penitence

hommeギターボーカル秋山の日記。

photo


ああああああああああああああああああああああああああああ”ーーーーーーーーー















湯豆腐食べたああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいい


















d7136-18-521432-1


ああああああああああああああ”あ”ああああああああああああああああああああああああ”ーーーーーーーーーーーーーーーーーー













おでんも食べたああああああああああああああ”ああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいい

約2ヶ月前の3月終わりに書いた記事、想像以上のものすごい反響いただいてとてもビックリしましたが、あの話に続きがあったので書いておこうと思います。
ちなみにその記事はこれね。今回の話は、前回の記事の続きになるから、これを読んでない人はまず先に前回の記事を読むことをオススメします。(ただ、超長いですが。。)
http://blog.livedoor.jp/homme777/archives/65907096.html


------------------------------------

あの日母親と約25年ぶりに再会したわけなのですが、それ以降毎日のように連絡をとってます。
連絡をとるって言っても、LINEで一言ぐらいなもんなんだけども。
再会のあとすぐにhommeのことがバレてしまい、通販でCDやらDVDやら注文してこられまして(笑)
それらをたくさん聴いたり観たりしてくれてるみたいです。

だからこそLINEのやりとりも、「明日のライブ頑張って」とかそういうやりとりも多かったり。
HPもよくチェックしてくれてるみたい。ってことは、このブログも多分見てると思うんだけどね。


なんにしても、今年の3月まで25年近くの間まったく所在や生存すらわからなかった人とこうやって普通に日常的にやりとりしてることに新鮮さと違和感と不思議さを覚えながら過ごしているわけです。
もちろん、「嬉しい」っていう感情大前提のもとでね。


ほんと勇気振り絞って取った行動してよかったなって思う。
「人生で絶対トップ3に入るだろこれ」っていうぐらいの緊張したけどね。ほんとにハンパじゃない緊張だった。



まとめると、
あの再会後、母親と普通に連絡とるようになったし、母親がhommeを応援してくれるようになりました!!!!!














































で、終わりではなくて。










































































IMG_6792



5/28の昼にhommeが出演した岡山の野外フェス・hoshiotoに母親が来てました(笑)

マジでビックリした。
本当にビックリした。
前日も普通に「明日ファイト」的なLINE来てたような気がするんだけど、完全なるサプライズ。



俺の横にいるのが母親。



じゃあその横に写ってる女の子は誰かって?
(真ん中に写りこんだ男性は見ず知らずの方です汗)





これ、妹です。
異父妹っていうのかな。

でも半分血が繋がってる妹。


母親から「娘が一人いる」とは聞かされてはいたけど、岡山で開催のフェスイベントのライブ終わりに初対面という驚愕の体験(笑)
なんなんだこの出来事は。

母親が俺のライブを見に来てたってことだけでも相当ビックリなのに、さらに妹に出逢うというビックリ。
「妹です」って言われたとはいえ、初対面だから実感なんてまったく沸かなくて、ただただビックリしてただけ。
でも初対面なのに「間違いなく血がつながってるな」っていう感覚を覚えたのも事実。
過去に体感したことがなかったような感覚。




約25年間欠けてたものが、約2ヶ月でこんなに埋まるなんてね。
色々すごすぎるぞ。本当に。


今度は何が起こるんだろう(笑)
また何か起きたら続きを書こうと思います。

禁煙して9ヶ月経過。

10年間1日2箱半〜3箱を毎日吸ってた人間からするととてつもないことである。
たまーに吸いたくなるけど、吸うことはないと思う。
「やめてから声が確実に良くなった」って色んな人に言われてしまったから吸おうにも吸えません。

それはいいの。


問題は、禁煙後からずーーーーーーーーーーーーーっと起こってる





























謎の声枯れ

















である。

禁煙したことによって起きる症状の1つかと思ってスルーしてたが、さすがに去年の秋頃病院受診。


「日にち薬ですね〜」


と先生に言われ、その言葉を信じ、ついに9ヶ月経過。
良くなるどころか悪化の一途を辿る。

煙草ヤメて声がどんどん枯れて行くって一体どういうこと!?


去年秋からライブ中にオリーブオイル飲みながらやってみたり、その他様々なことやったが、何も変わらず。
歌えば歌うほど枯れる。

とにかく色んなこと試したけど効果無し。


こないだのライブで、泣きたくなるぐらいの枯れ声を披露してしまったため、激凹みからの次の日病院に行くも、日にち薬という判断は変わらず。。

近々別の病院にもいってみる。



とにかく、キツイ。

歌いたい歌が歌えない。
自分の思うように声が出ない辛さ。

煙草やめて声が良くなったとほんとに色んな人に言われるけど、こんなに枯れてちゃそれも意味をなさない。

神様、そろそろ枯れるのはもうやめせてください。
煙草やめたのにさ。なんなんだよもう。


前回のブログ、ちょっと想像できないほどの反響いただきまして。。
ブログにもコメントたくさんでした。
コメントくれたすべてのみなさん、ほんとにありがとうございました。
自分が緊張しながらも踏み出した一歩で、何かが変わったのは間違いないです。
勇気振り絞ってよかったなあと。
これが人生における1つの大きな点になるのかなとも思います。


ちなみにあれから、母親とちょくちょくLINEしてます。
不思議な感覚だよほんとに。
いつか飲みたいなー。ゆっくり話をしてみたい。


------


「年齢を重ねていくことに伴う傾倒感」

をテーマにブログ書こうと思ってたんだけど(論文かよ)、なんか今日は書く日じゃない気がしてきたのでやめます。なんやねんそれ!
次のブログで書きます。次のブログがいつになるかわかんないけど。


もし次のブログで書いてなかったら、「ちょっとちょっと秋山さん」って指摘してくださいまし。


---------

あ、今回の最後に。



「1文節とはどこにも書いてありませんし、言ってませんよ〜。」


じゃ。


042


知ってる人もいると思うが、俺には母親がいない。
俺が2歳のときに両親が離婚しているから、そもそもとして母親との思い出がない。
ない、というか正確に言えば覚えていない。

6歳か7歳ぐらいのときに1度だけ親父と共に母親が住む一人暮らしの家に行ったことがあるが、それも「行った」という記憶しかなく、そこで母親と何を話して何をしたかも覚えていない。

9歳ぐらいまでは毎年1回ぐらいは電話をしてきてたし、誕生日にはプレゼントを贈ってきてたから、微々たる関わりはあったものの、もちろん「そういうことがあった」という事柄的な記憶しかない。
ちなみにそれ以降は一切連絡もしてこなくなったし、会ってすらない。


だから、俺の記憶と脳みその中には物心ついてから「母親」という存在がなかったし、それを恋しいとも愛しいとも思わなかった。
(もちろんそれはばあさんが母親代わりとしてあれやこれやをやってくれたおかげ)
悪気があるわけではなくて、本当に面識がないに等しいから、母親への愛が欠落してた。

ただ、学校でお弁当持参の日に、同級生が軒並み可愛らしいお弁当を持たせてもらったりするのを見る度に自分の弁当箱が周りに見えないように隠しながら食べたりしてたし(ばーさんが作ってくれる弁当だから他の若いお母さんが作ってくれる弁当よりも少し古っぽくて)、参観日に若いお母さんに混ざって、ばーさんが来てくれてたから、そういう瞬間には「なんで俺にはお母さんがいないんだろう」って思ってたけど、意識してたのなんてそんな瞬間ぐらいだし、それも歳を重ねるに連れてどうでもよくなっていって、小学生高学年ぐらいからはもはやそんなことすら思わなくなってた。
「俺にはお母さん代わりのばーちゃんがいるし」って思ってた。
別にそれでよかった。


母親の顔なんてもちろん覚えてないし、どんな声で、どんな喋り方するかとかももちろんサッパリ。
実家で見つけた、小さい頃の俺を連れてる母親の写真を見たことがあるぐらいなもので、それを見ても「懐かしい」とか「あ、お母さんだ」とかって感情はなくて、「これが俺の母親なのか。」ぐらいの感情しか沸かなかった。

離婚した理由を親父に聞いたこともないし、聞く気にもならなかったし、でも離婚するからには何か理由があったわけだろうし。
仕方がない。離婚しちゃったんだし。


だから母親を恨んだことも憎んだこともない。
もちろん親父やばーさんを恨んだことも憎んだこともない。

ただただ、「母親」という存在に希薄な日々を数十年過ごしてきた。





それが、どうしたものか。
去年あたりから急に母親のことが気になりはじめた。

「俺はこのまま自分を産んでくれた人の顔もこの目できちんと見ることもないまま人生を終えていくのかな」
って考えると、それはすげーイヤだなと感じるようになった。


あなたが産んでくれた子供はこんなに大きくなって元気にやってますよーって伝えたかったし、自分を産んでくれた人にちゃんと会ってみたかった。

ずっとそんなこと思わず過ごしてきたのに、何かに取り憑かれたようにそんなこと思いはじめたってことは、会いに行けっていうことなんだろうなって。



ただ、そう思ったのはいいものの、どこで何をしているのかもわからない。
むしろ生きてるのか死んでるのかもわからない。

ネットでそういう事例を検索してみたらたくさん引っかかった。
どうやら血縁関係があれば戸籍を辿っていけるらしい。

市役所に行って、どうしたら良いか聞いた。
とりあえずまずは俺の本籍地で戸籍と附表をとれ、とのこと。
時間を見つけて実家の役場へ。

母親を捜してる旨を伝えたら、どういう手筈で調べていけるかを教えてくれた。

要は、その町の戸籍の最終届出になってる場所を調べて、そこの役場で戸籍を取り続ければいいらしい。

離婚して母親は実家の東大阪に戻ってた。
俺の実家で取った戸籍には「○○町から除籍。東大阪市に入籍」って書いてあった。

つまりその町に届けられた戸籍には、その町からいなくなった場合には「どこどこへ入籍」ってなってるし、そうなってない場合はその町にいるってことになる。

どこどこへ入籍を辿っていけば、やがて居場所は分かるシステム。
ただし、違う町に行ってれば、その度にそこの役場に行って戸籍を請求して、っていうのを繰り返さねばならない。

例えば母親が引っ越し族になってたら、何回も各町の役場へ行かねばならんわけだ。
これは終わりが見えないなと感じたけど、そうするしか捜す方法がないわけだから、やるっきゃなかった。

幸い、郵送請求ってのが出来たから救われた。
戸籍を請求するためにかかるお金分の小為替を買って、返信用封筒を作って、自分の身分を証明するものを同封して、その町の役場へ送れば、戸籍が返送されてくるってわけ。
その作業を何回すりゃいいかわからんかったけど、直接出向くのに比べたら時間も労力もお金も100倍マシなのでそれをした。


最初は東大阪市役所に。
戸籍返ってきた。
離婚後数年して京都府宇治市に入籍になってた。ここでいう入籍ってのは、さっきも書いたけど「引っ越し」って意味。


次は宇治市に郵送請求。
戸籍が返ってくる。
宇治市に行って数年後に結婚して神戸市某所に入籍。


次は神戸市某所に郵送請求。
戸籍が返ってきた。
どこかに入籍した形跡がない。
つまり、その町にいる。

戸籍だから最終届出の住所も載ってる。
(もちろんこれは血縁関係があるから知れたことです)


というわけで、どこに住んでるかってことと、現在の苗字、そして少なくとも生きていることはわかった。




ただ、今度は強烈な不安に襲われる。
「そもそも会ってくれるのだろうか」
とか
「何か大きな病気をしてたり、例えば入院してたりした場合、どうしよう」
とか
「再婚相手がそういうのを嫌う人で、怒鳴り返されたらどうしよう」
とか。
数え上げればキリがない。

いくら所在と生存確認ができたとはいえ、どういう環境で生きててどういう生活をしてるかが謎すぎる上、生き別れて30年近く経ってるわけで、その間に何が起きてるかもわからない。
表現のしようもない漠然とした莫大な不安に襲われまくってたけど、それを含めてこの目で確かめに行くしかないと思った。





で、昨日3月30日突撃した。
前日思い立った。
なんか色んな要因考えて、これを逃すといつ行けるかわかんない気がして決断。


行きの道中で色んなことシミュレーションしたけど、どれもこれもボヤけたシミュレーション。
ほんとに何が起きるかわからないから、どうしようもなかった。
ただ、唯一ずっと思ってたのは、できたらインターホン押して出てくるのは母親が一番最初がいいなーってこと。
それが旦那さんだったり、子供(いるのかいないのかわからなかったけど)だったりしたらなんとなくイヤだなーってことぐらい。


激混みの神明バイパス?みたいなのにイラつきながら、17時くらいに到着。


住所はわかってたからそこらへん歩いて、表札を見て、おそらくこれが家だと確信。
二階のベランダに洗濯物が干されてる。



人生において緊張ランキングトップ3に絶対入るだろ!ってぐらいドキドキしてたが、深呼吸しまくってインターホンを押す。






















ピンポーーーーーーン



















。。。












反応なし。



留守の模様。
でも洗濯物が干されてるなら、帰ってくる可能性も高いんじゃないかと思い、一旦車で待機。
どんどんドキドキが増す。
口から心臓でそう。

15分置きぐらいに様子を見に行くが、洗濯物もそのままだし、部屋に灯りもつかない。
辺りはどんどん暗くなる。




18時。
状況変わらず。




19時。
状況変わらず。




依然として15分感覚ぐらいで様子見に行ったけど、灯りもつかない。洗濯物もそのまま。


長期戦になるの覚悟した。
出直そうかと考えたけど、早々簡単には来れない。
だけど、さすがに0時とかに帰ってこられたら、常識的にピンポンはできない。
そう考えると21時くらいまでが限界かなって考えてた。
それ過ぎても帰ってこなかったら、、、どうしようって。







20時。
トイレいきたくなる。
5分くらい歩いたところにあるコンビニにいく。


コンビニから帰る。
車に戻る際に、家の様子を横目に戻ろうとする。



























!!!!!!!!!!!!!


























部屋の灯り付いてる。


少なくとも誰かが家に帰ってきたのは間違いない。
ドキドキさらに増長。

でも行くしか選択肢はない。







ゆっくり家の前までいく。
深呼吸深呼吸深呼吸。

なんて言おうか考える。
もし旦那さんが出たらなんて言うの俺?

「秋山と言いますが、、」?
いや、それだと変かなとか。
「○○さん(母親の名前)の離婚した夫の息子ですが」とか?いや、おかしくねそれ?とか。



いやいやいやいや、どうしよう状態。
スーパーパニック。

インターホン押そうとしながら、ドキドキとパニックで1人あたふた。
そのとき、

























ガラガラガラッ!















二階から音。
反射的に目を向ける。


洗濯物を取り込もうとベランダに出た女性と目が合う。

















「アキヤマヒロキと申しますが、、、」





と言うのが精一杯。
緊張でうまく喋れない。









その女性は、人間ってほんとに驚いたらあんな顔するんだなってぐらいとても驚いた表情をしたあとに

「ちょっ、、降りるから待っとって」


と言った。




数秒後玄関から出てきたその人は、
髪型も違うし、歳も取って皺なんかも見えたけど、


昔俺が見た、写真の中で小さな俺を連れてるその人そのものだった。
母親に逢えた。




母親は最初はビックリしっぱなしだったけど、少し落ち着いて話せるようになったら、
最初ベランダから見たときは親父が来たのかと思ったぐらい昔の親父と俺がソックリだったこととか、離婚してからどんな生活してたかとかを話してくれた。


俺は、とにかく一目見に来たことだけを伝えた。
今の家族に迷惑かけるわけにもいかないし、晩御飯の準備とかもあるだろうし。

初めてちゃんと顔が見れてよかったってことと、あなたが産んでくれた子はこんな感じになりましたって伝えた。
そんなつもりなかったのに、俺はずっと笑ってた。
やっぱり嬉しかったみたい。
実感がないから泪は出なかった。
でも話せば話すほど、自分の母親だなと感じてしまって嬉しくて笑ってた。
母親もずっと嬉しそうにしてた。
「こんなドラマみたいなことあるんや」ってずっと言ってた。
最後までビックリもしてたけど。

30分も経ってないと思うけど、「積もる話が山ほどあるからまたいつか飲みながらでも」って言われた。
そんなこと言ってくれるなんて思ってもみなかったけど、それもまた嬉しくて、飲む約束して別れた。

あと、「ライン教えて」って言われた(笑)
母親はちゃんと現代人だった(笑)















帰り道、母親から早速ラインが入った。


こんなんもらったらグッと来るでさすがに。
母親のこの想いが知れただけで幸せだし、会いに行って良かったなって心底思う。

25年越しぐらいで、母親の愛を実感できた。
そんな2016年3月30日。
俺にとって大きな大きな1日。

いつかほんとに飲めたらいいなぁ。

-----

備忘録的に書きなぐった。
読んでくれた人、ありがとう。



IMG_5028



IMG_5050

今年は島田のブログがフィーチャーされてるので、その陰でひっそりしっぽりとこのブログを更新していきたいと思います(笑)
「更新しました」的なお知らせもせずにね(笑)
ぎゃーん。意地悪俺。

-----


日常過ごしてると、思っている以上に自分には様々なルーティーンがあることに気付く。
ルーティーンというべきか、ジンクスというべきかわからんけど、まぁ要は「毎日欠かさずやっていること」ってやつ。

無意識の内にやっていることとか決めていることが俺には結構あるようだ。
なんでかわかんないけど数日前にふとそんなことを思った。

じゃあ、欠かさずに何をやっているのか。
これを機に自己分析してみようと思う。



・塩水でうがい(起床時、帰宅時、その他外出先から帰ると必ず)
・就寝時のネックウォーマー(喉のケアの一環。真夏でも真冬でも必ず着用)
・就寝前にプロポリス(喉のケアの一環。プロポリスの原液を一滴ほど喉に垂らして寝る)
・就寝時のいくつかの経穴を押して寝る。(合谷をはじめとした、いくつかの身体ケアのツボ)
・肩甲骨はがし&首のマッサージ(ストレッチ)
・C1000飲む(ビタミンC)


ここまで書いてて気付いたわ。
これ全部喉のケア関連だな。

少なくともここ3年以上は365日このルーティーン欠かしてないと思う。
喫煙時代もこれはずっとやってた。

相当喉をケアしたい人なんだな俺(笑)


多分、昔扁桃腺がすぐに腫れてしまってたときに出来たトラウマが怖くて仕方がないからだと思う。
自分の思うように声が出ないことほど辛いことはないからなぁ。
こんだけケアしててもダメなときはダメだしね。

逆に言えば、それ以外ルーティーンないかもあんまり。
それはそれで驚愕である(笑)


あ、あともちろん加湿器はずっと焚いてるよ。

あ、あ、あと、おルービも毎日欠かさず飲んでるよ。てへ。



なんかもっとドラマチックな話にしたかったのにちっともなりそうな気配ないからここでおしまいにしよっと。ちぇーー。







10周年だというのに、なかなかに前途多難だ。


裏側を晒して情を乞いたいわけではないが、とりあえずバンドがずーっとがけっぷちである(笑)
バンド自体の状況も金銭状況も。主に後者だけど(笑)
例えるならば、りんごの皮むきみたいな感じ。

ナイフの角度とか向き、少しでも間違えたらその瞬間皮が切れちゃう、あの感じ。
ただ、だからといって美味しく食べれる保証すらない、みたいな。

でも、剥かなきゃいけないから剥く。でも剥いてみた結果はわかんね。みたいなね。


音楽だけして食えてるわけじゃない俺らは、普段はそれぞれ仕事をしているわけ。
メジャーの一握りの人とか、うまく商業音楽として成り立たせてる人以外は大体みんなそうだ。

でも、その生活の中で他の人よりも洗練されたものを生み出し、放ち、生き残って行かなきゃいけない。
これに加えて、俺らときたらとことんまで大人が味方につかない(笑)

だから、運営費の捻出も先行投資の捻出もすべて自分たちで行わねばならない。
例えば、CD作るのにしてもレコしてミックスしてプレスして、っていうと結構まとまったお金がドバーっといるわけですよ。いくら売れば回収できるとは言え、先に払わなきゃいけないわけです。
事務所があるバンドは、事務所が立て替えてくれるでしょうし、お金がありあまってるバンドは余裕でしょう。
けど、俺らはそれを出すことすらヒーヒーいうとるわけです。
なんせ自分らで捻出せないかんから。
なのにもかかわらず、あれやこれやしたがるという、とてつもなく厄介なバンドだ。


そんなお金のことなんぞも考えながら、かつよりよく運営していくためには、なんてことも考えたりして、別にすごくもなんともねーし、俺らなんかほんとなーーんも出来てないけど、ただただ大変なわけです。

で、例えば2月後半なんかは俺も島田もほぼ毎日夜中まで仕事→そっから作業→3時とか4時に解散→次の日昼からスタジオor作業、みたいな日々を過ごしてるわけです。
何が大変って、夕方くらいから夜中までみっちり働いてるってところだ。

それを挟んで前後でアーダコーダ言いながら色々やるわけ。
で、それがほぼ毎日続くとさすがに堪える。
島田なんか米子から来て、米子に帰るわけだし、俺の比じゃないだろうよ。

音楽のことだけやっときゃいいんかと思いきや、ありとあらゆる雑務が待っているわけだ。
それを手分けしてやってはいるが、やることが多過ぎて、楽器まで手が回らない瞬間もある。


何が言いたいか。



報われたいのである。そろそろ。



そんなもん結果なんて神のみぞ知るから、俺らはただただ、涙を堪えてひたすらやるしかねーんだ。


でも、やっぱそんな日々が続いて、フッと気を抜いたときに思うのは決まってる。



「報われたいなあ」


って。ただそれだけだ。



そんな日々を過ごしながら、アンタの心の支えになれるような音楽を作れるように、そんなバンドでいれるように、今日も闘うわ。



3月ライブたくさん。DVDもでるぜ。
生なのか画面の中なのかしらんけど、アンタに逢えるのを楽しみにしとるで。




IMG_4280

12417949_882919561822670_3778533671818269748_n


2016年1月7日で、hommeが始まってちょうど10年経ちました。

この写真撮ったときはこんな日が来るなんて想像すらできなかった。(俺真ん中ね(笑)

バンドは、「続ける」ってことがほんとに難しい職業です。断言できます。
世の中には20年30年って一つのバンド続けてる先輩達がたくさんいるから、10年って別に全然偉くもなんともないけど、よー続けてきたなぁとは思うよさすがに。
運営もずっと自分らだけで(そろそろマネージャーがほしい。これほんとに。)、毎年活動内容の濃さは変わらんまま、というか毎年超アクティブに動きながら、よくも走ってこれたもんだわ。
完全セルフって何が厄介って、経済面(笑)
事務所に所属してたり、給料もらってやってたりするのとはわけが違って、とにかくランニングコストがかかる。で、それですべて消えて行く。
自分たち個々に月々いくらかでも給料として返せるように、って頑張ってみてはいるけど現状それはできてない。だから、そういう意味でもよくやってこれたなあと(笑)


10年前からのメンバーはもう俺だけになっちゃったけど、島田という最強の相方と共に2016年攻めます。今年こそは、そういうバンドの事情なんかも好転させたい。少しでもいいから。
一層頑張ります。

やっぱりこの年になってくると、周りは軒並み結婚出産だし、体裁は求められるし。
こないだ実家に帰ったら親族集まってて、集中砲火。
「お前はいつまで何をしてるんだ」と。
精神的体力を削りに削られまして。
悔しくて仕方がなかったけど、それは自分が何も結果出せてないからだし。
でも理解されないなら理解されるぐらいやったろーじゃないか、って思っちゃうタイプの人間なので、もう少しあがくことにします。
俺が集中砲火浴びる中、酔っ払った親父が、「男は夢を追やぁーいいんよ」って言ってたのがだいぶ効いた。
そうだよなって。
追えるうちに追わないと、いつ追えなくなるかわかんねーもんね。今みたいなペースでってことね。
それは明日かもしれない。明後日かもしれない。追いたくても追えなくなる日はいつ来るかわかんねーもんね。
だから、まだ追う。俺なりの夢を。


色々お力お借りすると思います。
それはみなさんに「応援」という力を。

マジで俺は自分の音楽をもっと広めたい。
這いつくばって頑張るので、この一年もどうぞよろしくお願いします。

------

あと、1/3にいらんことしてしまってHPがおかしなことになり、一念発起して過去8年ぐらい使ってたホームページ作成ソフトにさよならし、新たなサイトに乗り換え、全くのゼロから3日間ぐらい悪戦苦闘しまくりながら、執念で作り上げた新HPも是非見てやってください。
マジで俺にはむずかった。。
がんばた。。

下記ページを新しいブックマークにしたってね。

http://hommehomme.net


で、先日のツイキャスで色々と発表させていただきました。
10周年ってことであれこれやりたいと思います。

お楽しみに。

---------

今日あたりからようやくギターが弾けます(笑)
ほんとにこの数日間ホームページ作成しかしてなかったので。

音はじめだね。ようやく。


早くみなさんにお逢いできますように。

では。

005




2015年終わっちゃうなあ。
今年も凄かった。
年々濃くなる気がする。そんな風に感じられることが幸せなのかもな。

そして年々健忘っぷりが激しくなる記憶力をフル回転させて
今年のこと思い出してみる。
思いつくままに羅列や。
文脈おかしなとこもあるかも。

島田も書くとか言ってたけど、俺の方が先だし。ひゃっほーう。


<hommeのこと>
2月に前ドラマーの秋葉が脱退した。
homme結成時からのオリジナルメンバーで、9年間も一緒にやってたやつだった。
感傷に耽る間もなく、3月から2人体制で動くことを発表した。
5月末に「10000枚プロジェクト」を発表し、6月からプロジェクトスタート。
山陰の東から西へ一週間で走りまくって、結果250店舗くらいのお店にご協力いただき(ほぼ飛び込みで)、
無事にhommeの無料CDを10000枚を配布成功からのー、松江米子出雲3つのライブハウスでのフリーライブ開催。
からのー、8月末に米子にて有料のワンマンライブ開催。
そして休む間もなくアコースティックスタイルで動くことを発表。
10月からは「10000枚プロジェクトリターンズ」を含む、大規模なアコースティックツアーを開催。
自身が主催する公演はほぼすべてソールドアウトという快挙。
からのー、つい先日ファイナルワンマン開催。こちらも立ち見が出るほどの大盛況で終了。

とまぁ、概要だけ羅列するとこんな1年だった。
なかなかヘビーでした。

とにかく挑んでみました。色んなことに。
肉体面も精神面もがけっぷち、バンドの状況もがけっぷちのがけっぷちだったけども。

もちろんこんなスケジュールなもんで、心の余裕なんてずっとなかったし、
今だから言える話で1つ言うならば、秋葉が辞めて、諸々発売したりしたおかげで3月末くらいの時点でhommeの口座には結構な金額があったのですが、4月以降の諸々のトライにより、8月の有料ワンマンの開演の時点ではhommeとしての貯金は4千円しかなかったりもしたなぁ(笑)

なんかもう今では笑い話なんだけども、そのときは笑うに笑えなかったりもして、島田の顔は終始険しいし、そのくせ俺は常に下ネタかぴかちゅうのモノマネ(ポケモン詳しくない)なんかしたりするもんだから、余計困らせたりもして。

でも、そういう切ない部分なんかどうでもよくなるくらいたくさんの応援と出逢いをいただきました。この1年。
本当に凄かった。価値観変わるんじゃないかってくらい。
たくさんの方と出逢えたし、たくさんの方に力貸してもらいました。
普通メンバーが脱退した年って、どうしても後退してしまったりするもんだと思うけども、
おかげさまでまったくそうはなってません。むしろ前進してます。
それは他ならぬみなさんのおかげです。本当に感謝してもしきれません。
各地足を運んでくれた方も本当にありがとうございました。

各種サポートしてくれた関係者のみなさんも本当にありがとう。
各店舗の方も本当にありがとう。

そして島田にも感謝や。
今までは結構すべて俺がやってたことも、今年は意図的に島田に振ったからね。
2人になっちゃった分、島田にも色々と役割を担ってもらう必要があったから。
その結果、相当心労かけたと思う。
今までやってなかったことを一気に大量に任せたからね。そりゃあきついよ。

でも、きちんとすべて全うしてくれて、かつバンドの重要な部分をたくさん見極めてくれた。
今年は島田がいたから、最後素敵なワンマンをして終われたと言っても過言じゃないかな。
迷惑ばかりかけたけど、心から感謝や。


そんなhommeさん、来年1月7日(木)に何やら発表するみたい。
1/7(木)の夜9時からはツイキャス要チェックです!
2016年の大きな何か、らしい。


<プライベート>
色々あったような気がする。
けど、バンドで忙殺されすぎててあんまり覚えてない。
1つだけ取り上げるくらい大きなことと言えば、「禁煙」しました。

いやー、半年前の俺がこれを予想していただろうか。いや、ないだろうね。
20歳のときからなんとなーーーーーく始めた煙草。
気付いたら超ヘビースモーカーになっておりまして。
ラッキーストライクを1日平均2箱半吸うという生活を約10年続けてました。

でも、まー色々なタイミングが重なって辞めようと。
で、今年の自分の誕生日(8/2)にありったけ吸って(多分3箱くらい)、寝て起きて以降吸ってません。
約5ヶ月くらいかな今。
もう吸いたいとも思わないし、吸わないかなー多分。
だから成功と言えば成功だと思う。なんにしても「やる」と言ったことは絶対にやりたいタイプだから。
それはいいのよ。
問題は、禁煙によって未だに苦しめられている「謎の声枯れ」ですよ。
もうほんとにこれが厄介。

禁煙以降、全ライブで声が枯れてます。大なり小なり。
ちなみに、喉の調子悪い感じもなければ痛みとかもありません。
でも歌ってたら枯れます。

禁煙による「離脱症状」って、人それぞれ違うみたいで、
吸ってた年数や本数によっても色んな症状がでるみたい。

で、この声枯れも多分それだろうなとは思って放置してたけど、さすがにあまりにひどいので結構困り果てております。
11月くらいからはライブ中にオリーブオイルを飲んで、緊急処置をしながらライブをする始末。
病院も行ったけど、日にち薬と言われる始末!

あとは例に酔って例のごとく、太りまして。
死ぬほどイライラしますこの点は。
「えーーー」とか言われますが、太ったの。+4kgしちゃって、そこから落ちないの。
これは嫌だ。ほんとに嫌だ。ダイエット、、、、、するっきゃねーか。

まーこれが長年身体にとって害を入れていた代償なんだと思って大人しく日にちで治癒していきたいなと。
というわけで、2015年は禁煙した年!これ大ニュース。


-----------

終わってみればあっという間だったのかもしれないけど、
とんでもねー1年だったなと思います。


ワンマンでも言ったように、俺らの音を好きでいてくれる一人をどんどん増やせる2016年にできたらなと思ってます。
がけっぷちはずーっと変わらないし、来年どーなるかも、どーなっていくかも今はわからないけど、1日1日噛み締めて生きていく。
一緒に頑張りましょう。

今年一年本当にありがとう。


良いお年をーーーーーー!



PCtop




CW_NzV2UMAAU1OR



CLVhldLUkAAuEiU

10000枚プロジェクトリターンズ、全公演が終了しました。
本当にありがとうございました。
10000枚無料CD配布をした6,7月。
「じゃあ今回は生の音・歌を!」
そんな想いで決めたこのツアー。

スピーカーやらマイクやらマイクスタンドやらの機材も自分たちで全部買って揃えて、
どう考えても無理がある車に(笑)無理矢理全部詰め込んで、東から西へ奔走し、
搬入して設営してオペして受付してライブして物販して搬出して、、
ぜーーんぶ自分たちでやるってこんなに大変なのかって、思い知らされながらも、
反省しては次に活かし、を繰り返してなんとかやり遂げることができました。

そのライブとライブの合間を縫って、次から次へと増える(俺のせい)演奏曲のアレンジと練習っていう、もはや怒濤すぎる一ヶ月。
肉体的にも精神的にもずーーーっとピーク感でした(笑)

でもそれもこれもこのツアーに関わってくれるみなさんがいたから頑張れたのです。
ほんとに。


今回お世話になった、

10/25 鳥取cafe SOURCE
11/06 倉吉cafe SOURCE MID
11/07 米子Cafe Dining Bar SHIPS
11/13 浜田珈琲時間
11/14 益田カームオン
11/15 江津風のえんがわ
11/21 出雲cafe Beetle
11/28 松江Pianoman
11/29 大田Dining Kitchen Read

の、各店舗のみなさん。
本当に本当にお世話になりました。
コラボメニューも、全店舗本当に美味しかった。うますぎました。
それぞれの店舗でしか味わえない味でしたが、本当にどのお店も美味しかった。

バンドとしてもプライベートとしても、また必ず。


次に、サポートアクトをしてくれた

・fumicaちゃん
・しのちゃん
・高橋正泰くん
・ノリさん
・Kenji Yamaneさん
・Rough
・橙乃祐理ちゃん

のみんなも本当にありがとう!みんなが各地でサポートしてくれたことがどんなに心強かったか!
個性派揃い。でもとにかくみんな良い歌い手さん。最高や。



そして、各地にご来場くださったすべてのお客さん。本当にありがとうございました。
おかげさまで9会場中5会場がソールドアウト、かつ残りの会場もほぼ定員数に達するほど
たくさんの人にご来場いただけました。
メンバーの調子がいいときも悪いときも、大きく崩れることなく、その日しか鳴らせない音をきちんと鳴らし続けられたのはみなさんがそこにいてくれたからです。
むっっちゃくちゃ支えられました。心から感謝してます。


あと、島田とサポートギターしてくれた入江。
この2人がいなかったら無理だったな。間違いなく。
頭あがりません。
俺はほんと大したこと何もしてない。
この2人の動きがどれだけ凄かったか。とても感謝してます。


このツアーで得たものはとてつもなく大きい。
それを絶対に無駄にしないように次に繋げていきたい。
このツアー、会場によっては夢を語るところもありました。
その夢を叶えられるようにまだまだ頑張って行きたい。

だからどうか今後とも応援してくれたら嬉しいです。
本当にありがとうございました。
最高すぎたぜリターンズ。




年内残すライブはあと2本。
12/5は鳥取Bar Matchbox。
こちらはチケットソールドアウト。リターンズとは少し違ったステージお見せしますのでお楽しみに。


そして、年内最後は12/23に松江canovaにてアコースティックワンマンライブ。
「ハルカトミユキ」をゲストに招き、今年最後の歌を。
目撃しにきてほしい。この夜を。


どちらのライブも詳細はHPへ。



今年もあと少し。
駆け抜けます。




IMG_2350


IMG_1557


IMG_1567


IMG_1568


IMG_1882


IMG_1896


IMG_1897


IMG_1914


IMG_1912


IMG_1915


IMG_1916


IMG_2021


IMG_2023


IMG_2029


IMG_2037


IMG_2056


IMG_2058


IMG_2063


IMG_2079


IMG_2077


IMG_2075


IMG_2171


IMG_2307


IMG_2346


IMG_2347


IMG_2340














このページのトップヘ