JIROさんへ。
このコメントをいただいてから、2か月近く経ってしまいました。
ようやく、返答できます。
JIROさんがとある事情(ブログ参照ください)で苦しんでいることを知り、私が以下の記事にコメントを書き込んだのが7月3日。
夜明けの街で(東野圭吾)ブログDE読書日記
それまでの記事で、とても辛いであろう心情を吐露していたJIROさん。
何か言ってあげたい。
そう思いながら、上記の記事を読んでいました。
すると、記事の中に引っかかるフレーズが。
この言葉に吸い寄せられるように、キーをたたきました。
生活空間に、無数に飛び交うラジオの電波。
それをつかまえるためには、チューニングが必要です。
あるとき、ふと思いました。
これって、幸せを手にする方法ととてもよく似ている。
私の勝手な考えですが、幸せ、正確には「幸せの素」とでも呼ぶべきものは、ラジオの電波のように、日常生活の中にたくさん飛び交っていると思っています。
清々しい天気だった。
ご飯がおいしかった。
ふと見上げた月がなんだかキレイだった。
大好きな人が笑ってた。
些細かもしれないけれど、とても大切な大切な、幸せたち。
でも、なんだかキツクて、苦しくて、しんどくて、飛び交う幸せに気づかないこともあると思います。
チューニングがあってない。
アンテナが伸びてない。
電波を妨害するものの近くにいる。
電池が切れかかっている。
そんな状態に気づいたら、飛び交う幸せから、ちょっとだけ目を離してみる。
自分の感覚を確かめてみる。
周りではなく、まず自分に目を向けてみる。整える。
ここでは決して、「自分の価値観に反すること」は行わない。
まず、自分を整えることに専念すればいいと思う。
自分が幸せを感じてから、他の人のお手伝いをすればいい。
整っていない、脆くなっている自分の価値観を曲げてまで、他の人のために何かしない。
折れそうになくなったら、しなやかになったら、また目を向けてあげよう。
そんなこんなで、自分の状態がなんとなく整ってきたら、また生活空間に飛び交うものに意識を向けてみる。
ちょっと頑張って、自分をチューニングしてみる。
そうすれば、小さくてささやかな幸せをキャッチできるのではないかと思うのです。
幸せになるってのは、ラジオをチューニングするようなものではないかと思うのです。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。

コメントにあった
>ラジオのチューニングをするように、すでに飛び交っている電波をうまくつかまえることに似ているのかな、と感じています。
>ただ、「自分の価値観に反することを行うこと」だとすれば、なんだか寂しいですね。
ですが、もし時間がありましたら、詳しく記事にしていただけたら幸いです。
このコメントをいただいてから、2か月近く経ってしまいました。
ようやく、返答できます。
JIROさんがとある事情(ブログ参照ください)で苦しんでいることを知り、私が以下の記事にコメントを書き込んだのが7月3日。
夜明けの街で(東野圭吾)ブログDE読書日記
それまでの記事で、とても辛いであろう心情を吐露していたJIROさん。
何か言ってあげたい。
そう思いながら、上記の記事を読んでいました。
すると、記事の中に引っかかるフレーズが。
幸せは相当な努力なしでは手に入れられないのかもしれない。
この言葉に吸い寄せられるように、キーをたたきました。
>幸せは相当な努力なしでは手に入れられないのかもしれない。
最近の記事を読みましたのでコメントし難いですが、ラジオのチューニングをするように、すでに飛び交っている電波をうまくつかまえることに似ているのかな、と感じています。
最近、何が「努力」なのかなぁ、と考えることもしばしばあります。
ただ、「自分の価値観に反することを行うこと」だとすれば、なんだか寂しいですね。
生活空間に、無数に飛び交うラジオの電波。
それをつかまえるためには、チューニングが必要です。
あるとき、ふと思いました。
これって、幸せを手にする方法ととてもよく似ている。
私の勝手な考えですが、幸せ、正確には「幸せの素」とでも呼ぶべきものは、ラジオの電波のように、日常生活の中にたくさん飛び交っていると思っています。
清々しい天気だった。
ご飯がおいしかった。
ふと見上げた月がなんだかキレイだった。
大好きな人が笑ってた。
些細かもしれないけれど、とても大切な大切な、幸せたち。
でも、なんだかキツクて、苦しくて、しんどくて、飛び交う幸せに気づかないこともあると思います。
チューニングがあってない。
アンテナが伸びてない。
電波を妨害するものの近くにいる。
電池が切れかかっている。
そんな状態に気づいたら、飛び交う幸せから、ちょっとだけ目を離してみる。
自分の感覚を確かめてみる。
周りではなく、まず自分に目を向けてみる。整える。
ここでは決して、「自分の価値観に反すること」は行わない。
まず、自分を整えることに専念すればいいと思う。
自分が幸せを感じてから、他の人のお手伝いをすればいい。
整っていない、脆くなっている自分の価値観を曲げてまで、他の人のために何かしない。
折れそうになくなったら、しなやかになったら、また目を向けてあげよう。
そんなこんなで、自分の状態がなんとなく整ってきたら、また生活空間に飛び交うものに意識を向けてみる。
ちょっと頑張って、自分をチューニングしてみる。
そうすれば、小さくてささやかな幸せをキャッチできるのではないかと思うのです。
幸せになるってのは、ラジオをチューニングするようなものではないかと思うのです。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。














