いかに日本国民が多くの民間保険を掛けていたか、国にとって多額の金を郵便貯金にあずけさせ、さらに生命保険を掛けさせて、そのお金を戦争にかかる軍備費につかうためでもあった。それは、ヒットラーのナチス政権が国民がためた巨額の国民年金積立金を軍事費に回したのににている。

 例として、「主婦之友」昭和18年2月号の特集では、京都の主婦が「経常費」と「特別費」に分けて当時の会計を公開している。経常費では夫の俸給月額161円、ほかに同居の父母の内職収入が月額12円、合計173円のところ、24・4%にあたる42円22銭を貯金にまわしている。他方特別費で夫のボーナス年額630円に対して39・9%の251円10銭を保険料にあてている。

 保険料の内訳は、夫の生命保険料が年額164円20銭。死亡時の保険料は5000円である。あとは家族全員の簡易保険料と長男の徴兵保険(全額払い込みで保険金2600円)、受け取る保険金の合計は1万円近い。

 どうも保険の掛け方が尋常でないかと思われるが、さきに引用した兵士の遺書をみても、日本国民が最後の頼りとして保険金をあてにしていたことは事実だったらしい。

 本来、民間保険は震災や戦争などの科学的に予測できないものに適用はしていない。とくに戦争は今でも、適用しない。生命保険が存続できるのは、生命死亡率という科学的分析により、普通の国民が何歳まで生きていけるか、各種の職業ごとのデーターに基づき、年齢ごとの保険料をきめていくのだ。したがって若くかけるとやすくなるのは、死亡率が低いからだ。

 だが戦前の、戦争時代はどうだったか。生命保険会社は、世論の強い要求で、戦地に行く兵士が保険を掛けることを拒否できなかった。そのため、各社は「戦地へ出張するときはかならず通知すること」「保険料の1割増額」を課したが戦死しても保険料を全額払うことを約束した。この戦争保険も日清、日露戦争ころから活発になったが、当初は掛ける軍人は将校が多く、死亡率も少なく、保険会社は大いに儲けた。
 
 これは、もうかると、保険会社は昭和10年代には一般兵士対象に保険の拡大に乗り出した。だが、天皇と政府、軍部は破滅への道である、日中戦争の拡大と太平洋戦争へ乗り出した。

(注 講談社現代新書「『月給百円』サラリーマン 戦前日本の『平和』な生活」によると、戦前基準の物価指数では2000倍が妥当と書かれてあった。2000倍で計算して下さい)

(つづく)