2014年09月23日

本当に大切な事

「何が真に大切であるのか」という事は常に掴んで置く必要性があります。
まあそれは人によっては沢山あるのかも知れませんが、
その優先順位、最終的に大切な事は何か、考えて置いて損はありません。
そうしないと、人はいつだって真に大切な事を軽んじてしまう事になるのです。

例えば、少しばかり手間が掛かり、少しばかり面倒な事でも、
それと引き換えに失う事を考えれば、大した事では無いにも関わらず、
人は目先の事だけで単純に選択し、時には後で後悔する事にもなります。
ゴミを適切に処理する位、赤信号で止まる位、訳も無いですが、
それが意外と出来ないのは、目先の事に己を奪われるからです。

まあしかし、ゴミを好き勝手に捨てたい、赤信号を渡りたいと言うのならば、
それも仕方が無いかな、と私は思います。
釈迦が、釈迦族の滅亡を三度目に止めなかった様に、
リスクを承知の上で、それでもやりたいと言うのならば仕方がありません。
ただ、何も考えずに目先の事に執われ、後で後悔する人に対して、
私はこの文章を書いているに過ぎないのです。
禅や仏教は、教え示唆する事はあっても、裁き罰する事はありません。

さて、人間にとって、そしてあなたにとって真に大事な事は一体、何ですか?

例えば戦争は、何の兆候も無く、突然始まる訳ではありません。
人がいがみ合う事は、積もり積もった経緯がある事が多いですし、
突然の様に始まるケンカも、お互いの生き方が影響している訳です。

見知らぬ者同士が、肩がぶつかり、或いは目があっただけで、
取っ組み合いを始める事もあるでしょうけれど、
それは、緩やかな坂道を下ってゆく様に続いている様なものです。
お互いにその結果を望んでいる、探している様なものです。

勿論、何の落ち度も無く巻き込まれる事もあるとは思いますが、
本当にそれだけならばもう少しこの世の中は平和かも知れません。
日々の出来事で本当に避けられない事は、一体どれくらいあるのでしょうか?

例えば奥さんや子供達。大切な人を何に換えても守りたいと思いますか?
それよりも主義主張や自尊心等の方が大事ですか?
この国が戦争状態になって大切な人が巻き込まれても構いませんか?
本当に嫌ならば、戦争を回避する事は出来るでしょう。
少なくともこの70年間、回避して来たのですから。

勿論、全てを投げ打ってでも戦争を始めたいと言うなら、
それも仕方が無いかも知れません。
総意としての選択は、我々一人一人の手に委ねられています。 

hongaku_ji at 05:59│Comments(1)

この記事へのコメント

1. Posted by 松本浩舜   2014年09月23日 06:20
敢えて本文中では触れませんでしたが原発も同じかと思います。
たとえ故郷を失う事になっても、もっと酷い事態が想定されても、
それでも原発をと言うのならば仕方がありません。

何にでもリスクはあり、それを天秤に掛けて人は生きてゆく訳ですが、
しかしリスクは全て同じ訳では勿論ありません。
人生にはギャンブルが付き物かも知れませんが、
例えば小銭を賭けるのと命を賭けるのとでは問題は違うのです。

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