2005年11月02日
【ほんぶろ物語1】
みなさんこんにちは。やぎっちょです。
本のブロガーさんが集まる【ほんぶろ】ですが、どのような感じで作られることになったのか、そのストーリーを作ってみました♪ひまつぶしを兼ねて読んでみてくださいね。
いきなり何ですが・・・タイトルが【ほんぶろ1】ということは、2や3があるのか!というツッコミにお答えしましょう。あります。以上。
1や2のあたりはやぎっちょの徒然なので、短気な方は最後のを読んでね♪
というわけで(どういうわけだ?)、あれは小学校に入る前か小学低学年の頃でした。(そこまで遡るんですか?)
まぁあれです。「マッシュルーム」なわけです。
そのころまだ、マッシュルームなるものが一体全体「何?」を指しているのかまるっきりわからなかったのですが、活発なお子様がやぎっちょにあろうことか「マッシュルーム」とあだ名をつけたのです。ちびまるこちゃんかよ、おい!(註:当時ちびまるこちゃんはまだやってません)
なにしろ音感が悪い。マッシュ+ルーム。どう考えても美しくない。強そうでもない。頼りなさそう。・・・若干優しそう。・・・見方によっちゃホームルームみたい(ルームしか合ってないし・・・)。
そう。そもそもこの災厄の始まりは。家庭にあったのです。そう。今流行りの家庭内暴力いや・・・そう。学級崩壊・・・じゃなくて、何だ?(下書きせずに書いているのがバレバレ)とにかく、うちは、うちで父親が髪を切っていたのです。ちびまるこちゃんみたいな髪型に。。。
そしていくら切実に「この髪型はやめてくり」と訴えても、父親に美容師や理容師の腕前があるはずもなく、結果はいつも同じなのであった。
ところがそんなうちでも事件は起こるわけで。
たぶんクリスマスとか正月前だったでしょうか。やぎっちょは父に連れられて生まれてはじめて外に髪を切りに行ったのです。今考えるにアレは床屋さんだったな。白と赤と青のグルグルが回ってたし。
それでもって、はっきりとは覚えていないんだけど待合のイスに座って伝記「ノーベル」を読んでいたんです。子供文学みたいなのね。表紙にノーベルおじさんの顔がデーンとあって、ちょっと恥ずかしいヤツ。。そしたら床屋のおっちゃんがこう言ったのです。笑顔で。
『えらいねぇ。こんな難しい本読んでるんだ』
えへ・・・っと愛想笑いしたはいいものの、はっきり言ってその本に何が書いてあるのかよくわからなかったんですよね。その他の本はおもしろかった記憶があるんだけど。だって6歳前後にノーベルなんて意味わかんないでしょ。児童文学ももう少し考えてくれ!と大人になった今ならそう思う。。。
それで「難しすぎてわからん!」(by心の声)と思っているのに、床屋のおっちゃんはそんなやぎっちょを褒めたわけですよ。見当違いも甚だしい!「おっちゃんそれは誤解だぞ!」とは、言いませんでしたよ。もちろん・・・。
この話がどう【ほんぶろ】につながるんだろう?と一瞬でも疑問に感じたあ・な・た。
「このときのトラウマが〜」なんて展開を望まないでね。たぶんつながらない・・・・かも。
わりとよくあるケースなのかもしれないけど、うちは本に限ってはおこずかい以外の予算を組んでくれました。なので「十五少年漂流記」とか「家なき子」とかそういう児童文学はよく読みましたねー。
もう少し成長して小学校4、5年生になると赤川次郎にはまってしまいました。今「ほんぶろ」をやっていて、東野圭吾さん50冊以上読んでいる方が何名かいらっしゃって「すんごいなぁ〜」と思うんだけども、よく考えると小学生の分際で軽く100冊くらいは赤川次郎持ってたかも・・・。
その頃からブログを書いていたら今頃すごい量になってるんだけどなぁ。(註:その頃はブログなぞございません。もといインターネットもありませぬ)
ある日うちに来たセールスマンが、親がいないことに気がつき、やぎっちょと赤川次郎の話をして帰っていったことを今でもありありと思い出せます。きっとダメセールスマンだったのでしょう・・・。
父親はサラリーマンをやっていたので、日曜日はお休みだったんですが、彼は休みの日に何をするかというと本を読んでいるわけです。なので、父の本棚には本がいっぱいあったんですね。歴史長編がほとんどでした。(当時のベストセラーは歴史長編なのです。今じゃ誰も読まないですねー)
で、父の本棚を片端から読み始め、いつの間にかほとんど読みきってしまってました。戦国時代はこの頃に早くも卒業したかなぁ。唯一全数十巻(40巻くらい?)の「大菩薩峠」だけは子供には重かったです。読んでません。だいいち、タイトルからして重いでしょ。菩薩でも十分重いのに、「大」ですよ。しかも「峠」越えろ、みたいな。でも「超菩薩峠」よりはまだましかも。。。
子供は成長するものです。やぎっちょも例外ではありません。
高校生くらいになると、古代史を除くほとんどの時代の歴史小説を読みまくりました。古代史だけ高校を卒業してからはじめたかなぁ。楠正成の千早赤阪城とか見に行きましたね〜。なつかしい。出身が奈良なので歴史が近くにあったことが良かったのかもしれません。司馬遼太郎さんなんかほとんど読んでました。
高校も3年になると、今度は中国の古代史にはまってしまって「孫子」と「韓非子」をずっと&何回も読んでいる"あわ〜い"(訳註:こゆい)青春時代でした!
つづく....
(え、つづくの?てか、ここで終わり??これってただの回想録だよねぇ?!)
ええ。
ただの回想録ですが、何か?
つづく(くどい)
【ほんぶろ物語2】へ
本のブロガーさんが集まる【ほんぶろ】ですが、どのような感じで作られることになったのか、そのストーリーを作ってみました♪ひまつぶしを兼ねて読んでみてくださいね。
ほんぶろ物語1 ノーベルはわからない・・・
いきなり何ですが・・・タイトルが【ほんぶろ1】ということは、2や3があるのか!というツッコミにお答えしましょう。あります。以上。
1や2のあたりはやぎっちょの徒然なので、短気な方は最後のを読んでね♪
というわけで(どういうわけだ?)、あれは小学校に入る前か小学低学年の頃でした。(そこまで遡るんですか?)
まぁあれです。「マッシュルーム」なわけです。
そのころまだ、マッシュルームなるものが一体全体「何?」を指しているのかまるっきりわからなかったのですが、活発なお子様がやぎっちょにあろうことか「マッシュルーム」とあだ名をつけたのです。ちびまるこちゃんかよ、おい!(註:当時ちびまるこちゃんはまだやってません)
なにしろ音感が悪い。マッシュ+ルーム。どう考えても美しくない。強そうでもない。頼りなさそう。・・・若干優しそう。・・・見方によっちゃホームルームみたい(ルームしか合ってないし・・・)。
そう。そもそもこの災厄の始まりは。家庭にあったのです。そう。今流行りの
そしていくら切実に「この髪型はやめてくり」と訴えても、父親に美容師や理容師の腕前があるはずもなく、結果はいつも同じなのであった。
ところがそんなうちでも事件は起こるわけで。
たぶんクリスマスとか正月前だったでしょうか。やぎっちょは父に連れられて生まれてはじめて外に髪を切りに行ったのです。今考えるにアレは床屋さんだったな。白と赤と青のグルグルが回ってたし。
それでもって、はっきりとは覚えていないんだけど待合のイスに座って伝記「ノーベル」を読んでいたんです。子供文学みたいなのね。表紙にノーベルおじさんの顔がデーンとあって、ちょっと恥ずかしいヤツ。。そしたら床屋のおっちゃんがこう言ったのです。笑顔で。
『えらいねぇ。こんな難しい本読んでるんだ』
えへ・・・っと愛想笑いしたはいいものの、はっきり言ってその本に何が書いてあるのかよくわからなかったんですよね。その他の本はおもしろかった記憶があるんだけど。だって6歳前後にノーベルなんて意味わかんないでしょ。児童文学ももう少し考えてくれ!と大人になった今ならそう思う。。。
それで「難しすぎてわからん!」(by心の声)と思っているのに、床屋のおっちゃんはそんなやぎっちょを褒めたわけですよ。見当違いも甚だしい!「おっちゃんそれは誤解だぞ!」とは、言いませんでしたよ。もちろん・・・。
この話がどう【ほんぶろ】につながるんだろう?と一瞬でも疑問に感じたあ・な・た。
「このときのトラウマが〜」なんて展開を望まないでね。たぶんつながらない・・・・かも。
赤川次郎と父の本棚
わりとよくあるケースなのかもしれないけど、うちは本に限ってはおこずかい以外の予算を組んでくれました。なので「十五少年漂流記」とか「家なき子」とかそういう児童文学はよく読みましたねー。
もう少し成長して小学校4、5年生になると赤川次郎にはまってしまいました。今「ほんぶろ」をやっていて、東野圭吾さん50冊以上読んでいる方が何名かいらっしゃって「すんごいなぁ〜」と思うんだけども、よく考えると小学生の分際で軽く100冊くらいは赤川次郎持ってたかも・・・。
その頃からブログを書いていたら今頃すごい量になってるんだけどなぁ。(註:その頃はブログなぞございません。もといインターネットもありませぬ)
ある日うちに来たセールスマンが、親がいないことに気がつき、やぎっちょと赤川次郎の話をして帰っていったことを今でもありありと思い出せます。きっとダメセールスマンだったのでしょう・・・。
父親はサラリーマンをやっていたので、日曜日はお休みだったんですが、彼は休みの日に何をするかというと本を読んでいるわけです。なので、父の本棚には本がいっぱいあったんですね。歴史長編がほとんどでした。(当時のベストセラーは歴史長編なのです。今じゃ誰も読まないですねー)
で、父の本棚を片端から読み始め、いつの間にかほとんど読みきってしまってました。戦国時代はこの頃に早くも卒業したかなぁ。唯一全数十巻(40巻くらい?)の「大菩薩峠」だけは子供には重かったです。読んでません。だいいち、タイトルからして重いでしょ。菩薩でも十分重いのに、「大」ですよ。しかも「峠」越えろ、みたいな。でも「超菩薩峠」よりはまだましかも。。。
子供は成長するものです。やぎっちょも例外ではありません。
高校生くらいになると、古代史を除くほとんどの時代の歴史小説を読みまくりました。古代史だけ高校を卒業してからはじめたかなぁ。楠正成の千早赤阪城とか見に行きましたね〜。なつかしい。出身が奈良なので歴史が近くにあったことが良かったのかもしれません。司馬遼太郎さんなんかほとんど読んでました。
高校も3年になると、今度は中国の古代史にはまってしまって「孫子」と「韓非子」をずっと&何回も読んでいる"あわ〜い"(訳註:こゆい)青春時代でした!
つづく....
(え、つづくの?てか、ここで終わり??これってただの回想録だよねぇ?!)
ええ。
ただの回想録ですが、何か?
つづく(くどい)
【ほんぶろ物語2】へ
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