2014年07月12日

新聞の自殺

7月1日に、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」という文書が、閣議決定されました。

それを前後する新聞報道で、どうしても腑に落ちないことがありました。あるいは、政府によるこのような決定を阻止するために、繰り返し反対派の方々が用いてきた言葉に、違和感を覚えました。

それは、「平和主義の終わり」、「立憲主義の否定」ということです。

たとえば、朝日新聞の7月3日付けの記事では、「安倍首相は、憲法の柱である平和主義を根本から覆す解釈改憲を行った」と書かれております。また、7月2日付けの社説では「個人の多様な価値観を認め、権力を縛る憲法が、その本質を失う」と記されています。さらに7月2日の別の記事では、「専守防衛から大きく転換」と題して、「専守防衛を貫いてきた日本の国のかたちを、大きく変えるものだ」としています。

また東京新聞では、7月2日付けの社説で、「9条破棄に等しい暴挙」というタイトルで、今回の政府の決定は「先の大戦の反省に立った専守防衛政策の抜本的な見直しだ」と述べ、また「憲法によって権力を縛る立憲主義の否定にほかならない」といています。

本当にそう言ってよいのでしょうか?

もしそうだとしたら、すでに日本は「平和主義国家」ではない、ということになります。また、一度の憲法解釈の変更によって、「立憲主義」が失われたことになります。さらには、日本はもはや「専守防衛」ではない、ということになります。本当にそう、断言できますか?

これらをあわせれば、日本はもはや、平和主義国家でなく軍国主義国家であり、立憲主義国家ではなく専制主義国家であり、専守防衛ではなく侵略国ということになります。朝日新聞や東京新聞でこれらの記事を書いた方は、7月1日の閣議決定以後、日本という国を紹介するときには、「安倍政権での7月1日の閣議決定以後、日本はもはや平和主義でも立憲主義でも、専守防衛でもありません。軍国主義で、専制主義で、侵略国になりました」と書かなければなりません。そうでなければ、それを書いた記者たちは、ウソをついたことになります。幽霊がいないのに、「幽霊がいる!」と叫んでいることになります。

政府の決定に反対の立憲デモクラシーの会の方々が、何を語っても、何を論じてもかまいません。日本は言論の自由が保証されています。政府に対して、批判的な視点を持つことは、民主主義国には欠かせません。今回の政府の決定で、いかなる瑕疵もなかったとはいえないと思います。政府内でも自民党と公明党は立場が異なりますし、外務省と防衛省の立場が異なることもしばしば報道されていました。しかしながら、新聞には公共性があり、信頼できると考えている読者が大勢います。それらの読書の信頼を損なうべきではありません。

本当に「9条破棄」されたのですか?

本当に日本はもう専守防衛ではなくなったのですか?

本当に立憲主義は否定されたのですか?

もしも、自らの信念があって、その方向へと世論を導こうとして言論を用いるのであれば、それは報道ではなく、扇動であり、プロパガンダです。報道は事実に即して、客観性を尊重しないといけません。一度の憲法解釈の変更で崩れるほど、日本の立憲主義は脆弱なのでしょうか。あるいは、これまで何度も政府は憲法解釈を変更してきたのに、なぜそのときには立憲主義は崩れなかったのでしょうか。今までの憲法解釈変更では立憲主義が崩れず、今回の憲法解釈変更では崩れるならば、その違いはどこにあるのでしょうか。

もしも、政府の閣議決定以後に、日本で依然として立憲主義が担保されていて、平和主義が継承されていて、専守防衛の精神が維持されているとすれば、上記のような報道をした朝日新聞や東京新聞は、ウソをついたか、間違っていたことになります。私としては、「憲法はその精神を失う」ようなことはないと思いますし、「専守防衛から大きく転換」したとも考えていません。日本は引き続き立憲主義国家で、平和主義を国是として、専守防衛を守り続けていると考えています。

集団的自衛権といえども、「自衛権」です。つまりは侵略国に対して対抗することが「自衛権行使」の本質であり、侵略国がいないのに、自らが他国に攻撃を仕掛けるとすれば、それは「自衛権行使」とはいいません。「専守防衛」を一国主義的に行うか、あるいは国際協調主義で行うかが、今回問われていた大きな問いであり、「専守防衛を大きく転換」することは、本質的な問いではありません。日本の安全保障政策が、よりいっそう国際協調主義に向かっていくのが今回の閣議決定の本質だと考えています。日本国憲法第9条や、国連憲章2条4項、そして日米安保条約をはじめとする数々の縛りによって、日本が「専守防衛」を棄てて、侵略国になることなど、ありえないはずですし、それは多くの方が理解しているはずです。

新聞にとっては、言葉が命のはずです。ですので、あまりに感情的になり、読者の共感を獲得したいあまりに、冷静かつ客観的な報道につとめることをおろそかにして、事実から離れた誇張や扇動を行うとすれば、それは自らにとって最も重要な言葉を粗末に扱ったことを意味します。言葉を粗末にすれば、読者の信頼を失います。朝日新聞記者の優秀なOBの一部の方は、昨年秋の特定秘密保護法案以来の朝日新聞の報道にかなりの怒りを感じており、私に対して「あれは報道ではなく、運動ですよ、もう紙面を読む気がしません」と語っていたのが印象的でした。自らが運動主体となり、客観的な事実を報道する姿勢を放棄して、読者を反対運動に駆り立てようと扇動しているとすれば、それは大きな問題です。それは、自ら思考して、自ら判断をしたいと考える読者に対しても、失礼な態度です。たとえば朝日新聞を購読しておりながらも、今回の政府の閣議決定に賛同している方々からすれば、そのような立場を否定しようとするような紙面を毎日提供していれば不快に感じるのは当然です。社説やオピニオン面でどれだけ社としての反対姿勢を示しても結構ですが、それを事実報道をすべき一面の記事の見出しなどで、過激で扇動的で情緒的な批判を展開することは、報道機関としてのルール違反です。(この点については、牧野洋さんがブログで的確に指摘しています。ご覧ください。)

なぜ本質から外れた過激な言葉を用いて、読者を扇動しようとするのでしょう。それだけではありません。朝日新聞はクオリティ・ペーパーとして海外でこれまで高く評価されてきたので、海外のメディアの東京駐在記者などは、朝日新聞の記事や社説を読んで、重要な判断材料としています。ニューヨークタイムズや、BBCなどで、日本が平和主義を棄てて、危険な軍国主義の道を歩み始めた、というような論調の報道がされているのは、それを書いた記者が朝日新聞を参考にしている可能性が大いにあります。とりわけ、韓国の新聞記者の東京駐在員は、朝日新聞を信頼している記者が多く、朝日新聞を参考にして、日本が軍国主義化している、と韓国の新聞で書いております。その結果として、韓国では先ほどの世論調査でも、4割以上の人が、「日本による軍事攻撃を懸念している」と応えています。つまりは、日本の新聞が、「日本には幽霊がいる」と言い続けた結果、韓国の人々は本当に日本に幽霊がいると思い込んでしまったのです。

この日本の「軍国主義化」という幽霊は、湾岸戦争後の掃海艇派遣の際も、カンボジアへのPKO隊員としての自衛隊派遣の際にも、ガイドライン関連法案導入の際にも、自衛隊のサマワ派遣の際にも、インド洋への給油活動に行った際にも、繰り返しあらわれました。しかしいつの間にか消えてしまって、それまで崩れて、傷ついて、根本から転換したはずの「平和主義」は再びきれいな姿であらわれて、再び「平和主義を守れ」というアピールが出てくるのです。

安倍政権に余りに批判的となり、国内の読者にしか目を向けていない結果として、無意識のうちに海外における日本軍国主義化という論調を、生み出してしまっているのです。11年連続で防衛費を削減し続けた国が、なぜ軍国主義国家になるのでしょうか。隣国で、単年度で12%軍事費を増強する国は、軍国主義とはいわず、11年連続で防衛費を減らした国が危険な軍国主義国家となる。これは、バランスを欠いていないでしょうか。

また、他国を侵略するためには、軍事的な常識として、弾道ミサイルや、長距離爆撃機、攻撃型空母、核兵器、大型揚陸艦、戦略輸送機などが必要となります。国連安保理常任理事国はこれらのすべて、あるいはほとんどを保有しております。他方で、日本はそのいずれも持っていません。日本の装備体系を見れば、世界でも例外的に「専守防衛」としての性質が色濃いことが一目瞭然です。アジアの多くの諸国が過去十年間で大幅に防衛費を増強しているのに、日本一国のみが過去十年間で大きく防衛費を削減しています。安倍政権での防衛費が増えたのは、わずか0.8%で、それは円安による海外からの装備調達が高価になったことが大きな理由です。

報道機関が、冷静かつ客観的に報道せずに、主観的、感情的、扇動的に報道を利用するとすれば、それは読者の信頼を確実に失うことになります。読者の中のかなり強固な左派にあまりにも迎合した結果として、むしろ中間派の読者に大きな違和感を植え付けて、失望を与えることになったのではないでしょうか。

安保法制懇の報告書も、その後の安倍首相の記者会見も、あるいは閣議決定文書も、批判すべき点がないとは考えていません。実際に、安保法制懇の委員の方でも、メディアに対してその内容を批判している方もおられます。ただ、私がもどかしいのは、反対派の方々から、安保法制懇の報告書の内容について、どのページの、どの段落の内容の、どのような部分が問題なのか、という具体的な批判がほとんどないことです。

閣議決定文書も、「1武力攻撃に至らない侵害への対処」は個別的自衛権のグレーゾーン事態への対処についてですし、「2国際社会の平和と安定への一層の貢献」は後方支援の問題ですし、「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置」ではじめて、「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置」としての「必要最小限度」の自衛権の行使が語られています。

これを、どのように読めば、「平和主義の終わり」や「立憲主義の否定」になるのでしょう。まず「外国の武力攻撃」があることが前提になっていますから、日本が一方的に戦争をしかけることなどは考えられません。また「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される」事態でもあるのに、政府は何もせずに放置せよ、ということが本当に望ましいことでしょうか。「国民のこれらの権利」を守るな、というのが主張なのでしょうか。また、閣議決定反対、という場合には、1の個別的自衛権や、2の後方支援も反対なのでしょうか。3のみ反対なのでしょうか。それらが全く、明言されていません。閣議決定全てに反対なのか、あるいはその一部に反対なのか。その一部に反対だとすれば、それが具体的にどのような問題があるのか。実際にそのような幽霊などいないのに、「幽霊がいる!」と怖がっているように見えます。

私の友人、教えた学生など数多く朝日新聞記者として勤務しています。以前は、朝日新聞は最も優秀な学生が入社していました。今でも、記者の水準としては朝日新聞はきわめて高い水準の、優秀な方がたが揃っております。個人的にも、リベラルで国際主義的な、健全な新聞の購読者が増えてほしいと願っています。しかしながら、近年の朝日新聞の報道の論調には、大きく失望するばかりか、あまり学ぶことがありません。したがって、私は昨年、長年購読を続けてきた朝日新聞の定期購読をやめました。昨年の秋から今回の閣議決定に至るまでの、あまりにも感情に訴える扇動的な報道の論調によって、多くの読者が違和感を抱き、購読を止めるのではないかと懸念しております。

かつての朝日新聞主筆であった船橋洋一さんは、私がもっとも尊敬するジャーナリストです。私が『戦後国際秩序とイギリス外交』でサントリー学芸賞を頂いたときに、選考委員として選評を書いてくださりました。船橋さんが主筆であったときの朝日新聞は、はるかにバランスがとれて、国際主義的で、柔軟な視点で論じていたように思います。船橋さんは、安易に読者の感情に訴えようとしたり、情緒的な批判をするのではなくて、きわめてリアリスティックに、事実に基づいて、論理的な問題点を的確に抽出し、あるべき政策を提言する姿勢が見られました。その時代の朝日新聞を愛読していた頃を、懐かしく思い出します。

hosoyayuichi at 22:16│