2006年12月17日

ウィニー裁判地裁判決に思う

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某玉置アナの台詞を借りるなら「一週間のご無沙汰」、今週もひとつ意見投稿なぞを手がけるとしましょう。

さて、先週はかの「クラブきっず」を巡るネットオピニオンに触発されての投稿でした。
件の渡邊教諭は著作権法に抵触したサイト運営を断罪されたのでしたよねえ、確定している部分を話せばです。

ネット…
著作権法…

この2ワードに大いに関係のある司法判断が、また示されました。
断るまでもないでしょう。ファイル交換ソフト「ウィニー」を開発した元東大助手金子勇被告(36)に対する京都地裁判決のことです。
懲役1年の求刑に対し、罰金150万円の判決、つまり当該一審は有罪判決を示したのです。

…もう、くどくは言いたくありませんね。
「交換ソフト開発者が有罪で三菱ふそう経営者が無罪。司法とは何なのか?」
うん、これに尽きてます。これで終わりにしてもいい、
終わりにしてもよかったんですよ。被告やその支持者の判決批判を耳にするまでは。

「(この判決は研究者たちの)開発意欲をそぐ」

なんですか、これ?!
こんな駄々っ子じみたことを言う人たちの存在を知ってしまった以上、ひとり司法を悪者にして終わりにするわけにはいかなくなりました。

「やる気がなくなったのなら、やめちまえば」
駄々っ子を叱るのですから、こんなところで十分でしょう。
ん? そっけない?
じゃあ、大人に昇格させてあげましょうか。

この人たちは業者ですよね。うん、研究業者。
研究者じゃないでしょう、研究者とはいうのは、例えどんな迫害を受けても研究を続ける人たちです。「それでも地球は回る」
それを何ですか。一度や二度ブタ箱にぶち込まれたくらいで、やめるのやめないのと喚きだすとは。
要するに自分の利権を守りたいがために研究を人質にとってごねる業者代表に過ぎません。
この人たちが大人であるにせよ、子供に等しいにせよ、こんな研究もどきはやめてくれたほうがいいです。
ねえ? 公共財に等しいネットというものを実験用に使い大きな波紋を巻き起こし、なおかつそれが万人にとって有益なものであると信じて疑わないような人たちは消えてくれたほうが助かる、
少なくても、これを飯の種にしようと考えない者のひとりとしてはです。

ここで時系列を戻し、本件が刑事事件化した経緯を振り返りましょう。
僕はさっき「大きな波紋」と表しました。これは、誤解を招くことを防ぎたいがための曖昧表現です。
まあ、僕らならば曖昧表現のままで済まされましょうが、司法が(「大きな波紋」を放置しとく訳にはいかずと判断して)刑事事件にするためには、そんな訳にはいかないですよね。
法規に定められている歴とした罪状を提出しなければなりません。
そこで、もって来たのが、著作権法違反(幇助)。
このプロセスで読まなければ話を間違えましょう。先ず罪状ありき、ではないのです。

随分昔のことですが、ブルセラなるものが流行ったことがありました。
中には濡れ手に粟の大儲けをしている者もある、これを放置するのは社会のためにならずと判断した当局は摘発に乗り出しました。
適用したのが「古物営業法」、古物商の株を持っていないものが古物を取り扱うのは違法だというなのですが。
まあ、感覚的に見たらば、これは変ですよ。けど、よくも悪しくも司法とはこんなものなんです。
規則を曲げるわけにはいかないのなら事実を曲げるしかない、美化すればこれを大岡裁きというのですがね。
果たして、使用済み下着等を骨董品と見なした件の刑事手続きは効を奏しました。

元に戻すに、「ウィニー」開発に著法を持ってきた件です。
これは失敗例でしょう。有罪とされた被告サイドが納得してないことは述べてきたとおり、つまり「穿き古しパンツが何で骨董なんだ?」と正面切って対抗してきたわけです。
そして、この判決の支持者です。
そうですよねえ、著作権で飯を喰っている面々が俄然勢いづいてしまいましたもの。つまり、穿き古しパンツを骨董としても(そんなものを取り扱ってない)骨董屋が利になるわけがない、しかるに今回の地裁判決は(位置が近かったために)「著作権業者」に漁夫の利を齎す結果となったのです。

著作権で飯を喰っている面々と言いましたね?
そうですよ、元よりいい印象は持ってません。
先ず喰うことがありき。そのための手段としては、著作権という既存の特権にしがみつくのが一番。
文化の発展寄与という理想などとうの昔に雲散霧消させてしまったこの人たちもまた業者、作(X)家というよりは著作権業者という呼称で呼んだ方がよいでしょう。
この著作権業者というのも、一言文句言いたい相手ですので触れておきます。

なぜ面白くないかといえば、司法の場を営業目的に利用している帰来があるからです。
代表的なものをあげるとするなら、ほら、あったでしょう?
ブルセラよりは新しいものの、これもまたかなり前ですけど、訴訟を宣伝かわり使う大手アミューズメントが。
「(我が社版権キャラの)清純なイメージを壊された」等々。
結構話題になりましたので、当時の報道を知っている方は思い出すことと思います。
極めつけは、「(ゲーム)セーブデータの著作権は(ゲームソフトの著作権者である)我が社にある」の主張です。

まあ、こんな話は、ゴッホのひまわりがウン十億円で売れた、
そこに、絵の具業者現れて、
「あの黄色は我々の秘伝。だから売買代金は我々のものだ」
というものなんでけど。
驚くなかれ、司法は原告大手アミューズメントの主張を支持したのですよ!
はしょっちゃいましょうか。一番驚いたのは原告でしょうね。当然敗訴となり最高裁まで係争することにより商品等の宣伝が長期にわたり続けられるというシナリオが崩れたのですから。

とまれ、今回地裁判決判決の支持者の大半は、こうした前科のある事業者たちなのです。
果たして、公権力が利するに値する公共性があるのでしょうか?

さて、そろそろ結論にもって行きましょう。
以上述べてきたことを、ここまでお読み願った各位には、読みにくい文章だったかもしれません。

「お前一体、誰の味方をしているだ?」「あっちについたり、こっちについたり矛盾だらけ」

こう感じてる方も多いことと思います。
まあ今回判決に関しては、(俎上の人物の)誰の味方もしたくない、「どいつもこいつも」、というのが、僕の感想ですので。
忘れてはならないのは、司法なるものは全て我々の血税により運営維持されている場であるということです。
その司法の場が一部の利便のために利用され、専ら業者間の鬩ぎあいが繰り広げられているのは、何とも不快な限りです。

更に言うならば。

かつて、文化財というものは、皆の共有財産でした。
よく言うところでは歌。
皆が歌いました。
一人が「つらつらつばきつらつらに」と歌えば、皆が「つらつらつばき」とやり出す、「山鳥の尾のしだり尾の」がいいなあと感じれば誰も彼もが「山鳥の尾」と歌い、この貴重な財産を共有する…
古代人たちの魂の息吹は、どこに消えてしまったのでしょうか?

 あら春や 浜つ椿の つらつらに とみ思ほゆれ こぞの夏こそ

…例によって例のごとく、パクリです。
でもよいではありませんか。歌は皆の共有財産です。

よし、只今作成中の来年の年賀状は、この歌で行くとしましょう。

  

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