YUSUKE's NOMNOM

堀江裕介のブログ

君が生まれてくる予定の日は、2017年の10月27日でした。

ママもパパも、君がママのお腹にいるのがわかった時は、それはもう、それはもう嬉しくて嬉しくて。

2017年の3月のことでした。

ママは2016年の年末に留学先のドイツから帰国したばっかりで、その時まだ大学院生だったから、悪阻を抱えながらの卒業式だったんだ。
パパも一緒に大学に行って、自分が卒業した時以来の卒業式に出席したんだよ。

帰りに新しくできた長久手のイオンに寄って、2人でママが大好きな小籠包を食べました。

大学院を卒業してからは、ほんとはパパがやらなきゃいけない町内会長の仕事をしてくれながら、5月に控えたソロリサイタルの準備に追われていました。

練習したいのに、悪阻が酷くてできない日々は本当に辛そうだったけど、本当によく頑張ってた。

本番の日は、ちょうど君がお腹に宿ってくれてから、5ヶ月目の日でした。

それは素敵なピアノを弾いたんだよ。
君は同じステージにずっといたし、パパも一曲出演させてもらったから、親子3人でステージにいたことになるね。

少しくらい覚えてない?

妊娠5ヶ月目になると、一応安定期という時期に入るんだけど、今度はママ、赤ちゃんが成長しきる前に産まれてきてしまいそうになっちゃう、切迫早産というのになってしまったんだ。

夏くらいから少しお腹が痛くなることが多くって、8月22日の夜中、どうしても痛いからってすぐ病院にいったら、即入院だって。

その日から、トイレに行く以外はベッドで絶対安静の1ヶ月半。

パパも出来る限り毎日病院に行ったけど、何もできない、寝てるだけというのは想像以上に辛そうで、でもママは君がちゃんとお腹の中で成長して、正しい時期に産まれてきてくれるよう、本当に頑張ってた。

10月の初めにようやく無事に臨月、正産期というのに入ることができて、ママは退院、いよいよ君が本当に産まれてくる日を待つことになったんだ。

それからは、君がお腹にいる最後の日々だから、早く会いたいのはもちろんだけど、君がお腹の中でどんな姿でいるのか、どんなこと考えてるのか、君が動くたびにママのお腹が出っ張ったり、引っ込んだり、これは手かな、足かな、なんて、毎日を愛おしむように過ごしていました。


10月18日の夜中3時くらいに、ピアノを練習していたママは、お腹が痛いかもって。

朝になって、やっぱり収まらないから、病院に連れてってって言うので、大急ぎで準備して病院に行ったんだ。

最初は病院の助産師さんも、まだかなーって言ってたんだけど、そうこう言ってるうちにどんどん陣痛の間隔が狭くなってきて、急遽お産室に入ることになったんだ。

パパは一回お家に帰ってお風呂に入って洗濯をして、病院に戻ると、ママは既に大きな陣痛と戦っていた。

君が生まれる準備にもう入っていたんだ。

パパはママの背中をさすったり、腰を押したり、枕元に座ってママの手を握っていたりしたよ。

数時間するとママは、パパが一生想像もできないくらいの物凄い痛みに耐えながら、パパの手や膝を思いっきり握るようになったんだ。

パパ、本当に骨折するかと思うくらい、物凄い力だったんだよ。

そんなママを見てたら、パパ涙が出てきちゃって。
でも痛くて辛くて苦しいのはママなのに、ママの前で泣いちゃいけないと思って、何度も横を向いてハンカチで涙を拭いてた。

ママのとてつもない逞しさ、もうすぐ君に会える途方も無い喜び、そしてパパの絶望的な無力さに、ただただ涙が出るしかなかった。

だんだん助産師さんたちが慌ただしくなってきて、病院の先生が部屋に入ってきた。

そろそろなんだって、思った。
ようやく、本当に君に会えるんだって。

何度も何度も助産師さんたちがママに、いきんで、とか、力抜いて、とか大きな声で叫んでた。

大きな声じゃないとママにはもう届かなかったんだ。

ママはどんどん痛みが強くなっていってるみたいだった。

もう、ママ痛くて死んじゃうんじゃないかって本気で心配になった時、助産師さんの手が君を持ち上げたんだ。

13:58だった。

君の顔が見えた瞬間は、言葉では言い表せない感動で、もう涙はこらえることはあきらめたよ。

君も、ママの胸の上でたくさん泣いてた。
赤ちゃんって本当に、オギャーって泣くんだね。
パパには、ママ頑張ってくれてありがとうって叫んでるように聞こえてきたよ。

ママはとっても幸せそうな顔で、小さな小さな君の頭と背中にそっと手を添えていました。


パパは、13年前、25歳の時にパパのママ、君のおばあちゃんを病気で亡くしたんだ。

その時からいくら時が経っても、パパは家族という言葉に、温かさと共に、深く暗い寂しさをずっと感じていたんだ。

でもね、ママと出会えて、そして君が産まれてすぐママの上でママに抱かれているのを見た時、家族って、やっぱ圧倒的に温かい言葉なんだって思えたよ。

パパのママが、君を通じてそう教えてくれてるような気がしたんだ。


君の名前は凰禾です。

凰は、聖人が現れた時に大空を舞うと言われる伝説の雌の鳥です。
禾は稲や穂などに使われる、穀物を表す字です。

地面にしっかり根を張りながら、周囲の人たちの糧となり、自由に大空へと羽ばたく人になっていってくれたらと、願いを込めました。


凰禾が元気に産まれて来てくれたこと、それは当たり前ではなく、やはり奇跡です。

数え切れないくらいの多くの愛が、パパとママ、そして凰禾を守ってきてくれました。


いつか、パパ大好きって言ってくれるかな。

いつか、パパなんて大嫌いって言われるだろうな。

いつか、パパありがとうって、言ってもらえるようにならなきゃな。


凰禾、ママとパパに大きな幸せをくれて、本当にありがとう。


堀江裕介

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2017年8月26日(土)
Meiwa WIND Group Spin-off Concert Series
"SAX make SUMMER!!"

明和高校音楽科卒業生による管楽合奏団を2011年に発足し、小さな編成からスタートしたものの、毎年コンサートをしているうちにいつの間にかとても大きな編成の曲まで演奏できるようになっていた。

編成が小さかった頃は小編成のアンサンブルをコンサートの中に組み込んでいて、今もそれは変わらないが、段々メンバーが多くなるとやりたいことも増えてくるため、昨年からスピンオフコンサートとして本編からはみ出すこととなった。

本編でできないことだけではなく、スピンオフだからこそできることを、幅広く、たくさんのメンバーがMeiwa WIND Groupを背負って自由に活躍して欲しいと思っている。


今回はサックスだけのコンサート。
もちろん僕も一緒に演奏させてもらった。

最初に教えた人から、今の現役1年生まで。

1年生の中には、出演メンバーの教え子もいて、僕にとっては弟子でありながら孫弟子でもある。

卒業生一人一人の顔を見ると、自分の13年間が浮かび上がる。

あの頃こんなことを考えていた、こんなことで悩んでいた、こんなことが嬉しかった、こんなことが悲しかった。

すべて彼女たちとと過ごした時間に刻まれていて、顔を合わせ、音を合わせると、時が経ったとは思えないくらい色濃く心に滲んでくる。

中には、今は楽器から離れている人もいる。

楽器は吹いていなくてももちろん、今の自分に一生懸命、立派に生きている。

そんな彼女たち、全員が集まってくれた。
思い返してみても、たぶんこんなに1度に集まったことはないと思う。

リハーサルの時から、"皆まで言わなくても"なんとなくお互いの音楽を理解できるのは、なんとも嬉しく誇らしい。

アンサンブルとは、価値観の共有に他ならない。

演奏しない人も、本当に一生懸命コンサートを手伝ってくれた。
音楽でもなんでも、何かに必死で向き合わなくてはならない期間を必死で乗り切った人は、次の道をちゃんと自分で見つけられるのだ。

彼女たちのことも同じように誇らしく思う。


本番は、手前味噌だが、本当にいい音をしていた瞬間がいくつもあって、感激した。

お客さんにもそれが伝わったのか、嬉しい感想をたくさんいただいた。

そこが1番大切だ。

感傷と感慨に浸ってるだけでお客さんを感動させられたら苦労はしない。


満席のお客さんとこういう生徒たちに囲まれて、僕は幸せだなって思った。

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2017年7月6日(木)
パリ、そして…
松尾葉子愛知県芸術文化選奨文化賞受賞記念コンサート

須川さんの余韻が残る中、僕はすぐ次の本番の準備に取り掛からねばならなかった。

イベールの室内小協奏曲は、フルート協奏曲の副産物のように言われることもあるが、小とはいえ、天才イベールがサックスのために残してくれた名曲だ。

サックスを学ぶ者なら、皆オーケストラとの共演を夢見るだろうし、僕もその1人だった。

松尾葉子先生との出会いは、このイベールだった。

まだ大学院を出たての僕を、今や世界の山田和樹さんが松尾先生にご紹介下さり、セントラル愛知交響楽団のコンサートでのソリストに抜擢して下さった。
と聞いている。(山田さんとの話はまたいつか)

以来松尾先生とは、セントラル愛知交響楽団、愛知室内オーケストラ、また女声合唱団等とも共演を重ねさせていただき、イベールは3回目となる。

松尾先生はキャリアの浅い僕の可能性を信じて下さった、僕にとって、恩師いうのはおこがましいかもしれないが、宗匠のような方だ。

今回のコンサートは先生の受賞記念コンサートで、先生のこれまでの音楽人生で思い入れのある曲がプログラミングされたが、その中にイベールの室内小協奏曲が並んだのだ。

サックスのコンチェルトが普通にプロオーケストラのコンサートにプログラミングされることは、かなり稀なことだ。

音大のコンサートや各種新人演奏会等で取り上げられることはあっても、ピアノやヴァイオリンと比べちゃいけないが、管楽器、特にサックスのコンチェルトが実演されるのは稀有と言うしかない。

こういう指揮者がいらっしゃることは、サックスの未来は明るいなと希望が持てる。

本番は、今までのイベールの中では1番本質に近づけた気がする。
演奏しながら、アドレナリンに酔って、このまま終わらなければいいのにと過ぎった。

終演後、いつものTHE KINOSHITAに妻と訪れると、仙台からコンサートを聴きにきてくれ、ホテルへ帰りしななぜか導かれるように1人でそこにフラッと寄った父と遭遇した奇跡に狼狽えた。

さすがTHE KINOSHITA、なぜか皆集まる。

元名音大学長の盒鏡萓犬函4人で遅くまで盛り上がってしまった。


余談だが、カデンツァに入る時、ふと客席から携帯電話の着信音が響いた。

僕は少し落ち着いて、ゆっくりと用意したカデンツァに入ったが、内心少し焦っていた。
やはり音楽と聴衆の集中力が途切れたのは否めない。
本番終了後、事務局の方が、「カデンツァなんだから、着信音の音マネとかサックスでやっちゃえば良かったのに」と仰った。

なんでも、割とそういう事例は世界に溢れているようで、演奏家のユーモアが客席を和ませているそうだ。

悪いがそんな余裕はない。

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ブログ休止中のいくつかの本番のことを、少しずつ書いてます。

自分の中で大きく節目を感じる本番が多いように感じています。


昨日38歳になりました。

Facebook等でもたくさんのお祝いのメッセージをいただき、本当に感謝しています。

この12〜13日は文化祭の代休でオフだったので、溜まった仕事、溜まった片付けなどをこなしつつ、普段よりも多く妻との時間を持つことができました。

体調も一時期よりは、少しムラはありますが良い時もあり、笑顔が見られるととてもホッとして、嬉しくなります。


今日の午後に急に大きなダンボールがやってきて、中から物凄いものが出現しました。

音楽科3年生のサプライズでした。

このクラスは1年生の時に、大掛かりなバースデーサプライズを計画してくれていたのを、僕の野暮なお節介が原因で全て台無しにしてしまったという珍事がありました。

こう来るとはまったく予想しておらず、やられました。

しばらく2人暮らしです。

サックスの生徒たちからは文化祭中にシュールな企業Tシャツをもらいましたが、なかなか気に入っています。

奇跡的にパンツとの色合いがブラジリアン。

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2017年6月25日(日)
須川展也×アリオンサクソフォンカルテットコンサート

小学校5年生の頃、サックスを始めたばかりでなんの音の指針もない僕を父は楽器屋さんに連れて行った。

そこで買ってもらったのが、須川展也さんのデビューアルバム「Once upon a time」と「Fuzzy bird」、そしてJ.Y.フルモーカルテットの「華麗なるサクソフォンアンサンブルの世界」と訳された3枚のCDだった。

以来僕はこの3枚を本当に擦り切れるんじゃないかというくらい聴きまくった。

須川さんの音は、僕にとってはサックスの音そのもので、須川さん自体がサックスの象徴だった。

仙台のコンサートで生の須川さんの演奏を初めて聞いたのは中学の頃だったが、大興奮で、翌日は学校で生で聞いたラグタイムをCDで耳コピし、その気になって吹きまくったが、決めのフレーズのラレラレの運指でどうしても音が裏返ってしまい、苦悶した。(わかる人にはわかると思う)

それから四半世紀。

僕は愛知芸大を選び、雲井先生の元に言わば留学をしたと思っている。
そこには大きなプライドがある。

しかしどんな言い訳をしても、当時東京藝大に入れなかったのは事実であり、そこにはやはり大きなコンプレックスがあるのは認めざるを得ない。(わかる人にはわかると思う)

でも僕はこのプライドとコンプレックスの2つが、今までなんとか頑張って来れた原動力だったことは確かだ。

須川さんと同じステージに立てた瞬間は、抱えていつつも意識的に目を背けていたコンプレックスが如何に大切だったか、それと共に生きた自分のこれまでの日々が大きく肯定されたような、ミーハーな嬉しさとは違う、純粋な誇りを感じることができた。

本番はもちろん圧巻。
須川さんは、いつだって須川さんで、いつだって大スターだった。

また1つ、節目となるコンサートだった。

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2017年5月5日(金)
名古屋市立大学管弦楽団定期演奏会

大学の卒業試験のあと、ある先生に言われた言葉。

「今日の君の演奏はとても良かったと思うけど、明日もう一度聞きたいとは思わなかった。演奏家になりたいなら、あの人のあの音を聞くためにコンサートに行きたい、と思わせられなければダメだ。」

今でもその時の状況を鮮明に覚えているし、今でも自分の演奏の指針になっている言葉を下さったのは、フルートの寺本義明先生だった。

在学中、先生の辛辣な講評は学生の中では有名だったが、あまりにも的確かつ目から鱗が落ちるような言葉ばかりで、僕は先生の試験講評はいつも全員分目を通していた。
(当時管打楽器専攻試験の成績及び講評用紙は廊下に貼り出され、毎回必ず公開されていた)


今回とあるご縁で名古屋市立大学管弦楽団に所属している方から、アルルの女全曲を演奏するのだけど乗ってもらえないかと相談され、スケジュールだけ確認して気軽にOKしたが、指揮が寺本先生と聞き、ドキッとした。

先生に演奏を聴いていただくのは、あの卒業試験以来のはずだ。

しかも今回は学生オケへの客演。

いつもの客演より、「上手くて当然、完璧で当然、だってプロでしょ」が、消費税分くらい上積みされる。

しかしアルルの女第1組曲、第2組曲を全部一度に演奏できるなんて、プロのオーケストラではなかなか経験できない。

もちろん初めてだ。

リハーサルから本番にかけて、寺本先生は学生さんにまったく妥協のない要求を、秀逸に選択された言葉で訴えかける。

僕にも、プロの客演奏者の立場を尊重しつつも、元教え子へのアドヴァイスを、絶妙に選り抜かれた言葉で下さった。

本当に頭がいい方だとしみじみと、温かく感じた。
先生に、明日またこの人の音が聴きたい、そう思わせるにはまだ修行が必要だが、あの一言は、僕のこれまでの原動力の1つとなっている。

本番は全員が、大好きな音楽を精一杯表現する集中力に満ちた時間で、僕自身もビゼーの音楽をたっぷりと感じることができ、幸せだった。

フルートやホルンとのシビアなアンサンブルも、本番が1番繊細で音楽的だった。

学生さんたちのスキルの高さに正直驚かされた。
アマチュア精神というのは、本当に恐ろしく、貴いといつも痛感させられる。

打ち上げにも誘っていただいたが、翌日飯田で本番があったため、すぐに飯田へ向かった。

きっと音大生とはまた違う熱さの音楽談義で溢れたことだろう。

自分の中で大きな節目を感じるコンサートになった。

今までありがたいことに大きな病気もなく、乳児の時を除けば病院に泊まるようなことはなかったと思う。

ただ一度、朝方に亡くなった母を家族で見送った時、病室で一夜を過ごした。


今僕はそれ以来に、病院での夜を迎えている。

病室には、切迫早産で緊急入院することになった妻がいる。

新しい命を守るため、妻は自分自身と戦っている。

母になるというのはごく当たり前のことではない。

母になるというのは途轍もなく大きな不安と戦うこと。

母になるというのは途方もなく大きな覚悟が必要ということ。

母になるというのはどんな大きな犠牲にも後ろ向きにならない強靭な心が必要ということ。

ここ数ヶ月の妻を見ていて、そう感じた。

病室での夜は、母を思い出すことができた。

絶望という言葉では安っぽくなってしまう時間だったが、今母のことを生々しく感じられることは、純粋に温かい。

しかし、見守り、祈ることしかできないのはあの時と同じだ。


突然ブログの更新を毎日しようと決めてから、約1年と4ヶ月くらい、ほぼ毎日更新してきた。

僕は文章を書くことは好きな方だとは思うが、どちらかというと仕上げるのに時間がかかる。

ひどい時はたった数行の文章に数時間思考を巡らすこともある。

ブログは多くのSNSとは違い、読みたいと思って下さる方が読まれるので、正直に思考の断片をストレートに書けばいいと思っているが、なんかどうしてもカッコつけたがる。

約5ヶ月、ブログを更新していない間、数十人の方々が毎日覗きに来て頂いていたようで、本当にありがたいし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


思考を少し整理しようと思って自分のここ数ヶ月に向き合うと、節目と感じる出来事が本当に多かった。

家族のこと、1つ1つの本番、生徒たち、全てが今までの自分の軌跡を反映しているかのような、ある種の暗示を感じることさえある。

考えることと能動的に感じることは似て非なり、やはりハートに正直に自分を置いておくと、多くのことを感じ、考えさせられる。


時間をいただき、また発信したいと思える欲を頂いた気がする。

まずは自然体で自分の思考と向き合っていきたい。


とにかく、僕は父になる。

やはり当たり前ではない。

あの時と違うのは、母と父に守られた命を賭して、自分にしか守れない命を預かる宿命を背負わせてもらってることかもしれない。

母や、まだ見ぬ我が子から、父としての資質を問われているような数ヶ月を送っている気がする。


世の中のすべての母に敬意を表して。

新年度の喧騒の中、久々にオーケストラでアルルの女を吹くことになったので、リード選びに慎重を期する。

アルルの女は、元々フランスの作家ドーデの戯曲で、ビゼーがこれに劇付随の音楽をつけたものだった。

後に第一組曲と第二組曲にまとめられ、どれを抜粋してもどこまでも美しい旋律に彩られていて、今でも世界中で愛されている。

全編に渡り重要なソロをアルトサックスが担当している曲が多く、サックス吹きとしては一生に一度は絶対オーケストラの中で吹きたい作品。

カラヤン&ベルリンフィルのレコードには、カラヤンが全面的に信頼していたサクソフォン奏者、ダニエル・ディファイエの名前がレコードジャケットにカラヤンとともに列記されている。

あまりにデリケートなメロディは、これぞという正解の音色があるような気がして、僕の音色作りはアルルのソロが美しく歌える音というのがベースにある。

今回はなんと第一、第二組曲全曲の演奏で、これは初めての経験になる。

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新年度がスタートし、早速コンサートのアナウンスです。

明和高校音楽科では、大きなコンサートは年に2回、7月のサマーコンサートと、12月の定期演奏会を開催しています。

サマーコンサートは3年生を中心としたソロのコンサート、定期演奏会は合唱や合奏、アンサンブル、ソロが入り混じる、音楽科生徒全員が出演するコンサートです。

その他にも公開オーディションや公開試験など、一般のお客様の前で演奏する機会をなるべく多く持つようにしていますが、昨年から一つコンサートが増えました。

その名も

子供のためのわくわくコンサート
〜明和高校音楽科があなたの街にやってきたシリーズ〜

長い。

長いけど、本当にこんな感じのコンサートです。

ソロあり、アンサンブルあり、ヴァイオリン体験コーナーありの、盛り沢山になっております。

第1回の昨年は東海市にて、知多出身の生徒たちを中心に。
今回は知立市にて、三河出身の生徒たちを中心にお届けします。

卒業生、太田沙耶さんのゲスト演奏もあります。

子供じゃない人もぜひ!(笑)

入場無料、整理券不要です。

お待ちしております。

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ナゴヤサックスフェスタは、「サクソフォーンフェスティバル in 名古屋」というタイトルで、僕が大学4年になる春に初めて開催された。

ヤマハ主催で、まだ若手だった遠藤さん(失敬)たちを中心に、アマチュア演奏家の方々も30人くらい集まり、雲井先生の指揮で県芸の学生も入り、演奏した。

今と比べればこじんまりとしたスタートだった気がするが、こんな大きなイベントに成長している。

おそらく今回が15回目。

もう実行委員会には自分が教えた人達が複数所属し、運営に携わっている。

自分は実行委員会から離れて久しいが、客観的に見られているからこそ、サックスに馴染みがない方もお楽しみいただけるイベントだなと感じている。

アマチュア選抜オーケストラの皆さんとも、今日が最後の練習となった。

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