2006年09月05日

はじめから読み終わりまで、世界はフィフティフィフティだという僕自身の信念を映し出した結果になるように予想していたし、やはりエンディングはそうなった(やや偏りはあったが)。
世の中にいいも悪いもなく、死んでいい人間とよくない人間がいるわけでもない。
しかし、それが世界の表に書かれた真実だとして、裏に書かれたもうひとつの真実、死んでいい人間がいる、ということも否定しきれない。
僕は松田ではないが、キラは好きだし、ある意味では間違いではなかったと思う。

世界はあらゆるバランスの取れない状態で成り立っているが、すべてを差し引きすれば50/50だと思う。
それを認めてしまうことは良いことではないらしいが、たしかにそうなのだから、そうとしか言いようがない気もする。

この漫画は大衆に向けてもっともらしい「偏り」を見せているが、どこまでいっても世界は50/50だと伝えてくれる、小説をある意味では超えるかもしれない世界観を持っていて、思ったより感銘を受けました。

読んでない人にはなんのこっちゃ分からんかもしれませんが。



(03:05)

2006年07月13日

なんだかいくつかのブログを見ていないうちに、レベルが上がったような気がするのただの気のせいでしょうか。
まぁ極東ブログと海難記のたった二つを見て言ってるだけなんですが。
二つとも見ないうちに密度が濃くなったというか、論旨がはっきりしたというか。
それとも自分が少しは物分りが良くなったということなんでしょうか。
いずれにしよ、すごく刺激される出来事です。

(01:29)
7/30まで、東京国立近代美術館では、吉原治良さんの「円」シリーズをはじめとした、彼の様々な時代の絵画が展示されています。

描かれた内容よりも、フォルムよりも、絵画の物質性そのものを重んじたという彼の作品群。
初期の写実的な絵画から抽象に移り、戦時中にいろんな事情から写実に少し戻りながら、完全な抽象へ、さらにはその先へと突き進もうとした彼の絵画の変遷を見ることは、芸術的な感性を刺激もし、また自分自身への変遷についても思いを馳せさせるきっかけとなるような気がしました。
藤田嗣治に「他人の影響がありすぎる」と言われ、「人の真似をしない」ことに決めたという彼の、独自の世界観は素晴らしいです。
「円」シリーズにおける、絵の具の盛り上がり、フォルムの美しさにはホレボレするばかり。

いくつかの「円」を完成させた直後に急逝したという吉原治良氏の筆も、珍しくかなりすいている館内で、ゆっくり見て回ることができます。


(01:01)

2006年07月06日

今年の自分の誕生日に、ゴダールの『映画史特別編 選ばれた瞬間』が上映される。

「選ばれた瞬間」とは

この事実をどのように受け止めればいいのだろうか。
何かの天啓だろうか。

おおげさではなく、こういうことがあるときは、必ず何か起きる。
少なくとも、何かが起きる準備をしとかねば。

(01:51)
・誰かと誰かが憎しみ合う状況にあって、あえてフィクションを演じることによってお金を得る(または観客がお金を払う)ことの大切さを訴えた作品。
・是枝映画におけるカメラは、運動を切り取ろうとするよりは、いかにそのカメラ自身の存在を透明なものにするか、ということを追求しているように見える。また、意図的ないわゆるわざとらしい演技といったものも、周到に回避されている。フィリップ・ガレルの映画に似ていると言えなくもない。自然体。

前者の誰かと誰かが憎しみ合う状況。
吉良と赤穂浪士の関係をアメリカとイスラム世界だとすれば、岡田准一と浅野忠信の関係は日本と北朝鮮とか、仮想敵国とかになったりするのだろうか。

短くて、御免。

(01:19)
映画版『ダ・ヴィンチ・コード』を鑑賞して思い直したことは、やはり映画は読み直しがきかないものだということ。
この映画のように多くの情報をつぎ込みすぎ、かつ完全なミステリー仕立てにしてしまえば、受け手は頭がパンクしてしまうだろう。
本ならば、それを読み直すという行為を経て、ある程度まで咀嚼することが出来るのだけれど、映画ではそれは不可能に近い。
この作品を映画としてだけ観た人の中には、なんのことだか分からなかった人がたくさんいたに違いない。

それより気になるのは、この作品からやる気のようなものを感じられなかったこと。すでに本として世に出ている作品を、映画として面白くするためにはどうしたらいいのか、そのノウハウはロン・ハワードのレベルならある程度分かっているはずだが、今回の脚本はひどかったと思う。
もちろん映画のために書き直された部分もあったと思うが、それよりも宗教的な理由で改変されたと感じる部分のほうが多かった。
小説のほうでは、ラングドンは、キリスト教の本当の歴史について、サー・リーと多くの部分を共感しあっていたはずだが、映画版では、ラングドンがリーにやたら反対しているのが目に付く。
しかも、ラングドンほどの知識を持った人でも、知らない文献がたくさんあったというような表現の仕方だ。
たしかに、ラングドンが反対することによって、真偽のほどが疑わしい部分もある原作における真実から、うまくバランスをとっているように見える。
しかしどうせ変えるのなら、もっと変更すべき点がたくさんあったと思う。
宗教的な部分に気を回しすぎたせいか、細かい部分で、構図や映像のつながりがかなり不明確になってるところも見受けられた。


ともあれ、『ビューティフル・マインド』がかなり面白かったゆえ、また『アポロ13』『シンデレラマン』などの捨てがたい作品がいくつかあるために、ロン・ハワードを全面的に非難することもできず。
映像だけ見れば、キリスト教についての細かい部分は伝わらなくとも、何が起こっているということはそんなに伝わりにくくなかったのではないか、と平均点でお茶を濁します。

(01:02)

2006年07月05日

データベース型の人間と考える人間
前者は外部から手に入れた情報を蓄積しているが、その情報について語ることしかできない
後者は外部の情報から自分固有の考え方を導き出すことができる


大きな違いだ。

(01:05)