2006年12月09日

三権分立に対する第4の権力、或いは第一の権力とも言われているマスコミであるが



.序論 − 渡邉敏郎「クラブきっず」を巡る状況

本論に入る前に先ず、元となった事件につき触れておかなければならないでしょう。
標掲の小学校教諭が自己のHPに交通事故死した子供の写真等を掲載し、その遺族らから告訴されたというものです。
巷間話題になっているところですので周知のとおりでしょう。
この件を巡る渡邉バッシングは、これも周知のところです。

渡邉敏郎は何が悪かったのでしょうか?
自己の趣向を出すべき場所を間違えたこと。僕は世間の通説とちょっと違った点を指摘します。
人間心の中で何を思おうが、それは自由です。誰からもとやかく言われる筋合いはない、それを心の中に留めて置く限りにおいてはです。
ですが、それを形に出すとなれば、話は根底から違ってきます。実際渡邉は、インターネットという全世界の人の目に留まる場所に自己の性向を吐露し、大きなリアクションを招きました。

彼はインターネットというものを、誤解してたのでしょうか? 舐めてかかってたんでしょうか?
僕自身も、自己の性癖を表に出したサイトをやっていますので、自分のこととして考えるのですけど、やはり…
分かってても、錯覚を起こしてしまうこともあるのですよねえ。「同好の志」だけが発信した情報を拾ってくれるものだ、と。
言わずもがな、そんな虫のいい話はありません。だからこそ錯覚なのですけど。
会員制SNSあたりが本来の機能を果てしていれば、こんな虫のいい話も100分の1程度は期待もできましょうが、現状はまた周知のとおりです。
おっと、誤解を招く言い方でしたか。僕は「虫のいい話があってはならない」と言ったつもりでした。
全世界不特定多数に情報を発信すれば、全世界不特定多数から反響が返ってくるということを片時も忘れてはならないでしょう。
果たして渡邉敏郎の発信した情報も、事故死児童遺族の受信する処となり、その神経を逆撫ですることになりました。

そして、この遺族です。
勇気を持って本当のことを書くなら、僕には「クラブきっず」の被害者とは思えないのですよねえ。
肝心なところですから、「この遺族」ではなく正確に書きましょう。「事故死した肉親の写真等をHPに掲げている人たち」です。
既に述べたことと全く同じ理屈です。誰かがうまいことを言ってました、仏壇を全世界にテレビ放映してるようなものだ、と。
お気持ちはよく僕なりには分かるつもりです。
けど、まあ…
それを見た人たちが、どんな気持ちになるのでしょうか?
その「放映」を全世界の誰が視聴するかもしれない… 繰り返しましょう、既に述べたことと全く同じ理屈です。
果たして、全世界のネット人のうちから「クラブきっず」がそれに反応したという事実を招きました。

 いつまでも忘れないことも供養なら、忘れることもまた供養ではないか?
 ここに『偲ぶ』という言葉がある。

どこかで見た言葉を向け、次の役者たちに視点を移すことにします。
羽村市立松林小学校、羽村市教育委員会…
渡邉の勤務場所なんですけどね。僕は一連のドタバタ劇の主役は、むしろここらだと思うんですよ。
うん、一番の悪役ということです。

既に、6月の時点においてですか? 渡邉敏郎が告訴され強制捜査を受け書類送検されていた旨の報告を受けていたのは。
して、彼は11/30まで教壇に上がり続けた、常識というあいまいな言葉は使いたくないものの…
虞犯者を教育の場につかせ続けた学校管理者たちは、非常識の極みだと感じますよ。少なくても、社会通例としては考えられないことです。

いいですか?
渡邉敏郎の持っている性癖なる心の問題ではないんです。傷つけたの、傷つけられたのという、専ら当事者どおしの話ではないんです。
正当な権限を持った公的機関から、刑事手続きという動かしようのないアクションを起こされたという事実なんですよ。
それを放置是認しておいたとは!

部下を庇うとか、身内の不祥事を隠蔽していたとかの次元ではありません。
佐藤美知子校長や角野征大教育長自身の職務怠慢です。
もし、この事件で罰せられる者があったとしたなら、この面々こそ一番の重罰を科せられてしかりと言っておきましょう。
また、「クラブきっず」掲載写真の出所を巡り別の役者がいるとかいう風評もありますが、現段階では情報不足、ここらで切り上げることとします。

図らずも序論が長くなりましたが、いよいよ本論に移ります。



.本論 − ライブドア・ニュース(2006年12月08日掲載)・時のことば『児童ポルノ』に絶句

このような「クラブきっず」事件ですから、ネットジャーナリストたちも盛んにオピニオン種としていました。
いずれも、成る程と頷ける点もあれば、そうかなと首を傾げる点もあり、それ故にオピニオンなんですけどね。
そんな中、標記のオピニオンには呆れ返ってしまいました。

と論を進めるのなら、引用するかせめてURLなりを書くのが通例なんですけど、その気にすらならないほどすさまじいものです。
だって、「この幼児性愛というものだけは、人間として絶対に許し難い(犯罪)行為だ、抹殺すべし」、などと本気で書いてるんですもの。
愛する心を持つこと自体が、「絶対に許し難い行為」だと…
今更言うまでもなく、論の破綻というも馬鹿馬鹿しいくらいに支離滅裂な言いようです。

愛する心が犯罪なのですか?
あの大文豪ゲーテは齢70にして17歳の少女に激しい恋をしました。
こういった少女愛は、「時のことば『児童ポルノ』」論者に言わせれば「人として絶対にやってはいけない犯罪行為」なんですよねえ?

そもそも、人の心の中を取り締まる権力があるというのですか?
(そんな権力は絶対ありえないが)仮にあったとしても思うもんは思うんだから仕方がないですよね。
そうなればルイス・キャロル(アリス作者)あたりは一生涯獄中生活、『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』二部作はこの世にはなかった訳です。
何とも恐ろしいことを書く人があったものです。

僕は最初、この「時のことば」は、てっきり高校生パブリックジャーナリストあたりが書いたものとばかり思っていたんですよ。
正義感の強い若者が昨今の犯罪白書に憤るあまり正当な判断力を失ってしまった、(彼もしくは彼女を洗脳してしまった)マスコミとは罪深いものよと、そこに身を置いた者の一人として憂いていたところなのですけど。
それが調べてみるに、ジャーナリズムで飯を喰っている人間が書いたものと知ることになるのです。

満富俊吉郎、平成マスコミ塾
珍しい名前ですし、日誌に同趣旨のことが書いてあることからすれば、断定してよいでしょう。
職業だけでなく、学校も僕の先輩ということになるようでして、愈愈「なんたるちゃ」ですよ。
一言で言ってしまえば、これが(僕が嫌気した)ジャーナリストの職業病なのですけど。
要するに自分の判断で書いてるつもりでいても、その実は全くその逆ってことなんですけどね。

俎上の「時のことば〜」で詳説しましょうか。
そもそもの大前提が 児童ポルノ=悪 、その『絶対的価値観』に合わせるがために森羅万象全てを歪めてしまってるのです。
「(少女を)愛するという心自体が悪」、と言ったのは、「児童ポルノ製作視聴等が悪」、と言おうとして暴走してしまった、と好意的に解釈したとしても、なお未だ歪んでます。
価値観などというものは、そんな絶対的なものでなく極めて相対的なものでしょう。
いい例が、(児童のつかない普通の)ポルノ。
これがどのような歴史を辿ってきたか、記者生活が長いのならば、当然知っている筈です。
「チャタレー」「四畳半」、せめて高校の教科書にも出てくるこの程度のことくらいは、人並み以上に勉強してくださいと言いたい。
うん、したんでしょうね、かつては。
それが記者を続けるようになり逆にどんどん退化する… 『職業病』にかかって。
この点について詳説した別サイトがありますので、ご興味あればそちらもお読みください。

さて、話を続けますれば。
勿論、「これ以上子どもたちを犯罪の犠牲者にしてはいけない」ですよ。
うん、
半端だったら効果なし、徹底的にやるべし! そのためには手段を選べず。論理の破綻もなんのその、児童ポルノを性犯罪の元凶と決め付け、ジャーナリズムにおける優位を嵩に衆愚による少女愛者に対する魔女狩りを扇動するも厭わず!
ですか?
一理はあります。

だけどね。
同時にそれは、子供たちから「可愛がられる機会」を奪ってしまうということなのですよ。
ちょっと他所の子に近づいただけで物議をかもし出すことになる…
このような時代に生まれた少女たちこそ不幸ですよ。

幼いものというのは可愛いものです。
幼児期というのは人から可愛がられるよう天から与えられた期間だ、と言えば文学的になりましょう。
可愛がられるべき時期にその機会を得られなかった損失は、長寿時代の長き人生を終わるまで負の資産として残ります。
一部犯罪者のために、このような風潮が…
なんとも嘆かわしい限りです。

と同時に、「可愛い者を可愛がる機会」を奪われてしまった側の損失も重大なものといえましょう。
ここでひとつ、中国は北宋の俗謡をみてみましょう。

   琅琊王歌辞

  新買五尺刀 懸著中梁柱
  一日三摩娑 劇于十五女

   琅琊王歌辞

新たに五尺の刀を買い  中梁の柱に懸著(かけつ)く
一日三たび摩娑(まさ)す 十五の女(むすめ)より激し


原文は
新买五尺刀,悬著中梁柱。一日三摩娑,剧於十五女。
字が出ませんか?
元箇所で確認ください。

…なんか、すごいですね。
意味が分かるというか、なんか訳分かんないというか。
妖艶といおうか、はたまた陰鬱といおうか。
それこそ、プンプン匂ってくるってやつで。

刀マニアってのは古今東西多いようですね。
昔の男の子は必ずといっていいほど、肥後守を宝物にしていたとか。
実際、日本刀の鍛錬は精神修養になると聞き及びます。
でも、毎日三度なでなでして悦にいるということになると…

なによりもすさまじいのが、結句ですね。
15歳の少女を愛撫して昂ぶらせるよりも、エクスタシィを感じるというのです。
えーっと、この国のこの時代の荘園主が荘園内の♀をすべて自分のものにできたのですか?
魯迅の小説あたりにも、それが出てるらしいですね。

今日風に言えば、ロリ。
まさにここらか、意見が対立点なのですけど。
悪いのは犯罪行為であって、べつにそれ自体はどうということはないじゃないですか。
若い♀を求めるというのは、優性生殖のための自然の摂理です。

述べたように、数学者ドジスンであるルイス・キャロルは、その性向を『フル活用』して『アリス』を残しました。
なにもかにも、某M等々に結び付けて、ロリ = 悪 と決め付けなくともいいのでは。
刀マニア = 辻斬りでないのと同じです。

更にもうひとつ、我が国最古の歌集である万葉集から、一例拾ってみましょうか。
ここにも少女愛が、万葉人の大らかさで屈託なく表現されてます。

橘の 寺の長屋に わが率宿し 童女放髪は 髪あげつらむか

いやあ、凄いの見つけちゃいましたよ。
先ず、読み仮名つけないと解らないですね。

 たちばなのてらのながやにわがゐねしうなゐはなりはかみあげつらむか

とまあこんな読みをする、巻十六-三八二二、「古歌に曰はく」です。
前にお話した池田弥三郎さんの新書本繰ってるうちに見つけたのですけど。
問題は「うなゐはなり = 童女波奈里 宇奈為放」なのです。

まず、岩波書店『萬葉集』の脚注を記しましょうか。

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橘の寺−明日香川の上流(奈良県高市郡明日香村橘)の地にある寺。聖徳太子の創建にかかる。O長屋−棟の長い家。紬長い形の家。○率宿し−いざない寝た。O童女放髪ーウナヰは童女の髪の形から名づけた言葉。髪を切って頸のところまでたらしている形。ハナリは、束ねないで、垂髪の少女をいう。「少女らが放(はなり)の髪を木綿(ゆふ)の山」(巻七、三四四)など。
〔大意〕橘寺の長屋で、私が一しょに寝たあの垂髪の少女は、もう成人して、髪をあげたことだろうか。

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と、池田さんは、当然これでよしとせず「うなゐはなり」から、当時の頭部扮装→生活様式の検証に掛かるのですが、そこは割愛しましょう。

いや僕が注目したのは、作者の心理なんですよ。
性行為時の髪の印象…後に閨中の♀を連想させるようになる。
「♀のリビドーの象徴である髪」がここにもありましたもので。

しかも、これは前にご紹介したやさしげなものとはちょっと趣を異にする、うらに支配の心理が感じ取れます。
うーん、なんて言ったらいいんだろう? 足のフェチ:纏足 のような…


と、この言い回し、



ルイス・キャロル − 数学者ドジスンである『アリス』作者
すごいの見つけちゃった…
犬養万葉だけじゃないですよ〜

を丸写ししました。

…って、お馴染みのパターンですよねえ。
そうなんです。目に付いたものを丸写しして自分の知識としてひけらかす…
これが、ジャーナリズム畑で育った者のやり口なんですよ。
因みに、序論においては、



岡本千鶴子 − 自ら手にかけた娘を含む五遺体と同居

あたりも。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ(sato8644@yahoo.co.jp)様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


  

Posted by Homer Simpson at 16:45