろう。
一方その左の 「北条時政像」は素人くさいユーモラスなものだったが、時政の生前に奉納されたということであれば、鎌倉幕府の礎を築いた人物の豪放な性格をそのままに表しているのだろうか。

ここには周辺を発掘調査した際の記録や埋蔵品の展示があり、本堂右側にあった模型も併せて見ると、この願成就院は 平泉の 毛越寺や 金沢文庫の 称名寺のように、堂前に大きな池の広がる 浄土式庭園を持つ大寺院だったようで、広大な敷地には時政の館や頼朝の館もあったらしい。
その頼朝の館というのはもちろん政子の婿となってからのものだろうが、配流先となっていた蛭ヶ小島も近く、すぐ西側の急峻な山腹には頼朝挙兵の地となった守山八幡宮もあった。

まさに鎌倉幕府のルーツとなった地であるわけだが、それにしても配流になった頼朝を監視すべき立場の 時政が、娘の政子の後を追いかけるように支援する側になった時点で、いったいどこまでの展望があったのだろう。
そして、この5体の仏像を 運慶が引き受けて着手した1186年は、その前年に壇ノ浦の合戦で平家が敗北したとはいえ、未だ頼朝が完全に実権を掌握したとは言い難く、義経が平泉の全面支援を受けたり京の朝廷や寺社勢力が暗躍するといったことがあれば、もう一波乱あった可能性も否定できないだろう。
そんな中で本像の制作に取り組み、新政権のナンバーツーとして幕府の屋台骨を支えた北条時政の信頼を獲得し、奥州征伐後に繁栄する鎌倉のニーズを引き受ける体制をいち早く固めたところにも、希代の天才 運慶の慧眼があった・・・

hokuto77 at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本彫刻 

2017年02月04日

ティツィアーノとヴェネツィア派展-1 曙光

(東京都美術館 〜4/2)
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-90頃- 1576)を中心に、彼の親方ベッリーニの世代から次の世代までをカバーする展覧会。
一般的にはティツィアーノに代表される明るく大胆な色彩と自由でのびやかな筆触が特徴といわれる ヴェネツィア派だが、昨秋に国立新美術館で開かれた ”ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち” 展 でもそうだったように、そこへ至る道の方が私には面白い。
ヴェネツィアの航空写真と鳥瞰図から始まる ”第1章 ヴェネツィア、もう一つのルネサンス” は、やわらかく弧を描く壁面に、そうした ティツィアーノの色に染まる前のヴァネツィアの絵画が並んでいた。

バルトロメオ・ヴィヴァリーニの 「聖母子」(1465年頃、ヴェネツィア、コッレール美術館)はその中でも特に古風なもので、ビザンチン様式の影響が濃厚な金地の画面はイコンのような厳粛さだ。
そこにいるマリアが憂い顔なのはさほど珍しいことではないが、幼子イエスもここでは憂愁に閉ざされたうつろな表情で立っている。
その小さな足が母マリアの膝をしっかり踏まえず宙に浮いたように見えるのは、意図的なものではないと思うけれどイエスの将来の危うさや儚さを暗示しているように感じられた。

ジョヴァンニ・ベッリーニの 「聖母子(フリッツォーニの聖母)」(1470年頃、同)は、2012年のヴェネツィア展(江戸東京博物館)にも来日したものだろうか、青空をバックに聡明そうな顔を見せているマリアの爽やかさは、周囲にある聖母子像の中でも際立っている。
目が覚めるように明るい画面の中でイエスはちょっとお疲れの気配だけれど、マリアはしっかりとした知的な表情をしており、おそらくは特定の人物を再現したものか、聖書の中の聖母というよりはリアルタイムで実在する女性のように見えた。

しばらく小さめの板絵による聖画が続いた後、 マレスカルコ(本名 ジョヴァンニ・ボンコンシリオ)の 「田園の奏楽」(1520-25年、ヴィチェンツァ、キエリカーティ宮絵画館)にはアルカディアの風景が広がり、3人のミューズがヴィオール、リュート、リコーダーを演奏している。
その穏やかで抒情的な作風は、今回の ”ヴェネツィア派展” におけるジョルジョーネの不在をほんの少しだけ埋め合わせてくれるようだった。


<ヴェネツィア関連過去記事>
ヴェネツィア絵画のきらめき (2007、ザ・ミュージアム):
   ベッリーニ工房の聖母子 ティツィアーノのサロメ ジョルジョーネ?とベッラ
ヴェネツィア展 (2012、江戸東京博物館):
   カルパッチョの「二人の貴婦人」 アドリア海の女王の出自 共和国の繁栄と斜陽、ロンギ
   ベッリーニ、カルパッチョ 雨の夜の奇跡 町の命の長さについて
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち (2016、国立新美術館):
   クリヴェッリ ベッリーニ ティツィアーノ バッサーノ 肖像、次世代へ

hokuto77 at 20:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2017年02月02日

岩佐又兵衛と源氏絵-2 源氏の物語世界

(出光美術館 〜2/5)
今回の ”開館50周年記念 岩佐又兵衛と源氏絵― 〈古典〉への挑戦” は、以下のようなの章立てになっていた。
 1.〈古典〉をきわめる ―やまと絵の本流による源氏絵
 2.ひとつの情景に創意をこらす ―又兵衛の源氏絵の新しい試み
 3.さまざまな〈古典〉を描く ―又兵衛の多彩な画業
 4.単一場面から複数場面へ ―又兵衛の〈型〉とその組み合わせ
 5.物語のながめ ―いわゆる54帖屏風にみる〈古典〉と創造
 6.江戸への展開 ―又兵衛が浮世絵師に残したもの

このうち、前回岩佐又兵衛の筆の冴えが楽しめる第2、3章を中心にふれたが、もうひとつのテーマである 源氏物語は、第1章の 土佐光吉筆 「源氏物語画帖(花宴)」(1613頃、京都国立博物館蔵)に始まり、後半に向かって規模が拡大していく。

”4.単一場面から複数場面へ ―又兵衛の〈型〉とその組み合わせ” では、ひとつの情景に創意をこらした又兵衛の持ち味とは逆に、複数の場面をコマ割でひとつの屏風に仕立てたものが工房で量産されたことが示されていた。
確かに、「野々宮図」において 又兵衛がクライマックスをずらして切り取ったシーンは、嵯峨野を訪れた源氏の心象風景としては面白いものになったけれど、六条御息所との対面という 「賢木」の帖の主要場面の説明にはなっていない。
だから工房での仕事として修正が加えられたのもやむを得ないかとは思うが、こうした話の分かりやすさと引き換えに、絵は類型的で平板なものになっていく・・・

思えば 「源氏物語図屏風」は、絵画作品と言うよりはちょっと気の利いたインテリアであって、芸術性よりも説明的・教育的効果の方が求められたのであろう。
その行き着いた先が ”5.物語のながめ ―いわゆる54帖屏風にみる〈古典〉と創造” にあった、全54帖を網羅した伝 土佐光吉岩佐勝友の 「源氏物語図屏風」ということになる。
といっても素養のない者には何が描いてあるのか容易には分からないのだが、今回は各場面を紙芝居のように解説するコーナーがあって、おかげでほとんど頭の中から抜けかけていた物語の流れもある程度呼び戻すことができた。
各帖の説明はコンパクトによくまとまっていて、もちろんもう少し文章があった方がよく繋がったかもしれないが、展示室で立ったまま読み進めるにはこのあたりのボリュームが最適解ということになろう。
こうしたものを早く見ていれば高校の古文ももっと楽しくなったかもしれず、全体が分からないままに細部の文法や主語の探索に辟易していたことを不意に思い出した。

それにしても、源氏物語といえば登場人物が多過ぎて似たようなエピソードが重なり話が錯綜し過ぎている、といったところが率直なイメージだったのだが、実際に54帖の ”挿絵” を見ても似たような場面が多く、そこから大きな流れを感じとることは難しい。
もっとも、これは今でいえば連続ドラマのようなもので、次々と筆写されてくる話を待って読み進める身にとっては、次はどうなるというスリリングさが魅力だったであろうし、書き手もそのあたりを分かっていたからこその展開であったのだろう。

とはいえ、実際に各帖一場面の屏風に向き合ってみて、解説に頼らずにすぐ分かったのは 「5.若紫」の小柴垣、「9.葵」の車争い、「12.須磨」の嵐の場面くらい、それに 宗達の国宝屏風絵のおかげで 「14.澪標」や 「16.関谷」も近しいものになっていたけれど、それ以外の宮廷風景の判別は今の私の手には負えない。
それでも、もしもう一度読み直せば各場面が生き生きと感じられるようになるのではないかとの予感がないことはなく、それはまあ老後の楽しみの一つに取っておくことにしようかと思ったりもした。

hokuto77 at 19:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画(近現代) 

2017年01月31日

クラーナハ展-8 実見作品ベストテン

(国立西洋美術館 1/15終了、大阪に巡回)
日本初の大回顧展が開かれたのを機に、ルカス・クラーナハ (ルーカス・クラナッハ)のベストテンを選んでおきたい。

1.イヴ (アントウェルペン(アントワープ)王立美術館)
クラーナハといえば冷徹な女、妖艶な女が主流を占める中で、何の飾りも付けず透明な布も持たずに、夢見るような表情を見せているこの清純派女性をトップに推したい。

2.ヴィーナス (1532年 シュテーデル美術館、フランクフルト)
この、クラーナハにしか描けない ”裸の貴婦人” には最大限の敬意を表しつつ、それでも一位にすることを躊躇わせるものがどうしてもある。

3.ホロフェルネスの首を持つユディト (1525/30年頃 ウィーン美術史美術館)
絵の出来栄えでは最高傑作とすべきかと思うが、やはり独特の裸婦像こそがクラーナハであって、着衣の美女路線だけならここまでの名を残し得たかどうか・・・

4.正義の寓意(ユスティティア) (1537年 個人蔵)
今回のクラーナハ展までは知らなかった作品だが、間違いなく代表作に加えられるべきものだ。

5.アダムとイヴ (ライプツィヒ美術館)
この二人を描いた図としては、来日していたウィーン美術史美術館の作品も面白かったし、ご本家にはもっと知的なイブもいる。おそらくウフィツィ所蔵作品が最も有名かと思うが、私としては80年代に来日していち早くクラナッハの魅力を教えてくれたこの作品を挙げたい。

6.風景の中のヴィーナス (1529年 ルーヴル美術館)
少女のような顔と妙にリアルな背景が、例のヌードとの間で不協和音を奏でながらもなお魅力的な作品。

7.ルクレティア (1532年 ウィーン造形芸術アカデミー)
2.のヴィーナスより美形で若く健康的なプロポーションを持ち、同情を誘う劇的な場面でもあるのに、クラーナハの持ち味はどうもそこではない・・・

8.ヴィーナスとクピド (1509年 エルミタージュ美術館)
最初期の ”北のヌード” なのでクラーナハらしさはまだ出てきていないが、それでも眼を引きつけてやまない力がある絵だった。

9.不釣り合いなカップル (1530/40年頃 ウィーン美術史美術館)
これはヴァリエーションが多く並べて見ないとどれが決定版かわからないが、クラーナハの発見した貴重な図像には違いない。

10.マルティン・ルターの肖像
これも、どれか1点ではなく作品群として挙げさせてもらう。

次点としては 「若返りの泉」、既視感の強い作品だがベルリンには行っていないので、来日してなければ見たのは工房作か模作かもしれないし、絵として特に優れているというわけではないけれど、こんな伝説をもっともらしく視覚化してくれた功績は小さくないと思う。

以上、できるだけテーマの重複を避けて画業の全体を視野に選んできたが、絵の出来栄えや女性の魅力を優先させるなら、ウィーン美術史美術館とウフィツィ美術館の「アダムとイヴ」をランクインさせたい。
なお、実見する機会があれば上位に入る可能性がある最右翼は、ボルゲーゼ美術館の「ヴィーナスとクピド」


<クラナッハ(クラーナハ)関連記事>
>クラーナハ展 (2016、西洋美術館)
ヴィーナスルクレツィアアダムとイヴユスティティアユディトメランコリー聖母子他
>その他
洗礼者聖ヨハネ、無原罪の御宿りの聖母と幼子イエス (2014、ポルディ・ペッツォーリ美術館展)
聖エウスタキウス (2012、リヒテンシュタイン展)
マルティン・ルターの肖像、ルクレティア (2012、ベルリン国立美術館展)
洗礼者ヨハネの首を持つサロメ、聖人と寄進者のいるキリストの哀悼 (2009、THE ハプスブルク)
ユーディット、バーバラの殉教 (2007、メトロポリタン美術館)
不釣合いなカップル、ルクレツィア、聖ドロテア (2006、ウィーン美術アカデミー名品展)


<ベストテン・シリーズ>
ボスブリューゲルレンブラントフェルメールゴーギャンムンク
牧谿宗達白隠蕪村若冲応挙

hokuto77 at 21:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2017年01月29日

春日大社 千年の至宝-2 春日の曼荼羅と神々の姿

(東京国立博物館 〜3/12)
”第3章 春日信仰をめぐる美的世界” には、京の貴族たちが現地に赴いて参詣する代わりに拝礼したという 「春日宮曼荼羅が並んでいた。
これは、第1章にあった神鹿ではなく社殿を中心に据えるもので、2011年に根津美術館で開かれた ”春日の風景” 展にも出てきていた 南市町自治会蔵(重文、鎌倉時代・13世紀)が、その中では最大規模で画面も充実した標準作ということになるのだろう。
一の鳥居から参道を進んでいくと4つの本殿が並ぶ神域に達し、その先に神聖なる山や祭神をも感じることができるもので、参拝の代替という目的に合致した鳥瞰図にして概念図といえる。
その他、雲に乗る本地仏の姿が見える 石山寺蔵、興福寺南円堂の不空羂索観音と組み合わされた 徳川美術館蔵、北円堂を含む興福寺全体が下部に表された奈良国立博物館の 「春日社寺曼荼羅」、浄土曼荼羅が上部に広がる 奈良・能満院蔵の 「春日浄土曼荼羅」など、それぞれの世界観を伝える多彩なヴァリエーションが見られた。

第2会場の 「春日権現験記絵」(かすがごんげんげんきえ)には、春日大社の祭神が貴族の姿で登場していた。
徳川美術館本(江戸時代・19世紀 愛知・徳川美術館)は、第四殿に祀られる 比売神が貴女の姿で自宅まで来てくれたり、雲に乗って飛び去って行ったりする優美なもので、確かにこんな神様がいてくれたらと思わせる作品だ。
一方、紀州本(詞書:林康満筆 絵:冷泉為恭ほか、江戸時代・1845年)は 春日明神が束帯の貴人の姿で死後の世界に現れ、閻魔の裁判や地獄の責め苦の様子を案内する様子がリアルに描写されている。
地獄行きを避けたければ親孝行をしろというメッセージは、釜茹でなどの刑の場面が悲惨に描かれているからこそそれなりの説得力を持ったのかもしれず、このあたりの絵巻物は春日の神々が案外近しい存在であることを示すようで興味深かった。

ただ、本章のパネルでは、見えない神を礼拝するための ”形” が求められたことから神仏習合や本地垂迹が進んだ、といったことが説明されていたが、これはやや不正確というかむしろ誤解を招くのではないか。
もっとも、少し先の 「地蔵菩薩立像」(善円作、鎌倉時代・1240年 奈良・薬師寺)は雲に乗って片足を前に出して軽く前傾するという、確かに本地垂迹ということがあっての地蔵の姿だった。
ここには、昨年サントリー美術館の ”水 神秘のかたち”展で見た、室生寺伝来の 「春日龍珠箱」(南北朝時代・14世紀 奈良国立博物館)も出てきていた。
これは八大龍王の仮の姿を外箱、真の姿を内箱に描いて水と龍神の神秘を感じさせる興味深い品だが、2/12までは外箱、2/14からは内箱という分割展示では、その意味するところは伝わらないだろう。
今回の直接の主題ではないとはいえ、相変わらずの無神経な ”展示替え” は残念だった。

その先は 若宮の本地仏である文殊のコーナーとなり、東博所蔵の彫刻が続いていた。
文殊菩薩立像」(鎌倉時代・13世紀)は平常展で何度も見たことがあるものだが、あらためて春日大社の本地仏五尊の一体だと紹介されると、やや見方が変わってくる。
康円作で5軀一具の 「文殊菩薩騎獅像および侍者立像」(興福寺伝来、1273年)も、本館1階彫刻室の突き当りにいたときよりは少々立派に見え、5軀の関係性も緊密なものに感じられた。
それは照明や展示台の効果でもあるし、もちろん文脈ということもあるけれど、本展の絵画・彫刻全体の水準の影響もまた否定できないように思われた・・・

hokuto77 at 20:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画 | 日本彫刻

2017年01月28日

仲道郁代、”磔刑” のソナタ、闘うポロネーズ

国立新美術館 開館10周年記念ウィーク” のイベントとして行われた 仲道郁代 のロビーコンサートを聞いた。(1月27日(金)18:30、国立新美術館)

ドビュッシー: 月の光
ベートーヴェン: 月光ソナタ
シューマン: トロイメライ
リスト: 愛の夢
ショパン: 幻想即興曲
ショパン: ノクターン第20番
ショパン: 英雄ポロネーズ
(アンコール)
エルガー: 愛の挨拶

全体で1時間ほどのコンサートだったが、仲道郁代 さん自身による曲の間の解説が思いのほか深く、あらためていろいろと教えられるところの多いひと時だった。

ベートーヴェンの 「月光ソナタ」については、月光という他人の付けたタイトルとは別に、音型から見ると神や十字架、ゴルゴダの丘への歩みとの関係が考えられるという説明があり、直後の演奏では特に第3楽章の不穏な気配と劇的な展開が、いつもとは全く違うものに聞こえてきた。
また、ホロヴィッツの演奏に感動したという シューマンの 「トロイメライ」や リストの 「愛の夢」では、4度や6度の跳躍が天(天使)やあこがれを意味していることなどが語られた。

ショパンについては、「幻想即興曲」はパリのサロンで注目を集めるために技巧を凝らし、「ノクターン第20番嬰ハ短調」ではウィーンから故郷を懐かしみ、そして儀式で隊列の行進に使われる舞曲のリズムを持つ 「英雄ポロネーズ」は、自分は遠く離れていても故国ポーランドのために戦う人々の戦列に加わるような思いで書いたということだった。
そのおかげで、何度も聴いて耳に慣れていた曲が初めてかと思うくらい新鮮に響き、ショパンの肉声のように切実なものとして感じられた。

美術館の吹き抜けホールというやや騒がしい環境はお気の毒な感じもしたが、そんな悪条件をものともしない、充実した中身の濃い演奏会だった。

hokuto77 at 19:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年01月27日

岩佐又兵衛と源氏絵-1 感情表現の試み

(出光美術館 〜2/5)
開館50周年記念 岩佐又兵衛と源氏絵― 〈古典〉への挑戦” は、この美術館ならではの独特の切り口と丁寧な解説によって、あらためて源氏物語の世界へと誘ってくれる企画だった。
その核となるのは、岩佐又兵衛(1578-1650)が一枚の画面にひとつの情景だけを描いたというところに着目した ”2.ひとつの情景に創意をこらす ―又兵衛の源氏絵の新しい試み” だろう。

源氏物語 野々宮図(岩佐又兵衛筆、17世紀、出光美術館、以下同じ場合は省略)は、”はるけき野辺を分け入り給より”、と源氏が六条御息所のいる野々宮を訪ね、かつての愛人と久しぶりの再会を果たそうとする場面なのだが、しかしそこに高揚感や色艶の香りは感じられない。
くぐろうとする鳥居の幣や足元の秋草は松風になびき、その風は男の心の中をも吹き過ぎているようだ。
心ときめかしたこともあった女なのに今はそれもない、しかし遠くへ行ってしまう前に一度は会わねばならない、それは半ば義務のようなものでもあるのだが、でもそれだけで来たわけではない。
もちろん会いたい気持ちがないわけではないのだが、ではいったい何を話せばいいのか、はたして心が通い合うような会話が成立するのか、そんな思いがここまでの経緯とともに頭の中を駆け巡り、男はしばし立ち止まって静かに心を調えようとしている。

この場面を含む第10帖 「賢木」(さかき)は、普通はこの後の六条御息所との場面が取り上げられることが多いのだが、又兵衛はその少し前の時点に注目し、そこへ向かおうとする源氏の姿のみを描いている。
もう一点、これに連なる場面とされる 「官女観菊図」(山種美術館蔵、写真で展示)は、六条御息所が娘を伴って伊勢に向かう車に乗り込むところだという。
都を離れ二度と戻ってくることはないかもしれない寂しい旅立ち、だがそれは、源氏が既に退出したあとの、本筋ではさほど重視される場面ではない。

ではこの間にある、榊(さかき)を使った六条御息所との邂逅の場面を又兵衛が描くことはなかったのか、という疑問に答えるように、この2枚は、かつては 金谷屏風(金屋屏風)の中に含まれていたという解説パネルがあった。
しかしこの六曲一双屏風のかつての写真を見れば、両端を龍虎図が挟み、「野々宮図」は右から3枚目、「官女観菊図」は左から2枚目が ”居場所” となっていて、その間には伊勢物語や老子の図があるという支離滅裂なものだ。
だから分解して一枚ずつ掛軸にしたというのも暴挙とは言えず、むしろ屏風自体がもともと寄せ集めとして仕立てられた可能性が高いのであれば、又兵衛の「賢木」関係図がこの2枚だけだったかどうかは結局のところよく分からない。

ともあれ、この 「野々宮図」は、クライマックスから少しずらした一場面にフォーカスしたことによって、見る者の想像力を掻き立て余韻を感じさせる作品になったといえるのだが、これは ”能” の手法と似ていないだろうか。
能も、事件の中心場面や経緯をそのまま再現することは稀で、その中の一部をとり上げてふくらませたり後日談という形で回想されることが多いだろう。
又兵衛の 「野々宮図」も、源氏物語の場面を親切に説明したとは言い難いにしても、人間の感情をより細やかに描き出すことには成功した。

もう少し小さな作品になるが、和漢故事説話図(福井県立美術館蔵)の 「須磨」では、荒れる海を前に蕭然と立つ源氏の姿に、不本意な流謫の身の悲哀を滲ませている。
また、秋の野で無邪気に遊ぶ鹿を見遣る 「夕霧」、揺れる小舟で宇治川を渡る 「浮舟」にも、そのときの気持ちに寄り添おうとする視線が感じられた。
これらは、第4章に展示されていた 宗達の 「源氏物語図屏風残闕」が構図の緊密さや色彩の効果で見栄えのするシーンを作り上げたのとは対照的なアプローチで、源氏世界を王朝文学の古典というよりは現在進行形の人間ドラマとして表現したものと言えると思う。

こうした 岩佐又兵衛の持ち味は、源氏物語以外の作品にも見られた。
第3章の 「四季耕作図屏風」ではおどろおどろしい樹木に眼が行きがちだけれど、農作業に勤しむ人々の多様な姿が生き生きと描かれて収穫の喜びなどが感じられ、「瀟湘八景図巻」でも江天暮雪図の場面で驢馬に乗る人物に強力な磁場が発生しているようだった。

伊勢物語 くたかけ図」は、一晩を共にした男が興醒めて早々と女の許を退去しようとするところを、女は ”くたかけ”=鶏が早く啼いたからなのだと思い見送るという場面の図。
そのすれ違う心は何とも情けないものだが、なぜ鶏のせいでこんなことが起きるのか、こうした場面を見るたびに実のところ釈然としなかった。
しかし考えてみれば、当時は鶏の声がその時点での唯一の情報なのであって、今なら時計やテレビやスマホなどで本当の時刻を容易に知ることができるが、昔はそのような再確認のしようもなかったのだろう。
空の明るさだって季節や天気で変わるし、月が出ているとも限らない、寺の鐘の音でも聞こえてくればそこで修正できるだろうが、そうした新しい情報が入ってこない限りは、誤った時間軸の中に居続けるほかはない・・・

hokuto77 at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画 

2017年01月25日

マティスとルオー展-2 風景、アンニュイな女

(汐留ミュージアム 〜3/26)
”第2章 パリ・ニース・ニューヨーク 1914年〜1944年” に入っても、旧・福島コレクションの 「曲馬団の娘たち」(1924−25)や 「大馬車(旧題:サルタンバンク)」(1931)などに ルオーの人間観察の目が見られる。
この時期、旅を重ねニースへ移っていった マティスとは対照的に、パリや北フランスに留まる ルオーの描く風景にも重い空気が漂っていた。
フランスの田舎(散歩)」(1913)だけでなく、人の姿の見えない 「ブルターニュの風景」(1915)でも、広がる海よりはそれを前にしてそこで生きている人々の厳しい生活というものを感じさせている。

一方の マティスは明るく軽やかだ。
前回も登場していた 「オリーブの並木道」(1919、パリ市立近代美術館)は、”快” を記号化した絵と言ってもいいのかどうか、なんとも名状しがたい、ホワンと広がるような優しさが感じられる作品だ。
その先の壁面には、海の見えるニースの豪奢なオテルの室内に立つ 「窓辺の女」(1920みぞえ画廊)、マティスにしてはしっかりと丁寧に描かれた 「横たわる裸婦」(1921、ポーラ美術館)、ゆったりと歌とギターを楽しむ 「室内:二人の音楽家」(1923、同)、額に手を当てて姿勢を崩す 「読書する女性」(1922、上原美術館)など、日本にマティスがこんなにあったのかと思うほどの ”幸福” な人物画が並んでいた。

デッサンや彫刻もあるこのコーナーの中で一点を挙げるなら 「肘掛椅子の裸婦」(1920、DIC川村記念美術館)になる。
”休憩中のモデル” というタイトルでもいいのではないかと思うほど自然体で脱力した裸の女が、花模様の絨毯が敷かれた部屋で無為の時間を過ごしている。
たぶんそこには地中海からの風が吹き、花の香りが漂っていて、そこで彼女は何ものにも侵されないアンニュイの時間を、楽しむという意識もないままにただ真正面から享受している。

一方の ルオー、「聖書の風景または風景(運河)」(1940-48、出光美術館)はずっしりとした重量感のある作品で、神の存在を感じさせる底光りする風景がルオーらしさをよく示していた。
同じコーナーには ユビュ王のシリーズや 「ミセレーレ」のごく一部が顔見世のように展示されていたが、この世界に深入りできないのは今回の趣旨からやむを得ないところだろう。

その代わりに ルオーが制作した ボードレール悪の華」のカラー版挿絵全12点(1936-38)が登場、ルオー芸術を彩る主人公たちが競演するような力の入ったものだった。
同じ 「悪の華」に マティスが制作した挿絵は書籍の形で展示、こちらは頁をめくっていくとシンプルな線による脱力系のデッサンが次々に現れて、戦中の1944年の作品とは思えない明るく楽天的な印象を与えるものになっていた。

hokuto77 at 20:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2017年01月22日

マリメッコ、反逆の ”花” の成功物語

(ザ・ミュージアム 〜2/12)
あの赤いケシの花を中心に、色とりどりの花が咲き乱れるお花畑のような会場を勝手に想像していた ”マリメッコ展−デザイン、ファブリック、ライフスタイル” だったが、実際には冒頭以外に花はほとんど見られず、そこには幾何学的抽象を中心にしたさまざまな模様の布やドレスが並んでいた。
1951年に アルミ・ラティアという女性が創業したという ”マリメッコ” は、例の花だけのブランドでないのはもちろん、そのイメージがメイン・ストリームというわけでもなく、むしろ、次々と個性的なデザイナーを抱え、おそらくはかなり自由に制作させることによって、一言では括りようのないほど多彩な作品を生み出してきたベンチャー企業という印象だ。
日本人の 脇阪克二による 「夢」や「 ブ ブー」などは童話的な楽しさの方向で幅を広げているように、マリメッコはさまざまな才能を持つ個性の集合体として、ひとところに留まらずに絶えず生まれ変わり続けていることが分かる展覧会だった。

世界的な名声を得たのは、J・F・ケネディの妻 ジャクリーンが着用した写真が出回ったからとのことだが、彼女が購入したというドレスの現物を見れば、深い青の一色で麻布のような縦横の線や斑点模様があったりするという程度の簡素なもので、素人目にはデザインの力というものがさほど感じられるものではなかった。
1960年代にはこれでも斬新だったのか、それともこれは、女性を家庭の主婦から解放するというマリメッコ当初のコンセプトとの関係の方がむしろ重要だったということなのだろうか。
ここはただ想像するしかないが、こうしたドレスを実際に着れば心が軽やかになり気分が華やぐといった効果があるのかもしれず、そこがボストンの女学生あたりからじわじわと広がっていった要因だったということなのかとも思ったのだが、このあたりは推測の域から出ようがない・・・

それにしても、やはりマリメッコは例の赤い花、マイヤ・イソラの 「ウニッコ」(ケシの花)でもっているというのは、グッズ売り場のバッグや食器を見れば一目瞭然だ。
ところが、1964年のこのデザインは、絶対的ボスである アルミ・ラティアが ”花柄はダメ” と反対するのを押し切って商品化したものなのだそうだ。
そう言われれば、会場全体でも花柄のものは他にほとんど見られなかったし、だから 「ウニッコ」がやや異質で浮いた感じがしたことにも得心がゆくのだが、それでも今は押しも押されもせぬマリメッコの顔となっているからなのであろう、最終章は 「ウニッコ」のヴァリエーションのオンパレードだった。

hokuto77 at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)掘り出し物など 

2017年01月20日

春日大社 千年の至宝-1 神鹿の集う杜

(東京国立博物館 〜3/12)
約20年に一度社殿の建て替えや修繕を行う 式年造替、その第60回目が昨年(2016年)実施された春日大社に関する宝物類を集めた特別展 ”春日大社 千年の至宝” を見た。
その主力は古資料展であり、目に鮮やかなものがあっても美術展よりは工芸展という印象ではあったが、いろいろな意味で ”有り難い” 展覧会には違いないし、春日大社が過去の遺産を伝えるだけでなく今も現役の文化拠点であり続けていることが感じられる展示でもあった。

”第1章 神鹿の杜” では 武甕槌命が鹿に乗って春日の地に降臨した様子を描いた 「鹿島立神影図」(かしまだちしんえいず 南北朝〜室町時代・14〜15世紀 春日大社)、その神鹿を崇められるようにした 「春日鹿曼荼羅や 「春日神鹿御正体」(南北朝時代・14世紀 京都・細見美術館)、さらには国宝の 「延喜式」や重文の 「続日本紀」などが、春日大社の来歴を語るものとして重要な展示物なのだろう。
しかし、まず眼を引かれたのは 宗達派の絵師によるという 「鹿図屛風」(江戸時代・17世紀 春日大社)だった。
6曲1双の画面いっぱいに鹿の群像が明快な線で描かれ、その幾つかは 宗達の 「鹿下絵和歌巻」を手本にしているのか、実にさまざまなポーズで生き生きと躍動している。
渋い金地の画面は褪色や剥離などの劣化が進んでいるが、そのことも却って神鹿が朧の空間に集っているような神秘性を生んでいた。

次いで目に留まったのは 本殿第二殿を再現した実物大模型、実際に拝観することができない本殿が案外大きく堅固なものであったり、その中央に吊るされた 瑠璃灯籠の青が独特な光を放つものであることも実感できた。
もっとも、本当の瑠璃珠による青、そして本朱で塗られた柱の朱がどの程度正確に再現されているのかは分からないけれど、一般人には閉ざされている神域をよりリアルに想像してみることができる展示ではあった。

”第2章 平安の正倉院” には、式年造替で新しいものに置き換えられて ”撤下” された ”古神宝” 類が並んでいた。
本章の目玉というべき 「金地螺鈿毛抜形太刀」(きんじらでんけぬきがたたち、国宝 平安時代・12世紀 春日大社)は、鞘に螺鈿で猫が雀を捕まえる様子が装飾されていたが、ここでのネコは特に高貴なものには見えないし可愛らしくもない。
稲田を荒らすスズメを害鳥として退治するというところに意義があるのかもしれないが、鹿でもなければ龍や鳳凰の類でもないので目出度い感じもしないし、このような装飾で刀のもつ象徴的な力を弱めてしまうということはないのかと気になったりもした。


<関連過去記事>
春日の風景 (2011、根津美術館)
  春日宮曼荼羅 春日権現験記絵、興福寺と神鹿
大神社展 (2013、東京国立博物館)
  幽けき謎の女神たち 古神宝と祀り、神社の風景 神社に刀があるということ
  男神・女神像の誕生と発展 神像表現の多様化と大衆化 狩野元信の絵馬を巡って

hokuto77 at 19:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画 

2017年01月18日

マティスとルオー展-1 静物、強く生きる女

(汐留ミュージアム 〜3/26)
あくまでも一般論だが、同じ展覧会でも、行く前の期待値が低いと ”案外よかった” というポジティヴな印象を持ち帰ってきて周りに薦めたりもするが、逆に事前の期待が過大だと ”それほどでもなかった” ということになりかねない。
これは企画サイドからすれば、来館者の期待の程度など知ったことではないので迷惑千万な話ということになりそうだが、しかしチラシの文句とかテレビのCMや特番などで煽ったりすることもあるわけだから全く無関係とは言えない。
では、過去に類似の企画が充実していたことによって自ずとハードルが上がるという場合はどうだろう。
この 汐留ミュージアムで2008年に開かれた ”ルオーとマティス”展は実に興味深く見せてもらったのだが、そんな古い話を持ち出してこられても、やはり迷惑というものだろうか。

さて、今回の ”マティスとルオー展 ―手紙が明かす二人の秘密―” は、約半世紀に渡って続いたという二人の間の手紙のやりとりをいわば縦軸としているが、それについてはまたふれるとして、まずは作品を(ただしコメントは何度も見ている汐留ミュージアム所蔵以外を中心にして)順に見て行こう。

”第1章 国立美術学校(エコール・デ・ボザール)からサロン・ドートンヌへ 1892年〜1913年” でまず目に留まったのは マティスの 「スヒーダムの瓶のある静物」(1896年 マティス美術館)、一見したところごく普通の静物画だが、モノクローム系の食器類を背景にした果物は中に光源があるかのように鈍く光を放っている。
その魅力的な色を見ると、確かにマティス芸術の萌芽があるように思われるのだが、ここでは、色と ”もの” の関係は常識的な範囲に収まっていて、言い換えれば、まだ色は ”もの” にひもづけられている。
しかし、その隣にある1年後の 「ベル=イルの花束」(1897、諸橋近代美術館)になると、もはや色は ”もの” の束縛を離れて自己主張を始めている。
色彩の独立と自由の獲得、それがこの2枚の絵の間で起こっている。

ルオーの目は人間に向かっている。
それも、苦しい毎日ながらも神の下でひたすら生きる人間というものを見つめ、どう描けばそれを表現できるかを突き詰めて考えている。
堕落したエヴァ」(1905、パリ市立近代美術館)は、乱雑に見える暗い画面の中に娼婦が坐っているだけで、美しいとは言い難い作品だ。
しかし、その投げやりなポーズに日々の生活の厳しさを滲ませながら、それでもそこに一生懸命に生きていこうとする力とか、そうしなければならない人間の宿命のようなものをも伝えようとしている。
聖家族を思わせる 「一家の母」(1912、泉屋博古館)という作品は、そうした生き難い世の中で拠り所となる、家族の絆とかそれがもたらすやすらぎを描きたかったもののように思われた。


>ルオーとマティス (2008、汐留ミュージアム)
 ギュスターヴ・モローのアトリエ アトリエのモデル、田園風景 人物像と風景
 サーカス キリスト教的風景 テリアードと”ヴェルヴ”誌、悪の華

hokuto77 at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2017年01月16日

白隠さんと出会う-3 失意の達磨、不退転の達磨

(龍雲寺 2016/10/21〜21)
龍雲寺所蔵の 白隠禅師禅画コレクションを初公開した ”白隠さんと出会う” 展、龍雲寺本堂には大きめの作品が3点あり、一番奥の 「出山釈迦」はまだ若い頃の作品なのか、顔が細かい筆によりリアルに描かれていた。
中央の 「達磨」は、右側から顔をぬっと突き出して睨み上げ ”直指人心 見性成仏” の賛がつく、数ある白隠達磨(”第三の達磨”)の典型だ。
濃いめの墨でしっかりと描かれ、大きさも力もある作品なのだが、その ”正攻法” の手堅さがやや魅力を減じていると言ったらお叱りを受けるだろうか。
大きな 「親」字は、あたたかみのある師の肉声のような字だった。

本堂の右手前にある小さな部屋にあった2枚の達磨図は、今回の一番の収穫だったかもしれない。
正面に掛けられた大きな 「達磨」は、前回ふれた ”このつらを” や本堂の大達磨とほぼ同様の構図となっているが、その表情はとても悲しげで意気消沈してしまっているように見える。
賛とその解説によれば本作は、達磨を迎えて寺院や仏像を作った武帝にどのような功徳があるかと問われて、これは形にあらわれた善行ではあるが真の功徳と言えないと応えたという逸話に基づくものということだ。
そうすると、達磨のこの情けなさそうな表情は、目に見えるものを求める武帝を憐れんでいるのか、十分な理解に導けなかった自分を責めていることになるのか、ともかくこうして失意とともに武帝のもとを去った大師は、伝説によれば芦の葉に乗り揚子江を渡っていくことになる。

その 「芦葉達磨」の図が、右側の3点ほど先にあったが、芦の葉に乗る横向きの全身像の人物の顔は、あの ”どふ見ても” の横顔にかなり近い。
先ほどの悲しみの表情はすっかり消えて不屈の闘志が戻ってきているように見えるが、恨みがましさや後悔の念、そして怒りの気持ちもまだ若干残っているようだ。
いずれにしてもこれは、”どふ見ても(いつ見ても?)達磨大師” の図に違いのだが、そうであれば気迫あふれる永青文庫の作品も、こうした文脈から出てきたものなのだろうか。
あの、意気軒昂な達磨の図がこの場面のものだったとすれば、それはまさに白隠その人の不退転の心意気が投影されたものというべきなのだろう。

この「芦葉達磨」の右には 「宗峰妙超遺偈」、左には 「茶釜蟹」、そして一つ目の化け物が出てきているのに全く驚かずに涼しげな様子の男がいる 「一つ目小僧」、反対側には 「蓑笠槌」ともう一点の百枚描き風 「達磨」があり、また廊下にも 「蓑笠槌(大黒留守模様)」が掛けられていた。

以上、全53点の白隠禅画墨跡のほかに、本堂の右奥の小部屋には、龍雲寺を創建した 節外和尚の師である 盤珪国師の頂相や墨跡があった。
隻手の公案で知られる白隠慧鶴の禅画墨跡をこれだけ有する龍雲寺が、公案を否定し ”不生禅” を説いた 盤珪永琢の法系というのは意外なことだったが、どうやらここの白隠コレクションは主に先代住職が独自に蒐集されたものらしい。
そうなると、白隠ゆかりの 松蔭寺や 龍澤寺などに伝わった作品群とはずいぶんと意味合いが異なることになり、だから今までまとまった公開の機会がなかったのかとも思うが、それだけに2日間とはいえ写真撮影も許された今回の企画展はまことに有難いものだった。
それこそ、臨済宗を開かれた 義玄禅師の1150年遠諱、中興の祖 白隠禅師250年遠諱 のご縁というものであろう。


<白隠禅画墨跡関連過去記事>
白隠さんと出会う(龍雲寺) 布袋、楊柳観音、猿猴 西行、鍾馗、このつらを 芦葉達磨
禅・心をかたちに(東京国立博物館) 朱達磨 達磨、自画像、寿字 慧可断臂図
白隠とその会下(早稲田) 宝槌図
書の流儀(出光美術館) 寿字円頓止観
白隠・遂翁・東嶺(早稲田)
ドラッカー・コレクション展(千葉市美術館) 達磨、観音、拂子
白隠展(ザ・ミュージアム) 隻履達磨、観音十六羅漢 どふ見ても、朱達磨
  布袋吹於福、鍾馗鬼味噌 富士大名行列、吉田猿猴 このつらを、毛槍奴 ベストテン
博物館に初もうで(東京国立博物館) 福神家訓
一行書禅機画(早稲田)
松蔭寺虫干し 無尽灯、船手和尚、富貴草 十六羅漢、白隠像 龍頭観音、常念観世音菩薩
  白隠禅師坐像、白隠の里
ギッター・コレクション展(千葉市美術館) 達磨、観音
龍澤寺観楓祭 常念 自画像、初祖大師 蓮池観音、正受老人 明於理 開山堂
諸国畸人伝(板橋区立美術館) すたすた坊主図
細川家の至宝(東京国立博物館) 十界図 一鏃破三関
山水に遊ぶ(府中市美術館) 富士山図
妙心寺展(東京国立博物館)  寿字円頓章 正宗寺大達磨 白隠慧鶴へと注ぐ流れ
素朴美の系譜(松涛美術館) 亀大黒、猿と蟹
白隠とその弟子達(永青文庫) 自画像、蓮弁観音 山水図 円相内自画像、郭公孤猿
  弁財天、大燈国師 どふ見ても
白隠禅画墨蹟展(松島瑞巌寺) 朱達磨 達磨、布袋 鍾馗 鼠大黒、渡唐天神
  真間の継橋 親大字 蓮池観音 蟻と蝸牛 南無地獄大菩薩 面壁達磨、壽老
永青文庫所蔵 白隠画の逸品(早稲田) 十界図、観音 蛤蜊観音、達磨
白隠和尚・禅僧の書画(永青文庫) 自画像、出山釈迦 達磨、文殊、六祖衣鉢図
  鍾馗、大黒 座頭渡橋図 死字法語 布袋、達磨 黒牛図、暫時不在
日本美術が笑う(六本木ヒルズ) 蓮池観音、七福神 布袋すたすた坊主
東京国立博物館平常展 白隠の箒

hokuto77 at 20:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画 | 旅の記録

2017年01月14日

オペラシティ・ヴィジュアル・オルガンコンサート

いつもは高いところで客席に背を向けたまま演奏される パイプオルガン、そのストップ操作や足鍵盤の動きなど、普段見られないオルガン奏者の演奏の様子を舞台上のスクリーンで見せてくれるという ”ヴィジュアル・オルガンコンサート” を聞いた。
(1月13日(金)11:45、東京オペラシティ・コンサートホール)

(曲目)
J.S.バッハ: われ汝に別れを告げん BWV736
クープラン: 《修道院のためのミサ曲》より「グラン・ジュによる奉献唱」
フランク: 交響的大曲 op.17
(演奏)
川越聡子

確かに3段の手鍵盤と足鍵盤を駆使しての演奏を見るのは新鮮なもので、特に低音部がバス音というよりは独立した一つの声部となるときの足の動きなどを見ると、特別に明晰な脳の持ち主でなければオルガニストは務まらないのではないかと思ったりした。
プログラムや曲間の解説もよく、バッハでは低音の荘重なコラールとそれを装飾する高音部の煌めきが教会にいるような気分にさせてくれ、クープランではやわらかな旋律と変化に富んだ音色が楽しめた。
ドイツとフランス、プロテスタントとカトリックの対比は短い曲であっても鮮やかで、堅固な葬送曲の後の華やぎと洒落っ気も印象に残った。

圧巻だったのは セザール・フランクの 「交響的大曲」、3楽章から成る28分の大曲は循環形式で同じテーマが何度か出てくるものの、曲想や音色の変化が実に豊かで長さを感じることがなかった。
その一つの要因は ”ヴィジュアル” で、足がかなりの速さで動き回り、手は1段目から3段目まで頻繁に行き来し、時には2段目に指を残しながら3段目を使っての演奏が展開する様子などをスクリーンで見ることができたことだ。
こうした試みが今ではヨーロッパでも採用されてきているというのも、奏者の動きを見ることで曲の構造やポイントを理解しやすくなるということがあるからであろう。
(ただ、この日は奏者の左と右、それに足元と頭上の4つのカメラによる画像を切り替えて映していたけれど、むしろカメラは2台でいいから手元と足元を上下分割画面で固定して見せてもらえればと思った。)

ともあれ、フランクのオルガン曲にこれほど引き込まれたのは初めてのこと、それはもちろん ”ヴィジュアル” の効果だけでなく、川越聡子さんという奏者の力によるところも大きかったに違いない。
スイス製でフランス流の響きが得られるこのオルガンに合わせての選曲ということだったが、多少ざわついていた中でも集中を切らさず、特に第恭攵呂任瞭眈陛で静かな瞑想、そしてフィナーレに向かって大伽藍が構築されていくようなところは見事だった。
もし作品16から21までの6曲を通す演奏会があれば聞いてみたいとも思ったけれど、それはさすがに無謀というものだろうか・・・

hokuto77 at 21:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年01月12日

クラーナハ展-7 聖母子と肖像、まとめ

(国立西洋美術館 〜1/15)
世界各地から水準の高い作品を丁寧に集めてくれた ”クラーナハ展―500年後の誘惑”、ここまで気の向くままに書き散らしてきたので、最初に戻って章立ての順に概観しておきたい。

1 蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ
聖母子」(1515年頃 ブダペスト国立西洋美術館)は比較的初期、といっても43歳頃の作品になるが、一生懸命に乳を吸うイエスに気づいていないような聖母の憂いの深い顔と焦点の合わない目が魅力的だ。その瑞々しさは全出展作品中でも特筆すべきもので、クラーナハの描いた女性像の中では一番の清純派ではないか。
これより22年後の 「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」(1537年以降 チロル州立博物館フェルディナンデウム、インスブルック)の冷徹な目を持つ聖母は、確かに円熟期の洗練が感じられるのだが、その一方でいかにも類型的になってきているようにも見えるのは、単に制作年代の差というだけのことではないだろう。
幼児キリストを礼拝する幼き洗礼者聖ヨハネ」(1515/20年頃 個人蔵)は、聖母がいない幼児二人だけの図で、しかも幼いヨハネがひざまずいて合掌している。こんな場面があったとは考えられない珍しい場面だが、ここでの二人の無垢の姿はなんとも可愛らしい。
クラーナハは幼い子供の表現にも長けていたのか、「聖母伝」を表わした祭壇画の左右翼画である 「天使に囲まれた聖家族」と 「聖母の教育」(1510/12年頃 アンハルト絵画館、デッサウ)に登場している大勢のプットーたちは、小さな羽根で飛んだりイエスに絡んだりと賑やかで微笑ましいものだった。

2 時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ
フィリップ・フォン・ゾルムス=リッヒ伯の肖像習作」(1520年頃 バウツェン市立美術館)は、数ある肖像画の中でも重厚なタッチでモデルの人物像に迫った力作だ。
一方、「神聖ローマ皇帝カール5世」(1533年 ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード)の肖像は、ハプスブルク家最盛期の当主を描いたにしては随分と軽い感じの作品ではないか。鷲鼻や受け口などの特徴は確かによくとらえられているが、この安直さは ”素早い画家” の本領発揮ということで許されるものだったのか。宗教改革をめぐって立場は対立していたかもしれないが、現実的な実業家でもあった クラーナハの仕事として、これで肖像画本来の目的が達せられたのかどうかは何とも心許ない気がした。

3 グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ
ここではショーンガウアー、デューラーとの関連が示唆されていた。

4 時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相
ここからがメイン、作品については過去記事参照
ヴィーナス」(1532年 シュテーデル美術館、フランクフルト)
アダムとイヴ(堕罪)」(1537年以降 ウィーン美術史美術館)
ルクレティア」(1510/13年頃 個人蔵)
正義の寓意(ユスティティア)」(1537年 個人蔵)

5 誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系
ホロフェルネスの首を持つユディト」(1525/30年頃 ウィーン美術史美術館)
他に「ロトとその娘たち」、「サムソンとデリラ」、「不釣り合いなカップル」など

6 宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて
「マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ」(1529年 ウフィツィ美術館、フィレンツェ)
メランコリー」(1533年(?) 個人蔵)

hokuto77 at 21:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2017年01月10日

デトロイト美術館展-3 ピカソの女、マティスの窓

(上野の森美術館 〜1/21)
ドイツ表現主義の重たい空気に支配された第3章を抜けると、華やかな ”第4章 20世紀のフランス絵画” が待っていた。

ピカソは6枚の作品で各時代の変遷を辿れるようになっていて、それでも超特急という感じはあるものの、1画家1作品などという展示とは比べ物にならない、絵を見る愉しみというものを実感することができた。
作品として充実していたのはやはり後半の3点の女性像、その最初の 「肘掛け椅子の女性」(1923年)は古典主義の時代の典型といえる端正で美しい大作だった。
ただしこれは知人の妻がモデルになっているからなのだろう、彫像のようにしっかりと描かれている一方で、ややよそよそしい感じが漂い女性との距離も感じさせられた。

読書する女性」(1938年)は ドラ・マールがモデル、彼女は写真家であり他の妻や愛人たちとは違って芸術上の同士でもあった知的な女性のはずなのだが、ここではちょっと間抜けに歪んだ顔で頬杖をついて読書をしている。
「泣く女」とはずいぶん異なるイメージで、もう少し美人に描いてあげればという気がしないでもないが、しかし彼女を見つめるピカソの眼はいつになく親密だ。

座る女性」(1960年)に描かれたのは最後の女性 ジャクリーヌ・ロック、しかしここではモデルというよりは素材であって、生身の彼女を愛しているかどうかは別問題、ベートーヴェンが短い運命の動機から第5交響曲を構築したように、ピカソは彼女の風貌をきっかけとして壮大なキュビズム作品を築き上げた。
最晩年ながら力強く、キュビズムも完全に自分のものになっており、一つのモチーフから確信をもって一気に描き上げたという印象だ。

マティスの 「」(1916年)は、よく見ればどうということのない室内を黒い線と淡い寒色系の色で描いたものだが、そこには不思議なあたたかみがある。
細部を見ていけば、整理され切れていないような雑多な線、行き当たりばったりのような色、アイテム間の曖昧な関係性といったところに戸惑いを禁じ得ないのだが、それらが類まれなるシェフの指揮の下にこれしかないというハーモニーを奏でている、まさにマティスのマジックを見るような作品だ。
ケシの花」(1919年頃)も、花の活けられた花瓶が屏風の前に置かれている、ただそれだけの単純な絵なのに、屏風の青は空か海のように見え、花と屏風の境界は溶けかかっている。
どこまでが作為でどこからが偶然なのか分かりようもない、虚実がない交ぜとなった不思議な世界・・・

hokuto77 at 20:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2017年01月09日

ニューイヤー・ミュージカル・コンサート2017

思いがけない展開で渋谷ヒカリエのホールに出かけ ”ニューイヤー・ミュージカル・コンサート2017” を聞いた。(1月9日(月) 東急シアターオーブ)

<ACT 1>
アナザー・オープニン・アナザー・ショー 〜 『キス・ミー・ケイト』
シーズンズ・オブ・ラブ 〜 『レント』
魅惑の宵 〜 『南太平洋』
雨に唄えば 〜 『雨に唄えば』
虹の彼方に 〜 『オズの魔法使い』
オール・アイ・アスク・オブ・ユー 〜 『オペラ座の怪人』
踊り明かそう 〜 『マイ・フェア・レディ』
ラック・ビー・ア・レディ 〜 『ガイズ&ドールズ』
サウンド・オブ・ミュージック 〜 『サウンド・オブ・ミュージック』
ジプシーの踊り 〜 『カルメン・ジョーンズ』
シャル・ウィ・ダンス 〜 『王様と私』
神よ何故?(Why God Why?) 〜 『ミス・サイゴン』
アイ・アム・ザ・スターライト 〜 『スターライト・エクスプレス』
アイ・ガット・リズム 〜 『クレイジー・フォー・ユー』
<ACT 2>
トゥナイト、アメリカ、サムウェア 〜 『ウエスト・サイド・ストーリー』
スプレッド・ザ・ラブ・アラウンド 〜 『天使にラブソングを』
ソウル・オブ・ア・マン 〜 『 キンキーブーツ』
ヴァルジャンの独白 〜 『レ・ミゼラブル』
ポピュラー 〜 『ウィキッド』
ディファイング・グラヴィティ 〜 『ウィキッド』
踊って、僕のエスメラルダ 〜 『ノートルダム・ド・パリ』
ミュージック・オブ・ザ・ナイト 〜 『オペラ座の怪人』
フォー・グッド 〜 『ウィキッド』
ワン・デイ・モア 〜 『レ・ミゼラブル』
<アンコール>
すべての山に登れ 〜 『サウンド・オブ・ミュージック』
ショウほど素敵な商売はない 〜 『アニーよ銃をとれ』

(出演)
ティール・ウィックス、ジーナ・クレア・メイソン
ロベール・マリアン、マット・ローラン
アダム・カプラン、ハワード・マクギリン


聞いたことのある曲も多いはずだから大丈夫だろう、という誘ってくれた人の気遣いは確かにそのとおりで、”新春を飾るミュージカルの祭典” を予備知識なしに楽しませてもらったのは有難かった。
とは言え、特殊な構成の ”名曲集” なので、これをもってミュージカルを聞いたということにはならないだろう。

その上で気付いたことを書いておくと、まずは6人の歌手たちのサービス精神が旺盛なことだ。
歌そのものに力が入っていただけでなく、前後3回ほどのインタビューというか小スピーチをそつなくこなし、日本に来てこの場で歌えることの喜びや感謝の気持ちを繰り返し語る。
もちろん営業スマイルとは分かっていても、クラシックなどでは考えられない聴衆との距離感の近さは、それがこの世界で夢をかなえていく上で必要なことでもあるからなのではないかと思ったりした。

もうひとつは、歌手が6人、演奏が13人(ヴァイオリン2、チェロ、ギター、ベース、ドラム、パーカッション、キーボード3、フルート、トランペット、ホルン+指揮)という編成とは思えないほど、多彩で迫力ある音が聞こえてきたことだ。
マイクや電子楽器は使用しているものの、タイプの異なる曲を色彩感鮮やかに順次制覇していくところには素直に感心させられた。
それにしても、名曲集なのだから当然に予想されたこととはいえ、ここまで甘ったるく濃厚なアメリカン・エンターテイメントに浸ってしまうと、このあとの反動がやや怖い・・・

ヒカリエ11〜16階の シアターオーブも初めてだったが、渋谷の街を見下ろすガラス張りのホワイエや、オーブ=球体のメカニックでSF的な感じは面白い体験だった。
しかし、高層ビルのど真ん中にこんな巨大な空洞があって、万一の時に大丈夫なのか・・・

hokuto77 at 21:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2017年01月08日

クラーナハ展-6 ルター、メランコリー

(国立西洋美術館 〜1/15)
最後の第6章 ”宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて” では、宗教改革により歴史の大転換をもたらしたルターとの関係に言及される。
マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ」(1529年 ウフィツィ美術館、フィレンツェ)などは、これまで様々なところで見てきた ”懐かしい顔” であり、結果的にはこうしたルターの肖像が、画家 クラーナハ(クラナッハ)の歴史上重要な作品ということになるだろう。

それだけに、当時は特に厳格で禁欲的だったと思われる プロテスタントの側で、なぜこれまで見てきた ヴィーナスルクレティアアダムとイヴユスティティア のような官能的な絵が可能だったのかという戸惑いが残る。
これらの聖書や神話をエクスキューズに使ったとしか思えない裸体画は、今の目から見れば特に不道徳だとは言わないとしても、当時としてはかなり憚られる類いのものだったのではないか。
それでもこうした作品が描かれてきたのは、解説パネルでも何度か説明されていたように、クラーナハは画家であると同時に実業家でもあったからなのだろう。
もちろん、画家として芸術の追求、表現の拡大という意図もあったと思うけれど、おそらくそれ以上に、そういう絵を求める人たちがいた、ニーズがありマーケットがあった、それに応えていくことが工房経営上有益なビジネスになった、ということだったに違いない。

展覧会の最後に、「メランコリー」(1533年(?) 個人蔵)が デューラーの版画 「メランコリー(メレンコリアI)」(1514年 国立西洋美術館)と並んで展示されていた。
クラーナハの明るい画面の右端には、デューラー作品によく似たポーズの女がいる。
デューラーの性別年齢不詳の人物ほど思索的ではないし知的にも見えないけれど、それでも彼女は ”メランコリー” の気配を濃厚に漂わせている。

目の前にいるのはプットーなのか、大勢の幼い子供たちが楽器を鳴らして踊っているのだが、それはひきつけを起こしたかのように極端な動きだ。
しかし、彼らの激しい踊りも彼女の目には入っていないらしく、疲れているのだろうか、ただ淡々と木を削っている。
そんな不可解なこの場を支配しているのはサトゥルヌス、上空の暗雲の中にいるのはその取り巻きの悪魔たちなのか、そこから発せられる邪気が、子供を躍らせ女を憂鬱に誘っているらしい。
その理不尽さ、出口のない閉塞感、救いようのない絶望感は、デューラーが描いた世界と本質的にはたぶんそれほど変わらない。
もちろん画面の重厚さや奥深さでは格段の差があるにせよ、目指すところは同じはずのものであって、それを クラーナハは、よりわかりやすく視覚化して見せたと思いたいのだがどうだろうか。

hokuto77 at 20:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2017年01月06日

小田野直武と秋田蘭画-2 7年の夢とうつつ

(サントリー美術館、〜1/9、展示替えあり)
花卉の堅固さと背景の儚さが醸し出す白日夢のような世界、「不忍池図」に代表されるこの不思議な違和感は 小田野直武が正確に意図していたものだったのか、というのが会場で抱いた疑問だった。
チラシにも ”偶然か必然か、奇跡の江戸絵画” という文句があって、この ”偶然” には 平賀源内との出会いに始まる展開といったことも含まれるかもしれないが、それ以上に、この ”花と背景の落差” によって異次元空間のような感じが生まれたことが、果たして偶々のものなのか周到に狙って実現されたものなのか、という問いかけでもあるのだろう。

ひとつの仮説としては、実は小田野直武は花ほどには風景が得意ではなかったからこのようにアンバランスなものになった、ということが一応考えられる。
しかし、風景画である 「三つまたの景」(天理大学附属天理図書館)には日本橋の中州の空気感や奥行き感が実によく出ていると思うし、「品川沖夜釣」(柴花江氏)は宵闇の水面を照らす篝火の燃えるさまが美しい。
だから、その気になれば風景をもっと充実したものとして描き込むことも当然できたはずで、そうなると花の背景を薄味にしたのは意図的なものだったと考えた方がいいように思われるのだが、それでも、いま感じている超現実的な画趣が小田野直武の狙い通りのものなのか、そしてその鑑賞者、とりわけ秋田藩の近しい人物にも理解されていたのかどうかはよくわからない。

というのも、小田野とともに ”秋田蘭画” の担い手であった秋田藩主 佐竹曙山の 「松に唐鳥図」(重要文化財、個人蔵)は、画面を斜めに横切る太い松の幹や赤の鮮やかな鳥などが斬新でインパクトのある作品だと思うけれど、背景も比較的しっかり描かれているために前述の小田野作品のような効果はあまり感じられないからだ。
これは角館城代 佐竹義躬の 「岩に牡丹図」(個人蔵)の場合にもあてはまり、同じタイトルの小田野のものと比べると花は弱く背景は強く、結果として一画面の中は均質で安定的なものになっているのだが、絵としての面白味では到底及ぶものではない。

つまるところ、秋田藩の中に同好の輪を広げ、指導した司馬江漢を通して江戸の洋風画が発展していったということはあっても、”秋田蘭画” 独特の気配は 小田野直武ひとりでもっていたという感が強く、その小田野がわずか32歳で亡くなったことによって、7年という活動期間で終焉を迎え忘れ去られてしまうのも無理はなかったという気がする。
ただ、その前年には謹慎を命じられて角館に蟄居となったという理由は何だったのか、そのことが32歳という若さでの死とどう繋がったのか、そうした経緯によって彼の画業までもが歴史の波の中に一旦は埋没してしまうことになったのか、そんなことも考えさせられる覧会だった。

hokuto77 at 19:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画 

2017年01月04日

櫟野寺の大観音に初詣、応挙の仙人図

(東京国立博物館 〜1/9、ほか)
特別展 「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」が1月9日(月)まで期間延長になったおかげで、このいかにも霊験あらたかそうな大観音様 「十一面観音菩薩坐像」(平安時代・10世紀)に初詣をすることができた。
あらためてその有難いお姿に向き合えば、見上げるばかりの巨体にもかかわらずバランスは完璧で、端正なお顔には厳しさと優しさが同時に感じられる。また、全体に厳格さが支配している中で両手の指が大きく動いて表情を作り、崇高なお像に人間味を与えているように思った。
そして、全身が内面から金色に光っているように見えるのは、もちろん照明効果もあると思うけれど、そもそもの出来映えが素晴らしいことに加え、これまで秘仏として ”かくれ里” で大切に守られてきたことの証しでもあるだろう。
思いがけずここで年越しをすることになった心中はお察しするが、おっとりした薬師如来、生真面目な地蔵菩薩、近視の毘沙門天、そして素朴で愛らしい観音たちとともに多くの人々を迎え入れて、忘れられぬ正月になったのではないか。

博物館に初もうで 新年を寿ぐ鳥たち”(〜1/29)は、酉=鶏だけでなく ”祝の鳥” として鷹・孔雀・鶴・鷺・鴛鴦、さらには想像上の鳳凰やガルーダにまで範囲を広げ賑やかなことになっていて、若冲筆 「松梅群鶏図屏風」も目立ってはいたが、中国の新旧作品に面白いものがあった。
牧谿と同時期の 蘿窓筆 「竹鶏図」(中国 南宋時代・13世紀)は、”夜明け前の午前四時、幽暗の竹下に潜み、文・武・勇・仁・信の五徳を備える” という鶏を描いたとのこと、睨みつけるような厳しい目つきだけではなく、緊張感を孕んだ体全体で他を寄せ付けない気配を醸し出していた。
一方、20世紀の 斉白石筆 「雛鶏図」(中華民国時代)は、餌場にかけてくる雛たちを縦画面を使って俯瞰する図だが、まあるい雛鳥たちがとにかく可愛らしかった。

新年らしい清冽な ”気” は、例によって国宝室の 長谷川等伯筆 「松林図屛風に満ちていた。
しかし今年は、円山応挙筆の 「雪景山水図(旧 帰雲院障壁画)」(江戸時代・1787年)も、いい勝負を挑んでいたように思われた。
第7室の4面には清々しい雪景が広がり、雪の朝の光の中で仙人たちが左右の霊山の間を雲に乗って浮遊している。
第8室の大きな掛軸は床の間用の大画面か、こちらは中央の険しい雪山から深い谷を渡る橋が延び、人家の連なりも見える典型的な山水図のように見えるが、その奥の楼閣風の建物からは仙人がふわりと空に浮かび出ている。
一寸間違えば子供だましの絵になりかねないところ、応挙の筆力は冷気だけでない霊気を確かに感じさせており、この 帰雲院障壁画の全体を見る機会があればベストテンを再検討せねばならなくなるのではないかと思った。

1階の彫刻室には、浄瑠璃寺伝来の 「十二神将立像」から 辰・巳・戌神(鎌倉時代・13世紀)が出てきていた。
分蔵先の静嘉堂文庫では運慶の関与を強く示唆する展示が行われていたことが記憶に新しいが、この三体ではやはり 戌神が特に優れていると思う。
是非、両館合同の全体展示を期待したい。

hokuto77 at 20:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本彫刻 | 日本絵画

2017年01月03日

”FORM” 野村萬斎の 「三番叟」、半能 「高砂」

能の 「翁」と並ぶ新年の祝典曲 「三番叟」(さんばそう)を、以前から見てみたいと思っていた。
が、その初めが ”日本の伝統美を最先端テクノロジーで可視化する伝統芸能アートパフォーマンス” という 東京国際フォーラム開館20周年記念事業 "FORM" になったのは幸運だったと言っていいのかどうか。
フォーラムのB7ホールに設置された舞台の背景は巨大な映像スクリーンとなり、コンピューターアニメーションのシャープな映像が、舞台上で演じられる三番叟の動きともシンクロしながら、目まぐるしく展開していく。
それは確かに見事なもので、宇宙空間を浮遊するような、あるいはミクロの世界に入っていくかのような画像が囃子の音響と交錯し、見たことのない世界へと投げ込まれた。

その一方で、三番叟が演じられているときは狂言師に収斂していくはずの視線が、その向こうの映像空間へと拡散していき、本来は存在感を主張し大きく見えてくるはずの舞が、相対的に小さくなり時には影のようにワキに回る。
もちろん、ここは 「三番叟」のあるべき姿を追究する場面ではなく、日本古来の伝統美を新たな日本の ”美” として表現しようとする企画なので、そういう試みとして受け取らなければならばい。
それに、こう言うと語弊があるかもしれないが、面をつけた 「鈴ノ段」の前半部分などは単調さをうまく免れていたように思うし、終結部に向かっての盛り上がりもよくできていた。

ただ、三番叟本来の、五穀豊穣を祈願するという神事的な意味合いは薄まっていかざるを得ず、また 地固めの動きを表すという足拍子も ”舞” 的な性格が強いものに見えた。
それは狙い通りのものだったかもしれないし、ここで 農耕儀礼に執着する必要もないのかもしれないが、それでも、新年の演目としては、”美” だけではなく ”心” の方にも配慮があったらという思いが残らないでもない。
映像の中にも植物が繁茂していくイメージがあったのだから、”大地の恵み” とか、”自然の力” といったものにもう少し意識が向くような作りになっていれば、さらによかったのではないかという気もした。

前半は 半能 「高砂 八段之舞」、これは思っていた以上に動きのある舞台だった。
膝くらいの高さの柱が立つ仮設能舞台後方の鏡板部分は、江戸城内の能舞台というイメージ映像の後に松の大木に落ち着いたが、舞台の進行とともに色合いが変わるという意外な演出があった。
また、有名な 「高砂や この浦船に帆をあげて・・・」の部分などでは、ワキ(旅の神職)の 森常好のよく通る重厚な声が聞けたけれど、半能のためほとんど坐ったままという何とも贅沢な舞台でもあった。


"FORM" 「三番叟」 野村 萬斎、半能「高砂 八段之舞」
(2017年1月2日(月・祝) 12:00、東京国際フォーラム ホールB7)

「高砂 八段之舞」
  シテ(住吉明神):観世 喜正、ワキ(旅の神職):森 常好
  笛:一噌 隆之、小鼓:鵜澤 洋太郎、大鼓:亀井 忠雄(?)、太鼓:林 雄一郎
「三番叟 FORM」(揉ノ段、鈴ノ段)
  野村 萬斎

hokuto77 at 20:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2016年12月29日

2016年のベストスリー

2016年は 若冲展(東京都美術館)と カラヴァッジョ展(国立西洋美術館)のあった年として記憶されることになるのだろうか。
その他にも、リッピの作品が充実していた ボッティチェリ(東京都美術館)、大原美術館がやって来た はじまり、美の饗宴(国立新美術館)、”水差しを持つ女” が 来日した フェルメールとレンブラント(六本木ヒルズ)や、質量ともに充実していた ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち(国立新美術館)、白隠から始まった 禅―心をかたちに―(東京国立博物館)なども見応えがあった。
個人的には 英国の夢 ラファエル前派(ザ・ミュージアム)も楽しめるものだったけれど、ベストスリーは別の選択をしたい。

企画として面白かったのは 「旅と芸術」(埼玉県立近代美術館)、この展覧会がなければ見えてこなかった文脈でさまざまな作品を体験し直すことができた。
同じような意味で 水 神秘のかたち(サントリー美術館)、樹をめぐる物語(損保ジャパン日本興亜美術館)、動き出す!絵画 ペール北山の夢(東京ステーションギャラリー)も、それぞれの切り口に思いが感じられる取り組みだった。

湖北の観音さまたちによる 「観音の里の祈りとくらし展 」(藝大美術館)は、質量ともに第一回を上まわる壮観の展示風景となっていた。パネルの説明も周到なもので教えられるところも多かったので、実現に至るまでのご苦労を思いながら第2席に挙げたい。
なお、移動の困難さという点では 櫟野寺の大観音とみほとけたち(東京国立博物館)も敢闘賞ものの快挙だった。

今年の大きなトピックは 国立西洋美術館本館世界文化遺産に登録されたことだが、そこでの企画展も カラヴァッジョだけでなく、メッケネムとドイツ初期銅版画、描かれた夢解釈―醒めて見るゆめ/眠って見るうつつ そして クラーナハ といいものが続いたので、全体の代表としてこんな展覧会が日本で見られるとは思わなかった 「クラーナハ」展を3番目に選んでおきたい。代表作を中心にデューラーやショーンガウアー、そしてピカソも脇を固める贅沢な空間だった。

このほか、”カマキン” の終焉となった 鎌倉からはじまった 1951-1965(鎌倉近代美術館)は忘れ難く、ボルタンスキー さざめく亡霊たち(庭園美術館)と 篠山紀信展 「快楽の館」(原美術館)では、美術館という器と展示作品の関係性が面白かった。
また、小規模ながらかつての盛り場の風景を思い起こさせてくれた 新宿風景(中村屋サロン美術館)、米谷清和展 〜渋谷、新宿、三鷹(三鷹市美術ギャラリー)、“日本のルソー” の数奇な生涯に光をあてた 横井弘三の世界(練馬区立美術館)、見せ方に工夫が感じられた 俺たちの国芳 わたしの国貞(ザ・ミュージアム)も思い出しておきたい。
なお、魔女の秘密(ラフォーレ原宿)は美術展としては挙げ難い感じがするけれど、こういったテーマ性のある企画はこれからも期待したいと思う。


2015年のベストスリー
2014年のベストスリー
2013年のベストスリー
2012年のベストスリー
2011年のベストスリー
2010年のベストスリー
2009年のベストスリー
2008年のベストスリー
2007年のベストスリー
2006年のベストスリー
2005年のベストスリー

hokuto77 at 21:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)掘り出し物など 

2016年12月28日

ゴッホとゴーギャン-5 ゴーギャン、私のベストテン

(東京都美術館 12/18終了)
今回の ” ゴッホとゴーギャン” で久しぶりにまとまった形で ポール・ゴーギャン(ゴーガン、1848-1903)の作品を見ることができたので、ここで私的ベストテンを選んでおきたい。

1.我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか (1897-98年、ボストン美術館)
文句なしにゴーギャンの生涯の頂点となる作品、サイズだけでなくそこに盛り込んだ世界観の重さや深さという点でも近代以降の絵画史の中に燦然と輝く大作だと思う。
ただし、私の関心はどちらかといえばブルターニュでの活動やポン=タヴァン派、ナビ派への流れ、そして生涯を通じての遍歴の方に強く向いているので、以下はそうした点に軸足を置いたものになる。

2.説教の後の幻影(天使と闘う聖ヤコブ) (1888、スコットランド王立美術館)
これはゴーギャンの大きな転機となった作品で、ブルターニュ時代を代表するインパクトのある画面だけに強い既視感もあるのだが、実はいつ来日したのか、果たして実見したことがあるのか心許ない。複製を何度も見てその気になっているだけなのかもしれないが、それでもこの作品を外すことはできない。

3.海辺に立つブルターニュの少女たち (1889、西洋美術館)
上野にあるおなじみの作品で、ゴーギャン作品中の第3位というにはやや無理があるとは思うけれど、ブルターニュ独特の風土感、印象派から離れた色彩や構図、そしてそこに漂う詩情という点ではこれを超える作品が思い当たらない。

4.黄色いキリストのある自画像 (1890-91、オルセー美術館)
5.純潔の喪失 (1890-91年、クライスラー美術館)
この2点は、印象派からもパリの華やぎや近代化する社会からも離れて、あえて辺境の地に居場所を探そうとする心の中を覗き込めるという点で貴重な作品だ。

6.かぐわしき大地 (1892年、大原美術館)
7.エア・ハエレ・イア・オエ?(あなたは何処へ行くの?) (1893 エルミタージュ美術館)
8.ネヴァモア(横たわるタヒチの女) (1897、コートールド美術研究所)
生き方や考え方への共感を優先させて2〜5までを選んできたが、画面に宿る力の強さという点ではやはりタヒチ時代の作品ということになる。甲乙付け難い力作群の中で、人間のもつ根源的な生命力や神秘的なものへの畏れという観点から厳選していった結果、この3点に辿りついた。

9.連作版画 「ノアノア」
タヒチでの成果としては、太古の時代からの霊的世界を視覚化した貴重な記録としてこの版画集も見逃せない。

10.女性と白馬 (1903、ボストン美術館)
最後は、安定した生活や家族を捨ててブルターニュへ、タヒチへと旅をつづけた男の遺言のような作品を挙げておきたい。特に出来栄えのいい絵というわけではないけれど、死を目前にした画家の内面を覗き込んでしまったような気がした、忘れ得ぬ作品だ。

ということで、今回の ”ゴッホとゴーギャン展” からの選出はなかったが、アルルでの成果に敬意を表して 「ブドウの収穫、人間の悲惨を次点に挙げておこう。
それと、シカゴ美術館の 「神の日(マハナ・ノ・アトゥア)」は、実見する機会があれば上記ランキングに入ることになるかもしれない。


>ゴッホとゴーギャン (2016、東京都美術館) 
>ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち (2015、汐留ミュージアム) 
>ゴーギャン展 (2009、東京国立近代美術館) 


<ベストテン・シリーズ>
ボスブリューゲルレンブラントフェルメールムンク
牧谿宗達白隠蕪村若冲応挙

hokuto77 at 22:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(近代) 

2016年12月26日

白隠さんと出会う-2 西行、鍾馗、”このつらを”

(龍雲寺 10/21〜21)
野沢の 龍雲寺が所蔵する 白隠慧鶴禅師のコレクションが初公開された ”白隠さんと出会う” 展から随分と間が開いてしまったが、幸いにも撮影可だったことから手元に残った画像を頼りに、可能な限り展示の続きを思い出して再現しておきたい。

2枚の 「猿猴」に続き 「栗」と 「みそさざい」2点を見て奥の間に入ると、「普化入定」で棺桶の蓋に釘を打つ男の姿は、暗さや屈託が微塵も見られない飄々としたものだった。
文字絵の 「渡唐天神」と 「人丸」の先には 「西行」、これは高野山の庵を引き払って旅に出るところということだが、枯れた画面には孤独な漂泊の心が滲み出ている。
ただ、賛の ”久に経て 我が後の世を とへよ松 跡したふべき 人も無き身ぞ” は、松蔭寺をベースに人々の教化に尽力した 白隠禅師の心境としてはやや意外な感じがした。
「盆山」の次は 「蟻磨」、”磨をめぐる 蟻や世上の 耳こすり” と言いながら、あくせくと動き回る蟻を見る眼はあたたかい。

「蟹拂子」、「海老」と見て広間に戻ると、「鍾馗鬼味噌」を中心にした ”鍾馗三尊” のようなコーナーができていた。
本作は淡色ながら大判で力の入った作品であり、ここでの主役は擂り鉢の中の小さな鬼をすりつぶす鍾馗に違いないのだが、哀れな鬼たちを見ていると、我々もまた日々すり潰されながらどうにか生きている、といったことにどうしても思いが及んでいく・・・
左の 「渡橋」は、人は橋の上を渡り水は橋の下を流れるという、あたりまえながら考えてみれば危ういことが淡々と語られるようであり、右の 「遠羅天釜」はのびのびとした線が絡む様が美しいが、それさえもなにやら奇跡的なことに思えてきた。
この後は 「亀乗大黒」、詩と箒のみの 「寒山拾得」、後ろを向いて馬に乗り東下りする 「熊谷蓮生坊」そして横向きで気難し気に立つ 「鍾馗」2点と続いた。(ここまで35点)


大広間を出て反対側の小部屋の床の間には、2008年の 「白隠禅画墨蹟展」(松島瑞巌寺)、2013年の 「白隠展」(Bunkamura ザ・ミュージアム)にも出展されていた 「達磨図 ”このつらを”」が掛けられてた。
達磨の表情の厳しさという点では白隠作品の中でも屈指のもので、龍雲寺コレクションを代表する一品に違いない。
ガラスに隔てられない状態で畳に坐りじっくりと向き合ってみれば、達磨大師ないしは白隠禅師その人と対座しているようで気圧されるような感じすらした。
顔の辺りの墨はかなり薄く、筆跡を見てもあまり時間をかけずにさっと描いたものかと思われるのだが、”このつらを祖師の面と 見るならば 鼠をとらぬ 猫と知るべし” という賛は、その内容の捻りには似合わないほどの丁寧な字だった。
白隠の達磨の中でもとりわけ髭も眉も長く延び、不機嫌そうな人相には偏屈な感じを漂わせながらも、揺るぐことのない老師の ”気” というものは確かに籠っていた。

その右側には大きな葉に詩文が書かれた 「寒山拾得」があり、反対側の壁面には手前から 「定字」、「常念観世音菩薩」、「初祖達磨大師」、「磨字」、「大辨財尊天」という5点の墨跡が掛かっていた。

hokuto77 at 19:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)旅の記録 

2016年12月25日

クラーナハ展-5 ユディトの凍れる眼差し

(国立西洋美術館 〜1/15)
ここまで取りあげてきた ヴィーナスルクレティアアダムとイヴユスティティア は、すべて第4章の ”時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相” にあった作品だ。
私にとっての クラーナハ(クラナッハ)はここに尽きていると言ってもいい感じがするが、さらに下層階に下りたところの 第5章 ”誘惑する絵─「女のちから」というテーマ系” には、着衣のままで誘惑する女たちがいた。

ホロフェルネスの首を持つユディト」(1525/30年頃 ウィーン美術史美術館)は、本展の顔となっているだけあってサイズも大きく充実した作品で、完成度も非常に高い。
しっかりと描き込まれた帽子、髪、衣装の質感は感嘆すべきものであり、特に羽根や首回りの飾り、そして死人の顔などは迫真の出来といえる。
しかし、その全てを凌駕しているのは、ユディトという女の顔だ。
毅然とした表情と冷徹な目、わずかに上気し紅潮した頬、そこから同時に滲み出る落ち着きと緊張感は、この画家の真の実力をはっきりと示している。
それは ”誘惑する女” というカテゴリーを越え、題材となった神話さえも超越した格調の高い絵になっているように思われるのだが、それにしても、女は誰もがこのようにして懐に一本ずつ剣を持っている、そして、この静かな表情のままに男の首を搔き切ることもできる、というのが クラーナハからの警告なのだろうか・・・

その左の 「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」(1530年代 ブダペスト国立西洋美術館)は、似たような場面ながらもう少し歪んだ表情に人間味が感じられた。
一方、右にある小さな 「女性の肖像」(1525/30年頃 ウフィツィ美術館、フィレンツェ)は、堅固な技法で描かれた実に正統的な肖像画だった。

ロトとその娘たち」(1528年 ウィーン美術史美術館)は、人類滅亡の恐怖に駆られ父を誘惑する娘、「サムソンとデリラ」(1528/30年頃 メトロポリタン美術館、ニューヨーク)は男の弱点を知り眠らせたままその髪を淡々と切る女を描いたもので、いずれも遠くから見るとややマンガ的な通俗画に見えないことはないが、近付いてその表情に注目してみれば、かなりしっかりと性格付けされて描き込まれている。
女の残酷さを体現しているデリラは、フランクフルトのヴィーナスが服を着て出てきたようにも見えるが、順番としてはこのデリラが服を脱いだ姿がヴィーナスになったというべきであろう。

不釣り合いなカップル」(1530/40年頃 ウィーン美術史美術館)は、今までにも多く見てきたテーマだが、これがそのオリジナル=源泉なのだろうか。
小さな画面ではあるが、決して男に目を合わせない女の、ほくそ笑むような不敵な表情が強い印象を残す作品だった。

hokuto77 at 20:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2016年12月21日

願成就院-2 不動明王 及 二童子立像

これこそが不動明王だ、というべきか、こんなお不動様があっていいのか、というべきか。
願成就院の 「不動明王立像」は、ともかくも力強い、迫力満点の像であって、仏像というよりは怒れる男の肖像彫刻のようだった。
ご本尊の阿弥陀如来と比べると相対的にどうしても小さく感じられるものの、像高136.8cmとは思えないほど堂々としていて、少なくとも等身大よりは大きく見える作品だ。

一般に、仏像ならばそれぞれに約束事があり、それに則りながら生身の人間とは違う像容とすることによって、この世のものではない超越性を持たせていくものだろう。
西洋に類例を探すなら、ギリシャのアルカイック・スマイルや正教のイコンか、あるいは中世ロマネスクの聖堂を飾った彫刻などがこれに当たるように思うのだが、この 運慶の不動明王は、ミケランジェロより300年以上も早くに産み出された、人間観察を突き詰めた彫刻作品といえるのではないか。

もっとも、髪形や剣や羂索の持ち物といった最低限の約束事は守っているが、天地眼や牙上下出といった特異な表情は取り入れなかったことにより、大日の化身とか魔界の王といった霊験あらたかなイメージは後退する代わりに、怒れる武者として現に実在する人物のような感じが強まっている。
絵画では三井寺の黄不動が同じような印象を与えるが、常時礼拝の対象となる仏像彫刻という分野では多分初めてのものなのではないか。

思っていた以上にきれいに仕上げられている体躯は、内からのエネルギーが漲るように張りがあり、怒りの表情はこれ以上ないような緊張感に満ち、大きく見開かれた目は玉眼の効果が最大限に発揮されている。
若き 運慶の覇気溢れる意欲作、と今なら何の迷いもなく言えるのだが、しかし運慶がこの作品を仕上げた時、それを見た父 康慶は、あるいは兄弟子 快慶はどう思ったのだろう。
それまでの常識を覆す革新的な像容に驚き、これもありか、と感心したのだと思いたいけれど、これで大丈夫なのか、という戸惑いもまた大きかったのではないか。

では運慶自身には確たる自信があったのか。
これが自分がその時点で作ってみたい像であったことは間違いないだろうが、ただ自分の創作意欲を満たすというだけでなく、発注者を間違いなく満足させることができるものという確信までがあったのかどうか。
北条時政という東国の武士で幕府の実力者の依頼は、伝統にとらわれない新たなマーケットへのとっかかりであった一方で、ニーズがどんなものかまだよくわからなかったはずで、そんな中でこの不動が受け入れられる自信のほどは一体どのくらいあったのだろう。

それでも、天才で向う見ずな運慶に不安はなかった可能性は高いとしても、工房としてのリスクはいろいろと考えられたはずだ。
好意的にみれば、因習や格式に捉われた京とは違い、進取の精神に溢れた鎌倉武士という新興勢力に相応しいものを作ったということは言えそうだが、しかし一方で、どうせ奴らにはわかりはしまい、何をやっても文句は言わせない、というような見下したところはなかったか。

運慶も若かった。
そこへ転がり込んできた仕事なので、親方には責任がない代わりに口も手も出させない、そんな環境で、慶派を背負わない一匹狼の職人としてない自由に取り組めたということかもしれない。
さらに言えば、発注の中心は阿弥陀三尊であって、そこさえ無難に作りさえすれば、その周辺を守る脇役は比較的自由に遊ぶことができたということもあるだろう。
これがもし不動堂の本尊という仕事なら、ここまでの自由な造形を試すことはかなわなかったのではないか。

ともあれ、不動の怒りの表情、とりわけ飛び出さんばかりの玉眼から発せられる視線は、見る者の内面の邪悪なものに切り込んでくるようだ。
それは犯罪というようなものではなくても、自己中心的な考え、怠けようとする心、ものごとへの執着等々、要するに仏教では ”煩悩” と呼ぶあたりのところに直接的に訴えかけるものであって、その意味ではこれは芸術作品としての彫刻に留まらず、やはり精神的・宗教的意味を持つ ”仏像” に違いない。

不動の前に立つ眷属の二童子像も予想以上に見応えがあった。
左に立つ 制吒迦童子(81.8cm)は、きかん気でやんちゃそうな性格そのままに、顔も姿勢も何の遠慮もなく思いっきり捻っている。
その右で直立する 矜羯羅童子(77.9cm)は、対照的におっとりとして物わかりがよさそうだ。
普通に考えればこの二体の像は別人格の二人なのだが、ここでは一人の人間の持つ二つの面、すなわち、動と静、悪と善が表裏のものとして対置されているようにも見えてくる。
目の前にある何ものかに怒りをぶつける 制吒迦、天上の清浄な世界を夢見るような 矜羯羅、それは不動が睨み据える煩悩が生まれ出る前の無垢の状態かもしれず、誰もが子供の頃はこんなふうにピュアだったと思い起こさせるようでもあった。

hokuto77 at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本彫刻 

2016年12月19日

風景との対話 コレクションが誘う場所

(損保ジャパン日本興亜美術館 〜12/25)
収蔵作品による風景画展ということで低めに見積もっていた期待は、意外にも良い方に外れた。
その中には、”風景を描いた絵” とは言い難い作品も含まれていたけれど、そもそも風景画は宗教画や歴史画の背景から独立して新たな道を切り拓いてきたものなので、その先の可能性を探っていくのも意義深いことに違いない。

展覧会前半は、この美術館創設の契機となった 東郷青児画伯の旧蔵作品が中心、”第1章 フランスのエスプリ” は、主にパリで蒐集した同時代の作品からなり、”第2章 東郷青児の旅” は自身の作品ということになる。
のどかな 「プロヴァンスの村」、厳しい 「古城」もいいが、アルジェリアなどの街角の風景や人物を捉えたスケッチには、異国の風景への驚きや共感がストレートに出ているようで、量産した幻想的な女性像とは違う絵の力と人間味が感じられた。
”第3章 日本の風土” のあたりからは、この美術館の表彰事業で買い上げとなった作品なども徐々に登場、”第4章 異国の魅力” では細密な描写で質感豊かに古都の空気感を描き出した 大津英敏の 「ベルギーの空と雲・Gent」、朝もやに包まれたヴェネツィアの空と水を昇る朝日が染めていく 福本章の 「ムラノの朝」が特によかった。

ここまでの作品がそうだったように、風景画とは、基本的には安心して見ていられるものであり、彼の地へと思いを誘ってくれるものだと思うが、”第5章 意識の底の地” からは様相が変わってくる。
藤野一友の 「遊ぶ子供たち」は、確かに子供たちが輪になって遊んでいる絵だが、その中心に枯れ木が立ちその上には裸の女が突き刺さっているというのは一体どのような世界観なのだろう。
ブリューゲルのバベルの塔を思わせる 矢元政行の 「極楽塔」は、とても極楽とは思えない構築物に夥しい人がまとわりついていて、日本のシュルレアリスムの幅を感じさせられた。

”第6章 日常の向こう側” には、シュールというほどではない身近な風景を描きながら、いつのまにか不思議な物思いに誘う作品が並んでいた。
山本貞の 「反映」はごくありきたりの川辺の風景に過ぎないのだが、緑の上の木の影が意志を持っているかのように妖しく蠢いている。
横断歩道を望遠レンズで捉えたような 相笠昌義の 「交差点にて、あるく人も、この時代のありふれた光景に違いないけれど、このように提示されると手触りが全く違ってどこか知らない場所のようであり、これが我々の日常だとは認めてしまいたくないような、それでもこういう日常が成立しているところが貴重であるような思いにもとらわれてくる。

”第7章 世界の感触” では現代美術のキーワードとして ”手作業の跡” に言及していたところが興味深かったが、そこにしか感心すべき点がないというのも困ったことではないか。
むしろここでは、櫃田伸也 「不確かな風景」小杉小二郎 「月・追憶」などを通して、心象風景もまた風景であることを思い出させてもらった。

最後の ”第8章 思い出のニューヨーク州” は グランマ・モーゼスの世界、この微笑ましい作品群は単なる風景画ではなく、かつてのアメリカの農村での暮らしぶりを思い出させてくれる ”郷愁の絵” だと思っているが、しかし今回は時節柄か少し違う印象をもった。
そこに描かれているのは、農地を拓き家を建て、家族が協力して身の丈に合った労働をし、季節感のある生活を楽しむ人々の姿だ。
神を信じ自然や動物を愛し、親から子へ孫へと堅実な生活を営んできた人たち、それこそが古き良きアメリカであり、それを作品の中に生き生きと再現した グランマ・モーゼスを称賛こそすれ、批判しようなどというつもりは毛頭ない。
しかし、ほかでもないその彼らの先祖が、ネイティヴ・アメリカンやアフロ・アメリカンの運命を変え、そうして得た豊かな生活を享受したその末裔たちが、いま ドナルド・トランプという人物を最高指導者へと押し上げている・・・

hokuto77 at 21:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画(近現代) 

2016年12月16日

ゴッホとゴーギャン-4 セリュジエとナビ派

(東京都美術館 〜12/18)
本展は、” ゴッホとゴーギャン” 展としては初めてのものということだったが、展示はゴッホの27点に対し ゴーギャンは19点、そしてミレー、ピサロやモネなど同時代の画家の17点を加えた合計63点で構成されている。
したがって、特に第犠呂△燭蠅歪名錣 ”印象派・後期印象派展” と変わるところはない感じもしたが、その一方で、2人以外の意外な作品に出会えるというメリットもあった。

まずは ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの 「祈りを捧げる少女聖ジュヌヴィエーヴ」(1875-76 ファン・ゴッホ美術館)。
シャヴァンヌについて、特にこの作品に関してということではないと思うし出典も明らかでないのだが、ゴッホは ”人の慰めとなる絵” というヒントというか啓示を受けたとされ、一方 ゴーギャンは幻想性や平面性の指針としたようで、ここでも2人は対照的であるが、印象派とは違う内面性に注目したというところは共通する。

その先には ゴーギャンの影響を受けた ポン=タヴェン派、ナビ派の作品があった。
モーエンス・バリンの 「椅子の上の水差しと洋梨」(c.1890-92 トリトン・コレクション財団)は、パステル画のような淡い優しさのある小品で、そう思って見るせいかデンマーク人の繊細なセンスが感じられた。
ヤン・フェルカーデの 「水差しと3つのリンゴ」(1891 トリトン・コレクション財団)はセザンヌを思わせる静物画で、オランダ人らしい堅固なもの、いずれも目に心地よい絵ながら、エミール・ベルナールの 「ティーポット、カップ、果物のある静物」(1890 ファン・ゴッホ美術館)ほどの前衛性はなく、ナビ派の周辺メンバーに留まったのもいたしかたないといった印象だ。

しかし ポール・セリュジエの 「リンゴの収穫」(c.1891 トリトン・コレクション財団)は、そうしたレベルを突き抜けて独特の力を持つ領域に到達した作品だ。
トリプティクのような3分割の画面を生かして、リンゴを収穫し子を育てる女たちがバランスよく配されているその場所は楽園なのか、宗教的な意味は分からないながらも、理想郷らしく穏やかで満ち足りた感じが漂っている。
ここでの主役は色彩、それぞれの女の服も全体として巧みにコーディネートされているし、何よりも評価したいと思うのは セリュジエがこの色彩をタヒチに行かずに自分のものにしたことだ。
ゴーギャンはこの年に確かにタヒチに向かった、しかしその成果である作品とともに帰ってくるのは2年先のことであり、その前にこの色彩に辿りついた セリュジエは、もしかしたらゴーギャンを超える天才と言ってもいいのではないか。

ゴッホとゴーギャン” に戻れば、初めての二人展としてはアルルでの交流を中心に据え、そこまでの道とそこからの道を対比させるのが王道に違いない。
その結果として ゴーギャンが ゴッホに付き合った形にはなったものの、壁面で紹介されていた手紙の抜粋などによって、さまざまな思いがそこに渦巻いていたこともよくわかった。
アルルの2か月は ゴーギャンにとっては不幸な出来事だったようにも思うけれど、意外にもお互いの心は通い合っていた、しかし目指すところは随分と違っていた、そのことが2つのイスの絵、そして2人の ”収穫”と ”静物”を並べた展示によく表れていた。


>ゴッホ展 (2010、国立新美術館) 
>ゴーギャン展 (2009、東京国立近代美術館) 

hokuto77 at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(近代) 

2016年12月15日

小田野直武と秋田蘭画-1 白日夢の世界

(サントリー美術館、〜1/9、展示替えあり)
世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画” 展は、秋田藩士たちによる阿蘭陀風の絵画に焦点を当てつつ、秋田蘭画を成立させた背景やその後の影響も丁寧に紹介するものだった。
その活動期間はわずか7年だったというが、小田野直武(おだのなおたけ・1749-1780)という特異な才能の持ち主がいたことで、美術史の本流から外れたところに思わぬ花が咲くことになった。

アメリカ独立戦争につながるボストン茶会事件のあった1773年に、平賀源内が鉱山調査で秋田藩を来訪したことから、角館にいた24歳の小田野直武の人生の歯車は大きく回り出す。
源内に導かれ江戸へ上って蘭学者に出会い、『解体新書』の挿絵を担当したのが第一の業績ということになるが、小田野の図版の正確さがこの書物の命であったことは、展示されていた部分からも十分に窺われた。
さらに、当時流行していた中国 南蘋派(なんぴんは)にも影響を受け、主に花を写実的かつ陰影豊かに描く独特の画風を確立していく中で、小田野直武はそこに遠景を描き添えることによって、単なる花鳥画を一段と奥行きのある空間表現をもつ ”秋田蘭画” にした。

冒頭の 「蓮図」(神戸市立博物館)は、小さく描かれた遠景によって蓮が通常のサイズを超えた巨大な造形物に見えてくるようだったし、「水仙に南天・小禽図」(瑞巌寺)は垂直方向に延びる水仙と画面奥に広がる風景が相俟って、かなり広い視野の空間が現出されていた。
秋菊図」(平野政吉美術財団)にも顕著なように、手前の花が写実の技を尽くしてしっかりと描かれている一方で、遠景はあえて弱い線と薄い彩色で陽炎のように霞ませているために、その強烈な対比が写生という域を超えた幻想性を獲得しているように思われた。

重要文化財となっている 小田野直武の代表作 「不忍池図」(秋田県立近代美術館)は、その個性を突き詰めたような作品だ。
想像していた以上に大きな約 1mx1.3mという画面に、存在感抜群の鉢植えの芍薬が大きく描かれ、その向こうには不忍池が広がり、弁天堂や寛永寺も微かに見えている。
蟻のサイズからすると花は本当はもっと大きいのかもしれず、その堅固さと背景の儚さがこちらの常識に揺さぶりをかけてくるようだ。

それにしても、この白日夢を思わせる独特の効果は 小田野直武が正確に意図していたものだったのだろうか・・・

hokuto77 at 20:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画 

2016年12月13日

デトロイト美術館展-2 ドイツ表現主義の刃

(上野の森美術館 〜1/21)
ルノワールからピカソ、マチスといった有名どころを揃えた今回の ”デトロイト美術館展〜大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち”の中で特に見応えがあったのは、ドイツ表現主義の作品を並べた ”第3章 20世紀のドイツ絵画” だった。

マックス・ペヒシュタイン(1881-1955)の 「木陰にて」(1911年)は、一見するとセザンヌらしき水浴場面がゴーギャン風の色彩で描かれ、空はゴッホのように渦巻き、人物はマティスに近づいているといった感じがする。
しかし、保養地の光景であってもただ美しい風景や裸婦を描けばいいというわけではなく、強い色と線をもって重苦しさや激しさを感じさせ独特の心象風景になっているところに、ペヒシュタインないしこの時期のドイツ絵画の持ち味が表れていると見るべきだろう。

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(1880-1938)の 「月下の冬景色」(1919年)も、普通では考えられない色彩による風景画だが、針葉樹と雪を従えた山の崇高さがそこには確かに感じられる。
それにしても、空に浮かぶ月が橙色の派手な光を発しているのは、この時のキルヒナーにはこのように見えたということなのか、この時代のドイツ人の心象を絵にするにあたりこの色が必要だったということなのか、あるいは夜明け間近のアルプスではもしかしたら本当にこう見えるのかはよくわからない。

カール・シュミット=ロットルフ(1884-1976)の 「雨雲、ガルダ湖」(1927年)は、高いところから湖を俯瞰している図で、そこには山も雲も木々も見えるのものの、憧れの南国イタリアの風景画といった趣きではなく、角ばった形や斬新な色彩で構成された不穏な風景であって、しかもそこを支配している最強のものは、山に執拗にまとわりついている雲だ。
それは意志を持っているかのように徐々に忍び寄り、やがてあたりをすっかり覆い尽くしてしまうのであろう。

エーリッヒ・ヘッケル(1883-1970)の 「女性」(1920年)は、なんとも奇妙な絵、画面中央にはぽつねんと坐る病的な女がいて、その背後には壊れかけた男も見えるのだが、彼はヘッケルの自画像なのか。
しかしこれが、従軍志願して戦地経験をしたことによるPTSDが反映された絵だと知れば、深い同情をもって納得せざるを得ない。

もともと内省的・思弁的といわれるドイツ人が、第一次世界大戦で背負うことになった重い課題や心の傷はいかばかりのものであったのか、つまるところこのコーナーの大部分は、そうした内面を吐き出した結果の絵ということになるだろう。
マックス・ベックマン(1884-1950)の 「倒れた蝋燭のある静物」にはそうした鬱屈とともに崩壊の予兆があり、そして 「オリーヴ色と茶色の自画像」(1945年)は、その先の第二次大戦までを見てしまった知識人の苦悩ここに極まる、という感じが強いものだった。

hokuto77 at 19:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(現代) 

2016年12月11日

円山応挙 「写生」を超えて 見えてきたもの

(根津美術館 〜12/18)
枯葉が風に舞い落ち葉が池の水面を埋め尽くす日、”開館75周年特別展 円山応挙 「写生」を超えて” の後期展示を見た。

”第一章 応挙画の精華”(展示室1)は名品コーナー、「雪中山水図屏風」(1769、相国寺蔵)は冷たい空気の中に特徴のある形状の硬質な岩場が姿を見せていた。
白狐図」(1779、個人蔵)は、キツネが塗り残しの白で表現されたことによって、ふんわりとした毛が微かな光を放っているように見えた。その凛としたたたずまいは、霊的世界と通じていることを思わせる神秘性を備えており、可愛い犬やリアルな孔雀たちとは別の応挙の画力というものを感じた。
雪中水禽図」(1777、個人蔵)には鳥たちの詳細な描写が見られるが、むしろ枝に積もる雪や水鳥を浮かべる水の方に感心させられた。
大作の 「源氏四季図屏風」(1781−82頃、宮内庁三の丸尚蔵館蔵)は、日本の典型的な四季の光景が描かれている美しい画面だったが、あまりにも穏やかで無難な画面に応挙ならではの冴えが感じられなかったのは、たぶん注文の方に問題があったのだろう。

その先には以前ベストテンに選んだ 「藤花図屏風」(1776、根津美術館蔵)と 「雲龍図屏風」(1773、個人蔵)が出ていて、あらためて 円山応挙という画家の実力に感服させられた。
いずれも屏風の3D効果をよく生かしており、雅な風情で自在に遊ぶ藤花や、雲の中をのた打ち回る龍の姿を眼前に浮かび上がらせる技は見事としか言いようがない。

”第二章 学習と写生の徴(展示室2)” には様々な学習の足跡が紹介されており、「写生図巻」(1770−72、株式会社千總蔵)の笹の葉やススキの穂などは、植物学者を思わせる詳細な描写だった。


”第三章 七難七福図巻の世界(展示室5)” に出ていた 「七難七福図巻」(1768、相国寺蔵)は、確かに ”写生を超えて” いる作品だ。
三巻構成で 上巻は暴風や雷などの 天災が中心となり、巻替え部分には地震や火事もあるらしく、また最後の方は鷲、狼、大蛇も登場していた。鷲が子供をつかんで飛び去っていく場面は意外なものだったが、昔はこれも確かに現実的な災難であったに違いなく、もしかしたら今も起こる行方不明事件の一部の真相であるのかもしれない。
中巻人災、水責めや鋸引きなどの残忍な刑罰の場面は目を覆いたくなるほどで、こうしたことを行ってきた人間の業にはやりきれなさを覚えた。

しかしこれら以上に衝撃的だったのは 下巻、そこには祝宴や舟遊びの場面が描かれ、着飾った人々や鶴亀などもいるのだが、率直なところこれが ”福” なのだという感じはしない。
絵としては、もちろん風や水の威力を描き出すことが難しいのも分かるけれど、おそらく福はもっと難しい、というよりも、何を描けば福を表したことになるのか、そもそも福とは何か、という根本的な問題にぶち当たってしまうことになる。
災難には誰もが納得する共通項があるとしても、福は人によっておそらく千差万別なので、これはこれとして受け取っておくべきかと思うが、それにしても最後の 年貢を納めている場面はブラックユーモアなのか。
もしも、年貢を納めても余りある豊かな収量があって、信頼できる立派な為政者がいて、有効かつ公正に使われているのだという実感があれば、それならば確かに”福”には違いないが、昔も今もそんなことはあり得るものだろうか・・・


展示室6の ”茶人の正月― 口切―” には、国宝の 禅機図断簡、因陀羅筆 「布袋蔣摩訶問答図が、茶室掛けとして出てきていた。

hokuto77 at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本絵画 

2016年12月09日

クラーナハ展-4 背徳のユスティティア=正義の寓意

(国立西洋美術館 〜1/15)
大きな部屋の正面に掛けられた 「正義の寓意(ユスティティア)」(1537年 個人蔵)が視界に入った時、そこには全裸の女が描かれているのかと思った。
しかし徐々に近づいていくと、彼女は裸ではなく、首輪のような飾りから広がる白いレースと思しき薄物の衣を纏っていた。
このようにナンセンスな衣裳が実際にあったとは思えないが、それは ルカス・クラーナハ (ルーカス・クラナッハ)の作品にしてはふくよかに描かれた女性の上半身を肘の先まで包み、下腹部を通って足の下まで流れている。
そして、顔も目のあたりまでは同様に薄いベールに覆われているので、本当に肌が露出しているのは顔の下半分と手先くらいということになるのだが、それでも、 ”正義の寓意” である女神ユスティティアは、事実上オールヌードの肢体を晒している。

もちろん、”正義の寓意” として右手に剣、左手には天秤を持っているし、さすがに表情はきりりと締まり、あからさまに誘い掛けるわけでも恐怖におののくわけでもなく、もちろん愛欲にも溺れず、固い表情でしっかりとこちらを見つめている。
それにもかかわらず、そこに 「ヴィーナス」や 「ルクレティア」とは違った官能性が感じられるのは、現実感のある大きさによってこちらに迫ってくる力が強くなっているからだろうか。

確かにこの画面では、あたかも生身の女とじかに向かい合っているようであり、しかもサイズの小さな二作品では曖昧だった陰毛も、ここでははっきりとした線で描かれている。
もしかしたら、彼女が本当に ”正義の寓意=ユスティティア” であるならば、天秤と剣に加えもうひとつのアトリビュートである目隠しをしていた方が、より一層エロティックな図になったかもしれないとも思うのだが、クラーナハが精魂傾けたこの目、それは不正を暴く正義の目といっていいのかどうかわからないが、その醒めた眼差しの魔力にはかなわない・・・


ところで、今回は主役のクラーナハと関連する近現代のアートもとりあげられており、この部屋の大きな壁面には レイラ・パズーキというイラン人による 「ルカス・クラーナハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション」(2011年 作家蔵)が展示されていた。
100人の中国人の画家に6時間で描かせたというこの企画は、時間制限があり制作環境も映像で見る限りあまり理想的なものではなさそうだったことから、あえて作品の完成度を求めずに、むしろ歪んだ不出来なものを並べて見せるというところに主眼があったものと考えられる。

それは、クラーナハのみならずそのファンにも、そして模写に協力(?)した画家たちに対しても随分と失礼な企てのように思えるのだが、その全部ではなく90点が選抜されているところにはどんな意図が働いたのか、そもそもオリジナル作品と同じ部屋にわざわざ並べるようなものなのかについては、主催者の方により大きな責任があるだろう。
つまるところオリジナル以外はすべて偽物だと言いたいのか、芸術の限界というものを示そうとしたのか、クラーナハも大いに活用した工房での制作という当時の慣習を批判しようとしているのか、考えれば考えるほど意味深長でもあり厄介な問題提起を含んでいるもののようにも思われた。

hokuto77 at 19:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(古典) 

2016年12月07日

篠山紀信展 「快楽の館」、迷宮の中の裸女たち

(原美術館 〜1/9)
久しぶりに足を運んだ 御殿山原美術館は、いつもの現代アートの館とも普通の写真展ともかなり趣の異なる 「快楽の館」になっていた。
その最大の要因は、そこで撮ったヌード写真をその場で見せているということだろう。
受付が写り込んだ作品をカメラがあったはずの場所から見ていると、入れ子構造のラビリンスに迷い込んだ感じがするし、そうした工夫は建物のあちこちにあって、闖入者を飽きさせることがない。

思えば写真展とは、どこか遠くの風景を目の前に持ってきてくれるものであったり、ヌードの場合には何処とも分からない場所で撮られたものが、それとは無関係の空間に提示されるのが一般的なので、このように撮る場所と見る場所が重なることはまずありえない。
そんなことが成立するのも、1938年に建てられた邸宅を元にした美術館だからこそであって、程よいサイズということもあるが、ほぼ縦横の線だけでできている一般の建物とは違い、彎曲した廊下や複雑な動線といった構造自体が独特で、またそうした洋風の建物と和風の庭とが調和しているところもこの企画に相応しいものだった。

さらに来館者にとって大きな付加価値になっていると思うのは、いま立っている展示室の空間に、僅か数か月前には作品に写っているとおりの裸の女たちが、実際こんなふうに戯れていたのだと想像力が及んで行くことだ。
建物の内外を徘徊し、くつろぎ、元気にはしゃぎまわっていた声が聴こえてきそうと言えばやや言い過ぎではあるけれど、少し前に 庭園美術館で見た 「ボルタンスキー、アニミタス〜さざめく亡霊たち」展で室内に人の気配を感じたことを、別の形で体験させるものであるようにも思われた。
もちろんこの原美術館で感じるのは ”亡霊” ではなく、むしろここが ”快楽の館” となった特別な日の、その時限りの禁断の華やぎの ”幻影” ということになるが、そここそが本展が単なる写真展とは一線を画す最大のファクターではないか。

作品として最もよかったのは 階段の踊り場を使ったもので、2階から降りてくる女、1階の柱の辺りを行き交う女、そして奥の階段を2階から3階に上がっていく女がそれぞれに動く様子は迷宮のようであり、またその現実感の希薄な静けさは ポール・デルヴォーの世界を思い出させた。
全裸の女たちが乳房も陰毛も隠さずに行き来している、それはむしろこちらの方があたりまえの状態ですよと言わんばかりの自然さなので、我々の方が異物として紛れ込んでしまったような錯覚に陥りかねない。

ピアノのあるサンルームの作品は、若いナチュラル系の女たちの屈託のない感じが好ましく、その昔の篠山紀信の ”激写シリーズ” の世界に引き戻されたようだった。
今回の作品には概ね、メーキャップの濃い女たちにポージングなどもしっかりと指示した ”作り込み型” と、生まれたまんまの女の子を好き勝手にさせてこっそり撮ったような ”即興型” があったように思うが、空間とのコラボという意味では後者の自然な感じの方が生きていたのではないか。

この美術館の常設展示である 「ゼロの空間」や発光ダイオードを使った 「時の連鎖」、須田悦弘や奈良美智などの部屋を使ったものもあったが、特にここの顔とも言うべき3階の 「ゼロの空間」を鏡を使ってより奥行きを持たせていた作品は面白かった。

そんな中で強い存在感を示していたのは 壇 蜜 さんで、夕暮れのエントランスで謎の男を ”快楽の館” に誘っている感じなどはなかなかよかった。
しかし、現在の立場上バストトップの露出はNGということなのか、単体の写真ではそれほど気にならなくても、昏い庭でライトを浴びている等身大の全裸ヌードが10人並ぶ中央では、さすがに一人だけ乳首を隠していることに違和感を禁じ得ず、アジールの中で唯ひとり現実を引きずっているようなところに柵が見え隠れして、なんだかお気の毒な感じもした。
一方で、写真展としての芸術的価値はともかく、写真集となれば 壇蜜 というスターがいるかいないかで商品価値が変わってくるということもあるのであろう、おそらくそのあたりを踏まえたぎりぎりの妥協点だったかとは思うけれど、それでもこの ”快楽の館” というコンセプトとの間でやや不協和音が聞こえている感じは否めなかった。

hokuto77 at 19:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)掘り出し物など 

2016年12月05日

ゴッホとゴーギャン-3 アルルの先の道

(東京都美術館 〜12/18)
ゴーギャンにとってはともかく、ゴッホにとっては生涯のハイライトとなったアルルでの共同生活も、耳切り事件によってわずか2カ月で終焉となり、”第4章 共同生活後のファン・ゴッホとゴーギャン” でそれぞれ別の道を歩んでいく。

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)の 「タマネギの皿のある静物」(1889 クレラー=ミュラー美術館)は、退院してきてから身の回りのありったけのものを描き込んで自分の世界観を表現しようとしたのか、静物画としてはかなり過剰な感じがする。
それは、そうせずにはいられなかった当時の心境の反映であろうが、明るく美しくあまりに綺麗過ぎる画面には、まだ堕ち込んではいられないという強い創作意欲が見えるようだ。

その隣の ポール・ゴーギャン(1848〜1903)の 「ハム」(1889 フィリップス・コレクション)は、対照的にくすんだ渋みのある色の画面に、ごく限られたアイテムだけが配置されている。
必要なものだけを選択し構成された画面だからこそ、見る者によってさまざまな思いが誘い出されていくようで、ここに並んだ2枚の静物画は、2人の対照的な性格や方向性をよく表している。

その後 サン=レミの病院に入った ゴッホは、渦巻くような筆触が画面を支配し不穏な印象を与える作品を量産する。
刈り入れをする人のいる麦畑」(1889 ファン・ゴッホ美術館)は、鎌を持ったちっぽけな人間が圧倒的な力を持つ怪物と格闘しているよう、「オリーヴ園」(1889 クレラー=ミュラー美術館)も植物の旺盛な生命力が周囲を支配していく勢いだ。
渓谷(レ・ペイルレ)」(1889 クレラー=ミュラー美術館)は岩肌自体が凄まじいほどの曲線で揺らめき、世界全体が蠢動し流転している。

一方の ゴーギャン、「家畜番の少女」(1889 静岡県立美術館)は穏やかな光に満たされた静謐な風景で、修道女のような服装の少女がぽつねんと佇んでいる。
ゴッホの後で見るから特にそう思うのか、木々や草の色が美しく調和する平和そのもののような世界であって、動と静がここまで対蹠的では2人の共同生活にも無理があったとあらためて思う。

”第5章 タヒチのゴーギャン” は、ゴーギャンの人生としては到達点であり最重要の部分に違いないが、”ゴッホとゴーギャン” 展としては後日談といったところか。
川辺の女」(1892 ファン・ゴッホ美術館)などは色が力を得て木に魔性を見る感じになっており、ずいぶんと遠くまで来てしまったという感じがするけれど、それでも ”炎の画家” のむこうみずな疾走と比べれば、内省的に沈潜し憂鬱感も忍び込む陰影豊かな世界だ。

肘掛け椅子のひまわり」(1901 .G. ビュールレ・コレクション財団)は、そんな ゴーギャンが晩年に ゴッホを思い出しながら描いたといわれる作品だ。
アルルの共同生活から13年後、すなわちゴッホの死後11年、自身の死の2年前に遺された ゴーギャンからゴッホへの何よりのオマージュだろう。
もし ゴッホがこの絵を見ることができたなら、どれほどの喜びを持って向き合ったことか・・・

hokuto77 at 19:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(近代) 

2016年12月03日

増上寺、縁山流聲明と雅楽の夕べ

増上寺で ”縁山流聲明と雅楽の夕べ” を聞いた。(12月2日(金)18:00、大本山増上寺 大殿本堂)

声明 〜第23回 縁山流聲明公演
   振鉾 (舞楽)
   散華
   前伽陀
雅楽 〜第36回 雅楽定期演奏会
  第一部 管絃
   平調音取
   越殿楽 残楽三返 (唐楽)
   嘉辰 (朗詠)
   陪臚 (唐楽)
  第二部 舞楽
   萬歳楽 (左方舞楽)
   納曽利 (右方舞楽)
   長慶子

前半は 聲明(声明、しょうみょう)、場を浄める雅楽 「振鉾」(えんぶ)が奏された後、鐘の音と管絃に導かれるように始まった 「散華」は、句頭の持続音が地声と裏声を行ったり来たりするヨーデルのような超絶技巧に驚かされた。続く 「前伽陀」では オノ・ヨーコさんの ”絶叫”が思い出されたりと、今までに聞いた声明とはずいぶんと趣の異なるものだった。

乏しい体験ながら 声明に関するこれまでの印象は、浮遊感が強くとらえどころのない瞑想的な音楽といったものだったのだが、今回はしっかりと足が地についた厚みのある響きで、聴衆を圧倒するような力強さが感じられた。
これは、大原流を源流としつつ増上寺で独自の発展を遂げたという 縁山流(えんざんりゅう)固有の特色なのか、あるいはそこに京都と関東、天台宗と浄土宗といったもう少し広い方向性の違いを見るべきなのかはよくわからないが、雅楽のサポートもあってかなり聞き応えのあるパフォーマンスだった。

後半の 雅楽管絃の部は 「越殿楽 残楽三返」(えてんらく のこりがく さんべん)が面白かった。
3回の演奏の中で徐々に楽器を減らしていくというこの奏法は、賑々しい総奏に続く2回目で管のトップ奏者と弦楽器のみの演奏となり、さらに風笙や龍笛が吹き止めとなって最後は篳篥のソロと楽箏のつぶやくような音で終わった。
演奏が進むにつれて編成が薄くなっていくところはハイドンの「告別」を先取りするようだが(退場はしない)、今回は開口部の多い神社と違い反響のいい堂内だったこともあって、琵琶や楽箏の音色や音型がよく耳に届いてきた。

舞楽の部、左方の唐楽は隋の煬帝の作という 「萬歳楽」(まんざいらく)、正統的で安定感のある響きにのった朱い鳳凰の優雅な舞いは、おめでたい場に立ち会っているのだという祝典的な雰囲気を盛り上げる演目だ。
これに対し右方の高麗楽 「納曽利」(なそり)は、素朴でワイルドな感じがする曲に合わせて不気味さと滑稽さがない交ぜになったような雌雄の龍が現れてさまざまに戯れる。
それは、抽象度の高い ”型” が繰り返される「萬歳楽」よりも変化に富んでいて、それぞれの動きもより直截的な意味を持っているように思われた。

通常は読経の僧が坐る堂内中央の舞台を 声明>管絃>舞楽 と切替えながらの2時間余だったが、その間を埋めた解説も懇切でわかりやすく、最後の 「長慶子」(ちょうげいし)までたっぷりと楽しませていただいた。

hokuto77 at 19:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2016年12月01日

小林研一郎、読響のブラームス第4番

演奏会のチラシの文章をそのまま引用すれば、「歴史を築いた87歳の巨匠、一音一音が奇跡の瞬間を紡ぐ!」という イェルク・デムス(デームス)によるベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番に続いて、「円熟の ”炎のマエストロ” が人間味あふれる熱いタクトを振る!」という ブラームスの交響曲第4番、それは確かに、一言で言えば ”炎のコバケン” のブラームスだった。
”炎のコバケン”ないし ”炎のマエストロ”というのはいったい誰がいつ言い出したのか、と思ってみたらプログラムには 「”炎のマエストロ”小林研一郎の魅力」という文章もあって、1980年代に入った頃あたりからではないかとされていたが、そんなに早かっただろうか。
そして、この”称号”が冠せられ続けていることを、今年76歳のご本人はどう思っておられるのだろう。

確かにこの日の ブラームス第4交響曲 は、たっぷりとためを作ったり泣き節が入ったりと起伏の大きな演奏で、浪漫的な情感に満ち聴衆を強く引き込む力があった。ホルンの調子が悪かったのか大きな音でやや突出する感じがあったけれど、それすらも ”着火点” として機能させたのかと思うほど、じっくり聞かせるというよりは高い燃焼度で先へ先へと導いていった。
その持ち味は第恭攵呂茲蠅和茘軍攵呂埜果を発揮し、憂愁が支配するものと思っていた第験攵呂癲熱っぽさを帯びたままフィナーレに向かっていくところはお見事というべきか、ブラボーが飛び交うダイナミックなフィナーレとなり、それは確かに ”聞かせる” 要素に満ちた感動的な演奏だった。

しかし、これがブラームス最後の交響曲に関する唯一の解ではない、もっと枯淡の境地に踏み込んだ寂寥感の漂う演奏というのがあってもいいのではないか、という不遜な思いもまた否定できない。
もちろんこの日の演奏が 小林研一郎氏の目指す第4番ならば何の文句もないわけで、これはこれで十分に楽しませてもらいつつ、もし違った演奏を聞きたければそういうコンサートを探せばいいだけのことではある。

ただ、以前はともかく、今の小林氏自身が、もしもう少し異なったアプローチをしてみたいと思われているとしたら、それを ”炎のコバケン” というキャッチフレーズが邪魔しているという可能性はないだろうか。
べつに ”木枯らしのコバケン” とか、”氷のコバケン” に宗旨替えしたらなどと言っているわけではない、しかし、もし、あくまでも仮定の話だけれど、もしマエストロがもう少し違った境地を示そうといったことを考えておられるなら、”炎” から自由になっていただくこともアリなのではないか。

とまあ余計なことを書いてみたが、アンコールの熱っぽい ハンガリー舞曲第1番を聞けば、そんな気遣いはまったく無用なのかもしれない。
でも、前半の出番を終えて客席で聞いていたイェルク・デムス氏の感想も、せっかくだから聞いてみたいような気もした・・・

2016年11月24日(木) 19:00、サントリーホール
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
(アンコール)シューベルト: 即興曲Op142-2
ブラームス: 交響曲第4番 ホ短調 Op.98
(アンコール)ブラームス: ハンガリー舞曲第1番

>小林研一郎の過去記事
日本フィルのマーラー、第9番 
東日本大震災復興支援チャリティコンサート 2015

hokuto77 at 20:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽の部屋 

2016年11月30日

願成就院-1 本尊 阿弥陀如来坐像

2013年に 運慶作の仏像5点が国宝指定された、伊豆韮山の 願成就院を訪れた。
北条時政の元々の根拠地で源頼朝が ”流された” 蛭ヶ小島にも近いという故事から想像していたよりは平坦で明るい場所に、守山を背景にして大御堂が建ち、その正面に 阿弥陀如来坐像、そして左に 不動明王・二童子立像、右に 毘沙門天立像(いずれも国宝、1186年)が、寺のホトケとしてごく自然な形で並んでいた。
まず最初の印象は、両側の不動明王と毘沙門天が黒光りするように艶やかできりりとしまっていたのに対し、中央のご本尊は相対的にかなり大きく、どっしりとした量感がありながらも、やや控えめでもの静かな感じのお姿だったことだ。

そこでまず 「阿弥陀如来坐像」に注目していくと、まず法量については半丈六でこちらが先に定まり、おそらく当初はそれに合わせた菩薩像の脇侍があったはずなので、現在のように不動・毘沙門をすぐその両側に従える形が想定されているわけではなかっただろう。
だから、サイズや作風の違いは割り引いて考えるべきであるし、それでも残るこのご本尊の ”違和感” は運慶に帰せられるべきものでなく、現在の表情を決定づけている目元の修復によるものだ。
やや遠くて分かりにくいけれど、目の周りには別材があてられて、玉眼ではない彫り込まれた線によって静かに伏せたようになっている。
それは螺髪の前頭部分や胸の前で説法印を結ぼうとしている手が破損したのと同じ時に受けた損傷を放置できなかったからと思われるのだが、それがたとえ玉眼ではないとしても、何かを強く訴えかけてくるような運慶らしさを感じ取ることは難しい。

もっとも、今は指先を欠くものの水かきがはっきりと残る手には柔らかな感じがあり、像全体も穏やかな雰囲気を湛えているので、現状の眼もそのイメージからけっして逸脱するものではなく、一般的にはこの修復師はよい仕事をしたというべきだろう。
ただ、両側に立つ不動と毘沙門が、運び出しが容易で難を逃れやすかったこともあってか見事に原形をとどめ、しかも脇侍の菩薩の代わりにすぐ傍で ”運慶らしさ” を強烈に放っているために、やや気圧された格好になっていることには同情を禁じ得なかった。

hokuto77 at 22:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本彫刻 

2016年11月28日

ゴッホとゴーギャン-2 アルルという磁場

(東京都美術館 〜12/18)
”第3章 ポン=タヴェンのゴーギャン、アルルのファン・ゴッホ、そして共同生活へ” で、アルルを舞台に ゴッホとゴーギャンの2人の人生が濃密にクロスする。

先にアルルに着いたのは35歳の フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)、理想を胸に南仏の風土に出会った画家の創作意欲はいやがうえにも高まっていったに違いない。
グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」(1888 ファン・ゴッホ美術館)は、小さな作品ながらも明るさと平和な感じが充溢し、日本の華道や茶道の心が浮世絵を経由して伝わっているようでもあり、”自室に飾りたいゴッホ” の最右翼作品に挙げたい作品だ。

収穫」(ラ・クローの収穫、1888 ファン・ゴッホ美術館)は、人物や荷車といったアイテムは画面上で再構成されている可能性はあるものの、ほぼ見たままの6月の田園風景といっていいのだろう。しかし、明朗で鮮やかな色でここに描かれているのは、風景というよりはそれを見る側の喜びの感情にほかならない。
合わない仕事を辞めて絵を描いて生きていくことに決め、故郷を去りパリを経て、ようやくここまでやって来た。これが求めていたものだ、自分はここで生きていく、志を共にする仲間を募ってユートピアを作るんだ・・・
回り道をしてきた男がやっと辿りついた光景を前に大きく深呼吸し、いままでになかった開放感や昂揚感を覚えている、その満たされた心がストレートに感じられる作品だ。
思い描いていた生き方を実践していく見通しがつき、同志と見込んだゴーギャンがやってくるのを待つ、おそらくこのあたりが ゴッホの生涯の中でも最も幸福な時間だっただろう。

その ポール・ゴーギャン(1848〜1903)は40歳、ゴッホの誘いに応じて10月にアルルにやってくる。
2人の共同生活は結果として2か月で終わってしまうのだが、その間に制作された作品の中のベストが、隣にあった 「ブドウの収穫、人間の悲惨」(1888 オードロップゴー美術館)ということのようだ。
同じ ”収穫” をテーマにしながらも、黙々と作業をするのはブルターニュ風の民族衣装を着けた女たちで、その左には黒い服を着た謎の女が立ち、手前にいるのは収穫には何の関心もなさそうな物乞い女だ。
もちろんこれは見たままの光景であるはずはなく、ただ収穫を喜ぶだけでもない屈折した何かがそこにはある。収穫の場面に ”人間の悲惨” を持ち込む、それはシニカルさを含んだ独自の感性を反映しなければ成り立たない絵ではあるが、しかし ゴーギャンのものとしてはイメージも色彩もまだ弱いし、どこか混濁しているような感じがある。
だから自分でこの年の最高の作品と言ったのは何故なのかとも思うが、それはゴーギャンのこの後の作品を既に知っているから浮かぶ疑問なのだろう。当然ながらこの時点では、ゴーギャン自身この後どんな絵を描いていくのかまだわかっていない、しかしこの絵によって新しい一歩を踏み出した、この路線を極めていった先に自分の芸術というものがある、そんな手ごたえが感じられたからこその自己評価だったのだろう。
また同時にそれは、こうした創作のきっかけを作ってくれたゴッホへの謝辞という意味合いもあったのではないか。

アリスカンの並木路、アルル」(1888 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)は西新宿で何度も見ている絵だが、ゴッホとの2か月の共同生活が生み出した成果という意味では本展にとって不可欠のピースということになる。
ただ、これは色彩に斬新さがある美しい作品ながら普通の風景画という域を脱していないように思う一方で、「アルルの洗濯女」(1888 ビルバオ美術館)は、風景を素材としながらも何か別のものを表現しようする意図の方が強く出ているようだ。
そうした同時期の2枚と比べてみると、「ブドウの収穫、人間の悲惨」では、ゴーギャンの新しい狙いが過不足なく嵌り、その先の展開も見えてきたという満足感が高かったのだろう。

ゴーギャンの椅子」(1888 ファン・ゴッホ美術館)は、そんなゴーギャンのために肘掛椅子をあてがった ゴッホの作品。
自分は肘掛のない簡素な椅子にしたのは年長の客人への配慮だったと思われるが、そこに蝋燭と本を置いてゴーギャンを象徴させたのは、彼の知性や文学趣味に敬意を表したからに違いなく、その後のことを考えれば僅かながらも救いが感じられるような気がした。

hokuto77 at 19:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)西洋絵画(近代) 

2016年11月26日

禅・心をかたちに-8 牧谿、李唐、如拙

(東京国立博物館 〜11/27、展示替えあり)
”第四章 禅の仏たち” には 吉山明兆筆 「達磨・蝦蟇・鉄拐図」(室町時代・15世紀 京都・東福寺)が出ていた。達磨の左右に道教の仙人を配する異例の三幅対で、両脇の不気味な姿が怪しげな雰囲気を醸し出しており、名手ならではの充実した力作には違いない。
しかし禅の世界ではこれがどう評価されたのか、中央の達磨は困惑しているようにも、もしかしたら仙人の妖気が既に入ってきて毒されかかっているようにも見えた・・・

”第五章 禅文化の広がり” の冒頭は 李唐筆の国宝 「山水図」(南宋時代・12世紀 京都・高桐院)、南宋四大家の一人という 李唐はイメージをつかみにくい人物だが、これは文句なしの傑作だ。
右には谷川に沿った小径を大きな荷物を背負って上っていく一人の男、左には段々に落ちる滝の傍らで語り合う二人の男がいて、彼らを包み込むように大きな樹が立ち、その背後には天を衝く急峻な山が聳えている。その圧倒的な自然景観の中の小さな人間、極大の世界と極小の人間が、ここでは見事に均衡して奥深い世界を見せていた。

牧谿筆 「龍虎図」(南宋時代・咸淳5年(1269) 京都・大徳寺)は、やはり前期に見たもうひとつの「龍虎図」よりも風格や霊妙さは一段上を行くようだ。動きのない龍と虎だからこそ確固たる存在感をしているようであり、切りつめ感がなく画面の中に見事に収まっているところも正統的な作品であることを感じさせる。
黒々とした雲間から顔をのぞかせる龍の神秘的な感じは、類作の中でも群を抜くものだと思うし、風の中に立つ虎の威厳も、本物との乖離が気になるとはいえ先駆的な作品としては高いレベルのものといえるだろう。
以前に 牧谿画のベストテンを選んだ時点では記憶が曖昧だったために除外していたけれど、やはり少なくとも8位以内には入れなければならない。

同じく伝 牧谿筆とされる 「芙蓉図」(附千利休添文、南宋時代・13世紀 京都・大徳寺)も、小品ながら素晴らしいものだった。
ふわふわとやわらかい花弁は薄墨で、固い茎は濃い筆の線で巧みに描き分けられているが、それは墨の効果を知り尽くした描き手が自在に筆を操って即興的に仕上げた、まさに天才の技というほかはない。

国宝 「渓陰小築図」(太白真玄等七僧賛 室町時代・応永20年(1413) 京都・金地院)は、あらためて間近で向き合えば思ったより点描風の細かい筆の動きが見られたが、謎かけなど無い心の中の理想郷をストレートに描き、それを皆が素の心で愛で合うという共感の輪が広がった痕跡として、その時の彼らの思いがこちらにも伝わってくるようだ。
風の音が微かに聞こえてくるのが「竹斎読書図」ならば、こちらは水の音に包まれるしっとりとした世界だ。

大巧如拙筆の国宝 「瓢鮎図」(大岳周崇等三十一僧賛 室町時代・15世紀 京都・退蔵院)については前回ずいぶん書いたのであまり付け加えることもないが、今回特にひっかかったのは、なぜ瓢箪(ひょうたん)なのかということだ。
ぬるぬるしたナマズでも素手ならば捕まえられるかもしれないのに、あるいは網や竿を持ってくれば別の展開もありそうなのに、ひょうたんで、と言われたとたんに課題の難易度は急上昇する。
手段を間違えたり不合理な前提条件を付ければ、可能なものも不可能になってしまうというのは自明の理に違いない。本質的ではない何かに拘れば全体がとん挫する、あの人にやらせようとすると普通ならうまくいくはずのことも先に進まない、そのような警句と見るのは皮相すぎるかもしれないけれど、昨今のいろいろな騒動を見るにつけ、そんなことをふと思った。

その他、黙庵霊淵筆 「布袋図」(月江正印賛 南北朝時代・14世紀 京都・泉屋博古館)には楽天的な布袋の爽快な姿があり、雪村周継筆 「呂洞賓図」(室町時代・16世紀 奈良・大和文華館)はスピード感とダイナミズムの感じられる画面の最下部でやれやれという風情の龍の目が面白かった。
最終コーナーで光っていたのは 長谷川等伯筆 「竹林猿猴図屛風」(安土桃山時代・16世紀 京都・相国寺)、牧谿の厳しさが家族愛の姿に変容した猿は、鶴の不在にも拘らず生き生きと与えられた生を楽しんでいる。
そして、特別出品の 伊藤若冲筆鷲図」(江戸時代・1798年 プライス・コレクション)の孤高の姿が、展覧会の最後を引き締めていた。


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