2005年04月23日

名馬コラム4(競馬)

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623 名前:競馬板支援 名馬コラム4(1/3)[sage] 投稿日:2005/04/23(土) 13:35:32 ID:tiBsOpT8
   ダービーを勝つために天から降りてきた馬 ●トキノミノル
        ヘ ヘ
       / ・ ・ヽ    < 長くなっちゃったね。最後に東京競馬場の守り神・
      彡\  |       トキノミノルを紹介して、一旦休憩しよう。
     ⊂彡 (. .)⊃-・~~~
    ///   /_/:::::/
    |:::|/⊂ヽノ|:::| /」    トキノミノルは最初「パーフェクト」という名でデビューした。
  / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|    いかにも、”永田ラッパ”を吹きまくった永田雅一(まさいち)
/______/ | |    オーナー(大映社長)らしい強気な命名だ。
| |-----------| |       その名のとおり10戦全勝(レコード勝ち7回)のパーフェクトな
成績をあげた同馬は、2戦目から「トキノミノル」と改名した。

トキノミノルは文豪・菊池寛(きくちかん)が他界した昭和23年3月6日直後、
5月2日に生まれた。菊池寛は長い馬主時代に、帝室御賞典(現在の天皇
賞)はトキノチカラで勝ったものの、ダービーを勝てなかったことに未練をの
こしたまま世を去った。大映の初代社長(4年間)だった菊池の遺志をつぎ、
2代目社長の永田は、先代の没後入れかわるように生まれた馬がダービー
を狙える勝ちっぷりで鮮烈なデビューを飾ったとき、この馬に菊池の愛馬の
名に共通の「トキノ」をつけることを決めたのだった。

624 名前:競馬板支援 名馬コラム4(2/3)[sage] 投稿日:2005/04/23(土) 13:36:17 ID:tiBsOpT8
けれどもトキノミノルは健康面では必ずしも旧名のようにパーフェクトではな
く、それどころか、つねに不安をかかえて走っていた。慢性のヒザの疾患と
烈蹄のため四肢が完調だったことは一度もなく、ダービーの2日前には急性
腱炎をおこし「トキノミノル出走断念説」が流れたほどだ。

永田の大映経営も、またけっして順風満帆ではなかった。戦後ウナギ昇りの
映画産業だったが、昭和25年は前年比入場者数が減少、26年は封切り本数
が25年より減った。ダービー後の『週刊朝日』誌上で永田は、トキノミノルと改
名以後「大映は税金に苦しみ、馬のことなど忘れていた」と述懐している。内
部ではワンマン体制も批判されはじめていた。

出否も決まらないまま、岩下密政騎手と村田厩務員が2日間厩舎に泊まりこ
み不眠不休で看護につとめた結果、トキノミノルは奇跡的な回復をみせた。
そしてみごとに人々の期待にこたえるのである。

ダービーのスタートからゴールインまで永田は「南無妙法蓮華経」を唱えどお
しだったという。

625 名前:競馬板支援 名馬コラム4(3/3)[sage] 投稿日:2005/04/23(土) 13:36:53 ID:tiBsOpT8
永田はトキノミノルを海外に遠征させようと決意したが、その夢もむなしくダー
ビーの17日後、破傷風がもとでトキノミノルは短い生涯にピリオドを打つ。菊池
寛の紹介で馬主になった作家の吉屋信子さんが「ダービーを勝つために天か
ら降りてきた幻の名馬です。・・・・また天に還っていきました」と毎日新聞に書
いて以来、トキノミノルは「幻の馬」と語り継がれ、大映は『幻の馬』を製作する。

トキノミノルでは実現しなかった海外進出だが、同年9月、大映は『羅生門』で
ベネチア映画祭グランプリを獲得。その後、『雨月物語』『地獄門』『山椒大夫』
が続々と海外の映画祭で受賞し、永田雅一の名は世界に響き渡っていた。

その後、トキノミノルは東京競馬場の銅像になり、今も競走馬たちを見守っている。


トキノミノル 牡 鹿毛 1948年5月2日 北海道・本桐牧場生産
        父セフト 母 第弐タイランツクヰーン

10戦10勝  主な勝鞍:朝日杯3歳S 皐月賞 日本ダービー
        1984年 顕彰馬に選出
        【戦績】ttp://csx.jp/~ahonoora/tokino_minoru.html.html

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