2004年08月02日

写真だけでも撮ってあげたい・・最終

初めから読んでいただいている方、本当にありがとう!


待ちに待った3人の生活は、同時に世間の冷たさを思い知ることになった。

原因は長男の身体。
生まれながらにして、食道閉塞と言う疾患。彼の場合は、口から食道が胃に繋がってない。
当然、口から飲むことも食べることも出来ない。

胃に穴を開けパイプを通し、流動食と栄養剤が彼の食事。
そして、鼻からは糸を通している。

俺達夫婦には最愛の子供でも、他人の目には、片耳が異形で片目が無く鼻に何かついている醜いアヒルの子。

公園で遊ばせていると、子供達が石を投げたり、この子顔がへん〜なんて逃げていくなんて当たり前だった。
電車に乗せると、人は目をそむける。
レストランで食事をするのも人は汚いものを見るような目つき。

何度暴れようと思ったことか・・・。

でもA子はそんな彼を、毎日公園に連れて行き、買い物に連れて行き、しまいにはディズニーランドに連れて行った。
片時も自分の身体から彼を放さなかった。

そして。
医者からしゃべることは不可能だといわれていた彼が
初めて“ママ”といったのは生まれてきて2年後。
このときの感激は今でも忘れられない・・・。

2歳2ヶ月で初めて一人立ち。そのときに俺のことを“パパ”と初めて呼んでくれた。

今思い返すと、このときに初めて父親になったような気がした。
当時の俺の仕事は、お客から預かった車の修理。
どんなに洗っても落ちない、黒い油が手の色を変えている。
その真っ黒な手を彼は何の抵抗も無く握ってくれた。

一番の思い出。

客が解体に持って来たワゴンを夜通し直し、我が家のファミリーカーが誕生。
なけなしの金を握って、一週間かけ東北に避暑地の家族旅行に行った事。三陸海岸を回り、青森の奥入瀬、八甲田山、山形の温泉地。たった1週間の旅行で200枚以上の写真を撮ってきたほど。(金が無かったから、殆ど車の中での宿泊でしたけどね)

毎日毎日、彼の成長が俺達の生きがいになったのは言うまでも無い。

そして。

2歳8ヶ月になった彼。
年末に、雪を見せてやろうと日光にドライブに行った。
さすがに厳冬の地。はじめて見る雪に凄くはしゃいでくれて
俺達は大満足。でも、ちょっとした気の緩みから彼に風邪を引かせてしまった。
帰宅してから、38度の熱が下がらない。

主治医の所に連れて行くと、とりあえず薬を出してくれて安静にするようにとの指示。
薬が効いて熱が下がったのもつかの間。今度はチアノーゼ(呼吸困難)を起こしてしまった。
慌てたA子と俺で再度病院に。

時間は夜10時。もう主治医は帰ってしまったとのことだったが、大事を取ってその夜は入院をして病院で看護をしてもらうことになった。
完全看護の国立の小児病院。俺達は疲れも手伝って、とりあえず任せて帰宅することにした。
帰宅したのは夜中の12時。

病院に預けたという安心感で、帰ると2人ともバタンキュー。


ルルル・・・。ルルルル・・・。
寝ぼけ眼の耳に電話の音。時計は朝4時。
“だれだぁ?”

病院からだった。直ぐに来るようにと緊急の連絡。
何がなんだか判らずに、病院へ。
病室に駆け寄ると・・・・。

俺達は目を疑った。

人工呼吸をしている。
ほんの何時間前に預けた彼の身体が、折れそうなくらいの勢いで、医者達に押されている。

な、何があったんだ・・。
看護婦が俺達を見つけるや否や駆け寄ってきて

“気がついたら、呼吸をしていなくて・・・。”

そんな馬鹿な。心配だから病院に預けたのに、それがたった数時間で・・・・。
A子はその場に崩れ落ちた。俺も立っていることがやっとだった。しかし、見守るしかない。

頼む、息を吹き返してくれ!!

泣き崩れるA子を抱え、俺は祈るような思いで繰り返される人工呼吸を見ていた。

1時間・・・。2時間・・・。
心電図が反応しない。医者も3人がかりで続けている。

そして。

主治医が右の腕の時計に目をやったのが、見えた。
“おい!ふざけんなよ!”

ICUから医者が呼んでいる。看護婦も出てきた。
“お父さん、お母さん、中に入ってください・・。”

幽霊のように力をなくしたA子が病室に入る。
でも、でも俺は入ることが出来ない。
俺が認めれば、終わってしまう。

嫌だ!俺は認めない。

気がつかないうちに病院中に響き渡るような声を出していた。

言うことを聞かない俺を、主治医が迎えに来た。

“お父さん!” その声は俺の全身の神経を麻痺させた。
俺は手を引かれ病室に入る。

数十秒。沈黙が続く。
そして、主治医が小さな声で“6時15分です”と時間だけを告げた。

小さな身体にすがるようにしてA子が泣き崩れる。
俺は泣くことさえ忘れていた。


(すいません。この後はちょっと飛ばします)


いろんなことがありすぎた、17年の結婚生活。
気がつくと2人は、“おじちゃん、おばちゃん”と呼ばれる歳になっている。

只今、次男9歳。長女7歳。やかましい盛り。

そういえば、結婚式もしていない。いまさら式でも無いだろう。
でも、本当のじじぃとばばぁになる前に、ドレスを着せて写真だけでも撮ってやりたい。
2人だけの。

まぁ間違いなくおまけが2つ映っているだろうけど・・。


  

Posted by housepro at 22:34Comments(2)TrackBack(0)

2004年08月01日

写真だけでも撮ってあげたい・・2

ここから読んでいる方は、前回からの続きなのでそちらから読んで頂くと分かりやすいかな。

彼女の休日を利用して、まずは実家に帰ってもらった。

(その間にどうも妊娠の話をしていたらしい)

そして、意を決して彼女の家に行った。

暗い表情の彼女。とりあえず家の中に入った。
なんと家族全員で待ち構えている状況・・・。

多分、男にとって人生最大の舞台。
(洒落てる場合じゃねーし)

ひとまず家族の顔を見渡すが、A子のお母さんは既に泣き顔。
お父さんは、眉間にこれでもかって程しわを寄せて黙り込んでいる。妹達の顔つきは、まるで犯罪者を見ているようだった。

“あ、あ、あのぉ・・・。>俺

“話は聞いたよK君。それでどうするんだ!”>父

“えっと、えっと・・・。こ、子供を産ませてやりたい”>俺

そういうのが精一杯だった。
後の状況は、説明をしなくてもお解りの通り。

最後は、ご飯の入った電子ジャーを投げつけられ顔中米粒だらけ。本来ならそれでも頭を下げて、お嬢さんをください・・。
そういわなければならなかったのだけども、俺の返した返事は、
“A子、持てる荷物を持って出て来い!お前がくるまで俺は外で待っている!!”
とうとう究極の場面に耐え切れず、切れてしまった。

そして、俺はその場を立ち去ると彼女の家を出た。

そしてA子が出てくるのをひたすら待った。
何度、ドアを開けて謝ろうと思ったことか。
ドアのトッテにまで手を出すが、どうしてもそのドアを開けられない。30分・・・。1時間・・・。ドアは開かない。

何故か自分のしていることに、理解が出来なくなった。
彼女は出てこない。何も出来ずにただ立ちすくむしか出来ない自分に、苛立ちや虚しさがこみ上げてくる。
知らぬ間に涙があふれてくる・・・。

彼女に出てきて欲しいと思う反面、彼女の家族の絆を断ち切ってしまった後悔と発狂したくなっていた。

“A子!いい加減にしなさい!!”
玄関先から罵声が聞こえた。
その瞬間、ドアが一気に開き彼女が飛び出してきた。

スポーツバッグ一つ。そして泣きじゃくった顔。
俺は、無心で彼女の手を掴み走り出した。

車に乗り込み、ただ、ただ逃げるように走る。
会話なんて全く無い。これから始まる2人の生活と、今まで感じたことの無い不安で、何かを考えることすら出来なかった。
その晩は、ラブホテルにIN。
所持金3万円。

新しい生活の門出は、金との戦いから始まった。
当然、住む所もないし、金も無い。
そして、明けた翌日には所持金2万円。メシを食って2千円。

とにかく住む所を確保しないと・・・。当時バンドのベースをやっていたTの家がビルをやっていて、部屋が空いているはず。Tの親父に訳を話して、後払いの家賃だけで5畳の部屋が借りられるようになった。
(いいオヤジで、電気水道コミで月に5万円。そこが今でも本籍になっています)

しかし、気がつくと階下はスナック。毎晩カラオケが朝まで続く。贅沢はいえないが、完全な隠れ家だったなぁ。

それから、彼女との生活がなんとなく始まった。
朝から整備工のアルバイト。帰る頃には全身オイルまみれ。
そんな生活が続いたが、子供が生まれる。その想いだけで必死に生きていたような気がする。

そして。出産。
その直前にTの家から2間のアパートに引っ越し新しい生活の準備を整えていた。

平成元年5月5日。長男誕生。

バイト先に事情を言って、早めに病院に駆けつけていた俺は、分娩室の前で彼女の力む声を、ひたすら聞いていた。
夕方5時過ぎ。分娩室のドアが開き看護婦が出てきた。

“お父さん、おちんちんついてるよ”

や、やった男だ!俺は言い表しようの無い喜びで、変な声を出していた。
・・・・。しかし。
10分ほどして再度、分娩室のドアが開く。

いよいよ、対面かぁ・・。俺は出てきた医者に駆け寄った。

“お父さんですか?”>医者
“はい!ち、父親です!”>俺
“残念ですが・・・。ここの病院では手の施しようが・・・。”>医者

何を言っているのか分からなかった。だって生まれたんだろ!
手の施しようって、生まれたならいいじゃないかぁ!
そのとき20歳の俺。大人の言うことなんて理解できなかった。

よく聞くと、長男は生まれたときには仮死状態。
呼吸もしていない状態で、殆ど死産に近かった。

そして、2日後。精密検査をして更なる障害発見。
食道閉塞、片目欠損、右半身麻痺・・・。
全身に奇形を伴って、生まれてしまった。通常なら24時間経つと、お乳を上げるのに呼ばれなかったA子は死産だとあきらめていた。長男の状況を言わなければ。
医者から告知するとのことに、俺が自分でするといい、彼女のベットへ。

そして話を聞いたA子は
“死ななかったんだ、良かった・・。”

それから2年半。長男との闘病生活が始まる。
小児病院に入院している長男に毎日会いに行く。そして帰ってきて家事。夜は家計を助けるために近所のレストランに皿洗い。A子はそんな生活を愚痴も言わずに1年2ヶ月も続けてくれた。当然俺も必死に生きてきた。

でも、彼女が夜“なんでちゃんと産んであげられなかったの”
そういいながら泣いていた場面が俺には忘れることが出来ない。
10時間以上もある手術を何度も超えて、1歳3ヶ月で退院。

ようやく待ちに待った家族3人の生活が始まった。


この続きは又今度・・・・。

  
Posted by housepro at 13:54Comments(0)TrackBack(2)

2004年07月30日

写真だけでも撮ってやりたい・・・。

まだ始めたばかりなので、チョット自分のことでも書きます。



私今年37歳。かみさんも同い年。
この歳で付き合って22年。結婚17年。

知り合ったのは高校。そうです、高校一年の時の同級生。
当時の私は、中学から転がり始めていた坂を勢いを増して下っている真っ最中。

彼女は、隣の組のリーダー的な子でした。
その後彼女は3年間ミスハイスクールでしたね・・。

当時の私の一番の友達が彼女に一目ぼれをしまして。しかし、告白するにもライバルは多いし、勇気はないし。
見るに見かねた私が、代理告白をかってでた。いつも、部活で遅くなる彼女に対して、こちら馬鹿コンビは万年帰宅部。
なかなかチャンスが無いので、思い切って休みの日に誘うことにした。

“ねぇ、A子ちゃん今度の休み、ひまぁ?海行かない?”
“うん、いくいく!”
以外に、何の抵抗感も無くあっさりOK。だうじょぶか、コノオンナ?

早速、親友と作戦会議。・・・・・。結果私が海まで連れて行って、そいつの気持ちを伝えて彼女の気持ちを聞いてくる。
まったく作戦になってなかったけど、いざ!

近くのJRで待ち合わせ。(このとき初めて彼女の私服姿を見てちょっとドキドキ)
湘南までの電車の中で、何とかそいつの話題にしようと話を盛り上げようとするけど、不覚にも彼女の性格までは考えていなかった。

“力いっぱいの天然娘”

そのとき私には、ずっと片思いの子がいたので、ぼけた返事しかしないA子にちょっとイライラしていた。
しかし、乗りかかった舟。何とかせねば・・。
七里ガ浜について、なんとなくいい雰囲気。

“よし、このそろそろヤツの名前を・・。”
とりあえず、コーラを買って彼女に渡す。

“あのさぁ、B知ってる?”>俺
“え?あぁ、K君といつも一緒の?”>A子
“そうそう、ヤツ今彼女いないんだよねぇ”>俺
“あ、そうなんだ!ちょうど良かった!”>A子
“ちょ、ちょうど?”>俺
“そうなの、あたしのクラスにBのこと好きだって子いるの”>A子
・・・・・。(何か展開が・・。)
“そ、そうなんだ・・。A子ちゃんは?”(頑張れ俺)
“あたし?好きな人?えぇ、恥ずかしいよぉ”>A子
“そうだよね、中々言えないよね。でも大丈夫!しっかり聞いてあげるから・・。”>俺 
(なんだぁコイツもBの事すきなんジャン、成功かァ↑)
“えぇ、でもぉ・・・。”>A子
満面の笑みで彼女を見て“言え!言え!”

“あ、あ、あのぉ、K君 好きです。キャァー言っちゃった!”>A子

“ん?い、い、今なんて言った?”>俺
“そんなの、何度も言えない!”A子

それから帰りの電車は全く会話が出来ずに、ご帰宅。

“やっべー、ヤツになんて言おう。なんか俺のこと好きだってさぁ、あははっは・・。そんなこと言ったら間違いなく、友達なくすだろうな。”
それから悩みに悩み、2,3日学校休んでひたすら考える・・。(しかし、意外な展開が・・。)

3日目。Bが見舞いと称して、俺んちに来た。
しょうがねー、素直に言うかぁ・・・。
“よぉ”>B
“よ、およよ・・。”>俺
“ありがとう!!やっぱお前はサイコーだぜ!早く体直せよ”

ついに狂ったかB。
しかし・・。

なんとA子のいっていた子とBがくっついたらしい。
“あ、それとA子、お前のこと心配だって言うから連れてきたよ。・・・。が・ん・ば・れ・YO!”


そんなこんなで、A子との付き合いが始まった。
しかし家庭環境が全く違う。
こっちはとーちゃん2人目だし、かーちゃん不良だし、妹は中学ででバンはっているし、俺馬鹿だし。
A子は、地主の娘のそれも長女。

まぁ、直ぐ飽きて分かれるだろ。なんて思っていたら高校3年間続いて、文化祭でベストカップル。
確かに高校の時はすごく楽しい思い出が沢山だったよう気がする。親に隠れて旅行行ったり、バイトの金入ると彼女に全部使ったり、初めて買った車でドライブしたり。

でもやっぱり環境が違いすぎた。
卒業する頃には、俺はすっかり札付き。
彼女は、夢だった看護婦の道へ。

卒業後も時間を見つけて全寮制だった彼女を迎えに行っては、遊んでいたけど、ついに来る時が来てしまった。

デキた。

当然、金髪頭でふらついている俺を、A子の親が認めるはずもないし、まして彼女は学生。それも全寮制。

おろそうか、産むか本当に悩んだ。しかし、そういうときに限って問題が・・・。
妊娠が分かった10日後には、彼女レントゲンの健康診断。
当然、産むのならそんなことは出来ない。しかし、妊娠がばれれば退学。
本当にこのときは辛かったな。彼女は泣きっぱなしだし、俺どうも出来なかったし・・。

でも、俺を信じると言う彼女の言葉で、A子の親に会うことにした。

この続きは又明日。(読んでいる人いるのかなぁ)
  
Posted by housepro at 18:29Comments(0)TrackBack(0)