2011年03月23日

祈り



3月11日に地震が起きたとき、大惨事に違いないと直感したのですが、家々が、全て津波に込まれて行く映像をテレビで見たとき、ハリウッドのCG映画のような何かとても非現実な感覚におそわれました。これで二回目のことでした。最初は、勿論、あの9.11の映像でした。その両者とも、これが現実に起きたことなのだと納得するには、あまりの恐ろしさで、唖然として何か無感覚になってしまうような映像でした。9.11と3.11の出来事とも、僕たちが、通常暮らしているこの感覚的な現実世界に割り込んできた超感覚な現実のような感じでした。それでもこの二つの出来事には、圧倒的な違いがありました。9.11の映像は、極めて政治的なもので、すぐさまやったのだという推論に行き着き、敵への復讐心を煽るものでしたが、一方、人間の営みを根こそぎ破壊し、後には荒地だけが残った津波の映像は、何かより深淵でした。そこには、誰がやったのだという問いはなく、またラジオが伝える『恐ろしい』原発の爆発の報告から、人災ではあるものの、戦後日本の魂のあり方を反省させ、そしてさらには近代の学問のあり方に疑問を投げかけるもので、簡単に「敵」など見出せませんでした。この地震の映像は、改めて、われわれは、1900年代の現実のなかには生きていないことを悟らせれました。それは、既視感と圧倒的な未知な感じがない交ぜになった現実でした。
心の潜在的なものが、ある限度を越えた時、それはあっという間に顕在化し、それまでの現実とよんでいたものはもろくも崩れ去る歴史のダイナミズムを、ソビエト崩壊から知った僕は、アラブ世界の連鎖的な劇的な政変を目にしたとき、そのことを思い出しました。どうもその頃から、僕の身体感覚にも、これまでにない変化を感じていました。2月の末から、あまり食欲もなく、また3時間ほどしか眠れず、それでいて意識は、とてもはっきりしていて、時々めまいのような浮遊感が漂い、知らず知らずのうちに過去を、涙ながらに回想している自分に気がつきました。体験の記憶を回想するときに、ぼく達は、魂の存在を体験していると実感していました。そして地震の数日前、茨城の海岸に、大量のクジラが打ち上げられたという記事を読んだとき、海の中で何かが起こっているような感じがして、とても気になりました。いま思うと、あの時クジラたちは、いま僕たちがこの地上で抱いている不安を、海の中で感じていたのだと思います。3月11日の朝には、妙な感覚がありました。猫と一緒に、森の中に佇んでいますと、鳥の声も聞こえず、上を見上げると、どんよりとした鈍色の天が見え、まるで森の中に真空の柱が伸びているようで、あたりが妙にシーンとして、金属的な感じがしていて、めまいを感じました。2時過ぎに、地震が起きたとき、僕は、下界は大惨事になっていることを直感しました。テレビは、マグニチュード9などと伝えていました。その津波や原発の映像は、僕の想像を遥かに超えて恐ろしいものであったと同時に、何か重要な意味を秘めているように思いました。原爆体験を忘れ、天皇主義から科学主義へと転向した戦後日本の、傲慢になりかけていた知的迷妄が、自然によって〈儚く〉に否定されたようにも思え、そこには明確な具体的「敵」などいません。映画『祝の島』のはやぶさ監督が、言われていましたように、この地震は、想定外の規模だったという政府や原発技術者の過信が、いかに自然への畏敬の感覚を失った、天に唾する傲慢なものであったか、を改めて感じさせます。原発事故の真の原因は、根本は、この現代社会が、金勘定ばかりして、自然への畏敬の感覚と本当の現実を喪失したところにあります。でもいまは、批判の時ではないでしょう。その反省は、後にじっくりやる課題です。いまは、どうにメルト・ダウンという最悪の状態を免れることを心から祈るほかありません。どうか原発を作った技術者の方々、学者の方々、どうかその知識を総動員して、最悪の事態を回避してください。この危機をどうにか乗り越えたときには、日本の新しい進むべき道も、より一層はっきりと見えてくるように思います。日本のこの悲劇は、核エネルギーへの依存に傾きかけていた世界のエネルギー行政に変化を及ぼし始めています。未曾有な規模の地震といい、原爆投下を世界で始めて体験した日本が、核エネルギーの「恐ろしさ」に再び直面させられていることといい、日本人に何か深い深い意味を教えているように思えてなりません。亡くなられた方々への哀悼とこれからの若い人のために、なにか少しでも、自分のやれることしたいと模索しています。今日、被災者の方がこちらに来る予定でしたが、交通機関もなく、またガソリンも灯油も売り切れということで、大阪に行って、車で来るとのことでした。

                         久松拝

追伸:奇しくも、今年2011年は、2001年から10年目。今度は、9.11ではなく、3.11。この十年の推移を辿って見るとき、日本においても世界においても人間の本性に逆らうような欺瞞に欺瞞の言説を重ねた挙句、〈いのち〉というものを観想できる人の目には、その矛盾は極限に近づき、心は空虚に晒され、精神は解体へと突き進んでいるように見えていました。連日の株価の動向に右往左往するこの状況は、もう何十年も続くはずはなく、早晩カタストローフが起きるだろうと思っていました。僕は、2010年には、もう臨界点に達して顕在化するのではないか、と思っていたところあまり劇的な変化はありませんでした。人々の心は、分裂状態に陥り、孤立化してゆく状況は、もうそんなに持たないだろうと思っていました。それで、あるミニコミ新聞に、11年は、最悪の年になるだろうなどと書いてしまいました。自分でもどんなことが起きるのかは予測はつきませんでしたが、いずれにせよ、ドラスティックな変化が訪れ、歴史がダイナミックに流動化する予感がありました。そして中東の革命を眼にしたとき、いよいよ始まったように感じました。そして3月11日の地震です。前者は、政治的―人間的な事象で、後者は、自然現象が引き起こした大惨事ですが、この時期にこの日本で、前代未聞の地震がおきたことに何か深い符合をかんじています。聖徳太子の時代には、天の星辰の異常は、地上の政治的変化の前兆であるという古代中国の道教思想が信じられていたと聞いていますが、多くの現代人は、迷信と片付けるでしょうが、僕には、現代人のほうが迷信的にみえます。

中東の劇的政変と日本の地震。両者には何も関係がないと言うでしょうが、僕には、ミクロコスモスである人間の自然とマクロコスモスである大自然の間には、なんらかの隠された関連があるように感じています。日本では、もう長いこと、エネルギー・シフトを考えないと大変なことになると、少数ですがずっと言われ続けていて、オルタナティブな代替エネルギーについても具体的な方策も色々考えられていて、実現可能な域にまで達しているように思っていました。ただそうした変化を阻むものは、従来の利権にしがみつき、惰性態になったこれまでのカルマでした。そんな中での今度の地震・津波であり、原発の爆発です。こんな状況下においても、電力会社は、いまだ浜岡原発を止めようともせず、いまだ幻想にひたっています。現在われわれが、こんな恐怖と苦悩を味わっているのも、この後に及んでまで、方針を変えない頑ななカルマのように感じます。この天変地異と原発は、われわれに生きかたを変えろ、と迫っているのに、メルト・ダウンでも起こさなければ、われわれは、悟らないのでしょうか。

ところで、11という数字が、どうも目に付きます。10年前の9.11の時、陰謀論者とレッテルを貼られているある論者が、「11」という数字について、語っていたのを興味深く思い出します。ツインタワービルは、11の形。事件の起こった9月11日は、9+1+1=11。9月11日は、1年の254日目にあたり、2+5+4=「11」。一年の残りは、111日。今回の3.11の大惨事でも、「11」の数字がどうも眼につきます。ある人が僕に送ってくれたメールでも、こんなことが書いてありました。
ところで今年のカレンダーには1が並ぶ4つの珍しい日付があります。
1月1日 '11年
1月11日 '11年
11月1日 '11年
11月11日 '11年

それから、これをちょっと試してみてください。
1)あなたの生まれ年(西暦)の下2桁と
2)あなたが今年の誕生日を迎えた時になる年齢
この2つの数字を足すと… やってみてください。  111となるはずです。
僕は、自然災害まで、陰謀論で片付けようなどとは、毛頭思っていないですが、
自然は、われわれに生きかたを変えよ、迫っているのを感じます。
ちなみに11は、水瓶座の時代の到来。






  
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2010年05月16日

パク・スナンさんの『小松川事件』についての講義を聴いて(1)

「小松川事件」についてのパク・スナンさんの講義を聴いて

5月14日に、慶応大学で経済学部の高草木教授の《60年代の日本》という授業の一環として、パク・スナンさんが,「小松川事件」について講義をすると聞いたので、東京まで出かけて講義を聴いてきた。朴さんからは、以前に小松川事件の犯人、李珍宇との往復書簡を頂き、一読してこの事件の被告、李少年の思想の軌跡に、とても興味も覚え、ある種の親近感さえ感じていた。僕は、かねてから死刑廃止論者だったが、この李青年の手記を読み、ますます死刑廃止への思いは、強くなった。
この李青年が、死刑に処されたのは、1962年のことで、僕は、小学生であったから、リアル・タイムでは全く記憶にない。そこでまずは、その事件の概要とパクさんの講演について、レジュメを手がかりに祖述した後で、僕の感想を述べたいと思う。

1958年8月17日、都立小松川高校で女子生徒が行方不明となり、同21日には、新聞社に遺体遺棄現場を知らせる電話があり、同高校の屋上で、遺体が発見される。その後も新聞社に犯人の男からの電話が、8回ほどあり、もうひとつの殺人事件の犯行も告白する。犯人の声を録音したテープが、ラジオで公表され、同校の定時制1年の男子生徒我、逮捕される。犯人は、金子鎮宇を名乗る在日コリアンで,本名は、李珍宇という少年であった。1959年2月には、東京地裁は、殺人と強姦致死により死刑を言い渡す。少年法51条は適用されず、二審もこれを支持。最高裁は上告を棄却し、死刑が確定し、作家、大岡昇平らの助命嘆願運動も空しく、1962年11月16日、死刑執行。享年22歳であった。

パクさんの父上は、一緒に働いていた日本人の工場の主人や仲間たちから命がけでかくまってもらい、殺されずに済んだという体験を、パクさんは、12歳の時に聞いていた。
パクさんは、この獄中の少年に向き合う前に、まず被害者のご両親に会いたいと思い、殺された少女の両親を訪ねる。パクさんは、その随筆で、次のように語っている。

《一審で少年法の適用と精神鑑定を無視され死刑の判決が下った後、これを甘受した少年に減刑運動が起きた後である。その減刑のお許しを請うために遺族を訪れた私の心は重く沈んでいた。私は、四歳下の獄中の少年に向き合う前に、まずご遺族に心からのお悔やみと謝罪を述べたかったのである。しかし私を向かえて少女の両親は、実に意外にも関東大震災の記憶を話されたのである。
「関東大震災の時、この江戸川、荒川あたりも、それは無慚な朝鮮の方々の屍骸でいっぱいでした。私たちは、罪もないお国の人たちをそれはひどい仕打ちで死なせてしまったのです。でもそのことについて私たちは償いどころかお詫びもせずにうちすごしてきました。
私の一人娘がお国の人の手にかかったことについては、見ず知らずの朝鮮人の方々からたくさんの謝罪やお香典を頂きました。日本が、朝鮮の人々にしてきた罪を思うと、李君を恨むことはできないんですよ。」と芳江さんの遺影を見やりながら、「死刑というものも人の命を奪うことにかわりないのです。死刑で李君を殺しても娘が生き返るわけではありません。18歳だった李君が罪を悔いて立派に成人してくれることが娘の供養にもなるのです。李君に私たちの気持ちを伝えてください。」
その言葉は、私の魂を深くゆさぶり、獄中の少年に同向き合うか示唆したのであった。》
《「関東大震災と小松川事件」より》

僕が、パクさんから直接聞いたところによれば、町工場を営んでいた被害者の父親の太田さんは、李少年が、出所してきても職にはなかなかつけないだろうから、自分の工場で雇ってもよいとさえ言ってくれたそうである。
こうしてパクさんと李君との対話が始まった。
                         つづく

  
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2010年05月15日

杞憂であればよいが・・・

ブログに書いておきたいことがあり、筆をとる。4月17日からカナダのモントリオール大学の歴史学教授のヤコヴ・ラブキンさんという人が、東京や大阪で講演を終えて、この八ヶ岳に4,5日滞在された。ラブキン先生は、ユダヤ教徒で、ユダヤ教の教えを厳格に守っておられる。ラブキン先生は、ユダヤ教徒として、イスラエルのシオニズムを痛烈に批判し、反シオニズムのラビたちやユダヤ教徒が、これまで如何にイスラエルを非難してきたかを綴った「トーラーの名において」という本が日本で出版された記念に、各地で講演やシンポジウムを行なうために、来日された。僕は、早速「トーラーの名において」という本を読んでみた。その本には、たくさんの反シオニズムを標榜するユダヤ教のラビたちの発言が収録されており、イスラエルという国を巡って、ユダヤ人のうちで熾烈な闘いがあり、いかに世界のユダヤ人社会が、危機にあるか、を改めて知った。

ラブキン先生をお会いするのは、これで2度目であったが、板垣先生から、せっかくラブキン先生が滞在しておられるのだから、交流会でも持ちませんかと打診があり、18日に20名ほどの人たちを、ラブキン先生を囲んで、ささやかな交流会を開いた。僕は、英語会話も下手だから、ちょっと気が重かったが、アメリカ留学の体験もある若いW君が、名乗り出てくれて本当に助かった。

ところで,今日は、その交流会のことを書こうと思ってブログを付けようとしたわけではない。ラブキン先生との交流会やその本「トーラーの名において」についての感想は、いつか頭の整理がついたら書いてみようと思っているが、その交流会の終わりの方で、ラブキン先生から、手が挙がりひとつ質問していいかと問われた。「貴方の車には、9条を守ろうというステッカーが貼ってあるが、日米安全保障と9条は矛盾してしないか?安保があるから、9条を守ろうといっていられるのではないか?」といった趣旨の質問であった。その質問自体は、いつも自問していることだったので、別に意外でもなかった。「そのとおりで矛盾してます。安保法体系と憲法体系という二つの法体系があって、この二つの法体系は、ますます矛盾を深めていて、安保は、廃棄すべきだと思います」といった意味のことを下手な英語で言ったように思う。それでもラブキン先生は、あまり納得しておられず、次の日もう一度、彼の宿泊していた場所を、訪れると、もう一度「もし9条が守られ、米軍が日本から撤退していったら、何が、起こるでしょうか?」再度訊ねられた。僕は、上手く答えることができなかった。

僕は、実は、鳩山内閣に政権が移ってから、これで当面は、これで改憲はないんじゃないか、と思ったものの、その後は、ひょっとしたらむしろ9条改憲に一歩近づいたのかもしれない、と思うようになり、自民党政権のときよりも、憂鬱になっていた。いろんな錯綜した想いが重なって、ラブキン先生の問いに、言い淀み、とても英語で答えることはできるとは思えなかった。

テレビや新聞では、連日「アメリカの機嫌を損ねては大変だ」という論調と「沖縄県民お借りをいったいどうするのだ」という沖縄県民の世論を取り上げ、鳩山内閣の姿勢を、優柔不断、迷走と書き立てていた。そんな折5月1日の山日新聞で、同じ違憲訴訟を闘った大塚英志氏の次のようなエッセーの冒頭の一節は、ちょうど僕も同じように感じていたので、本当に同感した。

「迷走、と世論からもメディアからもたたかれる鳩山由紀夫首相の普天間基地移設問題への対応に多少ともぼくなどが同情的なのは、じゃあどうするという具体案も示さないまま、
「アメリカの機嫌を損ねたら大変だ」としか言っていないからだ。
であれば基地は、原行案通り沖縄にとどまるべきだ、という結論しかないのにそれは決して口にしない。そして県外移転を断念すればそれは沖縄以外のメディアや世論が暗黙のうちに求めた結論に従ったことになるのに、今度は責任を追及される運命が待っている。自分たちが出したくない結論を出させ、これをたたく気満々の《民意》ほど始末の悪いものはない。」

こんな記事を読んでから、2,3日して鳩山首相は、《最低でも県外移転》と公言していた前言を翻し、《県内移転しかないので、沖縄県民にお詫びしたい》という記事が載っていた。
僕は、鳩山首相の《腹案》とは、ひょっとしたら、沖縄や全国の人々に反対の意思表示をしてもらい、米国に対して、日本の国内世論は、このようだからどうか撤退してくれないか、》と言うつもりではないかと希望を含めて想っていた。ところが、5月3日の時点では、どうもそうではなさそうである。

これまでもマスコミは、イラク戦争での米軍の実態も、パレスチナ問題の核心も、米軍の赤裸々な姿も、心を入れて報道したこともなく、口当たりの良い官製の情報を垂れ流し、その関心は主にいわゆる《経済問題》であった。またたとえば「知らされていない戦争」フィリピン編に見られるような、日本企業の実態も当事者以外には、外に漏れることはあまりない。毎日スーパーでは、安いフィリピン産のバナナが売られているが、その安価なバナナはどうのような醜悪で残酷な行為の上で、調達されたのかを知る人も少ない。100円ショップの商品の製造現場を想像する人も少ない。日々の報道から伝わってくるのは、なにか生にとってとても大事なものから眼を逸らさせようとする、無意識の《恐怖》に起因する無関心を装う《空虚》である。
そしてマスコミによる鳩山政権への攻撃キャンペーンが,功を奏してか、支持率は、急落した。この支持率低下が、有権者の鳩山政権へのどういう判断に基づくのか、本当の所は、どうも読めない。都会に出れば、高層ビルが乱立し、店は格段に小綺麗になっている。

そこでもう一度ラブキン先生の「もし9条が守られ、米軍が日本から撤退していったら、何が、起こるでしょうか?」という問いである。今のような精神状況であったら、「9条を改めて、自衛軍を持つべきだ」という主張が、これまで以上に強く出てきそうな感じがする。僕は、日米安保は、廃棄してアメリカとは友好条約に切り替えるべきだ、と強く思っている。しかし杞憂であれば良いと思っているが、戦後《戦争責任》も有耶無耶にして、戦争放棄の思想も深化させてこなかったツケが、回ってくるのではないかと心配である。
ラブキン先生は、シオニストを称して「「自分を殴るために使われていた棒に噛み付く犬のようにシオニストたちはショアーの背後に神の手を見ることができない」書かれているが、果たして日本人は、9条の背後に神の手を見ることができるだろうか?



  
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2010年05月12日

日本アニメと日本的中世の超えかた

日本アニメと日本的中世の超えかた

前回のブログで「スズミヤ・ハルヒの憂鬱」のエンディング・ソングを書き写しておいた。

「ハレ晴れユカイ」
ナゾナゾみたいに地球儀を解き明かしたら、
みんなでどこまでも行けるね。
ワクワクしたいと願いながら過ごしてたよ
かなえてくれたのは誰なの?
時間の果てまで Boooon!!
ワープでループなこの想いは
何もかも巻き込んだ想像で遊ぼう

アル晴レタ日ノ事
魔法以上のユカイが、
限りなく降りそそぐ不可能じゃないわ
明日また会うとき、笑いながらハミング
嬉しさを集めよう
カンタンなんだよ こんなの
追いかけてね つかまえてみて
大きな夢&夢 スキでしょ?
イロイロ予想ができそうで出来ないミライ
それでもひとつだけわかるよ
キラキラ光って、厚い雲の上を飾る
星たちが、希望をくれると
時間に乗ろうよ Byuuun !!
チープでクールな年頃だもん
さみしがっちゃ恥ずかしいよなんて、言わせて
手と手をつないだら
向かうトコ無敵でしょ
輝いた瞳には、不可能はないの
上だけ見ていると、涙もかわいちゃう
「変わりたい!!」
ココロから強く思うほど、つ・た・わ・る
走りだすよ後ろの人もおいでよ
ドキドキッ するでしょう!

世はまさに世界中どこを見回しても乱世。そんな中、「何もかも巻き込んだ想像で遊ぼう」と呼びかける日本発の能天気なアニメソングが世界中の若者によって踊られていると聞いて、意外に思うかもしれない。でも千年前の日本の中世でもこんな俗謡が歌われていた。

あそびをせんとや生れけん
たはぶれせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、
我身さえこそゆるがるれ (「梁塵秘抄」)

ある批評家によれば、「日本の中世思想は、決してヨーロッパのように、教会と神学と理想の聖女の映像をたどって捕まえられたのではなく、動乱と厭世と幼児がえりのこころを通って親鸞の逆説的な単純な信仰へ行き着いたのだ」という。確かにタルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」などを見ると、教会の外は、強姦と殺戮の地獄で、僧院だけが人々のアジールであって、そこでひたすらキリストやマリアのイコンを描いて《救済》を求めた西欧(厳密にはロシアは西欧ではないだろうが)中世の姿が描かれている。そんなイメージと対比させて、日本の中世思想を考えると、《救済》のイメージは、とても内面的かつ情緒的、また自己発見的で、見方によってはとても寄る辺なく、現代的に見える。

今の若者は、自覚的ではないだろが、本当に大変な転換の時代を生きている。そう思ってこのアニメソングの歌詞を読むと、この浮遊感漂う陽気なテーマソングの背後に、「色々予想できそうでできない未来」に暮れ惑う孤独な世界の若者たちを取り巻く現実が見えるようだ。世界の若者は、そのアニメダンスに押し迫ってくる新しい中世を、越えようとするエラン・ヴィタール(いのちの飛躍)を感じているとしたら、それは日本伝統の中世の超えかたが、世界的普遍性を持ってきたように思えてくる。この前レストランに入ったら、ピカチューの縫いぐるみが床の間に座っていた。《かわいい》という言葉は、世界語になっているようだが、日本のアニメ文化が、乱世を生きる世界中の若者たちを元気づけているとしたら、「幼児がえり」日本の立派な国際貢献でだろう。最後に僕の好きな西行の《幼心》溢れる和歌二つ。

いとほしやさらに心のをさなびてたまきれらるる恋もするかな
君したう心のうちは稚児めきて涙もろにもなる我が身かな



  
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2010年01月03日

スズミヤ・ハルヒの憂鬱というアニメを見て

今日は、スズミヤ・ハルヒの憂鬱というアニメの感想を書こうと思っているが、その前にあるMLで、山日新聞の載ったエマヌエル・トッドの文章を紹介したところ、ある人から、トッドは、日本核武装論者ですよ、と指摘された。僕にはちょっとショックだった。山日新聞の記事を読み直して見た。確か記事には、「解決方法のひとつは、核兵器保有だが、日本ではそれは「タブー」だから不可能とトッド氏はいい、そのすぐ後で「20年前は、日本は、その技術力と経済力で、欧州から脅威と看做されていたが、状況はすっかり変わった」と言う文章が続き、日本は、文化力で勝負すべきだという論旨の続いていたので、トッド氏は、てっきり日本の非核政策を支持しているものと思っていた。僕は、日本の核武装なんて全く支持しないため、トッド氏が核武装論者と知って、本当にがっかりした。僕が、なぜ日本核武装論を支持しないかといえば、日本は、地政学に見ても、全国に点在する原発の分布を見ても、現代のハイテク兵器による戦争では、防衛は不可能だと思うし、1発や2発原爆を持っても「抑止的」な効果はない。それに20世紀は、どの国でもずっと核による《抑止》論でやってきて、核は拡散、精神の袋小路に陥ってしまっているからである。話はそれてしまったが、僕がトッド氏の文章を紹介したのは、日本が、海外からどう見えているかを、示したに過ぎないことをはじめに書いておこうと思う。

「スズミヤ・ハルヒの憂鬱」というアニメを見て

世界中の若者たちが「ハレハレ・ユカイ」というダンスを踊っている映像を見て、ちょっと嬉しいショックを受けた。それで「スズミヤ・ハルヒの憂鬱」というアニメとはどんな内容なのかと興味を抱いて、遅ればせながらインター・ネットで一通り見てみた。どうも2006年とその後2009年にも続編が、違うスタッフで作られているようで、随分錯綜していて、誰の作なのか、アニメというものが、どんな風に作られるのかにも、オタク文化にも全く不案内な僕には、全てが新鮮であった。とりあえず、ユー・チューブで、2006年の作品を見てみたが、結構面白かった。アキバでこのダンスを踊っているオタクとよばれる人々は、みんなそのアニメを読んでいるとしたら、僕のアキバのイメージを修正しなければならないと思った。アニメやオタク文化に深く参入している人には、失笑ものかもしれないが、僕が、興味を惹かれた箇所をいくつかピックアップして、この作品がかもし出すイメージを語って見たい、という気持ちが湧いた。というのも、このアニメ、戦争を起こすココロをよく分析したポスト・モダンの優れた《欲望論》になっているように僕には思えるからだ。それにマンガという媒体の属性なのか、シニシズムの匂いがしなくていい。

アニメは、次のような、言葉の破片をパッチワークしたような、浮遊感漂う主題歌で始まる。

答えはいつも私の胸に・・・・。
何だろう、あなたを選んだ私です。もう止まらない。運命様から切れられたけれど、
I believe まねだけじゃつまらないの。You’ll be right.
感じるままに感じることだけをするよ。
冒険でしょでしょ?本当が嘘に変わる世界で、夢があるから強くなるのよ。誰のためじゃない。一緒に聞いてください。どこまでも自由な私を見てよ。あした過去になった今日の今が奇跡。いつかもう未来を、I believe you.


物語は、キョン君という高校に進学した高校生の次のようなナレーションで始まる。
「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてたわいもない世間話にもならないくらいどうでもいい話だが、それでもいつまでサンタなどという赤空爺さんを信じていたかというと、確信を持っていえるが、はじめから信じていなかった。・・・」こうして、物語の冒頭から超常現象とか、宇宙人とかを子供じみたこととして卒業したと思っている、ごく《普通》の高校生を自認するキョン君の心象風景が語られる。

そのキョン君が、自己紹介のときに、「東中出身、涼宮ハルヒ、ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところにきなさい。以上」と自己紹介した涼宮ハルヒという変人で美人の同級生とひょんな会話を交わしたのがきっかけで、破天荒なハルヒの冒険に引っ張りまわされる羽目になる。

ハルヒという少女は、何でもよくできる子で、好奇心旺盛で、高校の全てのクラブに顔を出すが、そのどれもつまらない、と思っている。「ミステリー研究会」とか「超常現象研究会」などにも顔を出すが、そこに集まっている生徒たち、ただのオタクに過ぎない」という覚めた見方のできる子でもある。そんなに何もかもつまらないならば、自分で面白いのを作ればいいと気づき、キョン君を巻き込んで、新しいクラブを作る。そしてたちどころに、ほとんどしゃべらない文学少女の長門有稀ちゃん、セクシー・マスコットの朝比奈ミクルちゃん、それに古泉一樹君という3人の部員を連れてきて、新しい部活SOS(世界を大いに盛り上げるためのハルヒの団)を立ち上げる。

ところが、キョン君を除く他の部員は、普通の人間でないことが、アニメの展開とともに、明らかになってくる。キョン君に個々のメンバーが打ち明ける話から、その全てが、スズミヤ・ハルヒという女子高生の願望から生まれた存在であり、《願望を実現する能力を持つ》ハルヒを中心に物事が回っていることが、語られる。

たとえば長門有希の打ち明け話はこんな風だ。

「情報統合思念体にとって銀河の辺境に位置するこの星系の第3惑星に特別な価値などなかった。でも・・・この二足歩行動物に知性と呼ぶべき思索能力が芽生えたことによってその重要度は増大した。もしかしたら自分たちが陥っている自律進化の閉塞状態を打開する可能性があるかもしれなかったから。宇宙に偏在する有機生命体に意識が生じるのはありふれた現象だったが、高次の意識を持つまでに進化した例は、地球人類が唯一だった。統合思念体は、注意深く、かつ綿密に観測をた。そして3年前に、惑星表面に他では例を見ない異常な情報フレアが惑星表面に観測され、弓状(九条の掛詞か??)列島の一地域から噴出した情報爆発は瞬く間に、惑星全土を覆い、惑星空間に広がっていった。」といったように始めから宇宙的イメージで満たされる。

情報総合思念体とは、電脳空間化されたネオ・プラトニズムの世界のようにみえる。この情報総合思念体は、人間のように概念を用いて、コミュニケーションを取れないため、人間とのコミュニケーションのインターフェイスとして、人造人間、長門有稀は作られたのだという。そしてその中心いたのは、スズミヤ・ハルヒであり、ハルヒを活性化させているのは、キョン君であるという。これらは、アニメの中で、長門有希がいう荒唐無稽なセリフ(リサ・ランドールのような理論物理学者も出るくらいだから、時代にあったファンタジーというべきか?)であるが、その後のこのアニメが、コンピュータを通して、世界に伝播して、世界中で「ハレハレユカイ」が踊られている現実を思うと、なぜか妙なリアリティーのあるメッセージになっている。

朝比奈ミクルちゃんは、実は未来から来た、未来人である、とキョン君に打ち明ける。

また古泉一樹君にいたっては、超能力者であり、自分の超能力は3年前に開花したという。そしてこんなことをいう。

「実はこの世界は、ある存在が見た夢のようなものではないのか、というのが機関のお偉方の考えで、その存在にとって、我々が現実と読んでいるこの世界を創造し、改変することは、時宜に等しく、そのような存在を人間は神と定義してきた。」そしてスズミヤ・ハルヒは、この世界が神の不興を買って、あっさり破壊され、作り直されるのを防ごうとしているという。また長門も朝比奈も自分も、スズミヤの願望によって作られたものであるが、一番の謎は、普通の高校生であるキョンであるという。

この世界が、ある存在が見た夢のようなものではないかという考えそれ自体は、荘子の「胡蝶の夢」以来、人類にはお馴染みの感じ方であるが、システム社会と日常生活が、階層化され、誰もがそのシステムから無縁でいられなく、生活自体に浮遊感が漂うようになって以来、この世界は、一種の夢ではないのかという感慨は、古典的な「はかなさ」の感覚以上に未来的な感覚と結びついてきた。地球滅亡の精妙なCG映像を見ながら、日常を暮らす僕にしたって、何が起こったことで、何が起こらなかったことなのか、リアリティは変質しているに違いない。最近では、9.11のトレード・センターへの二機目の飛行機の突入は、テレビ局が作った捏造映像だという説まで出ている。確実な事実は、誰かがそれを実行(僕は、米政府の自作自演と思っているが)し、そこで大勢の人が亡くなったことしかない。映像的カタストロフィーで始まった21世紀であるが、《悪の根源》を求める時、もとより首謀者といえる連中がいるには違いなかろうが、それだけ逮捕すれば、事が治まるような問題にはどうも思えず、時代霊といってもいいのかもしれないが、時代の閉塞を生み出している《思念形態》とその思念から生み出されるエネルギ−のあり方に関心が向くぼくはとしては、《統合思念体》などという概念も、あながち荒唐無稽は思えない。というより僕の頭が既に「荒唐無稽」になっていると言われるかもしれないが・・。

ところで長門も古泉も言っていた3年前とは、スズミヤ・ハルヒが中学生になった時である。アニメでは、そこいら辺の状況を、ハルヒは、キョン君に問いかける。

「あんたさあ、自分がこの地球でどれほどちっぽけな存在なのか自覚したことある?私はある。忘れもしない。小学生の6年生の時、家族みんなで野球を見に行ったの。球場まで。私は、野球なんか興味なかったけれど、着いて驚いた。見渡す限り人だらけな野球場の向こうに米粒みたいな人間がびっしり蠢いているのよ。日本の人間が、残らずこの空間に集まっているんじゃないかとおもった。でオヤジに聞いてみたのよ。ここは一体どれだけの人がいるんだって。満員だから5万人位だろうとオヤジは応えた。試合が終わって駅まで行く道にも人があふれていたわ。それを見て、私は愕然としたの。こんなにいっぱいの人間がいるように見えて、実はこんなの日本全体で見れば、実はほんの一部に過ぎないんだって。家に帰って電卓で計算してみたの。日本の人口が一億数千万というのは、社会の時間で習っていたから、それを5万で割ってみると、たった2000分の一。私はまた愕然とした。私なんて、あの球場にいたあの人ごみの中のたった一人でしかなくて、あれだけ沢山に見えた球場の人も、実はひとつかみでしかないんだってね。それまで私は、自分がどこか特別な人間のように思っていた。家族といるのも楽しかったし、なによりも自分が通う学校の自分のクラスは、世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていた。でもそうじゃないんだ、とそのとき気づいた。私が、世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこ学校でもあるごくありふれたものでしかないんだ。日本全国の全ての人から見たら、普通の出来事でしかない。そう気づいた時、私は、急に私の周りの世界が、色あせたみたいに感じた。夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて、朝ご飯を食べるのも、どこにでもある皆がみんなやっている普通の日常なんだと思ったら、とたんに何もかもが、つまらなくなった。そして世の中これだけの人がいたら、ちっとも普通でなく面白い人生を送っている人もいるんだ。そうにちがいないと思ったの。それが私じゃないのはなぜ?小学校を卒業するまで、私はずっとそんなことを考えていた。考えてたら、思いついたわ。面白い事は、待っていてもやってこないんだ。中学に入ったら私は、自分を変えてやろうと思った。待っているだけの女じゃないことを世界に訴えようと思ったの。実際私なりにそうしたつもり。でも結局何もなし。そうやって私は、いつのまにか高校生になっていた。すこしは何かが変わると思っていた。」

ハルヒの告白に「そうか」としか言えないキョン君は、自分を少し憂鬱に感じたというナレーションが続く。そしてハルヒの実存的な孤独は、長門や古泉によって宇宙的な信号として捕らえられるところに、我々のコンピュータ・情報社会の特徴がある。我々は、もはや我々の実存感情を可視的な外界に見出すことはできなくなっていることを、このシーンはよく表している。かつてリルケは、《自然はもう見えないものとなって遁走するしか法はありません》と言ったが、現代のオタクたちが、虚構世界に故郷を見出す必然は、かなり古典的なものであるように見える。オタクたちは、いわば、オタクになって現実から《乖離》しているのではなく、オタクであることによって、分裂から免れ、正常を保っているように見える。近年「乖離性症候群」という言葉をよく耳にするが、システムと日常空間の分離が高度に進んだ社会では、もし現実と呼んでいる総体に耳も眼も口も塞ぐのでなければ、《乖離性症候群》に陥るのは、かなりの確率でありうることのように思える。これらのキャラクターは、いわば乖離的であるが、キョンは、自分がこうした人物に取り囲まれ、不思議な体験をしながら、どうして普通でいられるのか自分ながら、訝しく思っている様子を製作者は、「ラカンにスカウトされるかも知れない」というキョン君のセリフで表現する。一番の謎は、キョン君なのだという小泉君のセリフも、こんなところにある。

さて登場人物の一連の打ち明け話から浮んでくる「スズミヤ・ハルヒ」とは、神話的形象のポスト・モダーン的シミラークルである。虚構の中のアニメ・キャラクターであるハルヒは、その全たき虚構性の中から、「自然性」の回復を果たそうとする。おそらくこうした回りくどい方法によってしか、そのオタク性は克服できないのかもしれない。

古泉によれば、ハルヒの精神が不安定になると、この世界に「閉鎖空間」というパラレルワールドが生まれるという。この表現も、現代の自我の孤立をよく表している比喩である。そしてハルヒのストレスが最高潮に達すると、その閉鎖空間に青い色をした《神人》が現れ、外界と全く変わらないパラレルワールドの中にある全ての創造物を壊してゆくという。もし放置しておくと、《閉鎖空間》の領域はどんどん広がり、しまいには、通常世界を入れ替わり、世界が滅びてしまうという。これも、モナドと化した現代社会の病巣をよく表した比喩だと思う。勿論ハルヒは無意識の行動家だから、自分の不機嫌で、世界に《閉鎖空間》が生まれていることなど知らない。この比喩も、孤立した自我の中で、増大してゆく否定的な力をよく表している比喩だ。ところで古泉君の超能力とは、ハルヒの「閉鎖空間」に入りこむ事ができ、《神人》を除去することができる能力であり、これはスズミヤ自身が、自分に与えてくれた能力であるという。そしてこの青い神人が、消え去ると「閉鎖空間」も消滅するという。古泉君の《閉鎖空間》に入りこみ、「神人」を除去する能力は、ハルヒから与えられたものであるという。つまりハルヒ自身が、そのような心意力を良いものと思っていないこと含意している。《神人》の力とは、孤立の中で、反動的になってしまい、否定的な力になってしまったものを、古泉君の《超能力》は、肯定的で、能動的な力に変えるものである。この比喩は、資本主義社会に渦巻いた否定的な力とは、意識の閉塞であり、それはまた戦争を生み出す力であり、そうした閉塞を破る意識の拡大が、自由を獲得する方法であり、破壊を食い止める方法であるということも含意しているに見える。

また最終章では、キョン君の夢が語られる。キョン君は、レム睡眠の時、再びあの《閉鎖空間》で、ハルヒと一緒にいる自分を見出す。キョン君は、その空間にハルヒもいること驚く。というのも、《閉鎖空間》はハルヒの無意識であるから、通常、ハルヒ自身は、意識化することはできない。つまりその空間自身を見ることはない。だからハルヒは、そこを気味悪いと形容する。つまり自分の無意識を見ることになるからだ。しかし古泉君が出てきて、その空間は、これまでの《閉鎖空間》とは違うという。「これは非常事態だ。通常の閉鎖空間ならば、自分は難なく侵入できるが、これはそうではない」という。古泉によれば、「スズミヤさんは、現実世界に愛想を尽かし、新しい世界を創造することに決めたようだという。それは世界の崩壊の危機であって、自分の組織の上層部は、恐慌状態で、影を失った世界は、どうなるか分からない。」という。そして2人きりでこの空間に閉じ込められ、外の世界には二度を出られなくなるだろうと言う。

当のハルヒは、《神人》に出会って、それが邪悪なもののように思えない、というのもそれは、現状を変えようとするハルヒ自身の否定的な創造力だからである。ここまでくると、キョン君の役割が見えてくる。キョン君とは、否定的な内閉性の中で崩壊しかねない無意識を、明るみの中に連れ戻すアポロンのような像が見えてくる。主題歌の「答えは、いつも私の胸に」とあるように、自分の内面に入りこんだハルヒは、《面白さ》を体験する。キョン君は、ハルヒの手を引いて、元の世界に連れ戻そうとする。ハルヒは、「この世界だって、いつまでも闇に包まれているわけじゃない。明日になったら、また太陽が昇ってくるわよ。私には分かるの。貴方だって、つまらない世界にうんざりしていたんじゃないの」。ハルヒのいないまに、長門や古泉を通して不思議を体験していたキョン君は、「君は分からなかったかもしれないが、世界は確実に面白い方向に動いていたんだ」という。そして《神人》は、ウニオ・ミスティカのごとく、二人の間に溶け込み、キョン君の夢は覚める。次のシーンでは、現実のようにはっきりと夢を覚えているキョン君は、学校に行ってハルヒと再会する。ハルヒの方は、悪い夢を見てよく眠れなかったという。しかし一見何も変わらない日常であるが、今日は昨日とは違い、ハルヒによって新しく作られた、魂を吹き込まれた世界になっている。

これは、ニヒリズムに陥って崩壊しそうな意識を無意識の層から再生させようとする物語のように見える。ただそれが、アニメという全き虚構性の元で行なわれるところが、シュミラークルのゆえんである。昔、クイズ・ショーというアメリカ映画が、あった。そこでは、システム社会の現実というものに、虚構を見出す物語だったが、ここではシステム社会の虚構性からの自然性の回復は、全くの虚構性の元で行なわれているように見える。世界中で「ハレハレユカイ」を踊っている若者たちが、このアニメをどう読んでいるかは、分からないが、僕には、こんな風に読めた。きっと楽しそうに踊っている若者たちの姿は、その回復の物語をよく知っているように思える。

エンディング・テーマ

ハレ晴れユカイ
ナゾナゾみたいに地球儀を解き明かしたら、
みんなでどこまでも行けるね。
ワクワクしたいと願いながら過ごしてたよ
かなえてくれたのは誰なの?
時間の果てまで Boooon!!
ワープでループなこの想いは
何もかも巻き込んだ想像で遊ぼう

アル晴レタ日ノ事
魔法以上のユカイが、
限りなく降りそそぐ不可能じゃないわ
明日また会うとき、笑いながらハミング
嬉しさを集めよう
カンタンなんだよ こんなの
追いかけてね つかまえてみて
大きな夢&夢 スキでしょ?

イロイロ予想ができそうで出来ないミライ
それでもひとつだけわかるよ
キラキラ光って、厚い雲の上を飾る
星たちが、希望をくれると

時間に乗ろうよ Byuuun !!
チープデクールな年頃だもん
さみしがっちゃ恥ずかしいよなんて、言わせて

手と手をつないだら
向かうトコ無敵でしょ
輝いた瞳には、不可能はないの
上だけ見ていると、涙もかわいちゃう
「変わりたい!!」
ココロから強く思うほど、つ・た・わ・る
走りだすよ後ろの人もおいでよ
ドキドキッ するでしょう!
  
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2009年12月21日

cool Japanをどう捉えるか?(1)

もう一年も更新しなかったが、このところベーシック・インカムやcool Japanといった、とてもポジティブな感心をそそられることが沢山でてきて、新しい脱出口が見えてきたので、自分の気持ちを修正する意味でも、少し整理しておきたいと思う。

最近、『世界に一番良い影響を与えている国』はどこか、というアンケートを世界中の国々の人からアンケートを取ったところ、日本が一番であったというニュースを、インター・ネットで見かけ、とても意外に思った。人は、自分に持っている自己幻想と、他者がその人に持っている他者イメージとは、たいていの場合違うのもので、またそこに、誤解や偏見の生まれる原因もある。なぜそうした齟齬が生まれるかと考えれば、人という動物は、もし鏡というものがなければ、自分の顔や背中を永遠に見ることはできないことと、関係しているように思える。だから人は、時々他者を通して、自己を見つめる必要も生まれる。『主観』と『客観』の永遠の往復運動が、『自己』というものを形成しているように見える。スーフィーの導師は、『あなたは、心が自分自身の心全体を観察している様を想像できるだろうか。もし心全体が観察に没頭しているならば、何が観察を行なうのだろうか。自己観察は是非とも必要とされているが、その一方でひとつの自己が、その非自己の部分とは別に存在している。』という。生と死を孕んだ肉体を持って生きざるを得なく、また死による自己の消滅を知っている存在としての人間存在は、どうしても『他者』に還元できない『自己』幻想の問題を抱え持つが、自己像を外から見る視点は、それをより正確なものにし、『自己』理解を深める。

これは、『国家像』にも言えるのではないだろうか?その意味で、外から見える日本像は、内部から見た日本のイメージからだけでは、なかなか気づけない無意識を含めた日本像を提供しているように思われ、とても興味を惹かれた。というのも9.11以来、主に政治シーンであるが、僕がこうあってほしいと願い、ヨーロッパのポスト・モダンから抜け出す未来像を日本は世界に提起できるのに、能もなくアメリカに追随している日本政府とそれを容認し続ける、日本の精神状況に本当に落胆していた。自公の政治指導者の頭に宿っている日本像が、今はもう消滅してしまった架空のキャンバスに、明治以来の間違った日本史イデオロギーに浸った絵を描き、それで救済が可能であるかの幻想に浸っているようであった。そんななかで、『世界に一番良い影響を与えている国』が日本だといわれても、なにか自分がほめられたみたいに嬉しくはあるが、(僕は政治的な愛国プロパガンダを嫌うが、日本の自然も日本的感性も愛している極く普通の日本人と自分では思っている)。

そんなわけで興味を抱きネットで調べてみた。すると「cool Japan」といわれ、世界中で日本は、どうも憧れの的になっているらしいことは分かった。世界の若い世代は、どこがどういう風に日本をcool=かっこいいと思っているのか、更に知りたいと思った。そして更に調べて世界が、現代日本をどのようにイメージしているかが、大分分かってきたところで、今日の山日新聞では、『帝国以後』の著者、エマヌエル・トッド氏のインタビューが載っていた。ついでに言えば、トッド氏は、「アデン・アラビア」の著者で夭折したポール・ニザンの孫。僕の世代のある種の人には、とても懐かしい名前だ。ニッポン、「知の現在」という12月21日の記事。記事に興味のある人は、後で読んでみてほしいが、ヨーロッパの人が、日本の現在をどう見ているかが知れて、とても興味深いので、少し抜き書きしてみる。20年前は、日本は、その技術力と経済力で、欧州から脅威と看做されていたが、状況は、すっかり変わったという。そして次のように言う。「日本は、政治的には何の関心も持たれていない。これは、日本自身に大いに責任がある。国際政治面では、日本からは何も出てこないからだ。正直に言って、常に悩まされ、真っ先に考慮しているのは、中国とインドのことだ。日本の国力は、衰退し始めそうだ。欧州諸国はそうみている。」
その一方で、日本への関心は、文化に移っている、という。
「中華料理店はつぶれ、日本料理店が取って代わっている。マンガ、アニメ、小説、映画、・・・。フランスの中産・上流階級への日本の文化的影響は、かつて優れた哲学や音楽を生んだドイツより、今では大きくなったのではないか。」「降伏を拒み、死を恐れない日本兵・・というステレオタイプもあったが、これまでにない意識が欧州でうまれている。『日本人も厳しい環境のなかで大変だった』という感覚。なぜなら、隅々まで発展した先進国であったから。そう感じているわけだ。・・・日本文化は世界で最も進んだ国の文化として認識されている。今日の欧州の人々は、日本は新しいタイプの欧州の一員、われわれの仲間だと、無意識のうちに思っているのではないか?」という。そして経済的影響の減少と反比例して世界への文化的影響が大きくなった日本は、スェ−デンによく似ているという印象をトッド氏は、持っている。「スェーデンと日本は、似ているが、一方は、人口900万人、他方は、一億3千万人。全く規模が異なる。でもグローバル化する世界の中で、いま欧州に対してスェーデンが占める地位を、日本が世界に対して占めるというヴィジョンも可能かもしれない。」「あるいは米国は頼りにならなくなるから、EUの加わったらどうか。(笑い)。文化的にはそれほど近いのだから。」

これだけ読むと、何か日本の右派や欧米中心主義者が、喜びそうな文面のようにも思えるが、世界の日本評価は、日本国内の右派や欧米中心主義者の思いこみとは、全く次元が異なるように見える。そしてそのことをはっきりさせておいたほうがいいように思える。日本の保守政党は、日本は『特殊』な国であり、『普通』の国にしようなんてレトリックで、国民に再軍備化を促そうなんて考えてきたが、「世界」の方が、むしろ日本の「特殊」を理解し始めた、と考えた方が、良いように思える。トッド氏の言うように、国際政治のシーンで、日本の影響力がないのは、利権と因習に雁字搦めになり、ルーティーンとなった言葉しか持ち合わせていない政治家たちの姿を思い起こすだけで十分であるが、文化シーンでの日本の影響は、もっと心の深い層に訴えているように見える。それにこのcoolJapanブームは、決して欧米だけのものではなく、ほぼ全世界的傾向である。平和ボケした日本の『特殊』は、このとんでもなく荒々しい時代に『普遍』を獲得してきたかのように見える。

またついで言えば、トッド氏によれば、欧州世界は、中国に対しては「脅威」を感じている様子であるが、僕は最近『中国ブログ』という、来日した中国人が、帰国後に書いた『日本』の印象記に時々、眼を通す。そこでは多くの中国人が、これまでの反日感情が、親日感情に変わった色々なきっかけを書いている。勿論、日本に来ることができるのは、一部の金持ちに過ぎず、表層的な好印象に過ぎないかも知れない。たとえば、日本人は、クランクションをあまり鳴らさず、鳴らす時は、どうもありがとうというサインで、鳴らしていることに感動したりしている。勿論クランクションに気を使うようになったきっかけが、『クランクション殺人』などを体験したからだなどとは、つゆも知らないだろう。また一般の日本人に触れて、概してとても友好的で親切な人たちで、中国で言われていた日本人像と大分違うことに気づき、日本人の『素養』の高さに感心して、帰国したなんて文章を沢山読むと、多くの日本人はいまだファナティックな排外主義に陥っていないことが知れて、ほっとする。また来日したそれぞれの中国人が、それぞれ別々の日本人と出会って、同じような感想を抱いて帰国したことを思うと、何となく多くの同胞の日本人に対しても、親愛の情を感じたりする。確かに『国家』としての中国は脅威かもしれないが、きっとこういう個的な交流の積み重ねは、いつの日にか、隣国との関係をも改善してゆくのではないか、という希望が湧いてくる。

話が中国人の日本印象記にそれてしまったが、今後の日本人の自己イメージを大きく改変する手がかりになるように思えるので、日本文化のどういうところが、世界にアピールしているのか?をもう少し深層まで考えてみたい。

結論を先取り的にいってしまえば、現代の日本文化が提示しているのは、僕は21世紀の新しいポエジーの問題であると思っている。それは、西欧が提起したポスト・モダンへのひとつの応答であるように思える。

トッド氏も、指摘していたように、若い世代にとって、日本文化へのチチェローネは、日本アニメであったことは、間違いないようだ。アニメのなかで描かれる日本文化。これは、僕に何か割り切れない複雑な自己反省を強いた。というのもまだ東京近郊に住んでいた頃、車中で、よく漫画雑誌を読んでいるサラリーマン諸氏の姿を見かけたが、僕には、アタッシュ・ケースの中から、マンガ雑誌を出して読みふけるその姿は、どうもひとつも美しく見えなかった。小学校の時には、少年マガジンが発行される火曜日が待ち遠しく、また高校生くらいまでは熱烈なマンガ・ファンだったのに、マンガを読みふけるサラリー・マンたちの姿への反発か、成人してからはとんとマンガを読まなくなっていた。

そういう訳で、アニメ・ファンでもなく、9.11以来のテレビ報道の『嘘』にもうんざりして、テレビも見なくなってしまった僕でも、アキバのメイド喫茶とか、世界、特にフランスではアニメ・ブームであり、また『かわいい』という言葉は、世界語になっている、麻生首相は、大のアニメ・ファンで、アキバから遊説を始めた、なんていう話は、耳に届いていたが、票目当ての権力者たちの若者たちへのトンチンカンな『へつらい』を感じ、また当のアキバのオタクといわれている若者たちが、麻生首相を支持しているとか、の報道を聞いて、ついぞアニメを読んでみようと気にはならなかった。(今では、こうしたオタク像もマスコミに乗せられたステレオ・タイプの反応であったと自省している。)

ただ全くアニメを嫌いかといえば、そうでもなくここに移ってくるまで、中学生や高校生に接する機会が多かったせいか、「今年一番印象に残った小説や映画ってなあに」って質問したものだった。宮崎駿の「もののけ姫」が封切られた頃、男女を問わず、圧倒的多数の高校生から、「もののけ姫」という答えが返ってきて、それじゃ僕も見てみようと思って、ビデオ屋さんから借りてきて見て以来、僕もすっかり宮崎駿のファンになってしまった。それ以来、彼のアニメが封切られると、必ず映画館に足を運んだ。僕のアニメは、宮崎駿だけが特化されて、それから先には進まなかった。

ところが、最近サイトでたまたま「ハレハレユカイ」というダンスが、世界中で踊られているのを見つけ、びっくりしてしまったと同時に、なにが世界の若者を惹きつけているのだろうか、と思い「ハレハレユカイ」というダンスを有名にした「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメを見てみた。そして「ハレハレ」を踊っている世界中の少年・少女たちは、みなこのアニメを見ているのかと思うと、アキバのオタクたちに、尊敬の念さえ持つようになった。そこでなぜ僕が、「涼宮ハルヒの憂鬱」に感心したか、少し筋を追って、思うところを書いてみたい。
  
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2008年12月05日

もう12月になってしまった。

書きたいこと、思うことは、いくらでもあるが、文章で書くと、考えが煮詰まってしまうように思えて、ブログに向かう気持ちにならなかった。だからその間いろいろ考えたことは、沸いては消えていってしまった。いろいろなMLで、いろんな人の意見に反応したり、裁判員制度のことや新給油法延長阻止のアピールをしたり、井戸尻考古館の縄文の講演を聴きに行ったり、I先生の講演を東京まで聞きにいったり、千葉に、違憲訴訟の報告会に行ったり、11月22日の第2回「シューベルティアーデ」の準備をしたりしているうちに時間が過ぎてゆく。結構忙しくやっているが、問題の解決は忙しくしている自分にはないのは、わかっている。どこかでコスモスとしての人間が壊れてしまっていて、日々現象として顕れる衆目を引き付けている多様な問題は、すべて「汝自身を知れ」という問いを忘れたところから生じているように思える。おそらく今の日本の精神状況の歪みは、なにか日々の心の動きとは別の意識が存在することに多くの人が気づかない限り、どうにも直らないように思える。逆に言えば、現在の混乱は、そうした意識が存在することの反証であるかもしれない。少し前こんな夢を見た。静かな湖の湖面に、一本の杭が頭を出していて、水嵩が増してその杭が水面下に隠れそうなので、杭の頭に水面下に隠れないように、泣きながら一生懸命に水を掻き分けている人の夢を見た。なかなか言葉にはならないが、明らかに自分の中で動き生きている諸観念がある。それは、いったい何なんだろうか。

とこう書いてブログに載せようかと思っているうちに、12月になってしまった。アメリカではオバマ氏が政権を取り、日本の自公政権は自滅するのは、確実だが、一向に心が浮かない。来年は、アメリカ経済は本格的に崩壊するように思える。そして日本も・・。

ところで話は飛ぶが、どうして人は、記憶するのだろうか。そしてヴァレリーは、生とは、0から0へ移行する過程だといったが、僕にはどうも違うように思える。0から0へ移行するために、人に記憶が与えられているようには思えない。何かきっともっと深い意図があって、記憶は人に与えられているに違いない。

またまた話は飛ぶが、今年は、生まれて初めて自然農でお米を作った。田んぼ仕事は、思いの他楽しいものであった。ミミズさんやカエルさんと田んぼで遊んでいると、なぜか心休まった。5,6月に雑草取りに精を出したせいか、結構豊作で、初めて自分で作ったお米を食べた。甘くて美味しかった。先住民のこと、西行と異属のこと書きたいことはあるんだから、今度書いてみようと思う。  
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2008年06月22日

僕たちはどんな現実を生きているのか?辺見さんの文章を読んで

このところブログもつけていない。名古屋高裁の違憲判決のことに関しても、書きたいことがあるにはあるんだが、頭の中では、もう整理がついてしまっているのと、地元のミニコミ紙に、違憲判決についていくつかの雑文を書いているうちに、何か億劫になってしまい、書きそびれてしまった。そのことは後で書くとして、今日は違うことを考える。というのもこのところ山日新聞に「水の透視画法」という辺見庸さんのエッセーが連載されているが、6月20日には「幻夢をかすめゆく通り魔―実と虚が逆転した世界」という題で、秋葉原の無差別殺人をした若者のことを書いていた。いつも思うのだが、辺見さんの文章を読むと啓発されるというよりも、確認されることが多い。つまり時代の混沌とした諸相を、文学者のアンテナで、いつも大所に立つのではなく、自分の心と困窮している人の心を同調させながら、生の声を発しようとしている貴重な書き手と思っているので、必ずしも彼の言うことのすべてに賛同しているわけではないが、つい眼が言ってしまう。

ところで6月20日のエッセーの趣旨は、次のようなものであった。はじめに辺見さんは、「殺すくらい何でもないと思いつつ人ごみの中を闊歩する」「何者か殺したい気持ちただ一人アハアハアハと高笑いする」あるいは「自分より優れた者が皆死ねばいいにと思い、鏡を見ている」といった夢野久作の「猟奇歌」所収の歌を教科書に下に隠して読んだ自分の若き日の暗い思念を思い起こし、「生臭く、しけったにおいが漂ってきて血煙のなかにいるように妄想したこともあった」と辺見さん独特の風景と情念が入り混じったような描写で、それらの歌の印象を語っている。その中でも「白塗りのトラックが街をヒタ走るどこまでもどこまでも真っ赤になるまで」という一句は、謎めいていたが、秋葉原事件をテレビで見たとき、予知夢が結像したかのように感じて「ことのほか」うろたえたという。そしてこんな風に自問している。「歌に読まれた幻夢を、40年以上もすぎてからうつつに見ているこの不思議をなんと名状してよいものか。正直、ことばもない。ただ。私はだれにでもなくつぶやいている。〈あの青年の衝迫と想念は、それだけのものであったなら、かならずしも新奇でも異常なものでもない〉と。衝迫と想念だけであったならば、「猟奇歌」が、既にあますことなく表現済みで、その当時のほうが、格差、差別、貧困、抑圧、人権無視、そこからくるルサンチマンは、今よりよほどひどかったはずだから、想念が、すぐに現実の行動として現出してしまう今と昔はどこが異なり共通するのだろうか、と自問する。そして事件後に綴られたブログの中から「犯人は捕まったのに、なにが真犯人かわからないのが悲しい」と語る若者の言葉に惹かれ、昔日との相違点は、「悪の核をそれとして指ししめすことができないことなのかも知れない」と時代を特徴づけ、次のように分析する。「どうやら「資本」が深くかかわるらしい“原発悪”が、方々に遠隔転移して、すべての人のこころにまんべんなく散り広がってしまった状態が、いまという時代の手におえない病症ではないのか。万人が被害者であり加害者でもある世界。」

そして「資本」という「虚」が、道義や公正、誠実といった「実」をせせら笑い、踏みにじっている倒錯した世界では、まっとうな情理など育つ土壌もなく、「なかんずく、実需がないのにただ金もうけのためにのみ、各国の実態経済を食い荒らし、結果、億万の貧者と破産者を生んでいる投機ファンドの暴力。これこそが世界規模の通り魔ではないのか。」と問い返し、虚と実が逆転してしまった世界では正気と狂気の位相も見わけがたく、秋葉原事件とはそうした状況下で起きるべきして起きた人間身体の「発作」ではないのか、と推論する。最後に「加害者に厳罰を!不審者の監視強化を!としか唱和できないマスコミを怒り、悪の根源とらえる視力を亡くした世論を批判し、現在の一見、情緒的なやさしい言葉の氾濫した時代のオタメゴカシと酷薄を若者たちは身にしみて感じていると文章を結んでいる。

辺見さんは、ここでもしきりに過去と比較して現在の新しさを捉えようしているが、これには伏線がある。この連載されている「水の透視画法」では、現在という状況の新しさをいつも自問している。
27日のエッセーでは、「プレカリアートの憂愁、ぬけだせない袋小路」という題で、辺見さんは、かつての教え子と再会して、突きつけらた二つの問いのことを書いていた。

ひとつは、「このような時代を経験したことがありますか」という問い。「これだけの不条理をはらみながら、さしたる問題がないかのように装う世間。もともと困窮し、こころがやむように社会をしつらえながら、貧乏し、病むのはまるで当人の努力、工夫、技能不足のせいのように言う政治。働く者たちの怒りや不満がその場できれいに分断、孤立させられ、いつのまにか雲散霧消してしまう、まか不思議。」と現在を詰問し、辺見さんは、「価値観の底が抜けているのに、そうではないようにみなが見事に演じている世の中は、はじめてだな・・」とこの状況の新しさに戦慄している。

もうひとつは「いま、いったい、なにに怒ればよいのですか」という教え子の問い。
彼は、4年半前までよく授業で「もっと怒れ」とアジっていたそうだが、久しぶりに教え子と再会して、いまは彼らが怒れないわけがわかる気がする、という。「プレカリアートは怒っていないのか、団結しないのか」という辺見さんの問いに、教え子は「自殺多いでしょ。あれって変種のテロじゃないですかね」「大恐慌きますか。きたらガラガラポンですよね」という答え。「プレカリアート、大恐慌、ガラガラポン・・・かわいた語感に私はおののく。茶渋のような疲れが体中に広がっていった」と結語していた辺見さんには、秋葉原事件は、
そうした底の抜けたひとつの表れであり、一種の自爆テロに映っていたことは、想像に難くない。かつて呼んだフセイン弁護団のジアード弁護士が、「自分は、日本はイラクのようになる」と警告しにきた、と言っていたが、彼の言う通りになってきたように思う。

さて話を秋葉原事件に戻せば、こうした無差別殺人のようなどこから見ても「良くない」犯罪が起きれば、どんなコメントを付けるにせよ、自分はこうした事件を認めるわけではないといった一定留保を付けて、いわば外なる「悪」として距離を確保してから、コメントをするものだが、辺見さんは、そういうことをあまりしない。
冒頭から無差別殺人を犯した青年の「誰かを殺したい。誰でも良かった」という「殺意」を自分の中に探り、自分の青年時代の暗い思念を想起する。

ところで辺見さんの冒頭の文章を読んで、僕は、自分の高校時代を振り返って、いろいろ問題はあったにせよ、どうも能天気だったせいか、自分の成績の悪さも必要以上に苦になることもなく、ましてや自分より優れたものが、皆死ねばいいなんて、夢野久作の「猟奇歌」に歌われているような想念の囚われたことはついぞなかったと思う。僕が、教科書の下に隠して読んでいたのは、「落語」の本だったりして、どうしたら面白いことを言って人を笑わせることができるか、ということに腐心していたのだから、われながら馬鹿みたいと思うが、それだけに夢野久作の本を隠して読んでいたなんて、やっぱり違うなー、ちょっと感心しながら驚いてしまった。
それはさておき、説教という壁を作らず、対象の心を感じ取り、時折社会への激烈な告発を発する辺見さんの言葉に、僕は、結構好んで耳を傾ける。想像の裡にある想念としては、新奇ではないと感じるそうした辺見さんも、実際に起こる事件にひどく「うろたえる」。かつて確か吉本さんだったと思うが、「人を殺してどこが悪い」と問うた高校生に「そんなら殺してみなさい」といってやればいい。「そんな簡単には人は殺せるものではないですよ」と言っていたと思うが、果たして今それは通用するだろうか、と疑いがもたげる。ところで辺見さんは、こうした病症の起こす原因を万人の心の隅々まで浸圧してくる「資本」の横暴に見ている。時折東京に行けば、電車の中まで、テレビ・モニターが設置されている。いや田舎だって、まるで一時たりとも、自由な考える時間を与えないぞと言わんばかりに、病院や薬局や銭湯であろうと、その待合室やホールの真ん中には、四六時中テレビがつけっ放してあり、誰もがそれを不思議に思わなくなっているようだ。ひょっとすると、患者や客の要望でテレビを置いているのかもしれない。
どうして日本は、ここまで原則なき「資本」の専制を許してしまうのか?実は、僕は、ここに日本の多神教的なアニミズムの負の側面から派生するフェティシズムの病症を見ているのだが、今日はそのテーマではないから触れないでおく。

おそらく、日々のよく訳の判らない猟奇的殺人事件のニュースに日々触れ、オウム真理教以来の無差別テロやアメリカでの無差別殺人の多発のニュースを知っている多くの人たちは、辺見さんならずとも、この事件の一報を聞いた時、既視感とショックを同時に感じたに違いない。

辺見さんは、「万人が被害者であり加害者でもある世界」と呼んでいるが、僕には、無差別殺人は、民主主義の裏面であるように思える。批判は批判の根拠を批判で支えることができないように、あるいは落下してゆく身体を、その身体に付いている手が、支えられないように、民主主義も、民主主義で支えることはできないように思える。民主主義を実現するためには、政治的なものを越えたエートスが必要に思えてならない。

ところで秋葉事件に触れて、天木さんも「その責任は、やはりこの国の指導者たちにあると思う。それは政治家であり官僚である。その中でも、最大の責任者は小泉元首相であると、私は思う。」と言っている。
政治的な次元でいえば、米国追随の絶対的信仰のもとに、ウォール・ストリートや金融グローバリズムのシナリオを日本に移植し、憲法を破壊し米国の侵略戦争にまで加担し、「生存権」もへったくれもなく格差社会を助長させた小泉氏の罪は、重いと僕も思う。しかし奇妙なことに、僕は、小泉氏にも、また辺見さんじゃないけれど、ダガーナイフの販売禁止の対策を取り不審者の監視強化しろとしか言えないマスコミや、さらにはあの当の青年にも何か共通な「無関連性」を感じている。それは、銀色の高層ビルが立ち並ぶ東京湾から見た風景と同じような精神の何かである。こう感じると、僕の観念のなかで政治的な次元や対象を外に向けた「対策」などで解決する問題は、ごく限られたものでしかないように思われてくる。

そこで辺見さんが、言われている「資本」の暴走もその通りだと思うが、この「唯物功利主義」の結果の戦争の裏には、辺見さんが引用した「何者か殺したい気持ちただ一人アハアハアハと高笑いする」という句の否定的感情は、実はこのシステムに対立するようで、「資本」に内蔵され、このシステムを動かしてる力でもないか、と最近、深く疑っている。つまりこんな世界を破壊したいという衝動は、無力な民衆ばかりではなく、戦争を推進しているものたちも共有している感情ではないかと、このアメリカの自滅的な戦争の経緯を見るにつけ、思われてくる。9.11事件もその後のアフガン、イラクへと続く経緯もまたなぜか同じ色をしている。そうだとしたら批判はどこに置けばいいのか?ここでもワイツゼッカーさんみたいに、「人は、自分もその一員である全体性を、全体性として考えることができるであろうか?」と自己言及を乗り越えるような問いかけをしてみたくなる。

自己増殖的発展を遂げた功利主義は、もはや功利主義でもなく、合理の行き着いた先の非合理を露にしてやしまいか。そう思うと、この戦争は、ゴーピ・クリシュナが言っているように、ドゥルガーの否定形である、破壊神カーリのようにも見えてくる。辺見さんは、虚と実が逆転した世界を呪詛を持って告発しているが、現実の仮象化には、ヘッジファンドを見れば分かるように、市場の数学化も手を貸している。システムは、自己言及的に増殖し、いまや僕たちの「いのち」を部分は、死に瀕している。だからこの世界の仮象化は、単に政治上の問題ではなく、現代の「知」全体のあり方の問題である。

 折りしも、5月28日の山日新聞には、県内だけでも、3人に1人は、自殺を考えたというトップ記事を載せていた。また辺見さんのエッセーが載っていた6月20日のトップ記事には、自殺率は山梨がワースト・ワンであると載っていた。年間、三万人の人が、悲憤と絶望のうちに黙ってこの世から去ってゆくが、「これだけの不条理をはらみながら、さしたる問題がないかのように」何十年も使い古された死骸のような言説が、日々のマスコミを賑わす。生者は、「死」の観念が、あまり近くにあるため、重い内容を本能的に避ける。
そうして日常の言語空間は、ますます空虚になってゆく。ボードリアールー吉本さん流の比喩で言えば、ヨーロッパはとっくに「死後の世界」になっているが、近代の日本の社会構造と感覚的な自我意識もまたいよいよ「死後の世界」に入ってきたような気がする。天蓋は、記号でいっぱいなのだ。そろそろ「復活」の思想に目覚めるときのように思われる。

                         (つづく)

  
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2008年04月25日

4月17日の名古屋高裁の判決について

このところ随分長いことブログをお休みしていた。実は、一月の中頃から、ゴーピ・クリシュナという人の信仰体験の生物学的基礎「Biologische Basis der Glaubenserfahrung」という本を訳していた。僕が、この本に出会ったのは、1979年のことだった。僕が、ドイツのシュタイナーの共同体にいる頃の話である。この本には、理論物理学者で哲学者でもある、カール・フリードリッヒ・フォン・ヴァイズゼッカーの長い序文というか推薦文が載っている。ヴァイズゼッカーさんの名前は、またハイゼンベルクの「部分と全体」の主要な対話者の一人でもあり、「科学の射程」という本を読んでいたので既に少しはどんな人なのか知っていた。その先生が、推薦するのだから、と思ってゴーピ・クリシュナという人のことは、まったく知らずに買い求め、折に触れて目を通していた。それに帰国してすぐの頃に、ゴーピ・クリシュナの「クンダリニー」という訳本が、平河出版から出たので早速読んだ。そこからは瞑想体験の生々しい真実とそれを語られるゴーピ・クリシュナという人の真摯な人柄が読み取れ、この人は本当に神を体験したんだな、と思った。またクンダリニー覚醒の素晴らしさと怖さも伝わってきて、瞑想に怖気づいてしまったことも思い出す。そんな訳で「Biologische Basis der Glaubenserfahrung」という本は、長いこと本棚に眠っていたのだが、今年の冬、大して厚い本でもないので、訳してみようかと思い立った。3月末には、どうにか粗訳ができたが、4月になったら、急に忙しくなった。今日は、本当は、この本について書きたいのところだが、この本の感想は、後日に回す。今日から、東京に向けて、10日かけてロング・ウォークをすることになっているが、その前に、どうしても書いておきたいことがある。それは、4月17日に名古屋の自衛隊イラク派兵訴訟のことである。僕たちもここで、同種の裁判を起こしたが、僕たちの裁判は、3年前に敗訴で終わっている。とはいっても裁判官が遁走してしまったのだから、僕は、全然負けた気がしなかったが、あの馬鹿馬鹿しい判決の内容は、今でも頭にこびりついている。
昨年この八ヶ岳に来られた日本山の加藤上人率いる、広島から幕張の世界9条会議に向けてのピース・ウォークが名古屋に着くと聞いていたので、それに名古屋で世話をするのが、違憲訴訟で馴染みの人たちでもあったので、足慣らしに4月1日~3日にかけて、名古屋の一宮から3日間、歩いてきた。そこで、名古屋の人たちとは、4月17日のイラク訴訟の判決のことが話題になった。名古屋の人からは、17日は、良い判決が出るかもしれないという憶測が聞かれた。僕たちの裁判も、最初のうちは裁判官も、それほど感じが悪いわけでもなかったから、期待をかけたこともあったが、結果は見事に騙されたという体験があったので、またそんな事になるのではないか、と思い、また名古屋は、地裁の内田という裁判官があまり酷かったので、それで高裁の裁判官がよく見えているんじゃないか、などと思い、「僕たちの裁判だって、はじめはそんなに悪くなかったんですよ。でも17日は、判決を聞きにきます」と約束して帰ってきた。



それで17日には、バスに乗って再び名古屋に行った。高裁前についたときには、もう100人近くの人が参集していた。雨が降っていて傘を忘れた僕は、人の傘の中に入って、天木さんの演説を聞いていた。天木さんは、僕と同じように、決して良い判決が出るかも知れないなどと甘い考えを持たないようにしている、といった趣旨のことを喋っていた。
弁護団からは、たとえ訴えが棄却されても、判決要旨が重要なのだから、野次など飛ばさないで静かに聞いてくださいと傍聴上の注意事項の説明があり、いよいよ判決の時を迎えた。僕は、傍聴席の最前列に座った。青山裁判官に代わって、高田という新しい裁判官が、判決文を代読した。この日は、天木さんの分離裁判もあり、二つの判決文が、同時に読み上げられた。両裁判とも、判決は、予想通り「棄却」。その後判決要旨が読み上げられた。実は、判決要旨の朗読というのも、このイラク訴訟では、異例のことであった。というよりも他の訴訟の方が、異常だという方があったっていた。判決要旨の朗読は、やく20分に及ぶものだった。イラク侵略が始まって以来の状況が、詳細に叙述されてゆく。ひとつひとつの事実を検証する言葉も的確である。その内容は、ほぼ弁護団や原告団が主張してきた通りであった。ファルージャの虐殺についても触れられていた。ある原告によれば、下手な弁護団よりも、原告の想いを代弁してくれていた、という。そこでは小泉首相の「自衛隊が行くところが、非武装地域である」といった有名になった発言は、事実の積み重ねによって、悉く虚偽であることが、暴露されてゆく。そして最後にバクダッドの空自の米兵輸送活動に触れ、イラク特措法にも9条第一項にも違反している、と明言する。当たり前といえば、当たり前の判断であるが、なぜか涙が流れてくる。法廷から、数人の記者や原告が走り出る。法廷の外にいる原告に、判決内容を伝えたのだろう。外から、ワー、という歓声が聞こえてくる。その平和的生存権は、具体的権利性を有するものである、いった判断が示され、最後にいまだ原告らの被侵害利益が発生しているとは、言えないと棄却理由が述べられる。それはそうだ。これが、訴訟を起こすための方便に過ぎないことは、原告の誰も知っていることだ。この判決後、政府与党は、裁判官の傍論にすぎないなどといっているが、判断にいたるまでの法理的な筋道であって、主文と一体名もののように思える。実は、僕の関心は、もっと違うところにある。山梨の判決で葉、法的というよりは、認識的に実に問題のあることをたくさん、平気で書いていた。僕には、そちらの方が、ずっと問題であった。この名古屋高裁の判決では、このことにもちゃんと触れている。でももう時間がなくなったので、帰ってきてから、ゆっくりそのことを書こうと思う。今日はこでまで。
  
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2007年12月18日

靖国信仰と日本ー高橋哲哉氏の講義を聴いて

昔のブログでも書いたが、長野では「竜援塾」という市民講座を開いている人たちがいる。先日も伊那の中川村でフランス哲学研究者の高橋哲哉さんの講義があるというのでいってみた。一時間も早く着いてしまった。折りしも大ホールでは、ピアノの発表会なのか、市民の音楽祭なのか分からないが、音楽が聞こえるので、時間つぶしに飛び入りの観衆になった。それにしても、僕のいるところもそうだが、中川村という僻地(失礼!)の小さな寒村にも、立派なホールがあり、そこの住民たちが、自分たちの演奏会を開き、西欧クラシック音楽を楽しむなんて、この極東の日本でしかありえないように思える。演奏も若い女の子が、ウエーバーのピアノ・ソナタを弾いていたが、結構巧い。きっとピアノは、シュタインウェーか何かなんだろう。観客は、100人ほどだが、わが子の演奏の時には、立ち上がって拍手をしている。僕にしてから、シューベルトだ、バッハだとか言って、結構西欧音楽に馴れ親しんできたのだから、人のことは言えた義理ではないが、こんな山奥の村でも西欧音楽なんだから、日本の伝統はどうした、と叫びたくなる人がいるのも無理ない、と思う。良いのか悪いのか知らぬが、日本のメゾ・ソシアルな部分は、急速に変化しているのを感じる。

さて高橋哲哉さんの講義の概略について書こうと思ったのに、前書きが長くなったが、これがなかなか面白かった。講義は、前半は、「首相の靖国参拝」について、後半は、「天皇の靖国参拝」について10分の休憩を挟んで2回に分けて行われた。僕は、前半の講義は、さして耳新しく思わず少し退屈だったが、後半に入り、最後の結論を聞いたとき、現在が陥っているアポリアが見えるようで、とても興味深かった。テーマは、「靖国信仰と日本--近代そして現在」。ノートを取ってきたので、以下その概略とその感想を書いてみようと思う。
     
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高橋さんは、憲法への十分な理解がなければ、自由な判断も下せないと言う。自分の専門はフランス哲学だが、90年代以降に、日本と周辺諸国との間で問題になり始めた「戦後補償」の問題をきっかけに、日本の戦後問題もテーマにしてきた。専門が哲学なので、特に「精神の自由」に関心が向くという。私たち日本人は、自分自身の中に「自由」を求めているのかどうか、常々非常に疑問に思っていた。「自由」の問題を靖国問題という形で考えたいと前置きして「首相の靖国参拝と靖国神社」に話を進める。首相が靖国に参拝すると、大方の人やマスコミの反応は、「近隣の国家から苦情が来るから、外国には配慮しなければいけない、という形の思考パターンになっている。政治家に講義することもあるが、政治家は、もっぱら靖国を、中国との関係、韓国との関係で考えるのを常としている。つまり「難しい」ことは分からないけれども、近隣のことは配慮しなければならない」と考える人が多い。しかしこう考えていると、靖国問題の核心に触れずに終わってしまう。

こう前置きをして、高橋さんは、靖国神社の歴史を振り返る。1869年(明治2年)「東京招魂社」が国家の神社として作られる。この時点ではまだ外国との関係は、生じていないが、戊辰戦争の官軍だけを祀っている。それに必ずしも軍人ばかりではなく、吉田松陰なども祀っている。つまり天皇の国家を確立するために戦死した者の功績を讃えるために作られたものである。しかしその後すぐに外国への侵略が始まり、1872年(明治5年)には台湾出兵が始まると、その戦死者を合祀する。1879年には、靖国神社を改名し、その後、戦利品などを展示するために「遊就館」を作る。このようにしてその後対外戦争を繰り返し、1945年に終戦を向える。

憲法20条「信教の自由」の問題

GHQの占領とともに、国家と神社を分離せよ、という命令が来ると、1946年には、靖国神社は、宗教法人として再出発する。1952年には、東京都の認可で宗教法人となり、現在に至る。
2001年の小泉首相の靖国参拝が始まると、外国から抗議が来て、メディアは、大騒ぎしたが、こうした動きは、中曽根首相の時期から始まっている。憲法20条の「信教の自由」で規定されているように民営である宗教法人に首相が参拝するとなると、憲法に違反することになるからである。

旧憲法においても「信教の自由」は、保障されていたが、「国家秩序を妨げず、臣民の義務に背かない限りにおいて」という但し書きがあり、事実上は、国家神道は、非宗教であるという体裁をとっていたため、諸宗教は、皇民化政策に取り込まれることになる。ここで配られた明治学院が1995年に敗戦50周年を記念して発行した『心に刻む、敗戦50年。明治学院の自己検証』という資料は、戦争当時の諸宗教が、いかに国家神道に取り込まれていたかをを示す興味深い事例なので、若干以下に転載しておく。
               
朝鮮のキリスト教徒は、創氏改名に強く反対していたが、1938年には日本基督教会(長老派)議長であった冨田満は、朝鮮各地を巡回し、神社非宗教論を説き、朝鮮人信徒を説得しようとした。しかしこの問題をめぐって、200の教会が閉鎖され、50人の指導者が獄死している。

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「日本精神とキリスト教」1936年

富田満 学院理事の講演内容趣旨 於学院大講堂
日本精神とキリスト教の真髄は共に神の概念に発している。すなわち日本精神はその根本に遡るならば、日本書紀の中に神を本体として忠君愛国の主義を基としている。またキリスト教においても聖書の巻頭に「元始に神天地を造りたまえり」とあり、人格神中心の宇宙観に発し、無言の裡に相通ずるものがある。しかるが故に諸君はその根本に立ち返り、両者の真義を把握して、日本精神すなわち精神国日本建設のためにキリスト教徒として十分に貢献すべきである。「高商時報第46号。1036年」                
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マルクス主義者の河合肇の論調もすこぶる怪しげな迎合的なもので、クリティカルな視点というものがあまり感じられない。資料には、河上肇「日本独特の国家主義」から以下のような一節が、載っているのでこれも合わせて転載しておく。

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「既に国家至上主義を以って日本人一般の信仰たり宗教たるものとせば、多数の日本人はこの意味において皆な一種の宗教を有せりとなすを得べし。西洋人は、日本の教育ある紳士の多数が、余は全く無宗教なりと公言するを聞きてまことに奇怪の感をなすといえり。しかしながら、怪しむをやめよ。その無宗教というは、儒教を信ぜずというのみの意味にして、彼らのすべては皆名実は国家教の信者たるものなり、少なくとも国家教の信者たらずと公言しえるものあらざるなり。・・・・・・既に国家主義は日本人の宗教たり。故に看よ。この国家主義に殉じたる者は死後皆な神として祀らるることを。靖国神社はその一なり。而して余が郷の先輩、吉田松陰先生もまたこの故に神と崇められ、伊藤博文公もまたまさに神と祀られんとしつつあり。」
 
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旧憲法下でのこうした「信教の自由」の侵犯の経緯から、日本国憲法では、国およびその機関は、いかなる宗教教育もやってはいけないという「政教分離」の原則を打ち立て、一切の宗教活動は禁止されることになった。

この20条があるため、60年代から既に、首相が参拝すれば、宗教行為になることは意識されていて、自民党は、国家護持法案を作成し、5回も上程していたが、75年には廃案になっている。つまり、その当時は、日本人自身が、軍国主義の復活を危惧していたからである。1975年には、三木首相が、初めて私人として参拝している。

1978年頃から、中国の抗議が始まる。中国政府は、日本国民も軍国主義の犠牲者であり、国民と軍国主義者を分けて考えるという見解を取っており、戦後補償も放棄した経緯があり、このためもっぱらA級戦犯合祀を問題にした。そこで 当時の自民党(中曽根内閣)は、A級戦犯合祀を外そうとしたが、靖国神社側は、それは教義上の理由から、外すことはできないと突っぱねた。これが、第2の靖国問題の山場である。

靖国問題は、単に日中、日韓の外交上の問題に留まらない。1980年代から、岩手靖国訴訟をはじめ、播磨、関西、九州と靖国訴訟が、相次いだが、中には、違憲判断を下した判決も出ている。それは、首相が参拝するとなれば、「政教分離」の原則から、当然問題になる。

憲法問題は、単なる法律の問題ではない。なぜ「信教の自由」が憲法に入っているのかを考えなければならず、靖国問題の本質を理解していなければ、憲法も支えられない。自民党も、そのことに気づいており、その新憲法草案は、9条のみの改訂ではなく、「社会的儀礼」や習俗的行事に類するものは認めてもよいとして、政教分離原則を弱めようとしている。何のために日本で「政教分離原則」があるのかを考えることは、靖国問題を考える
事でもある。先に見たように、諸宗教は、戦前国家神道に取り込まれていった。親鸞のように、「神祇不拝」(神々を拝まない){国王不礼}(権力者を拝まない)と徹底したものは少ない。その意味では、浄土真宗は一神教に近く、現在では、浄土真宗系の人たちが、反靖国信仰闘争の中心になっている。

さて第2部では、「天皇参拝」に話が及んだ。高橋さんは、靖国問題は、決して日中、日韓の問題に留まるものでなく、日本の近代の問題である、という。A級戦犯とは、侵略戦争を指導した者であり、靖国神社とは、日韓併合や台湾征討戦争に見るように、植民地支配獲得の戦争の中で死んだ者を祀った軍の神社であり、天皇の軍隊である以上、天皇の神社であった。明治以降の戦争は、天皇の威光を拡大してゆく戦争であった。日本国民に靖国信仰があるとしたら、それは、首相参拝の問題ではなく、天皇崇拝を核にして形成されてきた。明治以降、靖国神社には、256万人の英霊が祀られているが、そのうち昭和天皇に関係しているのは200万人であり、だから昭和天皇は、参拝を望んでおり、天皇は1975年まで8回参拝している。

天皇参拝の意味

戦争を遂行するには、どうしても天皇参拝が必要であった。
1698年福沢諭吉は、台湾戦争、日清戦争の戦死者のために臨時大祭を奏すべし、という一文を草している。戦死者と遺族を厚く遇することは、もう一度戦争になったときには、死を恐れず戦う戦士が必要であり、「もって戦場に倒らるることは、幸福であると感じせしむることが重要である、という趣旨である。この一文の後、それに影響されてどうか分からないが、政府は、臨時大祭を行っている。臨時大祭とは、新たな戦死者を祀り、新しい戦死者が神になるときに、天皇・皇后が参拝するというものであるが、遺族に戦争への疑問や何のために死んだのかという疑問ももたれては困る。そこで戦場に行って、死んでも英霊となり、神になると言い聞かせることによって士気を高め、遺族の悲しみを喜びに反転させるためのトリックを成り立たせるためには、どうしても天皇参拝が必要であった。これを高橋さんは、感情の錬金術と呼んでいる。遺族の感情を慰め、戦死者を慰めることによって、戦争へと駆り立てる原動力には、どうしても天皇参拝が必要であった、という。戦前のこうした同じ状況下で起こった大逆事件とともにこの問題を考えるべきだと、指摘することを高橋さんは、忘れない。

こうした背景があるから、天皇は靖国参拝をしたかった。ところが、A級戦犯が合祀されて以来、天皇は靖国参拝をやめる。そこでなぜ天皇は、参拝を中止したのか、という2006年7月20日の日経のスクープに触れる。天皇は、A級戦犯を靖国合祀したため、参拝したくとも、できなくなったという。なぜなら、昭和天皇は、東京裁判に感謝していた。天皇制・国体を護持することができたからである。当時アメリカの世論は、天皇を裁くべきという天皇訴追論が圧倒的であった。だから天皇は、マッカサーに感謝していた。ところがA級戦犯を合祀したとなれば、その東京裁判を否定することになり、昭和天皇にとって、東京裁判否定論は、天皇制護持をも否定しまうものに写った。この天皇の証言を綴った富田メモの信憑性が問われていたが、その後天皇の和歌の先生であった岡野弘彦や侍従長の徳川義寛の証言もあり、3人ともの意見が一致しているため、天皇の発言の信憑性は確立してきた。これでは今上天皇も、昭和天皇の遺志を継いで、靖国参拝は控えるであろう公算大である。靖国を非宗教法人化すべしという麻生、古賀といった自民党議員の主張は、若い人には新鮮に写るかもしれないが、まったく以前の焼く直して過ぎない。靖国神社は、A級戦犯合祀は、教義上の問題だといって取り下げることを拒否してきた手前、A級戦犯を外すことはできない。靖国と政治的右派は、袋小路に嵌っている。なぜなら、靖国を政治利用する者にとっては、天皇参拝は重要だからである。これは、右派の自己矛盾である。ただこうしたことを矛盾と感じられなくなっているのが、心配であると言い添えて講義を終えた。
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ざっとこんな講演内容であった。今靖国神社に行けば、「遊就館」は再建され、その横には東京裁判の被告に無罪を言い渡したインドのパル判事のレリーフが、堂々と飾ってある。当のインドでは、パル判事の子孫は、日本がパル判事を持ち上げるのは、迷惑だと思っている。政府は、東京裁判無効を示唆しながら、米国の原爆投下に抗議するわけでもなく、盲目的にアメリカの追随している。これも自己矛盾である。たとえ東京裁判が不公正なものであっても、それによって自分の不公正も帳消しにはならない。講義の後の質疑応答で、「戦争は、どこの国もやってきたのだから、何も日本だけが悪い訳じゃない」という人にどう反論すればいいですか、と質問した人がいた。そうしたら、自分の子供が悪いことして、「みんなやっているんだから、僕だけ悪いわけじゃない」と子供が言ったら貴方はどう答えますか」と聞いて見てください、というのが高橋さんの答えであった。この問いに答えられない人が、外に向かって道徳を叫んでいるようで、僕には面白かった。

また小森陽一さんなどの共産党系の人たちは、9条の非戦条項は、天皇制護持と抱き合わせに、獲得したものだと主張しているが、意味合いが違うが、天皇自身も同じように認識していて、東京裁判の否定は、天皇制の否定と考えていることが知れて面白かった。果たして東京裁判の無効性を声高に言い募る天皇主義者たちは、自分たちが天皇制崩壊に手を貸していると気づいているだろうか。

高橋さんは、「精神の自由」の問題として「信教の自由」を取り上げ、権力者の側のいろんな心理的な詐術を解剖分析してくれたが、僕には、ちょっと不満が残る。高橋さんは、注意深くスピリチャリティーの問題には触れない。高橋さんは、戦争で夫や息子を亡くした遺族の悲しみを喜びに反転させる機能として天皇参拝を捉え、感情の錬金術であると呼ぶ。そこに、国家というものの心理操作を見抜くことは、とても重要だと思うが、そうした高橋さんの分析を踏まえた上で、戦争へ傾きつつある世界の趨勢に向かって9条の価値を訴えることできるためにも、国家主義のイデオロギーとは別種のスピリチャリティーの問題を考える必要があるように、僕には思える。戦後社会は、戦前の馬鹿げた精神主義にこりごりして、いわば「羹に懲りてなますを吹く」の喩えのごとくスピリチャリティーの問題を避けてきたように思う。ただスピリチャリティーという言葉は必要ないかもしれないが、どこかで僕たちの心は、超越性を求めている。これは、新しい人間関係を作ってゆくためにも重要なことでもあり、個人の「自由」の問題でもある、と思っている。

またマルキストの河上肇やプロテスタント長老派の富田満が、安易に自己の信念と国家神道と結びつけたのは、無論噴飯もので大間違いだが、現在の世界情勢を見ていると、宗教的原理主義がこの戦争に一役買っている。先に転載した冨田満の可笑しな言動も、非戦条項である9条のもとで初めて、ある種の意味を持ちうるのではないか、と思う。高橋さんは、なんと言うであろうか。

  
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2007年12月16日

崩壊とは、何がどういう風に崩壊するのか。

天木さんは、12月11日のブログを「日本は崩壊しつつある。誰も止められない。誰も解決策を見出すことが出来ない。何とかしなければならないと皆が感じていても、何も出来ないまま時間が過ぎていく。事態はもっと深刻になっていく。」という言葉で結んでいた。天木さんの言うように、日本は、確実に崩壊しつつある。違憲訴訟をやって以来、この国の官僚システムは、既に腐敗・壊死しているのを感じ続けてきた。そうしたら日経BPオンラインに黒木亮という人が、「日本の裁判官がおかしいー時代錯誤のエリート主義が生み出すトンデモ判決」と言う記事が載っていた。裁判官が、ろくすっぽ書類を読まず、公判中に居眠りをしているのは、僕たちの裁判でも同じだった。黒木氏は、裁判官の1人200〜300件を担当しなければならないという日本の裁判官の過重労働にその主因を見ている。
黒木さん曰く。「こうした問題の原因は、ひとえに裁判官の数が不足していることにある。2004年の最高裁の資料では、人口10万人当たりの裁判官数は、日本が1.87人であるのに対して、米国10.85人、英国7.25人、ドイツ25.33人、フランス8.78人である。 日本の裁判官は、1人当たり200〜300件の事件を担当させられ、慢性的な過剰労働状態にある。1人で400件以上を担当している裁判官もいる。こうした過酷な状況の中で、裁判官たちは処理件数を競わされ、それによって出世に影響が出るのである。それでそんな裁判官不足なのに、どうして増やさないか、と言えば、裁判官というエリート階級を寡占しようとしているからだ」

アメリカ発のグローバリズムが上陸して以来、「勝ち組」だ「負け組」だ。「自己責任だ」なんていう言葉を、やたら目にするようになった。過重労働のせいで、書類にも眼を通せず、「ああ、めんどくさい」とばかり、内容空疎な判決を連発し、挙句の果てに過労死や自殺してしまうエリートは、実に哀れだ。でもこれは、別に裁判官に限らない。

ところで、崩壊するとは、何がどういう風に崩壊するのか。あまりに複雑・細分化された社会では、自分の専門以外の人の動きは、みな気が狂っているように見える。でも普通そこには、必ず社会性が潜んでいる。飛行機や電車が、毎日落ちていたり、衝突していたら、その会社は信用を失い倒産してしまうだろう。しかし最近では、ビルの手抜き工事やJRの事故を見るように、これが怪しくなっている。企業も自治体も、自分たちが杜撰であることを言い繕うかのように、やたら安全だ安心だ、と空文句を言い立てる。

それは、企業や自治体の内側から見れば、心の管理化やチェック体制を推し進めることになる。社員には、全体社会のことを考える余裕も与えず、「負け組」への転落の幻想・恐怖を餌に視野狭窄を迫る。そうすればするほどますます息苦しくなり、自分の仕事外ではキレやすく、突発的な事故になる。システムのリジットの傾向と社会のアモルフな傾向は、表裏一体である。すると世論がこうも乱れたのは、公共道徳ができていないからだ、と言い募る。2,3日前の新聞にも、酒酔い運転をして懲戒免職の主事を出した県の職員が、頭を下げて謝っている写真が載っていた。憂さ晴らしの酒も懲戒免職とすぐ結びつく。

安全第一の管理社会は、暴走されたら怖いから、やたらと法律を作る。みな人に騙されることを嫌い人を信用することも学ばず、「勝ち馬」に乗ることしか知らない連中の突き上げで議会は、自分でも訳の分からない法律をやたらと通し、これが公共性であるかのように錯覚し、やたら道徳的なことを口にする。そして一人ひとりの議員と話せば、口々に議会のレベルの低いことを嘆いてみせる。あたかも自分以外は皆レベルの低い人間であるかように。システムは、警察がいい例だが、組織維持のために、やらなくてもいい仕事をどんどん増やし、管理を強め、リストラを強行する。リストラされた側は、恨み骨髄だから、どこで暴発するか分からない。それで警察力を強化する。そんな訳で裁判所は、どんどん忙しくなり、ろくすっぽ目も通さず、酷い判決を連発する。そうすれば裁判所の社会的信用な失墜する。そしていよいよ社会的不正の憤懣は募ることになる。硬直した監視・管理社会は、いよいよ完成に近づくと同時に、崩壊に近づく。

そうしたばらばらな部分を動かしている靱帯は、マネーである。本来倫理や相互のコミュニケーションを取り結ぶ媒体であったはずのお金は、まるで宮崎駿のキャラクター「口なし」のように、いまや軍需産業と結託したグローバリズムという怪物になってしまった。

栗本慎一郎が世界経済の破滅的金余り現象を指摘していたのは、もう大分昔のことだ。
栗本氏曰く。「第一、実態として一日200兆円もの金が世界の株式市場で動かされているわけですから、基本構造として、もう絶対にうまくいきっこないう無理なゲームだと言えます。そしてそれが全部儲けを挙げようってんだから,どこかでばくはつするにきまっているのが今の世界経済。もう歴史的に恐ろしい地点にいると言って間違いない。君の懐も行き詰まってるかも知らんが、それは少し根性出して働けば突破できる範囲。けれど、世界経済は歴史的・構造的にやばい所にいると認識しておかねばならない。誰が、勝ち組みになるかなんてのんきな話をしている場合ではないはずなのです。
金というものはある水準まではいくらあっても邪魔ではないが、ある線以上になると、それを維持すること自体が死ぬほどの苦しみになります・・誰だ、それでも苦しみたいというアホマゾな奴は。とにかく今の世界経済を支配する金融資本どもがそれです。何しろ、世界中の株式を全部買っても2000兆円です。日本だったら全株式でも400兆円行かない。こういう舞台でどうして、4000またはひょっとして5000兆がまともに利ざやをかせげるのですか。無理に決まっているじゃ有りませんか。」

来年は、もうずいぶん昔から言われていた年金崩壊の年である。どんな年になるのだろうか。米国や日本といった経済大国の破綻は、どういうことを意味するなのか、経済学者たちもイメージできていないとどこかで読んだことがある。もうそろそろ貨幣経済に終わってくれないかないと願うのだが、これは夢なのか。貨幣経済より、こっちが先に終わっちゃうような気がする。まあ、一応悲観的な見通しを書いたから、一庶民としては、後は楽観していい人間関係を作ってゆくほか手立てはない。神様、いい年が来ますように。ちょっと早いけれど、年末雑感であった。
  
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2007年12月13日

シール投票

今日は、違憲訴訟の仲間から、山梨でのシール投票をしている写真が送られてきたので、
そのことについて、少し書く。もう何十回やっただろうか。おかげで大分ベテランになった。金野さんと二人で、ときには忍野のTさんも手伝ってくれて、初回から皆勤である。それでやるたびに、今回はやらないって言えなくなって、いつも参加しているのである。
山梨は、いつも5,6箇所でやっているので、全国の仲間は、さぞかしネットワークができていることだろう、と思っているだろうが、実はいつも金野さんと二人で、いろんなところを掛け持ちで回っている。行商みたいなものである。

シール投票1


僕としては、いろんな人に頼むより、一人か二人で勝手にやるほうが、性に合っている。それしても今起きていることに、無関心な人は、まだまだ多い。「米軍を助けなくて、北朝鮮が攻めてきたら、誰に助けてもらうんだ」と捨てせりふを吐いてゆくおやじやおばさんが、いまだ結構いる。観光できてるんだから、気分を壊さないでくれと言われることもある。「米軍への給油は必要だ。君らは、勉強が足りない」なんてわざわざ言ってくる酔っ払いもいる。でももう怒らない。ただこんな日本には絶望している。人の顔にも絶望している。今に日本は崩壊するぜ。イラク戦争の始まって香田さんが殺された頃は、「俺は東京から人間だから関係ないよ」という頓珍漢なことを言う人を追いかけていって、東京も甲府もないだろう、と怒鳴ったものだった。

僕自身は、世論など気にかけたことはあまりないが、そんな僕が、こんなことをやっているのは、皮肉といえば皮肉だ。徒労に思うこともしばしばだが、定期的にやっていると、気づくこともある。まずは、甲府の若者のほうが、東京の若者より、ずっと反応がいい。

シール投票2



栗本慎一郎の本に「都市は、発狂する」というのがあったが、都会の無反応は、もう尋常ではない域にあると思う。山梨の若者は、まだ余裕があるのか。高校生なども「やらせて、やらせて」とよってくる。やるのはいつも土日だが、2箇所も回って帰ってくるとどっと疲れ、ニヒリティックになる。精神衛生には良くない。それで浅田さんのシューベルトを聞く。こっちに引っ越してきて、こんなことをやるなんて夢にも思わなかった。ともあれ、せっかく写真を送ってきてくれたので、掲載しちゃう。
  
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2007年12月10日

ディオニュソス=アリアドネ

先日、みんなから哲学の哲ちゃんと呼ばれている僕より一世代若い友人から、ニーチェの音楽と詩についての論考が送られきた。その前に哲ちゃんについて、少し紹介しておく。
哲ちゃんは、車も運転しないからいつ行っても質素な町営住宅の自宅で勉強している。フランス語、ドイツ語は言うに及ばず、ラテン語、ギリシャ語、最近ではアラビア語まで勉強している。それに自然科学にも強く、僕が遊びに行くと、超ヒモ理論の物理学の問題を、わら半紙で解いていたりする。最近「量と概念」という長大にして難解な論考を書き上げたが、本当に残念なことに、出版社が見つからず、せっかくの論文は、内輪の友人以外に、人の目に触れることはない。それでも哲ちゃんは、悠然とスピノザみたいにいつも勉強している。哲ちゃんの論文では、エピグラムを飾るスピノザからマイエルへの手紙は、哲ちゃん自らがラテン語から訳している。哲ちゃんと出会って、まだ4年くらいだが、この若い友人に僕は、とても感心していて、尊敬の念を抱いている。またイラク訴訟の時には、一緒に裁判所の前で座り込みをしてくれた仲間でもある。あの時も哲ちゃんは、ラテン語の文法書を読み続けていたっけ。その哲ちゃんから、最近、次のようなニーチェの音楽と詩の関係についての論考が送られてきた。哲ちゃんの許可を得てここに転載させてもらうことにした。哲ちゃんの論考に、刺激を受けて僕の感想も書いてみた。以下哲ちゃんの論考である。
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ニーチェの音楽を断続的に聴き続けている。10歳から30歳までの間に、ニーチェが作曲したものの部分。そして、ニーチェの詩を断続的に読み続けている。13歳から44歳で発狂するまで、ニーチェが書き続けたもの。G.Deleuzeのニーチェ論を読みなおして初めて、「ツァラトゥストラの歌」《Dionysos Dithyrambos》(ディオニュソス頌歌)の重要さを感じた。中でも「アリアドネの歎き」を新しい耳で聞き取りたいと思う。

 ニーチェにおける、音楽の流れ、詩の流れ、哲学の流れ。これらの流れは互いに並行し、逆行し、一方が途切れ、再び流れ始め、一方が他方を時に追い越し、時に交差する。
 先ずは、音楽の流れと詩の流れ。1862年7月4日から8月4日までの間に、当時17歳のニーチェは《Junge Fischerin》(若い娘漁師)という詩を書く。

朝、私はひそやかに夢み、
雲の流れてゆくのを眼で追い、
若い一日が、木々の梢をすりぬけて、
静かにうちふるえるさまを見ました。
霧は大きく波だち 沸きたち
そのむこうには 朝焼けが―
おお この世のうちでだれひとり
私がこのように悲しんでいることを知らないのです。

海はやすむひまとてなく、
涼しく静かに大波をうち寄せます。
私は言いようもない戦慄に襲われ
みずから 眼を閉じます。
その霧を、そのむこうの朝焼けを
私は見たくないのです―
おお だれひとりとして どうして
私がこのように悲しむのか 知りえないのです。

渡り鳥は楽しげに空を渡り、
愛らしく、やさしく歌をうたいます。
心の欲するままに どこへでも
逃れることができたら と私は願います。
霧は波だち うずまき
そのむこうには 朝焼けが―
おお だれひとりとして どうして
私がこのように悲しむのか 感じえないのです。

私はかなたを見晴るかし、そして泣きます、
目路はるか 一艘の舟とてなく、
このように痛ましく このように孤独に、
苦しみのあまり 私の心ははりさけます。
霧は大きく波だち 沸きたって
そのむこうには 朝焼けが―
この世のうちでただひとり、あのひとだけが知っています、
どうして私がこのように悲しむのかを。― 

 その2年後、1864年秋、二十歳のニーチェはプフォルタ学園を卒業するにあたって《am unbekannten Gott》(知られざる神に)という詩を書く。

まなざしを前方に定め、
進発して行くその前に、もうひとたび
ぼくはただ一人 ぼくの両の手を あなたにむかって
さしのべる。危険から逃れるぼくを迎えいれて守り、
ぼくが心の奥の奥底でおごそかに祭壇を奉ってきた
あなたにむかって……
あなたの御声が、いつなりとも、
ぼくを呼びもどしてくださるように。

深く書ききざまれた言葉「知られざる神に」が
その祭壇の上で燃えている。
ぼくはその神のものだ。たとえいままで
無頼の輩にたち交じっていたとしても、
ぼくは彼のものだ―戦いのさなかにあって
ぼくを引きずり込み、そしてたとえ逃れても
いやおうもなく、その神に仕えしめる
罠のかずかずを ぼくは予感する。

知られざるひとよ、ぼくはあなたを知るつもりだ、
おお ぼくの魂に深くくいこんで来るひとよ、
ぼくの生命のなかを嵐のようにさ迷い歩くひとよ、
おお 不可解なひと、ぼくの近親者よ!
ぼくはあなたを知り みずからあなたに仕えるつもりなのだ。

 少年は少女を反復し、少女は少年を反復する。朝の海を眺めて慄く少女。漁師の彼女は今日も舟を出さなければならない。海は彼女にとって生そのものだが、美しい朝焼けとともに死が待ちうけている。海は彼女にとって死そのものでもあるのだ。渦巻く霧の向こうで、朝焼けは見えない。その不可視の眺めたる海は、少年にとっての「知られざる神」だ。少女にとって映像であるものが、少年にとっては言葉としてある。少女にとって慄きの的であるものが、少年にとっては「仕える」先としてある。少女にとって表面であるものが、少年にとっては深さとしてある。しかし、いずれにせよ、彼と彼女がそれらに自分のすべてを投げ出していることに違いはない。少女にとっては、それが海であるがゆえに投身することが出来るのであり、少年にとってはそれが神であるがゆえに投身することが出来る。むしろ、この違いこそ、その反復を可能にしている。
 同じ年の11月から12月13日の間に、ニーチェはA.von Chamissoの詩《das Kind an die erloschene Kerze》(消えそうな蝋燭の傍にいる子供)(1822年)に曲をつける。

*Du arme,arme Kerze
gibst fuerder keinen Schein,*
erloschen ist so schnelle
dein Licht,das freud’ge,helle,
o muss es also sein?
(*を2回リフレイン)

*‘S ist nicht,weil ich nun weilen
muss in der Dunkelheit!*
O brenntest du nur immer
Und gaeb dein lieber Schimmer
Nur andern Freudigkeit!
(*を2回リフレイン)

*Du arme、arme Kerze
gibst fuerder keinen Schein,*
‘s ist nicht,weil ich alleine
im Dunkeln bin und weine,
ich bin ja gern allein!
(*を2回リフレイン)

 一つの声とピアノの音。実に素朴な歌曲だ。その半年後の1865年6月、ニーチェは《Junge Fischerin》に曲をつける。このとき、四連から三連へ短くされるなど、詩は歌曲用に少し変えられている。

Des Morgens still ich traeume
Und schau den Wolken nach,
Wenn leise durch die Baeume
Zittert der junge Tag.
Die Nebel wogen und wallen,
Das Fruehrot druber hin,
O niemand weiss von allen,
Dass ich so traurig bin.

Die See wogt kuehl und leise
Vorbei ohn Rast und Ruh,
Mir schauerts eigner,eigner Weise.
Ich druecke mir Die Augen zu.
Mag nicht Die Nebel sehn‐
Lauert der Tod darin?
Ach!Niemand kann verstehen,
Was ich so zage bin.

Mit meinen traenenfeuchten
Augen such ich dich.
Im Fruehrot seh ich‘s leuchten,
Ja du gruessest mich.
Du kommst durch Nebelhuellen,
Reitest auf dem Wind,
Du kommst das Herz zu stillen
Dem armen Fischerkind.

 この曲もまた、一つの声とピアノの音。少女は少年を反復し、少年は少女を反復する。暗い部屋の中で、一人蝋燭の灯を見つめる少年。その光は今にも消えてしまいそうだ。しかし、少年はこの闇の中で不安に苛まれているのではない。むしろ、小さな光を前にして一人でいることを喜び、その光が消えそうになることで益々深まる孤独を静かに味わっている。この蝋燭の灯は、少女にとっての朝焼けだ。少年にとって深い闇の中へ今にも消えてしまいそうなものが、少女にとっては渦巻く霧の向こうに隠されている。《das Kind》において安定した歌の旋律が、《junge Fischerin》においては不安定に揺らいでいる。《das Kind》において大人しく伴奏しているピアノが、《junge Fischerin》においては声と伴に、また声を追い越して歌っている。しかし、いずれにせよ、沈黙は闇であり、声とピアノの音が小さな光であることに変わりはない。同じく、巻き込むピアノの音は霧であり、巻き込まれる声は小船の少女であり、伴にあるピアノの音と伴にある声が静かな海原であることに変わりはない。


1854.           1864.      1865.
 音楽の流れ     《傍らにいる子供》 《若い娘漁師》

詩の流れ 《若い娘漁師》 《知られざる神に》
  1858. 1862.  1864.


 音楽の流れと詩の流れが《若い娘漁師》で交差する。ニーチェは30歳になるまでに沢山の歌曲を書いたが、それはミサ曲の決り文句やChamissoなど詩人の詩に曲をつけたものであり、彼自身の詩に作曲したのはおそらくこの曲だけだ。そして、この交差において、音楽の流れと詩の流れは逆行している。なぜならば、《蝋燭の傍らにいる子供》と《知られざる神に》との間には明かな平行関係があるからだ。それは1864年という年の問題だけではない。音楽の流れにおいて蝋燭の灯を見つめる少年は、詩の流れにおいて「知られざる神」の祭壇に祈りを捧げる者であり、その蝋燭の灯は少年の内面における祭壇の灯だ。この光の消え去る闇の深みに「知られざる神」がいる。そして、音楽の流れにおいては、《暗い部屋‐蝋燭の灯‐少年》という白黒の版画が、《霧の海‐朝焼け‐少女》という絵画へと変貌してゆく。一方、詩の流れにおいては、《生(あるいは死)‐少女》の組み合わせが、《神‐少年》の組み合わせへと変貌してゆく。少年から少女へ、少女から少年へ、深みから広がりへ、広がりから深みへ、音楽の流れと詩の流れは互いに逆行する。
 この交差と逆行はやがて「永遠回帰」と呼ばれることになるニーチェの概念を思わせる。なぜならば、回帰とは時間の流れが交差し逆行することに他ならないからであり、従ってまた、永遠の回帰とは無数無限の流れが互いに交差し、逆行し、更に交差し…することだからである。そして、この交差と逆行が少年と少女、生(あるいは死)と神をめぐって生じているが故に、それはなおのこと永遠回帰を思わせるものとなっている。この生(あるいは死)と神はやがてディオニュソスという名を持つことになるだろう。また、この若い娘はアリアドネという名を、この子供はツァラトゥストラという名を持つことになるだろう。そして、ツァラトゥストラは「その最後の孤独に耐えようとして、みずからに歌ってきかせる」ことになるだろう。その歌こそ、詩の流れの最後を飾る(1884〜1888)《Dionysos Dithyrambos》であり、ニーチェによれば、アリアドネの真の恋人はテセウスではなくてディオニュソスである。この「最後の孤独」に、少年の最初の孤独が反復している。ディオニュソスへの最後の祈りに、少年の最初の祈りが反復している。アリアドネの最後の歎きに、少女の最初の歎きが反復している。
 音楽の流れと詩の流れの交差があってから10年後、ニーチェは幼い頃からの習慣であった作曲をしなくなるだろう。1874年の《Hymnus auf Die Freundschaft》(友情賛歌)を最後に、事実上、ニーチェが新しい曲を作ることはもはやない。(注:もしも《Hymnus an Die Einsamkeit》(孤独賛歌)がこれと異なる曲であるのならば、こちらが最後の作曲になるが、その年が1874年であることに変わりはない。)その後、1882年になるまで、音楽の流れが詩の流れと並行することはない。これには音楽の流れと哲学の流れの交差が関係している。作曲しなくなる2年前の1872年、27歳のニーチェは哲学上の処女作と呼んでよい『悲劇の誕生』をR.Wagnerに捧げる。また、音楽の流れが再び始まってから3年後の1885年春、41歳のニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』第4部を45部だけ自費出版することになるが、その中でWagnerの分身である「魔術師」が「アリアドネの歎き」とそっくりの唄を歌う。ただし、その唄にはディオニュソスの登場がそっくり欠けているのだが…。
 哲学の流れはどのように音楽の流れと関わるのか、また、その流れはどのように詩の流れと関わるのか、そして、その関わりはどのようにして再び音楽の流れを詩の流れと関わらせるのか。それについては、別の機会に論じることにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この哲ちゃんの論考から刺激を受けて、ドゥルーズの「ニーチェと哲学」を読み直してみる。するとニーチェにとってディオニュソス=アリアドネが、いかに認識の根源的欲求であったかが、返って哲学論考だけ読んでいたときには気づかないことが、音楽と詩という媒体を通して、透けて見えるようで、とても面白かった。

特に作曲という見逃されていたニーチェの一側面は、これからのニーチェ思想を理解する鍵になるような気もした。ニーチェ評価にとって余技とみなされていた音楽のなかにこそ、ニーチェの思想の根幹が表現されているように思えた。これはニーチェと弁証法の問題とも関係してくるテーマのど真ん中にある問題で、それに「力への意志」をめぐる解釈の問題とも、キリスト教の問題とも密接に関係している。

ドゥルーズは、「ニーチェと哲学」30頁で、悲劇とは何かに関連させて、明晰さという点で少しばかりアポロン的で、また「音楽をするソクラテス」という意味で少しばかりディオニュソス的なソクラテスという、生の肯定と否定の間を揺れ動くソクラテスについて以下のように書いている。

「ソクラテスは、生の否定に全権を与えていない。彼の場合には、生の否定はまだ己の本質を見出してはいない。それゆえ悲劇的人間は、純粋肯定のうちに自己自身の境位を発見すると同時に、たとえば率先して否定の企てを本当に、決定的に。徹頭徹尾行うというようないっそう根本的な彼の敵を発見せねばならないだろう。ニーチェは厳密にこの計画を実現する。苦悩を解決するために和解し合う神々であるディオニュソス=アポロンというアンチ・テーゼは、より神秘的なディオニュソス=アリアドネという相補性に置き換えられる。というのも生を肯定することが問題である場合には、一人の女性、一人の婚約者が必要だからだ。」
また39頁では「アリアドネは、ニーチェの最初の秘密であり、最初の女性的な力、アニマであり、ディオニュソス的肯定と不可分の婚約者である。だがそれは、否定的な道徳家ぶった凄まじい女性的な力とはまったく別ものであり、恐るべき母、善悪の母、生を貶め否定する母とは全く別ものである。」と言う。

このドゥルーズの指摘は、とても錬金術的である。こう指摘するとき、ドゥルーズは、意外やユングに近いし、またリルケにも近いように思える。それにニーチェを弁証法的に捉えることの危険とも関係している。ニーチェのディオニュソスの配偶者をマグナ・マーテル的に捉えると、致命的に間違えてしまうように思える。これは、ニーチェのディオニュソスをナチスやネオコンたちが誤解したようにヘーゲル弁証法と結びつけてしまうと、ファシズムに陥ることを意味しているようでもある。

ゲーテの言う恐るべき大地母神のごとくの母たちの国、ドゥルーズは、これに男性そのものを鼓舞する復習心と怨恨を見ているが、テセウスに捨てられたアリアドネのなかに、価値転換が起こり、解放されて慈悲深く肯定的になった女性の力、アニマをドゥルーズは見ている。ディオニュソスのアニマとしてのアリアドネ。僕は、ここにニーチェの最終的な西欧キリスト教社会への批判とファシズム批判の両方を見る。さらにドゥルーズは、266頁のアリアドネの項では、ディオニュソスの「アニマ」としてのアリアドネを明言する。哲ちゃんの論考からは、そうした少年の知られざる神の神話の骨格が、鮮明に現れているように思えた。

「少女にとって映像であるものが、少年にとっては言葉としてある。少女にとって慄きの的であるものが、少年にとっては「仕える」先としてある。少女にとって表面であるものが、少年にとっては深さとしてある。」

少年としてのディオニュソス、少女としてのアリアドネ。
イブン・アラビーならば、この少女を「ソフィア」と呼んだと思う。

哲ちゃんの言う「広がり」を捉える感覚としての女性、それを深さとして捉える男性、おそらくこの対を多元的思惟の構成要素として捉えるとき、ニーチェの思惟は、実りあるものになると思った。
  
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2007年12月08日

悪はどこから

ジョージ・ブッシュは、9時半には床につくという。アメリカの新聞報道ではイラク人で死者は、1、118,846人に上るという。もうすでに強制収容所計画も実行に移されている1942年の1月ヒトラーは、秘書のマルティン・ボルマンに語る。「ボルマン、聞いてくれ。私は非常に敬虔な気持ちになろうとしている。」ボルマンは「貴方は、これまでもずっと敬虔でしたよ。」と答える。(ヒトラー余話)またアイヒマン裁判を評してのハンナ・アレントの「悪の凡庸さ」という言葉は有名だ。ブッシュもヒトラーも自分の行なっていることの関連の分からない愚かものに過ぎないと片付けたいところだが、どうも事柄はそう簡単ではないような気がする。こんな劇的な形ではなくても、多かれ少なかれ、細分化された社会に生きる僕を含めた現代人に言えることである。

原爆の父、オッペンハイマーも原爆が何を意味するか、リアルに認識することはできなかった。またヴィクトル・ファリアスの「ハイデガーとナチズム」では、ハイデガーが、いかに深くナチズムに関与していたかが詳論されている。それによれば、ハイデガーが、フライブルグ大学の学長を引き受けた時期には、バーデンには2つの強制収容所ができていたという。それもハイデガーの故郷のメスキルヒ近郊にあったという。1933年の6月1日の、ゼボッテンボルグが主幹を務めていたナチ党の機関紙「フェルキッシュ・ベオバハター」には、「カールスルーエに収容されていた囚人のために、数ヶ月前、第二の強制収容所が、ホイベルクに開設され、そこには警察の監視下に、共産主義、社会民主主義、平和主義の扇動家、その幹部、その国会議員が、公的秩序を脅かす「輩」、転向の見込みがないために赦免できない「輩」とともに収容されているが、この連中はまともなドイツ人になったことが確認できるまでは監視しておかねばならない」、と書いてあったという。ハイデガーは、そうした状況を横目で眺めつつ、フライブルクの学長に就任している。しかしそのハイデガーは、ナチス・ドイツ敗戦後、今度はフランスの左翼実存主義哲学者たちの手によって復活する。サルトル、ラカン、フーコー、レヴィナス、と戦後の重要とみなされている思想家で、ハイデガーの影響を受けていない思想家を探すのは難しいくらいだ。そしてハイデガーは、最後まで自分の判断の誤りを明言することなく生涯を終える。

ナチスが台頭してくる少し前、1916年にロシアからの亡命詩人アンドレイ・ベールイは、シュタイナーについて、面白いエピソードを書き残している。ゲーテアヌムで「ファウスト」の演技の指導をするシュタイナーの姿である。メフィスト役の俳優の演技を見て「違う、そうじゃない。そんなのはメフィストじゃない」と言い、演技指導をした後、「こういう風に演じなく手はならないのだ」といったという。「見事な演技だった。もはや素質があるなどというのではなく、まったく現実的な意味において彼は、名優であった。その翌日、私は博士に言った、「博士、昨日貴方が悪魔を演じているとき、私は貴方を憎みましたよ」博士は、意味ありげな微笑を浮かべ、答えた。・・・「私たちがオカルティストであるのは、あの紳士(彼は悪魔のことを言っていたのだ)の振る舞いや顔付きに精通するためです」。・・・・シュタイナーが演じた悪魔のイメージは、いかなる書物によっても伝えることのできない知識を、私に授けてくれた。その演技は、舞台という領域をはるかに超えて拡がっていた。それは、即興だということを忘れさせた。その演技はもはや「演技」ではなかった。博士は悪魔そのものであった。私がシュタイナーを名優と呼ぶのはこのためである。」とベールイは記している。さてこうした記述をどう読むべきか。
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どうして僕は、こんなことを書き始めたのだろうか。それは、僕が西欧文明の持つ、さらには西欧から派生したこの資本主義に対して名状しがたい奇怪な捩れを感じているからである。それに、僕は、どうしてナチスが、あれほどまでユダヤ人を憎み、彼らを掃滅しようと企んだのか、どうも分からなかったし、本当のところ今でも分からない。ナチスの幹部たち、地政学者で、日本にも武官として来日し、その後ベルリン大学で地政学の教授をしていたカール・ハウスホーファー(息子のアルブレヒトは、ヒトラー暗殺計画に加わり1944年に処刑にされる。詩集が残っている。その中には日本の寺院を歌ったものもある)の助手となり、トゥーレ協会というナチスの前身の秘密結社に加わり、そして人智学の本を読み続けたと言われているルドルフ・ヘスにしても、菜食主義や自然療法に凝り「アーネンエルベ」という怪しげな結社を作りカタリ派詣でやチベット(あのブラッド・ピットが演じたセブン・イヤーズ・イン・チベットの主人公、ハインリッヒ・ハラーはヒムラーのSSに属していた)に異常な興味をしていたヒムラーにしても、そしてインドのヨーガに興味を持ちヒムラー同様に菜食主義者でもあったヒトラーにしても、その一方で凄まじい残虐性とユダヤ人への憎悪に満ち溢れ、あのホロコーストまで作るという錯乱をどう読み解くことができるのだろうか。そして何よりも終生、反省の弁のなかったハイデガーの沈黙は、何を意味しているのだろうか。ハイデガーは、ナチスに何を夢みたのか。
こうしたあまりにも錯綜して、解きがたい現代史の捩れ、その錯乱した現実をどう考えたらいいのか、言葉にしてみようと思って書いている。分からないから書くのであって、書いているうちにもっと分からなくなるかもしれない。

ナチス思想を胎胚させた源流に、産業構造のシステム化と金融化そして市場経済が齎す存在の空無化とそれから派生する日々垂れ流されるマス・メディアのプロパガンダと断片的情報の洪水による存在の無関連化、それらは、既にマックス・ピカートが、半世紀も前に「われわれ自身の中のヒトラー」や「人格のアトム化」「沈黙の世界」等々で詳細に分析したときと変わっていないどころか、加速度的に極限に向かっているように見える。

けれども現時点で、何十年かぶりにピカートの本を読み直してみて、相変わらずピカートの眼差しの確かさに共鳴しつつも、その現代人への詰問の激しさの割合に比べて、変革の法途は見えてこないのである。日常の隅々までシステムに浸された世界の只中で、どうしたら様々な立場の個々人が、生の空無化を食い止めるような変革の思想を持てるのか、ピカートの文章からは見えてこないのである。リルケとも親交のあったピカートの世界は、リルケ同様、モノローグの完結した世界のように見える。余談だが、リルケとシュタイナーは、モノローグかダイアローグかを巡っての往復書簡を交わしたことがあった。改めてピカートを読み直して、彼が、シュタイナーに言及している箇所に出会った。僕がシュタイナーに触れたのはピカートの本を読んだすっと後だったから、気づかなかったのだろう。「沈黙の世界」で、ピカートは、断片化され、関連なき世界の中で、人々の指導者待望論に傾くヒトラーの前例を、シュタイナーに見ていたようだ。以下のように書いている。

『「指導者体制」の理念は、すでにこの非連続的世界のなかに準備されていた。事実そこにはすでに、人間学(*訳者はおそらくantropologyとantroposophyを読み間違えて人間学と訳しているが、人智学のことだろう)と自称する一派の不気味な指導者―あの、第四次元の総督然として振舞ったルードルフ・シュタイナーがいた。』(沈黙の世界:199頁、みすず書房)

人智学が、第一次大戦後の世界でそのように見られていた、そしておそらく現時点でもそのように見られうることを暗示するピカートの文章だが、ピカートは、シュタイナーをひどく誤解していたように僕には思える。その原因は、さまざまあるだろうが、ひとつには余人には理解を超えたアカシック・コードの解読などの秘教的内容やその文体や、それに少なからずの人が関わる運動であったため、それにまた、第一次大戦後のカウンターカルチャー的な母権論の隆盛の中で、そう見えたのかもしれない。それにしてもドイツ語ではどうなっているかわからないが、不気味な指導者という形容詞は、ピカートのような知識人にどう写っていたか、また毀誉褒貶に晒されていた当時のシュタイナーの活動が、彷彿と浮かび上がるようで興味深い。

ところで僕は、といえば確かに僕の理解を超えた内容の多いシュタイナーであるが、不気味と思うことない。それよりもあの唯物論隆盛の時代に人間の霊性を説き、それを礎にしながら、社会の三層化を説くシュタイナーからは、精神世界に関して誰にも理解できそうにないことを誰はばかることなく平気で言う割りに、社会的事象に関しては不思議なほど真っ当な判断をする人という印象を持っていて、これは本当に伝えるべきことを持った偉人かもしれないと思っている。先のベールイが伝えるシュタイナーのエピソードも、時代の深層の悪がよく見えていた人という印象を持つ。「悪」を見えていることと「悪」を行うことは、まったく別物である。人は、「悪」を行いつつ、「敬虔」にも「信仰深く」もなる存在である。

共産主義ロシアを評して、あの国家体制には、個人の精神の自由を保障する器官が欠けているから、必ず失敗すると予言していたが、今思えば、ソビエトの崩壊は、シュタイナーの言うように精神の自由を確保できなかったことが、最大の原因であったように思える。「人間とその顔」というピカートの本の訳者の佐野利勝さんはその序で、原子爆弾に触れ「原子爆弾はほかならぬわれわれ現代人が作ったのであって、われわれと原子爆弾とは別々のものではない。たとえ原爆を禁止してみても、一旦このような大それたものを造りえた現代人は、必要に応じてまたいつなんどきでもその製造を再開し、それを使用するであろう。この恐るべき危険を防止する道はただ一つ、人間がいかに尊ぶべきものであるかということー単に一個の卵細胞から発生したものであるばかりではなく、万物の根源なるものと連関しており、だからその像のなかに「より以上のもの」を宿している存在であることを身を持って識ることだけあろう。」と言っているが、これは、シュタイナーの本の序文につけてもおかしくないように僕には思われる。

シュタイナーの特異な文体は、確かにどうもとっつき難いが、シュタイナー自身は、ピカートのような誤解に晒されることをかなり自覚していて、『神智学』や『いかにして』をよく読むと、逸脱の危険をよく意識して、『認識を一歩深めたかったら、善へ向けて三歩進め』という言葉が象徴するように、絶えず警告を発していたように思う。

話が逸れてしまったので、もう一度話を元に戻す。僕が、疑問に思っているのは、どうしてナチス・ドイツが、ああした支離滅裂に陥ったのか,またハイデガーのような人が、ナチスに加担し、その後沈黙を守り続けたのか、という問いである。ピカートの諸著書に通奏低音のように流れている人間の断片化、空無化への断罪はその通りなのだが、空無化を止める手立ては一向に見えてこない。またアドルノの『啓蒙の弁証法』『否定弁証法』にしても、「崩壊史観」と弟子筋のハバーマスから批判されたように、人間がいかに退落したかを知り、絶望することはできるが、その先に光はみえてこない。

英国の秘教研究家で、自殺したジェームス・ウェッブによれば、プレ・ナチス的な雰囲気の源流は、カイザーリング伯にまで辿れるという。ウェッブに限らず、秘教研究家という人には、ジャーナリスティックな人が多く、事柄が事柄だけにいつも眉に唾をつけながらの好奇心で執筆しているように思えてあまり僕の好みではないのだが、第一次大戦後の時代の雰囲気を作った人物としてカイザーリング伯の名を上げているのに、興味を引かれた。ヘッセの東方巡礼にも名が出てくるカイザーリングは、1920年ドイツのダルムシュタット市に「自由哲学会」と「智慧院」を設立した人で、中国に長く暮らしたリヒァルト・ヴィルヘルムや心理学者C.G.ユング、さらにはインドの詩人ラビンドラナート・タゴールとも親交のあり、いわば東洋と西洋を橋渡しした人で、こうした現象は、伝統的なキリスト教信仰の揺らぎと無関係ではない。ナチスの幹部たちにしても、アーリア人優位のレイシズムに奇妙に東洋的なものが混入している。それにヒムラーに見るように、異端として弾圧の憂き目を見たカタリ派への偏愛がある。これもどうにも分からないところだ。かつて弾圧をしていた正統派に変わって、今度は異端が弾圧をしているということか。いずれにせよ、西欧的教会秩序の弱体化と無関係ではなさそうである。ニーチェは、キリスト教が説く「愛」には、ユダヤ教の怨恨が染み込んでいるとキリスト教的「愛」を非難し、トルバドゥールの「愛」に解放を見たが、そのニーチェを担ぎ、カタリ派詣でをしながら、ナチスは途方もない虐殺をした。こうなると異端も正系もない支離滅裂さである。
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こうしたナチス以来の錯乱の原因は、まったく取り除かれていないことは、ずっと感じられていたが、それが、どういう破局を迎えるかを予想することはできなかった。それが、9・11事件以来、板垣さんの言われるように、ナチス思想のシミラークルとして再浮上してきたように見える。ぼくには、これはもう思想というよりは、考える動物である人として生命的危機の現われのように思える。

この対テロ戦争が、仕組まれたものではないか、という疑惑が囁かれている。仔細にあの様子を検証してみれば、確かに山ほどの疑惑がある。それにかつてジェノサイドの犠牲者だったユダヤ人が、今度はパレスチナ人を同じようなことをしている。そこでこの対テロ戦争を仕掛けた影の黒幕にロックフェラーやロスチャイルドのようなユダヤ人金融家やイスラエルの関与があるのではないか、という陰謀説が囁かれる。僕も、こうした読みをまったく否定できないと思っているが、同時にナチス時代の初期にもゴットフリート・フェーダーのように、拝金主義を指弾し、反ユダヤ主義を鼓吹する人たちがいたことを思い出す。ナチスの「悪」のカウンターパートとして、国際金融の「悪」があったことに改めて気づき、ナチスがあんなにも凶暴になった理由の一端が分かるような気がする。第一次大戦でも、戦争を策動した者たちは、ごく少数のグループであったことは、その当時から囁かれていたようだ。ただそうした策動をしているのは、フリーメーソンだ、三百人委員会だと収斂させてしまうと、返ってグローバル資本の「悪」を見えなくさせてしまい、ナチスの轍を踏むのではないか、と懸念する。それよりもジャン・ジグレールの「私物化される世界」のように具体的に、ワシントン・コンセンサスの内容を示してくれたほうがよいように思うが、それと同時に、現在の状況を理解するためには、あのプレ・ナチス時代をもう一度思い出してみることは、無駄ではないように思う。

あの時代もまた、資本主義のシステム化と物象化が進み、機械論的世界観の中で、疎外が人々の意識に上ってきた時代だった。それをレイシズムと結び付けず、構造的理解を示したマルクスは、その限りで正しかったが、経済主義的な上部構造だけの変革では、もはや僕たちの生命的な部分は瀕死の状態だ。ピカートではないが、専門化という名の「いのち」断片化と情報社会という名の関連性の増大のうちに、パラドクシカルに、ブッシュやヒトラーのような想像力の枯渇を招いているように思える。それは、僕自身にも言えることのように思える。あまりに複雑な世界の関連の全体像をもう誰も捉えることができないように思える。世界の複雑性の発展に反比例するように、僕たちは、白痴化を強いられてゆくように見える。もううまく読み解けないので、今日はこのくらいにする。
  
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2007年11月23日

シューベルティアーデに想う

11月18日には、一年ぶりに浅田さんが、バーゼルからやってきた。今回は、18日は、内科医でホリスティック医療に取り組んでおられ、またバリトン歌手でもあるAさんと組んで、シューベルトの歌曲の演奏会を、始めてこの八ヶ岳で開催した。そして19日には、音楽オイリュトミーの体験講座を開いた。八ヶ岳は、17日ぐらいから、急に冷え込み夕方には、今年初めて雪がちらつく陽気だったが、遠くから来られるAさんからスタッドレス・タイヤを履かなくて大丈夫ですか聞かれ、気軽に大丈夫ですよ、と言った手前、ちょっと心配だったが、少し肌寒かったが、まずまずの陽気でほっとした。

シューベルト



当日は40人程度収容の小さなホールであったが、甲府やさらには東京や長野県からもお客さんが来てくれて、ほぼ満席であった。昨年、横浜で始めて、お二人のコンサートを聴き感動して、来年は、八ヶ岳でもコンサートをしませんか、と僕が薦めた手前、わざわざ遠くからやってこられるお二人にも、また聴いてくれるお客さんにも、どうにか喜んでもらいたい、と思っていろいろ準備していたが、地域通貨の仲間の協力もあり、また違憲訴訟のときの原告の人たちも聴きにきてくれて、シュタイナーに興味を持っている人たちはわざわざ東京から来てくれる人もいて、結構活気のある温かい演奏会になったように思う。

前日まであまりクラシック音楽を好きでもない人に、義理で付き合わせてしまっているのではないかとちょっと心苦しかったが、地元のミニコミ紙の広告を読んで偶然知ったというシューベルト歌曲の熱狂的なファンの方が、「僕は、シューベルトの演奏会は何百回も聞いてきましたが、お二人の演奏を聴いて、思いがけず久しぶりに感動しました。ぜひ来年も開いてください」と言ってくれて嬉しかった。

オイリュトミー


19日には、昨年に引き続いて2回目のオイリュトミーの体験講座を開いたが、20名ほどの人が参加してくれて、定期的に講習会や勉強会をしたいと言ってくれる人もいて、これもやってよかったのかな、と思っている。

オイリュトミー2



このところ、ずっとアクチュアルな政治的問題ばかりに関わってきて、政治とは縁のないシューベルトの音楽会を開いてみて、人間心理というものが幾層にもなっているのに気づかされる。いつの時代も人の政治的な営みは慰めのないものだった。作曲家ベルトランが、活躍したヴァロア朝の時代は、カトリック系とプロテスタント系の諸侯たちの凄惨な殺し合いの時代でもあった。シューベルトの時代だって、決していい時代ではなかった。というよりも、ゲオルグ・トラークルではないが、芸術家の魂はいつもこの世では異邦人であるというべきか。シューベルトは、歌曲だけでも600曲以上の残して31歳で死んだ。作曲していたのは、浅田さんによればたった15年という。シュタイナーは、シューベルトの前生は9世紀のアンダルシアの歌人であったといっていたそうだ。おおイスラームの歌人か、とアンダルシアのイスラームに興味を持っている僕は、あのシューベルトの優しさに東方的心性を感じてしまう。

芸術家の一生とは、現世に対する甘美な想念による闘いのようでもある。芸術家の苦悶は、僕ら一般人にとっては、比べようもない慰謝になる。この世にない何かを人生に加えてくれて、生きる糧になる。でもその芸術でさえもう消費の対象になって久しい。精神の領域まで資本の論理が介入してくるとき、精神は凶暴になる。スピリチャリィーだって、商業ベースに乗りあっという間に消費される。

18日のシューベルトをこよなく愛するお二人の演奏には、商業にも消費にも無縁なシューベルトのスピリットが生きていた。ブルーノ・ヴァルターは、その「人智学への私の道・ルドルフ・シュタイナーに捧げる一音楽家の賛辞」という文章のなかで、シュタイナーの「人間のおける音の体験」という講演から「音楽を本当に理解し 体験することは霊界に入ることです」という言葉を引用していたが、お二人の演奏からは、シューベルトの心が伝わってきた。僕は、名演奏だったと思う。思うにシュタイナー人智学の顕著な特徴は、芸術というものが、霊的認識にとって大きなモメントを占めていることにあると思う。  

今年は、山崎さんやシューシャードさん夫妻のような、尊敬すべきアメリカのアントロポゾーフと偶然知り合いになったり、20数年ぶりに再びシュタイナー関係の人たちとも親交を持つようになって、期せずして何かシュタイナーに再会する年のようでもあった。
世界を見ても日本を見ても行く先に暗雲の立ち込める状況であるが、そうしたなか、シュタイナーが、第一次大戦前に提唱した社会の三層化運動は、ひとつのオルタナティブのあり方を提示しているように思う。とりわけシュタイナーが主唱した時代とは違って、ソビエトの崩壊も知っていて、また機械論的世界観から生じるニヒリズムも極限に近づいているような状況で、人智学的世界観は、もし教条的理解に堕さないならば、より人間的世界を構築するためのひとつの指針になりうるように思えるのだが・・・。
  
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2007年11月06日

スーフィズムと西欧のおかしな関係

ある友人から、一本のビデオが届いた。六年目の真実という9.11の陰謀を暴くベンジャミン・フルフォードさんというカナダ人の方が作ったDVDだった。何人かと一緒に見てみた。友人のところにそれをもって行ったところ、「なぜアメリカは、戦争するのか」というビデオをかけていた。「なぜアメリカは、戦争するのか」のほうは、僕はもう何度も見ているが、そのビデオの次に、これをかけると、アメリカにおける軍産複合体の肥大化が、今の状況を作り出していることが、無理なく繋がってくる。「軍産複合体に気をつけろ」というアイゼンハウアーの離任演説での警告通り、行き着くところまできてしまった。軍需工場で、ベルトコンベアーでミサイルを作っている庶民のおばさんの笑い顔や、アイスクリーム片手に家族連れで戦闘機の航空ショーを娯楽のように眺めているアメリカ市民の呆けた姿は、アップグレイブで、イラク人の捕虜を虐待しながらVサインを出していた女性兵士の映像とダブってしまい、また抜け目ないやり手そうなネオコンのリチャード・バールやチェイニーたちの面貌と対称的に見えて、均衡を保っている天秤の両皿のようで、お互いの存在がともに片方を生み出したかのようで民主主義の墓場のようだ。

ところで、六年目の真実のほうだが、あまりに不審点の多い9.11事件、フルフォードさんは200点以上の不審点と言っていたが、「なぜアメリカは、戦争するのか」というビデオと一緒に見ると、ありえるべき帰結のようにも思える。僕は、イラク派兵違憲訴訟を始めるより、ずっと早い時期から、あまりに不審点の多い9.11事件はアメリカ政府の自作自演であるという前提で考えていたので、フルフォードさんが、こういうDVDを作ってくれた勇気を称えたい気持ちはあるが、僕の関心は、もう大分前から精神史的背景にあった。それでも、そのDVDで7号ビルの崩壊は、実際にビル崩壊より前に崩壊の報道がされていたなど、その当時の報道の映像や、当事者双方の対立を煽るアメリカの戦争の仕掛け方が弁証法の図式に則っているという指摘は面白かったが、事実的なことは、各分野の学者の方たちも加わり今後も検証されてゆくだろうから、そちらに任せたい。

僕が、興味を弾かれるのは、このDVDの後半の部分で、9.11事件をはじめから米政府の陰謀と考え精力的に訴えてきたアレックス・ジョーンズ氏の、秘密結社への潜入の映像である。そのことについて書こうと思う。その映像は、さながらハリウッドのB級映画のようだった。ルチファーを崇めて、生贄の儀式もやっているという。レーガンやクリントンも参加していたようだ。さてその衝撃的な映像だが、アメリカの資産家階級のそうした乱交パーティー紛いの会合を潜入ルポしたその映像が、嘘っぽいとかそういうことではない。僕もそういうこともあろうかと思うし、スカル&ボーンズやイルミナティのような秘密結社が、存在しないと思っているわけでもない。

ただ僕には、いろいろな関連がよく飲み込めないところがあるので、その疑問を整理する意味で書いてみようと思う。9.11事件が、米政府による陰謀だと囁かれる中で、大田竜さんや中丸薫さんなどはその代表的な主唱者だが、首謀者は、ユダヤ300人委員会だ、イルミナティだ、フリーメーソンだとか言う人たちがいる。

またフルフォードさんなども、その著作「9.11テロ捏造」という本で、こうした謀略の思想的背景についてこんな風に荒っぽく書いてしまう。

「キリスト教とユダヤ教は、乱交パーティーを禁止した。結婚以外のセックスを全部抑えていて、フリーメーソンは、ある意味で、違うセックスをする場として残っている。「アイズ・ワイド・シャット」でも描かれているが、秘密結社のご褒美は、金・社会的地位・それとこのセックスだ。フリーメーソンの組織と儀式を使って経済界に入ることは、頭脳をあまり使わずに、魔術とかシンボルを使う。これは非常に危険な要素だ。それにのっとって、ヒトラーの政党も同じようなことをした。ひとつの宗教的な組織だけれども、宗教でないものを作る。ヒトラー派、明らかに一部のフリーメーソンのやり方のまねをしていた。次によく知られた秘密結社はイルミナティ。このイルミナティの計画は、ユダヤ教、キリスト教をなくすため、西欧でジハードを行うことだ。中近東では、ヒトラーは、神様扱いされた。アラビア人もナチス軍を支えることを約束した。今でもヒトラーの著書「わが闘争(私のジハード)」が、アラビアの大学や首都で読まれている、ヒトラーの発想の根源は、トルコのゼボッテンドルフにある。ゼボッテンドルフは、イスラムのスーフィズム、フリーメーソン、反共産主義の思想をもとにして、自分の秘密結社を作った。それは宗教と軍を合わせたような結社だった。」

ぼくは、実は事柄をこんな風に単純化してはいけないんじゃないか、と思っている。これではフルフォードさんの想像の仕方もアメリカ人の秘密結社主義者の想像のネガに過ぎないように思える。まるでスーフィズムもフリーメーソンもいつも陰謀や戦争をたくらんでいる悪魔のような誤解を招く。これは、近代史だけではおさまらない西欧史の本当に不可解な部分だと思うので、僕なりにもう少し整理してみたいと思う。そうすると、一体いま何が問題なのかも、またその危険性も見えてくるように思う。

フリーメーソンの実体は、これまで一度としてはっきりした認識対象になったことはない。それは、絶対目の前に現れない宇宙人のようなものである。あるいは、アルカイダのように始めに捏造することによって、後から実態を持ってくるようなものである。それというのも歴史的に見て、フリーメーソンの問題は、キリスト教教会史の裏面の問題を抜きしては語れないように思われるし、スーフィズムの問題は、イスラームのシャリアとの関係なくしては語れないように思われる。ともに一神教の律法との緊張関係の中で生まれてきたように思う。

それでその歴史的背景を考えてみると、僕らには、なかなか想像の及ばない西欧近代史の異様な捩れ、西欧の物語の非合理な捩れと西欧の終焉も見えてくるように思う。そしてそれは、西欧にとどまらず、聖書そのものの異様な物語、キリストの復活の物語にまでも行き着くように思える。

どこから始めようか。僕自身たいしたことを知っているわけではないので、あまり知ったようなことは書きたくないのだが、湾岸戦争頃からだろうか、いろいろな機縁が重なり、中世における西欧へのイスラーム思想の影響に興味を持ちだし、結果、西欧文化に如何にイスラーム文化の影が落ちているかを知り驚いた覚えがある。それでスーフィーという一冊の本を訳したことがある。翻訳の作業中いろいろ調べていて、そこから浮かんでくるイメージは、フルフォードさんが、描写するような好戦的でナチスに象徴されるような大量殺戮と関係するものとは、およそ縁があるようなものとは思えなかった。それよりむしろ「貴方が、どんな境遇にあろうとも、愛のある人でありなさい」といったルーミーの言葉に象徴されるよな、あるいは次のようなイブン・アラビーの詩に象徴されるように、

私の心は、どんな形態をとることもできる。
修道僧にとっての修道院、偶像神のための礼拝堂
ガゼルのための牧草地、信者のカーバ
愛は、私が守る信条である。彼の駱駝たちが、
どこへ向かおうとも、愛は、それでも私の信条であり信仰である、

律法優位に傾く原理主義的硬直とは、対極にある愛と寛容を重んじ、「イスラームの内面」、あるいは、すべての宗教のうちにある内的な教えであるといわれたように、外部に神を見出すのではなく自分の内部に神を見出してゆく信条、いわば律法主義的な宗教のあり方とは対蹠的な宗教的信条のあり方を感じたのであった。スーフィズムの担い手たちが、主に詩人であったこともとても興味をそそられた。それは、イスラームという宗教の枠を超えて訴える力を持っていた。ジャラルッディーン・ルーミーは、イスラーム、キリスト教の各宗教の枠を超えて慕われていたという。また11世紀のキリスト教のトゥルメーダのアンセルモ修道士は、イスラームでは、アブドーラ・タルジュルマンというスーフィー導師としてムスリムからも慕われていたという。またキリスト教の聖人、ライムンドゥス・ルルスのカタルニア語で書かれた「恋人たちの本」は、イスラームのスーフィーからの影響の下に書かれたということを、ルルス自身も言っている。スーフィズムの融和的特徴をよく表していると思ったものである。

現代のアルジェリアのスーフィー導師、シャイフ・ハーレド・ベントゥネス師は、次のように言う。「私たちの文明では、すべてが人間を、修理し、刺激を与え、直すことのできる、考えるロボットにすることに貢献している。しかし、それが行き着く先はない。第一の皮、第二の皮、第二十の皮と剥が続けて、いったい何が残るのだろうか。信仰もなく、法もなく、愛もない人間。「愛とは何だろう」と問う人すらいるのである。これに対して「それは、ニューロン、シナプス、分子の総体のことである」との答えを聞くことができる。こうして人は地獄への道をたどり始める。それは私にとって、すべてが化学的、電子的、合理的、論理的過程に他ならないとされる地獄の記述である。私にとって、人間はまったく別のものである。それは、例外なく神の名前のすべてを受け取った存在である。いくつかの流派では、神は私たちの中にいる、と結論付けるまでになっている。」

余談になるが、2年ほど前、イラクの労働運動をしている人たちが、日本に来たことがあった。その人にタッサウッフ(スーフィー)という人たちを知っているかと聞いてみたことがある。そうしたら一人のイラク人は、知らなかったが、もう一人の人が、ああ、あの仏教徒のような人たちね、といっていたことがとても印象的であった。またこんなこともあった。アフガンから亡命してきた父親が、アフガンの裁判官で母親が日本人であるハーフの青年が、ヨルダンの弁護士さんを招いた講演にやってきて、貴方は、スーフィズムに興味を持っているのですか、と聞かれたことがある。その青年は、タリバンを酷く嫌っていて、タリバンに初めに殺されたのはスーフィーたちですよ、言われてひどく驚いたことがあった。

話を西欧中世に戻せば、「12世紀ルネッサンス」で、伊藤氏が、言うように、スーフィズムの「愛の思想」は、書きかけのこのサイトの冒頭の文章で記したように南仏のトゥルバドゥールの成立に多大な影響を及ぼしたことは間違いないと思う。ドニ・ド・ルージュモンも、その「愛について」という著作で、南仏で花開くトゥルバドゥール文化の起源をイスラームのスーフィズムに求めている。更に面白いことに、禁欲主義的な異端カタリ派と開放的なトゥルバドゥール文化とは、地域を同じするけれども、まったく交流はなかったという通説に異論を唱え、クレチアン・ド・トロアの「ペルスヴァル」の文脈を追いながら、禁欲的なカタリ派と開放的なトゥルバドゥール文化は、決して排除しあうものではなく受容しあっていた、と詳論している。教皇権による、カタリ派の弾圧、そしてその後の「バフォメット」という偶像を礼拝しているという異端の嫌疑をかけられてテンプル騎士団も弾圧されるという事件に象徴されるように、異端と正統の確執する凄惨な西欧史を背景を抜きしては、秘密結社の成立は考えられない。フリーメーソンの成立は、14世紀と考えられているが、ハンコックの言うように、テンプル騎士団の残党が、教皇権の及ばない文献ともに、スコットランドに難を逃げたという説も頷ける。

スーフィズムが種を撒いた「愛の思想」は、トレドやシチリア、そしてビザンチンが管轄していたベネチアで盛んに翻訳されたネオ・プラトニズムの文献ととも、2世紀を経てイタリア・ルネッサンスで開花したように思う。いずれにせよ、西欧楽器の起源ひとつをとっても明白だが、西欧芸術の発展の影には、イスラーム文化の影響は、欠かせない。
大雑把に言っても、僕が、感じ取っているスーフィズムは、決してジェノサイドやファナティッズムとは、遠いものだと思っている。ハッラージュがいったという「アナルハック(われは神なり)」という言葉にしても、スーフィーたちがよく使うというアナグラムや酔語といわれるものも、晩年のソシュールのそれのように、狂信といった言葉で形容するものとは、別のことだと思っている。

僕が本当に不可解に思うのは、西欧の歴史に由来する諸観念の錯綜の仕方なのである。フルフォードさんのDVDによれば、アメリカのかの秘密結社の門には、「バフォッメット」のシンボルが、掲げてルチファーを崇めてあるという。ゼボッテンドルフは、イスラムのスーフィズムに心酔していたという話やあのヒムラーの親衛隊は、カタリ派詣をしていたのも知っている。僕が、スーフィーから感じ取っているイメージとどこでどう結びつくのだろうか。

僕は、そうしたことすべては、悪いジョークだと思っている。そもそも悪魔学なんていうのは、都会に男性神学者が、魔女を弾圧するために捏造した呼称であった。上山安敏さんの「魔女とキリスト教」によれば、オカルティストと見做されていたアグリッパは、教会から魔女と目をつけられ、火焙りに会いそうな女性を擁護して、その命を助けようと、奔走していたという。ところが、フルフォードさんのDVDに映る、アメリカの秘密結社の面々は、自ら悪魔主義を掲げ、ルチファーを崇めているという。僕は、これは、ものすごく質の悪い漫画だと思う。でも悪い漫画的妄想に取り付かれているものがいないといっているわけではない。現代の怖さは、妄想が現実と化してしまうところにある。アレックス・ジョーンズさんが、隠し撮りしたそうした組織は、存在しないなんて言うつもりはない。そうした彼らが、自分たちの組織にフリーメーソンだ、イルミナティだ、スーフィズムだと名を冠していても、きっとその内実とは、無関係なものだろうと思う。スーフィーの有名な警句がある。「昔は、スーフィーであることは、名なきリアリティであったが、今日では、リアリティなき名である。」これは、多分フリーメーソンにも当てはまるのではないか。

僕は、別にフリーメーソンを擁護しようと思っているわけではないが、でもメーソンの掲げた、フランス革命のスローガン、自由、博愛、平等の理念は表向きのものであって、メーソンは何百年も世界支配を企んできたなんていう陰謀史観は、少しうがり過ぎた、現時点の摩れた眼で過去を投影したものに過ぎないと思う。

若き日に「ガリレイ・サークル」でハンガリー革命に重要な役割を果たした運動家でもあり、早くから市場経済批判した経済人類学カール・ポランニーは、ブタペストのフリーメーソン左派であった。栗本慎一郎氏は、ブタペストのフリーメーソンのことをこんな風に描写している。「革新的で知的なフリーメーソン派のユダヤ人は、いずれもユダヤ。ショーヴィズムに反対するのがつねだった。」彼は、友愛の原則に照らして、稼いだお金を貧しい同胞に分け与えていたという。だから、フリーメーソン=陰謀組織というパターン認識には、気をつけなければいけないと思う。これは、違う言葉で翻訳する必要があると思う。

市場を私物化する軍産複合体や金融資本家たちが集う組織を、現在のアメリカではフリーメーソンと呼んでいるぐらいに思ったほうがいい。

アレックス・ジョーンズ氏によれば、彼らは、ルチファーを信奉しているというが、先のイスラームのスーフィー導師の言ではないが、人間というものを、ニューロンとシナプスと分子の総体と思う、人間観と表裏一体である。シュタイナー的な言い方はあんまり好きではないが、傲慢をルチフェル的というなら、機械論的人間観はアーリマン的でもあり、現代は、両者な手を結んでいる、とどこかでシュタイナーは言っていたように思う。でもそんな言葉で言う必要があるのか、内と外から見た西欧ニヒリズムの流れといっていけないのか。

折りしも、民主党の小沢一郎は、辞任を前言を翻し続投するという。その行為と観念においても、完全に常軌を逸したアメリカに追随するとは、どういうことを意味するのか、見定めているのだろうか。
  
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2007年11月04日

囚われない理性とは(2)

今から思えば、シュタイナーやベルグソンの時代はまだよかった。無機的世界を分析・研究しているうちは、まだよかった。この方法は、いまや有機的自然にもそして人間にも適用され、いまやわれわれの生活と意識の全面を覆ってしまった。最近では、量子生物学というのもあるらしい。シュタイナーは、一貫して、無機的自然、有機的自然、そして人間という3つの分野を考察する方法は、同じではないと主張していた。特に人間においては、その方法は、理念的探求であるべきだと説く。

いくらその方法は間違っていると思っても、幹細胞から再生された耳などを見せられると、生物はひとつのメカニズムだ、というメッセージは、強力にわれわれの心を蝕んでゆく。一方、科学的方法以外の知は、多様性の海を彷徨うこととなる。現代人は、何か見えるものに還元しないと実在だとは思わなくなってしまっている。すべて感覚器官で捉えられるものに還元されたとき、ある種の信用を得る。だから一生懸命、オーラを測定したり、キルリアン写真で取ったりして、その実在を証明しようとする。それに一番目に見えないもの、魂などはまったく不確かなものとして打ち捨てられる。

しかしその当の科学的知の内部で、その先端では「もの」というものが、不確かなものになっている。そしてその探究の道具である論理の真理性も、もう怪しくなっている。ゲーテが、ニュートンの物理学を間違っていると思い、また自分の後世に残る業績を聞かれて色彩論と答えたというが、そこまでゲーテが確信を抱いた背後には、ゲーテには、疑い得ない知覚があったからだと思う。色彩に道徳性を見るゲーテの自然科学は、近代から見ると、ニュートンの色彩論のような普遍性を持っているとは思われていないが、それは、平均値的な知覚を前提にしているからだ。今日、脳科学では、クオリアという言葉が盛んに使われているが、ゲーテの目指したのは、量の中にあった質の科学だったように思える。

そしてここまであらゆる領域で物象化が進んでくると、質の科学の重要性が、自然と意識に昇ってくる。神智学も僕には、そうした質の科学を打ち立てようとしたように見える。一方で、肉体の物質性は、極限に向かって収斂してゆくように見えるが、僕たちの「いのち」観は、瀕死の状態になっている。科学での機械論は、経済では功利主義に姿を変えるが、極限に近づき抽象度を増すにつれて、それは、「いのち」の原理を圧殺する方向にあることが、感じられるようになる。こうした状況の中で、シュタイナーは、自分の思想を、一思想家の固有な思想ではなく、ガイステス・ヴィッセンシャフト(geistes Wissenshaft)と一般的に命名したことの意味をもう一度捉え直す必要があるように思う。科学的思考をもう一歩進めるためには、知覚の変容を必要とする時点まで、僕たちはきているのかもしれない。
  
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2007年10月24日

囚われない理性とは

もう少し、シュタイナーを再読した感想を書こうと思っていたが、どうも調子が悪く書く気がしない。それで漫然と「9.11/3.20以降の世界史と日本の選択」という雑誌を読んでいたら、津森和治さんという人と吉本隆明さんの対談が載っていた。
吉本さんは、遺伝子生物学者と対談するために、一冊の遺伝子生物学者の本を読んだという。その本で、吉本さんが一番面白くまた馬鹿馬鹿しく感じたという箇所を紹介しているので、長いけれど引用する。

「心理学を専攻して心理療法をやりたいという臨床心理学を専攻している自分の教えている学生100人にーそれが一番面白かったし馬鹿馬鹿しかったのですがー人間の脳の働きと脳神経といいますか、そういうものの働きと人間の精神内容といいましょうか、そういうものとは関係があるかないかと学生100人に質問したんだそうです。将来、臨床心理をやるという学生に質問したら、30人は関係ないと言ったという。つまり脳の働き、脳神経の伝達と人間の精神内容が出来上がるという、精神内容でこういうことを考えるとか、行為するとか、見解の違いとか、そういうのとは関係ないというのが、30%、30人いたというんですよ。あとの人は、関係があると言ったそうです。要するにその著者は何を言いたいのかと思って読むと、脳の神経や脳の働きと人間の精神内容とは関係ないという学生が30人いるけれど、それは科学的じゃない、つまり迷信的であると、その著者は、アメリカの先生でしょうけれども、そう書いてあるんですよ。何を言っているのだ、この人は、と僕ならすぐにそんな馬鹿なことはないんですよ、言いますけどね。30人の学生が、人間の精神的な働きとか心理的な動きと脳がどう働いているのかということとは関係ないといった。つまり関係ないと見えるほど独立しているように感じると思えるのはなぜか、と言ったら、それは人間だからですよね。だからそれが人間の特徴なんですよ」

その先で、吉本さんは、「脳の働きとか脳の変化とかそういうものと人間の精神内容は独立しているのだという見解はまさに人間のみが持っている見解であり、また人間のみの特徴だと僕は、思っています。そういう風に思っている人が、専門的なことをやりたいと思っている人が、100人のうち30人もいたということは、いかに人間が他の動物と違うかと言う唯一の箇所なんですよね。ですから、そういう人がいるということは良いことじゃないかと僕は思うわけです。良いことだと言わなくても、本当は繋がっているんだけれど繋がっていないがごとく完全に人間の精神的動きというのはできているんだよ。それは動物にはないんだよ、ということなんです。」と続ける。これは、ベルクソンやその影響を受けた小林秀雄も、いつも問題にしていた事柄であるが、僕は、むしろ70%の学生は、脳の化学で心を説明できると考えているのが、恐ろしく思う。この傾向は、近年、加速化されており、もし100%の人が、脳科学で説明がつくものだと信じるようになれば、人間は、魂なきものとなってしまうように思える。これは、どこかこのアメリカの戦争の残虐さに繋がっているように思える。アメリカのファルージャ攻撃の際、アラブのメディアは、臓器移植のビジネスマンが、死体から眼球を取り出していると報道していた。真偽のほどは分からないが、アメリカの生物学者の世界観や人間観とはまったく無関係であるようには思えない。

若きシュタイナーにも似たようなエピソードがある。

コリン・ウィルソンは次のように描写している。

「シュタイナーがこよなく愛している科学は、人間は動物であり、動物は機械であると説いていた。・・・・・最も親しい学友の一人が、人間は完全な物質的な存在であり、きみの思想は脳の化学で説明できると僕は、信じているよきっぱり言ったとき、シュタイナーは激怒した。・・・・・「きみは、“僕は考える”という場合それは脳と神経のプロセスの結果に過ぎないと主張する。そして、このプロセスだけが現実のものだと信じている。“僕は見る”“僕は歩く”などの場合も同じだときみは考えている。しかし”僕の脳が考える“”僕の脳が見る“とは決して言わないことに注意を向けたまえ。もしきみが本当に自説が正しいと信じるなら、言い方を変えなくちゃいけない。・・・・・だが、きみとしては、きみの説を否定する健康な本能に従わざるを得ないだろう。君の実際の体験は、君が自説の中でこしらえあげている観念とはまったく異なっている。ほかならぬきみの意識が、きみの説は、虚偽であることを証明している。」

コリン・ウィルソンは、シュタイナーのこの人間としての「私」は具体的な現実であるという確信は、その後の彼の壮大な思想体系を築く礎だったと続けているが、僕も、シュタイナー思想の根底にはこの問題、言い換えれば「いのち」の問題があると思う。またそう思わなければ、僕には永遠に理解できそうにないアカーシャ年代記の世界に付き合う気になどなれない。

吉本さんは、本当は脳の働きとは繋がっているんだけれど、あたかも繋がっていないがごとく完全に人間の精神内容は独立しているのだというが、あくまでそれは、動物から人間への発達史、シャルダンだったらオメガ点に達したというかもしれない意識の飽和状態としての精神内容の独立性と見ているように思う。今日、臓器移植の際免疫反応を克服するために、自分の幹細胞から各臓器を再生させるという研究が進み、実用化までされているという。研究者は、無邪気にその成果に熱中しているかもしれないが、ここまでくると精神内容の独立性さえも脅かすほど、世界観的な観念への影響は強力と言える。素人の僕たちは、突き詰めると怖いから、何か違うと思ってもあまり深く考えようとしないが、暗黙裡に人間は機械である、というメッセージは浸透している。吉本さんは『本当は繋がっているんだけれど繋がっていないがごとく完全に人間の精神的動きというのはできているんだよ。それは動物にはないんだよ』と言っているが、「本当は繋がっているんだけれど繋がっていないがごとく」というように、吉本さんも精神内容の方は、肉体に付随した幻想であって、その幻想そのものには実体はなく、死ねば死にきりであると考えているように思える。吉本さんは、この対談のすぐ前の箇所では、「確かに幼稚な宗教観で幼稚なことを今もってやっている宗教の修行者とか専門家というのは、中沢新一さんが行くチベットにもあるわけですが」といって、チベット仏教を幼稚と簡単に言い捨てているが、その生と死を巡る修行の内実が、果たして幼稚なものなのかどうかを検討しようともしない。ダライ・ラマやチベットの高僧が書いた本を読む限り、僕には、とても幼稚なもののようには思えない。それに時間の概念や「いのち」の物象化の行き着く果てまで見えそうなこの時代には、未来を切り開くためのとても大事な問題、量としての生を質としての生に転換するための大事な問題を提起しているように思う。もし幼稚という表現に幾分か当てはまるとすれば、東洋の場合、内的体験はいわば体術になってしまっていて、それを概念でもって客観的に思想化する技術を発展させてこなかったことにあるように思う。しかし吉本さんは、そのすぐ前で、西欧文明が一番進んでいるという一方的な見方に反対して、未開社会の知識人が、西欧に一年も留学したらたちまち現代人を同じになるといい、文化の型は、地域固有性と種族固有性に属している問題で、頭の良し悪しに関係しているのではないという。そうだとするなら、なぜ決して頭の良し悪しではなく地域的固有性の限定されたチベットの知識人が、営々と維持してきた文化を幼稚と形容してしまうのだろうか。吉本さんは、これまで影響を受けてきたヘーゲルやマルクスの思想に少し疑いを持っているという。でもチベット文化を幼稚と形容してしまう背景には、社会システムの複雑化を高度化と看做してしまう西欧の物語が強くあるのではないか、とも思う。

未開人は、決して幼稚なのではなく、近代的貨幣経済を進展させてない国々は、西欧型の社会にさせなかった原因は他にあると考えるべきなのだ。ネイティブ・アメリカンやアボリジニーは、自分たちのコスモロジーが崩壊してしまうことを非常に恐れる。今年アフリカのブルキナ・ファッソから見えたソボンフさんという女性の話を聞く機会があった。そこでも痛感したのは、ダカラ族という部族に伝わるコスモロジーであった。そこには、自分たちの「いのち」と宇宙を繋げるコスモロジーに由来する深い洞察が隠されているように思った。とりわけ別の知覚や別の思考のあり方の可能性を示唆してくれた。「いのち」から浮上して、金融グローバリズムに侵され、競争に明け暮れるこの末期資本主義が失ったものを照らし出すヒントでもあり、逆にアフリカの人にしてみれば、もういわゆる経済先進国に対して、自分たちからメッセージを発信しなければ、そのコスモロジーが崩壊してしまう危機にある、ということでもある。それにしても、英語、フランス語をこなし、欧米各地を講演して回り、一年のうち半年は、ダカラ族の部族社会で暮らすというソボンフさんの異質な文化を横断する複眼的―多元的生き方は、未来を予感させる。そのおかげでというべきか、ソボンフさんのようなメッセンジャーを通して聞く異文化は、西欧のフィールドワーカーが、外側から考察するのとは異なった色々なことを気づかせてくれる。

少し前だったらこれほどに印象を持たなかったかもしれないが、ソボンフさんの語る精霊コントンブレが見えるという話や僕には見えない雲に覆われた富士山が、ソボンフさんには見えるという話からは、いかに知覚像というものすら地域固有性に属しているものか知らされる。有機的構造と関して「外的条件という鋳型に段々と押し込まれていった形態が次第に複雑化することと、そうした諸条件をますます有利に活用する器官がその構造をいよいよ複雑化していくこととは、別のことである」と、ベルグソンは創造的進化の中で言っている。ダカラではいまだバーター経済だというが、おそらく貨幣経済の進展を許さなかった地域では、単に思考形態だけでなく、否その思考形態と密接に結びついた知覚像や記憶表象の発展のあり方の違いが、貨幣の侵食にブレーキをかけていたように思える。

話がそれてしまったが、続けて原始仏教について吉本さんは、次のように言う。「仏教でも古い原始仏教というのはなかなか見事なもので、人間死んだらどうなるのだというと、死んだら今の人は大体骨だけ残るけれど後は焼いたり、焼かなくてもだんだん腐ってなくなってしまうという。どうして骨だけ残るんだと言うと、人間の身体を形成している要素で無生物なのは骨だけであとはみんな生物ですから、内臓は植物神経系で動いているわけだし、そうじゃないところの感覚器官はどの動物もちゃんと目もあるし鼻もある。同じじゃないかといえば同じで、人間と動物でどこが違うんだと、そういう風に詰めて行くと、大体インチキなことばかり言っているんです」

これでは精神内容の多様性をどんなに認めても、おそらく吉本さんが引用した生物学者の確信を揺るがすことはできないだろう。吉本さんのこのアメリカの生物学者に対する異議には共感するものの吉本さんの感想にも何か不満が残る。吉本さんの視点では、人間の精神内容を脳内の化学過程や物質代謝と見る科学的還元主義への批判にはなっているが、言葉を持つ動物である人間は、どんな型の文化であろうと、必然的に概念や観念を抜きにしては作られてはいないということはとても説得的なのに、それが肉体を含めた統合的な地平を開いてくれることがない。眼が眼自身を知覚するならば、それは眼の病気だ、とベルグソンは言ったが、思考中に脳内の化学反応を知覚する人間がいるとしたら、それは一種の病気である、そんな科学主義的世界観を平気で教えるのも病気であるとまでは、常識の範囲内だが、そこからがなかなか進まない。それは、吉本さん自身、弁証的あるいは二元論的思惟に捉われているからではないだろうか。僕たちは、二元論的枠組みに慣れすぎていまいか。吉本さんは、こんな風にも言っている。「確かに脳の働きや脳神経の伝達性がなければ精神作用は起こらないだろうし、何もないのにただ自然に起こるということはありえないので、脳の働きとか脳の変化とかそういうものと人間の精神内容は独立しているのだという見解はまさに人間のみが持っている見解であり、また人間のみの特徴だと僕は思います。」動物の内面のことはよくわからないが、人間の精神の独立性は、疑うべくもない。
脳神経の伝達物質の中を探しても、どんな表象をその人が持っているかなど分からない。
またある種の表象は、「命」を活性化させ、病気のときには、免疫力さえ高めるのも、多くの人が認めるところだ。これは、二つの世界なのか?むしろ先の科学者の方が、部分知を拡大した抽象であることは明白なように思える。僕が、不満なのはこういう時、いつも詩人である吉本さんと工学者であった吉本さんが、相克していて曖昧な言い方になってしまっているように思えるところだ。むしろ人間の精神の独立性という精神内容が、物質である伝達物質にも影響を与えており、変容を受けているはずであると言い切らないのだろうか、と思っている。

それに機械論を打ち崩す材料はあるように思う。動物は、一種のメカニズムである、という生命観への反証は、比較的容易に見つかる。気功でいう経絡は、今後も物質としての肉体をいかに分析しても解剖学的に経絡図を見つけることはできない。それでも針治療や針麻酔は、広く医学的に認められている。その事実からも、生体は、解剖学的に検証しうる肉体にオ−バーラップする形で、もう少し精妙な身体が存在していると仮定するのは、ごく自然な類推であると思う。それが神智学でいうエーテル体かどうか僕には分からないが、経絡図が外側からの解剖ではなく、微細な内部生命への観法を通して発達してきたものであることは、疑い得ない。チベット仏教にもそうした修練は受け継がれているだろうし、決して幼稚なものではないはずだ。もし幼稚という表現に幾分か正当性があるとすれば、それが身体論に留まり、この資本主義社会の構造を改革しうるような理念を提供していないことにあるのではないだろうか。

この問題は、僕に意外な類推に誘う。つまりイラク派兵違憲訴訟において、裁判官たちが、平和とは理念に過ぎない、といって言わば、概念とか理念は人間という生物の付属物のごとく言って恬として恥じないというのも通俗的な科学観に影響ではないかと思ってしまう。そこでは、理念は、単なる抽象物で「いのち」とは、無関係に存在しているものと看做されているが、それでは「平和」という理念は深まりようもないし、「平和」の理念というものへの価値の欠如が、別言すれば、言葉というものへの価値の欠如が、いかに「いのち」というものを破壊するかを考慮することがない。もちろん理念のあり方によっては、「いのち」の破壊の方向に進むこともあるが・・・。

こうした逡巡には、「霊的」なものを前にして たじろいだカント以来の近代知の誠実の問題があるように思えてならない。
ベルグソンは、「思想と動くもの」の中で、「もし形而上学が可能ならば、それはヴィジョンによってであり、弁証法によってではない。」といい、カントが思弁哲学にもたらした功績は、形而上学が可能ならば、それは直観の努力にしかなく、形而上学的実在についての知覚にしかないことを決定的に明確にしたことだという。しかもこうした直観は、不可能だと付け加えて・・。

ベルグソンは、なぜカントが形而上学を不可能と判断したかについて、形而上学的直観を訴えていた人々と同じように、ヴィジョンを想い描いたからだという。つまり意識からも、感覚からも根本的に区別され、それらとは逆方向に向けられてさえいるひとつの認識能力を、実際に生から身を引き離すことは、その認識能力に背を向けることだと信じたからである、という。彼らがそう信じたわけは、彼らが、私たちの意識や感覚を、それらが日常生活の中で機能するままに引き出し、それらが、私たちに運動を直接捉えさせると想ったためである。私たちの感覚や意識は、通常働いている通りに働くので、それらによって、私たちは事物のなかの変化や私たち自身の変化をも実在的に知覚する、彼らはそう信じた。ところが、私たちの感覚や意識が日常与えるものに従っていたのでは、どうしても思弁の上で解きがたい矛盾に行き着く。そこで彼らは、こう結論した。矛盾は、変化そのものに内属する。この矛盾から逃れるには変化の領域を出て、時間の上空への昇らなければならない。形而上学者たちの思考の根底は、こうしたものであり、これはまた、カントと共に形而上学を否定するものたちの思考の根底でもある。と。

ベルグソンは、時間の外に出なければ、形而上学を可能ではないと考えたプロティノスも、だから形而上学は、不可能だと考えたカントも同じ前提に立っていた、と考察している。

ベルグソンとシュタイナーは、大分違う思想家で、ベルグソンをだしにしてシュタイナーを語ることはできないだろうが、持続についてのベルグソンの教説は、シュタイナー的な瞑想空間を否定していないように思える。


シュタイナーについて語ろうと思ったのだが、ベルグソンに話になってしまったので、話を戻す。

シュタイナーは、二元論について次のように言っている。『二元論は人間の在り方が二つの隔てた統一的現実の両側面をそのまま認めるだけでなくそれらを互いに絶対的に異なる二つの世界と考える。そして一方の世界のための説明原理をもう一方の世界の中に求める。二元論はわれわれが認識と名づけるものを誤って理解している。全存在を二つの領域に分け、その各々がそれぞれ固有の法則を持つと考え、そしてその二つの領域を外から互いに対立させている。』(自由の哲学132頁)

シュタイナーには、精神内容の独立性は、逆に物質に影響を及ぼしているという視点がある。概念や観念や表象作用を持つ人間という前提に立って、むしろ自我作用によって、脳の働きや神経組織も独特なメタモルフォーゼを遂げている生物という視点から、出発している。僕には、この出発点は、広い意味で反科学ではないように思う。ただアカーシャ年代記になると、物語として読むほか僕には、すべがないが・・。

シュタイナーは、自由の哲学で思考作業について次のようにいう。
「思考作業を行うとき、脳の物質的な作用が同じ物質的な別の作用を惹き起こしたり、物質的に影響したりする事実もここで問題にする必要はない。思考を観察するときには、脳の中のどの器官の働きが稲妻の概念を雷鳴の概念と結びつけるのかではなく、この両概念を特定の仕方で関係付けるように私を促すものは何であるかを観察するのである。この観察の結果明らかになるのは、思考内容を互いに関連づけるとき、私の思考内容そのもの以外には何も基準になるものがということである。現代のような唯物論的な時代でなければ、このような但し書きはまったくの蛇足であるといえよう。けれども現代人は、物質とはなにかを知れば、物質がいかに思考するかをも知るようになる、と安易に信じたがる。だからこそ大脳生理学を引き合いに出さなくても思考について語ることができる、とわざわざ述べる必要が生じる。」(58頁)

         つづく


  
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2007年10月23日

晩秋悲歌



僕の中で、それが思い出されることは、不思議だ。

それは、誰もが人の間にあっては理解されない、と思っているもの。
それは、静謐でありながら、狂おしいもの。

自分のものでしかなく、それでいて誰のものでもない、と皆が思っているもの。

それは、外に向かっていた関連が、ふと途切れ、
もう後を追うにもどこに行けばいいのか、分からなくなったとき、

さまざまな疑いや不信も、穏やかな自然の営みの中で
すべてが、許せるもののように思えるとき、

解釈された世界の外側にあって、過ぎ去っていった
たくさんの動物たちの瀕死の眼の中に見た微笑みに近い。

それはまた、沈殿してゆく思念のような
秋の深まりのなかで、自分から離れてゆくもの。

もう見えない領域に入ってしまった者が、生き生きと
回帰するのは、狂おしい。

かつて未来に向けて不安と憧れであったものは、
もう何処にもないものとなって、
回帰するのは、哀しい。

でもそれは、初めから分かっていたこと。
過ぎ去る前に、いつか思い出そうと刻んでおいた
記憶でも、蘇るときの気持ちまでは予想できない。

死者たちに接近するのは、難しい。
宴のなかで歓談しながら、もう見えなくなり、
どこにもいなくなったものたちがふとよぎるのは、罪の証なのか。
昔、人々が沈黙を知っていたのは、死者が生者のなかに生きていたからだ。
都会が、あんなに騒がしいのは、思い出せない死者たちが、生者の中で
荒れ狂っているからだ。

生きる者のうちに、死が宿らなくなったとき
死は、外側からやってくる。
死が、いのちと融和してゆくとき、骨は脆くなる。

子供たちが、外で遊ばなくなってから、そして
人が、とんと本当のことを言わなくなってから、
もう数え切れない年月が経った。

正しい者は一人もいない、とある牧師がロマ書を引用した。
でもどうして人は、正しい者がいないのを知るのだろうか。
正しいものがいないのを知る僕らは、悲しい存在だ。

死に引き寄せられると、生者の顔が青くなるのはどうしてなのか。
ある決断をするとき、顔色が青くなるのは、悪い傾向だ。
よい決断には、生きる歓びが必要だ。そして生きる歓びには、
まるではじめからいなかったかのように、消え去ることが、
必要だ。僕の飼い猫たちは、みなそれを知っていた。
大人しい動物たちは、生を守るかのように、死よりも先に死ぬ。

葉を落とした白樺の木は、これから生きようとしている。
これからの冬を予感して、辛抱強くいのちを内部に貯めようとしている。

夕暮れの山の端に、もう星々が、顔を出す。
もう秋の風は冷たい。
  
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2007年09月26日

日々雑感ー秋の変容

日々雑感

今朝、早く目覚め庭に出る。僕の心の有り様のせいか、今年の秋は、何かいつもより、シーンとしているように感じる。夜降った雨も上がり、人気もなく、あたり一面静寂が支配している。何かとても久しぶりに身に染みた。それでこんな詩みたいのものができた。

秋の変容

乱調気味だった暑い夏も終わり、
大地は、再び落ち着きを取り戻してきました。
小鳥たちののびのびした鳴き声は、
どこまでも持続する大きな沈黙の空間を教えるかのように、
透き通った秋の日差しの中に木霊しています。
雑草の生い茂った庭では、鈴虫が鳴いています。
雨もやみ、静まった秋の朝の陽光を浴びながら、
雉の親子が、ゆったりと餌を求めて、
鮮やかなコスモスの間を散策しています。
音もない日々の運行は、静かに変容の時を告げています。
崩れ逝くものたちを、優しく支えるかのように、
今年の秋は、よりいっそう沈黙の度をましています。

ネット上では、ここ数日安部首相が、自殺未遂をしたというニュースが囁かれている。
立花隆は、安部氏の健康上の異変、端的に言えば、その身体の老化現象について今年の2月ぐらいから、指摘していた。安部氏の早い老化の原因は、父方の遺伝子による影響が大きいなどといっている。いかにもジャーナリストらしい見方だが、そういう指摘が当たっているかどうかは僕には分からない。でも僕はもっと観念のあり方に目を向ける。

政治家は、いつも世論の動向で動く。いわば主体なき他者の欲望の受容器となる。そして様々な利害関係の圧力から政治みずからが、情報を隠蔽したり、操作したり世論を誘導する。テレビやマスコミを通して、ある特定の対象に、ある志向性をもった単純な観念を形成するようにいくつかの固定した表象が植えつけられ、その観念が、容易に好感―反感の情動を呼び覚まされるように巧みに操作する。人間においては観念は、否定的な意味でも「いのち」と密接に関わっている。そしてその観念だが、もはや「いのち」の中から、たち現れてこなくなって久しい。僕たちは、もう「念」を「観る」指標を持っていない。

各家庭にあるテレビや新聞を通して、観念は、意図された人工的な映像によって操作され、観念が「いのち」に触れることはなくなった。もうちょっと言えば、昔の人は、「いのち」に触れ、そこから観念が、そして言葉が立ち上がってきたように思える。でも今や、「いのち」に触れられない苛立ちが、言葉となり表現となる。それは、騙したつもりの者の「いのち」にも言えることだ。権力も世論も、しだいに「いのち」を見失い、ともに主体なき海で漂流することになる。9.11以来、ここ数年、特にこの傾向は、速度を増して、極限に近づいている。阿部氏の自殺未遂の情報とともに、思春期の子供が、父親を斧で殺す、あるいは殺そうとした、という記事が新聞に載っていた。もうこうした記事も、目新しいものではなくなってしまった。

もはや復古的で、対処的ないかなる方策も有効ではないのは、明らかだ。何かもっと心の深層からの声に、耳を傾ける時期なのだ。昨日はっきりと掴めたものが、今日になると、自分が何を考えていたのか、分らなくなることが、最近ではしばしば感じる。

             ・・・・・・・・・・・

昨日と今日を比べれば、日常の変容に気づかないことが多い。新聞や報道を見て落胆したり、何かとても弱気になったり、馬鹿げた政治家の虚言に不快や煩わしい日常の郵便物をやり過ごしたりしながら、昨日から今日へと時は、雪崩れ込んでゆく。そうした日常の経過も、数年立てば、日常というものが、大きく変容しているのに気づく。ちょうど十年ぶりで会った友人の顔に、はっきり老いを見るように。嘗て心に息づいていたものが、気づいてみると、すでにもう見えない空間に入ってしまっていて、それは、いまだそこに留まってはいるもののもう取り出すことはできない。無数の、時には哀切な思い出や熱狂的な駆りたてが、複雑に絡みながら、気分として心の深層に沈んでゆく。

最近、イスラーム教徒のある女性を訪問した。彼女は、アメリカのイラク侵略が始まったとき、いてもたっておられず、ヨルダンまで飛行機で飛んだ。「あの時は、私は、どうかしていたのね」と言った。勿論彼女も僕も、今でもイラクやアフガン、パレスチナでアメリカ政府やイスラエルによる殺戮が行われているのを、忘れてはいない。そして今後イスラエルは、国家消滅の危機に直面するのではないか、と僕は思っている。小康状態が、長いこと持続することはないように思える。そしてそのとき、世界は、もう一度大変化に見舞われるだろう。そうした予感や不安を孕みながらも、パレスチナにもイラクにも僕たちにも、日常がある。それは時代の深層的な通奏低音として、意識の底に沈み、今はまだアモルフな形としてしか捉えられない。

以前にも引用したが、「私たちの未来が私たちに入ってくる瞬間は、一見何も起こっていないかのようであり、じっと麻痺したような瞬間であるにもかかわらず、そういう瞬間こそ外部からくるように思われる未来が、実際に 生起するあの騒々しい偶然的な瞬間よりは、実に遥かに生に近いものだからです。」とリルケは言っている。僕には今が、そんな「麻痺した瞬間」のように思える。

報道では安部氏に代わって、福田氏が、首相になったことを告げている。福田氏は、コイズミ、アベと続いた自民党政治を、必死に修正しようとしているかに見えるが、自公も自公を支持する人々もそして護憲政党も、もう既に、かつてあった現実は、もう見えない空間に入ってしまっていて、もう五年前の現実は、現在という空間には存在していないことにまだ気づかない。流動する深層の現実は、もう違う局面を向えている。

でもリルケの言うように、私たちが運命と呼ぶものが、人間の内部から出てくるものであって、外から人間の中へ入ってくるものではないということを認識し、運命がまだ内部に住んでいる間に、未知なるものに慌てないためにも、それを吸収して、自分自身へと変化させる時期かもしれない。

9条の明文改憲の日程も、少し遠のいたように見えるが、今の精神状況では、さらになし崩しになってゆくように思える。社共的な9条擁護の表層的運動も、もう有効性をもっていないことを、自民党の大敗とともに明らかになったように、僕には思える。






  
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2007年09月23日

映画「善き人のためのソナタ」を見て

先日、自主上映会で「善き人のためのソナタ」という映画を見た。今日はその感想を書こうと思う。監督は、弱冠33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。歴史学者や目撃者への取材を経て完成したものという。原題は「Das Leben der Anderen」「他人の生活」。東独崩壊の数年前のシュタージという秘密警察の局員と劇作家とその恋人を巡る物語である。

舞台は、1984年の東ベルリン。冒頭、シュタージ(国家保安省)の局員ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)大尉が、ビデオを使って大学でシュタージの取調べのテクニックを講義しているところから始まる。ビデオを回しながら、「真実を語っている者は、何度も言葉を変えて説明しようと思うが、嘘を吐いている者は、同語反復が多い」などと講義する、冷徹な心理分析家であるシュタージ局員としてのヴィースラーを描きながら、ビデオは、逮捕者を自供に追い込んでゆく様子が描かれ、階段教室でその授業を聴講する学生たちの姿が描かれる。この冒頭のシーンからして、東独体制に忠実な一人物像が浮かび上がってくる。

ある日、彼は、劇作家のドライマンと舞台女優である彼の恋人クリスタが、反体制であるという証拠をつかむように上司のグルビッツ部長から命じられる。ヴィースラー大尉は、ドライマン(セバスチャン・コッホ)のアパートに盗聴器を仕掛け、その階上の屋根裏部屋で24時間の監視体制に入る。しかしドライマンとその演劇仲間や恋人のクリスタ(マルティナ・ゲデック)との会話を盗み聞きしているうちに、ヴィースラーのうちには、相変わらず硬い表情の背後で、何かが目覚めてくる。

彼は、ドライマンの部屋からブレヒトの本を盗み、貪り読む。そしてドライマンに、恋人のクリスタが、シュタージのヘムプフ大臣に、身の安全と引き換えに性的関係を強要されている事情をそれとなく知らせ、クリスタには、ヘムプフに会いに行くな、と助言する。ドライマンは、「レーニンは、ベートーベンの熱情ソナタに感激するものは、革命家にはなれないといっていた」などいう。ドライマンとクリスタの会話の中には、音楽のもつ道徳的効用が、ちばめられている。当局に監視され、活動を禁止されていたドライマンの親友の老演出家、イェルスカが自殺した日、ドライマンの誕生日に彼からプレゼントされた一曲のピアノ・ソナタ「善き人のためのソナタ」を弾くシーンがある。巻頭に「この音楽を真剣に聞くものは、悪人にはなれない。」と記されている。この映画の邦題は、この曲にちなんだものだ。

ドライマンは、東独の監視社会を告発するために、西側の雑誌とコンタクトを取り、30,000人を越える東独の自殺者事情を訴える。西側に発表された記事は、当局の知るところになり、当局は、特殊なタイプライターを使ったその記事の書き手を探す。クリスタは呼び出され、女優として生命を断ち切るぞと脅され、ついにタイプライターの隠し場所を自白してしまう。彼女を審問したのは、ヴィースラーその人である。ヴィースラーは、当局が、ドライマンのアパートに到着する前に、いち早くアパートに行き、タイプライターを別の場所に隠しかえる。そうとも知らず、釈放され、ドライマンのアパートに帰ってきたクリスタが、シャワーを浴びているところに、シュタージが家宅捜査に来て、彼女が自供した隠し場所を探し始める。クリスタは、良心の呵責に耐え切れず、ガウンのまま、外に駆け出てたまたま通りを走ってきたトラックに撥ねられて死んでしまう。シュタージが、隠し場所の扉を開くと、そこには何もなかった。ドライマン盗聴の際の行動に嫌疑をかけられ、郵便の配送係の単純作業に回されたヴィースラーの姿を、カメラは追う。冒頭の意気揚々とした尋問官の姿は、もうそこにはない。

ベルリンの壁崩壊後、ドライマンは、公開されたシュタージの秘密資料を読み、ヴィースラーが、自分を救ってくれたことを知る。ヴィースラーの現在を知ろうと彼の住所を訪ねる。車の窓越しに、重そうなキャリアーを引きながら郵便配達に出かけるヴィースラーをそっと眺めながら、ドライマンは、その場を去る。

それから2年後、書店のウインドには、ドライマンの新作「善き人のためのソナタ」が並んでいる。ヴィースラーは、書店に入り、その本を手にする。巻頭にヴィースラーのシュタージ時代の暗号名が書かれ、彼にその本が捧げられているのと知る。ヴィースラーは、その本を買い書店を出てゆく。

大分詳しく内容を書いてしまったが、余韻の残る良い映画であった。決して資本主義体制がいいのか、社会主義体制がいいのか、といった二者択一的な大雑把なイデオロギーで片付く問題をこの映画は扱っていない。ドライマンにしても、体制批判者ではあるけれども、単純に西側に憧れている資本主義者ではない。ブレヒトの本が盗まれるシーンは、彼が、社会主義の理想を捨てていなことを象徴している。またヴィースラーにしても、その硬い表情の下に、理想への熱を失っていない人物として描かれている。一カット、一カット、無駄な描写はなく、ヴィースラーいう人物の内面が重層的に描かれる。エレベーターに乗ろうとすると、子供から「おじさん、シュタージでしょ。お父さんが、シュタージは悪い奴らだと、言っていたよ」といわれる。またドライマンとクリスタの「愛」の情事とは、対比的に、寂しいアパートで娼婦に慰めてもらうヴィースラーの姿は、哀しい。

学生時代の同級で、出世のことしか頭にない上司のグルヴィッツ部長が、「いつまで学生気分でいるんだ。」とたしなめるのを見る、ヴィースラーの軽蔑の視線。硬い表情の背後に隠れて見えないヴィースラーの人間は、その行為の中に現れる。

監督のドナースマルクは、まだ33歳だという。その成熟した目に驚かされる。東独時代の社会主義体制への批判には終わらない深みをこの映画はもっている。ドライマンは、最後にシュタージのヘンプフ大臣と会話を交わす機会がある。ドライマンは、ヘンプフに向かって、こんなくだらない人間が、この国を支配していたのか、と捨て台詞をいう場面がある。ここ数年、この日本でも政府は、共謀罪を通そうと躍起だった。自殺者も、あの東独時代の同じように30,000人を越えている。映画で描かれた官僚たちの体質は、資本主義であろうと、社会主義であろうと変わらない。2006年に作られたこの映画は、過去の東独時代の悪政を暴きながら、現在進行している監視社会への警鐘になっている。ナレーションは、東西の壁の崩壊後ドライマンは、何も書けなくなったことを告げる。東独時代はまだ良かった、と僕は思う。少なくとも窮状を訴える西側があったが、もはやわれわれは訴えるべき外部をもたない。

そうした苦吟の中で書かれた一冊の本。イデオロギー的理想も消え、外なる体制変革への深い失望の中で、最後の拠り所のように書かれた人間の内なる善への希望。ドライマンとヴィースラーの二人だけの秘密のように、暗号で書かれた献辞。善き行いは、匿名性を帯びながら、どこまでも秘され、沈黙の中で輝いている。
  
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2007年09月22日

シュタイナー再読

この前、東京で、始めてルドルフ・シュタイナーについて語る機会があった。それで、改めて、「神智学」や「いかにして高次の認識に到達するか」や「ゲーテ的世界観の認識論要綱」や「神秘学概論」を読み直してみた。人前でシュタイナーについてしゃべるのは、初めてだから、あまりいい加減なことを言っちゃ申し訳ないので、大分丹念に読んだ。それは、昔読んだときの印象とは、ずいぶん違っていた。また昔、下線を引いていた箇所が、どうしてそんな箇所に下線を引いていたのか、今ではよく分からない。「いかにして」や「神智学」が、何を人に希求しているかも、昔よりずっと分かるような気がした。昔は、まだまだ頭で裁断しながら、読んでいたように思う。歳のせいか、理解力というのは、単なる知性ではないように思う。依然として分からない箇所も多いが、それもあまり気にならない。

シュタイナーは、自由の哲学以来、一元論を唱えていたが、恐ろしく素朴なことを言っているように思えてきた。少し前のブログにも書いたことだが、よくシュタイナーが、「霊界」について「健全な理性」も持って見抜きさえすれば、分かるという表現で何を訴えたかったのかも、少し分かるような気がする。思うにシュタイナーは、概念や理念といった、言葉を持つ動物である人間の特性を、「いのち」の中に取り込もうとしたように見える。たとえば、ある思想を読み、そこで語られている理念を理解しようとする。たとえそこでは、魂のことなど全然か語られていないにしても、その魂を突き動かして何かを表現しようとする努力の中に、魂の働きを見ようとしていた。思考を生と結びつけようとしていたようだ。

今度神智学を読み直してみてそんな印象を受ける。動物界に共通な反感―共感という魂の特性の中に、悟性や理性の働きも取り込むことによって、「いのち」と理念といった、現代思想では分裂の危機にあり、またたとえば、日本国憲法の前文で謳っている理念などを、それは単に「理念」に過ぎないといって憚らない風潮の背後にある思想を、魂の次元に取り入れる。シュタイナー的思考では、共感―反感が動物界の基底になっていて、それをアストラル体と呼んでいる。感覚魂、悟性魂、意識魂という魂の区分も、思考する動物である人間の中で働いている概念や理念というものを、人間も動物であるという基盤の上に上昇への志向性が与えられている。

以前僕は、アントロポゾフィーのサークルで、やたらにアストラル体だ、エーテル
体だと、という言葉が、乱発されるのを聞いて、あまりいい気持ちがしなかった。
でもエーテル体、アストラル体といった概念の中には、閉塞状況にある近代主義的主体とは、違う広がりを感じる。動物界と共有しながら、理念世界まで届く魂の連続性を感じる。なぜ動物とテレパシックな感情の交流があるのか、それは、人間界も動物界も共通な感情的基盤を持っているからだ、という理解も可能になる。そして人間の感情教育のために、オイリュトミーが考案されたのだろう。

またエーテル体という概念も、シュタイナーは、折に触れて生命体、形態形成力、と言い換え、また思考は、臓器の形成力に余剰が生じると、思考力を形成するといっているが、これなども「いのち」と思考を結びつける。またなぜ幼少の頃の記憶が無いか、といった疑問とも結びついているように思える。

僕には、エーテル体など見えないが、個体的な生といくつもの「いのち」との繋がり
にまでイメージは膨らむ。それに何よりも、思考、そしてその頂点である理念というものも、生命現象との連続性の中で捉えることができる。平和的生存権は、「理念」に過ぎないなんて裁判所の判決は、認識と存在の間に架橋を架けられない現代の知の二元論的な疾病であることも分かる。思考の造形力は、「いのち」と繋がっている。

このほかにも、今平和運動をしていて、シュタイナーの発想から(シュタイナーばかりではないが)教えられることが多い。

昔訳したときになぜか抵抗感をもったエドワルド・フォン・ハルトマン宛の次のような箇所:「私は、個々の意識の固体化は、内在的なるものの内部で遂行され、また再び解体されうる単なる論理的な過程であると思っています。わたしが考える倫理的な理念は、他の人が考える倫理的な理念と数量的に同一であるということです。このことが同一ではないように思われるのは、ひとえに、ここでは理念が、数量的に同一でないある種の世界の知覚内容、つまり有機的な固体と結びついているためであります。」

多分僕が、この表現に抵抗感を感じたのは、「わたしが考える倫理的な理念は、他の人が考える倫理的な理念と数量的に同一であるということです。」の「数量的に同一である」という表現であったと思う。「数量的」という表現はいまだ分からないが、今この憲法を護持したいと思っていながら、反目しあっている人々と接しながら、一人ひとりが、自分の部屋で願っていることは、みな同じように思える。それでも反目してしまうのは、動物としても感情教育が疎かにされたためのように思えてくる。他者との関係性を作るのに、感覚魂による判断に頼りすぎているためだ、と思う。丸山真男だったら、実感的信仰と呼ぶところかもしれない。

今回読み直してみて、いろいろな発見があった。それでミヒャエラ・グレックラ−さんというアントロポゾーフのお医者さんの本を、買ってみた。人智学関係の本を買うのは、本当に久しぶりのことだった。「医療と教育を結ぶシュタイナー教育」という講演集だが、とても良い本だと思った。その中で、グレックラーさんは、オイリュトミーの効用を力説しておられる。彼女によれば、オイリュトミーは、アントロポゾーフの中でもいまだ理解されていない、という。僕なんかも、ドイツにいるとき、オイリュトミーは、苦手だった。彼女曰く。「オイリュトミーには、皆さんがすること全てをより生き生きとさせる効果があります。それは、オイリュトミーによって、皆さんの動きが内的および外的な動きの法則性に基づいて行われるようになるからです。皆さんは、動きの中に何かを表現することを学びます。それによって皆さんご自身の内的な魂の動きがより柔軟になり、外的な動きも表情がより豊かになります。」

いま彼女の言葉に率直に耳を傾ける自分がいる。以前どうして僕は、オイリュトミーに反発を感じたのだろうか。ひとつには、僕たちにオイリュトミーを教えてくれたオイリュトミストが、僕には教条的に見えたということもあるが、一番の問題は、情緒的な否定性の中にリアリティを感じ取っていた僕自身の自我のあり方であったように思える。そして否定性の中にリアリティを感じ取るのは、僕たちが、アンリ・コルバンの言うところのムンドス・イマギナーリス(想像的世界)を失なってしまったのが、原因であったように思う。でもこの戦争と日本国憲法は、いろいろなことを気づかせてくれている。そうした否定的心情は、日本国憲法の理解を妨げ、「いのち」の躍動を阻害して、そして決して真理に到達しないように思えている。11月18日には、浅田さんが来て、八ヶ岳で、シューベルトの演奏会とオイリュトミーの講習会を開いてくれる予定である。

  
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2007年09月21日

NHKの番組に出てみて

この前、サイトに8月15日にNHKの番組に出たことを報告すると予告していたので、遅くなってしまったが、そのことについて忘れないうちに書いておこうと思う。その後、9.11には東京で人智学のことについて、初めて話す機会があり、どんな報告をしたかについても、書きたいし、先日の9月16日には、天木さんとお会いする機会があり、それについても機会かがあれば期待が、今日はとりあえずNHKの番組に出る経緯とその感想について書いておく。
僕は、自分がNHKの番組に出ることになるなんて、まるで考えていなかった。
たまたま、どこかのMLに載っていたアンケートに以下のような書き込みをしたのが、その発端であった。
           ・・・・・・・・・・・
Q1-1= 2)改正しない方がよい
Q1-2= 2)改正しない方がよい
Q1text= 日本の第9条は、人類史的な出来事である。殺戮の歴史とでもいっていい人類史は、「原爆」という全人類の破滅の手段を手にして、9条制定当時の人には、人類は戦争を放棄するしかない、という直観が働いた、と思う。しかしその後、日本は、 堕落し、その平和の理念を失い、再び戦前を似たような心理に、陥っている。しかしよく考えて見てほしい。現実的に見ても、細長い国土に、原発や大都市が点在する日本は、とてもハイテク兵器の戦争に耐えるものではない。もう現実的も日本は、戦争をやれる国ではない。また、今中東で行われている戦争の悲惨を観察すれば、戦争も仕方がない、などと決して言えない。それに、この憲法改正の動きは、アメリカからの要請であり、米軍との一体的な軍事行動を可能にするものである。中東がこれほど 紛糾している問題の責任は、大戦後の米英の無責任な措置にある。日本は、この問題とは何の歴史的関連もない。その日本が、どうして今後アメリカに付き合って、イスラームを敵に回すのか。それに現在のアメリカ政府は、ほとんど狂気の状態である。 そんな国に無条件に追随していれば、将来はない。アメリカの要請を退ける最良の手段は、9条である。平和への意思を強く持ち、9条をもって世界に訴える勇気を持つべき秋である。それができなければ、必ずや日本は、滅びるであろう。
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Q2= 1)どちらかといえば評価する
Q2text= どちらかといえばではない。戦後の繁栄は、圧倒的に9条のおかげである。 9条のおかげで軍事費に金をかけなかったのと、アメリカの戦争に巻き込まれずに済んだからだ。もし9条がなかったならば、戦後日本を支配してきた人々のメンタリティでは、ベトナム戦争にも参戦していたであろう。日本が、60年間、海外で戦争をしなかったことの恩恵は、はかり知れない。改正してみれば分かる。北東アジア情勢は、急速に悪化するであろうし、ますます国際的に、孤立してゆくであろう。
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Q3= 3)その他
Q3text= そもそも「押し付け論」は、改正したくて仕方のない者たちが、言い出した詭弁である。しかし、欧米のように民衆革命のなかった日本には、「権力者を縛るもの」として憲法という概念は、民衆の間では希薄である。その意味では「押し付け」であろう。現在、政府が行っているのは、クーデターである。もはや日米安保の問題ではない。完全なる日本の米国への隷属化である。「押し付けられた」という人は、また改正を「押し付けられていること」に気づいていない。すべてが米国の意向である。9条を守ることこそ、新たな自立の第一歩である。
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Q4= 2)自衛隊は必要最小限度の戦力であり、憲法違反にはあたらない
Q4text= 国連憲章でも、自衛権は保障されている。しかし、自衛隊が、海外に出てゆくことには絶対に反対である。長期的に見れば、平和憲法を持つ日本は、先頭に立って世界に軍縮を訴え、自らの軍事力も削減に向かうべきである。「核」を持とうなんて、もってのほかである。被爆国が、「核保有国」になるならば、世界から希望の火は、消えるであろう。

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Q5= 3)軍事力は用いるべきではなく、あくまでも外交で対応すべきだ
Q5text= アメリカの無法なイラク侵攻を見てきた、アメリカから敵視されている国が、軍拡に走るのは当然であろう。北朝鮮の脅威は、喧伝されているが、北朝鮮が、ミサイルを発射するときは、自滅を覚悟したときである。それは、過去の日本を少しでも省みれば、分かることである。また北朝鮮の国家予算は、足立区程度と聞く。とても戦争に持ちこたえられる状態ではない。北朝鮮の存在は、米国の軍事企業が日本に武器を売るための口実に利用されている。日本が9条を放棄すれば、中国の軍事費は、ますます増大するであろう。アメリカは、中国を将来の脅威と見ており、日本人に中国の「脅威」を煽って、中国を牽制する手段に日本の軍事力を使おうとしている。これもまたアメリカの常套手段である。中国も、政府部内の腐敗は深刻で、また所得格差の問題など抱えており、国内問題を日本になすりつけて、国内の不満をそらせるために日本を利用している。そこで日本が、敵対的な言辞を弄すれば、ますますそれを利用するであろう。しかし中国も決して、軍事的緊張を望んでいない。そうした現状を考察しつつ、日本は、再び戦争をしないことを明言し、中国を説得すべきである。また双方を敵対させ、互いの国力を殺ぐというアメリカの常套手段を見抜くべきである。まずは、アメリカからの自立が必要である。それには、マキャベリ的な外交も必要であると思う。
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Q6= 1)海外には派遣せず、日本の防衛や災害救助だけを担うべきだ
Q6text= 現在も、空自はイラクにいて、米国の兵站を担っている。空自に何かあったときが、境目であると思う。平和維持活動というが、今後もこの戦争は、終わりそうにない。日本は、国際社会の中で、この戦争を続けていけば、人類共滅の危機にいたるであろうとことを、世界に警鐘を鳴らすべきである。そして日本は海外に兵を、決して出さない、と宣言すべきである。しかし今の日本の政府では、とても無理な話である。
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Q7= 2)現行憲法のまま、アメリカとの関係を見直して、新たな安全保障体制を模索するべきだ
Q7text= アメリカにこのまま追随してゆくということは、アメリカの「対テロ戦争」に協力してゆくことである。また現在のアメリカとの関係は、もう日米安全保障の枠ではない。すでに日米軍事同盟である。今後日本は、どこと戦争してゆくつもりなのか。現在のアメリカは、軍事国家であり、軍産複合体は、いつもどこかを侵略していなければならない。各国政府は、いまやこうした企業体に私物化されている。日本の財界も、自己保存の本能から、この方向に加担しているが、その先にあるのは、自滅しかないことを認識すべきである。
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Q8= 4)集団的自衛権自体を認めるべきではない
Q8text= 実質的には、イージス艦を買わされた時点で、集団的自衛権の行使の準備は整えられている。アメリカから見れば、あとは、法的にこれを認めさせることにある。 世界いたるところで、無法な軍事行動を行っているアメリカは、いつでも他の国から攻撃を受ける可能性は大きい。それに追随する日本が、集団的自衛権を認めれば、「アメリカとともに、他国を侵略する」道を選ぶということである。
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Q9= 1)憲法9条の精神を推し進め、武力には関わらない平和国家として生きるべきだ

Q9text= 平和維持活動とは、名前はいいが、戦争状態を作っているのは、先進国の金融資本や軍事関連企業、それに成長経済を維持するためのエネルギー関連企業である。

日本は、こうした世界の状態を見定め、平和国家に相応しいエネルギー技術や武力によらない調停などに、精を出すべきである。しかし、現在のような世界状況では、並大抵のことではないが、現在の方向に先にあるのは、人類の破滅であることを銘記すべきである。
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Q10text= 1980年代にドイツに、3年ほど住んだ体験があるが、同じ敗戦国であったにもかかわらず、日本は、ドイツに比べ、戦争の惨禍を心に刻む度合いが少なかったと思う。しかし、9条があるということは、国民はあまり反省していなくとも、対外的には反省の意思表示になっていた、と思う。またイラク戦争後、中東を含め諸外国の人と接して見ても、日本が被爆国で、戦争放棄を謳った9条をもっていることは、周知なことであった。ヨルダンでも、またアメリカでも、日本の「原爆」の被害は語り継がれている。これは、単に日本人の記憶なのではなく、人類の記憶なのである。そしてアメリカを含め、世界の良識ある人たちは、日本に期待を寄せている。私は、アメリカ人から「日本よ、アメリカを救ってくれ。日本が平和憲法を放棄したら、 平和を愛するアメリカ人にとっても大打撃である」と言われた。しかし、それを日本人自身が、忘れかけている。日本はもう一度、その使命を思い出すべきであり、また日本人の平和への決断は、世界を変え、戦争を終わらせる力を持っている。この決断ができたとき、日本は蘇るであろう、と思う。
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          ・・・・・・・・・・・

ちょっと挑発的な書き方だったからであろうか、一週間もしたら、NHKからもう少し詳しくお話を伺いたいといって、担当者が小淵沢までやってきて、また僕は、調子の乗って、2,3時間もおしゃべりしてしまった。そして別れ際に、実は、8月15日に9条を巡ってディベートをする予定であるという。出てくれる人を探しに、アンケートを書いてくれた人を訪問してのだが、出てくれるか、と聞かれた。僕は、良い機会だと思って、いいですよ、と答えてしまった。それで初めてNHKに行くことになった。そもそもテレビが無いので、どんなことをやっているのか、よく知らなかったが、何でも札を持たされて、、YesかNoか答えさせられたり、参加者も50人ぐらいいるとのことで、よせばよかったな、と思ったが、後の祭りであった。
そして前日には、次のようなメールがNHKから届いた。
         
            ・・・・・・・・・・・

いよいよ放送が明日に迫りました。
是非、声を大にしてご自分のお考えを積極的に発言して頂ければと思っております。
久松さんに取材させて頂いて強く印象に残った意見は、「9条は当時の敗戦国と戦勝国が共同で作り上げた奇跡である」「がんじがらめの日米関係の中で唯一米国に抵抗できるのが9条の精神である」「自衛隊と9条は矛盾するがそれで良いではないか。理念と現実のバランスが大人の判断。9条は国連憲章の先を行く憲法である」などです。しかし久松さんのお話の中には決め台詞になるキーワードが沢山あり、書ききれません。
今回は、改憲派・護憲派のスタンスの方々を半々にお呼びしますが、同じ護憲派の方の中でも温度差があり、考えの違いは様々です。是非、ご自分の意見を述べると共に、意にそぐわない発言には遠慮なく反論して頂き、議論を盛り上げて頂ければと思っています。
発言は原則挙手した方に当てていく形ですが、三宅アナウンサーが指すのではなく市民同士がある意味勝手に議論を展開していくことが番組の理想です。礼儀として他者の発言を遮るのは遠慮して頂きたいですが、他の方の発言が終わるやいなやご自分の意見を声を大にして発言して頂くことは大歓迎です。(誹
謗中傷やヤジは厳禁ですが)護憲派の中でも現実路線を主張される久松さんの意見にスタッフ一同大きな期待を寄せております。明日は何卒よろしくお願い致します。

NHK「日本の、これから」

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僕は、NHKをはじめとするマスコミの報道に、根強い不信感を抱いている。
テレビも嫌いである。それでも、こんなメールをもらうと、甘いのかもしれないが、NHKのスタッフも、隠れ護憲派が多いのかな、と思い、つくづくこんなシステムの中に生きる人たちは、不幸だと思う。

いよいよ15日になり、少し早く東京に出かけた。暑い日だった。涼しい気候に慣れた身には堪えた。原宿からNHKに行くだけで体力を使い果たした。15日は、東京でもこの夏一番暑い日だったそうだ。NHKは、ホテルまで用意してくれていて、先にホテルにチェック・インして、10分ほど休んでもう一度、NHKに向かう。初めて建物の中に入り、迷路のような通路を通って、待合室に着く。軽食は用意されていたが、全然食欲がない。しばらくすると、スタッフが、注意事項を告げる。資料等は、持ち込まないで、体験的に語ってください。また個人名は、挙げないでください。発言時間は、30秒くらいにしてください。NHKのスタッフは、みな親切だった。若いスタッフが、紳士的に注意事項を告げるのを聞きながら、この管理社会を生きる柔和になった日本人の負の側面を見るような気がした。以下は、番組が終わってから、複数のMLに書いた僕の感想である。

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今晩は。久松です。昨晩夜遅くに東京から帰ってきました。期待してくれた人が多いのに、どうも冴えなくて、ごめんなさい。東京には、大分早く着いたのですが、ものすごい暑さで、原宿からNHKまで歩いただけで、もうぐったりしてしまいました。いろいろ、ワシントン・コンセンサスの内容や1994年のアメリカの軍需産業の会長、ウイリアム・ペリーの北朝鮮の核疑惑を煽っての日米新ガイドラインの工作の資料などもっていったのですが、資料を上げての議論は、しないでくれ、と言われ、メモも筆記用具も持ち込み不可でした。もっと鋭く色々指摘しようと思ったのですが、改憲派の人たちの議論を聞いているうちに、少し疲れていたこともあったせいか、改憲派も凄い女性もいるもんだ、と唖然として、反論する気も失せてしまいました。僕の隣に座っていた韓国のチャンさんと少し話したのですが、は、どうして日本は、平和主義を放棄したいのか分からないのと、ちょっと怖いな、と思った、と言っていました。

色々な重要なことも言うつもりだったのですが、まったく精彩がなく、皆さんも、まったく物足りなかったと思います。それでも渡辺さんや、斉藤さんが、理路を尽くして言ってくれたので、もう僕が、言わなくていいか、などと思って任せてしまいました。護憲派と言う人も、皆矢鱈に明るく、あまり人とも話さなかったので、休憩中にNHKの女性のディレクターの人が、やって来て、久松さんはちょっと内向しているから、もう少し元気よく反論してくれませんか、と言われたのですが、あまりあがっていなかったのですが、全然ボルテージも上がりませんでした。やはりテレビってものは、いやなものものだな、というのが感想でした。

番組が終わってから、これではちゃんとした話もできない、と護憲派の年配の人が怒って、三宅アナウンサーに抗議していました。番組が終わって米田さんと沖縄の方と話しながら、ホテルに帰ってきました。沖縄の人は、体験は言葉では、伝わらないんだよ、と嘆いていました。女性史の研究者の米田さんは、私はいつも9条というものを未来の視点からみようしているのよ、と言っていました。お二人のお話を同感しながら、聞いていました。あまりしゃべらなかったのに、何か矢鱈に疲れた一日でした。

今日は、日本山の加藤上人と一緒に、高田馬場のピースボートに行って、来年の世界9条会議の事務局会議に出てきました。そしたら、NHKでお会いした笹本弁護士とまた会ってしまいました。また一ツ橋大学の足羽教授や浅見教授とお会いして、「改憲派」は酷かったですね。護憲派のほうは節度があって、あれでよかったのではないですか、などと言ってくれましたが、僕としては、もっと言わなければならないことがあったのにとちょっと後悔しています。

それに、カードをあげたとき、相沢さんや沖縄の人が、自衛隊はなくすべきだ、というカードをあげていたのに、僕は、2番の自衛隊はそのままでよい、というカードをあげました。そのことにについて、ちょっと弁明しておきます。
僕の判断では、確かに軍隊は、民衆を守ってくれない、という沖縄の人や相沢さんが言っていたことは本当だと思いますが、もし自衛隊をなくすべきと主張したら、まったく心の準備ができていない人が多い現時点では、返って反動を呼ぶのではないか、と思いました。それに自衛隊=軍隊と簡単に同定するのは、よくないように思いました。軍備ややってることはまさに軍隊には違いないのですが、自衛隊には、軍隊としての法的整備がなく、戦闘で人を殺しても刑法で裁かれ、また勲章や軍法会議もなく、敵前逃亡しても軍法会議に裁かれることはありません。

その意味では、いかに重装備にあろうとも、その武器を使用すことができない状態にあり、僕にはこれはとても重要なことで、自衛隊は、非常に特殊な軍隊であり、法的には自衛権の範囲にあるように思えました。勿論こんなものは、長期的に見れば、なくした方がいいに決まっているのですが、ロシアや中国が「核」を持つ中で、日本人全員が脱俗の人で、軍隊は民衆を守らないという認識に達しているならば可能かもしれませんが、日本だけ無防備でいる不安に大抵の人は、耐えることができないだろう、と思えたので、2番のカードを挙げました。2番のカードを挙げながら、そんなことを考えていました。

単純馬鹿な「改憲派」はさておき、小林よしのりや小林節などは、今「改憲」することに危惧を抱いているようです。

ともあれ、初めてテレビに出てみて、番組の組み立ての中で、すでに出るべき意見というものが、条件ずけられしまって、うまく意見いえませんでした。
       
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MLにこんな報告を載せたら、一緒にいろいろな活動をしている真面目な女性から、武力を持つ自衛隊にしても軍隊にしても国民を守らないと思うから自衛隊は削減すべきで、久松さんの意見には反対だと言う意見を寄せられた。

彼女曰く「そう私が確信するのは、戦争中日本の軍隊は、命令には何でも従って、最後は自己保身のために兵隊や一般人を犠牲にしたからです。横浜で、アメリカ軍のヘリコプターが墜落した時も、自衛隊は、市民を見捨ててアメリカ兵の救出を優先させました。最近では、イラク派兵に反対する市民を調べたり、沖縄では自衛隊が市民に銃口を向けています。日本国の世論として、国民は無防備を許さないかも知れませんが、私は武力をもてば、自衛のためであっても他国民を殺すことになるから、人道支援のためであっても、自衛隊の海外出動に反対です。」
        
             ・・・・・・・・

そこで以下のような返事を、彼女宛に出すことにした。
        
             ・・・・・・・・・       

今晩は。僕は、・・さんの意見に反対している訳ではありません。僕個人としては、自衛隊は、その性格上、人の生命を守ることは、絶対ないと思っています。もし、他国が攻めてきても、武力で防衛することにも反対です。もっとも他国が攻めてくる、という表現自体が、古典的過ぎて、現代のハイテク戦争では、別に核弾頭がなくても、2,3発ミサイルを原発や大都市に落とせば、もうそれで終わりです。日本は、もはやどんなに戦争をしたがろうとも、戦争は不可能な国であると思っています。

ただ多くの人が、テレビやマスコミが流す北朝鮮のミサイル発射の映像に洗脳されていて、恐怖を煽られていて、日頃突き詰めて考える習慣をもっていないでしょうから、そういう精神状況下で「自衛隊をなくす」べきと言えば、恐らく左翼的理想主義という風に、即座にパターン認識して、むしろ右傾化を促進するのではないか、と懸念しました。もっとも「自衛隊を強化すべし」「自衛隊はそのままでよい」」「自衛隊は廃止すべし」というNHKの三択の質問事項そのものが、まったくニュアンスがなくものすごく悪いものだったと思います。本当はこうした質問形式では答えたくありませんでした。

これほどまでに、巨大化してしまった自衛隊を今すぐに廃止すべしと言えば、何の心の準備のない人は、非現実的と取るのではないか、と考えました。本当は、全然「非現実」ではなく、むしろ巨大化した自衛隊の存在そのものが、日本を危険に晒しているというのが、本当の現実だと思うのですが、そういうリアルな認識を学校でも社会でもほとんど教えておらず、競争社会原理にどっぷり汚染された社会では、正しさを原理的に主張すればヒステリックな反発を呼び覚まし、ただ一蹴されてしまうだけだろう、と思いました。こうした風潮になった根は、ものすごく深いものだと思っています。これは、政治的な次元だけでは是正できないように思えます。もっと根本から、どう生きるべきか、とか人間関係(たとえば、相手を尊重しながら、異なった意見を自由に出し合う習慣や好き嫌いで判断しない習慣とか)からは、始めなければならない問題だろうと思います。ともかくNHK的設問は、物事を単純化させ、対立化させることによって、盛り上げようとする現代の病気の典型でした。これも体験とは思っていますが、欲求不満が後にまで残りました。出た本人からしてそうなのですから、見ていた人は、さぞかしご不満であったろう、と思います。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これとは別に、番組を見たという名古屋の人が、小林よしのり氏の主張には、共感する面を感じているが、久松さんは、どう思っているのか、と電話があった。また別の人からは、小林よしのり氏は、手ごわい、と思ったという感想も寄せられた。それで以下のような返事を出した。
・・・・・・・・・・・・・・
小林よしのりの論法ですが、僕は、ほかの改憲派の自己保存の論理とは違っていて、それだけに「誤った無私」への傾きを感じて、ちょっと危険な誘惑的なものを感じました。特に彼は、「いのちより重いものがある」と言って、軍隊とガンジーのサッティア・グラーハ運動を一緒くたにしています。彼には、「信念」の質はどうでもいいようです。彼もまた「生きていることの不思議」を感じられなくなっていて、「生」に価値を見出せていないのだな、と思いました。彼もまた、物事の量的な側面ばかりが強調される近代のニヒリズムの落とし子だと思いました。「いのち」感の広がりの中で、結果的にはガンジーのような運動になることもあるかと思いますが、それは決して「いのちより重いものがある」というものではないと思います。

彼の論法で行けば、生きることを熱望し、しかしどうしても生きていけない状況で、自爆テロをせざるえないパレスチナの老女の死も皇国思想にかぶれて侵略戦争をして戦場で死んでいった兵士の死も区別がつかないでしょう。勿論どちらの死も悲しいものには違いありませんが、何か根本的に違うものも感じています。生に対して順行に考えているか、逆行に考えているかは、僕にはものすごく大きな問題ですが、競争社会の現代では「生」に対して倒錯した意見のほうが、説得的に思えてしまうみたいです。いろいろな宗教で説いている「無私」は、いつだって「いのち」と結びついていたと思います。でもこれは、とても微妙な問題をはらんでいると思います。とてもテレビショーなどのディベート向きなテーマではないように思えます。

昔、鎌倉に住んでいたとき、ある禅寺の住職は、毎週自衛隊員に禅を教えに行っていました。僕は、それを知って嫌な感じを持ちました。仏教の八正道は、どこに行ってしまったのだろう、とも思いました。「国家」が、代用宗教の働きをするときには、「いのち」は「国家」に仕えるものになってしまうことだって、十分ありえます。9条は、それを禁じているのだ、と僕は思っています。小林よしのりは、僕より若いけれど、ものすごくアナクロな国家観も持っているように思いました。やはりぼくは、生よりも死を重く見る思想は、よくないと思っています。でも生きがたい現代で自殺してしまう人にかなり同情的ではありますが・・・。帰りの電車で、飛び込み事故がありました。とても悲しいことと思います。

            ・・・・・・・・・・・・

小林よしのり氏は、フセイン元大統領が殺されるビデオを見て、このイラク戦争に我慢ならなかったようである。また目を患い、失明寸前までいったという体験記を読んで以来、心境の変化があるのではないか、僕は思っていた。
でも彼の作品は、全然読んでいないので、名古屋の人が、読んでから批判なり、感想を言ってください、と言っていたので、今彼の「戦争論」という漫画を読んでいる。たいしたことも言えなかったNHK出演であったが、その後こちらのMLで、話題を提供しただけでも、意義があったのかもしれない。

明日は、シュタイナーの思想について、このところちょっと感じることを書いてみようと思う。

  
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2007年09月06日

参院選雑感

だいぶ長らくブログをお休みしていた。今日は、ここ1、2ヶ月に体験した印象に残ったことを、書いてみる。この前の参院選では、ここで天木さんの勝手連を、有志3人で立ち上げて、父の選挙のとき以来、初めて本気で応援した。結果は、天木さんの得票数は、27000余票で、予想、といっても僕の選挙嫌い予想なんて当たるはずはない、を遥かに下回った。僕が、天木さんを応援したのは、ほかの候補にはない日本国憲法が内包しているエートスを、天木さんの魂に感じたからだった。それは何か、日本で流布している政治的なものではなかった。選挙の始まる1週間前に、立ち上げた勝手連だった。9条ネットという団体が、まったくその存在さえ知られずに選挙が終わってしまうのではないか、という恐れから、僕たちは、この小さな村中を、宣伝してまわった。また天木さんにも、この北杜市に来て講演をしてもらった。結果、この北杜市の9条ネットの得票数は、1,3%。
県内ではダントツだった。県内を含めてその他の地域では平均して0,4%と低迷した。
県内でも、予想通りまったく知られずに終わった地域もたくさんあった。9条ネットは、惨敗であったが、今回の選挙では、この保守的な地域でも、自民党の得票数は、28%、民主党のそれは、48%と自公民に対する批判は、顕著な形で表に出た。この結果を分析する必要があるだろう。その後、民主党の小沢党首は、「イラク特措法」の延長を認めない、という方針を出し、少しは政治の流れは、またゆれ戻しがこないとは保証できないが、変わってきたようにも見える。

それよりも、この選挙期間中で、印象に残った体験を綴ってみたい。僕たちは、時々東京に出て、ZAKIさんや9条ネットの応援に行った。あるとき新宿で、一日、応援のイベントをやるというので、友人と二人で、渋谷に出かけた。道行く人々に、チラシを配る手伝いをしたが、ほとんどの通行人は、老いも若きも見向きもしない。若い男女は、その若さですでに世俗にまみれた表情をしている。そういう風な表情になるには、いろいろな外的、内的な理由があるだろうが、終末の人々はこんな表情になるのか、という感慨も持つ。
そんな中で、右翼の一水会と元全共闘の運動化であった成瀬さんたちのトークが始まったが、勿論誰も聞いていないし、僕もほとんど関心が湧かない。それでも、一水会の鈴木さんや成瀬さんにしても、道行く通行人に比べて、なんらかの信念を持って生きてきた人たちらしく、人相は悪くない。むしろ道行く普通と言われている人々の人相は、何か薄汚れたヤクザじみて、何とも気味が悪い。

僕は、チラシを配るのに疲れて、中央の芝生の刈り込みに腰を下ろして休んでいると、僕と同じくらいの年恰好の、痩せぎすの人が、つかつかと寄ってきて、「9条ネットの主張は、本当にそうだと思う。」と僕に話しかけてきて、彼とそこで30分近くも話し込むことになってしまった。彼は、まるでそれまで自分の思いを、語る相手がいなかったかのように、自分の家庭の事情から、最近の政治情勢への落胆を語る。彼は、知り合いとこうした政治状況を話そうとしてもまるで話に乗ってこないという。自分の孫や子供たちのためにも、何かやらねばならない、彼は思っていて、それを子供のいる知人や肉親に話しても、ほとんど反応が無い、と嘆く。それで、どうしてこんな状況になってしまったのか、いろいろ哲学書や宗教書を勉強し、今日も紀伊国屋に注文した本を取りに行くところだという。そして、だんだん昔の人の宗教観に惹かれるようになったという。

彼曰く「自分は、母も父も堅実な家庭で育った。兄弟も常識的な人間である。父は、もう90歳になるが、毎日、悠々自適の生活を送っている。私は、お父さん、何か遣り残したことは無いのか、と父によく聞く。人間は、最後までより良く生きる努力をすべきではないのか、今生でよりよく生きなければ、来世は、またそこからやってゆくことになるんじゃないか、と父に問いかけるが、それに答えることはできず、お前は、いつから宗教に縋るようになったんだ、言う。俺は宗教に縋っているわけじゃないが、それがわからないんですよ。母親も同じような反応だ。知り合いに話しても、子供や孫もいるって言うのに、彼らの将来を気遣う様子も無い。俺は、生きてゆくためには、人とは付き合わねばならないが、もう日本人を自分の友人とはまったく思っていない。」

そういう彼と話ながら、僕は、目の前の見ず知らずの人に親しみを覚えた。彼は、9条ネットを応援するよ、といって握手を求め、新宿の雑踏に消えていった。うつむき加減の彼の後ろ姿を眺めながら、そういう日本人をいとおしく思った。一緒にきた友人が、あまり長くしゃべっていたので、知り合いか、と尋ねる。いや初めての人だよ、と答える。徒労のようなチラシ配りだったが、道端で一人の見知らぬ人との対話は、何かとても貴重なものを、残してくれたように思う。

また天木さんの選挙の最終日は、銀座で最後の演説をするというので、最後の演説に立ち会おうと思って、はるばる銀座4丁目まで行く。もう夕方の7時半を過ぎていて、やっとのことで、天木さんの最後の演説に立ち会うことができた。銀座の雑踏で、背の高い天木さんの息子さんが、父親の応援演説をした後、天木さんは、声を限りに、最後の演説をして、車を降りて、道行く人にご自分で、チラシを配っていた。天木さんの支援者が50人ほど応援に駆けつけていたが、ここでもほとんどの通行人は、無反応であった。そんな具合で、選挙運動は終わった。

翌日、9条ネットの事務所に行く。選挙事務長は、ネクタイをしてきていた。もしかしたら当選の記者会見があるかもしれない、ということだった。天木さんは、10時ごろ息子さんと一緒にやってきた。でも開票は、全然伸びない。夜中の3時ごろ、9条ネットは、27万票の得票で、惨敗が、ほぼ確定したのを確認して、事務所を去った。出口まで見送りにきてくれた天木さんは、「やはり平和を訴えるのは難しいのかな」とポツリと言われた。
深夜の水銀灯が青白く照らす、生暖かい都会の路上を歩きながら、父の選挙のことをふと思い出した。その後、僕は、NHKの「日本の、これから」という番組に、ひょんなことから出ることになったが、それについての印象や感想は、また次回に書くことにする。
  
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2007年07月06日

本当に死ねば、死にきりなのだろうか

先日、「原爆投下は、仕方がなかった」という久間防衛大臣の不見識な発言に対して、野党のいっせいの罷免要求で、久間大臣は辞任に追い込まれた。またその後、天木さんのブログによれば、アメリカでは、ネオコンのロバート・ジョセフ核不拡散問題担当特使(前国務次官)が4日、ワシントンでの記者会見で、「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の数十万単位の人命だけでなく、文字通り何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語ったらしい。天木さんは、この加害国アメリカの高官の原爆投下の「正当化」発言に対して、唯一の原爆による被害国である日本側が、迅速に謝罪要求、発言撤回要求を行わないでいるならば、いったい誰が、核廃絶を訴えられるのか、とわれわれに問いかけている。この問題は、単に日米両国の加害者―被害者の関係に終始する問題ではないことは、本当に天木さんの言うとおりである。僕たちの裁判で、今「平和的生存権」の具体性を裁判所が認めることは、単に日本人だけの問題ではないと主張したのも同じ理由である。こう主張することは、本来は唯一の被爆国日本の世界に対する使命であるべき事柄のはずである。ところが、日本人にはそれができないのである。

これまでも日本人の口から、先のジョセフのような発言を聞くことも、しばしばであった。日米の高官の原爆投下をめぐる発言がもつ世界政治的な意味合いは、天木さんの議論に譲るとして、僕には、この問題は、日米に限らず、消費資本主義にどっぷり浸かった現代人の時間意識と密接に関係した深刻な問題であるように思える。

日米高官の発言からは死者の慰霊など絵空事である、というのが、その言外の意味である。それだから、今イラクや中東で、膨大な人々や動物を殺戮していても何とも思わない。民主党の小沢党首は、アメリカに謝罪要求をしようといったそうだが、その小沢氏でも、死者の霊など信じていないだろう。それでいて自分とは直接関わりのない過去の謝罪を要求する。

大方の現代人は「死ねば、死にきり」と思って生きている。果たして本当にそうであろうか。身内のものが殺されれば、復讐心が湧く。死者たちは、生者の世界になんらかの影響を及ぼしている。それは、何も戦争には限らない。僕たちの内面は、既に無くなった親や知人との関係性との葛藤の中で形成されるといっても過言ではない。それは、僕たちには身近であるから、それは多くの人が認めるところだが、その一方で「死ねば、死にきり」と思っている。この意識は、人と残虐な、貧しいものにする。久間氏やジョセフ氏は、広島や長崎は、もう終わってしまったものだと思っている。

彼らには、生というものが、既に死を孕んでいるものであることが、分からない。また歴史の意味するところも、分からない。その意味では彼らは、無意識的に歴史の終焉を生きている。けれども歴史というものは、彼らの頭の外にある。いったんこの世に出現してしまった原爆が、人類の運命に持続的な影響を及ぼしているように、日本の戦後が今の精神状況を作っているように、さらには久間氏をして「原爆の投下を仕方なかった」と言わしめる意識を形成してきたように、起こってしまったことは、生者になんらかの影響を及ぼしている。夢が、単に覚醒時の副産物ではないように、他界は、常に現在に影響を及ぼしている。夢の中から死者を閉め出した者の生は貧しい。そこには従うべき羅針盤がない。他者の生を感じられない人は、自己の生も感じられない。

グローカルさんは、7月3日のサイトで、「いつから人々は、他者も死者も「無い」と感じ考えるようになったのだろうか。」と問いかけている。死者は生者に働きかけている。毎日不本意に死んでゆく者が多ければ、おのずと生の世界も暗くなる。生者が、それを忘れようとすれば、言葉は空虚になる。今日の日本の空虚は、死者を忘れ、殺した者を忘れようとした罪である、と僕は思う。
  
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2007年07月04日

天木さんの勝手連を立ち上げる

このところ、ちょっと忙しくブログをつける心のゆとりが、あまりなかった。今日は、少しこのところやっていたことについて書いてみる。先日、新聞紙上で、自衛隊の市民監視が話題になっていたが、僕がかかわっていた市民運動も、監視の対象のリストに載っていた。この超因習的な風土で、イラク派兵に反対してあれだけいろいろなことをやったのだから、リストに載って当然で、中には万歳なんてメールを送りつけてくる人もいる。明記されている以上、黙っているわけにもゆかず、以下のような見解書を、久間大臣と阿佐ヶ谷の自衛隊本部、そして北富士駐屯地に郵送した。

陸上自衛隊情報保全隊による市民監視に対しての
「市民ピースネットワーク・山梨」の見解

私たちは、市民ピースネットワーク・山梨という、自衛隊のイラク派遣の中止を山梨県内で呼びかけているグループです。
心ある自衛隊員の方々は、墨守非攻という従来の国是から急激に逸脱してゆく自衛隊の「任務の変容」に当惑しているのではないでしょうか。またそのなかで、隊員のご家族の方々には、心労が絶えないことと思います。

自衛隊のイラク派兵の誤りと市民監視への抗議

このたび、日本共産党に提供された内部文書を通じ、陸上自衛隊情報保全隊がイラク派遣中止を呼びかける市民団体などの動きを監視し、個人の動きまで含めて情報収集していることが明らかになりました。この文書の中に、私たちが行ったものとして(ピースネット山梨と記載)「自衛隊イラク派兵は米英軍の占領支配への支援であり、(イラク国内の)テロと暴力をなくして平和な国を作ることに役立たないばかりか、情勢をいっそう悪化させます。みんなの力で派兵を中止させましょう」と、平成16年(2004年)2月2日に行った街頭での訴えと集会参加へのビラ配りが「自衛隊のイラク派兵の中止を求める街宣」として記されています。
米英軍を中心としたイラク戦争開始から1年も経過せず、自衛隊派遣(派兵)から間もないこの時期に私たちが行ったこの主張は、現在のイラク情勢を見れば極めて正しい見方であったことが明らかになっています。イラク国内は今や全土が内戦状態と化し、命に危険を感じた大勢のイラク人が国を去り近隣諸国などへ難民化しています。イラク国内の治安の悪化は止まることを知らず、イラク政府自体には治安能力はなく、事実上イラクを軍事的占領下においている米軍でもはや手がつけられない状態になっています。
今回の情報保全隊の監視活動について、久間防衛大臣は、「(自衛隊員の)家族に圧力がかかっていたので、心配はいらないということで情報収集をしたのではないか」と述べ、幕僚長も、「隊員の志気低下防止や家族の安心のため」としています。この幕僚長のコメントは、本当のことを知らされては、士気が低下する、家族の安心が得られない、という意味でしょうか。守屋事務次官に至っては、文書の内容について「私たちの手の内をさらすようなものなので、コメントすることは適切でない」と会見しています。この守屋事務官の発言は、他国からの侵略に対する国土防衛を任務としている自衛隊の敵は侵略国の政権や軍隊を指しているのではなく、日本国民の一人である私たちであることを暗に意味し、政府の意図に反する言動、行動をとる国民、市民は、自衛隊を傘下に治める防衛省の敵であるとの認識に基づいたものではないでしょうか。

情報保全隊は2003年3月に中央と地方方面部の指揮系統を統合し、再編強化したとのことです。この時期は、ちょうどイラク戦争勃発の時期であり、9か月後決定される自衛隊の派遣(派兵)も、既に政府部内や当時の防衛庁内部ではかなり計画が具体化していたものと推測されます。このため、再編された情報保全隊は、前身の調査隊の主任務である自衛隊内部からの防衛秘密の保護と漏洩防止という役割から市民監視へとその目的をシフトしていったものとも思われます。平和を願う市民活動を「反自衛隊」と規定し監視することは、民主主義の根幹をなす表現の自由を否定する行為であるとともに、市民監視の方向は、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』と謳っている日本国憲法の精神にも悖るもので、歴史からの逸脱であり、野蛮への退行であります。歴史から何も学ぼうとしない政府のこうした無思慮な施策に、厳重に抗議するものです。

自衛隊員の皆様と家族の方々へ

これまでも私たちが訴え続けてきたことは、イラク特措法及びこれに基づく実質的な戦闘地域であるイラク国内への派遣(派兵)が、自衛隊員の方々も入隊時、遵守と宣誓を求められている日本国憲法と皆さんの服務の根本である自衛隊法にも反しているものである、というものでした。隊員の皆様の中には、気概をもって国民や国土を守ることを使命とし入隊されていても、他国の戦闘状態の領土での活動を命令されることを想定して自衛隊に入られた方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
イラク派遣(派兵)という入隊時には想定していなかった現実に直面した自衛官の方々は、憲法、更には自衛隊法に忠実であろうとすればするほど、心配するのは当然のことです。むしろ久間大臣の発言こそが、自衛隊の家族の心配を隠蔽し、圧力をかけるものです。私たちは久間大臣の言うように、自衛隊員の皆さんやご家族の方々に圧力をかけることなど、当時も今も毛頭考えていません。ただ真実を知らせたいだけです。私たちも原告として参加した「自衛隊イラク派遣(派兵)差止訴訟」の中でも、時の政権の恣意により自衛隊に違憲違法な命令強制を行い、それまで自衛隊員として想定されていなかった戦闘地域の中での活動により、隊員個人の心身面からも自衛隊組織の無理な編成面からも、現場で活動する自衛官の皆様に何らかの犠牲が出ることを憂慮し、訴えてきました。
憲法99条に規定されている憲法遵守義務をまったく果たさず、自衛隊法すら無視する政権や防衛省幹部を持った自衛隊員は不幸ともいえます。国民に銃を向ける自衛隊ではなく、憲法を遵守する本来の自衛隊に立ち返ることを、切に願うものです。

市民ピースネットワーク山梨の姿勢
今回明るみに出たデータによれば、情報保全隊による監視活動で、平和を指向する数多の団体の中に、私たち市民ピースネットワーク・山梨も対象になっていました。しかし正確に言えば、私たちの活動を団体と規定することは、正しくありません。私たちの活動は、個人のまったくの自由意思で行われており、従来の『団体』という概念では捉えられないものであると思っています。私たちの活動は、現在、政府が行っている「法」の蹂躙に対して、未来を憂慮する市民の意思と理解していただきたい。私たちは、今後も一市民として未来社会のあるべき姿を、考え続けていきたいと思います。
最後に、6月20日、「改正イラク特措法」が強行採決されました。イラク戦争開戦理由がことごとく虚偽であったことが判明した後も、この戦争を支持した日本政府は国民に合理的な説明をしていません。陸上自衛隊が撤退したあと、航空自衛隊では危険なバグダッド空港への派遣が4回にも及ぶ隊員も出てきています。空自幹部が、「任務の危険は日々増している。もう少し現場の隊員の気持ちに配慮をお願いしたい」と直訴しなければならないほど、隊員の任務は危険かつ過重になっています。3年以上にわたる自衛隊のイラク派兵が、本当にイラクの復興に役立っているのかという総括もないまま、さらに2年間自衛隊をイラクに派兵することに、強い危惧を表明します。

2007年6月22日  市民ピースネットワーク・山梨

その前日、記者会見を行ったが、朝日、山日、毎日新聞が来ていたが、翌朝に山日新聞に小さく、市民団体が抗議したという記事が載ったきりだった。NHKは、会見の前日に問い合わせの電話があったが、ぜひ来てくれといったのに、結局は来なかった。記者会見での若い記者たちの表情からも感じていたことだが、日々崩れてゆく社会状況にもう慣れきってしまっているのか、反応がない。ジャーナリズムが批判精神を失うことほど、怖いものはない。これでは内部告発者は、闇に葬られる他ない。どんなに声を上げても、それをキャッチするアンテナが壊れている。というよりもアンテナを立てる勇気がない。あるいは、情報の氾濫の中で、意見と叫びの区別がつかなくなっている。それでも、個々の優秀な記者たちもいるのを僕は知っているが、そうした人たちは、社内では本当に孤立しているようだ。それで時々爆発するが、他の社員は、突然荒れる理由を知ろうともしない。なぜ荒れるのか分かる人は、その人もまた孤立する。

もうちょっと以前になるが、社内には話せる人がもういないのですよ、と嘆いていた僕の知っている若い記者の人が、テーブルの上の書類をすっかりひっくり返して乱心した、という話を聞いて、真面目で、憂鬱そうな彼の顔が浮かんだ。

市民監視の抗議の会見が、終わって早々、今度は、ミュージシャンのZAKIさんや天木直人、元レバノン大使が、参院選に出馬するということになり、僕は、9条ネットに関わることになった。それで有志と天木直人支援勝手連を立ち上げて、この付近を街宣して回っている。このままでは、投票日まで「9条ネット」の存在を知ることなく、選挙が終わってしまうのではないか、という懸念からであるが、長年、選挙の連呼の声を聞くたびに、腹立たしい想いで過ごしてきた、政治嫌いの僕としては、今回は異例である。僕は、天木さんにどうしても議員になってもらいたい、と思っている。僕は、天木さんが、大使を首になって以来、天木さんの発言に注目している。自衛隊のイラク派兵が、浮上してきたとき、天木さんは、違憲訴訟を起こすように呼びかけていた。今思えば、その呼びかけが、山梨で違憲訴訟を起こそうと思いたつひとつの契機になったように思う。
8日には、北杜市に来てくれるが、天木さんは、出馬に当たって次のような決意表明を出している。

『私には一つの夢がある。それは今までにないまったく新しい政党をつくることだ。政党のマニュフェストは当分の間「国民投票で憲法9条を守る」の一点とする。その他基本的な考えはブログ(http://www.amakiblog.com/)をご覧いただきたい。
憲法9条を捨て去ることは対米従属を後戻りできないほど固定してしまうことである。わが国の安全保障とは何の関係もない、米国・イスラエルとアラブの武装抵抗組織の「終わりのない戦い」の泥沼に巻き込まれてことになる。

「戦争に協力しろ」という米国の要求を断ることができる唯一、最善の盾は憲法9条の存在である。日本を攻めてくる国が現れないようにする最善の方法は、憲法9条を掲げて平和国家日本を世界に宣言することである。けだし憲法9条は最強の安全保障政策なのだ。
 
一人でも多くの国民にこのことを気づいてもらいたい。政府やマスコミが流す脅威や、軍事力強化の必要性、安易にその気にさせられないで欲しい。騙されないで欲しい。

やがて政府が提出してくる憲法9条の改憲案は、国会議員の3分の2の賛成多数決によって承認されるかもしれない。しかし、その改憲案も、平和を願う国民の過半数で拒否することができるのだ。国民の否決によって為政者の目論見を退けることができるのだ。このことの持つ意味は重大である。

世界で起きる戦争はいずれも国の指導者が起こすものである。どの国も国民は戦争に反対だ。そしてまた、どの国でも真っ先に戦争の犠牲者となるのは国民である。
日本の歴史を振り返る時、われわれ国民は一度として自らの手で日本の政策を選び取ったことはなかった。もし憲法9条を国民投票で守ることができたら、それは日本の国のあり方を国民が始めて自らの手で選び取ることでもある。それは大げさな言い方をすれば、日本で始めて民主革命が起きる時であるのだ。

私はその時が来るまで、私生活をなげうって政治活動に人生を捧げることにした。政争に明け暮れる既存政党に大きな期待を持つのはやめよう。国民の声を代弁し、国民の利益を本気になって守る政党をわれわれの手で作ろう。そうすれば世の中は変わる。

私と同様に、既存の政党のいずれにも期待をもてないでいるあなた。ぜひ私と一緒に新しい政治を作ることに挑戦してみないか。
私はあなただ。あなたは私だ。私は残りの人生のすべてを賭けて行動の口火を切った。あとは一人でも多くの国民がその思いに共鳴し、後に続いて行動を起こしてくれることを願うのみだ。これが、私の決意表明である。』


戦後、政治家を志した者で、こんな決意表明を出した人はいるだろうか。天木さんが、大使を辞めたときも、こういう人を孤立させてはならないと思ったが、ある意味ではあの時、天木さんがレバノン大使だったのは、天木さんの運命に思える。世の中には、あらゆる分野で天木さんのような無念な思いを持って、組織を離れた人たちが、たくさんいると思うが、僕を含めて天木さんほど劇的な意味付けを自分に課すことはできないのが、普通ではないかと思う。でも天木さんの呼びかけに応えることによって、僕は、僕なりの再生を果たしてきたと思う。そして自分なりに行動を起こすことによって、自己というものを愛するようになっている。僕は、依然として政治の本質が好きではない。でも政治嫌いの僕にも天木さんの言葉は届いてくる。天木さんは、9条ネットには、絶対自分が欠かせない、どうしても自分が当選する必要がある、と率直に主張する。僕は、天木さんの「力への意志」を潔いものと感じている。

あの人は権力欲が旺盛だと、天木さんを腐す人がいるようだが、僕は、むしろそこに淀んだ敗北主義の反動性を感じる。天木さんの声には、コイズミの潔さの擬態とは、対照的な力がある。それは、ツァラトゥストラの「猿」とツァラトゥストラとの違いといったら、ちょっと適切ではないかもしれないが、僕には響いてくるものがある。僕は、天木さんの呼びかけに応えようと思うが、阿佐ヶ谷の自衛隊本部のバルコニーで、自衛隊員を前して、自衛隊員に決起を促していた三島由紀夫の心境をふと思い出す。

僕は、二回ほどほんの少し三島その人と接したことがあるが、人との交際においてはとてもさわやかで繊細な人であった。でも僕は、同じ国家官僚であった三島の行動のエートスには、何か肥大化した自我が、強引に国家意志との同一化を遂げようとする倒錯を感じて心動かされることはなかったが、天木さんの言葉には動かされる自分がいる。思春期に明治憲法下で生きた人と戦後憲法下で生きた人との自我のあり方の違いだろうか。人は、よく国家というものを信じないという。でもこの憲法が示唆している国家とは、ある種の自然性を開くものだと、僕は思っている。しかしその自然性とは、素朴実在論的な自然観では捉えることはできないように思う。
  
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2007年06月03日

シューシャードさん一行、八ヶ岳に来る(2)

4時過ぎ頃から、交流会が始まった。高森草庵には、地域通貨ワクワクの友人たち、また鎌倉でシュタイナーを学んでいる友人や、また大阪からは平和運動で知り合った池邊さんやその友人たち、そして高森草庵ゆかりの人たち、20人近くの人たちが集まり、シューシャードさんたち一行と暫しの間、歓談した。ぼくは、途中で抜け出し、わざわざ大阪から通訳の人を連れて来てくれる池邊さんたちを迎えに、小淵沢に急いだ。大阪の人たちを先導して高森に戻ってみると、もうお祈りが始まっていた。もう既に30人近くの人が、小さな聖堂の中で、黙想していた。


8畳くらいの何も置いていない薄暗い禅堂のような四角い聖堂の床の下には、押田神父ゆかりの信者さんたちの遺骨が安置されているという。そしてまもなく「平和のための合同祈祷会」が始まった。聖堂の中は、板の間と茣蓙の部分に分かれている。両脇にシスターと日本山のお坊さんとラモナさんが座っている。ぼくは、まだ席が空いているシスターの脇に座った。慰霊林でのお祈りでもそうであったが、草庵全体を支配する寛容と悲しみと厳粛を、参加者はとても貴いものを感じていた、と僕は思う。

小さな聖堂の中には、何か張り詰めた聖らかな空気が支配している。崩れ落ちようとする世界を感じ、平和への真剣な想いを皆が共有しているせいか。

20分も瞑想しただろうか。まるで地下に眠る死者たちに向かって囁くように、ほとんど聞き取れないほどの幽かな声で、川隅さんともう一人のシスター佐藤さんの平和のお祈りが始まる。人間世界の最も深い苦悩にまで届き、それを癒すような声だった。その声は、ただ生者にだけ向けた声ではない。もの言わぬ死者たちにも届くような声だった。お祈りは、いつしか自然のそして神の沈黙に帰ってゆく。

しばらくすると、端無くも魂の深い底から、加藤上人の南妙法蓮華経の読経の声が、響いてきて、その声に尼僧の優しい声が重なる。僕は、こんな甘美な南妙法蓮華経を聞いたことがなかった。静寂の中に吸い込まれるようにお経の声が消えると、今度は、ラモナさんが、ワンパノグ族の祈りであろうか、静かに唱え、また沈黙の中に帰っていった。三つのそれぞれのお祈りは、林の中に溶け込み、すべてが深く自然であった。そこには、自我の匂いがなかった。信仰に触れるたびにいつもアンビヴァレントな想いが頭を擡げてしまう一俗人の民衆にすぎない僕であるが、聖堂を取り囲む自然の静寂のような、信仰者の測りがたい受動性の深みに心は癒されていった。30分ほどのお祈りを終え、一同、聖堂を出た。雨も上がり、雲間からは、新鮮な陽の光が差していた。参拝者は、みな何か深い満足を味わったのではないだろうか。少なくとも僕は、そうだった。

お祈りを終えて、みなで夕食を取る。あさこさんはじめワクワクの友人たちやシスターたちが、忙しいなか作ってくれた。食事を終えると、車に分乗して15分ほどの小淵沢の講演会場に向かった。車中で、シューシャード夫妻は、ぼくがどうやってアントロポゾフィーを知ったかについてとても興味のあるようで、また僕の片言の英語の説明では要領を得なかったようで、通訳の柴田さんを交えて、キャリーさんが、もう一度説明を求めた。そこでぼくは、30年前にドイツに渡ったけれど、その後、日本のアントロポゾフィー運動からは離れてしまった旨を手短かに説明した。ジョンさんから、日本の中で日本山のお坊さんと関係を持っているアントロポゾーフはいるのか、と聞かれるから、離れているからよく分からないが、多分いないんじゃないか、と答えた。また今晩の講演に来る人のうちで、シュタイナー思想に興味を持っている人は、どの位いるのだろうか、と聞くから2,30%はいるんじゃないか、とあてずっぽうなことを言った。講演でシュタイナーの名前を出してもかまわないかと聞かれるので、ぼくも違憲訴訟のときは、まったくシュタイナーのシュの字も出さなかったが、昨年の暮れ、スイスから浅田さんという友人が見えて、ここで初めてオイリュトミーのワークショップをやったとき、ぼくたちの原告の人たちのうちにも、シュタイナーの本を読んでいる人が、結構いるのを知って驚いた覚えがある。だからシュタイナーの名前を出してもかまわないのではないか、と答えた。それにぼくは、最近シュタイナーの社会三層化の思想は、今こそ必要な感じがするから、と言った。シュタイナーは、「精神生活における自由」「経済生活における友愛」「法政生活のおける平等」を説いているのだから、現在の日本の状況に対して、日本のアントロポゾーフは、ちゃんとものを言うべきとぼくは思っているが、ぼくが知らないせいか、ぼくの耳にはあまり届いていないように思うと言うと、キャリーさんは、「アントロポゾフィーは、まずは平和運動であるべきだというのがジョンの持論なのよ」と言い添えた。ジェネラル・エレクトリック社の核施設にハンマーを持って入り、核兵器を破壊して「平和の祈り」を捧げた「プラウシャー8」の一人であるジョンさん。また15年もの間、世界30カ国、400人の戦争の惨禍に見舞われた人たちを、助けてこられたジョン&キャリー・シューシャードさんのハウス・オブ・ピースの活動。そのオープンな人柄。そうした二人から出るシュタイナーの名前にぼくは、僕の理解力の及ばないシュタイナーの思想に触れていたことを、少し誇らしく思った。
(シューシャードさんの活動については、4月8日のブログで紹介したので、そちらを参照してください)

集会模様



シューシャード



ぼくは、アントロポゾフィーに、とても率直になっていた。昔訳したヴァルター・クグラー氏の本の中でもシュタイナーは、「人智学は、決して教条的な教説ではない。アントロポゾフィーとは、魂にソフィアを与えるような意識の方向へと意志を方向変換することであり、魂の生命の血として人間の中に流れ込み、人間自身の生命として存在するような自己把握を欲するのである」と言っていたが、翻訳しているときには分からなかったことが、シューシャード夫妻のような人に出会うと、言葉の意味が分かってくる。

シューシャード夫妻と日本山のお坊さんたちとの深い相互信頼とシューシャード夫妻の日達上人や押田神父への畏敬の念。シューシャード夫妻の行動、それらは、アントロポゾフィーが、頭でっかちの教条的教説ではないことを証ししていると同時に、ちょっと頭でっかちで意志薄弱で弱虫の自分自身を、大いに恥じる。

会場に着くと、違憲訴訟の仲間が、もう講演の準備をしてくれていた。椅子は、円陣に並べられ、真ん中に一輪の菖蒲の花が活けてあった。違憲訴訟の元事務局のスタッフは、いつもこうしたデリカシーに富んでいる。裁判には勝てなかったが、訴訟運動そのものが、決して敗北ではなかったのは、こうしたスタッフのデリカシーに負うところが大きい。


集会風景



クレア




講演の参加者も50人近くなり、一重だった椅子を二重にする。小出先生の奥さんの秋子さんも、美砂さんも、森井さんも、竹内さんも、富士吉田からは田辺さんも、いつもぼくとシール投票をしている金野さんも来ている。中には、隣室の講演を聞きに着たけれど、こちらの方が面白そうだ、と言って飛び入りで参加してくれた人もいるという。

7:30を少し過ぎたので、講演を始める。もし通訳してくれる人がいなかったら、僕の片言の英語でやらなければならないかと思うと、気が休まらなかったので、通訳の柴田さんが大阪から来てくれて、本当に感謝。でも講演内容は、シュタイナーやら、押田神父のことやら、日達上人のことやら、事前に何の打ち合わせもなく、予備知識もお伝えせず、さぞかし大変なことだったろうと思う。

ぼくは話すのが苦手だから、シューシャード夫妻の紹介や日本山のことなどの紹介は、早々に加藤上人にお任せして、やっと緊張から解放される。
加藤上人は、シューシャードさんについて、湾岸戦争のころみなが黙して語らなかったとき、大統領の面前で「戦争をお止めなさい」と初めて言った人で、その言動で逮捕されてしまったが、それがきっかけになって、戦争反対の声が各地で上がるようになった、というエピソードを語った。

講演の詳しい内容は、ビデオに取って貰っているので、別の機会にこのサイトで紹介しようと思うので、ここでは印象だけ語ることにする。シューシャード夫妻は、講演よりもむしろ会話を望んでいたので、はじめに10分ほどキャリーさんが、八ヶ岳での出会いについての感謝の言葉にシュタイナーついてのことに触れ、その後でジョンさんが、10分ほど2003年の広島、長崎の懺悔の旅について語り、また日達上人やシュタイナーや押田神父について語った。「日本が9条を放棄してしまったら、アメリカの平和運動には、大打撃になろう」といったのが、印象に残っている。いまや9条は、単に日本国内の問題ではないことを、痛感した。休憩を挟んで、シューシャード夫妻の話を捕捉するように、クレアさんが語り、ラモナさんは、アメリカの白人たちが、いかにネイティブの人々を人間扱いしてこなかったを語った。白人であるシューシャード夫妻、そして日本山のアメリカ人の尼僧、日本のカトリックのシスター、仏教、キリスト教、ネイティブ・アメリカンの思想。それに人智学=アントロポゾフィー。

そのすべてが、単純なアイデンティティでは割り切ることができず「私はあなた。あなたは私」という主観の相互交換の場になっていて、対話の場そのものが、より高いアイデンティティの芽生えを提供していた。もし人類が、今後も存続を望むならば、目覚めなければならない意識の芽生えがそこにはあったように思う。

ラカン風にいうならば、そこでは、日頃、不調和としか現れない対象Aは、黄金数に変わっていた。ラカン研究者の新宮氏は、次のように言っている「汝の隣人を愛せよ、なぜなら神は、汝が隣人を見ているのと同じ仕方で、背後から汝を見給うから・・。すなわち、私が、私を見る神の視点を持って隣人を見るとき、隣人の中に、神にとっての私の姿が見えてくるのである。そんな場合の私にとっての隣人が、黄金数、すなわち対象Aである。」そんなbonheur=良き時、幸福なひと時であった。

集会が終わり、参加者は、思い思いにシューシャードさんたちと会話していた。なかにはアメリカにいる娘さんが、「ハウス・オブ・ピース」を訪れており、ご夫妻と面識があることが分かり、感激している人もいた。

翌朝6:00、ぼくは、再び高森草庵を訪れ、再びシスターやお坊さんたちと一緒にお祈りをして、朝食をともにして小渕沢駅に彼らを見送った。シスターと日本山の尼僧のかたたちは、肩を抱き合い別れを惜しんでいた。ぼくは、みんな喜んでくれて、シューシャードさんたちを、八ヶ岳に招待して本当によかったと思った。

帰り際に、シューシャード夫妻は、小さな蝋燭とメッセージ・カードをくれた。
そこには、次のように書いてあった。


Dear Mr.Hisamatsu     May 31.2007

Thank you very, very  much  for making the wonderful circle of
friends last night.
Be so meaningful and important.
Carie and I are so happy to have met Antoroposophy in Japan.
It would be a joy and honor to provide hospitality to you and your friends at
The House of Peace in the future.
With friendship and gratitude
John & Carrie

昨晩は、素晴らしい友人の輪を作っていただいて、本当に、本当にありがとうございました。なんと意義深くまた重要なことでしょうか。
キャリーと私は、日本でアントロポゾフィーに出会うことができて、とても幸福な気持ちです。将来、貴方や貴方の友人たちを「平和の家」でおもてなしできたら、なんと嬉しくまた光栄なことでありましょうか。
ジョンとキャリー

このメッセージカードを貰って、実はぼくは、ちょっと戸惑った。ぼくは、もう長いこと日本ノアントロポゾフィー運動からは離れている。いわば人智学運動からははぐれてしまった。だから「日本でアントロポゾフィーに出会うことができて」と言われると、ちょっと困ったな、と思ってしまう。ぼくは、ここ10年はあんまり熱心にシュタイナーを読んではいない。でもぼくのうちに、ぼくの能力で消化できる限りでは、シュタイナー思想の影響は残っている、とは思う。それにこのごろ、新たにシュタイナーに触れているような気もしている。憲法9条は何を言っているのだろうか、考える中で再び「神智学」に出会ったように思う。それに9.11以来、平和運動に関わり、なにか不思議な縁で繋がってきた。外から見ると、人はぼくのことを積極的に思うかもしれないが、どうしても9条を護持したいという気持ち以外は、本当はすべてが受動的に進行しているように思える。
小淵沢駅には、青柳さんも送別に来てくれて、加藤上人ともかたい握手を交わし、電車からは、いつまでもシューシャードさん夫妻が手を振っていた。

今回の出会いも、ぼくは仲介者に過ぎない。きっと風の輪学校の発展にも、また平和運動のあり方にも、きっとシューシャードさんとの関係は、資するところ大きいと思うので、みんなが、自由に新たな関係を結んでくれたらいいなあ、と思う。スピリチュアリティとは、そんな「縁」のなかにあるのではないだろうか。そして憲法9条は、そうした出会いをも可能にしてくれているように、思う。
  
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2007年06月02日

シューシャードさん一行、八ヶ岳に来る(1)

5月30日、シューシャードご夫妻、ラモナ・ピーターさん、そして加藤上人率いる三人のアメリカ人のお坊さん(男性一人、女性2人)が、八ヶ岳にやってきた。慌ただしさも治まり、余韻も残っているうちに、そのときの模様について書いておきたい、と思う。
30日の午後、1時少し前、シューシャードご夫妻たちは、予定の電車より一本早く富士見駅に着いた。僕は、その前日、ジョン&キャリー・シューシャードさんの講演を聴きに名古屋の中京大学に聴講に行ってきたので、そのことから書く。

29日、シューシャードさんが、どんな講演をするのかどうしても知りたくて名古屋にいった。その前日に、リチャード・モリソンさんという先生に電話したら、シューシャードご夫妻は、国際英語学科の学生の授業のために、招かれたという。授業を聴講してもいいか、と聞いたら「どうぞどうぞ」と快諾してくれたので、29日は1:10から始まる授業に間に合うように、朝8:00に家を出た。

少し早く着いたので、大学の構内をうろつく。キャンパス内には、マクドナルドやら、喫茶店やら入り、どこか空港のロビーか遊園地のようで、学生食堂も小奇麗なレストランのようだった。すべてが、過去を封じるかのような滑らかなタイルのような空間になっていた。大昔の産学協同反対などというスローガンが、死語になってもう何十年もたっているが、大学も商業化の波に晒され、アドルノのいうところの文化産業もここまで進んでしまったのか、という感慨を持つ。少なくとも昔は、マクドナルドは、大学の構内には店舗を構えてはいなかった。

教室に行くと、学生たちが、サンドイッチなど食べながら、授業を持っていた。ダンジェロ先生という主任教授の方が、プロジェクターや授業の準備をしていた。階段教室の前の方で授業の始まるのを待っていると、三々五々学生たちも集まってきて、100人以上にもなっていた。少しすると、日本山のお太鼓の入った頭陀袋を小脇に抱えてシューシャード夫妻が、モリソン先生と一緒にやってきた。授業の始まる前に少し挨拶を交わす。

学生に対する会計報告を終えてから、シューシャードさんたちの講演が始まる。始めにキャリーさんが、ゆっくりとハウス・オブ・ピースでの活動について話し、戦争というものの想像を絶する悲惨を語った。そして日本では、北朝鮮が攻めてきたらどうするのだ、などという議論があるようだが、戦争をしたい人たちが、人々の恐怖心を煽っているのだからどうか恐怖心を持たないでほしい、と言っていたのが記憶に残っている。そしてジョンさんは、われわれは、人間性を解放するか、奴隷になるかの瀬戸際に立っている。アメリカは、戦争がうまくいっていないので、日本の若者の生命をほしがっている。だからこれは、若い貴方がたに直接かかわる問題である。またアメリカでは、人を殺すこと(human killing)に、法も宗教も大学も加担している。われわれは、二つの川の前に立っている。果てしない核拡散の道を選ぶか、核を廃絶するか、どちらの道を選ぶのか決断しなければならない。そして日本国憲法9条は、日本ばかりではなく、世界を救う力がある。アメリカは、今憲法9条を持つ日本の助けを必要としている。どちらを選ぶかは、貴方がたの自由意志に懸かっているが、どうかこの憲法を守るように行動を起こしてほしい、と訴え、スライドで、広島での日本山の平和行進の模様や世界各国の反戦のパレードを紹介した。

学生たちが真剣に聞いている様子を、教室の静けさは伝えていた。英語の授業だったので、通訳もつかずそのときは理解したつもりになっていたが、今その内容を思い出そうとしても、悲しいかな、ちっとも思い出せないので、このくらいにしておく。

その後、モリソン先生が、学生たちに質問を促した。3人ほどの学生がちょっと質問するだけで、あまり直接的な反応はない。それでも若い人は、結構、英語が上手いのには感心する。モリソン先生がどんな感想でもいいから、また日本語でもいいから紙に感想を書いて提出してほしい、と学生に促し授業を終える。

30日の予定や講演についてシューシャードさんと打ち合わせしたいので、構内の喫茶店に立ち寄る。その道すがらモリソン先生は、「日本の学生は、アメリカの学生のように、感想文を飛行機にして教壇のほうに飛ばしたりすることはないが、学生は結構、真剣に考えていますよ」と言っていた。僕は、ジョンさんにアメリカの若い人はどうですか。と水向けると、「物質主義にどっぷりつかっているからか、学生の動きは活発ではない」と言っていた。喫茶店に着き、少しすると女性の先生が、学生の感想文をコピーして持ってきた。みな提出用紙に、びっしりと英語で感想を書いていた。ある感想文は、たった一行、日本語で「憲法9条は、絶対に改悪させない」と書いてあった。シューシャード夫妻も、感慨深げに読んでいた。僕は、20分ほど、講演のテーマやスケジュールを片言の英語で話して、「また明日お会いしましょう。楽しみにしています」といって席を辞した。モリソン先生は、駐車場までついてきてくれて、車に張ってある「NO WAR」のステッカーや車中に山積みになっているプラカードを見てすごく喜んだ様子で、「日本人は、あまりしゃべらないが、普通の人は、みんな第9条を大事に思っていますよ。またいつでも、お電話ください。」と言ってくれた。モリソン先生と、握手して中京大学を後にした。

そして30日、小雨が降り出した富士見駅に、日本山の加藤上人に率いられ、シューシャード夫妻、ワンパノク族のラモナ・ピーターさん、そして二人のアメリカ人の透き通った感じの尼僧と男性の僧侶、総勢7人の一行は、予定より30分早く到着した。あけみさんと僕の車に分乗して、高森草庵に直行した。

草庵外観



草庵にて


高森草庵に着くや、故押田神父の遺影を前にして、一同、南妙法蓮華経を誦し、深々と何度も何度も礼拝した。押田神父に対する日本山のお坊さんたちの深い敬愛の念を改めて感じる一時であった。縁は、日本山のお坊さんたちばかりではなかった。シューシャードご夫妻も押田神父とは、何度も会っており、またおおえさんと加藤上人も、昔からの知り合いのある仲だった。それにアントロポゾーフのシューシャード夫妻と僕との関係。また高森草庵のシスターの川隅さんは、自衛隊のイラク派兵意見訴訟の原告の一人でもあり、シューシャードさんと日本山のお坊さんたちが来てくれると決まったとき、どこに泊まってもらおうか、迷っているとき、ヒロさんが、日本山のお坊さんなら、川隅さんに頼んでみようかと言われたので、僕も妙案だと思って、ご迷惑も顧みずヒロさんに、お願いして見てくれないか、と頼んだところ、快諾してくれて高森草庵での滞在が実現した。おまけに交流会まで、草庵のご厄介になった。でも今にして思えば、本当に素晴らしい交流の場になったと思う。

草庵の別棟にある、古い茅葺屋根の宿舎で旅の荷を解き、しばし休息されると、小雨の降りしきる中、傘を片手に、一同裏山にある押田神父のお墓の前で、慰霊のお祈りと南妙法蓮華経を読誦した。ケリーさんが、ラテン語で(たぶん?)何か聖歌を優しい美しい声で、口ずさみ、その後加藤上人が、深い声で南妙法蓮華経を唱えるとアメリカ女性の僧侶の澄んだ声がそれに唱和して、雨の空に木霊した。

押田神父の墓前


雨の中の慰霊




その後、参加者は、その奥の林の中にある第二次大戦での犠牲者を追悼する慰霊林に向かった。

限りなき なみだの海に
消えず 立たなむ

3メートルほどの木立に刻まれた押田神父の句碑を先頭に、六柱の柱が、林の中に立っている。ひとつの柱には、

文明的野蛮人に抹殺された少数民族同朋犠牲者の霊位 と書かれている。
続いて第二次世界大戦時、侵攻日軍により虐殺された東南アジア同朋犠牲者の霊位、
続けて、比島同朋犠牲者の霊位、中国同朋犠牲者の霊位、そして
日本政府の植民地政策により韓国同朋犠牲者の霊位、そして最後に広島、長崎の被爆者の霊位。

小雨の降りしきる中、各柱の前に立ち、日本山のお坊さんたちは、お経を読み、慰霊した。その後、草案に帰り、交流会が始まったが、その模様は次回に書く。今日はここまで。

  
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2007年05月22日

イメージと生命

もう少し、イメージについて書こうと思う。どうも、ここ八ヶ岳に引っ越してからだと思うが、赤ん坊の時のイメージが、戻ってきているように思う。ひとつは、赤ん坊の頃、もうとっくに亡くなった祖母によれば、僕は、よくひきつけを起こしたらしく、そんな時よく庭に生えているゲンノショウコを煎じて僕に飲ませたという話は記憶に残っているが、街灯もまだろくすっぽない頃、真っ暗な通りで、母親におんぶされて、母の背中で子守唄を聞いているときの感情が、その通りの風景と一緒に蘇ってくるような気がする。もうひとつは、すごく天気の良いある日、乳母車に乗っていて、時折乳母車の外から、大人の人の顔が現れて僕に向かって何か言っているのを、見ている。なぜか、あのとき僕は笑っていたように思う。頭の回りには、乳母車の薄汚れた薄桃色の内装と、ところどころ破れかけた竹籤の感触が、戻ってくるような気がする。多分、一歳にも満たない頃だったに違いない、と思う。古い記憶は、映像の記憶が残っているのかそのときの情緒が残っているのか、定かではない。そもそも真性の記憶なのか。

アメリカでは、フロイト派の医師が、患者に催眠術をかけて、父親のよる性的虐待があった、という擬似記憶を植え付け、父親が、そんなことはなかったと告訴するという事件があった、と聞く。また逆に、日本の首相は、従軍慰安婦問題はなかったと強弁する。だから僕の記憶も、もう忘れてしまった祖母や母の話から、僕が知らないうちに構成した記憶ではない、という保障はない。

もうひとつ鮮明な記憶がある。3歳のときだったと思う。この映像とそのときの感情は、はっきりと残っている。3歳のとき、僕は、疫痢に罹り、危うく生命を落とすところだった。薄暗い4畳半の部屋に寝ている僕。時折、明るい掃きだしの窓がちょっと開いて、従兄弟の目が見える。高熱に魘されて何日を寝ていたが、あるとき、近くレコード屋のおじさんが、僕を抱えて病院に連れて行ってくれた。手術台のような病院の診療台で、大きな
ライトがついている。ぼくは、「悪かったよう。もうしないよう」と叫んだ記憶がはっきり残っている。大きなリンゲル注射をお尻に打たれる。
回復期のベッドで、遠くの調理場から、お粥の匂いがしてくる。なんとも言えず、おいしそうな匂いで、とても楽しい気持ち。お見舞いにきた人が、もって来てくれた赤いブリキの自動車の記憶。歩けるようになってからの病院の中庭で、嗅いだ木の葉の匂いの新鮮さ。
この記憶は、とても鮮明で、前の二つの記憶と違って、これははっきり僕の記憶だ、といえる。2,3日前に、上野で食べたゆで卵が原因だった、と家のものから聞いたが、その前後のみならず、それ以外の3歳のときの記憶なんて思い出せない。それで僕は、生命の危機のときの記憶は、生命の深いところに刻み込まれるのではないか、と思っている。

ところでイメージについてだが、このところふと、もう大分昔に読んだので空覚えで、その本は手元ないので確かめられないのだが、シュタイナーの「オカルト生理学」に、ヘモグロビンは映像を運ぶという記述があったように記憶する。昔読んだときに、山ほどある一連のシュタイナーのこの種の発言の記憶の中に埋もれてしまった。ところで、シュタイナーのような文章を読むたびに感じるのは、いったい分かるとは、どういうことなのか、という問いである。ドイツにいるときも、週に一回、神智学の講読会があったが、発言しろといわれても、どうにも取っ掛かりが見つけられなかったし、僕の見るところ教師自身にしてからも、分からなさの葛藤に悩んでいたように思える。分からないことを考えるのは、やはり苦痛である。シュタイナー自身は、見霊者であったと思うが、健全な理性をもってすれば、分かるといくら言ったって、シュタイナーの言っていることなど、とても分かる代物ではないように思われた。ニーチェやドゥルーズやフロイトが分からない、というのとまた訳が違う。こんな思想を分かったようなつもりになることぐらい空しいものはない。思うにシュタイナーの思想には、いつかシュタイナーの心に、いわゆる霊界がたち現れてくる過程やその生々しい現場の描写というものが、ほとんどない。だから余計に取っ掛かりがない。とても不親切な文体のように思えた。その世界は、書き始めたときは、すでに完成され整理されていて、分からないなりにも、共感を持って読む、ということは難しいように思えた。その意味では、クリシュナムルティの文体のほうが、ずっと親しみ深い。これは、9条と同じように、どこからか、からの「贈り物」くらいに思って、すっかりご無沙汰していた。

ところが最近シュタイナーの言うことは、どうも本当ではないか、と思うようになった。血液が、映像を運んでくるかどうかは反科学的というのとは、少し違う。実証科学はそんなことを問題にもしていない、というだけの話だ。

ミラーニューロンを活性化させる薬を飲ませたら、被験者が全員、幽体離脱した、という話を聞いて、ぼくは、なぜか不思議に思わなかった。共感力の増大、別言すれば、「愛」の広がりが、自分を外から眺める「像」に収斂するのは、とても比喩的で、いろいろなアナロジーに誘う。

フロイトーラカンによれば、各臓器の余剰エネルギーである部分性欲で、ばらばらになった身体イメージを、ナルチス的自我幻想の芽生えとともに、先取り的に統一的な身体像を作るという。昔の錬金術師は、各臓器が、作り出すイメージをかなり明確に持っていて、そこから4気質の理論など作ったのではないだろうか。
ラカンは、それとともに言語という象徴界への参入が始まるといっているが、言語による抑圧が、著しく弱体化した現在は、想像界そのものが、現実の中にたち現れてきており、これが、現在というものと古代的イメージが、僕の中で重なってくる要因ではないか、と思っている。

それは、さておき健康な通常の場合、イメージは、視覚ばかりでなく、身体全域にいわば、水平な形で浸潤しているが、何かの危機の時には、垂直な形に収斂してゆく。そうしたとき、いわゆる幻覚となって生命は、たち現れてくる。僕には、先にミラーニューロン活性化による幽体離脱の話から、そんなイメージを持った。その関連で、血液がイメージを運んでくるというシュタイナーの指摘は、フロイト的「夢」の問題を、より大きな生の広がりの中に運んでくれるように思えるのである。これは、もちろん素人の僕の根も葉もない空想であるが、それで少しハッピーな気持ちになれるなら、僕にとっては有意味である。
  
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2007年05月09日

概念とイメージ:喪失と回復(2)

マリドマさんは、その本の後半の15章では、「見る力の訓練」について語っている。イェラの木の前に座り、じっとその木を凝視するが、何も見えてこない。しかしそれでも辛抱強く凝視し、木に語りかけるうちに、木は消え、樹木神が現れる。その箇所を引用する。

「一語一語心を込めて木に語りかけた。すると不思議なことに、木に親しみがわき、それまでの苦痛が和らいできた。午後にさしかかったというのに時間の経過み、気にならなくなった。そのとき突然、自分の魂の内部に小さな稲妻が走った。一風の爽やかな風が背筋から地面まで吹き抜けていったかと思うと、全身が心地よくなってきた。太陽も森も自分や長老までもが今までとは全く異なったベールにつつまれた神秘の世界に身を置いているようだった。それは決して夢でも幻想の世界でもない。紛れもない現実の世界だ。イェラの木だけでなく周りの木々も、炎のように熱と光を放ち呼吸をしているのが見えた。さらに己の重力も感じなくなり、宇宙のあらゆるものから何も知らない無垢なものとして僕自身見られているような気がしてきた。と同時に死を宣告されたときのような、言い知れない恐怖感を覚えた。というより自分がそこで 一瞬、死んだと感じた。たぶんイェラの木に語りかけている間に、僕ののなかで大きく変化したのだろう」

そしてその後、木は消え失せ、マリドメさんは、緑色をした樹木神に出会う。「木の立っていた場所に、いきなり背の高い女性が、頭のてっぺんから足のつま先まで尼僧のように黒い衣装を身にまとい、立っていた。彼女の肌は絹のようにきめ細かく透き通っていて、内面から光を放っている。・・・・・・赤子が乳を含みながら聴く母親の子守唄に勝る安らぎをもっていた。・・・・そこにはベールをはがした女性が微笑んでいた。目の覚めるほど美しい彼女の姿は眩しい緑の光に満ちていた。限りなく透き通った肌を通して、体内の緑の液体が映し出されていたのだった。目は小さく緑色をしており、口元の歯からは薄紫の光を放っていた。彼女の内面の緑はただの緑ではない、無限の愛を表現した緑だった。」そしてマリドマさんは、「僕の体中の細胞という細胞が一個の 意識体となり、彼女が自分の内にある」という至福を味わう。

マリドマさんが、いったい何に出会っていたのか、もちろん僕には分からないが、
ふとゲーテは、彼の原植物について、シラーから「それは、君の観念であって経験ではない」と言われ、「それでは、僕は、観念を目で見ているわけだ」と答えたという有名なエピソードを思い出す。また緑色の女性というのも、興味深い。スーフィにとって、不可視の霊的ガイドである「ヒドル」は、緑色をした霊人であった。ルーミーが、夢中になって、教団を捨て帰依した放浪僧、シャムスタブリーズは、後にルーミーにとっての「ヒドル」であったと教団では伝えられている、と聞く。これはまた西洋の教会を飾るグリーンマンの表象とも、聖ゲオルグとも密接に関係している。また緑色について、シュタイナーによれば、生きているものの死のイメージ(Totes Bild des Lebens)であるという。「植物は、その緑色を植物自身から生み出しています。・・・植物のうちには、死んだ大地の成分が組み込まれています。しかし。この死んだ大地の成分は徹底的に活性化されています。植物のなかには鉄、炭素、なんらかの形の珪酸があり、また鉱物界においても見出すような、ありとあらゆる大地の成分があります。こうした一切のものが、植物の中で体験され、表裏一体に織り込まれています。私たちは、生がいかに死によって血路を開き、死によって一つのイメージ、すなわち植物という像を生み出すかを観照することによって、緑色を生の死んだイメージとして感じ取ります。」またこんな風にも言っている。「自然の緑が心をそそって病まない理由は、まさに緑という色は、自分自身は生に対して何の主張もすることなしに、生の死んだイメージとして現出するということにあります。・・・・・・・緑色は、生の死んだイメージとして現れてきます。緑色のうちには生が潜んでいます。」(芸術と芸術認識)

これは、奇異な言葉使いのように思われる。通常の言葉使いでは、緑は、まさに生命の息吹きであり、生の死んだイメージという図式は、言葉のあやみたいで真面目に考えたことはなかった。ところが最晩年の丸山圭三郎が、どこかでこの表現に触れていた(どこだったか思いだせないが)のと、武満徹の谷川俊太郎との合作の遺作ビデオ「ファミリー・トゥリー?」の中で、瀕死の病人のベッドを、森の緑の中に据えたシーンを見て、緑の「癒し」は、死に逝く生者の中の「死」を生へと癒すものではないか、と思うようになった。

話をイメージに戻すと、「像」が生命と密接に関係していると思うようになった経緯についてもう少し話す。もう昔になるが、身寄りのないある重病の女性の保証人になったことがある。その女性は、重症の子宮筋腫でお産でもするかような大きなお腹になっていた。もう発病してから10年以上もなるということで、癒着も心配され医者からは手術は無理だといわれていた。そんな身体で彼女は、自力で治そうと様々な霊場に足を運んだという。するとこれから会いに行く人の顔が、目に見えてくるという。僕は、興味を惹かれて、どんな風に見えるのですかと聞いた。するとダブル・イメージのようにはっきりとテレビを見るように映像として写るという。青白い顔をした彼女の口からでる説明を僕は、信用した。その後彼女は、フィリピンの心霊治療師のところで1ヶ月滞在し、日本に帰ってきた。彼女によれば、その治療師は、毎日彼女のお腹に手を突っ込んではなにか取り出していて、最後にこれで大丈夫だから、日本に帰って手術してもらいなさい、と言われたという。僕は、その手術に立会い、医者は、その切除した患部をぼくに見せて、「不思議ですよ、10年以上も放っておいたのに、全然癒着がなかったのですよ」と言った。医者がそう言っていたよ、と彼女に伝えると「そんなこと分かっているわ」といった。彼女は、すっかり回復し、血色もよくなり、見る見るうちにふくよかになっていった。「ところで、病気のとき、よく映像が見えるといっていましたね。あれはその後どうなりましたか」と聞くと、もうすっかりそうした能力は失ってしまった、と笑って言った。ところで、そうした治療師の一人を日本に招いて、大学病院でその能力を検査しようとしたことがあったが、その顕著な能力を測定することができなかった、という。多くの心霊治療師は、その土地以外ではその能力を発揮できない、と聞く。能力というものは、どこにいても発揮できるものだというのは、近代普遍主義の信仰のように僕には思える。やはりそうした能力は、ゲニウス・ロキ(土地の精霊)と関係していると思う。その反証は、このシステム社会に生きる者の思考を見れば分かる。

またこれは、NHKのドキュメントであったと思うが、過去の名取り組みを再現できる相撲解説者を紹介していた。過去の名取り組みが、テレビ画面のように目の前に現れるという。またこんなこともあった。僕たちの訴訟の代表をしてくださったぼくの尊敬する理論物理学者のK先生は、パーキンソン氏病を患っておられる。薬の副作用で、よく幻覚が現れるという。「先生、幻覚ってどんな風に見えるのでしょうか」とお聞きすると「それは、はっきりと今、貴方を見ているように見えますよ。でも天井に人がぶら下がっているなんて、物理法則に反しますから、これは幻覚だな、と思うんですよ。自分を客観的に見る習慣のない人は、現実かどうか判断できないでしょうね」さすが物理学者の先生だなと感心していたが、奥さんにお聞きするとどうも必ずしも、先生といえどもご自分の幻覚を完全にコントロール下に置いておられないようである。ところでそれとは別に僕たちは、薬の副作用といえば、ああそうかと納得し幻覚というものを主観的領域に押し込んでしまって平然としているが、ぼくには、どうも腑に落ちない。オウムを待つまでもなく、古来、幻覚誘発剤を使うカルトはよく知られていた。イエスの時代にも「ベニテングダケ」を使う教団は知られていた。聞きそびれたが、ダカラ族も何らかの薬物を使うのかもしれない。薬物を使うのを決して良いと言っているわけではないが、ぼくたちのデジタル化した世界もまた、一種の薬物になっていやしまいか。

アンリ・コルバンは、西洋の悲劇は、ムンドゥス・イマギナリスの仲介的世界を失ったところにある、と言っている。彼は、能動知性を精霊とか、マドンナ・インテリジェンスと言い換えているが、ぼくは、観念を造形化してゆく力ではないかと思っている。マリドメさんの本を読んで、ダカラでは、そうした仲介者の形姿がまだ生きているのを感じた。こうした心意力が、ムンドゥス・イマギナリスを失い、近代国家を形成した国では、ファシズムに変質しまうのではないだろうか。

ソボンフさんは、その講演で「ダカラでは記憶は、背骨に宿っていると考えられています。ダカラでは、我慢ということはありません。すべてを受容するのです」と事もなげに言われた。ソボンフさんの言われることが、近代科学の知見からすれば突拍子もなくかけ離れていても、そこには、安らかな美的統一感があった。
  
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