お久しぶりです。参院選から4週間弱

2019年06月13日

ただの感情の高ぶり

ここ数日は仕事が落ち着いたと思ったら、またしばかれてしまった。

まあ、あの人は口が悪いのはおれが特別に出来が悪いからではない、
と信じて進むしかない。

心配なのは、あの人がおれの査定の採点者になったら、
気絶するような点数を付けられるかもしれない、
というリスクぐらいだ。
いくら何でも、おれの会社に「あいつをクビにしろ」だの「他の人をよこせ」だの、
クレームを入れてくる、ってことは無いだろう、多分。

さて、先月の話になるが、川崎の登戸駅前で凄惨な殺人事件が起きてしまった。
しかも、犯人は犯行直後に自殺してしまい、
犯人の動機などは分からないことになってしまった。

しかし、この事件の直後に「死ぬなら一人で死ね」という言葉が問題になり、
論争になった。

まず、この言葉が問題であるのは、
あくまでも「(犯人は、どうせ)自殺するつもりなら、(殺人してからではなく)、
一人で死ね(ばよかったのに)」
という意味だろうけども、

当然ながら、死んでしまった犯人には届かない。

そして、本来なら死ぬべきでない人、例えば無職でひきこもりで自殺未遂を何度もしていて
苦しい思いをしている、そういう人に届いてしまう恐れがある。

だから、そういう言葉はよくない。

そもそも、あらゆる人間には生存の権利がある。また、生存の義務がある。
「一人で死ね」という言葉はその権利や義務をないがしろにする、
極めて残酷な言葉だから、使うべきではない。

但し、原則には例外があって、
「他人の生存の権利を奪う人」つまりは、「無差別に他人を殺す人」については、
死刑という形で生存の権利が奪われるのもやむを得ない。

おそらく、この事件の犯人は生きて捕まっても死刑になる可能性が高かっただろうから、
犯人個人に対しては「一人で死ね」と言うのは仕方がないと思う。

でも、そういう言葉って、そもそも「議論」なの?
残酷な事件にショックを受けて、思わず出てしまった、
許可局用語でいう「脳のおなら」じゃないの!?

昔、おれが中学生ぐらいの頃か、
ある殺人事件の犯人が逮捕された、というニュースを見た。
その時におれは、思わず「犯人と、その家族もろとも殺せ!」
ってつぶやいてしまった。

今だったらtwitterとかブログとかに書き込んでしまったら、
人によっては炎上するだろう。

残酷な事件を見て、思わず過激なことが漏れてしまった、
ということはあるだろうし、
本気で論として「一人で死ぬべきだ」と主張し続ける人は、
どれぐらいいるのだろうか。

一般人ならともかく、ネットの書き込みが注目を浴びやすい人は、
注意しなければならない。

そして、思わず過激なことが漏れてしまっただけの人を、
責めたり過剰に批判するのは、不毛なので止めたい。

世の中には情報が溢れている。刺激的な情報も多い。
刺激に慣れ過ぎて、またさらに刺激が欲しくなり、
つい過激な言葉の嵐に出くわしてしまう、
ということになっていないか、

刺激的な情報よりも、本当に自分に大事なことは何か、
考えてネットの海を泳いでいきたい。




hope_nullpoc0710 at 00:11│Comments(0) 今日の雑感 

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