シンポジウム「いまアフリカで何が起こっているか」

2006年01月30日

ポール・ルセサバギナ氏来日講演の全容

お知らせするのが遅れてしまいましたが、『ホテル・ルワンダ』公開直前に有楽町にて開かれたシンポジウム、「いまアフリカで何が起こっているか」のほぼ全文に近い記録が、主催者であるピース・ビルダーズ・カンパニーのHPにて公開されました。

『ホテル・ルワンダ』を観たことがきっかけでアフリカの諸問題に関心を持つようになった方、あるいは実際に会場にも行ったけど、改めて一文ずつ噛み締めて読んでみたい方のいずれにとっても貴重なテキストであると思います。

ポール・ルセサバギナさん同様にルワ会の恩人である、現ルワンダ駐日大使エミール・ルワマシラボ閣下による、ポールさんへの反論も読むことができます。ジェノサイド後の祖国を再建するため、現在もなお苦心している大使閣下の言葉はやはり重いものです。所詮当事者にはなれない自分達のような者が、軽々しく一歩の側に立った発言などできないことを改めて感じます。

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2006年01月12日

ポール・ルセサバギナ氏、アフリカの現状を語る (後編)

(selaさんによるレポートの後編です。前編はこちら


(以下selaさんによるレポート)

最初のルセサバギナ氏講演:

映画のネタバレにならない程度に、羅列形式でいきます。 (  )内がselaの感想…(^^;

・詳細に日付・人数 などのデータをも上げてくださっていました。
・最初自宅に集まったのが26人。もともとの家族は6人。夫婦と子供4人
 ホテルに移動の時点で『家族』は32人。(と誇らしげにおっしゃっている印象を受けました)
・とある決断を迫られ、5分くらい何も考えられなかったと。
(詳細は映画で!けっこう最初のほうです。)
・移動になった直後で、ミルコリンホテルで采配を取るには本部の辞令が必要だった。
・実際は一つ一つの決断は妻とよくよく話し合って決めた。
・be killed が確定的である状況下で、how to be killed/ how to dieの選択肢しかなかった。
・映画とはことの後が違っていて、まず二つのホテルの掃除から始めた…。  (う〜んプロ!!)
・事が終わって、少し落ち着いた頃、車で自分と妻の出身地の南の地方に出掛けた。
 ひとっこひとりおらず、遠くのほうで犬が吼えてるのが聞こえてくるくらい、
 生ある者の無い気配だった。妻の親族も、皆殺されてしまっていた。
 …赤ん坊のように泣いた、と。

思い出せる範囲ですが…。

後は、裁判がちっとも進まないという話もだいぶ時間が割かれていました。

事が起こって11年経ち、直後から司法研修は大規模に行なわれているのに、ちっとも進まない、国連のほうで、タンザニアにて国際法廷もあるがわずか25人の判決が出てるだけ。
 (…でしたっけか。ふたケタのえ??ってな数字だったと…)
あと何年かかるのか。
 (このあたりはポール氏、だいぶ怒っている御様子。過去の清算が済まなければ先に進めない、と思っておられるのが伝わってきました。)

ルワンダの状況はよくなっている面もある、という指摘とともに、竹内氏がちっとも進まない国内の裁判所、国連の裁判所、のほかの可能性として、ガチャチャ(伝統的民会のようなもの。コミュニティ単位で裁判のような機構だとか)における可能性に言及してましたが、
ポールさんの次の質疑ではかなり否定的でした。

以下、ポール氏の質疑より。
まず、何も変わっていない、とまっている、と言い切ったあとで、ガチャチャについては、隣近所の、盗った盗られた、といったような事件を裁く場であって、虐殺にどう関与したかなどということを裁ける能力は無い、との発言でした。

現政権…ツチ族側なわけですが、それが最近強権化しているという話。
現大統領選出時の得票率95%だとか…。 (やはりちょっとありえない数字なのでしょう)

虐殺に関わった(主にフツ族)側、反乱軍側(ツチ族…94当時の政権はフツ族でしたから)双方ともに裁きの場に出るべき人はいるが、現政権におさまった側(元・反乱軍)の人はちっとも拘束されていない、…タブーのような感じになっている。

拘束だけされて、未決囚が何万といる、実に10年牢獄に入っている。
それは、一家の稼ぎ手の男がつながれているということ。
ということは、その妻は生活の為に働かなくてはいけないし、子供は教育を受けるどころではない。
家族全体がつながれているようなものだ、ととても強調しておられました、ポール氏。
ゆえに、裁判の迅速化を求めてやまない、という感じなのかと…。

部族対立、という格好にはなっているが、結局のところ、権力を握った何人かが煽ってはやしたてただけで、元来からの(個人間の)憎しみ合いといったものはない、と再三言っておられました。
ただ、歴史的経緯によるわだかまりがある、と。


メッセージ編:
松本仁一氏:知って何が出来るか、ということだが、現政権は講演の中でもいろいろと話に出たように、うまく機能していない、政府のODAの援助も、政権側に行くから、一部の権力を握っている人々の懐に入ってしまい、肝心の困ってる方々に行かない。そこでNGOが有効である。より効果的な、というものを求めるならそこではないか。

武内進一氏:
援助という面では指摘が既にあったので、違う側面で切り込んでみます。まず何よりも、知って欲しい、アフリカの、厳しい、深刻な面だけではない、暖かさだとか、すばらしさを知ってほしい。自分自身アフリカに行くと、そのあたたかさに癒される。関心を持つことが全ての始まり、そのためにもこの映画はいいきっかけになるでしょう。

Paul Rusesabagina氏:
「希望を見失ってしまいそうな状況もありますがそこで敢えて希望を持ち続けるためには何が必要でしょうか」に答えてのメッセージ:
意思を持ち続けること。可能だと思い続けること、そこに道が開いてきます。
I believe that we can always make it. If we really want.

tomorrow leaderという言葉と共に、心に響きました。
そして最後におっしゃっていました。
This movie, “Hotel Rwanda” will be a wake-up call. Take the message and be a messenger! (sela)




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ポール・ルセサバギナ氏、アフリカの現状を語る(前編)

(先日のポール・ルセサバギナさんを招いてのシンポジウムに興味津々だったにも関わらず、会社や学校を休むわけにはいかなくて聞き逃してしまった。当日何が話されたのか知りたい!・・・と飢餓感に喘いでいらっしゃるはずの大多数の皆さんの期待に応え、selaさんが前回にもまして詳細なレポートを書いてくれました。selaさん、ありがとうございます!)


(以下、selaさんによるレポート)



かのイギリスが発明したという“divide and rule”の植民地支配方式が、
ここまで、いまだに破壊的な力を持っているのか…と個人的には思いました。
そして。
悪い意味でなくての「nationalism」の形成が、国の形を保つのにどれだけ確乎たるものとなるか、意識してませんでしたが、日本の幸福を感じました。

どういうことかというと
松本仁一氏の「アフリカでこの先100年は部族対立でくすぶり続けるだろう」
との指摘の、根本原理(かなり大雑把ですが)。

まず、こういう下地があります:部族が、すでにたくさんある。
でもって別に 喧嘩してる・常々日頃から対立してる、というわけでもない。

で、政権側に立っている人々が、主に自分の失政 (腐敗だとかなんだとか)
のために、国の状況がまずくなってくる…と。

「俺はこんだけ頑張ってる、俺らのせいじゃない、『あいつら』のせいだ」
と、部族対立を利用して、≪仮想敵≫を作る。
で、実際民族虐殺を引き起こしていくという
  …そのあたりには過激派の存在がありましょうが。

これが、アフリカ各地で繰り返されている。最近ではダルフールで。
とのことでした。

で、政治支配者層の腐敗→繰り返される虐殺という悪循環に陥っているのは、
健全な意味でのnationalismの形成の時期が、
アフリカ諸国には無かった、という事情が災いしている、と。

曰く、大戦前は、奴隷制度で痛めつけられ(ここまでは明言されなんだが)
戦後、国境の線引きがなされて、独立はしたが…国としてのまとまり、
といったものがあやふやなままに成ってしまった面もあり。
よって、≪部族≫単位で煽られると、それを超えた≪国家≫での見方が勝てず、
分断され、内乱になり、まとまらず…の悪循環。
(vicious circleと、ルセサバギナ氏も言っておられた)

虐殺の際、≪ゴキブリ≫≪ねずみ(註:ダルフールのケース)≫等、
迫害される側を、敢えて「人間ではないのだ」と思わせやすい
(よって、良心の仮借なく殺しやすい)呼び方をするというのもパターンだとか。

ぞっとしましたが、言葉に操られるという人間の本姓をよく突いてるなと
妙な関心をしてしまいました…感心してる場合ではないのですが。


ルワンダの場合、ひとことでいうと。
ツチもフツも、日頃は一緒に暮らして、混じって暮らしていて、
バルカン諸国のように、ダルフールのように別れて住んではいない。言葉も宗教も同じ。
で、虐殺のあった後も、変わらず交じり合って暮らしている、
これがルワンダの特殊なところ、という指摘を武内進一氏がしておられました。

うーん…いろいろと勉強になりました…。
次は、講演&シンポジウムの補追と、「では今後はどうすべきか」のメッセージ編を。(sela)



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2006年01月07日

ポール・ルセサバギナ氏来日

すでにNHKなどでも報じられているようですが、「ホテル・ルワンダ」でドン・チードルが演じた主人公のモデル、すなわち1994年のルワンダで1200人の命を救ったミル・コリンホテルの元支配人、ポール・ルセサバギナ氏が来日しました。昨日1月6日、有楽町朝日ホールにて行われたシンポジウム・チャリティ試写会「今、アフリカで何がおこっているか」で講演を行うためです。

水木代表以下ルワ会のメンバーも何人か出席し、ポールさんと間近にお話しする機会を頂いたのですが、そのことはまた改めて報告いたします(正直なところ、あまりのことでまだ現実の出来事としては述べることができません)

肝心の講演の内容については、この日出席してくださったselaさんから詳細かつ整理されたレポートを頂きましたので、ご本人の同意を得た上で掲載致します。



(以下、selaさんによるレポート)

いろいろと衝撃でした。なんとしてでも多くの方にこの映画を観ていただきたい。
試写の後、主人公モデルになられた、ポール・ルセサバギナ氏の講演&囲んでのパネルディスカッションだったのですが

この映画『ホテル・ルワンダ』がwake-up callになってほしい。
take the message and be a messengerという最後の言葉がこれまたよかったです。
すっごくあたたかそうな、恰幅のいい、紳士でした。

英語勉強してる学生さんにもわかるような、簡潔な英語で語ってくださったポール氏に感謝。数字のとっても多いスピーチでした。

映画と実際は多少違っているようで、 ネタバレにならないように事実のほうだけ書きますけど、事のあと2年ほどルワンダにとどまられたそうです。
で、まずしたのが、hotelの cleaning up…だとおっしゃっていました。うーんさすがプロ。(^^;
で、実際は奥さんとさんざんさんざん話し合っていろいろな決断をなさったとかで… the toughest descision in my life とおっしゃっていました。何がそうなのかは映画を御覧ください♪

なんとNHKラジオニュースでも来日の件が取り上げられていました。
23:00〜からのnewsで。ポール・ルセ・サバギナと読んでますNHKアナウンサー...(^^;

『ユダヤ人の虐殺以来、世界の人達は二度と虐殺を起こしてはおこしてはならないと訴えてきたが、ルワンダで起き、最近スーダンでも同じようなことが起きている。二度とこういう事態があってはならないという私達の願いを、映画を見た人達が伝えて欲しい』と述べました。(録音MDから起こしたママ)

うーんこれは。講演直後の質疑応答の中でおっしゃっていたことかのようです。

最近一番悲しかったことは、ダルフールからの帰りの飛行機の中のニュースで、ホロコースト六十周年式典をやっていて、多くのsuper leader(大国指導者)たちが『never』と『again』を繰り返していた。民族虐殺(ジェノサイド)を『二度と』『決して』起こしてはいけない。
…と言っているそばから、今見てきたダルフールの、まさにジェノサイドとしかいえない状況…。人類は歴史から何を学んだのだろう。
(同じく大意)

でもなお、『決して/二度と』のために希望を持ってやるしかない、という終始前向きな講演でした

Where there is a will, there is a way. 意思のあるところに道は開ける
何回かおっしゃっていました。形を変え、多少表現を変え。幾度も。

映画公開になって、年100回ペースの講演をこなしておられるとか。
それでも、94年のことをどう伝えたら…と思っている自分には素晴らしいチャンスだとおっしゃっておられました。(大意)
若い人に、学生に、tomorrow leaderたちに語っておれることは大変に大きなことだともおっしゃっていました。

Let's be messengers together!! (sela)







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