2月28
塩飽(しわく)諸島というキーワードからは、塩飽海賊、塩飽水軍、塩飽廻船、千石船、北前船といった船にかかわることを連想して下さる方が多いでしょう。実は江戸時代の塩飽にはもう一つ大きな産業がありました。塩飽大工です。江戸末期にはなんと3軒に1軒が大工という大集団でした。今でいえばゼネコンのようなイメージです。塩飽諸島は奈良・平安時代、藤原摂関家の荘園でした。藤原家は乙巳の変(大化の改新)で藤原鎌足が蘇我氏から日本の宮大工技術を奪って以来独占していました。その宮大工技術が塩飽に持ち込まれて長く継承したと推定されます。船大工が塩飽廻船が衰退したため宮大工に転じたという通説がありますが、それは間違っています。むしろ先に宮大工がおり、水軍の需要から船大工に転じたものもおれば、宮大工を続けた家もあり、家大工、指物大工などへ広がったと考えられます。
塩飽宮大工の本格的な調査研究は、これまで誰も手掛けておりませんでした。塩飽大工顕彰会では
思い込みや口伝は採用せず、棟札や古文書といった証しに基づいて調査研究し、
先ごろ「塩飽大工 -いま語り継ぐ先人たちの気概と誇りー」を刊行しました。
塩飽大工に関心を抱いて下さる方々のみならず、特に塩飽諸島ゆかりの皆々様には
一家に一冊蔵書として、ご先祖様方の活躍を誇りとしていただきたいと願っています。
塩飽大工顕彰会の公式ホームページを立ち上げましたのでご覧ください。但しまだ仕掛中です。
http://shiwaku.justhpbs.jp/

塩飽宮大工の本格的な調査研究は、これまで誰も手掛けておりませんでした。塩飽大工顕彰会では
思い込みや口伝は採用せず、棟札や古文書といった証しに基づいて調査研究し、
先ごろ「塩飽大工 -いま語り継ぐ先人たちの気概と誇りー」を刊行しました。
塩飽大工に関心を抱いて下さる方々のみならず、特に塩飽諸島ゆかりの皆々様には
一家に一冊蔵書として、ご先祖様方の活躍を誇りとしていただきたいと願っています。
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