美術散策の休日

久々に関越道を車を走らせ、ドライブを兼ねて練馬区立美術館まで出かけてきた。(8/20)
今開催されているのは「藤島武二展」
練馬区独立70周年記念展として(というか、”練馬区独立”って冠も随分スゴイよなぁ~!)、国内各地の美術館に所蔵されている藤島武二の作品を百数十点集めての企画展。
これまで幾つかの美術展で断片的に彼の作品を観る機会はあったものの、こうして初期から晩年に至るまでの彼の画業の変遷を辿る美術展を見るのは初めてのこと。


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藤島武二(1867~1943)は薩摩藩士の三男として江戸最後の年に鹿児島で生まれた。
元々彼の母方の家系は狩野派の絵師を輩出した流れを継いでいるらしく、彼自身も最初は日本画を学ぶところから画家としての人生が始まったのだとか。
しかし、西洋画への思いは若い頃から持っていたので、その願いを成就すべく同郷の洋画家の門を叩きデッサンを学ぶ方向に転換したという。

Ⅰ-1 修行


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「婦人と朝顔」 1904(明治37)年  個人蔵

美術展の冒頭を飾る作品はこちら。
今回の企画展ポスターにも用いられる「婦人と朝顔」は厳密に言えば次の章「飛躍」で紹介されるべき作品なのだが・・・
冒頭に持ってきたのはある意味今回の企画展の「顔」として、初期の藤島作品の魅力を伝えるべくの事なのだろうと推察。
冒頭の「修行」の章では、彼が師事した画家(日本画の平山東岳や川端玉章)、洋画に転向して師事した曽山幸彦や山本芳翠の作品を展示する構成から始まる。
なので実質的に藤島作品の初期に当たる洋画は下記の作品からなのだが・・・
ある意味非常にショッキングさを覚える。

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「桜の美人」 1892-93(明治25-26)年  石水美術館

この画像の色合いはまだおとなしい方かもなぁ・・・
非常に端正な”写実画”に近いテイストの作品ながら、顔の陰翳に緑色を用いているためちょっと何とも言えないおどろおどろしさ!
この絵の隣には1893年に描いた「桜狩」の習作が。
習作の構図を整理して改めて描いた「桜狩」という作品は、1893年に開催されたシカゴ万博に出品する予定で描かれたものの結局展示されず、明治美術会という展覧会で初披露され好評を得たものの、1923年の関東大震災で消失。

この章には他には「秘蔵の名品 アートコレクション展 日本の美を極める」(2014年)で観た「池畔納涼」、地元鹿児島の島津家の人を描いた肖像画「宮之城島津家十六代長丸像」、「島津久治像」といった作品が展示。
初期の作品は非常に細部まで丁寧に描かれているものが目につき、写実画の傾向が強く感じられるよう。


Ⅰ-2  飛躍

1896年、新設されたばかりの東京美術学校(後の東京藝術大学)の助教授に請われ上京、また黒田清輝率いる白馬会に参加し始めた頃の時代の作品が並ぶこの章。
黒田的なるもの(外光派とも言える明瞭な色彩に溢れた作品)に飽き足らず、同時代のフランス絵画の潮流の影響を受けた作品なども精力的に発表し始めていくこの時期、その影響力は画壇だけでなく文学の世界にも及んでいき、「明治浪漫主義」とも呼ばれたのだという。
装飾画、ポスターの世界にも幅を広げ、様々な画風に貪欲に挑んでいくこの頃から、藤島武二の画風はよく言えば芸の広さ、別の言葉で言い換えれば無節操さが増していくかのよう。

まあある意味、非常に自分のやりたいことに忠実で、興味の幅が豊かで、しかもそれをそれなりに物にしてしまう技量もあると言えますが・・・
作品ごとに「これは何々風」「これは何々の模倣っぽい」「これは明らかに何々のパクリ?」みたいに見えてしまい・・・
「ひとり西洋近代絵画」展みたいに思えなくもないです(笑)

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「夢想」 1904(明治37)年   横須賀美術館

若干時代こそずれますが、これってラファエル前派っぽいよなぁ~
ロセッティの作品に出てくるようなチョイと高慢な感じというか・・・

この章のメインは与謝野晶子の歌集「みだれ髪」の装丁や、数々の雑誌の表紙のデザインなどの展示でしょうか。
ある意味時代の先端の仕事を精力的に成していた時代のようです。


Ⅱ-1  留学

藤島が念願の留学を果たしたのは1905年。彼が38歳の年。
同世代の洋画家たちは既に留学を終え帰国し日本国内において数々の作品を生み出したり、人によっては官職を得たりという変遷を遂げていく。
世代の若い画家たちにも先を越され、忸怩たる思いを抱えていたであろう藤島にとって38歳で巡って来た、文部省からの洋画を学ぶための渡欧命令がどれほど待ちに待ったことであったか!
が、この章の作品群に凝縮されているかのよう。


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「裸体習作」 1906-07(明治39-40)年  鹿児島市立美術館


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「ヴェルサイユ風景」 1906-07(明治39-40)年  石橋財団ブリヂストン美術館


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「西洋夫人像」 1906-07(明治39-40)年  島根県立石見美術館


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「チョチャラ」 1908-09(明治40-41)年  石橋財団ブリヂストン美術館

最初の2年(1905-07)はフランスに学び、ローマに移る途中でそれまで書き溜めていた作品の数々を盗難に遭う悲劇に襲われている。
失われてしまった数々の作品を今観ることは叶わぬものの、しっかりと残されて、今、日本各地の美術館に所有されているこれらの作品を見るにつけ、藤島の画家としてのやりがい・充実感をひしひしと感じる。
特に人物描写において、何か一本の筋が入ったような印象がするのは僕だけではない筈。

他には「動き出す!絵画 ペール北山の夢」(2016年)で観た「巴里寓居の紀年」、「ちょっとパリまで、ず~っとパリで 渡欧日本画家たちの逸品」(2014年)に展示されていた「幸ある朝」など。


Ⅱ-2  模索

足掛け5年にわたる留学から帰国した彼を待っていたのは、周囲からの期待。
東京美術学校の教授を任じられたり、白馬会には渡欧中の作品を多数出展するなど前途洋洋に見える一方で、彼は彼なりの焦りを覚えていたという。
自信を持って出展した作品が彼が思うほどの好評を得られなかったり、正当な評価を得られていないという不満や疑心も相まって、文字通りの模索の時代へと突入していくのだが・・・

そういう内面的に苦しい時代の中で、彼は一つの新たな方向性を見いだしていくのもこの時代でありまして。
この章に並ぶ作品群は、他の時代の作品よりも一層、彼の内面が作品に投影されていて見応えがありました。

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「うつつ」 1913(大正2)年  東京国立近代美術館


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「花籠」 1913(大正2)年  京都国立近代美術館


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「アルチショ」 1917(大正6)年  東京国立近代美術館

何かゴッホっぽくね?(笑)


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「カンビドリオの辺り」(右) 1919(大正8)年  大阪新美術館建設準備室

これはナビ派みたいな(苦笑)

他には「洋画家たちの青春 -白馬会から光風会へ-」(2014年)で観た「山中湖畔の朝」や、「描かれたチャイナドレス -藤島武二から梅原龍三郎まで-」(2014年)に飾られていた、構図の歪んだ「匂い」など。
マルケの作品みたいなテイストの「大川端(残雪)」なんていう作品もあり、前向きな模索時代と評するべきなのかも!
という感慨すら持った。



Ⅱ-3  転換

1913年に視察のための朝鮮旅行をしたことが、彼にとっての新たな視点の広がりとなったのだろう。
この時代の藤島作品はルネサンス期の時代を彷彿とさせる女性の横顔をモチーフにしつつも、東洋の嗜好も大いに漂わせていている作品を精力的に発表した時代。

個人的な感想なのだが、藤島武二という画家は、人物、特に女性を描かせたら非常に魅惑的な作品を仕上げる人なのだと思う。
裸婦像とかも何点も展示されてはいるのだが、何といっても女性の横顔を描かせたら随一だと感じさせる筆致の確かさ。

今回の企画展、展示作品が多いが故に一部作品は前期のみ、あるいは後期のみに制限されている作品が何点もあった。
以前、ブリヂストン美術館で開催されていた「描かれたチャイナドレス -藤島武二から梅原龍三郎まで-」でも観ることの叶わなかった「東洋振り」を今回も会期の関係で観る機会を逸したのが返す返すも残念。
そう簡単に短期間で再訪できる場所でない故、僕がこの作品に出会えるのはこの先何年後なのかな?
と思いつつも、それを持って補う作品が展示されていたのも事実。

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「絞剪眉」 1927(昭和2)年  鹿児島市立美術館


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「ロジェストヴェンスキーを見舞う東郷元帥」 不詳  鹿児島県歴史資料センター黎明館

まるで横須賀の戦艦三笠の中にあってもおかしくないような作品が唐突に展示されているのに驚かされた。
藤島武二、一筋縄ではいかない画家であります。



Ⅲ-1  追及

今回の企画展も終盤戦。
ここからもっぱら風景画の作品が多く並びます。

こんなこと言っちゃ失敬なのは承知しつつ・・・
藤島武二という器用な画家にとっても、風景画のジャンルというのはある種の鬼門なのでは?
という感慨が拭えずにいた。
あれだけ西洋の画家のスタイルを踏襲したり換骨奪胎することに秀でていて、見応えのある優れた作品を多く残しているな!と、この展示を鑑賞しつつ楽しんできた自分ですが、正直、藤島の風景画の拙さには驚きを隠せずにいたのも事実。

たった数年、絵を見ただけのド素人が暴言吐くのに等しいことを承知しつつも敢えて言わせてもらえば、藤島武二という画家と風景画のジャンルの相性の悪さは驚くべき程だと感じるのだ。
正直、何々風というレベルにも到達し得ないグレードでありながら、ミョーに誰かの模倣や影響を背後に感じさせる気味の悪い中途半端さ。


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「浪(大洗)」 1931(昭和6)年  石橋財団ブリヂストン美術館


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「台南聖廟」 1933-35(昭和8-10)年  宮崎県立美術館


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「山上の日の出」 1934(昭和9)年  京都国立近代美術館


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「港の朝陽」 1934(昭和9)年  東京国立近代美術館


出来の悪いモネの「印象・日の出」を引きずりつつ、中途半端にデュフィが入ってませんか?みたいな・・・
ヘタウマと言い切ってしまうには、ミョーに何か後ろ髪惹かれるような魅力がそこそこあるので始末悪いと言うか、そこが彼の魅力と断言すべきところなのかは、今の僕にはワカラナイけど・・・
見捨ててしまうにはもったいない、そこはかとない磁場がある作品が並ぶ一角。


Ⅲ-2  到達

こうやって2時間近く、藤島武二の作品群と向き合って来て、不可思議な感慨を覚えるんだよね。
この人はもしかしたら最晩年まで、己が老境を迎えていることへの自意識なく、とにかく描きたい作品世界に貪欲に向き合っていたんじゃないか!と。

画家としての出発点の時代、あれだけ細密に描くことにこだわった画家が、数々の触発と飽くなき挑戦を経て、やがて本質を掴まえつつもシンプルに描くことへと至り、そこから不得手な風景画へと貪欲に挑戦し行く姿勢に。

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「蒙古の日の出」 1937(昭和12)年  鹿児島県歴史資料センター黎明館


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「蘇州河激戦の跡」 1938(昭和13)年  佐賀県立美術館


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「窓より黄浦江を望む図」 1941(昭和16)年  東京国立博物館


日本洋画界の重鎮と目され、第1回目の文化勲章を1937年に横山大観、竹内栖鳳、岡田三郎助と同時に受賞するほどの功成り名遂げる存在になり、アカデミズムの象徴としての地位を得てからも、まだ作品的には冒険心を失わない姿勢に驚かされた。
陸軍嘱託として大陸の戦跡を見る機会を得たことから触発されたこれらの作品が、彼の作品群の晩年を連ねるのを見た時に一つの感慨が浮かぶのだ。
もし藤島武二という画家が、後数年の寿命を得たとしたならば、どのような作品を描き、後世に残しただろうか?と。

これは個人的に勝手に想像して駄文を書き連ねているだけなのだが、戦争画を手掛けただろうナ!と。
戦に敗れて、価値観が大きく変わった日本の戦後を彼が見たならば、どのような作品を手掛けただろう!と想像しながら・・・
この画家はその時代その時に模索を重ねながらも、己に忠実に手掛けたいスタイルや作品を自分のもののしていった幸福な画家だったのではないか!
という印象が強く残った。

正直言えば、「天平の面影」や「黒扇」(共にブリヂストン美術館所蔵)といった重文であり彼の代表作を欠いた美術展という物足りなさ・齟齬を感じつつも、それらの作品が無くとも十分に藤島武二という画家の足跡や人となりを感じさせる構成を作り上げることができた企画展を開催したことに喝采したい。
その努力に敬意を表したい。

少なくとも個人的には、昨年の春、東京国立博物館で開催された「生誕150年 黒田清輝展」(2016年)よりも知的好奇心・個人的興奮を覚えた企画展でありました。

高校時代、一度も同じクラスになったことはないのだが、僕の友人の友人という関係性で親しくなった友がいた。
そいつが東京藝大を志望しているのを知った時は大層驚いたものだが、本気で勉強して一発で念願を叶えたという朗報を聞かされた時は心底たまげたものだった。
北関東の一地方都市の、自分と同じように平凡でさえない学友の一人と思っていた人間にそういう才があり、密かに熱情を燃やして成就させたその姿に畏敬の念を覚えると同時に、これで彼は遠くへ行ってしまうんだなぁ~!
などと感じたものだった。
成人式の日の晩に高校時代の同窓会があり、そこで会ったのが最後だったか?
その前だか後だか忘れたけれど、ヤツが
「運転免許証を取ったのでドライブに付き合ってくれ!」
といきなり電話をかけてきて、軽井沢までの道中の助手席に座りながら学生生活の話を聞かされたことがあったなぁ~。

もうかれこれ四半世紀以上も会ってないので、ヤツが今何をしているのかワカラナイのだが・・・
少なくともひと頃僕の周囲にいた人間が門を叩いた学校として、東京藝術大学の名を聞くと、彼同様、個性的で野心を持った若き芸術家たちが集ったであろう光景を想像する。

個人的話は置いておくとして・・・


ここ3,4年ほど美術を観る楽しさを知り、美術展を尋ねると所蔵先の名に”東京藝術大学”と記された作品とよく遭遇する。
いつかまとまった形でこの大学の所蔵する作品を観る機会に遭遇できたら!
と思っていたら、なんと開学130年の今年、願った形どおりの企画展が開催されると知り、7/15に足を運んできた。


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藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた! 公式サイト

やはり東京藝大!
単に作品を展示するだけではなく、幅広く趣向を凝らした企画で攻めてきました


構成は次の通り

*名品編

*テーマ編
   ・平櫛田中コレクションー展示活動の歩みと関連作品
   ・卒業制作ー作家の原点
   ・現代作家の若き日の自画像
   ・真似から学ぶ、比べて学ぶ
   ・石膏原型一挙開陳
   ・藝大コレクションの修復ー近年の取り組み

*アーカイブ編
   ・記録と制作ーガラス乾板・紙焼き写真資料から見る東京美術学校


エレベータで地下2階へ。
このフロアは名作編の展示。
国宝や重文指定を受けた価値のある文化財や仏像から始まる構成なのですが、部屋に入り真っ先に目に飛び込んできたのがこの作品。

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「径(こみち)」 小倉遊亀 1966(昭和41)年

3年ぶりにこの作品と出会い嬉しさひとしお。
ほのぼのとした気分に包まれます。

江戸時代の作品に関してはどうも第2期のほうに目玉が集中した感あり。
明治以降の作品については通期で展示される洋画と、1期2期それぞれの期間に区切られて展示される作品のバランスは比較的均等っぽいかナ!


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「鮭」 高橋由一 明治10年頃


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「美人(花魁)」 高橋由一 1872(明治5)年


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「収穫」 浅井忠 1890(明治23)年


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「墨堤春暁」 川端玉章 1890(明治23)年


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「水鏡」 菱田春草 1897(明治30)年


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「玄猿」 橋本関雪 1933(昭和8)年


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「一葉」 鏑木清方 1940(昭和15)年

日本画作品の良さに酔いしれる気分。
じっくりと時間をかけて丁寧に鑑賞しながら、こうした作品に取り囲まれているこの空気感が何ともたまらん雰囲気。
有名どころの作品が多いせいか、じっくり思い思いの姿で鑑賞する人たちが多く、案外人出が多く感じる。



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「活人箭」 平櫛田中 1908(明治41)年 原型制作(石膏)、1962(昭和37)年 木彫で再現


エレベータで3階へ移動。
ここからが東京美術学校から現在の東京藝術大学へと至るこの学校で実際に学んだ人たちの作品が展示されている空間。

板谷波山の木彫にビックリしたり、2年前の夏の暑い日に長野で観た 杉山寧の「野」、髙山辰雄の「砂丘」との久々の遭遇も嬉しかったケド

インパクトに残った作品を幾つか触れてみますと・・・
 
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「渡頭の夕暮」 和田英作 1897(明治30)年


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「景しき遠く」 吉田侑加 2014(平成26)年


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「Herald」 地村洋平 2014(平成26)年


案外、最近の作品の方に興味を持っていかれたのが我ながら不可思議。

東京藝術大学は卒業制作として自画像の制作を求め、大学が蒐集をしているらしく・・・
今現在活躍を続ける画家の学生時代の自画像を展示する一角も興味深いものだった。

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「自画像」 村上隆 1986(昭和61)年


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「自画像」 山口晃 1994(平成6)年


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「自画像」 松井冬子 2002(平成14)年


ホント、これはその人それぞれの個性や主張がハッキリと現れてますなぁ~
千住博の自画像はホントまじめな好青年だし、会田誠のはこれまた何とも人を食ったかのような・・・
まだこうして作品として完結していてそれなりに感じることのできる作品はいいのだが、中にはトンデモ度が高すぎて理解不能なものすらありましてネ。
自由度高すぎますわ~


石膏原型一挙開陳の場では、特に目を惹いたのは高村光太郎「獅子吼」。
若き日の日蓮を模した作品なのだが、石膏とブロンズ像が両方並べられて展示されているものの、石膏の方に微細な迫力を感じました。

藝大コレクションの修復のコーナーでは、実際に修復以前の破損の目立つ作品の写真とその修復過程を紹介したパネル、そして実際に修復された現物が公開されていて興味深かったです。

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「彼の休息」 小磯良平 1927(昭和2)年

ただこの作品などは、経年劣化(黄変)を取り除くための修復によって、ある程度までは色が蘇ったらしいのだが、ところどころ修復では補えない傷が見て取れて、作業の難しさを目の当たりにしたかのよう。

日本画の場合は、軸装による劣化破損の修復の過程で、敢えて額装に設え直されたものもあるらしく・・・(葛毅一郎の「外科手術」1904(明治37)年)
作品としての形が変わってしまう事の良し悪しはどうなんだろう???と感じなくもなかったです。

現在は上村松園の「序の舞」が修復されているのだとか。
来春公開らしい。


第2期も時間を作って観に行かねば!

春先に東京で観ることができなかったため、新潟へ巡回展がやって来たのを待って長岡まで車を走らせて観てくることができたのが、これ。

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生誕90年 加山又造展 -生命の煌めき


今まで幾つかの美術展で加山又造の作品を観る機会はあったのですが、画家生活の変遷をなぞるような形で作品群をじっくり鑑賞するのは初めての事。
個人的に彼の作品でイチバン印象に残っているのは、東京国立近代美術館に所蔵されている「春秋波濤」
波濤も山も花や葉がパターン化された配置であり、色遣いの艶やかさと明瞭さが非常に際立っていて、強く印象に残る画風。
この人がどのような来歴で作品を生み出していったのか、深く観てみたいと思っていたところだったので好機到来!

Ⅰ 動物~西欧との対峙

加山又造(1927~2004)は京都の生まれ。
父は西陣織の図案家、祖父は京狩野と四条派の流れを汲む絵師ということで、彼の独特の作風の土台を知り納得!
東京美術学校(現在の東京藝術大学)へ進み、1949年に卒業。
この人は10年ごとに作風を大きく変える画家だったらしいのだが、最初に傾倒したのは動物画。
それも非常に前衛的というかパターン化された、およそ日本画家らしからぬところから出発しているので度肝を向かれる思い。

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「月と縞馬」 1954年  個人蔵


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「迷える鹿」 1954年  個人蔵


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「狼」 1956年  エール蔵王 島川記念館


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「紅鶴」 1957年  個人蔵

どうも彼はラスコーの洞窟壁画に描かれた動物たちの生き生きとした姿に魅了され、それらに触発を受けてこうした作品群を手掛けたらしいのだが、大胆なデフォルメでありながら非常に意匠的にも感じる。
若き日々から既に彼の画風は定まっていたんだな!
なんて印象がして、決して唐突感は覚えなかった。


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「凍林」 1960年  個人蔵

一方で、冬の凍てついた風景を描くこともこの時期の彼の特徴だったようだ。
作品を眺めていると、どこかしら風景の中にも一定の律動が刻まれているようで、凛とした空気感に何か心地よさを感じる。


Ⅱ 伝統の発見

素人目からすると何か奇妙な取り合わせのように思えて仕方ないのだが・・・
加山又造にとって1951年(昭和26年)に東京国立博物館で開催された「アンリ・マティス展」と「宗達光琳派展覧会」の2つの企画展を観たことが、彼のその後の画家人生の確信へと繋がっていたのだとか。
1960年代に入ってから大和絵や琳派の様式を踏襲しつつも、彼独特の解釈で作品を次々と成していくのだから・・・


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「夏の濤・冬の濤(夏の濤)」 1958年  個人蔵


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「夏の濤・冬の濤(冬の濤)」 1958年  個人蔵


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「紅白梅」 1965年  個人蔵

パターン化された濤の姿、明らかに尾形光琳の「紅白梅図」の影響を衒わずに描いた紅白梅と流水の紋様。
大胆な解釈ながらも、やはり伝統に基づいた作品の骨格のせいか観ていて心が和む不思議さ。


Ⅲ 生命賛歌

10年ごとに作風を転じる彼の流儀は70年代に入ってからも健在で、あろうことか銀屏風に裸婦なんて飛躍を・・・
そうはいっても加山又造がそんじゃそこらのありふれた裸婦で気が済もうはずがない。
大胆な肢体を描きつつも、生身の女性という印象がまったくしないのはどういうことだろう。
露わな裸婦が数人描かれている屏風絵なんて、正直悪趣味すぎて早々眺めてなんぞいられない・・・
エール蔵王 島川記念館所蔵の作品「はなびら」と「はなふぶき」。
名前だけの紹介に留めておきますネ。


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「猫」 1980年  個人蔵

同時代、彼は小動物を描くことにも熱中したらしい。
特に猫を描いた作品は何とも言い難い味わいで、展示室の雰囲気を一気に穏やかにさせてくれる。

ネコを描き始めた初期は短毛のシャムを、その後はヒマラヤンという長毛の猫を描く機会が多かったようであるが、展示されている4枚の猫の絵の中でもイチバンの作品は、間違いなく上に紹介した「猫」だと思われ


Ⅳ 伝統への回帰

70年代末からの加山又造は、水墨画の方向にまで手を広げたようだ。
とはいえ旧態依然とした作品の模倣とは異なり、彼の確信のままに大胆にアレンジし種々の創意工夫を絵の中に貪欲に取り込み、彼でしか成すことのできない作品へと昇華させているのは見事!

大きく広げられた屏風の面積に負けるどころか、より一層の広がりを表現しきっていて、とても見応えある絵画空間。


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「月光波濤」 1979年  イセ文化基金


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「夜桜」 1982年  光ミュージアム


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「倣北宋水墨山水雪景」 1989年  多摩美術大学美術館


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「淡月」 1996年  郷さくら美術館


今回の会期では観ることができなかったのだが、8/8からは下記作品が展示替えで観ることができるのだとか。
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「月と秋草」 1996年  奈良県立万葉文化館


1時間半ほど彼の世界観にじっくり浸る贅沢なひととき。
百貨店の催事場ではなく、ちゃんとした美術館の展示室で。
しかも人のごった返す東京ではなく、夏の長岡の空調の心地よく効いた美術館で、どの作品もほぼ独り占め状態で心ゆくまで鑑賞できる贅沢さよ


見終わってから、せっかくなのでコレクション展も観ることに。
1枚、とてもインパクトある作品と遭遇。

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「炎々桜島」 横山操 1956年

横山操(1920-1973)は加山又造とともに多摩美術大学教授として後進の指導に当たった人なのだとか。
それも彼を担ぎ出したのは加山又造その人だったと知り、まさかそうしたつながりのある画家の、しかも初見ながら非常に迫って来る作品と遭遇し、何とも不思議な面持ちになりました。

この作品、実際に桜島が噴火している現地に出向いて写生をし、作品として仕上げたのだとか。
かなり大きな作品なのだが、黒く垂れこめる噴煙の圧迫感がハンパありません!

余韻に浸りながら、帰路は高速を使わずのんびりと国道17号をドライブ

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