1: :2018/08/04(土)10:03:22 ID:
8/3(金) 12:10配信 PHP Online 衆知(歴史街道)
学校では教えてくれない日本史の授業
山本勘助と真田幸村といえば時代劇のスターといってもよいでしょうが、実はこの二人、日本の歴史学の上では厄介者扱いなのです。
山本勘助、つまり武田信玄の「軍師」としての勘助は、かつて歴史学界では存在を否定されていました。
「伝説上の人物」だというのです。確かに軍師という言葉はもともと中国語で、日本の戦国時代にはそういう
言葉は使われていなかった可能性は高いのです。
しかし、それは勘助が存在しなかったということとは全く意味が違います。にもかかわらず、歴史学界は
「勘助は実在しなかった」という説を採用していました。
このため作家、海音寺潮五郎氏は小説『天と地と』を書くにあたって、山本勘助を登場させませんでした。
歴史学界の悪影響を受けてしまったのです。
なぜ歴史学界は勘助の存在を否定したのでしょうか? 理由は簡単で「同時代の史料に勘助が登場しない」というものでした。
いかに状況証拠で勘助が存在したと推論できても、証拠が出ない限り絶対ダメだというのが歴史学界の頭の固さです。
ところが証拠が出ました。皮肉なことに『天と地と』がNHK大河ドラマになって放映された時に、
それを見ていた視聴者が自分の家に先祖から伝わっている文書が、信玄の書いたものだと気がつきました。
テレビ画面に信玄の花押、つまりサインが大写しになったからです。その文書になんと山本菅助(勘助)の名前が
書かれていたのです。文書はもちろん本物で、これ以降、歴史学界は手のひらを返したように「勘助は実在した可能性が高い」と
いい出しました。
証拠(史料)があれば認めるが、証拠がなければ絶対に認めない。こういうのを実証主義といいます。
人の運命を左右する裁判なら、それでも結構ですが、歴史については史料がないものもあります。
そこは推理推論で埋めるしかないでしょう。
そしてその推理推論は妥当ならば仮説として、この場合なら「山本勘助は実在した可能性が高い」と認めるのが
学問の常道であるはずですが、日本歴史学界はこの常道を外しているということです。
実は真田幸村もそうした「頭の固さ」の犠牲者です。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』でも、幸村とは呼ばずに
信繁と呼んでいます。なぜそうなのかはもうおわかりでしょう。歴史学界の先生方が「同時代に幸村と名乗ったという史料はない」というからです。
(以下略)
全文は↓↓↓
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180803-00010000-php_r-pol
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山本勘助と真田幸村といえば時代劇のスターといってもよいでしょうが、実はこの二人、日本の歴史学の上では厄介者扱いなのです。
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「伝説上の人物」だというのです。確かに軍師という言葉はもともと中国語で、日本の戦国時代にはそういう
言葉は使われていなかった可能性は高いのです。
しかし、それは勘助が存在しなかったということとは全く意味が違います。にもかかわらず、歴史学界は
「勘助は実在しなかった」という説を採用していました。
このため作家、海音寺潮五郎氏は小説『天と地と』を書くにあたって、山本勘助を登場させませんでした。
歴史学界の悪影響を受けてしまったのです。
なぜ歴史学界は勘助の存在を否定したのでしょうか? 理由は簡単で「同時代の史料に勘助が登場しない」というものでした。
いかに状況証拠で勘助が存在したと推論できても、証拠が出ない限り絶対ダメだというのが歴史学界の頭の固さです。
ところが証拠が出ました。皮肉なことに『天と地と』がNHK大河ドラマになって放映された時に、
それを見ていた視聴者が自分の家に先祖から伝わっている文書が、信玄の書いたものだと気がつきました。
テレビ画面に信玄の花押、つまりサインが大写しになったからです。その文書になんと山本菅助(勘助)の名前が
書かれていたのです。文書はもちろん本物で、これ以降、歴史学界は手のひらを返したように「勘助は実在した可能性が高い」と
いい出しました。
証拠(史料)があれば認めるが、証拠がなければ絶対に認めない。こういうのを実証主義といいます。
人の運命を左右する裁判なら、それでも結構ですが、歴史については史料がないものもあります。
そこは推理推論で埋めるしかないでしょう。
そしてその推理推論は妥当ならば仮説として、この場合なら「山本勘助は実在した可能性が高い」と認めるのが
学問の常道であるはずですが、日本歴史学界はこの常道を外しているということです。
実は真田幸村もそうした「頭の固さ」の犠牲者です。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』でも、幸村とは呼ばずに
信繁と呼んでいます。なぜそうなのかはもうおわかりでしょう。歴史学界の先生方が「同時代に幸村と名乗ったという史料はない」というからです。
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