2016年07月16日

ニースの悲劇

イギリスの左派系の新聞『ガーディアン』の記事によれば、フランスでテロが繰り返される理由の一つは、フランスが世俗主義的な自由主義を象徴する存在であり、そのことをイスラム過激派が敵視して、それを破壊しようと試みているということです。危機にあるのは、フランス人の安全ではありません。戦後われわれが擁護してきた、人権や、寛容や、自由、そして共生という価値が、かつて経験したことがないほど、深刻な危機に瀕しているのです。これは、日本人にとっても無縁のことではありません。

日本人は、自由主義や、民主主義、人権というような理念を、どの程度真剣に擁護するつもりがあるのか。今まで、日本はイラク戦争でアメリカを支持したから、テロリズムの対象となる、というようなことをいう論者が多くいました。いうまでもなく、フランスはイラク戦争でアメリカに反対して、それを阻止しようとした国家であり、また戦争にも協力せず、支持もしていません。

イラク戦争で、仮に日本がアメリカの戦争を支持せずに、反対して、それを阻止しようとしたとしても、フランスが実際にそうであるように、イスラム過激派が嫌悪する「無神論者」である日本がテロリズムの対象となることは当然のことです。また、フランスはシリアでの「イスラム国」への空爆に加わっていますが、激しいテロリズムを経験したベルギーは、フランスような空爆を行っているわけではありません。

今問題になっているのは、アメリカとどの程度緊密な同盟国かどうかではありません。「イスラム国」は、何よりも、シリアでアサド政権の軍隊との戦争を続けていますが、アサド政権のシリアは、イラク戦争でアメリカを支持したわけではないですし、アメリカの同盟国というわけでもありません。

「イスラム国」を放置すれば、シリア難民に見られるように、多くの難民がヨーロッパに押し寄せて、フランス国内は深刻な問題に直面します。だから、それを放置するわけにはいかない。

「アメリカを支持するべきではない」、「「イスラム国」を敵視すべきではない」、という人たちは、はたして日本が自由主義や人権の価値を放棄して、「イスラム国」の同盟国となって野蛮な行動をともに行うべきだと考えているのでしょうか。

1930年代に、戦争を恐怖してヒトラーのドイツと戦争をしたくないあまりに、人権を蹂躙してユダヤ人を迫害して侵略を求めるヒトラーと手を組んで、協力するべきだというイギリス人やフランス人がおりました。宥和政策です。彼らがその後、イギリスやフランスの国内でどのような処遇を受けたのか、皆さんもよくご存じのはずです。

もちろん、空爆によって死者を増やすだけでは、問題解決にはなりません。それにより市民が殺された写真を「イスラム国」などの集団がインターネットでその画像を流して、その悲惨さをアピールすることで、フランス国内やベルギー国内の純粋なイスラム教徒の琴線に触れて、新たなテロリズムの発生の温床になります。かといって、彼らの活動を放置をすることは、アフガニスタンやシリアなどをテロリズムの温床としてしまう。この難しい現状に対して、いったいなにが最も望ましい政策なのか、私にはよく分かりません。

ニースには、二度ほど訪問して、今回のトラックによる殺戮の現場となったプロムナードも何度も歩きました。とても素晴らしい、平和的で美しく、心が安まる場所でした。これから永遠に、このプロナードは死者の追悼と、テロリズムの記憶から逃げられません。とても悲しい心境です。

https://www.theguardian.com/world/2016/jul/15/why-does-france-keep-getting-attacked?CMP=fb_gu

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2016年07月12日

イラク戦争の検証

イギリスでは、7月6日に、イラク戦争をめぐる独立検証委員会が、その検証結果となる報告書を公表しました。いわゆるチルコット委員会報告書です。

イギリスのイラク戦への関与について、当初より関心を持っており、また2009年には『倫理的な戦争 ートニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会)を刊行して、自分なりに、なぜブレア首相がアメリカと共に戦争へ向かう決断をしたのか、深く知りたいと思うなかでその問題を掘り下げて検討しました。幸いにして、こちらの本は吉野作造賞を頂きましたが、なかなかその本の中の主張は理解されずに苦い思いをした記憶があります。イラク戦争反対派は、本を読まずにそのタイトルから「イラク戦争を倫理的な戦争なんて持ち上げるのは、許せない」と怒り、イラク戦争賛成派は本を読んで、「イラク戦争に対してちょっと批判的すぎる」と怒り、どちらの側からも、あまり良い印象を持たれておりません。

それで、チルコット委員会報告書の概要を読んで感じたのは、やはりイラク戦争はかなりの程度イギリスの国益を損ねた結果となり、またブレア首相の責任は重い、ということです。私は、当時のイギリスがアメリカの同盟国として、同盟国を支持せずに正義を語ることがどのていど可能であったのかに関心があり、それを探ってみたのですが、報告書では「政治的な支持」だけを与えて、戦争に協力しない、という方法もあった、と論じています。じつは、その選択肢を採ったのが、オランダであり、日本でした。両国は、国連安保理決議に基づいたイラクの戦後復興には関わっています。

同時に、チルコット委員会報告書の概要は、おおよそ私が『倫理的な戦争』で書いた議論と重なっています。これは、私が正しかった、ということではなくて、当時私が利用可能な、政府の公開資料や、政治家や外交官の回顧録、そして新聞記事などを幅広く読んでかいたということであり、政府の非公開機密文書を読めずとも、オープンリソースを利用するだけでもかなりの程度、政府の動きはフォローできる、という印象です。

安保法制で議論をした際に、「イラク戦争を支持した反省もせずに、よく安保法制を賛成できるな」と批判をされましたが、私はイラク戦争を明確に指示したことはなく、イラク戦争を支持したブレア首相の論理について新聞で何度か解説しただけです。私が、イラク戦争に比較的批判的な論調であることは、開戦から半年後の2003年に毎日新聞に寄せた、下記のコメントでもご覧頂けると思います。

ただし、それは私が正しかったといいたいのではなくて、私を上記のように批判する人が事実に基づかない中傷であるということを示したいからです。私自身は、正直言って、当時イラク戦争が正しい戦争なのか、間違った戦争なのか、断言する知性も能力もなく、漠然とよく分からないという印象でした。だから、自分で深く知りたいと思って、『倫理的な戦争』を書いたのです。

イラク戦争に比較的批判的で、安保法制に賛成という論調が比較的珍しいのではないかと思いまして、チルコット委員会報告書の公表とあわせて、所感を書いた次第です。

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「論」の現場・イラク占領の代償 戦後世界に広がる亀裂ほしい痛みへの想像力
簡易検索  2003.09.22 東京夕刊 6頁 文化 (全1,397字) 
 ブッシュ大統領の事実上の勝利演説後、イラクでの米兵の死者数は戦争中を上回り、米英による占領は暗礁に乗り上げた。「解放」を喜ぶ市民の姿は何だったのだろうか。この夏、関係国を歩いてきた2人の研究者を訪ねた。
 中東の人類学が専門の東京都立大教授、大塚和夫さんはエジプトで現地の報道を調べた。湾岸戦争では多国籍軍に参加したが、イラク戦争では米国と距離を置いている。
 戦後について、大塚さんは本紙「論点」(4月13日付)で、<大半の議論が大国主義の立場から、中東の民衆の意向を無視する形で進められている>と書いた。エジプトの反応はどうなのだろう。
 「表立った米国への抵抗はありませんが、新聞を読んで言葉遣いの違いに気づいたんです。イラク人が死ぬと『殉教』、米兵の場合は単に『死亡』。『占領軍』という言い方もよく使われていました」
 占領という言葉は、パレスチナにも用いられる。イスラエルのパレスチナ占領が、米英のイラク統治と重ねてみられているというのだ。
 半世紀あまり前、日本も占領を経験した。しかし当時の日本と今のイラクを同列には論じられないと、大塚さんは話す。天皇制が維持された日本と軸のないイラク。1921年に成立したイラクに、国民意識がどの程度根付いているかも疑問がある。
 相次ぐテロの背景もつかめず、市民の複雑な感情はなかなかうかがい知れない。
 「9・11事件2周年式典での遺族の悲しみを見て思いました。誤爆や誤射で家族を殺されたイラク人の恨みは、潜在的に残っている。米国を素直に解放軍とは呼べないだろう、と」。アラブ人が抱く不公平感を、大塚さんは口にした。
 戦場になったイラクはもちろんだが、占領した側の代償も大きかった。英国外交史が専門の敬愛大専任講師、細谷雄一さんは、ブレア政権のキャンベル戦略広報担当官辞任を英国で目の当たりにした。大量破壊兵器をめぐる情報操作疑惑の中心人物である。
 日本の国会でも「戦争の大義」は問題になったが、議論は平行線のままだった。違いはどこから生まれたのか。
 細谷さんが指摘するのは英国流の民主主義だ。
 「政府は国民を裏切らない。その限りで国民はブレア政権を支持してきました。しかし、イラクが切迫した脅威ではなかったことがほぼ明らかになったのです」
 外交や機密活動をすべて公にするのは難しい。英国民ももちろん、それは理解している。だが、だからこそ政府は正当な根拠に基づき決断することが求められる。この民主主義の伝統を、「私を信じてほしい」と訴えてきたブレアが裏切ったというのである。
 もう一つ、細谷さんが挙げるのは英米の「特別な関係」だ。『アステイオン』59号でも、細谷さんは人種や文化の面で一体と考えられがちな関係が、実は英国の国益に基づく選択であることを強調している。米国の孤立化を防ぎ、影響を与えた方がメリットがあるという理由からだ。
 ところが、最前線に部隊を送り諜報(ちょうほう)でも貢献しながら、米国の政策にあまり影響を与えることができなかった。「ブレアは今、自分の決断を後悔しているかもしれない」と細谷さんは言う。
 占領がどれほど深い傷を残すものか。北方領土や沖縄の基地問題などを思い起こせば、見当がつくはずだ。それなのに主体性なき日本は、世界に広がる亀裂に気づいていないように思えてならない。【岸俊光】

hosoyayuichi at 09:47|Permalink

2016年07月05日

『安保論争』が刊行されました

これまで、新聞や雑誌などに書いた短い文章を中心にして構成して、さらに最近の動きを追った部分を書き下ろしで加えました新刊本、『安保論争』(ちくま新書)が刊行しました。

他にも多くの締め切りを過ぎた原稿を抱えており、大変に心苦しくも感じますが、参議院選挙を機会に安保関連法廃案の主張を野党の一部が行っており、それに対してこの問題をどのように考えればよいのかを、外交史の観点から論じたものです。ご覧頂ければ幸いです。

「はじめに」の一部が、下記のリンクでご覧頂けますので、どうぞご笑覧頂けましたら有り難く思います。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/201

hosoyayuichi at 18:11|Permalink

2016年07月03日

EUSI緊急ワークショップのご案内「BREXIT後のEU」(7月12日)


以下のように、7月12日(火)の夕方18:20から、慶應義塾大学三田キャンパスで、「BREXIT後のEU」と題する緊急ワークショップを開催します。ご自由にご参加頂けますので、どうぞお気軽にお越しくださいませ。

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EUSI緊急ワークショップ
「BREXIT後のEU−イギリスとEUはどうなるのか?」

日時: 2016年7月12日(火) 18:20−20:00
場所: 慶應義塾大学三田キャンパス 南館B4ディスタンスラーニングルーム
(※↑上記HP下部にあるキャンパスマップ内の13番目の建物(=南館)の地下4階で開催します)

参加: 無料・事前登録不要(どなたでも参加できます)

パネリスト:
田中俊郎(慶應義塾大学名誉教授、ジャンモネ・チェア、EUSI理事)
庄司克宏(慶應義塾大学教授、ジャンモネ・チェア)
網谷龍介(津田塾大学教授、EUSI執行委員)

司会: 細谷雄一(慶應義塾大学教授、EUSI執行委員)
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本ワークショップでは、EU政治がご専門の田中俊郎先生、EU法をご専門とする庄司克宏先生、欧州比較政治が御専門の網谷龍介先生という、それぞれの分野で第一人者の先生方によるご討論を頂きます。なお司会は、欧州国際政治ならびにEUの対外政策などを幅広く専門とする細谷雄一先生が務めます。

http://eusi.jp/outreach/seminar-workshop/eu-brexit20160712/

hosoyayuichi at 20:38|Permalink

2016年06月26日

イギリスは第2のオーストリアになるのか

今からちょうど100年前のこと。1916年に、68年間皇帝に君臨してきたハプスブルク帝国のフランツ・ヨーゼフ2世が死去しました。これは第一次世界戦中のこと。

第一次世界大戦は、ご承知の通り、サラエボ事件を契機としたオーストリアのセルビアへの最後通牒から始まります。ハプスブルク家は、ヨーロッパでも名高い名門の王室。長年、神聖ローマ帝国の皇帝に就き、神聖ローマ帝国終焉の後は、ハプスブルク帝国の皇帝としてヨーロッパの大国を統治してきました。そのオーストリアは、経済的な衰退と、軍事的な地位の低下、そして多族が同居する国内問題に揺れ動き、あえて強硬な姿勢を示すことで大国としての地位を維持して、また国内の結束を固めようとしました。その帰結として、セルビアに対する宣戦布告、そして交戦状態に入り、戦争が始まります。まさかこのときに、オーストリアの指導者達は、これが契機となってオーストリアの大国としての地位が失われ、その国家が解体するとも夢にも思っていなかったでしょう。

帝国解体のきっかけは、よく知られたとおり、独立を求めたチェコスロバキアのナショナリズムの動きです。内側から大国オーストリアは崩壊したのです。1918年、カール一世は退位して国外に亡命し、ここに680年間ヨーロッパに君臨したハプスブルク家が統治を終え、オーストリアは帝国として解体します。そして、その末には、解体した中でドイツ語を話す人びとが住む小国のオーストリアが誕生します。

その百年後、ナショナリズムに突き動かされたイギリスは、2016年に国民投票でEU離脱という強硬策をとってEUと敵対し、過去の栄光を夢見て大国としての地位の回復を目指しました。そして、それに怒りを感じたスコットランドは、独立へ向けた準備を進めています。内側からスコットランドは独立に動き、北アイルランドのカトリック勢力はEU残留を目指してアイルランドとの国家統一へ動き、イングランドは孤立への道へ進んでいます。戦争がないという違いはありますが、かつての大国であったハプスブルク帝国が解体して、文化や民族の異なるチェコスロバキアが独立をして、否応なく小国のオーストリアが誕生したように、かつての大国の連合王国が解体して、文化や民族の異なるスコットランドが独立へ向かい、小国のイングランドが誕生しようとしています。かつてのオーストリアよりは、イングランドの方が大きな国力を持っておりますが、それもまたロンドンの金融に依存したイギリス経済は、多くの銀行が本社をEU圏内のアイルランドや大陸へと動かすとすれば、否応なく衰退へ向かいます。

大国イギリスの自殺。理性的なイギリス国民が、怒りの感情にまかせてそのような決断をして、国家の解体へと動き、国際社会での孤立の道を歩むとは、悲しむべきことです。

第一次世界大戦の際にも、国際社会はハプスブルク帝国の解体を回避しようと努力をしました。とりわけチャーチルは、ヨーロッパ大陸の中心でハプスブルク帝国が解体して「力の真空」ができれば、中東欧の不安定化と、ドイツの膨張主義に繋がり、戦争になることを懸念していました。今度もまた、ドイツの影響力は膨張して、ヨーロッパの不安定化に繋がり、それはチャーチルが生きていれば嫌悪したことであったでしょう。

「ヨーロッパ合衆国」を1946年に語り、統合を求める欧州統一運動のリーダーであった大国イギリスの指導者のチャーチル。そのチャーチルについて、そのヨーロッパ統合を停滞させて、大国イギリスを解体へと導こうとしているボリス・ジョンソンが伝記を書いていることは、なんという皮肉でしょう。

大国の死が、国際情勢の変化や経済構造の変動ではなくて、劣化した民主主義と、間違った政治指導により導かれることは、なんとも悲しむべきことです。

そしてそのようになってしまったのは、三人の指導者の責任だと思います。その三人とも、政局的な判断から、イギリスの国益や世界の安定を損なうような愚かな決断を行ってしまいます。

かつてEU残留派であったボリス・ジョンソン前ロンドン市長は、古くからの盟友であるキャメロン首相をその地位から引きずり下ろして、後継の首相になるもっとも合理的な方法として、今年の2月にEU離脱派に衣替えをしました。そして、キャメロンを引きずり下ろして後継の首相になるという、見事にその目的をいま果たそうとしています。

また、かつてEU離脱派であったジェレミー・コービン。保守党政権の緊縮政策により格差が広がり貧困が広がったとして、低所得者層がキャメロン首相に反発するのは当然であるかのような政局的な行動をとって、EU残留派が主流の労働党をきちんと牽引することができませんでした。労働党内では、かつて離脱はであったコービンが精力的に残留のためのキャンペーンを行わなかったことが、残留の票が上積みされずに敗北した原因であると、党首辞職を求める圧力が勢いを増しています。

また、デヴィッド・キャメロンは、2006年に保守党党首選挙に出馬した際に、閣僚経験がなく、また30代という若い年齢で政治経験が浅かったために、党内主流派で8割近くを占めていた欧州懐疑派に迎合して、彼らが求める政策に同調して党首の座を射止めました。さらには、2014年の欧州議会選挙で最大の議席をとって第一党となったUKIPに脅威を感じて、キャメロンは2015年の総選挙ではEU離脱を問う国民投票を行うことを公約に掲げて、総選挙に勝利して単独政権を実現しています。

これらの三人の政治指導者の、短絡的で政局的な合理的判断が、三人共が意図せぬかたちで大国イギリスを解体させようとして、EUを傷つけようとしています。

いったい、政治における合理的な判断とは何なのでしょうか。優れた資質を持ち、イートン校とオクスフォード大学という最高の学歴を持つキャメロンとジョンソンという二人の理性的な指導者が、なぜこれほどまで愚かな政治行動を取ってしまったのでしょうか。

第一次世界大戦のときに、強硬な政策を選択したオーストリア政府の指導者達は、1918年にハプスブルク帝国が解体したときに、「まさかこのような帰結になるとは想像もしていなかった」と思ったことでしょう。同じように、これから連合王国が解体したときに、キャメロンもジョンソンも、自らの誤った判断が、「まさかこのような帰結になるとは想像もしていなかった」と思うのかもしれません。

hosoyayuichi at 03:31|Permalink