2005年04月18日

世界史よりかわった戦国大名トリビア 三戦

名前:清き一票@名無しさん[] 投稿日:2005/04/17(日) 04:09:14 ID:0Gnf3mBr
<世界史板より三国志・戦国板支援>

「かわった戦国大名トリビア」

戦国大名というと、とかく大河ドラマで見るようないかめしくてかっこいい
イメージが先行していますが、実際そうだったのか?というと、
結構かわった人もいたのも実情です。歴史の表に出てこないような
そんなかわった大名をとりあげてみましょう。

・おならのせいで殺された戦国大名がいる

本佐倉城主(千葉県)の千葉氏で、正月の年賀の席で2回おならした家来に激怒。
家来を叱り飛ばしたところ、かえって逆ギレされ、
ふざけんじゃねえよ!と大名が斬り殺されたという。あまりにも
不名誉な話しなので千葉氏の正史には記載されていないが、関八州古戦録という
記録をあつめまくった人が書いた史書にバッチリ掲載されてしまった。



259 名前:清き一票@名無しさん[] 投稿日:2005/04/17(日) 04:12:50 ID:0Gnf3mBr
戦国大名二家の名前を取って作られた大名家がある

・北海道一円の支配権を秀吉から認められた松前家で、元は蠣崎
(かきざき)。松平・前田の二家から名前をもらったという。

わずか一日で滅亡した戦国大名がいる
・福島県黒川(現在の会津若松)城主松本氏で、前の城主葦名(あしな)氏が
寺参りにいっているスキに突然挙兵し、城を乗っ取ったまではよかったが、
帰って来た葦名氏に粉砕され、わずか一日で滅亡した。



260 名前:清き一票@名無しさん[] 投稿日:2005/04/17(日) 04:14:43 ID:0Gnf3mBr
そして最後はきわめつけ、土佐(高知県)の戦国大名・長曾我部
(ちょうそかべ)家です。三代続いて当主がユニークすぎる人々でした。
・槍の使い方を知らずに戦場に行った戦国大名がいる
土佐(高知県)の長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)で、
20歳で戦場に出た時まで槍の使い方を全く知らなかった。
あきれた家臣から「敵の目を突けばなんとかなります」とアドバイスを受け、
けっこう奮戦したと言う。それ以来努力を重ね、
最終的には四国一円を制覇した。

滅亡した後寺子屋を開業した戦国大名がいる
槍の使い方を知らずに戦場に行った長曾我部元親の後継ぎ・長曾我部盛親
(ちょうそかべもりちか)で、関ヶ原の戦いで負けたあと、居城を奪われ、
京都で寺子屋を開業。人当たりが良く結構繁盛したと言う。
盛親は後に大坂の陣で豊臣家に仕官し、大名として復帰しかけたが結局敗れ、
処刑された。処刑された時には教え子の少女が泣きながら見送ったという。



261 名前:清き一票@名無しさん[] 投稿日:2005/04/17(日) 04:15:23 ID:0Gnf3mBr
滅亡した後陰陽師を始めた戦国大名がいる

長曾我部盛親(寺子屋を始めた大名)の弟・長曾我部康豊
(ちょうそかべやすとよ)で、兄が処刑された後、逃亡中に陰陽師を始め、
ハッタリを効かせて食いつないでいたという。後、刀を振り回した狂人が
切り込んできた時に首尾良く狂人を取り押さえたことが評価され、
川越城代として大名クラスの武士となり復活した。

以上世界史板の支援でした。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/honsen_siori/19257868