堀野書道学校スタッフブログ

堀野書道学校の事務員が運営するブログです。記事や写真を交えて、どのような学校であるか?また、書道を身近に感じてもらえるようなブログにしていきたいと思います。

タグ: 日中友好

前回からの続き

中国との交流を開始してから2年経った第3次訪中団の時だと思いますが(年号を記録していなかったので、他の年かも知れませんが)上海の少年宮を訪れた時の写真です。

少年宮の子供達2


少年宮とは、子供達が放課後自分が学びたい書道や、絵、歌、踊り、楽器等々を同一の建物内で指導する、日本で云えば塾の集大化したもの、或いはカルチャーセンターのようなものであり、各教室では子供達は歓迎の意をもって迎えいれてくれました。

少年宮の子供達6

少年宮の子供達5

少年宮の子供達4

少年宮の子供達1

それぞれ自分の得意なものを披露して、書や絵などの作品を贈呈してくれました。
中国ではとても仲の良い人のことを「朋友」(中国語読みでポンユウ)と言います。そして更に仲の良い深い関係の人を「老朋友」(ロウポンユウ)と言います。
日本語に例えると親友と大親友といったところでしょうか。
日本の朋友に贈ると書いてあり、子供の無心で書いた作品をもらい、創立者も嬉しそうな顔をしています。

創立者に倣いもらった作品は今でも大切に保管してあります。戦争中の交流会がそうであったように、この写真の当時から半世紀近く経ったときに、作品を子供たちに返して、思い出話などを語る場を設けてみたいですね。

漢字を使い、毛筆で文字を書く。季節の行事等、中国と日本の共通点はたくさんあります。もっともっと交流が盛んになる世の中に書道を通じて貢献していきたいと思います。
それこそ創立者が教育方針に掲げていた「書を通して世界平和に貢献する」の一環だと信じています。

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私たち堀野書道学校では、中国との書法交流を何回も重ねてきましたが、今日はそのきっかけとなった話を書こうと思います。

創立者堀野哲仙は昭和13年6月「日満支三国府後援親善書道展覧会」で最高賞を獲得しました。
これに刺激された教え子の小・中学生たちが「日本と中国で子供同士の書の交流をしたい」と発案したことから、翌昭和14年「日満華親善児童作品交換会」を企画しました。

日中戦争中でしたが、この作品交換会は3年間続き、日中双方の小学校で展覧会が何度も開かれました。
しかし、戦争は長期化し太平洋戦争も勃発したため昭和16年に中止、中国から送られて来た約700点の作品が返却することができないまま、創立者がずっと自宅に預かっていました。

そして45年の月日が経ち、ずっと作品の事を気にかけていた創立者に朗報が届きました。
「日本の書法について講演して欲しい」という中国人民対外友好協会からの招待があり、中国側関係者にかつての子供たちの作品のことを伝えると「ぜひ送り返して欲しい」ということで、トントン拍子で里帰りが決まりました。

作品はいずれも中国河北省の子供たちが書いたもので、書作品の他、水彩画、作文、はり絵工作などがあり、中には日本の田園風景を想像で描いた絵や「中日両国は兄弟の国」と書かれたものもあり、子供たちの平和への願いが込められていたのだと思います。

創立者は「戦争中に、子供が無心で平和を祈って書いた作品ばかりです。私にとっては神様が書いたものとしか思えない。作品を見て、何度勇気づけられ、なぐさめられたことか・・・・。」と語っています。
戦争中であっても焼失することなく、また虫に喰われないようタンスの中の着物に挟み込み大切に保管していたそうです。

このことから中日友好協会から大変感謝され、またそのような交流をおこなっていたという事実を初めて知り、日中学童の書法交流のルーツだとも言われています。

これをきっかけに中国書法家協会との交流、訪中団の派遣、訪日団の招聘、中国各地での書法展の開催など日中友好を進めていくことになります。


つづく

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