自主ということ

38.「洗脳」と「染脳」について
 「洗脳」といわれる言葉について、この漢字の「脳を洗う」という表現が、その人にとっての「否定的」な意味を薄め、むしろ「肯定的」なニュアンスをうかがわせることから、ここでは「染脳」という漢字を勝手に使ってきました。
 では、その「洗脳」と「染脳」が全く同じ意味がというと、少し違うのではないか、と思います。
 いわゆる「洗脳」は、特定の組織や人が、民衆や個人を、ある「思想」に染め上げるものです。しかし、ここで使う「染脳」は、無論、それも含むのですが、それ以外に人が内外の刺激によって引き起こされる「情報」形成の過程に偏りが起きた結果おきる、いうならば脳の汚染をもさすわけです。

 逆に言えば、その情報処理の機能が正しくはたらけば、それが「浄化」されることになるわけで、本当はこちらこそ「洗脳」という文字をあてるにふさわしいのでしょうが。
 
 そこで、「個」の中の「情報」の汚染が起こると、その汚染された情報が「自分」という「意識」を歪ませることになります。「俺の頭に浮かぶのだから、これが俺の考えだ」というわけです。しかし、人から見ると、「それは本人の考えではない」と思える、それで「〜の考えに洗脳された」となるわけです。

 それは、「深層」で「主客転倒」が起き、その「客」が「意識」で「主人」としてふるまうわけで、その基を正す必要があります。

自主ということ

38.「自分」の中の不易と流行
 「自主」に反するものとして「洗脳」とか「ウイルス」の話を持ち出しましたが、では「自主」とは、何か「自分」そのものが変わらない、例えば考えをかえないでそれをただ強固に守る、固定的である、つまり、頑固だということかいうと、そうではないわけです。
 そもそも、「学習」は「自分」を成長させる、変化させることです。ただ、その変化が、ただ、人の考えに染まるとか、偏った情報が居座って考えを左右するとか、そういうことではないわけです。ただ、その中で「自分」を一貫して支えるもの、易わらないものがあるわけです。

 それは、「自主ということ」の例としてあげた「自然治癒力」を考えると解ります。
 我々のからだの状態は、揺れ動いているわけです。それは、東洋医学で病因とされるものを取り上げると解ります。その中の「外因」とされるものがあります。例えば、「温度の変化」、「湿度の変化」、そういうことが起きます。それに対して、自身の「からだ」が柔軟に反応する、「体温を変化させる」「汗を出す」とか、「自然治癒力」はそういうものでした。その「自然治癒力」が「自分」のからだの恒常性を保っているわけです。そのはたらきの結果は、個々に違います。「寒い地域」の人と「暑い国の人」では体質が違います。

 人の中で、学習のためのはたらきの中心機能そのものは、易わらず働き続けるとしても、個々の経験の違いが、「知的な個性」の違いを生み出します。

自主ということ

37.「反自主学習」と「洗脳」
 前回「情報ウイルス」と言うことばを使い、それを排除できない「学習」を取り上げたのですが、それはそこに「それを排除できない学習は自主学習ではない」という思いがあてのことですが、その言葉が誤解を与えたかもしれません。

 それは、「ウイルス」というと、「コンピューターウイルス」と言うことばがあり、その「コンピューターウイルス」が、「コンピューターに意図的な損害を与えるために作られたマルウェアの一種です」と説明されていることから、「自主ではない」ということが、「他者の意図に振り回される」というように狭く解釈されかねないということです。
 
 ここでの「自主学習ではない」というのは、あくまで「本人自身の在り方」に問題があることからくる誤った学習だということです。
 ここで「情報ウイルス」としたのは、「送り手」の意図とは別に存在する情報そのものに潜在する毒性をも含みそのつもりで対処する必要があるものもので、人は本来その対処能力をもっているが、それを正しく発揮するかどうかが問題で、それが「自主であるかどうか」を分かつのだということが言いたかったわけです。

 「洗脳」と言うことばがあります。これは「個人の思想や価値観を、物理的、社会的圧力を加えるなどの操作によって必ずしも本人の欲しない方向へ急速かつ大幅に改変させること」と説明されているように、「他者の意図」が前提です。しかし、それは自身で跳ね返すことが可能です。ここで使う「染脳」は「送り手」の意図とは別に自身の誤学習をも含みます。
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