2007年03月03日

綺麗な土星

最近、忙しさにかまけて、ものすごい勢いで放置してしまった
このブログをひさしぶりに更新。

まあ、もうずいぶん経ったけど、H2Aの十二号機も無事上がったことだし
SELENE打ち上げまで当面の不安は無くなった。
あとは、早いとこ去年取った較正データを解析しないと……

だらだらとNASAのホームページを見ていたら、最近カッシーニで撮られた
土星の画像があった。

http://www.nasa.gov/mission_pages/cassini/main/index.html

ホント、NASAが公開する画像はCGみたいに綺麗。
HST(ハッブル宇宙望遠鏡)の画像とかもたまに、ふと見てみると
とても現実のものと思えないような画像とかあるし。

http://hubblesite.org/gallery/


hontoni_jikannomuda at 21:36|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!宇宙トリビア 

2007年02月16日

情報収集衛星

情報収集衛星の打ち上げが再延期

悪天候のためとのことだけど。

何でもいいから、とにかく失敗しないでくれ〜!!!

神に祈る。

hontoni_jikannomuda at 21:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!宇宙トリビア 

2007年02月09日

若い研究者は世間知らず?

色んな作業が終わらず、つらつらと色んな人のブログを眺めていたところ、
<博士号取得を目指す人々>という、博士過程の人々の交流会を
主催している方のブログに

<若い研究者は世間知らず? 文科省の意識調査>

という記事のリンクが張ってあったのを見つけた。

記事を読むと、若手研究者のイメージはあんまりよくないみたいだ。

一般常識や一般教養に欠ける、と思われているらしい。。。
まあ自分自身あんまり、否定できないのが痛いところだけれど。。。

ただ気になったのは記事の最後の方の
”そのほか「課題設定能力」「創造性」「国際性」に対する評価も低かった。”

ってところ、これははっきりいって心外だなーという感じ。
何故なら博士の審査の大半はこの「課題設定能力」「創造性」って所にある
と自分は思っているからだ。
そして、これらを満たすために必要なものの一つが「国際性」だと思う。

修士の審査は逆に、与えられた課題をきちんとこなす事ができるか?って
所にあって、「課題設定能力」「創造性」とかは殆ど要らない。
修士と博士の違いは明らかにこの部分だ。
修士号なんてものは、要するに”がんばったで賞”みたいなもんだと
自分は思っている、頑張れば必ずもらえるもの。

修士の評価なんて、ほぼ確実に個人の評価ではない、ある程度決まったテーマを
与えてくれた指導教官なり、研究室の評価に過ぎない、というのが自分の考えだ。

逆に博士課程の審査を見ていると、どんなに死ぬ気でひたすら頑張ったところで、
課題設定というか、テーマがきちんとしていなければ博士を取ることは出来ない。
博士号ってのはその辺をきちんと見据えて、逐一課題を設定してきた人に
与えられる資格なんだなーと、研究室の先輩を見ていると思う。
ただ、がむしゃらに頑張ってもダメなんだということ。

もちろん、今自分にそれが出来ているのかは怪しいところだけれども、
もし博士号をきちんと、取ることができたらはっきり
自分は「課題設定能力」と「創造性」には自信があります!と言えると思う。
何故ならその二つの能力が無ければ、D論なんて通るわけない、と
思っているから、はっきりいってD論の審査は半端じゃない。

協調性が無いとか、常識がないとか、一般教養がないとか色々言われるのは
まあ仕方ないか……、と思うけれども「課題設定能力」「創造性」「国際性」
が無いとは言われたくないなー、と思った。

hontoni_jikannomuda at 02:46|PermalinkComments(5)TrackBack(0)clip!勝手で雑多な考え 

2007年02月08日

最高のミスリード

この一週間ずっと出張で、移動時間がひたすら多かった、
移動中はひたすら本を読んだりしていた。

ミステリ小説とかを色々読んでいて、最高のミスリード(誤った方向に人を導くこと)
ってのは、”この物語には謎なんて無い!”と読者に信じ込ませること
なんじゃないかと、ふと思った。

ミステリ、推理小説好きな人ってのは普通、書店の”ミステリ”のジャンルとか
”このミステリーがすごい!”とかで選ばれた小説とかを読んだりするんだと思う、
つまり、あらかじめ「ミステリー」っていうジャンルの本だ!という
予備知識の基、その本を読み始める。
同じように、青春小説好きな人は、青春小説のジャンルの本を選び取るし
恋愛小説好きな人は、恋愛小説を好んで買っていく。

恋愛小説には、予定調和的に男女(そうでない場合もあるけど)の恋の
話が出てくるし、青春小説には10代のティーンネイジャーとかが登場する。

誰もが、それを知っていて、それを期待して買っていく。
以前「人がミステリ小説に求めるもの」にも書いたけれど、
人はミステリには、どういう形にせよ「謎がある」そしてその謎が
終盤で「解き明かされる」というものを期待しているのだ。

人は基本的に、奇抜なものを嫌う、
期待したものを、期待通り届けてくれるものを望んでいるからだ。

ただ、ミステリに限らず(ミステリというジャンルでは特に顕著だけれど)、
”(いい意味で)期待を裏切って欲しい”という矛盾した期待を
読者は持っている。
ここら辺のさじ加減ってのが、きっと凄く難しいんだろうなーと
ミステリ小説とかを読んでいるとよく思う。

つまり、読者の期待通りに物語を作るって所と、期待をちょっと
裏切るっていうところ。


推理小説とかミステリではよく、読者に真相と違う推理をさせる(予想を裏切る)
ために”ミスリード”が使われる。

シャーロックホームズとワトソンで言う所の”ワトソン”役(探偵の助手)的な
登場人物が、真相と違う推理をして間違った方向へ読者の推理を誘導する
といった感じで使われたりする。
ワトソン役が推理を披露すると(それは大抵間違っているのだけど)、
読者はそれを信じるか、或いは疑うといったことで、推理の方向を限定
されたりするのだ。

こうして読者の予想を”裏切る”方向へ、話を持っていったりする。


自分はそんなに、ミステリとか推理小説は読まないんだけれど、
大抵期待しているものは、自分を”騙してくれる”ことだったりする。

何というか、騙されるのが気持ちいい!っていう感覚。
現実で騙される事は実害を伴うけど、騙されても実害が無いミステリ小説
に騙されるのはすっごく気持ちがいい。

ただ、問題なのは綺麗に騙してくれるミステリ小説ってのは滅多に出会えない
っていうところ。
まあ恐らくその人ごとに、それぞれ”気持ちのいい騙され方”ってのは
違うから難しいのだと思うけれど。


ここ最近、普通の青春小説だと思って読んでいた本が、終盤で
バリバリのミステリだということに気づいて、まんまと”騙された〜”
という気持ちを味わった。
きっとミステリというジャンルの本だと思って読んでいたら、こんなに
騙されたという気持ちは無かったと思う。

本を読む前から”この物語は青春小説”というミスリードにまんまと
引っかかっていたわけだ。
何と言うか、思い込みってのは、恐ろしくも楽しいものだなーという感じ。


こういう意味では、子供の頃ってのは良書に巡り会う事が出来る
絶好のチャンスだったなと思う。昔はミステリとかそんな先入観は全くなく
全ての本をありのままに受け止めていたので、騙されるべきところで
きっちり騙され、感動するべきところできっちり感動していた。

今ではこんな”ミスリード”とかを駆使されなければ、騙されない
という自分がちょっとだけ寂しい。ミステリ小説とかに綺麗に騙されたり
すると、心がまだ無防備だった子供の頃の気持ちを思い出して、
過去の自分の心と繋がったような気分になれたりすることがある。
これがミステリとかに騙されたい!と思う気持ちの正直なところなのかなーと
思ったりする。


書店の青春小説とか恋愛小説のジャンルの本棚に、こっそりミステリを
忍ばせて置こうかな、とふと思った今日この頃。

hontoni_jikannomuda at 21:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!勝手で雑多な考え 

2007年02月02日

科学と非科学

科学と非科学というタイトルで、
<理系白書>の新連載が開始された。

昨今の捏造問題やら、ニセ科学やらが横行しているのを受けての企画だろう。

捏造問題に関しては、騙された!と思う人も多いのだと思うけれど。

ニセ科学に関してはこれが、何で世間でそれほど問題になるのか自分には
よく分からない。

なぜなら、世間でニセ科学と言われてるものってのは、
”論理的に考えたらどう考えてもおかしいもの”ばっかりだからだ。

理系白書の記事によると「波動ビジネス」なる怪しげなものも、流行っているとのこと。

>実際、各地の消費生活センターには「波動水を飲むと花粉症が治ると
>いって売りつけられたが本当か」などという相談も寄せられている。

といった話やら、どうやら何となく科学っぽい話に騙される。
というような、事が問題らしい。

しかし、よく分からないのは記事の最後の方でもふれているけれども、
少し考えれば、明らかにおかしいと分かるのに、本当に自分で考えたのか?

というところ、別に科学っぽい用語が使われていようと、じゃあ上の記事
でいってる波動って何?とか波動水って普通の水とどこがどんな風に違うの?
って疑問を持って、それに関して自分が納得できる答えがないなら、
信じる根拠なんて全く無い。
自分が理解できず、納得もできないものを信じられるっていう気持ちが
自分にはよく分からない。


と色々と書いてきているけれども、別に自分はだからといって、論理的に考えて
自分で判断を下して、こんなものに騙されないようにしよう!
とか主張するつもりは全然無い。

むしろ、個人的には”論理的な判断”が絶対に正しいとは思っていないので、
感情的に何かを判断するのはそれで、結構なことだと思う。
”論理”なんてのは、物事を必ず正しいものとそうでないものに、分けられるという
傲慢な仮定というか(公理というか)を土台に作られたものだし、便利だけど
絶対的なものではない。


なのでここで問題なのは、論理的に考えたら明らかにおかしいと自分で
判断できることなのに、それでもそこに論理ではない何か感情的な訴えを
感じて、その商品なり、その話を信じたにもかかわらず。
「論理的に考えてこれは嘘ですよ」みたいに専門家がちょっと言っただけで、
「騙された!」とか言ってる人たち。

信じたなら、最後まで信じ抜けば良いのに。

専門家が何と言おうが、本当に信じたいなら信じればいい。
例え、それで高額な商品を買わされる羽目になっても、本人がそれで
満足なんだったら別にそれでいいだろう、と個人的には思う。

問題なのはやはり、最初に自分でよく考えていないというところなの
だと思う。もちろん捏造問題みたいに、嘘の情報を与えて騙すというもの
ならば話は別だけれども、完全な嘘ではなくて怪しい情報に騙される、
という問題は、自分で考えて論理的にせよ、そうでないにせよ、
自分が完全に納得したものだけを、受け入れるようにする。というスタンス
だけで解決できるものだと思う。

hontoni_jikannomuda at 21:32|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!勝手で雑多な考え 

デブリ

そういえば、ちょっと前だけど。
中国が軌道上の衛星をミサイルで破壊した、みたいなニュースがあった、
さらに、その破片が国際宇宙ステーション(ISS)にぶつかるかも知れないとの事。
<毎日インタラクティブ>
<読売新聞>

うーん、やってくれたね、中国って感じだ。
たかだか数十センチの破片と侮ること無かれ、秒速数キロメートルのスピードなので、
船外活動とかしてる、宇宙飛行士に当たったら確実に、大変なことになる。

というかそうでなくとも、そんなものがISSに当たったらと考えただけで……
一体いくらの損失になるんだろう……

そういや、宇宙デブリ(ゴミ)の研究とかやってる知人がレールガンを使って
デブリの衝撃とか、デブリの衝突に耐えうる材質の研究とか色々やっていたなー
ということを思い出した。

間近でレールガンの発射(空砲しか見たことないけど)を見ると
こんなもん当たったら確実に死ぬなーと思う。
デブリが金属板にぶつかった時のとか、レールガンのあけた穴を見てると
実際すごいことになりそうなのが実感できる。

しかも、高高度では減速する事がほぼ無いから、永遠に宇宙空間を漂っているのだろう。。。
デブリはペリジ(近地点)200km、アポジ(遠地点)3500kmの極軌道らしい。
是だけ低高度の場合は、大気とのドラッグとかで減速されて
落ちてくるのだろうか?
どうなんだろう?

国際宇宙ステーションとか400kmくらいのかなりの低高度、円軌道なので
他にはぶつかりそうなデブリってないんだろうなー、多分。
デブリの殆どは静止軌道にあるんだろうし。。。

hontoni_jikannomuda at 01:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!宇宙トリビア 

2007年02月01日

ここ数日

毎日、毎日、何かの締め切りに追いやられて、ゆっくり眠る暇も
なかったけど、ようやく一区切り。

研究室のM2(修士2年)も修論提出し終わったみたいだし。

いろんなことが、一段落。
まあ、去年に比べればそれほど忙しいってほどではないけど、だからこそ
もっと研究しっかり、しないとならないなー、と思った。

締め切りに追われるたびに、自分の研究計画の稚拙さが思いやられる。
もっちょい、しっかり、痒いところに手が届く計画を練らねば。。。

hontoni_jikannomuda at 01:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!日常 

2007年01月29日

そういえば。。。

セレーネ、「月に願いを!」キャンペーンが延期された。
<毎日インタラクティブ>

火星探査機のぞみの時は、28万通の応募。
小惑星探査機はやぶさの時は、88万。

そして今回100万の応募を目指しておきながら、結果は5万。。。

オイオイって感じだ。

広報は、前より頑張ってたみたいだけども、何でなんだろう?
”のぞみ”の時なんてインターネットすらなくて、はがきでの応募だったのに……
それでも28万だったのに。

やっぱ惑星探査じゃないとダメなのか?
月探査なんて、今更って感じなんだろうか?
それともJAXA(旧NASDA)式の広報が間違ってたのだろうか?
旧ISASの頃の広報の方がマシだったんだろうか?

疑問は尽きない。

hontoni_jikannomuda at 19:17|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!

2007年01月26日

虚構と現実

作家の森博嗣さんのブログを見ていて、”現実逃避”という記事があった。

この記事では試験や何かの前日に、小説や漫画を読んだりして、
やるべきことからちょっと目を逸らしたりすることは、それを続けているうちに
もはや現実逃避じゃなくなっていき、試験前に逃避するという行動が
もうその人にとっての現実になってしまう、というような話が書いてあった。

似たようなことを昔考えていたなーとふと思い出したりした。
(まあ、人が思う考えなんてどんなものでも大抵似ているものだし、
オリジナリティー溢れる考えなんてほぼ存在しない。)


昔よく考えていたのは小説にしろ漫画にしろなんにしろ、現実の多くの部分を
それが占めているならば既にその虚構は現実なんだ、ということ。

まあ当たり前、といえば当たり前の事かもしれないけど……

それ自体はフィクションなんだけど、そのもの自体を強く意識して実際の
現実生活に影響を与えるようであったら、それはもはや現実逃避どころか
そっちの虚構の方を現実って言ってしまった方が良い。
(我思う、ゆえに現実ありって感じですかね)

虚構と現実の境界なんて結局そんなもんだ。

作り物の世界だろうと何だろうと、自分が信じた世界が即ちその人にとっての
現実の世界なんだろう。

バーチャルリアリティだろうと何だろうと、それを本物だ
と心から思えてしまうなら、いわゆる”現実”なんて必要ないのだと思う。
(映画マトリックスの世界みたいなもんですかね、まあそれを
ホントに現実だって思えないから、問題なわけなんですが……)

にも関わらず、社会は虚構のことを”現実”とは決して呼ばないし、
虚構に捕らわれることを、現実逃避とか、現を抜かすとか呼んで現実世界
というものをはっきりと定義しようとする。

何でなんだろう?


恐らく社会という機構を維持するためには現実という世界をはっきりと
定義し、それに対する正反対の位置に、虚構というものを置いたほうが
有利なのだろうなー、何て思う(少なくとも今の社会においては)。
虚構はあくまで現実を補佐するという、立場においてのみ存在を許される
社会なのだろう。

まあ”道徳”という、社会のための道具と似たような(或いはそれに含まれる)ものなのだと思う。


でも昨今の情報化社会の進んでいく先を考えると、ふと
「そのうち虚構を現実と呼んで憚らない世界が、やってくるのではないのかな?」
と思う事がある。

全てがネットワーク上で事足りるような、社会が訪れたとしたら、
そうなったときには、或いは現在の虚構と現実はその立場を入れ替えてしまうのかもしれない。

いまの社会はそういった変化に対して警鐘を鳴らしている。
でも、別に変わるなら変わったで、いいのではないかな?と思う。

変化を嫌うのは大人だけだろう。
”別にいいのではないかな?”と思う人が増えていけば行くほど、
そんな社会が”現実”になっていく。

hontoni_jikannomuda at 00:28|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!勝手で雑多な考え 

2007年01月24日

グーグルさん

NHKスペシャル|”グーグル革命”の衝撃

本放送を見たかったのだけど、所用で見れなかったので、
今日再放送でやっていたのを見た。

グーグルといえば、もうずいぶん前の事だけど
月の地図”google moon”と火星の地図”google mars”
が話題になったことがあった。

さらに、google earthの拡張で”google jupiter””google saturn”
何てのもあるみたいだ。
(というのも、あるかなーとか思って今グーグルで検索してみたら
出てきただけなのだけど)

何というか、googleマップが最初に登場したときも、あの動きの凄さに感動したし、
そしてgoogleマップが出るやいなや、月とか火星のマップまで作っちゃうってとこが
「やるなー、グーグル」って思ったものだ。
(何か当時”月に行く人募集”みたいな変わった求人広告とかもあった気がする
<英語だったけど>)

今回のNHKスペシャルでは、もうグーグルの検索の上位に出ることが
ビジネスの勝ち組!みたいな話だった。
確かにあの、欲しい人に確実に欲しい広告を届けるみたいなシステムは
凄いな、と思った。

昔、ワンクリック十数円とか聞いたときは、”クリックした人が必ず商品
買うとも限らないしそんな高くちゃ、あんまり広告申し込まないだろう”
とか思っていたのだけど、今日のを見たらそんな心配は全然ないみたいだ。
どれだけの人がクリックして、そのうちどれだけの人が商品を購入して
どれくらいの売り上げがあったのか?とかそういうデータが簡単に
すぐに手に入るのだから、企業側も見通しが立ちやすいのだろうと思う。

人気検索ワードの広告はワンクリック5000円とか凄い値段だったし、
そりゃ儲かるわけだよね、グーグルさん。


調べられる側とは逆に、調べる側の心理としても、
自分自身、調べ物ではひとまずグーグルで検索してみるって事が多くなってるし、
グーグルの検索で上位に載るサイトを、何となく信頼しちゃうって価値観が
広まっている事には頷けるものがあった。

ただ、恐らく”日本語”ってのがネックになってるのだろうけど、まだ
日本ではそれほど欲しい情報がきっちり、検索結果に表示されるという事もない気がする。
特に専門的な知識を必要とするものに関しては、情報は薄い。

アカデミックな世界での、よく使われるプログラミング関連の情報とか、
データの解析の手法とか調べたりすることがあるけど、汎用的なものは
あっても、専門的なものや特殊なものは中々見つからない(まあ当然か)。

グーグルに聞いても分からないとき、あー、これって専門的なことなんだな
とよく思ったりする。


ただ、最近特に思うのはこういう
”人に聞くより、取りあえずグーグルに聞いておけ!”的な
価値観って、特にネットの世界では横行しているような気がするけれど、
これって必ずしも良いことばかりじゃないなと、思うことがある。

つまり、”とにかくすぐに人に聞くという能力”が衰退するのではないかという事。

何だかんだいって、社会で生きてれば人に聞かなきゃ絶対に分からないような
ローカルなルールとか情報とかは結構多いわけで、聞けばすぐに分かるような
事を聞かないで、無用なミスを増やすという事にも繋がるのではないか?
と思ったりする。

人に聞く前に、ひとまず調べるということは大切ではあると思うけど、
調べて分からなかったら、すぐに分かりそうな人に聞くという事もまた
無用なミスを避けるためには必要な気がする。

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