2007年06月14日
白隠和尚・禅僧の書画−5 生と死の諸相
(永青文庫 6/2終了)
展示換え後の作品を見るために、最終日に再訪。
「御坊座禅図」は優しい顔の坊主、善意のかたまりのような坊主が、静かに眼を閉じて座禅をしている。ただそれだけの絵が、なんともいえない安堵感を見るものに与えてくれる。
「お福粉挽歌」、達磨をはじめとする禅画の大家が、なぜお多福の絵を多く描いたのか。”壽”という字でもっておめでたい絵を作りたかっただけなのか、それ以上の意図があったのか、とにかくここでは顔や衣の様子からは意外なほど繊細な手が美しい。
「死字法語」、”死”という字は、こうしてキーボードで打っても意味は同じだが、白隠の筆によるこの文字は”死”そのものの恐怖感や不可逆性、生が終わることの重さや地獄の沙汰の厳しさなど、”死”にまつわる全てのイメージを改めて提示し強く発信し、それによって見るものを慄かせる力を持っている。
「一円相」は大きな円を描いた画面、ここまで見ただけでも白隠禅師の幅の広さと奥の深さを思い知らされた。
展示換え後の作品を見るために、最終日に再訪。
「御坊座禅図」は優しい顔の坊主、善意のかたまりのような坊主が、静かに眼を閉じて座禅をしている。ただそれだけの絵が、なんともいえない安堵感を見るものに与えてくれる。
「お福粉挽歌」、達磨をはじめとする禅画の大家が、なぜお多福の絵を多く描いたのか。”壽”という字でもっておめでたい絵を作りたかっただけなのか、それ以上の意図があったのか、とにかくここでは顔や衣の様子からは意外なほど繊細な手が美しい。
「死字法語」、”死”という字は、こうしてキーボードで打っても意味は同じだが、白隠の筆によるこの文字は”死”そのものの恐怖感や不可逆性、生が終わることの重さや地獄の沙汰の厳しさなど、”死”にまつわる全てのイメージを改めて提示し強く発信し、それによって見るものを慄かせる力を持っている。
「一円相」は大きな円を描いた画面、ここまで見ただけでも白隠禅師の幅の広さと奥の深さを思い知らされた。