2016年09月22日

サンディエゴ再訪

台風が続き、雨が多く湿度が高い日本を離れて、カリフォルニアに出張に来ました。サンディエゴです。

私が初めて来た外国がアメリカで、しかもサンディエゴ。高三の時です。冷戦終結で世界が揺れる1990年のことですから、もう26年も前ですよね。ドメスティックな家庭と環境で育ったので、とにかく外国に行きたくて、それもアメリカを見てみたくて、1ヵ月、サンディエゴでアメリカの家庭にホームステイしました。初めての外国で、一人旅、もちろん知っている人もいないし、英語もあまり通じない。

到着後、ホストマザーにハグされて、最初に驚いたのがほとんど英語が通じないということ。相手が言っていることも分からないし、自分が言っていることも伝わらない。分からないのに、にこにこと笑ってごまかして、あとで大変なトラブルになるということも続きました。

でも、なぜかとても温かい家庭で、貧乏なのだけども楽しかったです。貧しすぎて、夕食が抜きだったり(もちろん、ちゃんと支払いはしているのですが)、ポテトチップスを渡されてこれが夕食だと言われたり、けっこうとんでもないことですけれども、皆さん明るくて、楽しくて、なんだか愉快でした。

特に英語学校も通わずに、その家庭につれられて日曜日はチャーチに行ったり、バスを乗り継いでダウンタウンに行ったりと、毎日、新鮮な驚きに満ちていました。ラホーヤという高級住宅地があり、美しい海岸のある地区に行って、UCSDに入って売店でマグカップを買ったような気もします。

なんだか、アメリカの大学の開放感と大きさにあこがれ、いつかはアメリカの大学で勉強したいとも思っていました。まさか、その後私が、イギリス外交史の専門家、ヨーロッパ国際政治の専門家になるとは、そのときには夢にも思いませんでしたが。

あしたからは、四半世紀ぶりに訪れるUCSDでセミナーに参加してきます。この四半世紀で、初めて外国に来た高校生だった私も、気がついたら大学教授で、毎月のように海外出張して、偉そうに学生に授業を教える立場。なかなか忙しい四半世紀でした。そういった感慨に浸ることができるは、ちょっとうれしいですね。なかなか、サンディエゴに再訪する機会がありませんでしたが、ようやく来ることができてとてもうれしく感じています。


hosoyayuichi at 07:56|Permalink

2016年09月14日

東アジアにおける戦略関係の転換期

「ドゥテルテ比大統領、米との軍事同盟転換を示唆」(ウォール・ストリート・ジャーナル)


これは、今後のアジア太平洋地域のパワーバランスや安全保障環境を大きく動かしかねない、とても大きな決定です。あまり、日本では広く報道されておりませんが、戦略関係を考えると、一つの大きな転換点となるでしょうね。

というのも、ドゥテルテ大統領とトランプ大統領候補が述べていることが、驚くほどそのスタイルと内容が似ているからです。両者とも、安全保障や外交には興味もなければ、経験もなければ、残念ながら理解もありません。ドゥテルテ大統領は「私は米国人が好きではない」と宣言し、他方でトランプ氏はアメリカ国民のお金を使ってアジア諸国を防衛することの無駄だと語っています。自分の国のことだけ考えることが正しいことだ、と述べることで、圧倒的な国民の支持を得ています。

つまりは、アジア諸国から「出ていけ」と言われ、アメリカ国民よろからもアジアから「撤退せよ」と述べているとすれば、長期的趨勢として、アメリカのアジア関与が後退していくことは、かなりの程度やむを得ないことと思います。

その第一の影響として、南シナ海でフィリピンとベトナムが自らの領有権をこれ以上主張するのは難しくなります。国連安保理常任理事国のロシアが、先日、中国政府がICJ仲裁裁定を拒絶すると述べたことを「支持する」と言いました。中国政府高官は、ICJの裁定を「紙屑」と述べたので、これから国際法や法の支配に基づいた国際秩序は大きく傷つけられます。

そのうえで、本来であればアメリカのパワーに依拠しなければならないはずのフィリピン政府が、アメリカに「出ていけ」と言っているわけですから、アメリカ政府は堂々と責任転嫁をして、アジアでの軍事関与を後退させる口実を得たことになります。

いま中国は、南シナ海の戦略的な要所であるスカーボロ礁を掌握するうえで重要な時期になっています。これで、ある程度安心して、スカーボロ礁を確保できるでしょう。そうなると、南シナ海のほぼ全域が、中国の制空権と制海権に入るでしょう。中国は圧倒的な戦略的な優位を手に入れます。

南シナ海で制海権と制空権を確保すれば、次に中国が集中的に攻勢をかけてくるのは、いうまでもなく東シナ海の尖閣諸島です。国際世論や、中国が保有する公船の数を考慮して、これまでは南シナ海での制空権と制海権の確保を優先してきましたが、南シナ海でのそれがひと段落すれば東シナ海に行動の方向性を転換していきます。ロシアが中国の背後で支援をして、アメリカが「トランプ大統領」の下で日本防衛とアジア関与の関心を失えば、中国は大きな抵抗を受けることなく、尖閣諸島の奪取と領有を可能とするでしょう。その際には、当然ながら、日本は歴史を直視して反省するべきだという、歴史問題としてこの問題を国際世論にアピールするはずです。

その結果として、おそらくは10年後には、東シナ海の制空権と制海権を確保して、日本の自衛隊は容易に東シナ海で活動ができなくなります。

そもそも、南シナ海で中国が活動を活発化させるようになる大きな契機が、1991年にフィリピンの議会が、冷戦終結後に米軍基地を閉鎖することを求めたことでした。そして、四半世紀が立ち、再びフィリピンは国民世論に迎合して、アメリカに「出ていけ」と言っています。外交が、国民感情や世論の犠牲になる例かもしれません。もちろん、その背後に、中国からの圧力がフィリピンのドゥテルテ大統領に対して存在していたのだろうと予測します。

これらのすべての動きは、日本の安全保障やアジア太平洋の戦略環境を考えると、とても悲観的にならざるを得ない趨勢です。もしも、これから東アジアの平和を考えるとすれば、南カリフォルニア大学のデイヴィッド・カン教授が述べているように、かつての中華帝国の時代の朝貢体制に見られたような、中国を中心とした緩やかな階層的な秩序に依拠しなくなるのでしょうか?

hosoyayuichi at 14:43|Permalink

2016年09月10日

シンゴジラを通じて安保論争を考える

皆さん、シンゴジラねたは、もう食傷気味だと思いますが、ちょっと気になったので一言。

石破茂元防衛大臣が、「国または国に準ずる組織」ではないゴジラを相手に、自衛隊が自衛隊法76条の防衛出動するのはおかしい、というようなことをおっしゃっておられました。

それは確かに、その通りだと思います。でも、これには実はもう少し深いストーリーがあります。

私自身は、安倍政権で、「安防懇」と「安保法制懇」という2つの有識者会議の委員として、新しい安全保障政策の立案や、安保法制の改定に多少関与しておりました。そこでの議論で、もっとも重要であったテーマの1つが、「国または国に準ずる組織」ではない相手に対して、はたして自衛隊が防衛出動できるのか、という問題でした。

その場合に想定されていたのは、「ゴジラの出現」ではありません。具体的には、尖閣諸島などの離島で、たとえば中国の武装した擬装漁民が上陸する際に、それを中国政府が「国または国に準ずる組織」ではないとしたさいに、自衛隊の防衛出動ができないということです。

その際には、海上保安庁が対応するか、あるいは自衛隊が治安目的の治安出動をするしかありません。ただし、ゴジラに対する初期の攻撃がそうであったように、自衛隊は治安出動の場合は、国内での警察行動と同様の最低限の自衛的措置しか取れませんので、自衛官の自らの安全が脅かされないとなれば、武器使用はできません。また、海上保安庁は、とてもではありませんが、重武装した勢力に対抗する能力はありません。

ですので、そのような「国または国に準ずる組織」ではない場合に、防衛出動ができないような、いわゆるグレーゾーン事態への対処をできるようにすることが、今回の重要な争点だったのです。

しかしながら、その部分は変えることができませんでした。その理由は、ここで書けること、書けないことなど色々とありますが、1つ書けることということで言えば、グレーゾーンで自衛隊が防衛出動をすることは、従来よりも自衛隊の活動領域が拡大することであり、それが戦前の軍部による警察や政党への支配に至るような「軍の暴走」になるというような懸念が一部で言われたことです。もちろんそれは、ある程度は形式論で、実質的には省庁間の「縄張り争い」、すなわち、警察や海保が自らの権限が浸食されることを、懸念したことが大きな理由だと思っています。

石破元防衛大臣は、包括的な、「安全保障基本法」の制定を強く主張してきました。そのような大きな傘の下で、個別的な立法措置を取るべきだという考え方です。

石破元大臣からすれば、そのような自らの主張が通らなかったということと、相変わらず省庁間の縄張り争いから本当に必要な法制化がなされていないということ、そして、それらの丁寧な法制化をすべて無視してしまって、映画では「超法規的措置」で行動しようとしたことが、おそらくは不満の理由なのでしょう。

それはある程度は私も共感をします。すべてをすっとばして「超法規的措置」にでることは、「法の支配」を否定することになります。他方で、あまりにも些末な、官僚的な発想での法律論をこねくりまわすることで、国民の生命を守るという使命を後回しにするような福島原発事故の際の対応に対して、庵野総監督は怒りを感じたのでしょう。

答えは、その中間にあるのでしょう。法治国家としての原則を守りながらも、可能な限り柔軟性をもって国民の生命を守るための政治を行う。

結局のところ、私が安保法制のときに主張した基本的な理念は、そのようなものでした。従来の憲法解釈や、基本的な枠組みを尊重しながら、同時に可能な限り柔軟に、安全保障環境の変化に応じて、不測の事態にも対応できるような柔軟性を確保することと、それによって国民の生命を守るということが、重要な意図でした。

ところが、昨年の安保法制批判では、「国民の生命を守るための政治」という視点が、賛成派も、反対派も、多くの場合に欠けていました。賛成派は、法案を通すことが自己目的化して、反対派は法案を廃案にすることが自己目的化する。いずれの場合も、国民の生命を守るためにどうしたらよいか、という議論がどうもあとまわしになってしまう。賛成派は安保法制を通せば国民が安全になるといって、反対派は安保法制をつぶせば国民が安全になるという。どちらも正しいし、どちらも間違っています。

重要なのは、まず最初に、国民の生命を守るために最適な安保法制がどのようなものかを、真摯に考えることだったのでしょう。

それができないことへの怒りが、庵野総監督がシン・ゴジラの映画で描いたことであって、それを理解していた数少ない政治家の一人が、主人公の矢口官房副長官だったのかもしれません。

hosoyayuichi at 00:37|Permalink

2016年09月09日

安倍外交を評価する

『毎日新聞』で、田中均元外審、畔蒜泰助東京財団研究員、五百旗頭真前防大学長の三人が、安倍外交の評価について、とても素晴らしい論評をされておられます。

http://mainichi.jp/articles/20160909/ddm/004/070/002000c

興味深いのは、田中均元外審と、五百旗頭真先生は、第1次安倍政権のときは、それぞれ安倍総理とは「犬猿の仲」ともいえるほど相性が悪く(それぞれ、事情がありますので)、批判的な立場であったのが、このように可能な限り私的な感情と、外交評論としての中立的な論評とを分けて考えて、冷静に論じているところなどは、田中均理事長と五百旗頭先生の優れた美徳だろうと思います。

私は、2014年12月の衆議院選挙の前に、NHKニュースでのインタビューで、「安倍政権は、過去三〇年で最も多くの外交での成果を達成する政権になると思う」と述べて、かなり多くの方から批判されました。これは純粋に、歴史家として、中曽根政権以来最も外交的に充実している布陣で内閣であることと、大きな方向性が誤っていないから論じたことです。また、第1次小泉政権も大きな成果を残しましたが、イラク戦争への対応でもう少しの慎重さがあってもよかったであろうことと、靖国参拝でアジア外交が傷ついたことが大きな失点でした。

ただし、小泉政権を動かしていた安倍官房副長官、谷内副長官補、兼原駐米公使がそのまま今の外交を動かしていて、さらには当日の福田官房長官が、2014年の日中和解に貢献しており、小泉政権の骨格を受け継いだ部分もあります。それに加えて、秋葉局長が日中関係を好転させて、また歴代のアジア大洋州局長がASEAN外交や日韓関係を好転させて、小泉政権よりもアジア外交がうまく機能している部分もあります。それ以前に、小泉政権は、田中真紀子外相の問題で、制度的に機能不全を起こしました。

他方で、橋本政権、小渕政権は外交におけるとても強力な布陣でしたが、あまりにも短命政権でした。橋本総理が参院選で敗北しても首相を辞めるべきではありませんでしたし、小渕首相があともう少し長く存命であれば、さらによい成果を生んだと思います。お二人とも、外交で偉大な成果を残し、それは小泉外交と比べて、日中関係や日韓関係を強化したり、ユーラシア外交を展開するなど、かなり興味深い新しい視野を持っていました。他方で、それは今よりも日本経済が大きな位置を占めていたから、可能だった外交でもあります。

安倍外交にはまだやり残したことが多くあります。それをこれから達成できるか、あるいは次の首相
がそれを引き継いでいくかが、大きな課題になるのでしょう。

hosoyayuichi at 11:03|Permalink

2016年09月07日

シン・ゴジラへの防衛出動は可能か?

防衛省が編集協力している広報誌、『MAMOR』。広報誌らしからぬポップな編集で、しかも毎号冒頭でアイドルを使った「コスプレ」的なページが人気とあって、それを目当てに買う人が多く販売上もそれなりにうまくいっているという話を聞いたことがありますが、私自身はまだ購入したことがありませんでした。

数ヶ月前に、大学宛のファックスで、国家安全保障局顧問として、この『MAMOR』の座談会に参加欲しいということでしたが、企画が、「シンゴジラが来たら自衛隊は防衛出動するのか?」ということで、そのときは「シンゴジラ」がなんなのかよく知らなかったのと、日程が合わなかったので、失礼ながらも返事をしませんでした。

それで、刊行になったこの広報誌の座談会で、もと自衛隊艦隊司令官の、香田洋二海将と、岩間陽子政策研究大学院大学教授が参加しておられるとのことで、あわててアマゾン・キンドルで購入しました。

はたして、ゴジラ登場の際に、自衛隊が防衛出動できるかどうかは、石破茂元防衛大臣のコメントで随分と話題になりました。映画では、超法規的に、戦後初の防衛出動発動。そして石破元大臣は、これは害獣駆除のための災害出動をするべきで、国家あるいは国家に準ずる組織でない防衛出動はできないという発言をされていました。

このなかでも、岩間先生の発言が絶妙です。すなわち「ゴジラは一匹だけなのですか?」「だとしたら絶滅危惧種ですね。下手に攻撃したら、ネットを通じて全世界からバッシングされかねない。」さすが、岩間先生、なかなか魅力的な発言です。捕鯨で既に日本は、ICJで負けて、国際的に批判を浴びていますので。

これを見て、「ばかばかしい」と思う人もいるかもしれません。すなわち、国民の生命がかかっている以上は、自衛隊が自衛隊法76条の防衛出動をして、武力攻撃をするのは当然である、と思っていると思います。

これこそが、実は岩間先生と私と参加していた、安保法制懇でも議論となった、とても重要なテーマです。すなわち、各国の武力行使などの規定については、「ネガティブ・リスト」と「ポジティブ・リスト」方式があり、「書いていないこと以外はやってよい」という前者と、「書いていること以外はやってはいけない」という後者の違いです。主要国は、基本的には前者なのですが、日本は後者です。安保法制懇のメンバーはほぼ全員、色々なところでこれまで、日本もまた各国同様に、予測不可能で想定外な事態が起こりえる紛争において、「ネガティブ・リスト」方式に転換すべきと主張してきました。私ももちろん、そうするべきだと思います。

そうだとすれば、自衛隊は、もしも自衛隊法で、「ゴジラを武力攻撃してはいけない」と明記していなければ、ゴジラを攻撃できることになります。しかし日本では、軍事アレルギーが強く、たとえ国会や内閣によるシビリアンコントロールによる統制があっても、「書いていないことはやってはいけない」というような心理が強く働き、とても奇妙な議論がなされてきました。というのも、すべてを明記することなど、不可能だからです。

それでもまかりとおってきたのは、日本が武力攻撃することを想定していないからです。ですから、「ゴジラを攻撃してよい」というような規定な自衛隊法にないので、武力行使ができない。これを「ばかばかしい」と思う方がいれば、その通りだと思いますが、それでも結局は、「ネガティブ・リスト」方式への転換はできませんでした。日本は法律が全てを支配する国家です。

その意味でも、今回のシンゴジラ、およびそれをめぐる武力行使の是非については、実はとても重要な問題だと思っています。

映画が想像よりも面白かったので、尊敬する香田提督や岩間教授と一緒に座談会に出てもよかったな、とちょっと後悔しています。とはいえ、これはこれで、「想定外」の事態ですので、法律論をすることも難しいですよね。


http://www.mod.go.jp/j/publication/kohoshiryo/mamor/201609/index.html 

hosoyayuichi at 22:23|Permalink