小泉内閣メールマガジンというのが、小泉内閣発足後、しばらくして始まった。私も、面白い試みだと思ったもので早速加入して愛読してみることにした。

 しかし、各大臣のプロフイル、ご意見論説までは良かったが、その後は小泉イズムの押し付けに終始したため自然と遠のいてしまった。

 ところが靖国問題について、小泉首相としての見解がッメルマガに載ったと新聞で知り早速拝読してみた。
 しかし、自らの靖国神社参拝について「どのような形で哀悼の誠をささげるのかは個人の自由だ」と持論を展開したものであった。

 参拝の有無や時期には触れなかったが「首相就任以来、毎年一度靖国神社に参拝している」と強調する。それはいいが、なにもこんな時に、こんな事をメルマガに書くことはあるまい。8月15日の参拝に備えてのことか?

 小泉さんのやることは、政治家として仲々清潔だし、行動は尊大で無く庶民的である。しかし、ここ一番という時の思考行動に、政治家としての大切な資質が欠けている。すなわち、内面と外面が全く一致してしまうことである。どのような場面でも之が隠せない。

 唯一、日本国民を騙すときだけにポーカーフェイスが出る。正直な話をしなければならないときだけに、正直さが影を潜める。そして、詳しい説明をするべきときに、説明が省略される。

 そう考えると、今回のメルマガの「戦没者の慰霊」と言う1文が、皮相的な国民を馬鹿にした話で終始し、如何に嘘で固められたものであるか、がよく読み取れる。
 心からの問題の掘り下げがない。すなわち、内容が皮相を上滑りしているから、私達の心を打たないのである。靖国に参拝する本心が出てないから、心を打たない。公約を果たすだけの理由では、国民を納得はさせられない。

 表面的な戦没者の慰霊と言う言葉だけに流れ、全く内容の無い空疎な言葉で、一部のマスコミを曲解非難し、理由の乏しい自己の正当性を押し付けてくる。ちょっと正気か!と驚く。
 中国、韓国にまで小泉流の考えを押し付け、非難している。相手の身になって考えようとしないのは小泉流である。外交と言うものを考えない自我を通すバカである。
 そして、A級戦犯については全く触れられていない。
 之が政治家なのかと呆れる!いや、だから政治家なのかもしれない。日本の将来に対する展望を一度聞きたい。

 新聞各紙の受け取り方は各様であり、余りにもひどい発言に、あえて触れないところもあった。朝日新聞は猛反発した。私は朝日の意見は余り好きではないが、今回は同感する。
 小泉さんも今になって、こんな文章を書かなければ良かったのに、彼一流の自己陶酔の成せる業か、欺瞞手法なのか?

 昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀に不快感を示したとされるメモが明らかになる中で、首相が15日の終戦記念日に参拝するかどうか、一層の注目を集めそうだ。
 靖国参拝は個人の自由と言いながら、小泉内閣メールマガジン(之は個人のものではない)に文章を載せる。公人と個人の混合取り違えに気が付いていない。

 ここに、あえて小泉内閣メール マガジンの全文を載せる。

戦没者の慰霊(小泉内閣メルマガ8月3日全文)

 小泉純一郎です。

 長かった梅雨もようやく明けて、真夏の青空がひろがる季節になりました。

 私は、今年も、8月6日に広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式に、8月
9日には長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列します。

 私は、総理大臣に就任以来、毎年必ず、広島と長崎の式典に参列して、原
爆の悲劇を二度と繰り返してはならないという思いで、原爆の犠牲となった
方々に哀悼の意を表明してまいりました。

 そして、毎年6月23日には、衆議院予算委員会に出席のため行けなかっ
た平成15年を除いて沖縄を訪れ、沖縄全戦没者追悼式に参列してまいりま
した。

 戦後60年にあたる平成17年6月には、第二次世界大戦末期、日本側約
2万2000人、アメリカ側約6800人が戦死した硫黄島を訪れ、硫黄島
戦没者追悼式に出席し、あわせてアメリカ側戦死者のための「将兵の碑」に
献花し、激しい戦闘で亡くなった日本とアメリカの兵士たちを追悼しました。

 私は、平成13年の4月、総理大臣に就任したときの記者会見で、「戦後
日本が平和で発展していくために、一番大事なことは、あの第二次世界大戦
の反省をすることだと、その上に立ってこれからの日本が二度と戦争をして
はいけない、平和のうちにいかに国民の努力によって立派な国づくりに励む
ことができるか、このことはこれからの日本の方針としても、極めて重要で
あると思っています。」と述べました。

 日本は、戦後一度も戦争に参加せず、また巻き込まれることもなく、平和
を維持してきました。日本の今日の平和と繁栄は、戦争で命を落とした方々
の尊い犠牲の上に築かれています。私は、戦没者の方々に対して、敬意と感
謝の思いを込めて、哀悼の誠を捧げております。

 戦争で亡くなった方々を追悼するというのは、どこの国でも誰であっても、
自然なことだと思います。

 日本国憲法第19条では、「思想及び良心の自由は、これを侵してはなら
ない。」としています。戦争で亡くなった方々に対して、どのようなかたち
で哀悼の誠を捧げるのか、これは、個人の自由だと思います。

 私は、総理大臣就任以来、心ならずも戦争で命を落とさざるを得なかった
方々へ哀悼の誠を捧げるために、毎年一度靖国神社に参拝しています。

 これは、私の思いに基づくもので、私は、靖国神社の参拝を誰にも強制し
ていません。また強制されて参拝しているものでもありません。

 マスコミや有識者といわれる人々の中に、私の靖国参拝を批判している人
がいることは知っております。また、一部の国が私の靖国参拝を批判してい
ることも知っています。

 私を批判するマスコミや識者の人々の意見を突き詰めていくと、中国が反
対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方が
いいということになるように思えてなりません。

 そういうマスコミや識者の方々は、思想及び良心の自由をどう捉えている
のでしょうか。戦没者に対して、敬意と感謝の気持ちを表わすことはよいこ
となのでしょうか、悪いことなのでしょうか。

 私は、日中友好論者です。平成14年4月、中国のボアオで開かれた国際
会議でも、「中国の経済発展を『脅威』と見る向きがありますが、私はそう
は考えません。私は、むしろ、中国のダイナミックな経済発展が日本にとっ
ても『挑戦』、『好機』であると考えています。中国の経済成長に伴う市場
の拡大は、競争を刺激し、世界に大きな経済機会を与えることでしょう。」
と述べて、日本と中国の友好関係の一層の発展と、両国が交流によって繁栄
していくことを望んでいることを明らかにしました。

 現に、私が総理大臣に就任した平成13年以来、日本と中国の貿易額は、
2倍以上に増加し、いまや中国は、アメリカを抜いて、日本にとって最大の
貿易相手国になりました。日本と中国の間の人の行き来も、約1.5倍に増
えています。

 私は、いつでも中国の首脳と会う用意があります。ところが、中国は、平
成17年4月にインドネシアで胡錦濤主席と会談したのを最後に、私が靖国
神社に参拝するなら日中首脳会談を行わないと言っています。

 私は、こういう考え方は理解できません。もし、私が、ある国と私の考え
が違う、あるいは日本の考えと違うからといって首脳会談を行わないと言っ
たら、相手を批判しますか、それとも私を批判しますか。おそらく多くの国
民は私を批判するでしょう。

 二度と悲惨な戦争を起こしてはならない、そして、今日の日本の平和と繁
栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれている、この思いは、私の政治
家としての原点でもあります。私は、この思いを抱きつつ、今年も広島と長
崎の式典に参列し、そして8月15日の全国戦没者追悼式に参列します。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜新聞記事の引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

靖国参拝 嘆かわしい首相の論法 (朝日新聞8・4社説)

 靖国神社参拝にこだわり続けた5年間の、小泉首相なりの最終答案ということなのか。それにしては、なんともお粗末と言うほかない。
 3日付で配信された小泉内閣メールマガジンで、首相は年に1度の参拝に改めて意欲を示した。
 そのなかで「私の靖国参拝を批判しているマスコミや有識者、一部の国」に、こう反論している。「戦没者に対して、敬意と感謝の気持ちを表すことはよいことなのか、悪いことなのか」
 悪いなどとは言っていない。私たちを含め、首相の靖国参拝に反対、あるいは慎重な考えを持つ人々を、あたかも戦没者の追悼そのものに反対するかのようにすり替えるのはやめてもらいたい。
 首相はこうも述べている。「私を批判するマスコミや識者の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになる」
 これもはなはだしい曲解である。
 日本がかつて侵略し、植民地支配した中国や韓国がA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社への首相の参拝に反発している。その思いにどう応えるかは、靖国問題を考えるうえで欠かすことのできない視点だ。
 ただ、それは私たちが参拝に反対する理由のひとつに過ぎない。首相の論法はそれを無理やり中国に限定し、「中国なにするものぞ」という人々の気分と結びつけようとする。偏狭なナショナリズムをあおるかのような言動は、一国の首相として何よりも避けるべきことだ。
 その半面、首相が語ろうとしないことがある。あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を祀(まつ)る神社に、首相が参拝することの意味である。
 戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである。
 昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を抱き、それが原因で参拝をやめたという側近の記録が明らかになった。国民統合の象徴として、自らの行動の重みを考えてのことだったのだろう。もとより中国などが反発する前の決断だった。
 国政の最高責任者である首相には、さらに慎重な判断が求められる。
 憲法に関する首相の強引な解釈もいただけない。憲法20条の政教分離原則は素通りして、19条の思想・良心の自由を引き合いに、こう主張した。「どのようなかたちで哀悼の誠を捧(ささ)げるのか、これは個人の自由だと思う」
 19条の規定は、国家権力からの個人の自由を保障するためのものだ。国家権力をもつ首相が何をやろうと自由、ということを定めた規定ではない。
 こんなずさんな論法で、6度目の参拝に踏み切ろうというのだろうか。15日の終戦記念日に行くとも取りざたされるが、私たちはもちろん反対である。

安倍氏が4月15日靖国参拝 「内閣官房長官」と記帳(東京新聞8・4)

 安倍晋三官房長官が今年4月15日、靖国神社を参拝していたことが4日、関係者の話で明らかになった。靖国問題は9月の自民党総裁選の主要な争点の一つとなる見通しで、後継首相レースにも影響を及ぼしそうだ。また中国、韓国が反発を強めるのは必至。
 関係者によると、安倍氏は靖国神社の春季例大祭直前の4月15日、モーニングを着用し、公用車ではなくハイヤーで同神社を訪れた。「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を払った。参拝は都内の新宿御苑で開かれた「桜を見る会」に出席する途中で、警護官(SP)も同行したという。
 安倍氏は「もともと終戦記念日より、春季、秋季例大祭が大事だというのが持論」(関係者)とされ、4月に参拝した。今年の秋季例大祭に参拝するかは「分からない」(同)という。

小泉首相:靖国参拝、改めて意欲示す(毎日新聞8・4)

 小泉純一郎首相は3日、終戦記念日の15日に靖国神社に参拝するかどうかについて「適切に判断するとしか言わないことにしている」と語った。3日付の内閣メールマガジンで靖国参拝に触れ、首脳会談を拒否する中国を批判したことについては「参拝をいけないこととは思っていないから。なぜ批判するのか分からないという気持ちを率直に述べたまでだ」と説明、改めて参拝への意欲をにじませた。首相官邸で記者団の質問に答えた。【小山由宇】
毎日新聞 2006年8月3日 19時04分

靖国参拝の布石?首相メルマガで批判にまた反論  2006/08/03 07:23 (北海道新聞)

 小泉純一郎首相は三日に配信する「小泉内閣メールマガジン」で、自身の靖国神社参拝に対する批判への反論を展開、首脳会談に応じない中国を「理解できない」とあらためて批判した。参拝の真意を直接国民に説明し正当性を訴える形となり、八月十五日の終戦記念日の参拝に踏み切る布石との憶測も呼びそうだ。
 首相は、広島、長崎の原爆の式典と、十五日の全国戦没者追悼式に例年通り出席する意向を明らかにする一方、「就任以来、心ならずも戦争で命を落とさざるを得なかった方々への哀悼の誠をささげるために、毎年一度靖国神社に参拝している」と、任期中の参拝の可能性を示唆。
 参拝批判に対しては「突き詰めていくと、中国の嫌がることはしない方がいいということになるように思えてならない」などと重ねて強い不快感を示した。