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詩心墨意

<名詩鑑賞>

   600詩心・表紙    415経歴








石川梅次郎監修「詩心墨意」
昭和55年7月7日<広諭社>発行
掲載漢詩=約360 揮毫書家=96名
(岡山県書家・・・河田一臼、彫無季、大館桂堂、沢田虚舟)

 



 140-600春怨


謝肇淛



「長信多春草 愁中次第生 君王行不到 漸與玉階平」
  出典:明・謝肇淛・春怨 (広諭社「詩心墨意」334p)

<長信春草多く 愁中次第に生ず
           君王行き到らず 漸く玉階と平らかなり>

長信宮には若草が多くなり、それが愁いの空気の中でもどんどんのびる。天子がおいでにならないから、段々玉で造った階段と同じほどの高さになってしまう。







150-600秋怨




「明月憐團扇 西風怯綺羅
    低垂雲母帳 不忍見銀河」


出典:明・謝肇淛・秋怨
    (広諭社「詩心墨意」335p)

<明月団扇を憐(アワ)れみ 西風綺羅(キラ)怯(ケフ)たり 低く雲母の帳を垂れて 銀河を見るに忍びず>
(春怨と同じく、捨てられた女の悲しみを詠っている)

明月は団扇を憐れみ、秋風を軽く美しい絹の着物をまとった女が恐れる。雲母で作ったとばりを低くおろして銀河を見るのに忍びない。



















h450宛てん

「宛轉一臂斷 流落二喬輕 覆水已無及 通家如有情
 歸來粧粉暗 啼罷涙痕清 莫道紅裙怯 官家盛甲兵」


出典:明・徐渭(1521-93)・宛轉詞(広諭社「詩心墨意」333p)

<宛轉(エンテン)一臂(イッピ)斷ち 流落 二喬(ニケウ)輕し 覆水 已(スデ)に及ぶ無く 通家 情有るが如し   歸來 粧粉 暗く 啼き罷めば涙痕(ルイコン)清し 道(イ)ふ莫(ナカ)れ紅裙(コウクン)怯なりと 官家甲兵を盛んにす>

題意:めぐり変化して哀しいことを歌う。
大意:くるりと父は片腕を切り落とされ、おちぶれてさまよう美しい姉妹の薄命。断たれた仲はどうしようもないが、昔からのつきあいがあるのでどうして平気でいられよう。 帰った人の化粧は汚れても、泣き止んだ涙のあとは清い。紅い裙の美人がおびえていると言わないでおくれ、おかみは戦争の準備に余念がないのだから。   裙=すそ。






h450横とう渡


「横塘渡 郎西來  妾東去 感郎千金顧
 妾家住紅橋 朱門十字路 認取妾夷花 莫過楊柳樹」


出典:明・(広諭社「詩心墨意」336p)

<横塘渡 郎は西より來り  妾は東に去る 郎の千金の顧(コ)に感ず  妾が家は紅橋に住す 朱門十字路 妾夷(シンイ)の花を認取して 楊柳の樹を過ぐる莫れ>

題意:横塘の渡し場で誘う。
大意:横塘の渡し、あなたは西から来、私は東へ去ろうとしたが、あなたの好意が嬉しい。 私は紅い橋のたもとに住んでいるから、楊柳の樹を通り過ぎずに寄って下さい。





一字句の世界

線模様

「無」……フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
◇無(む)とは、否定を一般化した表現であり、対義語は有。物事が存在しない(ある状態の下にない)事と定義づけられている。
 東洋思想では、絶対無・空(0)・真如・道などと呼んできた。これらは切り離せない共通性を帯びており、思想史的に繋がっている事が確認されている。

◇物理的に何も無い空間を真空と呼び真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが突然出現する事が認められている。従って、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。

◇禅宗においては、無は根本的なテーマとして掲げられてきた。無は決して単なる非-有(Non-being)ではなく、有と無の対立を超えて、それらを包括するような絶対的な根源としての無である。この公案の登場人物である趙州は、この無を理解する事こそ最初の要であり、そして最終的な到達点でもあると述べている。


 一臼先生の表現される「無」は東洋(禅)的なものであろう。

無無h423無ー0無無h420無ー1無h410無ー2


















無sss無ーS1無無h400無ーS2無無h385無ーS3.














無無ー3無無h277無ーS5230-405額「無」.





















■「寂(じゃく)」
一般的には「侘・寂(わび・さび)」は、日本の美意識であり「質素で静かなもの」を指す。本来は、侘(わび)と寂(さび)は別の概念である。
・「侘(わび)」とは「粗末で簡素な様子」を意味している。端的にいえば「貧しい様子」であるが、禅宗の影響などで美意識の中にとりこまれていった。
・「寂(さび)」とは、人がいなくなって静かな状態を表し、また古いものの内側からにじみ出てくるような外装などに関係しない美しさ、古びた様子に美を見出す態度を表している。

寂◎一臼先生の表現される「寂(じゃく)」は、もちろん東洋的な意味合いであろうが、その内には<厳粛なもの>をも含んでいると思われる。

この作品「寂」は、前項の「無」表現のような筆法の変化を全く出さず、全てを内に込めて「泰然自若」としている。
 「寂」に対する先生の想いを観るようである。

 



          



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V62-15=細長「樂」布

作品と詩の世界5

  
380-315古風・左372-308古風・右















              片山家所蔵の「古風」六曲屏風










六曲古風













     昭和34年(1959)第11回毎日書道展(審査会員) 
     

   「大雅久不作 吾衰竟誰陳 王風委蔓草 戦国多荊榛 
    竜虎相淡食 兵戈逮狂秦 正声何微芒 哀怨起騒人   
    楊馬激頽波 開流蕩無限 廃興雖万変 憲章亦已淪
    自従建安来 綺麗不足珍 聖代復元古 垂衣貴清真
    群才属休明 乗運共躍鱗 文質相炳煥 衆星羅秋旻
    吾志在刪述 垂輝映千春 希聖如有立 絶筆於穫麟」

<大雅 久しく作らず 吾衰えなば竟(ツイ)に誰か陳べなん
 王風は蔓草(マンソウ)に委(ス)てられ戦国には荊榛(ケイシン)多し>
<竜虎相淡食し 兵戈 狂秦に逮(オヨ)ぶ正声 何ぞ微芒たる 哀怨騒人を起せり>
<楊馬は頽波(タイハ)を激し 流れを開き 蕩として限り無し 廃興万変すと雖も憲章 亦已(スデ)に淪(ホロ)べり>
<建安より来(コ)のかたは 綺麗にして珍とするに足らず聖代 元古に復し 衣を垂れて清真を貴ぶ>
<群才 休明に属し 運に乗じて共に鱗を躍らす 文質 相炳煥(アイヘイカン)として 衆星 秋旻(ビン)に羅(ツラ)なる>
<吾が志は刪述(サンジュツ)に在り 輝を垂れて 千春を映(テラ)さんとす 聖を希(ネゴ)うて 如(モ)し立つこと有らば 筆を獲麟(カクリン)に絶たん>

   出典:「古風(イニシエブリ)」・李白(701-762)

◎大雅のような大らかで正しい詩風がすたれてしまった。 私が老衰したら一体誰が之を復活してくれるのか王風の詩は地に落ち草の中に捨てられ、さらに戦国になると雑草ばかり生い茂った。
竜虎が食い合うように諸侯はあらそい、戦争は長く続いて、狂暴な秦におよんだ。正しい歌声は, かすか,なる状態になり哀しみと恨みが屈原たち騒人を生み出した。
楊雄と司馬相如は、くずれる波を立て直そうと努力したが、一旦開いた流れは広がってしまいとどまらない。其の後も詩人の盛衰をくりかえしながら千変万化したが、正しい詩法は滅んでしまった。 建安以後の詩は、ただ綺麗なだけで珍しいよいものとはいえない。
今こそ我が唐の聖代は太古の姿にかえり、 天子は衣を垂れ、無為のままで天下を治め、全てすっきりとありのままを貴ぶようになった。
多くの才ある者がやすらかな明るい御代にであい、時代の動きに乗り、魚が鱗をおどらすように活躍してきた。模様と生地が共にてりはえ、たくさんの星が秋の空に輝いている。
私の志は古代の詩の伝統を後世に伝えることだ。其の光が千年先を照らすような詩集を作ろう。 聖人の仕事にあやかって、立派に出来上がったならば、私もキリンをつかまえたところで筆を絶とう。


若き日任侠の世界に在り、酒を好み、婦人を愛し、壮大な自然と相対して得た李白の哲学は羨望やるかたなき、生き方ではある。

















 

mllmllm春歸
二曲屏風  昭和二十四年・書道芸術院第二回展=読売新聞社賞
                        
  「苔徑臨江竹 茅簷覆地花
   別來頻甲子 歸到忽春華
   倚杖看孤石 傾壺就淺沙
   遠鷗浮水靜 輕燕受風斜
   世路雖多梗 吾生亦有涯
   此身醒復醉 乘興即爲家」

<苔徑(タイケイ)江に臨む竹
 茅簷(ボウエン)地を覆う花
 別來 頻(シキリ)に甲子
 帰り到れば忽ち春華>
<杖に倚(ヨ)って孤石を看
 壺を傾けて淺沙に就く
 遠鷗水に浮かんで靜かに
 輕燕は風を受けて斜めなり>
<世路梗(フサガル)こと多しと雖も
 吾が生も亦(マタ)涯(カギリ)有り
 此の身醒めて復(マタ)醉う
                                 興に乘じて即ち家と爲さん>
pptoho-1 pptoho-2    
出典:杜甫(712- 770) 
      「春 歸」

◎苔むしたこみちには竹が川にかかるように茂り、茅ぶきの家の前には花が地面をおおうように咲いている。  別れてからこのかた、かなりな年月が過ぎた。帰ってみると、たちまち春景色一杯だ。  杖に寄りかかって庭にある一つの石を眺めたり、浅い砂地に行って酒壷を飲んだりする。
遠くの鴎は静かに水に浮かんでおり、身軽な燕は風を受けつつ斜めに飛んでいる。
世を生きてゆく道にはいろんな壁が多いものだが、我々の生涯も限りのあるものだ。
酔っては醒め、醒めては酔いで、興がのればそこをそのまま自分の家とするまでだ。


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■杜甫は中国詩史上もっとも偉大な詩人である。唐の玄宗の即位した年、洛陽の近郊の由緒ある家柄に生まれる。
 ニ十歳ごろから十数年各地を放浪し、李白などの詩人とも交友した。何度か挑戦した科挙の試験に失敗し、三十五歳のころ都長安に出たが仕官できず以後約十年、失意の生活をおくる。
 安録山の反乱にあい、捕虜となり監禁され妻子と別れる。乱が平らいだのち、都に帰った杜甫は、宿望かない宮仕えするが、わずかに一年余りで左遷される不幸に出合う。
杜甫四十八歳から約十年、蜀の成都や湖北・湖南の各地を流離い、人の世の苦しみと悲しみの経験をした。五十九歳のとき、湖南の船上で死んだ不幸な詩人である。

★杜甫の詩は、おしなべて沈痛な憂愁に貫かれている。若いころから儒家的教養を身につけていた杜甫は、大きな理想に反する世を歎き悲しむ。
 一方貧しい人々を見ては、正義感から発する激しい怒りや憂愁をぶちまける杜甫の詩は、真の人間の文学として、今の世にも燦然と光りかがやいている。
「杜工部集」に収められる杜甫の詩は、千四百五十五首。「月夜」(今 夜 フ 州 月〜)、「春望」(國破山河在〜)の五言律詩の完成により天才詩人・杜甫が誕生したといえる。
 「詩仙」李白(701-762)に対して、「詩聖」 杜甫(712- 770) と呼ばれる。
















問吾96
「 問余何意棲碧山 笑而不答心自閑
      桃花流水窅然去 別有天地非人間」


<余に問う何の意(ココロ)にて碧山に住むと 笑うて答えず心自ずから閑かなり 桃花流水窅然(ヨウゼン)として去り 別に天地の人間に非る有り> 

 出典:李白(701-762)・山中答俗人  


◎ある俗人が私に、何のためにこんな樹ばかり茂った山の中に住んでいるのかとたずねた。
答えずに冷笑しただけであったが、私の心はそんなことにかかわりなく静かなものだ。
ごらんなさい、のんびりとしたあの桃花流水を。ここは俗物の住む世間とはちがった別天地なのだ。

   pp105_8山中答俗人


”住む”を「棲」と「栖」に使い分けている。















 






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  「盧山煙雨浙江潮 
   未到千般恨不消
   到得帰来無別事 
   盧山烟雨浙江潮」

<盧山は煙雨浙江は潮 未だ到らざれば千般の恨み(愁い)を消せず 到り得帰り来って別事なし 盧山は烟雨浙江は潮>
 
出典:蘇軾(そしょく=1036 -
     1101・蘇東坡)の詩  

◎誰もが一度は行ってみたい盧山や浙江は、行かなければ悔いるようだが、実際に行ってみると得るものもなく行かなくても同じこと (悟ったからといって何の変わりはないものだ)


◇一臼先生の作品表現では、詩句2節目で「不到〜未消」になっていますが「未到〜不消」が原書です。
 「恨」は「愁」に表現されることもあります。「煙」と「烟」もいずれを使っても同意であります。
ppprozan333
◇探勝の旅を果たし得て美しい風景を眺めた後には、何でもないものになってしまいます。見ぬうちが花です。
あこがれ望んでいるうちが、幸福なのでしょう。しかし、その別事無きところは、みずからその地に行かなければ分からないのです。
◇「廬山は烟雨」というのは、江西省にある奇峰名瀑の名山、廬山が雲霧に煙るさまであり、
「浙江は潮」というのは、大河、銭塘江(セントウコウ)で起き
                        る満潮時の海瀟現象を表しています。
大意では天下の二大奇観に対する幻滅を謳っているようですが、真意は、悟る前は一生懸命その境地を求め、やっと悟りの境地に至ったが、また日常に戻ると何も変わっていない。ただその精神の内容は変わっているという意味です。



















竹影.「竹影掃階塵不動 月輪穿沼水無痕」
              (月穿漂沼水無痕)は禅語表記か?

<竹影階を掃って塵動かず  月輪沼を穿って水痕(アト)無し> 
  出典:菜根譚(サイコンタン)  
 
◎竹の影がきばはしをはらっても塵は立たず、月輪が沼にうつっても水面にはその跡をとどめない。(俗念妄想を絶した境地)


中国の古典『菜根譚』は、明・洪自誠(1573-1619)による随想集です。前集(主として社会生活の心得)と後集(風月を友とする楽しみ)に分かれており、 すぐれた「人生の書」として愛読されてきた。
『菜根譚』にもられた洪自誠の思想は三つの側面を持つものだと言えます。
〃虔覆蔑冤観 ⊃びやかな風雅の心 したたかな処世の知恵

古徳伝、    竹影掃階塵不動、月輪穿沼水無痕
吾儒伝、    水流任急境常静、花落雖頻意自閑。
人常持此意、  以應事接物、身心何等自在。
<古徳伝う、「竹影、階を掃うも塵動かず。月輪、沼を穿つも水に痕なし」と。   吾が儒云う、「水流、急に任せて境常に静かなり。
       花、落つること頻りなりといえども、意おのづから閑なり」と。 
       人常にこの意を持して、以って事に応じ物に接すれば、心身なんらの自在ぞ>pp竹影〜22

(解釈) 昔の名僧が言っている。「竹の影が縁先を掃くが、塵は少しも動きはしない。月の光が沼の底までさしこむが、水に跡を残しはしない」と。
わが国の儒者も言う。「水が激しく流れていても、あたりは常に静かである。花がしきりに落ちるけれども、それを眺めている心は自然にのどかになる」と。
こんな気持ちであらゆる事に対処できれば、なんと身も心ものびのびすることであろう。

















 











無心・額無心軸未表装・無心











 








           「 無心 」              「 無心歸大道 」

    大道は至道と同義語 ”大道無門”など、全て禅語である。

   意もほぼ同じで、無心になること(無欲であること)の大切さを説いている。

pp大道無門
「 大道無門 」
至道も同じ。大道は無象無形で人を拒否する関門もないが、
参入しがたい。
続く句は
「千差路有り 此の関を透得すれば 乾坤に独歩せん」 
(その門はどの道にも通じている。その門を通ることができれば、天地の間を自在に歩けよう)


















ppp7回1976二曲風吹不動 










 



 


 



   「風吹不動天邊月 雪壓難摧礀底松」

<風吹けども動かず天邊の月 雪壓せども摧(クダ)け難し礀底(カンテイ)の松>
   出典:禅林句集  

◎風が吹いても、天上に輝く月は少しも動じることはない。
 雪が降り積もっても谷間の松は折れずに立っている。

  (不動の意志) 
風吹不動


hhpp2830不動pphh2938不動hh0130不動


 






 




 





















pp110南山

「 悠然見(観)南山 」 

 <悠然として南山を見る > 
 出典:陶淵明(365〜427)
       ・飲酒



pppMount_Lushan 


 







  飮酒二十首 其五
結廬在人境  廬を結ぶに 人境に在り
而無車馬喧  而して車馬の喧(カマビス)しき無し
問君何能爾  君に問ふ 何ぞ能く爾ると
心遠地自偏  心遠ければ 地 自ら偏(カタヨ)る
采菊東籬下  菊を采(ト)る東籬(マガキ)の下(モト)
悠然見南山  悠然として南山を見る
山氣日夕佳  山氣  日夕に佳(ヨ)く,
飛鳥相與還  飛鳥  相ひ與(トモ)に還(カエ)る
此中有眞意  此の中に  眞意有り
欲辨已忘言  辨んと欲して 已(スデ)に言を忘る

◎隠遁して暮らす庵は、それほど人里から離れていない。 とはいえ訪問客の訪れる車馬の音が騒々しい、ということもない。  どうしてそんなことができるのか。 心情が超然としていれば(住む)地も辺鄙なところになる。
東側のまがき(垣根)のもとで菊を摘み、 ゆったりとして南山(廬山)をながめる。
山の様子は夕暮れ時が美しくよい。 飛ぶ鳥が群をなして一塊りになって帰っていく。
この中にこそ真実の姿がある。(自然の摂理を)考え分けようとしても、もはや言葉を忘れてしまった。

東晋の田園詩人・陶淵明は五柳先生と自称し、田園生活と酒をよく詠った。
******
廬山(ろざん、中国語ではLushan)は中国江西省九江市にあり、廬山自然公園としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
◇「悠然見南山」は禅語としてもよく使われています。
  次の写真は備前焼花瓶に刻書された一臼先生の「悠然見南山」です。
     kabin-1kabin-2


 






 







 






 






我眉山がび山222





   「峨眉山月半輪秋
 影入平羌江水流
 夜発清渓向三峡
 思君不見下渝州」

<峨眉山月半輪の秋,影は平羌江水に入りて流る 夜清溪を發して三峽に向ひ,君を思へども見ず渝州に下る>
 
 出典:李白(701-762)
      峨眉山月歌  

◎峨眉山には半月が出ている秋(の宵) 月影は平羌江に沈んで江水は流れる 夜に清渓の駅を発って三峽に向かう 君を思うが、会わないで渝州へ下っていく
 

・峨眉山月歌:この作品は、次の語句から女性を暗示していることが分かる。
  「峨眉」=蛾眉:女性の美しい眉。
  「月半輪」=半月=親族や夫婦などの関係で、別れて片側だけになること。
  「思君」:異性を思う。 
・峨眉山:現・四川省峨眉山市の西南にある山。
・影:ここでは月影のこと。 ・入:ここでは、沈むことになる。
・平羌江(ヘイキョウコウ)は青衣江のことで、岷江(長江=揚子江上流)に注ぎ込む。
・三峡を清溪と渝州との間の長江(岷江)とみて、(炊宜匠諭焚緘山)⇒∪況蔓有三峽(黎頭峽→背峨峽→平羌峽)⇒ま畚(目的地=重慶)と並ぶ。 



 






 





閑雲野鶴・軸

  「閑雲野鶴心同靜 瓶水爐香意自如」

<閑雲野鶴と心同じく靜に、
      瓶水(ヘイスイ)爐香意自如(イジジョ)>

  出典:張廷琢・  

◎しづかな雲、野に棲む鶴、我が心はそれと同じく静かで、花瓶の水や爐の香りで、心ものびのびする。


◇しずかに空に浮かぶ雲と、野に遊ぶ鶴。 何ものにも束縛されない悠々自適の境遇のたとえであり、「閑雲野鶴」は(のんびり気ままに、自然に親しみながら暮らすこと)の代名詞として、よく用いられる。

pp105_4色紙・閑雲    









 






 













ppp1426無東西

「本来無東西 何処有南北 /
          迷故三界城 悟故十方空」

<迷うが故に三界は城、悟るが故に十方は空なり /
 本来東西は無く、何処にか南北有らん
=めいこさんがいじょう ごこじっぽうくう
    ほんらいむとうざい がしょうなんぼく> 

 出典:弘法大師空海・四句の偈   

◎迷うから、そこに壁があるように感じる。迷わなければ、障壁はない。そもそも、本来、東と西の区別は無い。だとすると、南と北の区別も無い。要は、自分の気持ちの持ち方一つである。
菅笠色紙無東西


 

 





★一臼先生の作品では、すべて前後の語句が逆に書かれています。このほうが語韻がいいと思いますが、一臼先生の真意はどこにあったのかは知るすべがありません。

★お遍路さんの菅傘には、次の6つの言葉が書かれています。
「迷故三界城」「悟故十方空」「同行二人」「何処有南北」「本来無東西」弘法大師を表す梵字が1字。これらは、自然や宇宙の中には永遠の命があり、精進や修行を重ねながら自分もまた無限の命と一体化していこうという遍路の決意を表したものです。

それぞれの意味を要約すれば〜
・迷故三界城:日常生活での迷いの中にいると、 欲望や観念の世界にとらわれ、苦しみ悩んでいる。
・悟故十方空:巡拝によって心身を清めれば、迷いの中から離れ、明るく、幸せな生活がおくれる。
・本来無東西:精進修行し、我を捨てて弘法大師から徳をいただけば、敵対する者はなくなり平和な社会となる。
・何処有南北:我執にとらわれず、こだわりを捨てることは、苦しみや悩みをなくし、人生に広い世界が広がる。
・同行二人:遍路は、弘法大師さまが、ご一緒ですよ。


















詩・大摩周 
「 萬岳雲晴歸一眸 千年紺碧大摩周 
   總忘苦樂人間事 湖上閑吟極勝游 」

<萬岳雲晴れて一眸に歸す 千年紺碧の大摩周 
   總て忘る苦樂の人間事 湖上閑吟して勝游を極む>

 出典:永平寺・泰禅・・摩周湖第一展望台文学碑

◎周囲の山々雲晴れて一眸に帰す 千年紺碧の大摩周 
  総てを忘れる苦楽の人間事 湖上閑を吟じて勝遊を極める




★昭和49年6月に故河田一臼先生が奥様同伴で北海道旅行をされた時に、摩周湖第一展望台にある石碑の漢詩を揮毫されたものです。この作品は第5回玉龍会展に出品されました。
詩碑



 







 








 







いじょう朝雨

  「渭城朝雨浥軽塵
   客舎青々柳色新
   勧君更盡一杯酒
   西出陽関無故人」


<渭城の朝雨 軽塵を潤おし 客舎青々柳色新たなり 君に勧む更に尽せ一杯の酒 西のかた陽関を出ずれば 故人無からん> 

 出典:王維(701-761)
     ・陽関三畳
( 送元ニ使安西 元二の安西に使いするを送る)  


◎渭城に朝から降っている雨は、舞い立つ塵をおさえて潤している。  
 別れの宴をはる旅舎の庭に生えている柳の葉は一際青々としている。
 君に お勧めするが、もう一杯飲み乾(ホ)したまえ。  
 ここから西方の陽関を出れば、だれも知り合いはいないだろう。
mm陽関三畳

◇王維は唐の玄宗皇帝に仕えたが、早くから学と芸とに秀いで、その詩、書、画ともに優れていた。玄宗皇帝初期の太平の世、唐朝の威光は天下にとどろき、その勢いは遠く西域までものびていた。
友人元二が安西都護府(現在のトルファン)へ官命で出張するのを、渭城(いじょう)で見送る。西域へ行くには、都長安から渭水を渡り、そこにある町渭城で、出立の用意をし、送別をした。
◇其の後、送別のときには、この詩を3回繰り返して詠うならわしとなった。



 






 




hh350万里無雲天下の












 





    「萬里無雲孤月圓」                      「一花開天下春」      

<萬里雲なく孤月圓(マドカ)なり>               <一花開いて天下春なり>
   見渡す限り雲ひとつなく                   梅が咲き初めて、どこも
    円い月が照っている。                    かしこも春とはなった。
                いずれも 出典:虚堂録(キドウロク)である。


◇虚堂録は南宋末の禅僧、虚堂智愚(1185-1269)の語録です。
虚堂は、大応国師の師に当るので、語録は出版と同時に日本に伝わった。中世日本の臨済宗でもっとも広く読まれた語録の一つである。  

◇虚堂録には次のような一般によく使われる語句が多い。
「年年是好年 日日是好日」(いつでも心地よい日である。でも良いことばかりではないから、執着、煩悩をたちきって清純無垢となりましょう)   
垂絲千尺 不釣凡鱗」(千尺もある深い釣り糸は、雑魚は釣らない)
「寒雲抱幽石 霜月照清池」など



 












hh370真空妙有h450真空








「 真空妙有 」    

 大乗仏教の根本精神とするところ。 一事一物すべてを真如の相(スガタ)において光明を放つこと
<吾心は秋月に似たり 碧潭に清く皎潔>(禅語)と続きます。
私達の心は秋の明月のように円満無欠であり、緑色の深淵に照り映えて清く輝いている。これはあくまでたとえであって、結局は何物にも比べることは出来ず、また言葉で説明し尽くすことは出来ない。 人みな仏になる性質をもっていることを、月にたとえている禅語です。


●河田一臼先生は「人生と書道」の中で次のように述べている。(要約)
<一から無限大に拡大されているこの一と無限大は合致しているのだ。仏教ではこのことを「真空妙有」と言っている。「真空」とは純粋無雑であり、「妙有」は不可思議に存在し現れることで全く微妙なのである。
  書道に於いてはこの両者を「白黒」としてよいだろう。絵画に於ける色彩ではない。やり換えを許さない、厳粛なもので一本勝負なのである。敢えて言えば白と黒の対決であって中間は許されない。書道の白と言い、仏教の「真空」と言い、不滅なものを信じての謂と思われる。故に「白即黒」であり、太陽は万物を照らし、「真空即妙有」であり「一即千変万化」なのである>



 









h402青山緑水
「青山緑水元依奮 明月清風共一家」

<青山緑水元(モト)奮に依る 明月清風共に一家> 
  出典:五灯会元(禅語)


◎悟ってみれば昔どおり変わりない。


hh360青山元不動


「青山元不動 白雲自去来」

<青山元より不動にして、白雲自ずから
 去来す>
  出典:禅語


◎青くそびえる山はもとから不動であり、白雲はその周囲を無心に去来している。


                 
     









 










森羅万象







 






      昭和30年(1953) 第6回毎日書道展(審査会員)     「森羅影裏藏身」

  <森羅影裏に身を蔵す>    仏教(禅)語……「禅語字彙」より

   俗塵に伍して度生に従う。  また万物の中に身を蔵する意。







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