ジョン・レノン,ニューヨーク-2 ジョンの作品磯江毅〈グスタボ・イソエ〉-5 深い眠り

2011年09月13日

古代ギリシャ展-4 人々の暮らしの光と影

(国立西洋美術館 〜9/25)
「円盤投げ」の近くで羽を広げていた 「ニケ小像」(ブロンズ、前500年頃)は、エジプトの神を感じさせる古拙なものだが、ギリシャ人にとっての勝利の女神の内なるイメージにうまく重なったのであろう、ルーブルの至宝とは全く違う素朴な姿にパワーが感じられた。

最終章の ”第4章 人々の暮らし”は、今まであまり垣間見たことのなかったギリシャ人の日常生活や死生観、世界観などが分かるコーナーで、ある意味では今回の展覧会で最大の見どころといえる。
ギリシャ文明の担い手の中心としてのアテナイを思い浮かべてみると、民主主義的な都市国家として現代の我々からみても理想的な社会だったようなイメージがあるが、実際には若者には厳しい兵役があり、日常生活を支える異民族の奴隷もいるなど、影というべき部分も確かにあったようだ。

”4-1 誕生、結婚、死”にあった 「少女の墓碑」(大理石、前330-前317年)は、未婚のまま亡くなってしまった少女の死を悼む碑で、そこに浮彫りにされた少女の姿は儚げで美しい。しかし、この時代の少女は周囲が決めた男に嫁ぐこととされており、それまでは抑圧され自由な楽しみも与えられない日々の生活に縛られていたらしく、そのまま一人前になることなく死んでいった少女の無念さを思うと、こんな碑で慰められるものでもないだろうという気がしてくる。
こうした碑の作成は贅沢なものとして前317年に禁止されたとのこと、それはアレクサンドロス大王の死去に伴い帝国が分裂した時期にあたるのだが、そんな “倹約令”の前も後も、少女のおかれた立場や生き方は基本的に変わることはなかったのであろう。

”4-2 性と欲望“の 「サテュロスから逃れようとするニンフの像」(大理石、後2世紀)は俗っぽいながらもよくできた彫刻だった。ダメよぅ、と逃れようとするニンフ、いいじゃないか、と抱き止めようとするサテュロス、そんな二人の絡み合う姿が360度どこから見ても楽しめる作りになっていて、特にニンフの体は大理石とは思えないように柔らかそうだった。
赤像式の ペリケ=水差しや キュリクス=酒杯、ヒュドリア=水甕(陶器、前5世紀頃)には、春画のようにエロティックな場面が描かれたものもあり、ギリシャにもそういうものがあったこと、それが陶器、すなわちそれなりに高価で制作には専門職人の腕を必要とし、また隠しておくには不便なものの側面に描かれていたところがまず意外だった。
さらに、男女の場面はともかくとして同性愛、特に年長と若年の男性同士の描写などを見ると、古代オリンピックが全裸で行われたというのも単に健康的で美しい肉体の賛歌とか不正防止目的などと言っていられるのかどうか、もしかすると同性愛者にとって現実的な意味を持つ場だったのではないのかなどという疑念が湧いてきた。
「地面から生えた男根に水をやる女」という奇妙な図柄は豊饒への願いなのか性的欲求なのか判然としないが、生えてきているのが4本というところに何か意味はあるのだろうか。

最後の ”4-3 個性とリアリズム”に行くと、巷には ”ギリシャ彫刻”のような肉体を持つ人々ばかりがいたわけではない現実がよく分かるが、「年老いた乳母と乳児の小像」(テラコッタ、前330-前300年)のようにしみじみと心温まるものならいいのだけれど、中には奴隷となった異民族を蔑視するような視線が感じられるものもあった。
抜けるような青空と白い街並みを輝かせる太陽の光が眩しいほど強いだけに、その裏側にできる影も濃い・・・

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