12月3日の15時頃。

弟が死にました。

4年前、親父が死んだときとほぼ同時刻に。

3日の16時頃、母から「崇之が死んだ」との電話があり、

4日の朝、東京を出ました。

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佐賀県唐津市山本にある斎場、ひらの山本会館。

親父のときにも来た場所です。

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あまりにも急で、なかなか事実を飲み込むことが出来ませんでしたが、恐ろしいものを見たときのような気持と一緒に、少しずつ実感が湧いてきました。

弟は四人兄弟の末っ子で、崇之といいます。

おれは「タカ」と呼んでいました。

タカはいつも、おれを「ヒロちゃん」と呼んでいました。

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歯科医でした。

七山という山奥の村に診療所はありました。

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とても美しい所です。

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家族葬にしたと母に聞きましたが、どこで聞きつけたのか、知人の方々がわりとたくさん来られました。

焼香を終え、出棺。

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唐津市神田の大平山斎苑(火葬場)へ。

ここからの景色は、

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唐津市街が一望出来る。


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とても気持ちのいい場所です。

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親父もここで焼きました。

あの時は、空にひこうき雲がありました。

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遺骨を連れ、唐津市十人町の龍源寺へ。

供養を終え、

この日、おれは唐津市城内のホテルに泊まりました。

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翌日。

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東松浦郡(現:唐津市)相知町にある実家へ。

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男はつらいよの「とらや」と造りがちょっと似てます。

低い椅子は「お帰り寅さん」で、前田吟も座ってましたね。

昔はここに、わいわい親戚が集まっていました。

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裏庭へ。

この辺りは昔とちっとも変わらない。

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何もないけど、今はいい所だと思うようになりました。

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高校も辞めてしまって、不貞腐れていたクソガキの頃は、

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嫌で嫌で仕方なかったんですが。

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しばらくの間、ここがおれの職場。

なにもかも急だったため、たくさんの書類と奮闘する東京から駆け付けた弟(三男)と母に代わり、

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炊事。

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洗濯。

昔あったは縁側は、残念ながら塞がれていました。

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詳しくは言えませんが、荒れた部屋を片付けながら、

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遺品整理。

これが全てではありませんが、仕分けしつつ集めたら、一週間以上かかりました。

趣味も似ていたようで、集めている間、話したい事があれこれ浮かんできましたが、その都度、もう伝えられないことに気付く、ということを繰り返していました。

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夕暮れ。

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買い物。

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炊事。

毎日のことなので、「鯨の胃袋」で教えてもらったことがいろいろ役に立ちました。

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うちはお湯が出ないので、久しぶりにあかぎれが出始めました。

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少しでも母の生活の足しになればと、趣味的なものは値崩れする前に買取ってもらいました。

仕分けしていたのはこの為です。

集めたほとんどの物に値が付きました。

「ゲオ」で働いた16年の知識が、こんなところで役に立つとは。

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懐かしいものも出てきました。

が、ビデオデッキがありませんので処分しました。

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片付けた部屋で、

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タカと飲みました。

遺影は葬儀屋が修正したようで、あまり似ていません。

おれのCDは自主製作のため買取不可なので、タカにあげました。

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せっかくなので、親父も連れてきました。

あの世とリモート飲み会です。

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いい天気でした。

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夜、兄夫婦とも数十年ぶりに飲むことが出来ました。

嬉しかった。

いつからか、家族が揃うことのない家庭になってしまっていたので。

兄貴も前より病気にも慣れてきたようで、笑顔を見れたのも嬉しかった。

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短い滞在期間でやれることも終えて、

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急にいろんなことが懐かしく思えて、

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うちを飛び出して以来、約30年、

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一度も行かなかった場所へ。

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雪がちらつく中、

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ぶらぶらと歩いてみました。

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なにもかも、

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小さくなったような気がしましたが、

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新しい家がちょこちょこ増えたくらいで、

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なんにも変わっていませんでした。

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懐かしかったけど、

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またここに帰ってこようとは、

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思いませんでした。


そして、

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役に立てたのかわかりませんが、約二週間、

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母と、泣いたり笑ったりケンカした家を、

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出ていきました。


列車から庭で手を振る母が見えましたので、慌てて動画に納めましが、

携帯ではあまりにも小さくて、よく見えませんでした。

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唐津駅で降りると、

もう会えないかも、と、叔父さん叔母さんが見送りに来てくれてました。

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高速バスで博多へ。

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唐津はいつも美しい。

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最近では、ちょこちょこアニメのロケ地としても使われているとのこと。

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今は「ゾンビランドサガ」というアニメだそうです。

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今度観てみよう。

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帰りに天神に寄るので、

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大阪で知り合った「コーガンズ」のジンロウさんのお店、

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「夢のちまた」へ。

おれは高校生の頃に聴いた、エレファントカシマシの「夢のちまた」という曲が、今も一番好きです。

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ビールを注文して、ジンロウさんと話しました。

おれは、死を選ぶほどの苦しみも、病気と共に生きていく苦しみも、それを支え続ける苦しみも知らず、のらくらと生きていたことが申し訳なくて、ずっと胸が押し潰されそうでした。

そんなおれに、ジンロウさんは、優しく、力強く、希望ある話をしてくれました。

感謝します。

会いに行ってよかった。

なんでもいい。

おれは精一杯生きよう。

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帰宅した次の日、光が丘公園へ散歩に行きました。

設置中だったクリスマスのイルミネーションが完成していました。


最後になってしまいましたが、お悔やみいただいた全ての方々、

本当にありがとうございました。