2010年01月10日

書評に感謝

79d9c8d3.JPG写真は年末にニースに行った時の小道です。旧市街の小道。ヨーロッパのどの古い町にも見られる景色ですが、心が和みます。

パリは引き続き寒い毎日です。昨日も、一日の最高気温がマイナス2度ぐらいでしょうか。北極圏の空気が南下して、北米やヨーロッパに歴史的な寒波が押し寄せているようです。年末のニュースでは、ポーランドでホームレスが何人も凍死。オーストリアでは、パーティーからの帰宅途中に凍死。怖いものです。パリにもあらゆるところにホームレスの人たちが、凍えそうな様子で地面に座っています。毛布を巻いているのですが、地下鉄の通風口の上で温かい空気をうけて寒さをしのいでいるようです。

パリは19世紀以来、社会主義や博愛の精神をうけて、社会福祉などにとても力を入れてきたと思うのですが、今その伝統も限界に近づいているようです。不法移民も多く、法律的な支援も限界があり、また財政的にも金融危機で色々なものを切り詰めているようです。財政的な問題は日本のみならず、世界的な現象ですね。その中でも日本の財政赤字の異常さは、突出していますが。私は専門でないので、専門家の方にも色々と教えて頂きたいのですが、やはり欧州統合、とりわけシェンゲン協定などの影響もあり、北アフリカのみならず東欧からも大量の移民が流入し、従来のスケールで豊富な社会福祉をあらゆる人に提供するには、無理があるのでしょう。しかし、社会主義の精神を保持しながら、国際競争を勝つための良案が見つかっていません。一つには、「規制」という言葉が今のEUやフランスのキーワードになってくるのだと思いますし(北大の鈴木一人さんの「EU規制帝国」論は、今後もっと掘り下げられることになるのでしょう)、プリンストン大学でご一緒だったソフィー・ムニエルさんの論じる「規制されたグローバリゼーション」論も同様な論理をもっているのかもしれません。EUにできることとできないことがあり、フランスにできることとできないことがある。その中から最良の政策を導き出すことが、政治家の使命なのでしょう。これまで以上に政治家は厳しい批判にさらされ、厳しい試練に向かい合うことになるのでしょうが、同時に政治学者もこれまで以上に思考を深めて、これまで以上に真剣に問題に向き合い色々な知的なヒントを提供しなければならないのでしょう。

ともあれ、パリのホームレスの人たちの様子を見ていると、色々と考えることがあります。ロンドンでは、ウィリアム王子が、ホームレス支援のNGOと協力して、一晩、ホームレスと一緒に毛布をかぶって寒い外で寝る経験をしたようです。

さて、ここ数日でとても励まされることがありました。すでにご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、本日、1月10日付の「日本経済新聞」で、北大の鈴木一人さんが、拙著『倫理的な戦争』の素晴らしい書評を書いてくださりました。また、同じく今日発売の『文藝春秋』2月号では、東大の苅部直さんが、これまた素晴らしい拙著の書評をお書きくださいました。お二人とも私の大変尊敬する、同世代の同業者の方々でございます。私がもっとも言いたかったことを見事につかんでくださり、その上でより深い政治学の本質的な問題にも触れてくださっています。良い書評は、単に対象となる本をご紹介くださるだけでなく、それ自体が独立したエッセイとしても価値があり、さらに色々な問題を考えるヒントをくれるのだと思いますが、まさにそのような優れた書評をお書き頂いたことに感謝するばかりでございます。

少し前になりますが、年末の12月22日には、「東京新聞」にて、梅川正美先生が拙著『倫理的な戦争』についての大変に有り難い書評をお書きくださりました。お会いしたことはまだございませんが、『ブレアのイラク戦争』(朝日新聞社)をお書きになられておられる梅川先生に拙著をお読み頂き、的確な書評をお書き頂いたことは大きな励みになりました。

このブログでは、『倫理的な戦争』はやっかいなテーマをあつかっていることもあり、今まで書いた著書の中で一番厳しい批評を頂くことになるのではないか、と書きながらも、このようなかたちで私が一番論じたかった論点を見事に見抜いて、それを建設的に論評して頂いていることはとても嬉しいことだと感謝しています。決して、私が論じたことが「唯一の正しいことだ」と論じるつもりはないのですが、なによりも難しい問題ですので、これから日本でもこのような問題を直視して、真剣に考える契機になればと願うばかりです。お読み頂いた方であれば、ご理解頂けると思うのですが、私が論じたかったのは、「倫理的な戦争」は可能な限り避ける努力が必要だということで、しかしながら同時に軍事力も一つの選択肢に入れながら、外交や経済援助、人道的支援などを含めた総合的なアプローチで、人道的な危機にこれまでよりも積極的な取り組みが、国際社会には求められるのだろう、ということです。それを進める上では、政治指導者個人の独善的な「倫理観」に基づいた判断ではなく、あくまでも国際的な規範を醸成することがこれまで以上に重要になるのだろうと思います。

私にとって何より嬉しいことは、この分厚い400ページを越える著書を、このような尊敬すべき方々にお読み頂いたことです。私自身が怠惰で不勉強なために、なかなか分厚い本を読むということは、直接の専門と深く結びついていないと、後回しにしがちです。お忙しい方々の貴重な時間を割いて頂き、拙著を読んでくださり私の主張をご理解頂けるということは、私にとっても、私の本にとっても、とても幸運なことだと感じています。

もちろん、そによって私の勉強不足や叙述の部分的な不正確さ、解釈の不的確さを否定するつもりはございません。また、異なる観点から同様のテーマを厚かった著書が刊行され、拙著が将来厳しく批判されることもあるかもしれません。そのような方向へと進んでいくとすれば、それだけでも拙著を刊行した意味があったのだと思います。拙著を批判して、それを踏んづけて前に進む方がいらっしゃれば、それはまた学問の進歩なのだと感じます。

拙著とは関係ありませんが、1月8日付「毎日新聞」では、年頭に、「論点・2010年 日本への提言」という特集で、今後の国際政治を展望して、「世界第二の経済大国」に変わる日本のアイデンティティを模索する必要を論じました。また『中央公論』でも同様に、今後の世界を展望する短い時評を書きました。年頭に、今後一年を展望する短文を書かせて頂けることは、とても有り難いことです。また、『外交フォーラム』では、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説をうけて、そこで触れた「正しい戦争」の意味を、拙著で触れたブレア首相の議論と関連づけながら論じております。私の拙いエッセイはともかくとして、今月の『外交フォーラム』では、高坂正尭先生の外交論の特集が組んであり、早くパリに冊子が届かないか待ちわびております。外交論の論壇が低調となり、論壇誌も危機にあり、また鳩山外交の行方が見えなくなる中で、高坂先生の外交論に立ち戻って、外交論のあり方を再検討するのはとても意義のあることだと思います。

在外研究中に、色々な種類の文章を書くのではなく、留学の勉強に集中すべきだ、というお怒りの方もいらっしゃるかもしれません。これは私の大学院の頃からの癖なのですが、いくつかの作業を同時並行で進める方が私の場合は効率的です。一つだけに集中すると、それが行き詰まると「人生の終わり」であるかのように重く暗くなるからです。「リスクヘッジ」ではありませんが、いくつかのテーマを平行して研究し、いくつかの異なる種類の作業を同時に進めていると、もちろんそれぞれのクオリティは下がるのかもしれませんが、精神的に健全でいられます。一つの作業が行き詰まって、他の作業をしていると、その中からもとの作業のヒントが見つかったりするからです。ただしこれら複数の作業が全て同時に、行き詰まることもありますから、これはこれでしんどいのですが。

なにかに行き詰まった時に、色々な方々にあたたかい言葉をかけて頂くことで、自分はこれまでがんばってこれたんだなあ、と感じます。競争でありかつ相互依存でもある、というのは、実は国際社会の現実とも同じなのかもしれません。そのどちらもあるからこそ、国際社会も健全で、人間社会も健全なのかもしれません。

hosoyayuichi at 21:50│