2009年04月10日

最良の国際政治学のテキスト

待望の一冊が刊行されました。ケンブリッジ大学教授のジェームズ・メイヨール『世界政治』(勁草書房)です。これはすごい一冊です。

英語ですでに読んでおりましたが、日本語版序文を読み、あらためてそのすごさに圧倒されました。何がすごいのか。それは、1990年代半ば以降の国際政治の潮流について、これほどまで的確かつ洞察力をもって簡潔に描いたテキストは、おそらくないだろう、ということです。これまで、日本語で書かれた国際政治学についての入門書としては、高坂正尭『国際政治』やジョセフ・ナイ『国際紛争』がもっとも広く読まれ信頼されてきたものでしたが、おそらくはその二冊にこのメイヨール『世界政治』が加わるものと確信しています。

とはいえ、その「すごさ」がはたしでどこまで日本で浸透するか、やや心配しています。たとえば、1960年代以降、日本で広く読まれた国際政治学のテキストといえば、今やあまり読まれなくなったものが多いように思います。衛藤瀋吉ほか『国際関係論』や中嶋嶺雄『国際関係』、大畠英樹ほか『テキストブック国際政治』などが広く読まれてきた一方で、ヘドレー・ブルやマーティン・ワイトなどは一部の学者をのぞいてほとんど無視されてきたように思えます。ハリー・ヒンズレーも同様でしょうね。というのも、日本には日本独自の国際政治学の文化が発展してきて、とりわけアメリカの科学的な国際政治学の影響が強かったからだと思います。ですから、かつてはモートン・キャプランやラパポートの科学的方法論の国際政治学がとてもはやっていましたが、ブルやワイトなどがそれほどではなかったのでしょう。いわゆる60年代の「大論争」の時代の片側であったブルらの英国学派は敗者であったのだと思います。

それが、40年ほど遅れて、キャプランやラパポートが読まれなくなった現代において、ブルやワイトの翻訳が刊行され、若手研究者にも広く読まれるようになったことはなかなか奇妙なものです。ところが、今度は逆にブルが「神格化」され、それ以外の論者で、たとえばメイヨールやマニングなどは、まだ十分に評価されていないように思えます。したがって、メイヨールの研究の味わい深さが広く浸透するにも、少々の時間が必要かもしれません。その意味で、ブルばかりがもてはやされる傾向が生まれるなか、ワイトやメイヨールが翻訳されたことはとてもうれしいことです。もちろん私個人としては、ブルの研究はとても気に入っています。

ちょうど私自身、現在、1990年代半ば以降の国際政治における新しい潮流を、人道的介入などに注目して、ブレア外交を中心に単著にまとめているところでした。ほぼ完成しかかったところで、本書の日本語版序文を読み、自らの、国際政治学的なセンスのなさ、ものごとの本質を見極める力のなさ、教養の浅さを深く実感し、悲しくなってしまいました。この序文を読み、ほとんど自らの著書を書く気力がなくなってしまいましたが、ともあれ時代の本質を見極めることのできる知識人がいることは、とても頼もしく思います。

同時に、本書の日本語版への序文、あるいは本文中に、わかる人にしかわからぬかたちでウィットの効いた嫌みが存分にちりばめられています。たとえば、17ページには、「しかし国際社会を捨てて、過去の帝国をモデルとするような即席の歴史を書こうとする誘惑は避けねばならない」とは、いうまでもなく、ニオール・ファーガソンのEmpire やColossusへの効果的な嫌みです。時代の寵児として、オクスフォードからハーバードに移った歴史家、ファーガソンをあっさりとこのように短い文章で、しかし名指しをすることなく批判するあたり、イギリスの知識人の上品さと冷酷さを感じます。また、ソリダリスト的国際社会観で、立憲主義的な国際秩序を求めた国際政治学者への批判も、とても効果的ですね。


かつて1940年代後半に安易なリベラリズムやアイデアリズムに傾斜する世論や政策決定者を華麗な文章で冷や水を浴びせ、リアリズムへの回帰を求めたケナン同様に、1990年代後半以降の安易な「仮想的リベラリズム」を戒める意義は、限りなく大きく感じます。訳者の読書案内で、田所昌幸先生がケナンの本を紹介していることは、実に的確に感じます。本書の訳文は、さすが田所先生で、引き締まったとても的確かつ流麗な文章です。最良の本が、最良の訳者を得ることは、幸いです。

ともあれ、後に日本に帰国して、再びゼミを担当した後には、間違いなく導入時期に読む一冊として、毎年この本を用いることになると思います。おそらくその際には、多くの未来のゼミ生にとって、本書は難解に感じるかもしれません。著者メイヨール教授も、田所先生も、本書がけっして多くの読者を惹きつけるための、けばけばしい商業的なタイトルや看板を掲げていないこと、そして高い水準の知性を読者に要求することから、必ずしも爆発的に売れることをのぞんでいないのかもしれれません。ただそれでも、とても高い存在価値を持つものだと思います。

もちろん、本書が敬遠する北米系の「政治行動に関する科学的な定式化されたモデルをつくる」ことを自明視する研究者の方々からは、本書は古くさい時代遅れの、わかりにくい内容の本として非難され、敵視されることになるのでしょうね。ただそれでも、時代を超えて読み継がれていくのだろうと思いますし、そうあって欲しいと願っています。よい本が翻訳されることは、ともあれうれしいことです。世の中には、色々な方法論があってよいのだと思いますし、私としてはこのような学問の伝統がぜひとも損軸していってくれればと願っています。刊行をうれしく思い、このような文章を書いてしまいました。


hosoyayuichi at 13:54│