2014年07月05日

政府の閣議決定について:補足

パリから帰国しました。二つの会議で講演をしてきて、建設的なディスカッションを楽しんできました。ちょうど今の時期のパリは、バカンス前で皆さんとても機嫌が良く、さらにはフランスがW杯でグループリーグを突破したので、天気が良かったとのあわせて、町中の雰囲気が明るかったです。先ほどの試合で、フランスがドイツに負けたようですが、その前に帰ってきて幸いでした。はたして、ちょっと雰囲気が悪くなっているのでしょうか。

それにしても、先日投稿したブログのエントリーが、驚くほど多くの方に読んで頂いているようで、自分でも驚いております。いつもは、一日あたりで100名ほどのアクセスなのですが、なんと昨日は4万3千アクセス。驚異的です。私のイギリス外交史についての研究書もこれぐらい売れてくれれば、出版社の方も喜んで頂けるのですが。なかなかそうもいきません。

海外出張でパリに行く飛行機に乗っているときに、閣議決定があったのですが、パリ到着後にスマホやiPad Miniで読んだ日本の報道ぶりに愕然として、失望と倦怠感から夜に勢いでブログを書いてしまいました。私は学術論文を書くときとは違ってブログを書くときはいつも勢いで書いておりますので、誤字脱字がたくさんありました。そのあたりは大目に見て下さい。ただし集団的自衛権に関して「武力行使」と書くべきところ、「武力攻撃」と書いてしまっており、こちらは修正をさせて頂きました。国際法上の概念として、「武力攻撃(armed attack)」と「武力行使(use of force)」と「武器使用(use of weapons)」は当然ながら異なります。国連憲章51条では、「武力攻撃」が発生した場合のみ、安保理が平和と安定のための措置を執るまでの間、個別的自衛権と集団的自衛権を発動することが認められています。自衛権の発動の際には、自衛のための武力行使をすることが容認されます。しかしながら、その際には安保理への報告が義務づけられています。ややこしいですね。

今回の投稿については、多くの方にとてもわかりやすかったといってもらえたことが、何よりも嬉しいです。

わかりやすく書くことと、正確に書くことは、多くの場合に完全に両立し得ません。多くの枝葉末節を削ぐことで、簡明な説明が可能となります。肩に力を入れずに書いて、しかも私の周囲の方のみ読んで頂くことを想定していたのですが、BLOGOS編集部から転載したいというご依頼があり、少し迷って承諾することにしました。最初は、広く読まれることが当初の目的ではなく、また正確さも十分ではないためにお断りしようと思ったのですが、基本的な議論は大きく修正する必要がないと考え、そのまま転載して頂きました。

正確な議論を求めておられる方は、私のブログではなく、是非とも安保法制懇の報告書を読んで、具体的な箇所を指摘して批判頂ければと思います。相当程度に、慎重かつ丁寧に論理を構築してあると思いますし、たいていの批判には応えられる内容になっていると思います。同じぐらい丁寧かつ正確に、今回の法整備の必要性を説明しようとすると、報告書と同様に50ページ以上の内容になってしまいそうです。とにかく緻密な論理構成ですので、背景知識が十分にないと読んで理解するのは結構大変です。もしも安保法制懇の報告書をお読み頂ければ、安保法制懇が提案したこととくらべて、公明党に配慮して、閣議決定文書が大きく限定的で、抑制的な内容になっていることがご理解頂けると思います。一部を除けば、集団的自衛権や集団安全保障に関する領域は大幅に削られて、主として個別的自衛権としてのグレーゾーン事態や、「駆けつけ防護」のようなPKOでの限定的武器使用の問題、後方支援活動などの問題が中心となっています。

相手がいないのに、シャドーボクシングをしているようなものです。集団的自衛権の行使容認に反対して、それを食い止めようとしている方々はよく閣議決定文書を読み頂きたいのですが、きわめて個別的自衛権にちかいかたちで集団的自衛権の問題が触れられています。「他国まで行って戦争をする」ということや、「徴兵制になる」ということであれば、私も賛同しませんから、実は反対派の方ともそんなに違わないのかもしれません。

イデオロギー的、感情的に集団的自衛権の行使に絶対反対という人、安倍総理がやることには全部反対という人が多くいらっしゃることは十分承知しております。私のお世話になった先生方や友人、尊敬する先生方や友人も、反対運動をしている方は多くおります。他方で、ブログに書くということは、学術論文ではないために、註もつけず、枝葉末節の説明を省いているので、細部についての批判を受けることも想定しなければなりませんでした。

ところが、蓋を開けてみると、圧倒的に多数の方が共感して頂いたり、賛同して頂いたりしており、正直なところ驚いております。報道で耳にするよりも、多くの方々は、「戦争になるぞ!」、「徴兵制になって戦場に送られるぞ!」というオオカミ少年のような激しい批判には、違和感を覚えていたのでしょう。

いくつか、補足をさせて頂きます。まず「後方支援」についてですが、「後方支援」は「集団的自衛権」における「武力行使」とは分けて考えるべきだとみなしています。これは、国際法上の一般的理解でもあり、実際には両者が明確には区分できない場合があることを前提としながらも、ケンブリッジ大学教授でこの分野の権威であるクリスティーヌ・グレイは、「in theory there is a distinction between collective self-defence and assistance in reply to an invitation by a government to respond to external intervention against that government」と記しています。(Christine Gray, International Law and the Use of Force, 3rd edition, p.168)。

私が申し上げたかったのは、武力行使を伴わない後方支援することは、必ずしも日本国憲法第9条によって禁止されている「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」には含まれない、ということです。これと関連したものとしては、例えば林修三内閣法制局長官は、集団的自衛権のなかに「経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません」と応えています(昭和35年4月31日)。仮に集団的自衛権の行使が憲法上できないとしても、内閣法制局が禁じている集団的自衛権の中核的概念としての他国の防衛のための武力の行使と、武力行使を伴わない後方支援は分けて考えるべきです。それなのに、「武力行使との一体化」という奇妙な概念によって、禁止される領域が飛躍的に拡大してしまい、武力行使を伴わない後方支援までが憲法で禁止される「武力行使」とみなされてしまった。日米の共同演習や、コンピューター上でのシュミレーションで米軍を後方支援するような図上演習までもが、「武力行使との一体化」により禁じられています。ですので、日本の自衛隊はしばしば、同盟国として集団的自衛権の「武力行使との一体化」にならないように、演習では「敵」の役割を担うことさえあるようです。はたして、ここまで禁ずる必要はあるのでしょうか。

なお、後方支援の場合に内閣法制局が禁じてるのは、「戦闘地域」における後方支援活動です。「非戦闘地域」であれば、これまでの可能で行ってきました。しかし、攻撃されている国を助けるのは、交戦中で「戦闘地域」に入ってしまうのでできないのです。

1960年頃には内閣法制局は、集団的自衛権のなかには、「行使可能なもの」と「行使不可能なもの」があると考えていました。つまり、「行使可能」な集団的自衛権があるという立場でした。そして、1972年には、「行使不可能なもの」としての集団的自衛権は、憲法上行使できない、と明言しました。ところがその後、集団的自衛権のなかには「行使可能なもの」はない、と見解を統一するように解釈を変更し、さらには「行使不可能なもの」としての集団的自衛権の範囲を徐々に徐々に、拡大していったのです。内閣法制局元長官は、いくつか「ウソ」をついています。戦後一貫して、集団的自衛権は全面的に禁止されてきたと最近は発言される元長官がいらっしゃりますが、上記の説明でおわかりのように、戦後何度も内閣法制局は、解釈を変更してきました。これは専門家でなくとも、広く知られています。石破茂自民党幹事長は、『日本人のための「集団的自衛権」入門』(新潮新書)のなかで、集団的自衛権をめぐる政府解釈は、6段階を経て変更されてきたと正しく指摘しています。

ところでなぜ、集団的自衛権をめぐる政府解釈は、変更されてきたのか。なぜ、集団的自衛権の行使として禁止される範囲が、拡大してきたのか。これは、前回の投稿でも書いておりますが、きわめて政治的要素、政局的要素が強かったからです。つまりは、冷戦後とりわけ、湾岸戦争後の遺棄機雷処理のための掃海艇派遣、カンボジアへのPKO派遣、1997年の日米ガイドライン改定、テロ特措法によるインド洋での給油活動、イラク特措法による自衛隊のサマワ派遣と、確実に自衛隊の海外での活動が広がってきました。それに対して、野党の共産党や社民党などはとりわけ、その危険性を厳しく批判して、歯止めを強く求めました。新しい法案を策定する際に、そのような「歯止め」を強調する政治的必要から、自衛隊の活動を拘束する新しい「発明」を増やしてきたのです。その一つが、「武力行使との一体化」の概念だと思います。

それと、内閣法制局について少し厳しい書き方をしました。内閣法制局は、国内問題を扱う官庁が幹部ポストを独占して、外務省や防衛省は幹部ポストを得られない仕組みになっています。大蔵省(財務省)、法務省、通産省(経産省)、自治省(総務省)の四つが中心に幹部ポストを独占する慣行が、70年代に確立します。集団的自衛権を第一義的に扱い、専門知識があるのは、外務省であり防衛省です。しかし、外務省出身者は幹部ポストである第一部長、次長、長官のポストを与えられることはなく、防衛省にあたってはほとんど一人も内閣法制局に入れさせません。ですので、「国際法に無知」と言ったのは、ある特定の人物をおとしめるためでもなく、私が熟知しているというわけでもありません。組織として、国際法上の問題、安全保障の問題を扱う機会がほとんどないまま、集団的自衛権や集団安全保障についての重要な憲法解釈をつくるわけですから、分からなくて当然です。内閣法制局のなかには、国際法は内閣法制局ではなく、外務省条約局(国際法局)の担当という意識があり、あまり関わる機会もないのです。そのことはたとえば、阪田元長官自らが「私がこんなことをいうのは変なのですが、安保・防衛にかかわるような事案に、参事官としても部長としても、かかわった経験がないのです。そういう意味では全部がわかるなどとはとても言えないです」と書いております(阪田雅裕『「法の番人」内閣法制局の矜持』56頁)。もちろん、私はなおさら、「全部が分かる」はずはないのですが、この分野について熟知している、外務省国際法局がもっと関与してもよいはずですが、なぜか元国際法局長の小松一郎氏が内閣法制局長になったときには、「外務省からトップのポストをとるなど、許せない」というとてつもない反発が出てきたのはご記憶の通りかと思います。つまりは、内閣法制局は、集団的自衛権に関する重要な解釈を決定する際に、国際法の常識に余り基づかず、国内法的な論理を優先して奇妙な、国際的には通用しない論理を構築する傾向が強いのです。

私が参考にした文献をいくつかご紹介します。
集団的自衛権について、国際法の信頼できる研究書としては、村瀬信也編『自衛権の現代的展開』や、村瀬信也『国際法論集』、森肇志『自衛権の基層』などがあります。60年代の内閣法制局の、武力行使を伴う国連軍参加も可能とした経緯は、村上友章「国連安全保障理事会と日本 1945-72年」細谷雄一編『グローバル・ガバナンスと日本』、村上友章「吉田路線とPKO参加問題」『国際政治』151号、2008年、阪口規純「佐藤政権期の国連協力法の検討 -内閣法制局見解を中心に」『政治経済史学』516号、2009年などがとても参考になります。

賛成反対を叫ぶ前に、まずはその背景をしっかりと学んで、問題の本質を理解して、建設的な議論が広がることを願っております。

hosoyayuichi at 16:40│