森と芸術-2 神話と伝説の森、風景画の森写楽展-2 大首絵の “写楽”は誰か

2011年05月30日

岡本太郎展-6 岡本太郎がこだわったもの

(東京国立近代美術館 5/8終了)
“第6章:消費社会との対決 パブリックアート、デザイン、マスメディア”には、商業的な作品といってよさそうなものが集められていた。
一般的には絵画もその大部分は “商品”といっていいと思うが、岡本太郎の場合はいわゆる “売り絵”というのはほとんどなく、壁画や野外彫刻といったパブリックアートの他は、家具やグラスといったグッズのデザインという形で創作を経済活動に組み込んだ。
今では当たり前のようになってきているそうした “プローモーション”も、道なき道を開き先駆的役割を果たすには、もちろんそれなりの非凡な才能があったのであろう。

”建築は合理性、機能性を追求するのに対し、壁画は人間本来の混沌、非合理性を表現する”というのは新都庁舎の壁画を制作した時の言葉だが、「太陽の塔」では “混沌、非合理性”を建築として実現した感があり、世間の評価がもう少し早ければ、本当はもっとベラボーな建物をいっぱい建てたかったに違いない。

会場にはタモリとの対談場面の映像展示があり、岡本の発する 「何だ、これは!」に対し、タモリが 「“何だ、これは、一体”ですよね」と受けると、「“一体“なんて余計なものはいらないんだ!」と切り返す場面があった。
それはどうでもいいような話でありながら、切り詰め研ぎ澄ませた自分の言葉を大切にしていること、自分の感覚と合わない部分には一切妥協しない姿勢などが垣間見えて興味深かった。

“第7章:岡本太郎との対決”に進むと、“目は存在と宇宙が合体する穴”、という理念に基づいて後半生に量産された “眼”をモチーフにした作品が小さな部屋の壁面を埋め尽くしていた。
それは展示としてはインパクトのある空間だったけれど、画家としての岡本のピークは随分と早い段階にあったことを再認識させるものでもあった。

“エピローグ:受け継がれる岡本太郎の精神”では、秘書から養女となった 岡本敏子の功績に光があてられていた。
1996年の死没以降、“風変わりなおっさん“が現代アートのカリスマとなって国立近代美術館で回顧展が開かれるまでになるには、彼女のペンの力による部分も大きかったようだが、太郎は今頃それに対して素直に謝意を表しているだろうか・・・


岡本太郎展 

常設展には、“空虚の形態学“というコーナーがあった。
そういえばここのコーナーはいつも表題の巧みさとパンフレットの立派さに誘われて足を踏み入れるのだが、果たして今回の展示は、やはり “空虚”であった。

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