2020年06月17日

外交官の文章

ギターを買ったばかりの高校生が、ビートルズの曲に惹かれてジョージ・ハリソンの曲をコピーしようとするように、私が大学生の時に、『外交フォーラム』という月刊外交専門誌(『外交』の前身)を読んで、芳賀徹先生の連載「外交官の文章」に憧れて、いつかこういった文章を書きたいと焦がれていました。

それを真似して書いたのが、『外交フォーラム』の連載、「大英帝国の外交官たち」でした。それは今でも、私にとって一番楽しく、生き生きとやりがいのある仕事であり、著作です。後に、筑摩書店の名編集者、湯原法史さんにご担当を頂き、『大英帝国の外交官』という単行本になりました。こういった本を書きたいと思って、学者の世界に入ったので、あとはもうどうでもよい「おまけ」のような人生です。

さて、その湯原さんが、丹精込めて単行本化したのが、こちらの一冊。芳賀徹先生の遺作、『外交官の文章』(筑摩書店)です。気品ある文章に相応しい、気品のある装幀。はたしていま、どれだけの外交史家が、日本でこれに匹敵するような美しく芸術的な文章を書けるのか。もしかしたら、すでに失われてしまった伝統であるのかもしれません。

何よりも素晴らしいことは、芳賀徹先生がこちらで扱っている外交官のいずれもが、外交官として文章を書くという作業をいわば芸術の領域であるかのように美しく品格をもって磨き上げていることです。その言葉が、人の心に浸透して、政治を動かすこともある。有名なのは、たとえば陸奥宗光の『蹇蹇録』の名文、「他策なかりしを信ぜむと欲す」ですよね。本書では、オールコックからはじまり、林董、陸奥宗光、小村寿太郎、ポール・クローデル、幣原喜重郎、ジョージ・サンソム、吉田茂らが、芳賀先生の名文により息吹を蘇らせています。

外交官からも、外交史家からも、文学的素養が必要とされなくなった現在に、是非とも多くの人に読まれて欲しい一冊です。

hosoyayuichi at 21:37|Permalink

2020年06月05日

コロナ対策の「日本モデル」を正しく理解する

来週金曜日、6月12日の「国際政治チャンネル」は、永久保存版! 

おそらく「日本モデル」の発案者である、レギュラーの篠田英朗さん。そして、核不拡散研究、国際機構研究の第一人者で、在ウィーン国際機関日本政府代表部元公使の秋山信将さん。

このお二人は、色々と共通点が。まず研究者としてのスタートが、広島!平和構築研究と核不拡散研究を、お二人とも、被爆地広島で行っていたことは、なんとも深い結びつきが。そして、篠田さんがLSEで博士課程、秋山さんはオクスフォードで博士課程と、ブリティッシュ。

国際政治学者として同じ職業ながらも、異なるフィールドでそれぞれ第一人者となったお二人が、「新型コロナ」を契機に、国際政治チャンネルでご一緒に登場します!

本当は、篠田さんが司会的なポジションで登場する予定だったのですが、これは私のわがままをきいてもらい、篠田さんには「日本モデル」とは何か、それはどのように考えたら良いのかをじっくりとお話頂くために、私が司会ポジションを奪い取りました!篠田さんにはむしろ、自由に気楽にお話し頂ければと。

また、秋山さんもおそらくは、控えめな性格故、色々とご配慮をされてあまり割り込んでこない可能性もありますので、私も篠田さんも秋山さんとは親しい友人ですので、是非とものびのびと好きなことをお話し頂ければと思いました。特に、本来であれば、この春にはNPT運用検討会議が開催されるはずだったのですが、コロナの関係で延期。そこで、色々と語りたいことや、熱い想いもあるはず。そのあたりも、じっくりとしゃべって頂きます。

ということで、ばっちりと私が責任をもって切り込みます!どうぞ新型コロナでまだまだ「新しい生活様式」、外出もままならぬ毎日。折角の機会ですので、どうぞご自宅で、ネットを繋いで「国際政治チャンネル」で視野を広げてみるのはいかがでしょうか?

ぜひお楽しみに!



hosoyayuichi at 22:41|Permalink

2020年06月02日

蘇る後藤新平

政府が進めるクラスター対策や、「日本モデル」について、賛否両論が溢れておりますが、私はこれについては、内務省衛生局長だった後藤新平以来の日本の公衆衛生観の一つの伝統の系譜にあるという印象があります。すなわち、それぞれの文化や社会、環境におうじて、必要な対策が異なるということです。

北岡伸一教授はその著書『後藤新平』(中公新書)のなかで、後藤新平台湾民生長官の公衆衛生政策について次のように書いています。

「後藤は、初期台湾統治の失敗の原因について、どのように考えていたのだろうか。一言でいえば、慣習の無視ないし軽視が根本的な誤りであると後藤は考えていた。」

「統治は生物学の原理すなわち慣習の重視によって行われなければならない、これを十分研究することなしに、概念的な施政方針を述べても仕方がないと後藤は考えたのである。」
(北岡伸一『後藤新平』中公新書、39頁)

すなわち、欧米のモデルをそのまま日本や台湾にあてはめても、うまくいかない。

一方で後藤は、ドイツ留学では同時期に北里柴三郎と交流をしながら、当時で最先端の衛生学や感染症学に接する機会がありました。独りよがりの科学的知見を無視するのも良くない。他方で、異なる環境や社会を無視して、一律である対策方法をあらゆる国にあてはめるのもうまくいかない。

このような認識から私は、「日本モデル」を世界中で当てはめようとするのも間違いだし、英米のような強力なロックダウンとPCR検査の大量導入を実施するのも必ずしも効果的とは限らないという認識です。現在の日本の状況を前提に最善の対策を摸索するしかないし、様々な方策を総合しなければならない。

私は感染症学の専門家でも、公衆衛生の専門家でもなく、国際政治の歴史を学ぶ研究者です。他方で、だからこそ、国際比較の視点や、歴史的な視点を組み合わせて、今ある危機や困難を相対化して論じることが可能だと感じています。どのような政策が、もっとも適切なのか。そしてこれからの世界秩序はどうなっていくのだろうか。日本の歴史をふり返りつつ、同時に世界史の視座から今の日本を相対化して論じるというこれまでの私の用いてきた研究の視座を活かしながら、現在われわれが直面する巨大な問題をこれからも考えていきたいと思っています。


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2020年05月23日

外務省研究の新しい一冊

現在、外務省研修所所長をされている、片山和之さんが、その制度と歴史を読みやすい文章でまとめたご著書、『歴史秘話外務省研修所 ー知られざる歩みと実態』(光文社新書)を刊行されました。
読むのがとても楽しみであった一冊で、手もとに届いてページを開いてみると、良い意味で期待が裏切られて、タイトルが意味する内容よりもはるかに大きなテーマ、深い問題を扱っておられました。外務省を目指される学生の皆さんや、あるいは外交官として活躍されている若手の方々には必読の一冊となりそうです。

「良い意味で期待が裏切られた」というのは、外務省研修所の歴史と現状について、現在所長という立場におられて淡々とおまとめになったご著書と想定していたのですが、実際には、外務省の歴史、そして外交官のあるべき姿を論じた、「外交論」の一冊だと思っています。

私は以前から、「外交学(Diplomatic Studies)」を日本で広げたいと思って、2007年には『外交 ー多文明時代の対話と交渉』(有斐閣)という著作を刊行しました。日本ではほとんど知られていない「外交学」ですが、英語ではThe Hague Journal of Diplomacy (HJD)という学術誌もあり、私は僭越ながらも、そちらのInternational Advisory Boardに加えて頂いております。

全くの偶然ですが、今日、手もとに届いた最新号のVolume 15, Numbers 1-2が「外務省研究特集(Ministries of Foreign Affairs: Institutional Responses to Complexity Diplomacy)」で、外務省研究の優れた論文が並んでおります。その責任編集が、パリ政治学院教授で、私が客員教授時代に何度かお会いしてお世話になったEU研究の大家のChristian Lesquesne教授です。実は、この特集号に、私の論文も寄せるはずだったのですが、結局期限を過ぎても書けずに、落としてしまうという研究者としても申し訳なく恥ずかしいことをしてしまいました。穴があったら入りたい気分です。

ともあれ、外務省研究はヨーロッパ、とりわけイギリスでは発展しておりまして、例えば、イギリス外務省であれば、Anthony Seldon, Foreign Office (2000)や、Zara Steiner, The Foreign Office and Foreign Policy (1969)がその優れた代表的なものです。外交学も外務省研究も日本では必ずしも十分には発展しておりませんが、旧知のHJDのJan Melissen編集長からは、外交学を欧州中心主義から解放して、アジア諸国も研究対象として広げたいという強い要望を何度となくご指摘されています。Melissen教授は、パブリック・ディプロマシー研究の大家で、一度、慶應でもご講演を頂きました。
片山所長のこの本は、そのような外交学の系譜に連なる貴重な研究業績となり、外務省研修所の歴史的発展を描いた最初の体系的な著作になるかと思います。細谷千博一橋大学教授(私の親戚ではありませんが)が中心にとりまとめた『外務省の百年』が刊行されて早くも半世紀。

片山所長が記すように、外務省設立から昨年は150年です。そいうった節目の年に、日本における外交制度と外交官研修の発展を振り返るのはとても意義があることです。どうじに、日本政府、とりわけ日本の外務省が、どのような人材を育成しようとしていたのかということを知ることもまた、日本外交の本質を理解する上での、重要な基礎となります。茗荷谷の旧外務省研修所の写真や、当時の様子が書かれており、私があいにく見る機会がありませんでしたが、とても興味深かったです。

私自身も、相模大野の外務省研修所には、もう十年近く、「西洋外交史」の講義を入省後の海外研究前の若手外交官の方々に講義をしてきておりまして、少なからぬご縁とお付き合いがあります。ただし、今年度はコロナの関係で、研修での講義も中止。ちょっと残念ですが、また別の機会にお話しする機会があるのではないかと、楽しみにしております。

どのような組織も、若手の研修と人材育成は、その組織の活力の源泉となります。海上自衛隊幹部学校も大塚海夫海将が、航空自衛隊幹部学校も長島純空将が一つ前の学校長で、その組織の最も優秀で、最も魅力的な方をその任に当たらせておりました。外務省も、三代目の所長が、名外相として名高い佐藤尚武であったとは知りませんでした。外務省が、引き続き優秀な人材を育てる優れた組織であり続けるためにも、是非とも片山所長には引き続きご活躍頂ければと願っております。

hosoyayuichi at 21:28|Permalink

2020年05月16日

歴史の教訓

第一次安倍政権と第二次安倍政権の中枢で、安倍外交を支えていた兼原信克前官房副長官補の、壮大な歴史を論じるご著書、『歴史の教訓 ー「失敗の本質」と国家戦略』(新潮新著)が刊行されました。書籍の帯で、「博覧強記の元外交官」と書かれているように、膨大な量の書物を読み、常に歴史と哲学との連関の中で外交政策を立案する、異色の外交官で、国際的にもよく名前が知られた著名な方の新著です。

半年ほど前にこちらの書籍の構想と執筆のご様子をうかがってから、刊行を待ち焦がれていた書籍が手もとに届きました。何人もの方がすでにこちらのFBでのご紹介されておられましたが、とてつもなくインパクトのある一冊になるであろうと思います。

私自身おそらく、絶版にならないかぎり大学を定年で辞めるまで、ゼミなどのテキストで使わせて頂くでしょう。また陸奥宗光『蹇蹇録』、幣原喜重郎『外交五十年』、東郷茂徳『時代の一面』、岡崎久彦『戦略的思考とは何か』などとならび、日本外交を政策論的にも語る上で不可欠な一冊になるのだろうと思います。

ここまで書くと、やや過大な表現ではないかと感じる方もいらっしゃるかもしれません。でも、なにせ著者は日本政治史上最長の政権となった安倍政権において、7年の長きにわたって首相官邸で副長官補として安倍外交の屋台骨を支えて、さらには本書の中で書かれているようにいくつもの重要な安全保障制度改革を実現してきました。その政策形成への関与がそうであったように、本書の記述も、ご自身が文章で直接的に書かれていること、そして論理構造で戦略的に意図していること、さらには行間ににじませる価値や哲学と、何層にも著者の意図が組み込まれた、立体的で複合的な内容になっているように感じます。

「あとがき」を読んでちょっと意外な印象を得たのは、二人の人物の死を語り、感情が表出している文章です。すなわち、著者の「師」でもある岡崎久彦大使の死と、著者を郷里で育てた母の死です。いつも冷徹で緻密な論理を語られる兼原さんが、そのように自らの感情を表現することをあまり見たことがありません。情に訴えることを避けて、理性的な論理に基づいて自らの外交政策論を語られてきた印象があるからです。もしかしたら、官邸で国家の運命を支える重責に長年い続けた後に、そこから退いて肩の荷がおりて少しばかり心境の変化があったのかもしれません。

岡崎大使は何度も何度も私に向かって、「安倍さんの外交は、兼原君がいるから、全く問題ないですよ」と、自信に満ちて本当に安心して語っておられました。兼原副長官補を信頼し、またその能力をきわめて高く評価していたゆえかと思います。

私自身、兼原さんには本当に色々なことを教えて頂き、感謝しつくせません。頭の回転のスピードが早すぎていつも思考がついていけなくて、また私が10メートル先を見ているときに、兼原さんは10キロ先を見通していたために、同じことを話しているときにも異なる風景を眺めていたような気がします。それゆえこの本も、じっくり吟味をして何度も読まないと、その記述の背後にある意図を深く理解できないものと覚悟しています。もしもその記述の意図が多少なりとも理解できたときには、日本外交への理解や、安倍外交への理解も、きっと深まるのではないかと楽しみにしています。

学問が細分化されて、歴史研究も各専門分野へとたこつぼ化される中で、知を「全体」として語り、また総体として日本近代史、さらには日本外交の通史を語れる人は、ほとんどいません。ほぼ唯一の例外が、『日本外交の150年』を刊行された、私が尊敬して止まない波多野澄雄教授かもしれません。研究者がなかなかそのような作業ができなくなっているなかで、「学者外交官」である著者がそのような役割を担って頂いたことは、外交を学ぶわれわれにとっても幸運なことだと感じています。
深く、広い内容だと思いますが、一人でも多くの方が本書に触れて、思索の森には行って行かれることを、願っています。



hosoyayuichi at 01:22|Permalink