2017年01月16日

トランプ政権成立で国際秩序はどうなるのか

いよいよ1月20日、アメリカではトランプ政権が成立します。

アメリカ政治が専門の方々が、色々なメディアでコメントや論稿を寄せておられますが、私の場合は国際秩序がそれによってどのように変容するかについて、Nippon.comというウェブサイトでコメントを書きました。「トランプ時代の国際秩序を「1917年」から考える」というタイトルで、100年単位での国際秩序の変化について、論じてみました。どうぞご関心がある方は、ご覧頂けますと幸いです。

それにしても、2017年は、1月20日のトランプ政権の成立や、3月末までのイギリスのメイ政権によるEU離脱通告と、何かと不安なことが続きます。いずれも、アメリカ国民とイギリス国民の意思を反映させた、民主主義の帰結としての重要な決定ではありますが、民主主義時代がいまとても難しい時代に入ってきたのだと思います。

たとえば、もしもトランプ氏の大統領選挙での勝利が、トランプ陣営のロシア政府との水面下のコンタクトや、それを通じたサイバー攻撃と、ヒラリー・クリントン陣営に不利な情報開示による影響の結果であるとすれば、政権成立後のトランプ大統領の統治の正当性に傷がつきます。もちろん、クリントン氏が勝利した場合も、メール疑惑など彼女の信頼性に大きな疑念があった以上、同じような不安に包まれたかも知れません。いずれにせよ、これだけ情報に溢れた世界で、相手に不利な情報を探すのはそれほど難しいことではありません。

他方で、イギリスのEUからの離脱については、イギリス国民の多くは、EU離脱によって、移民管理が可能となり、なおかつそれと同時に単一市場へのアクセスが確保されてイギリス経済にとってはプラスの材料が増えるという理由で、離脱を選択したはずです。イギリス経済に深刻なダメージを与え、それによって多くの雇用が失われる可能性を最初から考慮に入れていれば、違う結果になったかも知れません。すでに、単一市場へのアクセスは難しいことが明らかである以上、現時点での問いは「イギリス経済に大きなダメージを負っても、移民管理を優先して、離脱を実行するべきか」というものになるはずです。

いずれにせよ、アメリカとイギリス、いずれにおいても、国民が民主主義的な意思を表明した結果として困難に直面しているという、難しい状況になってしまいました。民主主義が悪であるとは思いませんが、民主主義が善であることばかりに目を向けて、現代の民主主義がメディアやコミュニケーション手段の変化によって、大きく変質して、新しい問題群が浮上していることから目を背けるべきではないのでしょう。

ただし、私が上記のコラムで書いたのは、より大きな国際秩序の問題です。この変化をどのようにとらえ、どのように対応していくべきなのか。日本にとっても、大きな課題がつきつけられているのでしょう。

hosoyayuichi at 00:48|Permalink

2017年01月09日

『外交感覚』がまもなく刊行!

いよいよ2月3日に、千倉書房から高坂正堯先生の『外交感覚』が刊行されます。これは、1977年から1995年まで高坂正堯先生が『中日新聞』に寄せた時評を集めたもので、中央公論社から全三巻で、刊行されたものを合本したものです。

今回は、恐れ多いことに、中西寛先生が巻頭に解説を書いておられるのにあわせて、巻末に解題を書かせて頂きました。少々長く、この本の背景や、現代的意義、そしてその魅力を存分に描いております。

それにしても、40年前の時評集を今出す意味は、あるのでしょうか。このように感じる方もおられるかもしれませんが、この著書の高坂先生の文章を数ページ読んだだけで、すぐさまそのような疑念が消えていきます。というのも、冒頭でソ連との交渉についてのコラムからはじまるのですが、今日本が直面する対ロ交渉の難しさや、問題点、そして留意すべき事などが、すべて書いてあるからです。安倍総理や官邸の方々が、これらのコラムを読んでからもしも12月の対ロ交渉に備えていれば、もしかしたら少しだけ結果が違ったのかも知れません。

高坂先生は、時間と共に価値がなくなる時評であれば、そもそも書かない方が良い、と本書の中で述べています。すなわち、時代を論じながら、時代を超えた国際政治の本質を描くことを目標に、高坂先生は自らの思索を文章にしたのでしょう。

同時に、外交史料や、回顧録などでは分からないような、当時の時代の息吹が本書を読むと伝わってきます。ちょうどそれは、私が生まれてから幼少期を育ち、大学にいたって大学院進学する時期と重なっています。ほとんど、世界で何が起こっていたのか分からなかった私にとっては、自らの人生を「復習」するかのようです。

あくまでも「解題」を書いているだけですので、恐れ多くも私から献本するのは難しいと思いますが、是非書店で手にとって頂ければ嬉しく思います。



hosoyayuichi at 23:41|Permalink

2017年01月01日

2017年到来!

2017年となりました。みなさま、新年明けましておめでとうございます。

それにしても、2016年は何かと驚きの多い一年でした。国際政治の歯車が大きく動き始めた年として、記憶されるのかも知れません。

2016年は、私の場合は、家族とのパラオへの旅行で幕を開けました。新年のカウントダウンを、パラオのビーチでさまざまな国籍の人たちと一緒に祝うという、なかなか不思議な時間を過ごしました。数日後には、アントニオ猪木さんともホテルのレストランで出会うという、これまた得がたい経験をしました。

この一年は、私にとって、人生で最も色々な方にご迷惑をおかけした一年でした。原稿の提出が遅れ、監訳の作業も遅滞し、編者としてなすべき作業が十分にできず、ダブルブッキングやトリプルブッキングで人を待たせてしまったり、直前でキャンセルをしてしまったりと、完全にスケジュール管理が破綻し始めています。

フェイスブックで教えて頂いた、スケジュール管理ソフトはそれでもかなり役に立っています。15分前にスマホやタブレットでアラームが鳴って、あわててアポイントメントに向かう、ということもままありました。

もちろん、学生の皆さんにも、休講となったり、メールへのご返信が滞ったりと、これまたご迷惑をおかけしております。

2017年は、そのようなことがないように、気を引き締めて、日々の生活のリズムを取り戻すことが重要な課題です。でも、そのために何をしたら良いのか、正直戸惑っているところです。

20代の大学院生の頃には、毎日睡眠時間が約十時間、寝るときと、食事をするとき、お風呂に入るとき以外は、ほぼすべてを研究にあてられるという天国のような生活でした。ところが、そのときには、自分の研究がはたして価値があるのか、認めてもらえるのか、やる意味があるのか分からず、そもそも研究者として自立することができるかどうかも分かりませんでした。

それでも、研究ができれば楽しく、また文章を書くことができれば楽しいという気持ちだけは持っていました。ですので、今でも、本を書くことができるのは、幸せなことだと思っていますし、重要なことだと思っています。亡くなる前の、名編集者で作家の粕谷一希さんが、よく口癖のように言っていたのは、大学教授はとにかく本を書くことが重要だ、ということでした。それがとても心に響いています。

2017年は、しかしながら、前のめりに、時代に追われて、また外からのご要望に追われてバランスを崩しながら続けてきた仕事を、少しばかり冷静に見つめ直して、本当に大切な作業にもう少し時間を使えるようにしたいと思っています。それができないだろうという、いやな予感はあるのですが、研究者としての人生は永遠に続くわけではなく、それほど長いわけでもないと思っています。また大きな研究を完成させるには、体力と、時間とが必要ですから、老年になってからいくつも大著を刊行できるとも思っていません。

有り難いことに、新年のお正月は、日本では仕事がとまって、少しばかりゆっくりと物事を考えることができる時間を得られます。それはとても有り難いことです。今、このように静かな元旦の深夜に、過去の一年を振り返り、これからの一年を想いながら、大切なことにより多くの時間を、そしてそれほど大切でないことにはより少ない時間を使うようにしたいと思っています

2017年も引き続き、多くの方に御迷惑をおかけして、多くの方のご厚意やご海容に甘えざるを得なくなるかも知れません。どうか皆様にとって、健康で素敵な一年となりますよう祈念しております。

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2016年12月31日

論壇に未来はあるか

大晦日。久しぶりに予定が入っていなかったために、午後に近くの空いている喫茶店でコーヒーを飲みながら読書をして、それからたまりにたまったメールの返信を書き始めています。数百通はあると思いますので、おそらくは「年越し」はメールを書きながら?!になる見通しです。

一昨日は、神楽坂のカフェで若松英輔さんの新刊本『言葉の贈り物』を読んでとても感銘を受けましたが、今日は喫茶店で、『中央公論』2017年1月号を読みました。なんとなく、一昨日の読書と繋がっていて、楽しかったです。

その中でも素晴らしかったのが、やはりというか、山崎正和先生の「『論壇』の危機と回復への曙光」です。すでにお読みになったかたも多いのでは。

いったい今の論壇で何が問題なのか。山崎先生は、学問的なトレーニングを受けない者が、現在の論壇では根拠のない軽薄で感情的な主張を繰り返すことに警鐘を鳴らして、次のように述べています。

「肝心なのはたんに人が知識を得たことではなく、その習得の過程で自己を規律によって磨いたという経験であり、文字通り職人の誰もが必ず耐える通過儀礼である。この経験を経ることで論壇人は謙虚さを学び、思いつきの言い放しを慎むようになり、自己顕示のためだけの論争を控えることにもつながるだろう。」

なるほど、たとえば大学院で経済学の学位をもっていないにも拘わらず、日本の新聞や雑誌で「エコノミスト」として政策を好き勝手に論じて、あるいは安全保障研究に触れたことがないのに安保法制の際にその法律や政策の「危険性」を煽り、さらにはもともとフランス文学が専門(専門業績はない)なのに、「大学教授」としてあらゆる分野に口を出して論評をすることが、どれだけ日本の論壇の質を劣化させているのか。山崎先生は、それらの「論客」の「謙虚さ」の不足と、「言い放し」を批判しているのかもしれません。

そして山崎先生は、それらを精査するうえで重要な社会的な制度として、次のようなことの重要性を指摘しています。

「そこでかろうじて機能するのが相互批評であり、公的な評価制度であって、健全な論壇の生存にはこの2つが欠かせない。」

「健全な論壇」が存在するためには、新聞記者や、雑誌の編集者などが、そもそもその分野にある程度精通して、政治学や経済学、社会学の学問分野に明るくないといけないのでしょう。しかしそれが、機能不全を起こしている。

さらに山崎先生は、よりいっそう現代人が殻の中に閉じこもる危険性を、次のように指摘しています。

「若者を中心として、現代人の関心は電子機器に乗りやすくい短く断片的な情報、受け手にとって使い捨てしやすい軽い情報に集中し始めている。長いページ数を費やして論理の構築を重視する論文、長時間の読解と記憶のなかで真価を発揮する評論は、その結果として大衆に忌避されているとみなされている。活字そのものはスマートフォンの画面でも使われているから、要するに嫌われているのは活字の長い行列、連続する長文の思考表現、いいかえれば論壇を作る言葉なのである。」

一昨日の投稿では、若松さんの著書を参照して、「言葉の護符」、すなわち「心の糧」となるような言葉の力を語りました。他方で、現在では、人々は長い文章を忌避する。

本当は人は言葉がないと生きていけないのに、言葉を忌避することで、逆説的にあたたかみがあり、真実を語り、重みのある言葉に飢えているのかも知れません。そのようなことを考えると、山崎先生が「回復への曙光」と語る意味が、少しばかり理解できるようになりました。


hosoyayuichi at 19:33|Permalink

心の糧

いよいよ2016年も、あと24時間を切りました。イギリスのEU離脱や、アメリカ大統領選挙でのトランプ氏の勝利という衝撃が続き、激動の一年となりました。

年末、まだまだやらなければならない仕事がたくさんあるのですが、前から予定をしていた出版社の某S社の宿泊施設に二泊三日で滞在して、読書と思索、そして執筆を行っておりました。

日々、忙しい時間を過ごしていると、なかなか立ち止まってゆっくりと思索をする時間が得られません。ゆっくりと立ち止まって思索ができないと、何をするべきで、何をするべきでないのか。何が重要で、何が重要でないのかを、丁寧に見分けることができなくなってしまいます。もちろん、何が重要で、何をするべきかが見えなくなってしまっていることが、そもそも忙しくなって心に余裕がなくなる原因なのかもしれません。

神楽坂にある某宿泊施設の近くには、とてもすてきなブックカフェがあります。9月にこちらに宿泊した際に見つけた「宝物」であり、今回も密かに、またここに来るのが楽しみでした。

良質な本が並ぶブックショップに、美味しいコーヒーを出すカフェが融合しており、静かな空間と、落ち着いた内装で、読書人には天国のような場所です。

まずは、テーブルについてから、昼食のビーフシチューとコーヒーのセットを注文。それから、料理が運ばれるまでのしばしの待ち時間を、書架に並ぶブックショップの本を眺めるという幸せ。ビーフシチューも、コーヒーも、そしてパンも、全てが美味しいです。

それで、書架に並ぶ本のセンスがよいこちらのブックショップには、やはり今回眺めても、私の本は置いていません。残念ながら、本を選ぶセンスの良いこちらの店主の目には、まだ私の本は止まらなかったのかも知れません。まだまだ修行が足りないので、よりいっそう精進します。

さて、私と比較的世代が近いながらも、私が最も尊敬する作家の一人である若松英輔さんの新刊本が何冊も並んでいて(やはり並んでいる本のセンスが良い!)、すかさず二冊、新たに購入しました。11月に刊行された、『言葉の贈り物』と『生きていくうえで、かけがえのないこと』で、いずれも亜紀書房から刊行されています。装幀も素晴らしく内容も素晴らしい。言うことありません。

さて、それで席に戻って、ぱらぱらと読み始めると、たちまちその美しい文章と、深い思索に引き込まれました。まるで、乾いた大地に恵みの雨を降らせるかのように、若松さんの優しく深い精神が、文章からにじみ出てき、私のかさかさと渇いた心にしみいります。この本は、かろやかなエッセー集で、冒頭のエッセーのタイトルは、「言葉の護符」です。ちょっと変わったタイトルですよね。

冒頭で、次のように書かれています。

「空気や水、食べ物がなくては生きていけない。だが言葉もまた、生きるのに不可欠なものである。言葉は、文字どおりの心の糧だからだ。さらに言葉は食べ物以上に大きな、また深刻な影響を私たちの日常にもたらしている。食べない日があったりしても言葉から離れることはない。それにもかかわらず、人は、そのことを忘れがちだ。」

これほどまで言葉を大切にする作家は、現代の日本では、多くはありません。若松さんの著作が、心に深くしみいるのは、これほどまでに言葉を大切にしているからなのでしょう。そして、次のようにも書いています。

「本当に必要な言葉を見失っていることがあるのは、聞こえのよい言葉を探しがちだからなのかもしれない。苦しいとき、名言、格言めいたことばを探してもあまり役に立たない。危機にあるとき、私たちが本当に必要な言葉はもっと凡庸な姿をしている。」

そして、若松さんは叫びます。

 愛する者に言葉を贈れ
 その人を守護する
 言葉の護符を贈れ

そのような「言葉の護符」を贈ることができるような人間になりたいと、私は思ってきました。そして若松さんは、まさにそれを作家として、実践しているのですね。

この本の中には、実に美しい言葉が並んでいます。他方で、ネットには醜い言葉が溢れ、また政治指導者も率先して卑屈で憎悪に溢れ、陳腐で低俗な言葉に頼りがちな時代に、誰かが言葉の美しさを護らないといけない。

「苦しい出来事があって、立ち上がることが困難なときでも、私たちは一つの言葉と出会うだけで、もう一度生きてみようと感じられることがある。別の言い方をすれば言葉は、人生の危機において多くの時間と労力を費やして探すのに、十分な価値と意味のあるものだともいえる。」

読書という文化の灯火が消えつつあり、言葉の品格が失われつつあり、人々の精神が疲弊して苦悩する時代。美しい言葉という恵みの雨を降らせて、乾いた大地を潤さなければなりません。まさに、若松さんはそのようなことができる、稀有な作家だと思っています。このコラムの最後は、次のような言葉で綴じています。

「言葉は、心の飢えを満たし、痛み続ける傷を癒やす水となる。言葉は、消え入りそうな魂に命を与える尽きることなき炎にすらなる。」

毎年年末には、一年の疲労が蓄積して、たいてい体調を崩すのが恒例になっている私ですが、美しい言葉に癒やされ、爽やかなブックカフェの空気に浸ることができて、なんだか癒やされました。政治の質が劣化して、多くの政治的な希望が失われた2016年。憎しみが膨張して、他者を攻撃することに余念のなかったこの一年の最後に、それでもなお、地上にはまだ美しい言葉が遺されていることを信じて、来年以降も読書に喜びを感じるとともに、他者に喜んでもらえるような言葉を綴ることができるようになりたいと思っています。

hosoyayuichi at 03:00|Permalink