2014年04月13日

直前期の過ごし方

4月に入り、司法書士試験の受験生は、約3ヶ月間の直前期に入ります。

ちなみに私の場合、実家の自営の仕事がGW過ぎまで忙しく、私にとっての直前期は5月の第2週からでした(GW明けから仕事は休ませてもらっていました)。

私は、3回目の受験で運良く合格することができましたが、以下に、その3回の直前期で実践したことを書いていきたいと思います。

1 試験が終わるまで遊べない、連絡をしない旨を友人に伝えた
これは直前期ではなく、毎年1月頃には友人に話していました。試験後のフォロー(メールをする、飲み会を開くなど)が大切です。

2 カレンダーに試験までの残りの日数を書き入れ(カウントダウン)、一日の終りに日付に「X」を付けていった
勉強のみに没頭する直前期における時間の流れの早さは尋常なものではなく、1日・1週間・1ヶ月はあっという間に過ぎていきます。残された時間を把握しておくと、勉強の計画が立てやすく、また、ペース配分もしやすかったと思います。

3 アルコールを絶った
アルコールは脳を覚醒し、記憶や睡眠に確実に悪影響を及ぼします。ノンアルコールビールや炭酸水でかなり気が紛れます。今となっては毎日飲んでいますが……

4 病院は早めに
病院は病人が集まるところです。私は、2回目(平成24年度)の受験の際、迂闊にも6月上旬に病院に行き、風邪をもらいました。2日間使い物にならず、模試も欠席しました。薬の処方を受けている方は、早めに行っておいた方が良いと思います。

5 できるだけ毎日イメトレをした
本試験の1ヶ月前、2週間前、1週間前、3日前、前日、本試験当日(朝、午前、昼、午後)のそれぞれの時期における、勉強の進行や生活(起床・就寝時間、食事等)について、自分の理想とする過ごし方を、1日5〜10分程度、イメージしていました。

また、本試験についても、,匹里茲Δ併間配分、順序で解いていくのか、∧僂別簑蠅出題された場合、どう対処すべきか(とりあえず解くか、後回しにするか)、マークシートや解答欄の記載箇所を誤った場合、どう収拾させるかを頭の中でシュミレーションしていました。

6 模試は地元で受けた
地方から大都市に模試を受けに行くメリットは少ないと考えます。詳細については、次回にでも書きます。


私は、毎年、4月からの3ヶ月間で約1200時間勉強していましたが、辛い苦しいと思ったことは多分ありませんでした。「こんなに楽しいことは他にない」とさえ思っていました。

とはいえ、「じゃあ、もう1回やってみろ」と言われても、できません。

2014年04月03日

司法書士になりました

平成26年4月3日、茨城司法書士会にて、私ひとりが参加する入会式がありました。

茨城司法書士会会長より司法書士登録証の授与の際、いささか感極まり、涙が瞼にうっすらと滲んできました。

会長は、「茨城県民のために、自己の研鑽のために、業務を行ってください」とおっしゃいました。

今日で私は、司法書士となりました。正直、あまり実感がありません。

私は、(法律的な地位・権利における)安心を売る商売をしていきたいと思います。

2014年03月26日

3年半ぶりの更新

実に約3年半ぶりの記事を書きます。

私儀ではありますが、昨年11月、平成25年 度司法書士試験に合格しました。登録申請を済ませ、もうすぐ司法書士になります。

仕事、開業準備、認定考査対策等なかなか忙しく、嬉しい悲鳴をあげているところでありますが、受験時代のこと、研修のこと、司法書士登録のこと、開業準備のことなどなど、書ける範囲で書いていきたいと思います。

2010年09月06日

夏の夜明かし

先日の飲み会、時間等の確認を懈怠(けたい)し、終電で帰れなかった。

とりあえず、行けるとこまで行って辿り着いたその日の終着駅。人もまばらなその駅近辺を、これからどうしたものかと暗澹(あんたん)たる思いで、恐らく一時間ほど歩き、考えた。

始発までの時間を潰すため、居酒屋に入るか、ネカフェに入るか、ラブホに入るか迷ったのだけれど、その日は6時の起床に始まり、半日スカッシュをプレー、夕方からの飲み会は不健康を極めたダブルヘッダー。もう学生のような体力は残っていなかったので、結局ビジネスホテルで一夜を明かすことにした。

チェックインして、シャワーを浴び、時計を見るとすでに午前2時。

泊まったビジネスホテルは、そこそこ名のあるところだったので、値段もそこそこかかってしまったが、真っ白でパリパリなシーツはプライスレス。ベッドに何度もヘッドスライディングをしてしまった。なんかもう旅行気分でテンションが上がってしまって。

ある意味、ビジネスホテルの部屋(特にシングル)は、ちょっとした小宇宙ですな。鬱陶しい電話さえ切ってしまえば、邪魔するものは誰もいない、自分だけの空間になる。

なんて盛り上がっていたのもほんの束の間。押し寄せる疲れのため、瞬く間に眠りに落ちてしまったらしい。

朝食はバイキングなので、楽しみにしていたのだけれど、結局チェックアウトの10時まで寝ていたため食べられなかった(駅でおにぎりとサンドイッチを買った)。

2010年03月17日

再会を願って4

友人から電話があった。

東京を引き払い、地元(広島)に戻るのだと。ついては食事にでも行こうと。

翌々日、渋谷で待ち合わせ、落ち着いて話せそうな店に入った。

よくよく考えると、最後に会ったのは、半年以上前。あまりそうした感覚は無かったが。

お互いの近況報告、今後のこと、共通の友人達のこと、思い出話……ごくありきたりな話題ばかりだったが、次いつ会えるのかと思うと、その会話の全部が、かけがえの無いもののように感じられてならなかった。

「俺たち最初に会ったの10年前だぜ!?」

振り返ったときの月日の流れの速さを痛烈に感じた。

ラストオーダーの時間になってようやく店を出た。

駅まで一緒に歩き、別れ際、何故か右手と左手、2回力をこめて握手をした。もう一度右手でしようと思ったけれど、目が潤みかけたので、手を振りながら、踵(きびす)を返し、別れた。

彼の地元が遠隔地なので、次はいつ会うことができるか分からないが、お互い「良い」近況報告ができたらと思う。

2010年01月08日

3度目のスカッシュ3

今週は、すでに2度もスカッシュをすることができました(各40分)。そして今日もスカッシュする予定なので、合計で3回! こんなにやるの久しぶりです。

晩ご飯を、光の速さで、シャワーをマッハの速さで済ませると、案外時間が取れるものです。

逆に、ご飯を食べながら酎ハイなんて飲み始めるともう最悪。「1杯だけ」が3杯4杯になるは、ネットでドラマを観始めるは、挙句の果てにはシャワーを浴びながらブツブツブツブツと独り言。現実逃避のオンパレード。ダメ人間の典型です。

要は、メリハリが大事ってことでしょうかね。適度に運動すると、お脳のあたりもスッキリする気がします。

ただ、寒さで筋肉が硬くなっているから、ケガには気をつけないと。

さて、今日はどんな練習をしましょうかえ。

2009年12月24日

新橋にて4

先日、新橋で志を同じくする友人と会いました。

SL広場で待ち合わせ。そして、心当たりの店に移動するも、この時期、どこのお店もスーツ姿のオジサン方で一杯。3軒目でようやく入れたのが駅近くの地下にある小料理屋。

料理なんてそっちのけで(餃子やビーフン等、美味しかったですが)、積もりに積もった話をしているうちに、あっという間に11時。

次に会う時は、お互い良い経過・結果を報告し合えたら思います。

少し早めのクリスマスプレゼント。役に立てばいいのだけれど。

2009年12月21日

忘年会のような飲み会4

ひどい頭痛です。

日曜日、忘年会的な飲み会がありました。

外で飲んだのは、実に2ヶ月ぶりで、場慣れしていなかったせいか、いきなり一杯目で酔っ払ってしまいました。

場所は、宮崎地鶏を扱う居酒屋。メンバーは、ほぼ言わずもがなですが、この1~2ヶ月間全く会わなかった人もいたので、顔が見れ、近況を知ることができ嬉しかったです。

この店を10時ごろに出た後、有志3人と共に2次会に繰り出し(雰囲気のいい、いわゆる“隠れ家”的なお店です)、12時近くまで居ました。

ウチに戻ると、倒れるように就寝。テーブルには、どこで買ったのか、海鮮弁当が置かれていました。

今回、ストレスに対する防御策として王子(焼肉)に今回の飲み会を提案したのですが、この飲み会のために体調管理とスケジュール調整を徹底したため、諸般の事情に係る行為等も非常に順調に進みました(土日だけで21時間できました)。

そういうわけで、たまには僕と遊んでやってください。

よろしくお願いします。

2009年11月26日

マインドマップ(メモリーツリー)4

マインドマップ(メモリーツリー)は、ドラマ・マンガ『ドラゴン桜』でも紹介されていた、記憶・情報整理を助けるためのノート術。

ある事柄を中心に置いて、それに関連する情報を放射状に枝分かれ式に書いていきます。

例えば、スカッシュについて簡単に記述すると、このようになります(フリーソフトFreeMindを使用〔Win、Macの両方で利用可〕)。

map
このソフト、昨日インストールしたばかりなので、この程度のものしか作れませんでしたが、これに色をつけたり、アイコンや画像を貼り付けたりすると、よりイメージが湧きやすく、情報が整理され、かつ記憶の助けになるそうです。

僕は、マインドマップに以前から多少の興味を抱いていたため、Youtubeの動画等を参考に、試しに手書きでやってみました。どんなものかと。

@1
これは、民法総則の第3節「代理(第99条~第118条)」をまとめたものです(蛇足ですが、「部長の代理で来ました」などと上司に指示された用件を単に伝えに来る人がいますが、これは代理人ではなく、ただの使いっ走り。法的には、これを「使者」と言います)。

色は、自分のその色に対する肯定的・否定的なイメージを基に選択し、時計回りに右上からグリーン、イエロー、オレンジと書いていったのは良かったのですが、後半のブルーの部分になってくると、書くスペースが無くなってきて、ゴチャゴチャになってしまいました。

作成してから一度も見返していませんし、正確な用語はサッパリの状態ですが、現在でも大分情報が整理し保持できていると感じています。

特に有用だと感じたことは、憶えたり理解する必要がある事柄を、ノートの位置で把握できること。これは、無味乾燥なことを視覚化することに大いに役立つでしょう。そして、余計な説明文を控えて、記述は最小限に留めているため、確認や復習が短時間で済みそうだというとです。

為替チャートなどのように、比較を要する情報については、マインドマップではなく、表形式にしてしまった方が判りやすいでしょう。

もしかしたら何かの役(プレゼン、勉強、自己分析等)に立つかもしれませんので、興味がある方はお試しあれ。

2009年11月10日

旅行中のヘンな写真3

話を蒸し返すようでアレですが、旅行中に撮った写真で、どうしても日記の内容と合わなかった写真で変わったものを掲載します。

IMG_0163_r1_c1
ベトナム・サイゴンにて。大通りの歩道でこのような形態で眠れるオッサンが凄いのか、このような乗り方をしても倒れないバイクが凄いのか。


IMG_0300_r1_c1
バングラデシュ・ダッカ郊外の空港近くにて。この写真はいささかシュールですが、彼以外にも走行する電車の上を駆け回っていた少年がいました。無邪気でいいですね。


IMG_0381_r1_c1
バングラデシュ・ダッカ。14インチのテレビが5台、頭に乗っていました。


IMG_0430
タイ・バンコクにて。仏教国タイのマクドナルドでは、ドナルドは信心深くワイ(合掌)をします。


IMG_0246_r1_c1
タイ・バンコクにて。実寸大プラスチック警官。バンコクの交通安全に一役買っているようです。

それにしても、顔をここまでしっかり作っておいて、指のディテールがヤッツケ感一杯でどうも納得できません。ドナルドを見習って欲しいです。


IMG_0423_r1_c1
タイ・バンコクにて。路上の猫を撮影しようとしたら頭を振られ、このような物の怪(もののけ)のような写真になってしまいました。

他にも何かないかと探してみましたが、料理とビールの写真ばかりでした。

2009年11月06日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その11(10月17日〜18日)3

10時ごろに起き、食事を済ませ、荷物のパッキングも完璧。12時前にチェックアウトし、万全の状態で空港へと向かう。

空港でのチェックイン。スタッフが顔をしかめめる。10秒ほど経ってから彼女が口にした言葉に驚愕する。

「フライトは明日なのですが……」

よく見ると確かにフライトは18日。そういえば確かにそうだ。どこかで完全な思い違いをしていたらしい。

この三十数年の人生の中で、飛行機に乗り遅れたことは、国内線1回、国際線1回の計2回。しかし、一日前倒しで空港へ行ったことは初めての経験だった。

そんなことを考えているうちに、困り果てているスタッフから、上級のスタッフへとバトンタッチされる。

「フライトの1時間半前に来てくれ。もしかしたら乗れるかもしれないから」と言われる。

しかし、もしそれ(バンコク→サイゴン)に乗れても、サイゴンから東京への便に乗れる保証はなく、夜遅くまで待った挙句乗れない可能性が高い(日本人が“No Show”するのは考えにくい)。だからといって、サイゴンでまた一泊する気にもなれなかった。

なので、フライトの確認を待たず、バスでまたカオサンの、つい数時間前にチェックアウトしたゲストハウスへ戻ってきてしまった。

無口・無表情の受付のオバサンに「どうして戻ってきたの?」と問われ、「フライトを一日間違えた」と答えると、オバサンも周りにいた人達もゲラゲラと大爆笑。

「同じ部屋でいいか?」と言われ、また同じ部屋に入る。

部屋で、この無駄だった数時間のことや、どこでどう勘違いをしたのだろうかと考えているうちに、疲れがドッと出てきてしまい。何時間か半醒半睡のような状態で眠っていた。

今日は土曜日。勘違いでウィークエンドマーケットを逃したのは痛い。

またしても、ビールを飲みつつ食事をし、マッサージを受けるという惰性を繰り返す一日になってしまった。

午前12時46分、また雨が降り出してきた。

「HONG THONG」というウィスキーは少したってから来る。重く来る。


−−翌日−−

ベトナム航空の便に搭乗を果たし、サイゴン経由で成田に到着。

長いようで短かった10日間の旅、ここに終わる。

円は閉じた。

2009年11月05日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その10(10月16日)3

昼ごろに起き、ビールを飲みながらランチを取りダラダラと時間を潰す。マッサージにも行きまた1時間浪費される。

夕方、中心街へ向かうためバスに乗った途端、雨が降り出してきた。空模様も見ず、全くもって迂闊だった。

中心街で用事を済まし、カオサンへ戻るためにバスに乗ったのだが、なぜか集金の人がいない。何故だろう。

「明日の今頃は……」と思うと「惜別の念」というより、山積みになっているであろう仕事やその他もろもろの“現実”に戻らなければならないという、逃げ出したくなるような、恐怖にも似た感情が沸いてくる。

カオサンに戻り、ゲストハウスで身支度を整え、外に出ると、もう雨はやんでいた。なんとも人を馬鹿にしたような天気。

夕食は、いつも行っている屋台風の店へ。ここでも、野菜炒めやイカとニンニクを炒めたものをビールのツマミにしていた。

IMG_0513_r1_c1
イカのニンニク炒め。

IMG_0514_r1_c1
ブロッコリーと鶏肉の炒め物。葉っぱも使うのには驚き(かなり筋張っていた)。

なかなか気の利いたTシャツが見つからない。変な日本語のものは、ほとんど見られなくなった。とうにブームは去ったのかと残念でならない。

2009年11月04日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その9(10月15日)2

朝10時半頃起き、この日の宿代を支払い、軽食とビールと甘ったるいワインのようなものを取り、また少し寝て、目が覚めたら3時半だった。一日がほぼ潰れてしまった。

外に出て、遅い昼食を取る。道をブラブラしてみてもつまらない。カオサン自体に飽きてしまった感がある。しかし、自分はこの便利な場所から離れ、スクンビットなど、バンコクの別なエリアへ移ることができない。そんな半端な自分が嫌になる。嫌になってまたビールを飲んでしまった。

今夜は、差し当たりTシャツを3枚ほど買おうと思う。ただ、残念なのが4年前と比べてそれほどデザインに代わり映えがないこと。とにかく、日本で着ていても恥ずかしないものを買おう。

IMG_0458_r1_c1
暇つぶしに試してみた、「Fish Massage」。魚が足の角質を食べてくれるのだという。

IMG_0457_r1_c1
中には水槽があって客はゼロ。本当に大丈夫なのかいな。

IMG_0449_r1_c1
足を突っ込んだ途端、魚に脚をつつかれる。最初とてもくすぐったく、耐えるのが大変だった。他に客がいなかったので、20分のところを1時間近くやらせてもらったのだけれど、効果のほどは不明(皮膚に少し削られた部分があった)。

IMG_0443_r1_c1
カオサンには、こういう器用な人もいます。割と盛り上がっていた。ちなみにアムステルダムには、ヘディングをしながら電柱に登っていたヤツがいた。

2009年11月02日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その8(10月14日)3

いよいよダッカから脱出する日がやってきた。

たった2泊3日だったが、どれほど長く感じられたであろうか。

汚れた大気のせいで、大分喉と鼻をやられた。悪くならなければよいが(※後に1週間以上患う羽目になる)。

DST(Daylight Saving Time:夏時間)があるのかどうかも不確かだったので、朝食後、10時(DSTだと11時)にホテルをチェックアウトした。

IMG_0396_r1_c1
バス乗り場に行き、「Bus, Airport!?」と連呼していると案外簡単に空港の前を通るバスに乗れることができた。

それにしても相変わらず酷い渋滞。夏時間があろうがなかろうが早めに出てきてよかったと思った。

IMG_0398_r1_c1
空港に着いて時間を確認すると、DSTが採用されていた。「もしDSTの存在に気付いていなかったら」と思うとゾッとする。チェックインカウンターは既に大勢の人が並んでいた。

遅い。遅すぎる。ひとりの客のチェックインを完了させるのにスタッフは5分以上かかっている。あまりに低い仕事の習得度。10分、20分、30分……時間はどんどん過ぎていく。離陸まで時間が30分を切りそうなとき、ようやくビジネスクラスのカウンターに呼ばれチェックインを済ます。

イミグレを通ったあとの両替も酷いものだった。パスポートやらビザやらチケットやらを、わざわざコピー。見習いっぽい男は用紙の記入の仕方も分からず、一々上司に訊いている。ようやくタカをドルに替えたときには、10分以上もの時間が経過していた。

ほとんどギリギリで搭乗。機内では、ビール、コニャック、ワインと、当てつけがましくアルコールを煽った。

IMG_0399_r1_c1
バンコクへ到着。

IMG_0400_r1_c1
この部屋で1400円くらい。ただしお湯が出なかった。

IMG_0415_r1_c1
バンコクに着き、カオサンへ戻り、宿を取り、ビールを飲みつつ料理をほお張る。あまつさえマッサージも受ける。ようやく文明のある場所へ戻ってきた。

残り3日。少しゆっくりしたい。

2009年10月30日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その7(10月13日)3

朝6時に目覚め、7時過ぎにホテルの2Fにあるレストランに行ってみると、もうオープンしていて、バングラデシュスタイルのセットメニューを注文する。小麦粉を伸ばして揚げたもの(名前を忘れた)は4枚食べたが油っこく、胃がもたれそうだった。

部屋に戻り、あまり外出する気分にはならず、民法の本を読んではウトウト、読んではウトウトをを繰り返し、いつのまにか1時近くになってしまった。

エンリケは、空港に行き、直接チケットを手に入れなければ、僕を訪ねてくると話していたから、きっと、コルカタ(カルカッタ)へ戻ることが出来たのであろう。

IMG_0320_r1_c1
支度をして、1時半ごろ、ようやく外に出る。まずは、バス停の場所を探す。程なくバス停というか、パラソルの下でチケットが売られているのを確認する。


IMG_0323_r1_c1
首都の公道で馬車を見るのは初めてかもしれない。

再び「Old Dhaka」へ足を向ける。昨日とは一本道をずらし、南へ。ブリガンガ川のある方向へ歩いて行く。

IMG_0324_r1_c1
大きな道が交差するような場所になると、この状態。まさにカオスwww

IMG_0331_r1_c1
途中、小道に入ると飯屋があった。


IMG_0326_r1_c1
中に入り、ご飯にカレー風味の鶏が乗っているものを指差しで注文する。一見、たくさんあるように思えるのだが、なぜか満腹感がなくそれが不思議だった(米の中がスカスカな印象を受けた)。

店を出て再び川のある方角へ。

すると、宮殿のような建物が見えてきた。「Museum」と称されており、2タカ(3円)を支払い、中へ入った。

IMG_0334_r1_c1
何枚か写真を撮ってから建物の中央にある階段を登る。


IMG_0335_r1_c1
すると川が見えた。大小の船が往来している。何となしに、階段に座っていたオジサンに促されるように隣に座り雑談をする。僕が、「ダッカに来て、ここが一番静かな場所だ」と言うと、彼も分ってくれたようだった。

彼と握手を交わし、再び歩く。川がすぐそこだ。


IMG_0336_r1_c1
船着き場では、大きな船からたくさんの人が出てくる。地方から出稼ぎにやってくるらしい。小さい船は、通勤・通学などに使われるようだ。


IMG_0343_r1_c1
これから船に乗るという小学生くらいの男の子たちは、写真を撮ってあげると、僕の国と名前を訊き、船が遠ざかる間、ずっと手を振って何度も僕の名前を呼んでいた。

IMG_0356_r1_c1
しばらく船着き場のあたりを歩いたあと、今度は橋の方角へ。


IMG_0363_r1_c1
橋の真ん中まで行くと、川とOld Dhakaを一望することができた。


IMG_0360_r1_c1
橋の上からその1。

IMG_0371_r1_c1
橋の上からその2。ガンジスかよwww

IMG_0378_r1_c1
リキシャの運転手は一体どれくらいいるのだろうか?

IMG_0383_r1_c1
夕方になり、徐々に道が混んでいく。

それにしても、空気がひどい。乾期なのか埃っぽく、喉が痛くなり、鼻水が止まらない。しまいには、頭までいたくなってしまうという始末(後に体調を崩す)。

明日はいよいよバンコクに帰る日。ビールやご飯が待ち遠しい。

2009年10月29日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その6(10月12日)3

電源を切っていた携帯のアラームまで動員し、6時半に起き、バスで空港へ。

IMG_0282_r1_c1
思いのほか早く着き過ぎたので、ビールを飲みながら春巻を食べ時間を潰す。


IMG_0288_r1_c1
フライトは定刻を20分程度遅れて離陸。チェックインが早かったせいか、足を伸ばせる席だった。

バングラデシュはイスラム教国で酒は飲めない。なので今のうちにと、昼食にビールとウィスキー…… その後、着陸ギリギリまで眠っていたらしい。

目が覚めると、膝の上には入国に必要な書類が置かれていた。到着して、乗客のほとんどが出てしまうまで書いていたが、途中で諦め、イミグレの前のカウンターで記入することにした。

書類の記入項目が思いのほか多く(両親の名前まで書く)時間がかかり、イミグレを抜け、荷物をピックアップするまでに1時間以上もかかってしまった。

外に出ると、ホテルやタクシーを紹介するというオッサンがまとわり着いてきて、ウザかったが、現地通貨(タカ)もなかったため、彼に両替する場所を訊いて、ドルをタカすることができた。


IMG_0290_r1_c1
そろそろ、このオッサンを振り切ってタクシーを拾おうかと思っていたところ、ひとりの旅行者に声を掛けられた。これから空港の外のローカルバスで市内に行くとのこと。彼と一緒に行くことにした。


IMG_0291_r1_c1
空港の敷地の外を走る道路の歩道橋を渡り、バス乗り場を探す間も、あのオッサンは執拗に着いてくる。本当に鬱陶しく、全く相手にしていなかったが、もう何を言っても無駄だということが理解できないのだろうか。

いろんな人にバス乗り場がどこか訊いて、市内へのバスのチケットを手に入れることができた。


IMG_0305_r1_c1
日本の国旗に似ているバングラデシュのそれは、「丸」の部分がやや左寄り。これは、旗が風ではためいたときに、「丸」が中央に見えるようにするための工夫だそうだ。

IMG_0307_r1_c1
この国は糸ヘン(繊維産業)が盛んな国。

IMG_0313_r1_c1
建物は建て増し式。NHKの番組曰く、資金ができたら建てますのだそうだ。

IMG_0312_r1_c1
カメラを向けると人が集まってくる。そして、カメラのディスプレイを見せると、得心したのか、散っていく。

IMG_0296
道路は、自動車、バス、リキシャ(人力車の自転車版のようなもの)で入り乱れ、カオスの様相を呈していたものの、1時間ほどで市内の「Old Town」と呼ばれる地区に着き、彼とそこで降りる。

「早くホテルを見つけて、少し街を歩いてみよう」などと軽く考えていたのだが、甘かった。ここからが地獄の始まりだったのだ。

とにかく部屋が見つからない。否、明らかに外国人が泊まることを嫌がっているのだ。台帳も見ず、ほとんど門前払い。たとえ、「部屋はある」と言われたとしても、僕と彼(エンリケ)の部屋を別々にしたいと言うと、「それじゃダメだ」と断られてしまう。

ちなみにエンリケは、チリ出身で49歳、独身。子供の頃、家が貧しく、十代で働き始め、そして何とか大学を出て、いろんな職を転々とし、国連で働くまでになったとのこと。どういう意図なのかは分らないが、仕事を辞め旅に出て3ヶ月。ニューヨークからアジア、中近東へ、そしてまたアメリカに戻るという「世界一周旅行」の途上だということ。彼の藪を分け入るような行動力というか突破力には、敬意に近い感嘆を覚える。


IMG_0309_r1_c1
右の帽子をかぶったのがエンリケ。

さて、Old Townをエンリケとひたすら歩き、ホテルを探すも、やはり部屋が見つからない。

そこで、Old Townからすこし外れた場所でホテル探しをしようと提案する。歩いていて気付いたのだが、Old Townは商業地区であり、仮にそこで部屋を見つけられたとしても、食事をする場所が極めて少なかったからだ。

バスを降りた地点に戻り、そこから少し別方向へ歩き、2軒巡るが断られる。そして3件目のホテルで、シングルとダブルに空きがあるらしく、泊めてくれそうな雰囲気だった。

しかし、「別々の部屋にして欲しい」と言うと、「ふたりならダブル。別々の部屋にすることはできない」との答え。いくら話しても話は平行線のまま。“プライバシー”という概念がないのかもしれない(実際、シングルやダブルの部屋に5〜6人もの人が宿泊していた)。

やむを得ず、ガイドブックを持っていないエンリケにシングルの部屋を譲り、アテのあったホテル(5軒)へ。しかし、やはりそこでも、にべもなく断られた。


IMG_0315_r1_c1
野宿も考えるほど途方に暮れて、再度、エンリケがいるホテルの前に訪ねた場所へ行ってみると(断られたとき、なぜか「1時間後に来い」と言われた)、今度は「部屋がある、ちょっと待ってろ」と。15分ほどして提示された部屋は、一泊850タカ(約1000円)。相当ボラれていることを承知しつつ、ここにすることにした。

今回回ったホテルの数は、20軒以上。7時間以上も重たいバックパックを背負って歩き回っていた。精神修行をするために訪れた国ではなかったのだが。

これまで、強盗に拳銃で脅されたり、詐欺に引っかかりそうになったりと、嫌な思いをしたことがあるけれど、今回がワーストかもしれない。

たった1日で「帰りたい」という気持ちになった国はここが初めて。部屋を見つけたあと、エンリケと合流して夕食を取っている間も、お互いずっと愚痴っていた(エンリケは明日にもこの国を出ようとしていた)。

イスラム教国故、お酒も飲めない、混沌のバングラデシュ。

早くバンコクへ帰りたい。

2009年10月28日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その5(10月11日)3

僕は、昨晩部屋に戻ったあと、夜食を取りに再度外へ出、そのとき道で2人組のオカマにからまれ、しばらく喋っていて、寝たのが5時過ぎ。朝、K君にドアをノックされ起こされたのが9時。

当然、お互いしんどく(特に自分は)、K君は、結局アユタヤへもウィークエンドマーケットへも行けず、サイゴンへ戻って行った。

彼と再会を約束し別れたあと、再び眠り、結局外に出たのは3時近くになってしまった。何と言う体たらく。

IMG_0230_r1_c1
遅い昼食を屋台で取っていると、人のざわめきを耳にし、その方向に目をやると、黒煙が上がっていた。


IMG_0227_r1_c1
理由は分からないが車が炎上していて、激しい炎に包まれていた。


IMG_0236_r1_c1
食後、バスで街の中心地へ行く。


IMG_0239_r1_c1
行き先は、Pantip Plaza。ここには、合法・違法に関わらず、コンピュータ関連のソフト・ハードのあらゆるものが揃う場所。あるソフトを購入した。


IMG_0241_r1_c1
バンコクの中心を流れる運河を走るボート。交通渋滞が激しいこの街で、実はこのボートでの移動が一番速かったりする。

IMG_0242_r1_c1
乗ってみた。ちゃんと行き先を言えないと乗るのはツラい。


帰り、いつも使っている60番のバスに乗ると、「このバスは、カオサンへは行かない」と言われる。近くでデモが行われているから通行が出来ないからだという。

カオサンの4〜5km手前で降ろされ、歩く。あのボートでカオサン近くまで戻ればよかったなと後悔する。

IMG_0249_r1_c1
王室迎賓館。ライトアップが綺麗だった。

IMG_0251_r1_c1
3〜40分ほど歩くと、Democracy Monument近くに到着。


IMG_0255_r1_c1
昼間もバスから見えたが、9時近くになっていてもまだデモは続いていた。しかも、よりにもよって、彼らが着ているシャツの色は赤。僕が着ていたシャツも赤。デモに参加していると誤解されてもおかしくない。

周囲を警官隊が取り囲んでいたものの、幸い、指導者的な人の演説が行われていただけで、危険な雰囲気はなかったが、規模は1~2万人。人をかき分けて歩くのに難儀した。


IMG_0266_r1_c1
カオサンに戻り、夕食を取ってから、マッサージを受ける。


IMG_0272_r1_c1
明日のダッカへのフライトは、10:35。起床は6時半頃になる。とにかく、今日はおとなしく眠った方がよさそうだ。

2009年10月27日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その4(10月10日後半)5

K君は、成田空港で、機内で、サイゴン市内で、そしてこの空港で、4度僕のことを見かけ、「これはもう声を掛けるしかない」と思ったということだ。

僕は、他人とつるんで旅行をするのが基本的に好きではないのだが、K君は、初めてのタイであるのにもかかわらず、『地球の歩き方(迷い方)』のタイ版を無くしてしまったらしく、さすがに突き放すことが出来なかった。

IMG_0166_r1_c1
バンコクに到着し、空港内でフリーの地図やら電車のタイムテーブルをに一緒に探し(僕も地下鉄とバスの情報が欲しかった)、相当量の情報を入手することができ、ガイドブックなしでも、ほぼ万全の状態まで持ち上げることができた。


IMG_0170_r1_c1
バスでカオサンまで行き、あまつさえ、ゲストハウスの隣は彼の部屋となった。

K君の印象は、「人なつっこい」と「危なっかしい」の二言に集約できる。だから、一緒に行動できたのだと思う。

部屋を取ったあとは、別行動とし、夕飯時に合流することにした。僕は、バングラデシュ・ダッカ行きのチケットを取らなければならず、彼は、明日にはサイゴンに戻ってしまうため、半日ほどバンコクの街を見て回りたかったからだ。

彼は、自分個人の携帯と会社の携帯のふたつを持っていて、いずれも海外での通話が可能(平気で電話やメールを使っていたが、海外ではパケ放題などのサービスが適応外になるので、今度会うときに通信料がどれほどになったのか訊いてみたい)。一方(個人の方)を借り、8時頃になったらお互いに連絡しあい、合流することとした。

チケットは、裏路地のインド人の経営する、一見怪しげな代理店で取ることにした。行き先と、日付を告げると、頭にターバンを巻いた彼は、数分間黙々とでキーボードを打つ。顔は動かさず目だけがギョロリと動く。時折、電卓をバチバチとたたく。終始無言。

10分ほど経過し、値段を提示される。他のところよりも数千円安いのだが、スケジュールが合わない。無理に自分の予定に合わせてもらったチケットは、3万円。これはかなり痛い出費だったが、一生に一度あるかどうかという経験のためだと思い、自分を納得させた。

IMG_0177_r1_c1
まだ雨季が終わらず、夕立に見舞われた。


IMG_0187_r1_c1
雨宿りもかねて、1時間半ほどマッサージを受ける。これで、700円程度。安い。日本の10分の1以下。日本でやるマッサージは何なんだろうかと、いつもながら思ってしまう。


IMG_0194_r1_c1
マッサージが終わり、約束の8時までTシャツを物色していた。4年前とデザインに大きな変化がなく、ガッカリする。一枚だけ買った。


IMG_0196_r1_c1
レコード屋でレコードのジャケットをペラペラとめくる要領でシャツをチェックしていく。


IMG_0197_r1_c1
これはさすがに着れないなぁ。

8時になり、借りていた携帯でK君に電話をかけてみたのだが、なかなか繋がらず、3~40分経ってようやく連絡が取れ、合流し、飯屋に行く。

IMG_0200_r1_c1
飯屋は昔から馴染みのところだったが、息子が母親から店を継いだらしい。彼は、日本人客を取り込もうとかなりの努力をしているようで、片言の日本語を話し、日本語のメニューを作り、さらには、日本の居酒屋にあるような「単品メニュー」まで考案していた。

ビールを何本か飲みながら、「あとで聞いてくださいよ~」と言っていたトラブルについて訊いてみた。サイゴンで彼が遭ったトラブルというのは、僕もかつて引っかかりそうになった「ブラックジャック詐欺」。手口は僕が経験した内容とほぼ同じで、5万円ほど擦ったらしい。向こうから話しかけてくる人間には気をつけないと。「何らか」の“意図”があるのだから。


IMG_0206_r1_c1
酒も大分回り、冗談半分で、トゥクトゥクの運ちゃんにボッタくられることを承知で、騙された振りをし、女の子がいる店へ何軒か連れて行ってもったけれど、どこもいまひとつ面白みに欠け、結局ウィンドーショッピングで終わってしまった。

その後、僕の発案で、「NANA PLAZA」へ移動。さすがに自分ひとりでは行きにくかったし。

213
NANA PLAZAのあるこのエリアは、周囲がアラブ人街になっていて、目に入るアラビア語の看板が、このバンコクという街の雑多な一面を見せてくれる。

NANA PLAZAは、1階から3階までゴーゴーバーで埋め尽くされている。

一度ざっと見て回ったあと、「せっかくだし」と記念(?)に適当な店に入ってみた。ほぼ全員Ladyboy(オカマ)。隣に彼女(?)が座ると、ドリンクをねだられ、料金がどんどん嵩んでくる。

驚いたことに、中には、「別に元男でもええわ、いや、むしろこっちの方が……」と思えるくらいの、アイドルクラスの“超”のつくカワイイ子もいて、危うく理性がぶっ飛びそうになった。しかし、K君が「自分、ひとりでタクシーで帰れますから大丈夫ッスよ」と変に気を遣ってくれたことが、逆に分別を取り戻すきっかけとなって、一線を越えずに済んだ(ルビコン川は渡っていません!)。

2時になり、NANA PLAZAの店も閉店。少し歩いてからタクシーでカオサンに戻ってきた。

この時間になると、現地の法律か規制により、コンビニで酒が買えなくなるのだが、ヤミで(違法で)ビールを売っている奴がいて助かる。

K君のフライトは午後3時くらい。現在朝の4時(この日記を書いている時間)。とりあえず明日、ウィークエンドマーケットに一緒に行くことに決めたのだが、どうなるものやら……

2009年10月26日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その3(10月10日前半)4

4時半くらいまで本を読んでいて、なかなか眠れなかった。それでも、7時半頃には起き出し、フォーとグリルした肉と煮卵が乗ったライスを食べ、腹一杯になる。

IMG_0129_r1_c1
フォー・ボー(牛肉)。


IMG_0132_r1_c1
朝から肉はさすがに重かった。

この日は、やや曇り。バンコクへのフライトが12:40で、11時半にはチェックアウトをして空港へ向かえば良かったので、市場を見てまわって見ることにした。


IMG_0141_r1_c1
はじめに行ったところは、「Old Market」と地図上に書かれていたところ。


IMG_0144_r1_c1
道路の両側に店が出ているだけの、小ぢんまりとしたもので、どこか下町を感じさせるような雰囲気だった。


IMG_0139_r1_c1
もうひとつの市場は、「Ben Thanh Market(ベンタイン市場)」。


IMG_0149_r1_c1
大きな体育館のように屋根があり、かつ広い。


IMG_0154_r1_c1
業種(糸ヘン〔繊維〕、装飾品、土産物、生鮮食品など)ごとに区画がはっきりと分けられていて、観光客向けにも整備されている印象を受けた。

その一角に、屋台が集合する区画があった。色とりどりの美しい蒸し春巻きや、お好み焼き、スープなどあって、腹一杯朝食をとったことに後悔した。

いずれの市場も8年前に行ったような、そんな断片的な記憶を感じた。

ゲストハウスに戻り、荷物をまとめ、再度バイタクで空港へ。運ちゃんは、日本に技術研修に行ったことがあると、片言の日本語とブロークンな英語で話していた。不況によるリストラにより職を追われたとのこと。

彼の私見では、日本が発展していて、ベトナムがそうでないのは、日本人は黙々と仕事をこなしていくのに対し、ベトナム人は、お喋りで見栄っ張りだから。つまり、大切な時間を浪費し、人より目立つために散財をしてしまうから前へ進めないのだと。確かにアンタは口数が多かった。

面白い話を聞かせてもらったので、運賃4ドルのところを5ドル札を渡し、空港の出発ロビーまで歩いていったのだが、案内の看板を見ても航空会社のカウンターが並んでいるような場所が見当たらない。

フロアを上下しウロウロしていると、ひとりの日本人に声を掛けられた。僕と同じく、これからバンコクに向かうらしい(同じ便だった)。

彼(以下、K君とする)の登場が、この日のスケジュールを大きく変えるものだとは思いもしなかった。


(続く)

2009年10月23日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その2(10月9日後半)4

鬱陶しいオッサンを振り切り、8年ぶりのサイゴンを見ようと外に出た。

IMG_0067_r1_c1
サイゴンの天気は、雨が降ったり止んだりのぐずついたもの。傘を開いたり閉じたりしながら街を歩いた。


IMG_0075_r1_c1
大きな通りに出ると、ネオンの派手な看板や欧米風カフェやバーが林立していた。8年も経つと、あの頃の風情どこへやら。随分と変ったものだなと、少し落胆する。


IMG_0082_r1_c1
大通りから小道に入る入り口に屋台を見つけ、フォーを注文する。ここは、なぜかガー(鶏肉)やボー(牛肉)がなく、エビやウズラの卵、レバーなどが並んでいた。

フォーを待っていると、ブロークンな英語を話す人が隣に座ってきて、少し雑談した。この人は1975年にオーストラリアに亡命(?)し、現在はオーストラリアとベトナムとでビジネスをしているとのこと。


IMG_0091_r1_c1
ベトナムのフォーは、麺の入っているどんぶりの他に、パクチーやレタスのような葉野菜がこんもりと盛られた皿が一緒に供される。彼に食べ方を聞くと、野菜をブチブチと千切って、どんぶりに入れ、ダイナミックにかき混ぜるとのこと。はじめて知った。

その他、お好みでニョクマムやニンニク、トウガラシなども入れて食べる。これまでのフォーのイメージとは大分異なり、麺を食べているのか野菜を食べているのか分からなくなるが、とても美味しい。


IMG_0093_r1_c1
屋台を出て、おばあさんが混雑した道路を渡れずにいて、腕を抱えるようにして、渡らせてあげると、「どこの国から来たの?」と品のある発音の英語で話しかけられ、思いのほか驚く。


IMG_0102_r1_c1
10月のサイゴンは早くに暗くなっていった。

1時間半も歩くと、さすがに飽きてきてしまい、部屋に戻って、腹が空くであろう8時頃までゆっくりすることにした。シャワーを浴び、買ってきたビールを飲みつつ、ノートに日記を書き始める。

疲れていたせいか、日記を書いた直後に1時間ほど眠ってしまい、慌てて夕食を取りに出た。そして、ざっと一通り歩いて適当な店に入る。


IMG_0116_r1_c1
ビール、生春巻き、豚肉の入っていない酢豚のようなものを注文した。味はどれも普通だったが、春巻きが5本もあったのには驚いた。

今日は、機内で3本。サイゴンで5本もビールを飲んでしまい、初日からビールに飽きてきた。サワーが恋しくなる。

まだ10時代だが、ゲストハウスの門が閉められているようなので、外には出られない。明日は早めに起きて、市場などを見て回れればと思う。


2009年10月22日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その1(10月9日前半)4

朝、無事に6時過ぎに目を覚まし、フライトの1時間半前の9時に空港へ到着する。

空港でおにぎり(これが一番安い〔150円〕)を3つ買い、それを食べながらイミグレに並ぶ。朝の10時頃はフライトが集中しているらしく、異様に混雑していて時間を取られた。

IMG_0006_r1_c1
そういうわけで、ゲートに着く頃には、すでに搭乗が始まっていて、ゆっくりする間もなく機内に乗り込んだ。

シートには個人用のモニターはなく、ヘッドホンで音楽を聴くのがせいぜいだったので、ずっと民法の総則の部分を読んでいた。

IMG_0023_r1_c1
とにかく雲が綺麗だった。

機内でベトナム入国用の用紙が配られたのだが、記入する箇所が多く、とても面倒だった。以前のように、わざわざビザを取得するよりはマシだったが。


IMG_0029_r1_c1
フライトは約5時間。定刻通りにサイゴン(ホーチミン市)に到着。


IMG_0036_r1_c1
イミグレを通過し、ドルをドンに両替して外に出る。雨模様の天気で、28度なのにかなり蒸し暑い。


IMG_0038_r1_c1
市内へ行くのに、どうもタクシーに乗る気にならず(タクシーは無駄な贅沢だ)、数百メートル歩いて空港のゲートまで行き、そこで5ドルでバイタク(バイクのタクシー)に乗せてもらった。

行き先は、チャイナタウンのようなチョロン地区にしようかとも思ったが、どうせ1日しかいないし、雨で遠くまで歩くことは出来ない。なので、とりあえず安く泊まれればいいと考え、バンコクのカオサンのような、安宿が集るエリアにした。


IMG_0051_r1_c1
バイクでの移動は、いわゆる「2ケツ」。道路は、自動車よりもバイクの方が圧倒的に多く、しかも夕方のラッシュ時。まさに大カオスの様相で、「落ちたら死ぬな」と本気で思い、それがまたスリリングだった。ただ、そんな中、ドライバーのオッサンは、運転しながら、片手で携帯メールを打っていた。本当に勘弁してもらいたかった。


IMG_0064_r1_c1
目的の地区に着き、8年前の記憶を思い起こしつつ歩いていると、オバサンとオッサンに声をかけられ、「1泊10ドルの部屋がある」と言われたので、ついて行くことにした。


IMG_0065_r1_c1

オッサンに連れられて2軒回り、条件の一番良い部屋(なるべく下の階;階段の昇降が面倒だから)に泊まることにした。

受付でもろもろの事項を記入し、10ドル支払い、外に出ようとすると、さっきのオッサンが待ちかまえていた。

このオッサン、本業は、日本人相手のガイドらしく、日本語が割と堪能。過去にガイドした日本人の書かせたノートを見せ、「オレのガイドはボッタクリ無し。楽しいし、連れて行くレストランも美味しい」としきりにアピールしてくる。

「それじゃ、アレはどうだ、フルサービスで70ドルだ。ビールもカラオケもついている。今から行かないか?」

営業熱心なのは結構なのだが、しつこいので段々ウザくなってきて、「No」を連発して、ようやくこのオッサンから逃れることが出来た。

アレには行かなかった。本当に。


(後半へつづく)

2009年10月19日

帰国之報告3

日本に、あるいは現実に戻ってきました。

バングラデシュでの過酷な日々は別として、バンコクでは、仕事や人間関係といった日常を完全に忘れ、朝からビールをあおり、好きなものを食べ、好きなときに眠り、暇を持て余せばタイ古式マッサージに通うというダラダラとした毎日。

前にも進めず、後ろにも戻れず、自堕落に無目的にひとつの街に留まること。これをバックパッカーの間では「沈没」と呼びます。

僕は、カオサン通りに着いたとき、とても嫌な気持ちになりました。「また戻ってきてしまった。また沈没か」と。そして、その自己嫌悪にも似た気持ちは、彼の地を離れるまで消えませんでした。

しかし、日本に戻ってきた途端、あの「沈没」の心地よさに恋しさを感じてしまうのです。「またあそこに帰りたい」と。「沈没の何が悪い」と。

旅行中、日記を書いていましたので、追ってテキストに起こしていきたいと思います。

2009年10月15日

混沌のバングラデシュ(旅行中間報告)4

昨日(10月14日)バングラデシュからバンコクへ戻ってきました。

信じられないほどの貧しさと汚染された大気(これで喉と鼻をやられました)、そして押し寄せる人の波。

「皆が皆、我先に」というような、国民全体がが合成の誤謬(ごびゅう)に陥っているかのような混沌とした国でした。

bangladesh
幸い、バンコクから首都ダッカへ到着したとき、UN(国連)で働いていた経験があるという、行動力のあるチリ人、エンリケと知り合い、一緒に空港から市内へ向かったのですが、本当の地獄はここからでした。




\         /_ /     ヽ /   } レ,'           / ̄ ̄ ̄ ̄\
  |`l`ヽ    /ヽ/ <´`ヽ u  ∨ u  i レ'          /
  └l> ̄    !i´-)     |\ `、 ヽ), />/        /  地  ほ  こ
   !´ヽ、   ヽ ( _ U   !、 ヽ。ヽ/,レ,。7´/-┬―┬―┬./  獄  ん  れ
  _|_/;:;:;7ヽ-ヽ、 '')  ""'''`` ‐'"='-'" /    !   !   /   だ.  と  か
   |  |;:;:;:{  U u ̄|| u u  ,..、_ -> /`i   !   !  \   :.  う  ら
   |  |;:;:;:;i\    iヽ、   i {++-`7, /|  i   !   !  <_      の  が
  __i ヽ;:;:;ヽ `、  i   ヽ、  ̄ ̄/ =、_i_  !   !   /
   ヽ ヽ;:;:;:\ `ヽ、i   /,ゝ_/|  i   ̄ヽヽ !  ! ,, -'\
    ヽ、\;:;:;:;:`ー、`ー'´ ̄/;:;ノ  ノ      ヽ| / ,、-''´ \/ ̄ ̄ ̄ ̄
                 ̄ ̄ ̄            Y´/;:;:;\


宿を探して三千里…… 20件近く回ってようやく部屋を見つかるという悲惨な有様(この国のホテルは外国人をあまり受け入れないそうです)。汗にまみれ、6時間以上バックパックを背負って歩き回りました。

東ティモールやカルカッタなど3ヵ月半に渡って11カ国を旅していたエンリケも、一日でダウン。「こんな酷いところは初めてだ」と、翌日、カルカッタへ戻っていきました。

僕も着いた初日から、空港へのアクセスを調べるほどバンコクへ戻りたい気分でいっぱいでした。

ただ、僕は、フライトの都合上、2泊しなければなかったので、もう一日居なければならず、翌日は、午前中は部屋に引きこもり、午後、迷路のような旧市街をコンパスとガイドブックを頼りに探索しました。

「Hello」とか「How are you?」とフレンドリーに声をかけてくる人も多くいたのですが、僕たち以外に外国人が居ないためか(あるいは見たことがないのか)、どこか「異物」を見るような視線を感じずにいられませんでした。

好奇心と、半ば「怖いもの見たさ」的な理由でバングラデシュに行ってみましたが、僕は、嫌いな人にしかこの国に行くことをお勧めしません。

2009年10月07日

旅行の準備3

出発が明後日・金曜日の早い時間(10:30)なので、ぼちぼち旅行の準備を始めています。

病院で処方していただいた風邪薬や抗生物質などの薬をまとめたり、持っていく本を1ヶ所にまとめたりと、その程度のことですが、これで十分。あとは前日に、下着やタオル、その他の服をまとめ、冷蔵庫の食品を処分するといったくらいです。

ちなみに本は、「はじめての民法 (3日でわかる法律入門) 」と「Lonely Planet Bangladesh」の2冊だけです。多分。でも、なぜ民法? それはヒミツです。

S山さんとochiさんのおかげで何とか組み立てることができた折りたたみ自転車は、雨のせいで一度もテストドライブできず、連れて行くかどうか、迷っています。

そうだ、100均で目覚まし時計を買ってこないと! 

2009年10月06日

ナマステ・インディア2009(2)4

9月26日(土)~27日(日)に代々木公園で開催された、ナマステ・インディア2009、諸般の事情や写真の整理でアップするのが遅れてしまいました。

IMG_0991_r1_c1
India is incredible!


IMG_1070_r1_c1
タイフェスティバルほどではありませんでしたが、それに次ぐ程度の混雑ぶり。


IMG_0996_r1_c1
飲食以外では女性向けの服飾ブースが大くを占めていました。


IMG_1009_r1_c1
こんなおもちゃ(?)も。赤ちゃんをあやすやつ?

ひとつ残念だったのが、古本屋にあった、絵本、『はらぺこあおむし(エリック・カール著)』のヒンズー語版を買おうかどうか躊躇していたところ、別の人に買われてしまったことです。

この絵本には思い入れがあり、5~6歳まで、埼玉の川口市に住んでいて、父方の祖父の死後茨城へ引っ越す際、川口幼稚園の田畑先生に贈られた絵本でした(当時活発だった僕は、この先生に気に入られて、とても大切にしてもらいました)。日本語版は、確か今でも家に置いてあるはずです。


IMG_1068_r1_c1
インドの人も多く来場していました。普段どこに住んでいるのでしょう。


IMG_1040_r1_c1
飲食系のブースには人がたくさん。そして、ナンや鶏を焼く煙がすごかったです。


IMG_1023_r1_c1
ナンを焼く釜。


IMG_1049_r1_c1
焼き鳥ってレベルじゃないくらい大きいです。


IMG_1065_r1_c1
マスコット的なインドのオジサン。みんな一緒に記念写真を撮っていました。ちなみに、髭は付け髭です。


IMG_1027_r1_c1
ほうれんそうのパコラ(インド風衣揚げ)。


IMG_1034_r1_c1
アンコウの口のような、正面からのナンステーキサンド。要は、チキンやトマトとヨーグルトベース(?)のソースをナンで巻いたサンドで、こってりしていて、これだけでもお腹いっぱいになります。


IMG_1051_r1_c1
インドのビール、GODFATHER。これは、Lite(4.5度)ですが、ストロングとスーパーストロング(8〜9度)というのがありました。


IMG_1059_r1_c1
手羽元のターンドリーチキン。食べるのがちょっと面倒でしたが、美味しかった。ビールにとてもあいます。


IMG_1083_r1_c1
ベジ・ビリヤニ(ピラフのようなもの)。


今回は長い時間居れませんでしたが、とても楽しいフェスティバルでした。もっとステージの催しも観たかったです。来年も楽しみにしています。

2009年10月05日

野郎だらけのスカッシュコート

日曜日、ルネサンス千歳船橋でスカッシュをしました。今回はよりにもよって、野郎ばかりの5名が参加。メンバーは、王子(焼肉)、ochiさん、地デジ5chさん、bashiさん、そして僕でした。

1時から3時間も枠を取って練習をしたのですが、僕は、上司に誘われ、2丁目のゲイバーで前日4時過ぎまで飲んでいたため、起きられずに大遅刻をやらかし、結局半分の1時間半しかスカッシュが出来ませんでしたが……

練習は、前半は、主にストレート主体の練習(だったらしいです)、後半は、僕の発案で罰ゲーム方式を取り入れ、ボーストの球出しをクロスで打って、ペットボトルに当てた人以外の人がコートダッシュをしたり、勝ち抜け式のラリーで、2人勝ち抜けで残りの3人がスクワットジャンプといった、とても疲れることをやりました。

素晴らしいことに、bashiさんは全ての罰ゲームする羽目になり、「罰ゲームマスター」の称号を得ることとなりました。

練習後、みんなで経堂にある「東京で一番安い店」一休に行きました(現在キャンペーン期間中で、ビール1杯100円という殺人的な安さでした)。

はじめは真面目なスカッシュ談義などをしていましたが、酔いが回ってくると、あんなことこんなこと、さらにはそんなことまで話してしまうなど、下品も下品、まさに大下ネタ大会となってしまいました(僕が話したことは、皆さん全員、忘れててください)。

5時前から飲み始め、8時前には店を出て解散。

たまにはこういう日曜日も良いなと思った一日でした。

2009年10月01日

イチ update 5

連休中、2日ほど帰省をしていたのですが、どうもイチの元気がありませんでした。季節的なものか、単に気分的なものかは、杳として知れませんでしたが。

IMG_0947_r1_c1
普段は、こうやって顔を直接合わせたがりません。顔をそらすのです。


IMG_0946_r1_c1
少し痩せたかも。


IMG_0962_r1_c1
ファクション!


IMG_0963_r1_c1
どこか落ち込み気味です。メス犬にフラれたりでもしたのでしょうか


IMG_0984_r1_c1
コイツももう歳なんですかねぇ。もう、10歳近くになりますから。

2009年09月28日

ナマステ・インディア2009(1)3

9月26日(土)〜27日(日)と、代々木公園で開催されていたナマステ・インディア2009に、日曜日行ってきたのですが、地獄を見ました。

トウガラシ01
ブート・ジョロキアというトウガラシの名前は、初めて聞きました。ハバネロの2倍、世界で一番辛いトウガラシとして、ギネスに認定されているそうです。

僕は辛いものが好きで、誰も辛くて食べられないようなタイカレーを平然として口にするような、立ち食いそばのタレが七味唐辛子で染まってしまうほどかけてしまうような人間です。ちなみに、CoCo壱番屋では、6辛に「とび辛スパイス」を万遍なくふりかけても全然平気でした。


トウガラシ02
ですので、「ためしてガッテン」または「怖いもの見たさ」のような感情が沸いてきて、つい買ってしまったのです。店員さんは心配そうな面持ちで、「手で触るだけでも痛くなるので気をつけてくださいね」と注意してくれました。


トウガラシ03
普通のトウガラシは、口に含んで少ししてから辛味が口に広がるものなのですが、このブート・ジョロキアを、ひとかじりしたら、雷が落ちるかのような辛さ、刺激、いや、これはもう、辛いとかいう次元ではなく、「完全な痛み」でした。まさに激烈。

辛味を和らげるために、どんなにビールを流し込んでも、焼け石に水。全身から変な汗が出てきました。

その後すぐ、胃が熱くなり、2種類の胃薬を服用しましたが、胃の熱さは全く収まりませんでした。

これは、香辛料ではありません。毒です。

トライしようと思っている方は、「死ぬかもしれない」という覚悟してください。


2009年09月24日

シンチャオ! ベトナムフェスティバル20094

9月19日(土)~20日(日)と、代々木公園で開催された、『シンチャオ! ベトナムフェスティバル2009』に行ってきました(「シンチャオ」というのは、ベトナム語で「Hello」のような意味らしいです)。

IMG_0560_r1_c1
ベトナム語は、中国語同様、音の高低で意味が変わってきます(tone language)。ちなみに中国語は4声、ベトナム語は6声あります。「マー」という単語も、語尾が上がったり下がったりするだけで、「母親」、「墓地」、「おばけ」など、意味が変わってしまうのです。例えば日本語の「橋」と「箸」のように。

2001年に少しベトナム語を勉強してから旅行をしたのですが、全く通じませんでした。


IMG_0568_r1_c1
「アオザイを着て出かけよう」というキャッチフレーズの効果があったのか、アオザイを着ている女性が多く見受けられました。ベトナムの人だけでなく、日本の人もアオザイを来ている人が多かったのには驚きです。


IMG_0591_r1_c1
アオザイ着ている女性を見てると、なんか興奮しますよね。僕っておかしくないですよね? 僕だけじゃないですよね? 


IMG_0596_r1_c1
ベトナム料理のお店ってあまり聞かないのですが(恵比寿にあるぐらい)、多くの屋台が出店していました。


IMG_0612_r1_c1
ベトナムのビール、「333(バー・バー・バー)」。先週のスリランカフェスティバルで飲み過ぎたこともあり、今回は“多少”控えました。


IMG_0616_r1_c1
ベトナム風お好み焼き。たまご焼きでもやしを挟んだだけじゃないかと…… サイゴンで食べたものは、もうちょっと違っていたような気がします。しかし、ここは、お祭り・フェスティバル。細かいことは気にしないのが鉄則です。


IMG_0623_r1_c1
生春巻き。ベトナム料理の鉄板です。


IMG_0647_r1_c1
モチモチした麺のようなもの。名前は忘れました。


IMG_0669_r1_c1
ベトナム風焼きそば。美味しいことは美味しいのですが、何をもって「ベトナム風」なのか、杳として知れませんでした。

IMG_0564_r1_c1
ナンプラーに比べて魚の臭いがキツい魚醤(ぎょしょう)・ニョクマム。何かの料理に使うかもと、小さいビンを一本買いました。


IMG_0655_r1_c1
今度の旅行で利用するベトナム航空のアテンダントさん。もちろんハリボテです。

来月の夏休み、乗り継ぎの関係で、たった1日だけですが、8年ぶりにサイゴンに立ち寄ります。どれだけ変わっているのやら。

2009年09月17日

旅行の準備2

10月9日から18日まで夏期休暇を取りベトナム~タイ~バングラデシュと旅行に出かけるつ予定なのですが、何も準備できていません。

そろそろ、始めようかと思っているのですが、平日の仕事は多忙を極め、週末はフェスティバルやら小旅行やらで、全く時間が取れません。後者の方は自業自得なわけですが。それ以外にも、将来的なことも少し考え中で、頭もいっぱいです。

衣類や身の回りのものなどは最低限のものを持っていけば、現地でいくらでも揃うので問題ありません。

ただ、少なくとも、簡単な旅程、初めて行くバングラデシュの情報とビザの取得(申請に行くのが面倒臭い)、各国のレート、多少のUSドルの購入、暇つぶしのための文庫本の購入などは、必ずしておかなければならないことです。

折りたたみ自転車を買って、現地を回りたかったんだけれど、難しいかなぁ。

油断してるとあっという間に時間が過ぎてしまうから、早めにコツコツ準備を始めないといけない。特に連休中はなるべく多くのことをしておかないと。

とにかく、エネルギーが相当必要です。