ずいひつ「夢」
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    !! 夢 に よ せ て !!

今年は自分の生れの、いのししの年に当っている。
四十数年もの難行の現実におさらばを告げると、夢しか残らない。それはさびしいが反面楽しい。

夢から夢へ。純一無雑な美を求めて止まない。たとえ混濁の世であってもそれはそれでよい。
その中に常にスカッとした一線を把えるのだ。帰結は平凡ということである。人間であること。

夢は人間がみる。私は瞬間々々の楽しい夢をみる。そして消えて行く。

     昭和三十四年正月一日               著者しるす






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      目  次

〇其の後の蛙………………………… 1    ○う ど ん…………………………63
〇泉を愛す…………………………… 3    ○天衣無縫の書………………………64
〇思い出の記………………………… 4    ○寝むれぬ夜…………………………65
○教 育 愛…………………………… 5    ○ 美 ………………………………67
○三十七オ…………………………… 6    ○ 夢…………………………………69
○感受と表現………………………… 6    ○霜をおく……………………………72
○ 瞬 間……………………………12    ○さびしみ……………………………72
〇 私 は……………………………13    ○あてにならぬ男……………………73
○ 破 る……………………………13    ○配所の月……………………………76
○西文明堂にて………………………13    ○ 旅 ………………………………77
○ふるさと……………………………15    ○御 慶 事…………………………79
○ 竿 ………………………………16    ○銀色の蜘蛛…………………………79
○日展特選記事………………………17    ○ 愛 情……………………………80
○好きな歌……………………………19    ○夢の子供達…………………………80
○ 思 い……………………………20    ○恩師御夫妻を慕う…………………84
○日展特選・朝倉賞をいただいて…22    ○お 月 様…………………………84
○呑気坊主……………………………27    ○静かな夜の花………………………85
○書道雑誌「書品」記事より………27    ○花は常に美しく……………………86
○こ の 頃…………………………30    ○忘れ得ない人………………………86
○西洋から観た書道と禅……………32    ○夜明け前……………………………88
○書道と禅(グレーフェ博士講演)…35    ○今宵は「江の島エレジー」………90
○弘法大師の書………………………38    ○ 酔 え……………………………92
○我が生活……………………………39    ○ あ ゝ …………………………93
○ 涙 ………………………………40    ○無 優 華…………………………94
○よろこび……………………………42    ○ 芸 術……………………………94
○随筆第一号「書家先生の記」……43    ○スマートなパイプ…………………96
○ 感 覚……………………………45    ○ 教 育……………………………96
○毎日書道展審査に上京して………46    ○微妙な世界…………………………99
○思いのまゝに………………………49    ○ 友 人………………………… 101
○ 抽 象……………………………51    ○残るもの………………………… 102
○書 道 展…………………………52    ○ 落 葉………………………… 103
○ゼミナール…………………………53    ○煙草の煙から…………………… 103
○「わび」「さび」それから………55    ○無に寄せて……………………… 104
○浮身と書道…………………………57    ○わ が 命……………………… 108
○雪の東京……………………………58    ○ふるさとを去って……………… 109
○ 大 字……………………………60    ○ 出 版………………………… 111
○いかれた頭…………………………61    ○ウイスキー、トリス…………… 112
○め い 人…………………………62    ○夢よさようなら………………… 113

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       ○其の後の蛙

 今宵も墨を磨っていると遠くの方で蛙の声が聞えて来る。もう五月の中旬過ぎである。

 蛙のことでふと思い出す。あの小野道風が雨あがりの池辺に歩みを運び、柳の垂れ下った様子に眼を止めたのも昔の丁度此の頃の季節だったろう。道風目身何かしら頭の中に晴れやらぬものがあったとさえ思われる。丁度この天候のように。然しほんとに偶然、彼はそこに一匹の蛙を見つけたのだ。土色のものか、青色のものか、大きいか、小さいか想像の外はないが。彼は今にも柳葉に飛びつこうとしている蛙を見ると同時に立止った。邪魔になることを恐れて。
 蛙は或目的をねらって飛びつこうとしている。恐らく水玉を虫とでも思ったのだろう。一度、二度、三度、遂に柳の枝につかまった。
 これを観た道風自身は今までの曇った心境が晴れて明快感を得た。はっきりと。書に志して以来眼が開かない。故に表現もまずい。けれども未だ自分は若い。何とかして心にかのう書境に到達したい。一生の仕事として。こう考えていた矢先故に。大きくうなずくと同時にほほえんだ。そして頬の筋肉はしまった。
 そして後年書道黄金時代といわれている平安朝の三蹟に列したのだ。

 道風の師蛙先生は池辺の一期一会からどうなさったのでしょう。
 蛙の先生は、人間がどう考えようが、どんなになさろうが、そんな事にはおかまいなしに、虫を求めた。柳の上へ上へとたどる程に遂におなかが空いて来てとうゝゝ夜になってしまった。ふと二つの目で観た。それはきらゝゝと光るお星様でした。蛙は美しい世界を今更の様に見つめた。
 だが気がついた時、柳の木には生活の糧はなかった。その時そよゝゝと新緑の夜風がやさしく全身をなでるのだった。友達連中は地上の世界で過ぎ去った自分の生活のそれの様に楽しく歌っていた。
 目分はよくまあひとりぼっちでここまで上って来たものだ。そうして此の二つのお目目で理想の天がはっきり観えることを限りなくよろこんだ。又一面、現実の声を聞けば古巣も偲ばれる。

 夜が明けた。小鳥が頭の上で楽しそうに朝の歌を歌いはじめた。丁度それに和してお日様が赤々と昇る頃、感慨無量。蛙は声も出なかった。只目をぱちくりさせた。遠い緑の山は連鎖して居る。薄墨色の森と線の奥ゆかしい美、よくもここまで来たものよと一入の感でした。
 柳の木は高い、道はまだ頂上には程遠い。そしてあの空は只遙かに観えるだけだ。一陣の風がさっと吹きつける。しずくがぱらゝゝと落ちる。歩む。上になる程動きが激しい。水かきのある此の手はどうも木の上では自信がない。そして落ちたら大変だ。まだ死にたくない。風は止んだ。お日様も雲にかくれてどんより曇って来た。そして小雨である。疲労が身にしみ空腹が感じられて仕方がない。尚上りたい。けれども下りよう。故里がなつかしい。そうだ下りよう。

 そして幾日かの後、久しぶりに土の上に立った。大地から空を仰いだ。おなかも満腹に近いものがあった。けれども、けれども、一度上った柳の木は苦しくも楽しかった。忘れられない心持で一杯だった。
 独り上りの道はさぴしかったが、それだけお空には近かったのに。再びお目目をばちくりさせた。そして水かきのある手で、一度おなかを静かになでてみた。今まで知らなかっただだっ広いおなかをつくづくながめて、そのしまりなさが情なくくやしかった。何もかもわからなくなって、無我夢中、ざんぶと池の中へ飛び込んだ。やがてぽかんと浮いた。

 目には涙があった。その目に雲間の太陽がきらきらと光った。

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      ○ 泉を愛す

   深く掘れば 掘るほど濁る この泉

   けれども それを止めた時から 静かに澄む

   泉は 不思議である



      ○ 思い出の記

 此の度私如き者が、第二回書道芸術院展覧会に光栄ある「推薦」賞をいただきましたことは全く僥倖に過ぎません。これは恩師上田桑鳩先生の言語に絶する御高教の賜でありまして只々ありがたさに涙のこぼれる思いで一杯です。
 尚宇野雪村氏や森田子龍氏の平素の御啓示に依るものであります。更に諸先輩、同僚、後輩の皆々様の直接、間接の御援助と御高情に依るものであります。茲に謹んで御礼申し上げます。

 「芸術は創造なり」という根底のもとに自己を生かしたい念願から作品を作りましたが、結局未完成に終りました。自分としましては感情を極限まで出しました関係上、これを更に知性的に反省追求しますのが今後の宿題だと思います。これは已に師からも示唆されている点ですからひたむきに前進したいものです。
 うっかり致しますと私の性格からして一作毎に未完成の連続で一生を終るのではないかとも思い、又これも否定しています。此の点につきましては今後皆様何卒よろしく御導き下さいます様。

 日輪を仰ぎ 万象に感謝しつつ。           昭和二十四年二月八日午後三時

   ほろにがき 薬あふれば 影あれど 光まばゆきあこがれの道



      ○ 教育愛

   愛が足らないのだ 私に足らないのだ だから小さな自分になる
   だから笑えない だから争うのだ ああ愛が足らない

   自分がどんなに苦しくとも 愛に生きたら
   おおみつけたこのこと



      ○ 三十七オ

   光ありて 雲は行くなり おもむろに あわれ三十七の 秋暮れんとす