『青春落第組よ、括目せよ!! 
これが切通理作のロックンロールだ!!』

私は上京して五年目になる。
故郷も想い出も、何もかも、バッサリ捨てての事。
上京したての頃は、とにかく、書く仕事に就きたくて、闇雲に動いていた。その頃に、会う人毎に配っていたのが、A4サイズのコピー用紙に刷った、自分が観た映画の感想を書いた「ROCK!を抱いた渡り鳥」という「新聞」だった。

それは、一年ほど続き、最初のライターとしての仕事を得ると同時に、六号目で実質休刊となったのだが、今回復活の運びとなった。
というのも、また、血が滾るような映画を観たからだ。

それが、批評家、文筆家として名高い、切通理作氏が、映画監督として初メガホンを取った『青春夜話ーAmazing Placeー』だ。

この映画、爽やかで、ヌケがよく、非常に面白い一本なのだが、私にとっては、日ごろ封印している記憶を、嫌でも刺激し直撃するものなのだ。

「封印している私」は、保育園、小学校、中学校と、複雑な家の事情や、自分自身の目や足の障害の事で、いじめられ、無視され、高校の頃になると、そんな、自分を馬鹿にする人間を「この土民どもが!!」くらいの勢いで、逆に見下し、誰にも心を閉ざしていた私だった。
昼休みや放課後には、高校の美術室に篭り、コッペパンひとつを、わしわしと、ただ口に放り込み、牛乳で流し込んで、キャンバスに絵筆を走らせる、そんな私だった。

愛想は悪くはなかった、成績も悪くもなかった、内申書には「正義感が強い」とまで書かれた。しかし、それは、地味で面白くもない、ただ卒業証書が欲しいがため、頭上の嵐をやり過ごすだけの生活のために作り上げた私で、その生活はとても「青春」などとキラキラしい名前で呼べる代物ではなかったのだ。

その、封印された記憶を、灰色の記憶を、つつき、呼び出し、暴き出したのが、この「青春夜話」だったのだ。
青春時代に、それらしい事が一つも出来ず、それがコンプレックスどころかトラウマだった私に、謂わば「青春落第組」である私、いや「私たち」に寄り添い、遣る瀬無い思いを成仏させてくれるかのような、そんな、残酷と優しさが背中合わせの映画だったのだ。

これをROCKと言わずして何と言うのだろう。

私は青春夜話に、不遇な魂の開放を、切通理作という人のROCK魂を見た思いがした。


22448141_770230329851838_7541642785062817836_n