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  (仙台駅前)
 旅の話から始めましょう。三月の初めに、東北に行ってきました。思いもかけず仙台は雪で、福岡から見れば、随分「北に来たな」と感じました。一年前から大震災のことは気にかかっていて、石巻まで足をのばしました。松島駅から先は、代行バスから見える景色も、荒涼としたものです。石巻に着き、何もわからないままに、駅前のタクシーに乗り、とりあえず海岸が見渡せる日和公園に行きました。テレビで見ていたとはいえ、根こそぎ津波にさらわれた大地だけがひろがっていました。復興の兆しなど何処にも見えません。
 タクシーの運転手さんの説明を聞き、うなずくばかりです。「ここに比べれば仙台は天国です。神様はどこで線引きをしたのでしょうか。でも、あの津波で自分が生かされたことに運命を感じます。」 運転手さんも被災者であり、自ずと大津波の語り部になっていました。このタクシーに乗ってよかったと思います。感謝します。時間もなかったので、少し回っただけですが、暗澹たる気分のまま、仙台に戻りました。
 「石巻一年後」 というタイトルでブログを始めましたが、この世界でこれから生活していくには、今回の大震災を考え抜くことが不可欠なのです。

 (これを書いて、約2年後に加筆してます。今、思うことはこの大震災を「トラウマ」として記憶しておくことが一番大事ではないかと。もちろん日常生活に差し支えのあるトラウマではなく、物語として大分薄められた形としてです。 トラウマは心の傷ですが、誰しも傷は持っています。それが思い出に変わっていくのは、自分の責任ではなく、大きな自然の動きに運悪く出会ってしまっただけと思えることなのでしょう。
 でも、石巻の大川小学校の遺族が一人一億円の賠償を求める訴訟をおこしました。行政側は「想定外」として逃げるでしょう。高名な建築家がデザインしたと思われるきれいな小学校でした。 素晴らしい建築でも、それを管理する人間はそれに追いつかなかったようです。マニュアルだけの避難計画で、津波が来れば高いところに逃げることのシンプルな感覚がない。すぐ後ろに小高い山があり、そこに逃げれば皆が助かったはずです。この非常事態に文書だけで動く行政は頼りになりません。津波の歴史を教え、後ろの山に逃げれば助かるという、この単純な感覚を学校の皆が共有していれば、この災害は防げたはずです。
 この感覚を「暗黙知」ともいいます。マニュアルは「形式知」ですね。流動性が高く、違う文化の人がいるアメリカで、マニュアル文化は発達しました。マクドナルドの店員になるには、移民でもかまわない、マニュアルの通り動くことができたらOK!始まりはよかったのですが、100個も注文して、店でお召し上がりですか、などと聞く店員が笑い話のたねになってしまいました。アメリカから来たWINDOWSの分厚い説明書にうんざりした人も多かったでしょう。
 日本でも、あらゆる組織が官僚的になって、形式知がはびこっています。暗黙知と聞くとわかりにくのですが、ようするに「以心伝心」なのです。口頭伝承ですね。江戸時代の津波の石碑があっても、それを伝える人がいなかったら、ただの石です。
 隣の岩手県釜石市では小中学校での災害はほとんどなかったのことです。 片田敏孝氏の防災教育のおかげです。「釜石の奇跡」と呼ばれていますが、これを奇跡と呼ばなければならないのは、家族から国家まで日本社会の病理でです。江戸時代に津波で襲われた人も、心の傷をおったはずです。それが物語として、いまの石巻に伝えられていればと思います。物語として共有する人々がいれば、その間はあのような災害は免れることができるでしょう。)