「石橋貴明のバブルノリ」が嫌われてしまうワケ――フジ『たいむとんねる』大コケを考えるというテーマで、サイゾーウーマンより取材を受けました。

今回も長めにコメントを掲載してもらいとてもうれしく思いました。
http://www.cyzowoman.com/2018/05/post_185818_1.html

本当に久しぶりな単著です。
アカデミックな内容というよりもエッセイ風な仕上がりになりました。
執筆に時間がかかり古くなってしまった部分もありますが、日頃考えていることを書きました。

大学の授業で長年担当しているプレゼンの授業ですが、そこで考えたこと、また、芸人時代に人前で話すということについて考えていたことや経験などをふまえてTOIECの本を複数書いていて、実践的なプレゼンの研究を行っている早川幸治さんと話をする予定です。

3回目になる今回は、代々木で行います。

https://ws.formzu.net/fgen/S8405564/

ブログはちっとも更新しておりませんが、いろいろな仕事をしていきたいと思っています。

取材、講演の依頼などありましたら、左側のメールよりご連絡をお願いいたします。

近況としては…

 ゝ都大学の定延利之先生に誘っていただき、「面白い話」を分析した本に執筆をさせてもらいました。

瀬沼文彰(2018)「「ちょっと面白い話」を通して現代社会の「笑いのコミュニケーション」を考える」定延利之(編)『限界芸術「面白い話」による音声言語・オラリティの研究』 pp.78-109



◆,砲磴鵑灰好拭爾何故流行るのか、サイゾーウーマンの取材への回答
http://www.cyzowoman.com/2017/12/post_163604_1.html

 週刊女性の流行語2017年に関しての意見
http://www.jprime.jp/articles/-/11075

ぁ〆鯒も書いていた単著
タイトルは『ユーモア力の時代』がそろそろ出るはずです。いま、再校が終わり、編集者チェック段階です。

ァ‖膤悗妊廛譽璽鵑魘気┐討い覺愀犬如▲咼献優好泪鵑どうプレゼンを伸ばしていくかなどを語るトークライブをTOIEC満点の研修講師の早川幸治さんと不定期で開催しております。

プレゼン・トークライブVol.2
テーマ:「なるほど!わっかりやすい!」

日程:2月28日(水)18:45〜20:45、
会場:みんなの会議室 品川 Room B
https://ws.formzu.net/fgen/S26970922/

3月以降は、メールにてお問い合わせください。
1月に開催した初回は、30人くらいの満席で、なかなかの好評でした。

まったく更新していませんが、御用のある方は、左側のメールの欄からお願いします。

いまさらですが、2017年は、とにかく早めの段階で笑いに関する本を一冊(アカデミックなものではないですが…)と、しっかりと論文を書こうと思っています。

子育てもだいぶ落ち着いてきたので、とにかく仕事モードです。

仕事も幅を広げたり、いろいろとしていこうと思っているので、笑いに関すること、芸人に関すること、キャラや、若者文化など、取材や講演、執筆のご依頼など、是非、よろしくお願いします。

Exciteニュースより取材を受けていたピコ太郎の「PPAP」への僕のコメントが昨日付けで掲載されたました。取材の際のコメントは1時間回答しても使ってもらえるのは数行でバッサリ切られてしまうなんてこともあるものの、今回は、ネット媒体のみのおかげか、こたえた分だけたくさん掲載してもらえ、とてもうれしく思えました。

これだけではなく、11月から年末までの間、お笑いとの関係の仕事をいくつかもらいました。僕の研究対象は、「日常生活のなかの私たちの何気ない笑い」ですが、「お笑いと日常との関係」とか、「お笑いそのものの批評的なこと」とかも、あれこれ読んだり、考えたりしているととても面白く感じることが多いです。そんなわけで、研究領域ももっと広げていきたいと強く思っています。

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1480141987803.html

今年もよろしくお願いいたします。

今年は本を出版できるように頑張ります。
あまり更新はしていませんが、ご連絡はプロフィールの下のメールより頂けるとありがたいです。

講演も全国どこにでも行きますので、まずはご連絡頂ければと思います。

昨年以上に仕事に燃えるつもりなので、色々とよろしくお願いいたします。

FaceBookに去年書いたM-1評です。

M-1批評

「キャラの立つコンビ」や「漫才コント」よりも「しゃべくり」の形式が評価された5年ぶりに行われたM-1グランプリ2015の決勝大会。相変わらずの熱量と緊張感。

どのコンビもものすごく頑張っているんだろうし、この4分間にどれだけの時間をかけているのかは、元芸人としてよくよく理解はしているつもりだ。

しかし、「面白いかなー」と思えたのは1本目のジャルジャルのみ。
そのジャルジャルも、この文章を書きながら、面白かった部分は思い出せるが、ネタの内容は何にも残らない軽薄なものだったと言わざるを得ない。

4分という時間に、1つでも多くの「手数」を入れて、笑いのツボが多様化している視聴者を笑わせ、どこかでつかみ、自分たちの世界観に少しでも早く連れていくことがM-1で優勝するための必勝パターンとなると、それに対し変化球はあったとしても、時間的にそれ以上のことを考えるゆとりはどのコンビにもない。

だから、ネタ全体の物語とか、ネタの深度とか、ネタの中にあるメッセージは一切不要になってしまう。

こうした傾向は、M-1のネタに限らず、仕事の以外の場面の「芸人ではない一般の僕ら」の日常生活でもあまり変わらない。でも、その日常生活の僕らのコミュニケーションには、メディアのどの領域にも出演しているお笑い芸人たちのコミュニケーションから多かれ少なかれ影響を受けているはずだ。

だったら、その芸人たちのコミュニケーション、その最も代表でもある漫才に「物語」や「深さ」や「メッセージ」などが加わることで、僕らの何気ない日常のコミュニケーションにも何か変化が出てくるのではないだろうか。そんな方向に期待したい。

さて、M-1自体、5年ぶりだっただけに楽しめるかなーと思っていたものの、結局終わってみると「いまいち」というのが率直な感想。

M-1の楽しさは、1本のネタの質の高さにもあるのかもしれないが、芸人たちのガチンコバトルや「芸人が出世する瞬間の観賞」という意味での「ドキュメンタリー的な要素」も楽しさの1つだ。そして、「誰が優勝するのかを予想する楽しさ」とそこにつきまとう「自分の笑いのセンスを確認する楽しさ」も忘れてはならない。

今回、「いまいち」と感じてしまったのは、ドキュメンタリー的手法やその予想にも飽きているだけなのかもしれない。でも、飽きに関しては、番組のせいにするつもりはない。僕がどう戦うか次第だからだ。

 明けましておめでとうございます。

 今年は仕事に燃えようと思っています。どうぞよろしくお願いします。

先月の4月22日にNHK教育の『Rの法則』(18:55〜)という女子高校生向けの番組に出演しました。

スタジオ収録、かつ、生ではないとはいえ、バラエティ番組のようなしゃべりが必要で、話すことってとても難しいと改めて実感したが、MCだったTOKIOの山口さん、ゲストのクリス松村さん、はじめ、スタジオにいた若いタレント?かな?の、空気の読み方、自分の話すターンの見極め方、キャッチーにまとめる技術など、すごくいい勉強になったし、刺激になりました。久しぶりに浴びた照明、収録も楽しかったです。いい機会をありがとうございました。

http://www.nhk.or.jp/rhousoku/koremade/140422.html

タバコをやめ、ずいぶん太った。

その後、もう1度呼んでもらえました。前回よりも痩せたかな…
http://www.nhk.or.jp/rhousoku/koremade/140902.html

2回目もとても勉強になった。どんなふうにキャッチーにまとめるか、なかなか難しいし、アドリブの弱い自分に驚いた。場数なんだろうけど…頭の中は混乱しっぱなしであった。でも、2回もとてもいい経験をさせてもらい感謝です。

 朝日新聞デジタルの「ことば談話室」(2013年10月31日)にて、「がっつり」という若者ことばへの僕のコメントが掲載されています。

 デジタルの有料版でのみ見ることができるそうで、紙面には掲載されないとのことです。

http://kotoba.asahi.com/danwa/2013102400002.html

 掲載された文章に、少しおかしいところもあるようなので、趣旨のみこちらに載せておきます。

(「ガッツリ」という若者ことばは…)
 ー磴だぢ紊貌呂前に、芸人やタレントがテレビなどで頻繁に使用されている
◆,海箸个修里發里脳个い麓茲譴覆い、何となく会話を盛り上げたり、広げたりする役割を持っている
 若者にとっては、強調する言葉のひとつ。それとの関連で、強調することばは、刻々と変化していている

7月6日の「朝日新聞」夕刊にて、最近のものまねに関する僕のコメントが掲載されました。

それにしても、全然ブログ更新してないな…
いくつか書きたいこともあるし、そろそろまた書き始めないと。

勤務校もあと数回で夏休み。もうひと頑張り。

取材を受けていたコメントが掲載されましたのでご報告まで。

http://r25.yahoo.co.jp/spcate/wxr_detail/?id=20120222-00022759-r25

 ここ数カ月子育てをしていて、少しだけ切なくなることが多くなった。特に、年が明けると4歳になる長男のことで、そう感じてしまうことがある。長男にギュッと抱きしめられるとき、駄々をこねたり、すねたりするとき、何かに怖がり怯えているとき、僕の頬っぺたにキスをしてくれるとき…どの場面でも、後、少し時間が経つと子どもは、こうしたことをしてくれなくなることだろう。そんなことを考えると、オーバーかもしれないが、流れゆく時間に腹が立ったりもしてしまう。むろん、同時にこの時間を大切にしたいとも思ったりする。

 親は、子どもに対する責任はあっても、決して親の所有物ではないはずだ。ブログやmixi、facebookにせよ、自分の子どもの写真を載せたりしている親を見ると少しイラっときたりすることが多かったし、テレビで、小さな子どもをタレントや役者にしようとする親もどうかと思っていた。英才教育なんかも僕はあまりしたくはない。

 だが、自分の気持ちの原因を考えてみると、僕にも、理想とする子ども像があって、そこからズレていくことを寂しく思っているのだから、子どもの所有化が見え隠れしているはずだ。気付かなくてもいいようなことに気づき、それも何だか嫌な気持ちになってしまった。

 できる限り、家族とは言え、「自分ではない他者」として息子たちを尊重していきたいと教育的な理想を持っていたはずなのに、どうやら気持ちはついていっていかないようだ。

 最近は、小さな子どもの「小さな世界」を少しずつでも広げてあげることに躍起になっているものの、それも自分の押しつけばかりのような気もしてしまう。じっくりと考えれば考えるほど、教育は親のエゴばかりだと感じる今日この頃だ。

 文化庁が少し前に「国語に関する世論調査」のなかで、「寒っ」「すごっ」「短っ」…などのことばをどのくらいの人が使用するのかという発表がありましたが、それらのことばとテレビのバラエティ番組の関係に関する僕のコメントが本日、12月5日(月曜日)の「朝日新聞」(全国版・文化欄)に掲載されました。もしよろしければ、読んでみてください。

 ここのところ、少し悔しいこともあったのですが、今回の掲載は、とっても嬉しく思いました。

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