中年クライマー始末記

中年クライマーの中年クライマーによる中年のための始末記。 中年というカテゴリーを脱却して日々前進する奮闘記です。 ちょっと寄り道で、お酒や食べ物、旅行、温泉、文学なんかも練り込んでます。

2013年04月

4月28日新潟県クライミング選手権

2年ぶりに妙高の地に帰ってきた。

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土曜の夕暮れ。
道路には雪が残り、さすがに肌寒い。
クライミングをはじめて一年目から新潟のコンペには通っていた僕だが、去年は色々あって参加できなかった。
日曜の朝。

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この景色をみられるだけでも来たかいがあるというものである。

会場はここ。
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国際自然環境アウトドア専門学校。
このコンペはカテゴリーが小学生、中学生、高校生、成年のそれぞれ男女に細かく別れているので恐ろしく時間がかかる。
2年前は全カテゴリーで30名を切っていたから午後4時には終わったのだが、今年は50名も集まった。
予定より30分前倒しで9時半からリード競技がはじまる。
僕の出番は11時。自分的にはよく頑張った?つもりだったのだが、リードは8位に沈み決勝に残れず。
ボルダー競技が始まって、出番が回ってきたのは7時間後の午後6時だった
ボルダー3課題は2ボーナスのみ。
垂直壁の第二課題は何としても落としたかったが、ちょい被りの第一課題がなんとかなりそうだと勘違いし、スタミナを使いはたしてしまった。
ボルダーも9位に沈み総合9位。

まあ、仕方ない。

4月26日スポーレ

夜勤明け、2時間仮眠してからTマチャンとスポーレへ行く。
コンペ間近だというのに調子は最悪だった。
左腕の踏ん張りがきかず、しょっぱなのアップ11dでフォール。
以後も不甲斐ない練習が続く。
Tマチャンはタックン11bを果敢にチャレンジしていた。

夜勤の疲労であろう、きっと。

昨日は・・・

昨4月25日は近藤勇の命日であった。
慶応4年4月3日、僕の職場がある野田市からほど近い千葉県流山で官軍に投降した近藤さんは、25日板橋で斬首に処された。
歴史のifを論じても仕方ないのだが、近藤さんの死に方が斬首ではなく切腹であったなら、もう少し近藤勇の人物評価はちがっていたのではないかな。
新撰組を憎む長州・土佐人にそれを望むのも無理といえば無理なのだけど。

司馬先生の「燃えよ剣」が発表されるまでは、間違いなく新撰組といえば近藤勇であった。
ちょっと古いけど、映画で嵐カンや三船敏郎も近藤さんを演じてるし、それに比べたら歳さんなんてのはほんの端役に過ぎない。
だが、燃えよ剣以降、新撰組の研究が色々とすすんだのこともあるが、新撰組といえば今や土方歳三。
栗塚旭さんが歳さんを演じた燃えよ剣のテレビ番も人気を博し(これも古い話しだけど)、崩れ行く幕府を懸命に支えるといった近藤さんのイメージは、ナンバー2として組織の実質的な権限を握り、幕府崩壊後も蝦夷に渡って最後まで武士の意地、男の意地を貫いて死んだ男、という歳さんのインパクトに押され、戦意喪失して敵の軍門に下ってしまったちょっと不甲斐ない人に見られてしまっているような気がする。
これが切腹だったのなら、最後まで武士の誇りを抱いて散った男、とカッコイイ見出しも付けれたと思うのだが。

僕が燃えよ剣を読んで新撰組にはまったのは24、5だった。だから、近藤さんはやっぱり不甲斐なく思えたし、はっきりいえば嫌いだった。
まあ、歳さんラブリーの当時だったから仕方ないことなのだけれど。
しかし、20年経ったいま考察してみると、近藤さんの潔さ、幕府に忠節を果たそうとする想いは尊敬に値するのではないか。強い信念と勇気がなければ出来ないことだと、あらためてそう感じる。
幕府の滅亡と新撰組の誕生は同義である。幕府組織の末期的症状が新撰組のような非正規部隊の出現を生み、一時的な活躍をもたらしたに過ぎない。
歴史は残酷なのだ。

歳さんも近藤さんも武州多摩の百姓の子である。
武士になれた喜びと感謝を抱いて幕府に殉じた近藤さんと、武士になりきって意地を通した歳さん。

個人的の見解では、歳さんは意外に、いや、かなり生への執着が強かったのではないかと考えているので、軍配は近藤さんということで

10年後には、また考えが変わっているのだろうけど。

4月22日スポーレ 4月23日ピナクル

ほぼ一年ぶりにまともな減量をしている。
ようやく60キロを切ることができたが、体調管理が難しくえらいしんどい。
体調管理が難しいから、去年まで常に体重を抑えていたことを思い出した。頑張っておとしていても、効果があまり感じられないから精神的に参ってしまうことも。
去年は、いい歳して何やってんだか、と何もかも嫌になって逃げ出してしまったのだが、それはそれで色々な成長をもたらしてくれたから、まあいい経験だったとは思っている。

月曜は夜からM上ファミリーとスポーレへ。
11bから11dを5本丁寧に登った。
身体にキレは感じられるけど疲労が早い。軽さを馴染ませるのがひと苦労かな。
M上ファミリーの成長も早い。やはり、練習は数ですな。
どっかぶりの11aをパピーが落とすのが早いか、薄かぶりの10cをJrが落とすのが早いか(グレードは違えども難易度は大してかわらない)。ちょっとした争いになっている。

火曜日はまたまた久しぶりにピナクルにいったが、すぐにヨレてしまった。


4月18日スポーレ

コンペ後17日まで飽食の期間が続き、重い身体で2時頃スポーレへ行く。
約束は夜7時だったので、ボルダーで絞ろうと、ひたすら汗をかく。
これを7時までは辛いなあ~と思っているところへ、リードエリアにジャンダルムでお会いしたことのあるI間さんペアがいらしたので図々しくまぜてもらうことに。
どっかぶり壁はnewルートが追加され13cdなどというわけのわからんルートまで出来ていた

7時からはM上パピーとピナクルの紅一点Y井さんとのリード練習。
M上パピーは垂直壁10cをRPし、Y井さんも粘り強い安定した登りで10bをRPする。
10cもあと少しというところだった。まだリードは2回目ぐらいらしいが大したものだ。
M上Jr.を加えた三つ巴の争いがはじまるそうな
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honjo3313

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