春先に東京で観ることができなかったため、新潟へ巡回展がやって来たのを待って長岡まで車を走らせて観てくることができたのが、これ。
生誕90年 加山又造展 -生命の煌めき
今まで幾つかの美術展で加山又造の作品を観る機会はあったのですが、画家生活の変遷をなぞるような形で作品群をじっくり鑑賞するのは初めての事。
個人的に彼の作品でイチバン印象に残っているのは、東京国立近代美術館に所蔵されている「春秋波濤」。
波濤も山も花や葉がパターン化された配置であり、色遣いの艶やかさと明瞭さが非常に際立っていて、強く印象に残る画風。
この人がどのような来歴で作品を生み出していったのか、深く観てみたいと思っていたところだったので好機到来!
Ⅰ 動物~西欧との対峙
加山又造(1927~2004)は京都の生まれ。
父は西陣織の図案家、祖父は京狩野と四条派の流れを汲む絵師ということで、彼の独特の作風の土台を知り納得!
東京美術学校(現在の東京藝術大学)へ進み、1949年に卒業。
この人は10年ごとに作風を大きく変える画家だったらしいのだが、最初に傾倒したのは動物画。
それも非常に前衛的というかパターン化された、およそ日本画家らしからぬところから出発しているので度肝を向かれる思い。
「月と縞馬」 1954年 個人蔵
「迷える鹿」 1954年 個人蔵
「狼」 1956年 エール蔵王 島川記念館
「紅鶴」 1957年 個人蔵
どうも彼はラスコーの洞窟壁画に描かれた動物たちの生き生きとした姿に魅了され、それらに触発を受けてこうした作品群を手掛けたらしいのだが、大胆なデフォルメでありながら非常に意匠的にも感じる。
若き日々から既に彼の画風は定まっていたんだな!
なんて印象がして、決して唐突感は覚えなかった。
「凍林」 1960年 個人蔵
一方で、冬の凍てついた風景を描くこともこの時期の彼の特徴だったようだ。
作品を眺めていると、どこかしら風景の中にも一定の律動が刻まれているようで、凛とした空気感に何か心地よさを感じる。
Ⅱ 伝統の発見
素人目からすると何か奇妙な取り合わせのように思えて仕方ないのだが・・・
加山又造にとって1951年(昭和26年)に東京国立博物館で開催された「アンリ・マティス展」と「宗達光琳派展覧会」の2つの企画展を観たことが、彼のその後の画家人生の確信へと繋がっていたのだとか。
1960年代に入ってから大和絵や琳派の様式を踏襲しつつも、彼独特の解釈で作品を次々と成していくのだから・・・
「夏の濤・冬の濤(夏の濤)」 1958年 個人蔵
「夏の濤・冬の濤(冬の濤)」 1958年 個人蔵
「紅白梅」 1965年 個人蔵
パターン化された濤の姿、明らかに尾形光琳の「紅白梅図」の影響を衒わずに描いた紅白梅と流水の紋様。
大胆な解釈ながらも、やはり伝統に基づいた作品の骨格のせいか観ていて心が和む不思議さ。
Ⅲ 生命賛歌
10年ごとに作風を転じる彼の流儀は70年代に入ってからも健在で、あろうことか銀屏風に裸婦なんて飛躍を・・・
そうはいっても加山又造がそんじゃそこらのありふれた裸婦で気が済もうはずがない。
大胆な肢体を描きつつも、生身の女性という印象がまったくしないのはどういうことだろう。
露わな裸婦が数人描かれている屏風絵なんて、正直悪趣味すぎて早々眺めてなんぞいられない・・・
エール蔵王 島川記念館所蔵の作品「はなびら」と「はなふぶき」。
名前だけの紹介に留めておきますネ。
「猫」 1980年 個人蔵
同時代、彼は小動物を描くことにも熱中したらしい。
特に猫を描いた作品は何とも言い難い味わいで、展示室の雰囲気を一気に穏やかにさせてくれる。
ネコを描き始めた初期は短毛のシャムを、その後はヒマラヤンという長毛の猫を描く機会が多かったようであるが、展示されている4枚の猫の絵の中でもイチバンの作品は、間違いなく上に紹介した「猫」だと思われ
Ⅳ 伝統への回帰
70年代末からの加山又造は、水墨画の方向にまで手を広げたようだ。
とはいえ旧態依然とした作品の模倣とは異なり、彼の確信のままに大胆にアレンジし種々の創意工夫を絵の中に貪欲に取り込み、彼でしか成すことのできない作品へと昇華させているのは見事!
大きく広げられた屏風の面積に負けるどころか、より一層の広がりを表現しきっていて、とても見応えある絵画空間。
「月光波濤」 1979年 イセ文化基金
「夜桜」 1982年 光ミュージアム
「倣北宋水墨山水雪景」 1989年 多摩美術大学美術館
「淡月」 1996年 郷さくら美術館
今回の会期では観ることができなかったのだが、8/8からは下記作品が展示替えで観ることができるのだとか。
「月と秋草」 1996年 奈良県立万葉文化館
1時間半ほど彼の世界観にじっくり浸る贅沢なひととき。
百貨店の催事場ではなく、ちゃんとした美術館の展示室で。
しかも人のごった返す東京ではなく、夏の長岡の空調の心地よく効いた美術館で、どの作品もほぼ独り占め状態で心ゆくまで鑑賞できる贅沢さよ
見終わってから、せっかくなのでコレクション展も観ることに。
1枚、とてもインパクトある作品と遭遇。
「炎々桜島」 横山操 1956年
横山操(1920-1973)は加山又造とともに多摩美術大学教授として後進の指導に当たった人なのだとか。
それも彼を担ぎ出したのは加山又造その人だったと知り、まさかそうしたつながりのある画家の、しかも初見ながら非常に迫って来る作品と遭遇し、何とも不思議な面持ちになりました。
この作品、実際に桜島が噴火している現地に出向いて写生をし、作品として仕上げたのだとか。
かなり大きな作品なのだが、黒く垂れこめる噴煙の圧迫感がハンパありません!
余韻に浸りながら、帰路は高速を使わずのんびりと国道17号をドライブ
生誕90年 加山又造展 -生命の煌めき
今まで幾つかの美術展で加山又造の作品を観る機会はあったのですが、画家生活の変遷をなぞるような形で作品群をじっくり鑑賞するのは初めての事。
個人的に彼の作品でイチバン印象に残っているのは、東京国立近代美術館に所蔵されている「春秋波濤」。
波濤も山も花や葉がパターン化された配置であり、色遣いの艶やかさと明瞭さが非常に際立っていて、強く印象に残る画風。
この人がどのような来歴で作品を生み出していったのか、深く観てみたいと思っていたところだったので好機到来!
Ⅰ 動物~西欧との対峙
加山又造(1927~2004)は京都の生まれ。
父は西陣織の図案家、祖父は京狩野と四条派の流れを汲む絵師ということで、彼の独特の作風の土台を知り納得!
東京美術学校(現在の東京藝術大学)へ進み、1949年に卒業。
この人は10年ごとに作風を大きく変える画家だったらしいのだが、最初に傾倒したのは動物画。
それも非常に前衛的というかパターン化された、およそ日本画家らしからぬところから出発しているので度肝を向かれる思い。
「月と縞馬」 1954年 個人蔵
「迷える鹿」 1954年 個人蔵
「狼」 1956年 エール蔵王 島川記念館
「紅鶴」 1957年 個人蔵
どうも彼はラスコーの洞窟壁画に描かれた動物たちの生き生きとした姿に魅了され、それらに触発を受けてこうした作品群を手掛けたらしいのだが、大胆なデフォルメでありながら非常に意匠的にも感じる。
若き日々から既に彼の画風は定まっていたんだな!
なんて印象がして、決して唐突感は覚えなかった。
「凍林」 1960年 個人蔵
一方で、冬の凍てついた風景を描くこともこの時期の彼の特徴だったようだ。
作品を眺めていると、どこかしら風景の中にも一定の律動が刻まれているようで、凛とした空気感に何か心地よさを感じる。
Ⅱ 伝統の発見
素人目からすると何か奇妙な取り合わせのように思えて仕方ないのだが・・・
加山又造にとって1951年(昭和26年)に東京国立博物館で開催された「アンリ・マティス展」と「宗達光琳派展覧会」の2つの企画展を観たことが、彼のその後の画家人生の確信へと繋がっていたのだとか。
1960年代に入ってから大和絵や琳派の様式を踏襲しつつも、彼独特の解釈で作品を次々と成していくのだから・・・
「夏の濤・冬の濤(夏の濤)」 1958年 個人蔵
「夏の濤・冬の濤(冬の濤)」 1958年 個人蔵
「紅白梅」 1965年 個人蔵
パターン化された濤の姿、明らかに尾形光琳の「紅白梅図」の影響を衒わずに描いた紅白梅と流水の紋様。
大胆な解釈ながらも、やはり伝統に基づいた作品の骨格のせいか観ていて心が和む不思議さ。
Ⅲ 生命賛歌
10年ごとに作風を転じる彼の流儀は70年代に入ってからも健在で、あろうことか銀屏風に裸婦なんて飛躍を・・・
そうはいっても加山又造がそんじゃそこらのありふれた裸婦で気が済もうはずがない。
大胆な肢体を描きつつも、生身の女性という印象がまったくしないのはどういうことだろう。
露わな裸婦が数人描かれている屏風絵なんて、正直悪趣味すぎて早々眺めてなんぞいられない・・・
エール蔵王 島川記念館所蔵の作品「はなびら」と「はなふぶき」。
名前だけの紹介に留めておきますネ。
「猫」 1980年 個人蔵
同時代、彼は小動物を描くことにも熱中したらしい。
特に猫を描いた作品は何とも言い難い味わいで、展示室の雰囲気を一気に穏やかにさせてくれる。
ネコを描き始めた初期は短毛のシャムを、その後はヒマラヤンという長毛の猫を描く機会が多かったようであるが、展示されている4枚の猫の絵の中でもイチバンの作品は、間違いなく上に紹介した「猫」だと思われ
Ⅳ 伝統への回帰
70年代末からの加山又造は、水墨画の方向にまで手を広げたようだ。
とはいえ旧態依然とした作品の模倣とは異なり、彼の確信のままに大胆にアレンジし種々の創意工夫を絵の中に貪欲に取り込み、彼でしか成すことのできない作品へと昇華させているのは見事!
大きく広げられた屏風の面積に負けるどころか、より一層の広がりを表現しきっていて、とても見応えある絵画空間。
「月光波濤」 1979年 イセ文化基金
「夜桜」 1982年 光ミュージアム
「倣北宋水墨山水雪景」 1989年 多摩美術大学美術館
「淡月」 1996年 郷さくら美術館
今回の会期では観ることができなかったのだが、8/8からは下記作品が展示替えで観ることができるのだとか。
「月と秋草」 1996年 奈良県立万葉文化館
1時間半ほど彼の世界観にじっくり浸る贅沢なひととき。
百貨店の催事場ではなく、ちゃんとした美術館の展示室で。
しかも人のごった返す東京ではなく、夏の長岡の空調の心地よく効いた美術館で、どの作品もほぼ独り占め状態で心ゆくまで鑑賞できる贅沢さよ
見終わってから、せっかくなのでコレクション展も観ることに。
1枚、とてもインパクトある作品と遭遇。
「炎々桜島」 横山操 1956年
横山操(1920-1973)は加山又造とともに多摩美術大学教授として後進の指導に当たった人なのだとか。
それも彼を担ぎ出したのは加山又造その人だったと知り、まさかそうしたつながりのある画家の、しかも初見ながら非常に迫って来る作品と遭遇し、何とも不思議な面持ちになりました。
この作品、実際に桜島が噴火している現地に出向いて写生をし、作品として仕上げたのだとか。
かなり大きな作品なのだが、黒く垂れこめる噴煙の圧迫感がハンパありません!
余韻に浸りながら、帰路は高速を使わずのんびりと国道17号をドライブ