2014年10月01日

口述試験対策等(後編)

口述試験(平成25年度)の再現です。曖昧な箇所が多々あります。そして、私の回答にもかなりの間違いがあります(「教授と学生の対話」の問題で、教授が訂正してくれないように、試験官も訂正してくれません)ので、これらの点を十二分に斟酌してお読みください。

(4)試験の再現
ノックをして入室し、試験官に促され荷物を入口付近の椅子の上に置き、着席。試験管は2人で、いずれの方も無愛想で、事務的な印象を受けました。

【試験官(以下「試」という。)】まず、氏名と生年月日、それと覚えていたら、筆記試験時の受験番号もお願いします。
【私】holydiceと申します。昭和50年5月14日生まれで、筆記試験の際の受験番号は42番です。

【試】それでは、不動産登記法について質問します。所有権保存登記を申請することができるのは、どのような者でしょうか?
【私】(不登法74条のことだな)表題部所有者と表題部所有者の相続人、それと敷地権付区分建物の表題部所有者から売買などで所有権を取得した者です。

【試】他にありませんか?
【私】えー……、あっ、判決または収用で所有権を取得したものです。

【試】その判決はどのような判決ですか?
【私】確認判決、形成判決、給付判決のいずれでもよく、主文だけでなく理由中で所有権があることが確認できればいいです。

【試】では、判決又は収用によって、表題登記がない不動産に所有権保存登記をする場合、前提として表題登記を申請すべきですか?
【私】いえ、表題登記は、登記官の職権によりされます。

【試】所有権保存登記とそれ以外の登記の登記事項で異なるところはどこですか?
【私】すみません、もう一度お願いします。

【試】所有権保存登記と所有権移転登記などで登記事項が違うところがあるでしょう、それは何ですか?
【私】所有権保存登記には登記原因がありません。


【試】次に商業登記法について質問します。新株予約権の発行の登記における登記事項とは何ですか?
【私】えー……、新株予約権の数、およびその目的たる数ですか……?

【試】他にもあるでしょう。
【私】……(思い出せない)。

【試】取得条項付新株予約権である場合は、その旨は登記事項となりますか?
【私】なる……と思います。

【試】……はい。金銭以外の財産を、新株予約権の行使に際してする出資の目的とするときは、その旨は登記事項となりますか?
【私】なります。

【試】新株予約権の発行の年月日は登記されますか?
【私】はい、登記されます。

【試】募集新株予約権を有償発行した場合、払込みがあったことを証する書面は、常に添付すべきですか?
【私】いいえ。払込期日が割当日より後に到来する場合は、添付書面になりません。


【試】では、次に、司法書士法について質問します。司法書士法の目的を言ってください。
【私】司法書士の制度を定め、登記、供託、訴訟等に関する手続きを円滑にすることにより、国民の権利保護に寄与することが司法書士法の目的です。

【試】司法書士の職務上の義務を少なくとも3つ言ってください。
【私】依頼の応ずる義務、会則順守の義務、研修を受ける義務、領収書の交付や保存の義などです。

【試】他に、重要なものはありませんか? ほら、依頼者との間で……
【私】あっ、あと、秘密保持義務です。

【試】司法書士は、日本司法書士会連合会の名簿に登録し、司法書士会に入会しなければなりませんが、なぜそういった登録や入会が必要なのでしょうか?
【私】うーん……(まったく分からず、30秒以上うなっていた)。

【試】(もう一方の試験官に、「もういいですね?」と小声で声をかける)それでは、以上で口述試験を終わります。
【私】ありがとうございました。

※文面からは、これでもスラスラ答えているようにみえますが、実際のところは、「あー」、「えーと」を連発してました。


(5)感想・アドバイス等
口述試験は、思ったよりもあっという間だった感じがします。聞かれる内容も、待機中に両隣に座っていた2人の受験生に試験後聞いたところ、大体同じ様な内容でした(ただし、午前の部と午後の部の問われたテーマは異なる)。

口述試験を受けれるにあたって、最も重要なことは、「所定の日時に、所定の場所へ行き、口述試験を受ける」ということです。つまりは、〇間・場所を間違えない、∋邯柿阿忙件・事故に巻き込まれない、B猟幹浜を怠らない、ということだと思います。私の場合、筆記試験に合格し、相当浮かれていましたので、普段以上に気を引き締めて 銑のことに気を配りました。(【重要】口述試験には、筆記試験受験地により、「午前の部」受験組と「午後の部」受験組に分かれ、また、試験は日曜日でなく平日に行われます。

また、試験を受ける順番は、前述のとおり、くじ引きで決められますので、運が悪いと2〜3時間待つことになりますから、文庫本など、時間を潰せるものを持参していくと良いと思います(なお、待機中の携帯電話の使用は禁止でした。)。

口述試験は、単なる通過点に過ぎません。受験生・合格者にはこれからまだまだやることが山のようにあります。気を抜かないようにがんばってください。

口述試験対策等(前編)

法務省のHPを見たところ、本年度の筆記試験の結果が出いました。1年経つのが早かったなぁと感じます。

予備校から1〜2万円の報酬がもらえるからと、合格体験記を書こうとしたのですが、忙しくもあり、面倒でもあり、原稿はお蔵入りとなってしまいました。

幸い、口述試験に関しては、ある程度書き上げていたので、タイムリーなネタでもあるため、以下に、一部修正した原稿をペーストして公開します。一部不正確な箇所もあるかと思われますが、ご容赦ください。また、以下の記載は、平成26年ではなく、平成25年の話ですので、くれぐれもご注意ください。

(1)本試験から筆記試験合格発表、口述試験までの過ごし方
私は、不合格であった場合でも、筆記試験の合格発表があってから勉強を再開するつもりでしたので、7月の本試験を受けてから3ヶ月間、一切勉強をしませんでした。

「落ちる人はいない」と言われている口述試験ですが、さすがに何もやらないわけにはいかないだろうと思い、10月5日(筆記試験合格発表は10月2日)、TAC渋谷校で開催された「合格報告会」に参加しました。この合格報告会では、竹下先生や昨年(平成24年)に合格された2名の方から、口述試験で問われる科目や試験の様子などを伺うことができ、大変参考になりました。

TACでは、口述試験の模擬試験も行っているということでしたが、私は、遠隔地(茨城県)に住んでおり、また、仕事の予定を優先させなければならなかったため、模擬試験は断念し、代わりに、TACの窓口で「口述試験対策レジュメ」を購入しました。

私の口述試験の受験対策は、この「口述試験対策レジュメ」を3〜4回読んだだけでした(ただし、「口述」試験であることを考慮して、1回目は予想問題の全文を音読しました。)。勉強期間は1週間、時間にして10〜12時間程度だったと思います。

(2)受験地、受験会場、時間枠
受験地は、渋谷道玄坂の「フォーラム・エイト」で、時間枠は、東京以外の受験地(水戸)だったため、「午後の部」でした。

私は、「フォーラム・エイト」にあった当時の早稲田セミナー渋谷校に入り、司法書士試験の受験勉強を開始しました。長かった3年半の受験勉強の始まりと終わりの場所が同じ建物であることに、何ともいえない感慨深い気持ちになりました。

(3)当日の流れ
当日は、普段通り7時半頃起き、9時頃家を出発し、電車を乗り継いで、11時半頃渋谷に到着しました。そして、昼食をとった後、会場に向かい、到着したのが12時半頃でした。

会場に行ってみると、すでに受験生の長蛇の列ができており、受付のあるフロアの2階下の最後尾に並びました(私は、おそらく全体でも最後の方だったと思います。)。

20分程ならんで、受付をし、その際に組番を決めるくじ引きをします。口述試験の予定開始時は、待合室の壁に貼り出されており、私は、6組10番でしたので、14時45分スタートとなりました。

自分の順番を待つ間は、勉強をしても頭に入らないだろうと思い、小説を読んで時間を潰していました。

なお、服装はスーツを着用しました(他のほとんどの受験生もスーツでしたので、無難だと思います)。


後編へ続く。

2014年09月08日

短期間で合格をしなければならない理由

私は、合格するのに、3回の本試験受験と3年半の受験勉強(10,177時間)を要したため、決して短期合格者とはいえませんが、受験中、常に「早く合格しなければならない」と思い続けていました。その理由は次のとおりです。

受験期間が長期に及ぶと、自分や近親者が病気になったり、死亡したりするリスクが高くなっていきます。そうすると、治療、看護・介護等に多く時間を割かなければなりませんし、経済的事情も大きく変化します(結婚・離婚、出産・育児の場合も同様です)。

このようなやむを得ない事情の変化は、自分の「気の持ちよう」等でコントロールできるものではなく、それにより、勉強から遠ざかり、やがて受験・合格を諦めざるを得なくなるということは、起こりうるだろうと懸念していました。

この試験は、他の多くの資格試験のように「2級」とか「準1級」というものが存在せず、出口は2つしかありません。「受かる」か「止める」かです。後者においては、家族や友人がいくら「がんばったね」などとと褒めてくれたり、なぐさめてくれたりしても、結果が出なかった以上、何の価値もありません。

ですから、私は、「何としても(受かって)逃げ切りたい」と思って受験勉強をしてきました。

ちなみに、「年々やる気、熱意がなくなっていく」、「モチベーションが上がらない」、「法改正により、勉強し直さなくてはならなくなるのでかったるい」というのは、自分でコントロールできる事柄ですから、気の持ちようで何とかなるはずです(何とかしなければなりません)。

2014年09月01日

認定考査に合格しました

司法書士が、簡易裁判所において、目的となる額が140万円以下の民事紛争について代理するには、簡裁訴訟代理等能力認定考査(以下、「認定考査」といいます。)に合格しなければならないと以前書きましたが、その認定考査の結果が今日法務省のサイトで発表されました。

私の受験地は東京で、受験番号は第463号でした。幸運にも、私の番号は、ありました。

70点満点中40点が「一応」合格基準点ということなのですが、私は、第2問(配点15点)をまるまる間違えたらしいので(「訴訟代理できるかどうか」という問題で、多数派とは正反対の結論を書いた)、正直ヒヤヒヤものでした。

今回の認定考査の問題は、近年稀に見る平易さでした。昨年までの問題が、司法書士試験同様、マニアックになり過ぎたため(研修や基本図書等で全く触れられていないものが出題された)、見直しがされたのだと考えられます。

にも関わらず、合格率はたったの69.8%(個人的には80%を超えてるだろうと感じていた)。どうやら法務省が「70点満点中40点」という絶対評価ではなく、得点(配点)調整等をして相対評価をしているという噂は、あながち冗談ではないのかもしれません。

2014年08月29日

受験に際しての検討事項

司法書士試験の受験勉強を開始するに際して、これまでの受験経験を振り返ってみました。

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単語カードを使うことによる記憶・暗記のコツを掴んでいたため、記憶・暗記には割と自信があったが、文章を読むのが苦手(今でも嫌い)で、かつ遅かったこと。

※単語カードの作成方法等については、そのうち書きます。

得意・苦手(好き嫌い)
得意な科目(英語・世界史)の成績は良かった(偏差値70以上)反面、苦手科目(国語・小論文)の成績が悪かった(偏差値50台、小論文に至っては、偏差値20台をとったこともある)こと。上記と同様の現象が、英検やTOEICの受験においても見られたこと(リーディングでは常に高得点であったのに対し、リスニングは苦手で点があまり伸びず、かつ避けていた)。

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得意科目をさらに磨けば、苦手科目の失点もカバーできると勘違いしていたこと。従って、苦手科目を避け、しっかり取り組まなかったこと。

※実は、苦手科目の方がはるかに伸びしろが大きいのです(例:偏差値70から75にするには、相当の時間・労力を要するが、偏差値50から60にするには、基本事項を固めるだけで足りる〔少ない労力で総得点を上げることができる〕)。

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受験レベルを超えるような知識を得ることに慢心していたこと。例えば、世界史の「辞典」をほとんど覚え(当然、試験には出なかった)、英単語は、恐らく1万数千個覚えた(ネイティブも分からない単語があった〔使い道がなかった〕)。


これらの点を踏まえ、司法書士試験の受験を開始するに際し、大まかな指針を立てました。
  • 苦手分野は極力作らず、あったとしても我慢して取り組むこと。
  • マニアックになり過ぎず、基本的な事項を繰り返しやること。
  • 読解力を鍛えること(これが一番重要)。

上記△筬い鯑匹鵑任い燭世と分かると思いますが、前と同じノリでやると、同じような結果しか出ません。そして、いったん始めてしまうと、修正が利きにくく、ズルズルと悪い方向へ落ちていきやすいと間§ました。ですので、何かを始めるにあたって、前もって、過去の経験やデータを振り返り、考慮・反省してみることをおすすめします。

これは、司法書士試験に限らず、他の資格試験や高校・大学受験に挑戦する場合や、本格的にスポーツを始める場合であっても同様です。

2014年08月28日

熟慮期間〜受験勉強開始

忘れもしない、平成21年8月31日。私は、鎌倉に住む友人に会いに行ったとき、その友人が、司法書士試験の受験勉強をしていることを知りました。私のスカッシュに対するひたむき(?)な姿勢を知ってか、「性格的に向いているのではないか」と、受験を勧めてくれたのです。

当時、私は東京で、ウェブサイトの制作の仕事をしていました。数年前のあの頃であっても、誰でも特別の知識も要らずに、フリー(無料)で、ホームページやブログ、SNSなどを作って運営することができました。ですから、特筆すべきプログラミング能力やデザインのセンスが無い私の仕事が「機械に取って代わられる」のは時間の問題であり、恐らくあまり遠くない将来にそれが起こるだろうと予期していました。

そのような将来に対する不安から、職業として長くやっていけそうな司法書士になるという選択肢も悪くないのではないかと考えるようになりました。

しかし、その友人の話によると、仕事以外の生活は完全に勉強一色で、遊ぶこともできず、飲むこともできず、直前期には十数時間机に向かわなければならず、それでも合格できるかどうかは分からないということだったので、相当の覚悟をしなければ、予備校の「お客さん」になってしまうなと感じました。

そこで、大学受験から15年も経過し、勉強らしいことは趣味だった語学くらいしかやっていなかった自分が、過酷そうな受験生活に耐えることができるのか熟慮してみることにしました。

かれこれ2ヶ月ほど悩みました。

その期間に、法律入門の本を読んでみたり(さっぱり解らなかった)、ベトナム・タイ・バングラデシュに旅行に行ったりして、気持ちを整理し、さらに、親に予備校費用の無心をして、平成21年11月5日、当時渋谷のフォーラムエイトにあった早稲田セミナーに21ヶ月講座(平成23年に受験)の申し込みをしました(奇しくも、口述試験は同じくフォーラムエイトで行われ、また、奇しくも、ちょうど4年後の平成25年11月5日、最終合格したのでした)。

予備校の講座の申し込みをするため、道玄坂の街路樹のところに自転車を停め(当時は三軒茶屋から代官山まで自転車通勤をしていた)、「(結果がどうであれ)これからの生活は一変するんだろうなぁ」と思いながら踏み出した一歩は、今でも鮮明に目に浮かびます。

そのあと、渋谷駅近くの書店へ向かい、模範六法を店員さんに探してもらい、購入したのでした(お恥ずかしい話ですが、受験を始める前は、六法がどういうものか知らなかかったのはもちろんのこと、「六法という法律があるのかな?」とさえ思っていたほど、法律のことを何も知りませんでした。)。

このようにして、3年半にも及ぶ受験勉強が始まったのです。

2014年08月22日

【予告】司法書士試験合格体験記等

昨年合格したとき、3年半にも及ぶ受験勉強の総括として合格体験記を残そうと考えていたのですが(予備校に持っていくと1〜2万円の報酬がもらえるらしい)、新人研修等の準備などに追われ、結局書けませんでした(体系的にまとめていくのがしんどく、挫折)。

私個人の感想・経験の範囲内で、科目別の勉強法、その他学習方法等を徒然なるままに書き綴っていきたいと思います。

素直であることはすべての試験において重大な要素であると思いますが、決して鵜呑みにしないでください。

2014年08月13日

上野の居酒屋

東京で研修や仕事があった後、友人に会ったり、同期との“懇親会”といった予定がなければ、特にどこにも寄らずに上野駅へ向かうわけだが、そこからすぐに常磐線に乗って茨城へ帰ることができない。

上野駅は「北の玄関口」。人が出会いそして別れる場所であるとともに、それを喜びもしくは惜しむための居酒屋が無数にあり、私を引き留めるからだ。

まず、上野駅に着くと、ほぼ無意識に駅の改札を抜け、広小路口の信号を渡り、アメ横方面に歩き出す。

初めのうちは、「今日はやめておこう、買い物だけだ」と頑な思いで、ダミ声混じる雑踏の中、数ヶ月前からやっている「閉店セール」を覗き、品物・値段等に変更がないことを確認し、必要に応じて、クコの実や激辛トウガラシ等のアジアの食材を購入する。

路地を右往左往していると、赤ちょうちんの飲み屋が目に入る。そこからは、モクモクとした焼き鳥の煙とともにざわざわとした客の声が漏れ聞こえてくる。やはり楽しそうだ。

この頃になると、「たまにはいいじゃないか」という気持ちが、「やめておこう」という気持ちに勝ってくる。水が低きに流れるが如く、私の心もまた、赤ちょうちんの元へ流れてしまうのだ(人というものは、弱いものである)。

さて、いったん店に入ると、先ほどまであった罪悪感ないし背徳感は嘘のように吹き飛んで、「今日は何がオススメかな〜」などとホワイトボードに目をやる。

私が最近行くようになった赤ちょうちんの居酒屋は、立ち飲み形式で、代金は注文の都度その場で支払う。最初はそのシステムに戸惑ったが、カウンターの左右で飲んでいる“先輩方”の所作を真似しているうちに慣れた。

左手の先輩は、今日の予算として、テーブルに1000円の紙幣と数百円のコインを無造作に置き、そこから支払いをしているが、大分酔いが回っているようで、手付きが覚束なくなっている。

右手の先輩は、左耳にイヤホンをつけ、店内にあるテレビで放映されている野球中継を観ている(一人で飲んでいても、間がもつ)。今日は、競馬に負けた憂さを晴らし(もしくは戦勝祝い)に来たのか、はたまた明日のレースの景気づけなのか、ひたすらに「今日のオススメ」を攻め、生ビールを注文している。

2〜3杯ほど飲んで、ひと通り食べた後、左右を見ると、その先輩方はいつの間にか消えて、また新しい先輩方が入れ替わりに入ってくる。そして自分自身も「馳走さん」と言い放って消え去る。あたかも光が明滅しているかのように見える。

まったくもって昭和の風情がたまらない居酒屋は、次に来たときも、また、私のことを帰らせないのだろう。

2014年05月30日

認定考査

司法書士が、簡易裁判所において、目的となる額が140万円以下の民事紛争について代理するには、100時間にも渡る研修(特別研修)を受けた上で、簡裁訴訟代理等能力認定考査(以下、「認定考査」といいます。)という試験に合格し、法務大臣から認定を受けなければなりません。

実は、明後日(6月1日)、その認定考査が東京であります。

勝った負けたの裁判は、性に合わないと感じているところですが、認定を受けないと、訴訟はおろか、上記の要件に合うような「もめごと」についての相談も受けることができません。

ですから、司法書士登録をして一応司法書士として独立している自分にとっては、どうしても取っておかねばならない資格(認定)なのです。

そんなわけで、4月半ばからそれなりに試験対策をしてきたわけですが、自分と同等、もしくはそれ以上の実力を持つ同期の仲間がライバルであり、そのうち3割が落ちる試験ですから、正直戦々恐々です。

近年の司法書士試験のように、難問・珍問・奇問が出ないことを祈ります。

早く考査を終えて、同期の仲間と飲みたいです!

2014年04月13日

直前期の過ごし方

4月に入り、司法書士試験の受験生は、約3ヶ月間の直前期に入ります。

ちなみに私の場合、実家の自営の仕事がGW過ぎまで忙しく、私にとっての直前期は5月の第2週からでした(GW明けから仕事は休ませてもらっていました)。

私は、3回目の受験で運良く合格することができましたが、以下に、その3回の直前期で実践したことを書いていきたいと思います。

1 試験が終わるまで遊べない、連絡をしない旨を友人に伝えた
これは直前期ではなく、毎年1月頃には友人に話していました。試験後のフォロー(メールをする、飲み会を開くなど)が大切です。

2 カレンダーに試験までの残りの日数を書き入れ(カウントダウン)、一日の終りに日付に「X」を付けていった
勉強のみに没頭する直前期における時間の流れの早さは尋常なものではなく、1日・1週間・1ヶ月はあっという間に過ぎていきます。残された時間を把握しておくと、勉強の計画が立てやすく、また、ペース配分もしやすかったと思います。

3 アルコールを絶った
アルコールは脳を覚醒し、記憶や睡眠に確実に悪影響を及ぼします。ノンアルコールビールや炭酸水でかなり気が紛れます。今となっては毎日飲んでいますが……

4 病院は早めに
病院は病人が集まるところです。私は、2回目(平成24年度)の受験の際、迂闊にも6月上旬に病院に行き、風邪をもらいました。2日間使い物にならず、模試も欠席しました。薬の処方を受けている方は、早めに行っておいた方が良いと思います。

5 できるだけ毎日イメトレをした
本試験の1ヶ月前、2週間前、1週間前、3日前、前日、本試験当日(朝、午前、昼、午後)のそれぞれの時期における、勉強の進行や生活(起床・就寝時間、食事等)について、自分の理想とする過ごし方を、1日5〜10分程度、イメージしていました。

また、本試験についても、,匹里茲Δ併間配分、順序で解いていくのか、∧僂別簑蠅出題された場合、どう対処すべきか(とりあえず解くか、後回しにするか)、マークシートや解答欄の記載箇所を誤った場合、どう収拾させるかを頭の中でシュミレーションしていました。

6 模試は地元で受けた
地方から大都市に模試を受けに行くメリットは少ないと考えます。詳細については、次回にでも書きます。


私は、毎年、4月からの3ヶ月間で約1200時間勉強していましたが、辛い苦しいと思ったことは多分ありませんでした。「こんなに楽しいことは他にない」とさえ思っていました。

とはいえ、「じゃあ、もう1回やってみろ」と言われても、できません。

2014年04月03日

司法書士になりました

平成26年4月3日、茨城司法書士会にて、私ひとりが参加する入会式がありました。

茨城司法書士会会長より司法書士登録証の授与の際、いささか感極まり、涙が瞼にうっすらと滲んできました。

会長は、「茨城県民のために、自己の研鑽のために、業務を行ってください」とおっしゃいました。

今日で私は、司法書士となりました。正直、あまり実感がありません。

私は、(法律的な地位・権利における)安心を売る商売をしていきたいと思います。

2014年03月26日

3年半ぶりの更新

実に約3年半ぶりの記事を書きます。

私儀ではありますが、昨年11月、平成25年 度司法書士試験に合格しました。登録申請を済ませ、もうすぐ司法書士になります。

仕事、開業準備、認定考査対策等なかなか忙しく、嬉しい悲鳴をあげているところでありますが、受験時代のこと、研修のこと、司法書士登録のこと、開業準備のことなどなど、書ける範囲で書いていきたいと思います。

2010年09月06日

夏の夜明かし

先日の飲み会、時間等の確認を懈怠(けたい)し、終電で帰れなかった。

とりあえず、行けるとこまで行って辿り着いたその日の終着駅。人もまばらなその駅近辺を、これからどうしたものかと暗澹(あんたん)たる思いで、恐らく一時間ほど歩き、考えた。

始発までの時間を潰すため、居酒屋に入るか、ネカフェに入るか、ラブホに入るか迷ったのだけれど、その日は6時の起床に始まり、半日スカッシュをプレー、夕方からの飲み会は不健康を極めたダブルヘッダー。もう学生のような体力は残っていなかったので、結局ビジネスホテルで一夜を明かすことにした。

チェックインして、シャワーを浴び、時計を見るとすでに午前2時。

泊まったビジネスホテルは、そこそこ名のあるところだったので、値段もそこそこかかってしまったが、真っ白でパリパリなシーツはプライスレス。ベッドに何度もヘッドスライディングをしてしまった。なんかもう旅行気分でテンションが上がってしまって。

ある意味、ビジネスホテルの部屋(特にシングル)は、ちょっとした小宇宙ですな。鬱陶しい電話さえ切ってしまえば、邪魔するものは誰もいない、自分だけの空間になる。

なんて盛り上がっていたのもほんの束の間。押し寄せる疲れのため、瞬く間に眠りに落ちてしまったらしい。

朝食はバイキングなので、楽しみにしていたのだけれど、結局チェックアウトの10時まで寝ていたため食べられなかった(駅でおにぎりとサンドイッチを買った)。

2010年03月17日

再会を願って4

友人から電話があった。

東京を引き払い、地元(広島)に戻るのだと。ついては食事にでも行こうと。

翌々日、渋谷で待ち合わせ、落ち着いて話せそうな店に入った。

よくよく考えると、最後に会ったのは、半年以上前。あまりそうした感覚は無かったが。

お互いの近況報告、今後のこと、共通の友人達のこと、思い出話……ごくありきたりな話題ばかりだったが、次いつ会えるのかと思うと、その会話の全部が、かけがえの無いもののように感じられてならなかった。

「俺たち最初に会ったの10年前だぜ!?」

振り返ったときの月日の流れの速さを痛烈に感じた。

ラストオーダーの時間になってようやく店を出た。

駅まで一緒に歩き、別れ際、何故か右手と左手、2回力をこめて握手をした。もう一度右手でしようと思ったけれど、目が潤みかけたので、手を振りながら、踵(きびす)を返し、別れた。

彼の地元が遠隔地なので、次はいつ会うことができるか分からないが、お互い「良い」近況報告ができたらと思う。

2010年01月08日

3度目のスカッシュ3

今週は、すでに2度もスカッシュをすることができました(各40分)。そして今日もスカッシュする予定なので、合計で3回! こんなにやるの久しぶりです。

晩ご飯を、光の速さで、シャワーをマッハの速さで済ませると、案外時間が取れるものです。

逆に、ご飯を食べながら酎ハイなんて飲み始めるともう最悪。「1杯だけ」が3杯4杯になるは、ネットでドラマを観始めるは、挙句の果てにはシャワーを浴びながらブツブツブツブツと独り言。現実逃避のオンパレード。ダメ人間の典型です。

要は、メリハリが大事ってことでしょうかね。適度に運動すると、お脳のあたりもスッキリする気がします。

ただ、寒さで筋肉が硬くなっているから、ケガには気をつけないと。

さて、今日はどんな練習をしましょうかえ。

2009年12月24日

新橋にて4

先日、新橋で志を同じくする友人と会いました。

SL広場で待ち合わせ。そして、心当たりの店に移動するも、この時期、どこのお店もスーツ姿のオジサン方で一杯。3軒目でようやく入れたのが駅近くの地下にある小料理屋。

料理なんてそっちのけで(餃子やビーフン等、美味しかったですが)、積もりに積もった話をしているうちに、あっという間に11時。

次に会う時は、お互い良い経過・結果を報告し合えたら思います。

少し早めのクリスマスプレゼント。役に立てばいいのだけれど。

2009年12月21日

忘年会のような飲み会4

ひどい頭痛です。

日曜日、忘年会的な飲み会がありました。

外で飲んだのは、実に2ヶ月ぶりで、場慣れしていなかったせいか、いきなり一杯目で酔っ払ってしまいました。

場所は、宮崎地鶏を扱う居酒屋。メンバーは、ほぼ言わずもがなですが、この1~2ヶ月間全く会わなかった人もいたので、顔が見れ、近況を知ることができ嬉しかったです。

この店を10時ごろに出た後、有志3人と共に2次会に繰り出し(雰囲気のいい、いわゆる“隠れ家”的なお店です)、12時近くまで居ました。

ウチに戻ると、倒れるように就寝。テーブルには、どこで買ったのか、海鮮弁当が置かれていました。

今回、ストレスに対する防御策として王子(焼肉)に今回の飲み会を提案したのですが、この飲み会のために体調管理とスケジュール調整を徹底したため、諸般の事情に係る行為等も非常に順調に進みました(土日だけで21時間できました)。

そういうわけで、たまには僕と遊んでやってください。

よろしくお願いします。

2009年11月26日

マインドマップ(メモリーツリー)4

マインドマップ(メモリーツリー)は、ドラマ・マンガ『ドラゴン桜』でも紹介されていた、記憶・情報整理を助けるためのノート術。

ある事柄を中心に置いて、それに関連する情報を放射状に枝分かれ式に書いていきます。

例えば、スカッシュについて簡単に記述すると、このようになります(フリーソフトFreeMindを使用〔Win、Macの両方で利用可〕)。

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このソフト、昨日インストールしたばかりなので、この程度のものしか作れませんでしたが、これに色をつけたり、アイコンや画像を貼り付けたりすると、よりイメージが湧きやすく、情報が整理され、かつ記憶の助けになるそうです。

僕は、マインドマップに以前から多少の興味を抱いていたため、Youtubeの動画等を参考に、試しに手書きでやってみました。どんなものかと。

@1
これは、民法総則の第3節「代理(第99条~第118条)」をまとめたものです(蛇足ですが、「部長の代理で来ました」などと上司に指示された用件を単に伝えに来る人がいますが、これは代理人ではなく、ただの使いっ走り。法的には、これを「使者」と言います)。

色は、自分のその色に対する肯定的・否定的なイメージを基に選択し、時計回りに右上からグリーン、イエロー、オレンジと書いていったのは良かったのですが、後半のブルーの部分になってくると、書くスペースが無くなってきて、ゴチャゴチャになってしまいました。

作成してから一度も見返していませんし、正確な用語はサッパリの状態ですが、現在でも大分情報が整理し保持できていると感じています。

特に有用だと感じたことは、憶えたり理解する必要がある事柄を、ノートの位置で把握できること。これは、無味乾燥なことを視覚化することに大いに役立つでしょう。そして、余計な説明文を控えて、記述は最小限に留めているため、確認や復習が短時間で済みそうだというとです。

為替チャートなどのように、比較を要する情報については、マインドマップではなく、表形式にしてしまった方が判りやすいでしょう。

もしかしたら何かの役(プレゼン、勉強、自己分析等)に立つかもしれませんので、興味がある方はお試しあれ。

2009年11月10日

旅行中のヘンな写真3

話を蒸し返すようでアレですが、旅行中に撮った写真で、どうしても日記の内容と合わなかった写真で変わったものを掲載します。

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ベトナム・サイゴンにて。大通りの歩道でこのような形態で眠れるオッサンが凄いのか、このような乗り方をしても倒れないバイクが凄いのか。


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バングラデシュ・ダッカ郊外の空港近くにて。この写真はいささかシュールですが、彼以外にも走行する電車の上を駆け回っていた少年がいました。無邪気でいいですね。


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バングラデシュ・ダッカ。14インチのテレビが5台、頭に乗っていました。


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タイ・バンコクにて。仏教国タイのマクドナルドでは、ドナルドは信心深くワイ(合掌)をします。


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タイ・バンコクにて。実寸大プラスチック警官。バンコクの交通安全に一役買っているようです。

それにしても、顔をここまでしっかり作っておいて、指のディテールがヤッツケ感一杯でどうも納得できません。ドナルドを見習って欲しいです。


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タイ・バンコクにて。路上の猫を撮影しようとしたら頭を振られ、このような物の怪(もののけ)のような写真になってしまいました。

他にも何かないかと探してみましたが、料理とビールの写真ばかりでした。

2009年11月06日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その11(10月17日〜18日)3

10時ごろに起き、食事を済ませ、荷物のパッキングも完璧。12時前にチェックアウトし、万全の状態で空港へと向かう。

空港でのチェックイン。スタッフが顔をしかめめる。10秒ほど経ってから彼女が口にした言葉に驚愕する。

「フライトは明日なのですが……」

よく見ると確かにフライトは18日。そういえば確かにそうだ。どこかで完全な思い違いをしていたらしい。

この三十数年の人生の中で、飛行機に乗り遅れたことは、国内線1回、国際線1回の計2回。しかし、一日前倒しで空港へ行ったことは初めての経験だった。

そんなことを考えているうちに、困り果てているスタッフから、上級のスタッフへとバトンタッチされる。

「フライトの1時間半前に来てくれ。もしかしたら乗れるかもしれないから」と言われる。

しかし、もしそれ(バンコク→サイゴン)に乗れても、サイゴンから東京への便に乗れる保証はなく、夜遅くまで待った挙句乗れない可能性が高い(日本人が“No Show”するのは考えにくい)。だからといって、サイゴンでまた一泊する気にもなれなかった。

なので、フライトの確認を待たず、バスでまたカオサンの、つい数時間前にチェックアウトしたゲストハウスへ戻ってきてしまった。

無口・無表情の受付のオバサンに「どうして戻ってきたの?」と問われ、「フライトを一日間違えた」と答えると、オバサンも周りにいた人達もゲラゲラと大爆笑。

「同じ部屋でいいか?」と言われ、また同じ部屋に入る。

部屋で、この無駄だった数時間のことや、どこでどう勘違いをしたのだろうかと考えているうちに、疲れがドッと出てきてしまい。何時間か半醒半睡のような状態で眠っていた。

今日は土曜日。勘違いでウィークエンドマーケットを逃したのは痛い。

またしても、ビールを飲みつつ食事をし、マッサージを受けるという惰性を繰り返す一日になってしまった。

午前12時46分、また雨が降り出してきた。

「HONG THONG」というウィスキーは少したってから来る。重く来る。


−−翌日−−

ベトナム航空の便に搭乗を果たし、サイゴン経由で成田に到着。

長いようで短かった10日間の旅、ここに終わる。

円は閉じた。

2009年11月05日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その10(10月16日)3

昼ごろに起き、ビールを飲みながらランチを取りダラダラと時間を潰す。マッサージにも行きまた1時間浪費される。

夕方、中心街へ向かうためバスに乗った途端、雨が降り出してきた。空模様も見ず、全くもって迂闊だった。

中心街で用事を済まし、カオサンへ戻るためにバスに乗ったのだが、なぜか集金の人がいない。何故だろう。

「明日の今頃は……」と思うと「惜別の念」というより、山積みになっているであろう仕事やその他もろもろの“現実”に戻らなければならないという、逃げ出したくなるような、恐怖にも似た感情が沸いてくる。

カオサンに戻り、ゲストハウスで身支度を整え、外に出ると、もう雨はやんでいた。なんとも人を馬鹿にしたような天気。

夕食は、いつも行っている屋台風の店へ。ここでも、野菜炒めやイカとニンニクを炒めたものをビールのツマミにしていた。

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イカのニンニク炒め。

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ブロッコリーと鶏肉の炒め物。葉っぱも使うのには驚き(かなり筋張っていた)。

なかなか気の利いたTシャツが見つからない。変な日本語のものは、ほとんど見られなくなった。とうにブームは去ったのかと残念でならない。

2009年11月04日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その9(10月15日)2

朝10時半頃起き、この日の宿代を支払い、軽食とビールと甘ったるいワインのようなものを取り、また少し寝て、目が覚めたら3時半だった。一日がほぼ潰れてしまった。

外に出て、遅い昼食を取る。道をブラブラしてみてもつまらない。カオサン自体に飽きてしまった感がある。しかし、自分はこの便利な場所から離れ、スクンビットなど、バンコクの別なエリアへ移ることができない。そんな半端な自分が嫌になる。嫌になってまたビールを飲んでしまった。

今夜は、差し当たりTシャツを3枚ほど買おうと思う。ただ、残念なのが4年前と比べてそれほどデザインに代わり映えがないこと。とにかく、日本で着ていても恥ずかしないものを買おう。

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暇つぶしに試してみた、「Fish Massage」。魚が足の角質を食べてくれるのだという。

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中には水槽があって客はゼロ。本当に大丈夫なのかいな。

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足を突っ込んだ途端、魚に脚をつつかれる。最初とてもくすぐったく、耐えるのが大変だった。他に客がいなかったので、20分のところを1時間近くやらせてもらったのだけれど、効果のほどは不明(皮膚に少し削られた部分があった)。

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カオサンには、こういう器用な人もいます。割と盛り上がっていた。ちなみにアムステルダムには、ヘディングをしながら電柱に登っていたヤツがいた。

2009年11月02日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その8(10月14日)3

いよいよダッカから脱出する日がやってきた。

たった2泊3日だったが、どれほど長く感じられたであろうか。

汚れた大気のせいで、大分喉と鼻をやられた。悪くならなければよいが(※後に1週間以上患う羽目になる)。

DST(Daylight Saving Time:夏時間)があるのかどうかも不確かだったので、朝食後、10時(DSTだと11時)にホテルをチェックアウトした。

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バス乗り場に行き、「Bus, Airport!?」と連呼していると案外簡単に空港の前を通るバスに乗れることができた。

それにしても相変わらず酷い渋滞。夏時間があろうがなかろうが早めに出てきてよかったと思った。

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空港に着いて時間を確認すると、DSTが採用されていた。「もしDSTの存在に気付いていなかったら」と思うとゾッとする。チェックインカウンターは既に大勢の人が並んでいた。

遅い。遅すぎる。ひとりの客のチェックインを完了させるのにスタッフは5分以上かかっている。あまりに低い仕事の習得度。10分、20分、30分……時間はどんどん過ぎていく。離陸まで時間が30分を切りそうなとき、ようやくビジネスクラスのカウンターに呼ばれチェックインを済ます。

イミグレを通ったあとの両替も酷いものだった。パスポートやらビザやらチケットやらを、わざわざコピー。見習いっぽい男は用紙の記入の仕方も分からず、一々上司に訊いている。ようやくタカをドルに替えたときには、10分以上もの時間が経過していた。

ほとんどギリギリで搭乗。機内では、ビール、コニャック、ワインと、当てつけがましくアルコールを煽った。

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バンコクへ到着。

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この部屋で1400円くらい。ただしお湯が出なかった。

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バンコクに着き、カオサンへ戻り、宿を取り、ビールを飲みつつ料理をほお張る。あまつさえマッサージも受ける。ようやく文明のある場所へ戻ってきた。

残り3日。少しゆっくりしたい。

2009年10月30日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その7(10月13日)3

朝6時に目覚め、7時過ぎにホテルの2Fにあるレストランに行ってみると、もうオープンしていて、バングラデシュスタイルのセットメニューを注文する。小麦粉を伸ばして揚げたもの(名前を忘れた)は4枚食べたが油っこく、胃がもたれそうだった。

部屋に戻り、あまり外出する気分にはならず、民法の本を読んではウトウト、読んではウトウトをを繰り返し、いつのまにか1時近くになってしまった。

エンリケは、空港に行き、直接チケットを手に入れなければ、僕を訪ねてくると話していたから、きっと、コルカタ(カルカッタ)へ戻ることが出来たのであろう。

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支度をして、1時半ごろ、ようやく外に出る。まずは、バス停の場所を探す。程なくバス停というか、パラソルの下でチケットが売られているのを確認する。


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首都の公道で馬車を見るのは初めてかもしれない。

再び「Old Dhaka」へ足を向ける。昨日とは一本道をずらし、南へ。ブリガンガ川のある方向へ歩いて行く。

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大きな道が交差するような場所になると、この状態。まさにカオスwww

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途中、小道に入ると飯屋があった。


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中に入り、ご飯にカレー風味の鶏が乗っているものを指差しで注文する。一見、たくさんあるように思えるのだが、なぜか満腹感がなくそれが不思議だった(米の中がスカスカな印象を受けた)。

店を出て再び川のある方角へ。

すると、宮殿のような建物が見えてきた。「Museum」と称されており、2タカ(3円)を支払い、中へ入った。

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何枚か写真を撮ってから建物の中央にある階段を登る。


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すると川が見えた。大小の船が往来している。何となしに、階段に座っていたオジサンに促されるように隣に座り雑談をする。僕が、「ダッカに来て、ここが一番静かな場所だ」と言うと、彼も分ってくれたようだった。

彼と握手を交わし、再び歩く。川がすぐそこだ。


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船着き場では、大きな船からたくさんの人が出てくる。地方から出稼ぎにやってくるらしい。小さい船は、通勤・通学などに使われるようだ。


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これから船に乗るという小学生くらいの男の子たちは、写真を撮ってあげると、僕の国と名前を訊き、船が遠ざかる間、ずっと手を振って何度も僕の名前を呼んでいた。

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しばらく船着き場のあたりを歩いたあと、今度は橋の方角へ。


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橋の真ん中まで行くと、川とOld Dhakaを一望することができた。


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橋の上からその1。

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橋の上からその2。ガンジスかよwww

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リキシャの運転手は一体どれくらいいるのだろうか?

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夕方になり、徐々に道が混んでいく。

それにしても、空気がひどい。乾期なのか埃っぽく、喉が痛くなり、鼻水が止まらない。しまいには、頭までいたくなってしまうという始末(後に体調を崩す)。

明日はいよいよバンコクに帰る日。ビールやご飯が待ち遠しい。

2009年10月29日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その6(10月12日)3

電源を切っていた携帯のアラームまで動員し、6時半に起き、バスで空港へ。

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思いのほか早く着き過ぎたので、ビールを飲みながら春巻を食べ時間を潰す。


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フライトは定刻を20分程度遅れて離陸。チェックインが早かったせいか、足を伸ばせる席だった。

バングラデシュはイスラム教国で酒は飲めない。なので今のうちにと、昼食にビールとウィスキー…… その後、着陸ギリギリまで眠っていたらしい。

目が覚めると、膝の上には入国に必要な書類が置かれていた。到着して、乗客のほとんどが出てしまうまで書いていたが、途中で諦め、イミグレの前のカウンターで記入することにした。

書類の記入項目が思いのほか多く(両親の名前まで書く)時間がかかり、イミグレを抜け、荷物をピックアップするまでに1時間以上もかかってしまった。

外に出ると、ホテルやタクシーを紹介するというオッサンがまとわり着いてきて、ウザかったが、現地通貨(タカ)もなかったため、彼に両替する場所を訊いて、ドルをタカすることができた。


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そろそろ、このオッサンを振り切ってタクシーを拾おうかと思っていたところ、ひとりの旅行者に声を掛けられた。これから空港の外のローカルバスで市内に行くとのこと。彼と一緒に行くことにした。


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空港の敷地の外を走る道路の歩道橋を渡り、バス乗り場を探す間も、あのオッサンは執拗に着いてくる。本当に鬱陶しく、全く相手にしていなかったが、もう何を言っても無駄だということが理解できないのだろうか。

いろんな人にバス乗り場がどこか訊いて、市内へのバスのチケットを手に入れることができた。


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日本の国旗に似ているバングラデシュのそれは、「丸」の部分がやや左寄り。これは、旗が風ではためいたときに、「丸」が中央に見えるようにするための工夫だそうだ。

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この国は糸ヘン(繊維産業)が盛んな国。

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建物は建て増し式。NHKの番組曰く、資金ができたら建てますのだそうだ。

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カメラを向けると人が集まってくる。そして、カメラのディスプレイを見せると、得心したのか、散っていく。

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道路は、自動車、バス、リキシャ(人力車の自転車版のようなもの)で入り乱れ、カオスの様相を呈していたものの、1時間ほどで市内の「Old Town」と呼ばれる地区に着き、彼とそこで降りる。

「早くホテルを見つけて、少し街を歩いてみよう」などと軽く考えていたのだが、甘かった。ここからが地獄の始まりだったのだ。

とにかく部屋が見つからない。否、明らかに外国人が泊まることを嫌がっているのだ。台帳も見ず、ほとんど門前払い。たとえ、「部屋はある」と言われたとしても、僕と彼(エンリケ)の部屋を別々にしたいと言うと、「それじゃダメだ」と断られてしまう。

ちなみにエンリケは、チリ出身で49歳、独身。子供の頃、家が貧しく、十代で働き始め、そして何とか大学を出て、いろんな職を転々とし、国連で働くまでになったとのこと。どういう意図なのかは分らないが、仕事を辞め旅に出て3ヶ月。ニューヨークからアジア、中近東へ、そしてまたアメリカに戻るという「世界一周旅行」の途上だということ。彼の藪を分け入るような行動力というか突破力には、敬意に近い感嘆を覚える。


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右の帽子をかぶったのがエンリケ。

さて、Old Townをエンリケとひたすら歩き、ホテルを探すも、やはり部屋が見つからない。

そこで、Old Townからすこし外れた場所でホテル探しをしようと提案する。歩いていて気付いたのだが、Old Townは商業地区であり、仮にそこで部屋を見つけられたとしても、食事をする場所が極めて少なかったからだ。

バスを降りた地点に戻り、そこから少し別方向へ歩き、2軒巡るが断られる。そして3件目のホテルで、シングルとダブルに空きがあるらしく、泊めてくれそうな雰囲気だった。

しかし、「別々の部屋にして欲しい」と言うと、「ふたりならダブル。別々の部屋にすることはできない」との答え。いくら話しても話は平行線のまま。“プライバシー”という概念がないのかもしれない(実際、シングルやダブルの部屋に5〜6人もの人が宿泊していた)。

やむを得ず、ガイドブックを持っていないエンリケにシングルの部屋を譲り、アテのあったホテル(5軒)へ。しかし、やはりそこでも、にべもなく断られた。


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野宿も考えるほど途方に暮れて、再度、エンリケがいるホテルの前に訪ねた場所へ行ってみると(断られたとき、なぜか「1時間後に来い」と言われた)、今度は「部屋がある、ちょっと待ってろ」と。15分ほどして提示された部屋は、一泊850タカ(約1000円)。相当ボラれていることを承知しつつ、ここにすることにした。

今回回ったホテルの数は、20軒以上。7時間以上も重たいバックパックを背負って歩き回っていた。精神修行をするために訪れた国ではなかったのだが。

これまで、強盗に拳銃で脅されたり、詐欺に引っかかりそうになったりと、嫌な思いをしたことがあるけれど、今回がワーストかもしれない。

たった1日で「帰りたい」という気持ちになった国はここが初めて。部屋を見つけたあと、エンリケと合流して夕食を取っている間も、お互いずっと愚痴っていた(エンリケは明日にもこの国を出ようとしていた)。

イスラム教国故、お酒も飲めない、混沌のバングラデシュ。

早くバンコクへ帰りたい。

2009年10月28日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その5(10月11日)3

僕は、昨晩部屋に戻ったあと、夜食を取りに再度外へ出、そのとき道で2人組のオカマにからまれ、しばらく喋っていて、寝たのが5時過ぎ。朝、K君にドアをノックされ起こされたのが9時。

当然、お互いしんどく(特に自分は)、K君は、結局アユタヤへもウィークエンドマーケットへも行けず、サイゴンへ戻って行った。

彼と再会を約束し別れたあと、再び眠り、結局外に出たのは3時近くになってしまった。何と言う体たらく。

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遅い昼食を屋台で取っていると、人のざわめきを耳にし、その方向に目をやると、黒煙が上がっていた。


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理由は分からないが車が炎上していて、激しい炎に包まれていた。


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食後、バスで街の中心地へ行く。


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行き先は、Pantip Plaza。ここには、合法・違法に関わらず、コンピュータ関連のソフト・ハードのあらゆるものが揃う場所。あるソフトを購入した。


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バンコクの中心を流れる運河を走るボート。交通渋滞が激しいこの街で、実はこのボートでの移動が一番速かったりする。

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乗ってみた。ちゃんと行き先を言えないと乗るのはツラい。


帰り、いつも使っている60番のバスに乗ると、「このバスは、カオサンへは行かない」と言われる。近くでデモが行われているから通行が出来ないからだという。

カオサンの4〜5km手前で降ろされ、歩く。あのボートでカオサン近くまで戻ればよかったなと後悔する。

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王室迎賓館。ライトアップが綺麗だった。

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3〜40分ほど歩くと、Democracy Monument近くに到着。


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昼間もバスから見えたが、9時近くになっていてもまだデモは続いていた。しかも、よりにもよって、彼らが着ているシャツの色は赤。僕が着ていたシャツも赤。デモに参加していると誤解されてもおかしくない。

周囲を警官隊が取り囲んでいたものの、幸い、指導者的な人の演説が行われていただけで、危険な雰囲気はなかったが、規模は1~2万人。人をかき分けて歩くのに難儀した。


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カオサンに戻り、夕食を取ってから、マッサージを受ける。


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明日のダッカへのフライトは、10:35。起床は6時半頃になる。とにかく、今日はおとなしく眠った方がよさそうだ。

2009年10月27日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その4(10月10日後半)5

K君は、成田空港で、機内で、サイゴン市内で、そしてこの空港で、4度僕のことを見かけ、「これはもう声を掛けるしかない」と思ったということだ。

僕は、他人とつるんで旅行をするのが基本的に好きではないのだが、K君は、初めてのタイであるのにもかかわらず、『地球の歩き方(迷い方)』のタイ版を無くしてしまったらしく、さすがに突き放すことが出来なかった。

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バンコクに到着し、空港内でフリーの地図やら電車のタイムテーブルをに一緒に探し(僕も地下鉄とバスの情報が欲しかった)、相当量の情報を入手することができ、ガイドブックなしでも、ほぼ万全の状態まで持ち上げることができた。


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バスでカオサンまで行き、あまつさえ、ゲストハウスの隣は彼の部屋となった。

K君の印象は、「人なつっこい」と「危なっかしい」の二言に集約できる。だから、一緒に行動できたのだと思う。

部屋を取ったあとは、別行動とし、夕飯時に合流することにした。僕は、バングラデシュ・ダッカ行きのチケットを取らなければならず、彼は、明日にはサイゴンに戻ってしまうため、半日ほどバンコクの街を見て回りたかったからだ。

彼は、自分個人の携帯と会社の携帯のふたつを持っていて、いずれも海外での通話が可能(平気で電話やメールを使っていたが、海外ではパケ放題などのサービスが適応外になるので、今度会うときに通信料がどれほどになったのか訊いてみたい)。一方(個人の方)を借り、8時頃になったらお互いに連絡しあい、合流することとした。

チケットは、裏路地のインド人の経営する、一見怪しげな代理店で取ることにした。行き先と、日付を告げると、頭にターバンを巻いた彼は、数分間黙々とでキーボードを打つ。顔は動かさず目だけがギョロリと動く。時折、電卓をバチバチとたたく。終始無言。

10分ほど経過し、値段を提示される。他のところよりも数千円安いのだが、スケジュールが合わない。無理に自分の予定に合わせてもらったチケットは、3万円。これはかなり痛い出費だったが、一生に一度あるかどうかという経験のためだと思い、自分を納得させた。

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まだ雨季が終わらず、夕立に見舞われた。


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雨宿りもかねて、1時間半ほどマッサージを受ける。これで、700円程度。安い。日本の10分の1以下。日本でやるマッサージは何なんだろうかと、いつもながら思ってしまう。


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マッサージが終わり、約束の8時までTシャツを物色していた。4年前とデザインに大きな変化がなく、ガッカリする。一枚だけ買った。


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レコード屋でレコードのジャケットをペラペラとめくる要領でシャツをチェックしていく。


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これはさすがに着れないなぁ。

8時になり、借りていた携帯でK君に電話をかけてみたのだが、なかなか繋がらず、3~40分経ってようやく連絡が取れ、合流し、飯屋に行く。

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飯屋は昔から馴染みのところだったが、息子が母親から店を継いだらしい。彼は、日本人客を取り込もうとかなりの努力をしているようで、片言の日本語を話し、日本語のメニューを作り、さらには、日本の居酒屋にあるような「単品メニュー」まで考案していた。

ビールを何本か飲みながら、「あとで聞いてくださいよ~」と言っていたトラブルについて訊いてみた。サイゴンで彼が遭ったトラブルというのは、僕もかつて引っかかりそうになった「ブラックジャック詐欺」。手口は僕が経験した内容とほぼ同じで、5万円ほど擦ったらしい。向こうから話しかけてくる人間には気をつけないと。「何らか」の“意図”があるのだから。


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酒も大分回り、冗談半分で、トゥクトゥクの運ちゃんにボッタくられることを承知で、騙された振りをし、女の子がいる店へ何軒か連れて行ってもったけれど、どこもいまひとつ面白みに欠け、結局ウィンドーショッピングで終わってしまった。

その後、僕の発案で、「NANA PLAZA」へ移動。さすがに自分ひとりでは行きにくかったし。

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NANA PLAZAのあるこのエリアは、周囲がアラブ人街になっていて、目に入るアラビア語の看板が、このバンコクという街の雑多な一面を見せてくれる。

NANA PLAZAは、1階から3階までゴーゴーバーで埋め尽くされている。

一度ざっと見て回ったあと、「せっかくだし」と記念(?)に適当な店に入ってみた。ほぼ全員Ladyboy(オカマ)。隣に彼女(?)が座ると、ドリンクをねだられ、料金がどんどん嵩んでくる。

驚いたことに、中には、「別に元男でもええわ、いや、むしろこっちの方が……」と思えるくらいの、アイドルクラスの“超”のつくカワイイ子もいて、危うく理性がぶっ飛びそうになった。しかし、K君が「自分、ひとりでタクシーで帰れますから大丈夫ッスよ」と変に気を遣ってくれたことが、逆に分別を取り戻すきっかけとなって、一線を越えずに済んだ(ルビコン川は渡っていません!)。

2時になり、NANA PLAZAの店も閉店。少し歩いてからタクシーでカオサンに戻ってきた。

この時間になると、現地の法律か規制により、コンビニで酒が買えなくなるのだが、ヤミで(違法で)ビールを売っている奴がいて助かる。

K君のフライトは午後3時くらい。現在朝の4時(この日記を書いている時間)。とりあえず明日、ウィークエンドマーケットに一緒に行くことに決めたのだが、どうなるものやら……

2009年10月26日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その3(10月10日前半)4

4時半くらいまで本を読んでいて、なかなか眠れなかった。それでも、7時半頃には起き出し、フォーとグリルした肉と煮卵が乗ったライスを食べ、腹一杯になる。

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フォー・ボー(牛肉)。


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朝から肉はさすがに重かった。

この日は、やや曇り。バンコクへのフライトが12:40で、11時半にはチェックアウトをして空港へ向かえば良かったので、市場を見てまわって見ることにした。


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はじめに行ったところは、「Old Market」と地図上に書かれていたところ。


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道路の両側に店が出ているだけの、小ぢんまりとしたもので、どこか下町を感じさせるような雰囲気だった。


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もうひとつの市場は、「Ben Thanh Market(ベンタイン市場)」。


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大きな体育館のように屋根があり、かつ広い。


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業種(糸ヘン〔繊維〕、装飾品、土産物、生鮮食品など)ごとに区画がはっきりと分けられていて、観光客向けにも整備されている印象を受けた。

その一角に、屋台が集合する区画があった。色とりどりの美しい蒸し春巻きや、お好み焼き、スープなどあって、腹一杯朝食をとったことに後悔した。

いずれの市場も8年前に行ったような、そんな断片的な記憶を感じた。

ゲストハウスに戻り、荷物をまとめ、再度バイタクで空港へ。運ちゃんは、日本に技術研修に行ったことがあると、片言の日本語とブロークンな英語で話していた。不況によるリストラにより職を追われたとのこと。

彼の私見では、日本が発展していて、ベトナムがそうでないのは、日本人は黙々と仕事をこなしていくのに対し、ベトナム人は、お喋りで見栄っ張りだから。つまり、大切な時間を浪費し、人より目立つために散財をしてしまうから前へ進めないのだと。確かにアンタは口数が多かった。

面白い話を聞かせてもらったので、運賃4ドルのところを5ドル札を渡し、空港の出発ロビーまで歩いていったのだが、案内の看板を見ても航空会社のカウンターが並んでいるような場所が見当たらない。

フロアを上下しウロウロしていると、ひとりの日本人に声を掛けられた。僕と同じく、これからバンコクに向かうらしい(同じ便だった)。

彼(以下、K君とする)の登場が、この日のスケジュールを大きく変えるものだとは思いもしなかった。


(続く)

2009年10月23日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その2(10月9日後半)4

鬱陶しいオッサンを振り切り、8年ぶりのサイゴンを見ようと外に出た。

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サイゴンの天気は、雨が降ったり止んだりのぐずついたもの。傘を開いたり閉じたりしながら街を歩いた。


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大きな通りに出ると、ネオンの派手な看板や欧米風カフェやバーが林立していた。8年も経つと、あの頃の風情どこへやら。随分と変ったものだなと、少し落胆する。


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大通りから小道に入る入り口に屋台を見つけ、フォーを注文する。ここは、なぜかガー(鶏肉)やボー(牛肉)がなく、エビやウズラの卵、レバーなどが並んでいた。

フォーを待っていると、ブロークンな英語を話す人が隣に座ってきて、少し雑談した。この人は1975年にオーストラリアに亡命(?)し、現在はオーストラリアとベトナムとでビジネスをしているとのこと。


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ベトナムのフォーは、麺の入っているどんぶりの他に、パクチーやレタスのような葉野菜がこんもりと盛られた皿が一緒に供される。彼に食べ方を聞くと、野菜をブチブチと千切って、どんぶりに入れ、ダイナミックにかき混ぜるとのこと。はじめて知った。

その他、お好みでニョクマムやニンニク、トウガラシなども入れて食べる。これまでのフォーのイメージとは大分異なり、麺を食べているのか野菜を食べているのか分からなくなるが、とても美味しい。


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屋台を出て、おばあさんが混雑した道路を渡れずにいて、腕を抱えるようにして、渡らせてあげると、「どこの国から来たの?」と品のある発音の英語で話しかけられ、思いのほか驚く。


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10月のサイゴンは早くに暗くなっていった。

1時間半も歩くと、さすがに飽きてきてしまい、部屋に戻って、腹が空くであろう8時頃までゆっくりすることにした。シャワーを浴び、買ってきたビールを飲みつつ、ノートに日記を書き始める。

疲れていたせいか、日記を書いた直後に1時間ほど眠ってしまい、慌てて夕食を取りに出た。そして、ざっと一通り歩いて適当な店に入る。


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ビール、生春巻き、豚肉の入っていない酢豚のようなものを注文した。味はどれも普通だったが、春巻きが5本もあったのには驚いた。

今日は、機内で3本。サイゴンで5本もビールを飲んでしまい、初日からビールに飽きてきた。サワーが恋しくなる。

まだ10時代だが、ゲストハウスの門が閉められているようなので、外には出られない。明日は早めに起きて、市場などを見て回れればと思う。


2009年10月22日

ベトナム〜タイ〜バングラデシュ旅行記 その1(10月9日前半)4

朝、無事に6時過ぎに目を覚まし、フライトの1時間半前の9時に空港へ到着する。

空港でおにぎり(これが一番安い〔150円〕)を3つ買い、それを食べながらイミグレに並ぶ。朝の10時頃はフライトが集中しているらしく、異様に混雑していて時間を取られた。

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そういうわけで、ゲートに着く頃には、すでに搭乗が始まっていて、ゆっくりする間もなく機内に乗り込んだ。

シートには個人用のモニターはなく、ヘッドホンで音楽を聴くのがせいぜいだったので、ずっと民法の総則の部分を読んでいた。

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とにかく雲が綺麗だった。

機内でベトナム入国用の用紙が配られたのだが、記入する箇所が多く、とても面倒だった。以前のように、わざわざビザを取得するよりはマシだったが。


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フライトは約5時間。定刻通りにサイゴン(ホーチミン市)に到着。


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イミグレを通過し、ドルをドンに両替して外に出る。雨模様の天気で、28度なのにかなり蒸し暑い。


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市内へ行くのに、どうもタクシーに乗る気にならず(タクシーは無駄な贅沢だ)、数百メートル歩いて空港のゲートまで行き、そこで5ドルでバイタク(バイクのタクシー)に乗せてもらった。

行き先は、チャイナタウンのようなチョロン地区にしようかとも思ったが、どうせ1日しかいないし、雨で遠くまで歩くことは出来ない。なので、とりあえず安く泊まれればいいと考え、バンコクのカオサンのような、安宿が集るエリアにした。


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バイクでの移動は、いわゆる「2ケツ」。道路は、自動車よりもバイクの方が圧倒的に多く、しかも夕方のラッシュ時。まさに大カオスの様相で、「落ちたら死ぬな」と本気で思い、それがまたスリリングだった。ただ、そんな中、ドライバーのオッサンは、運転しながら、片手で携帯メールを打っていた。本当に勘弁してもらいたかった。


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目的の地区に着き、8年前の記憶を思い起こしつつ歩いていると、オバサンとオッサンに声をかけられ、「1泊10ドルの部屋がある」と言われたので、ついて行くことにした。


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オッサンに連れられて2軒回り、条件の一番良い部屋(なるべく下の階;階段の昇降が面倒だから)に泊まることにした。

受付でもろもろの事項を記入し、10ドル支払い、外に出ようとすると、さっきのオッサンが待ちかまえていた。

このオッサン、本業は、日本人相手のガイドらしく、日本語が割と堪能。過去にガイドした日本人の書かせたノートを見せ、「オレのガイドはボッタクリ無し。楽しいし、連れて行くレストランも美味しい」としきりにアピールしてくる。

「それじゃ、アレはどうだ、フルサービスで70ドルだ。ビールもカラオケもついている。今から行かないか?」

営業熱心なのは結構なのだが、しつこいので段々ウザくなってきて、「No」を連発して、ようやくこのオッサンから逃れることが出来た。

アレには行かなかった。本当に。


(後半へつづく)