June 05, 2007
YouTube - Laura Nyro, "Save the Country" / "Wedding Bell Blues" to "Poverty Train"
2番目はデビュー前か直後のモンタレーの様子のようです。
April 08, 2005
ローラ・ニーロ Laura Nyro - A Woman Of The World
前回のマリオット先生と違って、今回はちょっとだけ真面目です。
むかーしむかし、ニューヨークのブロンクスに、ローラという名前の、ちょっぴり暗い眼をした女の子が住んでいました。
彼女は特別美人でもなく、どちらかというと『ガラスの動物園』のローラのように地味で目立たない存在でしたが、彼女にはすばらしい音楽の才能がありました。
♪ あ〜アタシが死んでも
♪ きっと子供とか生まれてて
♪ どっこい世界は動いてくのよね〜
そんな身もフタもないアイロニーのようでありながら、どこかヒューマラスな微笑みを湛えた歌をうたって、18歳の女の子はじわじわと人気者になりました。
初期の代表作にして彼女の最高傑作(と僕は思う)『イーライと13番目のザンゲ』Eli and the Thirteenth Confessionでは、緻密な作曲とユニークな歌詞、そしてシャーマニックな歌いっぷりでファンを魅了、60年代から70年代を代表する女性シンガーのひとりへと成長しました。
しかし、なんというか根が『ガラスの動物園』なもんで・・・どーしてもメジャーになりきれない彼女。先の"And When I Die"にしても、音楽ファンにはむしろブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの曲として知られています(本当はカバー)。ローラは、どうしてもキャロル・キングにはなりきれませんでした。
それでもキング同様、多くの同業者からいわゆる「ミュージシャンのミュージシャン」として愛された彼女の曲は、他の人々のカバーを通じて、現在も広く世に知られています。
大学生の頃『イーライ』を聴かせたら「あ、これフィフス・ディメンションのカヴァーやろ〜」と言った友人がいましたが・・・違う! 逆! Stoned-Soul PicnicだとかSweet Blindnessだとか、ぜんぶ彼女の曲なんですよ。ええ、そうですとも。
いわゆる「ダンサンブルなソウル・ミュージック」とはあまり縁がなさそうな『ガラスの動物園』なローラ(しつこいね俺も)。特に中期以降、おそらくは個人的経験などが理由で、だんだんとピアノだけを相手にひとりぼっちで歌うパタンが増えているし(たぶん、ちょっと人嫌いになった時期があるみたいですね)・・・このあたりの曲で「はまった」人には、あの5th Dimensionの原曲がローラというのはもうひとつピンとこないかも。でも、本来ローラの音楽的ルーツはドクター・ジョンばりに多面鏡的なのでありまして、例えばGonna Take A Miracleなんていうまさにソウルそのもののカバーアルバムもあるんですよ。
いやいやもっと大事なことは、フィフスが歌えばひたすらにポップな上記2曲("Stoned-Soul Picnic"と"Sweet Blindness")も、『イーライと13番目のザンゲ』全13曲のブンミャクの中で聴いてみると、大いに違って聞こえるはずだということ。まあ昔で言うコンセプト・アルバムみたいな感じですが、やはりこの音盤は全曲を「通し」で聴いてもらいたいわけで。あたかも小説を読むように・・・。
ちかごろ僕もiPod一色なんですが、ローラの音楽をこれから聴いてみようという人は、是非ともまずこのアルバムを「読んで」みてほしいですね。
「音楽家」としての彼女を僕なりにまとめてみると、自分がかかえこんだソウルやブルース、はたまたジャズなんていう幅広い音楽的ルーツ(彼女の家はミュージシャン一家だったみたいです)を、あれこれ試行錯誤しながら「コンポーズし直す」ことに専念した音楽家のひとりであった、と言えるんじゃないでしょうか。ちなみに『ニューヨーク・テンダベリー』New York Tendaberry 収録の際、弱冠21歳の彼女はあのマイルス・デイヴィスをまねいて編曲にかんするアドバイスを求めたそうですが、ひょっとすると彼女は、この「リコンポーズ」という自分と同じ目標を、だれよりもこのジャズの改革者のなかに見出していたのかもしれません。
ちなみに嘘だかほんとだか、『ニューヨーク』のデモテープを聴いたマイルス先生は、目の前の女の子に向かって最後にこうつぶやいたらしい。「オレがやるべきことは、みんな君がやってしまったよ・・・」。うーむ。す、すごいぜローラ!
マイルスから嫌われたというか、駄目出しを食らったミュージシャンが山ほどいるのはご存じの通りですが、帝王がこういう「褒め方」をしたのは僕の知る限りあとはジミ・ヘンドリックスだけですな。たしかSwitchかなんかの雑誌に載った、亡くなる直前のインタビュー(死後掲載)で、ジミは本当に天才だったけど、モンクは糞だった、あいつは弾くべきところで弾かず、弾いてほしくないところ弾くんだよな・・・とかなんとか。まあこれはこれで、二つの才能の相克なんでしょうが。
個人的な出会いについて触れさせて頂くと、僕がローラを知ったのは比較的遅く、大学生になってからでした。友人数名と、蒲田のエロ本とかが置いてある駅前のあやしい古本屋(まだあるかなー)を物色していた際、ぐうぜん段ボール箱の「都はるみ」とか、そういう歌謡曲がてんこ盛りになっているなかに埋もれていたのが彼女の『イーライと十三番目の懺悔』だったのです。
ん?なんだこれ、と思ってなんとなく買ったのですが・・・聞き始めると、たちまち夢中になってしまった。ちなみにそのとき一緒に買ったのは忘れもしない、エロ本ならぬウィリアム・スタイロン『ソフィーの選択』のペーパーバックでした。なんだか青春ですが、いまやあの小説の映画版で主人公を演じていた青年も、『アリーMYラヴ』の中年弁護士ですからね。光陰矢のごとしとは、このことか。はぁ。
最後に年譜を少々。ローラ・ニーロは1947年、ニューヨークはブロンクスの、とあるイタリア系ユダヤ人家庭に生を受けました。日本で言う「団塊の世代」。マンハッタンの音楽学校を出てからすぐにヴァーヴと契約、1966年にシングル・デビューした彼女は、その翌年アルバム More Than A New Discovery を発表し、ジョニ・ミッチェルらとともにメディアの注目を集めます(このアルバムは現在First Songsと題され再販されています)。68年にCBSに移籍してからは、Eli and the Thirteenth Confession(1968)と New York Tendaberry(1969)をたてつづけに発表、これら2枚のアルバムは彼女の代表作となったばかりでなく、60年代後半を代表するロック&ポップの名作となりました。
ちょっぴり個人的意見を付け加えると、とりわけ68年の『イーライと13番目のザンゲ』は、ローラの幅広い音楽性が存分にあらわれた傑作で、けっきょく彼女は、音楽的にというか少なくともコンポーザーとしては、以後このアルバムを大きく越えることはなかったのだと僕は思います。しかし、どのアルバムも彼女の個性がぎっしりつまっていて、じっくり聞き込めないものはひとつもありません。
その後も6枚のすぐれたアルバムを発表した彼女は、1997年年4月8日、数年間にわたる闘病生活の末、この世を去りました。
そう、今日が彼女の命日です。
最近もアルバムは出ていて、最晩年のライブを収録した二枚組 The Loom's Desire や、初期のフィルモアのライブを収録したSpread Your Wings And Flyなど、どれも素晴らしいものばかり。いや素晴らしいんだよ、本当に。
誰よりも同じミュージシャン仲間に愛された彼女の音楽。いつまでも歌い継がれることを祈りつつ、今日はこの辺でペンを置く、いやもといパワーブックの蓋を閉じることにしますか。
より詳しい情報は以下の素晴らしいサイトをどうぞ。
Time And Love
日本語で作られたたぶん唯一の総合的サイト。必見。
LauraNyro.net
かなり以前からあるファンサイト。貴重な資料がいっぱいで、特にドクター・ジョンのカヴァー「ママ・ルー」は必聴(と言いつつ無断リンク、リアルオーディオ・ファイルです)。
Nyromania
[4/9/2005追記]この記事にコメントを下さったchantaoさんのページ。とにかくすごい、超必見!
March 10, 2005
iPodのお話
しかし前記事の2000年に執筆した文章と比べると、わずか5年の間にずいぶん世の中変わったもんだと感嘆せずにはいられません。
なにせ1万5000曲がポケットに入っているわけで。こうなると音楽そのものの楽しみ方、はたまた音楽という文化的楽しみが現象する仕方そのものが違ってくる。前世紀の賢人がいったように、本当に「メディアはメッセージである」と実感。
でも、消費文化としての音楽の流通形態がどう変わっても、本質はなにも変化しないですな。享受するその仕方や、作り手の姿勢は若干変化するかもしれない。でも「あーここがたまらん」というような、美しい瞬間への偏愛は、なにも変わらないのです。
むしろiPodのようなメディアの面白さは、眠りこけていた音盤の、意外なる一面を再発見することにあるんじゃなかろうか。
喩えていえば、ずいぶん昔読んで、今ではかすかな印象しかない書物を、あらためて鮮烈な形で示された感じ。「ああこんな場面があった」、「こんな面白いことを言っていたんだ」などなど。何のために付箋を貼っていたのか、自分でもわからなくなっていた数ページが、あらためて耳元で読み返される感じです。昔足早に通り過ぎた風景が、みょーにそそるということもある。
そんなわけで、「シリコンメディアなんて絶対つかわん!」などと叫んでいる頑固な音楽ファンほど、ぜひとも自分の立派なコレクションをこの小さな電子デバイスに流し込んでもらいたいです。
ひとまずiTuneをダウンロードしてみるのが吉。って、回し者か俺は。
March 09, 2005
スティーヴ・マリオット先生 〜死語の世界〜
まずは写真を見てくれ。デニムのシャツとパンツ(しかもツギハギ付き)に身を包んだスティーヴ・マリオット先生の在りし日のお姿だ。貧乏人にエレキを持たせたらやっぱりロックが生まれました的な、ある意味信じがたいほどにステレオタイプな古臭せえロック魂がこの写真からもびんびん伝わってくる。ま、ロックミュージシャンにならなければ乞○もとい自由人が必至というような、万に一人の逸材と言えましょうな…。そんなマリオット先生は伝説のブリティッシュ・ロックバンド「ハンブルパイ」を率いて一世を風靡した、最高にファットでファンキーな(死語)ギタリスト兼ボーカリストなんだよ。そんな先生も湾岸戦争のあった91年に寝タバコが原因でひっそり焼死しちゃってたわけで。ロッカー(また死語)としてはある意味中途半端な逝き方をしちゃったんだけど、いまさらながら哀悼の意をこめて彼の音楽を紹介しておきます。
ハンブルパイの音楽をひとことで表現すると「うるさい」です。ギターでかすぎ、つかお前ら二人もギターいらねえだろみたいな。本質的に酒浸りのパブ・ロックをやや暴力的にした感じなんでありまして、英国貧乏ロックの王道であると言えば言えなくもないけれど、もうひとりの中心メンバーであるピーター・フランプトン=軟派系はどうもそれが嫌でバンドを去っちゃったらしい。彼にとってスティーヴ兄いの音楽は京浜国道をわけのわかんないセンスのない曲を大音量で鳴らしながら暴走するGT-Rみたいな感じだったのかもしれません。
飲酒運転の上にハコ乗りじゃ死んでもしょうがないよね、でもなんだか親が可愛そう…
とにかくフィルモアやウィンターランドの生録音を聞くとわかりますが、ハンブル・パイは異様に熱い。熱いといえば、別項で紹介するグランド・ファンクとかもいるわけですが、なんだかんだいって「根は純朴な思春期青二才ロック」を体現していたアメリカの若者たちとは異なり、この人たちは、なんだかやたらとチンピラっぽいです。いわゆる場数を踏んだお兄さんの、少々気合の入った音楽でございあすって感じです。
今時ありえない客を煽りまくるノリノリ(死語)のMCもあったりで、たぶんタワレコ&エイベックス以降のデジタルな音楽に毒されたお子様たちには「なにこれありえねー、ちょーやばくね?やばくね?やばくね?」とか疑問文を連呼されること必至。そこがまた最高。
まあなんつーのかなぁ。今時のクールで微妙にアイロニカルというかさめてるっつーの? インテリ気取りっつーかセレブ気取りっつーか? そういうビッグ・スター(うわぁー)にありがちな冷ややかさは一切なし。おらおら、お前ら俺みたくもっとケツ振れケツ!カモンビッチみたいな。ぎょわっ、ぎょわわっ(エレキ音)あいむファンキー・ジャンキー!おーいぇーーー! ぎょわっ、ぎょわっ!みたいな。
まそんなわけでですね、ロックという音楽が生まれた時代の、ロック以外の何物でも絶対にありえない音楽、それが「ハンブルパイ」であり、またわれらがマリオット先生なのだと断言しちゃっていいと思います。
恐る恐る聴いてみようかなーと思っちゃった人には、2枚組みのフィルモアをお勧めしたいところだけど、ひとまず1枚ものの「キング・ビスケット・ライヴ」しかも日本盤がお勧め(上の写真がジャケです)。とっても貴重な音源を復刻したこのアルバム、歌詞カードに歌詞のみならず、マリオット先生のMCまで日本語対訳で載せるというサービス過剰ぶり。英語のわかんない諸兄もこれで当時のロックっぽさ(うわぁー)を体験しちゃってくれ。この歌詞カードを眺めているだけでロックがいかにしてロックなのかが分かろうというものだが、試しに代表曲「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」の内容を最後にちょっぴり私訳にて紹介しておきます。
俺は医者なんていらね〜♪
だってだって俺には
なんでも治してくれる
すげーお薬があるから〜♪(意訳)
まー良い子のみんなはいつだってナチュラル・ハイを心がけてくれよ、お兄さんとの約束だぜ。じゃっ!
(以下、鼻歌フェードアウト)
俺を愛してくれベイビ〜
ハリケーンみたいにぃぃ♪
髪の毛がつんつん
逆立っちゃうぐらい〜♪
(うわ、うわ、うわぁぁぁぁぁ〜)
March 08, 2005
アナログからデジタルへ(転載「ときたま欄」)
----- 以下、Geocities (US) サイトより引用 -----
04/15/2000のキーワード:
音楽、消費文化、批評、小室、椎名林檎、坂本龍一、唐沢俊一、などなど
今回から「ときたま欄」は「滅多に更新できない欄」に変更させていただきます。
唐突ですがさいきんほんとにアナログ盤を聴かなくなりました。まあとっくにCDの時代なんですが、2,3年前はまだ「針を落とす」って自分の中にあったんですよ。その時点ですでに懐古調ですけど。しかしどんなにCDによる再販が増えても、アナログでしか聴けない演奏はたくさんあると思います。言うほどたいしたコレクションはもってませんが…。
自分で稼ぎはじめてばかすか買うようになったのと、CDというリソースの手軽さのおかげで、やっぱり聴き方というか、のめり込みっぷりはかなり希薄になりました。あと年齢ですかね。
ネット販売とか流通形態の変化のおかげで、足で探す面白さと偶然の出会いが生み出す、小さな興奮が消えたっていうのはあります。とりあえず楽だからタワレコとかヴァージン行くわけですが、けっきょく置いてあるもの大して変わらないし。んじゃネットでいいや、みたいな。
タワレコ以降、外資系の販売店がシェアを伸ばして「流通がある程度一元化しちゃった」という感じはします。小室氏とかエイベックスとか、ああいう売り方がマスな形で出てきたのと、実際の販売窓口の変化(タワレコなどの)は、同時に起こっていたという気はしますね、確実に。
むかしはたぶん、好きな音盤っていうのは誰にとっても「買った店をおぼえてる」ような固着のあるモノだったんですよ。僕もありましたし。ロックやジャズはサブカルチャーであり消費文化ではあったけど、音盤には単なる「消費物」を超えたオーラが宿っていた。これはミュージシャンが身に付けていたカリスマ性と並行していたかもしれませんね。いまは消費者の側も、日本のミュージシャンとか「バンドやって成功した普通の人」という視点で眺めてますから。
メジャーな音楽界を眺めると、アーティストの側もそういう根本的変化が分かってる人と、もっと「天然」で自分の音楽が受け入れられていることに単純に満足しているタイプがいますよね。これは音楽に限りません。むろん天然でいいわけですが、この違いは結構おもしろい。
前者のタイプにもいろいろあり、ひとつには良く分かった上でその市場を肯定しかつビジネスとして拡大していくタイプ。極端に言うと、小室氏とか(どうも例が貧困)。もうひとつは現状を甘んじて受け入れつつ、それに対し密かにゲリラ的に抵抗するタイプですか。
げんざい幅広いオーディエンスに受け入れられながら、敏感なリスナーにも注目されつづける人っていうのは後者のゲリラ的タイプである気がします。マスなものに抵抗するというか、要はある種の批評性を持ってるってことですかな。まあその身振りがすでにひとつのマス的なものなんだが。
これは、実は「ロック全盛期」にはなかったことだと思うんですよ。平たく言うと、「売れてるミュージシャン」はアホで良かった。ビートルズだって天然だと断言できるわけです。レノンは違うとか言われそうですが、イマジンな彼こそ真性の「天然」だった。音楽シーンの歴史を振り返ると、ストーンズなんかは逆に小室的ビジネスマンに見えてくる。彼らはいまや「ロックの抵抗」という記号=商品を売り歩く、世界的企業であるほかないわけです。ジャズなんかも一部リスナーがみょーに年寄り臭いというか、マルサリスだとかのミュージシャンも、ほとんど歌舞伎役者並みの「伝統芸能」のリプレゼンタティヴになっちゃってるわけですが、ほんとはジャズこそが「怒れる若者たち」の表象だったわけですよね。少なくとも昔は。
最近の日本の現象、例えば椎名林檎なんかを考えてみましょう。彼女が語る「シド」だとか「リッケン」だとか「ベンジー」だとか、そういうレファレンスは比較的コアなリスナー=おたく的な人がすぐに気づく記号ですが、その記号自体はある程度消費的というかexpendableなものにすぎない。されどそこには遊びがある。彼女の「歌」をストレートに聞き込んでいる同世代、あるいはもっと若いファンもいるんでしょうが、基本的に彼女は「私小説」的というか要するに「フィクション作家」なわけですな。これはかつて『エヴァンゲリオン』に夢中になる「普通の人」がいた一方で、この作品を「単なるコラージュ」と見なす唐沢俊一のような「おたくの終局の形」みたいなオジサンがいたことを思い出させます。まあ、どっちもどっちだが。
なんにしても林檎嬢がその空虚な記号を結びつけて形づくる図像は、やはりグリーナウェイ風の快美と説得力があるわけです、などというのはいくらなんでも誉め過ぎとしても、「わたし尊敬するアーティストはグリーナウェイですわ、おほほ」(椎名林檎公式サイトより)っていうのは、文学少女的スノビズムもあるでしょうが、とりあえず普通の娘じゃないなかもと予感させてくれます。この予感させてくれるというところが、芸人なのです。
「私小説」というのは、むろん自分のことを書くのとはまるで違うわけで。その構えはやはり現実に対する知的戦略なので、それが唯一無二の上手さであればそこにはじめて作家の刻印があらわれる。このびみょーな「私」は、「俺が俺がー」の前のめりによって形成されるものではないんですな。そういう意味でリンゴ嬢の私小説的演出には、さいきんの「すぐに切れる若者」という実はいささか実体を欠いた平均像とは、およそ反対の大人っぷりがそこはかとなく漂っている。そんなわけで、あんがい年寄りにファンが多かったりもするわけです。
ところで歌にあらわれる「引用」というのは、昔からあることではありますが、ある種の批評性の端緒だとは言えますね。しかし椎名林檎におけるようなそれの場合、もはや八十年代においてカート・コバーンがチャールズ・マンソンに言及したり、ましてや七十年代にグレイス・スリックがバークリーの学生運動に言及したりしたのとは、まったく意味も雰囲気も違う。やっぱり単純化すれば、「天然」か「批評性」かという違いになってくる。これはつまりモダンとポストモダンである、などと言ってしまうのは良くないのであるが、しかしこういう粗忽で皮相な分別が、可能になっちゃう状態がまさしくポストモダンであるということだけは間違いがない。
要するに90年代以降、メジャーな世界で「私まじめに音楽やってます」と臆面もなくいうのがちょっと恥ずかしくなった。才能のある人が無意味に照れていたりする。はたまたアホがアホなまま、文化的ヒーローになるのが難しくなった。そんな寂しいご時世だと言えそうです。しかし他方で、日本のロック=歌謡曲(グレイとかああいうのだね)が、相変わらず地方出身者の「上京物語」的側面を示しており、
「すべてのモダニズムは田舎者の産物である」
というあの輝かしい歴史的テーゼを具現化しているのは、ある意味とっても微笑ましく健全なことであります。
それにしても坂本龍一なんかいまやホントに「批評家」になってしまったわけで。はたまた80年代、すばらしいベケット論で僕を魅了した細川周平はいまや歌謡曲評論家なわけで。なんだか嬉しいような、悲しいような。そんな感想を述べてから亡くなったメトセラが、日本にもおりましたね。今回のコラムは、こんな風に尻切れトンボでおわりです。
