2011年12月12日

橋下徹を占う

大阪市長橋下徹を占う オーラ未来学

 2011年11月27日に大阪市長選挙がありました。この選挙は60%を超える投票率で、橋下府知事は、知事職を辞職して立候補し、平松邦夫氏と20万票以上の差をつけて、75万票で市長に当選しました。
 この人気の秘密に、天星算命学で迫ってみました。
 まず、橋下徹氏のメインのオーラ・カラーは、サニー・ローズで、桜色のオーラ・カラーです。このサニー・ローズの意識構造は円環構造で、円というのは拡散性が強くて、どの圧点を押しても平等に力を伝えようとする作用があります。ですから、どんな人に対しても平等に接していたいという気持ちの強い人です。例え、社長であっても、平社員であっても、同じような態度で接していたいと思っています。
 ですから、橋下市長の基本的思考は、平等であるか、ないかが基本です。
 また、円は拡散性が強く、大衆に訴える力を強く持っています。大衆に支持されて、大衆の心を掴む能力を持ちます。
 しかし、橋下氏は生まれた日がオーラの充電期なので、本来のんびりと生きていこうする気持ちも持っているのですが、実際の人生行程はのんびりどころではなく、常に走り続けて、神経の休まる暇はなくなります。
 また、充電期に出発しているため、不完全燃焼が起こりやすく、多く成功しても、多く失敗し、他人によって運命を左右されやすくなります。
 さらに、生まれた年も充電期なので、親縁が薄く、父親と運勢がシーソーを起こします。そのため、父親と離別する可能性が高くなります。また、ねじれた境遇で育つことで、彼はかえって大きく育つようになります。
 天星算命学では、火星と土星が害となっているので、父親からの運命的な束縛を意味し、そうしたしがらみから逃れようとして反抗し、トラブルを引き起こす暗示が入っています。
 健康運を見ると、脾虚の体質になりやすく、少し動くと汗をかいたり、あざができやすく、立ちくらみ、足腰のだるさを感じて、胃潰瘍にならないように注意しましょう。またイライラが溜まると肝を傷つけて、視力低下も起こすので注意が必要です。
 さらに、仕事運では、今年は争いごとが多く、トラブルになる傾向が強いですが、来年は順調に推移していきます。処理すべき仕事は早く決着をつけないと泥沼に嵌るので、来年が勝負と言えます。
 また、天星算命学では、太陽と火星に害があるので、宿命的な問題によるもめごとを暗示し、運命に逆らうような選択を好み、過酷な運命や試練に立ち向かい、戦うことで成功を掴もうとするため、必要以上に自分を傷つけたり、皮肉な運命に巻き込まれます。
 しかし、太陽と土星が三合を起こしているので、大きな責任を背負えば背負うほど、実力を発揮して、目標に向かって長期的に対処し、最後まであきらめないところもあり、努力によって大きな成功を手にすることも暗示します。
 何れにしても、短期決戦ですから、短期間で結果を出せないと、2016年47才までに、仕事を全て成し遂げないと、47才を過ぎてからは、思うように人生が運ばなくなるでしょう。
 ですから、大阪を文化都市として国際的にアピールするくらいの、大きな観光資源の開発を行い、経済を活性化していくなら、47才まででです。
 宿命を見ると次のようになっています。
 乙庚己
 亥午酉
 まず、乙庚が干合を起こして、金性に変化しています。そのため、人生に変化が起こりやすくなります。また、四十代を過ぎてから、家庭か、仕事が大きく崩壊するので、仕事を変える可能性もあります。
 彼は、前世において失敗しても誰かが助けてくれるような非常に恵まれた環境に育っていますが、今生においても、不思議と窮地に追い込まれても、誰かが助けてくれる徳分を持っています。
 しかし、人生は谷があれば、山があるように平坦にはいかないのが、この宿命の特徴で、四十代は大きな転換期に入りつつあります。
 ですから、活躍できる時間は多くはないのですが、これから大阪が日本を救う大きな原動力になれるように、権力の圧力に屈することなく、底辺から改革を進め、大阪文化が世界のスタンダードと呼ばれるように、観光・映像・文学・歴史と産業を開発していってもらいたいと願っています。

                   北條路山記す
 
 
 




 
 





houjourozan at 16:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)オーラ未来学が占う 

2011年11月14日

運命医学

 命証合診

 平成23年11月13日に、中医学研究会において、陸希先生の教授を受けてきました。
 東洋医学は非常に奥が深いので、単純に病気を判断できないことや証も取り方が全ての方向から考察する必要があることは勉強になりました。
 その中の例証について、天星算命学的に考察をしてみました。
 女命で、湿疹による掻痒感があり、咽喉の痛みを持っています。
 まず、彼女の胸には、プラチナ・シルバーのオーラがあるので、意識構造が単純構造です。
 ですから、白黒はっきりしたタイプで、良い悪いもはっきりしています。そのため、気がつよいのですが、彼女は充電期に誕生しています。ですから、気滞・気虚の体質になりやすいことが分かります。
 実際、空咳や咽喉の痛みがあるので、肺が弱いです。
 また、肌が乾燥しやすいのは、肺の気の機能が低下しているからで、これはシルバーのオーラを持っている上に、充電期に誕生しているからです。
 丁癸壬 火水水
 巳丑寅 火土木
 宿命を見ると、水が日干である火を剋しています。しかし、丁壬は干合して化木し、巳丑は半会で金局しているので、土に弱く、水を喜ぶところがあります。
 ですから、戊申が大運に巡ると、肺が傷ついて、皮膚や呼吸に問題が出ます。肌荒れ、便秘、ストレスで呼吸が短くなり、皮毛に問題が出ます。
 さらに、天剋地冲が巡っているので、注意が必要です。
 また、舌に歯痕があり、苔が薄白なので、陽虚もあり、肝鬱・肝脾不和もあり、熱が上昇しているようです。
 ですから、甲の調候守護神を取って、東方を吉方と見て、手陽明大腸経や手太陰肺経の曲池や少商と関係すると判断できます。
 基本的にシルバーのオーラの人で、充電期に誕生していれば、一生懸命頑張れば、頑張るほど、免疫力が低下して、燃え尽き症候群になりやすいので、頑張りすぎないように、注意すべきです。

                        北條路山記す
 

 

houjourozan at 13:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年10月13日

戦国武将の占術

 戦国軍師の占術

 戦国武将には、軍配師と呼ばれる、武将専属お抱えの占い師である軍師がいました。中国戦国時代大きな影響力を持つ、軍師に孫子がいますが、孫子も算命・断易を縦横無尽に駆使していた鬼谷子に支持して、弟子となっています。つまり、兵法の根底には、占術があるのです。
 また、三国志の英雄である諸葛孔明も、奇門遁甲の使い手で、八門の秘法によって勝利したと言われています。さらに、明国建国の宰相である劉伯温も、断易黄金策を制定するほど占術に長けていました。
 日本でも、「占いや呪いを信じなかった」と評される程、冷徹な織田信長でさえも、伊束法師という軍配師がいましたし、豊臣秀吉には、白井龍伯という軍配師がいましたし、徳川家康には天海上人という軍配師がついていました。
 実例としては、関が原の戦いの時に、当時我が国最高の軍師養成機関であった足利学校関係者に、開戦の日を占わせていることからも、多くの有能な占い師が、戦国末期まで活躍していたことが伺えます。
 また、徳川家康の軍師である天海上人は、方広寺鐘銘事件を契機とする大阪冬の陣・夏の陣のシナリオを描き、江戸の風水を設計し、江戸城・日光東照宮の配置を決定したとも言われます。
 このように、日本の戦国大名も、中国と同じく、各戦国大名家には数人の軍配師が抱えられていました。
 このようなことは、世界を見ても、珍しいことではなく、現在でも、レーガン大統領の専属アドバイザーとして知られる占星術師のジョーン・キグリーやナチス・ドイツのヒットラーの戦略顧問である天才数学者カール・クラフトは、ホロスコープの卓越した解読によって、西欧諸国への進撃開始の日を決定しています。また、ルートビッヒ・フォン・ウオールは占星術師としてイギリス参謀本部で軍事顧問として活躍していました。そもそも、古代バビロニアの占星術師であるカルデア人たちは、シュメールの遺産と共に、アレクサンドリアにおいて、多くの科学技術を完成していっていることからも、占星術は西欧文明の宗教・科学の根底をなすものです。
 ところで、この軍配師の最も重要な仕事は、勝敗を予報し、軍人の士気を高め、勝利へと導く、勝利請負人でした。その生死を左右する戦場において、武将でも逆らえない存在が軍配師であったと言われます。
 また、武田信玄の軍師であった駒井高白斎は、今川義元の軍師である雪斎と講和交渉にあたっていることからも、外交折衝も重要な仕事であり、合戦で殺害した後の供養や怨霊を封じることも、軍師の大事な宗教行事の一つでした。
 このように、加持祈祷から「地選」といって、地鎮祭を執り行ったり、勝利の勝ち鬨を挙げたり、首実検をしたりと武将の手足となって動く存在が軍配師でした。
 では具体的にどのような占術を使っていたかは、城の五気を見ていたようです。
 この城の五気とは、城の周辺から漂う気のようなものを、宮・商・角・微・羽の五つに分けて見るもので、城を攻める時に、軍師は城から出る気を見て判断していたことが分かります。
 これは、武田信玄の軍師である山本勘助が使っていた方法です。
 また、伊達政宗は、良学院栄真という祈祷師を修験年行司に任命していますし、毛利元就は、安国寺恵瓊を毛利家の吏僧として敵軍との交渉に当たらせていました。
 実際、安国寺恵瓊は、毛利輝元の使いとして織田信長の吏僧である朝山日乗と交渉し、十二か条の条目として事態をまとめています。
 この十二条目の末尾に、「信長の代、五年三年は持たるべく候」と結んでいることは、驚嘆すべき予言で、信長の全盛期は、毛利と言えども、直接対決すれば勝つことは難しいと言われた時代にすでに、信長が五年・三年とは持たないだろうと予言している安国寺恵瓊の軍師としての先見がいかに優れているかが伺えます。

                              北條路山記す 

 

 

houjourozan at 17:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)陰陽道風水