美術散策の休日

2019年最初の美術館巡りは栃木県へ。
栃木市にある とちぎ蔵の街美術館で開催されているこの企画展を観に出かけた。


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一見ちょっと不思議な取り合わせに思えるこの2人。
いずれも栃木市出身の画家であり、田中一村の生誕110年と刑部人の没後40年が重なったこともあり、開催となったのだとか。

古い蔵造りの街並みを生かして近年、観光に力を入れている栃木市。
この蔵の街美術館は街道筋からちょっとだけ奥まった、江戸時代後期の蔵を活用したこじんまりとした美術館です。

最初の2フロアは田中一村。
といっても、近年注目を浴びている奄美時代の作品は一切含まれず。
むしろあまり今まで取り上げられる機会の少ない青年時代の作品ばかりで、とちぎ蔵の街美術館および栃木県立美術館の所蔵作品と地元の個人蔵のものが中心。


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「遷桃(延寿萬歳図)」 田中一村 大正14(1925)年  とちぎ蔵の街美術館



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「武陵桃源図」 田中一村 大正15(1926)年  とちぎ蔵の街美術館



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「秋草図」 田中一村 昭和20~21(1945~46)年  栃木県立美術館



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「蘇鉄図」 田中一村 大正14(1925)年  個人蔵


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「水墨竹石」 田中一村 昭和4(1929)年  とちぎ蔵の街美術館

田中一村という人は早熟の才能の人だったようで、十代の頃から水墨画(南画)を自在に描いていたそうです。
中国の画家の模倣画を描き続け腕をあげると共に、そうした作品の人気も相まって一時は隆盛を極めたのだとか。
ところが昭和6(1931)年の満州事変勃発とともに日中の関係悪化が引き金となってそうした作品群の需要も一気に減り、人生の岐路に立たされて・・・。
自分自身を見つめながら、模倣との決別と自分らしい作品を追い求める苦悩の中で、彼は必死に絵を追求していくのです。 

水墨画を描いていた時代から、彼の作品は他の日本画家とは若干テイストが違っているように感じるのは、僕らが今、「奄美時代の一村」の作品を思い浮かべながら、無意識のうちにそんなフィルターで眺めてしまっているからでしょうか?
色遣いにしても筆の運びにしても、水墨画の枠に収まり切らない何かを発しているように感じてなりません。


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「早春」 田中一村 昭和28(1953)年頃  とちぎ蔵の街美術館


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「冬景色」 田中一村 昭和28(1953)年  とちぎ蔵の街美術館

千葉に居住していた時代の作品。
ちなみにこれらの絵が描かれた1953年は、奄美諸島がアメリカから返還された年だったりします。


後半2フロアは刑部人(おさかべ・じん)。
刑部人は東京美術学校(後の東京藝術大学)に進んだだけあり、この人もまた幼くして絵の才能を周囲に認められた人でした。
刑部人が12歳の時に描いた「絵馬」という作品は、実際に地元の神社へと奉納されたもの。
そのようなものが残されていて、今回、展示されていることにも驚かされます。


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「友人の肖像」 刑部人 昭和3(1928)年  栃木県立美術館



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「黒衣の少女」 刑部人 昭和10(1935)年  栃木県立美術館

在学中に「友人の肖像」が帝展で初入賞するなど順調な洋画家人生を切った刑部人ですが、1920年代にパリに渡り当時の最先端の絵画の流れを目にした画家たちが帰国後に活躍し始めると、彼は悩みを抱えていきます。
恩師であった和田英作からの一言「これからの時代は個性的な絵を描かなければ帝展入賞も危なくなる」がきっかけでスランプに陥ってしまったそうです。
希望と苦悩の繰り返しの中で、彼は自分らしい作品の道筋を見出していったのだとか。

写実的な作品に方向性を求め、絵の題材となる場所を求め各地を旅しながら、作風も徐々に変化していきます。
ペインティングナイフを多用した絵の具を盛るように塗り重ねていく作品などは、ちょっとゴッホっぽいな~!なんて思いつつも・・・


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「那須高原」 刑部人 昭和40(1965)年頃  とちぎ蔵の街美術館



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「天平古寺(海竜王寺)」 刑部人 昭和42(1967)年  とちぎ蔵の街美術館


美術館のスペース的な制約もあり、もっと作品を観たいなぁ!
といった感も無きにしも非ずですが、地方の美術館ならではの企画を丁寧に積み上げていて、楽しく興味深いひとときを過ごせました。

ちょっとずっこける一コマ。
田中一村の作品の後に刑部人の作品が展示されていたのですが、絵を観ていたある中年のおばさん。
素っ頓狂な一言をぶちかましてました(笑)

「あら、刑部人っていう名の画家だったのね~!
 あたしはてっきり、奄美地方の人たちのことを「刑部人(おさかべじん)」って呼ぶのだなぁ~って思ってたわ

それ、ある意味、問題発言ちゃいます?

まとまった数のロシア絵画が日本にやって来ると知り、楽しみにしていた美術展。
八王子まで車を走らせて鑑賞してきた。

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東京富士美術館の開館35周年を記念しての展覧会は、国立ロシア美術館の誇る所蔵作品が全40点ほど来日。
作品数的にはやや少なめだなぁ~!と正直思ったものの、一方で大きなサイズの作品も多く見ごたえは抜群!
時間をかけてじっくりと鑑賞することにしよう。



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「刈り取り人」 アレクセイ・ヴェネツィアーノフ 1820年代後期


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「アレクセイ・ロバノフ=ロフトフスキー公とその妻アレクサンドラ王妃」 ウラジミール・ボロヴィコフスキー 1814年


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「雪解け」 フォードル・ワシーリエフ 1871年


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「第九の波濤」 イワン・アイヴァゾフスキー 1850年


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「沼地に沈む夕日」 アレクセイ・サヴラーソフ 1871年


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「村の火事」 ニコライ・ドミトリエフ=オレンブルグスキー 1879年


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「夜の牧草地」 ウラジミール・マコフスキー 1879年


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「草花の生い茂る池」 ワシーリー・ボレーノフ 1880年


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「嵐の前」 イワン・シーシキン 1884年


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「白樺の森の小川」 イワン・シーシキン 1883年


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「裸足のレフ・トルストイ」 イリヤ・レーピン 1901年


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「サトコ」 イリヤ・レーピン 1876年


今回の企画展は特に細かく章立てしているわけではなく、ロシアの大地の風景や人々の生活や習俗などを感じさせる作品が多く感じられた。
風景は至って写実的で、冷涼で過酷な自然を感じさせつつも、そうした厳しい環境の中にこそ潜んでいる美しさが発見できてハッとさせられる。
人々を描いた作品からは、ロシアと一括りにできないほど多様な民族性や文化性が窺える。
決してヨーロッパに近いだけの国ではない奥深さ。
アラブやアジアとも近接した大地だからこその多様性が感じられて、自分の知らない新たな一面を多く見ることができた興味深い美術展だったと思います。

久々に高崎市タワー美術館まで日本画を観に出かけてきた。
今現在、開催されているのはこれ!

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「幽玄なる世界 吉野石膏日本画コレクション」

吉野石膏のコレクションと聞くと、真っ先に思い出すのが印象派の優品・佳品が多く含まれた作品群!
なので、日本画のコレクションを蒐集していたのを知ったのも初めてだし(不勉強でスミマセン!)、またこうした作品たちの蒐集が平成に入ってから本格化したと聞き、とても興味を持った。
そうしたコレクションの中から26人の画家の58作品が選ばれ、今回やって来ている。
目に留まった作品、印象に残った作品を書きとどめておくことにしよう!


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「四睡図」 橋本雅邦  明治27(1894)年


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「海暾(かいとん)」 横山大観  昭和18~19(1943~44)年頃


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「雪中の鹿」 菱田春草  明治43(1910)年頃


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「美人書見」 上村松園  昭和14(1939)年


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「肌寒」 鏑木清方  昭和24(1949)年


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「羅浮仙」 小林古径  大正年間(1912~26)頃


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「洞窟の頼朝」 前田青邨  昭和23(1948)年


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「水郷潮来」 速水御舟  大正13(1924)年


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「若い人」 小倉遊亀  昭和37(1962)年


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「宵桜」 東山魁夷  昭和57(1982)年
 

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「還」 杉山寧  昭和62(1987)年


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「月光山嶺」 加山又造  平成2(1990)年


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「法隆寺」 平山郁夫  平成3(1991)年


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「いつかの月」 田渕俊夫  平成22(2010)年


他に印象に残った作品としては
*「朝暘」 前田青邨
*「鏡獅子」 伊東深水
*「雲(一)」 岩橋英遠
*「瀧桜」 中島千波    など

いちばん古い作品で明治27年(「四睡図」)、から直近では平成22年(「いつかの月」)まで。
日本画の変遷を感じさせる流れであり、またどの作品も極めて品の良い上質な作品ばかりだった。
地方都市でこうした美術展を観ることができる有難さを噛みしめながら、久々に心ゆくまで絵画の世界を堪能したひととき。
 



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