2006年01月08日
郡上八幡城

(写真は、天守閣)
別 名 :積翠城
所在地 :岐阜県郡上郡八幡町
城種別 :山城
築城者 :遠藤盛数
築城年 :永禄2年(1559)
天守閣構造:木造4層5階(昭和8年再建)
交通(最寄駅):長良川鉄道 郡上八幡駅<城周辺地図>
特 徴
永禄2年(1559)領主東氏を東殿山城に滅ぼした遠藤盛数は、八幡山に石垣を築き、その後城主として入城した稲葉貞通は、山頂に天守台を作って本丸とし、また山腹には二の丸を構える等、この時ほとんど現存する城の構えが出来上がった。その後、明治3年(1870)に城郭は取り壊されたが、昭和8年(1933)には現在の木造天守閣が再建された。
八幡城の頂上からは、市街地が一望でき、四季を通じての景色が印象的。
放浪日:2003/8/1続きを読む
徳島城

(写真は、表御殿庭園)
別 名 :渭山城
所在地 :徳島県徳島市
城種別 :平山城
築城者 :蜂須賀家政
築城年 :天正13年(1585)
天守閣構造:−−−
交通(最寄駅):JR高徳線 徳島駅<城周辺地図>
特 徴
徳島城のあるところは鎌倉時代、富田荘といい伊予の地頭高野氏の支配地であった。至徳2年(1385)になって足利尊氏とその子義詮に仕えた細川頼之が四国地方を収めたとき、吉野川の河口に近い支流、助任川と新町川の間の中州上の小山に城を築いた。
その後城主は替わったが、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国討伐後、戦功のあった蜂須賀正勝・家政が阿波一国を与えられ(以降蜂須賀氏は世襲して明治に至っている)、渭山城の地に大築城工事を起こした。築城工事は天正13年にはじまって、翌年完成したが、これは城山上の本丸、二の丸、三の丸あたりの工事でさらに城郭と城下町の構築は続けられた。やがて城郭は北は吉野川、南は円瀬川を外郭とするほどの大規模な城下町になった。
現在は徳島城跡は徳島公園となり、表御殿庭園と御殿風建造物の徳島城博物館がある。平成4年には、表御殿外郭の鷲之門が復元された。
放浪日:2001/5/20続きを読む
2005年12月10日
松代城
R1:「続き」以降を追加

(写真は、石垣)
別 名 :海津城
所在地 :長野県長野市松城町
城種別 :平城
築城者 :武田信玄、森忠政
築城年 :永禄3年(1560)、慶長5年(1600)
天守閣構造:−−−
交通(最寄駅):長野電鉄河東線 松代駅<城周辺地図>
特 徴
松代城ははじめ海津城といい、永禄3年(1560)武田信玄が甲斐から信濃に進出し、越後の上杉謙信に備え構築したものである。以降武田の武将が城主となって守ったが、武田氏滅亡後、織田信長の家臣森長可が入り、本能寺の変の後上杉景勝の領地となった。城は平地ながら甲、信、越を結ぶ交通の要衝であり、善光寺平の東南端を占め、本丸を中心に二の丸、その南に三の丸があった。
現在の城跡は、本丸と天守台石塁を残すのみで公園となっている。城跡の少し南の真田邸跡には、真田宝物館、真田藩文武学校等が公開されている。
放浪日:1998/7/25続きを読む

(写真は、石垣)
別 名 :海津城
所在地 :長野県長野市松城町
城種別 :平城
築城者 :武田信玄、森忠政
築城年 :永禄3年(1560)、慶長5年(1600)
天守閣構造:−−−
交通(最寄駅):長野電鉄河東線 松代駅<城周辺地図>
特 徴
松代城ははじめ海津城といい、永禄3年(1560)武田信玄が甲斐から信濃に進出し、越後の上杉謙信に備え構築したものである。以降武田の武将が城主となって守ったが、武田氏滅亡後、織田信長の家臣森長可が入り、本能寺の変の後上杉景勝の領地となった。城は平地ながら甲、信、越を結ぶ交通の要衝であり、善光寺平の東南端を占め、本丸を中心に二の丸、その南に三の丸があった。
現在の城跡は、本丸と天守台石塁を残すのみで公園となっている。城跡の少し南の真田邸跡には、真田宝物館、真田藩文武学校等が公開されている。
放浪日:1998/7/25続きを読む
上田城
R1:「続き」以降を追加

(写真は、本丸・東虎口櫓門)
別 名 :尼ヶ渕城、真田城
所在地 :長野県上田市
城種別 :平山城
築城者 :真田昌幸
築城年 :天正11年(1583)
天守閣構造:−−−
交通(最寄駅):JR長野新幹線・しなの鉄道 上田駅<城周辺地図>
特 徴
上田城は天正11年(1583)真田昌幸によって南に尼ヶ渕の大断崖を見下ろす台地に構築された。天正13年に徳川家康を迎え撃ち大打撃を与え敗退させた上田合戦と、関ヶ原の合戦に参加する徳川秀忠別働隊(中山道隊)を六日間にわたり足止めさせた、この二度にわたる戦果は、真田氏と上田城の名を高めた。関ヶ原合戦ののち廃城となったが、昌幸の長子信之が父の遺領・上田に入封し城を修築した。もともと上田城には七基の櫓と城門と塀があり、天守は造られていなかった。城地は南面が大断崖で、本丸は断崖上に造られ、東北西の三方に内堀が掘られ、二の丸がこの三方を取り囲んでいた。
現在は上田城跡公園になっており、北、南、西の櫓三基と復元の城門があり、本丸跡には真田神社がある。
放浪日:2001/5/20続きを読む

(写真は、本丸・東虎口櫓門)
別 名 :尼ヶ渕城、真田城
所在地 :長野県上田市
城種別 :平山城
築城者 :真田昌幸
築城年 :天正11年(1583)
天守閣構造:−−−
交通(最寄駅):JR長野新幹線・しなの鉄道 上田駅<城周辺地図>
特 徴
上田城は天正11年(1583)真田昌幸によって南に尼ヶ渕の大断崖を見下ろす台地に構築された。天正13年に徳川家康を迎え撃ち大打撃を与え敗退させた上田合戦と、関ヶ原の合戦に参加する徳川秀忠別働隊(中山道隊)を六日間にわたり足止めさせた、この二度にわたる戦果は、真田氏と上田城の名を高めた。関ヶ原合戦ののち廃城となったが、昌幸の長子信之が父の遺領・上田に入封し城を修築した。もともと上田城には七基の櫓と城門と塀があり、天守は造られていなかった。城地は南面が大断崖で、本丸は断崖上に造られ、東北西の三方に内堀が掘られ、二の丸がこの三方を取り囲んでいた。
現在は上田城跡公園になっており、北、南、西の櫓三基と復元の城門があり、本丸跡には真田神社がある。
放浪日:2001/5/20続きを読む
小諸城
R1:「続き」以降を追加

(写真は、懐古門(三の門))
別 名 :乙女ヶ城
所在地 :長野県小諸市
城種別 :平山城
築城者 :仙石秀久
築城年 :長享元年(1487)創築、天正18年(1590)〜天正23年
天守閣構造:−−−
交通(最寄駅):JR小梅線・しなの鉄道 小諸駅<城周辺地図>
特 徴
小諸城は長享元年(1487)この地方の豪族で大井庄に居た大井氏が小諸に居館を造ったのがはじまりという。天文12年(1543)甲斐の武田信玄が村上義晴を追って小諸城を奪った後、要衝であるこの小諸の地に新たに城を築き、領域内の北の防御、侵攻の拠点とした。信玄小諸城は天文23年(1554)に完成した。武田氏滅亡後、小諸は争乱の地となったが、小田原討伐の後、豊臣秀吉から仙石秀久が五万石で封ぜられた。秀久はそれまでの中世的な城であったのを大改築して近代大名の居城とした。仙石氏築城の時、本丸に3層の天守を構えたが、寛永年間(1624〜1643)に焼失し、以降再建されなかった。
現在の小諸城跡は、本丸、二の丸、その他の郭が残り、懐古園市民公園になっている。天守台石塁の他に、資料の展示がされている徴古館、小諸とかかわりの深い詩人島崎藤村記念館等がある。
放浪日:2000/5/5続きを読む

(写真は、懐古門(三の門))
別 名 :乙女ヶ城
所在地 :長野県小諸市
城種別 :平山城
築城者 :仙石秀久
築城年 :長享元年(1487)創築、天正18年(1590)〜天正23年
天守閣構造:−−−
交通(最寄駅):JR小梅線・しなの鉄道 小諸駅<城周辺地図>
特 徴
小諸城は長享元年(1487)この地方の豪族で大井庄に居た大井氏が小諸に居館を造ったのがはじまりという。天文12年(1543)甲斐の武田信玄が村上義晴を追って小諸城を奪った後、要衝であるこの小諸の地に新たに城を築き、領域内の北の防御、侵攻の拠点とした。信玄小諸城は天文23年(1554)に完成した。武田氏滅亡後、小諸は争乱の地となったが、小田原討伐の後、豊臣秀吉から仙石秀久が五万石で封ぜられた。秀久はそれまでの中世的な城であったのを大改築して近代大名の居城とした。仙石氏築城の時、本丸に3層の天守を構えたが、寛永年間(1624〜1643)に焼失し、以降再建されなかった。
現在の小諸城跡は、本丸、二の丸、その他の郭が残り、懐古園市民公園になっている。天守台石塁の他に、資料の展示がされている徴古館、小諸とかかわりの深い詩人島崎藤村記念館等がある。
放浪日:2000/5/5続きを読む