「自分が生きられるようにしか生きれない」という言葉を何かで読んだ。
ロシアの小説の中の一文だったような気がする。
紆余曲折を経て、わたしは最近その一文を噛みしめている。
実はわたしは来年から大学の専攻科に入り、言語聴覚士の勉強を始めることにした。長く続けた演劇を離れて、別の道に行くことにしたのだ。
小さいときから医療や人間そのものに関心があった。
けれど演劇をやっている人はかっこよかった。自分もそうなりたいと思って、足を踏み入れた。
踏み入れたら何だかおもしろく、やっていることがお金にならなくて平気だった。そしてそのような生活をおくっているうちに、自分のことばかり考えて周りにいてくれる人たちを顧みれなくなっていった。
30代になり、結婚・出産や親の病気を経験して、否が応でも現実に引き戻されることになった。
大人なのだから自分の責任で何をやってもいい。しかしそれは社会性がなくては駄目だ。
その結果、わたしができることは演劇ではないという答えに至ったのだ。
今朝思い出したのだが、その前の晩のゆめに斎藤さんがでてきてくれた。めったに登場しない方なのだが。
怒ってはいなかった。もしかしたらまた一緒に稽古をしてもらっていたのかもしれない。残念ながら、どういうゆめだったのか思い出せないけれど。
勿論、女優として舞台にたてたらおもしろいなとは思う。けれどそれは来世に託して、今生では自分が生きられるように生きようと思うのだ。
長いあいだ支えてくださりありがとうございました。
ロシアの小説の中の一文だったような気がする。
紆余曲折を経て、わたしは最近その一文を噛みしめている。
実はわたしは来年から大学の専攻科に入り、言語聴覚士の勉強を始めることにした。長く続けた演劇を離れて、別の道に行くことにしたのだ。
小さいときから医療や人間そのものに関心があった。
けれど演劇をやっている人はかっこよかった。自分もそうなりたいと思って、足を踏み入れた。
踏み入れたら何だかおもしろく、やっていることがお金にならなくて平気だった。そしてそのような生活をおくっているうちに、自分のことばかり考えて周りにいてくれる人たちを顧みれなくなっていった。
30代になり、結婚・出産や親の病気を経験して、否が応でも現実に引き戻されることになった。
大人なのだから自分の責任で何をやってもいい。しかしそれは社会性がなくては駄目だ。
その結果、わたしができることは演劇ではないという答えに至ったのだ。
今朝思い出したのだが、その前の晩のゆめに斎藤さんがでてきてくれた。めったに登場しない方なのだが。
怒ってはいなかった。もしかしたらまた一緒に稽古をしてもらっていたのかもしれない。残念ながら、どういうゆめだったのか思い出せないけれど。
勿論、女優として舞台にたてたらおもしろいなとは思う。けれどそれは来世に託して、今生では自分が生きられるように生きようと思うのだ。
長いあいだ支えてくださりありがとうございました。