YUSUKE's NOMNOM

堀江裕介のブログ

先日の記事、0歳からの本格クラシックは、長久手でも行われる。

今日はその打ち合わせだったが、豊川と大府公演とは一味違ったチラシが出来上がっていた。

なんか似てるか似てないかはさておき、嬉しいですね!

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夏休みの中で唯一の学校の出校日。

久々に生徒たちの顔を見た。

学校は完全に学校祭ムード。

いたるところでマスゲームの練習、劇の練習が繰り広げられている。

音楽科3年生も例に漏れず、朝7:30から劇の練習に精を出していた。

実は室長から出校日は7:30から練習をしてるから顔を出してくれと言われていたが、でもまさか7:30に集まらないだろと思って7:45くらいに顔を出したら、大半の生徒がすでに全力で練習に加わっていた。

反省。

劇長の檄が飛んでいる。

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オフの1日。

この夏、いろいろあった。

生徒には、とにかく計画的に過ごせと豪語して突入した夏休み。

果たして自分は達成してこれたのか…

実は今日もいろいろと溜まっていたのだが、半分くらいしかできなかった。

「その日決めた予定は、できるまで寝るなよ」

自分の言葉に耳が痛くなる…


先日の三國のリサイタルでの打ち上げでの写真。

20期以上の幅のある愛知芸大サックス専攻生たち。

自分の弟子だった人もいれば、教えたことがある人の弟子までいる時代。


んー、どうしよ。

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帰国してから、やはり時差ぼけなのか、昼間眠い…。

実家では、朝食を食べた後に急な眠気に襲われ、優雅に昼寝を決め込むこともあった。


しかし、こちらに戻ればそんな時間はなく、ちゃんと仕事しなきゃならないわけで・・・。


そこで試してみたのが、RedBull。

これが、異常に効くのだ。


夜眠くならない!


合宿中は、朝早く、夜は遅くなるが、最後まで元気でいられる。


だがこれはバッテリー切れの体を誤魔化して鞭打っているようなもので、健康的ではないことは体がなんとなく教えてくれる。


いかんね。


RedBullって、直訳すると、赤ベコ!?

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合宿3日目。

午前中にジャズサックスプレイヤーの平井尚之さんに下呂までお越しいただき、ジャズサックス講座をしていただいた。

アリオン合宿10年目、外部講師の単独講座は初めての試み。

中学生から音大生まで、最後にはみんなアドリブしちゃってるじゃないの!

素晴らしい!

「即興的」というのは、決してジャズだけのものではない。

楽譜を持ち、楽譜通りに演奏しなくてはいけない我々も、本番は「即興的」に演奏しなければならない。

その余白を持っているのと持っていないのは、だいぶ違う。


合宿は終わった。

我々にとっても、受講生にとっても充実した3日間だったと思う。


昼食を失礼して、急いで愛知の自宅に戻り、ドルチェ楽器へ。

大学の後輩、三國可奈子のリサイタル。

アンコールへ友情出演させてもらうことになっていた。


三國とはもう10何年ぶりの共演となった。

お互い成長はしていても、芯の部分って変わってない。

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合宿2日目。

受講生は午前、午後とひたすらレッスンと練習に明け暮れ、夜は試演会となる。

場所は下呂市交流会館。
とても立派な練習施設付きホールなのだ。

たくさんの音大生や高校生を一定期間にまとめてレッスンしていると、うまくいっている時といってない時の共通項が浮かび上がってくることがある。

これは自分にとっても大チャンスで、どうしたら克服できるのか、講師陣で様々な情報を共有し合い、試行錯誤を繰り返す。

うまくいった時にはそれを共有できる人が何人もいるため、喜びも数倍になる。

情報量の多さと人の多さが実現している合宿ならではだ。

今年は僕の中で、姿勢と重心が大きなテーマとなった。

試演会では、昼間できなかったことを早くも克服し、本番で発揮している受講生が多く、これもレッスンと練習時間の多さと本番が凝縮されている期間だからこそ生まれる奇跡かもしれない。

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アリオン門下生合宿が始まった。

いったい今まで何人がこの合宿に参加したのかわからないが、初期の参加者の生徒たちが今参加者となっていたりする。

10年というのは、やはり一時代の長さがある。

今日のレッスン室は、訳あってこんなところです。

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修学旅行みたいです。

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終戦記念日。

この一年、なんだか戦争をするかしないかということが争点になりそうな時期があり、いろんな選択肢がある上でも戦争だけはもちろん反対というのがまず全国民の意思であることが大前提での議論というのは、当たり前ではなかったのかと驚くこともあった。

数年前、修学旅行の引率で鹿児島、知覧にある特攻平和会館に伺った。

知覧には、音楽を志す若者が心を絞られる物語が残っている。

ネットから拾った文章だが、何度読んでも涙が流れる。


・・・・・・・・・
今から20年ほど前、佐賀県の鳥栖小学校の体育館に一台の古びたピアノがあった。
音もでず子供達が投げたボールなどもあたり危険なため廃棄が決まった。
それを知った一人の女性教諭が教頭に語ったピアノにまつわる話は、思わぬ波紋を広げてゆくことになった。

この女性教諭の証言をもとに、テレビのドキュメンタリー番組が作られ、さらに「月光の夏」が1992年に映画制作される。

太平洋戦争の末期1945年5月、鳥栖国民学校の音楽の教師・上野歌子は校長室に呼ばれた。

校長室に入ったとき上野教諭は、校長と教頭の他に、首に白いマフラーを巻き飛行服姿で立っている2人の青年を見つけた。
 

直立不動のまま、背の高い方の青年が話した。
「先生、ピアノを弾かせてください。私は上野音楽学校ピアノ科の学生です。私たちは、学業半ばで卒業となり、一度も演奏会を開くことなく出撃します。このまま死ぬのは残念です。死ぬ前に、もう一度だけ思いっきりピアノが弾きたいのです。」

当時、全国のほとんどの小学校には、オルガンしかなかったが、この鳥栖小学校には、ドイツ製のフッペルという名器のグランドピアノがあったのである。

グランドピアノがあると聞いて、2人の青年は、長崎線の線路を三田川の目達原(めたばる)飛行場から、3時間以上(12勸幣紂砲了間をかけて歩いてきたのである。

特攻隊員にとっては、生きている一刻一刻が何物のにもかえがたいものであった。  彼等は、最後にもう一度ピアノが弾きたいという一心だけで学校まで歩いてきたのだ。

2人話を聞いた上野教諭は残りの時間を、1秒でも長くピアノを弾かせてあげたいと2人を音楽室に案内した。
 

上野教諭は何か楽譜はないかと聞かれて、走るように職員室に戻り、一冊の楽譜を持ってきた。
楽譜にあった「月光」は、まるで青年の運命を知っているかのようであった。

彼の音楽学校での専攻はベートーベンだっからである。

彼は「月光」を弾き始め、もう1人の青年が楽譜めくった。
上野教諭は、1つ1つの音をしっかりと耳にとどめ、心に刻んでおこうとした。
そして、この曲が永く永く続くことを祈る思いであった。

しかし、上野教諭の思いも届かず「月光」の曲は終わってしまった。

たった1人の聴衆である上野先生は、何百人何千人もの拍手のつもりで、手が真っ赤になるまで拍手を続けた。

「月光」の演奏が終了し、2人の青年が音楽室を去ろうとしたとき、上野教諭は、この2人と短い時間を共有した証を残してあげなければと思い、その教室に飾ってあった白いゆりの花を胸一杯に抱きかかえて2人に渡した。

上野教諭から思い出にもらった花を胸に抱き2人の青年は、再び線路伝いに戻っていった。
何度も何度も振り返り手を振りながら走っていった。


上野教諭が2人の青年に出会った2ヵ月後に戦争は終わった。
上野教諭は、戦争後、2人の青年との再会を願い、しばらくの間,JR鳥栖駅に立ち青年の姿を追った。

しかしついに2人の消息はわからなかった。


その後、上野教諭は鹿児島の知覧平和記念館を訪れ、戦没者の写真により、ピアノをひいた方の青年の死を知った。

しかし上野教諭は元新聞記者やテレビ局などの協力により楽譜をめくっていた方の青年を探し続けた。
そしてついに45年の時を経て再会することができた。

その青年は出撃後エンジン不調のために帰還し生存していたのである。

しかし戦争末期に鳥栖でピアノを弾いた特攻隊の青年のことがマスコミなどで話題になった後も、 生き残ったことへの負い目のためか、自ら名乗り出ることはされなかった。

しかしこの人は、上野教諭や地元人々の願いにより再び鳥栖小学校に招かれた。

「月光」を弾くことになったかつての青年に、上野教諭は語った。

「本当に生きていらしてよかった」と。

甥っ子は明日で2歳になるが、まだ音楽を始めたりはしていないようだ。

まぁ、そうだよね。

そんな中、0歳からクラシック音楽を、みたいな企画を昨今よく目にする。

そんな、0歳からって、と思っていたが、今年は僕も関わらせていただくことになった。

やるとなったら、赤ちゃんからお母さん方まで楽しんでいただける時間を作ることができるよう頑張ります。

下記の豊川、大府公演と、長久手市でも公演いたします。
詳細はHPで。


甥っ子をイメージしながら、企画を深めたい。

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仙台へ束の間の帰郷。

弟夫婦のとこの甥っ子が会うたびにわんぱくさが増していくのがなんとも微笑ましい。

母親が落ち着いてご飯も食べられないのは気の毒にも感じるが、その光景すら成長が感じられて嬉しい。


今まで会話が成立したことはなかったが、今日初めてクッキーの袋を「あけてー」と頼まれた。


もういくらでも開けよう。


曾祖父が使用していたこのトトロか貞子を彷彿とさせる井戸(現役)を見ると、帰ってきたなと実感する。

ま、先月も先々月も帰ってきたけど。

なんなら来月も帰りますけどね。

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