「頭の切り替え」と「無」のはたらき

86.「頭を空っぽに」「頭を無に」近づける
 運動をするとき、「構えの筋肉」である情動筋が緊張します。しかし、その運動が終わった際、その緊張が解消すればよいのですが、そのまま居座ることがあります。それが他の動きの「邪魔」になることがあります。
それは、「頭を使う」際、脳の中の神経の緊張にも起こりうることです。その緊張が居座って、ほかの知的活動の「邪魔」をすることがあります。
 
それ等の緊張は、「脳」の中で、「深層筋」で、外からわかる「固さ」として、更に言えば、その人の「偏見」などとして現れます。ですから、外からわからないものも本人にも解らないものもあるわけです。

ここで「気の閊え」としたものは、特定の働きの据え置きであり、「気の閊え」を無くすことは、「無駄なはたらき」を排することになるということです。
それで、頭の中を「空っぽにする」「無にする」、いわば「リセット」する、そうすると、状態の表れとしての波動が新たに生じ、それが「囚われの無い知」として「思考」や「行動」を生み出すということなのだろうということです。

「頭の切り替え」と「無」のはたらき

85.脳の「脱力」
 身体の「脱力」が身につくにしたがって、その前の閊えた状態との違いを感じ取れるようになります。
 例えば、股関節が固い時の感覚と、それが抜けたときの感覚を比べると、前者は何かがつまったようなのに対し、後者はそこに穴が空いたようなものです。それを、「気」の感覚に切り替えると、気が「閊えた」感覚とその「閊えがとれた」とでも言った感覚になります。

 その違いについて感じ取れるようになると、その感覚で身体のあちこちをたどると言ったことができるようになり、(ここが閊えている)とか(ここは閊えていない)とか、そんなふうに「感じ分けられる」ことになります。

 それで、その感覚を「あたまの中」に向けると、同じような違いがなんとなく感じ取れます。それで、例えば「首が固い」時は、あたまの方もなんとなく閊えているなというふうに身体との関連がなんとなくわかります。それで、身体の固さを解消したり直接あたまの中のそれが消えるという意識を使ったりすることで、ある程度ですが、その頭の「閊え」を解消に向かわせることができるようになります。「ある程度」と言ったのは、それをやるこちら側の能力に限界があるからでしょう。

 こういう経験を通して、「身体」→【身体】とか、【身体】⇔【脳】とか表したことについての「実感」がえられ、そうすると、例えば、「学習障害」があると言われる生徒の「身体」の固さをそれに対応する「脳の閊え」として、(これでは頭の働きがうまくいかないな)と普通に受け止めるようになるというように、生徒を見る目が変わっていくということがあるようです。

「頭の切り替え」と「無」のはたらき

84.「聖中心」と「立腰」
「肥田式健康法」では、臍下丹田の中心を「聖中心」と言っています。それで、それがはたらくようになると、様々な能力が顕われると言います。
この「中心感覚」が目覚めると、いろんな箇所の脱力が簡単になります。

そのために、「肥田式健康法」では、そのための呼吸と組み合わせた運動を実践します。
しかし、もっと簡単な方法があります。それが「立腰道」です。
ただ、これには要領があります。次の三つです。
(1)まず、尻をウンと後に引き、
(2)腰骨の中心をウンと前へ突き出し
(3)軽くアゴを引き、下腹にやや力をおさめる。
こう書くと確かに簡単ですが、実は難しいのが、その「ウンと」ということ。本人がそのつもりでも、そうなっていなくて「中心」の形成がうまくいかないということがあるようです。
それは、むしろ、大人に言えることで、小中学生の多くは体が柔らかく、割合簡単にいくようです。ですから、指導する教師より生徒の方が「中心感覚」が速く身につき様々な能力を発揮する、それを教師の方が見過ごしている、ということがあるようです。
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