作家・堂場瞬一さんとの不思議な縁

           中央公論新社 取締役会長 鳥山 輝

 

 師走が近づいたある日、作家の堂場瞬一さんがひょっこり私を訪ねてきた。学生時代にラグビーで鍛えた体を仕立てのよい縦縞スーツに包み込んで、さっそうと会長室に現れたのだが、いつもと違って表情が硬い。

 「…じつは、年内で読売新聞を退職することにしたので、きょうはその報告に来ました。長い間お世話になりました」一気にそう言って、申し訳なさそうに頭を下げた。―そうか、ついに作家に専念する日がやってきたか。私の頭の中をさまざまな感慨が駆け巡った。

 

 堂場瞬一さんは、『刑事・鳴沢了』シリーズ、『警視庁失踪課・高城賢吾』シリーズなどの警察小説やスポーツ小説でヒットを連発。最近は、本人の写真入り新聞広告が大きく掲載されるので、出版各社から引っ張りだこのベストセラー作家だとおわかりになるだろう。私は自信を持って断言できるのだが、彼は原稿を書くスピードが作家で一番早い。調子が出ると、一時間で十五枚も原稿を書き上げてしまう。一昨年三月には、一〇五〇枚も書きまくった。毎日三十五枚書いたことになる。さすがにこのときは、疲労"困憊(こんぱい)して体調を崩したそうだ。

 

 もちろん原稿は早く書ければいいというものではない。しかし、彼の作品は文章もいいのだ。処女作『八年』(集英社)で、いきなり小説すばる新人賞を受賞。二作目の中央公論新社刊『雪虫 刑事・鳴沢了』で大ブレイク。当社から刊行された堂場作品の累計部数は三百万部をゆうに超え、十一年間の作家生活で他社本も含め、すでに百冊もの本を出している。彼のすごさは、専業作家が驚くほどの量の原稿を、忙しい新聞記者稼業の合間に書き続けたことだ。平日は新聞記者の仕事をこなしてからスポーツジムに通って体調を整え、週末はすべての時間を執筆に充てる―彼は強靭な精神力と体力で、ずっとこの生活を続けてきた。

 本名・山野辺一也。四十九歳。自作小説の主人公のようにタフな堂場さんとの出会いは、一九九六年だった。私が読売新聞甲府支局長から八王子支局長に転任すると、支局に彼がいた。社会部から派遣され、取材のかたわら支局の若い記者たちを指導する“兄貴役”の仕事をしていた。彼は私物のパソコンを持ち込んで、華麗なブラインドタッチで新聞原稿を打ち込んでいた。猛烈に速い。締め切りが近いなら誰でもそうなるが、連載記事などはあれこれ考えながら書くのがふつうだ。つい「山野辺君、もう少し丁寧に書いた方がいいんじゃないか」と口にしてしまった。てっきり雑な原稿だろうと思って、出来上がった原稿を読んでみると、しっかり書けている。しまった!と思った。が、もう遅い。「間違ってなければ、早い方がいいんじゃないすか」。ややきついトーンの返事が戻ってきた。

 夜になると、新聞記者は夜回り取材に行くか、飲みに出かける。支局生活に慣れてきたある夜、「ちょっと一杯どうだい」と誘ってみた。すると、「体を壊したので、酒はやめました。メシなら付き合いますよ」という返事。ぶっきらぼうな言い方だったが、きっぱりした口調だから不快感はない。数日後、「八王子周辺のおいしい店巡りをしないか」と再び誘うと、表情が一変した。「究極のチャーハンなんて看板がかかっている店があるんですよ。ちょっと気になるんですよね。行ってみますか?」。こうして、車高の低い彼の愛車に同乗する八王子グルメツアーが始まり、数多くの店を探訪した。

 彼の二年間の支局勤務が終りかけたある日、立川市のレストランで食事中に「支局長、俺、社会部に戻りたくないんです。一日中仕事に追いまくられる生活に戻ると、また体を壊してしまうんで」とつぶやいた。ちょっと引っ掛かるところがあったが、私は「君がそう望むなら構わないが、どんな部署がいいんだい」と聞いた。「地方勤務がないところでお願いします」。この言い方で、小説を書く時間がとれる職場を望んでいるのだろうと判断した。

 

 私は当時のメディア企画局開発部長に会い、「パソコンにやたらに強く、毎日ネットサーフィンしている優秀な部下がいます。使えますよ」と売り込んだ。インターネットが普及する前だったから、即OK。異動後に会うと「おかげで夜は自由になりました。感謝してます」と顔が明るくなっていた。開発部長にも「いい奴を紹介してくれたな」と喜ばれた。現在の読売新聞グループ本社・東京本社社長、読売巨人軍オーナーの白石興二郎氏である。

 「午後十一時には帰宅できて、土日が休めるようになった」彼は、週末に小説を書いて文学賞への応募を始めた。その結果、二〇〇〇年に小説すばる新人賞を受賞し、新人作家として一躍脚光を浴びる存在になった。一方、私はその前年に中央公論新社に出向。作家堂場瞬一と出版人という形で再会したとき、お互い夢にも考えていなかった不思議な巡り合わせに、「いやはや…こんなことが起きるなんて、驚いたね」と、二人ともニヤニヤしながら握手したのを覚えている。

 

 堂場さんは、二〇〇一年に当社から『雪虫 刑事・鳴沢了』を刊行。社会部記者時代の経験を生かして、事件と刑事を取り巻く組織を描き、じわじわと読者の心をつかんでいった。シリーズ四作目の『孤狼』から文庫書き下ろしに切り替えると、ファンが激増。時代小説の佐伯泰英とミステリーの堂場瞬一。この二人の作家は、文庫書き下ろしのジャンルを切り開いた功労者である。いまや出す本どれもが大ヒット。初版十万部でも、すぐ重版が出る。

 

 各社からも注文が次々に舞い込むので、堂場さんはどんどん忙しくなっている。しかも、読売では編集委員という要職にある。会うたびに「体は大丈夫か」と声をかけるのだが、口の悪い私は「それにしても書くネタがよくあるな」と余計なことを言ってしまう。「新聞記者やってれば、ネタはいくらでもありますよ」と平然と言ってのける彼も、さすがにここ三、四年は「体がもう持ちませんよ。読売を卒業させてくれませんか」と懇願するようになった。

 私はずっと「やめるのはいつでもできる。読売の仲間も応援しているし、もう少し頑張れ」と言って、読売を辞めないよう引き止めてきた。実際は私には何の権限もないのに、彼は律儀に従ってくれた。しかし、もはや引き止めるべきではない、と私は悟った。一時期メシをおごっただけの元上司に対し、彼は数万倍ものお返しをしてくれているのだ。こんなありがたいことがあろうか。彼が辞去する際、「投資として考えれば、これ以上のハイリターンはないね」と冗談を言いながら、私は心の中で「堂場さん、ありがとう」と頭を下げた。