川合章子の部屋

中国・歴史系フリーライター川合章子がお贈りします。

「真田丸」の小田原攻略も終わり
いよいよ次は朝鮮討伐!
ということで、肥前名護屋城へ行ってまいりました!!

車がないのでバスで行ったんですが
最初は
帰りのバスまで3時間もあって
城が残ってるわけでもないのに
どうやって時間つぶそうか〜〜と思ってたんですが
行ってみたら3時間などでは全然足りない!!!
状態で
いや〜〜、リピート確定の見ごたえある城址でした。

まずは大手口へ向かいます。

大手口












残った櫓台の石垣を抜けると
そこは東出丸跡。目の前には名護屋浦が広がり
呼子から加部島への橋も見えます。

東出丸










東出丸を抜けると三の丸跡。
中央には井戸跡もありました。

三の丸











さて
三の丸からいよいよ本丸へ。
本丸大手口へ向かう立派な石段は
当時の威容を彷彿とさせてくれます。

本丸へ











石段を登り切ると
目の前に広がる巨大な本丸跡。

本丸跡










名護屋城跡近くにある博物館では
タブレットを貸してくれまして
かつての名護屋城を3Dで再現したVRを見ることができます。

実物の復元もいいんですが
跡地の広さを実感した後
再現3Dを見るという
こういったやり方も
なかなかいいな~と思いました。

ただ
操作性にはまだ問題ありって感じで
タブレットを持ちながら「どうやれば見られるの?」と
立ち往生しているご年配の方々もたくさん見受けられました

本丸の一角には天守跡も。
天守跡










天守跡から見る玄界灘の眺めはサイコ―!!
遠く対馬まで見渡せます。

玄界灘











名護屋城はまだまだ発掘途上で
本丸でも発掘が続いていました。

発掘中















天守台の下には遊撃丸跡があります。

遊撃丸跡













遊撃丸跡から見た天守台。
写真では伝わりずらいですが
とにかくもう巨大です。バカでかいです。

下から天守












本丸と二の丸の間にある馬場跡。

馬場










馬場跡にある馬場櫓は
本丸から見たほうが、はっきりわかります。

馬場櫓










二の丸の長屋屋敷跡の列柱。

二の丸長屋











バスの時間が迫っていたので
このあたりでタイムアウトになってしまいましたが
次回は台所丸や太閤井戸
名護屋城を取り囲むように残っている
各大名の陣屋跡などもまわりたい!!

名護屋城、
石垣だけ残る城跡としては
日本一の見ごたえなんじゃないかと思いました。

また行くぞーーー!!!

江戸東京博物館で開催中の
「真田丸」展をようやく見てまいりました。

人混みがすごいだろうと思い
二の足を踏んでいたのですが
雨天の平日狙いで出かけたところ
それほど激混みというほどでもなく
じっくり見てまわる事ができました

今回のお目当ては
高野山に謹慎になった
昌幸・信繁父子の手紙(蓮華定院蔵)!

蓮華定院は宿坊もやってるので
泊まれば真田父子の謹慎部屋(復元)を見ることはできるんですが
こちらの手紙は一般公開してないので
是非見たかったんですよね〜〜

関ヶ原の戦い後
昌幸パパが謹慎は2,3年で解けると思っていたことや
祭りに出かけたりして
けっこう謹慎生活を楽しんでいたらしい信繁の様子など
さすが真田父子って感じが出てて
とても興味深かったです!

それと展示にあるとは知らず
見られてラッキーだったのが
石田三成の「内府ちがいの条々」!!
本物をはじめて見ました


あと
ワタクシ鄙見にして
これまで
「徳川秀忠は関が原に参戦する途中で第2次上田合戦となり
そこで手こずったために関が原の戦に遅延した」
と思ってたんですが
もともと上田を攻める予定で小諸にむかってたんですね〜〜。
いや〜初めて知ってビックリです。
(なにもかも新井白石の「藩翰譜」が悪い!!)

新情報がどんどん出てくる中
いつまでも20年前や30年前の情報で止まってちゃダメですね〜。
どんどん新事実を勉強していかないと!

そうそう。
これまで昌幸パパの肖像だとばかり思ってた
(実際、そう紹介されてきた)肖像画も
信之のもの説がでてきてたんですね〜〜。

いろいろと
心機一転で学びなおさなきゃな〜〜と思わせる展示の数々でした。

某国営放送の『真田丸』
毎回楽しく拝見させていただいておりますが
そろそろ
小田原合戦も近いようなので
小田原城も新しくなったことだしと
足を運んでまいりました。

まずは北条滅亡のきっかけとなった氏政のお墓参り。
「おしゃれ横丁」にあるのが氏政っぽい?

北条氏政の墓












その後、城の大手口を通過して
旧東海道を歩きながら
今回の目的の一つ
小峯の大堀切を歩きます。

小田原城最大の特徴である総構えのうち
北条氏康が築いたとされる三の丸外郭跡です。

堀切


















巨大な土塁が残っているのも素晴らしいことながら
堀の中を歩けちゃうというのが
またナイス!

その後、小田原城をぐるりを見学して
(中も新しくなって展示も充実しておりました)

最後は北条早雲様にご挨拶してフィニッシュ。

DSC00624




















ちなみに小田原で
もう1っヶ所、ずっと行きたかった
秋山真之の終焉の地にも行けて嬉しかった

秋山真之終焉の地











立派な説明版が立ってるのに
駅の案内所のお爺さん&お姉さんは
「なんにもないよ〜〜」とおっしゃるのが
毎回ながら哀しかったですけどね

小田原、とても面白かったので
今度は家康の陣屋跡や
石垣山一夜城跡なども行ってみたな〜

学研の「時代を切り開いた世界の10人」で
手塚治虫先生の伝記を書かせていただいてから
気がつけばもう2年……。
月日が経つのは早いですね〜〜〜じゃなくて

去年の暮れに
トキワ荘跡近くに
トキワ荘通りお休み処ができたと聞き
行ってまいりました。


もともとは米屋だった古民家をリノベーションしたとかで
なかなかナイスな外観。

お休み処













1階はトキワ荘ゆかりの漫画家さんたちの
漫画が読み放題になってまして
2階には寺田ヒロオの部屋の再現コーナーがありました。

おお、漫画で見るよりきれい!(笑)
復元


















ほかにも当時のトキワ壮の写真パネルや
松葉のラーメンどんぶりとお皿
エデンのコーヒーカップなんかもありました。
エデン

















喫茶店のエデン。
もうないんですけど
石ノ森先生の行きつけ……行ってみたかったな〜〜


手塚治虫の漫画に出てくる子育地蔵尊は現存。
子育て地蔵














でもすぐ横に残っていた電話ボックスは
去年取り壊されてしまったんだそうで……
ザンネン!!


トキワ荘跡には
現在、出版社のビルが建ってるんですが
なんとなく敷地は当時のままなんじゃないか
と思わせるビルの形してます。
敷地の一角には当時のトキワ荘のミニチュアモニュメント。
トキワ荘跡















さらに進んだ公園内には
各漫画家さんたちのサインプレートをはめ込んだモニュメントも。
モニュメント


















お昼はもちろん
ラーメン大好き小池さん(モデルは現・杉並アニメーションミュージアム館長の鈴木さん)はじめ
トキワ荘の皆さんが食べた
松葉のラーメン!

昔ながらの東京醤油ラーメンで
トキワ荘時代の昭和を偲べました〜。

国立公文書館の春の特別展
『徳川家康―将軍家蔵書からみるその生涯―』に
行ってまいりました〜

明日の雨で満開の千鳥ヶ淵の桜が散ってしまうと考えた人が多かったのか
はたまた大河「真田丸」のプリティ家康人気のせいなのか
例年にない賑わいで
列になって展示を眺めるという大混雑状態でした。

普段、これほど人がくることがないせいか
図録販売がトラブルのなんのって……(笑)

にしても
上田城と沼田上の古地図を買いに来ていた若い男の子は
確実に「真田丸」ファンとみた!

とまれ、展示は
古文書から家康の一生を見るというもので
個人的には
「外蕃書翰」と「異国渡海御朱印帳」が見られたのが収穫でした。

「武功雑記」なんかは
国会図書館のデジタルアーカイブで
全文読む事ができるので
興味のある方は
そちらもオススメです。

2月22日はニャンニャンニャンの日。
というワケでもないのですが
3年ぶりに台湾の猫村に行ってきました。

ネコ村













猫村






















猫村はカフェやお土産物屋が増えて
ずいぶん変わっていましたが
のんびり暮らす猫たちの姿は3年前のまま。

が、今回の本当の目的はこちら。
今年のニャンニャンニャンの日は
旧暦の1月15日にあたり
元宵節なのです!

で、台湾の元宵節に行われる
天燈節に行ってまいりました〜〜〜!!

みなで願いを書いたランタンを一斉に飛ばすお祭り。
ランタンを飛ばしたことはあったんですが
「みなで一斉に」がやってみたかった!

朝の5時に起きて整理券を確保し
夕方7時の回に参加できました

1回目のランタンが飛んでいく瞬間。

天燈節















自分で飛ばしたランタンが飛んでいく瞬間。

天燈節2













手から離れたランタンが
ふわっと空に舞い上がっていく様子は
なんだか生まれたての命が空に飛んでいくようで
感動的でした。

天燈3













みんなの祈りが天に届きますように!

天燈4

仕事で浅草寺に行ったついでに
ちょっと瓜生岩子さんにご挨拶。

会津藩の商家に生まれ
貧民救済や教育に一生を捧げ
「明治のナイチンゲール」と呼ばれてる方です。

NHKの朝ドラ「あさが来た」を
楽しく見ている今日この頃ですが
瓜生岩さんもヒロインに向いてると思うんですよね〜。
そのうちやってくれないかしら(笑)

瓜生岩子像

長年行きたいと思っていた
トビーのお墓参りに行ってまいりました!

「トビーって誰よ?」と思ったあなた!
トビーは人ではなく、犬でございます(笑)

イギリスの初代駐日公使であるオールコックの飼い犬で
オールコックに連れられて熱海まで遊びに来たはいいけれど
かの間欠泉(いまは涸れてしまったけど、幕末当時は結構な湯を噴き上げていた)の近くをうろちょろしていて
大火傷を負って死んでしまった
哀れなスコッチテリアくんなのでございます。

それまでオールコックは
かなり日本人に厳しい見方をしていたんですが
熱海の人たちが愛犬トビーの死を悼んで葬ってくれたのには
手放しで感激して褒めちぎっちゃっております。
(『大君の都』)

で、熱海には
後にオールコックがわざわざ送らせたトビーの墓が
間歇泉横に残っているのですよ!
墓石に彫られているのは「POOR TOBY」
「かわいそうなトビー」という意味だそうですが
「おばかなトビー」とも取れてしまう……(;^ω^)

その横には
やはりオールコックが建てた
「俺が外国人で最初に富士山に登ったんだもんね」記念碑
も残っております。
並んでいるから
ますます「POOR」が「おばか」って気に……(笑)

ちなみにオールコックの名は
「羅多保津斗安有留古津久英国美仁須登留」
(ラザフォード・オールコック イギリスミニストル)
と彫られております。


トビーの墓

正月一発目の仕事は……
(というか年末年始休み無しで三国志の仕事してたんだけどね
江戸の葛飾北斎を紹介するアプリを制作するため
まずは元浅草の誓教寺にある
葛飾北斎のお墓にお参りしてまいりました。

墓石に刻まれた「画狂老人卍墓」の文字は
既に見にくくなってますが
北斎生家の姓、川村の字は
ばっちし墓石に刻まれておりました

北斎墓

あけましておめでとうございます。
今年も皆様にとって
ハッピーな年でありますように!


年賀2016

宮本常一の『忘れられた日本人』の中に
鳥羽伏見の戦いの後
大坂城から脱出した徳川慶喜らを
天保山沖に停泊中の軍艦まで運んだという
船頭の話が収録してあった。

嫌がる船頭をなだめすかして軍艦まで言った慶喜は
そこでようやく
「船頭ご苦労であった。わしは徳川慶喜じゃ」
と身分を明かしたため
驚いた船頭は
「これは公方様」
と船の上に這いつくばったという。

出来すぎている気もしなくはないが
話しとしては面白い。

また、この本には
鳥羽伏見の戦いの砲声が
河内長野まで聞こえてきて
「山が揺さぶられるような」大きな音がして
「家々の戸障子が皆はずれてしまった」とある。
当時の大砲の音が住民たちにとって
生まれて初めて聞く「どえらい音」だったことがわかって
これまた面白い。

かすかに江戸の名残を知る
民俗学の本としても非常に面白いので
オススメです。

高野秀行氏と清水克行氏の対談本
『世界の辺境ハードボイル室町時代』を読んでおります。
その中で
江戸の元禄時代に「かぶきもの」とよばれる
一種の愚連隊みたいな連中が
犬肉を食べたという話が出てくるんですね。

戦国時代は犬肉を食べたけど
江戸時代にはもう食べなくなっていた。
けど
戦国の風を慕う愚連隊たちは
犬肉を食べて
「俺たち戦国っぽいよね」
「俺たちかっこいい〜」と思ってたらしいという……。

中国の長江以南では今でも犬肉食べますが
「俺たちかっこいい〜」と食べてるわけではないので
当たり前だけど
おなじ犬食でも
場所や時代が変われば様々だな〜と思った次第(笑)

行きたい行きたいと思っているうちに
なんと世界遺産になってしまった富岡製糸場。

さすが世界遺産効果で
バスもいっぱい出てくれるようになったので
ちゃちゃっと見学に行ってきました。

富岡製糸1



















有名な東置繭所。
ここの2階に1年分の繭を保管した場所です。

富岡製糸4



















木骨煉瓦造のフランス積煉瓦の壁が美しい〜

富岡製糸2



















こちらは実際に絹糸を作っていた
繰糸場。
1階の窓は明治のものではありませんが
順次、元の形に戻されていくみたいです。

富岡製糸5













工場内で使う照明用の菜種油の保管庫。
なぜだか
ここだけイギリス式の煉瓦積。
でも可愛くて
これはこれでステキ。
(スルーする人がほとんどだったけど……

油庫

少し前ですが
国立国会図書館の企画展
「ようこそ 歴史資料の宝庫へII ―未知なる場所への道しるべ―」
に行ってきました。

目的はおおきく2つ。
まずは間宮林蔵の『北夷分界余話』
これの実物を見ること。

北夷分界余話














2つめは
アメリカに渡った岩倉使節団が
条約交渉をしようとして
全権委任状がないとそういう交渉はできないんだって
言われて初めて気がつき
大久保利通と伊藤博文が
慌てて日本まで取りに帰った
全権委任状!

委任状












幕府を倒しちゃったはいいけど
まだまだ世間知らずの青い明治政府の
プププなエピソードをしのべる
なかなか貴重な史料なのです

国学院大学博物館で開催中の
「江戸のベストセラー『唐詩選』の世界」を見てきました。

よく知っている李白や杜甫、白易居なんかの詩集を印刷した本「漢籍」から
唐詩文学の伝播を考えるという展示内容で
ややマニアックながら
石川忠久先生の懐かしい「漢詩紀行」のDVDを流してるコーナーなんかもあって
漢詩好きなら十分楽しめる内容だと思います。

入場無料。
おまけに、こんな立派な図録も無料。
大満足な企画展でした!

唐詩選

先日水都東京を創る会というNPO法人主催の
「水と石垣から見る大江戸400年」というクルーズ(?)に参加してきました。

日本橋を出発して
一ツ橋や雉子橋まで江戸城の石垣を見て回り
そこから日本橋川を大川にむかい
霊厳島を左手に見ながら亀島川を経由して大川へ
石川島人足寄場跡と佃島を左に
築地外国人居留所跡の赤レンガを右に見ながら
浜離宮に入って
将軍おあがり場を抜け
レインボーブリッジをくぐって
第6台場をぐるぐる回り
第3台場をめぐって
晴海運河経由で
リバーシティー(水戸藩造船所跡のあったとこ)をまわって
日本橋へ戻るという約2時間のコース。

もうウハウハですよ
1年に1度しかないのが残念なくらい。
ぜひ来年も参加したいな〜〜

先日、増上寺の徳川霊廟は
ほとんど燃えてしまって残ってないと書きましたが
鎌倉の建長寺には
2代将軍・秀忠の妻、お江の霊廟が残っております。
(家光君が建てた霊廟は燃えちゃいましたが……)

建長寺の仏殿。
これが
お江の死後すぐに建てられた霊廟です。

江の霊廟
















仏殿となった今は内部に仏様が安置されていますが
豪華な格天井の見事さや
華麗な欄間など
十分に当時を忍ばせてくれます。


同じく建長寺には
霊廟門も残っております♡
霊廟門

以前
当ブログでは江戸時代に
江戸では江戸間(1間6尺≒1.82メートル)を使い
京上方では京間(1間6尺5寸≒1.97メートル)を使っていた
というわけではなく
江戸城や寺院などに関しては、江戸でも京間を使っていた
と書いたわけですが
最近、加賀前田藩の発掘について書かれた
『江戸のなりたち』を読んでいましたところ
加賀藩では当初
越前間(1間6尺3寸≒1.91メートル)を使っていたと書かれておりました!
そして
その後の八百屋お七の火災後の建て替えでは江戸間が使われたそうなのです。
しかも
以降はすっぱり江戸間になったわけではなく
江戸間と越前間が両方使われていたということが発掘でわかったらしいのです。

越前間!!
思わぬ伏兵がこんなところに!
……ってまあ
加賀藩なんだから越前間を使ったのはむしろ当然なのか(笑)

そういえば
発掘から見ると
江戸で使用されていた陶磁器は
圧倒的に肥前焼が多いのに
市ヶ谷の尾張藩邸跡からは
瀬戸焼が多数出土していて
江戸の藩邸では
それぞれのお国のものが使われていたみたいなのです。

この尾張藩の発掘は正門のあたりしかなされていないので
お屋敷が江戸間だったのか京間だったのかわからないのが残念なのですが
弘化2年に造営された江戸城本丸御殿は
(文久3年に焼けて再建されなかったので最後の本丸御殿になります)
京間でつくられているようなので
(こちらは絵図面による資料ですが……)
江戸城に関しては
ずっと京間だったみたいですね〜。

久しぶりに増上寺に行きましたら
な、なんと!
増上寺宝物展示室なるものができておりまして
台徳院殿霊廟の10分の1スケールの模型が展示されておったのですっ!!!!

台徳院というのは徳川秀忠のことで
その霊廟は息子の家光が建てたもの。
かの日光東照宮のモデルになったともいわれる
豪華絢爛な建物なのです!

が、しかし
それらは惜しくも戦災で焼失してしまって
見ることはできませんでした。
(モノクロの写真はあるんですけどね〜)

それが
明治43年にイギリスで行われた日英展覧会に出品するために
実物と寸分たがわぬ装飾や建築方法で模型が作られていたものが
このたび日本に帰されたのですっ!!!

模型とはいえ
木組みの仕方から
細かな装飾まで
当時のままに再現された
その姿は圧巻!!

いや〜〜。
秀忠の霊廟をカラーで見られる日が来ようとは……。
生きててよかった(感涙)

さらに
これまで特定の日しか見られなかった徳川家霊廟も
火曜日の展示室休館日以外なら
いつでも見られるようになっとりました!!
(料金はいりますが……汗)

徳川家康没後400年のゴールデンウィーク
秀忠君の霊廟模型を見に行ってみてはいかがでしょう?
ついでに
すぐ横に残ってる霊廟惣門を見に行かれるのもお忘れなく!


増上寺宝物展示室

気がついたらもう4月!
桜咲くどころか、散っちゃいそうな勢いではありませんか

江戸の桜といえば
8代将軍・吉宗が享保の改革の一環で
墨堤や飛鳥山に桜を植えさせたのが有名ですが
その中で活躍した
川崎平右衛門という人物を調べている昨今です。

もともとは
玉川上水と大岡越前の農政を調べていて
ぶつかった人なのですが
武蔵野新田開発から石見銀山立て直しまで
なかなか目の付け所が斬新で面白い人なのです。

その人が小金井に桜を植えたのが
有名な小金井桜のはじまり。
もっともこれは庶民の娯楽のためだけでなく
武蔵野新田の灌漑用水と水防からはじまっており
堤防に桜を植えれば根を張って堤の強化になり
さらに大勢の花見客に踏み固められることで堤がさらに丈夫になり
また花見客相手に商売することで当地の農民の経済力も増すと
一石二鳥も三鳥もの策だったのです。

こうした活動で大岡越前に抜擢された平右衛門は
武蔵野新田開発の世話役に任命されるのですが
その成功後
汚職が問題になって罷免された玉川兄弟から
玉川上水の水元役を引き継いでもおります。

ほかにも中国人貿易商の鄭大威が日本に持ち込んで
8代将軍・吉宗が上覧した後の象を下げ渡してもらって
糞を薬にしてみたりと
現在の企業の社長さんになってもやっていけそうな
柔軟な発想と大胆な行動力を兼ね備えた人物なのですね〜。

墨堤なんかに比べると
メディアに取り上げられることも少ない小金井桜ですが
(あっちはスカイツリーってもんがありますからね〜)
ちょいと先人の知恵を忍びながら
今年は花見をしてみようかな〜などと思います。



吉田松陰が死の7日前に書いた手紙を読んでいたら
「東口揚屋名主堀達之助に世話になった」
とありまして
「なにっ!? 堀達之助って、あの堀達之助か?」
とひっかかったので、調べてみました。

その結果
やっぱり、あの堀達之助でした!
(……誰だよって声が聞こえてきそうだ

え〜、この堀達之助というのはですね
ペリーが浦賀にやってきたとき
浦賀奉行所与力、中島三郎助とともに小船でアメリカ船に近付き
「I can speakI Dutch!」と英語でいった通詞でございます。
公的記録に残る
「日本で最初に英語を話した日本人」となっている人物です。
(非公式には、マクドナルドと話した森山多吉郎ら長崎通詞たちとかもいますけどね)

で、その堀達之助が
伝馬町の牢獄に何故いたの??
と気になって調べたのですが……
残念ながら
本当のところはわかりませんでした。
一応公式には
通商を求めたプロイセンの書簡を
独断で握りつぶしたことが原因とされておりますが
堀の供述によれば
リュドルフが持ってきた通商を求める書簡の字が達筆だったため
字の勉強のために持っていたとあり
また当事者リュドルフによる記録の
『グレタ号日本通商記』によれば
堀が密貿易したことが原因のようににおわせておりまして
はっきりしません。

さらに当時
蕃書調所設立のために
堀の語学力が必要な古賀謹一郎が
老中の阿部正弘に赦免を請い
阿部が再調査(赦免のための)を要請したにもかかわらず
勘定奉行の水野忠徳が、これを却下。
(ちなみに川路も連名で署名してるのよね……)
これがな〜んか釈然としないのですよね〜。
例によって勘定奉行サイドと目付サイドの確執か
あるいは
密貿易グループのトカゲのしっぽ切りか……
とまあ
想像はイロイロ膨らむのですが
真実はやぶの中なのです。

まあ
堀は4年あまりも牢で過ごしたのち
古賀謹一郎のたびたびの赦免要請によって
ようやく安政6年10月25日
伝馬町の牢を出るのですが
この2日後
吉田松陰が処刑されてしまうんですよね。
なんかね〜
アメリカ密航を企てて失敗した人と
日本人として一番最初にペリーの船に乗りこんだ人が
同じ伝馬町の牢獄にいて
その最期が
こんなに違うとはね〜〜とシミジミ感じいってしまった次第。

それはさておき
堀達之助、伝馬町牢の中で牢名主やってたんだ!
ということがわかっただけでも
松陰さん、記録を残しておいてくれて
ありがとうという気分なのでした

告知です。

2月18日(水)に
京都の山科で講演会を行います。
お題は「塀の中の吉田松陰」

場所は
山科区竹鼻竹ノ街道町92 ラクト山科C棟2F
京都市生涯学習総合センター山科研究室
日時は
2月18日(水)10:30〜12:00
対象は
京都市在住、在勤、在学の方で無料です。

お時間ありましたら
足をお運びくださいませ

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年賀状2015_blog

国立公文書館の展示に触発されて
江戸時代の町奉行やら火付盗賊改について
改めて調べてみたところ
ちょっと面白いものを見つけたので
備忘録的に書いておきます。

文政年間の火付盗賊改方(当時は渡辺孫左衛門)の同心が書いた
「獄秘録」からの抜粋で
伝馬町の牢にいる囚人に
牢から火付盗賊改方の屋敷までの道順を教えるときに行った言葉で

「御役所をさってもふつき 大牢でるがいなや 前は塩町白銀町 色観音を横に見て いせにはあらねどお玉が池を通りぬけ 帯は〆ねど小柳町 うぬがこんじょう筋違い御門 ここに一つの名所あり さつても広き八辻が原を通りぬけ 亀井片岡いせ駿河台のまつ角屋敷 御役所は丸に三つ星とってもとっても慈悲深い 鬼も恐るる渡辺左衛門様と申上……」

とまあ
小伝馬町から駿河台までの道順が
語呂合わせで覚えやすくなっているのが楽しい。 

ちなみに
清水門外に火盗改の役所があったのは天保年間で
長谷川平蔵がその職にあったころは
屋敷を役所としていたハズなので
池波正太郎の小説の清水門外役宅というのはフィクション

さらに
火付盗賊改方に就任した旗本屋敷を役所として使用するのではなく
水野出羽守の3千500坪余りを使って
四谷御門内に正式に役宅が作られたのは元治元年のこと。
でも火盗改は慶応2年8月に廃止されるので
この役宅に住んだのは
最後の火付盗賊改・戸田正意だけということになります。


毎年ディープで充実した展示で心躍らせてくれる
国立公文書館の特別展。
今年の「江戸時代の罪と罰」展も
予想通り、いやそれを上回る面白さでした!

なにより!!
井上清直の直筆が見られたのよ〜〜!!!
これにまさる喜びはありませんっ!!!!

井上信濃守とくれば
川路の実弟で
下田奉行の時にはハリスさんの心をがっちりつかんで親友といわしめ
岩瀬と組んでの日米修好通商条約締結の際には
あの井伊直弼に「やむを得ない場合は条約してもいい」との言質をとり
(もともと調印する気満々ではあったんですが、これがないと勝手に調印したってことになってしまいますからね〜〜。しかし、そのせいで開国を是としていなかった井伊直弼が、現在開国に功のあった人物になっちゃってるのは腑に落ちないんだけど……
幕末外交史では大活躍した有能幕吏なんですが
イマイチ認知度が低い……。

今回の展示
「卯正月中牢舎並溜預人数書付」と「六ケ月以上牢舎並出牢之上溜預人数書付」は
その井上が北町奉行だったころの直筆記録です。
「卯正月」ということは
まさに慶応3年の
井上が急死する直前の記録ということになります!
そう思ってみる所為か
几帳面な字ながら(さすが能吏)
勢いがないようにも思えます。

ああ、この人がもう1年長く生きていてくれたら
川路だって自害しなかったかもしれないのに……。
などと、感慨にふけりつつ
今回も大満足な展示でした。


もちろん
人気者の長谷川平蔵の若き日の記録や
来年の大河のヒロインの兄()吉田松陰が「福堂策」を記すもとになった
魏源の「海国図誌」や
河鍋暁斎の「暁斎画談」など
ネームバリューの高い人も展示もありますので
北の丸公園の紅葉見物ついでに
ぜひ足を運ばれてはいかがでしょう?
12月14日までやってます。




日光や会津で
大鳥圭介率いる旧幕府陸軍や
土方歳三率いる新選組などが
(歳ちゃんが宇都宮で怪我してからは、
実質斎藤一が率いてたんですが……
苦戦している最中
榎本率いる旧幕府艦隊が入港してきた松島。

このあと仙台城での奥州列藩との会議が決裂し
艦隊は蝦夷(北海道)の鷲の木へと向かうわけなんですが
一応
去年、鷲の木まで行ってきた身としては
出発した松島も見てみたいと
やってきました日本三景・松島!

船に乗って、いざ出港!
(って、湾内観光だから戻ってきちゃうんだけどね〜)

松島

今回、時間がなくて行けなかった
もうひとつの場所が
龍雲院にある林子平のお墓です。

ありがたいことに
仙台博物館の魯迅像の横に
林子平の記念碑があったので
ついでにパチリ。

林子平










魯迅先生の横にあるのでヤヤコシイのですが
林子平と書いて
「はやし・しへい」と読む立派な日本人です。
海防を唱えて版木没収の目にまであった
彼の『海国兵談』は
幕末日本の海防の基本になっていく名著なのですが
本人は
「寛政3大奇人」とも呼ばれる一種のオタクでして
オタク好きの私の心の琴線に
触れる人だったりするんですよね〜

仙台城二の丸には
現在東北大学がありますが
東北大学(旧仙台医学専門学校)というと
思い出すのは魯迅の「藤野先生」なのですよ〜。

この話
私が武漢大学で
中国人学生の中に混じって学んでいたとき
授業のあとに特別補習をしてくださった
先生を思い出すんですよね〜。
異国で勉強している学生に
懇切丁寧に教えてくださる教師というのは
きっといつの時代も
どこの国にもいるのでしょうが
こうした名作に残せない我身が悲しい……

今回は時間がなくて
東北大学構内に保存されてある
魯迅が学んだ教室までは見学できなかったんですが
かわりに
博物館の裏庭にたてられた
魯迅の胸像を見てきました。

後ろの記念碑は郭沫若の筆。

魯迅像

慶応4年8月
旧幕府艦隊を率いて品川沖を出発した榎本武揚は
松島に入港し
慶応4年9月
仙台城で奥州列藩同盟の会議に参加します。
ここには
会津戦争に敗れて陸路で仙台までやってきた
土方歳三も参加しておりました。

しかし交渉は決裂。
榎本&土方は席を立って退出。
旧幕府艦隊は
松島から北海道へ移動することになるのです。

で、やってきた仙台城なのですが
肝心の会議が行われたのが
本丸なのか二の丸なのか三の丸かわからない!!
ということで
場所探しは今後の課題として
とりあえず
ここは全員通ったハズ、と
復元された大手門の脇櫓を撮ってみました。

仙台城大手門脇櫓











その後、
伊達正宗の霊廟である瑞鳳殿へ行き
戊辰戦争弔魂碑にお参り。

戊辰戦争で亡くなった仙台藩士だけじゃなく
旧幕臣も祭られているのです。

碑

国会図書館の企画展
「あの人の直筆」に行ってきました。

吉田松陰、高杉晋作、
坂本龍馬に中岡慎太郎など
幕末の志士達の書を集めた
石田英吉の「亡友帖」が目玉のようなんですが
個人的には
川路聖謨の「世情聞書」と
奥さんのさと子さんの日記が見られたことが大収穫!

ほかには
どうしても見たかった
秋山真之の手紙や
大鳥圭介の「流落日記」が見られて大満足。
榎本武揚の「シベリア日記」は前に見たから

展示的には
林羅山ら江戸初期の人から
夏目漱石、与謝野晶子、
司馬遼太郎といった
明治から現代の著名人までの
さまざまな人の直筆が一挙に見られて盛りだくさん。

「やっぱ、この人って、こういう字を書くんだ」とか
(特に山県有朋と岩倉具視ね。むっちゃ神経質そうな字だった
「へぇ〜、この人が、こんな字」とか
(特に嘉納治五郎に思った)
とっても面白かったです。

そうそう。
高野長英が勝ちゃんに贈った「軍法不審」もあったんですよ〜〜!!
これは、かなり嬉しかった

これだけ大勢の人の字を見くらべる機会はそうそうないので
秋の1日、国会図書館に足を運ばれてみてはいかがでしょう?
入場無料。
18日までやってます。

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