美術散策の休日

高崎駅東口も大きな変貌を遂げた。
駅とタワー美術館を繋いでいたペデストリアンデッキが、さらに国道354号線の頭上を延伸してゆき、今秋誕生した高崎芸術劇場にまで到達したなんて!
そんな変化に驚くほど、この美術館に足を運ぶのも久しぶりだ。(汗)


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今回の目的は「トップランナーⅢ」の鑑賞。
4年前のちょうど今頃、開催されていたトップランナーⅡ 日本画の若き力の最新ヴァージョンと言っても良いのかな?
今回取り上げられた画家は、坂本幸重・井田昌明・若山卓・須藤和之の4人。
不勉強な自分は、正直、名前を聞くのも初めてかもしれぬ。
4人とも群馬に縁のある画家で、3人は現在も群馬県内に在住。
残り1人の若山卓も隣接する埼玉県神川町在住ということで、ご当地画家勢ぞろいの構成。


最初の展示は、井田昌明。
1969年生まれ。
東京藝術大学大学院で日本画を専攻し、自信の作品制作に取り組みつつ、一方で文化財の修復にも携わる人なのだとか。


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「分岐点」 井田昌明  2014(平成26)年

冒頭に飾られていたこの作品の圧倒的な描写力に息を呑む思い。
かつて走っていた信越線の横川ー軽井沢駅間のトンネルから列車が姿を現す光景を描いているのだが、こういう風景は実際にはないのね。
その着想力にも驚かされる。


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「愛国時計」 井田昌明  2014(平成26)年

どちらかというとモノクロームな色合いの作品が多い中で、これは色彩が明瞭な分、目を惹きました。


次の展示は須藤和之。
1981年生まれ。
この人も先程の井田昌明と同じく、東京藝術大学大学院で日本画と文化財修復を学び博士課程修了の才。
今回の4人の中では最も若手。

何かこの人の作品、どこかで見たことあるような気がするんだよなぁ~!


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「花の風」 須藤和之  2016(平成28)年


地元の群馬銀行の創立80周年記念の絵画制作に抜擢されたのがこの人らしく・・・
だからこの画風、何かとても親近感を受けたのか!と合点。


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「翼の刺繍」 須藤和之  2006(平成18)年


かなりの大作ながら、清明な色合いと自然の光のコントラストがどの作品も美しくて!
地元前橋に拠点を構え、近在の風景に題材を得ることが多いらしいのだが、こうした作品を鑑賞しながら自分の住む地域をこんなにも美しく捉える眼の確かさに驚嘆させられる。


坂本幸重は1954年生まれ。
元は熊本出身で、現在は藤岡市に在住。
独特の世界観を描く画家!という印象が強い。


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「月の夜」 坂本幸重  1994(平成6)年  夢學館 上野村現代美術館


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「異国の街で」 坂本幸重  1994(平成6)年  夢學館 上野村現代美術館

静謐さを感じる一方で、重層的にいろんなものを描いている作品もあったりして・・・
これは本当に日本画なのだろうか?
と少々戸惑いも覚える。


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「鮭」 坂本幸重  2016(平成28)年


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「蟹之図」 坂本幸重  2017(平成29)年


こりゃぁ、ビックリしたわ!!
新聞紙の上に酒や蟹を置いた構図に驚かされ、次に背景の新聞紙がまさに一筆一筆描かれた賜物だということに2度ビックリ!
新聞紙には一体。何が描かれているの?と凝視すれば・・・
ムムム!!!


今回の企画展の掉尾を飾るのは若山卓。
その空間に足を踏み入れた時、他とは圧倒的に異なる空気感に得も言われぬ何かを覚えた。
それも現代日本画なのだよ!
と言われればそうかもしれないが・・・
どうもそういうものすら超越しちまっているような作品ばかりが展示されていて、言葉を失う。
スギを切り倒し、製材して3枚に腑分けする。
それらを並べてキャンバスに見立てて炭で描いた東北の破損仏の連作。

または赤松や白樫などの板だったり、楮や麻紙に描いた作品たち。
猛烈な表現したい何かがこちらに押し迫って来る圧迫感こそ強いけれど、どう咀嚼したらよいのかわからぬ己の眼の至らなさにたじろいでしまい・・・
中途半端な気持ちのまま作品を観終えてしまった感ありあり。


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「嘴細鳥Ⅱ遊」 若山卓  2008(平成20)年


現代日本画って、時にとても難しいものだ・・・

朝食を抜いて朝一番で病院へ行き、採血検査を終えて帰宅してから遅めの食事を済ませても、まだ午前10時過ぎ。
平日だし、このまま無為に過ごすのも勿体ないので、軽井沢までドライブすることに!
今回の目的地は、旧軽井沢のメインストリートから一本入った場所にあるらしい美術館。
最近まで存在すら知らんかったわ(汗)
ナビを頼りにスムーズに到着。
霧雨降る中、その建物の扉を開けた。

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「相原求一朗の軌跡 ―大地への挑戦ー」という企画展。
名前こそ聞いたことはあったものの、実際に作品に触れるのは初めて。
北海道の自然を描き続けた画家!という点に興味を持ったのと、写実的な風景描写に惹かれて見に出向いた次第。

相原求一朗。(1918-1999)
埼玉県川越の商家に生まれた彼は、家業を継ぐも美術を諦めることができず、戦時中も兵役で送られた満州でも絵筆を取り続けた程。
戦後はモダニズムの画家、猪熊弦一郎に師事し、最初は温和だった彼の作品は徐々にフォービズムの影響を色濃く受けていく。



1、出発 ―画家を志して―

まず目に飛び込んできたのは、どう見ても写実的ではない、むしろ抽象的な風合いの強い画風の作品群。
それはある種、典型的な日本人の洋画と言っても過言ではない程。
キライではないが、でも何か求めているものと違うような・・・

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「白いビル」 1950(昭和25)年  相原求一朗美術館

彼が最初に画壇に認められた作品がこの「白いビル」なのだそう。
戦後、進駐軍のモータープールだった有楽座ビルを真正面から描いた作品。


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「線路のある風景」 1954(昭和29)年  川越市立美術館

この作品はキュビズムの影響を感じさせる。
作風に試行錯誤を重ねていた時代の作品が1章から2章にかけて展示されていた。



2、覚醒 ―厳然と形のある風景―

正直、見ていてイチバンしんどかったパートがこの時期の作品群。
本人自体が”スランプ期”と自覚していたほど、何を描いたらいいのか迷い、情熱を失いかけていた時代だったらしい。
世に認められぬ苦悩も相まって、どの作品も重苦しく迫って来る。
しかも、抽象的すぎて難解極まりなく・・・
ちょっと「あれ?」と感じるものばかりの陳列。



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「風景」 1962(昭和37)年  株式会社フジ・メディア・ホールディングス

この茶色の洪水みたいな作品、一体何が描かれているんだ?!
解説を読んで驚かされた。
そして、呆れ果てた作品。
前年秋に訪れた北海道で、狩勝峠から見える十勝の大地の風景なのだとか・・・


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「原野(根室)」 1963(昭和38)年  相原求一朗美術館

色彩の面で先程の「風景」よりかはやや明瞭ではあるものの、「原野(根室)」と示されていなければ、正直何が描かれているのかようわからんわな!

他にも陰鬱な茶色と濃紺で描かれた「湖(摩周)」なんて作品も飾られていて・・・
画家の作風の変遷を知らずして、見に来てしまったことを軽く後悔させられるような感あり。



3、探索 ―ヨーロッパ・南アメリカの旅

1963年に彼自身、初の個展の開催にこぎつけて、数年にわたる沈鬱すぎる低迷期を脱してからの作品がこの後、展示されていく。
この章はその中でも海外に題材を求めた作品がメイン。
海外を旅して目にした光景をキャンバスに切り取った作品群は、色彩的にも明るさを得ている。
落ち着き払った画風は変わらぬものの、穏やかでクリアな描き方なのでホッとさせられる。

それにしてもこの画家、画風の変遷が激しすぎじゃね?(苦笑)

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「コンカルノの渡船場」 1973(昭和48)年  相原求一朗美術館


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「初冬の広場」 1978(昭和53)年  相原求一朗美術館



4、原風景 ―北海道を描く―

埼玉出身の彼が何故、北海道に魅せられたのか?
その答えは、彼の青年期に及ぶらしい。
多感な20代の多くを満州で過ごした彼は、北海道の原野に満州のそれを重ねていたようだ。
だからなのか?
これ以降、生涯にわたって北海道の大地の様々な場所を題材にしつつも、彼の色調は陽光溢れる北の大地ではない。
自然の厳しさと共存する大地の、荒涼とした風景にむしろ惹かれたらしい。

適切な画像が見つからなかったのだが、1968(昭和43)年に描いた「すけそうだらの詩(ノサップ)」という作品がとても印象に残った。
抽象的な描き方ながら、だからこそ極寒の北の大地での人間の営みが窺えて・・・
しばし見入ってしまった。


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「はこだて港 雪」 1971(昭和46)年  相原求一朗美術館 


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「岬の家」 1974(昭和49)年  川越市立美術館


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「漁港厳冬」 1977(昭和52)年  株式会社AOKIホールディングス



5、決意 ―ライフワークとしての北海道―

画業一本で生きてきたわけではなく、実業家として二足の草鞋を履き続けた彼は、体調を崩し、時に身を削るような困難の中で次々と作品を生み出していく。
1980年代以降の作品は、ほぼ北海道一色に染められていく。
そして、あれだけ抽象的だった作品がドンドン写実化していく様を、どう解釈すべきだろうか?
と、見る側を戸惑わせるのだが・・・
何も考えず、素直に
「あぁ、良い作品だなぁ~!」
と思えるものばかり。


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「幸福駅 二月一日」 1987(昭和62)年  相原求一朗美術館

旧国鉄広尾線廃止の一日前に幸福駅を訪れた彼が、廃止の日を作品名に留めて描いた作品。
鉛色した北の空と、凍てつく北の大地の様子が、何故か知らねど激しく郷愁を掻き立てるかのよう・・・


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「淡くやさしき光」 1989(平成元)年  株式会社AOKIホールディングス


6、再出発 ―大地への挑戦―

体調を崩し寝込む。
やや調子を取り戻すと北海道に取材旅行に出かける。
晩年の彼は、こうした状態の繰り返しだったようだ。
これが最後の作品!
何度もそう痛感しながら、自分の生命を削るように紡ぎ出す最晩年の彼の作品は、驚くほど透明感が漂っていて激しく胸を揺さぶられる。
一つ一つの作品の前で立ち止まりながら、ただただ無心に絵と対話する。
時間の経つのを忘れるほど。


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「雪の樹林」 1991(平成3)年  株式会社AOKIホールディングス


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「浅間三月」 1993(平成5)年  株式会社AOKIホールディングス


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「天地静寂」 1994(平成6)年  株式会社AOKIホールディングス


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「水ぬるむ 雌阿寒岳」 1995(平成7)年  相原求一朗美術館


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「天と地と」 1998(平成10)年  相原求一朗美術館

大雪山層雲峡の黒岳ロープウェイから眺めた風景に激しく感動を覚えた彼が、渾身の力を振り絞って描いた最後の大作がこの作品。
翌年、彼は寿命を全うした。


一人の画家の画風の変遷を追いかける意味では、こういう企画展というのはいろんな発見が多い。
それにしても、この画家の振り幅の尋常でなさと言ったら、どういうことだろうか?
不思議な企画展を観させてもらった余韻に包まれている。

平成から令和へと移り変わる今年の大型連休を利用し、東北を旅してきた最終日に、福島県立美術館で開催されている「伊藤若冲展」を観ることができた。
今回はその美術展の様子を書き記しておきたい。

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伊藤若冲と東北との結びつきというと、2013年に東北3県(宮城・岩手・福島)で開催された企画展「若冲が来てくれました -プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」の大盛況ぶりが真っ先に思い浮かぶ。
当時はまだ美術展を観る楽しみにさほど目覚めていなかった自分ですが(苦笑)、それでも東日本大震災の復興支援の一助として、アメリカからはるばるプライスコレクションが貸し出され、東北3県を巡回したこの企画展のことは知っていた。
見に行かなかったことを後になって残念に感じたものだったが・・・

あれから6年。
今回はすべて伊藤若冲の作品ばかり。
国内外にある若冲の作品を100点前後公開というスケールの大きさもさることながら、普段なかなか見る機会の少ない若冲の水墨画が多く出展されていることと、福島だけの公開というその2点が決め手となって、旅行の行程に組み込んで見に出かけた。

開館(9:30)前に到着するように出向いたにもかかわらず、やはり若冲人気の凄まじさへの理解が足りなかったせいか(汗)、美術館から1駅離れた場所に車を駐車し、飯坂電車に乗って美術館を訪れる!といった想定外の体験もできましたし・・・
入場するまでの列の凄さ、館内の人の多さにとても驚かされた美術展でした。

時間はしっかり確保してあったので、音声ガイドを借り、展示作品をすべてじっくりと鑑賞。
音声ガイドのナビゲーターは、福島出身の俳優 西田敏行。
温かみ溢れる落ち着いたナビゲートで聞きやすかったと思います。


第1章 若冲、飛躍する

伊藤若冲(1716~1800)は京都の商業の中心地、錦小路の青物問屋の4代目として生を受けたのは正徳6年。
幼いころから絵を描くのが大好きであったが、23歳のとき、父の急逝によって家督を継いだのと同じ頃、本格的に絵を学び始めた。

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「葡萄図」 一幅  フィラデルフィア美術館


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「猿猴捉月図」 一幅  キンベル美術館


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「松梅双鶴図」 一幅


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「雪柳雄鶏図」 一幅


第2章 若冲、自然と交感する

最初は狩野派の絵を学んだものの、本人的にしっくりこず、狩野派のルーツでもある中国絵画を模写し続けることで腕を上げていく。
模写を続ける中で若冲の心境が徐々に変化してくる。
つまり、自分の身の回りにある京都で見ることのできる花や鳥に題材を求めることに!
入念な観察を行う中で、若冲にしか描けない絵を追及していった時代。


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「花鳥図押絵貼屏風」 六曲一双  九州国立博物館


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「鷹図」 一幅  公益財団法人摘水軒記念文化振興財団


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「猿蟹図」 一幅



第3章 若冲、京都と共に生きる

若冲の最大の特徴は、生涯ほぼ京都を離れることがなかったことにあるという。
他の地域に作品の材を求めることにほとんど関心がなく、京都のど真ん中の商家から軸足を移さず、40歳で弟に家督を譲ってからも、ずっと京都と共に生き続けたのだ。

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「双鶴・霊亀図」 双幅  MIHO MUSEUM


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「果蔬涅槃図」 一幅  京都国立博物館


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「雷神図」 一幅  千葉市美術館


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「三十六歌仙図押絵貼屏風」 六曲一双  デンバー美術館


第4章 若冲、友と親しむ

孤高の画家、一見そんなイメージが若冲には漂うか・・・
売茶翁との深い絆や、青物問屋の旦那として錦小路の存続に尽力するなど、若冲は京都の中で人との繋がりを持った画家だったとも言えるようだ。

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「骸骨図」 一幅


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「売茶翁像」 一幅


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「蟹図」 一幅  京都国立博物館


第5章 若冲、新生する

天明8年(1788)の正月三十日、鴨川の東側で発生した火災が、折からの東風に乗って火の粉が京都中に降り注ぎ、京都市街を殆ど焼き尽くす大火となった。(天明の大火)
若冲の住む錦小路も灰燼に帰し、一時的に摂津に仮住まいを強いられたのは72歳のとき。
その後再び京都にこそ戻ったものの、若冲は老いてますます画業への意欲を失わず、様々な手法で作品を生み出し続けた。


今回の美術展で、前期公開の最大の目玉が「蓮池図」。
その作品に描かれた世界が、まさに今現在の福島の苦悩と重なり合う部分が多いとの指摘がなされているが、蓮は泥の中から出でて花を咲かすが如く、復興への希望を与える意義も込めて、今回この作品が福島にやって来たのだろう。


後期展示されていた「群鶏図障壁画(海宝寺旧蔵)」も今回の展示の目玉の一つ。
本物だけが放つ力強さと輝きを目の前にして、息つくことすら忘れてしまいそう。


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「白象群獣図」 一面


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「象と鯨図屛風」 六曲一双  MIHO MUSEUM


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「梅花叭々鳥・牡丹白鶴図」 双幅  公益財団法人鍋島報效会


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「百犬図」 一幅



2時間以上じっくりと若冲と向かい合って、様々な技法・題材の作品を存分に堪能した。
若冲という人は生活のために絵を描いた人ではなく、飽くなき好奇心と向上心を老いてなお持ち続けた画家。
ここ20年くらいの間に急速に知名度と人気を高め、今回の企画展も間違いなく全国あらゆる地域から足を運んだ人たちによって混みあったのだと感じる。
スーツケースを引いた姿で美術館に来ている人をたくさん見たし、飯坂電車も普段ではあり得ないような混雑っぷりだったようで・・・
人混みの嫌いな自分ではあるけれど、今回はそれを押してでも出かけて行って本当に貴重な経験をさせてもらえたと、今しみじみ感じている。

 

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