「頭の切り替え」と「無」のはたらき

65.中枢の混乱
 組織の「中枢」、そこ自体、一枚岩ではありません。そこで、混乱が起きる、それがそのまま「現場」を混乱させる、こういうことは会社のみならずあらゆる組織で起きます。それは、人体でも同じです。「脳」という「中枢」も複雑な組織です。それが、混乱する、その典型が、かって「精神分裂病」といわれ、その後「統合失調症」といわれる症状でしょう。

 これは、「学習能力」についても当てはまります。
 学習中、尿意を催す、空腹感が生ずる、それで学習に集中できない、これは膀胱とか胃腸のせいではありません。脳の働きが正常であれば、普通はそれらの感覚をコントロールできます。

 状況が変化するとそれに対処するための「知識」を想起して対処するという場合に、それに対して不適切な知識を想起するのも中枢の問題です。その場合は、意識して対処する場合ですが、それを無意識に対処する場合の「情報処理」の誤りもほとんどが中枢の問題です。

 このことについて、例えば会社で言えばどういうことかと考えると、様々な例が考えられます。
我々は、それらを企業や経済界を舞台とした描かれたものが小説の中に見出すことができます。会長と社長が対立していて、それぞれの部門担当重役が割れてコミュニケーションがうまくいかず、矛盾した指示が現場を混乱させるといったことはよくあるストーリーですが、それ等を読みながら、「これを個人の脳の中に置き換えるとどうなるか」と考えてみると、いろいろなことが考えられます。
それは、テレビや新聞で様々に報道されることにも言えます。

 それは、学力不振の生徒をただ単に「あの子は頭が悪い」と片付けるのではなく、その「頭」を複雑な組織として理解するための訓練になるのではないでしょうか。

「頭の切り替え」と「無」のはたらき

64.中枢と現場―学習能力
 「中枢」と「現場」の問題を「学習能力」に当てはめてみます。

 生徒が学習の際使用する器官として、まず浮かぶのは、「聴く」際の「耳」、「視る」佐野「目」、声に出して「読む」「話す」際の「口」、「書く」際の「手」と言ったものでしょう。
 その学習が「保健体育」とか「芸術」とかとなると、さらに多くの身体を使うことになります。
 この「身体」の器官がいわば「現場」です。

 そこで、学習がうまくいかないと、その「身体」に目をつける、教師の話を聴いて理解できないのは「耳」に問題がある、黒板の書かれたものを理解できないのは「目」に問題がある、漢字の書き取りとかピアノ弾きとかがうまくできないのは「手の使い方」に問題があるとして、それを前提に指導する、しかし「脳」の中の情報処理に問題があってうまくいきません。
 この「脳」が「中枢」。
 つまり、「中枢」に問題があるのに、「現場」のせいにするということです。

これは、「中枢」の情報処理の問題ですが、それ以以前の情報取得での問題については、身体器官がうまく働かないとされたことが、実は「脳」にあるとして、以前「脳の中の身体」で取り上げたことです。例えば、その「手」がうまく働かないのは、「脳の中の手」にあったと言ったことです。

指導の際、ややもすると「身体」に目がいきがちですが、「個」の中の組織に目を配る必要があるようです。「現場」に現れたことがそこだけに問題があるわけではないように。

「頭の切り替え」と「無」のはたらき

63.組織の中枢と現場
 「脳から身体を治す」ことが成り立つのは、その「身体」とされた部分の能力に問題があるとされたのが、実は「脳」の能力にあるからでしょう。
 これを、社会の「組織問題」にたとえてみることにします。

 社会組織、例えばいわゆる「会社」、その「身体」とされる箇所はいわば「現場」です。そこで、「現場の働きが悪い」、営業であれば「販売実績」が上がらない、そこで現場の能力の問題とされる。ところが、現場からすればそうではない、「営業本部の方針が悪い」、つまり会社の中枢、これが「脳」に当たる、本当はそこに問題がある、というわけです。
 
 こういうことは、いろんな組織で起きます。
 「ベンチがあほやから野球がでけへん」といって引退した投手が居ました。

 体のどこかの働きが悪い、そこでその箇所を治療する、例えば現場の責任者を変える、しかし、方針が同じだから業績が変わらない、つまり、脳からの指令に問題があるのに、身体のその部位に原因があるとして治療する、それでさっぱり治らないということになります。ただ、身体の治癒能力がはたらいて自然に治るということがあり、その場合でもその治療が効果を発揮したとされることがあります。
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